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同窓会

先日、メールが来た。

 「拝啓

 長らくご無沙汰しております。○○年度卒業生のIです。鬼瓦先生におかれましては、いかがお過ごしだったでしょうか(といいつつ、長年ブログを愛読しておりますので、近況は存じ上げております。お身体、どうぞご自愛ください。……この言い方は暴力的、でしょうか?)。先生と最後にお会いしましたのが、平成二十四(2012)年四月のことだったと記憶しております。その後、私自身の状況も大きく変わりまして、転職して上京したのが令和三(2021)年、今年で五年目となりましたが、何とか元気にやっております。先生の職場にいつか顔を出そう、顔を出そうと思いながら、未だ果たせずにおります無礼をどうかお許しください。

 さて、今年は私どもが大学を卒業して丁度二十年の節目の年に当たります。我々の代は、卒業後も時折有志で集まっては久闊を叙しておりましたが、コロナ禍以降そうした機会も激減し、いつしか何もやらないのが当たり前となってしまいました。

 ですが、昨年末から年始にかけて、また久々に皆で集まりたい、という声(主要な声の主はH君とS田さんです)が聞こえてくるようになり、企画・検討を重ねて参りました。学部三年の芋煮会以来、我が年度生の間では、何故か私に音頭取りを任せるのが通例となっておりまして、今回も僭越ながら幹事役を買って出ることとなりました。仕事の都合や家庭の事情等で、現段階では保留中という者どももおりますが、少なくとも私も含めて五名以上は集まることになりそうです。

 そこで、もしよろしければ、鬼瓦先生にも御臨席を賜れないかと思い、ご連絡差し上げた次第です。ご多忙のこととは存じますが、是非私どもと歓談のひとときを過ごして頂ければ幸いです。

日時 2025年8月○日の夕刻

場所 大学のある市内(はるか遠方になってしまい、申し訳ございません。

 という訳で、大変唐突かつ不躾なお知らせとなりましたが、ぜひ御来会の程お願い申し上げます。

 それでは、用件のみで失礼いたします。」

メールは適業編集を加えたが、卒業生のI君から送られてきたメールである。

たしか僕が「前の職場」に着任して2、3年目の卒業生じゃなかったかな。あれから20年たったのか。

文面を見て驚いたのは。彼がまだこのブログの読者であったことだ。

「お身体、どうぞご自愛ください。……この言い方は暴力的、でしょうか?)と書いてあることに僕は笑った。少し前の記事で、病人に大丈夫ですかとか体調はいかがですか、と書くのは暴力的である、という最近僕が書いた記事を読んでいたからであろう。悪いことを書いてしまったな、と思った。

I君は直接の教え子ではないが、広い意味で同じコースの学生で、在学中はよく話をした。たしか卒業後は他大学の大学院生になったのではなかったのかな。学問に熱心な彼らしい丁寧で心のこもったメールだった。

文中に出てくるH君は、高校の教師である。同業者としてごくたまに電話をかけてくる。いちばん最近来た電話は昨年の12月12日である。僕が長期入院から退院した翌日くらいのことで、散歩をしていたら突然電話が来た。高校の授業の指導方法の件である。おい、俺は昨日長期入院から退院したばかりなんだぞ、と言いたかったが、彼は事情をまったく知らなかったらしい。ごくたまに、彼は思い出したようにいまでも電話やメールをくれる。その時も、彼らしいなと感じた。

もうひとり、S田さんは、たしか結婚式の2次会に出たんじゃないかな。いまでもバナナマンが好きなのだろうか。とにかく楽しい学生だった。

そんなことを思い出しつつ、僕は早速I君に返信のメールを書いた。

「I様

ご無沙汰してます。

ちっとも暴力的ではありませんよ(笑)むしろご連絡をいただき嬉しく思います。

今は原因不明のめまいに悩まされ、足もともおぼつかないので歴博を長期にお休みをして、自宅療養の毎日です。リハビリをするようになりわかったのは、まだオモテを歩けるようになるには時間がかかるということです。今月(7月)は2度ほど仕事で「前の職場」を訪れる予定でしたが、病気がこんなに長引くとは思わず、2件ともキャンセルしました。

8月に入ってもおそらく体調不良は変わらず、オモテを出歩くことは困難だと思われますので、たいへん残念ですが、今回は不参加ということにさせてください。

今後も引き続きよろしくお願い申し上げます」

せっかく同期生の誘いを受けたのに、行けないのは残念だった。

するとI君から返信が来た。

「鬼瓦先生

ご返信ありがとうございます。

そうですよね、やはり難しいですよね。ブログを拝見していて、万全なご様子とは思えませんでしたので、メールをお出しする直前までお誘いしていいのかどうか随分躊躇っておりました。そんなときにS木さんから、「鬼瓦先生は、たとえ来られなくてもお声がけがあったらきっと喜ばれると思うよ! 今回は難しいって言われるかもしれないけど、体調良くなったらまた参加してもらえるよ!」と言ってもらえたので、敢えてご連絡させて頂きました。

先生の御著作の2冊の一般書は、最近でも歴史や古文の授業時に活用させて頂いております。中学生向けに書かれたシリーズは、小5の甥っ子に預けたところ、大変熱心に読み込んでくれました。

いつかお会いできたときには、そうしたお話しを酒の肴に、皆で歓談したいものですね。今後も、また懲りずにお誘いすることがあると思いますので、今回はどうぞリハビリにご専念ください」

この文面に出てくるS木さんはS市に在住で、数年前に出張でこの町を訪れた際、アポ無しで彼女の職場に突然訪れたことがある。しばらくお話をして、楽しい時間を過ごした。さすがS木さん、僕の性分をよくわかっている。

この学年の学生たちがいた頃、僕はこの職場に来たばかりで、暗中模索していた時期だった。だからこの学年の卒業生には思い入れがあるのかもしれない。

I君の返信のなかの文面に、僕の書いた一般向けの本を生徒に読ませたり甥っ子に読ませているとあり、嬉しかった。いずれもI君が卒業してから出した本である。宣伝をした記憶もないのに、僕の本を見つけてくれたんだな。卒業後も僕の動向を追いかけてくれていたことに、僕は泣きそうになった。

この代の卒業生に限らず、いつか教え子の同窓会をしたいが、楽しみとしてとっておく。

〔付記〕

こんなエピソードをあえて書いたのは、高校時代の親友·コバヤシのくれたメールの中に

「ちょっと話は変わりますが、貴君がブログで昔の教え子に会った話が度々出て来ますが、私はそんな話を読む度に、貴君、良かったなあ、と思いながら読んでいます。」

という文言があり、ごく最近の、教え子との交流を、I君の許可なしにではあるが書いてみる気になったのである。プライバシーには配慮したつもりだが、I君、お許しください。

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コメント

鬼瓦先生

連休前最後の業務でバタバタしてしまい、こちらを拝読するのも数週間振りとなります。

わざわざ取り上げて下さり、ありがとうございます(一読して、「え、デ、デジャヴ……、いやいや、これ書いた覚えある!」となり、思わず目が点になりました・笑)。

同窓会企画はその後、参加人数も更に増えまして、師匠四名、教え子七名での開催となる予定です。でも、言い出しっぺのHもS田も予定が合わず欠席なんですよ……(「おい、お前らがやりたかったんじゃないのかよ!」と突っ込まずにはおられませんでした・苦笑)。なかなか全員集合、というわけにはいかないですね。

次の機会が何年後になるか、全く予測もできませんが、必ず、必ずや開催いたしますので、その時こそは、往事の懐旧談、学問・教育についてのお話しなどさせてください。

それでは、失礼いたします。

I

投稿: I | 2025年8月 5日 (火) 22時46分

I君、コメントをありがとう。

I君の学年もそうでしたが、同期の学年の人たちが、毎年毎年、次第に強い結束を持つようになり、その後もつながりを大切にしてきたことを、こちらは目を細めて見続けてきました。それはみなさんにとっても財産だし、僕にとっても財産です。
人との再会は、年齢を重ねるたびにさらに味わい深くなります。今回は再会が叶いませんでしたが、楽しみはとっておきましょう。

投稿: onigawaragonzou | 2025年8月 6日 (水) 13時20分

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