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演出家はなぜリメイクを作ろうとするのか

10月16日(木)

今日も書くことがまったくないなあと思って、インターネットのニュースサイトをスクロールしてみるが、ゴシップ的な政局報道や、それに対する程度の低いコメンテーターの浅いコメントばかりが載っていて、ゲンナリしてしまった。

それでも下の方に画面をスクロールしていくと、黒澤明監督の『酔いどれ天使』を舞台作品としてリメイクする、というニュースが出ていた。

『酔いどれ天使』は黒澤明監督の初期の名作である。反骨漢で酒好きの貧乏医師、志村喬と、闇市を取り仕切るヤクザの三船敏郎が、ぶつかり合いながらもその絆を深めていくヒューマンドラマである。戦後の世相も描かれていて、そこに注目するのもまた、この映画を観る楽しみである。黒澤映画にはじめて三船敏郎が登場する記念碑的な作品でもある。

それをいまのこの時代に、舞台作品とはいえ、リメイクするということに、僕は若干の戸惑いを覚えた。

舞台を演出するのは、映画監督の深作欣二のご子息、深作健太さんである。

ニュースの中で出演者の一人が、

「深作さんがパンクにロックに令和版新解釈という形にしてくださった」

といっていて、僕はますます不安になってしまった。僕の不安というのは、出演者もスタッフも、本気で原作を超えようとする気持ちがあるのかということである。もちろん、誰でもその気概を持って作品をリメイクしようとがんばっているのは当然なのだと思うが、結果として、「やっぱり元の作品を超えていないんじゃね?」と思った経験が何度もあったからである。

映画やドラマのリメイクには2つのパターンがあるように思える。

ひとつは、元の作品の脚本を一字一句変えずにリメイクを作るというスタイルである。

黒澤明監督の『椿三十郎』を森田芳光監督が2007年にリメイクした。たしか脚本はそのままに演出をしたというふれこみだったと記憶するが、僕はあまりに黒澤作品が基準となりすぎていて、リメイクの演出やキャストが功を奏しているのかどうか不安で、観ていない。

向田邦子脚本、和田勉演出のNHKドラマ『阿修羅のごとく』(1979~80年)も、最近リメイクされたらしい。これも、向田邦子の脚本そのままだと聞いた。今の時代にあてはめても違和感がなかった、というのは観た人の感想だが、それだけこの国の社会が40年以上も変わっていないことを示しているのだろう。これはぜひ観てみたい気がする。

もうひとつのパターンは、元の作品を現代風にアレンジしたり、視点を変えてアレンジしたりするパターンである。こちらもまた微妙である。

そういう作品をある程度観てきたが、一つとして元の作品を超えるものはなかった(ただし映画のテレビドラマ版の中には脚本家の腕でおもしろくなっているものがあった)。

演出家となった以上、過去の名作を自分の手でリメイクしたくなる気持ちはよくわかる。しかしほんとうに元の作品を超えられると思っているのだろうか、それが演出家の自負というものだろうか。

僕にはよくわからない。

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