旅行・地域

往復9時間、滞在4時間

2月8日(木)

この日の出来事は、表題の通りである。

朝早く家を出て、新幹線で北へ向かう。自宅から4時間半ほどかかって目的の町に到着した。

そのまま車に乗せられて会場に向かう。予定では、2時間半にわたる会議がおこなわれるはずだった。ところが実際には、会議は1時間半で終わってしまった。

(これでもう終わりなのかな…)

と思っていたら、さすがに1時間半で終わるのが忍びなかったらしく、現地視察がおこなわれることになった。

昨年の大雨で土砂崩れが起こった場所数カ所を車で見て回るという視察である。現地に着くたびに車を降りて崖を観察する。

ある場所に来たとき、

「ここから少し歩くのですが、道がぬかるんでますので長靴に履き替えてください」

と言われた。おいおいずいぶんとガチで現地視察をするんだな、と思いながら、用意された長靴に履き替える。

よりによって足を痛めているときに足場の悪い道を歩く時間が与えられるというのは、いつものことなのでさほど驚かない。

そこからしばらく歩いたところに土砂が崩落した現場があった。

「なるほどこれはたいへんだ」

という感想を抱き、再び車まで戻って長靴を本来の靴に履き替えた。

そうこうしているうちに、いい時間になった。

行きの新幹線を降りてから、帰りの新幹線に乗るまで、ちょうど4時間が経っていた。

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1年ぶりの再会

2月4日(日)

1年前に書いた記事を引用する。

「2020年の4月から、あるプロジェクトにかかわることになった。そのプロジェクトの義務は、1年に1度、2月の第1週の土日にプロジェクトの成果をみんなの前で報告すること、というものだった。だから毎年、2月の第1週の土日はそのために空けておかなければならない。

土曜日の午後に成果報告会があり、日曜日はまた別の場所で同じ内容の成果報告会を行うもので、つまりは同じ内容の成果報告を2日連続でしなければならない。土曜日はクローズドだが、日曜日は、けっこうな数のお客さんが聴きに来るという。」

というわけで、今年も2月の第1週の土日がやってきて、昨年と同様の成果報告会がおこなわれた。

今年は県庁所在地ではなく、そこから南に在来線で下った町でおこなうこともあり、あまり人は来ないのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

今年もまた、教え子のOさんが聴きに来てくれた。県庁所在地に住んでいるOさんからしたら、この町までわざわざ聴きに来るというのはたいへんだったのではないか、と聞くと、実家がこの町なので大丈夫です、今日は両親も一緒に聴きに来ています、と聞いて、すっかり恐縮してしまった。

今年の成果報告会は、会場の設備の問題なのか、機材のトラブルが何度となく起こり、決してスムーズとは言えない進行となった。パワポの画面がうまく映し出されないと、それがストレスとなり、話し手のメンタルに大きな影響を与えてしまう。しかも時間がきっちりと決められているので、その時間までに話し終わらなければというプレッシャーにも押しつぶされる。そのせいもあり、今回の僕の成果報告はボロボロになってしまった。もっとも、そもそもの内容にも問題があったのではないかと指摘されれば、それまでなのだが。

ところで昨年、Oさんは、地元の観光PR誌に県内の世界遺産をめぐる紀行文を書いていて、その文章がとてもよかった。そのことを、前日の懇親会のスピーチの際に話題に出すと、同席していた世界遺産担当の課長が駆け寄ってきて、

「先生の教え子さんでしたか!」と驚いた様子で、「あの号はとても好評で、いいライターさんに書いてもらったなぁと嬉しく思っていました。先日東京で行われた県のイベントでその観光PR誌をを置いていたところ、すぐに全部捌けてしまったのです」と、嬉しそうに話した。そのことをOさんにも直接伝えたいと思い。この日、Oさんを世界遺産担当の課長と引き合わせた。世界遺産担当の課長は嬉しそうに、昨日と同じ話をOさんに直接語った。

最後にOさんから「今度の3月に新刊が出る予定です」という嬉しい知らせを聞いた。

「ぜひ読みます。なにしろ私は、あなたの小説のファンなのですから」と答えた。

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最寄りの駅は在来線

2月3日(土)

いちばん速い新幹線に乗り、途中の駅で各駅停車の新幹線に乗り、さらに在来線に乗り継いで、目的の町に向かう。ここまで来るのに4時間以上かかった。駅を降りると、雪がちらついていた。

着いたのがちょうど11時50分。お腹がすいたので駅の近くで昼食をとろうと思ったが、駅前はいわゆるシャッター街で、食事ができるようなお店がない。

うろうろと歩いてそれらしき店を探したが、どこも閉まっている。それでもなんとかGoogleマップを駆使して開いている食堂をつきとめ、重いキャリーケースを転がしながら、歩くこと20分、ようやく開いているお店を見つけた。

ようやく見つけたそのお店は、ひどく小さい。中に入ると、ビックリするほど狭くて、しかもその中にお客さんがひしめき合っている。

「少々お待ちください」

と言われたが、先に来ているお客さんはみな、お店に来たばかりの人がほとんどで、待っていてもしばらく出てきそうにない。

少し待ってみたが、やはり席が空きそうにないので、

「また来ます」

といって店を出た。

行事は13時からなので、あまり昼食に時間は取れない。仕方がないので、会場となるホテルにまず行って、そのホテルにレストランがあるはずだから、そこでお昼を食べることにした。

10分ほど歩いてホテルの前に着いたが、思っていた以上に年季の入った建物である。しかも人の気配がない。

フロントが2階にあるというので2階に上がると、フロントに人がいて安心した。

しかし、フロントの横にあるレストランらしきスペースは真っ暗で、よく見ると「閉店中」と書いている。

ここでも食べられないのか…。しかし行事の開始時間は刻々と迫っている。フロントの人に

「この近くで食事できるところがありますか?」

と聞くと、

「ありますよ。ここを出て1分もかかりません」

と教えてくれたのだが、町のあまりの寂しさに、ほんとうに食事をする店があるのか不安である。

教えたとおりに行ってみると、小さなラーメン屋を見つけた。

(フロントの人が言っていたのはここか…)

ラーメン屋に入ると、お客さんが誰もいない。お昼時なのにもかかわらず、である。

おじさんひとりが切り盛りしている店のようだ。

注文したラーメンは、決して味が悪いわけではなかった。しかし僕が食べている間、お客さんは誰も来なかった。

(こんなんでやっていけるのだろうか…)

他人事ながら心配になった。

ラーメンを食べ終わり、なんとか13時開始に間に合った。

慌てて会場へ入ったが、13時が過ぎても行事が始まる気配がない。

前にいただいたスケジュール表を見なおしてみると、行事の開始が13時30分からとなっていた。

これから明日の夕方まで、ホテルから出ることなく行事が始まる。

1日目の行事は、滞りなく終了した。

 

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手ぶらの日帰り出張

1月30日(火)

新幹線で2時間半ほどかけて、関西の観光都市に向かう。

昨年春のイベントでお世話になった方が、今度はご自身の職場でイベントを開催するということになった。その会期が今週末までということだったので、唯一空いているこの日に、日帰りで見に行くことにしたのである。

少し早めについたので、「高倉健の愛した、円形カウンターのある喫茶店」に立ち寄った。たしか昨年だったか一昨年だったか、訪れたときに、リニューアル工事をするというので閉店していたが、今日行くと、建物自体もなくなっていた。建て直すらしい。まだ当分、ここでコーヒーを飲むことはできない。

そこで、すぐ近くにある「高田渡の歌の舞台となった喫茶店」に入ることにした。実はこっちの方が本店である。僕は初めて入ったが、実に落ち着く空間だった。

いつまでもそこで休んでいたい衝動に駆られたが、約束の時間になったので、喫茶店を出て用務先に向かう。そこで、昨年お世話になった方に久しぶりにご挨拶して、東京駅で買った簡単な手みやげをお渡しした。

そもそも今回の旅は、先方にお渡しする手みやげのほかは、ほとんど手ぶらで移動したのである。正確にいえば、小さなポーチみたいなものを肩から掛けていたので、完全な手ぶらとは言えないが、両手が空いていること自体は事実である。以前だったら、どこに行くのでもノートパソコンを持ち歩いていたのだが、どうせ持っていても使わないのだから、持っていく必要はないことにようやく気づいたのだ。

折しも先日の韓国出張で、できるだけ余計な荷物を持たずに軽装で移動することのありがたみを感じたので、今回はほとんど何も持たずに移動してみることにしたのである。すると、ずいぶん楽だということに気づいた。いままで旅先に余計なものまで持っていったことがバカみたいである。

関西の観光都市での滞在時間は3時間。体調が低空飛行な僕は、それだけでもかなりの疲労を感じ、早めに新幹線で帰ってきた。

 

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極寒の再会

1月25日(木)

ホテルについて少し休んだあと、地下鉄「大邱駅」駅を出たところのユニクロに向かった。約束の17時半に間に合った。

少しして、ナム先生一家があらわれた。

ナム先生は、15年前の2009年、韓国に留学していたときの韓国語の先生の1人である。このブログで何度か登場しているので説明は省く。

国際会議のメンバーと別れて、単身「第三の故郷」である大邱に向かったのは、大邱がいまどうなっているかを知りたかったからである。しかし1人でまわっても効率が悪いと思い、いちばん連絡が取りやすいナム先生に連絡したところ、仕事が17時に終わるので、17時半に大邱駅のユニクロ前で待ち合わせましょう、ということになった。

ほんとうは、ナム先生の姉夫婦も会いたがっていたそうなのだが、ヒョンブ(姉の夫)が仕事の都合でどうしても時間が合わないということで、ナム先生一家、ナム先生ご夫妻と7歳の息子さん、とで会うことになったのである。僕はなぜか、本来は縁もゆかりもないヒョンブに好かれていて、10年以上前の2012年8月にヒョンブの家に泊まりに行って、一晩語り明かしたほどである。

ナム先生とは何年ぶりに会ったのか、よく覚えていない。息子さんが7歳になったということは、最後にあったのは7年以上前かもしれない。覚えているのは、2014年の12月25日に、韓国での仕事が早く終わったので大邱に行き、ナム先生ご夫妻と一緒に教会に行ったことである。それ以降あったかどうかは覚えていない。

ひとつ心配なのは、意思疎通ができるかどうかだった。僕の韓国語は完全に後退してしまって、国際会議でもほとんど片言で終わってしまったが、通訳がいたおかげでコミュニケーションが取れた」。ナム先生ご夫妻は、当然日本語がわからない。つまり逃げ場がないのだ。

「これから夕食を食べに行きましょう」

ナンピョン(夫)が運転する車に乗ってちょっと遠くのお店に移動するのだが、車内では矢継ぎ早にいろいろな質問が来て、それを韓国語で答えないのいけないので、かなりツラい。しかしえらいもので、ナム先生はいまでも朝9時から夕方6時まで外国人に韓国語を教えているから、平易な言葉を使ってくれて、おかげで質問の内容がすべてわかるのである。しかしそれを答えようとすると、今度はこっちの韓国語が出てこない。何とももどかしいのだが、それでも、僕のド下手な韓国語から内容を類推して、パラフレーズしてくれる。なるほどそう言えばいいのか、と、まるで韓国語の勉強をしているようだった。自分の韓国語能力の低さを、韓国語を使って救ってくれているのである。ほかの人ならばこうはいかない。

食事のあと、「私たちもまだ行ったことがないのですけれど、夜景がきれいな公園が最近できたので、行ってみましょう」と、再び乗り込んだ。12月25日~1月末までの期間のみ公園にイルミネーションがほどこされ、「サンタ公園」といわれている。

車から降りると、たしかにイルミネーションがきれいなのだが、なにしろ寒い。気温は氷点下である。あまりに寒いせいか、きれいな場所なのに、人っ子ひとりいない。

「この上に展望台があります。エレベーターがないので歩いてのぼりましょう」と、これまた寒い中、緩やかなスロープをらせん状にのぼりながら狭い展望台に着くと、夜だというのに解説員らしきおじさんがひとりいた。僕たちが熱心に見ていると、やたらと解説してくれるのである。そりゃあそうだ。寒くて展望台にはだれもいないんだもの。

「この方、日本の方ですよ」とナム先生が僕を紹介すると、その解説員は、なんと日本語で話し始めた。

聞いてみると、日本で仕事をしたことがあるらしく、奥さんは日本人だということだった。

「この展望台に立つと、市内が一望できます」

「ほんとですね」

しかし寒くて長い時間はいられず、再び長いスロープを歩いて下まで降りた。

そのあと身体を温めるために、コーヒーショップであたたかいお茶を飲みながら話をした。そこでも矢継ぎ早に質問が来る。話題は日本のアニメ「名探偵コナン」の話になった。「コナン」は韓国でも有名である。これまでずっと質問に答えるばかりだったのだが、自分から話題を出そうと、こんなことを言った。

「うちの娘は、私の仕事を知りません」

「そうなんですか?」

「だから、『パパの仕事は名探偵なんだよ』と言って、娘はそれを信じています」

「へえ、それは面白い!」

なんとか自分の言いたいことが伝わったことに、安堵した。

こうして4時間ほど、ナム先生ご一家と過ごし、ホテルの近くまで送ってもらった。

「今度はぜひ、ご家族3人で来てください」妻と娘にお会いしたいと何度も言っていた。

「わかりました」

車から降りてお別れをして、極寒の中をホテルへと向かった。

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ホテル変更

1月25日(木)

目覚ましが鳴らず、起きたのは7時45分だった。

やべえ!!8時にチェックアウトして車でバスターミナルまで送ってもらう約束だった!

国際会議が無事終わり、今日は参加メンバーが貸し切りバスに乗り、まる一日巡見する予定なのだが、さすがに僕は団体行動に疲れてしまい、わがままを言って1日早くこのホテルをチェックアウトして、1人で気ままに旅をすることにしたのである。

20分で着替えと荷造りを済ませ、ロビーに降りると、バスターミナルまで車で送ってくれるウさんとHさんがすでに待っていた。

「寝坊しちゃって、ごめんなさい」

「大丈夫ですよ」 

車に乗り込んで、ウさんの運転でバスターミナルに向かう。

ウさんは、15年前、僕が韓国に留学していたときに大変お世話になった方である。ウさんもこの国際会議にスタッフとして参加していた。15年ぶりの再会である。15年経っても、ウさんはまったく変わらなかった。

「昨日の2次会は途中で失礼しましたけど、あれからどうなったのですか?」

「ええ、めいっぱい仕事をしましたよ」とウさん。「仕事をした」というのは、「がんばって場を盛り上げた」ということを意味する。「某国の人たちは、ノリが悪くていけません。おかげでカラオケを2曲歌いましたよ」

そうこうしているうちに、バスターミナルに到着した。

「ウさん、お元気で」

「今度は日本でお会いしましょう」

さて、めざすは15年前に1年間暮らした大邱である。

いかにも地方都市のバスターミナルという趣で、まるで時間が止まっているような場所だった。

9時発のバスに乗ること2時間半、バスは大邱の西部バスターミナルに到着した。ここもまた時間が止まっている。ここから地下鉄1号線に乗り、東大邱駅まで移動する。東大邱駅に着いたのはちょうどお昼の12時くらいだった。

しかし今日泊まる予定のホテルの場所がわからない。この15年で、東大邱駅の周辺はかなり変わってしまった。

KTXの東大邱駅を出たところに観光案内所があったことを思い出し、行ってみたところ、むかしと変わらない場所に観光案内所があった。

「このホテルを探しているんですけれど」

と、スマホの画面を見せると、

「Kミニホテル??聞いたことないですねえ」

案内人がさっそくネットで検索してくれて、道順を教えてくれた。

教えられたとおりに歩いていくと、ボロボロの雑居ビルにたどり着いた。

見ると、

「Kミニホテル 3階」

と書いてある。3階には、薄暗くて狭い階段でのぼらなければならない。重いキャリーバッグを持ち上げながらやっとの思いで3階にたどり着いてびっくりした。

ボロボロのモーテルやないかい!!!

3階のワンフロア、といっても古いビルなので狭い空間に、客室が数室ひしめき合っているだけだった。掃除中のようで、すべての部屋のドアが開いていたので覗いてみると、ひどく狭くて、むかしのモーテルそのままである。

「だれかいますか~?」

と叫ぶと、掃除中の部屋から90度に腰の曲がったお婆さんが出てきた。

「あの、今日予約している…」

「ああ、予約してるのね。チェックインは夕方6時からですよ」

「夕方6時?」

見ると、Information Deskと書かれたところに貼り紙がしてあって、「チェックインは午後6時から」と、手書きで書かれている。Information Deskとはいっても、お婆さんが寝泊まりをしている守衛所のような空間である。

「荷物を預けたいんですけど」

「いいよ。そこに置いておきなさい」

そこって、どこ?どうやら廊下において置けということらしい。

不安そうな顔をすると、

「安心しなさい。心配しなくていいから」

と、その腰の曲がったお婆さんは言うのだが、だれもが持ち出せるスペースに置いておくのは、やはりかなり不安である。

それでも、仕方ないかと思っていったんホテルを出て、東大邱駅に戻ったのだが、やはりモーテルのことが気になって仕方がない。今日一晩、あのモーテルで寝泊まりすることは、やはり耐えられないと判断した。

そこで、急いで東横インを予約し、予約が完了したことが確認した時点で、さっきのモーテルに戻る。

「サジャンニム(社長様)!!!いますか?」

サジャンニムとは、腰の曲がったお婆さんのことである。何度か呼んでみると、やっと奥からお婆さんが出てきた。

「事情があって、今日は宿泊しないことになりました」

「安心しなさいよ。心配することないよ」

とお婆さんは再三言っていたが、預けた荷物を回収して、逃げるようにしてそのモーテルを出たのだった。

東横インは大邱駅から近いですよ、ということを国際会議に参加していた人から聞いて、その情報だけを手がかりに東大邱駅から地下鉄1号線に乗って大邱駅で降りたのだが、どこにあるのかが分からない。Googleマップを使って歩いてみたが、行けども行けどもたどり着かない。

そのうちに見慣れた町の光景が広がった。「中央路」という繁華街だ!15年前の留学中に、何もすることがないと、この繁華街にある映画館でよく映画を観た。いまも建物は残っていたが、映画館は閉館してしまっていた。

キャリーバッグを引きながらゆっくりと歩くと、繁華街が途切れるあたりのところに東横インを見つけた。結局地下鉄1号線の「大邱駅」から「中央路駅」まで、ひと駅分歩いてしまったことになるが、おかげで中央路の繁華街をゆっくりと通りながら、その風景を懐かしむことができた。

朝9時に大邱行きのバスに乗って、東横インにチェックインしたのは、6時間後のことだった。

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国際会議・2日目(最終日)

1月24日(水)

ホテルの部屋の中と外の寒暖差が激しく、朝からちょっとコンディションが悪い。

ちなみに韓国では、寒暖差のことを「일교차(イルギョチャ・日較差」)というそうだ。これは試験に出るぞ。

朝7時半~8時半がホテル内で朝食。9時から会議が開始、12時40分に午前の部が終わり、お昼ご飯はホテルの外の食堂で食べ、14時に午後の部を開始、18時30分に会議が終了し、そのまますぐにまた外の食堂で夕食を食べる、という一連の流れは、昨日とまったく同じである。会議にはほとんど通訳がつかないため、ちんぷんかんぷんのまま辛抱強く座っていなければならない。

今日はそれに加えて、歓迎会と称した2次会がホテル内の宴会場で行われたのだが、僕は今日1日、コンディションが悪いし、お酒も飲めないので、40分ほどだけ出て、「中座します」と言って、ホテルの部屋に戻ってきた。2次会では狂乱のカラオケ大会が始まり、カラオケの順番があたらないうちにと、ひっそりと抜けたたのである。

会議の話に戻る。僕の登壇は16時から始まる最後のセッションだったが、15分おして、16時15分からとなった。持ち時間は30分。通訳がつかないので、30分日本語でひたすら喋り続けた。

それが終わると討論である。ふつうは討論のときには通訳がつくのだが、時間がおしてしまったので、こちらも通訳をつけず、あらかじめ用意していた「質問に対する回答」を日本語で読み上げただけで終わった。僕がほかの人の話を聞いてもわからないように、僕の話もわかってもらえてないのではないだろうか。

そのあとすぐに始まった「閉会の辞」では、今回の国際会議が大成功のうちに終わったと高らかに述べていた。

日本語がわかる主催者側のスタッフたちと僕が一緒になると、スタッフたちは日本語でこのたびの会議や組織のあり方について、かなりなていど赤裸々に話してくれた。まるで日本語が秘密の暗号のように、である。僕も留学経験があり、そのあとも何度も韓国に来ているので、彼らの言いたいことが十分に理解できた。折しも、桐野夏生の『日没』(岩波学芸文庫)を旅のお供に持ってきて読んだばかりだったので、その内容が少しだけ頭をよぎった。

それでも、韓国留学中にお世話になった先生や、懐かしい友人とも再会できて、それだけは大きな収穫だった。

あと、某国の人の中から1人だけ、「あなたの話はとても面白かったです」と片言の日本語で言ってくれた人がいたのも救いだった。

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国際会議・1日目

1月23日(火)

国際会議・1日目。

客室はオンドルのおかげで汗をかくくらい暑いのに、同じホテルの建物にある会議室は、暖房が効いているとはいえ、厚手のコートを着ないととても居られないほどの寒さである。とくに足のあたりが寒い。「底冷え」というのはこういうことだろうな。オンドルのすばらしさを実感する。

とはいえ、天気は快晴である。

午前9時から会議が始まったが、僕の出番は、翌日の夕方なので、今日は基本的に「聞くだけ」の参加なのだが、基本的には韓国語か某国語で話を聞かなければならないので、なかなか集中して聞くのは難しい。

前々から気になっていたことがあった。僕は韓国留学中に韓国の銀行に口座を作った。しかしいまはもうほとんど使っていないので、口座を解約するか、口座に残っているお金をすべて引き出したいと思った。ところが、通帳と一緒に作ったキャッシュカードの期限がすでに切れていて、銀行の窓口に行かないとお金が下ろせないと聞いた。韓国に出張したときには、用務があるので平日の昼間に銀行に行って手続きをすることは難しい。どうしようかと思っていたところ、ハタと思いついた。この機会に、ちょっと会議を中抜けして銀行に行って手続きをしてしまうことはできないだろうか、と。

おそるおそる、今回の出張をアテンドしてくれた主催者側の知り合いにダメ元で相談してみると、

「いいですよ。銀行に行きましょう」

「いいんですか?」

「ええ、どうせ会議の内容を聞いてもわからないことばかりですから」

その知り合いはさっそく各方面に根回しをしてくれて、中座して銀行に行くことが叶うことになった。

ただ、会議場のある町にはその銀行の支店がなく、20キロ以上離れた隣の町にあるという。

銀行に着き、手続きをしようとすると、暗証番号を忘れてしまったり、パスポートが変わったりしてしまっていて、なかなか本人確認に難航したが、それでも無事に、口座の中にあるお金をおろすことができた。お昼休みまでに戻れるだろうか、とヒヤヒヤしたが、無事に昼食休憩の前までに戻ることができた。

午後は、ひたすら忍耐強く、韓国語と某国語による話を聞き続ける。夕方6時半過ぎ、1日目の会議が終わるとすぐに食事会場に移動した。今日もまたホテルを出て近くのサムギョプサル専門店で食事をする。

会議から解放され、食事も美味しかったこともあり、参加者はすっかりいい気分で酔っ払ってしまって、お酒のつぎ合いが始まってしまった。僕はこういうのがイヤで懇親会が苦手だったのだが、お酒をやめましたと宣言してソフトドリンクばかりを飲んでいるいま、つくづくお酒をやめてよかったという思いを噛みしめた。

夕食後は、「このあたりは夜景が有名なので、夜景を見に行きましょう」という計画が合ったのだが、あまりに寒すぎて中止となった。

 

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毎度のミステリーツアー

1月22日(月)

無事に韓国に到着した。まる一日の移動でほとほと疲れた。

朝、在来線と私鉄特急を乗り継いで、成田空港に到着。そこから飛行機に乗り釜山空港に着いたときは、すでに16時近くになっていた。

出口を出たところで知り合いが待ち構えていて、そこから車に乗ってひたすら走り続けること1時間半、目的の場所に到着した。途中、山と海が織りなす景観に目を奪われ、いったいどこに連れていかれるのだろうと不安になる。

アテンドしてくれた知り合いに、

「(国際会議の)会場となるホテルには行ったことがあるのですか?」

と聞いてみたところ、

「いえ、行ったことがありません。今日が初めてです」

という。主催者側の1人のはずなのだが、どういう会場なのかまったく情報がないらしい。

「まるでミステリーツアーですね」

「そうですね。私たちも何も知らされていませんから」

カーナビの通りに走って行くと、会場とおぼしきホテルの建物が見えた。

「え?あれですか?」

賢明な読者諸賢は、「国際会議」の会場と聞くと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。

僕は、広い宴会場を会議の会場として使って、朝・昼・晩はそのホテルで食事をする、だから会議中はホテルから一歩も外に出ない、といったイメージを抱いていた。

しかしホテルの前に着いて、驚いた。

「おんぼろじゃないですか!」

どうひいき目に見ても、国際会議をやるようなホテルではない。

「前日入りしたスタッフから聞いたところによると、客室のドアが開かないとか、シャワーのお湯が出ない、といった部屋があるそうです」

「…」

「ですので、それぞれの客室に行きましたら、ドアが開くかどうか、シャワーのお湯が出るかどうかを確認してください」

「わかりました」

「ではこのあと貸し切りバスに乗って夕食に行きますので、15分後に1階のロビーに集合してください」

15分後???いま着いたばかりだぞ。

「あのう、ホテルの外で食べるのですか?」

「ええ。ホテルでは朝食のみで、昼食と夕食はバス移動して外に出て食べます」

うーむ、めんどくさい。40人以上はいる参加者が、いちいち大型バスに乗って食事の場所まで移動しなければならないのだ。

自分の泊まる部屋のドアが開くことを確認し、部屋に入ってシャワーのお湯が出ることを確認して、荷物を整理していたら、あっという間に15分が経っていた。

急いで1階のロビーに行くと、僕が一番最後だったようで、最後にバスに乗り込むと、すでに大型バスは参加者でいっぱいだった。

「どこへ行くんでしょうか?」主催者側の知り合いに尋ねると、

「さあ、私にもわかりません」

主催者側のスタッフの中にもわかっていない人が多い。こりゃあ正真正銘のミステリーツアーだ。

バスで数分だけ移動して着いたお店は、地元で人気の定食屋さんだった。しかも決して広いお店というわけではない。

ひとつのテーブルに4人が座る形になっていて、韓国の「庶民の味」が次々と出てくる。それ自体は嫌いではないのだが、40人以上がぎゅうぎゅうになりながら、ふつうの食事をしただけだった。

時間になり、お店を出て大型バスに乗り込んでホテルに戻る。

僕は不安になって聞いた。

「あのう…会議は明日から2日間ですよね?」

「そうです」

「会議の資料というのは、前もっていただけるものなのでしょうか?それとも明日の朝にならないともらえないのでしょうか?」

会議がどんなスケジュールになっているのか、どんな話題が出るのか、まったくわからないのだ。

「いや、大丈夫だと思いますよ。会議資料はすでに会議場においてあると思いますので、ホテルに着いたら会議場の場所の確認をしがてら、資料集を前もってお渡しします」

ホテルに着くなり、さっそく僕を含めた4人ほどが会議場に向かう。ホテルの別館の6階にあるという。

行ってみて驚いた。

狭っ!!!

「この部屋に40人以上が座るのでしょうか?」

「そうです

「学校の教室よりも狭いですね」

「確かにギッチギチですね」

主催者側の知り合いも初めて会議場の狭さを知り、驚いていた。

「でも、部屋の3面はガラス張りで、オーシャンビューがのぞめますね」

「たしかに風光明媚な場所ということだけはわかりました」

「しかし実際は会議が始まったらスクリーンを使ったりするので、カーテンは閉めてしまうのでしょう?」

「そうですね。…あまり意味がありませんね」

どうして、ここで国際会議をやることになったのだろう?いまのところ合理的な理由が見つからないのだが、僕は招かれた側なので、文句は言えない。

僕はこの2日間で、自分の責めを塞ぐことに徹するのみである。

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韓国出張準備

1月20日(土)

来週の月曜日(1月22日)から5日間、韓国に出張する。国際会議で登壇者の一人として参加するためである。

「今までは新型コロナウィルスによる渡航制限などの理由によりオンライン参加も認めてきましたが、今回は現地参加をしてもらいます」と言われ、久しぶりに現地での国際会議に参加することになったのだが、場所がまた不便なところで、韓国第2の都市、釜山から120キロほど離れた韓国の「リゾート地」で行われるというのだ。

昨年7月に2泊3日で韓国出張したのが、コロナ禍が明けてから最初の出張になったが、4泊5日というのは長丁場である。僕はこのところすっかり体調が悪くなってしまったので、この5日間を無事に乗り切れるかどうかが、最大の焦点である。なにしろ、足が痛くて歩くのが億劫になるくらいだから、なるべく荷物を減らすことが最も重要なミッションである。

いつもは、大きなスーツケースと、ふだん背負っているリュックサックとで移動していたのが、あまりにも重い。そこで、スーツケースを「機内持込可」程度の大きさ、すなわち2~3泊程度を想定している小さなものに変え、リュックサックも辞めて、肩からかけるポーチサイズの小さなカバンにすることにした。以前は要らないものも平気で詰めていたりしていたが、今回は、必要最小限のものだけを厳選してカバンに詰めていくことにする。会議用にたくさん持っていった関係資料も、今回は持っていかない。登壇時間は30分程度だし、討論時間なんて、1人あたり13分、しかもそこには通訳も入るというから、ひとりあたり5,6分くらいしか質問に答えられない。そのために膨大な資料を持っていく必要はないと判断し、何も持っていかないことに決めた。

下着類はできるだけボロボロのものをまとって、現地のホテルに捨ててくることにした。

いちばんの問題は「薬」である。この5日間、こんな体調で韓国に滞在するのは不安で仕方がない。いつも服用している薬のほか、想定する症状が出てきた場合の薬も準備しなければならない。

ということで、いつもよりかなり神経を使って荷造りを数日かけて行うことにした。

荷造りしていくうちに、あれも必要だった、これも必要だった、といったものが次々と出てくる。それも忘れないうちに荷造りしておかなければならない。

そんなふうにシミュレーションして、なんとか目的のスーツケースと肩掛けポーチに納めることができた。パンパンになってしまったが。

とにかく、来週の5日間は体調を崩さずに無事に戻ることを祈るばかりである。

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