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2025年5月

絶不調

みなさまはお元気にお過ごしでしょうか?

僕は絶不調です。

同じ「体調不良」でも、体調のまだマシな「体調不良」と体調の悪い「体調不良」があることに気づきました。

このところ寒暖差が激しく、そのせいで体調を崩すこともありますので、体調管理には十分にお気をつけ下さい。

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また夢か…

寝てもさめても腰の辺りが痛く、一応鎮痛のために湿布薬をはったり錠剤を服用しているのだが痛みはいっこうにおさまらない。また眠れない夜をやり過ごさなければならない。だから僕はたんなる腰痛ではなく別の可能性を考えている。その結果は来週知ることになるだろう。

腰の痛みをどうすればいいのかをずっと考えていたら妙案が浮かび、さっそくスマホにメモした。ある程度の分量を書いたところで目が覚めた。現実にはスマホを手にしてはいない。

「なんだ、また夢か…」

時間にして20分程度のことである。でもその間は眠っていたわけで、どんな姿勢で眠ったかをうっかり忘れてしまった。腰が痛くない姿勢だとしたら、もう一度その姿勢を試してみたかったのだ。

それともうひとつ、僕の考えた「妙案」とはどういうものだったのか…それも思い出せない。結局元の木阿弥である。

さぁ今日もまた長い夜が始まる。「痛い痛い」と声を出すことだけで終わる夜が。

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通じがついた

入院用語に小便のことを「お小水」、大便のことを「通じ」という。ひどい便秘のことを「通じがない」という。

僕は元々便秘体質な上に他人の「通じのよさ」が気になるタイプなのでどうも自宅のトイレでも「通じ」がない。

原因は水分をとらないことや、まったく動かないために腸の運動を刺激しないからだとわかっている。そのために「お通じ」がまったくないのである。

水分をとることと運動をすることが何よりも大事なことなのである。

ふだん、そのことを実際にはできていないので「お通じ」がないことも仕方がないのだが、もうひとつ、あることに気づいた。

それは実家の母と電話で話すと通じがつくことがあることに気づいたのである。

今日なんぞは、午前からお昼過ぎまで自宅に来てくれたおかげで、日に2度も通じがついた。

実家の母は、私にとっては通じをつける貴重な人ということができる。13年ほど前に僕は「人の顔で通じをつけるな!」という文章を書いたことがあったが、やはり人によっては「通じのつく顔」とそうでない顔もあるのかもしれない。

そんなことより水分しっかりとり、適度な運動をしなければならないと思う。

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ドクロの腹巻き

腰痛がひどいのはお腹が冷えているせいだと思い腹巻きを探していたら、黒字に白いしゃれこうべの編み込んである腹巻きを見つけた。

どういう経緯でもらったのか忘れてしまったが、前の職場時代の教え子のIさんにもらったプレゼントであることは明確に覚えている。それにしてもなぜ腹巻き?冬の寒い時期だったからか?

僕には腹巻きをして寝るという習慣がなかったのでしばらくそのままにしていたが、この度の腰痛がお腹が冷えたからだと思い込んだ僕が、ためしに履いてみると、適度に腹を巻きつけてくれて、腰の痛みが幾分か緩和されたのが不思議である。

しかし腹巻きは他の臓器を締め付けることにもなっていること気づき、それはそれで痛くなるので、つけたりつけなかったりする毎日である。その度に、何で腹巻きなんかをプレゼントされたのだろうと考えるのだが、意外と役に立っているよと、かつての教え子だったIさんに感謝の念を伝えたいと思うばかりである。

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新しい花

そういえば、今年の春は父の墓参りをしていない。

父が死んで8年近くになる。盆暮れと春秋のお彼岸には父の墓参りに行った。しかしこの春のお彼岸は僕が病気になり身動きかとれなかったため、春のお墓参りは中止になった。

しかし実家の母がお墓に行くと、身に覚えのない新しいお花がお墓にささげてある。誰かがお墓参りにきたんだろうか?母は不審に思ったという。

しかし特定するのにそんなに時間はかからなかった。お墓参りの主は父の高校時代の友人·AさんとBさんだった。

父は地味な人間で自分のことをまったく話さない。ところが父がまだ元気なときに父を訪ねて家にきた人がいた。AさんとBさんである。二人には現住所を伝えてなかったが、二人はたぶんこの辺りに住んでいるだろうと推測し、父をわざわざ訪ねてきたのである。父は二人を自宅に招き入れ、なにやら話し込んでいた様子だった。さしづめ高校時代の昔話であろう。父を含めた3人が親友同士だったのだろうか。

次に連絡が来たのはAさんから「深大寺まで来てるから会わないか」という電話連絡をもらったときである。でもそのときはすでに酸素吸入機を付けていた状態だったのでさすがに深大寺まで行くのは無理だよということでお断りしていた。

連絡があったのはその2回。そして父が死んだ。

AさんとBさんは、父の死を知っていたのだろうか?今度はお墓の場所を突き止めて、お墓参りをしてくれたらしいのである。

無口な父からAさんとBさんのことを聞いたことはない。しかし父を含めた3人は、紛れもなく親友同士(心を許すことができる友)だったのではないかと思う。頻繁に会って互いに友情を確かめる必要のない間柄だったのではないだろうか。

今の僕もそんな境地になりつつあるのでよくわかる。

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サラリーマンは腐れ縁 ~その2~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

ブログは読んでいるので、大体は貴君の状況は分かっているつもりではあるのですが、いかがお過ごしでしょうか?

暫く書くネタが無いと思っていたら、貴君のことを慮った神様の思し召しか、また書きたくなるネタが出て来てしまいました。

ということで、前回は上司の役員Aさんの話を書きましたが、そのまた上司の副社長Mさんの話をチョット。

前に、Mさんは少し我儘なジャイアンのような人で私とはもう20年以上の腐れ縁と書きましたが、つい先週も会議の準備であたふたしているところに、秘書のMさん(実はこの人もかなり個性的な人です)が「コバヤシさん、副社長が呼んでるんですけどちょっと大丈夫ですか?」と副社長室から顔を出して私を呼ぶので「もうすぐ会議なんで5分ぐらいだったら!」ということで、副社長室に呼びこまれました。

私は部屋に入るなりMさんに「何ですか?もうすぐ会議なんで時間が無いんですけど。」とMさんに尋ねると、「お前、なんだその態度は!まあ、いいや。ところで、俺の月末の九州の出張スケジュール知ってるか?」と少し怒ったように話します。「来週末は、あちこち取引先廻るのは知ってますけど、具体的にどこを廻るかまでは知りませんよ。」と言うと、「俺は、社長とAが一緒に色々行くから、別行動で独りでここに行くんだよ!」と私にスケジュールを見ろと指さしながら話を続けます。「そうなんですか、忙しいのによくこんなんにあちこち行きますよね!」と、私が少し面倒臭そうに答えると、Mさんはまた怒ったように「そんなことを聞いてるんじゃない!副社長の俺が出張に独りで行こうとしているのに、本社から誰も行かなくていいのか!と聞いてんだよ!」と言うので、私は心の中で、いつもアンタ、独りであちこち出張言ってんじゃん!と思いながらも、「じゃあ、私が一緒に行けばいいんですか?」と言うと、「そう!そういうこと!お前も来るんだよ。」と嬉しそうに言うので、私もちょっとキレ気味に「だったら、最初っから素直に一緒に行こうよ!って言えばいいじゃないですか!もう!」と答えます。秘書のMさんは、まあまあ、と言った感じで両者をなだめます。

会議が終わってから、福岡の事務所に電話をして、かくかくしかじか私も途中から副社長の出張に加わることになったので、どこかで拾って貰えますか?と相談すると、向こうも、段取りを組み直すことになるので、とかなり困惑しながらも、何とか調整してみます、と答えてくれました。

私の方も、本当に申し訳ないと思いながら、何度も謝って、まあ何とかしてもらうことになりました。

翌日の朝、Mさん! アンタ 、みんながどれだけ困ってるのを分かってるのか!と何だか腹が立ってきたので、会社に来たMさんが自分の部屋で秘書のMさんとスケジュールの打ち合わせをしているところに入って行って、「Mさんが言うから、福岡の人達に無理やり頼んでスケジュールのここから一緒に入れて貰うことにしましたよ!」と、ワザとあてつけがましく言うと、Mさんは「なんだ、お前その態度は!それが副社長に対する態度か!」と怒るので、「ご不満でしたら、首にでも何でもしてくださって結構ですよ!」と売り言葉に買い言葉で私も答えます。

秘書のMさんは、全くもう!この二人は!いい加減にしてよ!という表情をしながら、まあまあ、と我々を宥めます。

まあ、こんな会話だけを読むと大丈夫なのか?と思うかもしれませんが、腐れ縁の我々にとっては、こんなのはお約束のじゃれ合いみたいなものです。

余談ですが、昨年のとある会議で社長をはじめとするウチの全役員が揃う全社会議の場で、私が他部署の取組にについて取り纏めて報告する機会があったのですが、まあ、その他部署の人達が社長の出した宿題から逃げていたのを副社長Mさんの命令で私が取り纏めて報告することになったのですが、その時も社長が何でそんなことしか出来ないんだ云々と怒って言うので私と口論になり、と言っても実際色々やってるのは他部署の人達で私はそれを取り纏めているだけだし、まだ説明の途中でもあったので、ちょっと待ってくださいみたいなことを言ったところ、社長が「逃げるのか!」と怒るので、何で逃げてるアイツらの代わりに社長にそんなことを言われなきゃんなんないんだよ!とプツッと行ってしまい、またこれも売り言葉に買い言葉で「逃げてませんよ!そんなに言うんだったら、もうこんなのやってられませんから、首にしてくださいよ!」と、つい言ってしまいました。当然、会議は紛糾した訳ですが、まあそれでも周囲の宥めもあり、何とか報告を終えることが出来ました。

会議の後、Mさんに呼び出され、「お前さあ、会議の場でキレるなよ。おかげでこっちも宥めるのに大変だったんだから。いい加減にしてくれよ!」と怒られたのですが、その後すぐに「でも、アレは面白かったよ!お前が、首にして!と怒って言ったら、社長がちっちゃい声で『首にはしないよ。』って言ってたのには思わず笑っちゃったよ!」と嬉しそうに言います。

ちなみに、この会議のあと暫くは会社の色々な人たちから、良く言った!とか、あの会議は面白かった!とか言われるハメとなりました。かくして「首にして!」という言葉は、Mさんと私の間、更にはウチの会社の鉄板ネタの1つとなったのでした。

余談がだいぶ長くなってしまいましたが、副社長のジャイアンネタをもう1つ。

前回登場したAさんの話でもあるのですが、確か昨年末の大人数での忘年会の時に・少しお高いお店、かつ人数も多くてかなりの額になるということで、役員のAさんに会社のカード(役員のカードは我々一般社員とは違って会社の口座から費用が引き落とされる)で払ってくださいということになったのですが、宴会の幹事が事前にAさんに伝え忘れるという手違いがあったのはさておき、なんとAさんは宴会に来るのに財布を家に忘れてくるという失態を犯し、更に悪い事には幹事が近くにいた副社長のMさんに、じゃあお支払いをお願いできますか、と言ったことから、「なんでAに払わせないんだ!」となり、そこからAさんが財布を忘れたとことがMさんの知ることとなり、Mさんは「A!!お前いい加減にしろ!!」と激怒してしまい、てんやわんやの大騒ぎになりました(前にも書きましたが、MさんはAさんの指導先輩かつ今の会社の上司であり後見人でもあります)。しかも、Aさんはかなり酔っぱらっていて全く自分の置かれている状況を把握出来ていないという体たらく、もう何だかわからないカオス状態です。私は離れた場所に居たので暫くそんな有様には全然気付かなかったのですが、困った幹事が私に相談して来たので、は~、と溜息をつきつつ、仕方が無いので仲裁に入りました。ま、私からすれば、Aさんはいつもこうだし怒ってもしょうがないじゃん、Mさんも分かってるでしょ!と思うのですが。

何とかその場は取り繕ったものの、その後みんなが帰る段になっても泥酔してまともに歩けないAさんにMさんは怒り心頭。流石にこれを放って置くわけにはいかないということで、他の人達には、「MさんとAさんがヤバいんでちょっと一緒に帰るよ」と言って二人の後を追ってMさんを宥めつつ、タクシーに乗って帰りましょう、と2人をタクシーに押し込んで、じゃあまず一番近いAさん家と新橋方面に向かい(ちなみにAさんの自宅は本当は筑波なのですが、あまりに遅刻が多いAさんに呆れた2年前に退職した当時のAさんの上司だった役員のSさんが、会社に近くに住め!ということで新橋に住んでいます)、泥酔したAさんが大丈夫帰れますと言うのを、無理だろう!とMさんと2人で言いながら、何とかAさん宅前にタクシーを着け事なきを得ました(本当に得たかどうかは分かりませんが)。

とここまで書いて、Mさんのジャイアンぶりを書いたつもりが、またAさんのダメダメぶりを書いている自分に気付きました。

それにしても、Aさんの引きの強さというのか、皆を困らせるインド人もビックリの行動には、もはや呆れるを通り越して凄いと言う他はありません。

色々Mさんの悪口を書きましたが、じゃあ私にとってMさんはどうかと言えば、朝8時過ぎに会社に来たばかりのMさんを掴まえて「ちょっと業務報告いいっすか?」と言いながら副社長室に有無もいわせず入って行って、「え~、嫌だけど、しょうがないから聞いてやるよ!」とMさんが言うのを殆ど無視しながら「申し訳ないんで(全くそう思っていません)、じゃあカフェコーナー(ウチの会社には分不相応にもそんなのがあります)のお姉さんに頼んでコーヒー持って来て貰いますね!」と言って無理やり仕事の話をします。普通は会社に来たばっかりの時間は独りで色々と考えたいはずなので、私のこの行動は自分でも酷い奴だなあと思うのですが、Mさんはブツブツ言いながらもちゃんと聞いてくれます。まあそれが腐れ縁と言う奴なのでしょうか。

ということで今回もサラリーマンネタ、チョットと言いながらなかなかの長さ(すみません)になってしまいましたが、楽しんで頂けたでしょうか?

では、またそのうち!

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歯医者さん

「今日、歯医者さんに行ってきたのよ。固いお煎餅を食べたていたら歯が折れてしまったのよ」

電話口の実家の母がそう言う。

「先生は年寄りだし、ひとりしかいないから時間がかかってねえ」

その歯医者の先生は、僕が小学校のときに通った先生(名前は失念)だった。

「仕方ないわよね。私と同い年だから」

ということは80歳で現役の歯科医師ということか。僕は驚いた。

「先生がいなくなったらどこの歯医者さんに行っていいかわからないでしょ。だからこの先生が生きてる間に治療に行っておかないとと思って。先生に『後継者はいないんですか?』と聞いたら『いない』とおっしゃるのよ、困っちゃうわね」

たしかに腕のいい歯医者さんだった。僕は小学生のころ、ひとりでその歯医者さんに通っていた。おかげでいまに至るまで歯に関する大きな病気をしたことがない。それは四半世紀を軽く過ぎたいまでも変わらない。時折虫歯になって他の歯医者さんにお世話になったことはあるが、職人肌の先生には決して及ばない。

小学生の僕はその歯医者さんに通うことは苦にならなかった。待合室でいくら待たされても、流れてくる有線放送を聴いていたのでまったく飽きるということもなかった。

母も僕も、その先生には全幅の信頼を寄せている。さまざまな事情で歯医者さんの場所は移らざるを得なかったようだが、今は母にとっても通いやすい場所に落ち着いている。

結局は信頼関係なのだ。世間にはその先生よりもはるかに腕のいい先生や、最新技術を駆使する先生もいるだろう。しかしその先生の丁寧な仕事振りは、十年一日のごとく変わらない。どんなに優れた先生であっても、信頼関係がなければ通い続けることはできない。今年80歳になる老歯科医師も、お客さんがいる限り、仕事をやめることはないだろう。

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病院じまい

「墓じまい」という言葉があるが、今日「病院じまい」をした。

…と書くと「完全復活をしたですね」と早合点する奴が出てきたりするのたが、そうではない。

僕は8年ほど前に大病にかかって以来、月に一度はこの病院にお世話になった。車で1時間以上かけて一人で通っていたのだが、今回ばかりはそうはいかない。妻の運転なしには行けないとなると、片道1時間以上の時間が妻には負担になる。それでほとんどの治療を近所の総合病院に移すことにしたのである。その方が妻の負担が幾分楽になる。僕としては8年近く通っているので思い入れが強かったが仕方がない。

今日はその最後の診察である。僕にはその病院でお世話になった先生が二人いて、そのうちの一人が主治医にあたるH先生である。H先生にはすでに事情をお話ししていて、今度から通うことになる近所の総合病院に紹介状を書いてくれた。

もう一人は別の科に所属するK先生である。K先生とは3カ月に1度ていど、病状を報告する。というのも、僕の大病を「発見」してくれたのがK先生だからである。

いまも思い出す。気の進まない僕に対して、その日のうちに各種検査を行い、その原因を突き止め、同じ病院のH先生を紹介してくれた。他のクリニックの先生も紹介していただいた。そしてその日のうちにあれよあれよと治療や手術の段取りが決まったのである。

自分にとっても濃い1日となった。看護師さんからも「今日1日でいろいろなことがありましたね。びっくりされたでしょう」と慰めてくれた。

いまこうして生きていられるのはこの二人の先生のおかげである。K先生にも転院したいという希望を伝えなければならない。

今日の診察でそのことを言うと、

「いままでよく頑張ってきましたね」

と握手を求めてきた。僕はつい泣きそうになり、

「いままで本当にありがとうございました」

と返すのが精一杯だった。それ以上何かを言うと嗚咽になりそうなのでそれ以上何も言えなかった。

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かぼちゃまんじゅうの思い出

2015年3月28日(土)の日記から。

出張先での仕事は昨日のうちに終わったが、いま妻がアメリカに出張中なので、そのまま家に帰ってもどうということはない。

だったら3月末締切の原稿を書けよ!という話なのだが、そんな気にもなれない。

「仕事」ではない旅をしてみようと思い、レンタカーを借りて、旅に出ることにした。

行き先は、以前訪れたことのある海辺の町である。

その町に行く途中に、卒業生が住んでいたことを思い出した。

海辺の町出身のSさんは、卒業後に公務員となり、海辺の町に行く途中にある、内陸の町に配属されたのだった。

少し前にもらったメールに、体調を崩したと書いてあって、まじめなSさんのことだから、仕事で無理しすぎたのだろうと心配にもなったのである。

海辺の町に行く前に、その町に立ち寄ることにして、Sさんにメールをしたところ、ほんの短い時間だったが、会うことになった。

同じ県内なのに、車を借りた場所から高速道路を使っても2時間ほどかかる。

実に淋しい町である。

「先生、こんな辺鄙なところまで、本当にいらしたんですね」

「それにしても、遠いところだねえ」

「何もない町でしょう」

「体調はどうですか」

「だいぶよくなりました」

2時間ほど、話をした。

「海辺の町に行く途中に、道の駅があります。そこで売っている『かぼちゃまんじゅう』がオススメです」

「わかった。必ず買うよ」

再会を約束して、お別れした。

再び車で海辺の町に向かう。

途中の道の駅でかぼちゃまんじゅうを買った。1個120円。

素朴な味で、美味しかった。

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崖っぷち役員

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。

なかなかしんどそうですね。

しかも蒸し暑くなって来ましたし。

暫くネタは休もうかと思いましたが、貴君の要望があったのと、自分でも誰かに話したいしょうもない小ネタが出来たのでメールします。

今回のネタは会社のしょうもない話なので、あまり興味が持てなかったらすみません。

前に、会社の上司のAさんという人は、かなり変な人だと書きましたが、部下である我々は自分たちの身に色々と問題が降りかかってくるので、Aさんがこういう行動を取るに違いないと予測をしながら仕事をしているのですが、以前、中国に出張した際に空港で知らない人の車に乗って知らない場所に行ってしまったことを書いたように、Aさんの行動は日常的に我々の想像を遥かに超えてきます。

Aさんは一応、常務という会社の役員の立場なので、役員会議みたいな所で色々と会社の方針を報告するのですが、大概資料は会議直前のギリギリまで引き付けるのが常です。役員会議を仕切る部署の人達も最初はヤキモキしていたものの最近は馴れっこになってしまいました。

まあ、役員と言っても資料を作ってくれる部下も少ないので(私も色々資料は作りますが、自分の管轄というものがあるので何でもかんでもという訳には行きません)、仕方が無い面もあるのですが。

しかも、社長の随行も含めしょっちゅう出張しているので、資料を作ったり考える時間もあまりありません。色々な会議でも、PCを持ち込んで内職をしていたりします。だから、色々な資料や検討は常にギリギリで、我々は「崖っぷち役員」と揶揄して呼んでいたりします。

(どうでもよい話ですが、かつて「崖っぷちアイドル」と呼ばれた熊切あさ美は、私が前にいた会社の後輩の従妹だったりします。)

ところで、ちょうど今の時期は会社の業務目標の提出時期で、我々もAさんの業務目標を踏まえて目標を書く必要があるのですが、つい先日も、私も部下の人達に自分の目標も含めて早く展開しないといけないので、「社長と副社長の業務目標は出ましたけど、Aさんは水曜、木曜と出張ですし、金曜の昼前に副社長面接があるから金曜の朝に業務目標が我々にも展開される感じですかね?」と、早くやってねという牽制もこめて尋ねると、「さすがコバヤシ、良く分かってるね!移動の新幹線の中で書くつもりだよ!」と答えてくれます。

私も、これで何とか今週の業務時間中に何とか業務目標を書けそうだと、少しホッとして胸を撫で下ろしました。

で、金曜の朝ですが、いつも私は7時45分ぐらいに会社に行くのですが、会社に着くと、いつもは8時半ぐらいに会社に来るAさんが既に会社にいます。

恐る恐るAさんに「ところで業務目標は出来たんですか?」と聞くと、「出来てるわけないじゃん!だから、会社に早く来たんだよ。」と当然という風に答えます。「えっ!でも副社長の面接、11時半だし、その前も殆ど会議ですけど大丈夫なんですか?」と聞き返すと、「何とかなるよ!」と明るく答えます。恐らく会議で内職をしつつ仕上げるのでしょうが、それにしても普通は面接の前の日に仕上げるのでは?と我々の開いた口は塞がりません。

かくして、私はこの週末に家で業務目標を書くハメになってしまいました。

また、先週のある時は、会社にAさんが少し遅れて出社してきたので「何かあったんですか?」と聞くと、「いや~!落とした自分の携帯が出て来てね。近所の駅に取りに行ってたんだよ。最初GPSで探してたんだけど、途中で追えなくなっちゃってさ~。届けていた駅から連絡があったんで聞いてみたんだけど、落し物の携帯は預かってる間は電源切っちゃうんだってさあ。いや~、勉強になるね~。」とどこまでも前向きです。我々からすると、そもそも携帯なんか落とすの?というところで疑問がつくのですが。

更に続けて「そう言えばあの話したっけ?やっぱり落とし物の話なんだけどさあ。」と言い出します。「いや、多分聞いてないと思いますけど。。。」と答えると、Aさんは「こないださあ、車の免許証無くしちゃってさあ。確かどこかでコピーしたような気がしたんで、近所のコンビニから少し離れたところまであっちこっちのコンビニに聞いたんだけど見つからなくさあ。結局、最後にまた家に一番近いコンビニに行ったら、あってね。店長が、これは貴重なものだからと貴重品箱に入れてくれてたんだけど、他の店員さんが知らなかったみたいで。いや、まいったよ。でも、こんな時の為にレシートは必ず貰ってちゃんと日付順に管理してるから、レシートを見ながら全部のコンビニに行って、やはり最初の近所の店が怪しいと戻ってこれたんだけどね。」と続けます。レシートを取って置くことが果たして本当に忘れ物対策になるのか?、そもそも免許証をコピーしてそのまま忘れてくること自体がおかしくないか?という我々の疑問をよそにAさんは笑いながら語り続けます。「結局、免許無くしてから出てくるまで20日間もかかっちゃったよ!」思わず私は「えっ!見つかるまでそんなにかかったんですか。まさか、その間、車運転したんじゃあないでしょうね?」と聞くと、「いや~、普通に運転してたけど、確かに無免許運転かもしれないね。ハッハッハ。」と明るく笑って流します。ちょっと待て、アンタ仮にも物流会社の役員でしょ!警察に見つかったらどうする気だったの?と私は心の中でツッコミを入れるほかありません。

まあそんな訳で、日々、こんな変な人を相手に働く今日この頃です。

それでは、また。

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長い夜

腰痛がなかなかひどくて、どのような姿勢で寝たらいいのかわからない。寝返りをしても腰の痛みは変わらない。椅子に座ろうとするとケツは痛いし、いったいどうすればいいのか、腰痛に悩まされた経験のない僕にはよくわからない。

だから今の僕の睡眠時間は2時間ていどである。YouTubeでお気に入りの音楽を流し続けると時間がはなく流れるような気がして、今はYouTubeが自分の中で復活しつつある。みんな腰痛をどうやり過ごしているのかが、最近の気になることになりつつある。

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ブックカバー

僕は元来「ブックカバーをつけない派」だったのだが、最近はAmazonで革製、紙製のカバーを買うようになった。

だが僕の使い方は、読んだことのある本や読み終わった本にはつけない。むしろ外し、読むべき本に付け替える。つまりブックカバーはこれから読むぞと決めた本だけにつけ、役割が終わると、つまり読み終わったら、はずして新たに読むべし思った本に付け替えるのだ。その優先度は革製→紙製となる。

ブックカバーはつけてあるだけで本を読むテンションが上がる。料理でいえば「味変」みたいなものである。そのように考えればブックカバーをたまらなく好きになってしまった。

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夢、といえば思い出したことがある。

僕の唯一の夢は、どこか小さなライブ会場を借りて、今までお世話になったり信頼できる人を全国各地から観覧客としてお招きして、トークショーをすることである。トークだけではつまらないので、トークの間に知り合いに頼んで音楽を演奏してもらう(といっても音楽を奏でられる知り合いはほとんどいないが)。

そう!年末にやっていたテレビ朝日の『朝まで生つるべ』みたいに(わかる人がわかればよろしい)。

そんなことを考えたのは、いっぺんに僕のことを伝えることができる唯一の方法のように思えたからである。

個別に自分のことを伝えるのは面倒くさいことこの上ない。だったらいっぺんに済ませてしまえと、こういう訳である。

だが、伝えるべき人がどれくらいいるのかといえばあんまり多くないことに加え、それをわざわざ知りたいと思う人がどれだけいるのかを考えると、この企画を断念せざるを得ない。

というか本気でそんなことを考えていたのかと言われれば、穴があったら入りたいという心境である。

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夢か現か

そういえば実家の父の墓参りをしに親戚一同が近くまで来てくれるという話があったなあ。そのときに僕も一緒にお墓参りをすれば親戚一同にいっぺんにいまの様子をお伝えできるし、日頃の無沙汰の非礼も詫びることができる。しかしそのためには、実家の母に話をしなければならない。

「あれ、いつだっけ?」

「何が?」

「お墓参り」

「今月はしないよ」

「あれ?親戚一同が来ることになってるんじゃないの」

「そんな予定なんかないよ」

「……」

「お前、夢でも見たんじゃないの?」

最近こういうことが多い。

数日前には、職場の人にまだ秘密にしていることをうっかり喋ってしまった。

「しまった!これまだ秘密のことだった!今すぐに訂正のメールを出さないと大変なことになる!」

と思い始め、慌ててメールを立ち上げて、

「さっきの話は聞かなかったことにしてください」

というメールを書きかけたのだが、

「待てよ。これは夢かもしれない」

と思い直し、ギリギリ出さなくて済んだ。

もし出していれば、先方は「さっきの話は聞かなかったことにしてくれって何のことだ?」とむしろ気になってしまうかもしれない。

ことほどさように、いまの僕には現実と夢の世界の区別がつかなくなってしまっている。

僕の精神は壊れ始めているってことか。

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最近の楽しみ

最近の楽しみといったら、Amazonで買い物をすることである。といってもそんな高価なものではない。本だとかブックカバーとか栞とか万年筆とか。万年筆も、安くて使いやすいものを選ぶ。

Amazonはいいぞ。注文すると「受け付けました」や「発送しました」、さらには「近くの配達店に届きました」「いま配達中です」、はては「郵便受けに入れました」と、時々刻々とその動きを伝えてくれる。僕のいまの唯一の楽しみである。

自宅に届くまでのワクワク感を楽しむことができる。店頭にならんでいる本を書店で買うことも、そりゃあ楽しいだろうさ。でも書店に行けない人も大勢いる、ので、そういう人たちにとってはAmazonがありがたい。しかも待つ身のワクワク感も楽しめるのだ。

断捨離をしなければならないのに、むしろ本が増えとるやないかい!という批判は甘んじて受けるが、関心が広がってしまったから仕方がない。

シュナイダー社の万年筆も買った。なぜシュナイダー社かというと「タイムトラベル専門書店」に行ったときに文具のコーナーでシュナイダー社の万年筆を知り、試し書きをしてみたらそれがまたとても書きやすいので、値段も手頃だしいつか買ってみようと思ったのである。

というわけで我が家にはせっかく中字、細字、極細字の万年筆を揃えたので、誰かと肉筆による往復書簡をしてみたい衝動に駆られたが、面倒くさいのでやめておく。

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復活ではない

5月14日(火)

長らく途絶えていたがブログを書けるようになったのなら快復したんだわとノーテンキに思える人がいたら困るので言っておく。

事実はそれと正反対である。

書きたいことがあるので書いたまでのこと。

内容とその趣旨をちゃんとわかってくれたのは一人だけである。そういう人がいるというのがありがたい。

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授業コント

中3の頃の恥ずかしい話。

中学校では年に1度、文化祭なるものが開かれる。今でもやってるのかな?

そのときにはいろいろな企画を考えたり、教室を模様替えしたりする。これがまた面倒な作業である。わが3年C組もご多分に漏れず面倒くせえという人が多かった。

「だったら」と僕は話に割り込む。「教室そのものを、何の飾りもせずに、コント会場にしたらいいんじゃね?」

僕の提案は次のようなものだった。

まず教室をふだんのそのままにして授業をおこなう。しかも単なる授業だとつまらないから、授業をコントにする。つまりは「授業コント」をするのだ。

教室の前半分はそのままにして、後ろ半分の机や椅子を撤去して観覧席にする。そうなると全員が出演できなくなるので半々に分ける。たとえば前半分の席の人たちをA班、後ろ半分の席の人たちをB班として2種類の授業コントをおこなうのだ。

…とここまでは理解できたかな?説明が下手ですみません。

A班のコントの台本は僕が書きB班のコントの台本は別の人が書くようにすれば、1時間目、2時間目、というように2倍楽しめるわけだ。

なぜか僕の提案が採用され、晴れてクラス全員が演者となった。

でも授業コントと言うくらいだから授業を担当する人がいなければならない。そこで、趣旨をわかってくれそうなホンモノの先生二人に、授業コントに参加してくれるようにお願いした。するとOK の返事をもらった。さぁこれで役者は揃った。あとはコント台本を書くだけである。

僕の狙いは、授業をしているうちにだんだんと生徒たちの精神が壊れ始め、最後は収集がつかなくなる、というシュールな台本を考えた。一方、もう一つの班の台本は笑いどころがよくわからないような、お上品な台本を仕上げてきた。

結果は歴然としている。僕の台本によるコントの方が遥かにおもしろかった。それは観客の反応を見ても歴然としていた。噂を聞き付けたのか、観客数はうなぎ登りに増えていった。

僕はそのとき、コント作家を目指していたのかも知れない。漫才よりもコントの方が好きなのは、このときの体験があったからだと思う。でも今は、さすがにコント作家をめざそうとは思わない。

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プログラム

5月13日(火)

妻と娘が聴きに行ったという某市の吹奏楽団のプログラムは、その楽団と縁もゆかりもない僕にとっても読んでいて面白い。

まず公式なプログラムは、どこか市内の印刷所に委託しているのか、しっかりとしている。財政的な支援はその市の青年会議所あたりによるものだろう。そこには曲目の解説や指揮者、実行委員長、団長などの挨拶文や年間活動、演奏する団員の名前などが書かれている。

で、それとは別に「別冊プログラム」というのがある。ここにはパート紹介とか、団員のインタビュー記事など「内輪受け」の内容を収めている。こちらの方はいかにも手作りな感じで、作成や印刷は団員によるものだろう。

つまりは公私の別がハッキリしているのである。これならば縁もゆかりもない私が聴きにいってもハードルは低い。

アマチュアの吹奏楽団として比較的古くから活動していたという。今や老舗になってしまったアマチュア吹奏楽団だが、長年にわたり努力を続けてきたのであろうことが、プログラムを拝見するとよくわかる。

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講演録

5月11日(日)

立派な本が送られてきた。

定年退職したばかりの先生からだ。研究者の性(さが)なのか、退職するとこれまでの研究を1冊の本にまとめられる場合が多く、その送られてきた立派な本もそういった理由からまとめられたのであろう。

その先生はある種の若手研究者たちにとっては憧れの存在なので、売れるだろうな。

一方私はといえば、入院前日に行った講演会の講演録の下原稿が送られてきたのだが、これがすばらしくいい出来で、このまま掲載しても申し分のない内容である。あのとっちらかった内容の講演録をまとめてくれたのが講演会を企画してくれたIさんで、単なる文字起こしではなくわかりやすいようにまとめてくださっている。手間のかかる作業をやってくださったIさんに感謝してもしきれない。

この講演録は地元の愛好家たちの手にしか渡らない。そこがまた僕らしい。究極のミニコミ誌に掲載される夢はすでに達成されたが、これもまた、多くの人に読まれないという点では同じだろう。本当に読みたい人が、見つけてまでしても読みたい、というのが僕の理想である。ま、そんな人はいないと思うが。

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座敷牢

5月11日(日)

横溝正史原作の『蔵の中』とか『悪魔の手鞠歌』とかに病弱な人が蔵に閉じ込められて、「ばあや」みたいな人が三度三度食事を届ける、という場面がある。むかしは結核が流行ったりしていたのでよくあったことなのだろう。今の私はさながら蔵の中に閉じ込められている身である。これを「座敷牢」とでも言おうか。

ずっと同じ姿勢で寝ていると腰が痛くなり、耐えられないほどの痛みが走る。

定期の検査で脳に異常が見つかり、5月5日~8日まで都内の病院に入院した。めまいの件とは関係ない。治療自体は上手く言ったのだが、退院するととたんに体調が悪くなる始末である。無痛なのでふだんならば何も感じない治療法だけれど、こういう場合だと、やはり脳の治療が相当な負担がかかっているのだなと実感される。

話を戻すと、家族にとっては僕は居ないことにされ、僕は放ったらかしにされてひとりで昼食は冷凍食品のご飯ものを食べることが多い。もうかれこれ1カ月以上続いている。冷凍食品を準備してくれるのはありがたいが、冷凍食品のご飯もの(チャーハンとがドライカレー)はさすがに飽きる。美味いことは美味いのだが。

それでも何か言うと失礼なのでひたすら食べ続けるほかない。何も言わず黙々と食べることが私の仕事である。そのあとの「薬の錠剤を食後に服用する」という、最も大事な仕事が待っているのだから。

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サウンドオブミユジック(メドレー)

5月11日(日)

妻と娘は、好きでもないのにある自治体による吹奏楽の定期演奏会を朝から聴きに行った。「どうだった?」と聞いたら「最初の2曲を聞いて、飽きちゃつて会場出て町歩きをした」そうな。何とも勿体ない話である。

そこでプログラムを見せてもらうと、

第1部

キャンディード序曲

天神ぷれりゅーど

故郷(ふるさと)

吹奏楽のための第二組曲(リード)

第2

プロローグ·キルクス

ディープ·バープル·メドレー

テキーラ

サウンド·オブ·ミュージック·メドレー

故郷の空

とあり、実に考え抜かれた構成である。娘は「サウンド·オブ·ミュージック」の音楽を最近よく口ずさんでいるから、最後まで聴いてもらいたかったと思う。

僕は聴きに行けなかったが、ブログラムの大半は演奏したものばかりだったので、懐かしく聴いたことだろう。

プログラムも充実している。この曲がどんな曲で、なぜこの曲を演奏しようと思ったのかがくわしく解説してあって、読んでいて楽しい。

曲を聴くと、その頃の思い出が甦る。

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曲目

5月10日(土)

数年ぶりに開催された、5月4日の定期演奏会(定演)はどうやら大きな事故もなく終わったらしい。

それはよかったのだが、誰ひとりとして、どんな曲目(プログラム)だったかを、誰も教えてくれなかったことである。やれ誰と久しぶりに会ったとか、久しぶりに会った喜びばかり伝えられては、演奏された曲目に失礼にはならないかと、いささか心配となる。あるいは「あいつだけには教えるな」と言われているのかも知れない。別に高度な演奏評を求めているわけではない。

今の関心事は演奏会場で誰と会ったかではなく、どんな曲を演奏したか、である。ま、知らなくてもいいことなんだろうけれど。

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僕がブログを書かなくなった訳

僕がこのブログを書かなくなった理由は、このたびの病気のせいで書く気がなくなったからではない。何かにつけてマウントをとりたがる人があらわれたからである。

昨年末に入院したことを書くと自分の息子の入院体験を持ち出し、最初は「ん?」と思った。お前も大変かも知れんけど、俺の息子の入院体験も相当なものだった、といわんばかりである。

勿論入院の大変さは人それぞれだし、それをとやかく言う筋合いのものではないのだが、僕にはマウントをとりたいがための文章にしか読めなかったのである。入院している当人にとっては、決して愉快な話ではない。

そしてこのたびの病ではしばらく書かなかったのは、そういう読者の数を減らしたいと思い、自分ではなく申し訳ないことだが親友のコバヤシに期せずして代打をお願いしてしまった。親友の気安さとはいえコバヤシには相当な負担をかけてしまったと思う。

仕方がないので再開したら、またマウント厨があらわれた。僕が中3の時の思い出話を書くと、俺はお前よりもっとウケたことがある、あまりに好評でアンコールされたと自分の思い出話を語り始めるのである。これもちっとも愉快な話ではない。

もうこうなったら何を書いてもマウントをとりたがるのだな、じゃあ何を書けばいいんだ?そんな思いまでして書き続ける必要があるのか、わからなくなってきた。それと同時に、こいつ何もわかっちゃいないなあと憐憫の情がわく始末。

ま、そんなことで気を病んでいても読者のみなさんには関係のないことだから、ふだん通り自分の思ったことをなるべく他人に迷惑をかけることなく書き続けるしかないと思い至り、いまを迎えている。

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ブログ職人?ゴーストライター?深夜の世迷い事

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

次のネタを執筆中ですが、もう暫く時間がかかりそうなので、最近だんだんと疑問に感じ始めたことを箸休めにメールします。

気付けば、貴君へのお見舞い代わりに書き始めたメールも早1カ月を超えました。

最初は貴君の気休めになれば、と書いていた筈なのに、先程、貴君のブログを見て数えたら、何と7つも連続して掲載されているではないですか。

少し前に、貴君のブログを代筆しているのではないかという錯覚に陥りそう、と書きましたが、他人のブログを代筆する(と勝手に言ってすみません)というこの行為は一体何なんだろう?という疑問がだんだん湧いて来ました。

私の考えるところでは、ブログというのは自分の身近で起こったことや、思うところを、不特定多数に発信すると言いながらも、友人知人などある程度知っている人が読むことを前提に書くものだと思います。

それからすると、貴君のブログに載せることを前提とし始めたこの文章は一体何なんだろうか、と思うわけです。

貴君のブログの読者の方達を私はほとんど知らないですし、読者の方達も、私のことはたまに貴君のブログに登場するコバヤシという存在でしか知らないと思われます。もしかしたら、これだけ私の文章が貴君のブログで続くと、コバヤシとは貴君の創作した人物ではないかという疑念が湧いて来ても不思議では有りません。

大体、何かしら自分のことを語りたいなら自分のブログを始めれば良いのであって、親しいとは言え他人のブログの為に文章を書くという行為は不可解と言う他有りません。

そこで私の頭をよぎったのは、良く深夜ラジオのパーソナリティに読み上げて貰うことを目的にハガキを書き続けるハガキ職人と呼ばれる人達ですが、私のこの行為は貴君のブログに載せて貰うことを目的に投稿し続けるブログ職人とでも言うのでしょうか?

でも、ちょっとしっくりこないような気もするのですが、もしかしたら良く芸能人が自分で文章を書けないので代筆して貰うゴーストライターのようなものでしょうか?これもしっくり来ませんね。

ということで、深夜の世迷い事、失礼しました。

では、ご自愛専一のほどを。

〔付記〕コバヤシには大きなご負担をおかけしたようだ。でも私には書けない世界なので、毎回新鮮な気持ちで読ませてもらっている。私を励ますためだけにくれたメールをこのようにブログの代筆のごとくに掲載してしまうのは私の不徳のいたすところだ。本来ならば死んでお詫びをしたいところだが、また書く気が起きれば復活するので、それまでは堪えていただきたい。貴兄の話を楽しみにしている人が居ることことだけは申し添えたいと思います。

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サラリーマンとして思うこと

鬼瓦殿

こんばんは。幾らかは良くなったでしょうか?

次のネタに行く前に、ちょっと小休止ということで、昨日、久しぶりに腐れ縁の上司登場2人で呑みに行って思ったことを少し書かせて頂きます。

少し前のメールで「サラリーマンは腐れ縁」というネタを書きましたが、昨日も改めてそれを実感した次第です。

あのネタの中で子会社に出向する前の元上司が、2人もまた上司として私の上にいると書きましたが、昨日はその上司の1人、一番長く付き合っている上司というのかほぼ友達に近い副社長のMさんと呑みに行きました。

昨日は飛び石連休の中日だし、さっさと帰ろうと夕方5時半ピッタリにパソコンを落としたら、副社長のMさんが私の横に寄ってきて「コバヤシ、暇?」と聞きます。私が「もう帰りますよ。」と言うと、また「暇なんだろ?」と食い下がります。

まあ実は、昨日は年休だった筈のMさんが昼過ぎに会社に来たので、「もしかして家に居づらくなって会社来ちゃったんすか?」と言うと「そうそう、家にずっと居ると煮詰まっちゃってね〜。」と素直に認めるので、これは絶対帰り際に誘いに来るなあ、とは思っていたのですが。

一応お約束で再度「帰るつもりなんですけど。」と答えると、Mさんは「今日は金持ってるから大丈夫だよ。」と他の社員がいる前で恥も外聞も無く食い下がります。

ちょっと補足すると、Mさんは、17、8年前、私が千葉の工場に勤めていた頃の上司でもあったのですが、その時はあまりの忙しさに半ばグレていて、夜8時を過ぎると、私が忙しそうに働いているのを無視して「コバヤシ、呑みに行こうよ!もうやってらんないよ!」と度々誘いに来ます。私が「忙しいからダメです。」と答えると、「良いじゃん!そんなの明日やれば良いじゃん!」とめげずに誘うので、仕方が無いなあ、と呑みに行くと「悪いけどさあ。今日、金持って無いから貸して。」と全く悪びれることなくお金の無心をします。結局、何度か呑みに行って、その度に金貸してと言うので、一時期は三万円以上お金を貸していました。もうちょっと補足すると、お世話になった職場のベテラン女性を慰労するために開いた呑み会も、私にお金を借りて開催する始末。(なんか、このネタ前にも書いたような気もしますね~。失礼。)

まあ、最後はちゃんと(本人曰く「五百円も利子をつけて!」)返して貰ったのですが。この借金については、我々の中ではお互いの持ちネタになっているので、前述の「金持ってるよ。」の発言に繋がる訳です。

少々余談が長くなりましたが、二人で呑みに行って話すのは、「お互い、変な人同士よく働いて来たなあ」ということです。

前にも話したと思いますが、私の大学時代の仲の良い友達は誰一人サラリーマンをしていません。数年前に結婚して奥さんの扶養家族になり今は専業主夫をやってる奴や、デパート勤めを直ぐに辞めてプータローも早30年以上、私が貸したそれなりの額のお金を10年以上も返さない奴など、う~んという人達ばかりです。まあ大学の先生になった奴もいたりするのですが、そいつもサラリーマンを辞めて学者になったやはり変な奴です。

ご存知かどうか分かりませんが、私の出た大学は一応Captain of industryを標榜するサラリーマン業界で活躍する人達が多い学校な筈なのにこの体たらくです。

そんな中で、友達からもサークルの先輩からも「コバヤシは絶対にサラリーマンは務まらない。」と言われていたのに気づけば30年以上もサラリーマンを続けています。

Mさんは、「コバヤシは変な奴だし、働きたくないと言うくせに良く働くよなあ。しかも30年以上も。おかげで俺も助かったよ。感謝してるよ。」と酔っぱらいながら語ります。そう言うMさん自体がかなりの変人なのですが、Mさんはそれを自覚しながら、サラリーマンとして評価されるには如何に立ち回るべきかを考えながら長年やってきた結果(それを批判する人もいるのでしょうが)、一応、親会社では役員になり、今の会社でも副社長になった人です。周りの人達は、そうした努力には殆ど気付かず、ただの変人と思ってる人が多いので、私が「Mさんも社会人不適格者のくせに良くそこまで意識しながら頑張って来られましたよね~。」と言うと、「そうなんだよ!誰もそれを分かってくれないんだよ。分かってくれるのはお前ぐらいだよ。」と言います。

まあ、サラリーマンだけでなく学者の世界も音楽の世界も、有無を言わせないほどの圧倒的な実力と才能が無い限りは、やはり立ち回りは重要な訳で、それをとやかく言う人はどれだけ自分が認めて貰うための努力をしたのだろうか?と私などは思ってしまいます。私自身はそんな努力や評価とは無縁なので、どうでも良いと言えばどうでも良いのですが。

でも、思い返すと私のサラリーマン人生、要所要所でMさんみたいな変な人や、同期でも、泥酔して野宿ばかりする頭のおかしい奴や、やはり泥酔して転んで血だらけになる奴やらダメ人間が現れ、その度にこんなふざけた人間でも何とかサラリーマンが勤まるもんだなあ、と思いながら今まで続いて来ました。

そうして、サラリーマン人生の最後にまたMさん、更にはもう一人の上司Aさん(インド人もビックリ!と前に書いたかなり変な人)という変な人達と再び一緒に働くことになったというのは何かの巡り合わせなのでしょうか。そうであれば、サラリーマン人生も満更でも無かったのかとも、今更ながらしみじみと思ったりもします。

話は変わりますが、Mさんは文学青年、かつ歌を詠むのが趣味な人なので、副社長室には公私混同も甚だしい蔵書がいくつか並んでいます。

「赤光」を始めとした斎藤茂吉全集や正岡子規の歌集が棚に並んでいたりします。(まあ、家に置くスペースが無いので会社に置いてる訳です。)ちなみに、Mさんは日経新聞の歌壇の常連だったりもします。

先日などは、仕事の報告しに行った筈なのに、そんな話は二の次で「こないださあ。埼玉の古本屋のネットで河出書房の須賀敦子全集が売ってたから買っちゃったんだよ。明日、会社に届くんだよ。羨ましいだろ!」などと言い出す始末。 私も須賀敦子は大好きなので  、つい、「え~!いいなあ!俺も欲しいな~。」などと答えてしまいました。翌日は、届いた段ボール箱の本を、秘書の女性を含む3人で「お~!」とか何とか言いながら開けて楽しんでしまいました。(ちなみに秘書の女性はこれらの本に全く興味はありません。)

まあ、そんな訳で、類は友を呼ぶ、と言うのかどうかは判りませんが、変な人たちに囲まれながらあと数年はサラリーマンを続けてみようかと思う今日この頃です。

それでは、また!少しでも早い回復を祈念しております。

コバヤシより

〔付記〕高校時代、コバヤシと二人で山口瞳さんの家を探しに行ったことがある。コバヤシはさながら現代の山口瞳さんを彷彿とさせる。

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