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救急車の思い出·前編

リハビリをするほかは、もう毎日がヒマでヒマで、書くことが何もない。いくら捻り出そうとしても、何にも思い浮かばない。

ヒマだと、自分がどんどん老け込んでゆくことがわかる。浦島太郎の玉手箱というのはこういうことのメタファーなんだなということがよくわかる。

このたびの入院では、初めて救急車に乗った。

(とうとう俺も救急車のお世話になってしまったか…)

と気落ちしていたのだが、待てよ、救急車に乗ったのは初めてではないぞ、と記憶がよみがえってきた。

それはもう25年ほど前のことになる。僕がまだ「前の前の職場」に勤めていた時のことである。

毎年、夏の8月に、学生を連れて関西方面に実習に行くことになっていた。実習先の京都に行ったとき、名前がすぐに思い出せないので仮にAさんとしよう、そのAさんがこう言った。

「私、霊感が強いので、京都に行けるか心配です」

たしかに京都は歴史的に大きな戦乱がいくつもあり、その霊が跋扈していそうな古都である。でもいくらなんでもそれで何かあるわけではないだろう。

だが僕の見通しは甘かった。養源院というお寺をめぐっていたとき、Aさんがとたんに気分が悪くなったのだ。

養源院には血天井というものがある。この血天井とは、伏見城の戦い(1600年)で自害した徳川の将士らの血で染まった廊下を、弔いのために天井に上げたものである。

伏見の戦いで亡くなった者たちの霊を感じとったということなのかぁ??

養源院を出た途端、Aさんは座り込んでしまった。僕はAさんが霊感が強いという告白を、過小評価していたのだ。

それでもしばらく経つとAさんは復活し、なんとか無事に京都の巡見を終えた。

その日の晩。

京都の旅館に泊まり、そろそろ寝る時間という頃に、学生たちが慌てた様子で僕の部屋にきた。

「先生、大変です!明らかに様子がおかしいんです」

「誰が?Aさんか?」

「いえ、Bさんです」

「Bさん???」

どういうこっちゃ!Bさんも霊感が強かったなんて聞いてないぞ!

僕は慌ててBさんのいる部屋に向かった。

(つづく)

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