旅行・地域

北の町の再会

2月5日(日)

前日の夕食会には、偉い方々、しかも私よりも年上の男性ばかりが多数集まり、いささか気疲れをしてしまった。

翌日のこの日は、午前から夕方まで、一般来聴者向けのイベントがあり、私は午後に20分ほど喋らなければいけない。

朝、会場に40分前くらいに着くと、

「どうぞ、こちらの控え室へ」

と案内される。登壇者の中で、どうやら僕が一番乗りだった。

昨日に引き続いて、偉い人たち(しかも男性ばかり)が何人かすでに来ていて、そこでまた雑談をしなければならない。なかなか気の抜けない時間である。

午前の部が始まり、それが終わるとまた控え室に案内される。

「昼食をご用意しております。こちらで懇談会をいたします」

と、また偉い人たちとの懇談である。座持ちのいい人ばかりで僕は黙って聞いているばかりだが、それでもやはり気疲れは変わらない。

そろそろ午後の部が始まります、と、控え室を出たところ、事務局のスタッフに声をかけられた。

「先生の教え子だという方が先生にお目にかかりたいといらっしゃっています」

見ると、10数年前に卒業した教え子のOさんだった。そう、たしかOさんは、この町に住んでいるのだった。

たぶん卒業以来会っていないと思うから、10数年ぶりの再会である。

Oさんについてことさら印象的な思い出は、学生時代から同人誌に小説を書いていて、僕も当時それを読ませてもらったことがあった。卒業の時に「小説は書き続けなさい」と言ったような記憶があるが、記憶は不確かである。

5年ほど前の2018年にOさんから突然長いメールが来たことを思い出した。その年に僕が出した本を読み、大学の授業が懐かしくなりメールを書いたという。そこには、語り口が授業そのままで涙が出ましたと書いてあった。

2018年に出した本は、世間的にはまったく話題にもならず、売れなかったのだが、そのメールに僕は救われたのだった。

そのメールには続きがあった。自分はいま売れない小説家をしていて、出版もしてもらえたけれど、まだ納得いく小説が書けていませんと書いてあった。僕はたしかそのとき、その小説を読んでみたいと思ってペンネームや小説のタイトルを尋ねた気がするのだが、そのときは、ペンネームも、出版した小説のタイトルも、教えてくれなかった。あれからどうしたのだろうと、気になっていた。

「どうしてこのイベントを知ったの?」

「いただいたチラシに先生の名前を見つけて、絶対に行かなくちゃ、と思ったんです」

名刺交換をしたら、肩書きに「小説家」とあり、ペンネームが書かれていた。名刺の裏面には自分が出した小説の一覧が書いてあった。すでにかなりの数の小説が出版されているようだった。

やっと、小説家と胸を張って名乗れるようになったんだね、と思いながら、僕は感慨深く、名刺を受けとった。

「先生、お元気でしたか?」

「いろいろなことがあったけれど、なんとか生きてます。あなたは?」

「3人の子育てに追われています」

「この名刺に書いてある小説、読んでみます」

「お時間がありましたらぜひ」

僕はこれから読者になるのだ。これからずっと。

「先生、そろそろお時間です」

短い時間だった。

「これから先生のお話、聴かせていただきます」

「ありがとう。縁があったらまたお会いしましょう」

「先生もお元気で」

遠い空の下でなんとかやってるだろうと時折思い出す人と不意に再会して、なんとかやっている近況を知ったときほど、嬉しいことはない。

それだけでもこの2日間は、この町を訪れた甲斐があった。

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3年目の対面

2月4日(土)

朝、新幹線で北に向かう。

2020年の4月から、あるプロジェクトにかかわることになった。そのプロジェクトの義務は、1年に1度、2月の第1週の土日にプロジェクトの成果をみんなの前で報告すること、というものだった。だから毎年、2月の第1週の土日はそのために空けておかなければならない。

土曜日の午後に成果報告会があり、日曜日はまた別の場所で同じ内容の成果報告会を行うもので、つまりは同じ内容の成果報告を2日連続でしなければならない。土曜日はクローズドだが、日曜日は、けっこうな数のお客さんが聴きに来るという。

2020年4月といえば、新型コロナウィルス感染症が世間を脅かした時期である。当然、その翌年の2021年2月の会は会合がオンラインで開催された。翌年度も同じである。

で、今年が3年目。3年目にして、ようやく対面実施が可能になったのである。

しかしこの時期、予想外の寒波が襲来して、その町は珍しく大雪が降った。北の町といっても、例年はあまり雪が積もらないそうなのだが、ここ数日は予想外の大雪で、路面にはかなり雪が積もっている。

やっぱりオンラインの方がよかったんじゃないの?と思わなくもなかったが、しかし、それまで画面上でしかお目にかかれなかった人たちと、3年目にして初めて対面できたことは、ある感慨を禁じ得ない。

おめえ、つい数日前まではオンライン参加がいいって言ってたじゃないか!とお叱りを受けそうだが、もちろんこれは、ケース・バイ・ケースである。

明日は少し大きめの会場で喋るので、若干緊張している。しかしこの雪で、どれほどの人が集まるのだろう?

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出張あれこれ

11月29日(火)

昨晩遅く、出張から戻った。

少し前、仕事関係でつきあいのある人からのメールに、「その日は職場の用務で京都に出張なのです」とかなんとか返信したら、

「京都に出張ですか、いまだと秋が感じられていい季節ですね。僕も何週後かに、「同業者祭り」が京都を会場にして久しぶりに対面で行われることになり、いまから楽しみです。きっと(京都在住の)○○さんが美味しいお店を紹介してくれることでしょう」

と返信が来て、いささか複雑な気持ちになった。

1年に1度行われる「同業者祭り」というのは、言ってみれば同窓会みたいなもので、毎年会場が違う県になったりするので、参加するほうは楽しくて気楽である。つまらなかったら会場を出て観光してもよいし、夜には懇親会がある。このご時世で懇親会が無理な場合は、仲良したちで美味しいお店に行って、地元の美味しいものを食べながらああでもないこうでもないと楽しいおしゃべりをする。もちろん孤独のグルメもまたよい。

僕はもう長いこと「同業者祭り」には参加していないが、本業の仕事の出張が多くなり、それ以外にあえて「同業者祭り」のために出張することがめんどうになったのである。

今年、京都へは何度通ったかわからないが、平日に日帰りとか1泊とか、ほとんどとんぼ返りで、しかも用務先の建物の中に籠もって一日中作業をする、みたいな感じだから、満喫などできないし、食事も往復の新幹線の中で弁当を食べるとか、とても美味しい店に行くなどという余裕はない。しかしなぜか、京都に行く、というと、うらやましがられるのである。

実際、用務先まで行くのに路線バスを使ったりすると、あまりの混雑ぶりに閉口したりする。いかに混まない路線を使って移動するか、ということが、最大の課題になる。なぜなら、用務先での作業の体力を温存しなければならないからである。

用務先では、肉体的にも疲れるが、精神的にも気を遣って疲れる。とくにこちらからアポを取ってお会いする場合は、手土産を持っていくのは常識だが、それに加えて先方の規約にしたがった対応をとらなければならない。あるところでは、建物の入り口のところで身分証を提示して、中に入ってさらに受付担当のところで身分証を預け、それと引き換えにバッジをもらう。つまり身分証が人質となり、その作業部屋の中に軟禁されるのである。用務が終わると、バッジを返すのと引き換えに、身分証を返してもらう。身分証を人質のように預けるというのは、あまり気持ちのよいものではないが、郷に入っては郷に従え、である。とにかく先方に失礼のないように用務を行うことに最大限の注意を払うのである。

「同業者祭り」は、そんなことにはならない。大勢の人たちに、久しぶりの挨拶をして、仲のいい人の近くに座って、ちょっとした知的興奮を味わい、終わってからは仲のいい人たちといっしょに美味しい食事とともに談笑する。ま、僕はとくに仲のいい同業者がいないこともあり、同業者祭りに出たところでとくになんの感慨もないので、むしろ初めてお目にかかる人に気を遣いながら用務を行う方が、性に合っているのかも知れない。

せっかくだから、京都にいる古い友人と会ってみようかなという気もするが、こっちはたいていは平日に来ているし、この世代になると忙しくてそれどころではないというのがお互いさまだから、「まあなんとかやっているのだろう。こっちもこっちでなんとかやっている」と思うことにして、とんぼ返りする。ま、出張とは本来、そういうものなのだろう。

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からすまおいけ

11月27日(日)

地下鉄に乗り、「烏丸御池」という駅を通り過ぎる。

若いころ、というほどでもないのだが、むかしはけっこう烏丸御池の近くに宿をとることがあり、そこから三条通を三条京阪の駅のあたりまで歩くのがなかなか楽しかった。

あるとき僕は、地下鉄の「からすまおいけ、からすまおいけです」という自動アナウンスを聞いて、長年僕が思い込んでいた「からすまおいけ」のイントネーションとまったく違うことに、驚いた。長らく僕は、「からすまおいけ」のイントネーションが間違っていたのである。

大阪府の池田市の「いけだ」を、「わさび」と同じイントネーションで言うのだ、というのを知ったときくらいの、ショックである。

これが、どう間違っていて、どれが正しいのか、文章で言い表すのは難しいな、どうしたら伝わるだろう、と地下鉄に乗りながらずっと考えていた。そこで、はたと気づいた。

僕は長らく、「からすまおいけ」を「きたがわけいこ(北川景子)」と同じイントネーションで言っていた。しかし、正解は違う。

「みやざきあおい(宮崎あおい)」と同じイントネーションで言うのが正しい。

これはすごい発見だ!と思ったのだが、わかってくれる人はいるだろうか。

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傾聴の旅

11月22日(火)

2日間の出張は、スケジュールをギッチギチに詰めていたわけではないのだけれど、倦怠感がひどく、しかも薬の副作用なのか、両足の裏側が炎症を起こし、歩くとかなり痛い。とくに砂利道を歩くと、ツボを刺激されるような痛さである。思いのほか体力と気力を奪われた。

今回まわったのは、2日間で3カ所だが、応対していただいた方は、いずれも初対面だったが、みなさんとてもいい方ばかりだった。というより、いま準備しているイベントのために協力のお願いの挨拶にうかがうと、いい人ばかりなのである。

ひとつだけ例をあげると、昨日は国宝のお寺を管理しているご住職にご挨拶にうかがった。仲介していただいた方からは、その住職はいい方なのだけれど多少クセのある方なので、丁寧に事を進めていった方がよいというアドバイスを受けた。実際にお会いすると、たしかにクセがあると言えなくもないが、こちらが誠実にこのたびの訪問の趣旨を説明すると、とてもよい対応をしていただき、1時間半ほど雑談することになった。

国宝といっても、規模としてはそれほど大きくないお寺で、そのご住職ひとりが管理されていると知った。なので、自分はこのお寺を預かってからは、泊まりがけの旅に出たことがない、どこに行くのも日帰りである、なぜなら、自分がいない間にお寺にもしものことがあったらたいへんだから。家族や警察や消防には、「今日は1日外出しますので、何かありましたらすぐに連絡下さい」と前もって伝えるのだという。つまりふだんは、よほどのことがない限り、お寺の庫裏にいらっしゃってお寺を守っている、というわけである。

そんな話、めったに聞けるものではない。住職と差し向かいでお話を聞くことで、初めて聞けることである。

僕はひょっとして、初対面の人とお話をすることが、苦にならないのかも知れない。というか、たぶんいろいろな人のお話を聞くことが好きなのだ。こうして、いろいろなところをめぐって、いろいろなお仕事をされている方にお話を聞くのが、性に合っているのかも知れない。

ただ、こうした裏話はなかなか文章にできないので、舞台裏を語るトークライブなどできたら面白いかな、とも思う。ま、需要がないからやらないけど。

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無事に終わったのか?無事じゃなく終わったのか?

9月29日(木)

3日間の出張が、なんとか無事に終わった。なんとか日付が変わらないうちに帰宅できそうだ。

3日目がいちばんキツかった。

午前中の用務は、昭和初期につくられた素敵な建物の中での作業である。

駐車場にレンタカーを停め、重い機材を運び出す。

その建物の門に入ろうとして、嘆息した。

門から入口まで、不揃いな形の大きな石が飛び石のように続いていて、そのうえを歩いて建物に入らなければならない。しかも、建物の玄関に入るためには、さらに数段の階段をのぼらなければならない。これが地味にキツい。

ここには何度か訪れているが、重い荷物を持って訪ねるような場所ではないことに、初めて気づいた。ま、バリアフリーなんて概念がなかった頃の建物だし、ヘタに改装すると内装の雰囲気がぶち壊しになるから、仕方のないことではある。

殺人的な重さの大きなスーツケースや、ゴルフバッグのようなソフトケースを、凸凹した大きな飛び石の上を歩きながら運び、さらにダメ押しの階段を数段のぼった。もうこの時点でゼイゼイである。この場合、スーツケースのキャスターはまったく役に立たないので、それを持って運ばなければいけないのである。

お約束していた者です、作業をするためにまいりました、と受付に告げると、今回対応してくれる方がいらして、作業部屋はどうぞこちらです、と指した方向に、2階にのぼる階段があった。

(2階かぁ…)

由緒ある建物なので、当然、エレベーターなんてものはない。しかもむかしの階段なので、かなり急である。

重い荷物を持って、えっちらおっちらと登りはじめたところで、あることに気づいた。

この建物、一般的な建物よりも、天井が高い。

2階、と見せかけて、実は3階分の高さがあるのである。

まじかー、と心の中で叫びながら、重い荷物を運び、ようやく目的の作業部屋に到着した。

作業は2時間ほどで終わり、また、同じ階段を重い荷物を抱えながら降りる。

どうもありがとうございました、と建物を出て、凸凹した飛び石の上を足下に注意しながら歩き、レンタカーに重い荷物を載せて、1件目の用務を終了した。

このあと、用務が2件ほどあり、これもまた体力勝負の作業だった。事態がキツい方へキツい方へと向かっていく、Mr.ビーンのコメディのようだ。

今日はあまりに疲れたので、この先については書く気力もないが、無事にすべての用務が終了したことだけは明記しておく。いや、無事だったのか?

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小椋佳談議

9月27日(火)

旅の空。

今朝から、いよいよ作業開始である。今回は、技師と二人旅である。

朝7時20分にホテルのロビーに集合。そこからレンタカーを借りて用務先に移動する。なにしろ機材が多いのだ。

8時半に今日の一つめの用務先に到着する。由緒正しいところなので緊張したが、対応してくれた方が気さくな方で安堵した。10時前に終了。

そこからこんどは、同じ市内にある別の用務先に向かう。午前11時に到着し、お昼休みまでの1時間、機材をセッティングし、午後から作業を始めた。床に座ったり立ったりと、なにかと足腰を使う作業が多く、地味な作業ながら思いのほか体力を消耗する。それでも効率よく作業が進み、3時半過ぎに終了した。

外に出ると大粒の雨が降っている。急いでレンタカーに乗り込み、今晩の宿泊地に向かう。今晩の宿泊地は、カーナビによれば70キロほど離れたところで、うまくいけば1時間半くらいで到着する、とカーナビは計算していた。

しかし、大雨と渋滞で、思うようには進まない。しかも二人ともこの地域の土地勘がないので、乗らなくてもいい高速に乗ってしまったり、降りたほうがいいところで降りなかったりと、意外と時間がかかった。

運転は技師さんにしてもらった。技師さんはまだ若い方で、たぶん僕よりも20歳以上年下だろう。なにしろ実質初めていっしょに仕事をするので、詳しいことはよくわからない。

それでも運転しながら四方山話をしていると、彼がTBSラジオリスナーであることがわかった。というより、最初に僕が、TBSラジオのヘビーリスナーであることを告白したんだけれども。

どんな番組を聴いているのか聞いてみると、「アトロク」とか「ニチテン」だという。その話題でひとしきり盛り上がった。

続いて音楽の話になる。ふとしたきっかけで、「小椋佳」の話題になった。

「巨椋って、おぐらって読むんですね。「木偏に京」って、むくって読むんじゃなかったでしたっけ?」

「一般的にはそうですね。でも日本ではクラと読むこともあるんですよ」

「そうなんですか」

「小椋佳っていう歌手がいるでしょう?」

「オグラケイってだれですか?」

なんと!小椋佳を知らないらしい。車中の雑談では、音楽にけっこう詳しい人のように思ったのだが…。

「『シクラメンのかほり』って歌、知ってますか?」

「ええ、知ってます。布施明の」

「あの歌を作ったのが小椋佳です」

…といっても、どうやらピンときていない様子。

「じゃあ、『愛燦々』は?」

「それも知ってます。美空ひばりの」

「『愛燦々』を作ったのも、小椋佳です」

「そうですか…」

やはりあまりピンときていない。井上陽水の「白い一日」という歌を作詞した人だ、とも言ってみたが、ますますピンとこない様子。

僕は、小椋佳が銀行員をしながらシンガーソングライターを続けていたことや、定年後は大学に編入して哲学を学んだ、という小椋佳ストーリーを解説したのだが、どれほど伝わったかは、わからない。

小椋佳を知っている世代と知らない世代が、どのあたりで分かれるのか、これは興味深い問題である。

しかしこれは世代間の差に原因を求めるべきなのか、彼個人がたんに知らないだけなのか、やや疑問が残る。なぜなら彼は「三山ひろし」を知らなかったから。

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これは何運なのか?

9月26日(月)

夕方、新幹線に乗り、西へ向かう。明日の早朝から3日間、かなりハードなスケジュールでの作業が待っている。体調がもつか、心配である。

新幹線で少しでも休もうと、3列シートの窓側の席をとった。

出発直前に新幹線に乗り込むと、僕が座る列の通路側にすでに人が座っていた。その人は、サラリーマン風の格好をした人で、太っている僕よりもかなり太っている。

(またかよ…)

僕は何度かそういう経験がある。新幹線に乗ると、必ずといっていいほど、隣に体格のいいおじさんが座っていて、座席がとたんに窮屈に思えるのだ。いつもながら、座席運がない。

まあ仕方がない。今回は3列シートの真ん中の座席空いているので、それだけでもラッキーである。

出発してからほどなくして、その通路側の座席のおじさんは、真ん中の座席に、自分が脱いだジャケットを置いた。

いつもわからないんだけど、3列シートの真ん中の席が空いている場合、それは誰のものなの?窓側?それとも通路側?

通路側にしてみたら、「おまえ、窓側の席に座っているんだから、真ん中の席くらい俺に使わせろよ」ということなのだろうか?

あるいは、先手必勝なのかも知れない。

しかしその太ったおじさんは、基本的にきわめて紳士的な態度でおられたので、とくに何事もなく、目的地の駅に着いた。その太ったおじさんも、同じ駅で降りた。

今日泊まるホテルは、駅のすぐ近くにあるホテルなのだが、初めて泊まるホテルなので、場所がよくわからない。この駅の南側には、大きなホテルが林立していて、しかもあたりが暗くなってきたこともあり、よけいに行き方が難しい。

(なんていう名前のホテルだったかな?)

覚えにくい名前のホテルだった。駅の南側を歩いていると、アレじゃないか?というホテルを見つけた。

うっすらと記憶している名前をたよりにそのホテルに入ったら、たしかにそこが自分の泊まるホテルだったので、安堵した。

ホテルのフロントで受付をすませ、自分の部屋に向かおうとすると、何となく気配を感じた。

気配をした方を見ると、なんと、さっきまで新幹線で隣の席だった、あの太ったおじさんがいるではないか!

向こうも少し驚いたようで、明らかに「二度見」していた。

しかしここで「さっきはどうも」なんて挨拶するのはどう考えてもおかしいから、何も言わずに自分の客室に向かったが、こういうのって、何運って言うの?

新幹線で隣に座った見知らぬ他人が、日本屈指の観光地といわれる、ホテルの多い町で、同じホテルに宿泊するという確率は、どれくらいだろう?

こんなことで、運を使いはたしてしまって、よいのだろうか?

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首が回らねえ

9月12日(月)

昨日の会合は、朝9時半から夕方5時近くまでの長丁場で、疲れたけれど大変充実した会合だった。

久しぶりの再会もあり、新しい出会いもあった。僕は一度にたくさんの人に会うと「人あたり」してしまうのだが、昨日はそんなことはなかった。

会合が終わってから、ひょっとして打ち上げとかあるのかな?と思っていたが、さすがにこのご時世なので、なんとなく流れ解散になった。

僕はホテルに戻ってから、むしょうにお腹がすいたので、「孤独のグルメ」を気取ってそばを食べに行った。

食べ終わって、ちょうどホテルの部屋に戻ったタイミングで、電話が鳴った。会合に参加した、同い年の友人である。

せっかく久しぶりに来てくれたのに何もおもてなしできなくてごめん、いえいえ、こういうご時世だから仕方ないね、ほんとうはビールでも飲みながらじっくり話したいと思っていたんだがな、などとひどく残念がっていたが、いつしか電話の内容は、彼のここ最近のさまざまな出来事の話題になった。

あいかわらず波瀾万丈の日常生活を送っているなあと、ジェットコースターのような彼の話術とも相まって、繰り出す話題のひとつひとつが可笑しくてたまらなかった。しかし彼は、僕と同じ、深刻な悩みを抱えていた。

それは、いろいろなところに首を突っ込んで、首が回らなくなる、ということである。

僕と彼は、必ずしも性格が似ているわけではないのだが、なぜか馬が合う。それは、「いろいろなことに首を突っ込んでしまい、首が回らなくなる」という点で共通しているからだとわかった。つまり、性格は似てないが、性分はそっくりなのである。

自分で蒔いた種、といえばそれまでなのだが、いまの僕も、いろいろと首を突っ込みすぎて、首が回らない。今日もさっそくあちらこちらから催促のメールが矢のように飛んできた。締め切りがとっくに過ぎている仕事を、すべて「今月中には必ず仕上げます」と返信してしまったが、はたしてそんなこと、ほんとうに可能なのだろうか?僕はそのことを考えただけで、パニックになる。

しかし、同い年の友人が同じ境地にあると考えると、なぜか少し安心する。諸方面の仕事の関係者にごしゃがれる前に、仕事を片付けなければと、新たに決意したのだった。

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まだ生きている

9月10日(土)

旅の空。

少し時間があったので、美術館まで足を運ぶ。「県美展」をやっていた。県美展とは、「広く県民から美術作品を公募し、優れた作品を展示することにより,創作活動を奨励するとともに,鑑賞の機会を提供し,芸術文化の向上に資する美術の祭典」である。

とくに知り合いが出品しているというわけでもなかったのだが、ここを訪れたのも一期一会、と思い、県美展を見てみることにした。こういう展覧会に足を踏み入れたことがなく、美術の素養のない僕のイメージとしては、県民の人たちが趣味で美術制作をしたものを展示する機会なのかな、と想像していたのだが、そうではなかった。

絵画や彫刻や工芸など、さまざまな美術作品が展示されているが、やはり目を引くのは絵画である。出陳作品の多さもさることながら、どの絵画も、目を奪われるほどのすばらしさである。どれも渾身の力で描いていることがひしひしと感じられた。

作品の下には、その絵画のタイトルと、名前が書いてある。さらに、その中のいくつかには、「○○賞」とか、「賞候補」といった札が貼ってある。つまり、どの絵画が賞を取って、あるいは賞の候補となったのか、あるいは惜しくもそこに届かなかったのか、などがわかるようになっている。

しかし僕が見たところ、どの作品が賞にふさわしいか、というのは、甲乙つけがたい。この作品がなぜ賞を取り、あの作品がなぜ賞が取れなかったのか、紙一重の問題ではないかとも僕には思われたが、きっと見る人が見れば、賞にふさわしい作品と惜しくもそうでない作品には、それなりの違いがあることがわかるのかもしれない。

僕が印象に残ったのは、老人男性を描いた絵画、おそらく自画像であろうか。その老人の部屋には、横尾忠則の肖像画と、ゴッホの「アルルの跳ね橋」の絵が飾ってある。ゴッホの「アルルの跳ね橋」は、黒澤明監督の映画『夢』に登場していたので、すぐにわかった。その老人が気に入っている絵画だろうか。

この絵画のタイトルを見ると、「まだ生きている 描いている」とあった(正確ではないかも知れない)。僕はその絵画に描かれている老人男性の境地を思い、まだそこまでの境地に達していない自分とを、重ね合わさずにはいられなかった。

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