ホームドラマ
自宅に誰もいない時間に、ようやくリビングの椅子に座ってテレビを長時間見る気になったので、今まで録りためておいた映画やドラマを2時間程度、椅子に座って集中して見ることができた。
今までは、椅子に座っていられないという事情でテレビ番組を見る気が起こらなかっただけに、僕にとっては相当な進歩である。
録りためたもののひとつに、山田太一脚本の連続ドラマがある。山田太一さんが亡くなられたあと、BS-TBSが追悼特集として山田太一脚本の連続ドラマを再放送した。その中のひとつに「沿線地図」(1979年)がある。
「沿線地図」というタイトルは、昔から知っていたが、実際のドラマは観たことがなかった。そこで観てみることにしたのである。
1回1時間、全部で15回あるのでとても一日で見ることはできない。僕も椅子に座っていられる限界が3時間程度なので、無理をせずに少しずつ観ることにした。
傑作であることは間違いないが、内容は、いかにも山田太一さんのホームドラマという感じだった。だからといって我々が懐かしむだけの過去のドラマとして観てはいけない。現代社会を考える上でも非常に大きな課題を投げかけているドラマなのである。というか、山田太一さんのドラマはどれも現代社会に通ずる葛藤を描いたものばかりで、そういうつもりで観ないといけない。
「沿線地図」の「沿線」とは東急電鉄の大井町線か田園都市線かと思われる。あまり鉄道に詳しくないのでわからないが、とにかく東急電鉄(東京急行)であることには違いない。
時折電車が陸橋を走っている映像が差し込まれるが、あの川は多摩川である。
山田太一さんのドラマには多摩川がよく出てくる。「岸辺のアルバム」(1977年)も多摩川の決壊により家が流される東京都狛江市が舞台である。これは山田太一さんが多摩川沿いの(対岸の)川崎市に住んでいたためで、山田太一さんにとっての生活圏を舞台にしていたということなのだろう。
山田太一さんのホームドラマは、高度経済期の典型的な家族像を描いているが、ドラマを見ながらひとつの妄想が浮かんできた。
ホームドラマならば、一見平凡そうにみえる今までの我が家族が、あることをきっかけにいろいろな事態に巻き込まれる、という意味で山田太一さん並みのホームドラマの脚本、あるいは原作小説が書けるかも知れないぞ。今の我が家族は「事実は小説より奇なり」で、次から次へといろいろなことが起こる。そのディテールをホームドラマにしたらどうだろう?と考えたのである。
しかし、それはこのブログにも書けないような、個人情報のオンパレードとなるので諦めた。
映画作家の大林宣彦さんは、「映画はウソから出たマコトを描くものだ」というのが口癖だった。確かにそうだが、それに倣えば「ウソのようなマコト」を描いても面白いのではないか、という気がしている。でも僕自身はそれを書くつもりはない。
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