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BLMとALM

いま、米国を中心に起こっている「BLACK LIVES MATTER(BLM、黒人の命は大事だ)」という運動は、各地で広がりをみせ、デモが起こっている。

先日、NHKの「国際ニュース番組「これでわかった!世界のいま」の公式Twitterに掲載された、「アメリカで黒人が今置かれている状況」について解説するアニメ動画が、まったく問題の本質をとらえていないどころか、かえって差別を助長するような内容だったと非難を浴び、翌週の番組の冒頭で謝罪し、その動画を削除する、という事態になった。

僕はたまたま、その番組冒頭の謝罪のくだりを観ていたのだが、その動画の内容は、たしかにひどい内容のものだった。

で、これに関連して、6月26日(金)の毎日新聞のネット版に、「NHKは何を間違ったのか~米黒人差別の本質 「知らない」では済まされない 黒人差別のシンボルとタブー 矢口祐人・東大教授に聞く」という記事が掲載されていた。残念ながら会員限定有料記事なので、会員でない僕は、読めるのは冒頭部分だけで、途中からは読めなくなってしまう。

ただ、そのインタビュー記事の冒頭部分は、僕にとってとても印象深い内容だった。以下、引用する。

「ーー黒人差別解消を求める運動「BLACK LIVES MATTER(BLM、黒人の命は大事だ)」に対し、「ALL LIVES MATTER(ALM、すべての人の命は大事だ)」と反論する人がいます。火事現場に駆けつけた消防士に対し、燃えていない隣家が「俺の家も大切だ。水かけろ」と言っているようにも見えますが、こうした主張をどう考えればよいですか。

 ◆BLMは、「黒人の命や生活の重要性を、白人のそれと同じレベルで扱ってほしい。現在のゆがんだ社会の構造を変革しなければいけない」という訴えです。

 一方のALMは「すべての命を大切に」という意味ですから、一見すると正論に聞こえます。しかし実態は、保守派、右派がBLMに対抗する形で使っている表現です。「我々は差別主義者じゃない。みんなで対立しないで仲良くしよう」といいながら、BLMが問題視する制度的差別の存在や構造的変革の必要性を否定し、現状を維持しようとしている。BLMは、「構造を変えない限り、みんな仲良くなんてできない」と考えているのです。」

僕はこれを読んで、溜飲が下がる思いがした。なぜなら、僕もここ最近、似たような体験をしたからである。

最近、フェミニズムとかジェンダーとか、そういうことを少しずつアップデートしようとしているんだけれど、ある場所で、ちょっとジェンダー的な観点から発言しなければならないことがあって、まあまだまだ勉強不足なんだけど、ジェンダーによる差別についてやはり考えなければいけない、的な発言をしたんだよね。

そうしたら、一人、猛烈に反論してくる人がいて、「そうやってジェンダー論者がみんなに特定の意見を押しつけようとするのは、他の意見を排除することにつながり、表現(言論)の自由を侵害しかねない」って言われたんだよね。

その人は別に極端な思想の持ち主ではなくて、ご自身は「自分はバランス感覚がとれた人物である」と自覚されている人なんだよね。つまり自分のバランス感覚から言ったら、フェミニストは極端な意見を主張し、その主張をみんなに押しつけようとする人々、ということになるのだそうだ。

僕は何となく、その人の意見にもやもやを感じていたんだけど、というかかなり腹が立ったんだけれど、それに対してどのように反論したらよいのかわからない。それはとても悔しい体験だった。

で、僕はこのインタビュー記事を読んだとき、そうか、と思った。

つまりは、僕は「BLM」と主張していたら、相手は「ALM」と反論した、ということなのか、と。

「現在のゆがんだ社会の構造を変革しなければいけない」「その構造を変えない限り、差別なんてなくならない」と僕は言ったつもりだったのだが、相手は「いや、男性女性にかかわらず、すべての人の人権が重要なんだ。男性だって差別されている」と反論したということなのである。

一見正論にみえる相手方の理屈の裏には、「制度的差別の存在や構造的変革の必要性を否定し、現状を維持しようとしている」心理がはたらいているのではないだろうか、と僕は感じ取った。

しかし、そのことを相手方に言ってみたところで、おそらくこちらの真意は理解されることはないだろう。なぜなら相手方にとってこちらの言い分は、「特定の立場に立った偏った意見」としか映っていないから。

「なんで○○に対する差別解消ばかり主張するの?××だって差別されているじゃん」

という理屈が「正論」としてまかり通っているうちは、差別はなくならないのだろうと、僕はいま、絶望的になっている。

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チャラ男官僚

6月19日(金)

職場からの帰宅の道中で聴いた、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のラジオクラウドで、ゲストの古賀茂明さんが話していた内容が、とてもおもしろかった。記憶の限りで書きとどめておくと…。

古賀さんは、もと経済産業省の官僚で、いまは辞めている。ラジオを聴いたら、「経済産業省不要論」をとなえている。

この国は、高度経済成長、バブル経済を経て、著しい経済発展をとげたため、企業は国の援助がなくても十分にやっていけるくらいの力がついた。そこで経済産業省は、やることがなくなっちゃった。むしろ経産省が余計なことをするおかげで、企業や経済がどんどん衰えてしまう、なんて事態になった。

で、仕事がなくなっちゃったもんだから、仕事をつくることにした。そうしないと予算を持ってこれないから。

「おもてなし」とか「プレミアムフライデー」とか「クールジャパン」とか。

結局、アレって何だったの?みたいなお祭り騒ぎに予算を使う。仕事がないのに、余計な仕事をつくって、盛り上げていかなくてはいけない、というのが、いまの経産省。

毎年、予算獲得のために、何か新しい政策を考えなければいけない。もっともらしくって、見栄えがよくって、キャッチーなものであればあるほどよい。

経産省には、「チャラ男」が多い。そういうチャラ男連中が、口八丁手八丁で、もっともらしいイベントを考えて、それを財務省に持って行って、予算を獲得する。予算を取ってくる人が、出世する。

しかし、結局は中身のない政策だから、次の年にはまた別の政策を考えなくてはならない。

経産省の役人は、そういうことばっかりやってきたもんだから、すっかりそういうスタイルが身体に染みついちゃっている。

だから、経産省と電通は、むかしからウマが合うのだ。どっちもお祭り騒ぎが好きだから。

持続化給付金が電通に委託されたのも、そういったことが背景がある。

ああいう給付金って、税務署が担当すれば、スピーディーにできるんじゃないの?というのは誰でも思いつくこと。だって、確定申告を通じて収入だってわかっているし、振り込みの銀行口座だってわかっているぞ。税務署のノウハウを活用すれば、給付金なんてオチャノコサイサイのはずなのだ。

現に、コロナウィルスがいちばんたいへんだった5月に、自動車税の納付書がちゃんと来たもん。給付金とかマスクなんかよりもはるかに早かったぞ。給付金だって、税務署の手にかかればすぐに支給されるだろうし、相手が税務署だったら、給付金を受ける側も、不正に申請したりすることもできないはずだ。

でもそれをやらない。なぜか?

それは、税務署が財務省の管轄だからだ。つまり財務省にその仕事をとられてしまうと、経産省の出る幕がない。予算の大きな仕事を財務省に渡したくないのだ。

…というのが、古賀さんのお話。

なるほど、ここ最近の一連の動きが、これでよくわかった。溜飲が下がるとはこのことである。

しかし、これは経産省に限ったことではない。同じようなことは、ほかのところでもやっているのではないだろうか。

以前、経産省ではない、別の役所の人と仕事をしたとき、その役人が、チャラい感じのイベントを企画してチャラい感じの民間業者を連れてきていたことを思い出した。

それに、予算を取るために毎年もっともらしい仕事を新しくつくるというのも、大なり小なり、よくやっていること。

とすれば、もうこれはこの国の構造的な問題なのだ。

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アレなマスクが届きました

5月15日(金)

これは、記録として書きとどめておくのだが。

ついに我が家にも「アレなマスク」が届きました!

『日本経済新聞』の4月1日付けの記事

「…首相は1日、首相官邸で開いた新型コロナウイルス感染症対策本部で、全世帯に再利用可能な布マスクを配布すると表明した。1住所あたり2枚ずつ配る方針で「再来週以降、感染者数が多い都道府県から順次配布を開始する」と語った。来週決定する経済対策に国が買い上げる費用を盛り込む。

全国5000万あまりの世帯に配る。首相は「来月にかけて1億枚を確保するメドがたった」と述べた。「急激に拡大するマスク需要に対応する上で極めて有効だ」との認識も示した。」

最初に「マスクを配る!」と宣言してから、1か月半ぶりに届いたことになる。

僕の住んでいる町は、そこそこ都内に近いところにあるのだが、それでもこのスピードである。こぶぎさんの家に届くのは、いつになるやら。

いざ、届いたマスクを見てみると、…かなり脱力するぞ。ノスタルジーを感じるぞ。

小田嶋隆さんが、「1枚は鼻用、もう1枚は口用」といっていたが、顔のでかい僕にとっては、それくらい小さなマスクである。

「アレなマスク」の製造業者が取材に答えて、こんなことを言っていた。

「布マスクは1枚のガーゼを折りたたんでいるだけ。一般的にドラッグストアやコンビニで販売されている、サージカルマスクの方が安くて性能はいいと思う。一度、自分で作った布マスクを洗って試したら、縮んでしまい、使い物にならなかった」

うーむ。ますます脱力。

竹槍で敵の戦闘機に立ち向かうとは、こういうことか。

休業を余儀なくされ、かといって政府からなんの補償もされずにこの先の希望が持てなくなってしまっている人が、郵便受けに入っている「アレなマスク」を見たら、どう思うのだろうか。

やはり「ありがたい」と思うのだろうか。「ふざけるな」と思う僕は、ひねくれ者だろうか。

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緊急事態宣言が延長された日

5月4日(月)

ほぼ1か月、家の中で自粛しているが、精神的に限界が訪れつつある。

もちろん、世間では僕なんぞよりもはるかに苦しい人ばかりなのだが、家族以外とは話す機会もなく、鬱がひどくなり、ちょっと社会復帰が難しい気がしてきた。

今はYouTubeで有名人がいろいろと発信していて、僕もチャンネル登録して見たりしているのだが、あんまり長続きするようなものでもない。いまのYouTubeによる発信ブームは、やり方を相当考えないと、早晩淘汰されていくのではないだろうか。

今日の夕方のテレビのニュースで、個人経営の洋食屋さんが取材を受けていた。

そのニュースに釘付けになったのは、その洋食屋さんのある場所が、僕がいま住んでいる市の隣の市だったという理由が大きい。より正確に言えば、僕の実家のある市と、僕がいま住んでいる市の間に位置する市である。つまり身近な存在として僕の目に映ったのである。

その洋食屋さんは、ご主人であるおじさんと従業員数名がいるようなこぢんまりした店のようで、それでも長年にわたって地元の人たちに愛されていたようだった。

その取材によれば、店のご主人は40年近く(だったと思うが)洋食を作り続けていたが、新型コロナウィルスの影響で、予約もすべてキャンセルになり、店を休業せざるを得ず、もう2週間も料理を作っていない。店を開けずに維持していくのは大変だが、それでもなんとか乗りきろうと思っていたところ、緊急事態宣言が延長され、もう先行きが見えなくなり、

「すっかり心が折れたので、(40年続いた店を)店を閉めようと思っています」

と語っていた。

洋食屋を40年も続けてこられた、僕よりもはるかに人生の先輩であり、ご苦労を重ねてきたはずの店の主人が、

「もう心が折れました」

と語っていたことに、僕は衝撃を受けたのである。

僕もよく、些細なことで心が折れるのだが、そんな生半可なことではない。そのご主人の「心が折れた」という言葉は、どれほど重みのある言葉なのかを考えただけでも、僕は憂鬱な気持ちになってしまったのである。「心が折れた」とは、もう自分では頑張りようもない、ということである。

「歯を食いしばって頑張る」という言葉を、首相は会見で何度も使っている。

その言葉を、首相は、その店のご主人の目の前で言えるだろうか。

歯を食いしばって頑張ってきた挙句に、心が折れてしまった洋食屋のご主人に対して、その言葉はどれほどの慰めになるのだろうか。

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比喩が合っていないかもしれない話

いまは引退してしまった芸人・上岡龍太郎が、むかしこんな話をしていた。

若い者たちとそば屋に行くとき、いつも悩むことがあるという。

当然、その場の支払いは上岡龍太郎が全部することになっている。若い者たちも当然、上岡龍太郎にごちそうになることは心得ている。

このとき、そば屋で何を注文するか?

もし上岡龍太郎が、

「ざるそば」

と真っ先に注文したら、若い連中たちは、本当は天ぷらそばが食べたいかもしれないのにもかかわらず、遠慮してざるそばよりも高いものは注文できなくなるだろう。

もちろん、そんなことをおかまいなしに高いものを注文するやつもいるかもしれないが、まあそれは置いといて。

だから上岡龍太郎は、(本当はざるそばが食べたいのだがなあ)と思っていても、天ぷらそばを注文したりするのだという。

そうすれば、若い者たちも気兼ねなく、天ぷらそばを注文することができるからだ。

「俺はざるそばだけど、君たちは好きなものを注文していいぞ」

と言えばいいのかもしれないが、それでも若い者たちは、遠慮する可能性だってある。いわゆる「忖度」というやつである。

ま、似たようなことは、社会人ならば、多かれ少なかれ経験していることではないだろうか。

なぜこんな話を思い出したかというと、新型コロナウィルスの対策で自粛要請をするのと引き換えに一律に10万円の給付金を支給する、と政府が決定したことに関するニュースを見たからである。

一律に10万円支給するまではまあよい。

問題は、閣僚や与党が「10万円の受け取りを辞退する」と、高らかに表明したことだ。

一見、美談のように聞こえるが、はたしてそうだろうか。

そしたらあーた、ドラッグストア協会という業界団体の幹部54人も、「10万円の受け取りを辞退する」という声明を出したのだ。

10万円受け取り辞退の連鎖は、この先も続くのだろうか?

もしそうなったら、恐いのは、「なんでおまえらは辞退しないんだ?」と文句を言うやつが出てくることだ。だってこの国は、同調圧力の国だから。

上の方の者が辞退を表明する、ということは、「俺はざるそばにするけど、君たちはどうする?」と言っていることと同じなのだ。

「上岡師匠がざるそばなんだから、(ごちそうになる)おまえらもざるそばを注文しろよ!」

という圧力と、どこがどう違うのだろう?

天ぷらそばを注文した上で、「僕は天ぷらが胃にもたれるから、もしよかったら君ら食べてくれ」というべきじゃないのか?

…というか、この比喩は合っているのか?自分で書いていてナンダカワカラナイ。

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感染爆発、重大局面

3月25日(水)

都知事が午後8時の記者会見で、東京におけるコロナウィルス感染の状況について、

「感染爆発、重大局面」

というフリップをもって、説明していた。

もちろん、このメッセージじたいは、真摯に受けとめなければならないのだが、いくつか、気になることがあった。

たしか2月の終わりに、政府は、

「この1,2週間が瀬戸際」

と述べていた。つまり、1,2週間は自粛しろ、ということで、粛々とそれに従ってきた。

もう2週間はとっくに過ぎたのであるが、今度は、「感染爆発、重大局面」なので、週末の不要不急の外出は自粛しろ、という。

なんかどんどんと、言葉がエスカレートしていくなあ。言葉のインフレである。こうなると、これからはこれよりももっと刺激的な言葉を使わなければ、人々は危機感を持たなくなるということだろう。

もう一つ気になったのは、なぜ、「感染爆発、重大局面」という言葉をわざわざフリップにしたのか、という疑問である。

都知事は、そのフリップを自分の顔の真横にピッタリとつけながら、説明したのである。まるで、新元号を書いた文字を記者たちに向かって見せた官房長官のような仕草である。

しばらくして、気がついた。

そうか。キャッチフレーズをフリップにして、顔の真横にピッタリとつけて説明すれば、テレビやネットニュースなどに、都知事の顔が必ず映り(写り)込むことになる。つまり、都知事がリーダーシップをとって決断しているのだ、という姿を、見せつけることになるのだ。

そのために、「感染爆発、重大局面」という、一件センセーショナルで、それでいて曖昧模糊とした表現を、わざわざフリップにしたのではないだろうか。で、テレビやネットニュースは、まんまとその通り、都知事の「顔付き」で、「感染爆発、重大局面」というフリップを紹介していた。

キャスターの経験のある都知事は、どうすれば自分が印象よく映るのか、ということを、よく知っているのだ。

この国の感染防止対策が後手にまわった理由が、オリンピックにあることは、衆目の一致するところである。首相や都知事は、感染防止対策には「上の空」で、どうしたらオリンピックを開催できるかにばかり気が向いてしまっている。だから感染防止対策を本気で考えることよりも、IOC会長との話し合いを優先させたのだ。そんな時間かあるなら、国内の感染防止対策と経済補償の問題に時間を割けよ!

「町の声」も、アスリートの心配するよりも、自分の心配をしろよ!

政府は時差出勤やテレワークを推奨しているが、現場はあまりそうなっていない。そもそもうちの職場は、もともとテレワークを認めていない職場だったので、テレワークといわれても、その方法がわからない。

お役所系の機関に勤める友人に話を聞いたら、時差出勤を命じられて朝8時に出社することになったのだが、仕事をしていると結局、いつもの退勤時間になってしまうので、結果的に以前よりも長時間労働になっているという。

外資系の企業に勤める友人によると、今は完全にテレワークで自宅待機。出社することはないという。さすが、外資系は徹底している。

笛や太鼓で時差出勤やテレワークを政府が推奨しても、現実にはそうならないことは、構造的な問題である。

まあこんなことはどうでもよい。

それよりも問題なのは、僕が毎日、往復5時間かけて、満員電車で通勤し、職場では密閉された空間の中で会議やら打ち合わせやらをひっきりなしにおこなっているという現状である。

なんとかならないものか。

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パラレルワールド

2月28日(金)

うちの職場も、ついに2週間ほど休業とすることに決まった。といっても、通常の仕事はそのままである。

「人はみな 同じ方向に向いて行く それを横から見てゐる心」(石川啄木)

ご乱心、というべきか、昨日、急に全国の小中高校の休校要請が、政府の、しかも最高権力者から発せられた。

あくまでも「要請」だと言っているようだが、その言葉が最高権力者から発せられたのである。国民性からして、誰もが従わざるを得ない雰囲気になるのは当然である。これを最近の言葉で「パワー・ハラスメント」という。

その場にいた(と思われる)所轄省の大臣も寝耳に水の話のようで、その後の対応を見る限り、うろたえているばかりである。もともとは威張り散らしたいだけの、人の上に立つ器ではない人間なので、致し方あるまい。

一見して勇ましいような「寝耳に水」の決断を、トップダウンの決断、というのかも知れないが、まあ、通常の組織ではまず許されない。

トップダウンの決断というのが、いかにダメかという見本である。三流のビジネス本にすら、こんなことがよいことだとは書いていないはずである。

このたびの政権というのは、通常の組織に置き換えるとまるで許されないことを、いくつも行っている。

一般の職場では、書類作成に追われ、決済までに幾重もの手続きを必要とし、公文書の改ざんが犯罪となり、予算内に事業を遂行することが求められ、はては、イベントの自粛が強要される。

その一方で、あるところでは、公文書が改ざんされ、廃棄され、決済が口頭で行われ、予算を大幅に超過しても許されるような花見が盛大に行われ、イベントの自粛を呼びかけているそばで、政治家による立食パーティーが何のためらいもなく行われている。

いま僕らは、そんなパラレルワールドに生きているのだ。

怒っていいはずなのだが、誰も怒らない。

怒らないはずだ。だって僕らは、あっちの世界をパラレルワールドだと思ってぼんやりと眺めているだけなのだから。

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誤訳ニ関スル問題

2月21日(金)

最近は、公私ともに忙しくて、ブログを更新する時間がない。

今日は定例の診察だが、かかりつけの総合病院に行くまでに片道1時間半ほどかかり、しかも病院や薬局は大混雑で、長時間待たされるので、ちょっと診察を受けるだけでも1日仕事である。まったく、健康でないと、病院には通えないな。

しかも病院にいると、いま問題になっている新型コロナウィルスに感染しないだろうか、ヒヤヒヤする。まったく何のために病院に行っているのか、よくわからない。

それはともかく。

こぶぎさんから謎の四行詩のコメントをもらった。あいにく僕は新聞を読んでいないので最初は何のことかよくわからなかったのだが、古典的な暗合解読法で、何のことががわかった。

過去の新聞を取り寄せるつもりもないので、ネットにニュースがあがっていないかと思ってみてみるが、こぶぎさんの紹介した新聞のサイトは、ログインしなければ読めないので、記事自体は読めなかった。

でもまあその内容は、K省のサイトの中で新型コロナウィルスに対する注意喚起の外国語訳が、自動翻訳機そのままなので、かなりおかしなことになっているという記事であることが、なんとなくわかった。

この問題は、その新聞よりも以前に、別の新聞で話題になっていたこともわかった。

要は、僕がこのブログで述べた、「手洗いをこまめにしましょう」という日本語の韓国語訳のところが、「トイレは勤勉に実施しましょう」という頓珍漢な訳になっている、ということを述べた記事である。自動翻訳機は、「手洗い」という言葉を「化粧室」と訳してしまっているのである。

別に記者は僕のブログをパクったわけではなく、そもそもK省のサイトが、そうなっていたのである。

僕が不思議に思ったのは、「なぜ、自動翻訳サイトで翻訳したものをそのままアップしてしまったのか?」ということだけではない。

僕の職場の課長さんは、M省から出向してきている役人である。K省ではない。

にもかかわらず、発想(つまり、自動翻訳サイトで翻訳してよしとする発想)が、K省の役人とM省の役人で、共通している、という事実に、驚いているのである。

自動翻訳でよしとするこの発想は、省庁にかかわらず、役人に共通する発想なのだろうか?だとしたら、かなり根深いものがある。

外国語で発信しようとする発想が、そもそも官僚たちにはないのだ。

やれインバウンドだなんだといっても、所詮は、この程度なのである。

僕はその末端にあるような職場にいるのだが、ここでは、外国語による情報発信が必要であるにもかかわらず、満足にできていない。そういうスタッフを雇う予算がいないからだ。

たぶんその親方である省庁じたいに、そういうスタッフを揃えようという人件費を確保する気が、さらさらないのだろう。

まったく困ったことである。

誤訳問題については、時間ができたらまた書く。

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めざせ!3000本

気がついたら、このブログもあと10本くらいで、3000本の記事を書いたことになる。

今年もあと20日足らずだが、今年中に、3000本を達成するだろうか。微妙なところである。

3000本を達成したら、どうしようかなあと、いろいろと考えている。

1.このブログをやめる

最近忙しいし、書く内容もないし、書いても内容がつまらないので、思い切ってやめてみようか。

2.方向性を変える。

いっそ、政治的主張を前面に出した内容に一新してみようか、とも思ったが、たぶん読者はどん引きするだろうな。

3.大々的にオフ会をやる

都内のホテルを借り切って、会費5000円でどうだろう。最近は、都内の有名ホテルが、会費5000円で宴会を準備してくれるらしいぞ。

4.何もしない

「何もせんほうがええ」。映画『日本沈没』の中で、政界のフィクサーみたいな老人が、丹波哲郎総理にそう言っていた。

うーむ。どうしよう。

そういえば、「都内の有名ホテルが、会費5000円で宴会を準備」で思い出したけど、みんな、「桜を見る会」に、腹が立ってないのかね?

僕はめちゃめちゃ腹が立ってるんですけど。

何に腹が立っているかって?いくつかある。

5年くらい前、前の勤務地にいたときに、ホテルの宴会場で懇親会を企画したことがあったんだけど、5000円じゃすまなかったぞ。5000円ですむコースもあったかも知れないが、料理がめちゃめちゃしょぼかったと記憶している。

数年前の地方都市の小さなホテルですら、会費5000円の宴会は難しいのだ。都内の有名ホテルで、会費5000円で懇親会ができるなんて、嘘に決まっている。ホテルを会場に懇親会を計画した経験のある人だったら、誰でもわかることだ。

なぜ、みんな怒らないんだろう?

あと、今年の予算が当初よりオーバーしたってことね。

今年の「桜を見る会」は、1767万円が当初予算だったのに、実際にやってみたら5729万円もかかり、3倍にもふくれあがったというのだ。

うちの職場も、いろいろなイベントをやるけれども、もし仮に俺が、1767万円でやらなければいけないイベントを5729万円もかけておこなったとしたら、

「ふざけるな!!!」

と上司や同僚たちから袋だたきにあうだろう。というか、そもそもそんな見通しのないお金の使い方を、組織は絶対に許さない。これは社会人だったら、誰でも経験していることである。

なぜ、みんな怒らないんだろう?

あと、名簿廃棄の問題ね。

ふつうに仕事をしている人からしたら、「名簿は廃棄しました。復元もできません」なんてことは、考えられないはずだ。

今日、職場の事務から、こんな問い合わせがあった。

「先日の『西の町』でおこなったイベントの時に、予稿集を作りましたよね」

「ええ」

「財務担当から、予稿集の配布先リストを出せ、と言われたので、出してください」

「はあ、わかりました」

もし、俺がだよ。事務からの問い合わせに対して、

「名簿は遅滞なく廃棄しました。復元もできません」

と答えたとしたら、

「ふざけるな!!!」

と袋だたきにあうだろう。こっちも、監査とかで必要なんだろうな、と思ってるから、むしろ名簿はとっておかないと後々困るんである。

こんなことは、「いろはのい」だと思うのだが、「名簿は遅滞なく廃棄しました。復元もできません」といって許される職場というのが、どうにも理解できない。

「えええ~、ずるいよ~、予算オーバーも、名簿の廃棄も許されるんだったら、うちのところでもそうしてくれよ~」

と言ったとしたら、やはり、

「ふざけるな!!!」

と袋だたきにあうだろう。

うちらの親玉が、あんなことを平然と言ってのけていることに、なぜ、誰も怒らないのだろう???

うちらとは関係のない、おとぎの国の話だとでも、思っているのかな?

まことに不可解な世の中である。

…ん?ブログの記事が3000本に到達したらどうしよう?という話をしていたつもりが、いつのまにか、全然違う話題になってしまった。

さあ、どうしよう。

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当事者

あるお笑い芸人が、椎間板ヘルニアの手術を受け、それ自体はうまくいったようなのだが、その手術の侵襲によるストレスで、鬱病を発症したため、二カ月間休養をとることにした、というニュースを、つい最近聞いた。

「侵襲」という言葉をこのとき初めて聞いたのだが、なるほど、とくに体に負担のかかる手術をすれば、そのような状況になっても不思議ではない。これは、当事者にしかわからない。

ずっと前に、伊集院光さんが、ラジオでこんなことを言っていた。

「自分が腰痛に悩まされる前は、(読売ジャイアンツの)篠塚が腰痛で試合を休んだりしているのを見ると、『我慢しろ』と思ったものだが、自分が腰痛を経験してから、(高橋)由伸が腰痛に悩まされていると聞くと、『お大事に』と思うようになった」

つまり自分が当事者にならなければ、その苦悩がわからないことが多いのである。

ちょっと政治のお話になるが、このたびの選挙で、重度の障害を持った方2人が、参議院議員に当選した。

このときの反応はさまざまで、「そういう人たちに国会議員の仕事がつとまるのか」と、あからさまに訝しむ意見もあった。

また、一見正論にみえる意見として、「いろいろな立場の人の声を代弁するのが政治家というものなので、重度の障害を持つ人本人が政治に関わるのではなく、そういう人の声を代弁する人に政治を任せたほうがいいのではないか」とする意見があった。

しかし、はたして、本当に当事者でない人が、その気持ちを代弁してくれるのだろうか。

では聞くが、この国の国会は、圧倒的に男性議員の数が多い。男性の国会議員の中で、女性の声を代弁している人は、いったいどのくらいいるのだろうか?

当事者にしかわからない苦しみを、果たして当事者でない人が、どれほどすくい上げることができるのだろう?

障害者施設で長年ボランティア活動をしてきた私の母ですら、「議会活動における介助の費用は税金ではなく、自費で負担すべきだ」と、ニュースを見ながら話していた。たぶんそれが、いわゆる健常者の一般的な感覚なのだろう、と思う。

以前、ある知り合いから「仕事仲間が病気になって調子を崩された」という愚痴を聞いたことがあって、以前の僕なら「それは大変だね」と言ったかもしれないが、僕自身が病気のために仕事に迷惑をかけるようになってからは

「そう言われてしまったら、病気で苦しんでいる人は、立場がないなあ」

と思うようになった。

障害や疾患を抱えた人たちが、社会の中で、無理をせず働くことが尊重されるような社会は、来るのだろうか。

当事者と、そうでない人との間の距離は、どんなに寄り添ったとしても、とてつもなく遠い、と思わざるをえない。

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