旅行・地域

イノダコーヒ三条店

私はべつにコーヒーに詳しいわけでもこだわりがあるわけでもないのだが、喫茶店に行くのは好きである。過去にブログで書いた記事を引用する。(2010年11月6日条)

「京都に行くと、必ず立ち寄る喫茶店がある。

三条通にある有名な喫茶店。

店の中に入ると、奥に円形の大きなカウンターがある。

そのカウンターの中で、2,3名の店員がひたすらコーヒーを入れている。

言ってみれば、厨房の周りに、客が座るカウンターが取り囲んでいるのである。360度を取り囲む客に見られながら、店員たちは黙々とコーヒーを入れている。

コーヒーを入れる店員は、いずれもおじさんだが、そのおじさんはみな、黒い蝶ネクタイに白衣のようなジャケット、といういでたちで、それがなかなかに格好良い。

円形のカウンターに座る客たちは、ひとくせもふたくせもあるようなおじさんたち。黙って新聞を読んだり、もの思いにふけったりしている。常連の客も多いようで、店員は、コーヒーといっしょに、その客の愛読する新聞をサッと差し出したりしている。

私はこの雰囲気が好きで、京都に来ると立ち寄るようになった。抵抗なく入れるようになったのは、私がおじさんになった証拠か。(中略)

平日の昼間にもかかわらず、円形のカウンターはほぼいっぱいである。平日の日中から500円のコーヒーを飲みにくるこの人たちは、いったいどういう人たちなんだろう、と想像をめぐらせるのも、また楽しい。(後略)」

過去にそう書いた喫茶店の名は、「イノダコーヒ三条店」である。京都に訪れるたびに、時間があるとその喫茶店に立ち寄っていた。何をするかというと、ただボーッとしているだけである。あと、持ってきたり買ってきたりした本をたまに読んだりする。つまり僕にとっては「ラーハな時間」を過ごす場所なのだ。

ところが2022年4月に行くと喫茶店の跡地が更地になっていた。閉店したのかと思いきや、2023年春を目処にリニューアルすると書いてあった。

それ以降、京都に行く機会が減り、その度にイノダコーヒ三条店のある場所を訪れたが、更地のままだったと記憶する。その後長期の病気療養に入ってしまったため、京都出張をしなくなってしまった。

どうしてこの喫茶店のことを今頃になって思い出したかというと、友人からのメールに、イノダコーヒはKEY COFFEEの子会社になったという情報が書いてあったからである。

気になって検索してみると、イノダコーヒ三条店は2024年10月にリニューアルオープンしたようで、オシャレな外観になったが、かつての円形のカウンターは残っているようだった。ますます人気店になったようで、もう気軽な気持ちで入られないかもしれない。ましてやオーバーツーリズムなこのご時世では、客層もずいぶん変わっているかも知れない。

友人のメールには、「いずれ偵察に行ったら報告します」あった。それを期待する。

| | コメント (0)

痛みに耐えてよく頑張った!

2月26日(水)

まったく、よく働くねえ。

いまの僕は、咳もほとんど出なくなり、口内炎もなくなったのだが、いまの最大の悩みは「足が痛い」ことである。足の裏ではない。footではなくlegが痛いのである。歩くスピードも極端に遅くなってしまったし、階段を昇ったり降りたりするのにもかなりの勇気が必要になってしまった。だからできるだけ歩きたくないのである。

しかしそうも言ってられない。今日は某所から仕事の依頼を受け、そこに行かなければならないのである。新幹線と在来線を乗り継いで3時間ほどかかる北の町である。

よほど体調不良でキャンセルしようかと思ったが、この日しか空いている日はないし、仕事の依頼をいただくだけでもありがたいことなので、断るわけにはいかなかったのである。

もうひとつの敵は寒波だ。雪こそ降らないものの、冷たい風が嵐のように襲ってくる。今年はこの寒波のせいで体調がおかしくなったと言っても過言ではない。

健康な頃だったら何てことない日帰り出張なのだが、足を痛めている僕にとっては命がけである。

結局、片道3時間、用務2時間半、合計8時間半ほどの弾丸出張となった。しかしその間の徒歩移動でかなり時間的にロスをして、予定よりかなり遅く帰宅することになった。あ~疲れた。

| | コメント (0)

勝つか負けるか、ホテル朝食バイキング

2月23日(日)

最近は朝食バイキングが付いているホテルに泊まることが多い。

ホテルの朝食バイキングには勝ち負けがある、とTBSラジオの「東京ポッド許可局」という番組で話題になったことがある。たしか安住紳一郎さんも自身のラジオ番組で言っていたかと思うが、記憶が定かではない。

バイキングとはおのれ自身との戦いである。美味しそうな料理に惹かれてあれもこれも皿の上にてんこ盛りで乗せたら、結局量が多すぎて朝から満腹モードになり、その日の活動にも悪い影響を与える。これは「負け」である。

もうね、カレーなんか出てきたら、すべてカレーに持ってかれてしまう。地元でしか食べられない料理がほかに並んでいたとしても、カレーには勝てない。やはりこれも「負け」である。

だからバイキングには戦略が必要なのだ。そしてどんなに誘惑されてもその戦略を揺るがしにしない勇気も必要である。

さて、昨夕、1日目の用務が終わってホテルにチェックインすると、フロントでこんなことを言われた。

「朝食はバイキング形式で、朝の6時から9時までご利用できますが、明日は団体客が早い時間にご利用になりますので、時間をずらして朝食会場においでください」

つまり朝一番に行くと団体客で混んでいるので、少し遅めに来いというのである。

翌朝。つまり今朝。

少し遅めに朝食会場に行くと、すでに団体客は食べ終わったらしく、席にかなりの余裕ができていた。まずこれは、僕にとっては「勝ち」である。

トレイの上にお皿を置いて、さぁ料理を取ろうと思ったら、なにやらいい匂いがする。

カレーではないか!僕はつい誘惑に負けてカレーに手を出してしまった。しかも「地中海カレー」って書いてあったんだぜ。ここは地中海でもないのに。

仕方がない。あとはカレーを中心に座組を考えるしかない。

カレーの横を見ると、やれヒレカツだのクリームコロッケだのフライドポテトだのと、やたらとジャンキーな料理が並んでいる。

僕はそういうジャンキーなものが嫌いではないので、誘惑に負けてひととおり手を出してしまう。これでは完全に僕の「負け」である。

それにしても不思議である。このホテルは地元の名物などよりもなぜジャンキーな料理ばかり出しているのか?

その謎が解けた。簡単なことである。

その「団体客」というのは、修学旅行の生徒たちだったのだ。

おそらく今朝のバイキングは、修学旅行の生徒たちが好きそうな料理ばかりをチョイスした特別バージョンだったのではないだろうか。そしてそのおこぼれを、あとにやってきた僕たちがいただいたのである。

「子ども舌」の僕はそれにまんまとひっかかり、必要以上にジャンキーなものばかり取ってしまったのである。

しかしそのことにより僕の食欲は復活したのだから、「負け」だとは一概には言えない。いや、同時にリバウンドの可能性も出てきたのだから、やっぱり「負け」か。バイキングって、何が正解かわからないから、ほんとうに難しい。

| | コメント (0)

隠れた有名人

2月22日(土)

新幹線で北の町に向かう。毎年この時期に「同業者祭り」が行われるのだ。

僕はこの種の祭りには参加しないことに決めているのだが、毎年この時期に北の町で行われる「同業者祭り」には時間の許す限り参加することにしている。お世話になった人たちが数多くいるためである。

そういえば新幹線の切符を買っていなかった。最寄りの駅のみどり窓口で、「同業者祭り」の時間に間に合う新幹線の切符をとろうとすると、

「満席です。というより午前の新幹線は全部満席です」

と言われた。席が確保できる新幹線で最も早く到着できる時間を聞いたところ、夕方に着く新幹線だという。夕方に着いても何の意味もない。

困ったなあ、と思っていると、

「あ、いま1人キャンセルが出ました!」

「じゃあそれをおさえてください!」

ということで、想定していた新幹線の切符をおさえることができた。奇跡である。

実際、東京駅に着くと、3連休の初日の朝というだけあって、尋常じゃない混み具合だった。あんなに混んでいる東京駅は見たことがない。

なにしろ混雑が理由で新幹線が遅延しているのだ。

それでもなんとか「同業者祭り」の開始時間に間に合った。会場に着くと、同い年の盟友・Uさんが来ていて、その顔を見て安心した。彼の隣に座り、久しぶりに彼との会話を堪能した。

久しぶりといえば、何年かぶりに再会した人がいて、僕はその方と数回しかお話ししたことがないのだが、

「お体は大丈夫ですか?」

と言われた。僕が体調を崩したことが知らないところで広まっていたのである。僕はビックリして、

「どうしてそれをご存じなんですか?」

と聞いたら、

「11月の半ばに講演会をされると聞いて、楽しみにして会場に行ったら、「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書かれていて、それで知ったのです」

僕はさらにビックリした。僕が講演会をする予定だった場所は「前の勤務地」の県だったのに、その方は別の県の方だったのだ。往復にはかなりの時間がかかったに違いない。

ほかにも、何人かの人から「体調は大丈夫ですか?」と聞かれて、やはり聞いてみると講演会の日にイベント会場に行くと「講師の体調不良により講演会は中止となりました」と書いてありました、という答えが返ってきて、僕はすっかり恐縮してしまった。

それにも増して、僕が体調不良だという話はどこまで伝わっているのか?を考えると急に怖くなった。

「同業者祭り」の1日目が終わると恒例の懇親会である。人数が多いので結婚式の披露宴の如く、ホテルの宴会場で行われた。例によって僕はいちばん目立たない席に座った。

それでも何人かとお話をすることになり、

「はじめまして」

と挨拶すると、

「実ははじめましてではないです。2年前に行われた講演会を聴きに行きました」

と口々に言われ、これもまた怖くなってしまった。

あの講演会にわざわざ来てくれたとは、またもや恐縮してしまった。

そういえば会場の受付で、会費を払って資料一式をもらおうとしたら、僕が名乗る前に、僕の名前が書かれた封筒をさりげなく渡された。明らかに僕が誰かを知っているという行動なのだが、僕はその人にお会いした記憶がない。

あとで聞いたら、3週間ほど前に、やはり北の町で行われたイベントで20分ほどお話をした際に、その話を聞いていた方だった。その話の内容を好意的に受けとめてくれたらしい。

俺は隠れた有名人なのか???というか、講演会のハードルがすっかり上がってしまったことに、僕はますます怖くなってしまったのである。

| | コメント (0)

イベント2日目・再会のための旅

2月2日(日)

イベント2日目。昨日はゆっくり休んだはずなのだが体調は昨日と変わらない。

今朝、教え子のOさんからショートメッセージが来た。

「本日、ご講演ですよね。楽しみにしております」

Oさんは年に1度のこのイベントに毎年来てくれている。今年もまた来てくれるという。ただ、「講演」じゃないぜ。偉い先生が午前中にやるのが「講演」で、僕は20分程度のお話をする「ただの人」で、講演者でも何でもないのだが、Oさんはそう表現するしかなかったのだろう。

ホテルから会場までは歩いて約5分。僕の足では10分かかる。2日目は午前10時開始で、登壇者は9時40分までに来てくださいと言われたので、9時20分にチェックアウトして、重い荷物を引きずりながら会場に向かって歩き出した。

さあ、ここからがハードだ。午前10時から偉い先生の講演が2時間続く。学生時代は落研に入っていたと聞いたことがある。与えられた2時間を使って緩急をつけたお話しする話芸はさすがだよなと思ってしまった。

講演のあと、間髪を入れずに昼食会場に連れて行かれた。恒例の昼食会である。昼食会といっても別室に行って偉い人たちとお弁当を食べるという行事にすぎないのだが、登壇者には参加する義務がある。でも僕はこの昼食会が苦手だった。

目の前に出されたお弁当は、水戸黄門の家臣の名前のようなお店のもので、僕もこのあたりの名店であることは知っていた。たしかにハンバーグはとても美味しかったが、まったく食欲がなく、あろうことか弁当を残してしまった。もったいない。

弁当を食べ終わると、昼食休憩ギリギリの時間まで、偉い人たちの話を聞かされるのが恒例である。これが苦手なのだ。時間を潰すために、ひたすらクソどうでもいい話を聞かされる。偉い人のお話だから愛想よく聞かなければならない。ときには適切な言葉を返さなきゃいけないこともあるのだが、今日の僕はまったくそんな気になれず、「早くこの場から立ち去りたい」と思うばかりだった。

それを察したのか、このイベントの実務を担当している方が、

「そろそろ戻りましょう」

と言ってくれて、休憩が終わる15分前にこのクソどうでもいい時間を切り上げてくれたのだった。

思えば今回、このイベントの実務を担当してくれた方々に、本当にお世話になり、いろいろと助けてもらった。だからこの縁はこれからも大切にしていきたいと思うのだが、あの昼食会だけは勘弁してほしい。

昼食会場の階からイベント会場の階にエレベーターで降りると、そこにOさんが「出待ち」していた。Oさんもこのイベントの流れを完全に把握している。

「先生、お久しぶりです」

「お忙しいところ、来てくれてありがとう」

「これ、娘さんに」

と、わざわざ手作りしたというものをいただいた。

ほんの二言三言会話しただけで、午後の第2部の時間になってしまった。だから昼食会はイヤなんだ。

午後の部での僕の出番は3番目。20分という決まりを2分ほど超過してしまったがつつがなく終了した。

僕はもう限界、とばかりに、実務担当のHさんに、

「あのう、次の休憩時間になったタイミングで帰っても大丈夫ですか。体調があまりよくなくて」

と相談した。

「大丈夫ですよ」とHさん。それを横で聞いていたSさんが、

「僕が車で送ります」

と言ってくれた。本当に、このプロジェクトの人たちは優しい人ばかりだ。

休憩時間になり、偉い人たちに

「すみません。今日はこれで失礼いたします」

と挨拶をして、舞台裏の控室に置いてあった荷物をまとめて出ようとすると、またひとり「出待ち」をしている人がいた。

「先生、覚えてますか?」

マスクをしているのでよくわからない。

「以前、小さなプロジェクトでお会いした者です」

僕はそこで思い出した。

「Sさん!」

「そうです。覚えていらっしゃいましたか」

ご自分の名前を検索するとトップに消臭剤の名前が出てくると言っていたことが未だに忘れられません」

「そうですそうです!」

Sさんはこのイベントの主催者側の一つである職場に、昨年4月から正式社員として採用されたという。

「よかったですねえ」

「ええ、これまでずっとフラフラしていましたから。…今日のプログラムを見て、『あ、鬼瓦先生だ』と思ってぜひ挨拶をと思いまして」

「このプロジェクトは今年度で終わりですが、またちょくちょくこの県には寄らせてもらうことになると思います。またいつか一緒に仕事ができるといいですね」

「そのときはぜひよろしくお願いします」

車で駅まで送ってくれる方がやきもきしている。

控室を出て会場の外に出ると、今度は教え子のOさんが「出待ち」していた。僕が心変わりして早退するということを察知したらしい。

「先生、お帰りですか?」

「うん。俺、ちゃんと喋れてた?」

僕は最近すっかり滑舌が悪くなり、声も小さくなった。おそらく脳の問題だろう。

「はい。大学時代の授業を思い出しました」

「またいつかお会いしましょう」

ようやく車に乗り込み、駅に向かった。

| | コメント (1)

イベント1日目

2月1日(土)

バスと新幹線と在来線を乗り継いで約5時間、北の町に向かう。

この1週間は本当に辛かった。昨日、職場から夜に帰宅し、急いで荷造りをして、今日もまた朝早くに出発した。

だから「前乗り」ではない。この日もちゃんとした用務があるのだ。

そして明日も用務がある。つまり2日間びっちり、、ほとんど自由時間もなく拘束されることになる。

この体調なので、オンライン参加も選択肢も考えたが、この5年間のプロジェクトは今年度で終了であり、何よりお世話になった知り合いが何人もいるので、現地参加をして挨拶をしなければいけない。

初日のイベントは13時から開始である。僕の出番は13時50分から。30分間話をして、10分間は意見交換の時間である。

まずはそこだけを乗り切ればよい。話のマクラに「実は昨年末に長期入院をしておりまして…」と言い訳めいたことを言った。暗に今回の話は急ごしらえで作った話だから質が落ちているかもしれませんよ、と逃げを打ったのである。

それでもなんとか40分間を切り抜けた。

僕の話が終わると休憩時間になり、自分がもともと座っている席に戻った。

すると、

「お疲れさまでした」

と隣の席の方が声をかけてきた。

「Cさん!」

「前の勤務地」で何度か仕事をご一緒したCさんである。マスクをしていたのと、発表前は緊張していてそれどころではなかったので気づかなかった。マスクを外したお顔は紛れもなくCさんだった。

Cさんの職場にこのイベントの案内が来ていてそれを見て参加したといっていたが、とくに僕の名前を見つけたから、ということでもないだろう。それにしても嬉しいことには変わりない。

「来月の講演会もよろしくお願いします」

そうだった、来月は前の勤務地で講演会をすることになっている。11月半ばに行うはずが、入院のために中止になってしまった講演会を、リベンジで行うことになったのである。

そのお話の仕方がCさんも聞きに来てくれるようなニュアンスに聞こえた。うーむ。これもまた体調を整えてのぞまなければならない。

1日目のイベントは16時半頃に終わり、そこから車でホテルまで連れて行ってもらった。18時半からは同じホテルの宴会場で懇親会がある。

懇親会まではお付き合いできるかなと不安だったが、今年度が5年間のプロジェクトの最終年度であり、多くの知り合いにもご挨拶しなければならないと思い、宴会場に向かった。

そしたらあーた、立食形式のパーティーではないか!

去年もそうだったことをすっかり忘れていた。

病人には立食パーティーは辛い。

それを察してか、いろいろな方から、

「大丈夫ですか?椅子を持ってきましょうか?」

と何度も言われたのだが、偉い人たちがたくさんいる中で僕だけが椅子に座るというのはどう考えてもおかしい。

「大丈夫です。どうかおかまいなく」

と答えたが、本音を言うと辛い。

懇親会が1時間ほど経ったところで、「では、本日登壇されたお一人ずつから、短いスピーチをお願いします」

と司会者が言った。

たしか昨年もそうだった、と思い出した。

せっかくなので、僕はこの5年間の感謝の思いを吐露した。

スピーチが終わり、マイクから離れ、元の場所に戻った。僕は隣にいた主催者のひとりのHさんに、

「もう僕の出番はありませんよね」

「ええ」

「ではすみませんがここで失礼いたします」

「ゆっくり休んで下さい」

19時半、ようやく初日の用務が終わった。

| | コメント (0)

ポンコツ、帰途につく

10月25日(金)

用務は無事に終わったが、その緊張が解けたのか、倦怠感が半端ない。もちろん、薬の副作用である。

しかしまだ仕事が2つほど残っている。一つはオンライン会議の司会である。そしてもう一つはこの町で毎年この時期に行われる恒例の大規模イベントのお披露目会に出席することである。

オンライン会議は司会をしないといけないので、しかるべき個室を確保しなければならない。そのためにレンタルスペースを探してみると、ホテルから歩いて2分のところにあることがわかり、一昨日の夜に下見に行ったところ、ビックリするくらいのボロアパートの一室にあって、恐くてドアを開けられなかった、ということは前に書いた。

午後1時から会議が始まるのだが、念のため1時間前の12時から予約を入れていた。12時にボロアパートに着いて、2階のレンタルスペースの前に到着した。

一昨日の夜は一つ目の扉を開け、二つ目の扉を開けるのが恐くなり逃げてきたが、昼間だと恐いことなく開けられた。そして恐る恐る部屋の中を覗いてみると…。

ホームページの写真と違わぬ、きれいで清潔な部屋である!

エアコンもWi-Fiも完備されているので快適である!

午後1時から予定どおりオンライン会議を始めることができた。

30分程度で終わるかなと思っていたが、冒頭で急に僕のいるレンタルスペースのWi-Fiの調子が悪くなり、1回落ちてしまった。しかしそれもほどなくして回復し、とくに大きな支障になることもなかった。

会議の議題が思いのほか多くて、会議が終わったのは午後2時だった。

次のお披露目会の開始時間は2時30分だったので、休む間もなくお披露目会の会場に向かった。

むかしはお披露目会に招待されるなんて考えてもみなかった。というのもお披露目会は選ばれし者だけに許された会だと思い込んでいたからである。

しかしここ1,2年、僕にも届くようになって、実際に行ってみるとなんてことはない。けっこうたくさんの人に送りまくっていることがわかった。お披露目会はたくさんの人でごった返している。

僕は無料で見られるというその1点だけで参加しているのだが、しかし同業者の中には、お披露目会の招待券をもらえるのは選ばれし者、という感覚が残っている人もいるらしく、与えられた機会を存分に満喫している人もいて微笑ましい。

僕はすっかり「食あたり」ならぬ「人あたり」をしてしまい、なるべく知り合いに会わないようにそそくさとお披露目会を出た。荷物を預けているホテルまで歩くだけで足が鉛のように重くなり、ゆっくりとしか歩けない。そしてホテルで荷物を受け取り、詰め替えたりして、最寄りの駅まで少しの距離を歩くだけでもしんどい。もう何もかもしんどい。すっかりポンコツになってしまったことをあらためて実感した。

| | コメント (0)

今日もズボンはずり落ちませんでした

10月24日(木)

用務2日目。

心配していたベルトなしズボンもずり落ちることもなく、そして体調の急激な変化によるアクシデントに見舞われることもなく、2日目の用務も無事に終了した。

ただ、ホテルに戻ってから鏡で自分の顔を見ると、決して血色がいいとは言えない。健康的な日焼けというのとも違う。顔が土気色になっていた。

数年前にくらべたら、ずいぶんと顔が小さくなった。

以前はどこが首かわからないくらい、顔の輪郭がぼんやりとしていたのだが、最近は顔の輪郭が少しはっきりしてきた。以前とくらべると明らかに食が細くなっている。そして食事にも異様に時間がかかる。

用務の昼休み、同じ世代の同僚と同じお弁当を食べても、明らかに食べるスピードが違う。あんまりスピードが遅いと迷惑をかけることになるから、必死になって食べる。

むかしから僕は食べるのが遅かった。保育園のとき、いつもいちばん最後に弁当を食べ終えた。弁当を食べ終わった園児から園庭で遊べるのだが、僕はいちばん遅いので、いつも最後に園庭に出たのだった。

そのことを思い出した。

ホテルに戻ったら大量のメールが届いていて、必死に返事を打ち返した。とくに面倒なのは、懸案の会合についてのメールである。僕はいわば仲介役の立場なのだが、どうやら自分で主体的に動かないと手続きがまわらないと思い、会合に参加する人たちに直接連絡をとり、少しずつ手続きを進めていく。

僕は自分で事務処理能力のある人間とはとても思えないが、それでも少しだけ学んだことがある。

それは、ひとりの人にいくつかの用件がある場合でも、小出しにせずに一つのメールにまとめて送る方が効率的ではないかということである。もちろん、時と場合によるが。

逆に交渉した相手から、懸念材料を示された場合は、その懸念を払拭するために、できる限り順を追って丁寧な説明を心がけるということである。そのメールがまた新たな懸念材料を生むようなことになると、二度手間になる。しかし丁寧に説明すれば、たいていの場合、メールのやりとりが1回で済むことを何度か経験している。

もちろんこんなことはだれでもやっていることで、さほど珍しいことではないだろう。

自分もそんなふうにできているか、自信がない。

| | コメント (0)

怪しすぎるレンタルスペース

10月23日(水)(続き)

さて、もうひとつ確認したい場所というのは、レンタルスペースである。

これについては少し説明が必要だ。

毎月最終週の金曜日、つまり「プレミアムフライデー」の午後は、僕が司会をしなければならないオンライン会議がある。

今月のプレミアムフライデーは、10月25日(金)だが、この日まで僕は西の町に滞在しなければならない。

ふつうだったら、代役を立てるか、日にちをずらしてもらうか、という選択肢もあるのだが、年度早々に組んでしまっている都合上、なかなかそういうわけにもいかない。

唯一の方法は一つ、僕が西の町からオンライン会議を仕切ることである。

幸い、本来の用務は遅くとも金曜の午前には終わるので、そのあとオンライン会議をすることは可能である。

このことを職場の事務担当の方に相談すると、

「ではそうしてください」

と言われたので、そうせざるをえないことになった。

問題は、オンライン会議ができる場所を探さなければならないことである。泊まっているホテルは、チェックアウトの日なので部屋を追い出されるし、駅の構内でよく見かける「ブース」みたいなスペースもないようだ。

そこで、このホテルの近くにレンタルスペースがないかどうかスマホで検索すると、ホテルから歩いて2分のところにレンタルスペースがあることを見つけた。

僕はさっそく、そのレンタルスペースを、オンライン会議の時間に合わせて予約することにした。予約の手続きはなかなか難しくて難儀したが、なんとか予約ができた旨のメールが届いたので、安心した。

しかし念のため場所を確認する必要があると思い、夕方、ホテルを出て、その場所を探すことにしたのである。

午後6時くらいになっていたので、辺りはすっかり暗くなっている。

地図の通りに歩いて行くと、途中で左に曲がるところがあって、大通りからいきなり路地裏のような道に入り込んでしまった。しかし、たしかにこの道である。

そのあと、もう1回左に曲がることになっているのだが、その道がさらに狭い。というか、人一人がようやく通れるくらいの道である。

ほんとうにこのあたりだろうか?それらしい建物は見つからない。

だがGoogleの地図が示す最終目的地は、目の前にあらわれたボロアパートを指している。廃墟のようなアパートである。

え、ここ?

どれだけボロいかというと、トイレ、お風呂が共同というむかしのアパートである。

僕はあっけにとられてそのまま立ちすくんでいると、ドアが開いて外国人とおぼしき女性が出てきた。

「どうかしましたか?」

と聞かれたので、

「あの…金曜日にレンタルスペースを予約したのですが、あらかじめ場所を確認しようと思って…。レンタルスペースはこの建物ですか?」

「なんというレンタルスペースですか?」

「○○○○という名前です」

「ああ、それならここです」

ええぇぇぇっ!!!此処なの???

「失礼ですけど、ここはみなさんが居住しているアパートですよね」

「ええ、まあそうです。レンタルスペースは中庭を通って2階に上がったところにあります」

「どうやって行けばいいのですか?」

「この1階、両側に部屋があって真ん中に廊下があるでしょう?」

「ええ」

廊下、といっても土間のような廊下である。

「この廊下を通ると中庭があります。中庭の右側に2階へ上がる階段があって、そこを上がるとレンタルスペースがあります」

「この廊下、通ってもいいんですか?」

「どうぞ」

廊下を通る際に、その外国人女性の部屋の扉が目に入ったのだが、扉には、「なんとかセラピー」みたいな貼り紙が貼ってあって、どうやらここで商売をしているらしい。

ほかにも、住居というよりも、事務所みたいな感じで部屋を借りている人が多いようだった。失礼な言い方だが、たしかにこんな場所には住めないよ。

言われるがままに中庭に出て、右側の階段を上ったところに「レンタルスペース」と貼り紙のある部屋を見つけた。たしかにここで間違いない。

でもビックリしたのは、引き戸だったんだぜ。試しにその引き戸を引いてみると、鍵がかかっていなかったらしく、開いたのだ!

おそるおそる引き戸を開けると、さらにもうひとつ引き戸があって、「土足のまま進んでください」とかなんとか、貼り紙が貼ってあった。

もうあたりは真っ暗だし、とても2つめの引き戸を開ける勇気もなく、早々と退散することにした。

ひとまず場所はわかったが、それでも僕には疑問が残る。だってホームページの写真では実に快適そうな空間だったのだ。

僕はだまされているのだろうか?その答えは金曜日にわかるだろう。

 

 

| | コメント (0)

ズボンはずり落ちませんでした

10月23日(水)

今日から3日間、新幹線と私鉄を乗り継いで3時間ほどかかる西の町に出張である。

ここのところ疲れているので、この3日間を乗り切ることができるか心配である。

初日の用務は午後からだったので、慌てて荷造りをして出発する。できるだけ荷物は軽い方がいいのだが、どうしても重くなってしまう。

なんとか予約していた新幹線に間に合って、一息つくと、たいへんなことに気づいた。

ズボンのベルトがない!ベルトを締め忘れた!

っていうか、東京駅に着くまでによくズボンがずり落ちなかったな!

ここからもう落ち着かなくなる。

午後からの用務は、神経を使わなければいけなくて、なおかつ立ったり正座したりといった動作をくり返す作業である。

もし正座から立ち上がったときにズボンがずり落ちたらどうしよう!

もうひとつ心配事があった。

そんなふうに、立っている状態からいきなり正座したり、正座の状態からいきなり立ち上がったりすると、足がまたつるのではないだろうか?

そうなったら目も当てられない。

心配な要素がいくつも重なり、すっかりテンションも落ちてしまった。

午後からの用務が始まると、いつもの通り立ったり正座したりをくり返す地味にハードな作業が続く。これが数年前だったら、立ちっぱなしでもそれほど苦にならなかったのに、今回は空いた時間を見つけては椅子に座ったりして、自分がほんとうに情けなくなった。

でも安心してください。

ズボンはずり落ちませんでした!足もつりませんでした!…って、どんなポンコツだよ!

本日の用務が終わり、すっかり疲れてしまった僕は、ホテルの部屋で少し休んで、もう部屋から出たくないなあと思ったのだが、明日の用務のためにズボンのベルトを売ってるお店を探さなきゃと思い、ホテルを出て彷徨したのだが、ベルトを売っているお店はどこにも見あたらなかった。

仕方がない。明日もベルトなしで作業をするか。どうか明日もズボンがずり落ちませんように!

さて、ホテルから出た僕は、そのついでにもう1カ所、確認したい場所があった(続く)。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧