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耳栓·その2

11月28日(木)

ベッドが4つある相部屋の病室は、たちまち満室になった。

ひとりは70代の男性。声の様子だとカクシャクとした感じだが、医師や看護師とのやりとりが聞こえてくると、明瞭な喋り方の中に、少しばかりその横柄さを感じた。ただしこれは僕の偏見かも知れない。やはりこの男性も、立ったまま小用を足し、便座をあげたままにする人だった。

もう一人、僕の隣に来たお年寄りの患者さんに驚いた。

「もしも~し!助けてくださ~い!」

と叫び続ける患者さんである。

しかし、前日までの患者さんとは明らかに違う。前日までいた患者さんは、声が大きくて、繰り返し叫んでいた。それに対して今日からの患者さんは、それほど声は大きくないし、のべつまくなし「もしも~し!」と言ってるわけでもない。ところがその言い回しはそっくりなのである。前日までいた患者さんと同じ事情を抱えている患者さんであることが容易に想像できた。

消灯のあと、深夜になって目が覚めたのか、「もしも~し!助けてくださ~い!」というつぶやきが続いた。僕はさすがに耐えきれなくなり、もう使うこともないだろうと思っていた耳栓を使った。

ここにいると、理想的な老い方について考えさせられる。

7年前に死んだ父は、最晩年は酸素ボンベが手離せない状態だったが、それでも最後まで取り乱すことがなかった。死ぬ4日前に入院し、医師や看護師の言うことを聞き、敬語で接し続けた。自分もそんなことができるだろうか。

最近、74歳のYouTuberの動画を見るようになった。僕の全然知らない人なのだか、立て板に水のごとく喋っていて、その内容も明晰であることに驚いたのがきっかけである。どうやら若い頃に地方のFM局でラジオパーソナリティーをされていたらしい。

してみると、引退してからYouTuberにでもなって毎日喋り続けることが「現状維持」の秘訣なのかも知れない。それができなくても、本を読んだり文章を書くことは続けたいと思っている。

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