口に苦きも薬なり
以前も書いたかも知れないが、Facebookがますますオジサンの解放区になっている。
最近、こんな投稿を見つけた。
「Facebookを見ると、投稿してる人が少なくなっているような気がする」
その人は自分の投稿に対する「いいね」の数が少なくなっていることを気にしているらしい。本来はもっと多いはずなのにと思っている。
実際、いまは特定の「友達」ばかりの投稿が目立っている。
僕も、最初は面白がって投稿していたが、今はめっきり投稿しなくなった。
それは、Facebookの「身内性」がほとほとイヤになったからである。
情報共有の投稿はありがたい。自分の近況を淡々と語る投稿もよい。しかしそれは少数で、アラフィフ以上のオジサンの多くは、自己愛に満ちた投稿や、知識をひけらかす投稿や、権威に対してただ口汚く罵るだけの感情的な投稿や、これ以上にない卑屈な謙遜をしながらその実自慢話をしている投稿や、承認欲求の強い投稿や、「飲みニケーション」の写真ばかりアップしてリア充ぶりを自慢する投稿など、あまり親しくない「友達」のオジサンの投稿に溢れている。
これらは読んでいてイラっとくるものばかりだが、かといって不愉快だから読まないわけではなく、私はちゃんと読むことにしている。なぜこの人はこんなイラっとさせる文章を書くんだろう、という分析こそが楽しいのだ。
高校の同窓会報なんかもそうだ。これも以前に書いたが、戦前の旧制中学時代からある高校なので、さまざまな世代の卒業生が書いているが、その多くが野心的な人が書いた自慢話である。
その高校の出身者の中には、僕が愛読している大先輩の芥川賞作家と、1年後輩の人気作家がいるが、二人はいずれも同窓会報にコミットしていない。その品のよさもまた、僕がファンでいられる理由である。
といって、イラっとする同窓会報をまったく読まないかというと、そんなことはない。一人ひとりの文章を熟読し、「ああ、この人は乗せられて上手く踊っているなぁ」とか、「この人は踊ることなく、素直で好感がもてるなぁ」など、人物査定をするのである。我ながら意地の悪い読者である。
そういえば、ライターの武田砂鉄さんは、自分と思想信条がまったく異なる政治家の本を読んで、敵の思考様式を分析して、それをエネルギーに文章を書いている。僕もそれに近いことをやっている。イラっとする文章を読むこともエネルギーである。
「良薬は口に苦し」ではない。「口に苦きも薬」なのだ。
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