心と体

病院じまい

「墓じまい」という言葉があるが、今日「病院じまい」をした。

…と書くと「完全復活をしたですね」と早合点する奴が出てきたりするのたが、そうではない。

僕は8年ほど前に大病にかかって以来、月に一度はこの病院にお世話になった。車で1時間以上かけて一人で通っていたのだが、今回ばかりはそうはいかない。妻の運転なしには行けないとなると、片道1時間以上の時間が妻には負担になる。それでほとんどの治療を近所の総合病院に移すことにしたのである。その方が妻の負担が幾分楽になる。僕としては8年近く通っているので思い入れが強かったが仕方がない。

今日はその最後の診察である。僕にはその病院でお世話になった先生が二人いて、そのうちの一人が主治医にあたるH先生である。H先生にはすでに事情をお話ししていて、今度から通うことになる近所の総合病院に紹介状を書いてくれた。

もう一人は別の科に所属するK先生である。K先生とは3カ月に1度ていど、病状を報告する。というのも、僕の大病を「発見」してくれたのがK先生だからである。

いまも思い出す。気の進まない僕に対して、その日のうちに各種検査を行い、その原因を突き止め、同じ病院のH先生を紹介してくれた。他のクリニックの先生も紹介していただいた。そしてその日のうちにあれよあれよと治療や手術の段取りが決まったのである。

自分にとっても濃い1日となった。看護師さんからも「今日1日でいろいろなことがありましたね。びっくりされたでしょう」と慰めてくれた。

いまこうして生きていられるのはこの二人の先生のおかげである。K先生にも転院したいという希望を伝えなければならない。

今日の診察でそのことを言うと、

「いままでよく頑張ってきましたね」

と握手を求めてきた。僕はつい泣きそうになり、

「いままで本当にありがとうございました」

と返すのが精一杯だった。それ以上何かを言うと嗚咽になりそうなのでそれ以上何も言えなかった。

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長い夜

腰痛がなかなかひどくて、どのような姿勢で寝たらいいのかわからない。寝返りをしても腰の痛みは変わらない。椅子に座ろうとするとケツは痛いし、いったいどうすればいいのか、腰痛に悩まされた経験のない僕にはよくわからない。

だから今の僕の睡眠時間は2時間ていどである。YouTubeでお気に入りの音楽を流し続けると時間がはなく流れるような気がして、今はYouTubeが自分の中で復活しつつある。みんな腰痛をどうやり過ごしているのかが、最近の気になることになりつつある。

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夢か現か

そういえば実家の父の墓参りをしに親戚一同が近くまで来てくれるという話があったなあ。そのときに僕も一緒にお墓参りをすれば親戚一同にいっぺんにいまの様子をお伝えできるし、日頃の無沙汰の非礼も詫びることができる。しかしそのためには、実家の母に話をしなければならない。

「あれ、いつだっけ?」

「何が?」

「お墓参り」

「今月はしないよ」

「あれ?親戚一同が来ることになってるんじゃないの」

「そんな予定なんかないよ」

「……」

「お前、夢でも見たんじゃないの?」

最近こういうことが多い。

数日前には、職場の人にまだ秘密にしていることをうっかり喋ってしまった。

「しまった!これまだ秘密のことだった!今すぐに訂正のメールを出さないと大変なことになる!」

と思い始め、慌ててメールを立ち上げて、

「さっきの話は聞かなかったことにしてください」

というメールを書きかけたのだが、

「待てよ。これは夢かもしれない」

と思い直し、ギリギリ出さなくて済んだ。

もし出していれば、先方は「さっきの話は聞かなかったことにしてくれって何のことだ?」とむしろ気になってしまうかもしれない。

ことほどさように、いまの僕には現実と夢の世界の区別がつかなくなってしまっている。

僕の精神は壊れ始めているってことか。

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座敷牢

5月11日(日)

横溝正史原作の『蔵の中』とか『悪魔の手鞠歌』とかに病弱な人が蔵に閉じ込められて、「ばあや」みたいな人が三度三度食事を届ける、という場面がある。むかしは結核が流行ったりしていたのでよくあったことなのだろう。今の私はさながら蔵の中に閉じ込められている身である。これを「座敷牢」とでも言おうか。

ずっと同じ姿勢で寝ていると腰が痛くなり、耐えられないほどの痛みが走る。

定期の検査で脳に異常が見つかり、5月5日~8日まで都内の病院に入院した。めまいの件とは関係ない。治療自体は上手く言ったのだが、退院するととたんに体調が悪くなる始末である。無痛なのでふだんならば何も感じない治療法だけれど、こういう場合だと、やはり脳の治療が相当な負担がかかっているのだなと実感される。

話を戻すと、家族にとっては僕は居ないことにされ、僕は放ったらかしにされてひとりで昼食は冷凍食品のご飯ものを食べることが多い。もうかれこれ1カ月以上続いている。冷凍食品を準備してくれるのはありがたいが、冷凍食品のご飯もの(チャーハンとがドライカレー)はさすがに飽きる。美味いことは美味いのだが。

それでも何か言うと失礼なのでひたすら食べ続けるほかない。何も言わず黙々と食べることが私の仕事である。そのあとの「薬の錠剤を食後に服用する」という、最も大事な仕事が待っているのだから。

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俺の生きざま

最近ブログを更新しないのですか?というリクエストに応えて一つ。

3月9日(日)、前の勤務地に行くことは叶わなかったが、Zoomで2時間以上、講演をしてよくぞ語りきった!歴史に残る講演である。

講演後、家族の後押しで救急病院に駆け込み、ひどいめまいの原因を調べてもらったが原因がわからない。

翌日の月曜日も慣れない妻の運転で都内のクリニックを行脚。どこもお手上げ。最終的にたどり着いたのがかかりつけの総合病院。自宅から車で1時間半程かかる場所である。

とりあえず入院しましょうの主治医の先生の一言で入院。この時点でもめまいの原因は不明である。

困ったのは仕事。ほとんどはキャンセルできそうなのだが、明日のオンライン会議の司会だけは今からキャンセルできない。なぜなら何度も打合せして、会議(議題)の全容がわかるの僕しかいないから。

そこで病院の共有スペースを借りてスマホだけで会議の司会を乗りきった。ここでも45分喋り倒した。

ところがこのことが会議にいなかった上司の知るところとなり、こっぴどく叱られた。なぜ休まないのかと。僕はひどく反省したが、これが俺の生きざま。

今も入院が続き、事態は代わらない。せめてメールを見ないことである。さようなら。

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もうズボンはずり落ちさせない

2月15日(土)

昨年末に入院して以降、すっかり痩せてしまい、これまで履いていたズボンがブカブカになってしまった。いままでだましだまし履いていたが、ズボンのベルトを締めるとブカブカのズボンが歪んでしまうし、何よりぎゅうぎゅうに締め付けていたベルトもそのせいでボロボロになってしまった。

セーターを着ることなどでごまかしてきたが、これはもうごまかせないと観念し、新しいズボンとベルトを買いに大型サイズ専門店に行くことにした。

お店でウエストをはかってもらったところ、なんとあーた、ウエストまわりが10センチも縮んでいたのである。どうりでズボンがブカブカなわけだ。

といっても、もともと太っていたのでガリガリに痩せたというわけではなく、大型サイズ店の中でも一番ウエストまわりの短いズボンになったということに過ぎない。

これまでのズボンよりウエストがマイナス15センチくらいのズボンがちょうどいいことが判明した。

ベルトもいい感じのものを手に入れることができ、これまでの下半身の不格好なというか不自然な感じがこれでひとまず解消されたのである。

いままでズボンがずり落ちそうになるハプニングが続いていたが、これでもうその心配はなくなったぞ。だから宣言する!

リピート·アフター·ミー!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

ハイ!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

もう一度!

「もうズボンはずり落ちさせない!」

じゃあ次、リピート·アフター·ミー!

「もうリバウンドはしない!」

ハイ!

「もうリバウンドはしない!」

もう一度!

「もうリバウンドはしない!」

じゃあ次、リピート·アフター·ミー!

「もう頬づえはつかない」

ハイ!

「もう頬づえはつかない」

もう一度!

「もう頬づえはつかない」

…たんにこれが言いたかっただけなのだが。

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正しい答えなど存在しない

2月13日(木)

午後、自宅から車で1時間ほどかかる総合病院に行く。

先週、定期のCT検査をしたら、咳の原因が肺炎であることがわかった。…ってことは前に書いたよね。

肺炎はもともと軽度なものらしかったのだが、この1週間、抗生剤を服用したおかげでだいぶよくなった。ただ胸部レントゲン検査ではまだ炎症が若干残っていて、咳も残っているのでもう1週間ほど抗生剤を服用することを主治医の先生にお願いした。通常服用している薬は、抗生剤を服用し終わった後に服用することになった。

通常服用している薬は、なにかと副作用が強く、その一つに免疫力を下げるという副作用があるので、それに乗じてインフルエンザや肺炎がわが体内に忍び込んだと考えられる。口内炎もその薬の代表的な副作用である。かといって通常服用している薬を止めてしまうと、体のほかの部分に不具合が生じるので、今後も服用し続けなければならない。まったく、あちらが立てばこちらが立たずである。

「なんとかならないものでしょうか」

薬の按配について僕は主治医の先生に尋ねた。

主治医の先生は悩んだあげく、

「正しい答えなど存在しないんですよ」

と言った。たしかにそうだ。主治医と相談しながら、薬の案配を決める、ダメだったら新しい薬を試してみる、この繰り返しだ。「この薬を飲めば絶体に治る」なんてことはあり得ない。むしろそういう医者は疑ってかかった方がよい。

大事なのは主治医の先生とのコミュニケーションなのだ。僕は主治医の先生の「正しい答えなど存在しないんですよ」と述べたその正直さに、ますます信頼を寄せた。

医学の世界だけではない。世の中の森羅万象がそうだ。正しい答えなど存在しないのだ。

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口内炎の樹海

2月12日(水)

だまらー諸君!

僕の連日の書き込みから、僕がいかに悲嘆にくれているかと思っていることだろう。

ところがさにあらず。これから行きたいところもあるし、会いたい人だっている。そのために、行く先々とか会うべき人とかに迷惑がかからないよう、体調をととのえなければならない。つまりその希望が、いまの自分を支えているのだ!

もちろん苦しいことはある。

今日は1カ月に1度、近所の薮医者のところに薬を処方してもらう日である。いまやもう薮医者は「処方箋を出す人」という以上の存在ではない。

今朝は口内炎があまりにも痛く、朝食は飲むヨーグルトR-1だけだった。

僕は藁をもすがる思いで薮医者に口内炎の患部に塗布する薬を処方してもらった。こうなったらあらゆる方法で口内炎を退治する他ない。

調剤薬局に行くと、

「食事のあとに患部に塗布してください」

と言われた。

「なぜですか?」

食事をすると塗布したクリームがとれて元の木阿弥になるからです」

なるほど、言われた通りに、食事のあとに患部に塗った。

舌をべろりんと出して、クレーターのような口内炎の患部に直接塗布した。

ところが、痛みが全然おさまらない。そればかりかどんどん痛みが激しくなる。

またつかまされたのか?

午後のオンライン打合せではけっこう話す場面が多かったのだが、口内炎があまりにも痛すぎて滑舌が悪くなり、酔っぱらって喋っている感じになった。

打合せが終わってから考え直す。待てよ、口内炎と思い込んでいた舌のクレーターは、実は口内炎とは違うのではないか。舌の感覚からすると、もっと奥の方が痛いのだ。

僕は試みに、クレーターよりもさらに舌の奥に薬を塗布した。するとあら不思議、痛みが和らいできたのだ。

痛みの原因はクレーターではなかった。その奥に広がる、壮大な口内炎の樹海だったのだ!

これでようやく口内炎との戦いの場所が見えてきた。これからが戦いの始まりである。

そう、希望は捨ててはいけないのだ。

…という「口内炎文学」という新しいジャンルを考えてみたのだがどうだろう。

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ちょっと意味がわからない

2月11日(火)

相変わらず咳が止まらない。

先週木曜日に処方してもらったのは、抗生剤の錠剤と咳止めの薬だった。

抗生剤は夕食後、咳止めの薬は朝食後に飲むようにという指示があった。僕は漠然と、服用する時間が違うのはなぜだろうと思っていたが、今日、一日中横になっていて、その理由がわかった気がした。

抗生剤を服用した直後に、咳が止まらなくなることに気づいた。どういう原理かわからないが、抗生剤服用の直後は肺と闘っていて、その際にたくさんの咳が排出されるのではないかと。夜に咳が続くのもそのためだ。

これが朝に服用するとなると、日中に咳が止まらなくなる現象が起こり、仕事どころではなくなる。だから夕食後の服用なのではないかと。

一方で咳止めの薬はそんな現象が起こらないから、朝食後に飲めば日中には幾ばくかの効果が期待できる。

なるほどそこまで考えて薬を処方してくれたのだなと、僕は勝手に納得した。

まあこれは誰に伝えるまでもないどうでもいい仮説なのだが、この仮説に行き着いたことに嬉しくなり、妻に必死に説明をすると、それを横で聞いていた小1の娘が、

「ちょっと意味がわからない」

と言った。娘は妻の怪訝な表情を読み取り、とっさにその言葉が出てきたのだろう。その言葉に爆笑するとともに、僕は我に返り、そうだよな、たしかに意味がわからないよなと反省した。

サンドウィッチマンの冨澤さんが流行らせた

「ちょっと何言ってるかわからない」

は、今では誰もが使っている。相手の戦意を喪失するには最強のワードである。使いどころを間違えると不愉快にも聞こえるが、自分の言葉を振り返させるには絶大な効果もある。

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口内炎

2月10日(月)

毎日同じことを言っているが、今日も異常な忙しさの1日だった。

いま一番困っているのは、咳よりも口内炎である。

そらぁ咳だって大いに困ってますよ。しかし何よりも口内炎が地味に辛い。

原因はわかっている。ふだん何かと副作用の強い薬を服用しているのだが、その副作用の筆頭が、口内炎なのである。その薬は先週の木曜日以降は休薬しているのだが、副作用だけは残していきやがった。

「あいつはあなたにとんでもないものを残していきましたぜ」

「何でしょう?」

「副作用の口内炎です」

こんな台詞で終わる映画、なかったっけ❗

それはともかく。

舌の両脇にできているのでたちが悪い。何かを食べるたびに舌に激痛が走る。しかもその激痛は逃げ場がない。

「右に見えるは口内炎、左に見えるは口内炎、右と左の泣き別れだあー」

寅さんの口上になかったっけ?

それはともかく。

そうなるとどうしても食欲がなくなってしまう。だって食べるたびに激痛が走るのだもの。

このままでは絶食の状態がずっと続くことになってしまう。

あまりに辛くて、口内炎に効くスプレーみたいなものをドラッグストアで買ってしまった。

我が家では基本的に市販薬を買うことは許されない。薬は処方されたものに限るというのだ。許されない、というのは大げさだが、嫌みは言われる。市販薬なんて高いだけで気休めに過ぎないというのだ。

しかし一方で「溺れる者は藁をもすがる」という言葉もある。

洗面所の鏡を見ながら、口をあんぐり開けて、舌をべろりんと出しながら、患部にスプレーを投射する。

何度かくり返すうち、舌の右側の口内炎はなんとか痛みが緩和されたようだが、最大の敵は舌の左側にできた口内炎である。

口内炎の見本として教科書に出てくるような見事な口内炎で、これを退治しないことには口の中が痛いことに変わりはない。

口内炎が消えるのが早いか、僕が餓死するのが早いか、しばらくは口内炎との戦いが続く。

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