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推しが強い

10月4日(土)

毎日リハビリでヘトヘトになり、もはや何も書くことがない。

YouTubeを見ていたら、いま飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍をしている文芸評論家のチャンネルがあったので、試しに見てみることにした。

その文芸評論家は、ベストセラーとなった新書を書いていたりするが、僕は読んだことがない。

文芸評論家の肩書きのとおり、とにかく本や読書が好きで、まだ若いと思われるのに、古今東西の小説やエッセイや評論に通じ、オタクといってもいいくらいの読書量を誇っている。

次々と繰り出されるお奨めの本に圧倒され、それはそれですごいなあと、チャンネルをみて感心するところ頻りなのだが、なぜか、僕が読みたいと思う本が見つからない。

もちろん、その文芸評論家のプレゼン能力は素晴らしいし、「面白いから絶対読んでみてください」という「推しの強さ」も、本や読書に対する愛情に溢れている。実際、コメント欄をみると、「さっそくお奨めの本を買います」「○○さんのおかげで本を読むことが好きになりました」と好意的なコメントが多い。それはそうなのだろう。

しかし僕はどうもお奨めの本を読もうという気になれないのである。なぜなのだろう。

僕と世代が違うからだろうか?でもその文芸評論家のファンは世代を超えているはずだから、そういうわけでもだいだろう。

私の中で、ものすごい圧で本を奨められること自体に抵抗感があるのだろうか。それも一理あるが、一概には言えない。

これを映画評論に置き換えて考えてみた。

たとえばラジオで、映画評論家の町山智浩さんとか、ライムスター宇多丸さんが「面白い」と評した映画評を聴くと、その映画を観たくなってしまう。

それは、長年をかけてその映画評に触れてきて、(おこがましいが)この人は信頼できる!となってはじめて、その映画が自分の中に入ってくるのである。

本でいえば小田嶋隆さんや武田砂鉄さんがそうだ。著書の中でさりげなく引用している本が、無性に読みたくなったりする。

友人から奨められた本を読もうと思う気になるのも同様である。長年の信頼の蓄積があるからこそである。

しかし、どんなに有名で売れている文芸評論家であっても、そこに信頼がないと、奨められた本を読む気にはならないのではないだろうか。

もっとも、僕みたいな偏屈な人間に向けたチャンネルではないことは前提としてあるのだろう。

もう一つ、ぼんやりと考えているのは、品揃えが豊富な大型書店でありながら、なぜか買う気が起こらない書店があるのだが、その感覚にも近いのかもしれない。

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