学問・資格

同業者祭りの憂鬱

5月26日(日)

まことに忙しい。

本日は、都内の大学で行われる「同業者祭り」で、発表をしなければならない。

この同業者祭りは、年に1度、この時期に大々的に行われる。同業者がざっと1000人は集まるだろうか。日曜日は、各分科会みたいなものに分かれて会合が行われるのだが、僕はそのうちの、ごく小さな分科会で、10分ほど喋ることになったのである。

この同業者祭りに出席するのは、約15年ぶりである。

15年ほど前、この同業者祭りの、比較的大きな分科会で、発表したことがある。そのときは、休憩なしで2時間ほど喋ったのだが、さほど反響のないまま終わった。

僕はこの同業者祭りにどうにもなじめず、その後はまったく顔を出さなくなってしまった。

もう縁がないだろうな、と思っていたら、今年度、同業者祭りの小さな分科会で喋らないか、といわれた。

正確に言えば、僕が直接依頼されたわけではなく、僕の職場の同僚が依頼されたのである。20分ほど喋ってほしい、と。

で、その同僚は僕に、一人で喋るのはアレなので、一緒にその分科会で発表しないかと、声をかけたのである。

「どのくらい喋ればいいんです?」

「私に与えられた時間が20分なので、それを二人で分けるとなると一人10分ですね」

「10分、ですか」

10分であれば、さほど準備しなくてもできそうだ。

それに、あまり注目されない小さな分科会での発表ということなので、気楽に喋ればいいだろう、と思い、引き受けることにした。

さて当日。

お昼前に会場に行くと、みんなが「おまえ誰だ?」みたいな顔で僕を見た。もちろんこれは、被害妄想である。

しかし、あながちこれは、被害妄想ではない。明らかに僕だけ、場違いな人間なのである。

もともとが、同業者祭りのスタッフから直接依頼されたのではなく、うちの同僚が勝手に僕を加えたものだから、同業者祭りのスタッフからしたら、僕は扱いに困る存在なのである。

しかも僕を除くパネラーは、みな知り合い同士で、会が始まる前からすでに話が弾んでいるのだが、僕だけが、なんとなく部外者である。

まあそんな場に出くわすことはこれまでも幾度もあったので、慣れてはいるのだが。

会の開始は、お昼の12時からだった。70人くらいの人が集まっていたと思う。

僕は言われたとおり、用意した話題を10分程度お話ししたのだが、会場の反応はいまひとつだった。

先日、同じ話を別のところでしたときは、けっこうウケていたのだが、今日はお客さんの反応が鈍い。

(そりゃそうだよな。この会場に来ている人たちが期待している内容とは違うものな…)

僕は喋りながらますます落ち込んでいった。

分科会は、発表の後のパネルディスカッションも含めて1時間半の予定が、2時間以上かかって、ようやく終わった。

10分だけ喋って、なおかつお客さんの反応が悪かったということで、なんとも消化不良のまま、会は終了したのであった。

(やはり、うかつに引き受けるんじゃなかったな…)

その後、夕方から同業者祭りの懇親会があり、発表者はタダで参加できますよ、と言われたのだが、やはりこの同業者祭りの雰囲気に全然なじめず、帰ることにしたのだった。

たいした達成感もなく、疲労だけが蓄積した週末であった。

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今日の空脳・好久不見編

ショックを受けたことがあると、先日、妻が言った。

「英語で、long time no seeという言い方があるでしょう」

「『ひさしぶり』?」

「そう。中国語では、『好久不見』っていうんだけど」

「好久不見(ハオジュープージェン)」

「そう。これって英語のニュアンスとまったく同じなんだよね」

「そうなの?」

「好は『very』という意味で、久は『long』、不見は『no see』でしょう」

「なるほど」

「で、むかし聞いたことがあるんだけど、『好久不見』という言葉は、ジャッキー・チェンが、long time no seeという英語をヒントに作り出した表現なんだって」

「マジで??!!」

「ところが、今日、英会話のラジオを聴いていたら、ショックを受けてね」

「どうして?」

「long time no seeという表現は、19世紀に、英語圏に移住した中国人が、『好久不見』を英語に直訳して使い始めたんだって」

「…ということは、もとが中国語で、それを直訳したのがlong time no seeってこと?」

「そう。だから、long time no seeはスラングなんだって」

「つまり、もとが英語でそれを中国語に直訳したんじゃなくて、もとは中国語で、それを英語に直訳したってことなんだね…で、それがまた、どうしてショックなことなの?」

「だって、今の今まで、『好久不見』はジャッキー・チェンが英語のlong time no seeから作り出した表現だって信じてきたんだよ。今、中国人がみんな普通に使っている『好久不見』が、あのジャッキー・チェンが作った表現だなんて、すごいと思わない?」

「アントニオ猪木が日本に初めてタバスコをもたらしたくらい、すごいこと?」

「その例えはよくわかんないけど、とにかく私の中では、ジャッキー・チェンを尊敬する理由の何割かは、このエピソードのおかげだったの」

妻は、自他ともに認めるジャッキーチェンファンなのだ。その理由の大きな一角が、ガラガラと崩れたのだから、よほどショックだったのだろう。

「じゃあさあ、ジャッキー・チェンがlong time no seeを『好久不見』と訳したっていう都市伝説は、いつどこで聞いたの?」

「それが覚えてないのよ。でもたしかにむかし、そんな話を聞いたのよ」

インターネットで検索してみても、ジャッキー・チェンと『好久不見』を結びつける話は出てこない。

ジャッキー・チェンがlong time no seeをヒントに『好久不見』という中国語を作り出したという都市伝説は、本当に存在したのだろうか?

あるいは妻の空脳だったのか?

さすがのこぶぎさんでも調べがつくまい。

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カエルは人類を救う

7月1日(金)

2日間、いろいろな人の話を聞いたが、いずれもディープなお話ばかりでおもしろかった。

「100年の歴史をもつ大学」に残っていた、「学者が使っていた木製机」の話をされた方がいた。

戦前から使われていた「学者の木製机」は、建物の建て替えなどの際に捨てられたりしてしまうことが多いが、その方は捨てられそうになる木製机を救い出し、廃棄されないように保管しているのだという。

木製机には備品シールが貼ってあるから、いつ買ったものかがわかる。それにより、木製机の編年研究ができるのである。木製机は、立派な研究対象なのだ。

ある時期の机だけがデザインが異なることに気づいたのだが、調べてみると、その机は戦時中のもので、政府による木材統制がおこなわれた時期に当たるという。木製机といえども、時代の影響と無縁ではないのだ。

戦前の学者が使った木製机という、あまりにディープな、というか地味な話にすっかり感動してしまった。

2日間にわたる会合が終わったあと、主催者の案内で施設を見学することになった。

印象的だったのは、カエルの飼育施設である。

実験に使うカエルとして全国の研究機関に無償で提供するために、その施設では日々、大量のカエルが飼育されている。

そして、大量のカエルを飼育するためには、えさを安定的に供給する必要がある。そのえさというのが、コオロギである。

えさのコオロギを飼育する部屋にまず案内された。

コオロギを育ててその道20年、という方に、大量のコオロギとその幼虫を見せてもらい、説明を受けた。

安定的に供給できるカエルのえさとしてコオロギが選ばれるまでには、紆余曲折があったのだという。長い研究の末に、コオロギがふさわしいという結論になったというわけだ。

「この大量のコオロギが逃げ出してしまうことはないんですか?」

「ありません。仮に逃げ出したとしても、フタホシコオロギは熱帯産ですから、気温が5度以下になると死んでしまいます。ですから生態系に影響を与えることはありません」

なるほど。

コオロギを見たあとは、いよいよ大量のカエルを見せてもらう。

カエルを語る人は、みな、カエルに対する思いがあふれた人ばかりである。カエルの話が止まらないのである。

「すみません。もう時間です」

と言われても、まだお話しを続けている。

「たかがカエルとお思いでしょうが、いまやマウスよりもカエルのほうが、人間の疾患を解決するためには不可欠な存在です。人類を救う糸口は、カエルが握っているのです!」

「なるほど」

もっと聞いていたいと思ったが、次の場所に移動する時間である。

施設の玄関先で、

「おみやげに切り絵を持っていってください」

という。

「切り絵ですか?」

「ええ、カエルの切り絵です」

見ると、玄関のところに机が置いてあり、そこに大量の「カエルの切り絵」が並べてあった。ずいぶん手の込んだ切り絵である。

「自由にお取りください」と書いてあった。

「いただいていいんですか?」

「どうぞどうぞ、何枚でも」

何枚でもどうぞといわれても、すべてカエルの切り絵である。

「ずいぶんと上手な切り絵ですね」

「カエルの切り絵しか作らないので、ほかの切り絵はできませんけど」

「そうなんですか」

カエル好きが高じて切り絵を極めたというのがすごい。

そればかりではない。この施設には、実物のカエルが大量にいるのに、それだけでは飽き足らず、まるでアイドルのポスターを貼るように、あちらこちらにカエルの写真が貼ってあるのだ。

なんという「カエル愛」だ!この建物全体が、カエル愛にあふれている。

私はすっかり感動してしまった。

カエルが人類を救うのではない。

カエルを愛する人に育てられたカエルが、人類を救うのである。

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ブログプレイバック・その一言を、なぜ言わない

前回、「大学の人文学系不要論」が話題に出たので、少しその件について書きたくなった。

今、どこの地方国立大学でもおこなっている組織改革で一番心配なのは、グローバルだの実践なんとかだのというわかりにくい名前をつけることで、かえって高校生がその大学を敬遠するのではないか、ということである。

高校生にとってみたら、「その大学で何が学べるのか」がわからず、結果的に受験倍率が下がる可能性が高いのではないか。

私が高校訪問や出張講義をしていたときにも強く感じたことだが、高校生が大学に求めているのは、「文学」とか「芸術」とか「法律」とか「経済」とか、自分が関心のある学問分野についてちゃんと勉強することができるか否か、ということなのである。

そういえば、以前、このブログでそんな話を書いたことを思い出した。

以下、再録する。

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「その一言を、なぜ言わない」(2013年7月11日)

先月に出張講義に行った隣県の高校から、そのとき受講していた生徒さんたちの感想が送られてきた。

この手の感想は、相手に気をつかってかなり好意的に書いてある場合がほとんどである。記名式の場合には、なおさらそうである。

実際のところどう感じたかは、わからないのだ。自分の職場で、イヤというほど体験しているので、よくわかる。

だから、書かれていることは、かなり差し引いて読まなければならない。

そんな中で、次の3人の生徒の感想が、注意をひいた。いずれも、授業の本題とはまったく関わりのない部分に対する感想である。

「最初に先生がおっしゃっていた、大学4年間を自分の言葉で話せる人が就職に有利という言葉を聞いて、そのような人になれるように努力をしていきたいなと思いました」

「最初に先生が言ってくださった、『就職で大切なのは大学4年間をいかに語れるか』という言葉は、本当に救われるような言葉です。私の志望している大学は特に就職に有利な大学でも有名な大学でもないので、そう言ってくれて自分はすごく救われました」

「今回、お話を聞かせていただいて、自分が大学で1番やりたいことをもう1度考えてみようと思いました。この教科は就職に有利だから、ほかの人が選択しているからという理由で決めるのではなく、自分の意志でやることを決めようと思いました」

この感想を読んで、そのときのことを思い出した。

私は本題に入るまえに、次のようなことを言ったのだった。

「大学で、就職に有利になりそうな分野を専攻したからといって、それが就職に有利にはたらくとはかぎりません。就職とは一見関係なさそうな分野を専攻している人の方がむしろ、就職に有利にはたらく場合があります。大事なことは、大学での4年間を自分の言葉でしっかりと語ることができるように、大学生活を送ることです。そのためには、自分が本当に勉強したいことを見つけることが大切なのです」

これは、就職に有利そうな分野に流れようとする昨今の学生事情に対する、アンチテーゼであった。文系の場合、法律や経済や公共政策といった、一見就職に有利そうな分野に、何となく学生が集まるが、実際には、分野によって有利不利などということはないのだ。それは、私がこれまで見てきた学生たちから実感していることである。

授業が終わり、教室から講師控室に戻る道すがら、私の授業を聴いていた先生が言った。

「最近、就職に強いからという理由で、理系に流れたり、文系でも法律や経済に流れる生徒が多いんです」

「そうでしょうね」

「最近は文学系を希望する生徒が減りましてね。私も文学系出身なので、ちょっと残念だなあと思っていたんですが、先生にああ言っていただいたおかげで、文学系に進みたいと思っている生徒も、意を強くしたのではないかと思います」

「そうでしょうか…」

そのときは半信半疑だったが、今日送られてきた感想を見て、実際にそんな感想を寄せてくれた生徒が、3人いたのだ。

「大切なのは、専攻にかかわらず、大学で勉強した4年間を自分の言葉で語ることができるかどうかだ」

不思議である。

本人が言ったことすら忘れかけていた言葉が、相手にとっては大事な言葉だったりする。

逆に、相手を想って練り上げた言葉が、相手の心をふるわせないこともある。

言葉とは、実に不思議である。

この件に関していえば、私が何気なく言った一言で、「救われた」と感じる生徒がいたことは、確かなのである。

人間は、自分が思っている以上に、思い込みにとらわれている生き物である。

それがときほぐされたときに、それまで背負っていた重い荷物をおろしたときのように、心が軽くなるのではないだろうか。

その一言で相手の心が救われるのだとしたら、私たちは、その一言を言わなければならないのだ。

ときほぐす一言を、である。

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私自身の学生時代を思い返しても、高校までは勉強することができなかった「心理学」とか「文化人類学」とか「科学史」とか「哲学」といった学問、というかそのネーミングを聞いて、ワクワク、ドキドキしたものである。たとえその内容を理解できなかったとしても、である。

大学は、ワクワク、ドキドキするような勉強ができるところでなければならない。

学生がワクワク、ドキドキするような専門分野を、できるだけ数多く提供しなければらないのだ。

一度、そのワクワク、ドキドキを味わった者は、社会に出てからも、その感覚を生涯忘れることはないだろう。

大学で勉強するほとんど唯一の意義は、そこにある。

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眼福の先生との調査

6月27日(土)

「眼福の先生」と一緒に調査をするのは、これで何度目だろう?

この土日は、都下のある大学で、「眼福の先生」を含めた4,5人による、「例のもの」の調査である。

「例のもの」は、全国各地に数十点(ひょっとしたら100点近く)現存する。その現物にできるだけ数多くふれ、詳細な調査しようというのが、この調査団の目的である。

1回の調査で、だいたいまる2日はかかる。つまり、土日がまるまる潰れてしまう。

たぶん、ふつうの研究者から見ても、

「そんなことをして、何の意味があるのだ?」

と思われるような調査かも知れない。

まる二日、重箱の隅をつつくような地味な調査が延々と続き、その成果も、ほとんど日の目を見ないことが多いのだが、目に見えてめざましい成果が上がることだけが研究ではない。

この地味な研究を自分の中で続けられるかどうかが、自分が本物の研究者として続けられるかどうかのリトマス試験紙でもあるのだ。

この調査をすると、実に小さな発見がある。実に小さな知的興奮がある。

今日は、「例のもの」に関連した、ある1枚の古い写真が話題になった。

今から80年くらい前に撮影された、1枚の写真。

その写真をじっくり観察して、その写真がどこから撮られたものか、その写真に写っている建物がどんな構造なのか、そして、それが「例のもの」の状態とどのような関わりがあるのかを、みんなで推理していく。

そして、ある1つの仮説に行き着いた。

一見して関係のないような些細な事象を一つ一つ積み重ねていって、今までまったくわからなかった謎が解ける。

これが、この調査の醍醐味である。

ふつうの人から見たら大した発見ではないかも知れないが、重要なのは、その思考のプロセスである。

役に立つ成果を出すことが研究の本質ではない。

それによってものの見方が変わることが、研究の本質である。

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