旅行・地域

雪中行軍

12月13日(月)

朝起きると、雪が降っているのがホテルの窓から見えた。そういえば、今日は北日本を中心に荒れ模様になると、ニュースで言っていた。

ホテルから在来線で2駅乗った場所が、今回の用務先である。駅を降りると、雪がかなりの本降りである。

「建物までは駅から歩いて10分ていどですので、歩いておいでいただけますが、もし必要ならば、駅までお迎えにまいります」

と、事前のメールをいただいていた。どうしようかなあと考えたあげく、「荷物が重いと思うので、可能であれば迎えに来て下さい」とあらかじめ連絡しておいてよかった。仮に「歩いてうかがいます」などとうっかり答えたら、大雪の中を重い荷物を持って歩かなければならなかっただろう。

今回は、二人の方と再会した。

一人は、私より年上のAさん。僕は記憶になかったのだが、「前の前の職場」にいたとき、本務でAさんの職場に訪れたことがあり、そのときに挨拶を交わしたという。ということは、20年近くまえのことだな。

もう一人は、私より年下のBさん。僕が「前の前の職場」に赴任する前に、あるところで1年ほど一緒に学んだ方である。1998年くらいだったろうか。やはり20年以上前のことだ。

つまり僕は、ほぼ20年ぶりに再会したお二人と、一緒に仕事をすることになったのである。

以前にお会いした人と、さまざまな縁があって20年ぶりに再会して一緒にお仕事をする、というのは、人生、まったく無駄がない。大林宣彦監督は、映画づくりの場で俳優と再会することを無上の喜びとしていたが、それに近い感慨がある。

Bさんは、20数年前の雰囲気を、そのままとどめていた。

「現場にご案内します」と、昼食後にBさんが言った。

(現場って、大雪じゃんかよ…)

と、内心思ったが、むしろ大雪の現場がどんな感じなのかを、見てみたかった。

お昼過ぎになると、雪があっという間に積もり、あたりは一面、白銀の世界である。

右を向いても左を向いても真っ白な世界のなかを、Bさんについて歩いて行くのだが、マスクをしながら歩いているせいで、眼鏡が曇って前が見えない。前をどんどん進んでいくBさんの姿がぼんやりと見える程度である。

(こりゃあ、勘で歩くしかないな…)

積雪を踏みしめながら、歩いていると、

ズボッ!!

と、落とし穴みたいなところにハマってしまった。

(なんじゃこりゃ!)

足下を見ると、どうやら小さな溝にハマってしまったらしい。

(アブねえ)

慎重に歩くことにする。

前を歩いていたBさんがようやく立ち止まった。

「ここです」

(ここ…って、真っ白で何も見えない…)

Bさんは、あそこがああで、こちらがこうで、と熱心に説明してくれているのだが、真っ白で何も見えないし、なにより雪がガンガン降っているので、そっちの方が気になっちゃって、内容が頭に入ってこないのだ。

それでも愚直に説明するBさんは、20年以上前の姿そのものだった。

現場検証は30分ほどで終わり、雪の中を歩いて、溝に注意しつつ、建物に戻った。

わずか1日の滞在だったが、AさんやBさんの丁寧なアテンドや、さまざまな意見交換のおかげで、とても充実した1日になった。

「またうかがいます」

「今度は雪のないときにどうぞ」

来月も行くつもりでいるが、また大雪になるかもしれない。

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オンライン会議の現実

11月30日(火)

少し前に、「こっちがほんとの『オンラインオフ会議』」というエピソードを書いた。

オンライン会議が苦手な人や、オンライン会議に参加できる環境にない場所にいる人に対して、ボタンを二つ押すだけでオンライン会議に参加できるという画期的なシステムを開発中で、先日、そのデモンストレーションが行われたのであった。

しかし、そのときにデモンストレーションに参加したメンバーの反応は冷ややかであった。曰く、

「いま、これだけオンライン会議が普及していて、オンライン会議に慣れている人が多い中で、どれだけ需要があるのか?」

とか、

「コロナ禍が2年近く続いているにもかかわらず、いまだにオンライン会議に対するアレルギーがある人は、どんな簡単なシステムを使っても参加しないのではないか」

といった意見である。

僕はその意見に違和感を抱き、反論した。

「たしかにうちの職場ではオンライン会議をあたりまえのように行っていますが、たとえば、地方自治体の職員さんなど、対面会議が主流であるところは、オンライン会議に慣れていない場合が多いのではないでしょうか。実際、そんな体験をしたことがあります。」

しかし、僕の反論は、あまりピンとこないようだった。

さてこの日、新幹線と在来線を乗り継いで2時間近くかかる町まで行き、その町の庁舎の会議室で対面とオンラインとの併用、すなわちハイブリッド会議に参加することになった。

もちろん僕も、その会議にオンラインで参加することもできたのだが、この日はたまたま1日空いていたことと、コロナの感染状況が落ち着いていること、そして、久しぶりにその町に訪れたいと思ったことなどから、現地参加することにしたのである。

前回の8月の会議では、オンライン参加したのだが、オンライン会議に慣れていないせいなのか、さまざまなトラブルに見舞われ、しばしば会議が中断した。しかし今回、現地参加をして、そのトラブルの真の理由が、はじめてわかったのである。

現地参加の委員は僕を含めて2人、そのほかの5人はオンライン参加とのことだった。あとはホスト役をつとめる事務スタッフである。

会議室に着くと、広い部屋に、タブレット端末が2台置いてある。

「こちらにお座りください」

と、タブレットの置いてある机の前に座らされた。

「申し訳ありません。会議用の端末が2台しかありませんので、現地参加のおふたりにはこのタブレット1台を共用してください」もう1台は、ホストである事務スタッフ用のタブレットである。

「それはかまいませんが、庁舎内にはノートパソコンが山ほどあるでしょう?それは使わないのですか?」

「使えないのです」

「どうしてです?」

「ふだん使っているノートパソコンは、セキュリティーの関係上、ネットワークが異なるため、オンライン会議の端末としては使えないのです」

「そうなんですか」

「しかも、オンライン会議専用のタブレット端末が、この庁舎内には全部で8台しかありません。ここ最近、各部局でオンライン会議を行うようになりましたので、8台の端末の取り合いになっているのです。で、今日はなんとか2台だけ確保できた、という次第でして…」

「それは不便ですね。しかも端末がタブレットだけだと、使い勝手が悪いでしょうね」

「ええ、そうなんです。タブレットだと、画面共有もできないので、それが困ります」

思い出した。前回の8月の会議でも、画面共有をまったくしなかったので、やり方がわからないのかな、と不審に思ったのだが、そもそもできない仕組みになっていたのだ。

「しかも、オンライン会議システムのアプリは、ZoomとかWebexといった使い勝手のよいものではなくて、どちらかと言えば使い勝手の悪いアプリですよね」

「ええ、うちの庁舎では、このアプリしか使えないようでして…。ほかの自治体も同じでしょうか」

「いえ、違うところもありますよ」僕は、他のアプリを使っている自治体の事例を紹介した。

やがて会議が始まった。前回と同様、オンライン会議はトラブル続きで、しばしば会議は中断した。

しかしそれは、僕が漠然と考えていたような、オンライン会議に慣れていないから、という理由ではなく、庁舎内でのオンライン会議システムがいかに使い勝手が悪いかという、構造上の問題に由来することがはっきりしたのである。

「オンライン会議なんて、いまやみんな慣れているさ」と、あのときの会議で発言した人と、僕とでは、見ている風景がぜんぜん違っているのだという思いを、僕は帰りの新幹線の中で、噛みしめたのだった。

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Dream Library

11月3日(水)

郊外の町に、「Dream Library」と呼ばれる場所があることを知ったのは、昨年冬のことである。

僕はそのとき、職場の業務のために訪れたのだが、実際に現地の建物の前に立ってみると、想像していたのとは異なり、小さなビルの一室が、そのスペースだったことに、まずは驚いた。

(これがDream Libraryなのか…?)

つまり正直なことをいえば、「言うに事欠いてDream Libraryだなんて…」というのが第一印象だったのである。

しかし、その小さな一室の扉を開けて、中に入ったとき、その第一印象が間違っていたことに気づいた。

(やはりここはDream Libraryだ!)

もう少し正確に言うと、僕の業務は、一瞬で終わるものだったのだが、その部屋を管理している管理人の方の説明を聞いているうちに、

(これはまぎれもなくDream Libraryだ!)

という思いを強くしたのである。

本来の目的である業務は5分程度で終わったのだが、その後に管理人の方が、この施設について説明してくれた内容が飛び抜けて面白く、つい1時間ほど長居をしてしまったほどである。

訪れたのが夕方の遅い時間だったこともあり、

「また今度、あらためてうかがいます」

と言って、後ろ髪を引かれるようにその場所を後にした。

しかしさて、そうは言ってみたものの、再訪する機会などはたしてあるのだろうか、と思っていたら、意外と早くその機会は訪れることになった。いま職場で行っている、あるプロジェクトを進めていく上で、「Dream Library」の助けを借りる必要があるのではないか、ということに思い至り、プロジェクトを一緒に進めているメンバーに、

「以前業務で訪れたDream Libraryという場所が、このプロジェクトを進めていく上でかなり参考になると思いますよ」

と提案したところ、それは面白そうなので、新型コロナウイルスの感染状況も落ち着いたことだし、行ってみましょう、ということになったのである。今回は総勢4人である。

小さなビルの2階の一室、扉の呼び鈴を鳴らすと、以前にお会いした管理人の方が出迎えてくれた。管理人は、僕の顔を見ても覚えていないようだったので、

「昨年、うちの職場の業務でここに訪れた者です。今回は、別のプロジェクトでこちらに参りました」

「そうでしたか。ささ、中へどうぞ」

まだほかの3人は来ておらず、僕が一番乗りだった。

僕は、今回の訪問の目的を伝え、いまこういうプロジェクトを進めているのですが、進めていくうちに、ヒントになるような本がここにあるのではないかと思い、今回、おたずねした次第です、こういったことや、ああいったことを知りたいのです、と矢継ぎ早に質問をすると、

「ああ、それはこれこれですね。…ありますよ」

「あるんですか?では、こういったことも知りたいんですが、それに関するものはありますか?」

「それもありますよ」

「あるんですか!?」

むかし、検事を主人公にしたドラマで、主人公がバーのマスターにどんなに無茶な注文をしても、そのマスターが、

「あるよ」

と言って注文された料理やお酒を出す、という場面が有名になったけど、そんな感じなのだ。

やがて、プロジェクト仲間の3人が遅れてやってきた。

管理人は、その3人にも丁寧な説明をすると、たちまち3人もその「管理人ワールド」の中に引き込まれた。

説明を聞いているうちに、3人それぞれ、自分の中からいくつもの質問がわき上がってきたようで、矢継ぎ早にいろいろと質問をすると、管理人はそれに全部答えてくれるばかりか、

「それに関係するものもありますよ」

と言う。あるんかい!と心の中でツッコんだ。

僕は最初、今回の訪問は、それほど時間がかからないだろう、と高をくくっていたのだが、さにあらず、結局、その一室にこもりっきりで、5時間以上過ごすことになった。管理人が、こちらの期待以上の本を次々と出してくれるのだ。

途中、プロジェクト仲間の一人が、隣にいる僕に小声で僕に聞いた。

「あの方、いったい何者なんでしょうね」

「さあ、僕もよく知りませんが、とにかくどんな質問にも答えてくれるんですよ」

「そうですよねぇ。すごいなぁ」

職業柄これまでいろいろな「変わり者」を見てきたであろうその人も、管理人のあまりの博覧強記ぶりに、驚いた様子だった。

1時から始まった調査が、あっというまに午後6時を過ぎ、それでも終わらなかったのだが、いよいよ失礼しなければならない。

「今回の訪問だけでは見切れませんでしたので、またあらためてうかがいます」

「いつでもどうぞ。お待ちしております」

この狭い一室が、まるで底なしの沼のような無限の空間のように思えた。

やはりここは、Dream Libraryなのである。

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ミッション

8月1日(日)

久しぶりの出張である。新幹線と私鉄を乗り継いで、西に向かう。

ずいぶん前から決まっていたことで、先方の事情もあることなので、こんな状況でも、行かなくてはならない。

今回は1泊だけで、前日の日曜日は移動日なのだが、本務とは別に、ミッションがあった。

このブログでも何回か書いているが、米国在住の日本人ジャーナリストから、78年前に日本人が書き残した手帳が米国にあるので、それを解読してほしいという依頼が来ていた。なぜ日本人が書き残した手帳が米国にあるのかについての説明は省略する。

手帳の持ち主だった人の名前はわからないのだが、手帳に書かれているメモから、その人物の行動履歴を復元できるのではないかと思い、断片的な記述から、あれこれと想像して読んでみた。だがなかなか手がかりはつかめない。

すると、そのジャーナリストの方から、ひょっとしたら手がかりになる可能性のある本が、僕が出張に行く県の図書館にあるかもしれない、という連絡を受けた。そのジャーナリストの方は、すでにその図書館の司書の方と連絡をとっているらしく、司書の方も、それについて関係しそうな本を探し出してくれているという。

ぼくはたまたまその県に出張する機会があり、しかも日曜日が移動日なので、少し早く家を出て、その日は図書館で手帳に関わるかもしれない本について閲覧できるかもしれない、と、ジャーナリストの方に伝えると、さっそくその図書館の司書の方に連絡をとってくれて、

「その日は司書の方も出勤されていて、鬼瓦さんが行けばあらかじめ関係ありそうな本を準備してくれるそうです」

と返事が返ってきた。

こうなるともう、引くに引けない。僕はその県の図書館に行ったことがないので、その興味もあり、体調を気にしながら家を早めに出ることにした。

家を出てから4時間半ほどかかって、午後2時過ぎに、その図書館に到着した。

司書の方にご挨拶すると、すでにカートの中にたくさんの本が準備されていた。

「関係ありそうな本を集めてみました」

本には1冊1冊、その司書の方による付箋が挟み込まれていて、その本が何に関する本なのかが端的に書かれていた。その丁寧な仕事に、司書の方のプロ意識を垣間見た。

あまり時間もないので、1冊1冊めくりながら、関係ありそうな頁を選び、最後にまとめて複写することにした。

そんなこんなで4時間半、ぶっ続けで閲覧をし、最後の方にはもう目がショボショボして頭がはたらかなくなった。

結論から言うと、その手帳の持ち主に関わる直接的な情報は得られなかったのだが、手帳に書かれた断片的な記述から、その人物の立場や行動履歴をあるていど復元できそうである。ホテルに戻り、そのことを簡単にまとめて、米国在住の日本人ジャーナリストに速報的にメールを書いた。

すっかり疲れてしまった。明日の本務に差し支えないようにしないといけない。

 

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疱瘡神社の謎

高校の後輩が元旦にSNSで書いていたことがなかなか謎めいていた。

その後輩は、毎年正月に義母の家で過ごすことになっている。東京の隣県、といっても、かなりの田舎町である。都内から電車を乗り継いで3時間くらいかかるところじゃないだろうか。

毎年、初詣は電車に乗って一ノ宮と呼ばれた神社に行くそうなのだが、今年は密を避けるため、車に乗って、ふだん行かなそうな小さな神社に行くことにした。

グーグルマップで周辺を見てみると、ポツンと「疱瘡神社」という神社がある。誰も行かないような、小さな神社のようだ。

やはり新型コロナウィルスを乗り切るにはここにお参りするしかない、と思った後輩は、その神社をめざして車を走らせた。

ところが、である。

なんと神社があった場所は整地されていて、社殿も何も跡形もなくなっている。真新しい階段とスロープがあり、上ると地面になにやら糸が引かれている。神社が取り壊され、再建されるのだろうか?とその後輩は思ったという。

あるはずの場所に神社がないことに驚いたその後輩は、別の神社(熊野神社)に初詣に行くことにしたのだが、その神社に着くと、社殿の屋根のあたりに今度はハーケンクロイツがあることを発見して、これはいったいどういうことだ、と、不思議な思いをして帰ってきたというのであった。

後者については措くとして、僕が興味を持ったのは、疱瘡神社の件である。

いったいなぜ、更地になっていたのだろう?

僕はそのことが妙に気になり、疱瘡神社という神社名を手がかりに、インターネットで調べてみると、2019年10月に訪れた人のレポートを発見した。おそらく後輩が訪れたのと同じ疱瘡神社である。

そのレポートによれば、その時点で神社はすでに跡形もなかったようである。ただ、その9か月前のGooglemapの投稿では、小高い地形の上に小さな社と社殿があったことが確認できたと、そのレポートには書かれていた。

つまり、2019年1月の時点では、社殿は確実に存在していたのである。

それから2019年10月までの間に、どのような事情があって、社殿が忽然と姿を消したのだろうか?

うーむ。これは謎めいているぞ。

このことを後輩にコメントしたら、

「やはりこのコロナ禍は疱瘡神社の社殿を取り壊したことで封印されていた魔力が世界中に解き放たれたからに違いない!」

という荒唐無稽な仮説を立てていた。

いやいや、僕が知りたいのは、疱瘡神社がなぜ忽然と姿を消したのか?ということである。

僕の仮説は、「疱瘡神社が漂流教室みたいにタイムスリップしてコロナで人類が絶滅した未来を漂流している」というものなのだが、これもまた荒唐無稽である。

ま、これだけの情報では、どこの疱瘡神社かはわかるまい。

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最後5分の国際交流

11月7日(土)

木、金、土と、韓国留学の際にお世話になった先生が主催する国際会議がおこなわれた。日本と中国と韓国から、50名ほど集まってそれぞれが発表をする大規模なイベントである。

もちろん、コロナ禍で韓国に行くことができないので、日本側の参加者も中国側の参加者もすべてオンライン参加である。

僕は初日(木曜日)の夕方に20分ほど発表することになっていた。

会議自体は、午前9時から始まっているのだが、この日は午前10時から午後3時まで、職場で二つの会議があり、参加できるのは、実質上は自分が喋るグループの時間帯だけである。

午前10時から始まった一つ目の会議は、思いのほか長くかかり、お昼ご飯を食べる時間がないまま、午後1時からの会議に突入した。

午後3時に会議が終わった頃にはもうヘトヘトである。

自分が発表する頃にはもうすっかり疲れ切ってしまって、頭もはたらかなくなり、20分の発表はもうボロボロだった。

(我ながらひどい発表だったな…)

2日目(金曜日)も朝から夕方まで国際会議が続いたが、僕は別の仕事があり、まったく参加することができなかった。

そして3日目(土曜日)。午前中は2歳7か月の娘を病院に連れて行ったり、自分のかかりつけの病院に行って薬をもらいに行ったりしてあっという間に終わり、午後も娘の面倒を見ていたらあっという間に夕方になってしまった。

夕方5時過ぎ、国際会議にオンラインで参加すると、最後のグループの発表と討論も終わり、閉会の挨拶が聞こえてきた。いよいよ3日間のフィナーレ、大団円である。

結局、3日間ぶっ通しの国際会議に、僕はほとんど参加することができなかったのだが、閉会の挨拶のときくらいはせめて、ビデオをonにして自分の顔を見せて、お世話になった先生の閉会の挨拶を聴かなければならない。オンライン参加者は全員、ビデオをonにして閉会式に参加した。

せっかくだから、画面に娘を登場させよう、と思い立ち、娘を抱き上げて画面に一緒に映ることにした。

すると、画面上で参加している人たち、とくに中国の人たちから、笑みがこぼれたのがわかった。僕が娘と一緒に映っている姿に、気づいたのだろう。

僕が娘を登場させたことに触発されたのだろうか。ある中国人の先生は、おそらく僕の娘と年がそれほど変わらないと思われる、自分の息子さんを画面に登場させて、手を振った。

何気ないことなのだが、その中国の先生も、実は小さい子どもと一緒に自宅で過ごしながら、その会議に参加していたことがわかる。僕はその先生のことをまったく知らないのだが、そこで一気に、親近感がわいたのである。たぶん向こうもそう感じただろう。

僕もまた、娘の手を取り、パソコンの画面に向かって手を振った。

「ではみなさん、こんどはマイクをonにしてください。韓国では、最後、お別れのときに『アンニョン!』といいます。みなさんでいっせいに、『アンニョン!』といってお別れしましょう」

司会者にうながされ、韓国人も中国人も日本人もみんな、

「アンニョン!」

と言って手を振って、にこやかな顔で、国際会議は終了したのであった。もちろんうちの娘も、画面に向かって手を振った。

娘の登場で、国際会議は和やかな雰囲気で終わった。してみるとうちの娘は、国際親善に大きな役割をはたした、というべきだろう。

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トラック野郎との再会

9月10日(木)

なんと、今年度になって初めて、新幹線に乗っての日帰り出張である。

そういえば4月からのコロナ禍以降、新幹線に乗っていない。あやうく乗り方を忘れるところだった。

今回の出張は、10月からうちの職場で始まるイベントのための準備作業である。

朝6時に家を出て、新幹線と地下鉄を乗り継いで、最寄りの駅に着いたのが9時半。

今日、一緒に作業をする「トラック野郎」のOさんが改札の外で待っていた。

「ご無沙汰しています」

「よろしくお願いします」

Oさんとは、一昨年に職場の中で一緒に仕事をしたが、トラックに同乗しての仕事は6年ぶりである。

午前中に1件、午後に1件まわることになっているのだが、先方にうかがう時間が決まっているので、時間を調整するために、トラックの中で時間をつぶすことになる。

そのときのOさんのお話が、僕にとってはなかなかの楽しみで、仕事上でのこれまでの武勇伝や、これまでの仕事の経験で培われた豊かな教養、といったものを聴くことができる。といって決して自慢げにお話しするわけでもなく、なかなかの思索的なトラック野郎なのである。

午前中の用務をひとまず無事に済ませた。

「うちらはトラックの中で昼飯を済ませますんで、どうぞ食事に行ってきてください」

Oさんとその相棒の若いIさんは、トラックの中で食事を済ませるらしい。僕はトラックを出て、近くのおそば屋さんで昼食をとった。

しばらくしてトラックに戻ると、Oさんは文庫本を読んでいた。やはり思索的なトラック野郎である。

午後の約束の時間までまだ少しあったので、トラックの中で再びOさんのお話を聴いた。

「さ、そろそろ行きましょうか」

午後の用務先は、思った以上に大変だった。ま、気軽な気持ちで考えていた僕のほうが悪いのだが。

(うーむ。どうも追い詰められていくなあ…)

しかし、今日は先方の指示に全面的に従わなければならないので、とにかく先方に失礼のないように、こちらも辛抱強く対応する。

その間、トラック野郎の2人はじっと近くに控えていて、僕の作業のペースに合わせて、自分たちの作業を進めていく。

30分くらいで終わると思っていた作業は、2時間以上かかってようやく終了した。

僕は先方に丁寧にお礼を言って、トラックに乗り込んだ。その途端、どっと疲れが出た。

「いやあ。面食らいましたなあ」

とOさん。

「Oさんもそう思われましたか?」百戦錬磨のOさんにとっても、あまりない経験らしい。

「ま、ともかく無事に終わってよかったです」

トラック野郎の2人が味方になってくれていると確信していたので、僕は心が折れずにすんだのであった。

それにしても、体力が低下しているせいか、久しぶりの出張は思いのほか身体にこたえる。

帰宅して、泥のように眠った。

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新幹線事情

3月22日(日)

またまた、日帰り出張で西に向かう。いま、行きの新幹線の中である。

新幹線は、コロナウィルスの影響で、例によってガラガラである。

東京駅で新幹線の切符を買おうと、窓口で、

「いまから乗る新幹線で、E席の取れる新幹線をお願いします」

と言ったら、

「いい席ですか?」

と聞かれた。良い席?

「いや、その…Eの席です」

「ああ、Eの席ですね。だったら、どの新幹線も大丈夫ですよ」

無事に、早めの新幹線のE席を確保することができた。E席とは、2列シートの窓側である。

新幹線に乗り込むと、やはりガラガラである。3列シートなんて、ほとんど座っている人がいない。

ところが、である。

僕が座っている列の、通路を挟んで隣の3列シートには、作業着を着たむくつけき男ども3人が、ビッチリと並んで座っているではないか!!!

どういうこっちゃ???

他の3列シートは、がら空きなんだぜ。にもかかわらず、どうして、3人並んで席を取っちゃったんだろう?

どうやら会社の同僚らしいので、何か仕事の打ち合わせでもあるのかな?と思ったのだが、3人はまったく会話をする気配がない。

まったく言葉を交わすことなく、ただたんに、窮屈そうに座っているだけなのである。

明らかに他の席が空いているのだから、ちょっと融通を利かせてばらけて座ればいいのに、と思うのだが、ずーっと律儀に3人並んで座っていて、誰も席を動こうとしない。

こっちからすれば、車両のこの部分だけ、人口密度が高いのだ。つまり、感染の確率が高くなっているのである。まったく、迷惑な話である。

どうしてこんなふうになっちゃうのだろう?

僕が新幹線に乗っているとき、いつも思うことなのだが、同じ会社の人間の何人かが出張のために新幹線に乗っている光景をよく見かけることがある。

すると決まって、彼らは隣同士の席を取ったり、4人とか6人の場合は、席をボックスにしたりして、座っているのである。

家族や友人と旅行に行くならばそれは当然だが、仕事で同僚と出張するときに、新幹線で隣同士の席に座るというのは、僕にとって死ぬほど耐えがたい。往復の移動くらいは1人にしてくれよ、と思う。

だが、多くのサラリーマンたちは、おそらくそれを苦としないのである。

この背景には、この国の社会に宿る同調圧力が存在すると、僕は仮説を立てているのだが、いま、僕の横で3列シートに並んで座っている作業服の男たちも、その同調圧力に慣らされた結果、「空いているので席を別々に座る」という融通が利かなくなっているのではないだろうか。

考えすぎか?もちろん、こんなことを考えるのは、その人たちにとって「よけいなお世話」なのかも知れない。

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新幹線日帰り出張

3月16日(月)

日帰りで西に向かう。新幹線と在来線を乗り継いで、3時間以上かかる場所である。

3年後くらいに大きなイベントを担当することになってしまい、そのために、これからお世話になるところにご挨拶にうかがうことにしたのである。手始めに、昨年(2019年)の1月にも一度訪れたことのある、関西のある大学を訪問することにした。

こういう下交渉というのは、実に苦手である。もともと非社交的で、座持ちが悪いので、どうしてよいかわからなくなる。だが仕事なので仕方がない。

以前にもお会いしたベテランのスタッフの方のとなりに、若手の方がおられた。

「はじめまして」

と名刺交換をすると、

「鬼瓦先生、以前、M市に何度か来られてましたよね」

という。

「はあ」

九州のM市には、2016年度から2018年度の3年間のプロジェクトの際に、3回ほど訪れたことがある。

「私、ここに来る以前は、M市につとめておりまして、鬼瓦先生がM市に来られたときに、Kさんの部下として同席しておりました」

「そうでしたか!」

…といっても、まことに申し訳ないことに、記憶がない。

そのときのプロジェクトでは、おもにkさんという方と一緒に仕事をしたのだが、その方は、Kさんの部下として、その場に居合わせていたというのだ。

こういうときって、実になんというか、決まりが悪い。

相手は自分のことを覚えていても、自分が相手のことを覚えていないというのは、相手にとって感じ悪いことではないだろうか。そう思うと、つい、自己嫌悪に陥ってしまうのである。

あとでインターネットで調べてみると、その方は、どうも2017年4月にいまの職場に移られたらしい。僕が九州のM市を訪れたのは、2015年の3月11日と、2016年の8月と、2018年の12月の3回だったので、おそらく、2015年の3月か2016年の8月に訪れたときにお目にかかったのであろう。

それにしても、九州のM市から関西の大学へと、一見まったくつながりのない職場に移られたにもかかわらず、僕がその二つの職場に関わって、しかもまったく別のプロジェクトで、その方とお目にかかるというのは、なんという奇跡であろうか。

我ながら引きが強いと思わざるを得ないが、もうあんまり驚かなくなった。人はいろいろなところでつながっているのだ。

その方には、今度のプロジェクトに正式に加わっていただくことになった。僕にとってみれば、以前にお目にかかったことがあるという気安さで、グンと仕事がやりやすくなった。

こういうことがあると、ちょっとした出会いも、おろそかにしてはいけないものだと、痛感する。

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たった5分のプレッシャー

2月23日(日)

2日間にわたる北の町での「同業者祭り」が無事に終わった。

今回、僕がどうしてもこの「同業者祭り」に出席しなければならなかった理由は、コメンテーターを依頼されたからである。

「2日目の最後に、登壇者の方々の報告をふまえてコメントを5分程度でお願いします」

といわれたのは、10日ほど前のことだったか。

事前に送られてきた資料を見ると、登壇者は百戦錬磨の猛者ばかりで、

(こんな猛者たちを前にして、俺は何をコメントしたらいいのか?)

と、すっかり不安になってしまった。

少しでも不安を解消するために、あらかじめ読み原稿をつくってみたのだが、その読み原稿が、会の趣旨に合った内容なのかどうかもわからず、ますます不安になってしまった。

(うーむ。困った)

コメントは、「同業者祭り」の最終盤にあてられているので、たった5分のこととはいっても、初日からずーっとそのことが気にかかってしまい、気が滅入る一方である。しかも、

「2日目は、新幹線の時間の都合上、3時に終わらせないといけませんから、発言は時間を厳守して下さい」

と言われる。つまり、あんまりだらだらとコメントを言わないように、という意味である。

読み原稿を読み返してみると、7~8分はゆうにかかりそうなので、

(うーむ。どこかを端折らないといけないなあ)

と、またそこで悩んでしまった。

いよいよ、午後1時15分から午後の部が始まる。

それにつけても気になるのは、時間である。

(うーむ。このままのペースだと、いよいよ僕のコメントは短めにしないとダメかもな)

などと、登壇者の話そっちのけで、そのことばかりが気になってしまった。

そして2時半過ぎ。

「でほ鬼瓦先生、この件につきまして、コメントをお願いします」

結局僕は、一心不乱に原稿を読み上げた。時間を気にする余裕などなく、言いたいことが伝わったのかどうかもわからない。

その後も討論やコメントが続き、予定の3時を7,8分ほど過ぎて、会は終わった。

あれだけの盛りだくさんの内容で、ほぼ時間どおりに終わらせたのは、司会進行の方の手腕によるところが大きいだろう。

さて、帰りの新幹線の時間は、3時39分。会場から駅までは、歩いて10分程度かかる。

会が終わり、急いで会場を出ると、外は吹雪いていた。

僕は冷たい横風に震えながら、駅へと急いだ。

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