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贋作・アベノマスク論

12月3日(金)

午前10時から午後5時過ぎまで、職場で途切れなく打合せが続く。その後も、メールの返事やら校正やらをしていたら、帰宅がすっかり遅くなってしまった。

TBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」をアフタートークまで聴いた後に、誰にも読んでもらえないブログを書くことが、週の終わりのストレス解消法である。

それを自分でよしとしているのだが、その一方で、これだけ長々と書いても誰にも読まれないということに対して、凹まないといえば嘘になる。自分には文才がないのか、華がないのか、あるいはそのどちらともなのか。注目に値しない文章ばかり書いているのだろう。

「世の中でいちばんいい言葉は『重版』って言葉ですよね」

と、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークの冒頭で、武田砂鉄氏がつぶやいた。

たしかにそうだ。重版。いい言葉だ。

最近僕は、二つの新書に関わった。関わった、といっても、原稿を書いたのはほんの少しだけで、そのうちの1冊(赤い表紙のほう)は、無記名である。どこからどこまでを僕が書いたのかは、読者にはわからない。もう1冊(黄色い表紙のほう)は、記名だが、頼まれてほんの数ページ書いただけである。

この二つの新書が、いずれも発売と同時に、重版がかかったのである。無記名で書いた方(赤い表紙のほう)は、発売前から話題になっていたので宜なるかなと思うのだが、もう1冊の方(黄色い表紙のほう)まで、発売直後に重版になるとは思わなかった。サブタイトルに「眠れなくなるほど面白い」みたいなフレーズが使われているので、おいおい、大きく出たな、と恥ずかしかったのだが、重版がかかったということは、タイトル負けしなかった、ということである。

しかも、僕が無記名で書いた方(赤い表紙のほう)の出版社の新書(赤い表紙の新書)の売れ行きランキングを調べてみたら、1位が僕が無記名で書いた本で、2位が町山智浩さんの書いた本なのだ。おいおい、町山さんに勝っちゃったよ!

ちなみに2冊とも、僕のところには原稿料や印税が入らないので、実のところ、「重版」と聞いても、さほど嬉しくはないのだ。

それに引き換え、である。

僕が単独で書いた本はすべて、重版になったことはない。このブログと同じく、まったく注目されないのだ。死んでから注目されるのだろうか、と一縷の望みをつないでいるのだが、そもそも生きている間に注目されなかった人間なのだから、死んでからも注目されることはないだろう。

いくつかの出版社から、お話はいただいているのだが、そんなわけで、単行本を書く意欲がすっかり削がれてしまっている。どうせ何を書いても売れないんだろう、と。

以前にも書いたかと思うが、あるとき、僕が書いた本の在庫が場所をとって倉庫代がかかるので400冊を廃棄処分します、という連絡があった。世の中でいちばんイヤな言葉は、「在庫本の廃棄処分」である。

僕がどうして、こんな愚痴を延々と書いているかというと、最近のニュースで、久しぶりに「アベノマスク」が脚光を浴びているからである。

ニュースによると、新型コロナウイルス対策で政府が調達した「アベノマスク」を含む8000万枚余の布マスクが使われずに大量に備蓄されている、ということで、厚生労働省が新聞などの取材に応じてマスクが保管されている倉庫を公開したところ、約5200平方メートルの区画内に、マスクの入った約10万箱の段ボールが、最高で約5メートルの高さに積み上げられていたという。そしてその経費は、6億円だというのだ。

これから先も使うあてのない布製の「アベノマスク」の在庫8000万枚が、6億円をかけて、倉庫で保管されるというのは、どう考えても納得できない。

だってそうでしょう?こちとら、苦労して書いた本の在庫を倉庫に保管すると経費がかかるので、400冊を処分しますと言われているんだぜ。6億円かけて保管する8000万枚の「使えないマスク」と、たった400冊すら倉庫に置いておくのが無駄だとして処分された俺の本。どちらが価値があるのか?ってハナシですよ。

僕はすっかり、文章を書く自信をなくしてしまった。どうやったらいい文章が書けるのだろう。

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謎の訂正

8月25日(水)

午後9時、緊急事態宣言の対象地域拡大にともなう首相会見。

毎回、首相会見を聞くたびに腹が立つのだが、ここ数回は、会見と同時にYouTubeで配信される、TBSラジオ「Session実況ライブ」で、荻上チキ、澤田大樹記者、南部広美さんが首相会見への副音声的な解説をやっていて、これを聴きながら首相会見を聴いていると、なかなかおもしろくて、つらい会見も最後まで聴き通すことができる。

今日の会見では、こんなやりとりがあった。TBSテレビの後藤記者の質問である。

「首相自らがテレワークを進める、あるいは、閣内のかなりの部分でテレワークを試みる、そういったお考えはありますか」

「まずテレワーク、これ推進してやらなければならないと思ってます。その中で、今日、新たに、(緊急事態)宣言地域とまん延防止地域を決めた会合については、テレワーク(笑)でやらせていただきました。まあそういう意味で、昨日も私、テレワークで規制改革会議、やってますから、そうしたことをこれからどんどんと増やしていかなければならないというふうに思ってます。」

このとき、首相は、半笑いで答えていた。これは、記者に対して、「お前、知らなかったの?ここ最近、俺がテレワークをやっているのを見ていなかったのか?」という笑いに聞こえた。

しかし僕は、ここ最近、ニュースを見るたびに、政府や与党の会議が、ほぼすべて、対面とオンラインを併用するいわゆる「ハイブリッド会議」であることに気づいていた。

たとえば、首相や主要閣僚は会議室に集まり、それ以外の人たちがオンラインで参加する、という形式がほとんどなのである。

そればかりではない。与党の青年局の会議の様子を数日前に見たのだが、それもまた同様であった。

つまり政治の世界では、ハイブリッド会議が主流で、テレワークはまったくおこなわれていないのだ。それを首相は、「みんな知らないと思うけど、俺なんかとっくにテレワークをしているぜ」と言っているのである。

ここである疑念がわいてきた。首相は、テレワークをハイブリッド会議と勘違いしているのではないか?つまり、テレワークの意味をまったく理解していないのではないだろうか?

しばらく会見を聴き続けていると、唐突に、首相が先ほどの質問に対する訂正を言い始めた。

「すみません。先ほどのTBSの後藤さんの質問で、テレワークとオンライン会議、こうしたことについて、混同してしまいました。お詫び申し上げたいと思います」

「それでは続いての質問…」

ええええぇぇぇっ!!??

やはり首相は、テレワークとオンライン会議(正確にはハイブリッド会議)の違いについて、まったく理解していなかったのだ、ちなみにこのとき会見に参加していた江川紹子さんが、会見直後にSession実況ライブに電話出演されて、訂正の紙が事務方から慌てて首相のもとにもたらされたと話していた。ということは、事務方に指摘されるまで、この違いについてまったく理解していなかったことになる。

そうなると、先週、経済三団体の長のところに首相が直接出向いていって、対面してテレワークについてお願いにまわったという、一見して本末転倒の行動の意味が理解できる。

やはりテレワークの意味を、首相はまるで理解していなかったのだ。

これでは、テレワークが進むはずがない。

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蛇腹の道は蛇

8月6日(金)

広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式を、リアルタイムで見ていた。

黙祷のあと、首相のスピーチ。

「…ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」

意味が通じないなあ、と思って聞いていたら、とつぜん字幕が消えた。

しばらくして、字幕が復活する。

この一連の流れを見て、「はは~ん。首相は原稿を読み飛ばしたな」ということが、すぐにわかった。

NHKの紅白歌合戦でも、歌手が歌詞を間違えたりすると、すぐに字幕が消えたりする。字幕を瞬時に消すことについては、NHKはお手のものだし、何のためらいもないのだ。

ほどなくして、ニュースは、首相の「読み飛ばし」の件を伝えていた。

それはそうだろう。あのテレビを見ていた人たちは、その瞬間、誰もが不審に思ったに違いない。

それからしばらくして、首相側は「読み飛ばし」の事実を認めたが、その理由は驚くべきものであった。以下、共同通信の配信記事を引用する。

「政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式でのあいさつの一部を読み飛ばした原因について、原稿を貼り合わせる際に使ったのりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていたためだと明らかにした。「完全に事務方のミスだ」と釈明した。

 原稿は複数枚の紙をつなぎ合わせ、蛇腹状にしていた。つなぎ目にはのりを使用しており、蛇腹にして持ち運ぶ際に一部がくっついたとみられ、めくることができない状態になっていたという。」(2021/08/06 21:14)

「糊が貼り付いていたので、一緒にめくっちゃったため、1ページ読み飛ばした。という、予想の斜め上を行く言い訳、しかもそれは「完全に事務方のミスだ」という責任転嫁、など、もはや開いた口が塞がらない。首相は徹頭徹尾、責任を部下に押しつけたいようである。

そもそも挨拶を自分で考えてなかったのかよ!とか、大事な式の挨拶文なのだから下読みくらいしろよ!とか、国連総会の場で行った自分の言葉を読み飛ばすのかよ!とか、読んでいておかしいなと思ったらその場で仕切り直せよ!とか、読み終わっても気づかないようならばもう末期症状だよ!といった、数々のツッコミが考えられるのだが、僕が気になったのは、少し別のところにある。

では、読み飛ばした部分にはどんなことが書かれていたのか?

「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
 近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります」(首相官邸ホームページによる)

と、赤字に書かれた部分である。これもすでに、報道等で公開されているし、なにより首相官邸ホームページに、本来の挨拶文の全文が掲載されている。

僕が気になったのは、挨拶文のレイアウトがどうなっていたのか?ということである。

周知の通り、この種の挨拶文は蛇腹式に折りたたまれていて、話者は、見開きの2ページを次々と目で追いながら、読み進めていく。2ページ分を読み終えると、次の見開き2ページ分をひらきながら読み続ける、というしくみである。

つまり、読み飛ばされた部分は、まるまる見開き2ページ分ということである。

さらに、「近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」というところでページが変わることが明らかであることや、ここが段落の変わり目であることから、読み飛ばしたページの一番最後の行は、「近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」であったと考えられる。ということはつまり、1行は19字程度だったことが推測できる。ちなみに読み飛ばし部分の見開きは、123文字である。

読み飛ばし部分を1行19字に設定すると、

「世界の実現に向けて力を尽くします。」と世

界に発信しました。我が国は、核兵器の非

人道性をどの国よりもよく理解する唯一の

戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の

実現に向けた努力を着実に積み重ねていく

ことが重要です。

 近年の国際的な安全保障環境は厳しく、」

となり、見開き2ページあたり7行ていどが書かれていると推定できる。

さて、そこで次に気になるのは、挨拶文全文が、蛇腹の紙にどのようにおさまっていたのかである。

首相官邸のホームページから、平和記念式典の挨拶文を全文コピーして、Wordに貼り付け、1行19字と設定する。

それと、ありがたいことに、首相官邸のホームページには、首相が挨拶している一部始終が動画撮影されており、その手元には、蛇腹の挨拶文がわずかに映っている。

首相はどのタイミングで、蛇腹の挨拶文をめくっているのか、一部わかりにくいところもあるが、映像をよーく観察すると、あるていどはそのタイミングを確かめることができるので、それを参考にしつつ、「全体として挨拶文はどのように蛇腹におさまっていたのか」を復元してみた。少し長くなるが。

「本日、被爆76周年の広島市原爆死没者慰

霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当

たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの

(ここで蛇腹をめくる) 

方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀

悼の誠を捧(ささ)げます。そして、今な

お被爆の後遺症に苦しまれている方々に、

心からお見舞いを申し上げます。

 世界は今も新型コロナウイルス感染症と

いう試練に直面し、この試練に打ち勝つた

めの奮闘が続いております。

(ここで蛇腹をめくる) 

我が国においても、全国的な感染拡大が続

いておりますが、何としても、この感染症

を克服し、一日も早く安心とにぎわいのあ

る日常を取り戻せるよう、全力を尽くして

まいります。

 今から76年前、一発の原子爆弾の投下

によって、

(ここで蛇腹をめくる) 

十数万とも言われる貴い命が奪われ、広島

は一瞬にして焦土と化しました。

 しかし、その後の市民の皆様のたゆみな

い御努力により、廃墟から見事に復興を遂

げた広島の美しい街を前にした時、現在の

試練を乗り越える決意を新たにするととも

に、

(ここで蛇腹をめくる) 

改めて平和の尊さに思いを致しています。

 広島及び長崎への原爆投下から75年を

迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開

催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガ

サキが繰り返されてはならない。この決意を

胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵

器のない

(ここで蛇腹をめくる、はずだったが読み飛ばした) 

世界の実現に向けて力を尽くします。」と世

界に発信しました。我が国は、核兵器の非

人道性をどの国よりもよく理解する唯一の

戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の

実現に向けた努力を着実に積み重ねていく

ことが重要です。

 近年の国際的な安全保障環境は厳しく、

 (ここで蛇腹をめくる)

核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場

に隔たりがあります。このような状況の下

で核軍縮を進めていくためには、様々な立

場の国々の間を橋渡ししながら、現実的な

取組を粘り強く進めていく必要があります。

 特に、国際的な核軍縮・不拡散体制の

 (ここで蛇腹をめくる)

礎石である核兵器不拡散条約(NPT)体

制の維持・強化が必要です。日本政府とし

ては、次回NPT運用検討会議において意

義ある成果を収めるべく、各国が共に取り

組むことのできる共通の基盤となり得る具

体的措置を見出す努力を、核軍縮に関する

「賢人会議」の議論等の成果も活用しなが

ら、

(ここで蛇腹をめくる) 

引き続き粘り強く続けてまいります。

 被爆の実相に関する正確な認識を持つこ

とは、核軍縮に向けたあらゆる取組のスタ

ートです。我が国は、被爆者の方々を始め

として、核兵器のない世界の実現を願う多

くの方々とともに、核兵器使用の非人道性

に対する

 (ここで蛇腹をめくる)

正確な認識を継承し、被爆の実相を伝える

取組を引き続き積極的に行ってまいります。

 被爆者の方々に対しましては、保健、医

療、福祉にわたる支援の必要性をしっかり

と受け止め、高齢化が進む被爆者の方々に

寄り添いながら、今後とも、総合的な援護

施策を推進してまいります。

(ここで蛇腹をめくる) 

 先月14日に判決が行われました、いわ

ゆる「黒い雨」訴訟につきましては、私自

身、熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理

念に立ち返って、上告を行わないこととい

たしました。84名の原告の皆様には、本

日までに、手帳交付の

 (ここで蛇腹をめくる)

手続きは完了しており、また、原告の皆様

と同じような事情にあった方々についても

、救済できるよう早急に検討を進めてまいり

ます。

 今や、国際平和文化都市として、見事に

発展を遂げられた、ここ広島市において、

核兵器のない世界と恒久平和の実現に向け

 (ここで蛇腹をめくる)

力を尽くすことをお誓い申し上げます。原

子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、

御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、

広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまし

て、私の挨拶といたします。

令和3年8月6日 」

以上が、挨拶文全文と、首相の挨拶映像から復元した、「見開き2ページあたりの文字数」案である。見開き2頁ごとの文字数が90字から120字程度とばらつきがあり、これでよいかと言えば、あまり自信がない。

冒頭の見開きの文字数が短いのは、最初に開いた見開きの右側が白紙で、左側から挨拶文が始まっていることを示しているのではなかろうか。

いくつか気づいたことがある。

挨拶文の原稿には「核兵器不拡散条約(NPT)」が出てくるが、挨拶の際には首相が「(NPT)」の部分を読んでいないので、次にもう一度出てくる「NPT」が唐突に聞こえてしまい、核兵器不拡散条約=NPTであることがわからない人にとっては、文意がとりにくい。

それと、「被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め」とある「保健」は「保険」?

また、映像からは、例の読み飛ばしの部分の蛇腹をめくるとき、糊がくっついていたせいで2枚いっぺんにめくれてしまったのか、あるいは、首相自身が2枚いっぺんにめくってしまったのかは、確認できなかった。

この記事のタイトルを「蛇腹の道も蛇」としたが、その含意については、わかる人がわかればよい。

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オリンピックと戦争

「オリンピック作戦」とは、アジア・太平洋戦争時にアメリカ軍やイギリス軍、ソ連軍をはじめとする連合国軍による日本本土上陸計画の作戦名の一つとして知られている。1945年11月に九州から本土に上陸し、九州を占領しようとする作戦で、もうひとつ、1946年春に関東地方占領をもくろむ「コロネット作戦」と合わせて、「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。いわゆる本土決戦である。これらの作戦は、1945年8月に日本が降伏することにより、実行はされなかった。

では、いまの世はどうだ?人類は新型コロナウイルスという見えない敵、それもそうとうにしつこい敵と戦っている。そんな中で、この国でオリンピックが開かれようとしている。世界各国からアスリートが「上陸」し、感染拡大の危険性は火を見るより明らかなのにもかかわらず、政権はこの事態を意に介さず突っ走ろうとしている。これでは感染による犠牲者がますます増える。これを「本土決戦」と言わずしてなんと言おう。

オリンピックが開かれないなんて、いままでがんばってきたアスリートがかわいそうではないか、アスリートに失礼だぞ!という言葉は、「前線でがんばっている兵隊さんに失礼だぞ!」というふうに、僕には聞こえる。

ちょっと前までは、前線でがんばっている人は医療従事者だった。がんばっている医療従事者のために、ブルーインパルスを飛行させて応援しましょう、と言っていた、そのブルーインパルスは、こんどはオリンピックのアスリートを応援するために空を舞った。いつの間にか医療従事者へのエールは、アスリートへのエールに変わってしまった。でも実際には、医療従事者の負担は変わっていない。それどころか、オリンピックによりさらに負担が増えることは間違いない。

開催直前になればなるほど、政府の「見通しの甘さ」が次々と露呈し始めた。それでいて、政府のトップはなぜかオリンピックは成功するものだと信じて疑わない。まったく科学的な見通しはなく、ひたすら精神論をくり返すのみである。

アジア・太平洋戦争末期のこの国の状況を、まるで追体験しているかのようである。

それでも政府は、オリンピックの開催に突っ走る。まるで「本土決戦やむなし」と強硬に主張する当時の陸軍のようである。

「多少の犠牲を払ってでも、オリンピックを開催しないことには、この日を夢見て前線でがんばっているアスリートに申し訳がない」

「そのためには、国民一人ひとりが、我慢することが大事なのだ」

「がんばってこの難局を乗り切ろう。」

まるで戦時中のスローガンのようである。

いやいやいや、誰も難局なんて望んでいない。乗り越える必要のない難局は、最初からない方がいいに決まっている。

これではまるで、「戦争的思考」ではないか。この国における戦争的思考とは、「思考停止」「非科学的思考」「精神論」「国民に行動制限を強いる」といった内容である。僕たちはいま、戦争に突き進んでいった80年前の体験をくり返しているのである。

平和の祭典であるはずのオリンピックが、戦争的思考によって強行されようとしている矛盾。

オリンピックが始まったら、国民の雰囲気も変わるさ、というのはオリンピック開催派の主張である。日本人が金メダルを取ったら、それまでの不満はなくなるだろうというのである。

戦争も、勝利に沸けば、国民の雰囲気が変わってくる。たしか大林宣彦監督の映画「この空の花 ー長岡花火物語ー」には、「勝っている戦争は楽しいのだ」とかいった表現が出てくる。

もちろんそのツケは、後になってまわってくるのだが。

つまり僕がこの文章で言いたいことは、明らかに多くの犠牲が出るオリンピックすら、目の前で止められないというこの国の人たちは、戦争が起きたとしたらなおさら止めることができない、ということである。

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だまし討ち

スポーツマンシップって、なんだろう?

どうやら東京五輪は、このままなし崩し的に突き進んでしまうようだ。

僕らはいま、人類が営々と築き上げてきた「言葉」や「論理」というものを、東京五輪大会と引き換えに手放しつつある。

政府は、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の解除後の大規模イベントの観客上限を5000人以下から1万人以下に緩和される見通しを示した。これに対して、分科会は、「オリンピックとは関係ない国内イベントについてですね」と何度も念押した上でこれを了承し、さらに「オリンピックはより厳しく」と付け加えたにもかかわらず、この提言を無視して、五輪の観客の上限も1万人とした。その際に、組織委員会の会長は「尾身会長の提言を受けて」と、その根拠を示したのである。

これではまったく、だまし討ちである。分科会から観客の上限1万人という言葉を引き出しておいて、一方で「この上限数は五輪には適用されない」という但し書きを無視して、あたかも尾身会長のお墨付きをもらったかのように平然と言ってのけたのである。

もともと尾身会長は、五輪の中止こそうたわなかったものの、やるとするならば無観客で実施すべきだと主張していた。その背景を考えれば、「尾身会長のお墨付きをもらって観客上限1万人とした」という発言は、あり得ないはずである。

だまし討ちはそれだけではない。

尾身会長をはじめ分科会の専門家有志が作成した提言書には、五輪を中止せよという文言は書かれていない。本来はそれも選択肢の一つだったのだが、首相がG7で世界の首脳に向けて五輪開催を表明してしまったために、提言書の中では中止の選択肢について言及できなかった、と述べている。

今度はそれを逆手にとり、「『中止』ということが尾身会長の提言には書いてなかった」ことを錦の御旗の如く、記者会見で大会組織委員長は、それを五輪開催の根拠として平然と主張したのである。

尾身会長からしたら、「話が違う…」と言いたくなるだろう。大会組織委員会の会長は、もともとオリンピックに出場経験のある元アスリートで、冬季五輪のスケートと、夏季五輪の自転車競技に出場している。

いったい、どこをどう読めば、こういう解釈ができるのだろう?こういう人とは、日常会話すら成り立たないのではないか、とさえ思えてくる。

伊集院光氏が、朝のラジオ番組で、「毎日毎日ニュースのコーナーで五輪開催に対する懸念を話しているけれども、さすがに僕も飽きてきて、リスナーにも『またかよ』と言われるかもしれないので、もうやめようかと思ったんだけれども、今回の組織委員会の会長の発言を聞いて、やっぱり言い続けなきゃダメだ、という思いを強くした。だって、『伊集院さんが何も言わなくなった、ってことは、開催に賛成してくれたんですね』と言われかねないし」

と言っていて、やはり一連の組織委員会会長の発言は、言葉を扱う職業の人からしたら、許しがたいものだったのである。

フェアプレー精神って、なんだろう?

東京五輪の観客についてもう少し言うと、「観客は上限1万人だけど、IOCとかスポンサーとかは関係者なので、それは観客とは別ね」という理屈で、ノーカウントされるということも明らかになった。つまり1万人にさらに上乗せされることになる。

これで思い出すのは、いとうあさこのライブである。

先日、草月ホールというところで、いとうあさこの単独ライブがおこなわれた。もっとも僕は観に行ったわけではなく、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の中で話していた内容を聞いただけである。

観客数は、緊急事態宣言下だったこともあり、500くらいある座席のうち、半分にしなければならない。たとえば席数が500だったとすると、250が観客数の上限となる。

しかし、250席をきっちり観客分にするわけにはいかない。なぜなら、客席には劇場のスタッフもスタンバイすることがあるので、その分を差し引かなければならない。ということで、観客の数を半分よりさらに減らして、チケットを販売した、というのである。

たかだか500席のライブでも、関係者分の席を観客分の席に含めているのである。身を切るような思いで、観客の人数を制限しているのだ。だが東京五輪の場合は、観客と関係者は別だと平然と言ってのけている。おかしくないか?

つまり、この文章でいちばん言いたいことは、「これではいとうあさこの努力が報われないではないか」ということなのである。

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堪忍袋2

堪忍袋

6月15日(火)

首相の記者会見、というのは、見ていて不愉快になるのでほとんど見ないのだが、それでも、たまにテレビなどを見ていて記者会見が目に入ったりすると、首相と分科会の尾身会長が並んで会見する場面をしばしば見かけた。

首相がひととおりしゃべったあと、尾身会長が感染症の専門的見地から、発言をする。そのときの首相は、どちらかというと他人事のようである。

あれはいただけない。記者会見の場で、自分はわからないから専門的なことは尾身会長に任せる、というのは、あまりに無責任である。首相の記者会見では、首相の言葉を聞きたいと思っているのだから、できるだけ首相自身が専門的なことも含めて、自分の言葉で語るべきである。

多少の間違いや不足な点があったら、そのときに尾身会長の助けを求めればよい。最初から尾身会長に丸投げ、というのは、よくない。

尾身会長が御用学者か否かというのは、僕にはわからないが、あの場で、首相のプライドを傷つけずに、それでいて自分の信念を曲げない(忖度しない)意見を述べるのは、至難の業であることには違いない。分科会で出た意見と、首相の思いつきを擦り合わせるにはどうすればよいのか、ということに腐心することになるからである。

そこでどうするかというと、言葉の端々に、自分なりのメッセージを込めるしかなくなる。「聞いてる人はわかってくれるよな」というメッセージである。

聞いてる方は、「なんと弱いメッセージだ」と思うかもしれないが、実はそこには、首相に対する強烈なアンチテーゼが含まれていたりするので、メッセージを注意深く分析する必要がある。

尾身会長が6月2日の衆議院厚生労働委員会で、

「今の感染状況での(五輪の)開催は普通はない」

「こういう状況の中でやるというのであれば、開催の規模をできるだけ小さくして管理の体制をできるだけ強化するのが主催する人の義務だ」

「なぜ開催するのかが明確になって初めて、市民は『それならこの特別な状況を乗り越えよう。協力しよう』という気になる。関係者がしっかりしたビジョンと理由を述べることが極めて重要だ」

「国や組織委員会などがやるという最終決定をした場合に、開催に伴って国内での感染拡大に影響があるかどうかを評価し、どうすればリスクを軽減できるか何らかの形で考えを伝えるのがわれわれプロの責任だ」

と述べたことがニュースになっていたが、これについて、いろいろな意見が出た。

「自主的な研究と受け止める」とか、「越権行為だ」とする発言まで出た。

どこが越権行為なのか、いやむしろ、越権行為にならないように注意した、慎重な発言とみるべきである。「関係者がしっかりしたビジョンと理由を述べることがきわめて重要だ」と述べているではないか。ここでいう「関係者」には当然、首相も含まれる。尾身会長は含まれない。首相が自分自身の言葉でビジョンと理由を述べることが重要だ、というのは、きわめて当然のことである。

尾身会長は、五輪を中止しろとは、ひと言もいっていない。ここにもまた、越権行為にならないように細心の注意を払っている。政府の分科会の会長としてのぎりぎりの線をねらった発言である。この一連の発言から真意を読み取るべきは、僕たちの方である。

今日の会議を終えた僕には、尾身会長の気持ちが痛いほどよくわかる。

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5枚の写真

5月25日(火)

少し前に、米国のある方へZoomを通じて取材をした、と書いた。

正確に言えば、米国在住の日本人ジャーナリストが、77年前の写真に写った日本人の人探しをしてもらいたい、と、米国のある州の地方都市に住む米国人男性の依頼を受け、その写真をめぐるさまざまなお話しを、その米国人男性に直接取材するために、全国紙の記者の方と一緒にZoomを通じてうかがったのであった。もちろん、現地のジャーナリストの方の通訳を通じて、その男性のお話をうかがったのである。

で、なんで僕がそのような取材に立ち会ったかというと、その古い写真の中に、その人物に関する何らかの手がかりが残されていないだろうか、調べてほしい、ということになったのである。

「探偵ナイトスクープ」のような話でしょう?

もし、写真の中に、その人物を特定できるような手がかりが見つかれば、たとえその写真の人物が物故していたとしても、その家族に行き着くのではないか、と考えたのである。

なぜ、その米国人紳士が、日本人が写っている77年前の写真を持っていたのか、という話を始めると長くなるのでここでは省略する。その写真は、その紳士の遠い親戚にあたるある人が77年前に家族に宛てて送ったもので、写真に同封されていた当時の手紙も一緒に残っていた。それにより、その写真がいつごろ、どこで入手したものか、ということもあるていど特定できるようであった。

取材に応じていただいたその米国人紳士は、お話しの様子やそのたたずまいから、とても誠実で理知的な方であるとお見受けした。聞くと弁護士をなさっているという。

その方は、その写真を「発見」した時から何年もの間、その写真のことが気になっていて、持ち主のもとにお返ししたいと思っていたのだが、米国の片田舎の町では、日本人に会うチャンスがほとんどない。

数年前、別の取材で米国在住の日本人ジャーナリストがこの町に訪れたとき、その紳士は、以前から気になっていた写真のことをその時初めて打ち明けた。

それがまわりまわって、今回の取材となったのである。そのことを取材して記事にしようと考えた、ある全国紙の記者は、知り合いを通じて、僕に依頼をしてきたのだった。もっとも、僕はその記者と1度お会いしたことがあり、その人の書いた記事も何度か読んだことがあったので、僕はひとまず、その取材に立ち会うことにしたのである。

Zoomの画面越しに、初めてその写真を見せてもらうことになったのだが、正直言って、

(これはなかなかむずかしいな…)

という感触を得て、

(これはどう説明したらいいものか…)

と口ごもってしまったのであった。

その一方で、その写真を持っていた紳士は、僕が参加したことに対して「光明を見いだした」という表情を浮かべ、僕が関わることに対してかなりの期待を寄せていたようだった。

だがしかし…。

実際にその写真を分析したところ、予想していたとおり、何の手がかりもつかめなかった。

まあ、もともとダメ元での調査依頼だったので、仕方がないといえば仕方がない。

僕は、写真から手がかりがわかり、そこから一挙に事態が進展することを夢想していた。この取材に関わるすべての人もそこに期待を寄せていたのだが、残念ながら世の中はそれほどうまくはいかないらしい。

そして今日、その取材が記事になった。全国紙の朝刊に5枚の写真とともに大きく掲載された。そこには、米国の紳士がその写真と出会ったいきさつや、77年前にその写真を送ってきた人物との関わり、そして写真に対する想いが、誠実な筆致で書かれていた。

当然、僕の調査のことは出てこないのだが、僕の調査は決して無駄ではなかったと、その記者の方からのちに連絡をいただいたので、ちょっとした裏話として、書き残しておく。

米国の紳士は、「もし写真の関係者が見つかったら、日本に会いに行きたい」と言っている。そんな日が来ればいいなあ、と思う。

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根回し文化

よくも悪くも、この国には「根回し文化」がある。「根回し」とは、事前調整のこと。

とくにここ最近痛感していることだが、組織の中で何かを提案したり、合意をとりつけたりする場合は、事前に根回しが必要である。

うちの職場の場合、ある一つのことを決めるまでに、じつに多くのプロセスがある。

根回し→第1会議→根回しのための根回し→根回し→第2会議→第3会議

重要な事柄になるとさらに、

(第3会議)→根回し→第4会議→第5会議

と、実に3~4か月かかる場合もある。

実現に至るまで、もうヘトヘトになるのだ。

ところで、この根回し文化というのは、他の国ではどうなのだろう、というのが気になる。

というのも、ここ最近、韓国主催のオンライン国際会合に招待されることがあるのだが、ここ数回の経験から、大きなイベントにもかかわらず、かなりの迷走ぶりを目の当たりにするにつけ、

(どうやら根回しをしないらしい)

ということがわかってきた。もちろん10年ほど前に、1年ほど韓国に留学していた際も、薄々気づいていたのだが、最近とみに、そのことを感じるのである。

いろいろ聞いてみると、どうやら根回しすることなくいろいろな計画を立てたりするために、それに関係する相手側が「聞いてないよ~」ということになり、その計画が延期になってしまうとか、とにかく、一筋縄ではいかないらしい。

根回しに慣れている人間からすると、

(なんで根回ししておかなかったんだろう)

と、つい思ってしまう。

ただ最近のニュースを見ると、この国も、根回しをしない文化が幅をきかせつつあるようだ。

たとえば、こんなニュース。

「政府は(4月)23日、4都府県への緊急事態宣言の発令に合わせ、鉄道会社に減便要請を行った。突然の運行ダイヤ変更を迫られた鉄道会社には困惑が広がっている。

鉄道ダイヤは、車両整備や運転士の人員配置など複雑な調整を行った上で決められている。特に、首都圏では複数の会社が路線を乗り入れる相互直通運転も多く、調整は煩雑だ。大手私鉄関係者は、「あまりに急な要請で、乗客に十分な周知ができない」と話す。

鉄道の車内はドアや窓の開閉などで十分換気されるため、これまでにクラスターの発生は確認されていない。都内の鉄道会社からは、「減便してもテレワークが進むわけではない。むしろ混雑が増して『密』を招き、逆効果にさえなりかねない」と憤りの声が上がる。

減便要請は内閣官房主導で、鉄道業界を所管する国土交通省との事前調整なしに進められた。

22日夜、政府による減便要請の方針が報道で伝わると、国交省幹部は、「連絡は何も来ていない。新型コロナウイルス感染症対策推進室(内閣官房)が頭越しに働きかけたようだ」と語った。」

これまでの常識だと、所管の官庁と事前調整をしないなんてことは、あり得ない。うちの職場だったら絶対に叱られる。いまの政府は「縦割り行政の打破」をめざしているのだろうか?

1日に1万人のワクチン接種ができる大規模なワクチン接種会場を都心のオフィス街に設置することを政府が計画したそうなのだが、1日に1万人ていどで「大規模」と言えるか?という批判はさて置きですよ、自衛隊の医療関係者がワクチン接種にあたると報道されていたのだが、どうやら自衛隊には事前調整をしておらず、自衛隊からは怒りの声が上がっているとか、いないとか。これもやはり「縦割り行政の打破」をめざしたことなのだろうか?

この国は、「根回し文化」から脱却しつつあるのだろうか?それがいいことなのか悪いことなのか、いまの僕にはわからない。

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3度目の緊急事態宣言

4月25日(日)

今日から、3度目の緊急事態宣言である。

…でも、緊急事態宣言になると、具体的にどうなるのかがわからないし、我々がどんな心構えをすればいいのかも、よくわからない。

今日の午前11時頃、携帯のメールアドレスに、市役所からメールが来た。

何かの折に、自分の携帯電話のメールアドレスを市役所に登録したのだと思うが、市役所からは、けっこうな頻度でメールが来る。

そのほとんどが「市内でアポ電詐欺が発生しました!注意してください」みたいな、犯罪注意報みたいな内容である。

で、今日の午前11時頃に、市役所から来たメールは、

【新型コロナ】緊急事態宣言が発出されています。

という件名だった。

中を開いてみると、次のように書いてあった。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴い、東京都に緊急事態宣言が発出されています。 感染力が強い変異株も流行しています。感染拡大防止のため、日中を含めた不要不急の外出はお控えください。 一人ひとりの命を救うため、市民の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。

えっ?これだけ?

端的にまとめると、

「感染拡大防止のため、日中を含めた不要不急の外出はお控えください」

ということしか言っていないぞ。

これでは、何も言っていないに等しいではないか!

これを読んだ第一印象は、「なんともやる気のない緊急事態宣言だ」ということだった。「おまえ、ほんとうにやる気あんのか?」と小一時間問い詰めたいくらいの内容の薄さである。

よくこれで、市役所の公式メッセージとして市民に出そうと思ったな。

で、気になって、このたびの緊急事態宣言では、どのような要請が出ているのか、というのを調べてみた。東京都の公式ホームページや、それをまとめたニュースサイトなどをもとにまとめると、次のようになる。以下、引用がスゴーく長くなる。

「区域:都内全域

期間:令和3年4月25日(日曜日)0時から5月11日(火曜日)24時まで

実施内容の概要:新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、人流の抑制を最優先に、以下の要請を実施

都民向け:日中も含めた不要不急の外出・移動の自粛要請 等

事業者向け:施設の使用停止の要請(休業の要請)、施設の使用制限の要請(営業時間短縮の要請)、催物(イベント等)の開催制限等

都民向けの要請:日中も含めた不要不急の外出・移動の自粛(新型インフルエンザ等対策特別措置法第45条第1項)。医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要な場合を除き、原則として外出しないこと等を要請。

特に、以下のことについて徹底(法第45条第1項)①20時以降の不要不急の外出自粛②混雑している場所や時間を避けて行動すること③感染対策が徹底されていない飲食店等や休業要請又は営業時間短縮の要請に応じていない飲食店等の利用を厳に控えること④不要不急の都道府県間の移動は、極力控えること

事業者向けの要請

休業要請(1000平方メートル超の施設)

・映画館、プラネタリウム、ボウリング場、スポーツクラブ、ホットヨガ、ヨガスタジオ、マージャン店、パチンコ屋、ゲームセンター、博物館、美術館、科学館、記念館、水族館、動物園、植物園、個室ビデオ店、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売り場

・大規模小売店、ショッピングセンター、百貨店、スーパー、コンビニ、ドラッグストア、ホームセンター、家電量販店、自転車屋、本屋、衣料品店(生活必需品は除く)

・スーパー銭湯、ネイルサロン、エステティック業、リラクゼーション業(生活必需サービスは除く)

休業要請(酒類やカラオケ設備を提供する飲食店):キャバレー、ナイトクラブ、ダンスホール、スナック、バー、ダーツバー、パブなど食品衛生法の営業許可を取っている施設(提供しない場合は午後8時までの営業時間短縮を要請)

原則休業だが全国大会などでは無観客化を要請:体育館、スケート場、水泳場、屋内テニス場、柔剣道場

無観客開催を要請:劇場、観覧場、演芸場、集会場、公会堂、展示場、貸会議室、文化会館、多目的ホール、ホテルまたは旅館の集会に供する部分、テーマパーク、遊園地、野球場、ゴルフ場、陸上競技場、屋外テニス場、ゴルフ練習場、バッティング練習場

部活の自粛、オンラインの活用:幼稚園、小学校、中学校、高校、保育所、介護老人保健施設、大学

オンラインの活用:自動車教習所、学習塾

酒類提供の自粛を働きかけ:葬祭場

入場整理の働きかけ:図書館

入場整理、店舗での飲酒につながる酒類提供やカラオケ設備の使用自粛:銭湯、理容店、美容店、質屋、貸衣装店、クリーニング店など

入場整理、酒類提供やカラオケ設備使用の自粛働きかけ:マンガ喫茶、ネットカフェ

以上、引用終わり。

なんか、スゲーわかりにくくね?

揚げ足をとろうと思えば、いくらでもとれるんだけど、たとえば、「休業要請(1000平方メートル超の施設)」のところにある「射的場」って、何?都内に1000平方メートル超の射的場って存在するのだろうか?

あと、休業要請の対象に「自転車屋」とか「本屋」が入っているけど、何でだ?

「無観客開催を要請」のところに、「ゴルフ練習場」とか「バッティング練習場」が入っているけど、そもそも観客なんているのか?

「入場整理、店舗での飲酒につながる酒類提供やカラオケ設備の使用自粛」のところにある「理容店、美容店、質屋、貸衣装店、クリーニング店」とあるのも、よくわからない。

「オンラインの活用」のところに「自動車教習所」というのは、どういう意味だろう?むかし、「通信教育で空手を習う」という定番のジョークがあったけれど、それに近いものだろうか。あるいは、自動車の運転を体験するゲームか何かで教習を受けろということなのか…。

いや、そんなことどもよりも、僕がいちばん知りたいのは、テレワークについてである。

東京都の公式ホームページの中を探してみたが、テレワークについて言及しているのが見当たらない。都知事はどこかで「出勤を7割減らしてテレワークにする」みたいなことを言っていたような気がするが、あれは公式見解なのだろうか?

あと、午後8時以降は消灯するようにとの「灯火管制」を口走っていたように思うが、それも見当たらない。

ほんとうに知りたいことは、よくわからない。

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会談

「大統領!」

「何だ?」

「いま、先方の外務省から連絡が来て、いまからそっちに行くと」

「何だって?こんなコロナが蔓延している時期に対面会合だと?正気の沙汰とは思えん。しかも私も先方も年寄りだぞ!リモートでできんのか?」

「はあ、しかし先方がどうしてもというもので…」

「わけがわからん」

「しかも、80人来るそうです」

「80人?密だ密密密!」

「で、これは申し上げにくいのですが…」

「何だ?」

「ぜひ晩餐会をしてほしいと…」

「バカか?この時期、晩餐会をするバカがどこにいる?」

「はぁ、それがどうにもしつこくて」

「なんで晩餐会なんかしたがるんだ?」

「ええ、何でも先方の国では、会食しないと話し合いができないという風習があるそうで」

「どんな土俗的な風習だよ!」

「どうやらそれが世界の常識だと思い込んでいるようで…」

「うーむ。じゃあ英語が話せるのか?」

「いえ、まったく話せないそうです。しかも先方のリーダーってのが、とにかく座持ちの悪い人だそうで…」

「なんだよ!じゃあ会食する意味なんかないじゃん!」

「いかがしましょう?」

「そんなもん、クラスターが起こるぞ!晩餐会は中止だ中止!」

「しかしそれでは先方の顔が立ちません」

「じゃあ、最初に1対1で挨拶するときに、形ばかりの食事を出そう」

「そうすると、時間的にはランチになりますね」

「…そうだな…。ほら、前任のヤツがやってただろう?」

「なんです?」

「ビジネスランチとか体裁のいいことをいって、ハンバーガー食べてただろ」

「ああ、そうでした」

「あれでお茶を濁そう」

「なるほど、それはいい考えですね。ハンバーガーだったらシェフの手をわずらわせないし」

「それに前例もあるしな。失礼には当たらないぞ」

「これは一石二鳥ですね」

「ただし俺は食わんぞ。マスクを外してハンバーガーを食べながら談笑したなんていったら、世界中の恥さらしだ。国民にも示しがつかん」

「おっしゃるとおりです」

「むしろマスクを二重にする!」

「それがよろしいかと」

…………………

1対1の会談は約20分間行われ、家族や人生経験などプライベートの話題が中心となったという。ただ、首相は「(ハンバーガーに)全く手をつけないで終わってしまった。そのぐらい熱中していた」と記者団に語った。(○○新聞)

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