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余生を生きて○年

僕が「究極のミニコミ誌」と読んでいるガリ版刷りの会誌に原稿を寄せたのは、今年の3月のことで、掲載は5月である。

http://yossy-m.cocolog-nifty.com/blog/2025/07/post-49c955.html

その次号の読者投稿欄には、僕の文章はまったく反響がなかったが、代わりに「余生を生きて12年」という連載が始まっていた。書いた人は私の知らない方で、おそらくペンネームを使っていると思われる。

その方は、12年前に大病を患い、その後もさまざまな病気に苦しみながら、それでも前向きに生きていることを綴っていた。

僕はそれを読んで大いに共感し、編集された方に感想を送った。自分も8年前に大病を患い、その後もさまざまな病気に悩まされているので、このたびの連載に共感し、僕ならさしずめ「余生を生きて8年」です、とまとめた。文字数にして600字あまりの中に、具体的な病名を折り込みながら、8年前から今までの、正確に言えば今年の7月までの病気遍歴を書いた。

そうしたところ、その編集の方から返信がきた。ぜひ次号の読者投稿欄に掲載させてほしいと。ただし具体的な病名が書かれているが、公開しても問題ないでしょうか、と心配されていたので、公開しても構いませんと返信した。どうせ知り合いは誰も読まないんだし、僕を知る読者は高校時代の恩師しかおらず、恩師にはすでに粗方お話ししていたので、何の問題もなかった。

そして今日、「究極のミニコミ誌」の最新号を家族が病院に持ってきてくれて、読者投稿欄に僕の文章が掲載されていたことを確認した。

しかしなんか物足りない、と思ったら、8月半ば新たに発症して今も入院している病気のことが書かれていないせいだと気づいた。執筆のタイミングを考えたら当然のことなのだが、僕はつくづく余生のことを考えた。この先も何が起こるかわからない。「余生を生きて8年」の「余生」はあと何年更新されるだろう。僕は「一寸先は闇」という月並みな言葉を噛みしめた。

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