« 2025年11月 | トップページ | 2026年1月 »

2025年12月

他責思考

最近、ようやく他責思考なる言葉を覚えた。簡単に言ってしまえば、何かトラブルが起こったとき、自分のせいではなく他人のせいにするという考え方だが、もう少し広くとらえて、自分が責任を追及されないように逃げ道を作っておく場合にもあてはまると思う。

職場には他責思考の人がある程度存在する。僕が何となく苦手だなぁと思っていた人は、例外なく他責思考の人たちだということにいまになって気がついた。

職場の人間関係だけではない。むかしからの古い友人の中にも他責思考の人がいることに気がついた。誰かが言い出しっぺになるのを待っていたりとか、あらかじめ責任回避の道筋を作っておくとか。もちろん本人は気づいていなくても、結果的にそれが言い訳になったりする。

他責思考は便利な言葉だ。これからもそういう目で人間観察してみるのもおもしろいかもしれない。

| | コメント (0)

○○ソムリエ

少し前に、「年上の彼女と同棲をしているのだが、親が同棲を認めてくれない」と悩みを打ち明けたリハビリスタッフがいたことを紹介した。その時、「山田太一さん脚本の連続ドラマ『沿線地図』を観てみなさい」とよっぽど言おうと思ったが、結局言わなかったと書いた。

その時少し思ったのは、悩んでる人に、それにふさわしい映画やドラマを紹介するソムリエみたいな役割があってもいいんじゃないか?ということであった。

しかしその考えは現実的ではないことだと思い、すぐに撤回した。

そもそも悩みというものは、言葉にした時点で本人の中で解決しているものだ。それをわざわざおせっかいを焼いて口を差し挟むべきではない。

それに、僕ごときが立ち入れないほど、その悩みが深刻である場合もある。そんなときにノーテンキに「これを観たらいいよ」などと軽々しく言えない。僕だって、すべてのコンテンツを観ているわけではないし、そのチョイスがあまりにも安易な場合がほとんどだろう。

いろいろ考えた結果、放っておくのが一番だという結論に達した。ま、あたりまえといえばあたりまえの結論なのだが。

黙って見守るのが親切というものかも知れない。

| | コメント (0)

Re:年の瀬に思うこと

12月29日(月)

本当は別のことを書こうと思ったのだが、リハビリですっかり疲れてしまって、オブラートに包んで人に見せられる抽象的な文章がうまく書けない。ほんとうは何とかして書きたかったんだけれど。ちなみに僕の個人的問題ではない。

そこで昨日のコバヤシのメールに対するアンサーブログを書くことにする。

コバヤシは、高校時代から卒業後数年にわたる僕の素行について、「悪口ばかり書いてしまった」と書いていたが、あそこに書かれていたことは全部事実である。「第一印象が最悪な人ほど長い付き合いになる。自分は人を見る目がない」とコバヤシ自身が嘆いていたが、それはまったく逆である。「人を見る目がある」のは僕の方だったのだ(笑)

唯一、騙されたなあと思ったのは、定期演奏会の直前だったか、コバヤシが何も言わずに数日間練習を休んだことである。僕は何も聞かされていなかったが、実はその数日間、部活のほかのメンバーと旅行に出かけていたことをあとで知り、「ああ、コバヤシは『アッチ側』の人だったのね」と感じる一幕もあった。いまとなってはどうでもいいことなのだが。

坂本龍一の「The end of Asia」でどのバージョンが好きかという件、僕も本音は圧倒的にPublic Pressure版なのだが、アコースティックバージョンもあることを忘れないためにダンスリー版を挙げた次第。

下校時間の音楽。コバヤシも覚えていないということは、結局、全校生徒で覚えているのは僕だけだということになる。これは誇っていいことだと思う。

| | コメント (0)

年の瀬に思うこと

鬼瓦殿

こんばんは。

このところ風邪を引いたり、何だか疲れたりと、少々ご無沙汰しておりましたが、貴君のブログはいつも読ませて貰っております。

と言っても特段何かネタがある訳でも無いのですが、この金曜日に漸く仕事納めとなり、昨日から年末年始の連休に入ったので、年の瀬に思うことをちょっと書いてみようと思います。

金曜の仕事納めでは、昼過ぎの2時ぐらいから会社の納会が開催され、いい感じで酔っ払ったところに、福岡の事務所から仕事の相談の電話が有り、仕方なく納会の会場から自分の机の方まで戻り、電話をかけ直し、あーでも無いこーでも無いと話して電話を切ると、納会が終わった人達がわらわらと職場に戻って来て帰り支度を始めたので、私もパソコンを畳んで帰ろうとしていると、私のメールで何度となく登場している腐れ縁の副社長Mさんが戻って来て、帰り支度をしている私を見つけて「何だ、小林いるじゃん。何処に行ったかと思ったよ。これから、みんなで蕎麦屋に行くぞ!」と言うので、「もうお腹一杯だし、蕎麦屋なんか行きませんよ。」と言うと、すかさずMさんは「俺だってお腹一杯だよ!いいから来いよ!」と言うので、私は尚も食い下がり、「今日は、これから年末年始の買い出しとか色々あるから行きませんよ!忙しいんだから!じゃあまた!良いお年を!」と手を振ると、Mさんは「冷たい奴だな!」と吐き捨てるように言います。周りの人達は、この2人は何じゃれあってんのという感じでニヤニヤしながら見ています。

まあ、何でこんなどうでもいい話を書いたかと言えば、会社でこんなたわいも無い会話が出来るというのは、自分は恵まれた環境に有るんだなあとしみじみ思うからです。

Mさんとは、前に居た親会社が発足する前、2つの会社が統合するに当たって、様々な課題を検討する際に、お互い別の会社の人間として出会ったのですが、早口で何言ってるか分かんない変な人だなあと思っていたのが、気付けば早四半世紀近くもの付き合いになってしまいました。

ちなみに、貴君との付き合いも、もう40年以上になってしまいましたね。

最初の印象は、前にも話したような気もしますが、高校に入学して吹奏楽団に入団した際の新入生歓迎会、高校の近くの古くからある茶房だったと思いますが、貴君と確かトロンボーンのチネンが、ラーメン屋でラーメンを頼んだら店員が親指を丼のスープの中に突っ込んだまま持ってきた、みたいなギャグ?を話しており、こんなツマラナイ奴とは絶対に友達になれないと思ったものですが、気づけば長い付き合いになってしまいました。

もっと言うと、高校時代は「オレはこんな部活もう嫌だから辞めたい。」とか「何であんな奴が部活の役員になるんだ。」とか毎日のように貴君が愚痴を言うのにウンザリさせられ、高校卒業後も、面倒がる私を中国地方や東北地方の旅行に連れ出したり、嫌がる私を、家まで車で送り迎えしするという条件で、高校の吹奏楽のOB楽団に入団させ、果ては軽井沢の貸別荘で合宿をするからカレーを作れとか、色々と振り回されたような気がします。

何だか貴君の悪口ばかり書く形になってしまいましたが、今となっては良い思い出ですし、私もブツブツ文句を言いながらも結局は楽しませて貰った訳で、そういう意味ではお互い何が良かったのか分かりませんが、こんなに長く行き合いが続くというのは何か通ずるものがあったのでしょうか。

そもそも私が仲良くなる人は、貴君もそうですし、前述のMさんもそうですが、大概第一印象が物悪かった人が多く、自分の人を見る目の無さにはほとほとあきれるばかりです。

そう言えば、ブログの方で坂本龍一のジ・エンド・オブ・エイシャのバージョンは何が良いのか?と書いてましたね。

私は、もう圧倒的にパブリック・プレッシャーです。ソロアルバム千のナイフやYMOの増殖でも聞いた筈ですが、そちらはあまりピンと来なかったし、貴君が書いていたので聴いてみましたが、ダンスリーのアコースティックバージョンも今一つです。何故、パブリック・プレッシャーが良いのかというと、やはりあのサビでしょうか。サビの怪しくいかがわしい雰囲気はあのシンセサイザーの音、パブリック・プレッシャーのバージョンが一番だと思うのです。

ちょっと変な例えになりますが、往年の土曜ワイド劇場で放映されていた天地茂演ずる明智小五郎の江戸川乱歩のシリーズのイメージでしょうか。特に黒蜥蜴で剥製にされた全裸の男女の映像と明智小五郎と心を通わせる悪女のイメージが、子供心に見てはいけないものを見てしまったという想いと共にジ・エンド・オブ・エイシャのサビのメロディーに重なるのです。

土曜ワイド劇場の江戸川乱歩のシリーズも貴君がブログに書いてましたね。

思い出しついでに、貴君がブログで書いていた高校時代の下校時にかかっていた曲のことも考えて見ましたが、こちらは全く記憶に無く、そんなこと良く覚えていたなあ、とちょっと感心しました。

ということで、年の瀬ということもあり、身近な親しい人の話を書いてみようと思ったのですが、結局、脈絡ない文章になってしまいました。すみません。

メールするのを止めようとも思いましたが、何も連絡しないのもどうかと思い、まあいいかとそのままメールしちゃいます。

年末年始もリハビリ大変そうですが、少しでも早いご回復を祈念しております。

では、またそのうち。

…………………………………

天知茂「ウルトラの父」説

http://yossy-m.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-ad0e.html

| | コメント (0)

ジブリは私を救う

12月28日(日)

仙台出身の若きリハビリスタッフのNさんとは、定義山の油揚げの話や、方言の「いずい」の話で盛り上がった記憶がある。仙台ネタは、さんざん語り尽くしてしまったので、もう話すことは何もないだろうと思っていた。

そうしたところ、Nさんはこんな話題を出してきた。

「昨日私、生まれて初めてオーケストラのコンサートに行ってきたんですよ。もう感動して感動して、生のオーケストラがこんなに感動するとは思いませんでした」

「どんな曲が演奏されたんです?」

「ジブリの曲です」

ジブリ映画の曲だけで構成されたコンサートらしい。歌詞のある曲は、歌手の人が出てきて歌ったという。もちろん本人ではない。

どうやらジブリ映画の熱烈なファンらしい。

僕は熱心なファンというわけではないが、多少の嗜みがある。

「ちょうど僕も昨日、『人生のメリーゴーランド』を聴いたところです」

するとNさんは驚いて、

「『ハウルの動く城』ですね!私のいちばん好きな映画です!昨日も演奏されました。鬼瓦さんもジブリ映画をご覧になるんですか?!」

「ええまぁ」

というか、ジブリ映画は僕たちの世代にとってドストライクの映画ではないだろうか。

「『人生のメリーゴーランド』は名曲です。ジブリの音楽ではいちばん好きな曲です」

『ハウルの動く城』の細かいストーリーはあまり覚えていないのだが。

それからNさんは、当日のコンサートで演奏された曲をまくし立てるように述べ始めた。ジブリ映画特集なので、当然、宮崎駿監督だけではない、高畑勲監督をはじめとする他の作品の音楽も演奏されたらしい。

「『魔女の宅急便』と『風立ちぬ』から松任谷由実さんの歌も演奏されましたよ」

「ユーミンの『ひこうき雲』はユーミンのデビュー作じゃなかったでしたっけ?あれもいい曲です」

僕はさらに『紅の豚』の加藤登紀子の歌も演奏されたか聞きたかったが、たぶん加藤登紀子の名前は知らないだろうと思い、聞くのをやめた。

「安田成美さんが歌った『風の谷のナウシカ』も演奏されたんですよ」

「ああ、あれは作曲者が久石譲さんではなくて、細野晴臣さんですね」

と答えたが、細野さんの説明が面倒くさかったのでそれ以上何も言わなかった。

「鬼瓦さんはジブリ映画の中で何がいちばん好きですか?」

いちばん難しい質問である。さんざん迷った挙げ句、

「『耳をすませば』ですかねえ」

と煮えきらない答えをした。考えてみればジブリ映画の屋台骨を支えてきた宮崎駿作品でも高畑勲作品でもない、近藤喜文監督の作品だった。この作品には特別の思い入れがあるのだが、それはまた別の話。

| | コメント (0)

評価がダダ下がりのリハビリスタッフ

僕の中で評価がダダ下がりしたリハビリスタッフもいる。

その若い男性スタッフは、最初はまじめそうに思えたのだが、自分のことをよく喋るタイプで、最近は同じ病院の同僚が彼女であるという惚気話を頻りにし始めた。

そんなの知らね~よ、という話なのだが何かにつけてその話題をしたいらしい。

さらに、最近は彼女と同棲を始めたらしい。そんなこと僕にとってはどうでもいい話なのだが、話したくて仕方がないようだ。

「母が、同棲することに反対なんですよ」

そらぁ反対するだろうよ。

「でもいまの世の中、結婚する前に同棲することはあたりまえのことじゃないですか。お試し期間というか…」

お、お試し期間???てことは何かい?お試ししてダメだったら別れるってことかい?

「僕の彼女は年上なんで、早く結論を出さないと…」

だったらなおさら、同棲は彼女にとって残酷なんじゃないか?

まったく意味がわからない。要はのろけたいだけなんだろうが。

僕はよっぽど、

「山田太一さん脚本の連続ドラマ『沿線地図』を観なさい」

と言ってやりたかったが、古いドラマだし観る手段がないのでその言葉を飲み込んだ。

結婚する前にお試し期間として同棲をするというのはあたりまえのことなの?教えてだまらー。

| | コメント (0)

無駄なことは何一つない

12月26日(木)

リハビリがあまりにも大変で、疲れが相当たまっているので、しばらく更新を休もうと思っていたが、せっかくこぶぎさんからコメントが来たので、久しぶりに更新しようと思う。

ちょっと苦手なリハビリスタッフがいた。悪い人ではないのだが、なかなか波長がかみあわない。

昨日、そのスタッフがリハビリ中に「僕の実家が…」と言ったので、試みに「ご実家はどちらですか?」と聞いてみた。

「福島です」

「福島というと、市内ですか?」

「いえ、福島といっても、新潟に近いところです」

奥会津のことだなと推測して、

「只見町なら仕事で2度ほど訪れたことがありますよ」

と言うと、

「えっ!只見に行ったことがあるんですか?」

「ええ」

でも彼の実家は只見ではないらしい。

いろいろ話していくなかで、

「仕事のついでに柳津に立ち寄ったこともあります」

するとリハビリスタッフさんの表情がみるみる変わっていった。

「柳津!そこが僕の実家がある町です!」

「あそこの粟まんじゅうがとても美味しいというので、会津若松で仕事があったついでに粟まんじゅうを食べに行きました」

「粟まんじゅう!」リハビリスタッフさんは再びビックリした。「粟まんじゅう、美味しいですよね!僕の同級生がお店をやっているんです!」

そこから柳津の話でひとしきり盛り上がる。

これで謎が解けた。最初彼は、「実家は福島です」というだけで、柳津の地名までは出さなかった。おそらく言ったところで知らないだろうと思ったのだろう。

しかし僕が「柳津で名物の粟まんじゅうを食べた」と言うや、彼のテンションが爆上がりしたのである。

「東京へ出てきて、初めて柳津のことを知っている人に出会いました!」

と彼は感慨深く言った。

仕事柄、全国各地をまわってきた。そのおかげというのか、いまになってその経験が役に立つ日が来るとは、誰が予想しただろう。人生に無駄なことは何一つないのだ。

ほかにも、他のリハビリスタッフの実家のある町について盛り上がったことがあるのだが、疲れてきたので今日はこの辺で。

| | コメント (0)

続·リハビリから解放された日

12月20日(土)、21日(日)

もう一つの密かなミッションというのは、「ふだん病院で食べられないものを食べる」ということである。

寿司、天ぷら、お蕎麦、ステーキなど、自宅に戻ったらたらふく食べてやろうと思ったが、長年の入院生活ですっかり食欲がなくなり、胃が小さくなってしまったせいか、すぐにお腹いっぱいになってしまった。

しかも長らく食べていない脂っこいものや味つけの濃いものを食べたせいか、たちどころにお腹の調子が悪くなり、何度となくトイレに駆け込んだ。

せっかくの機会なのに、こんな苦しむことになるとは、自分が情けなくなってしまった。しかも自宅の外に積極的に歩きにいくこともできず、このままでは復職はおろか、歩くこともままならなくなり、一生寝たきりの生活になってしまうのではないかと、突然激しい不安に襲われた。

やはり今の僕にはリハビリを続けていくしかないのだと、リハビリから解放されて嬉しいはずが、むしろリハビリの必要性を痛感したのだった。

「年末年始はもう一度、試験外泊の名目で自宅で過ごしますか?」と事前に病院のスタッフに聞かれていたのたが、もう腹は決まった。「いえ、リハビリに専念します」

21日(日)夕方、いよいよ病院に戻る時間だ。妻は車を駐車場から出すためにひと足早く自宅を出た。小2の娘は家でお留守番である。

僕は妻よりひと足遅れて自宅を出ることになっていたが、玄関で立ったまま靴を履くことができなかった。

それを察した娘が靴を履かせてくれた。

「ありがとう。あと1カ月したらまた戻ってくるからね」1カ月後というのは、退院予定日のことである。これは年末年始には戻らないという宣言でもあった。

「うん、わかった。転ばないようにね。転んじゃだめだよ」

娘とハイタッチして玄関のドアを閉めた途端、涙が止まらなくなった。

| | コメント (1)

リハビリから解放された日

12月20日(土)、21日(日)

1泊2日の試験外泊の日である。試験外泊は、自宅での生活にどれだけ適応できるかを試す、いわば一時帰宅である。

僕は試験外泊の日が来るのを楽しみにしていた。しばらく会えなかった娘とも会える!

土曜日の午前10時、妻が車で病院まで迎えに来てくれて、自宅に戻った。長く監獄生活のような病院とくらべると、やはり娑婆の空気は美味い。

今回の僕なりの密かなミッションは大きく二つあった。

一つは散髪屋に行くこと。入院する前から紙を切っていないからもう半年以上も切っていないかもしれない。まずは髪をサッパリしたかったのである。

いつも通っていた散髪屋はちょっと遠いところにあるのでさすがに行くことができない。代わりに、自宅のあるマンションから歩いて行ける距離のところに理髪店があることを思い出した。

ただ、若干の躊躇があったのは、その理髪店は腰の曲がったおばあさんが一人で切り盛りしているお店であるということである。息子らしき男性が助手をしているほかは、実際に髪を切るのはそのおばあさんひとりである。おばあさんひとりで大丈夫だろうか。

しかし背に腹は代えられないということで、その理髪店に入った。

僕は杖をついていて、「すみません。右足がきかないんです」と言うと、「ゆっくりでいいですよ」と店の中に促してもらい、ゆっくりと、転ばないように、散髪するための椅子に腰かけたのであった。

そのおばあさんは、僕がなぜ右足がきかないかについての事情をまったく聞くこともなく、淡々と散髪を始めた。よけいな無駄話はまったくせずに、ひたすらはさみやバリカンを動かしている。その動きは、実に丁寧だった。

いちばん気になっていたのが顔剃りだが、これも実に丁寧に顔剃りをしてくれた。最後の洗髪とドライヤーがけまで、何の不安もなく全行程が終わった。

僕はその時、自分がいかに偏見にとらわれていたかを悟った。長年その場所で理髪店を続けてこられたというのも、お客さんの信頼が高かったからである。僕の散髪中も、ご近所付き合いで、おばあさんに差し入れを持ってくる人もいた。

なるほどこれが正真正銘のプロということか。僕は今後も、この理髪店に通うことを誓った。

もう一つのミッションは、…疲れたので気が向いたらまた書く。

| | コメント (0)

クリスマスコンサート

12月19日(金)

今日もなんとか無事にリハビリが終わったが、もう身体がぶっ壊れそうな勢いで疲れている。身動きがとれない。もうダメかもわからんね。

今日の午後2~3時まで、1階のリハビリ室でクリスマスコンサートが開かれたそうだ。1階のリハビリ室は広々とした空間になっていて、イベントをするには好都合のスペースである。

クリスマスコンサートは予約制になっていて、僕もリハビリスタッフからずいぶん前に参加の意志を聞かれたのだが、その時間は入浴の時間だということで断った。ま、僕が断っても、各階の病棟から各10名ずつの定員枠が設けられていて、すぐに定員に達したそうである。

クリスマスコンサートは、バイオリン1本とピアノ1台だけの編成だったそうだが、それにしてもどんな曲をやったのか気になる。

3時にリハビリを担当してくれた若き女性のリハビリスタッフと一緒に、どんな曲が演奏されたのか、想像をめぐらせた。

しかし世代が違いすぎて、共通にわかる曲があるか、心配である。

僕は「ホワイトクリスマス」とかWHAM!の「ラストクリスマス」とか、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」などをあげたが、若きリハビリスタッフにはピンと来ないらしい。

「日本の曲はどうでしょうか」

若きリハビリスタッフが話題を変えたので日本のクリスマスソングについて思いつく限りをあげてみることにした。もはやクリスマスコンサートで何を演奏されたのかはどうでもよくなった。

「この時期になるといちばんよく流れてくるのは山下達郎の『クリスマスイブ』でしょうね」

「そうですね」

さすがに若きリハビリスタッフも知っているようだった。

「あと、山下達郎の奥さんの竹内まりやも、ケンタッキーフライドチキンのクリスマスキャンペーンソングを歌ってましたね」

「竹内まりやさんて山下達郎さんの奥さんだったんですか!」

そっち?そっちに驚いたの!?

「あの夫婦はクリスマスの時期になると荒稼ぎしているんですよ」

というのは言い過ぎか…。

「あとは稲垣潤一の『クリスマスキャロルが流れる頃には』くらいでしょうか」

しかしもっとあるはずだ、とモヤモヤが続いた。

その時、若いリハビリスタッフがふと口を開いた。

「あのぅ、あまり有名ではないかもしれないですけれど」

「何です?」

「広瀬香美さんの、『恋人はサンタクロース』などはどうでしょう」

「広瀬香美さん?違いますよ!あの曲は松任谷由実さんの大ヒット曲です!…ま、たしかに、広瀬香美さんが歌いそうな曲ではありますけども」

広瀬香美の「ゲレンデが溶けるほど恋したい」とごっちゃになっているのかと思えば、間違えるのも無理もない。しかしユーミンはすでに若者にとって遠い存在であることを象徴した間違いであるようにも思えた。

それにしても、若きリハビリスタッフのおかげで重要なクリスマスソングを思い出した。

「『恋人はサンタクロース』こそ、J-POPが誇るクリスマスソングの元祖ですよ!」

僕はいささか興奮気味で答えた。溜飲が下がる思いがした。

でもね、本音を言えば、クリスマスコンサートにもっともふさわしい曲は「戦場のメリークリスマス」だと思うのだが、どうやら演奏されなかったらしい。難しい曲だからね。せめて自分が聴くことにする。

| | コメント (0)

小説談義

12月17日(水)

今日こそは疲れて何も書く気が起こらない。

今日の「手のリハビリ」の担当の一人は、例のいぶし銀のスタッフである。スタッフが誰のリハビリを担当するかは毎朝無作為に選ばれるのだが、最近、巡り合わせがよいのか、担当してくれる機会が多い。

いぶし銀のスタッフも、僕と話をするのを心なしか楽しみにしているようである。ただし僕の方から話題を出すことはなく、もっぱらいぶし銀のスタッフが話題を出す。

「先日文庫本を買ったんですよ。そしたらいま文庫本って値段が高いんですね。891円もしました」

「いまは文庫本1冊で1000円を越えるものだってありますよ」

「そうですか。昔は500円以内で買えたと思うんですが」

「そうですね。むかし新潮文庫のキャッチコヒーに『想像力と数百円』というのがありましたしね」

そこから小説談義が始まる。

どうやらそのいぶし銀のスタッフは、女性作家の小説を読むのが好きらしい。その文庫本も、辻村深月さんの『傲慢と善良』という小説だった。

僕も女性作家の小説は読むには読むのだが、辻村深月さんの小説はこれまで読んだことはなかった。話題を広げられなくて申し訳なく思った。

ほかにもいぶし銀のスタッフは次々と女性作家の名前をあげていくのだが、ひっかかる名前がない。唯一ひっかかったのは桜木紫乃さんであった。『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』(2021年2月 KADOKAWA)をすごく面白く読んだのだが、いぶし銀のスタッフは読んだことはないようだった。なぜこれを読んだかというと、大竹まことさんをモデルにした小説だからであった。しかし全体的にはことごとくちぐはぐな会話になってしまった。

いぶし銀のスタッフは少しだけ話題を変えた。

「古今東西の作家の中で、鬼瓦さんの好きな作家は誰ですか?」

ストレートな質問である。ストレートな質問にはストレートに答えた方がよい。

「福永武彦です」

「福永武彦!」いぶし銀のスタッフは驚きの声をあげた。

「僕は福永武彦を題材にして卒論を書いて、高校の教師になろうと思った時期があったんです!」

本当かよ。俄には信じられなかった。

「福永武彦が好きだという人にお会いしたのは生まれて初めてです」

そらそうだろうよ。

よくよく聞いてみると、いぶし銀のスタッフは福永武彦の『草の花』という小説が大好きらしい。それ以外はあまり読んでいないようだった。

『草の花』はたしかに福永武彦の代表作だが、どちらかといえば恋愛をこじらせた思春期の少年に刺さる小説である。実際、10代の頃、『草の花』を読んでいた学生は多かったと記憶する。

「福永武彦のどういうところが好きなのでしょう?」と聞かれたが、なかなか一言では説明できなかったので、しどろもどろに答えてしまった。

こういうことにちゃんと答えられれば文芸評論家になれただろうに、まだまだ修行が足りないことを実感した。

| | コメント (0)

スーパースター

急に思い出した。たぶん僕しか覚えていないことだろう。

高校時代に、夕方の下校時間になると、放送部が下校をうながす音楽をかけてくれた。

その音楽の中で僕の記憶に残っているのは、カーペンターズの「スーパースター」という曲だった。かなり長い期間、下校時の音楽として流れていたと思う。

カーペンターズといったって、いまの若い人は誰も知らないだろう。「何それ?大工さん?」くらいのことだろう。

しかし当時の高校生のほとんどはカーペンターズを知っていた。かくいう僕もそうだったが、「スーパースター」は、この下校時間の時に流れる音楽として、生まれて初めて聞いた。

なんと美しくて切ない歌なんだろうと、高校生の僕は衝撃を受けた。それ以後、カーペンターズのファンになり、いろいろな歌を聴いてみたが、「スーパースター」を越える歌は見つからなかった。

何が言いたいかというと、当時の放送部の慧眼に拍手を贈りたいということである。よくぞこの歌を選んでくれた!と。おかげで「スーパースター」は終生忘れ得ぬ1曲として僕の心に残り続けた。

ここから先はとたんに記憶があやふやになるのだが、高校3年間で、ほかにも下校時間の曲が流れていた。僕の記憶ではThe Squareの「CAPE LIGHT」という曲が流れていたいた時期があったような気がするが、牽強付会の記憶かも知れない。誰かに確かめようとしても、覚えている人はいないだろうから、確かめる術がない。

| | コメント (0)

お医者さんごっこ

いまの入院先はリハビリ専門の病院で、医療設備がまったくない。レントゲンすらない。したがって診療もできない。僕は重大な病をいくつか抱えているが、その診療もさせてもらえない。他の病院に行って診療を受けることは、診療報酬の関係上、固く禁じられている。つまりいったんこの病院に入院してしまったら、監獄に閉じ込められるも同然なのだ。

以前にも書いたが、週に一度、主治医による総回診がある。看護師やリハビリスタッフなど、数名を引き連れて病棟を練り歩くのである。まるで領内を巡見する藩主のようだ。

主治医は最初に「体調はどうですか?」と聞く。僕は「へえ、お殿様のおかげで問題なく過ごしております」とばかりに、わざと卑屈に答える。もちろん、そんな言い方はしないのだが。

主治医はほとんど喋らない。もっぱら看護師やリハビリスタッフに最近の様子を聞く。最近の様子、といっても、話すことは何もない。僕自身が看護師を信頼していないのでほんとうのところを話していないからだ。主治医は最後に、「引き続きリハビリを頑張ってください」と僕に呼びかける。僕は「へえ、お殿様のありがたきお言葉、痛み入ります」と答えて、主治医とその一行は去ってゆく。僕は心の中で(そんなこと言われなくたってこちとらリハビリを頑張っているよ!)という言葉をグッと飲み込む。

唯一の医療行為らしきものといえば、月に1回、採血があるだけに過ぎない。しかし採血のデータはこっちに知らされない。主治医は「栄養不足と、あと貧血気味ですね」としか言わないが、そんなこと、わざわざ採血しなくってもこっちが自覚していることである。バカな領民は、血液検査の詳細なデータを見せてもわからないだろうという判断なのだろうか。でもこちとらいろいろな病院を渡り歩いた患者のプロですぞ。お殿様、さすがに領民をバカにしすぎじゃござんせんか?

そんな不満をすべて飲み込んで、今日も回診が終わっていく。不満を言うと刑期が延びるのかもしれないので、いまは模範囚として耐え忍ぶほかない。

| | コメント (0)

どのバージョンが好きか?

12月11日(金)

二人部屋の病室の隣の住人(ガハハおじさん)がついに退院した。今度は代わりに「体調は絶好調です!」と言ってやろうかと思ったが、とてもそれどころではない。今日ほど疲れたことはない。

火曜と金曜は入浴の日なのだが、毎回、リハビリの直後に入浴時間が設定されているのである。

どうってことないことと思うかも知れないが、入浴はリハビリ並み、いやそれ以上に疲れる。入浴スタッフが気が利かないせいもある。

今日なんかリハビリのために廊下を歩く訓練をしていたら、入浴スタッフがやってきて、

「今すぐお風呂に入ってください。そのまま廊下を移動して浴室に来てください」

とリハビリスタッフの前で平然と言う。

まだリハビリの途中ですよ!とうとう入浴の催促もフライングするようになったかと、すっかり呆れてしまった。

かくのごとく、この病院の医療側のスタッフのガバナンスはガバガバである。昨日なんか、ナースコールを呼んでも看護師が待てど暮らせど来なかったからね。何のためのナースコールだ?

だから僕はこの病院の看護師を一人として信頼していない。

そんなことはともかく。

坂本龍一さんの曲に、みなさんもよく知っている「The end of Asia」があるでしょう?のちにYMOのアルバムにも収められた曲ですよ。

いろいろなバージョンがあるが、僕はどのバージョンが好きかを考えてみた。

1.坂本龍一さんの初のソロアルバム『千のナイフ』に収録されたオリジナルバージョン

2.YMOのアルバム『public pressure』に収録されたライブバージョン

3.YMOのアルバム『増殖』に収録された、伊武雅刀のナレーション入りバージョン

ふつうは1か2かなあと悩んでいたら、もう一つ別のバージョンかあったことを思い出した。

4.『坂本龍一+ダンスリー』というアルバムに収録されたアコースティックバージョン。

これだ!僕が好きだったのはこのバージョンだったのだ!

このアコースティックバージョンは、いま聴いても涙が出るほどすばらしい。ま、ふつうはノーマークだろうけどね。

というわけで、だまらーのみなさんはどのバージョンが好きですか?よろしければ教えてください。

それではまた!

| | コメント (4)

これもまた自慢話

これもまた自慢話。

前の職場時代に、学内の一部局が発行している定期刊行物に、大学生時代の思い出にかかわるちょっとしたエッセイを書いた。いまでこそ学内で発行している定期刊行物は、学外の一般の人たちの目にも触れるため、長い文章は嫌われ、カラー刷りで短い情報を発信するツールになってしまったが、僕がいた頃は、やはり一般向けの宣伝の役割はその当時からあったものの、いまよりも地味な体裁であった。

その定期刊行物は学内の全教員にも配布されたが、僕と同世代のある同僚から次のようなことを言われた。

「あのエッセイ、面白くて夢中で読んじゃいましたよ。メールボックスで受け取って、自分の研究室に戻ろうと階段を上っている間に、なんとなく読み始めたら止まんなくなっちゃって、階段の踊り場のところで読み終わるまで立ち止まってしまいました」

僕は驚いた。そんなことを言われたのは初めてだったからである。しかもふだんは口数の少ない同僚なのである。

しかも、その同僚は僕とは専門分野がまったく異なる、堅物で有名な法律の専門家だったのである。その同僚とはとくに親しいわけではなく、「学食」で見かけると、近くの席に座って多少の会話をする程度の間柄だった。お互い孤高の人間だったからね。

そういう堅物の法律家を夢中にさせたエッセイを書けたことに、僕は少なからず誇りを持った。他の誰にも感想を言われたことはなかったが、僕はその同僚一人に言われただけで満足だった。

文章なんて、それで十分だという思いを強くしたのは、それがきっかけである。

| | コメント (0)

涙は枯れない

最近、10代の頃に聞いていた音楽をもっぱら聴くようになったのだが、知らず知らずのうちに涙がこぼれてしまう。涙脆くなったもんだ。嗚咽といってもいいくらいに、思わず声を出してしまう。

ここ最近全然連絡をとっていない人からもメッセージが来た。1年前に結婚をして、今は外国に住んでいるという。送られてきた幸せそうな結婚写真を見て、よかったなぁとまた涙ぐむ。

尊敬する元同僚からのメールに、僕に対する過分な褒め言葉が書かれていて、俺の人生も捨てたもんじゃなかったなあと、文面を読んでまた涙ぐむ。

妻から送られてくる娘の写真や動画を見ては、成長したなあと感慨に浸って涙ぐむ。娘とは3カ月くらい会っていないからなおさらである。

僕の涙は枯れることがない。

| | コメント (0)

陰謀論者のリハビリスタッフ

12月8日(月)

今日は「よく喋る男性リハビリスタッフ」に2人ほどあたった。

一人は延々と自分語りをするスタッフで、その語りは、わかりやすく、論理的なので、聞いていても心地いい。こういうときは、こちらが下手に口を差し挟まない方がよい。時々、話を膨らませるような合いの手をいれるだけで、気持ちよく喋ってくれる。

もう一人は、例の「床屋政談」が好きなスタッフである。例によって中国ネタを話し始めた。

「最近気になっているのはパンダのことなんですよ」

「パンダ?」

「来年の2月に上野動物園の2頭のパンダが中国に返還されることになっていて、それ以降は、日本に貸し出されない可能性があるんですよ」

今の日中関係を想定しての話である。そもそもパンダは1972年に日中国交正常化の象徴として日本に二頭が贈られた。ただし、パンダは絶滅危惧種に認定されたため、「贈与」ではなく「貸与」という形である。もしこの関係が途絶えたら、不用意な発言をした現首相の責任となるのだが、その辺のところが彼の頭の中で結びついているのかどうかはわからない。

「それから、全国にチェーン展開している○○ホテルをご存じですか?」

「ええ、知ってますよ」

「そのホテルの各部屋には、中国をディスる内容の本が置かれているそうです」

「へぇ~。知らなかった」

「そのホテルに泊まった中国人観光客が、その本を見つけて、気分を害して、「○○ホテルには泊まるな!」と中国のSNSに書いたら、それが中国内に拡散されて、その○○ホテルに泊まる中国人観光客がいなくなったそうです」

○○ホテルの社長はもともとネトウヨなので、そういうことをしかねない人間であることは容易に想像できるのだが、僕は知らないふりをした。

「そしたらその社長さん、『中国人観光客が泊まらなくても経済的には影響はない』と意に介さず、その本も撤去しなかったそうなんです」

「へぇ~、そうですか」

「ま、これはネットに書いてあった情報なんですがね」

なんだよ!ネットだけ見て鵜呑みにしたのかよ!ファクトチェックしてないのかよ!

とにかく何かにつけて中国をディスりたいらしい。

「台湾有事」の件についても現首相の発言ではなく質問した野党議員が悪いとお決まりの「愛国しぐさ」をしていた。

僕はただただ黙って聞いていた。もう少し踊らせたかったなぁ。

| | コメント (0)

令和人文主義

今日もリハビリで疲れはて、何も書くことがない。

「令和人文主義」という言葉を初めて知った。

僕らが大学生の頃はね。まだ「教養主義」という言葉がうっすらと残っていた時代で、学生の誰もが古今東西の古典を読み漁っていたものだ。そうでしょう?同世代の仲間たち。

しかし今は「教養主義」がすっかり死語になり、「令和人文主義」にとって代わっているという。

まだいまひとつ「令和人文主義」のことをよく理解していないのだが、僕の理解する範囲でいうと、第一に、対象となるターゲットは学生ではなく「会社員」であるという。今の学生は本を読まないからそこに訴えかけるのは意味がない。そこで、むしろ読書を渇望する「会社員」をターゲットにしているらしい。会社員だったら、学生時代に本を読まなかったことへの悔恨もあるだろうし、何より本を買う小金(こがね)を持っている。出版社がそこに注目するのも無理はない。

第二に、新自由主義の台頭である。文芸評論家は出版社と結託して本を薦める場合がある。

第三に、文芸評論家が本の「オタク語り」(まくし立てるような喋り方)をすることによって購買意欲をそそることである。そうすると、自分もその本を読んでみようかという気になる。

しかし会社員には本を読みたくても時間が取れないことが多い。そこで文芸評論家は、コスパ、タイパのよい読み方を動画サイトを使って伝授するのである。

かくして、文芸評論家のYouTubeのフォロワーや再生回数も増えるし、出版社は本が売れるし、読者はお薦めの本を読むことができるし、評論家、出版社、読者がWin-Winの関係になるのである。

以上が僕が理解する「令和人文主義」である。誤解しているところもあるかも知れないのでもう少し理解を深めていきたいが、僕が、「令和人文主義」の旗手であるあの評論家の薦める本を読む気がしない違和感の理由がなんとなくわかる気がした。

| | コメント (0)

絶賛上映中

ある時期から漫画をまったく読まなくなったが、ここ最近で、唯一全巻を通して読んだのは、武田一義さんの『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(全11巻+外伝4巻)である。あ、吉永ふみさんの『大奥』も、全巻かは忘れてしまったが、少なくとも大部分は読んだ。

武田一義さんの『ペリリュー』をなぜ読むようになったのかというと、ある本に紹介されていたのを見て、面白そうだなと思って読み始めたのがきっかけだったと思う。

もうひとつの理由は、今から4年ほど前の2021年、ある小説に関するオンライン読書会になぜか僕が招待されて、その読書会のメンバーの一人に武田一義さんがいたのである。

他のメンバーは、その小説を書いた作家本人やその編集者も含めて、すでにお互いを知っている関係だったが、僕だけが「おたくさん、誰です?」という感じの完全アウェイの読書会だった。しかしまあせっかく呼ばれたので、その小説を必死に読み込み、僕なりの感想を述べることで責めを塞いだ。

3時間以上にわたる読書会は思いのほか盛り上がった。メンバーたちはそれでも飽き足らず、一斉メールのような形で、それぞれ読書会自体の感想を書き合って盛り上がった。いわば二次会のようなものである。

僕も調子に乗ってその二次会に加わり、こんなことを書いてしまった。

「…小説の読後感として、読書会の中では構成や技法という点から福永武彦の『忘却の河』をあげましたが、読み終わった時の衝撃という点では、韓国映画の『オールド・ボーイ』(パク・チャヌク監督、2003年)を観終わった時の衝撃に近いものを感じました。ただなぜそう感じたのか、自分の中でそれをうまく言語化できていなかったので、会の中では申し上げませんでしたが」

そしたらあーた、武田一義さんから僕宛てに、こんな返信をいただいたのである。

「読後感について『オールドボーイ』というのは僕も「なんとなく分かる!」という思いです。

僕はこの小説を読み終えた直後、傑作に出会った興奮状態の中で「似てるってことではないけど芥川龍之介の『藪の中』とかタランティーノ映画を初めて見たときみたいな衝撃」と妻に伝えました。

鬼瓦さんの挙げた2作品とは、なんとなく共通点があるように思えます。

語るとキリがなさそうなので、僕もこれくらいにしておきます。

ではまた、ご縁がありましたら」

韓国映画の『オールドボーイ』はタランティーノが評価してやまなかった作品である。そのことを知っていた上で、「なんとなく分かる!」という共感のコメントをいただいたのである。僕はこの言葉にすっかり感激してしまった。この感性の共鳴は、読書会のほかのメンバーには理解できなかっただろう。

僕がすっかり武田一義さんのファンになったのも無理はない。

さて、肝心の『ペリリュー』の内容は、アジア·大平洋戦争末期、南方のペリリュー島での日本軍兵士たちの戦いを、実際の取材を通して、虚構を交えながら描いた傑作である。大岡昇平の小説『野火』にもインスパイアされていると本人は述べている。

「戦争漫画は苦手だ」という人には無理には奨めない。しかし、この漫画に登場する人物たちはいずれも三頭身で、かわいらしく愛すべきキャラクターである。その点では、もちろん悲惨な戦場を描いてはいるのだが、リアルに描いているわけではない。

残念ながら、入院中の身ではいま公開中の映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』を観に行くことができない。もしだまらーのみなさんの中で観に行く方がいれば、感想をお寄せくださいますと幸いです。厚かましいお願いですがよろしくお願いいたします。

| | コメント (0)

知事の定例記者会見

毎日毎日、リハビリが間断なく続いていて、疲労困憊である。もうダメかもわからんね。

今日も例によって書くことがない。

兵庫県の斎藤元彦知事が定例記者会見で、記者の質問にあまりに頓珍漢な答えをするので、この人はほんとうに地方自治というものをわかっているのだろうか、と首をかしげるばかりだった。

そこで、全国の他の知事の定例記者会見と見比べてみたら面白いんじゃねえか?と思いつき、他の都道府県の知事の定例記者会見を見てみることにした。

知事の定例記者会見は、大抵の場合、YouTubeにアップされている場合が多い。

僕はまだ数県の知事の定例記者会見しか見ていないが、その中でも断トツに面白かったのは、鳥取県の平井伸治知事の定例記者会見であった。

基本的に記者の質問にNGはない。どんな質問にも答える。わからないときは「わからない」と素直に答える。しかしその回答は軽妙洒脱で、地方自治を担う矜持と、鳥取県に対する愛情に満ちている。

こんな質問が記者から出た。

「元政治家の宮崎謙介氏が、自身のSNSで、鳥取を訪れた際に『鳥取県は活気や活力がない』と書かれていましたが、知事の受けとめを教えてください」

こんなときに兵庫県の斎藤元彦知事だったら、

「承知をしておりません」

「個別の投稿についてはコメントを差し控えます」

などと、見ていないふりをするか、個別の案件にはコメントしないとして、その質問から逃げることだろう。実際、兵庫県にとってきわめて深刻な事態をもたらしたSNSの誹謗中傷についても、「個別の案件についてはコメントを差し控えます」の一点張りだった。この人には心がないのかと、呆れるばかりだった。

さて、鳥取県の平井伸治知事はどう答えたか?

平井知事は、鳥取県に関する宮崎謙介氏の投稿を隅から隅までチェックしていた。たしかに宮崎謙介氏は鳥取県をディスっていた。

しかし怒りをあらわにすることなく、宮崎謙介氏の面目を潰すことなく、鳥取の町の開発の歴史を何も見ずに滔々と述べて、宮崎謙介氏にやんわりと反論したのである。

僕には「鳥取のことをよく知らないくせに活気がないとか言うなよ!」というニュアンスが伝わったのだが、もちろんそんな言い方はしない。

「こんど宮崎謙介氏が鳥取に来られた時には私が隅から隅までご案内します。その時は、鳥取をディスるのではなく、「ディスカバリー鳥取」というふうにお気持ちが変わるでしょう」と、最後は駄洒落で締めたのである。

僕はこの回答にすっかり感激してしまった。なんと懐の深い人だ、そしてなんと鳥取愛に満ちた知事だ!と。

今日のニュースで、平井知事が11月19日に高市総理と面会した際、「地方は東京を見習って」と言われ、強い違和感をおぼえたという。そのことを県議会の場で告白している。これもまた、地方自治を担う知事としての矜持である。

というか、知事たるもの、一国の総理と渡り合える胆力が必要なんだな。当たり前のことなのだろうが。

結局何が言いたいかというと、どんな仕事でも矜持と胆力が必要だということだ。今の僕にはできないけれど。

| | コメント (0)

「私」の物語を生きる

こちら、だまらーネーム「わさびな」さんからお便りをいただきました。

…………………………

こんにちは。

だまらーネーム わさびなです。

日記に書いた文章ですが、誰かにひっそりと読んで欲しい気持ちになったので送ります。

……………………

中学生のころ、私は少し変わった立場の子どもだったと思う。

勉強も運動もできた。音痴でもなかった。

先生に頼まれて学級委員長をやった。

でも決して、でしゃばらない。

目立とうとしない。

人の悪口も言わない。

だから誰も私を傷つけられなかった。

というより、ツルツルとしてひっかかりがなく、関わりようがなかったのだと思う。

いま私は、とあるラジオを聴いている。

「絶望」という名を冠した番組には、常連のリスナーがいる。

悪口や殺意。鬱や希死念慮。性欲。フィクションのような不幸の連続。

そんなことを書いたレターがよく採用されている。

パーソナリティは、それらのレターに丁寧に向き合ってコメントをつけていく。

決して解決しようとしない。寄り添わない。

ただ真摯に向き合う。

そのレターを書いた人のパーソナルな部分への言及もする。

まるで、他人の交換日記を見せつけられているような気持ちになる。

このラジオを聞いている時に感じるさみしさは、中学の教室で「問題児」が、教室を舞台に繰り広げられる物語の中心に据えられているのを見ていた時の感情によく似ていると思う。

あの頃の問題児たちのように、常連リスナーは、時に常識や倫理から逸脱して、生き生きと絶望を語る。

パーソナリティにいじられる常連リスナーたちは、名前のある登場人物として、その番組の名前を冠したひとつの物語を生きている。

私自身も番組に何度もレターを送ってきたが、なかなか採用されない。

そして、採用されても、常連の人たちのように、パーソナリティから、「私」という人間に向き合ってもらえたという感覚を持てたことがない。

レターの言葉から立ち上がってくる「私」の像には、彼の心を動かすものが欠けているのだと思う。

決して「拒絶」されているわけではない。

でも、私が番組に送った言葉は、「宙吊り」のまま、どこにも引っかからずに消えていく。

私は、誰の敵にもならない。誰からも攻撃されない。

けれど、同時に、誰からも触れてもらえない。

だから、孤独になる。

冷静に考えれば、レターを読まれる人は、番組が素材として扱える人なのだろうと思う。

番組にとって扱いやすい種類の絶望なら、物語として昇華される。

私の言葉はたぶん素材として美味しくない。

絶望の度合いも中途半端で、コメディに昇華できるような悲劇でもない。

番組のフォーマットの外にある言葉。

つまり、読まれないというのは、パーソナリティから嫌われているからでも、興味を持たれていないからでもない。

私の言葉はこの番組にとって、あってもなくても良い言葉というだけの話だ。

この番組のパーソナリティは、かつて、「ファンからいくら手紙をもらっても、何も積み重なるものはない。無。」と発言したことがある。

問題児たちだけは「無」ではないのではないかと考え出すと、ますますさみしくなるが、これは認知の歪みだろうか?

私は、ずっと、誰にも傷つけられない場所にいて、誰にも抱きしめられない場所にいる。

それが一番の傷であり痛みなのかもしれないと思った。

…………………………………

僕が好きな映画監督である大林宣彦さんの映画には、しばしば映画の最後に、物語の中心から「取り残された人」が登場します。その場面は実に印象的です。物語の中心から取り残された人への眼差しを決して忘れないところに、僕が大林宣彦監督の映画が好きな最大の理由があることを、お便りを読みながら思い出しました。

みなさまからも、どんなことでも構いません、ちょっと聞いてほしいなあというつぶやきなどがありましたら、引き続きお便りを募集しております。

| | コメント (0)

ホモソな世界

すっかり疲れはて、書くこともないのでどうでもいい話をひとつ。

『陰謀論と排外主義』という新書が売れている。僕もその話を聞きつけてAmazonで先行予約して手に入れた。

7人の執筆者による共著で、各執筆者の論考は、長年にわたる取材にもとづき、深い洞察に支えられた、いずれも読みごたえのあるものばかりであった。

ただ僕には、どうしても引っかかることが1つあった。

それは、7人の執筆者の中に女性が一人も含まれていないことである。

このテーマを論じられる女性論客がいなかったのだろうか?あるいは、見つからないだけで、埋もれてしまっているのだろうか?適任者がいなかったと言われればそれまでだが、それでもやはり、僕はそこに薄ら寒さを感じてしまったのである。

7人の執筆者のすべてを従前から知っていたわけではないが、僕の知る執筆者はいずれもふだんの言動から察するに女性差別をしたり男尊女卑を唱えるような人たちでは決してない。それは断言できる。

にもかかわらず、この本が醸し出すホモソーシャルな雰囲気は一体何なのだろう?とそのことばかりが気になってしまった。

こんな批判めいたことを書くと、7人の執筆者はいずれも狂犬のような強者たちなので、「お前は何もわかっていない!」と噛みつかれる恐れがあるので、ここでひっそり書くことにした。

僕はこの本に女性執筆者が参入できないのは構造的な問題で、その点にこそ問題があると思っているのだが、うまく言語化できないのでこの辺でやめておく。

| | コメント (0)

ささやかな贈り物

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

順調とは言えないのかもしれませんが、頑張っているようですね。

こちらは、まあ何とかやっておりますが、昨日、今日は関西出張で加古川から元の職場の堺へと渡り歩き、漸く東京に帰る新幹線の中です。

帰りの道すがら、先日貴君のブログで出されたお題について、遅まきながら少し書いてみようと思います。

先週の火曜日に、翌々日の偉い人達の御前会議の資料の事前説明ということで、腐れ縁の副社長Mさんのところに行ったのですが、副社長室で資料を渡すと「お前、相変わらず良く働らくよな。」と言います。私は「別に好きでやってる訳じゃないですよ。嫌だけど仕方なくやってんですよ!」と悪態をつくので、すかさずMさんは「嫌だ嫌だと言いながら、お前、良く働らくよな。感謝してるよ。」と言うので、私は「そんなに褒めたって何も出ませんよ!」と再び悪態をつきます。

まあ、そんなことはどうでも良いのですが、何故、私がMさんに報告しているのかと言えば、昨年、春にウチの会社の人達の縦割りの仕事振りにほとほと嫌気がさした社長と副社長のMさんは、全社の組織に横串を刺す為のバーチャル組織(各地の管理職の兼任ばかりの組織)を立ち上げて、その頭に私を置いて「後は任せた!」状態になったのですが、最初は私も管理職達にあーだこーだ言っていたのですが、金打てど響かずだったので、痺れを切らせて、つい「年寄り達はダメなんで、20代、30代の若手にこの仕事をやらせてください。私が責任を持って面倒を見ますから。」と言ってしまったので、若者たちにテーマを与えて検討をさせることになった手前、彼等に社長、副社長の前で報告する場を作り、そうは言っても社長、副社長が若者相手にあーだこーだ言い過ぎないように事前説明をして根回しをするという羽目になってしまった次第です。

そんなこんなで、その数日後に私が面倒を見る羽目に陥った若者達を中心とした若手の研修の報告会があったのですが、その若手の中のKさんが、「今度、本社で報告会が有るので、コバヤシさんにご挨拶に行きたいのですがいらっしゃいますか?」と大分前からメールをくれていたので、大丈夫だよと返信したら、報告会の前にちゃんとKさんがお菓子を持って私のところに来てくれて「私、実はは周りの人達が、私が一生懸命にあれをしたいこれをしたいと言っていたのに、全然相手にしてくれず腐っていたんです。でもコバヤシさんが、そういう私の話をきちんと聞いてくれて本当に嬉しかったんです!」と言ってくれました。

更に報告会でもKさんは「今日の報告はコバヤシさんのおかげなんです。」と、わざわざ言ってくれたと言うのを、報告会のすぐ後に上司のAさんから聞き、その翌日副社長のMさんからも「懇親会で、お前のおかげで、色々な仲間とも知り合えたので良かったって、若者達が言ってたぜ。」と聞き、嫌々ながらもやって良かったなあ、と思ったんですが、こうした若者達の言葉が、私にとっては、ささやかな贈り物となり、心に響きました。

更に今日は堺の元職場を訪ねると、私の在任中に中途で採用した若者が来てくれて、ちゃんと頑張ってます!と言ってくれました。

これも私にとっては、本当に嬉しい贈り物でした。

そうして、堺から帰る前に大阪の懇意にしていた料理屋により、一献を傾けたのですが、帰り際に82歳になる女将さんから「今日はコバヤシさんがわざわざ来てくれて本当に嬉しかったです。またお待ちしてますから来てくださいね!」と言ってくれたので「また来ますから、女将さんもおやっさんも元気で居てくださいね!」と返したのですが、こうした女将さんの言葉も私にとっては本当に嬉しい贈り物で、女将さんに答えながら涙が出て止まりませんでした。

まあ、そんな訳で、みなさんからの贈り物のおかげで、どうにかこうにか頑張れています。

まあ、そんな訳で、みなさんからの贈り物のおかげで、どうにかこうにか頑張れています。

この文章も、かなり酔っぱらいながら書いているので、脈絡無い上に、つまらなかったら申し訳ありません。

では、また!

貴君とまた会えることを祈念しております!

…………………………………………

お互い涙脆くなりましたなあ。

| | コメント (0)

『巨人の星』と『侍ジャイアンツ』

12月3日(水)

この病院のリハビリスタッフたちは、父親が僕と同じ世代だということで、むかしの漫画やアニメの話をしてもまったくわからないと言われる。もう何を話してもムダだということがわかり、最近は何も雑談をしていない。

リハビリスタッフのNさんがある仮説を立てた。リハビリの時間にとてもハードなトレーニングをすれば、歩くことが楽に思えるのではないか、と。

「次からはハードなトレーニングのプログラムをやってみましょう」

「はぁ」

また面倒くさいアイデアを考えたものだ。僕は絶望した。しかしその考え方に、僕の中でむかしの漫画が思い浮かんだのだが、たぶん知らない漫画だろう。

「まるでむかしの野球漫画みたいですね」

とだけ言うと、

「ああ、聞いたことがあります!幼い頃に父からよく話を聞きました。あの主人公、名前、何て言いましたっけ?」

「星飛馬」

「そうそう、思い出した!星飛馬でしたね。漫画のタイトルはなんでしたっけ?」

「『巨人の星』」

「そうでした。たしか体に筋トレのためのギブスをつけて、その結果、早いボールが投げられるようになったんですよね。父からよく聞きました」

ようやく話が繋がったようだ。しかしこの話がかえってリハビリスタッフさんの仮説に自信をつけてしまったようで、僕はこの話題を出したことを後悔した。

ほんとうは『侍ジャイアンツ』を例に出したかったんたけどなあ。『侍ジャイアンツ』の方がますますわかりにくいだろうと思って、その例を出すのをやめた。

僕は『巨人の星』より『侍ジャイアンツ』の方が好きだった。『巨人の星』はどちらかといえば暗い話で、『侍ジャイアンツ』の方は荒唐無稽でアニメ全体に明るさがあった。でも『侍ジャイアンツ』のタイトルを出したところで、ますますわからないだろう。

調べてみると、この二つの漫画の原作はいずれも梶原一騎先生だったんだね。読売ジャイアンツのV 9時代の黄金期を舞台にした漫画。当時この二つの漫画で、世の少年たちはジャイアンツファンとして洗脳された。

こんなことを書いてもこのブログの読者(だまらー)のほとんどには何のことやらわからないであろう。それこそがこの記事を書いた真の目的である。

| | コメント (0)

企画、これにて終了

「企画だおれの企画」でおなじみの「贈り物についてのエピソード」は、これにて終了いたします。

お寄せいただいたエピソードの数はきわめて少ないものでしたが、僕としては理想的な着地ができたことに、とても満足しています。

考えてみれば、みなさんふだんの仕事がお忙しい中で、こんな企画に付き合うヒマなんぞなかったでしょう。その中にあって、とくに時間を見つけて投稿していただいたわさびなさんとこぶぎさんには深く感謝いたします。

同時に、このブログは多くの「サイレントだまらー」のみなさんに支えられていることも実感いたしました。「サイレントだまらー」のみなさまにも感謝申し上げます。

それでは、またいつかお会いしましょう。さようなら。

| | コメント (0)

絶対に座ってはいけない公共交通機関訓練

12月1日(月)

今日ほど疲れた日はない。今日が最大の山場である。

病院の外を出て、バスや電車の乗降の訓練をする日である。

健常者にとっては何でもないことかも知れないが、私にとっては大冒険であり、大試練である。

病院の最寄りのバス停からバスに乗り、最寄りの駅に向かう。次に駅から電車に乗り、1駅で降りて改札を出て、再び改札に入り、もとの駅まで1駅戻る。そこからまたバスに乗り、病院まで戻る、というルートある。リハビリスタッフと妻がついてきてくれた。

ここまではわかるかな?

「2時間とってありますので余裕で行けると思います」

とリハビリスタッフさんが言ったが、とてもそんなことはなかった。

なぜなら一つの禁止事項が定められていたからである。

それは、「バスや電車に乗ったら、どんなに空いていても、絶対に座席に座ってはいけない」というルールである。

これがかなりツラい。目の前に空いている優先席があるのにこちらは立ちっぱなしなのだ。

バスの運転手さんは不審がって、

「お客さん、座らなくてもいいんですか?」

と聞いてきたが、リハビリスタッフさんは

「大丈夫です!」

と大声で返事をした。こっちは杖を持ってやっとこさバスに乗ってきたというのに、座席に座らないなんてどうかしているどうかしていると思ったことだろう。

バスの乗降時もまた大変だ。乗るときは左足から乗って、降りるときは不自由な右足から降りる。これすらもかなりの冒険なのである。

もう一つルールがあった。高架の駅から電車に乗るときには、駅のホームまではエスカレーターを使うこと。絶対にエレベーターを使ってはならない、という規則である。

駅のエスカレーター、というのがこれまた難しい。

駅のエスカレーターというのは、流れるスピードが思いのほか早い。健常者にとってはさほど感じないのだろうが、エスカレーターの流れにうまく乗って両足を乗せるという動作は、決死の覚悟といっても過言ではない。結局昇り降りの訓練を2往復した。

帰りのバスももちろん立ちっぱなし。病院前のバス停で降りた私は、ほんの短い距離を、まるで敗残兵のようなゆっくりとした足どりで病院の建物へと入っていった。

あとで聞くと、同行したリハビリスタッフさんと妻も立ちっぱなしだったので、腰や膝が痛いと言っていた。私が動けなくなるのも宜なるかな、である。

| | コメント (0)

« 2025年11月 | トップページ | 2026年1月 »