スパゲッティ屋さん
7月31日(水)
自宅から地下鉄を乗り継いで1時間半ほどかけて都内のクリニックに行く。
以前は2か月半に1度、検査をしていて、そのたびに引っかかって2泊3日のひとり合宿をしていた。
検査のあと、2週間以内にひとり合宿をしなければならなかった。しかしいつでもよいというわけではなく、主治医の先生が勤務する曜日に限られるので、仕事との日程調整がなかなかたいへんだった。
それが、ここ2回ほど、つまり今年に入ってから、検査に引っかからなくなり、ひとり合宿を2回連続で免れたのだった。
検査後のひとり合宿の日程調整をしなくてよい、ということだけでも、ずいぶん気が楽になる。
おそらく、薬を変えたことが功を奏したのだろうと、主治医の先生は仮説を立てた。はたしてその仮説は正しいのか?
さて、薬を変えてから3回目となる今回の検査の結果は…?
「問題ないです」
やったー!今回もひとり合宿を免れた!来月はそれでなくてもびっしりと予定が詰まっていたので、もしひとり合宿をしなければならなくなったらどうしよう、と、そればかりが心配だった。それに、昨日のストレスフルな1日が、体に悪い影響を与えないかどうかも心配の種だった。
「長い闘いでしたね」
と主治医の先生は言ったが、まだ闘いは終わっていない。いまの薬がいつまで効果を発揮してくれるかはわからないのだ。
「次の検査は2カ月半後ではなく、3カ月後にしましょう」
と、検査のサイクルが2週間ほど延びた。
お昼過ぎにクリニックを出た。お腹が空いたので、この町を訪れるたびに利用しているパスタ屋さんに行くことにした。
この町にはお寿司屋さんが多く、ここを訪れる人びとはお寿司屋さんで食事をする人がほとんどなのだが、僕はこの町でお寿司屋さんに入ったことがない。雑居ビルの階段を上ったところにある、古くから営業している喫茶店でスパゲッティを食べるのが楽しみなのだ。そう、パスタ屋さんというよりも、スパゲッティ屋さんといった方がしっくりくる。
そのお店は、10人ほどしか入れないくらいの狭いお店で、老夫婦が切り盛りをしていた。スパゲッティをつくるのはもっぱらおじさんで、給仕をおばさんがしていた。むかしからずっとこの町で営業しているお店なので、常連客も多く、おばさんは常連客と短い挨拶をするのが常である。
僕はこの町のクリニックに5年くらい前から通うになったが、約3カ月に1度のひとり合宿が終わるたびに、生還を祝してこの店に立ち寄ったのだった。
ひとり合宿ではいつもキャリーケースを持ち歩いているので、お店のおばさんはたぶん僕のことを、「出張でたまに立ち寄るお客さん」と認識しているようだった。こちらの詳しい事情は聞かれたことがなかった。
それでもあるときから、おばさんは僕のことを常連客と同じような扱いをしてくれた。僕が3カ月に1回しか訪れなくとも、「あら、いらっしゃい、久しぶり。今日は何にする?」と、すっかり顔なじみであるかのような応対をしてくれたのである。
それが今年に入ってからひとり合宿のあとではなく、検査が終わったあとに訪れるようになったものだから、キャリーケースを持ち歩くことなく、軽装でその店に入るようになった。
「あら、今日は荷物が少ないんですね」
「ええ、ひとり合宿をしなくてよくなったんです」
「まあ、それはよかったねえ」
この時初めて、僕はなぜこの町に3カ月に1回訪れているのか、その理由を明かした。おばさんは、とくにそれ以上事情を聞くことはなかった。
それにしても、年に4回しかお店に訪れないのに、常連客のように扱ってくれるのは嬉しい。
…とここまで書いて気がついた。このお店の名前が「年に4回しか訪れない客」にふさわしいものであったことを。僕はお店の名前にふさわしい客だったのである。
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