心と体

ワクチンは接種、カフェインは摂取

9月30日(木)

昨晩は、まんじりともしなかった。

いや、正確に言うと、昨晩は夜9時過ぎくらいにいったん眠ったのだが、夜11時半くらいに目が覚めてしまった。サアそこからが眠れない。

どうしようか。無音だと余計な心配事ばかり頭の中を駆けめぐってしまうので、とりあえず、僕がよく立ち寄る、難しい政治談義をしている動画サイトをiPadで流しながら眠りにつくことにしたが、それでもなかなか寝付かれない。

深夜3時を過ぎてもまんじりともしないのだ。焦れば焦るほど、眠れなくなる。そのうち、空が明らんできて、鳥の鳴き声が聞こえてくるんじゃなかろうか、と、それを考えると、いよいよ眠れなくなる。

どうしてこんなに眠れないのか?

さまざまな心配事があって眠れないのか?しかし心配事が多いのは今に始まったことではない。

あれこれ思いめぐらすうちに、ある仮説に行き着いた。今日の昼間は、喫茶店でコーヒーを4杯も飲んだからではないか?

昨日は都内の病院で定期検査を受けたことは前回書いたが、定期検査前の時間調整に喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲む。

定期検査が終わった後も、検査が終わった開放感から喫茶店でアイスコーヒーを飲む。

移動中にスマホに転送された職場からのメールを見ると、すぐに返事を書かなければならない案件がある。だが少々込み入った内容だから、スマホを使って返信するのはちょっと難しく、ノートパソコンを使って返信を書いた方がよい、ということで、フリーWi-Fiが利用できる喫茶店を探して、アイスコーヒーを飲みながら、メールへの返信を書く。

…みたいなことをやっていたら、気がついたら1日で4杯のアイスコーヒーを飲んでいたのである。

僕は最近、家や職場でほとんどコーヒーを飲まなくなくなり、言ってみればカフェインに対する耐性がすっかり弱くなってしまったのである。つまりふだん摂取しないカフェインを、久しぶりに摂取したから、夜眠れなくなったのではないだろうか。

そういえば、思いあたるフシがある。

僕は都内の病院で「ひとり合宿」をすると、必ずと言っていいほど眠れなくなるのだ。それは枕が変わったから、とか、緊張しているから、と思っていたが、ひょっとすると、コーヒーのせいかもしれない。

ひとり合宿の前は、時間調整のために近くの喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲むのが習慣化している。それが眠れない原因なのではないだろうか。今度のひとり合宿の時には、事前にアイスコーヒーを飲むのをやめてみようか。

それとも、いまから毎日、アイスコーヒーをガンガン飲んで、カフェインに対する耐性をつけておこうか。そうすれば、多少のコーヒーを飲んでも、眠れなくなることはないのではないだろうか。いや、そんなことをすると、むしろもっと眠れなくなってしまうのではないだろうか?

…とここまで書いてきて、このどーでもいい文章が、どこまで科学的根拠にもとづいているのか、わからなくなってきた。こういうことで気に病むこと自体が、眠れない原因である。

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ワクチン接種・2回目

ワクチン接種・1回目

8月4日(水)

2回目のワクチン接種の日。

前回と同じ、かかりつけのクリニックに行き、午前9時過ぎにワクチンを打ってもらう。チクッとはしたが、痛い!という感じではなかった。

それから15分、その場に待機して、家に帰った。

「2回目の方が副反応がキツいよ」といろいろな人に言われた。先日、出張の際に乗ったタクシーの運転手さんからも言われた。

午後1時からは、外部のオンライン会議である。1年に1回のこの会議、昨年度は書面審議だったし、その前の年度は体調が悪くて欠席したので、画面上とはいえ顔を合わせるのがじつに久しぶりである。

前日に接続テストをしたのだが、先方の機関の方が、Zoomをほとんど使ったことがないみたいで、それが初々しかった。きっと1年半ほど前の僕も、そんな感じだったのだろう。

そのおかげからか、今日の本番の会議では、じつにうまくいった。オンラインで参加されている委員のみなさんのほうが、Zoomを使い慣れているようだった。

副反応に怯えているのだが、いまこの時点、すなわち1日目の夜になっても、とくに変わった様子はない。

いまもっぱら気になっているのは、前回も書いた、米国在住の日本人ジャーナリストから依頼された、77年前に日本人が書き残した手帳の持ち主のことである。

どうやらその人物の行動履歴が復元できそうだ、ということを書いたが、その過程で、ある一人の同世代の方の名前が浮かび、その方に聞いたら、何らかの手がかりが得られるのではないか、ということに気づいた。

調べてみると、その方は、戦後に新聞記者をしていた方で、手帳の持ち主と同じような体験を77年ほど前にしていたらしい。ただ、経歴から考えるに、その方と手帳の持ち主とは直接の面識はないようだ。だが同じような体験をほぼ同じ時期にしているので、手帳に書かれている符牒のような言葉の数々について、何かしらの解説をしてくれるのではないか、と期待したのである。

しかもその方は、どうやら撲の住む市に住んでおられるようだということまでわかった。

そのことを、その方が勤めておられた新聞社の、知り合いの現役記者の方に伝えると、さっそくOB名簿みたいなものを調べてくれて、住所や電話番号が特定できた。

住所を聞いてみて、Googleマップで計算してみたら、僕の自宅から歩いて20分ほどのところに住んでおられるではないか!

知り合いの現役記者が、登録されている電話番号にさっそく電話をかけてくれたのだが、「現在使われておりません」と返ってきた。

不安な気持ちを抱えながら、これは実際にたずねた方がいいのかな、と思っていると、しばらくして、新聞にその方の訃報の記事が載っていたことを、米国在住の日本人ジャーナリストの方が見つけてくれた。2020年3月20日の新聞だった。享年92歳。ほんの1年半ほど前のことである。

もっと早くに、この手帳の存在を知っていたら、いろいろなことが聞けただろうに、と、残念でならない。痛恨の極み、とはこのことである。これでまた、手がかりが遠のいてしまった。

…と、ここまで読んでもらえればわかるように、この手帳は戦争体験に関する内容を含んでいる。こうして戦争体験が風化されていくのだろうか。聞きたいと思っても、聞く術がだんだん失われていくことを、僕はいまさらながら実感したのである。

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ワクチン接種・1回目

7月8日(木)

新型コロナウィルスの1回目のワクチンを接種してから7時間くらい経つが、いまのところさしたる副反応はない。もっとも、摂取してから2~3日たって副反応が見られるケースがあるというデータもあるので、これからなのかも知れない。

朝9時に近所のかかりつけのクリニックに行くと、すでにワクチン接種が始まっていた。ほとんどが高齢者の方で、しかも2回目の接種、という方が多いようだった。僕は9時20分の接種を予約していたが、僕の前には10名くらい人が順番を待っていたと思う。

僕は受付に本人確認のための保険証と、診察券とクーポン券と問診票を出し、待合室で待っていると、ほぼ予定の時間通りの9時20分過ぎに呼ばれた。

問診票を見て、接種して問題ないことを確認すると、

「ちょっとチクッとしますよ」

と言われ、左の二の腕に筋肉注射された。

これが全然痛くなかった。

以前、同じ先生にインフルエンザワクチンを注射してもらったことがあるが、そのときも痛みを感じなかった。ひょっとしたらこの先生、予防接種が上手な先生なのかも知れない。

この後、15分間、待機しなければならない。

同じ待合室で待機したのだが、ヒマにあかせて壁に貼られているいろいろな貼り紙を見ると、

「○○市からの要請により、ワクチン接種の予約を当面の間停止します」

みたいな貼り紙があった。テレビで「ワクチンが不足している」というニュースをやっていたが、本当だったんだな。

たしか4月の後半だったか、首相が会見で「高齢者のワクチン接種を7月末までに終わらせる」と言っちゃったもんだから、総務省が慌てて、各自治体に電話をかけまくって、

「なんとか7月末までに希望する高齢者に対するワクチンの接種を終わらせてほしい」

と、半ば恫喝に近い要請をしている、というニュースがあった。自治体はなんとか苦労して、ワクチン注射の打ち手の確保をしたり、集団接種会場を作ったりと、あの手この手で努力してきたのだが、政府はこの期に及んで、ワクチン不足を告白している。振りまわされる自治体は、たまったものではないだろう。

「綸言汗の如し」という。「出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと」を意味する。首相は別に君主ではないのだが、それでも首相の言葉は重い。だからこそ、首相の口から出た言葉とつじつまを合わせるために、官僚たちは奔走し、結果的に、さらに現場の職員にそのしわ寄せがいく。

「私や妻がこの事件に関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と大見得を切った首相がいた。やはりこのときも首相の言葉につじつまを合わせるために官僚たちが奔走し、結果的にそれが現場の職員への圧力となり、悲劇的な事件が起こったことを、忘れてはならない。

次に、もう一つの貼り紙に目をやると、

「都合により以下の日は休診にします」

とあり、「7月29日(木)~7月31日(土)」の3日間が、なぜか休診になっていた。

(ちょうどオリンピックの期間中だな…)

と思いながら見ていたら、ある憶測が浮かんだ。

(ひょっとして、この3日間は、ここの先生がオリンピックの医療ボランティアに参加するのではないだろうか…?)

まさかねえ。そんなことはないだろう。

でも最近は、何でもかんでも「コロナ」か「東京五輪」に結びつけて考えたくなってしまう。

いかんいかん、と自分に言い聞かせていたら、15分の待機時間が過ぎた。

2回目の接種は、8月初旬の予定である。

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なんとかファースト

すこぶる体調が悪い上に、来週は1回目のワクチン摂取も控えているので、今月は病院にお世話になる日が多くなると予想されるのだが、月の半ばに重要な会議が一つ入っており、そこだけははずせない。

それよりも何よりも、今月は東京オリンピックが開催される予定になっている。オリンピックが始まってしまうと、首都圏では交通規制をはじめ、日常生活にさまざまな制約がかかる。なかでも切実なのは、持病を持っていたり長期間にわたって治療をしている人たちが、しわ寄せをくらうことになることである。

開会式に合わせた4連休は当然休診日になるし、それ以外の平日も、病院への移動もままならない。さらにひどいところになると、オリンピック中は通常の治療行為ができないところもあると聞いた。

深刻な病気を抱えている人にとっては、まさに命に関わる問題である。

僕は実際に病気になってから、とくにそのことが気になって仕方がない。というか、深刻な持病を抱えている人ならば誰もがそう思うのではないだろうか。

都知事が過労で入院したという。それも、数日ではなく、1週間以上である。

それだけの期間入院していれば、病院の現状についてわかりそうなものである。もっとも特別待遇だからわからないのかもしれないが、それでも、五輪の開催によって病院がかなり無理を強いられていることくらい、実感できるのではないだろうか。

そうしたことを経験しても、五輪を開催するという考えに変わりないというのは、僕にはどうもわからない。

そうかと思えば、前首相がどこかの雑誌の対談の場で、「反日的な立場の人が五輪に反対している」と述べ、五輪開催を積極的に支持していた。というよりも、東京に五輪を招致した張本人の一人である。

だが彼はたしか、難病指定を受けている病気が理由で、退陣したはずである。その病気を経験した方の本を読んだことがあるが、人によってはきわめて深刻な事態を招くような病気で、そうした病気を抱えている人が、このコロナ禍で自信をもって五輪開催を主張できるという意味がまったく理解できない。この点において僕は、「仮病退陣説」を支持している。

コロナ禍の中でおこなわれる五輪のせいで、通常おこなわれるべき治療が滞ってしまうことに対して、治療を受けている人ならば誰もが不安に思うはずなのである。

もちろん、都知事や前首相が、そういった浮世の喧噪をよそに、特別待遇の病院で、いつ何時も、何不自由なく治療に専念できる特権を持っていることは十分に承知している。

病気で大変なのは、病気自体もさることながら、通院することそのものもまた、大きな負担である。自分の足で病院に行き、順番を待って検査を受け、検査結果がわかる数日後までやきもきし、数日後にまた病院に行って、長い間待たされたあげく検査結果を聞く。ことと次第によっては、治療を続けたり、入院したりする。その日程調整もまた大変である。そんなことを一つ一つ考えるだけでも、相当なストレスになるのである。

それに加えて、東京五輪の開催期間は通院や入院が制限される、なんてことになれば、さらに精神的なストレスはたまるのだ。

それだけでも、コロナ禍における東京五輪の開催は、反対するに十分な理由となるのだ。しかし政治家たちは、病気になっても、そこまでの想像力ははたらかない。「バブル」によって本当に守られているのは、アスリートでも五輪関係者でも、ましてや市民でもなく、ほかならぬ政治家なのではないだろうか。

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海辺の検査センター

6月30日(水)

まことにややこしい身体である。

先週の検査の結果では不明な部分があり、そのことを確かめるために別の検査をすることになった。

その検査は、あまり需要がないので、首都圏でも1箇所くらいしかその検査をしてくれるところがないという。

実は同じ検査は、2017年の年末にも、いちど受けたことがある。なのでその検査センターの場所は、すでに訪れたことがあった。

たしか海の近くにある、周りに何もないような場所にその建物は立っていた。

で、今日。

車で1時間半ほどかけて、その場所に到着した。前回は電車とバスを乗り継いでいったので、高速道路を降りてからの道は、なかなか新鮮であった。

新しく、といっても30年程前から開発された町であるせいか、2車線から3車線の幅の大きな道路が続いている。

高層マンションやビジネスビルなども立ち並び、開発当初は近未来的な都市をめざしていたのかもしれないが、いまでは少しゴーストタウン的な雰囲気も感じられる。それでいて、学校の数は多い。商店街やショッピングモールなどこに買い物に行っているのだろう?

建物に到着し、受付を済ませ、待合室で待っていると、ほどなくして診察室へ通された。落ち着いた感じの、老先生が座っている。

「3年半前もいちど来られましたよね。覚えていますか?」

「ええ、来たことは覚えています」

「そのときも私が検査の説明をしたんですよ」

だんだん思い出してきた。たしかにこの先生に説明を聞いたのだった。

「そのときの説明、覚えていますか?」

「いやあ、あまりおぼえていません」

「そうですか。じゃあ簡単に説明しましょう」

といって、先生は検査の概要の説明を始めた。話していくうちに、次第に3年半前のこの先生とのやりとりを、思い出してきた。とても特徴的な話し方だったのである。今風にいえば「クセがすごい」というべきか。落ち着いた話の中に、他の人とは違う個性、というようなものが感じられた。

ひととおり概要の説明が終わり、診察室を出て、検査室に向かう。

その道すがら、看護師さんが、

「あの先生、話の中にちょいちょいつまらない冗談をはさむでしょう?」

という。そうか。個性的な話し方の原因は、まじめな話の中に、同じトーンでちょいちょい冗談、というか余計な話を挟んでいたことにあったのか。

「ええ、そうですね」

「あの先生、いつもああなんですよ」

「そうですか。僕もお話を聴いているうちに、だんだん思い出してきました」

誰に対してもああいった感じでお話しになるのだな、ということがわかった。決して不愉快になる話し方ではないのだが、たまにしか聞かないから気にならないのであって、それを毎回聴かされている看護師さんは、大変だろう。

検査は午前中いっぱいかかって終わった。

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ワクチンはどうなった?

6月29日(火)

母が1回目のワクチンを接種したという。

「今のところとくに異常なし」

との連絡が入り、ひとまずホッとした。

さて、僕はといえば、7月8日(木)が1回目の接種の予定である。

先日、近所のかかりつけ医のところに行ったとき、医者の先生から、

「鬼瓦さん、あなた優先接種の対象者ですよ」

と言われ、その場で第1回目の接種を予約した、という話は、以前に書いた

そのすぐにあと、僕のもとに接種券が届いた。そのときは家族では僕だけで、妻の分はまだ届いていなかった。

で、昨日、妻のもとにも接種券が届いた。妻は優先接種の対象者ではない。

さっそく妻が市のホームページから1回目のワクチン接種の予約をすることにした。接種場所は、僕と同じ、近所のかかりつけ医を指定した。

そうしたところ、

「7月2日から予約を入れられます」

と表示があったという。どういうこっちゃ?優先接種の僕の日程よりも早い予約が可能ということではないか???

ただし妻は7月9日まで予定が詰まっているので、7月10日に予約を入れたところ、問題なく予約が完了したというのである。

ということはですよ。もし7月2日が都合がよかった場合、優先接種の対象者である僕よりも早くワクチンを接種できたことになる。

どういうこっちゃ???いったい優先接種の申し込み、というのはなんだったのか?

ワクチンの供給が急に潤沢になったのだろうか?

それどころか、SNSなどを見ると、僕と同世代の友人が何人も、すでに1回目のワクチン接種をすませていることもわかった。

自慢げに「ワクチン接種の予約の予約ができました!」などと書いた自分が恥ずかしい。

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ワクチン接種の予約ができました!

6月19日(土)

持病の薬を処方してもらうために、近所のかかりつけのお医者さんのところに行った。

僕はここ最近の体調の悪さについて話した。喉の痛みから始まって、咳が出るようになったこと、そしてめまいの話。

お医者さんは僕の喉を診るわけでもなく、「薬を出しときましょう」と言った。喉の炎症を抑える薬や、痰を切りやすくする薬など、4種類の薬である。その一方で、めまいについては完全スルーだった。

(めまいの方がいまの僕には深刻なんだがな…)

と思いつつ、黙っていた。

(そういえば、ワクチンについて聞かなければならないのだった)

今週の市報に、ワクチン接種券についての案内が出ていた。僕の年齢の人たちは、6月29日(火)から接種券を配布する、とあった。

「基礎疾患の人は優先的に接種してもらえないのかねえ。接種券が配られる前に予約できないのか、お医者さんに行くんだったら、聞いてみたら?」

と家族に言われ、それを聞かないと、と思っていた矢先である。

「鬼瓦さん、あなた、ワクチンの優先接種の対象者ですよ」

と先生がそういうと、市のホームページをプリントアウトした紙を見せてくれた。

「ほら、ここに優先接種を受けるべき人の条件が大きく2つ書かれているでしょう?鬼瓦さんは、2つともあてはまります」

その2つの基準というのは、大まかに言えば、免疫の機能が低下する病気にかかっている、ということと、肥満である、ということである。

通常は、どちらかを満たせば優先接種の対象となるらしいのだが、僕の場合、その2つともあてはまるということなのだ。つまり、優先接種の対象者の中でも、さらに優先順位が高いということになる。これって自慢してよいことなのか?

というわけで、来月の前半に1回目の接種、再来月の初頭に2回目の接種を受けられるよう、予約を入れた。

ワクチンで薔薇色の未来が開ける、か?

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金曜日までたどり着きませんでした

ジェーン・スーさんが金曜日配信のポッドキャスト番組「OVER THE SUN」で必ず言う、

「よくぞ、よくぞ、金曜日までたどり着きました」

というのは、1週間の仕事に対してねぎらう言葉。あるいは、武田砂鉄氏「アシタノカレッジ金曜日」の最後に言う、

「来週もご無事にお過ごしください」

というのは、次の金曜日までご無事にお過ごしください、という意味の言葉。

いつも、そういう思いで1週間を過ごしているのだが、今週はさすがに無理だった。

金曜日まで無事にたどり着かなかった、のである。

今週は、月曜日からほとんどの仕事をキャンセルした。唯一、火曜日だけは、大事な会議が終日あるので、出勤をした。会議日だった火曜日が終わると、もうそこで1週間が終わった気がしたのである。

原因は、めまいがひどいことによる。

それよりも前から、体調が悪かった。

喉が痛くなり、それが原因で咳が出はじめた。時節柄、心配をしたが、もともと気管支が弱いので、このようなことがよく起こる。

それと連動するのかわからないが、それからほどなくしてめまいがひどくなったのである。

ここ最近、忙しかった、というわけでもないのだが、かなりストレスのたまる局面に立たされていたのではないかと、自分なりに想像する。

先週の「アシタノカレッジ金曜日」にゲスト出演する予定だった光浦靖子さんが、番組開始10分前に突然出演をキャンセルをした、という話を前に書いたが、そのときの事情を文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」で自身が語っていた。曰く、

「最近あまりに忙しかったり、精神的に追い詰められていたりしたせいか、ひどいめまいに苦しめられた。家を出るギリギリまで横になって回復を待っていたが、結局ダメだった。めまいに苦しめられると、コンビニに買い物に行って牛乳1本持って帰るだけでもツラい。」

というようなことを言っていて、仕事に行けそうかどうかをギリギリまで考える、とか、牛乳1本持って帰るだけでもツラい、といった心理状況は、いまの僕にはすごくよくわかる。

コラムニストの小田嶋隆さんのごく最近のツイートに、

「体調を崩している人間にしか到達できない境地があるといえばあるのだが、その境地を正しく表現するためには万全の体調が求められるのだよ。」(2021年6月19日、小田嶋隆氏のツイート)

とあり、これもまた納得してしまった。これって、先日僕がこのブログで書いた

「体調不良の個人的要因と、構造的要因は、なんとなく想像がつく。だがそれを細かく書くこと自体、気力や体力を必要とするので、気力や体力の余裕があるときにあらためて書くことにする。」

という言葉と、似ていません?

むかしから思っていることなのだが、日ごろ僕が徘徊しているラジオやSNSの喋り手なり書き手が、僕のいま置かれている境遇とよく似た境遇を語ったりすることがよくあるのだが、それは、たんなる偶然なのだろうか。これは哲学的な命題になり得ると思う。

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Yahoo!ニュースの威力

2月18日(木)

定期の診察のため、自宅から車で1時間半以上かかる病院に行く。地域の拠点的な総合病院であることもあり、相変わらずたくさんの患者で待合室があふれかえり、血液検査と尿検査を早めに済ませたのにもかかわらず、診察にはそうとう待たされた。

「尿酸値が高くなってますね。食事とかお酒とかで何かありましたか?」

「いえ、ちょっとかかりつけの病院に行って薬をもらうタイミングを逸してしまって、ここ数日薬を飲んでいないのです」

身体というのは本当に正直である。お酒をやめたといっても、油断をするとすぐに尿酸値が上がる。やはり薬を飲み続けなければならないことを痛感した。

ところでこの先生、僕よりも若いのだが、いつもぶっきらぼうというか、無愛想である。僕の顔を見ずに、パソコンの画面ばかりを見ている。だが僕の命を救ってくれた先生だし、その腕は信頼しているので、僕はとくにそれを不快に思ったことはない。その先生が、おもむろにこんなことを言った。

「鬼瓦さん、先日、Yahoo!ニュースに出ていましたよね

僕は突然のことでビックリした。僕は先生に、自分の職業について話したことは一度もないのだ。

「はぁ、まぁ…」

「拝見しましたよ」

「そうでしたか」

地味なニュースだったにもかかわらず、Yahoo!ニュースの影響力の、なんと大きなことか。それと同時に、この(まるで他人に関心がないようにみえるぶっきらぼうな)先生、意外に患者のことを覚えているんだな、毎日ひっきりなしにいろいろな患者を診察しているのに、ということにも驚いた。

「じゃ、次の検査の日程を決めましょうか」

と、いつものぶっきらぼうな先生に戻った。人間はそう簡単に、心を開くわけではない。

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脱・筋トレ思考

2月12日(金)

まあよくも毎日毎日、職場では重い事案から些細なことまで、いろいろなことが起こるものだ。職場にいる時間のほとんどは、こうしたことに翻弄されている。

あれこれ気の重い職場の打合せが終わるのが夕方のかなり遅い時間。それが終わって、いくつもある締切厳守の仕事に取りかかりたいのだが、結局少ししかできずに、職場を出て、車で2時間以上かけて帰ることにする。

金曜夜の楽しみは、TBSラジオ「アシタノカレッジ」を聴くことである。日付をまたぐあたりの時間に、パーソナリティーの武田砂鉄さんと澤田大樹記者のトークを聴くと、ああ、とりあえず週末は職場に行かなくていいんだな、と、ホッとした気持ちになる。

今日のゲストの、平尾剛さんのお話もとてもよかった。僕はまったくスポーツに疎いので知らなかったのだが、平尾剛さんは、元ラグビーの日本代表で、いまはどこかの大学でスポーツ教育学を教えている研究者なのだそうだ。東京五輪の開催にはっきりと反対の意志表示をされているのが頼もしい。

『脱・筋トレ思考』という本を出されていると知り、僕はそのお話に拍手喝采した。

筋トレを○○回やることで、筋力がつくこと、またはそう考えることは、スポーツにとって必ずしもよいことではない。むしろ諸悪の根源なのだと。

「筋トレをすればなんとかなるという思考は、物事の複雑さを見ずに、簡単に解決しようと考えることに等しい」

「数値目標を立てて、それに合わせて筋トレをして、その結果筋肉がついたからといって、それがいったい何だというのだ。大事なことは、そのスポーツに対してどのようにとりくむかということだ」

という意味のことを語っていて、その通りだよなあと思った。僕なりに言い換えればそれは「思考停止」ということである。

平尾さんもいっていたが、これはスポーツに限ったことではない。この「筋トレ思考」は、この国の社会のあらゆるところにはびこっている。

数値目標を掲げ、その数値目標に達しなければ評価が下がる、という考え方は、いまやこの国の社会ではあたりまえになっている。中身なんてどうだっていいのだ。中身のことを議論しようとすると、そんなことを言ったってダメだよ、数値目標を達成しなければ、何を言ったってダメなんだ、と言われてしまう。筋トレをして筋肉を付けることが大事で、そこに邁進することが自己目的化する。

「脳みそが筋肉」という揶揄の仕方があるが、つまりそれは「筋トレ思考」ということなのではないだろうか。この国の社会は、「一億総筋トレ社会」なのだ!

…う~む。自分が運動嫌いだということを正当化するためにこの理論を絶賛しているような気がしてきたなあ。実際そうなのだが。そういうことは少しでも運動してから言えよ!というハナシである。

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