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巣の上で(1)

8月29日(金)

入院してから2週間が経った。

医者の先生にさんざん言われたのは、

「ここはキュウセイキの病院です」

キュウセイキ?九世紀?

調べてみたら「急性期」の病院という意味だった。

僕は救急車に運ばれてこの病院にやってきたから、「急性期」の患者なのだそうだ。

この急性期は、病気が不安定な時期で、それ専用の病棟に入れられる。だから病気発症当初の、重い症状の患者が多い。

で、2週間経つと「慢性期」もしくは「回復期」と見なされて、急性期病棟を追い出される。これはどこの病院でも同じらしい。

たしかに2週間経った今は、病状の悪化の懸念がなくなり、リハビリのおかげもあり、以前だったら看護師さん3人がかりの補助がないとできなかったことが、一人でできることも少しずつ増えてきた。

そうするとどうなるかというと、次第に僕に対する扱いが雑になり、放っておかれるようになるのである。

考えてみれば当然のことだ。僕が2週間居るうちに、病状の重い患者が次々と運ばれてきて、反対にこっちは少しずつ回復に向かっているのだから、僕なんかにかまってはいられない。

だからできるだけナースコールを使わずに一人でできそうなことは一人ですることにした。

で、今日、急性期の病棟から、「退院や転院を待つための病棟」に引っ越しした。

今までとは打って変わって、建物が古い。病室も薄暗くて、独房の雰囲気を醸し出している。窓はあるのだが、眺めはあまりよくない。

でも転院先と転院日が決まるまで置いてもらっているのだから文句は言えない。粛々とリハビリに励むしかない。(つづく)

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心と体」カテゴリの記事

コメント

ここに書くような話でもないのですが自分も経験があります。
亡くなった母方の祖母は窒息による心肺停止で救急車で運ばれ、命だけは取り留めた。
私は職業柄、回復は絶望的な状況と、安定しても近いうちに追い出されることは理解していた。
でも他の家族は違っていたし言えなかった。
1週間くらいで転院の話が出て病院と家族が揉める。
回復の見込みがない90過ぎの高齢者は早く追い出したい。
結局1週間程度置いてもらい、郊外の古い病院へ転院。
その後また転院の話が出る。担当のケアマネが「法律上3カ月で転院することになる」と家族に説明したらしい。
虚偽説明なので流石に病院へ行った。「法律上診療報酬が3カ月で下がるからでしょ。転院はするけど患者側が知らないからって嘘はだめだと」
結局転院先は病院が手配してくれた。

医療関係者は日々心身をすり減らしながら働いてくれている。だが、一般人との認識の違いが未だ大きい。
国は医療制度についてもっと情報を流すべきだ。

入院している人のブログに不適切なコメントですが、勢いで書いてしまいました。
削除でもかまいません。

投稿: 江戸川 | 2025年9月 1日 (月) 00時24分

江戸川君コメントありがとう。
ブログ本文に書くつもりはありませんが、病院は診療報酬というロジックを中心に動いているんだなということを身をもって知りました。もちろんこれは病院経営の観点からの理屈に過ぎず、患者を置いてきぼりにしていることには違いありません。その中で現場の看護士さんは神経をすり減らして働いていることに、国はどれだけ思いを致しているのか。
社会保障の予算を減らして軍事費にまわせとか棄民政策を声高に主張する政党は本当に許しがたいです。いずれ自分も当事者になる可能性があるのに。

投稿: onigawaragonzou | 2025年9月 1日 (月) 06時22分

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