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2025年2月

痛みに耐えてよく頑張った!

2月26日(水)

まったく、よく働くねえ。

いまの僕は、咳もほとんど出なくなり、口内炎もなくなったのだが、いまの最大の悩みは「足が痛い」ことである。足の裏ではない。footではなくlegが痛いのである。歩くスピードも極端に遅くなってしまったし、階段を昇ったり降りたりするのにもかなりの勇気が必要になってしまった。だからできるだけ歩きたくないのである。

しかしそうも言ってられない。今日は某所から仕事の依頼を受け、そこに行かなければならないのである。新幹線と在来線を乗り継いで3時間ほどかかる北の町である。

よほど体調不良でキャンセルしようかと思ったが、この日しか空いている日はないし、仕事の依頼をいただくだけでもありがたいことなので、断るわけにはいかなかったのである。

もうひとつの敵は寒波だ。雪こそ降らないものの、冷たい風が嵐のように襲ってくる。今年はこの寒波のせいで体調がおかしくなったと言っても過言ではない。

健康な頃だったら何てことない日帰り出張なのだが、足を痛めている僕にとっては命がけである。

結局、片道3時間、用務2時間半、合計8時間半ほどの弾丸出張となった。しかしその間の徒歩移動でかなり時間的にロスをして、予定よりかなり遅く帰宅することになった。あ~疲れた。

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立ち話

2月25日(火)

今日も午前中から2時間の会議があり、午後イチも1時間ほど打ち合わせがあった。

手帳を見るとそのあとの予定がないので、今日こそは、今週末締切厳守の書類作りを進めるぞという強い決意を持つ。そうでないとシャレにならない事態が待ち受ける。

僕の目論見はこうだ。午後イチの打ち合わせが終わったらすぐに退勤し、仕事ができる落ち着いたカフェに居座って書類を仕上げること。

なぜ職場の仕事部屋でやらないかというと、仕事部屋にいると人がふいに訪れたり、急に呼び出されたりして、落ち着かないからである。これでは集中できない。まじめに書類を作るにはどこか別の場所に逃避しなければならないのである。

午後イチの打ち合わせが終わり、いくつかのメールの返信を済ませて、さあ帰ろうと荷物をまとめようとすると、「トントン」と部屋をノックするやつがいる。誰やねん!と思ったら社長だった。

「この前の土曜日、おかげさまで講演会は大盛況やったで。どうもありがとう」

そういえば土曜日は社長の講演会だった。僕はその日は北の町に出張だったので社長の講演会を聴きに行けなかった。

「聴きに行けずにすみません」

「かめへんかめへん。それよりもあんたのおかげで講演会がうまくいったんや。ホンマありがとう」

僕は社長の講演の内容をかなり前から聞いていて、「そのテーマならばこんな本がありますよ」と何かにつけて資料提供していたのだった。それが講演の内容にうまくハマったらしい。

しかし実際はそんな些細なことでうまくいったのではなく、畢竟、社長の話芸によるものであることは明らかである。そこからひとしきり雑談となった。

僕はふだん、時間がないときは社長室に近づかないようにしている。一旦社長室に入ってしまえば雑談が始まってしまうからである。しかし社長自らが仕事部屋に訪れてしまったら、逃げ場がない。

社長は社長で、ちょっとしたことにも部下に感謝するという人心掌握術のつもりでわざわざありがとうと言ってくれたのだろう。ま、そのあたりは憎めないところでもある。

社長との立ち話が終わり、さあ帰ろうと仕事部屋を出ようとしたら、今度は入口のところで二人の同僚につかまってしまった。二人はなにやら深刻そうな話をしていて、そこにちょうど僕が来たので意見を聞きたいと思ったらしい。

めんどくせえ話題だな、と思いつつ、自分もその案件に少し関わっている手前、無下には断れない。

深刻な話題といいながら、二人は時折に雑談を混ぜてくるものだから、「いやいや、そのくだりはいらないでしょう」と喉まで出かかった。

結局その立ち話は20分ほど続き、ようやく解放されたと思って時計を見たら、夕方の定時退勤の時間になっていた。おいおい、これではいつもと同じではないか!

僕はそれでも諦めない。急いで車に乗り、仕事がはかどりそうなカフェを探して訪れた。僕はそこで2時間ほど居座って、なんとか書類を完成させる目処がついたので帰宅の途についた。あの二つの「立ち話」がなければ明るいうちにカフェにたどり着いたのにと思うと、なかなかに悔いが残る。もっとも、雑談に乗る私にも問題があることは自覚している。

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勝つか負けるか、ホテル朝食バイキング

2月23日(日)

最近は朝食バイキングが付いているホテルに泊まることが多い。

ホテルの朝食バイキングには勝ち負けがある、とTBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組で話題になったことがある。たしか安住紳一郎さんも自身のラジオ番組で言っていたかと思うが、記憶が定かではない。

バイキングとはおのれ自身との戦いである。美味しそうな料理に惹かれてあれもこれも皿の上にてんこ盛りで乗せたら、結局量が多すぎて朝から満腹モードになり、その日の活動にも悪い影響を与える。これは「負け」である。

もうね、カレーなんか出てきたら、すべてカレーに持ってかれてしまう。地元でしか食べられない料理がほかに並んでいたとしても、カレーには勝てない。やはりこれも「負け」である。

だからバイキングには戦略が必要なのだ。そしてどんなに誘惑されてもその戦略を揺るがしにしない勇気も必要である。

さて、昨夕、1日目の用務が終わってホテルにチェックインすると、フロントでこんなことを言われた。

「朝食はバイキング形式で、朝の6時から9時までご利用できますが、明日は団体客が早い時間にご利用になりますので、時間をずらして朝食会場においでください」

つまり朝一番に行くと団体客で混んでいるので、少し遅めに来いというのである。

翌朝。つまり今朝。

少し遅めに朝食会場に行くと、すでに団体客は食べ終わったらしく、席にかなりの余裕ができていた。まずこれは、僕にとっては「勝ち」である。

トレイの上にお皿を置いて、さぁ料理を取ろうと思ったら、なにやらいい匂いがする。

カレーではないか!僕はつい誘惑に負けてカレーに手を出してしまった。しかも「地中海カレー」って書いてあったんだぜ。ここは地中海でもないのに。

仕方がない。あとはカレーを中心に座組を考えるしかない。

カレーの横を見ると、やれヒレカツだのクリームコロッケだのフライドポテトだのと、やたらとジャンキーな料理が並んでいる。

僕はそういうジャンキーなものが嫌いではないので、誘惑に負けてひととおり手を出してしまう。これでは完全に僕の「負け」である。

それにしても不思議である。このホテルは地元の名物などよりもなぜジャンキーな料理ばかり出しているのか?

その謎が解けた。簡単なことである。

その「団体客」というのは、修学旅行の生徒たちだったのだ。

おそらく今朝のバイキングは、修学旅行の生徒たちが好きそうな料理ばかりをチョイスした特別バージョンだったのではないだろうか。そしてそのおこぼれを、あとにやってきた僕たちがいただいたのである。

「子ども舌」の僕はそれにまんまとひっかかり、必要以上にジャンキーなものばかり取ってしまったのである。

しかしそのことにより僕の食欲は復活したのだから、「負け」だとは一概には言えない。いや、同時にリバウンドの可能性も出てきたのだから、やっぱり「負け」か。バイキングって、何が正解かわからないから、ほんとうに難しい。

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隠れた有名人

2月22日(土)

新幹線で北の町に向かう。毎年この時期に「同業者祭り」が行われるのだ。

僕はこの種の祭りには参加しないことに決めているのだが、毎年この時期に北の町で行われる「同業者祭り」には時間の許す限り参加することにしている。お世話になった人たちが数多くいるためである。

そういえば新幹線の切符を買っていなかった。最寄りの駅のみどり窓口で、「同業者祭り」の時間に間に合う新幹線の切符をとろうとすると、

「満席です。というより午前の新幹線は全部満席です」

と言われた。席が確保できる新幹線で最も早く到着できる時間を聞いたところ、夕方に着く新幹線だという。夕方に着いても何の意味もない。

困ったなあ、と思っていると、

「あ、いま1人キャンセルが出ました!」

「じゃあそれをおさえてください!」

ということで、想定していた新幹線の切符をおさえることができた。奇跡である。

実際、東京駅に着くと、3連休の初日の朝というだけあって、尋常じゃない混み具合だった。あんなに混んでいる東京駅は見たことがない。

なにしろ混雑が理由で新幹線が遅延しているのだ。

それでもなんとか「同業者祭り」の開始時間に間に合った。会場に着くと、同い年の盟友・Uさんが来ていて、その顔を見て安心した。彼の隣に座り、久しぶりに彼との会話を堪能した。

久しぶりといえば、何年かぶりに再会した人がいて、僕はその方と数回しかお話ししたことがないのだが、

「お体は大丈夫ですか?」

と言われた。僕が体調を崩したことが知らないところで広まっていたのである。僕はビックリして、

「どうしてそれをご存じなんですか?」

と聞いたら、

「11月の半ばに講演会をされると聞いて、楽しみにして会場に行ったら、「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書かれていて、それで知ったのです」

僕はさらにビックリした。僕が講演会をする予定だった場所は「前の勤務地」の県だったのに、その方は別の県の方だったのだ。往復にはかなりの時間がかかったに違いない。

ほかにも、何人かの人から「体調は大丈夫ですか?」と聞かれて、やはり聞いてみると講演会の日にイベント会場に行くと「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書いてありました、という答えが返ってきて、僕はすっかり恐縮してしまった。

それにも増して、僕が体調不良だという話はどこまで伝わっているのか?を考えると急に怖くなった。

「同業者祭り」の1日目が終わると恒例の懇親会である。人数が多いので結婚式の披露宴の如く、ホテルの宴会場で行われた。例によって僕はいちばん目立たない席に座った。

それでも何人かとお話をすることになり、

「はじめまして」

と挨拶すると、

「実ははじめましてではないです。2年前に行われた講演会を聴きに行きました」

と口々に言われ、これもまた怖くなってしまった。

あの講演会にわざわざ来てくれたとは、またもや恐縮してしまった。

そういえば会場の受付で、会費を払って資料一式をもらおうとしたら、僕が名乗る前に、僕の名前が書かれた封筒をさりげなく渡された。明らかに僕が誰かを知っているという行動なのだが、僕はその人にお会いした記憶がない。

あとで聞いたら、3週間ほど前に、やはり北の町で行われたイベントで20分ほどお話をした際に、その話を聞いていた方だった。その話の内容を好意的に受けとめてくれたらしい。

俺は隠れた有名人なのか???というか、講演会のハードルがすっかり上がってしまったことに、僕はますます怖くなってしまったのである。

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スピーチの極意·後編

2月20日(木)

午前中は某所でリモートワークをしたが、想定外の、しかも急を要する書類作成に追われ、それだけで午前が終わった。

午後は車でかなり時間のかかる某所で仕事をした。外からの依頼仕事だが、あまり安請け合いをしない方かよいという反省する反面、依頼をしてくれることにありがたく思い、期待に応えたいという気持ちも生まれた。

というわけで今日もヘトヘトになったのだが、そんなことばかりは言ってられない。

「結婚式のスピーチの極意」について書くんだった。

疲れているので簡単に書く。

①スピーチをしている間、自分が笑ってはいけない。

結婚式のスピーチに限らずよく見かけるのは、自分の話した言葉に自分で笑う、とか、笑いながら話す、といったスピーチである。

照れ笑いなのか、誘い笑いなのかよくわからないのだが、僕はこの喋り方を聞くのが苦手である。いまの話、どこが面白いのだろう?人によって面白さの感覚が異なるのに、ここ笑いどころね、てな感じで自分から笑ってしまうことに違和感を抱いていた。

だから僕の場合は、スピーチでは一切笑わない。

②歯の浮く台詞は絶対に言わない。

いきなり「お似合いのお二人ですねぇ」とか言うのはサムいだけである。なぜなら本心ではないことがまるわかりだから。おまえに何がわかんねん!と。それとか、「実はお二人が付き合っていたことは私だけが知っていました」みたいなエピソードを披露するのも、その話を聞いて誰が得をするのかわからないのでやめた方がいい。

あと、言うまでもないことだが、「結婚には三つの大切な『袋』がありまして」みたいな定型表現もサムいのでやめた方がよい。

③やや否定的な話から入り、帰納法的に話を積み上げていって、最終的に二人を祝福する流れに持っていくのがよい。

スピーチには、みんなが不愉快にならない程度の毒気が必要である、というのが僕の持論である。例えば、

「僕はこのお二人とはそれほど親しくなかったのに、なぜかスピーチを頼まれました。どうしてだろうと考えたら思い当たるフシがありまして…」

から徐々に肯定的なエピソードを積み上げていき、なるほど二人の結婚を祝福する意味はそういうことなのか、とみんなに思わせる。

とか。あんまりいい例えではないか…。

もちろんその間、照れ笑いや誘い笑いを一切入れずに淡々と話す。

④決して早口にならず、声も大きくならないように注意する。

早口と大声は詐欺師の手口である。ゆっくりと間を置きながら話す方がよい。その方が聞く耳を持ってもらえるし、説得力も増す。たとえ酒乱の披露宴になってだれも聞いていない状況になっても、その姿勢はくずしてはいけない。

思いつくままに書いたので、的はずれなことを書いているかもしれないと恐れる。まぁこちとらド素人だし、これでおアシをいただいているわけではないので、書き逃げすることにする。

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スピーチの極意·前編

いやはや今日も尋常じゃない仕事量だった。常に追い込まれている。…という話はともかく。

極意シリーズ。

いまから20~30年前は、多くの人を呼ぶ結婚披露宴をする人が多かった。僕は結婚式をしなかったが、当時は珍しがられたと思う。

僕自身は結婚式をしない派だったが、不思議と結婚式に呼ばれ、披露宴でスピーチをさせられることが多かった。

まだ僕が20代の頃、大学の研究室の先輩の結婚式でスピーチを頼まれた。僕はあらかじめ用意していたBGMに合わせてスピーチをして、その音楽が終わると同時にスピーチも終わる、という凝った演出を考えて実行した。そんな凝ったスピーチをやるヤツなんていない。

ところがこれが評判を呼び、次に別の先輩が結婚するときに、結婚式の司会を頼まれた。僕は完全台本を作り、時折アドリブを混ぜながらも、新郎新婦を引き立てる役に徹した。会場には偉い先生がたくさんいたが、披露宴全体は和やかな雰囲気に包まれ、「ふだん地味な君があんなに芸達者だったとは」と、口々に言われた。

そこに出席していた別の先輩から、「俺の結婚式の時にもスピーチをしてくれ」と頼まれた。結婚式の会場は四国にある県である。四国の結婚式にはとにかくたくさんの人を呼ぶのがならわしのようで、200人からの出席者がいたと思う。わざわざ四国まで行き、ほとんど知らない人たちの前でスピーチをした。

それから10年以上経った頃に、その結婚式に出席した人と偶然に会った。「あなた、○○さんの結婚式でスピーチした人でしょう。いまでもその内容を覚えていますよ」と言われてびっくりした。

高校の吹奏楽部の後輩の結婚式にも何度かスピーチをした。新郎新婦はお互い部活の同期生である。僕はさほど親しかったわけでもなかったが、是非にと頼まれたのである。後年その後輩夫婦から、いまでもそのスピーチを思い出すと言われた。

やはり同じ吹奏楽部の1学年後輩どうしが結婚することになり、スピーチを頼まれた。通常のスピーチではつまらないと思い、親友のコバヤシと二人で漫才をすることにした。僕が漫才台本を書き、何度か練習をして、さぁ披露するぞと意気込んでいたら、結婚式の前日に東日本大震災が起こり、僕もコバヤシも披露宴に出席できず、漫才は幻と化した。あの漫才が上手くいったらM-1グランプリにエントリーしようと思ったのに、それが叶わず残念だった。

教え子の結婚式にも何度か呼ばれ、スピーチをした記憶があるが、一番印象に残っているのは、出席しない結婚式でスピーチをしたことである。正確に言えば、新婦である教え子に手紙を書いて、司会の方に代読してもらったのである。

新婦と同期である教え子たちが、サプライズで先生(つまり僕)の手紙を結婚式で読んでもらうという演出を考え、依頼してきた。僕はわりと一所懸命に手紙を書いた。その手紙は思い出の写真のスライドショーとともに読まれ、新婦は感激のあまり泣いたと後から聞いたが、僕が記憶を盛っているかもしれない。

つまり何が言いたいかというと、ここまではたんなる自慢話なのである。地味で滑舌の悪い僕がなぜスピーチを頼まれ、後々にも記憶に残るスピーチをすることができたのか?そのメカニズムはよくわからない。小学校の時にはあまりに無口で先生によく叱られていたのである。

思いのほか自慢話が長くなったので分析編はまたの機会に書くことにする。といってもたいした分析ではないといまから言っておくぞ。

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傾聴人生

2月17日(月)

いやはや今日も朝から山場ばかりの一日だった。これがこの先も毎日続くのだからなかなか息を抜く暇もない。

そんなことを詳しく書いてもどうしようもないので、別の話をする。

比較的大きな会場で比較的大きな会合があったとする。席は自由席である。

僕と同じ世代の男性が、入口に近い席に陣取った。僕もよく知っている人物である。というかその業界で知らない人はいない。

その男性は、会場に人が入ってくるたびに、

「やあ、ど~もど~も!」

「ど~もお久しぶりです」

などと大きな声で一人一人に声をかける。

声をかけられた方も悪い気はしないのだろう。

かくいう僕もその人とは面識があるので、会場に入るなり、

「やあ、ど~もど~も!」

と声をかけられた。僕は型通りの挨拶をして、なるべく目立たない席を見つけて座る。

その人は会場に入ってくる一人一人に、

「やあ、ど~もど~も!」

と声をかける。

これはどういう心理なのだろう?自分の人脈の広さを誇りたいがために、わざと入口に近い席に陣取ったのかなあと、僕の邪推が始まる。

人間関係がものをいう会合なので、もちろんそれ自体はアピールしても全然かまわない。しかし僕の気持ちはモヤモヤする。嫉妬というのとも違う。むしろ僕は目立たない席に座るのを旨としているからだ。

むかしからそうだった。大学院生の時、先輩から言われた。

「君はいいねえ。いざというときに自分を消せるから」

たしかに僕がいないものとして他の人たちがあれこれとあけすけな会話に興ずるような場面がよくあった。僕はいないものとされていたし、それに対して僕もその会話に入ることもしなかった。

僕にとってはそれが居心地がよかったのかもしれない。

目の前でお話をされても、ベクトルは僕の方に向いていない場合も多い。

TBSラジオの安住紳一郎さんの番組で、「傾聴姿勢」という言葉があるのをはじめて知り、いい言葉だと思った。

それになぞらえれば僕は「傾聴人生」だ。

冒頭に述べた、人脈の広さを誇る人のように、あたかも自分がその中心にいるような生き方は苦手である。これは嫉妬というより、諦念というべきものであろう。

してみると僕はこれから(も)傾聴姿勢に徹することが、自分なりの生き方かもしれない。

ま、どうでもいい話なのだが。

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もうズボンはずり落ちさせない

2月15日(土)

昨年末に入院して以降、すっかり痩せてしまい、これまで履いていたズボンがブカブカになってしまった。いままでだましだまし履いていたが、ズボンのベルトを締めるとブカブカのズボンが歪んでしまうし、何よりぎゅうぎゅうに締め付けていたベルトもそのせいでボロボロになってしまった。

セーターを着ることなどでごまかしてきたが、これはもうごまかせないと観念し、新しいズボンとベルトを買いに大型サイズ専門店に行くことにした。

お店でウエストをはかってもらったところ、なんとあーた、ウエストまわりが10センチも縮んでいたのである。どうりでズボンがブカブカなわけだ。

といっても、もともと太っていたのでガリガリに痩せたというわけではなく、大型サイズ店の中でも一番ウエストまわりの短いズボンになったということに過ぎない。

これまでのズボンよりウエストがマイナス15センチくらいのズボンがちょうどいいことが判明した。

ベルトもいい感じのものを手に入れることができ、これまでの下半身の不格好なというか不自然な感じがこれでひとまず解消されたのである。

いままでズボンがずり落ちそうになるハプニングが続いていたが、これでもうその心配はなくなったぞ。だから宣言する!

リピート·アフター·ミー!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

ハイ!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

もう一度!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

じゃあ次、リピート·アフター·ミー!

「もうリバウンドはしない!」

ハイ!

「もうリバウンドはしない!」

もう一度!

「もうリバウンドはしない!」

じゃあ次、リピート·アフター·ミー!

「もう頬づえはつかない」

ハイ!

「もう頬づえはつかない」

もう一度!

「もう頬づえはつかない」

…たんにこれが言いたかっただけなのだが。

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仕事がまわっておりません

2月14日(金)

午前中はオンライン打合せ、午後は来客対応の予定だったが、急に会議に呼び出されて、挨拶もそこそこに中抜けして会議に参加し、終わるとまた来客対応で、目のまわる忙がしさだった。締切から1週間過ぎた原稿も合間に書いたのだが、まだ完成には至っていない。…って、毎回同じことを書いてるな。

最近は帰宅したら仕事のことを考えないことにして、仕事とは無関係にいただいたメッセージに返信したり、メールを書いたりすることが楽しみでもあるのだが、そちらの方もまわっていない。タイミングをみて書きますのでどうかお待ちください。

咳はだいぶ収まりつつあり、口内炎もうがい薬と塗布薬でかなり痛みが軽減された。あと一息ということでご報告します。

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正しい答えなど存在しない

2月13日(木)

午後、自宅から車で1時間ほどかかる総合病院に行く。

先週、定期のCT検査をしたら、咳の原因が肺炎であることがわかった。…ってことは前に書いたよね。

肺炎はもともと軽度なものらしかったのだが、この1週間、抗生剤を服用したおかげでだいぶよくなった。ただ胸部レントゲン検査ではまだ炎症が若干残っていて、咳も残っているのでもう1週間ほど抗生剤を服用することを主治医の先生にお願いした。通常服用している薬は、抗生剤を服用し終わった後に服用することになった。

通常服用している薬は、なにかと副作用が強く、その一つに免疫力を下げるという副作用があるので、それに乗じてインフルエンザや肺炎がわが体内に忍び込んだと考えられる。口内炎もその薬の代表的な副作用である。かといって通常服用している薬を止めてしまうと、体のほかの部分に不具合が生じるので、今後も服用し続けなければならない。まったく、あちらが立てばこちらが立たずである。

「なんとかならないものでしょうか」

薬の按配について僕は主治医の先生に尋ねた。

主治医の先生は悩んだあげく、

「正しい答えなど存在しないんですよ」

と言った。たしかにそうだ。主治医と相談しながら、薬の案配を決める、ダメだったら新しい薬を試してみる、この繰り返しだ。「この薬を飲めば絶体に治る」なんてことはあり得ない。むしろそういう医者は疑ってかかった方がよい。

大事なのは主治医の先生とのコミュニケーションなのだ。僕は主治医の先生の「正しい答えなど存在しないんですよ」と述べたその正直さに、ますます信頼を寄せた。

医学の世界だけではない。世の中の森羅万象がそうだ。正しい答えなど存在しないのだ。

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口内炎の樹海

2月12日(水)

だまらー諸君!

僕の連日の書き込みから、僕がいかに悲嘆にくれているかと思っていることだろう。

ところがさにあらず。これから行きたいところもあるし、会いたい人だっている。そのために、行く先々とか会うべき人とかに迷惑がかからないよう、体調をととのえなければならない。つまりその希望が、いまの自分を支えているのだ!

もちろん苦しいことはある。

今日は1カ月に1度、近所の薮医者のところに薬を処方してもらう日である。いまやもう薮医者は「処方箋を出す人」という以上の存在ではない。

今朝は口内炎があまりにも痛く、朝食は飲むヨーグルトR-1だけだった。

僕は藁をもすがる思いで薮医者に口内炎の患部に塗布する薬を処方してもらった。こうなったらあらゆる方法で口内炎を退治する他ない。

調剤薬局に行くと、

「食事のあとに患部に塗布してください」

と言われた。

「なぜですか?」

食事をすると塗布したクリームがとれて元の木阿弥になるからです」

なるほど、言われた通りに、食事のあとに患部に塗った。

舌をべろりんと出して、クレーターのような口内炎の患部に直接塗布した。

ところが、痛みが全然おさまらない。そればかりかどんどん痛みが激しくなる。

またつかまされたのか?

午後のオンライン打合せではけっこう話す場面が多かったのだが、口内炎があまりにも痛すぎて滑舌が悪くなり、酔っぱらって喋っている感じになった。

打合せが終わってから考え直す。待てよ、口内炎と思い込んでいた舌のクレーターは、実は口内炎とは違うのではないか。舌の感覚からすると、もっと奥の方が痛いのだ。

僕は試みに、クレーターよりもさらに舌の奥に薬を塗布した。するとあら不思議、痛みが和らいできたのだ。

痛みの原因はクレーターではなかった。その奥に広がる、壮大な口内炎の樹海だったのだ!

これでようやく口内炎との戦いの場所が見えてきた。これからが戦いの始まりである。

そう、希望は捨ててはいけないのだ。

…という「口内炎文学」という新しいジャンルを考えてみたのだがどうだろう。

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ちょっと意味がわからない

2月11日(火)

相変わらず咳が止まらない。

先週木曜日に処方してもらったのは、抗生剤の錠剤と咳止めの薬だった。

抗生剤は夕食後、咳止めの薬は朝食後に飲むようにという指示があった。僕は漠然と、服用する時間が違うのはなぜだろうと思っていたが、今日、一日中横になっていて、その理由がわかった気がした。

抗生剤を服用した直後に、咳が止まらなくなることに気づいた。どういう原理かわからないが、抗生剤服用の直後は肺と闘っていて、その際にたくさんの咳が排出されるのではないかと。夜に咳が続くのもそのためだ。

これが朝に服用するとなると、日中に咳が止まらなくなる現象が起こり、仕事どころではなくなる。だから夕食後の服用なのではないかと。

一方で咳止めの薬はそんな現象が起こらないから、朝食後に飲めば日中には幾ばくかの効果が期待できる。

なるほどそこまで考えて薬を処方してくれたのだなと、僕は勝手に納得した。

まあこれは誰に伝えるまでもないどうでもいい仮説なのだが、この仮説に行き着いたことに嬉しくなり、妻に必死に説明をすると、それを横で聞いていた小1の娘が、

「ちょっと意味がわからない」

と言った。娘は妻の怪訝な表情を読み取り、とっさにその言葉が出てきたのだろう。その言葉に爆笑するとともに、僕は我に返り、そうだよな、たしかに意味がわからないよなと反省した。

サンドウィッチマンの冨澤さんが流行らせた

「ちょっと何言ってるかわからない」

は、今では誰もが使っている。相手の戦意を喪失するには最強のワードである。使いどころを間違えると不愉快にも聞こえるが、自分の言葉を振り返させるには絶大な効果もある。

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口内炎

2月10日(月)

毎日同じことを言っているが、今日も異常な忙しさの1日だった。

いま一番困っているのは、咳よりも口内炎である。

そらぁ咳だって大いに困ってますよ。しかし何よりも口内炎が地味に辛い。

原因はわかっている。ふだん何かと副作用の強い薬を服用しているのだが、その副作用の筆頭が、口内炎なのである。その薬は先週の木曜日以降は休薬しているのだが、副作用だけは残していきやがった。

「あいつはあなたにとんでもないものを残していきましたぜ」

「何でしょう?」

「副作用の口内炎です」

こんな台詞で終わる映画、なかったっけ❗

それはともかく。

舌の両脇にできているのでたちが悪い。何かを食べるたびに舌に激痛が走る。しかもその激痛は逃げ場がない。

「右に見えるは口内炎、左に見えるは口内炎、右と左の泣き別れだあー」

寅さんの口上になかったっけ?

それはともかく。

そうなるとどうしても食欲がなくなってしまう。だって食べるたびに激痛が走るのだもの。

このままでは絶食の状態がずっと続くことになってしまう。

あまりに辛くて、口内炎に効くスプレーみたいなものをドラッグストアで買ってしまった。

我が家では基本的に市販薬を買うことは許されない。薬は処方されたものに限るというのだ。許されない、というのは大げさだが、嫌みは言われる。市販薬なんて高いだけで気休めに過ぎないというのだ。

しかし一方で「溺れる者は藁をもすがる」という言葉もある。

洗面所の鏡を見ながら、口をあんぐり開けて、舌をべろりんと出しながら、患部にスプレーを投射する。

何度かくり返すうち、舌の右側の口内炎はなんとか痛みが緩和されたようだが、最大の敵は舌の左側にできた口内炎である。

口内炎の見本として教科書に出てくるような見事な口内炎で、これを退治しないことには口の中が痛いことに変わりはない。

口内炎が消えるのが早いか、僕が餓死するのが早いか、しばらくは口内炎との戦いが続く。

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ショック!階段が昇れない!

2月8日(土)

相変わらず体調が悪い。

午後から職場で2時間のイベントがあるため出勤する。

僕の役目は、イベント終了後に花束を渡すというただそれだけの係である。

体調悪いんだから、それくらい、誰かに変わってもらったらどうかと何人かの人に言われたが、諸般の事情から、どうしても僕がその役目をつとめなければならない。

僕は、花束を渡しやすいようにいちばん前の列の関係者席に座った。

2時間のイベントが終わると同時に、係の人が花束を持ってきて、その花束を持ってステージにあがって、花束贈呈をする。

やることはそれだけ。

しかし僕が若干の心配をしていたのは、客席からステージに上がるには、3段の階段を昇らなければならない。たった3段なのだが。いまの僕には、バランスをとって歩くのが難しく、極端な話、手すりがないと階段を昇るにはかなりの勇気がいる。もちろんその階段には手すりなんぞ付いていない。

花束贈呈の時間になり、僕は係の人から直前に渡された花束を持って3段の階段を昇ろうとした。

そしたらあーた、案の定、足下がふらつきバランスを失い、2段目に足をかけたところで、これは無理だと後ずさりしてしまった。

満員の客席からは悲鳴とも笑いとも付かないざわめきが立つ。

もう一度挑戦して、ようやくステージに昇り、花束贈呈をした。

花束贈呈自体は何事もなく終わったが、ハレの舞台で無様な姿を見せてしまったことにショックを受けた。同時に花束を受け取った人にも、その非礼を詫びた。

イベントが終わり仕事部屋に戻るとほどなくして、この一部始終をみていた社長が僕の仕事部屋にやって来た。

「先ほどは無様な姿をお見せして申し訳ありませんでした」

すると社長は笑いながら、

「かめへんかめへん。それよりも体調に気をつけろよ」

「ええ、明日は完全休暇にするつもりです」

「それがええ」

社長は帰っていった。

僕の失敗を笑って受け止めてくれたことに、僕は救われる思いがした。

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明らかに体調が悪い顔

2月7日(金)

2時間の会議のために出勤する。

まるで酔っ払っているようなふらふらした足取りである。

会議室につくなり、

「あんた、体調悪そうやな」

とほぼみんなから言われた。たぶん髪もボサボサだし、顔色も土気色だからであろう。

ハイブリッドで参加すればいいじゃん、と言われるかもしれないが、この会議は事情があって対面参加しなければいけない。

2時間の予定とは言われているけど、早めに終わるんじゃない?と軽く考えていたら、さにあらず、びっちりと2時間かかってしまった。

終わって部屋に戻ろうとすると、別の部局の職員に声をかけられた。ご相談があります、と。

僕はこの部局の管理職をやらされているのだが、数あるアクシデントをなんとかまるくおさめて、1年間なんとかつとめあげた。年末の2カ月間は入院やらインフルエンザやらで迷惑をかけてしまったけどね。

相談事が終わった後、自然な流れで雑談になる。1年間、僕を助けてくれたいわば同志なのだが、担当事務2人のうちのひとりとは、仕事の話以外、雑談をしたことがない。それでも、こちらの体調のこととか、入院のことといった雑談を聞いてくれた。病気のことは自分から他人にすることなどないのだが、1年間迷惑をかけたという罪滅ぼしもあって、人にあまり言わないことを告白したのである。

それともうひとつ、「結婚式のスピーチと会議は短い方がよい」という持論を開陳した。これはもともと作家の清水義範さんの「結婚式のスピーチと女性のスカートは」というエッセイがあり、それをパクっただけなのだが、いまのご時世「女性のスカート」のことは絶対に言えないので、それを捩って「会議」に差し替えたのである。

そういえば前の職場で、僕が司会をしなければならない小さな会議があった。そのとき短く終わったのだが、あとで同僚が「8分!」と教えてくれた。いまでもあの最短記録は破られていないだろうか。

いまだったら、「8分で終わる会議ならメール審議で済ませろよ」と批判されそうだが、会議たるもの、短くしようとすればこれだけ短くすることができるのだぞいうことを同僚たちに体験してほしかったのだ、というのは後付けの理屈である。会議の内容がどんなものだったのかは覚えていない。

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咳の原因がわかりました

2月6日(木)

車で2時間近くかかる病院の定期検診の日。運転が不安なのでたまたま在宅での仕事の日だった妻に運転してもらい、学校をずる休みした娘も同行した。病院での滞在はなんだかんだあって6時間にも及んだ。

で、長く続く咳の原因がわかりました。

主治医の先生が僕の顔を見るなり、

「体調が悪くないですか?」

というので、一瞬イヤな予感がしたが、主治医の先生はCT検査の結果を見せて、

「あなた、○○に罹ってますよ」

薄々そんな予想もしていたが、こうはっきりと画像を見せられると納得せざるを得ない。

○○なんてあーた、ふつうだったら立って歩けないほどの病気ですよ。それを1月中はメチャクチャ仕事を入れて、先週の週末は北の町に出張に行ったっつーんだから、アカンアカン!そんなことをしちゃ!

しかしですよ。うちの近所の藪医者のところに行ってもレントゲンすら撮ってくれないと思うし、先日「ひとり合宿」をしたクリニックに至っては、入院前にレントゲンを撮ったにもかかわらず、だれも何も言わないってどういうこっちゃ?

主治医の先生に処方してもらった薬が唯一の命綱だ。

明日は午後から絶対出ないと行けない会議があるし、土曜日は僕が絶対に出なければならないイベントもある。月曜日は朝から晩まで会議で、これも絶対に出なければならない。

日曜日と来週の祝日は絶対に何もしないぞ。どうか薬が効きますように。

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1年ぶりのひとり合宿

2月3日(月)~4日(火)

1拍2日のひとり合宿が終了した。

ほんとうは2泊3日が原則なのだが、無理を言って1泊2日に短縮してもらった。

スケジュール上は可能なのだが2泊3日のほうが合理的だ。なぜなら2日目の治療本番には全身麻酔を行う必要があり、この麻酔がなかなか切れず、ボーッとした状態が続くのである。

だからもう1日余裕があった方がよいのだが、僕はとにかく家に帰りたいと思い、「まき」で治療をしてもらったのである。

1日目は、看護師さんや主治医の簡単な説明があったりするのだが、看護師さんは私を見るなり、

「ずいぶん痩せましたね」

「ええ。痩せました」

「ダイエットしたんですか?」

「いえ、たんに食が細くなっただけです」

「道ですれ違っても分からないくらい痩せてますよ」

いささか大げさな表現だが、それにしても、1年ぶりのひとり合宿なのに看護師さんはよく覚えているものだ。

ま、20回も続いているからね。いわば常連さんなのだ。

看護師さんは僕の職場も知っていて、ま、入院書類に職場の名前を書くのであたりまえなのだが、とにかく僕の個人情報は握られているのだ。

担当の看護師さんが部屋を出て、しばらくすると、こんどは別の看護師さんが部屋に入ってきた。

「まあ、鬼瓦さん!同僚の看護師から鬼瓦さんがすっかり痩せてしまったというので、見に来ました」

なんじゃそりゃ。

「ほんとうに痩せましたねえ。これでは道ですれ違っても分かりませんよ」

おいおい、俺はそんなに痩せてしまったのか?

「ときに娘さんは何歳になりました?」

「小学校1年生になりました」

「そうですか。あっという間ですね」

この看護師さんが担当の時には、娘の話で盛り上がったことを思い出した。看護師さんもそのことを覚えていたらしい。

もう完全に、僕の個人情報が握られているな。

2日目の治療は無事に終わり、退院となったのだが、やはり麻酔が完全には抜けきれず、ボーッとしている。

部屋の鍵を3階のナースセンターに預けると、

「まあ、鬼瓦さん、退院ですね」

「ええ」

今回の担当看護師さんが僕を見つけてそう言った。

その声を聞いたもう一人の看護師さんも、仕事の手を止めて、

「まあ、退院ですね」

とこちらにやって来た。

「どうかお大事に」

「お世話になりました。ありがとうございました」

僕はフラフラの足取りで1階に降りて会計を済ませた。

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イベント2日目・再会のための旅

2月2日(日)

イベント2日目。昨日はゆっくり休んだはずなのだが体調は昨日と変わらない。

今朝、教え子のOさんからショートメッセージが来た。

「本日、ご講演ですよね。楽しみにしております」

Oさんは年に1度のこのイベントに毎年来てくれている。今年もまた来てくれるという。ただ、「講演」じゃないぜ。偉い先生が午前中にやるのが「講演」で、僕は20分程度のお話をする「ただの人」で、講演者でも何でもないのだが、Oさんはそう表現するしかなかったのだろう。

ホテルから会場までは歩いて約5分。僕の足では10分かかる。2日目は午前10時開始で、登壇者は9時40分までに来てくださいと言われたので、9時20分にチェックアウトして、重い荷物を引きずりながら会場に向かって歩き出した。

さあ、ここからがハードだ。午前10時から偉い先生の講演が2時間続く。学生時代は落研に入っていたと聞いたことがある。与えられた2時間を使って緩急をつけたお話しする話芸はさすがだよなと思ってしまった。

講演のあと、間髪を入れずに昼食会場に連れて行かれた。恒例の昼食会である。昼食会といっても別室に行って偉い人たちとお弁当を食べるという行事にすぎないのだが、登壇者には参加する義務がある。でも僕はこの昼食会が苦手だった。

目の前に出されたお弁当は、水戸黄門の家臣の名前のようなお店のもので、僕もこのあたりの名店であることは知っていた。たしかにハンバーグはとても美味しかったが、まったく食欲がなく、あろうことか弁当を残してしまった。もったいない。

弁当を食べ終わると、昼食休憩ギリギリの時間まで、偉い人たちの話を聞かされるのが恒例である。これが苦手なのだ。時間を潰すために、ひたすらクソどうでもいい話を聞かされる。偉い人のお話だから愛想よく聞かなければならない。ときには適切な言葉を返さなきゃいけないこともあるのだが、今日の僕はまったくそんな気になれず、「早くこの場から立ち去りたい」と思うばかりだった。

それを察したのか、このイベントの実務を担当している方が、

「そろそろ戻りましょう」

と言ってくれて、休憩が終わる15分前にこのクソどうでもいい時間を切り上げてくれたのだった。

思えば今回、このイベントの実務を担当してくれた方々に、本当にお世話になり、いろいろと助けてもらった。だからこの縁はこれからも大切にしていきたいと思うのだが、あの昼食会だけは勘弁してほしい。

昼食会場の階からイベント会場の階にエレベーターで降りると、そこにOさんが「出待ち」していた。Oさんもこのイベントの流れを完全に把握している。

「先生、お久しぶりです」

「お忙しいところ、来てくれてありがとう」

「これ、娘さんに」

と、わざわざ手作りしたというものをいただいた。

ほんの二言三言会話しただけで、午後の第2部の時間になってしまった。だから昼食会はイヤなんだ。

午後の部での僕の出番は3番目。20分という決まりを2分ほど超過してしまったがつつがなく終了した。

僕はもう限界、とばかりに、実務担当のHさんに、

「あのう、次の休憩時間になったタイミングで帰っても大丈夫ですか。体調があまりよくなくて」

と相談した。

「大丈夫ですよ」とHさん。それを横で聞いていたSさんが、

「僕が車で送ります」

と言ってくれた。本当に、このプロジェクトの人たちは優しい人ばかりだ。

休憩時間になり、偉い人たちに

「すみません。今日はこれで失礼いたします」

と挨拶をして、舞台裏の控室に置いてあった荷物をまとめて出ようとすると、またひとり「出待ち」をしている人がいた。

「先生、覚えてますか?」

マスクをしているのでよくわからない。

「以前、小さなプロジェクトでお会いした者です」

僕はそこで思い出した。

「Sさん!」

「そうです。覚えていらっしゃいましたか」

ご自分の名前を検索するとトップに消臭剤の名前が出てくると言っていたことが未だに忘れられません」

「そうですそうです!」

Sさんはこのイベントの主催者側の一つである職場に、昨年4月から正式社員として採用されたという。

「よかったですねえ」

「ええ、これまでずっとフラフラしていましたから。…今日のプログラムを見て、『あ、鬼瓦先生だ』と思ってぜひ挨拶をと思いまして」

「このプロジェクトは今年度で終わりですが、またちょくちょくこの県には寄らせてもらうことになると思います。またいつか一緒に仕事ができるといいですね」

「そのときはぜひよろしくお願いします」

車で駅まで送ってくれる方がやきもきしている。

控室を出て会場の外に出ると、今度は教え子のOさんが「出待ち」していた。僕が心変わりして早退するということを察知したらしい。

「先生、お帰りですか?」

「うん。俺、ちゃんと喋れてた?」

僕は最近すっかり滑舌が悪くなり、声も小さくなった。おそらく脳の問題だろう。

「はい。大学時代の授業を思い出しました」

「またいつかお会いしましょう」

ようやく車に乗り込み、駅に向かった。

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イベント1日目

2月1日(土)

バスと新幹線と在来線を乗り継いで約5時間、北の町に向かう。

この1週間は本当に辛かった。昨日、職場から夜に帰宅し、急いで荷造りをして、今日もまた朝早くに出発した。

だから「前乗り」ではない。この日もちゃんとした用務があるのだ。

そして明日も用務がある。つまり2日間びっちり、、ほとんど自由時間もなく拘束されることになる。

この体調なので、オンライン参加も選択肢も考えたが、この5年間のプロジェクトは今年度で終了であり、何よりお世話になった知り合いが何人もいるので、現地参加をして挨拶をしなければいけない。

初日のイベントは13時から開始である。僕の出番は13時50分から。30分間話をして、10分間は意見交換の時間である。

まずはそこだけを乗り切ればよい。話のマクラに「実は昨年末に長期入院をしておりまして…」と言い訳めいたことを言った。暗に今回の話は急ごしらえで作った話だから質が落ちているかもしれませんよ、と逃げを打ったのである。

それでもなんとか40分間を切り抜けた。

僕の話が終わると休憩時間になり、自分がもともと座っている席に戻った。

すると、

「お疲れさまでした」

と隣の席の方が声をかけてきた。

「Cさん!」

「前の勤務地」で何度か仕事をご一緒したCさんである。マスクをしていたのと、発表前は緊張していてそれどころではなかったので気づかなかった。マスクを外したお顔は紛れもなくCさんだった。

Cさんの職場にこのイベントの案内が来ていてそれを見て参加したといっていたが、とくに僕の名前を見つけたから、ということでもないだろう。それにしても嬉しいことには変わりない。

「来月の講演会もよろしくお願いします」

そうだった、来月は前の勤務地で講演会をすることになっている。11月半ばに行うはずが、入院のために中止になってしまった講演会を、リベンジで行うことになったのである。

そのお話の仕方がCさんも聞きに来てくれるようなニュアンスに聞こえた。うーむ。これもまた体調を整えてのぞまなければならない。

1日目のイベントは16時半頃に終わり、そこから車でホテルまで連れて行ってもらった。18時半からは同じホテルの宴会場で懇親会がある。

懇親会まではお付き合いできるかなと不安だったが、今年度が5年間のプロジェクトの最終年度であり、多くの知り合いにもご挨拶しなければならないと思い、宴会場に向かった。

そしたらあーた、立食形式のパーティーではないか!

去年もそうだったことをすっかり忘れていた。

病人には立食パーティーは辛い。

それを察してか、いろいろな方から、

「大丈夫ですか?椅子を持ってきましょうか?」

と何度も言われたのだが、偉い人たちがたくさんいる中で僕だけが椅子に座るというのはどう考えてもおかしい。

「大丈夫です。どうかおかまいなく」

と答えたが、本音を言うと辛い。

懇親会が1時間ほど経ったところで、「では、本日登壇されたお一人ずつから、短いスピーチをお願いします」

と司会者が言った。

たしか昨年もそうだった、と思い出した。

せっかくなので、僕はこの5年間の感謝の思いを吐露した。

スピーチが終わり、マイクから離れ、元の場所に戻った。僕は隣にいた主催者のひとりのHさんに、

「もう僕の出番はありませんよね」

「ええ」

「ではすみませんがここで失礼いたします」

「ゆっくり休んで下さい」

19時半、ようやく初日の用務が終わった。

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