旅行・地域

疱瘡神社の謎

高校の後輩が元旦にSNSで書いていたことがなかなか謎めいていた。

その後輩は、毎年正月に義母の家で過ごすことになっている。東京の隣県、といっても、かなりの田舎町である。都内から電車を乗り継いで3時間くらいかかるところじゃないだろうか。

毎年、初詣は電車に乗って一ノ宮と呼ばれた神社に行くそうなのだが、今年は密を避けるため、車に乗って、ふだん行かなそうな小さな神社に行くことにした。

グーグルマップで周辺を見てみると、ポツンと「疱瘡神社」という神社がある。誰も行かないような、小さな神社のようだ。

やはり新型コロナウィルスを乗り切るにはここにお参りするしかない、と思った後輩は、その神社をめざして車を走らせた。

ところが、である。

なんと神社があった場所は整地されていて、社殿も何も跡形もなくなっている。真新しい階段とスロープがあり、上ると地面になにやら糸が引かれている。神社が取り壊され、再建されるのだろうか?とその後輩は思ったという。

あるはずの場所に神社がないことに驚いたその後輩は、別の神社(熊野神社)に初詣に行くことにしたのだが、その神社に着くと、社殿の屋根のあたりに今度はハーケンクロイツがあることを発見して、これはいったいどういうことだ、と、不思議な思いをして帰ってきたというのであった。

後者については措くとして、僕が興味を持ったのは、疱瘡神社の件である。

いったいなぜ、更地になっていたのだろう?

僕はそのことが妙に気になり、疱瘡神社という神社名を手がかりに、インターネットで調べてみると、2019年10月に訪れた人のレポートを発見した。おそらく後輩が訪れたのと同じ疱瘡神社である。

そのレポートによれば、その時点で神社はすでに跡形もなかったようである。ただ、その9か月前のGooglemapの投稿では、小高い地形の上に小さな社と社殿があったことが確認できたと、そのレポートには書かれていた。

つまり、2019年1月の時点では、社殿は確実に存在していたのである。

それから2019年10月までの間に、どのような事情があって、社殿が忽然と姿を消したのだろうか?

うーむ。これは謎めいているぞ。

このことを後輩にコメントしたら、

「やはりこのコロナ禍は疱瘡神社の社殿を取り壊したことで封印されていた魔力が世界中に解き放たれたからに違いない!」

という荒唐無稽な仮説を立てていた。

いやいや、僕が知りたいのは、疱瘡神社がなぜ忽然と姿を消したのか?ということである。

僕の仮説は、「疱瘡神社が漂流教室みたいにタイムスリップしてコロナで人類が絶滅した未来を漂流している」というものなのだが、これもまた荒唐無稽である。

ま、これだけの情報では、どこの疱瘡神社かはわかるまい。

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最後5分の国際交流

11月7日(土)

木、金、土と、韓国留学の際にお世話になった先生が主催する国際会議がおこなわれた。日本と中国と韓国から、50名ほど集まってそれぞれが発表をする大規模なイベントである。

もちろん、コロナ禍で韓国に行くことができないので、日本側の参加者も中国側の参加者もすべてオンライン参加である。

僕は初日(木曜日)の夕方に20分ほど発表することになっていた。

会議自体は、午前9時から始まっているのだが、この日は午前10時から午後3時まで、職場で二つの会議があり、参加できるのは、実質上は自分が喋るグループの時間帯だけである。

午前10時から始まった一つ目の会議は、思いのほか長くかかり、お昼ご飯を食べる時間がないまま、午後1時からの会議に突入した。

午後3時に会議が終わった頃にはもうヘトヘトである。

自分が発表する頃にはもうすっかり疲れ切ってしまって、頭もはたらかなくなり、20分の発表はもうボロボロだった。

(我ながらひどい発表だったな…)

2日目(金曜日)も朝から夕方まで国際会議が続いたが、僕は別の仕事があり、まったく参加することができなかった。

そして3日目(土曜日)。午前中は2歳7か月の娘を病院に連れて行ったり、自分のかかりつけの病院に行って薬をもらいに行ったりしてあっという間に終わり、午後も娘の面倒を見ていたらあっという間に夕方になってしまった。

夕方5時過ぎ、国際会議にオンラインで参加すると、最後のグループの発表と討論も終わり、閉会の挨拶が聞こえてきた。いよいよ3日間のフィナーレ、大団円である。

結局、3日間ぶっ通しの国際会議に、僕はほとんど参加することができなかったのだが、閉会の挨拶のときくらいはせめて、ビデオをonにして自分の顔を見せて、お世話になった先生の閉会の挨拶を聴かなければならない。オンライン参加者は全員、ビデオをonにして閉会式に参加した。

せっかくだから、画面に娘を登場させよう、と思い立ち、娘を抱き上げて画面に一緒に映ることにした。

すると、画面上で参加している人たち、とくに中国の人たちから、笑みがこぼれたのがわかった。僕が娘と一緒に映っている姿に、気づいたのだろう。

僕が娘を登場させたことに触発されたのだろうか。ある中国人の先生は、おそらく僕の娘と年がそれほど変わらないと思われる、自分の息子さんを画面に登場させて、手を振った。

何気ないことなのだが、その中国の先生も、実は小さい子どもと一緒に自宅で過ごしながら、その会議に参加していたことがわかる。僕はその先生のことをまったく知らないのだが、そこで一気に、親近感がわいたのである。たぶん向こうもそう感じただろう。

僕もまた、娘の手を取り、パソコンの画面に向かって手を振った。

「ではみなさん、こんどはマイクをonにしてください。韓国では、最後、お別れのときに『アンニョン!』といいます。みなさんでいっせいに、『アンニョン!』といってお別れしましょう」

司会者にうながされ、韓国人も中国人も日本人もみんな、

「アンニョン!」

と言って手を振って、にこやかな顔で、国際会議は終了したのであった。もちろんうちの娘も、画面に向かって手を振った。

娘の登場で、国際会議は和やかな雰囲気で終わった。してみるとうちの娘は、国際親善に大きな役割をはたした、というべきだろう。

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トラック野郎との再会

9月10日(木)

なんと、今年度になって初めて、新幹線に乗っての日帰り出張である。

そういえば4月からのコロナ禍以降、新幹線に乗っていない。あやうく乗り方を忘れるところだった。

今回の出張は、10月からうちの職場で始まるイベントのための準備作業である。

朝6時に家を出て、新幹線と地下鉄を乗り継いで、最寄りの駅に着いたのが9時半。

今日、一緒に作業をする「トラック野郎」のOさんが改札の外で待っていた。

「ご無沙汰しています」

「よろしくお願いします」

Oさんとは、一昨年に職場の中で一緒に仕事をしたが、トラックに同乗しての仕事は6年ぶりである。

午前中に1件、午後に1件まわることになっているのだが、先方にうかがう時間が決まっているので、時間を調整するために、トラックの中で時間をつぶすことになる。

そのときのOさんのお話が、僕にとってはなかなかの楽しみで、仕事上でのこれまでの武勇伝や、これまでの仕事の経験で培われた豊かな教養、といったものを聴くことができる。といって決して自慢げにお話しするわけでもなく、なかなかの思索的なトラック野郎なのである。

午前中の用務をひとまず無事に済ませた。

「うちらはトラックの中で昼飯を済ませますんで、どうぞ食事に行ってきてください」

Oさんとその相棒の若いIさんは、トラックの中で食事を済ませるらしい。僕はトラックを出て、近くのおそば屋さんで昼食をとった。

しばらくしてトラックに戻ると、Oさんは文庫本を読んでいた。やはり思索的なトラック野郎である。

午後の約束の時間までまだ少しあったので、トラックの中で再びOさんのお話を聴いた。

「さ、そろそろ行きましょうか」

午後の用務先は、思った以上に大変だった。ま、気軽な気持ちで考えていた僕のほうが悪いのだが。

(うーむ。どうも追い詰められていくなあ…)

しかし、今日は先方の指示に全面的に従わなければならないので、とにかく先方に失礼のないように、こちらも辛抱強く対応する。

その間、トラック野郎の2人はじっと近くに控えていて、僕の作業のペースに合わせて、自分たちの作業を進めていく。

30分くらいで終わると思っていた作業は、2時間以上かかってようやく終了した。

僕は先方に丁寧にお礼を言って、トラックに乗り込んだ。その途端、どっと疲れが出た。

「いやあ。面食らいましたなあ」

とOさん。

「Oさんもそう思われましたか?」百戦錬磨のOさんにとっても、あまりない経験らしい。

「ま、ともかく無事に終わってよかったです」

トラック野郎の2人が味方になってくれていると確信していたので、僕は心が折れずにすんだのであった。

それにしても、体力が低下しているせいか、久しぶりの出張は思いのほか身体にこたえる。

帰宅して、泥のように眠った。

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新幹線事情

3月22日(日)

またまた、日帰り出張で西に向かう。いま、行きの新幹線の中である。

新幹線は、コロナウィルスの影響で、例によってガラガラである。

東京駅で新幹線の切符を買おうと、窓口で、

「いまから乗る新幹線で、E席の取れる新幹線をお願いします」

と言ったら、

「いい席ですか?」

と聞かれた。良い席?

「いや、その…Eの席です」

「ああ、Eの席ですね。だったら、どの新幹線も大丈夫ですよ」

無事に、早めの新幹線のE席を確保することができた。E席とは、2列シートの窓側である。

新幹線に乗り込むと、やはりガラガラである。3列シートなんて、ほとんど座っている人がいない。

ところが、である。

僕が座っている列の、通路を挟んで隣の3列シートには、作業着を着たむくつけき男ども3人が、ビッチリと並んで座っているではないか!!!

どういうこっちゃ???

他の3列シートは、がら空きなんだぜ。にもかかわらず、どうして、3人並んで席を取っちゃったんだろう?

どうやら会社の同僚らしいので、何か仕事の打ち合わせでもあるのかな?と思ったのだが、3人はまったく会話をする気配がない。

まったく言葉を交わすことなく、ただたんに、窮屈そうに座っているだけなのである。

明らかに他の席が空いているのだから、ちょっと融通を利かせてばらけて座ればいいのに、と思うのだが、ずーっと律儀に3人並んで座っていて、誰も席を動こうとしない。

こっちからすれば、車両のこの部分だけ、人口密度が高いのだ。つまり、感染の確率が高くなっているのである。まったく、迷惑な話である。

どうしてこんなふうになっちゃうのだろう?

僕が新幹線に乗っているとき、いつも思うことなのだが、同じ会社の人間の何人かが出張のために新幹線に乗っている光景をよく見かけることがある。

すると決まって、彼らは隣同士の席を取ったり、4人とか6人の場合は、席をボックスにしたりして、座っているのである。

家族や友人と旅行に行くならばそれは当然だが、仕事で同僚と出張するときに、新幹線で隣同士の席に座るというのは、僕にとって死ぬほど耐えがたい。往復の移動くらいは1人にしてくれよ、と思う。

だが、多くのサラリーマンたちは、おそらくそれを苦としないのである。

この背景には、この国の社会に宿る同調圧力が存在すると、僕は仮説を立てているのだが、いま、僕の横で3列シートに並んで座っている作業服の男たちも、その同調圧力に慣らされた結果、「空いているので席を別々に座る」という融通が利かなくなっているのではないだろうか。

考えすぎか?もちろん、こんなことを考えるのは、その人たちにとって「よけいなお世話」なのかも知れない。

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新幹線日帰り出張

3月16日(月)

日帰りで西に向かう。新幹線と在来線を乗り継いで、3時間以上かかる場所である。

3年後くらいに大きなイベントを担当することになってしまい、そのために、これからお世話になるところにご挨拶にうかがうことにしたのである。手始めに、昨年(2019年)の1月にも一度訪れたことのある、関西のある大学を訪問することにした。

こういう下交渉というのは、実に苦手である。もともと非社交的で、座持ちが悪いので、どうしてよいかわからなくなる。だが仕事なので仕方がない。

以前にもお会いしたベテランのスタッフの方のとなりに、若手の方がおられた。

「はじめまして」

と名刺交換をすると、

「鬼瓦先生、以前、M市に何度か来られてましたよね」

という。

「はあ」

九州のM市には、2016年度から2018年度の3年間のプロジェクトの際に、3回ほど訪れたことがある。

「私、ここに来る以前は、M市につとめておりまして、鬼瓦先生がM市に来られたときに、Kさんの部下として同席しておりました」

「そうでしたか!」

…といっても、まことに申し訳ないことに、記憶がない。

そのときのプロジェクトでは、おもにkさんという方と一緒に仕事をしたのだが、その方は、Kさんの部下として、その場に居合わせていたというのだ。

こういうときって、実になんというか、決まりが悪い。

相手は自分のことを覚えていても、自分が相手のことを覚えていないというのは、相手にとって感じ悪いことではないだろうか。そう思うと、つい、自己嫌悪に陥ってしまうのである。

あとでインターネットで調べてみると、その方は、どうも2017年4月にいまの職場に移られたらしい。僕が九州のM市を訪れたのは、2015年の3月11日と、2016年の8月と、2018年の12月の3回だったので、おそらく、2015年の3月か2016年の8月に訪れたときにお目にかかったのであろう。

それにしても、九州のM市から関西の大学へと、一見まったくつながりのない職場に移られたにもかかわらず、僕がその二つの職場に関わって、しかもまったく別のプロジェクトで、その方とお目にかかるというのは、なんという奇跡であろうか。

我ながら引きが強いと思わざるを得ないが、もうあんまり驚かなくなった。人はいろいろなところでつながっているのだ。

その方には、今度のプロジェクトに正式に加わっていただくことになった。僕にとってみれば、以前にお目にかかったことがあるという気安さで、グンと仕事がやりやすくなった。

こういうことがあると、ちょっとした出会いも、おろそかにしてはいけないものだと、痛感する。

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たった5分のプレッシャー

2月23日(日)

2日間にわたる北の町での「同業者祭り」が無事に終わった。

今回、僕がどうしてもこの「同業者祭り」に出席しなければならなかった理由は、コメンテーターを依頼されたからである。

「2日目の最後に、登壇者の方々の報告をふまえてコメントを5分程度でお願いします」

といわれたのは、10日ほど前のことだったか。

事前に送られてきた資料を見ると、登壇者は百戦錬磨の猛者ばかりで、

(こんな猛者たちを前にして、俺は何をコメントしたらいいのか?)

と、すっかり不安になってしまった。

少しでも不安を解消するために、あらかじめ読み原稿をつくってみたのだが、その読み原稿が、会の趣旨に合った内容なのかどうかもわからず、ますます不安になってしまった。

(うーむ。困った)

コメントは、「同業者祭り」の最終盤にあてられているので、たった5分のこととはいっても、初日からずーっとそのことが気にかかってしまい、気が滅入る一方である。しかも、

「2日目は、新幹線の時間の都合上、3時に終わらせないといけませんから、発言は時間を厳守して下さい」

と言われる。つまり、あんまりだらだらとコメントを言わないように、という意味である。

読み原稿を読み返してみると、7~8分はゆうにかかりそうなので、

(うーむ。どこかを端折らないといけないなあ)

と、またそこで悩んでしまった。

いよいよ、午後1時15分から午後の部が始まる。

それにつけても気になるのは、時間である。

(うーむ。このままのペースだと、いよいよ僕のコメントは短めにしないとダメかもな)

などと、登壇者の話そっちのけで、そのことばかりが気になってしまった。

そして2時半過ぎ。

「でほ鬼瓦先生、この件につきまして、コメントをお願いします」

結局僕は、一心不乱に原稿を読み上げた。時間を気にする余裕などなく、言いたいことが伝わったのかどうかもわからない。

その後も討論やコメントが続き、予定の3時を7,8分ほど過ぎて、会は終わった。

あれだけの盛りだくさんの内容で、ほぼ時間どおりに終わらせたのは、司会進行の方の手腕によるところが大きいだろう。

さて、帰りの新幹線の時間は、3時39分。会場から駅までは、歩いて10分程度かかる。

会が終わり、急いで会場を出ると、外は吹雪いていた。

僕は冷たい横風に震えながら、駅へと急いだ。

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北へ向かう

2月22日(土)

昨日も、めちゃくちゃ忙しい1日だった。

北へ向かう新幹線のなかで、この文章を書いている。

これから二日間、「同業者祭り」である。

僕は「同業者祭り」に極力出席しないことにしているのだが、この「同業者祭り」ばかりは、むかしからお世話になっている人が多いこともあり、出席することにしている。

だが、この「同業者祭り」は、僕にとってはなかなか過酷である。

第一に、冬の寒い時期に、寒い地方でおこなわれるということ。

第二に、移動時間が長いこと。

第三に、初日の午後から、夜の懇親会を経て2日目の夕方まで、ほぼノンストップでおこなわれるということ。

スタミナ的にかなりきつい会なのである。ましてや体調が万全とはいえない僕からしたら、年々きつくなっている。

昨今の新型コロナウィルスの影響で、あるいは中止になってしまうのではないかとも思ったが、予定どおりおこなうという。

そういえば、来週末は今度は新幹線で西に向かうことになっているのだが、そちらの会のほうも、いまのところ予定どおりおこなうという。主催者からのメッセージに「こんなご時世ですので、不要不急ではないみなさんには覚悟してお集まりいただくことにしたいと思います」とあった。「覚悟して来い」といわれると、本当に「不要不急ではない」といえるのか、ちょっとひるんでしまう。

各地でおこなわれるイベントが、軒並み中止になっている。その様子を見て思うことは、

「この世に、必要なイベントなど存在しないのではないか」

とという、確信に近い仮説である。

「本が捨てられない」という心理と似たような感覚である。

なぜ本が捨てられないのか?もし1冊でも本を捨てることができてしまうと、その他の本も自分にとってとくに必要な本というわけではない、という真実に気づいてしまうからではないか、そのことに気づくのがこわいから、本を捨てるのがためらわれるのだと、以前、ある人が言っていた。

イベントもまた然り。ひとつイベントを中止してしまうと、「じゃ、このイベントもいらねんじゃね?」と、次々と中止の連鎖が起こる。

結局、この世には、必要なイベントなど何一つないということになるのだ。

だから、今年の夏にこの国でおこなわれる予定の大規模なスポーツイベントは、口が裂けても「中止」という言葉を口にすることはできないのだろう。

昨晩のニュースを見ていて、新型コロナウィルスの感染拡大が深刻になっているというニュースのあとに、

「東京五輪の公式スポーツウェアが決まりました!」

と、アナウンサーがニコニコしながら伝えているのを見て、

(俺はいま、どんなパラレルワールドに住んでいるのだ???)

と、脳がグンニョリしてしまったのだった。

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方角に迷う駅

2月1日(土)

出張のため、新幹線で、西に向かう。新幹線の駅を降りてから、地下鉄に乗り換えて1駅で、この界隈でも有数の繁華街のある駅に到着する。

この「市」には、ここ最近何度か訪れているが、この「繁華街のある駅」で降りるのは、ほぼ初めてである。

この駅は、とくに関東圏から来た人間にとっては、少々わかりにくい。北に私鉄、真ん中にJR、南に私鉄と、平行に走っていた三つの鉄道が、この駅で合流するのである。

しかも、駅名表記が、鉄道によって微妙に異なるのがややこしい。うっかり間違って表記しちゃったら、「おまえわかってないな」と言われそうである。

もっとよくわからないのが、「東口」と「西口」である。

僕の感覚だと、「東口」「西口」と言われたら、線路を挟んでそれぞれ反対側に「東口」「西口」があると思ってしまうのだが、どうもこの駅はそういうわけではないらしい。線路の南側に出て、東側が「東口」、西側が「西口」ということらしい。しかも、明確に「東口」「西口」という場所があるのかすら、よくわからない。いや、じっくり調べたらわかるのかも知れないけれど。

泊まる予定のホテルが「東口」にある、といわれても、そもそも東口がどこにあるのかよくわからず、グルグルと変な道を回ったりしたのであった。

また、今度は用務先の場所が「西口から徒歩10分」といわれた日には、「西口ってどっちだよ!」と、ますますわかんなくなる。

この界隈では有数の繁華街であり、観光名所でもあるのだが、まったく土地勘のない人間にとっては、とても難易度の高い町なのではないだろうか。

あるいはたんに僕が老化しただけなのか。

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シェフを呼んで下さい

1月24日(金)

仕事の関係で、ある美術館に行く。仕事の必要からどうしても見ておかなければいけない企画展がもうすぐ会期を終えるのだが、なんとか間に合った。今回は、妻もやはり仕事の必要から同行した。

新幹線に乗って北に向かい、1時間20分ほどで駅に着く。そこから、1時間に1本の間隔で出ているバスに乗り、10分ほどで到着した。わずか10分ほどの乗車だったが、さきほどまでの駅前の喧噪が嘘のように、その美術館は森に囲まれたところにあった。

じっくりと企画展を見て、

「まるで集大成のような展示だね」

と妻が言った。なるほど、たしかにそんな感じがした。

さて、仕事の必要から、この展示を企画した担当者の方に、ぜひお話をうかがいたいと思った。ところが、僕も妻も、その方とはまったく面識がないし、業界も異なる。二人とも、全然面識のない方にこちらからご挨拶してお話をうかがう、ということが、とても苦手なのである。いきなり全然知らない人が訪ねてきて、「変な人だと思われないだろうか」とか、「めんどくさいと思われないだろうか」と、被害妄想が頭によぎった。

しかも、おそらく先方は、とても忙しい方だろうし、そんな知らない人間のために時間を割いてもらうことが忍びない。

しかしせっかくここまで来て、お話を聞かずに帰るというのも、あとで悔いが残る。

まあ多少煙たがられても、悔いが残らないようにトライしてみようと、意を決して、受付に行った。

「あのう…鬼瓦と申しますが、副館長の○○先生はおいででしょうか。もし、お時間がありましたらご挨拶したいと思いまして…」

「少々お待ち下さい」と、受付の方が内線電話をかけた。

こちらが期待したのは、「いちおう問い合わせてみて、ご当人が不在である」というパターンだった。であれば、仕方がない、とあきらめもつく。

だが、受付の方が僕たちに言った答えが、

「いま、こちらにうかがうとのことでしたので、少々お待ち下さい」

というものだった。僕たちはとたんにどきどきした。

ほどなくして、その方があらわれた。

いったいこの二人は誰だろう?という顔を一瞬されたが、名刺を交換して、「実はこれこれこういう事情で…」とお話しすると、「座ってお話ししましょう」と、応接室に通された。

そこで15分ほど、あれこれとお話しをした。考えてみれば、初対面とはいえ、今回の企画展、という共通の話題があるのである。その方のお話から、今回の企画展に対する強い思いを感じることができた。

あまり長居をしてはいけないと思い、「ありがとうございます」と席を立つと、

「実は私、来年が定年でして、これが最後に手がけた企画展なんです」

とおっしゃった。なるほど、まるで集大成のような展示だ、と僕たちが感じたのは、そういうことだったのか。

帰り道、妻が言った。

「企画展がよかったから担当者の方に挨拶したい、ってのは、まるで『この料理が美味しかったから、シェフに会って挨拶したい』というようなものだね」

なるほど、至言である。

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思いつきの再会

2月21日(土)

2日目の仕事が終わり、少し時間が空いたので、「前の職場」の卒業生で、現在この町で働いているIさんに連絡をとってみることにした。

急に思いついたことなので、会えないだろうな、と思っていたら、お会いしましょう、夫も連れていきます、という返信が帰ってきた。

Iさんは、たしか数年前に同じ職場の年上の同僚と結婚したのだった。以前にIさんと会ったときは、まだ結婚前のことで、結婚したい相手がいるんだけれど、と、いささか逡巡した表情で話していたことを思い出した。まあ結婚を決める前は、誰でもそういう気持ちになるのだろう。

ところでその夫のことをまったく知らない僕は、人見知りが激しいこともあり、夫の前でダンマリを決め込んでしまうのではないだろうか、といささか不安になった。

指定された場所に行くと、すでに二人は来ていた。

「夫のSです」

「はじめまして」

僕の不安は杞憂に終わった。Sさんはまじめで気さくな人で、話題は途切れることがなかった。何より物腰が柔らかで、信頼感がある。僕に対して、警戒感を示すことなく話をしてくれる。

Sさんは「お城マニア」だそうで、「日本百名城」をまわってスタンプを集めたりしているそうだ。そのせいで、全国を旅するようになったという。Iさんも、しばしばその旅についていくのだという。

僕はお城にはまったく詳しくないのだが、仕事柄、各地を訪れるので、どこにどんなお城があるかは、おぼろげながら知っている。なので、話題に取り残されることはなかった。

おもしろかったのは、話題がいろいろな方面にわたっても、

「お城でたとえるとですねぇ……」

と、世の中の事象をなんでもお城にたとえてとらえていることである。一つのことをつきつめることがあらゆる事象を理解することにつながる。そのことを実践している。よっぽどお城が好きなんだなあと、すっかり感心してしまった。

二人と別れたあと、

(あの人ならば、間違いない)

と思った。

ん?ひょっとすると、娘の結婚相手を見定める気持ちというのは、こういうことなのかも知れない。

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