旅行・地域

無駄なことは何一つない

12月26日(木)

リハビリがあまりにも大変で、疲れが相当たまっているので、しばらく更新を休もうと思っていたが、せっかくこぶぎさんからコメントが来たので、久しぶりに更新しようと思う。

ちょっと苦手なリハビリスタッフがいた。悪い人ではないのだが、なかなか波長がかみあわない。

昨日、そのスタッフがリハビリ中に「僕の実家が…」と言ったので、試みに「ご実家はどちらですか?」と聞いてみた。

「福島です」

「福島というと、市内ですか?」

「いえ、福島といっても、新潟に近いところです」

奥会津のことだなと推測して、

「只見町なら仕事で2度ほど訪れたことがありますよ」

と言うと、

「えっ!只見に行ったことがあるんですか?」

「ええ」

でも彼の実家は只見ではないらしい。

いろいろ話していくなかで、

「仕事のついでに柳津に立ち寄ったこともあります」

するとリハビリスタッフさんの表情がみるみる変わっていった。

「柳津!そこが僕の実家がある町です!」

「あそこの粟まんじゅうがとても美味しいというので、会津若松で仕事があったついでに粟まんじゅうを食べに行きました」

「粟まんじゅう!」リハビリスタッフさんは再びビックリした。「粟まんじゅう、美味しいですよね!僕の同級生がお店をやっているんです!」

そこから柳津の話でひとしきり盛り上がる。

これで謎が解けた。最初彼は、「実家は福島です」というだけで、柳津の地名までは出さなかった。おそらく言ったところで知らないだろうと思ったのだろう。

しかし僕が「柳津で名物の粟まんじゅうを食べた」と言うや、彼のテンションが爆上がりしたのである。

「東京へ出てきて、初めて柳津のことを知っている人に出会いました!」

と彼は感慨深く言った。

仕事柄、全国各地をまわってきた。そのおかげというのか、いまになってその経験が役に立つ日が来るとは、誰が予想しただろう。人生に無駄なことは何一つないのだ。

ほかにも、他のリハビリスタッフの実家のある町について盛り上がったことがあるのだが、疲れてきたので今日はこの辺で。

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韓国のゆるキャラ

10月31日(金)

妻が韓国出張から帰ってきたのが先週の木曜日。小さな田舎町での用務だった。

その時の雑談のなかで、小2の娘がいるという話をしたらしく、それに反応をしたのがその町の職員さんだった。

「では、うちの町のご当地キャラクターのぬいぐるみがありますので、お土産に持って帰ってください」

見ると大きなぬいぐるみである。竜をかわいらしくした、いわゆる「ゆるキャラ」である。

2泊3日の強行軍のような出張だったので、妻は軽装だった。

「お気遣いありがとうございます。でもご覧の通り軽装で来たため、とても持ち帰る余裕はありません」

「では後ほどお送りします」

と言われ、きっと社交辞令だろうと思って本気にしなかったが、後日、ほんとうに韓国のその町から郵送されてきた。

小2の娘が嬉しそうにぬいぐるみを抱いている写真を見たが、思っていた以上にぬいぐるみが大きい。

そればかりではない。

送られてきたぬいぐるみは、大・中・小と3種類あり、その3つが送られてきたのだ。

それほど親しくもない人からこんなに多くの「ご当地キャラ」のぬいぐるみが送られてくるとは驚きである。その町が、全力でその「ご当地キャラ」を推していることがよくわかる。

調べてみると、韓国では各都市に「ご当地キャラ」がいるらしい。「ひこにゃん」とか「ちーばくん」とか、日本の「ご当地キャラ」と同じコンセプトの造形物である。

僕が韓国に留学していた16年前にはなかったような気がする。

ひょっとしてこれは、日本の「ゆるキャラ」が発祥なのか?

もしそうだとしたら、みうらじゅん先生がカテゴライズして名づけた「ゆるキャラ」が、海を渡った韓国にも影響を与えたことになる。

あらためてみうらじゅん先生の慧眼に敬意を表さずにはいられない。

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窓から見えるのは?

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青空と山並み。花火大会は見られなかった。

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転地療養

8月13日(水)

昨日の検査で異状なしという結果が出てホッとした理由は、翌日から転地療養をする予定になっていたからである。

もし検査で引っかかって「ひとり合宿」なんてことになったら、転地療養は中止になってしまう。家族にも迷惑をかけてしまう。これはまさに天国と地獄である。

で、検査の結果、晴れて転地療養が可能になった。とはいってもお盆休みの間だけの話である。

いままで、病院やリハビリデイサービスに行くとき以外には自宅から出たことがなかったのだが、なんといきなり車で3時間ほどかかるところまで遠出した。しかも標高1500mである。

朝に家を出て、お昼ごろに目的地到着した。昼食は恒例の「高原の蕎麦屋」さんでとった。アニメ映画の巨匠がこよなく愛した蕎麦屋さんである。その店名がご自身の傑作アニメ映画のキャラクターの名前に使われているほどだ。

お盆休みのせいでひどく混んでいたが、このお店の蕎麦を食べることができるのであれば待つことも苦にならなかった。

標高1500mなので涼しいし空気がいい。週末までの短期間の滞在だが、基本的には療養なので何をするわけでもない。ただせっかくなので周辺を散歩して足腰を強くするリハビリをしてみたいと思う。

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イノダコーヒ三条店

私はべつにコーヒーに詳しいわけでもこだわりがあるわけでもないのだが、喫茶店に行くのは好きである。過去にブログで書いた記事を引用する。(2010年11月6日条)

「京都に行くと、必ず立ち寄る喫茶店がある。

三条通にある有名な喫茶店。

店の中に入ると、奥に円形の大きなカウンターがある。

そのカウンターの中で、2,3名の店員がひたすらコーヒーを入れている。

言ってみれば、厨房の周りに、客が座るカウンターが取り囲んでいるのである。360度を取り囲む客に見られながら、店員たちは黙々とコーヒーを入れている。

コーヒーを入れる店員は、いずれもおじさんだが、そのおじさんはみな、黒い蝶ネクタイに白衣のようなジャケット、といういでたちで、それがなかなかに格好良い。

円形のカウンターに座る客たちは、ひとくせもふたくせもあるようなおじさんたち。黙って新聞を読んだり、もの思いにふけったりしている。常連の客も多いようで、店員は、コーヒーといっしょに、その客の愛読する新聞をサッと差し出したりしている。

私はこの雰囲気が好きで、京都に来ると立ち寄るようになった。抵抗なく入れるようになったのは、私がおじさんになった証拠か。(中略)

平日の昼間にもかかわらず、円形のカウンターはほぼいっぱいである。平日の日中から500円のコーヒーを飲みにくるこの人たちは、いったいどういう人たちなんだろう、と想像をめぐらせるのも、また楽しい。(後略)」

過去にそう書いた喫茶店の名は、「イノダコーヒ三条店」である。京都に訪れるたびに、時間があるとその喫茶店に立ち寄っていた。何をするかというと、ただボーッとしているだけである。あと、持ってきたり買ってきたりした本をたまに読んだりする。つまり僕にとっては「ラーハな時間」を過ごす場所なのだ。

ところが2022年4月に行くと喫茶店の跡地が更地になっていた。閉店したのかと思いきや、2023年春を目処にリニューアルすると書いてあった。

それ以降、京都に行く機会が減り、その度にイノダコーヒ三条店のある場所を訪れたが、更地のままだったと記憶する。その後長期の病気療養に入ってしまったため、京都出張をしなくなってしまった。

どうしてこの喫茶店のことを今頃になって思い出したかというと、友人からのメールに、イノダコーヒはKEY COFFEEの子会社になったという情報が書いてあったからである。

気になって検索してみると、イノダコーヒ三条店は2024年10月にリニューアルオープンしたようで、オシャレな外観になったが、かつての円形のカウンターは残っているようだった。ますます人気店になったようで、もう気軽な気持ちで入られないかもしれない。ましてやオーバーツーリズムなこのご時世では、客層もずいぶん変わっているかも知れない。

友人のメールには、「いずれ偵察に行ったら報告します」とあった。それを期待する。

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痛みに耐えてよく頑張った!

2月26日(水)

まったく、よく働くねえ。

いまの僕は、咳もほとんど出なくなり、口内炎もなくなったのだが、いまの最大の悩みは「足が痛い」ことである。足の裏ではない。footではなくlegが痛いのである。歩くスピードも極端に遅くなってしまったし、階段を昇ったり降りたりするのにもかなりの勇気が必要になってしまった。だからできるだけ歩きたくないのである。

しかしそうも言ってられない。今日は某所から仕事の依頼を受け、そこに行かなければならないのである。新幹線と在来線を乗り継いで3時間ほどかかる北の町である。

よほど体調不良でキャンセルしようかと思ったが、この日しか空いている日はないし、仕事の依頼をいただくだけでもありがたいことなので、断るわけにはいかなかったのである。

もうひとつの敵は寒波だ。雪こそ降らないものの、冷たい風が嵐のように襲ってくる。今年はこの寒波のせいで体調がおかしくなったと言っても過言ではない。

健康な頃だったら何てことない日帰り出張なのだが、足を痛めている僕にとっては命がけである。

結局、片道3時間、用務2時間半、合計8時間半ほどの弾丸出張となった。しかしその間の徒歩移動でかなり時間的にロスをして、予定よりかなり遅く帰宅することになった。あ~疲れた。

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勝つか負けるか、ホテル朝食バイキング

2月23日(日)

最近は朝食バイキングが付いているホテルに泊まることが多い。

ホテルの朝食バイキングには勝ち負けがある、とTBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組で話題になったことがある。たしか安住紳一郎さんも自身のラジオ番組で言っていたかと思うが、記憶が定かではない。

バイキングとはおのれ自身との戦いである。美味しそうな料理に惹かれてあれもこれも皿の上にてんこ盛りで乗せたら、結局量が多すぎて朝から満腹モードになり、その日の活動にも悪い影響を与える。これは「負け」である。

もうね、カレーなんか出てきたら、すべてカレーに持ってかれてしまう。地元でしか食べられない料理がほかに並んでいたとしても、カレーには勝てない。やはりこれも「負け」である。

だからバイキングには戦略が必要なのだ。そしてどんなに誘惑されてもその戦略を揺るがしにしない勇気も必要である。

さて、昨夕、1日目の用務が終わってホテルにチェックインすると、フロントでこんなことを言われた。

「朝食はバイキング形式で、朝の6時から9時までご利用できますが、明日は団体客が早い時間にご利用になりますので、時間をずらして朝食会場においでください」

つまり朝一番に行くと団体客で混んでいるので、少し遅めに来いというのである。

翌朝。つまり今朝。

少し遅めに朝食会場に行くと、すでに団体客は食べ終わったらしく、席にかなりの余裕ができていた。まずこれは、僕にとっては「勝ち」である。

トレイの上にお皿を置いて、さぁ料理を取ろうと思ったら、なにやらいい匂いがする。

カレーではないか!僕はつい誘惑に負けてカレーに手を出してしまった。しかも「地中海カレー」って書いてあったんだぜ。ここは地中海でもないのに。

仕方がない。あとはカレーを中心に座組を考えるしかない。

カレーの横を見ると、やれヒレカツだのクリームコロッケだのフライドポテトだのと、やたらとジャンキーな料理が並んでいる。

僕はそういうジャンキーなものが嫌いではないので、誘惑に負けてひととおり手を出してしまう。これでは完全に僕の「負け」である。

それにしても不思議である。このホテルは地元の名物などよりもなぜジャンキーな料理ばかり出しているのか?

その謎が解けた。簡単なことである。

その「団体客」というのは、修学旅行の生徒たちだったのだ。

おそらく今朝のバイキングは、修学旅行の生徒たちが好きそうな料理ばかりをチョイスした特別バージョンだったのではないだろうか。そしてそのおこぼれを、あとにやってきた僕たちがいただいたのである。

「子ども舌」の僕はそれにまんまとひっかかり、必要以上にジャンキーなものばかり取ってしまったのである。

しかしそのことにより僕の食欲は復活したのだから、「負け」だとは一概には言えない。いや、同時にリバウンドの可能性も出てきたのだから、やっぱり「負け」か。バイキングって、何が正解かわからないから、ほんとうに難しい。

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隠れた有名人

2月22日(土)

新幹線で北の町に向かう。毎年この時期に「同業者祭り」が行われるのだ。

僕はこの種の祭りには参加しないことに決めているのだが、毎年この時期に北の町で行われる「同業者祭り」には時間の許す限り参加することにしている。お世話になった人たちが数多くいるためである。

そういえば新幹線の切符を買っていなかった。最寄りの駅のみどり窓口で、「同業者祭り」の時間に間に合う新幹線の切符をとろうとすると、

「満席です。というより午前の新幹線は全部満席です」

と言われた。席が確保できる新幹線で最も早く到着できる時間を聞いたところ、夕方に着く新幹線だという。夕方に着いても何の意味もない。

困ったなあ、と思っていると、

「あ、いま1人キャンセルが出ました!」

「じゃあそれをおさえてください!」

ということで、想定していた新幹線の切符をおさえることができた。奇跡である。

実際、東京駅に着くと、3連休の初日の朝というだけあって、尋常じゃない混み具合だった。あんなに混んでいる東京駅は見たことがない。

なにしろ混雑が理由で新幹線が遅延しているのだ。

それでもなんとか「同業者祭り」の開始時間に間に合った。会場に着くと、同い年の盟友・Uさんが来ていて、その顔を見て安心した。彼の隣に座り、久しぶりに彼との会話を堪能した。

久しぶりといえば、何年かぶりに再会した人がいて、僕はその方と数回しかお話ししたことがないのだが、

「お体は大丈夫ですか?」

と言われた。僕が体調を崩したことが知らないところで広まっていたのである。僕はビックリして、

「どうしてそれをご存じなんですか?」

と聞いたら、

「11月の半ばに講演会をされると聞いて、楽しみにして会場に行ったら、「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書かれていて、それで知ったのです」

僕はさらにビックリした。僕が講演会をする予定だった場所は「前の勤務地」の県だったのに、その方は別の県の方だったのだ。往復にはかなりの時間がかかったに違いない。

ほかにも、何人かの人から「体調は大丈夫ですか?」と聞かれて、やはり聞いてみると講演会の日にイベント会場に行くと「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書いてありました、という答えが返ってきて、僕はすっかり恐縮してしまった。

それにも増して、僕が体調不良だという話はどこまで伝わっているのか?を考えると急に怖くなった。

「同業者祭り」の1日目が終わると恒例の懇親会である。人数が多いので結婚式の披露宴の如く、ホテルの宴会場で行われた。例によって僕はいちばん目立たない席に座った。

それでも何人かとお話をすることになり、

「はじめまして」

と挨拶すると、

「実ははじめましてではないです。2年前に行われた講演会を聴きに行きました」

と口々に言われ、これもまた怖くなってしまった。

あの講演会にわざわざ来てくれたとは、またもや恐縮してしまった。

そういえば会場の受付で、会費を払って資料一式をもらおうとしたら、僕が名乗る前に、僕の名前が書かれた封筒をさりげなく渡された。明らかに僕が誰かを知っているという行動なのだが、僕はその人にお会いした記憶がない。

あとで聞いたら、3週間ほど前に、やはり北の町で行われたイベントで20分ほどお話をした際に、その話を聞いていた方だった。その話の内容を好意的に受けとめてくれたらしい。

俺は隠れた有名人なのか???というか、講演会のハードルがすっかり上がってしまったことに、僕はますます怖くなってしまったのである。

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イベント2日目・再会のための旅

2月2日(日)

イベント2日目。昨日はゆっくり休んだはずなのだが体調は昨日と変わらない。

今朝、教え子のOさんからショートメッセージが来た。

「本日、ご講演ですよね。楽しみにしております」

Oさんは年に1度のこのイベントに毎年来てくれている。今年もまた来てくれるという。ただ、「講演」じゃないぜ。偉い先生が午前中にやるのが「講演」で、僕は20分程度のお話をする「ただの人」で、講演者でも何でもないのだが、Oさんはそう表現するしかなかったのだろう。

ホテルから会場までは歩いて約5分。僕の足では10分かかる。2日目は午前10時開始で、登壇者は9時40分までに来てくださいと言われたので、9時20分にチェックアウトして、重い荷物を引きずりながら会場に向かって歩き出した。

さあ、ここからがハードだ。午前10時から偉い先生の講演が2時間続く。学生時代は落研に入っていたと聞いたことがある。与えられた2時間を使って緩急をつけたお話しする話芸はさすがだよなと思ってしまった。

講演のあと、間髪を入れずに昼食会場に連れて行かれた。恒例の昼食会である。昼食会といっても別室に行って偉い人たちとお弁当を食べるという行事にすぎないのだが、登壇者には参加する義務がある。でも僕はこの昼食会が苦手だった。

目の前に出されたお弁当は、水戸黄門の家臣の名前のようなお店のもので、僕もこのあたりの名店であることは知っていた。たしかにハンバーグはとても美味しかったが、まったく食欲がなく、あろうことか弁当を残してしまった。もったいない。

弁当を食べ終わると、昼食休憩ギリギリの時間まで、偉い人たちの話を聞かされるのが恒例である。これが苦手なのだ。時間を潰すために、ひたすらクソどうでもいい話を聞かされる。偉い人のお話だから愛想よく聞かなければならない。ときには適切な言葉を返さなきゃいけないこともあるのだが、今日の僕はまったくそんな気になれず、「早くこの場から立ち去りたい」と思うばかりだった。

それを察したのか、このイベントの実務を担当している方が、

「そろそろ戻りましょう」

と言ってくれて、休憩が終わる15分前にこのクソどうでもいい時間を切り上げてくれたのだった。

思えば今回、このイベントの実務を担当してくれた方々に、本当にお世話になり、いろいろと助けてもらった。だからこの縁はこれからも大切にしていきたいと思うのだが、あの昼食会だけは勘弁してほしい。

昼食会場の階からイベント会場の階にエレベーターで降りると、そこにOさんが「出待ち」していた。Oさんもこのイベントの流れを完全に把握している。

「先生、お久しぶりです」

「お忙しいところ、来てくれてありがとう」

「これ、娘さんに」

と、わざわざ手作りしたというものをいただいた。

ほんの二言三言会話しただけで、午後の第2部の時間になってしまった。だから昼食会はイヤなんだ。

午後の部での僕の出番は3番目。20分という決まりを2分ほど超過してしまったがつつがなく終了した。

僕はもう限界、とばかりに、実務担当のHさんに、

「あのう、次の休憩時間になったタイミングで帰っても大丈夫ですか。体調があまりよくなくて」

と相談した。

「大丈夫ですよ」とHさん。それを横で聞いていたSさんが、

「僕が車で送ります」

と言ってくれた。本当に、このプロジェクトの人たちは優しい人ばかりだ。

休憩時間になり、偉い人たちに

「すみません。今日はこれで失礼いたします」

と挨拶をして、舞台裏の控室に置いてあった荷物をまとめて出ようとすると、またひとり「出待ち」をしている人がいた。

「先生、覚えてますか?」

マスクをしているのでよくわからない。

「以前、小さなプロジェクトでお会いした者です」

僕はそこで思い出した。

「Sさん!」

「そうです。覚えていらっしゃいましたか」

ご自分の名前を検索するとトップに消臭剤の名前が出てくると言っていたことが未だに忘れられません」

「そうですそうです!」

Sさんはこのイベントの主催者側の一つである職場に、昨年4月から正式社員として採用されたという。

「よかったですねえ」

「ええ、これまでずっとフラフラしていましたから。…今日のプログラムを見て、『あ、鬼瓦先生だ』と思ってぜひ挨拶をと思いまして」

「このプロジェクトは今年度で終わりですが、またちょくちょくこの県には寄らせてもらうことになると思います。またいつか一緒に仕事ができるといいですね」

「そのときはぜひよろしくお願いします」

車で駅まで送ってくれる方がやきもきしている。

控室を出て会場の外に出ると、今度は教え子のOさんが「出待ち」していた。僕が心変わりして早退するということを察知したらしい。

「先生、お帰りですか?」

「うん。俺、ちゃんと喋れてた?」

僕は最近すっかり滑舌が悪くなり、声も小さくなった。おそらく脳の問題だろう。

「はい。大学時代の授業を思い出しました」

「またいつかお会いしましょう」

ようやく車に乗り込み、駅に向かった。

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イベント1日目

2月1日(土)

バスと新幹線と在来線を乗り継いで約5時間、北の町に向かう。

この1週間は本当に辛かった。昨日、職場から夜に帰宅し、急いで荷造りをして、今日もまた朝早くに出発した。

だから「前乗り」ではない。この日もちゃんとした用務があるのだ。

そして明日も用務がある。つまり2日間びっちり、、ほとんど自由時間もなく拘束されることになる。

この体調なので、オンライン参加も選択肢も考えたが、この5年間のプロジェクトは今年度で終了であり、何よりお世話になった知り合いが何人もいるので、現地参加をして挨拶をしなければいけない。

初日のイベントは13時から開始である。僕の出番は13時50分から。30分間話をして、10分間は意見交換の時間である。

まずはそこだけを乗り切ればよい。話のマクラに「実は昨年末に長期入院をしておりまして…」と言い訳めいたことを言った。暗に今回の話は急ごしらえで作った話だから質が落ちているかもしれませんよ、と逃げを打ったのである。

それでもなんとか40分間を切り抜けた。

僕の話が終わると休憩時間になり、自分がもともと座っている席に戻った。

すると、

「お疲れさまでした」

と隣の席の方が声をかけてきた。

「Cさん!」

「前の勤務地」で何度か仕事をご一緒したCさんである。マスクをしていたのと、発表前は緊張していてそれどころではなかったので気づかなかった。マスクを外したお顔は紛れもなくCさんだった。

Cさんの職場にこのイベントの案内が来ていてそれを見て参加したといっていたが、とくに僕の名前を見つけたから、ということでもないだろう。それにしても嬉しいことには変わりない。

「来月の講演会もよろしくお願いします」

そうだった、来月は前の勤務地で講演会をすることになっている。11月半ばに行うはずが、入院のために中止になってしまった講演会を、リベンジで行うことになったのである。

そのお話の仕方がCさんも聞きに来てくれるようなニュアンスに聞こえた。うーむ。これもまた体調を整えてのぞまなければならない。

1日目のイベントは16時半頃に終わり、そこから車でホテルまで連れて行ってもらった。18時半からは同じホテルの宴会場で懇親会がある。

懇親会まではお付き合いできるかなと不安だったが、今年度が5年間のプロジェクトの最終年度であり、多くの知り合いにもご挨拶しなければならないと思い、宴会場に向かった。

そしたらあーた、立食形式のパーティーではないか!

去年もそうだったことをすっかり忘れていた。

病人には立食パーティーは辛い。

それを察してか、いろいろな方から、

「大丈夫ですか?椅子を持ってきましょうか?」

と何度も言われたのだが、偉い人たちがたくさんいる中で僕だけが椅子に座るというのはどう考えてもおかしい。

「大丈夫です。どうかおかまいなく」

と答えたが、本音を言うと辛い。

懇親会が1時間ほど経ったところで、「では、本日登壇されたお一人ずつから、短いスピーチをお願いします」

と司会者が言った。

たしか昨年もそうだった、と思い出した。

せっかくなので、僕はこの5年間の感謝の思いを吐露した。

スピーチが終わり、マイクから離れ、元の場所に戻った。僕は隣にいた主催者のひとりのHさんに、

「もう僕の出番はありませんよね」

「ええ」

「ではすみませんがここで失礼いたします」

「ゆっくり休んで下さい」

19時半、ようやく初日の用務が終わった。

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