総回診
10月6日(月)
「財前教授の、総回診です」
という声が聞こえてきそうな、総回診の時間がやって来た。
主治医のほかに、看護師が数名、リハビリスタッフが1名が、大名行列のように病院の廊下を練り歩く。
直前に看護師が病室にやって来る。
「もうすぐ先生の総回診がありますからそのままお待ちください」
つまり、総回診が終わるまでは勝手に出歩くなと釘を刺してくる。
そのまま待っていると、やがて総回診がやってくる。
総回診な儀式的なものである。看護師やリハビリスタッフから、私の現状に関して主治医がその場で報告を受けて、ふんふんと聞いて、
「引き続きがんばってください」
と声をかけられて終わりである。
儀式的なものであるにもかかわらず、総回診はすべてに優先される。前回は、リハビリの時間に総回診が当たってしまい、リハビリを中断してまでして総回診を優先していた。
医師を頂点としたヒエラルキーがいまだに厳然と存在していることに驚かされる。一事が万事というか、神は細部に宿るというか、全体的に窮屈に感じられる理由は、こういうことにもあらわれているのだろう。
ちなみに転院前に入院していた地方の病院は、総回診などなかった。その代わり、主治医の先生がひとりで毎日、ご自身の外来診察の時間を避けて、病室やリハビリ室にフラッと訪ねてきて、
「顔を見に来ました。今日はこちらからは何も言うことはないんですが、何か困ったことはありますか?」
と声をかけてくれ、こちらが何か質問をするとクドいくらいに質問に答えてくれた。そのほうが気兼ねなく話すことができて、主治医の先生に対する信頼度が増した。よい意味で牧歌的な病院だった。その病院の名誉院長が僕でも知っている有名な人で、自由な感じの人だったので、その影響によるのかもしれない、と思ったりもした。
病院による個性の違い、といってしまえばそれまでの話である。
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