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2025年6月

バーを繋ぐ話

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。

暑い中、ままならない時間をお過ごしのことと、お見舞い申し上げます。
私の方は、先週、大阪から北海道と出張で渡り歩き、日曜は東京でビッグバンドの練習に参加したら、週明けからもうヘロヘロで何とか週末まで辿り着きました。

ただ、出張に行ったことで少しネタが出来たので、メールさせていただきます。
でも、書いていたらかなり長くなってしまったので、つまらなかったら捨て置いてください。

先週は、大阪から帰って来た翌日の木曜から、北海道に出張ということで、初日は苫小牧、翌日は札幌と移動し、無事、仕事とその後の懇親会も終わり、時計を見るとまだ9時と少し時間が有ります。
そこで、行こうかどうしようか迷っていた札幌の薄野にあるバーBを訪ねることにしました。
バーBは、以前のメールに何度か登場した浅草のバーDのNさんが札幌に行くならと紹介してくれて、7、8年に一度訪ねたバーです。バーBのマスターHさんとNさんは大の仲良しで、2人は札幌と浅草とお互い大分離れた場所に住んでいるにも関わらず、折を見て会っているようです。

大通り公園を横目に、薄野のビルのニッカの看板の前を通り過ぎてバーBのあるビルに着きました。
エレベーターに乗って上まであがると、沢山のボトルが店のガラス越しに飾られた見覚えのあるお店が有りました。
店の扉を開けると、マスターのHさんが「ウチはオールドボトルが専門のバーですが大丈夫ですか?」と尋ねます。私は二度目の訪問だったので、「大丈夫です。」と言いながら店の中に入ると、「ウイスキーとブランデーのどちらが好みですか?」と聞かれます。「ブランデーです。」と答えると、店の奥のブランデーの瓶が並ぶ棚の前のカウンターに案内されました。

暫くして「ご注文はどういたしますか?」と聞かれたので、「では、アルマニャックを2杯ほどお願いします。」と頼みました。マスターのHさんが「お客さまは当店は初めてですか?」と尋ねるので、「大分前に浅草のバーDのNさんの紹介で一度来たことが有ります。」と答えると、Hさんは「そう言えば、お会いしましたね。すっかり忘れていて、失礼しました。」と話します。続けて「Nさんのお店、ついこの間、再開したばかりですが、行かれましたか?」と聞くので、先日のメールでも書いたレセプションパーティーの話を、カクカクシカジカと説明すると、マスターのHさんは、「僕も再開する少し前に浅草と札幌で二度程会ったんですよ。」と言います。すると、常連と思しきご夫妻の奥さまの方が「そう言えば、Hさん、そのときの写真をSNSにアップしてましたよね。」と話すので、それを受けてHさんは「そうなんですよ。僕はNさんが大好きなんです。だってNさんは本当に素晴らしい人なんです!そうですよね。」と私の方を見て言うので、私が「確かにNさんは、本当に真面目というのか、誠実な人ですよね。」と答えると、Hさんは「僕とNさんはお酒で繋がっているのでは無く、心で繋がっているんです。僕とNさんが会うと、仕事の話なんか一切せずにどうでも良い話をずっとしています。と言っても、九割方、僕が喋ってるんですけどね。それをNさんは、いつも黙ってニコニコしながら聞いてくれるんです。本当に素晴らしい人です。」とNさん愛を全開に、カウンターにいる我々に熱く語ります。

先程のご夫妻もその話につられて「一度、Nさんのお店にも行ってみたいですね!今度、東京に行く時に紹介してくださいよ。」とHさんに言うので、Hさんはちょっと考えてから「浅草のNさんのお店に行くなら私も一緒に伺った方が良いかもしれませんね。お客さんはどう思います。」と、また私の方を向いて尋ねます。私は「そうですね。Nさんは何せ本当に真面目な方なので、我々の話だけ聞いてお店に行かれると、ちょっと戸惑うかもしれませんね。やはり、Hさんと行く方が良いかもしれませんね。」と答え、続けて「初めて行くと色々な説明を受けるんですけど、例えば、コニャックはグラスに注いだ後、五分ぐらいは飲まずに香りを楽しんでください、とか、水は飲んだらエグ味が出るのでダメですとか、結構、細かい説明なので、初めてだと大分戸惑うでしょうね。」と答えました。
Hさんは、やはりそうだなあという顔をして「大分前に私の知り合いのバーテンダーの若い子が、Nさんのお店に初めて行った時に、お客さん少し香水の香りが強いので手を洗って来てくれませんか?と言われて、結局、2度も手を洗いに行かされたそうなんですよ。確かにその子が手首につけた香水の香りがちょっと強かったみたいなんですけど。でも、その子は素直な良い子だったんで、ちゃんとNさんのことを理解してくれたんで、良かったんですが。まあ、今では彼も大分Nさんと仲良くなったみたいです。」と話を続けます。

Nさんは本当に真面目で誠実な方なので、自分が出すお酒をきちんと楽しんで欲しいという思いが強く、特に初めての人にとっては結構ハードルが高いところがあります。私もかなりNさんのお店には通っていたので、ネットなんかの評判だけを見て、誤って迷い込んで来た若いカップルが、Nさんのコニャックを美味しく飲む為には云々の口上を長々と聞かされて居た堪れない様子でいるのを何度も目撃しています。

そんなこんなで気付けば11時も回ったので、「では、明日は東京に帰って浅草のNさんのお店に行くつもりなので、HさんのNさん愛を伝えておきますね!」と言って、店を出ました。

翌日夕方に東京に帰り、早速、浅草に向かいました。
先日のレセプションパーティーには行ったものの、Nさんのお店にきちんと伺うのは実に一年半振りです。少しドキドキしながら、お店のドアを叩くとNさんが満面の笑みで私を迎えてくれました。自分て言うのも何ですが、Hさんは私のことが大好きです。
お店には私の他に客は誰もいませんでしたが、カウンターの向こうにはNさんの他に若い女性がいます。席に座ると、Nさんは「カウンターの中がちょっといつもと違うと思ったでしょう。開店したばかりで、特に週末は忙しいのでヘルプの方に入って貰ってるんですよ。」と説明してくれます。Nさんは女性に説明するように「コバヤシさんはマイナスイオンが出ているというのか、お店に居てくれると本当に癒されるんですよ。この前、Nの奥さんも、同じことを言ってました。」と話すと、付け足すように「Nというのは、元々、トンカツ屋さんだったんだけど、息子さんがお寿司の修行をしたんで、だったらトンカツもお寿司も出しちゃえと、トンカツとお寿司ので店Nになっちゃたんですよ。お刺身や海老真薯みたいな美味しい和食も食べられる上に、カニクリームコロッケなんかの洋食も美味しくて。でも僕は分厚い肉を焼いた生姜焼きが一番好きなんですけどね。」と説明します。

私も、そうそう、と言いながら「マイナスイオンと言えば、17、8年前に千葉の工場で働いていた時、当時の上司に業務報告をしていたら、上司が居眠りを始めたちゃったんですよ。まあその上司は当時、かなりの激務をこなしてたんで大分疲れてたみたいなんですけど。仕方がないから起きてくださいと肩を揺すったら、目を覚ましたその上司が、コバヤシ、お前、クマのプーさんだろう!アルファ波出してるだろ!と逆ギレし始めちゃって、なんてことがありましたよ。」と、ちょっと調子に乗って話を繋ぎます。(ちなみにその逆ギレした上司は、私と腐れ縁のウチの会社の副社長Mさんです。)
学生時代の私を知っている貴君からすれば、いつも暴言を吐いていた私が、まさか癒し系と評価されているなどとは思いもよらないとは思いますが、私自身もオカシイとは思いつつも、周りの評価はそうなっているようです。これも年月が成せる業でしょうか。

そんな話をしながら、Nさんにお酒を注文すると「じゃあ今日はコバヤシ、スペシャルバージョンでとっておきのコニャックを出しますね。せっかくだから、この前ヨーロッパに行った時に買って来たロブマイヤーのグラスでお出ししましょう。」と言って、グラスにお酒を注いでくれました。
私は、そのお酒を飲みながら、前日に札幌のバーBに行ったこと、そしてマスターのHさんがNさん愛を熱く語っていたことを話しました。それを聞いたNさんは「そうなんですよ。Hさんと会うと、いつもHさんがずっと喋ってるんですけど、楽しそうに喋っているんで、せっかくだから気持ち良く喋って貰おうと、黙って聞くことにしてるんです。」と優しく話してくれます。

久しぶりにNさんと会ったこともあり話は尽きなかったのですが、そうこうするうちに、私は一杯目のコニャックを飲み終わりました。
するとNさんは私のグラスを見て「さすがコバヤシさん、やっぱりグラスが真っ白ですね。」と言いながら、ヘルプの女性に「コニャックは時間をかけてゆっくりかけて飲むと、お酒の全ての要素が引き出されて、こんな風にグラスが真っ白になるんです。これを僕はパーフェクトグラスと呼んでいます。」と説明します。女性はふ〜んという顔付きで聞いているので、私も口を挟んで「ちなみにパーフェクトグラスなんて言葉を使うのはNさんぐらいです。しかも、Nさんは、この白くなった私のグラスを写真に撮って、店のお客さんへの説明に使ってるんですよ。たまに、私のすぐ横で写真を見せていたりするんで、ちょっと恥ずかしかったりするんですけどね。まあ、私も公認してるんでいいんですけど。」と補足します。更にNさんが続けて「せっかくのコニャックを直ぐに飲んでしまう人がいるんで、そういう人達への説明にコバヤシさんのパーフェクトグラスの写真を見せて説明するんです。あっ、せっかくだからニューバージョンのパーフェクトグラスとしてこのグラスの写真を撮って、また使わせて貰ってもいいですか?」と言うので、私は「ただの飲み終わった後のグラスですから、私のものでも何でも無いし、どうぞご自由にお使いください。」と言うと、Nさんはグラスを持ってカウンターの端っこに行って、嬉しそうに色々な角度で写真を撮っていました。

そうこうする内に、お店はお客さんで一杯になって来ました。
Nさんも私ばかりに構ってはいられないので、その後は独り静かに美味しいコニャックを堪能させてもらいました。
最後の一杯を飲み終わる頃には時計は11時を回り、かれこれ3時間以上は店に居座ってしまったのでお会計をして、満ち足りた気分で店を出ました。

こうして、私は、バーテンダーの皆さんのおかげで、そこそこ楽しく過ごさせてもらっています。


今回も書き始めたらかなり長くなってしまいましたが、お楽しみいただけたでしょうか?

また暫く間が空くかもしれませんが、ネタが出て来たらメールします。


では、またそのうち!

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発音なんて気にならない

ネイティブ並の英語力を持つ宮澤喜一元総理は、通訳を挟まずに英語による議論ができたと言われているが、クリントン大統領と首脳会談のときには、必ず通訳を挟んで会談にのぞんだという。英語が達者な宮澤元総理でさえ、大事なときは英語を使わず日本語を使ったのである。

英語を使える実力を持っているのに、なぜ通訳を必要としたのか?それは自分が言いたいことがどうがんばっても正確に伝えられないと思ったからである。

韓国の友人に、日常の会話は日本語で十分な実力を持っているのに、学会発表になると日本語を使わず、母語の韓国語で話す人がいた。通訳を使わずに日本語で発表できる実力を持っているにかかわらず、である。

僕は韓国留学中、通訳を使わずに、下手な韓国語で発表したことがあるが、自分の言いたいことが正確に伝えられずに学会発表は日本語でおこなうことにすることにした。やはり母語でないと正確に伝わらないこともある。通訳を挟むことは何の恥でもない。通訳を使わずに韓国語で発表できるというのは単なる自己満足に過ぎないのである。

よしんば外国語で話さなければならないとしても、発音は気にしなくてもよい。文法さえ正しければ中身がともなっている内容ならば相手は必ず理解してくれる。なぜならこの人の話を聞きたいと思うならば、たとえ日本語訛りの外国語も理解してくれるからである。逆に一見流暢な発音に聞こえる言葉でもまったく理解できない場合がある。外国語の発音もまた、自己満足に過ぎないのである。

そんなことをつらつら思い出したのは、外国人記者クラブ(海外特派員協会)の記者会見で、通訳を使わずに得意満面に英語で話している政治家を目にしたからである。優秀な通訳が横にいるのに、なぜ通訳を挟まずに英語で話すのだろう?単に「俺は通訳なしで英語で話せるのだぜ」と自慢しているにすぎないからとしか思えない。その結果、ある舌禍事件が起こるのだが、長くなるのでまたにする。

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心配なんていらない

ある著名な文筆家のYouTube番組でこんなことを言っていたのが印象的だった。

「本人がいちばん辛い時に、大丈夫?とか体調はいかがですか?がんばってください。という言葉は、時に暴力的に思えることがある」

ただし高校時代の恩師からそう言われるのは例外である。僕が尊敬している人から言葉をいただけるのは素直に嬉しい。

YouTubeでは次の言葉も印象的だった。

「大人が大人に対してできることは3つしかない。ひとつは人を紹介すること、ひとつはお金を貸してやること、最後のひとつは一緒に酒を飲んでやること、この三つしかない。いい年齢をして大丈夫?とか体調はどうですか?だけなのは、その人のよりも自分のためにしか慰めていないことを意味する。小、中学生の学芸会じゃないんだから」

つまり同世代の大人がそればかり問うのは、自己満足に過ぎないというのである。

要は、うわべだけの心配などはいらない、ということである。

なるほどそういうことか、と僕自身の場合を考えてみる。

僕の体調不良を知っている友人から、何も言わずにその土地のお土産を贈ってくれることがある。この「何も言葉がない」というのが泣きたくなるほど嬉しい。粋な大人たちだ。

僕の体調を気にしつつも、僕だけのためにラジオ番組のパーソナリティーよろしく、音声コンテンツを制作してプレゼントとする人。これにも涙が出た。

お笑い芸人のエッセイをスクショして定期的に贈ってくれる人。

もしくは体調の心配をほどほどにして、それとは関係のない僕だけのためにエピソードを贈り続けてくれる高校時代の友人·コバヤシ。

体調不良の僕をコンテンツのひとつとして消費するのではなく、真に心配してくれ、僕のために「手を動かしてくれる人」がいるということ。

僕はその度に泣きそうになる。

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高校時代の恩師との対話

午前中に携帯電話が鳴った。

携帯電話の画面を見ると、見知らぬ番号が表示されている。

最近は詐欺電話が多いことから、見知らぬ番号の電話は出ないことにしている。だが電話番号の表示を見ると詐欺電話とは思えず、一度見送り、それでもどうしても気になったため、こちらからかけ直すことにした。

すると一言めに男性の声がしたが、心当たりはない。

「もしもし、失礼ですがどちら様ですか?」

二言目にしてようやく電話の主に気づいた。

「先生!」

高校時代の恩師の声だった。僕は携帯電話にアドレス登録していなかったため、携帯電話の画面表示が単なる電話番号表示になっていたのだ。

「やっと気づいたか。君の身体が心配になってね。その後体調はどうですか?」

恩師と携帯電話で話をすることは初めてだった。しかし不思議である。僕は今の病気のことを恩師に何も知らせていない。そればかりか、同じクラスだった同級生にも知らせていない。そもそも迷惑をかけてしまう仕事の関係者と、ごく限られた友人にしか知らせていないのである。

恩師は、最近僕が「究極のミニコミ誌」に書いた文章を読み、その編集代表者に僕の話を聞いたようである。

「本当は電話していいものかどうか、迷ってねえ。今になってしまった」

「いえいえ、わざわざお電話くださりありがとうございます」僕は今の病状について話した。

「そんなに悪いのか…なんにもお手伝いできないけれど、娘さんもまだ小さいし、がんばって早く治ってほしいと祈るばかりです」

「ありがとうございます」

僕は感激した。高校時代の3年間の恩師からお見舞いの電話をいただいたことに、である。

恩師は死んだ父と同い年、傘寿を過ぎた年齢である。僕は父に向かって話をしている錯覚にとらわれた。

ほかにもありがたい伝え方でお見舞いの気持ちをいただいた人たちが何人かいて、その度に僕は涙を流している。この歳になるとどうも涙もろくなってしまっていけない。

そのこともおいおい書いていきたいが、文章を書くことが次第に億劫になり、長くなるのでまたにする。

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大阪の料理屋

鬼瓦殿
こんにちは。コバヤシです。
その後、調子はいかがですか?
私の方は、今週は大阪、北海道と出張が続き、少し疲れ気味です。
出張に行くと、やはり色々とネタは出て来るもので、今回は大阪出張の話を少々。
今回もつまらなかったらごめんなさい。
今週の火曜、水曜で久しぶりに大阪に出張で行くことになりました。火曜の夕方から大阪に入り、堺まで移動、昔の同僚達との懇親会、水曜の朝から元の職場で会議を行い、午後も少し残ってネットで全国会議に参加、その後も元同僚から仕事の相談を受け、漸くひと段落着き、仕事場を後にして大阪市内に向かいました。
今回の大阪出張は当然、上述の仕事で来たのですが、私の中では実はそんなことよりも、前にも紹介した心斎橋にある老舗割烹料理のお店Uに行くことが最大の目的でした。
以前のメールにも書いた通り、Uは大阪の料理の真髄を伝える最後の料理屋とも言うべきお店です。
久しぶりだったので少しドキドキしながら暖簾をくぐると、今まで何度となく見て来た広い厨房とそれを取り囲むように配置されたカウンターが目に入ります。お店に入ると、女将さんが「お久しぶりです〜。お元気でした。」と暖かく迎えて来れます。追い回しのシンペイさんも元気そうに働いています。
最初、おやっさんが厨房にいなかったので、大丈夫かなあと思っていたら、どうやら少し休憩をとっていたようで、店の奥の座敷から「いらっしゃい!」と出てきました。
私が「おやっさん、お元気にしてましたか?」と言うと、「もうアチコチ悪くて死にそうですわ!」といつもの軽口で迎えてくれます。続けて「コバヤシさん、両脇の白髪増えました?」と言うと、女将さんがお約束のように「弟さんはお元気ですか?」と聞くので、「私が弟です。あっちが兄ですよ!」と言うと、おやっさんが、「コバヤシさん、幾つになったん?兄さんと幾つ違うの?」と聞くので、「お二人よりは大分若いですが、もう57歳です。兄は二つ上です!」と答えると、「二つ違いやったら一緒やわ。なあ姉さん。」と女将さんの方を向いて言います。女将さんは「そやなあ。」と相槌をうちます。
そんなやり取りをしているだけで、私は、やっぱりUは良い店だなあと思ってしまいます。
それから、ビールを頼み、女将さんがお酌をしてくれて料理が始まります。
先付けのズイキにたっぷりのイクラをかけたものから始まり、前菜と続き、女将さんが「今が旬の青梅を美味しゅう炊いてます」などと説明してくれます。その後は、お造り、とお酒が進むお料理が続きます。
途中、日本酒を頼むと、女将さんがち「ウチとこのシンペイが新潟出身なのはご存知と思いますが、お母さんが地酒を送って来てくれたんですよ。お飲みになってみます?」と勧めてくれるので、それを頼みます。
そして、今回のメイン、このお店の夏のスペシャリテでもある鱧鍋の登場です。
女将さんが「梅雨時の今が鱧が一番美味しい時期ですね。」と言いながら鍋の準備をしてくれます。
鱧は子を持つ前の今の時期が最も美味しいとされ、実は秋になるとまた脂が乗って来て美味しいとも言われますが、昔ながらの料理人は脂月乗りすぎてダメと言います。
鱧鍋について少し説明すると、たっぷりと鍋に張ったお出汁で、甘い新タマネギの薄切りと骨切りした鱧を軽く湯がいて食べるだけなのですが、シンプルながら出汁も含めた素材が素晴らしいので、本当に美味しいお料理です。
途中、揚げた鱧と賀茂茄子が出て来て、おやっさんが「たっぷりと鍋の出汁をかけて食べてください。出汁に揚げ物の油が溶け込んでコクが出て美味しいですから。」と勧められます。元々美味しい出汁に鱧とタマネギの出汁が加わっているので、これが絶品!締めには、この鍋の残りの出汁でかき玉うどんを作ってくれるのですが、おやっさんも「これを食わんと、ウチの鱧鍋を食うたとは言えん!」と豪語するほど美味しいです。
締めに続くデザートになると、おやっさんが「おい、シンペイ!味見するから例のサクランボをちょっと寄越せ。」と言います。食べ終わると「ヨシ!コレ、本当に美味いわ。コバヤシさんにも出して。」と言うと、女将さんが「おやっさん、私達にはくれへんのですわ。酷いでしょ!」と私に語りかけるので、おやっさんは「ワシは、ちゃんとしたものか都度、確かめとるんや。酷いちゃちゃうがな!」と返します。すかさず女将さんは「おやっさん、毎日食べてるさかい確認せんともいい筈やわ。ウチのおやっさん、味が分からんねん。」と笑いながら言います。さすがお姉さん!と私は独り2人の会話を楽しんでいます。
その後、ひとしきり話が盛り上がった後、私が「そう言えば、昨晩、西天満のKさんのところに行ったんですけどお休みで、実は去年こちらに伺った後に伺った時もお休みだったんですけど、Kさんはお元気なんですか?」と聞くと、女将さんが「ほな、ワタシ、Kさんにコバヤシさんがウチに来てるって電話してみまひょか?」と携帯を取り出します。(Kさんは、このお店Uを紹介してくれた西天満のバーのマスターです。)
すると、おやっさんが「確かKさん、この冬にお母さまが亡くなって、最近もちょくちょく実家の広島に帰ってる言うてましたわ。多分、今日も実家に帰ってるんやないですかね。」と言うので「ほな、今日は帰って来てるかも分からんさかい、Kさんに電話してみまひょ。」と女将さんは再び携帯を取り出すので、おやっさんは「姉さん、Kさんの携帯に直接電話したらアカンで!まだ休んでるかも分からんし。電話するならお店にしとき。」とせっかちな女将さんを諌めます。私も、電話なんていいですから、と言ったのですが、そんなことには一切お構い無しに、女将さんはKさんのお店に電話し始めます。結局繋がらなかったので、「ほな、今度Kさんが来たら、コバヤシさんがちウチの店にに来はった時に、Kさんの店に2度も行ったのに休んでやがって、とエライ怒うてましたわ、と言うときますわ。」と飄々と言い出します。私は焦って「ちょっと待ってください、女将さん!私は全然怒ってませんよ!ただKさんに会えなくて残念だったと言ってるだけです!」と言うと、女将さんは悪びれもせずに「こう言う話は大袈裟にしないとオモロないやないですか。」と言うので、私は動揺しながら「女将さん、止めてください、本当に!」と言うのですが、「ええんです。せっかくやから大袈裟にしてオモロせんと。なあ、おやっさん?」と全く聞き入れるる様子も無く、今度はおやっさんに向かって話しかけます。さっきまで責められでいた筈のおやっさんは、何事も無かったように「そやな。姉さんの言うとおりやなあ。話はオモロせんとな。」と姉弟が突然結託して話を盛り始めます。
困った私は追い回しのシンペイさんに、縋る思いで「シンペイさん!この2人、どう思います?酷くないですか?何とか言ってくださいよ!」と言うと、シンペイさんは両手を前に出して「そんなこと、僕がち言えるわけないじゃないですか!」と困った様子でこちらを見ます。
最後は、私も、ここは大阪なんだよなあ、オモロければそれでヨシ、というのは仕方がないな、と観念せざるを得ませんでした。
こんな感じで、その晩も美味しい料理に姉弟漫才を満喫したのでした。
女将さんは今年82歳、おやっさんは76歳、本当にお二人にはいつまでも元気で居て欲しいものです。
ひとしきりお店を満喫した後、お会計をして店を出ると、女将さんは私と一緒に2階にある店から急な階段を降りて下まで見送ってくれます。
女将さんは「今日はわざわざ東京から来て頂いて、ホンマにありがとうございました。また、是非来てくださいね!」と言ってくれるので、私も「また来ますんで、お二人とも元気にしていてください!」と返します。
そう返しながら、このUの暖かいもてなしに、何だかジーンと来てしまいました。
本当に、こういう昔ながらのお店はいつまでも続いて欲しいものです。
ということで、少しでもUの雰囲気を伝えることが出来たら良いのですが。

それでは、また。

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お国は変われど。。。

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

なかなか思うようにはならないようですね。リハビリの方も焦らずマイペースで。メール、楽しんで頂けたようで良かったです。最近のネタは大分個人的な話になってきているので。

さて、一度書き始めると止まらなくなるものなのか、はたまた、書きたいことが出てくる時は重なるものなのか、もしかすると、貴君の為に何か書かせようとする神様の思召しか、昨晩もちょっと面白いことが有ったのでメールします。

昨日の夜は、大阪に行く前から、ほぼ毎月通っている下町にあるお鮨屋さんに行って来ました。

昔の浅草区にある、叩き上げの職人ヒデさんが奥さんと2人で営む町場のお鮨屋さんです。

店に入ると、カウンターの真ん中に初老の渋い男性、そして、奥には眼鏡をかけた若い女性の2人が先客で居て、お刺身やお鮨をつまみながら一献傾けています。初老の男性は、先週末にあった鳥越神社のお祭りの話をヒデさんとしています。ヒデさんは鳥越神社ので氏子なので、毎年、お祭りに参加しているのです。

私が席に着くと、いつものように、奥様がお絞りを持って、お酒の注文を聞きに来ます。その後、ヒデさんは黙って、お通し(この日は鱧のポン酢和え)を出し、つまみのお刺身を切り始めます。お刺身を5、6種類切って貰って、それをつまみに少し飲んでからお鮨を摘むのが、私のいつものパターンです。

暫くお刺身を摘んでいると、ヒデさんが私に、「コバヤシさん、先週、店に電話した?」と尋ねます。私は「先週末は、鳥越神社のお祭りで、お店はお休みだろうと思ったので電話はしてませんよ。」と答えると、「実はさあ、2週間ほど入院していて、今週、漸く退院して、この水曜からお店を再開したばかりなんだよ。」と言います。私は「もう働いても大丈夫なんですか?」と聞くと、「まあ病気には暫く付き合わないとダメだけど、大丈夫だよ。でも、産まれて初めてお祭りは休んじゃったけどね。」とのこと。

するとカウンターの奥に座っていた若い女性が「中国じゃ2週間も入院なんて有り得ない。長過ぎて無理!」と少し変わったアクセントで言葉を挟みます。ヒデさんも「俺だって2週間も入院してたら飽きちゃうよ。まあ病気だったから、仕方ねえやな。」と返します。どうやら若い女性は中国の方のようです。

暫く入院について初老の男性も交えてああでもないこうでもないと話した後、若い女性は我々の食べているものをちらちらみながら、「ごめんなさい。やっぱり、お鮨で酒を飲むのは無理みたい。何かさっぱりしたおつまみはありますか?」とヒデさんに聞くので、「あいよ。」と言って、ヒデさんは私にも出した鱧を出します。それから、その女性は「ハイボールもありますか?」と注文して、「ワタシ、日本のウイスキー好きなんですけど山崎や響なんか高くて飲めません。」と我々に話すので、ヒデさんは「ウチのはサントリーの角かな。」と答えます。私も「日本のウイスキーは高いけど、日本酒は安くて美味しいのが沢山あるから、そっちを飲むといいんじゃないの?」と言うと、「日本酒は美味しいけど、1合以上飲むと甘すぎてダメなんです。」と返答してくれます。

それから、その子は日本に来てから友達やなんかと色々なものを食べに行った話なんかをしてくれたのですが、最初は私も中国の方に偏見があったのか、ちょっと面倒臭くて嫌だなあという印象だったのが、話が進むにつれ、良くしゃべるものの感じの良い娘だなあという印象に変わって来ました。

色々話をしているうちに、その女の子は上海の奥の蘇州の更に奥の常州出身で、R大学の茨木キャンパスに通う学生さんということが分かりました。

それを聞いた初老の男性は、自分も昔、勤めていた会社が蘇州に工場を建てたので、そこで働いていたことがある、と話して会話が弾みます。

暫くして、彼女は「ワタシ、大阪の大学に通っているんですけど、大阪の人が凄い苦手なんです。」と言うので、どうして?と尋ねると、「だって大阪の人ってウルサイし、何でもあけすけに物を言うから嫌なんです。」とのこと。「私も3年程大阪に居たから何かそれは分かるね。特に女性はキツイよね。でも、京都の人みたいに表面面が良くても、裏で何を考えてるか分からないのよりはいいんじゃない。」と私が言うと、その子は「表面的かもしれないけど、京都の人は優しく接してくれから、ワタシはそっちの方が好き。」と答えます。

更に続けて「中国人も北と南ではだいぶ性格が違っていて、私の故郷の常州は中国でも南の方なんですけど、 どこそこの国が!なんて国同士の揉め事には全く興味が無くて、 みんなノンビリ生活しています。」と言うので、私と初老の男性は「へ~。そんなものかね~。日本も九州とか沖縄の人は人が良いというのかノンビリしているというのか親しみやすいけど、中国も同じなのかなあ。」と答えると、その子は「大体、ワタシ、北京の人より東京の人の方が好きです。北京の人達はウルサイし冷たいですから。」と言います。私も「なるほど。福岡の人も、あんまり大阪が好きじゃなくて、東京の方が好きなんだよね。」と返します。

我々が暫くフムフムとその子の話を聞いていると、彼女は「そもそも、蘇州から北京まで飛行機で3時間半掛かるんで、東京に行くのと変わらないんです。」と話し、続けて「ワタシの故郷の人達はハッキリ物を言うのが苦手で、お店で食べたものが不味くても決してそう言わずに、今日はお腹が一杯なので、なんて言い訳をしたりするんです。」と語ります。思わず私は「え~!そうなの!中国の人って、その辺は露骨な言い方するんじゃないと思ってたんだけど。」と言ってしまったのですが、その子は「違います!北の人達はどうか判りませんが、ワタシたちは違います!」とキッパリ答えます。

我々、日本人男性たちは「なるほど、お国違えどどこも似たり寄ったりなもんなのかね~。」と感心しきり。

そうこう話しているうちに、私は、締めの薄焼き(芝エビがたっぷり入った薄く焼いた甘い卵焼き。これが絶品!)と穴子の握りを食べ終えたので、「じゃあ、帰りますね!今日は色々な話が聞けて楽しかったです!」と言って席を立つと、女の子が「今日は、ワタシ、独りでベラベラ喋ってご迷惑をかけてすみませんでした。」と言うので、「いえいえ。おかげで楽しかったよ!」と返して、梅雨の鬱陶しい雨の中、爽やかな気持ちで帰路についたのでした。
まあ、どうということも無い話ですが、ちょっと楽しい気持ちになれたので、貴君にも話してみたくなってメールしました。

それでは、また!

〔付記〕なんとこともない話でも楽しくなる、というのが今の私には最も必要なことかも知れない。それが人生の潤いになる。

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銀座のバー ~番外編~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

もう梅雨入りしてしまいましたね。

まだまだ本調子には程遠いこととお見舞い申し上げます。

先日(のメールに)リクエストのあった福岡の思い出に取り掛かりはしたものの、なかなか纏まりが付かず、場つなぎのネタをひとつ。

今回もごく私的な話なので、つまらなかったら、ごめんなさい。

昨日は金曜ということで、今週も一週間バタバタし通しだったので、とりあえずゆったり寛ぎたいなあと思い、以前にも書いた最近行きつけの銀座のTさんの店に行きました。

今日はアルマニャックにしようと、Tさんに勧められるがままサンペイというメーカーの50年ほど前のお酒を注文しました。

今日Tさんの店に伺ったのは、ゆっくりしたいのもあったのですが、実は先日の日曜に、私が大阪に行く前に通っていた浅草のNさんのお店が1年半の改装工事を終え漸くお店を再開することになり、そのレセプションパーティーにTさんも私も呼ばれていたことから、どうだった?と聞きたかったことも有ります。

私は日中、バンド練習があったので夜8時半ぐらいに伺ったこともありTさんには会えなかったのですが、Tさんに何時頃に行ったんですか?と尋ねると「いや〜、その日はダブルヘッダーで、先ずは昼過ぎに横浜のバーの周年記念のレセプションに行ったんですよ。会費制だったけど、招かれたお客達がみんな、お祝いに良いお酒を持って来てくれてたんで、最後は飲み放題で、私もあんまり強くはないんだけど、つい5、6杯、オールドボトルのウイスキーを飲んじゃいましたよ。しかも葉巻も吸ってたんですが、次の為に半分ほど残して、今度は浅草でブランデーをしこたま飲んでやるぞ!と浅草のNさんのお店に行ったんですが、確か3時半ぐらいだったんだと思うんですが、店の外までエライ賑わいで、どうしたものかと眺めていたら、ちょうどNさんがお客さんを見送る為に外に出て来たんで店に入れてもらったんです。スタンディングだし、店の中も混んでるんで、葉巻が吸えないなあと困っていたら、奥にもう一つ部屋があって灰皿もあったんで、Nさんに、いいっ?て聞いてその部屋でゆっくり葉巻を吸わせて貰いましたよ。最初にシャンパンが出て来たけど、その後、ブランデーを頼んだら一種類しか無いと言われて、それをちびちびやってました。まあ、タダだったから仕方ないけどね。」と嬉しそうに話してくれます。

その後は、いつもの四方山話で、Tさんが「そう言えば、ウチのお客さんで向島の料亭の方がいるんですが、その人曰く、銀座の店の女は短い時間で何とかしようとするんでダメだって言うんですよ。1年かそこらで男に金を出させて店を出したら終わり、続いてもせいぜい2年ぐらいだと。その点、向島の芸者は良いよって言うんですけど、その方が言うには、向島の女はお金を出して貰ったら、一生尽くしてくれるって。ただ、お金を出してくれるのは大体年寄りなんで、後何年かしたら死ぬから我慢しろなんて周りから言われているみたいなんですが。まあ年寄りからすれば、死ぬ時に自分よりかなり若い女性に看取って貰えるんで幸せなもんです、なんて言ってましたが。」そんな話を暫く聞いていたら、珍しく少し若い男性が「いいですか?」とお店に入って来ました。どこかで見た人だなあとよく見たら、なんと日本橋のバーにいたYさんではないですか。

Yさんについて少し説明すると、福岡出身の確か40歳ぐらいの方で、元々は銀座のバーで働いていたのですが、オーナーが店を閉めるに当たって日本橋のバーに転職しました。私は、職場が比較的近かったことも有り、銀座のお店には定期的に伺っていたので、もうI0年以上の付き合いです。

Yさん曰く、一緒に来た男性に「銀座で一番のお店を紹介して!」と言われて来たとのこと。と言いながら、実は先月末に日本橋のバーを退職して、自分の店を出すべく充電中の身で、銀座時代にお世話になったTさんへの報告も兼ねてお店に来たようです。

Yさんは「コバヤシさんもいるんじゃないかなあ、と思って来たんですよ。」などと言いながらTさんに近況を報告していました。その後、Tさんから「ご注文は何にしますか?」と言われると、少し遠慮がちに「実はコバヤシさんから、マーテルのジュビリーが有ると聞いていたんですが、それを飲ませて貰えますか?不勉強でコバヤシさんに教えて貰うまで、このお酒のことを知らなかったんですが。」と答えます。Tさんは「普通の人には最初からは出せないけど、Yさんはプロだし、お出ししましょう。」と少し勿体ぶりながらも快く受けてくれました。

ちょっとこのお酒について説明しておくと、ジュビリーはフランスの大手コニャックメーカーのマーテル社が1980年代の初めに発売した1905年に蒸留されたコニャックで、何かの記念で限定500本でイタリアで販売された貴重なお酒です。(私が博識などとは思わないでください。そんなことがボトルに書いてあっただけです。)

先月、私も飲ませて貰ったのが、あまりに素晴らしかったので、つい日本橋のYさんのお店に行った時に写真を見せながら自慢してしまいました。

それ以降、Yさんはこのお酒が気になって仕方がなかったようで、漸くこのお酒にありついたわけです。

Yさんは、グラスに注がれたお酒の香りを嗅ぐなり、私の方を見て「コバヤシさん、コレ、本当に凄いコニャックですね!」と少し興奮気味に話します。私も「そうでしょ!世界遺産級ですよね!」などと返します。更に調子に乗って「Yさん、知ってます。あそこに置いてある花柄の箱、ジャン・フィユーのロワ・デ・ロワですよ。」とTさんに自慢されたお酒の話を、あたかも自分の店のように話してしまう始末。

Tさんは、そんな我々を見ながら、ちょっと澄ました感じで、でも少し嬉しそうに「大したことは有りませんよ。」と言います。

こうして、Tさんの店では珍しく、和気あいあいとした雰囲気の中、銀座の夜は更けて行くのでした。

ということで、場つなぎと言ったものの、何のオチもヒネリも無い内容で申し訳ありません。

さすがに、この話はちょっと?という感じでしょうか。

では、今日はこの辺で失礼します。また、ネタがあったらメールします。

〔付記〕本文には写真も添付されていたが、ここでは省略する。僕といえばこの1週間はいろいろあって何もする気が起きなかったが、コバヤシの「バーシリーズ」読んで少し書く気も出てきた。書くかどうかは、わからない。

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大阪の思い出

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

思うに任せない日が続いていること、お見舞い申し上げます。

メールしようと思いつつ、忙しかったりと言うよりも、書きたいネタが無くご無沙汰してしまいました。すみません。

あまりにご無沙汰と言うのもなんなので、今回は書いてはみたもののお蔵入りにしようとしていた以前に予告していたネタの最後のをお送りします。

大分個人的なネタなので、つまらなかったらごめんなさい。

2021年に子会社に出向すると同時に大阪の堺に赴任することになったのはご存知の通りですが、右も左も分からない大阪に行くに当たって、当時懇意にしていた浅草のバーDのNさんに良いバーはないか?と尋ね、北新地に近い西天満にあるバーを二軒紹介してもらいました。バー業界は全国横の繋がりが有り、大抵のバーテンダーは何処そこに良いバーがないか?と尋ねるとそこに有るバーを紹介してくれます。Nさんも、自分が親しくしているNさんのお店と大阪でも珍しくブランデーに力を入れているKさんのお店を紹介してくれました。

ただ、私が引っ越すと同時に大阪でもコロナが大流行することとなり、実際に紹介して貰ったバーに行くのは夏まで待つことになります。

夏になり、少しコロナの流行が少し収まって来たところで、先ずはNさんのお店に伺うことが出来ました。ここで少しバーテンダーについて補足説明すると、最近のバーの方は食に対して並々ならぬこだわりを持っている方が多く、色々なお店を知っています。

早速Nさんにも、手頃な良い飲み屋がないか聞いてみると、難波周辺と北新地近くのお店を紹介してくれました。

翌週、早速、道頓堀に近い法善寺横丁のお店を訪ねてみました。最初に行ってみたのは、小説 夫婦善哉にも登場したという老舗のSを訪ねたのですが、なんとこのコロナ禍でお店は閉店となっていました。残念に思いながら、もう一軒近くにあるお店を紹介して貰っていたので、そこに行ってみました。そのお店Tは法善寺横丁の入り口に近い二階にある家族経営のお店です。お店に入ると地元の方々と思しき人達で賑わっています。私はカウンターに通されたのですが、席の前にはお品書きが置かれており、驚くことに、お刺身から始まり、魚の焼き物、煮物、揚げ物、お肉料理、珍味、天ぷら、小鍋、野菜料理と50は下らないお料理が並んでいます。

初めてだったので、確かお料理は、お造りの盛り合わせ、穴子の天ぷら、ハリハリ鍋、生ビールに日本酒2杯を頼んだように記憶しています。お料理はどれも美味しく、お造りは天然物、穴子も目の前で揚げてくれ、ハリハリ鍋はお出汁が効いていて水菜もシャキシャキとしてなかなか、お会計を頼むとなんと五千円を切っておりビックリ!その後、ほぼ毎月通いましたが、季節毎に旬の魚や野菜、関西ならではの蓮根饅頭、食事ものも夏は鮎の雑炊や鯵の棒鮨、秋から冬は鯖の棒鮨など、どれも美味しくリーズナブルに提供してくれ、大阪の食文化の懐の深さを実感させてくれました。

それから、バーをもう一軒、Kさんのお店。Kさんはお酒だけではなくお店の調度を含めた手仕事にもこだわりの強い方、数寄者というのがピッタリの方で、当然、お店で出すお酒は古いお酒を中心にカクテルも非常に凝ったものばかりです。何度か通ううちに、何か良いお店を教えてくれませんか?と紹介して貰ったのが、心斎橋にあるUでした。ちょっと高そうなお店だったので、ネットで少し調べてみると、中々に賛否両論のお店で、やれ店主が業界では強面だとか、タバコを吸うだのという良くない評価から、数少ない浪速の割烹料理を受け継ぐ貴重なお店と絶賛する評価まで極端に割れます。

暫く行くかどうか悩みましたが、Kさんから、是非行ってみてください、と言われたことを信じて、意を決してUの予約を取りました。

予約当日は、かなり緊張しながらお店に伺ったのですが、確かに店主のOさん(常連達は敬愛の念を込めて「おやっさん」と呼びます)は軽口は叩くし、お料理を出し終えるとカウンターに座ってタバコを吸ったりと評判通りのところもあったのですが、それ以上に食べに来たお客さんに自分の料理を楽しんで欲しいという気持ちが強く伝わってきます。

おやっさんと、そのお姉さんである女将さん(私が通っていた当時、既に80歳を超えていました)、若い追い回しのシンペイさんが醸し出す雰囲気は昭和の料理屋というのがピッタリで、昔は難波一の料亭の芸妓さんをしていたという女将さんの客あしらいと、どこまでが本気か分からない絶妙なボケ、若いシンペイさんもおやっさんにイジられまくって客からも愛されている、と行った感じの非常に居心地の良いお店でした。

ただ、おやっさんの軽口は中々なもので、名だたるお店にお弟子さんがいることから「以前、市場に松茸を注文したんですが、虫食いばかりで、流石に腹に据えかねて、ウチに入れるもんはちゃんと選ってから持って来い!ちゃんと選うて来なかったら、ウチの一門引くぞ!と脅してやったんですわ。」とか、「和食はやはり関西が一番!野球で言えば大阪・京都が一軍、東京は二軍ですわ。」、「スッポン鍋を作らせたらワシが日本で一番や!」などと言うかと思えば、たまに手伝いに来るお弟子さん(多分、わざわざ自分の店を閉めて手伝いに来ている)に向かって「コイツ、高い牛肉を出す割烹やってるんですわ。ボッタクリですわ。なあ、そうだよなあ?」とイジってみたり、若いシンペイさんにも「おい、シンペイ!お前、俺の代わりに鯖の棒鮨を作ってみい。」などと無茶振りをします。最初はビックリするものの、どれも、おやっさんの優しさが溢れるイジりで、常連達はそれも含めて楽しんでいます。ただ、そういうお約束的な軽口に馴染めない人もいると思うので、そういう方にはやはり良い店とは言えないのかも知れません。

でも、おやっさんのお客に対する気配りは細やかで、揚げ物の鍋の前に居るお客には「暑くないですか?」とか「お酒、口に合わなかったら言うてくださいね。別のに変えますから。」とか、度々声をかけてくれます。
肝心なお料理のことが後回しになってしまいましたが、初めて私が伺ったのが10月、茸が旬の季節だったのですが、当然、茸は天然物ばかりで、和食の花形のお椀には乗鞍で採れたという大きな松茸が鎮座し、焼き物の真魚鰹を囲むように天然の舞茸が飾られ、岩茸や松茸などが大量に入った茸の小鍋など、豪華なお料理のオンパレード。でも何より驚いたのは、その上品な薄味で、薄味と書きましたが決して味がしないという意味ではなく、昆布の強い旨味に下支えされた満足のいく味わいです。経験の浅い私などは、京料理が薄味で上品な味付けと思っていたのですが、完全にその考えは覆されました。
後々、良く聞くと、大阪には生成り料理という江戸時代から続いて来た料理の伝統があり、生成り料理とは何かと言えば、当時の船場の豪商達が贅沢を極めた料理に飽きた結果辿り着いた料理で、最高の食材を活かすために最小限に手を加えて盛り付けも含めてシンプルに食べさせる料理で、その為の下拵えには膨大な労力をも厭わないというものです。
現代の人気料理屋は味自体よりも盛り付けや器といった見栄えを重視する店が多い中、この浪速の生成り料理というのはある意味非常に新鮮で素晴らしいものでした。
では、おやっさんの作るお料理の見栄えや器が大したことが無かったかと言えばそんなことは無く、盛り付けはシンプルですが、使われる器は最上級のもので、特に輪島塗りのお椀は、精緻に描かれた風神雷神の金彩だったり、春先は満開の梅の花が咲いていたり、またある時は、螺鈿が施された(しかもお椀の蓋の曲がった部分に螺鈿が施されている)朱塗りのお椀など、どれも今では作るのが難しいと思われる伝統工芸品を惜しみなく使っています。そうした器に盛られた料理を食べるにつけ、やはり日本料理と器は決して切り離せないものだということを痛感させられます。

おやっさんは、失われつつある昔ながらの手間暇かけた料理にこだわっており、帆立貝の身を滑らかになるまで擦り潰して茶碗蒸しにした料理や、淀大根は柔らかく煮込むのでは無く、3日か掛けて歯応えを残したまま味を染み込ませるなど、手間暇を厭いません。

しかも、季節季節でおやっさんのスペシャリテがあって、春の筍メバル、初夏のハモ鍋(これは、お出汁も含めて本当に絶品!)、秋の鯛蕪、冬先の本当に洗練された鰤大根、などどれも素晴らしいお料理ばかりです。

更には、イベント的な季節料理もあって、夏は鮎尽くし、鮎のウルカ焼きなどの前菜から始まり、鮎のお刺身に背ごし、塩焼きからの煮浸しに味噌煮込み、締めの鮎ご飯、ダメ押しの鮎素麺、しかもお料理毎に四万十の鮎、球磨川の鮎、長良川の鮎と使い分けます。そのこだわりとバリエーションには圧倒されます。
冬はクエ尽くしで、クエの鱗の素揚げから始まり、お刺身、メインの悶絶するクエ鍋(クエは火を通すと本当に美味しい!)、クエの揚げ浸し、縁側の胡麻タレ和え、締めの絶品の雑炊まで、これも素晴らしい料理のオンパレード!
決して安くはないかなりなお勘定になるのですが、そのお勘定を高くないと思わせるところが、本当に凄いです。

でも、おやっさんが本当に凄いのは、今尚、プロの料理人を集めての勉強会をやっていることで、その勉強会には全国の料理人、ミシュランの星付きの料理人なども参加して、おやっさん自ら一緒に料理をしながら教えるということまでやっています。

当然、料理人に対しては厳しく、ある日私が「おやっさんのお弟子さんで、これは!という人はいないんですか?」と聞くと「なかなかおらんのですわ。」と答えます。更に私が「でも、前に手伝いに来ていKさんや、シンペイさんはどうなんですか?」と聞くと「Kは、もうひとつなんですわ。シンペイも味は分かるんですが、段取りが悪くてね。」と残念そうに言います。

忘れるところでしたが、料理を作るおやっさんと女将さんのお姉さんの遣り取りも大阪ならではというのか、お店の大切な要素です。おやっさんは関西人らしく受けを狙うというのか、軽口を叩くのがいつものお約束です。

ある日などは「ウチの姉さんアホやから、バブルの時に散々株に注ぎ込んで、結局、億単位で損してるんですわ。」と言うと、女将さんは一切無視する態度を取りながら、私の後ろを通り際に「ウチのタカミツ、バカやろ。」とボソッと呟いて去って行きます。

またある日は、おやっさんが「今日の鰻は四万十の天然鰻ですねん。極上の天然鰻なんで無茶苦茶高いんですわ。これ一匹で四万もするんですわ。」と言うと、すかさず女将さんは「そうなん?さっき、そこにあった伝票見たんやけど、確か一万円ちょっとだったと思うんやけど。」と、お店に居るお客さんみんなに聞こえるようにボソッと呟きます。おやっさんは、決まりが悪いのか黙りこみます。

でも姉弟なので、やはり仲が良いのか、何年か前の春先に、おやっさんが体調を崩して入院した際は女将さんが「ウチの弟、昔から身体が弱いんですわ。本当に心配で。」と、話してくれたり、この店を紹介してくれたKさんに対して、おやっさんが「Kさん、あの人、出すお酒は素晴らしいんやけど、残念ながら阪神ファンじゃ無いんでダメなんですわ。広島出身なんでてカープファンなんで。なあ、姉さん?」と言うと、すかさず女将さんは、「そりゃKさんあかんわなあ。」と相槌を打ったりします。
そうした人情味も含めて、Uは本当に良いお店でした。おやっさんも確かもう77、8歳なので、まだお元気なうちにまた訪ねたいと思っています。

今回は非常に個人的な思い出話だったので、ちとつまらなかったかもしれませんね。すみません。

では、また。

〔付記〕僕にくれたメールには法善寺横丁の写真がありましたがこちらには引用しておりません。人情に溢れたやりとりには僕も憧れます。

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あるYouTuberの言葉

「足は痛風でだいぶ良くなってきたものの、みなさんからご心配いただくのも負担だということはわかっていただければと思います。大丈夫ですか?大丈夫ですか?といわれるとああしんどい、となりますし、こうしたらええよ、ああしたらええよっていうのもそれもあとから言っていただければ、一番しんどい時にああしろこうしろ言われるものまたしんどくなるわけでして」

「まあまあそんなことも忖度せずに自分の興味であれやこれやあれや言うて来るんでもうかなわんなと思うんですけどこの商売やっているかぎりそういう人も相手にせなあかんのでまあしゃあないんですけれども」

僕も痛風体験者なのでよく手に取るようにわかる。今は別の病気でしんどいので、痛風の時のことを思い出した。頼むからああしたらええよこうしたらええよ言わんといて。

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人事の人見

小2になる娘がフジテレビ系で放送されている「人事の人見」という連続ドラマが好きで、食い入るように観ている。今はチャンネル権(死語)が娘にあるので、僕も夕食をとりながら横目でちらちらと見る程度なのだが、僕にはとってはたまらなく苦痛である。今どき夢も希望もない会社ならとっくに潰れているはずだ。僕も組織に属する人間の端くれとして、現実にひき戻された気がするし、どうして長期療養中にこんな漫画みたいなドラマを見なければならないのだろう?と、次第に腹が立ってきた。

漫画と割り切って見るべきなのか?とも思ったが、小2の娘も学校や学童でいろいろあるのだろうと思って仕方なく付き合っている。

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健常者の理屈

たったこの数ヵ月の体験に過ぎないが、この国が、というべきか、この星が、健常者の理屈で動いていることがあらためてわかった。このブログもそうだった。

まあそうしないと世界がまわらなくなるので仕方がないのだが、そうなると僕にはこれ以上とても書ける自信がない。

慌てずに、書けるようになったらまた書きます。それではみなさんごきげんよう。

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