« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »

2025年1月

熟睡する方法

1月29日(水)

まだ週の半ばだというのに、月曜から水曜まで重たい案件が続きすぎて疲労困憊である。

昨日、上司に確認することがあり上司の部屋に行くと、いつの間にか雑談になっていた。

あまりにしんどいので最近は帰宅してから仕事のことを考えないようにしているんです、と僕が言うと上司は言った。

「ええ方法があるで」

「何ですか?」

「プラモデルを作るんや」

「プラモデル?」

「そや」

部屋の本棚の片隅にプラモデルが置いてある。

「家に置くところがないからこっちに持ってきた。プラモデルはええで。作っている時に無心になれるから。作ったあとはよう眠れるのよ。試してみい」

ディアゴスティーニみたいなものか。しかしあんたはええわいな。職場から車で10分のところに住んでるのだから。こちとら車で片道2時間くらいかかるところに住んでいるのだからプラモデルを作る時間などない。そもそも僕は子供の頃から無類の不器用でプラモデルを作りたいと思ったのはただの1度もないのだ。

今日も車で2時間かかる自宅に帰ったが、へとへとである。家族はすでに寝ている。早くお風呂に入って床に就きたいのだが、帰宅後すぐにお風呂に入る気にならず、ちょっと休んでからお風呂に入ろうと、ちょっとだけソファーに横になった。

すると「おい!」という声が聞こえた。寝ていた妻である。

「イビキがうるさすぎて眠れないよ!」

「俺、寝てた?」

「気が付いてないの?もう30分もイビキをかいてたよ!」

時計を見ると確かに30分経っている。

「でも部屋の扉は閉めていたでしょう?」

「閉めていても大きなイビキは聞こえてくんの!」

どんないびきをかいていたんだ?イビキと言うより騒音である。

そこで僕は気づいた。なあんだ。俺は熟睡していたのだ。プラモデル要らずの熟睡だ。

というよりこれは、気絶というべきなのか?

| | コメント (0)

しぼむ

1月27日(月)

外付けハードディスクの中身を整理しようとしたら、4年ほど前に職場のイベントを解説するという動画サイトの元映像のファイルが出てきた。

「元映像」といったのはリアルタイムだと映像の中にひっきりなしにコメントが右から左へ流れていくタイプの動画サイトだからである。そのコメントのないバージョンをファイルとしていただいたので「元映像」と称したのである。

全体で3時間半くらいの番組で、僕はそのうち40~50分くらいの時間を担当し、リレー形式で次の同僚につなぐ、というものだった。

なにより思い出深いのは、説明をする相手が、現役のアイドルだったことである。しかもこういうイベントに関心の高いアイドルだと僕は知ってたから、何人か候補があがっていたなかで、僕はいろいろと根拠をあげてこのアイドルの強硬に推薦した。そしたらそれが実現しちゃったのである。

僕が思っていた通り、その方は私の説明に対して的確なコメントや質問を返していて、聡明な方だなという印象を受けた。そうなるとこちらも話が乗ってくる。「聞く力」とはこういうことなのかと僕は学んだ。

僕の最後の説明が終わると、そのアイドルの方は、

「視点を変えると別の意味が見えてくる」

とまとめのコメントを言ったあと、一呼吸おいて、僕の目をじっと見つめて、

「素敵です!」

と言ったのだった。もちろんイベントが素敵なのであって、僕が素敵なわけではない。そんなことはわかっていても、チャンカワイの決めゼリフを思わず言いそうになった。いまならこの部分を切り抜いてショート動画にするのだろうが、僕にはそんな技術はないし、なによりそれだと嘘になってしまうのでやりたくない。

しかし現役のアイドルが僕の目を見つめて「素敵です」と言ってくれる機会はないのだから、貴重な思い出である。

クドいな!その話はもういいよ!書きたかったのはそんなことじゃない。

4年前の僕の姿を見たら、まるまると太っていた。引退したばかりの力士のようだ。

実際、生放送の日から期間限定でアーカイブ配信された、画面に流れてくる視聴者のコメント付動画を細かく見ると「柔道選手みたいな体格やな」というコメントがあることを見逃さなかった。

それがいまはどうだ。すっかり痩せちゃって、というかしぼんじゃって、着る服着る服、そして履くズボンがどれもブカブカである。おそらく昨年末に長期入院したことに原因があるのだろう。おかげで体力がすっかりなくなった。久しぶりに会う人はビックリするだろうな。

そんなことより、生放送の日から期間限定でアーカイブ配信された、画面に流れてくる視聴者のコメント付動画を見ていくと、

「鬼瓦先生はTBSラジオリスナー」

というコメントが流れてきて、おいおい俺の個人情報を晒すな!というより誰にも言ったことがないのになぜ芯を食ったコメントができるのか?いまだに謎である。

| | コメント (1)

あっち側の人

1月26日(日)

少し前に、中学生のジャーナリストがネットメディアに引っ張りだこだと書いた。それ以来、彼のことが気になってしまい仕方がない。

早熟な中学生はどこにでもいる。かくいう私も早熟な中学生だった。

ある政治系の動画チャンネルを見ていたら、中学生が選挙の取材をして大丈夫なのかと心配することに対して「僕は(大人に)利用されてなんかいません」「自分の意志で活動をしています」「ちゃんと青春もしています」と反論していた。とくに青春をしているという根拠を、自分の周りの同級生からアンケートをとり、「○○君(中学生のジャーナリストのこと)はゲームをしたり、好きな女の子がいたり、ちゃんと青春していますよ」という言葉を集め、その根拠としていた。

そういうことなのだろうか、と違和感を覚えた。

大人のジャーナリストたちは、ここぞとばかり中学生のジャーナリストにいま起こっている現象について矢継ぎ早に質問をする「○○さんが自死されたことについてどう思いますか?」「○○新党についてどう思いますか?」等々。

ジャーナリストと言っても、そこまでいろいろなことにコメントができるはずはない。空気の読めないその司会者の質問に対して、誰でも言えるようなふつうの答えを言うしかなかった。

ただ、○○新党については、いささか考えがあるようで、

「僕のまわりの中学生たちにはその人は人気がないですよ」

「そうなんですか?人気があるように思えたんですが」

「周りの友だちにアンケートをとったところでは、その人は話が通じない人で、嫌いな先生の典型だという意見が多かったです」

「なるほど…」

自分の中学校にしか取材していないのか…と僕は嘆息した。

番組の最後に、最近自分が原稿を書いた雑誌を手に持って、

「この雑誌に原稿を書いたので、みなさん買って読んでくださ~い」

と無邪気に宣伝していた。

冷静に考えれば、中学生のアイドルが「こんど新曲が出るので聴いてくださ~い」と宣伝することと同じなのだが、どうも僕には違和感が残る。

なぜこの中学生に対して僕がネチネチとこだわるのか。

前に書いたように、僕は中学生の頃から雑誌に文章を載せていたのだが、自分の中で恥ずかしさがあり、まったく宣伝しなかった。つまりこの中学生とは対極の早熟中学生だったのである。

僕にとっては、この中学生は「あっち側の人」だったのである。

僕が大人になって、職業的文章を書くようになっても、そのことを宣伝するのがイヤだった。ふつうはひとりでも多く目にふれてほしいと思うものだが、そんなことはどうでもよかった。いまだったらSNSで「こんな本を書きました」とか「こんな文章が掲載されました」などと宣伝する人が多いのだろうが、僕はそうした人たちを「あっち側の人」として認識している。僕が10代の頃にSNSがなくてほんとうによかった。

さりげなく新聞記事を切り抜いたPDFファイルをメールで送ってくる人もいる。メールの本文よりも、自分が取材されたことが新聞記事になったことの方を知ってもらいたいということなのだろうと理解した。

僕の理想は、ひっそりと書いたものが誰かの目にとまり、次の仕事につながるというスタイルだ。もともと安定した職に就いているからそんなことができるのだといわれればそれまでなのだが。

これまでそんなふうに生きてきた。

僕はなんと了見が狭い人間なのだろう。

| | コメント (1)

ご隠居になりたい

1月25日(土)

今週も忙しすぎて、金曜日の夕方あたりになると、

(これはもうヤバいかも)

という感じになってきた。体調もいまひとつである。

もうこれは、絶対に土日に仕事のことなんか考えないぞ!という強い決意のもと、帰宅後早々に何もせずに布団に入った。

本当は、来週こそ忙しい日々が待っているので、そのための準備をしなければいけないのだが、そんなの関係ねえ!とばかりに、土曜日はずっと布団の中に籠もっていた。明日の日曜日もそうすることになるだろう。

むかしは僕の年齢からしたらとっくに定年退職の年齢だ。それが今や定年の年齢が10歳も引き上げられているのだからたまらない。定年どこか、中堅社員だ。

いままでふつうにできたことができなくなることも多くなり、ちょっとショックである。

隠居することが僕の夢である。

「横丁のご隠居」が理想的だ。そういえば落語家の立川談志師匠は、「どういうわけだか隠居さんてのはみんな横丁へ住んでまして、あんまり丸の内のご隠居なんてのはないようでしてな。隠居はじゃまだからというので、みんなこの隠居は、奥の方へ引っ込むことになります」と『雑俳』のマクラで言っていた。

横丁のご隠居のところには熊さんだの八っつぁんなど、いろいろな人がたずねてきて、どうでもいい雑談を繰り広げる。しかしご隠居は人生経験が長いから、どうしても蘊蓄を語りたくなってしまう。熊さんハっつぁんはそれを鬱陶しいと思いながら、暇つぶしと思って聞いている。

そんな、鬱陶しがられながらも暇つぶしの相手となるようなご隠居さんになりたいね。

| | コメント (0)

ズボンにベルトを締め忘れた日·2回目

1月22日(水)

3カ月に1度の割合で、鉄道で1時間半ほどかかる都内の病院で検査と診察を受けている。いつもは必ず検査で引っかかり、そのたびに「ひとり合宿」をしていたが、この半年以上の間は検査に引っかからず「ひとり合宿」を免れていた。

午前中の検査だったため、朝早めに自宅を出たのだが、慌てていたせいか、ズボンにベルトを締めるのを忘れてしまった。

最初は全然気づかずにバスで駅まで向かったが、バスを降りたら違和感を抱き、腰の辺りを触ったらズボンにベルトをしていなかった。

最近、僕の腹まわりは少しだけ痩せてきたので、ズボンはブカブカである。

なぜ朝出たときに気づかなかったのだろう?朝は体がむくんでいて気にならなかったということか?

実際、時間が経つにつれてズボンがブカブカになり、検査と診察が終わったころは、ズボンを手で抑えていないとずり落ちてしまうほどになっていた。

人通りの多い都内で、片手でズボンを抑えながら歩いているのだから、不審者この上ない。

しかしなんとかズボンはずり落ちることなく、自宅に戻ってきた。

単独行動をしている時でほんとうによかった。人に見せられる格好ではなかった。

さて肝心の検査では、久しぶりに引っかかり、あの面倒な「ひとり合宿」が復活することになってしまった。嗚呼、何もかも憂鬱だ。

| | コメント (1)

夜にメールが追いかける

1月21日(火)

相変わらずの毎日だが、今日は朝から夕方まで会議があり、その合間にいくつものめんどうな書類作成をしたりして、クソ忙しい1日だった。

年末に入院したことがきっかけで、できるだけこんをつめず、帰宅後も仕事のことを考えないようにしているのだが、そんなことなどおかまいなしに、帰宅後の夜に仕事のメールが来ることがある。見ないようにしつつも、うっかり見てしまうと憂鬱な気持ちになる。

こういうくだらない文章はいくらでも書けるのだが、仕事のメールへの返信となると苦痛以外のなにものでもない。

うっかり受信トレイを開くと、3件ほど仕事のメールが来ていた。

ひとつは日程調整のメール。自分だけならばのんびりかまえておけばよいのだが、その仕事に関わるもうひとりの同僚が電光石火の早業で返信をするものだから、急かされている気がしてそれだけで疲れる。だいたいこっちは2時間以上かけて通勤しているのだ。

2件目のメールは書類の不備を指摘するメール。書き直せということなのだが、へとへとの身ではすぐに取りかかることはできない。

3件目は、困った事態になりそうなので明日までに解決策を考えてほしい、という内容のメールである。明日の午前中には病院に行くので、その前に解決策を考えて関係職員にメールで対応策を相談しなければならない。

僕と同じように夜に仕事のメールを見るのが不愉快な人が多いだろうから、最近は、基本的に夜に仕事のメールは書かないことに決めている。繰り返すが、仕事以外の雑談メールは夜に受け取っても何ら問題はない。

嗚呼、このブログにこんな愚痴ばかりの記事を書いたら読んでるほうも不快だろう。いっそ愚痴ばかりを書く、秘密の愚痴専用ブログを作ろうか。というか俺は毎日どれだけの駄文を書いたら気が済むのだ?

| | コメント (0)

一度は言ってみたいセリフ

録画しておいた『ノンレムの窓』というオムニバスドラマを観た。新春(2015年)に日本テレビで放送されていたドラマである。初めてこのドラマを観たのだが、どうやらシリーズもので、『世にも奇妙な物語』を思わせる構成である。

これを録画してまで観たいと思ったのは、バカリズム脚本のドラマが放送されるというふれこみがあったからである。

何の予備知識もなく見始めると、ドラマのタイトルが、

『前の車を追ってください』

と、ドーンと出た。

その瞬間、僕は、

(ははあ~ん、これは人生で一度は言ってみたい言葉についてのドラマだな)

と思っていたら、はたしてその通りの内容だった。

僕がタイトルだけを見てそう思ったのは、昨年(2024年)にオンエアされたTBSラジオの『東京ポッド許可局』のなかで、「一度は言ってみたいセリフ」について雑談をしていたのを思い出したからである。

その中で取り上げられていたのは、

「前のタクシーを追ってください!」

「俺にかまわず先に行け!」

(白紙の小切手を出して)「ここに必要な金額を書いてください」

といったセリフだった。ひょっとしてバカリズムさんは『東京ポッド許可局』を聴いていたのか?とも思ったが、仮に聴いていたとしても、1つのセリフを使ってあれほどねちっこくドラマに仕上げていくバカリズムさんの手腕はすばらしい。

それで思い出した。

「前の前の職場」に勤めていたときのことである。

卒業が近づくと、「卒業論文発表会」が開かれる。全員が発表するのではなく、各ゼミからひとりだけが選ばれてゼミの代表として発表する。

このひとりを選ぶのがなかなか難しい。

一番簡単な方法は、指導教員である僕が指名することなのだが、それだと代表になれなかった学生たちに不満が残る。できれば民主的に決めたい。

そこで思いついたのは、代表として相応しい人を、挙手で選ぶという方法である。

しかしたんなる挙手では、学生たちがお互いの顔色をうかがいながら手を挙げたりするので、できれば、誰が誰に手を挙げたかを他の人に知られない方法で選びたい。つまり投票に近いやり方である。

そこで、ゼミ生全員に、顔を伏せてもらって手を挙げる方法を考えた。

しかしこの方法、一見民主的に思われるが、じつはそうではない。なぜなら、誰が誰に手を挙げたかは、指導教員である僕しか知らないからである。つまり結果的には、僕の裁量で決めることができるのである。

ゼミ生にはあくまで民主的な方法であると言った上で、このやり方を実行してもらうことにした。

「ではみなさん、テーブルの上に顔を伏せてください。手を挙げるときも、決して見ないでください」

その言葉通り、ゼミ生たちはいっせいにテーブルに顔を伏せた。

全員が息をのむ、緊張の瞬間である。教室は静寂に包まれた。

そして僕は言った。

「この中で、クラスの給食費を盗んだ者がいる。だれにも言わないので手を挙げなさい!」

その瞬間、静寂だった教室は一気に爆笑の渦に巻き込まれた。

「先生!やめてくださいよ~。こっちは真剣なんですよ」と、ゼミ生みんなが笑いながら言う。

「ごめんごめん、一度言ってみたかったんだ。『この中に給食費を盗んだ者がいる』ってね」

ゼミ生の緊張感が一気にほぐれて、トラブルなく卒論発表会のゼミ代表が決まった。もちろん、決めたのは僕である。

ゼミ代表に決まったMさんはいまや広い意味での同業者となり、いまでもたまに連絡が来る。たぶんあのときのことは覚えていないだろう。

| | コメント (3)

黒歴史

あんまり知られてないことだと思うが、政治系の動画チャンネルを見たりすると、中学生のジャーナリストが出演することがある。その中学生はしっかりとした考えを持っていて、ちゃんとした取材、それも選挙取材をしたりするので、多くのジャーナリストの注目の的になり、いまや大人のジャーナリストが運営している動画チャンネルに引っ張りだこになるほどの人気である。

それに対してその活動を心配をする声もある。中学生にはその年齢にしかできないことをするべきで、わかりやすくいえば、学校の勉強をしたり、恋愛をしたり、つまり青春をもっと謳歌すべきだ、という意見もある。また、政治系の取材とか選挙の取材をすると、不特定多数の人たちから誹謗中傷を受けたりするので、それによる精神的なダメージもかなり大きい。そういう取材の現場に名前も顔も知られている中学生を立たせてはいけないのではないか、と。

これに対してその中学生ジャーナリストは、ある政治系の動画チャンネルに出演し、「僕は(大人に)利用されてなんかいません」「自分の意志で活動をしています」「ちゃんと青春もしています」と反論していた。

僕が気になったのは、選挙取材をしているという点であった。さまざまな考えを持つ候補者に名前と顔を覚えられてしまうと、悪意のある候補者に目を付けられ、危険な目に遭ってしまうのではないかと、その点が心配である。

一方で、政治についてちゃんと勉強しているし、本人がやりたいことをやっているわけだから、大人がとやかく言う筋合いはないとも思う。

ただ僕がひとつアドバイスしたいのは、「いまの活動が黒歴史にならないように注意してください」ということである。

僕はかなり早熟な人間で、中学生の時から雑誌に原稿を書いたりしていた。といってもメジャーな雑誌などではない。それでも一定の読者はいた。

だが今となっては僕の黒歴史であり、そのことは封印している。あるとき、このままずるずると続けてしまってはだめだと思い至り、雑誌に自己批判の原稿を書いて訣別した。

中学生ジャーナリストの方はしっかりとした考えを持っておられるので、いまの活動が黒歴史になることはないだろう。しかし中学生の頃というのは誰しも「どうかしている」ものであり、万が一黒歴史になってしまうかもしれない。

黒歴史といっても、そこにはなにがしかの経験が蓄積されているものであり、決して無駄だったとは思っていない。大人になってそれを克服するための研鑽を積めば、黒歴史のことなんかどうでもよくなり、誰もそんなことは気にしなくなる。もちろんこれは、彼に対する取り越し苦労である。

| | コメント (0)

読書のこと

1月18日(土)

土日に仕事のメールを送ってこられると、勘弁してほしいと思う。職場にはほとんどいないのだが、一緒に仕事をしている同業者の中にたまにいて、おいおいこっちは年中無休で仕事をしているわけではないぞと思ってしまう。ま、僕も仕事と関係ないとはいえ土日にメールを出すこともあるので他人様のことは言えないのだが。

そんな愚痴はさておきですよ。

今回は読書の話をしたいと思う。

僕と同世代の読書好きのおじさんが動画サイトで言っていたことなのだが、50を過ぎると本を読むのが辛くなる。とくに分量のある本が、である。

理由はいくつか考えられる。老眼で小さい文字を読むのが辛くなるという肉体的な事情や、集中力が続かなくなるという精神的な事情などがそれにあたるだろう。

そのおじさんは、「自分たちは若い頃に読んだ本の貯金を切り崩しながら生きている。だから若い頃に本をできるだけ読むことが大切だ」と続けていて、たしかにそういう面もあるのかもと思った。もちろん歳を取ってから本を読むことは若い頃と変わらず大事なことなのだが、若いときにどれだけ本を読んだかが、その後の人生の分岐点になることは間違いない。

もうひとつ、紙の本と電子書籍に関してである。こちらは読書好きの若者が動画サイトで語っていたのだが、両者はそれぞれ向き合い方が違うのだという。

電子書籍はたしかに便利だ。特定の言葉を探すのに検索をかけることができる。だが、端末を使って読んでいる以上、どうしても気が散ってしまう。ついSNSを見てしまったり動画サイトを見てしまったりと、誘惑が多いのである。

それに対して紙の本は、よけいな誘惑がない分、集中して読むことができる。だから紙の本も大事だ。大事な本は電子書籍と紙の本の両方を買うこともある、とその若者は言っていた。

振り返ってみると僕もやむにやまれず電子書籍を買うことがあるが、実のところ放っておかれている電子書籍がいくつもある。やはり紙の本のように、積ん読が可視化されていないと、読まなきゃという意識が芽生えないのではないかと思う。

一番いいのは、図書館で本を借りることだろうか。返却期限が決まっているので、本を読む集中力がより高まる。子供の頃は図書館に入り浸っていたが、いまはそんな時間もなくなってしまった。それもまた、年を取ると本を読む気力が失われてしまう一因かもしれない。

| | コメント (0)

文章の極意

1月17日(金)

口を開けばいつもと同じ愚痴になってしまうので、今回は「文章の極意」について書こうと思う。

別に自分が文章の達人とは全然思っていないが、むかしから若い人の文章を添削したりする機会が多く、いまもわずかながらもそんなことをしているので、その経験からのお話に過ぎない。

結論から言うと、文章の極意は、

「いかに捨てるか」

ということに尽きる。

これはエッセイやエピソードやお堅い文章、はては職業的文章に至るまで、すべての文章にあてはまる。

自分が体験したことや自分が調べたことをぜーんぶ書いたりするのは最悪である。

そのためにまず何をしたらよいか。

文末に「( )(カッコ)」を絶対に使わない、という意気込みで書くことである。

カッコの中の文章は、たいていの場合、余談だったり補足だったりすることが多い。読むほうとしてはそれが煩わしいのだ。本当にカッコの中の文章を残したいのだったら、本文の中に入れるための努力が必要である。それが無理だったら、その文章は捨ててしまってよい。

カッコが多い文章は悪文だと思え。

かくいう僕も、カッコを付けることがよくあるので他人様のことを言えないのだが、カッコが多い他人の文章を読んだときに、悪文の理由はカッコの中の文章にあるのではないかと気づき、それ以来、なるべくカッコを付けないことに決めた。どれだけ実行されているかは心許ないが。

だいたい自分が逐一体験したことなんて他人にとってはまったく興味がない。だから削ぎ落とすことが重要なのである。

おまえ、いつも自分の体験を延々と書いてるじゃないか、と批判されそうだが、僕は他人に読まれたくないので自分の体験を延々と書いているのである。

ここで、この一文の最後に「(屁理屈)」と入れたいところだが、そこはグッと我慢しなければならない。

もうひとつの極意は、「一文は短く」。

ずいぶんむかし読んだ清水義範さんのエッセイに「スカートとスピーチは」というタイトルのものがあった。あとに続く言葉は容易に想像がつくであろう。

基本的に一文が長い文章は悪文である。しかしそれが「味」になっている場合もあって、その線引きは難しい。自分の文章には「味」がないと思っている人は、一文を短くするに越したことはない。

最後に、

「書き終わったら音読する」

音読してみると、自分の書いた文章がいかに稚拙であるかを思い知らされる。

ここまで書いてきて、「おまえの文章は余談ばかりだし、一文も長いじゃないか」という批判が当然出てくるだろう。くり返すが、僕は他人に読まれたくないので一文が長くてクドい余談ばかりの文章を書いているのである。だから自分の書いたものがオーディオブックになったら公開処刑をされたのと同義である。

| | コメント (0)

あとには引けない

1月16日(木)

毎日毎日大変だ。縦割りの会社なのであっちこっちからいろいろな仕事が降っている。

それを象徴するのが午後からの会議である。

13時30分から始まる会議が2つあり、その両方に僕は出なければならないことになっていた。つまりダブルブッキングである。

いずれも僕が入院中に日程が決まった会議であり、僕もそのことにうかつにも気づかなかった。

もちろん、コピーロボットがいない限り、2つの会議に同時に出席することはできない。交渉した挙げ句、僕が司会進行をしなければならない会議の方を優先させてもらった。ま、あたりまえなのだが。もう一方の会議は僕がいなくても定足数に達していることも確認した。

会議の前後にはさまざまな書類を作成しなければならず、1日があっという間に終わった。

仕事の依頼が2つほど来た。

1つは、第2本社からの依頼である。僕は第2本社の20ある支社あるうちの、1つの支社の責任者を任されているので、僕に直接メールが来たものと思われる。

その内容は、今年の4月、つまり来年度の初めに行われる若手研修セミナーで登壇者になってほしいという依頼である。毎年、20の支社から5名が登壇するのだという。

僕は困惑した。研修セミナーが行われる第2本社は、同じ関東地方とはいっても、交通の便がひどく悪いところにあると聞かされていた。だから、本来であれば一度は第2本社に行かなければならないような立場なのに、めんどうくさいという理由で今まで一度も行ったことがない。

それにもうひとつの懸念は、うちの支社の場合、責任者の任期は1年が原則で、再任されることもあり得るという慣習なので、1年つとめた僕は、来年度は責任者でない可能性もある。どうせ責任者という立場主義で依頼してきたのだろうと思い、そのことを伝えると、

「責任者であるかどうかは関係ありません。副社長がぜひ鬼瓦さんに登壇してほしいというものですから」

責任者であるかどうか関係ないんだったら、俺じゃなくてもよくね?うちの支社で相応しい人ならもっといるぜ。

思いあたるフシといえば、前に一度、副社長の考えに異を唱えたことがあり、そのことをはっきりと伝えたことがあった。ひょっとしたらあのときに悪目立ちしたことで目を付けられてしまったのかもしれない。

しかし、そこまで言われてしまうと、こちらとしてもあとには引けない。めんどくせえけどしぶしぶ引き受けることにした。

もう1つは、フランス雑誌からの原稿依頼である。もちろん直接依頼が来たのではなく、以前お世話になった同僚が仲介していて、このたびその仲介をしている元同僚から正式に依頼が来たのである。

あるテーマで特集を組むということで、その執筆メンバーとその仮題目、そして簡単な執筆内容が送られてきたのだが、見るとその道の錚々たるメンバーばかりであり、自分にはとても荷が重すぎる。しかし僕が断ってしまうと、執筆者が女性ばかりに偏ってしまう。それはそれで不健康な話だ。そうなるとあとには引けない。お世話になった元同僚からの依頼でもあるし、僕は恥を忍んで引き受けることにした。締切は1年後なので何とかなるだろう。

あまりにやることが多すぎて、ポカをしてしまいそうだ。それでなくとも会議をすっぽかしたりすることがあるのだ。もはや自分を信用できない。

| | コメント (0)

現代藪医者考

1月15日(水)

3連休の後半、日曜日の午後から月曜日の朝から夕方まで、同業者集会にオンライン参加したため、結果的に1日半、拘束された。オンライン参加だし発言も求められないのだから、適当に済ませればいいじゃん、という意見もあるが、諸事情によりそういうわけにもいかない。いろいろと思うところがあったが、それはまあ置いといて。

昨日の火曜日は朝10時から夕方5時頃まで打合せやら会議が間断なく続き、すっかり疲弊した。

そして今日は近所のクリニックに行く日である。

前にも書いたと思うが、かかりつけのクリニックは典型的な藪医者である。

ここ最近、咳が激しい。昨日も僕が司会の会議の中で、会議資料を読んでいる途中で咳が止まらなくなってしまう場面が何回かあった。市販の薬でしのごうとしたが、あまり効果がみられないので、医者に処方してもらった薬を服用することにした。本当は藪医者のところには行きたくないのだが、ほかのクリニックを探す気力もなく、仕方なく藪医者のところに行った。

薮医者のところに行ったら、「今年もよろしくお願いします」と明るく言ってきたので、「そんな挨拶いらんねん!」と思いながら小さな声で「よろしくお願いします」と応えた。まったく坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという心境である。

最近咳が止まらないんです、とこっちが言ってるのに喉の奥を診ようともしない。ふつうどんな医者でも「口を開けてくださ~い」とか言って喉の奥を診るはずである。そんな、一瞬で済むはずのことすらやらないってどう言うこと?

で、僕が「以前別の先生に咳喘息とか気管支喘息とかではないかと言われました」と言ったら、「じゃ、それで薬を出しましょう」と。なんだよ!診察したのは俺自身じゃん!

それでも処方された薬を信じるしかない、と思い、調剤薬局に処方箋をもっていく。しばらくしたら名前を呼ばれた。

すると薬剤師さんが、

「この吸入器、ステロイドが入っていますけど大丈夫ですか?」

と聞かれ、

「ダメなんですか?」

と言うと、

「ステロイドが入っていると、免疫が若干落ちるのですが、先生は何かおっしゃっていましたか?」

「いえ何も」

そう答えると薬剤師さんはため息をついた。どうやら薬局の薬剤師さんたちの間でも、あの薮医者は呆れられているようだった。

そういえば藪医者の処方した薬を薬剤師さんが疑ってかかるという場面にこれまで何度か遭遇した。

しかし背に腹は代えられない。さっそく服用してみたが、いまのところ効果はあらわれてはいない。まだ1日目なので当然だが、しばらくは服用してみて効果を確認しなければならない。

| | コメント (2)

お泊まり会・3回目の2日目

1月12日(日)

朝ご飯を食べたあと、車で30分ほどかかる公園に向かう。うちの娘が日ごろから気に入っている公園で、遊具が充実していて、凧揚げができる広場もある。

凧揚げはうちの娘とHちゃんが興じていたが、Hちゃんの妹のAちゃんはまだ小さいので、シャボン玉遊びに興じていた。

心配したのは、凧揚げの主導権をどちらが握るかについて揉めるのではないか、ということである。

わがまま放題のHちゃんは自分が凧を揚げたいものだから、タコ糸を離そうとしない。しかしうちの娘も凧揚げをしたい。どうしてもHちゃんのほうが押しが強いので、娘にとっては少しストレスがたまる。それでも大きなトラブルもなく凧揚げ遊びは終わった。

問題は遊具遊びである。どっちが先にブランコに乗るかの主導権争いとか、3人のうちの2人しか乗れないシーソーに誰が乗るかという主導権争いなど、3人いると、つねに主導権争いが絶えない。そのたびにうちの娘は泣くのである。

しかし押しの強いわがまま放題なHちゃんは「オレがオレが」のメンタリティーで、まったく意に介さない。むしろ妹のAちゃんのほうがわきまえている。

僕だったら絶交したくなるような友だちなのだが、それでもうちの娘はHちゃんと遊ぶことが楽しいらしい。

あっという間にお昼になった。

昼食はマクドナルドに入ったのだが、ここにも子どもが遊べるスペースがあって、注文した品が来るまで、3人は自由奔放に遊んでいた。ま、それは全然かまわないのだが、遊びのスペースから戻ってきた娘やHちゃんは信じられないくらい大汗をかいている。

「暑い暑い」と言っているが、おい、今日は寒波がきているんだぞ!「子どもは風の子」とはよくいったものだ。

マクドナルドでの滞在時間は長く、昨日よりかねて危惧していた13時30分から開始の同業者集会の時間がきてしまい、仕方がないのでスマホでZoomに入ることにした。

同業者集会の様子を車の中で聴きながら自宅に戻り、午後は妻が徒歩で別の公園に連れていって、夕方の5時に戻ってきた。これですべての日程が終了し、Hちゃんと妹のAちゃんの保護者に無事に引き渡した。先方の保護者はひどく気を使って餃子とドーナツをいただいた。「どうぞおかまいなく」と言ったのだが、どうしてももっていってくださいというので、受けとることにした。

結果的には餃子に救われた。妻も僕も疲れすぎて夕食を作る気力もなく、餃子が夕食の主食となった。先方の保護者も、ご自身の娘たちに手を焼いていることを日ごろから実感していたのだろうかと妄想した。

たびたび泣いていたうちの娘に「お泊まり会は楽しかった?」と聞いたら、笑顔で「楽しかった」と答えていたので、結果オーライなのだろう。

先方の保護者からLINEが送られてきた。

「寒い中、公園×2とマックにも連れて行っていただき、大満足の2日間だったようです。しかもまだ小さいAまで連れて行っていただき、心の広さに感激しました。

私たちも約8年ぶりにだいぶゆっくりした時間をいただいてしまってありがとうございました」

妻も僕もこういうことは苦手なのだが、苦手なりにも試行錯誤しながらアテンドすれば、それなりに感謝してもらえるらしい。

そういえば韓国に1年ほど留学していたとき、日本から次々とやってくるお客さんを二人で試行錯誤しながらアテンドしたことを思い出した。あのときの体験が生きているのかもしれない。

| | コメント (0)

お泊まり会・3回目の1日目

1月11日(土)

大興奮のお泊まり会

お泊まり会・2回目

小1の娘が、保育園時代からのお友だちのHちゃんと勝手にお泊まり会の約束を取り付けてしまった。

先日、娘が「大事な話があるの」と言って、深刻そうな声で言うので、「どうしたの?」と聞くと、「Hちゃんとお泊まり会をすることになったの」「どこでお泊まり会するの?」「うちで」「いつ?」「こんどの土曜日」「土曜日にうちに泊まって、日曜日に帰ってもらう、ってことね」「うん」

いきなりの話で面食らった。手帳を見ると、妻は土曜の午後にオンライン会合があるし、僕は日曜の午後から神戸で同業者会合がある。しかし僕は体調のこともあり、現地参加をあきらめてオンライン参加にすることにしていた。だからその2日間のお泊まり会に対応できないこともない。

「わかった。いいよ」

と答えると、その日から娘は大興奮して、例によって当日のシミュレーションなどを始めた。

「Aちゃんもお泊まり会に来るんだけど、いい?」Aちゃんというのは、Hちゃんの妹である。前回のわが家でのお泊まり会では、妹のAちゃんがまだ小さいという理由でHちゃんのみが泊まりに来たのだが、Aちゃんも4歳くらいになったので、一緒にお泊まり会に誘ったというわけである。

なんか、大変なことになりそうだなあ。

しかし断ると娘がすぐ泣くので、それも認めることにした。

なにしろうちのマンションは狭い。それに加えて本が溢れているので、デッドスペースがほとんどである。子ども3人が泊まれるスペースを確保できるのかが難しい。もちろん他人様の子どもを預かるのだから、なんかあっちゃいけない。

そして当日を迎えた。HちゃんとAちゃんは、夕方5時に来ることになっている。しかしその日は朝から大変である。

洗濯やお風呂掃除やトイレ掃除、部屋全体と掃除機やコロコロをかけるというのはもちろんだが、布団カバーを洗濯したり、布団乾燥機で布団を暖めたり、年末にできなかった大掃除をはからずもすることになった。あと夕食の下ごしらえ。これらを午前中に終わらせなければならない。

午後の1時から5時までは妻がオンライン会合なので、娘を自宅から連れ出さないといけない。近くの図書館で4時半まで過ごすことにした。

その間も娘はずっと興奮状態で、時間ばかりを気にしている。

4時半になり、自宅に戻る。5時にこちらのマンションに来てもらう約束だったが、娘は待ちきれず10分前からマンションの1階のエントランスに待機していた。約束の時間の5時になり、2人が来ると興奮状態はMaxになった。さっそくマンションの部屋で、夕食まで遊びに興ずることになった。

娘が小声で言う。

「ねえ、これっていまお泊まり会をしてるんだよね?」

「どういうこと?」

「夢じゃないよね」

「夢じゃないよ」

そう答えると、娘は自分の頬を自分でひっぱたいた。

あまりに楽しすぎて夢なんじゃないか?って思うなんて、どんだけ興奮してるんだ?

夕食が終わり、子どもたち3人でお風呂に入り、パジャマに着替えて歯磨きをして…と、ここまでは順調だった。

だが前回同様、寝る前になってまた興奮状態がMaxになり、3人は騒ぎ始めた。いっこうに寝る気配がない。とくにHちゃんの騒ぎ方は尋常じゃない。

そのうち3人が揃って「暑い!」と言いはじめた。

おいおい、この週末は最大の寒波が来ると言われているんだぞ!「暑い!」ってなんだよ!

「冷房をつけて」とHちゃんが言う。

「冷房はダメだよ」と答えると、「じゃあ扇風機」というので、この寒波の季節に扇風機をまわした。しかも「強」である。どんだけ興奮しているんだ?_

バカ騒ぎは夜10時半頃まで続いた。先方の保護者からは「もう寝ましたか?」というLINEが来たが、「大興奮状態でまだ寝ていません」と答えた。

3人が楽しんでいること自体はとてもよかったのだが、僕が思ったことは、前回のお泊まり会よりもHちゃんのわがまま度が増している、ということだった。妹のAちゃんにとっては初めてのお泊まり会だったが、Aちゃんのわがままぶりもまたお姉ちゃんのHちゃんに負けず劣らずである。

それをたしなめるのはうちの娘だった。

うちの娘も、ふだんはそうとうわがままだなと思っていたが、上には上がいるものだな。

それでわかったのは、うちの娘は学級委員タイプだということだ。

「生徒会長もやりかねないんじゃないの?」と妻が冗談で言ったので、「そうなると親子二代で生徒会長ということになるな」と笑った。

ふだんからあんなわがままな生活をしていたら、先方の保護者の方も大変だな、しかも二馬力である。そう考えると、まだうちの娘はマシな方なのかもしれない。

2日目は午前中に公園に行って、昼食を外食ですませるところまでは予定が決まっているが、それぞれの家の夕飯の時間まで遊びたいと言い出してきかないので、午後もつきあわなければならない。しかしいまのところノープランである。僕は午後から同業者会合にオンライン参加する予定なので、はたして予定通りオンライン参加できるのか、いまから不安である(この記事の執筆時は日曜日の早朝)。

| | コメント (0)

1週間を乗り越える

1月10日(金)

仕事始めから最初の週末を迎えた。

よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!お疲れさん!というジェーン・スーさんの言葉をこれほどリアルに感じた週はなかった。

今日は13時から重たい会議があり、通常は2時間ていどで終わる会議が、議題が多くて3時間半もかかった。

そのあとに別の打合せが入っていたのだが、その打合せは僕がいないと始まらない。あらかじめ「会議が終わったあとに打合せをしましょう」と担当職員さんには言っておいたのだが、あまりにも僕が来るのが遅いので、担当職員さんはしびれを切らして会議の部屋までやってきた。

「いま終わったところです」実際、会議が終わったタイミングにその担当職員さんがやって来たのだ。

「急かせてしまってすみません」

「いえいえ」

担当職員さんに連れられて、打合せをするスペースに向かった。

「少し休みますか?お疲れでしょう」

と担当職員さんは言ってくれたのだが、このうえ打合せの時間が遅くなると、打合せに参加する職員さんを残業させてしまうことになってしまうので、

「いえ、このまま打合せをしましょう」

と僕は言った。

打合せは1時間ほどかかり、17時30分頃に終わった。

結局、水分も取らず、休憩なしで4時間半も会議と打合せをしたことになる。これってよくあることなのか?

頻尿の僕がトイレ休憩を挟まないで走りきったというのも奇跡である。

ようやく体調が回復して仕事始めをしたと思ったら、いきなり丸腰で戦場に立たされた気分である。

来週はもっと会議が多い。いちばんひどいのは、ある曜日では同じ時間に出席しなければいけない会議が二つあり、しかもその二つとも僕が説明をしなければならない場面がある。つまり僕がいないと成り立たない会議がダブルブッキングをしているのだ。どういうこっちゃ?

クローン人間がほしいというのは、陳腐な冗談としてよく語られるが、僕の場合はリアルにクローン人間がほしい。

| | コメント (0)

ハンバーグ

1月9日(木)

じつに久しぶりにハンバーグを作った。2011年の東日本大震災の直後に作った記憶があるから、じつに14年ぶりくらいである。

ふだんから料理を作れよ!という批判には返す言葉もない。その点については反省すること頻りである。

子どもの頃、「ハンバーグヘルパー」を使って作ったハンバーグがとても美味しいと感じていた。いまでもその商品はあるようなのだが、近くのスーパーマーケットには置いていなかった。仕方がないので、クックパッドを見ながらハンバーグを作ることにした。

タマネギをみじん切りにして、旨味を出すためにそれを少し炒める。ボールに挽肉を入れて、炒めたタマネギ、パン粉、牛乳、卵などをまぜてひたすらこねくり回す。あるていどなじんできたら、ハンバーグの形になるように整えて、パチンパチンとひとりキャッチボールをしながら、生地の中の空気を抜き、それをフライパンの上に並べて両面に焦げ目をつける。焦げ目がついたらフライパンに水を入れ、蓋をして蒸し焼きにする。お箸を刺してみて肉汁が出てくるくらいになったら、蓋を開けて水分を飛ばし、できあがりである。

挽肉をこねくりまわしたので、手を洗おうと思ったら、あーた、手にはしつこいくらいの挽肉の油がついていて、洗っても洗ってもその油がとれないではないか!挽肉の脂がまるで蝋(ろう)のようにこびりついていて、俺は蝋人形か!と一瞬思ったが、蝋人形の手がそんな感じなのかどうかはわからない。

うーむ。ハンバーグを作るたびにこうなるのかと思ったら、ちょっと絶望したが、まてよ、料理用の手袋を付けて挽肉をこねくりまわせば解決するんじゃねえか?と思い直した。

どうしてそのことに気づかなかったのだろう?

できあがったハンバーグは、ファミレスレベルに美味しかった。

| | コメント (0)

人の目にふれない原稿依頼が続く

1月8日(水)

昨日は誕生日だったが、朝、家族に「誕生日おめでとう」とおざなりに言われたほかは、とくに何もなかった。ひとり、誕生日を覚えていた人からメッセージが来ただけである。何年も前からFacebookの誕生日を非表示にしてからは、Facebook上で誰からもおめでとうのメッセージが来なくなった。他人の誕生日なんてものはそんなもんなんだよ。あの気色悪いFacebookの誕生日おめでとうのメッセージが来なくなって、ずいぶんと気分が楽になった。

この年齢でおめでとうはないだろう、という人がいるが、僕にとってはむしろおめでたい。この年齢まで生きていることに、である。

それはともかく。

年始から、いくつかの原稿依頼が来た。

ひとつは、僕が会員になっている「手書きでガリ版刷りのミニコミ誌」からの正式依頼である。少し前に原稿依頼の打診が来たのだが、その依頼の仕方がいまひとつ漠然としていたので、二の足を踏んでいた。ところがそのミニコミ誌の主宰者は、僕がインタビューを受けた全国紙の記事を読んでくれたらしく、その記事に関わるテーマで書いてください、と、ようやく具体的な依頼内容を示してくれたので、その依頼を受けることにした。

締切と文字数を聞くと、締切は3月20日くらいで、文字数は6000字だという。6000字って、意外と多いなあ。

高校の恩師もそのミニコミ誌に連載を持っていて、恩師と一緒に掲載されるなんて夢のような話だなあと思っていたら、どうやら恩師の連載はもうすぐ終わり、僕の原稿掲載はその後になるという。ま、それでも別にかまわないのだが。

ほんの一部の人にしか読まれない6000字の文章だが、そういうときほど力を入れたいい原稿を書きたくなる。あんたら読めないだろう、ざまあみろ!という心境である。

ふたつめは、ある自治体からの依頼で、行政的な報告書への執筆依頼である。締切は2月7日頃で、400字詰めで8ページていどの謝金を支払う、ということは、400×8=3200字ということか。じつはあまり書くことがなくて、どうやって膨らませようかが思案のしどころである。もちろんこれも、ほとんど目にふれないので、力を入れて書くことには変わりない。

あとは、1年後くらいに締切となる原稿が2件。ひとつは別の自治体からの原稿依頼があるが、締切や文字数はまだ決まっていない。もうひとつはフランスの雑誌からの依頼で、こちらもまだ何も決まっていない。僕はフランス語では書けないので、日本語で書いて翻訳してもらうことになる。

いずれもあまり人の目にふれない媒体ばかりなので、オモテにはあらわれないが、地味に忙しいのである。これを本務の合間にやるのだから至難の業である。もちろんこのほかに、分量も多くて人の目にふれる原稿も書かなければならず、とっくに締切を過ぎてしまっているのだが、それは後回しにする。

| | コメント (0)

仕事始め

1月6日(月)

仕事始めは誰でも気が重いのではないだろうか。ましてや年末年始の9連休の後だ。僕なんかは2カ月間体調不良で休んでいたのでなおさら気が重い。

仕事明けにいきなり分刻みのスケジュールだ。肉体労働あり、精神的に重い仕事ありと、初日から虎の穴にぶちこまれた心境だ。このペースで仕事を続けて大丈夫か?

ところで1月7日絶体締切の原稿は、なんとか提出した。我ながらプロだと自画自賛したが、よく考えるともともとの締切は前年の9月末だった。つまり3カ月遅れで提出したのである。ほんとうのプロだったら3カ月も遅れて原稿を提出しない。しかも600字ていどの短い原稿である。この600字がなかなか書けなかった。

しかしなんとか間に合わせて、原稿を落とさなかったという意味ではプロである、とまた自画自賛が始まる。出版社はすぐに原稿のレイアウト案を送ってきた。見映えのいいレイアウトだ。出版社の方がよっぽどプロである。

| | コメント (0)

新年会

「鬼瓦殿

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

その後、体調はいかがですか?

今日は、貴君もご存知かと思いますが、高校時代の部活の有志による新年会に行って来ました。参加メンバーは、私を含めて8人でしたが、みんな元気そうで、和やかに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

皆んなに会うまでは、行くと言っちゃったけど面倒だなあ、しまったなぁと思いながら、重い腰を上げて行ったのですが、いざ会って見ると、そんなことを思っていたのも嘘のように楽しく皆んなと話すことが出来ました。

食わず嫌いというのは、やっぱりダメだなあと思った次第です。まあ私も歳を取ったということかもしれませんが。

鬼瓦の話題も色々出ていました。私が貴君のことについて、多分余計なことを喋ったと思いますが、何卒お許しください。

昔の知り合いというのは、そうしょっちゅう会う必要は無いと思いますが、たまに会うのはいいことなのかもしれませんね。貴君も気が向いたら参加してみて下さい。無理をする必要は有りませんが。

では、くれぐれもお身体には気をつけてお過ごしください。

いつになるか分かりませんが、そのうち会いましょう。

コバヤシより」

「コバヤシ殿

あけましておめでとうございます。

新年会に貴兄が参加したのかどうか、気になっていて、よっぽど事前に聞こうかと思いましたが、私が新年会のことを気にしていると思われるのもバツが悪いので我慢していました。新年会の様子は誰も教えてくれなかったので、新年会のことを教えてくれてありがとう。予想より多くの人が集まったみたいで何よりでした。

そもそもインフルエンザの後遺症?で咳が止まらず、小さい子どもを日中に遊ばせないといけないので、夜は疲れてしまい、時間がとれないのです。

最近思うことは、人間関係を縮小してしまうと、年寄りになってからボケが進むのではないかということです。そうならないためには大勢で旧交をあたためることはやはり必要なのではないかと思い始めました。だから貴兄が参加してよかったとという心境はよくわかります。体調が回復して、子育てから手が離れたら参加したいと思います。その前に見捨てられるかもしれませんが。

書いているうちは生きていると思ってください。

ではまたそのうち。

鬼瓦」

| | コメント (0)

凧揚げは楽しい

1月4日(土)

9日間の連休で、小1の娘を飽きさせないようにすることが最大の難問である。

正月遊びのなかで、凧揚げがいちばん楽しいということがわかった。娘はとにかく外で遊びたいという欲望が強く、室内で遊べる遊びにはあまり乗ってこないのだ。

元旦と2日にも凧揚げをしたが、さすがに同じ公園で凧揚げをするのは食傷気味なので、ほかの公園に行くことにした。

いろいろ調べてみると、自宅から車で20分ほどのところに、凧揚げができる公園があることを見つけた。

初めて訪れる公園である。意外と広々としていて、まだ午前中の早い時間だが、凧揚げをしている家族が何組かいた。

私たちもさっそく凧揚げをはじめたが、始まって5分も経たないうちにたこ糸が切れて、凧の本体が飛んでいってしまい、広場の中の木の枝に引っかかってしまった。

人間の背丈では届かない枝に引っかかってしまったので、棒かなにかで凧を取ろうと思い、サービスセンターに駆け込んで、

「凧が木の枝に引っかかってしまったので、それを取るための棒はありますか?」

とたずねた。すると職員の方は、

「凧が引っかかった木は何ですか?」

と尋ねたので、

「桜の木です」

と答えたら、

「では棒で取ることは枝を傷めることになるのでできません。自然に落ちてきたら、拾得物として扱うことはできます」

なるほど、それはそうだ。どうせ安物の凧だったので、未練がましく取ることもなかろうと思い、近くのコンビニでこれまた安物のビニール製の凧を買って、凧揚げを再開することにした。

最初はなかなかうまくいかなかったが、今日は風も強かったので、次第に慣れていき、長時間、しかも高いところまで上げられるようになった。そうなると楽しい。

しかし今日は凍り付くような寒さである。公園にいられるのも午前中が限度で、昼食を行きつけの中国料理屋で済ませたあと、午後には家に戻った。

問題は午後である。娘はまた公園に行きたいと駄々をこねたが、さすがに寒くて外遊びはもう無理だ。考えたあげく、図書館に行って絵本を返したあと、近くにあるカラオケ店に行って娘に1時間半ほど歌わせた。

自宅に戻ったときには午後5時。すっかり疲れてしまった。おかげで1月7日厳守の原稿がまったく進んでいない。これについては、残り1日の休日でなんとかしなければならない。

| | コメント (0)

福笑い・凧揚げ・カルタ・年賀状

1月2日(木)

今年の年末年始は、9連休という長い期間だが、僕が病み上がりということもあり、小1の娘が喜ぶようなイベントをすることがなかなか難しい。

自分にできることは映画館に連れていって映画を観ることくらいで、あとは毎年の恒例となっている、元日に僕の実家に行き、2日に妻の実家に行くことくらいである。

なにか正月らしいことはできないだろうかと考えたことの1つが、お手製の福笑いを作るというアイデアだった。

まず大きな紙に顔の輪郭をかたどった土台を切り抜く。

次に眉毛とか目とか鼻とか口とかほっぺたとか、顔の部位を切り抜く。このとき、顔の輪郭とのバランスを考えなければならない。輪郭の大きさに比して部位が大きすぎたり小さすぎたりしないように注意する。

目隠しをしていると、部位の表裏の区別が付かない恐れがあるので、裏面にはシールを貼ったりマスキングテープを貼ったりして、触感で表裏がわかるように工夫をする。

土台となる顔の輪郭だけを決めておけば、目や鼻といった部位のバリエーションは際限なく作ることができる。

ここまでしておけば、簡単に福笑いセットを自作するすることができるとわかった。

材料費がタダである程度楽しめるのだから効率的である。実際、娘には好評だった。

次に考えたのは、凧揚げである。

凧から作るのは面倒くさいので、安価なビニール製の凧を購入した。

問題は凧揚げをする場所である。

凧揚げを許可している公園はなかなかない。電柱や木に引っかかったりすると厄介だからである。

いちばんいい場所は河川敷なのだが、河川敷では凧揚げをするよりほかにすることがなく、あっという間に飽きてしまう恐れがある。

そういえばよく通っている実家の近くの公園で凧揚げをしている光景を見たことがあった。あの公園ならば凧揚げをしてもよいということである。それに、その公園には遊具もあるので、凧揚げに飽きたら遊具で遊べばよい。

凧揚げは、最初はうまく飛ばすのが難しくて、その段階でイヤになっちゃうことが多いが、辛抱強く凧揚げのコツを教えれば、次第にコツをつかんで凧を飛ばせるようになる。そうなると凧揚げが楽しくなる。結局娘は、元日と2日の二日間、その公園で凧揚げに興ずるようになった。

次に考えたのはカルタである。

僕は「郷土カルタ」というのを2種類もっていて、そのうえ今季のクリスマスのプレゼントは「歳時記カルタ」だった。カルタは言葉や歴史や風習を学ぶことができる。小1の娘にはまだよくわからない言葉が多いが、何年もかけて遊んでいくうちにそうしたことが遊びながら学べるというのは、教材としてもふさわしい。

そして年賀状。

今年は出さないことに決めていたが、やはり元日に年賀状が来てしまうと、こちらも年賀状を出さなければいけないという思いにとらわれてしまう。そこで急遽、「送ってきた人にだけ」年賀状を出すことに方針を変更した。僕が娘を凧揚げに連れ回している間に、妻は年賀状のデザインを考え、元日に届いた人に対して年賀状を投函した。仕事が早い。

というわけで、先着100名の方に、年賀状をお送りいたします。「100枚も年賀状は来ないよ」と叱られてしまいましたが、「何かあっちゃいけない」精神で、すでに100枚の年賀状を購入しております。

| | コメント (0)

禁断のサブスク音楽

1月1日(水)

あることがきっかけで、Spotifyのサブスク音楽に手を染めることになった。

いままではサブスクというものに警戒心を持っていた。だから聴きたい音楽はせっせとCDを買い、それをiPodに入れたりしていた。しかし数年ほど前からiPodに入れる作業が面倒くさくなり、CDプレイヤーを使って直接CDを聴くという原点に戻った。

「あることがきっかけで」というのは、どうしてもSpotifyのサブスクでなければ聴けないジャズの音楽があったからである。やむにやまれず、Spotifyのサブスク音楽に手を出したのだが、サブスク音楽に手を出すと人間が堕落するという妙な偏見があり、最初はどうしても必要なジャズ音楽だけを聴くつもりで利用した。

しかしそれたけではすまないのが人情というもので、ファンであるミュージシャンの楽曲や、むかし聴いていて印象に残った楽曲を聴きたい欲求にかられ、ついそういう楽曲にも手を出してしまった。

するとあーた、これまでせっせとiPodに入れて聴いていた楽曲の多くがサブスクで聴けるではあ~りませんか!これってもはやiPod要らずってこと?もっと言うとCD要らずってこと?なんか怖くなってきた。

さらに驚いたことがあった。

たまたま必要があってフラカンの楽曲を聞き直すためにサブスクを利用した。で今日、家族を乗せて車を運転した。こんなことは今では常識だが、僕の車はBluetoothでスマホと繋がっていて、エンジンをかけると自動的にSpotifyの音声コンテンツが流れる仕組みになっている。

なので、エンジンをかけるとSpotifyが自動的に起動し、フラカンの楽曲が流れ始めた。直前までフラカンの楽曲を聴いていたのでそれ自体はいつものことである。

運転中に聴いていると、次から次へと楽曲が流れて来る。しかもフラカン以外の、である。

フラカンの次は、エレカシ、その次は星野源さん、と楽曲は続く、さらにそのあとは、竹原ピストルさんとかnever young Beachなど(僕にとっては)マニアックなミュージシャンが続き、なかには初めて知るバンド名なんかもある。そしてある程度のところまで行くと、またフラカンに戻ったり、星野源さんに戻ったりと、はてしなく続く。

これをプレイリストというのだということは僕にだってわかる。しかし聴いたことのないバンドの曲も含まれていて、いったいどういう基準でSpotifyがこれらの曲を選んでいるのだろうと疑問がわいて、あらためてスマホの画面を見てみると、

「フラワーカンパニーズに似た楽曲」

というテーマで選んでいると書いてあった。

なるほど、そう言われてみれば、流れてきた楽曲はほとんど違和感なく聴くことができる。選んでいるのはAIなのか何かしらないが、知らない曲でも聴けてしまうから不思議である。

ということはですよ、Spotifyが選んだこれらの楽曲は、広い意味で同じカテゴリーに入ると認識されているということなのか?

フラカンとエレカシはなんとなくわかる。星野源さんもこのカテゴリーに入るのだろうか、と最初は疑問に思ったが、なるほどたしかに聴いていて違和感はない。竹原ピストルさんとかnever young Beachも同様だ。

で、そうなると、仮にフラカンファンだったとして、ほかにもフラカン的なミュージシャンの存在を知ると、今度はそのミュージシャンに興味を持つようになる。こうして、音楽の世界が広がっていくのではないだろうか?

「おまえ、いまさら何を言ってるの?」と言われそうだが、サブスク音楽にふれて、その衝撃があまりに新鮮だったので、こんな稚拙な感想しか思いつかない。

しかし僕にはまだよくわからない。サブスク音楽に対する向き合い方が。

サブスク音楽に対する正しい向き合い方というのは、どういうものなのだろう?僕はこのままサブスク音楽の沼にハマっていてよいのか、怖くて仕方がない。苦労してCDを手に入れて律儀に聴いていくという聴き方のほうが安心すると、つい思ってしまうのである。

| | コメント (0)

« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »