話の極意
12月9日(月)
スマホのYouTubeを開いたら、おすすめの動画として「ナイツ塙会長の自由時間」というチャンネルがあがっていて、伊集院光さんがエピソードトークの極意について塙さんと語っていた。1年前の動画のようで、僕は初めて見たのだが、これがめちゃくちゃおもしろかった。
若い頃、伊集院さんのラジオは毎週欠かさず聴いて、その話術というか話芸の面白さの虜になっていたのだが、その話芸の極意がかなりロジカルに語られていた。僕が若い頃に、伊集院さんの話芸のコツについて漠然と考えていたことが、理論化、言語化されていて、僕は溜飲が下がったのであった。
リスナーにわかりやすく面白く伝えるために、若手芸人5人と飲んだことを2人で飲んだことにして話がややこしくならないようにするとか、2回に分けて行った場所について、それをそのまま話すとややこしくなるので1回の話にまとめてしまうとか。それはラジオの尺を考えながらそのときの判断で話を組み立てる、というのである。
伊集院さん本人はそのことを「話を盛る」と表現していたが、「盛る」というよりも「組み立てる」とか「組み換える」といった方がふさわしいのかもしれない。
僕も長らくラジオを聴いていて、漠然とそんなことを感じていたので、それが言語化されたことにちょっと感動した。
こんなことを書くと「おまえそれは後付けだろ!」と叱られてしまうかも知れないが、このブログもそんな感じで書いている。エピソードじたいは本当の出来事でも、時間の前後を入れ換えたり、不必要なことは省いたり、会話を足したりしている。
伊集院さんは「(初めてこのラジオを聴いてくれる)リスナーを置いてきぼりにしない」とも言っていて、実際にラジオのトークではそうならないように話の端々に補助線を引いていたことを思い出す。
一番よくないのが、エピソードの全部を話そうとすること、あるいはエピソードの本筋とは関係ないことまで話そうとすることだと言っていて、これにも同感だった。要するに全部を説明しようとするのはよくないということである。
僕は前の職場にいた頃、若者たちに「知ってることとか調べたこととかを全部書こうとするのはよくない。文章の極意はそれらを如何に捨てるかということである」と、偉そうに指南していた。今から思うとまことに恥ずかしいが、あながち間違っていなかったのではないかと思う。
自分がそのことをできているかははなはだ心許ない。実際、これだけクドい文章を書いているということは、まだまだ修行が足りないということなのだろう。
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