ウェブログ・ココログ関連

書き続けてください

以前病気になったとき、長く療養が続いたのだが、ある人が僕を励ますつもりで、「明日は今日よりもきっとよくなっている」「自暴自棄にならずに前向きに考えよう」などとアドバイスしてきて、ちょっとカチンときた。

あのねえ。僕は数々の病気を経験してきて、そのたびに入院して、入院した当初は自分の人生の行く末に絶望して、しばらくしたら立ち直って…を何度も繰り返してるわけ。そんな僕によくそんなアドバイスができたな。ま、カチンときた僕の了見が狭いんだろうけど。

余談だが、大林宣彦監督は『麗猫伝説』というテレビ映画のなかで、コメディアンの内藤陳さんに、

「悲しみも、惰性になってきたなぁ」

という台詞を言わせている。それに倣えば、

「絶望も、惰性になってきたなぁ」

というのがいまの僕の心境。

ブログはそうした心境を表している。入院し始めたときは、ブログが続けられないと思い、1行程度の短いものにとどまっていたが、ある程度時が経って精神的に立ち直ってきた頃に、いつもの調子の文章に戻っている。この繰り返しである。

このたびの入院は、いままでよりもひときわ絶望度が高かったのだが、高校時代の親友·コバヤシが代理執筆してくれた「Eさんのこと」を掲載した次の記事から、通常営業に戻した。もちろん、辛ければ休むことを前提に。

その後、コバヤシからメールをもらった。

「実はメールを送った翌朝、今の貴君にあんな内容のメールを送って良かったのだろうか、送るべきではなかったのではないかと、ずっと考えていました。幸いにも貴君が前向きに捉えてくれたようで良かったです。

ブログも読ませてもらいましたが、私のメールに対する感想は身に余るものが有りますが、そんなことよりも貴君がまた積極的にブログを書き始めたことが本当に嬉しかったです。

なかなか書くネタが無いので私のメールの方は断続的になると思いますが、貴君は是非書き続けてください。」

コバヤシらしい、気を遣ってくれたメールだった。僕はコバヤシの「Eさんのこと」に本当に励まされて、それで通常の長さの記事を書くことにしたのである。感謝をしたいのは僕の方である。

他の読者にとってはどうでもいい話かもしれない。しかし「貴君は是非書き続けてください」という読者が一人でもいる限り、書くことをやめない。

(左手)

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業務連絡

ブログの代理執筆を希望される方は、完全原稿でお送りください。送信方法は問いません。体調が良ければ掲載します。

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1枚の写真

7月29日(火)

高校時代の親友·コバヤシからメールが来た。

「鬼瓦殿

上司のMさんの歌が載った本を買ってくれた上に、早速読んでくれたようで、ありがとうございます。

今朝、そのことを仕事の報告のついでに伝えたら、メチャクチャ喜んでいました。

ついでに言うと、自分の歌を読んでくれた感想はあった?と聞かれたので、無かったです、と答えたらちょっと残念そうでした。

本人的にはなかなかの自信作だったようで、私も改めて、その本のMさんの歌を見せて貰いましたが、上司の歌よりも、穂村弘の解説文の方が、上手いこと書くなあ、と思い、その旨本人に伝えたら、そうなんだよなあ、穂村弘の解説、本当に上手いんだよなあ、と一緒に感心してしまいました。

北原白秋の歌の解説も見せて貰いましたが、失明直前に御茶ノ水の病院に入院した際に詠んだ歌だったんですね。浪人時代、駿台に通ってたので、ニコライ堂は予備校の真ん前、病院は通学時に毎日みていたので、ちょっと感慨深いものがありました。

ということで、取り敢えずご報告まで。」

会社の上司の短歌が掲載されているという穂村弘さんの『満月は欠けている』(ライフサイエンス出版、2025年)を、さっそく僕が買って読んだ、という話をこのブログに書いたら、コバヤシはそのことを上司に伝えてくれて、上司はとても喜んでくれたという。なんか少し良いことをしたような気分になった。

しかし話はこれだけでは終わらない。ここから話がガラッと変わる。

SNSの一つにFacebookがある。僕もアカウントを持っているが、ここ最近は全然投稿していない。ただ、Facebookで流れてくるタイムライン、つまり他人様の記事はチェックしていて、たまに「いいね」を押したり、コメントも書くことがある。

今日、Facebookのタイムラインを見たら驚いた。

前の職場時代からの十数年来の友人の投稿した記事に、1枚の写真があげられている。

そこに写っていたのは、穂村弘さんの『満月が欠けている』と、武田砂鉄さんの『わかりやすさの罪』の2冊だった。いずれも僕のブログで取り上げた本である。コメントは「うむ」だけ。

僕はこの1枚の写真から、さまざまなメッセージをくみ取った。僕のブログを読んでますよ、そしてそこで触れていた本を入手しましたよ、早く元気になってください、など。

それだけではない。この写真は、他の人が見たら、何のこっちゃわからないと、意味不明な写真に見えるだろう。だってよくわからない2冊をならべた写真にすぎないから。

でも僕だけにはわかる。つまりこの写真は、僕だけに対するメッセージなのだ。しかも、僕がいつ見るとも知れないFacebookに投稿して、僕がその写真を見つけるだろうと確信して。

なんとも粋なことしはるねぇ。僕はこの物言わぬ1枚の写真を見て、ふだんはまったく連絡を交わさない友人が、僕を見舞ってくれているメッセージだろうと、少し涙が出た。

本当はこのことは僕の胸に秘めておくべきことなのかもしれないが、嬉しくてつい野暮な解説をしてしまった。それともそれは考えすぎで、ブログを読んで、単にこの2冊が読みたくなっただけかもしれない。

それでもいいのだ。とにかく僕が言いたいのは、

「コバヤシ!君がブログに文章を書いてくれたおかげで、穂村弘さんの本が2冊売れたぞ!よかったなぁ。上司も喜ぶだろう」

ということである。

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裏話、あるいは舞台裏

今はもっぱらブログを書くのにスマホを使うようになったため、ろくに推敲もせずになぐり書きした文章をそのままあげている。だからむかしと比べると文章の粗さが目立つ。書いた文章をほっぽりっぱなしにしているので自分のブログをろくに見返していなかった。

しかし最近、あらためてブログを見ると、コメント欄にこぶぎさんがせっせとコメントを書いてくれていたことに気づいた。

今ごろ気づいて、こぶぎさんには申し訳なかった。

最近このブログを読み始めた読者(そんな人いるのか?)のために説明しておくと、こぶぎさんは「前の前の職場」からの友人で、決して「コメント欄荒らし」ではない。

今までコメントでいろいろ助けてもらい、つまらない本文をおもしろくしてくれた。ときに漫才のようにコメント合戦をしたことがある。あるいはブログの本文以上の力作を書いてくることもある。

最近は家を出てないのであまりおもしろくないネタばかり書いているが、こぶぎさんのコメントが面白さを補完してくれている。高校時代の親友·コバヤシに本文を任せている場合であっても、変わらずコメントをつけてくれる。

こぶぎさんのコメントはこのブログに欠かせない存在なのである。

聞くところによると、かつてはラジオのハガキ職人をしていて、自分の書いたハガキが採用されたこともあったそうだ。

このブログのコメント欄は、さしずめラジオ番組へのハガキみたいなものだ。こぶぎさんには今まで通り、コメント欄で大暴れしてほしい。

さて、病気療養中でもなんとしてもブログに文章を載せなければ、と思った理由がある。

「前の勤務地」の頃からの友人で、盟友といってもいい人から、少し前にメッセージが送られてきた。

「(うちの)奥さんもブログ見て確認してる。なんか書いてあげて。喜ぶから。」

そう言われちゃうと、このブログをやめるわけにはいかない。生存確認のためにも、書き続けなければならない。

たまに、読者本人がご家族やお身内の方に宣伝してくれて、読者よりもその家族やお身内の方が熱心に読んでくれることがある。

そういう話を聞くと素直に嬉しい。「前の職場」にいた頃、「うちの父も熱心に読んでいます」と学生に言われたことがある。もうずいぶん前の話なので、とっくにこのブログに飽きてしまっているかも知れないが、でもそういう話を聞くと、恐縮しながらも嬉しい気持ちになる。

今日は珍しくこのブログの裏話というか、舞台裏を書いてみた。生存確認の場として、これからも書き続けます。

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悲しき自己語り

10月15日(火)

3連休と見せかけた3連勤が終わり、休めるかと思いきや、午後からは重要な会議と打合せが続く。ほとんど休憩がないままに合わせて5時間。途中、思考が止まり、会議の内容が頭に入ってこなくなったほどである。というか、いまもほとんど思考が止まった状態だ。

昨日の記者の追加取材と見せかけた雑談で、Facebookの話題が出たことは前回書いた。Facebookがアラフィフ以上の解放区となり、ネットリテラシーのない人たちが、やれ口汚い政治批判をしたり、読売ジャイアンツの選手に対する人格攻撃をしたり、延々と自己語りを書いてみたり、つい嬉しくなっちゃって開発中の新製品のネタばらしをしたりとか、とにかくやりたい放題で、同じアラフィフの僕は、「そんなこと書いて大丈夫かよ」と心配になるほどだった。当然、そんなことを書く若者はひとりもいないところを見ると、ほんとうにアラフィフ以上にとっての「サードプレイス」なんだろうなと思う。「サードプレイス」は最近覚えた言葉。

30歳前半とおぼしきその記者も、

「ほんとそうですよね。よく毎日毎日、日記みたいに書いてさらせますよね。そんなヒマがあったら仕事をしろって話ですよ。日々の自慢をあんなに細かく書いちゃって、承認欲求が強いんでしょうかね」

と語っていたのを聞いて、ハッと我に返った。

このブログもまさしくそうである。俺もまた同じことをしているではないか!

そう思ったら途端にその話題を早く切り上げたくなった。

僕の場合は、たんに自分が忘れないように記録として書いているにすぎない。むしろ読まれたくないし、固有名詞はほとんど伏せ字なので、自分だけがわかればいいやというつもりで書いている。誰にもたどり着いてほしくない。

じゃあ非公開にすればいいじゃないかということだが、続けているうちに、少ないながらも「だまらー」と呼んでいる常連読者がついてしまったので、やめるにやめられなくなったのである。

これを続けているメリットは、日記代わりなので、「アレはいつ頃だったっけ?」とふり返るときに役に立つ。だが中には、あまりにも伏せ字が多すぎて、いま読み返すと何について書いたのかがまったくわからなくなってしまうことも決して少なくない。

それよりも、記者の話を聞いて、俺も承認欲求が強いのかと恐くなった。

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水曜だけど土曜の番組

10月27日(水)

2日間にわたる出張は、思いのほか体力と忍耐力と集中力を強いられたので、終わるとすっかりくたびれてしまった。

作業1日目の夜、「国际オンラインオフ集会」という、とくに国際的でもない、集会と呼べるほどの規模でもない、こぢんまりしたミーティングがあったのだが、その席で「水曜だけど土曜の番組」というテレビ番組の話題が出た。

熊本放送のローカルテレビ番組だそうなのだが、「いまいちばん面白いテレビ番組はこれだ!」というプレゼンがされたので、試しにTVerにあがっている1回分を見てみることにした。

プレゼンターが言っていたように、たしかに「水曜どうでしょう」テイストの番組である。出演者はまさやんと糸永アナの二人だが、これた大泉さんとミスターの関係を彷彿とさせる。さらに、僕が観た回では、「スタッフ1号」という陰の声と、もう一人「スタッフ研修生」といういまどきの女性がいて、これた、藤村Dと嬉野Dを彷彿とさせるのだ。

ただ、4人だけで自己完結する番組ではなく、まさやんが熊本の各地に出かけていって、そこで出会う一般人とのふれあいが、実によい。登場する一般人はどれも個性的で魅力的である。それはおそらくまさやんがその面白さを引き出しているのだろうということが容易に想像できる。「水曜どうでしょう」でいえば、「ユーコン川下り」編とか、「激闘!西表島」編などを思い出す。

やっぱりユルい感じのローカル番組というのが、いちばん面白いのだ。

プレゼンターはほかに、いくつかおすすめのローカルラジオ番組を紹介したが、その中で、プロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンさんが地元の新潟でパーソナリティーをつとめているラジオ番組のプレゼンもした。

スーパー・ササダンゴ・マシンさんと言えばたしか、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」で宇多丸さんとトークしていたことを思い出し、

「『俺の家の話』は、スーパー・ササダンゴ・マシンさんをモデルにしていますよ」

とコメントしたら、プレゼンターは

「『俺の家の話』って何です?」

と言うので、

「クドカンが脚本を書いたドラマですよ」

と答えたら、「『俺の家の話』っと…」と、メモをとっていた。

公表できるのは、このくらいかな。「#会いに行ける○○○」は、ぎりぎりアウトかも。

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バズる・その2

バズる

5月23日(土)

先ほどちょっとこのブログのアクセス数を確認してみたら、いつもの5倍くらいのアクセス数があった。

しかも、午後8時頃にアクセス数が一時的に急上昇し、その後はすぐに通常のアクセス数に戻っている。

何なんだ?この現象は?また寅さんか???

思いあたるフシがまったくなかったのだが、どの記事へのアクセスが多かったのだろう?と思って調べてみると、なんといまから10年以上前( 2009年11月12日) に書いた「フンブとノルブ」という記事らしいのである。「フンブとノルブ」とは、韓国の昔話である。

なんでいまごろ「フンブとノルブ」がバズったのか?よくわからない。

ふつうならここで諦めるところだが、もう少し調べていると、どうやらこの日、K-POPのアイドルが、FMのラジオ番組か何かで、昔話の朗読?読み聞かせ?みたいなことをやっていて、今日はどうやら「フンブとノルブ」をとりあげたらしいのだ。

そしてそのK-POPアイドルというのが、どうも、あのBTSだったようなのである!

あのBTSですよ!すごくないですか?

そのFM番組というのが、日本の放送局なのか、韓国の放送局なのかはわからないのだが、とにかく、日本のBTSファンの方々が、その番組を聴いて、「フンブとノルブ」を検索して、このブログにたどり着いたというのが、真相のようだ。

実際に「フンブとノルブ」で検索をすると、このブログが検索画面の1ページ目に出てくるので、参照しやすいことはたしかである。

何にせよ、このブログが、韓国のBTSファンのみなさんにお役に立ったことは、うれしい限りである。僕はいま、K-POPから遠ざかってしまった、というか、10年前の知識からまったくアップデートされていないのだが、心の中ではいつも応援している。

しかし「フンブとノルブ」について僕の書いた文章は、いま読むと、昔話をちょっとひねくれて解釈しているところがあり、純粋に昔話を楽しむ人にとってみたら、あまり役に立たない内容であったに違いない。

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バズる

1月10日(金)

妻は、ある小さな研究会のブログを管理していて、折にふれて匿名で記事を書いて情報発信したりしているのだが、その存在はほとんど知られておらず、1日にひとケタ、という程度のアクセス数だそうである。マニアックな研究会だから、あたりまえといえば、あたりまえである。

それが、昨日、いきなりアクセス数が1000以上になった!

この場合のアクセス数とは、訪れた人の数、という意味である。

つまり昨日は、1000人以上の人が、その小さな研究会のブログをのぞきに来たのだ!

俺のブログだって、1日に1000人のアクセス数を越えたことなんて一度もないぞ!!!

どういうこっちゃ???

調べてみて、ビックリした。

そのブログで、妻が書いた最新の記事が、Twitterで紹介され、拡散していたのである!!!

つまり、Twitterから多くの人がそのブログに流れてきたというわけである。

こういうの、バズるっていうの?それともインフルエンサー?

そのブログの記事は、某サイトを紹介した記事なのだが、なぜかそのサイトそのものではなく、それを紹介した妻の記事のほうがTwitterで拡散されたのである。

記事を見てみると、某サイトを的確に解説している文章で、たしかに、某サイトそのものをダイレクトに紹介するよりも、その紹介記事を読んでから某サイトを見たほうがはるかにわかりやすいのだ。

それにしても恐るべし、Twitterの威力である。

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ついに3000本!新たなる決意!

12月27日(金)

今日は今年の仕事納めの日。

そしてついに、公開記事が3000本に達しました!

これを機に、新たな決意を固めました。

それは、

年賀状をやめる!!!

という決意表明です!

年賀状関係者の方には、申し訳ない。

いちおう、年賀状用の写真も撮ったのだが、急遽、年賀状を出すのをやめることにした。

年末年始が忙しく、とても年賀状のことで気に病んでいる場合ではないのだ。

振り返ってみれば、毎年の年末は、年賀状に悩まされてばかりいた。

2018年「年賀状やめたい」

2016年「年賀状改革」

2016年「喪中はがき」

2014年「年賀状やめませんか」

2013年「年賀状会議」

2011年「年賀状の憂鬱」

もうね、2011年からずっと年末には年賀状についての愚痴を書いているのだ。

もう年賀状に悩まされるのはまっぴらだ!

年賀状って、予告なしにやめてしまっても大丈夫なんだろうか?やっぱり、失礼にあたるんだろうか?

しかし、「年賀状やめま~す」というメッセージを、いままで年賀状を出していた人たちに伝えるには、どうしたらいいのだろうか?

…ということでまた、考え出すと眠れなくなっちゃう。

しかし、ズルズルと続けるわけにはいかない。とくにこの年末年始は、年賀状にかかわっている時間も精神的余裕もないのだ。

この記事を読んでいる心当たりの方、年賀状はもう出しませんので、ご了承下さい。

…ということで、

「3000本目の記事は、どんな内容になるか?クイズ」

の正解は、

「年賀状」

でした。正解者には「出すつもりだった幻の年賀状」をお送りするつもりでしたが、正解者がゼロだったので、というか、誰も予想を書いてこなかったので、残念ながら年賀状はお送りできません。

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ついに3000本!と思ったら、あと5本

いよいよこの記事で、3000本達成!

…と思って、この記事を書く前に、よくよく確かめてみたら、「下書き(非公開)」の状態で保存している記事も含めて、2999本だったことがわかった。

下書きで保存しておいた記事を整理したつもりだったのだが、まだ9本ほど、下書きの状態で保存されていた。つまり、この記事を書く前の時点で、公開されている記事は2990本。

これをどーにかこーにかリライトして、4本、公開の状態にした。

これで、公開した記事は、2994本である。

あと5本が、どうしても公開できない。

公開できない記事は、すべて、2011年3月の東日本大震災の直後に書いたものである。ある記事の中で、震災の被害に直面して、そこからなんとかがんばっている人のことを書いた。個人が特定されないように配慮して書いたつもりが、どうやら個人が特定されてしまったらしく、その人に迷惑がかかることになったので、記事を慌てて非公開にしたのである。それに合わせて、前後の記事も非公開にした。

いっそ、記事自体を削除しようとも考えたが、これ自体が一つの記録となっていることもあり、自分自身だけが見られればいいやと思い、「下書き」の状態で残すことにした。

僕はこのとき、ネットの恐ろしさを実感したのだが、今はまだ、この顛末を書くことすらできない。

ということで、この記事を書いたので、非公開記事を含めて、ついに3000本達成!

公開記事に限定すると、3000本まで残るはあと5本!

…実に煮え切らない。どっちが公式記録なんだろう?

ナンダカワカラナイが、とりあえず今年中に、3000本公開を目標とする。

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