旅行・地域

新幹線事情

3月22日(日)

またまた、日帰り出張で西に向かう。いま、行きの新幹線の中である。

新幹線は、コロナウィルスの影響で、例によってガラガラである。

東京駅で新幹線の切符を買おうと、窓口で、

「いまから乗る新幹線で、E席の取れる新幹線をお願いします」

と言ったら、

「いい席ですか?」

と聞かれた。良い席?

「いや、その…Eの席です」

「ああ、Eの席ですね。だったら、どの新幹線も大丈夫ですよ」

無事に、早めの新幹線のE席を確保することができた。E席とは、2列シートの窓側である。

新幹線に乗り込むと、やはりガラガラである。3列シートなんて、ほとんど座っている人がいない。

ところが、である。

僕が座っている列の、通路を挟んで隣の3列シートには、作業着を着たむくつけき男ども3人が、ビッチリと並んで座っているではないか!!!

どういうこっちゃ???

他の3列シートは、がら空きなんだぜ。にもかかわらず、どうして、3人並んで席を取っちゃったんだろう?

どうやら会社の同僚らしいので、何か仕事の打ち合わせでもあるのかな?と思ったのだが、3人はまったく会話をする気配がない。

まったく言葉を交わすことなく、ただたんに、窮屈そうに座っているだけなのである。

明らかに他の席が空いているのだから、ちょっと融通を利かせてばらけて座ればいいのに、と思うのだが、ずーっと律儀に3人並んで座っていて、誰も席を動こうとしない。

こっちからすれば、車両のこの部分だけ、人口密度が高いのだ。つまり、感染の確率が高くなっているのである。まったく、迷惑な話である。

どうしてこんなふうになっちゃうのだろう?

僕が新幹線に乗っているとき、いつも思うことなのだが、同じ会社の人間の何人かが出張のために新幹線に乗っている光景をよく見かけることがある。

すると決まって、彼らは隣同士の席を取ったり、4人とか6人の場合は、席をボックスにしたりして、座っているのである。

家族や友人と旅行に行くならばそれは当然だが、仕事で同僚と出張するときに、新幹線で隣同士の席に座るというのは、僕にとって死ぬほど耐えがたい。往復の移動くらいは1人にしてくれよ、と思う。

だが、多くのサラリーマンたちは、おそらくそれを苦としないのである。

この背景には、この国の社会に宿る同調圧力が存在すると、僕は仮説を立てているのだが、いま、僕の横で3列シートに並んで座っている作業服の男たちも、その同調圧力に慣らされた結果、「空いているので席を別々に座る」という融通が利かなくなっているのではないだろうか。

考えすぎか?もちろん、こんなことを考えるのは、その人たちにとって「よけいなお世話」なのかも知れない。

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新幹線日帰り出張

3月16日(月)

日帰りで西に向かう。新幹線と在来線を乗り継いで、3時間以上かかる場所である。

3年後くらいに大きなイベントを担当することになってしまい、そのために、これからお世話になるところにご挨拶にうかがうことにしたのである。手始めに、昨年(2019年)の1月にも一度訪れたことのある、関西のある大学を訪問することにした。

こういう下交渉というのは、実に苦手である。もともと非社交的で、座持ちが悪いので、どうしてよいかわからなくなる。だが仕事なので仕方がない。

以前にもお会いしたベテランのスタッフの方のとなりに、若手の方がおられた。

「はじめまして」

と名刺交換をすると、

「鬼瓦先生、以前、M市に何度か来られてましたよね」

という。

「はあ」

九州のM市には、2016年度から2018年度の3年間のプロジェクトの際に、3回ほど訪れたことがある。

「私、ここに来る以前は、M市につとめておりまして、鬼瓦先生がM市に来られたときに、Kさんの部下として同席しておりました」

「そうでしたか!」

…といっても、まことに申し訳ないことに、記憶がない。

そのときのプロジェクトでは、おもにkさんという方と一緒に仕事をしたのだが、その方は、Kさんの部下として、その場に居合わせていたというのだ。

こういうときって、実になんというか、決まりが悪い。

相手は自分のことを覚えていても、自分が相手のことを覚えていないというのは、相手にとって感じ悪いことではないだろうか。そう思うと、つい、自己嫌悪に陥ってしまうのである。

あとでインターネットで調べてみると、その方は、どうも2017年4月にいまの職場に移られたらしい。僕が九州のM市を訪れたのは、2015年の3月11日と、2016年の8月と、2018年の12月の3回だったので、おそらく、2015年の3月か2016年の8月に訪れたときにお目にかかったのであろう。

それにしても、九州のM市から関西の大学へと、一見まったくつながりのない職場に移られたにもかかわらず、僕がその二つの職場に関わって、しかもまったく別のプロジェクトで、その方とお目にかかるというのは、なんという奇跡であろうか。

我ながら引きが強いと思わざるを得ないが、もうあんまり驚かなくなった。人はいろいろなところでつながっているのだ。

その方には、今度のプロジェクトに正式に加わっていただくことになった。僕にとってみれば、以前にお目にかかったことがあるという気安さで、グンと仕事がやりやすくなった。

こういうことがあると、ちょっとした出会いも、おろそかにしてはいけないものだと、痛感する。

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たった5分のプレッシャー

2月23日(日)

2日間にわたる北の町での「同業者祭り」が無事に終わった。

今回、僕がどうしてもこの「同業者祭り」に出席しなければならなかった理由は、コメンテーターを依頼されたからである。

「2日目の最後に、登壇者の方々の報告をふまえてコメントを5分程度でお願いします」

といわれたのは、10日ほど前のことだったか。

事前に送られてきた資料を見ると、登壇者は百戦錬磨の猛者ばかりで、

(こんな猛者たちを前にして、俺は何をコメントしたらいいのか?)

と、すっかり不安になってしまった。

少しでも不安を解消するために、あらかじめ読み原稿をつくってみたのだが、その読み原稿が、会の趣旨に合った内容なのかどうかもわからず、ますます不安になってしまった。

(うーむ。困った)

コメントは、「同業者祭り」の最終盤にあてられているので、たった5分のこととはいっても、初日からずーっとそのことが気にかかってしまい、気が滅入る一方である。しかも、

「2日目は、新幹線の時間の都合上、3時に終わらせないといけませんから、発言は時間を厳守して下さい」

と言われる。つまり、あんまりだらだらとコメントを言わないように、という意味である。

読み原稿を読み返してみると、7~8分はゆうにかかりそうなので、

(うーむ。どこかを端折らないといけないなあ)

と、またそこで悩んでしまった。

いよいよ、午後1時15分から午後の部が始まる。

それにつけても気になるのは、時間である。

(うーむ。このままのペースだと、いよいよ僕のコメントは短めにしないとダメかもな)

などと、登壇者の話そっちのけで、そのことばかりが気になってしまった。

そして2時半過ぎ。

「でほ鬼瓦先生、この件につきまして、コメントをお願いします」

結局僕は、一心不乱に原稿を読み上げた。時間を気にする余裕などなく、言いたいことが伝わったのかどうかもわからない。

その後も討論やコメントが続き、予定の3時を7,8分ほど過ぎて、会は終わった。

あれだけの盛りだくさんの内容で、ほぼ時間どおりに終わらせたのは、司会進行の方の手腕によるところが大きいだろう。

さて、帰りの新幹線の時間は、3時39分。会場から駅までは、歩いて10分程度かかる。

会が終わり、急いで会場を出ると、外は吹雪いていた。

僕は冷たい横風に震えながら、駅へと急いだ。

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北へ向かう

2月22日(土)

昨日も、めちゃくちゃ忙しい1日だった。

北へ向かう新幹線のなかで、この文章を書いている。

これから二日間、「同業者祭り」である。

僕は「同業者祭り」に極力出席しないことにしているのだが、この「同業者祭り」ばかりは、むかしからお世話になっている人が多いこともあり、出席することにしている。

だが、この「同業者祭り」は、僕にとってはなかなか過酷である。

第一に、冬の寒い時期に、寒い地方でおこなわれるということ。

第二に、移動時間が長いこと。

第三に、初日の午後から、夜の懇親会を経て2日目の夕方まで、ほぼノンストップでおこなわれるということ。

スタミナ的にかなりきつい会なのである。ましてや体調が万全とはいえない僕からしたら、年々きつくなっている。

昨今の新型コロナウィルスの影響で、あるいは中止になってしまうのではないかとも思ったが、予定どおりおこなうという。

そういえば、来週末は今度は新幹線で西に向かうことになっているのだが、そちらの会のほうも、いまのところ予定どおりおこなうという。主催者からのメッセージに「こんなご時世ですので、不要不急ではないみなさんには覚悟してお集まりいただくことにしたいと思います」とあった。「覚悟して来い」といわれると、本当に「不要不急ではない」といえるのか、ちょっとひるんでしまう。

各地でおこなわれるイベントが、軒並み中止になっている。その様子を見て思うことは、

「この世に、必要なイベントなど存在しないのではないか」

とという、確信に近い仮説である。

「本が捨てられない」という心理と似たような感覚である。

なぜ本が捨てられないのか?もし1冊でも本を捨てることができてしまうと、その他の本も自分にとってとくに必要な本というわけではない、という真実に気づいてしまうからではないか、そのことに気づくのがこわいから、本を捨てるのがためらわれるのだと、以前、ある人が言っていた。

イベントもまた然り。ひとつイベントを中止してしまうと、「じゃ、このイベントもいらねんじゃね?」と、次々と中止の連鎖が起こる。

結局、この世には、必要なイベントなど何一つないということになるのだ。

だから、今年の夏にこの国でおこなわれる予定の大規模なスポーツイベントは、口が裂けても「中止」という言葉を口にすることはできないのだろう。

昨晩のニュースを見ていて、新型コロナウィルスの感染拡大が深刻になっているというニュースのあとに、

「東京五輪の公式スポーツウェアが決まりました!」

と、アナウンサーがニコニコしながら伝えているのを見て、

(俺はいま、どんなパラレルワールドに住んでいるのだ???)

と、脳がグンニョリしてしまったのだった。

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方角に迷う駅

2月1日(土)

出張のため、新幹線で、西に向かう。新幹線の駅を降りてから、地下鉄に乗り換えて1駅で、この界隈でも有数の繁華街のある駅に到着する。

この「市」には、ここ最近何度か訪れているが、この「繁華街のある駅」で降りるのは、ほぼ初めてである。

この駅は、とくに関東圏から来た人間にとっては、少々わかりにくい。北に私鉄、真ん中にJR、南に私鉄と、平行に走っていた三つの鉄道が、この駅で合流するのである。

しかも、駅名表記が、鉄道によって微妙に異なるのがややこしい。うっかり間違って表記しちゃったら、「おまえわかってないな」と言われそうである。

もっとよくわからないのが、「東口」と「西口」である。

僕の感覚だと、「東口」「西口」と言われたら、線路を挟んでそれぞれ反対側に「東口」「西口」があると思ってしまうのだが、どうもこの駅はそういうわけではないらしい。線路の南側に出て、東側が「東口」、西側が「西口」ということらしい。しかも、明確に「東口」「西口」という場所があるのかすら、よくわからない。いや、じっくり調べたらわかるのかも知れないけれど。

泊まる予定のホテルが「東口」にある、といわれても、そもそも東口がどこにあるのかよくわからず、グルグルと変な道を回ったりしたのであった。

また、今度は用務先の場所が「西口から徒歩10分」といわれた日には、「西口ってどっちだよ!」と、ますますわかんなくなる。

この界隈では有数の繁華街であり、観光名所でもあるのだが、まったく土地勘のない人間にとっては、とても難易度の高い町なのではないだろうか。

あるいはたんに僕が老化しただけなのか。

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シェフを呼んで下さい

1月24日(金)

仕事の関係で、ある美術館に行く。仕事の必要からどうしても見ておかなければいけない企画展がもうすぐ会期を終えるのだが、なんとか間に合った。今回は、妻もやはり仕事の必要から同行した。

新幹線に乗って北に向かい、1時間20分ほどで駅に着く。そこから、1時間に1本の間隔で出ているバスに乗り、10分ほどで到着した。わずか10分ほどの乗車だったが、さきほどまでの駅前の喧噪が嘘のように、その美術館は森に囲まれたところにあった。

じっくりと企画展を見て、

「まるで集大成のような展示だね」

と妻が言った。なるほど、たしかにそんな感じがした。

さて、仕事の必要から、この展示を企画した担当者の方に、ぜひお話をうかがいたいと思った。ところが、僕も妻も、その方とはまったく面識がないし、業界も異なる。二人とも、全然面識のない方にこちらからご挨拶してお話をうかがう、ということが、とても苦手なのである。いきなり全然知らない人が訪ねてきて、「変な人だと思われないだろうか」とか、「めんどくさいと思われないだろうか」と、被害妄想が頭によぎった。

しかも、おそらく先方は、とても忙しい方だろうし、そんな知らない人間のために時間を割いてもらうことが忍びない。

しかしせっかくここまで来て、お話を聞かずに帰るというのも、あとで悔いが残る。

まあ多少煙たがられても、悔いが残らないようにトライしてみようと、意を決して、受付に行った。

「あのう…鬼瓦と申しますが、副館長の○○先生はおいででしょうか。もし、お時間がありましたらご挨拶したいと思いまして…」

「少々お待ち下さい」と、受付の方が内線電話をかけた。

こちらが期待したのは、「いちおう問い合わせてみて、ご当人が不在である」というパターンだった。であれば、仕方がない、とあきらめもつく。

だが、受付の方が僕たちに言った答えが、

「いま、こちらにうかがうとのことでしたので、少々お待ち下さい」

というものだった。僕たちはとたんにどきどきした。

ほどなくして、その方があらわれた。

いったいこの二人は誰だろう?という顔を一瞬されたが、名刺を交換して、「実はこれこれこういう事情で…」とお話しすると、「座ってお話ししましょう」と、応接室に通された。

そこで15分ほど、あれこれとお話しをした。考えてみれば、初対面とはいえ、今回の企画展、という共通の話題があるのである。その方のお話から、今回の企画展に対する強い思いを感じることができた。

あまり長居をしてはいけないと思い、「ありがとうございます」と席を立つと、

「実は私、来年が定年でして、これが最後に手がけた企画展なんです」

とおっしゃった。なるほど、まるで集大成のような展示だ、と僕たちが感じたのは、そういうことだったのか。

帰り道、妻が言った。

「企画展がよかったから担当者の方に挨拶したい、ってのは、まるで『この料理が美味しかったから、シェフに会って挨拶したい』というようなものだね」

なるほど、至言である。

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思いつきの再会

2月21日(土)

2日目の仕事が終わり、少し時間が空いたので、「前の職場」の卒業生で、現在この町で働いているIさんに連絡をとってみることにした。

急に思いついたことなので、会えないだろうな、と思っていたら、お会いしましょう、夫も連れていきます、という返信が帰ってきた。

Iさんは、たしか数年前に同じ職場の年上の同僚と結婚したのだった。以前にIさんと会ったときは、まだ結婚前のことで、結婚したい相手がいるんだけれど、と、いささか逡巡した表情で話していたことを思い出した。まあ結婚を決める前は、誰でもそういう気持ちになるのだろう。

ところでその夫のことをまったく知らない僕は、人見知りが激しいこともあり、夫の前でダンマリを決め込んでしまうのではないだろうか、といささか不安になった。

指定された場所に行くと、すでに二人は来ていた。

「夫のSです」

「はじめまして」

僕の不安は杞憂に終わった。Sさんはまじめで気さくな人で、話題は途切れることがなかった。何より物腰が柔らかで、信頼感がある。僕に対して、警戒感を示すことなく話をしてくれる。

Sさんは「お城マニア」だそうで、「日本百名城」をまわってスタンプを集めたりしているそうだ。そのせいで、全国を旅するようになったという。Iさんも、しばしばその旅についていくのだという。

僕はお城にはまったく詳しくないのだが、仕事柄、各地を訪れるので、どこにどんなお城があるかは、おぼろげながら知っている。なので、話題に取り残されることはなかった。

おもしろかったのは、話題がいろいろな方面にわたっても、

「お城でたとえるとですねぇ……」

と、世の中の事象をなんでもお城にたとえてとらえていることである。一つのことをつきつめることがあらゆる事象を理解することにつながる。そのことを実践している。よっぽどお城が好きなんだなあと、すっかり感心してしまった。

二人と別れたあと、

(あの人ならば、間違いない)

と思った。

ん?ひょっとすると、娘の結婚相手を見定める気持ちというのは、こういうことなのかも知れない。

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オフ会ならぬ、オン会

12月20日(金)

久しぶりに「前の前の勤務地」に訪れる。

「新幹線の停まる駅」で集合し、ジャンボタクシーに乗ること1時間弱。山の中の小さな建物。

完全防寒体勢に防塵マスク、ゴム手袋、使い捨てのビニールポンチョという厳戒態勢で作業した。中身の濃い内容で、すっかり疲れてしまった。

夜になり作業チームは解散し、その後こぶぎさんと合流する。

何度も書いていることだが、こぶぎさんとは、ふだんまったく連絡を取り合っていない。たまたま、僕が「前の前の勤務地」に仕事で訪れたりするときに、「オフ会」と称して喫茶店で喋る。不定期会合なのである。

で、たいていは、前回会ったときから久しぶりなものだから、その間に起こったさまざまな出来事をこぶぎさんが次々とまくし立てていくのである。いつも、袋いっぱいの「小ネタ」を詰めて。

さて、こぶぎさんの車に乗り、「どこへ行きましょうか」と、聞くと、

「これから、○○○コーヒーに行きます。あそこはWi-Fiがありますから」

「Wi-Fi?」

「ええ、今回はネットにつながらないと、いろいろなお話しができません」

「それ、オフ会じゃないでしょう」

「ええ、ですからオン会です。…いや、半オフ会?オンオフ会?」

「そんな呼び方はどうでもいいです。ネットをオフにして集まるからオフ会なのに、ネットがないと成立しない会なんて、本末転倒じゃないですか?」

「たしかに」

喫茶店に着くと、こぶぎさんはさっそく自分のノートパソコンとタブレット端末を店内のWi-Fiにつないだ。そして大きなビニール袋から取り出した数々の小ネタ、比較的大きめのノートパソコン、そしてタブレット端末を駆使して、この間の出来事を怒濤のように繰り出したのだ。

袋からアヤシげなものを出したり、ノートパソコンの画面を僕のほうにむけてまるで紙芝居をするように説明をしたりと、まわりの人が見たら、「アラフィフのこの人たちは、いったい何をやっているんだろう」と、不審がられたに違いないのだ。

あっという間に閉店時間となった。

「なんとか、話したいことがギリギリ話せました」こぶぎさんは、話すことを箇条書きにしたメモを持っていて、どうやらそこに書かれた話題をすべて話しきったようだった。

「考えたら、鬼瓦さんの話、全然聴けなかったですね」

そうだ。考えたら、こっちの話は全然していない。

店を出て、車に乗り込み、ホテルまで送ってもらう。

ホテルに着く数分前、

「そういえば…」といって、僕はある話を思い出した。

「かくかくしかじか…ね?すごい話でしょう。すごくおもしろい話なんだけれども、絶対ブログには書けない」

「たしかに…。というか、オフ会とは本来、そういう話をする場でしたね。ブログに書けない話をしてもらう場でした」

「ようやく気づきましたか。こぶぎさん」

「最後の最後に、ようやくオフ会らしくなりました」

「わずか数分でしたけれどね」

ただ次回もまた、こぶぎさんは大きな袋にたくさんの小ネタを詰め込んで、Wi-Fi環境のある喫茶店で、大きなノートパソコンを紙芝居代わりに使いながら、自分の身のまわりに起こった出来事をまくし立てることだろう。というかそれが、こぶぎさんとの本来のオフ会の形なのだ。

「じゃあまたいずれ」

「お元気で」

次のオフ会はいつになるのか、なりゆきまかせである。

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マウルバス

前回の記事は、こぶぎさんのために書いたようなものである。おそらく、こぶぎさん以外の読者には、まったく興味のない記事だったのではないかと思われる。

「不朽のこぶぎ」というハンドルネームだけで、この記事についてすべてを理解していることを示しているのだが、ほかの読者には何のことやらわかるまい。

で、今回も、前回に引き続き、一般の読者にはまったく興味のない話を書く。

今回の旅の移動ルートについて、おさらいしておこう。

まず、金浦空港からS大学へは、金浦空港国際線ターミナルの6番乗り場から、6003番バスに乗った。4000ウォン。12時頃に空港を出て、50分くらいかかっただろうか。

S大学から、「人里離れた山の中の研究所」までは、タクシーを使い、25000ウォン程度。2時半頃に出て、3時15分くらいに着いた。

「人里離れた山の中の研究所」から地下鉄2号線の江南駅までは、9004番のバスに乗った。料金は失念。4時半過ぎに研究所を出て、バスを待つ時間を含めて1時間ほどで江南駅に着いた。

ここまでが1日目(土曜日)の話で、前回の記事にも書いたことである。

12月8日(日)、2日目。

朝9時、ホテルを出発。江南駅から地下鉄2号線に乗り、サダン駅で地下鉄4号線に乗り換え、I駅で降りて、C博物館に着いたのが、午前10時。

ここで12時過ぎまで過ごし、再び4号線に乗って、忠武路駅で3号線に乗り換え、安国駅で降りて、2番出口から出て、ここから歩いて、有名なカルグクスのお店に向かう。少し並んで、1時半頃に店に入ることができた。

以前に何度も来たことのあるお店だが、いまやかなりの人気店で、行列ができていた。行列に並んでまでして食べるのはあまり好きではないのだが、このお店のカルグクスは、並んでまでしても食べる価値がある。

2時20分頃にお店を出て、今回の旅の最終目的地であるM博物館に向かう。ここで1時間強の時間を過ごし、博物館を出るときは3時半をまわっていた。

さて、ここから空港に帰るのだが、どうやって帰ったらよいものか?

M博物館付近から、金浦空港へ直行するリムジンバスはないようだ。

小さな娘もいるし、いっそタクシーで空港まで行っちゃおうか?

…しかしそれは、あまりにもお金がもったいない。

では、ここから歩いて3号線の安国駅に向かい、忠武路駅で4号線に乗り換え、ソウル駅で空港鉄道に乗り換えて、空港まで向かうか?

…このルートは、とても面倒くさい。疲れているので、なおさらである。

では、ここからソウル駅までタクシーで行って、そこから空港鉄道で金浦空港に向かうか?

…この方法が、最も合理的ではないか、と思われたので、そうしようと思って、M博物館を出た。

広い通りに出たところで、さあタクシーを拾おうと思った矢先、バス停があることに気づいた。

バス停らしき案内板には「マウルバス」と書いてある。「マウル」とは、韓国語で「村」の意味。つまり「村のバス」である。どうやら、町内の狭い範囲を走る循環バスのことを「マウルバス」というらしい。

「マウルバス」の停留所の案内板には、路線図が書いてあり、このバスに乗れば、景福宮、世宗文化会館、ソウル市庁などを通って、どうやらソウル駅まで行けるようである。

時刻表はなく、「配車間隔:10分」とだけ書いてある。

韓国のバスについてすっかり疑心暗鬼になっている僕は、はたしてこれがマウルバスの停留所なのか、にわかには信じられなかった。ひょっとしたら、むかしは走っていたけれども、いまは廃線になってしまったとか。何か落とし穴があるに違いない。

「10分待ってこなかったら、タクシーでソウル駅に行くことにしよう」と決めて、とりあえずバス停らしきその案内板のところで待つことにした。

待つこと10分。午後4時頃、黄緑色の小ぶりのバスがやって来た。

「マウルバスだ!」

料金はひとり900ウォン。もちろん、タクシーよりもはるかに安い。おかげでタクシーに乗らずに、ソウル駅にたどり着くことができた。

で、そこから空港鉄道で金浦空港に着いたのが午後5時頃だった。

時間があるので、金浦空港に隣接したロッテマートでおみやげでも買おうと思ったのだが、なんと日曜日は、ロッテマートがお休みだそうで、おみやげを買うことができなかった。

2日目の旅で学んだことは二つ。

一つは、「マウルバス」は便利だ、ということ。

もう一つは、金浦空港のロッテマートは、日曜日は休業しているので注意!ということ。

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韓国路線バスの謎・解決編

12月7日(土)

なぜこの週末に、1泊2日で韓国に行ったのかって?しかも年に一度の「業界人祭り」をサボってまでなぜわざわざ行ったのか?

それは、S大学博物館の企画展が、12月7日(土)が最終日で、どうしてもこの企画展を見に行かなければならなかったからである!

この日しか、企画展を見に行くチャンスがなかったから、強引にこの日にソウルに行くことにしたのである。

S大学は、江南(カンナム)、つまり漢江(ハンガン)の南にあるので、今回は、江南駅の近くのホテルに泊まることにした。

午前11時半過ぎ、金浦空港に着いて、いったん江南駅近くの宿に荷物を置いてからS大学に移動する予定だったが、それでは時間がもったいないなあと思い、空港に着いてから急遽、

「S大学に直接行くバスがありますか?」

と聞いてみたところ、

「6番乗り場からS大に直接行くバスが出ていますよ。終点で降りればいいです」

というので、荷物を持ったまま、バスで直接、S大学に行くことにした。

1時頃にS大に着いた。そこで1時間半ほど、企画展を見学した。

実は今日中に、もう1カ所、訪れなければならない場所があった。それは、以前に訪れたことがある、「人里離れた山奥にある研究所」である。

ここでも企画展をやっていて、月曜から土曜までが開館日で、日曜日が休館日なのである。ということは、行くとすれば今日しかない、ということになる。

以前に行ったとき、さんざん苦労してたどり着いた記憶があるので、面倒なのでS大学からタクシーに乗って行くことにした。

しかし、一つ懸念があった。「人里離れた山奥にある研究所」は、おそらくタクシーの運転手さんにとってもよくわからない場所である。ソウルのタクシーの運転手さんは、自分がよくわからない場所には、行きたがらない。つまり、乗車拒否される可能性が高いのである。

タクシーにカーナビが付いてるんだから、それで調べてくれればいいじゃん!と、こっちとしては思うのだが、どういうわけか、カーナビをあまり使いたがらない運転手さんがいたりするのである。

案の定、1台目につかまえた運転手さんは、「わからねえ」と言って、乗車拒否されてしまった。

だが運良く、2台目につかまえたタクシーの運転手さんが、カーナビで場所を調べてくれて、「行ってもいいよ」と言ってくれた。

「ただし、その場所はソウル市外にあるから、タクシー料金が上がりますぜ」

「どのくらい上がるんです?」

「市外に出たとたん、2割増しになります」

「わかりました」

いくらになるのか見当もつかなかったが、「30~40分くらいで着く」と言ってたみたいだから、それほど高額にはならないだろうと思い、そのままタクシーで行くことにした。

タクシーはどんどん郊外へと走って行き、こんな山の中だったっけ?と行った道を登りながら、ようやく目的地に着いた。タクシー料金は、日本円で2500円程度だった。

相変わらずの山の中である。土曜日のせいか、だだっ広い研究所には人っ子ひとりいない。入口に守衛さんが1人いるだけである。

それでも、企画展は開いていた。もちろん、お客さんは人っ子ひとりいない。

「こんなに誰もいなくていいのかよ!」

と思いながら、1時間ほどその企画展を見て、4時半ごろ、その研究所を出て江南駅近くのホテルに行くことにした。

事前に調べたところでは、9004番のバスが、ここから直接江南駅に行くので、9004番のバスに乗れば間違いがない。

…とここで、思い出したことがあった。

4年ほど前、ここからソウル市内に戻ろうとしたときに、バス停でいくら待っていても、バスが通り過ぎる、という謎の現象が起こった。おかげでそのときは、あやうくソウル市内に帰りそこねた。

いまだに僕の中では、その謎の現象の意味が解決できていなかった。

また同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。そこで、研究所の入口にいた守衛さんに、バス停の場所を聞くことにした。

「バスでソウル市内に戻りたいんですけど、バス停はどこですか?」

するとその守衛さんは親切に答えてくれた。

「あそこに、バス停が見えるでしょう?あそこに行けばいいです」

そう言って指した場所は、以前と同じバス停の場所だった。つまり、「いくら待っていてもすべてのバスが通り過ぎるバス停」を指さしたのである。

しかし、その守衛さんがあまりに親切に答えてくれたので、僕はまた、そのバス停でバスを待つことにしたのだった。

そのバス停には、電光掲示板があるし、バスの路線図もある。どう見ても立派なバス停である。

電光掲示板には、何番のバスが、あと何分で到着します、という表示が出ている。

9004番のバスについても情報が出ていて、ホッとした。あと1分で到着、とある。

…というか、ほとんどすべてのバスが、「あと1分で到着」と出ている。どういうこっちゃ???

その停留所には、次々といろいろな番号のバスが訪れるのだが、例によってものすごい勢いで通り過ぎていく。

僕はたちまち不安になった。また4年前と同じ結果になるのではないだろうか?

あと1分で到着、と書いてあった9004番のバスは、5分過ぎても来ない。

「1分って書いてあるのに、どうして来ないんだろう?」

と同行の妻が聞くので、

「1分以上かかる場合は、すべて1分ということにしてるんじゃない?」

と答えてみたが、よくわからない。

10分近くたって、ようやく9004番のバスが向こうから来るのが見えた。はたして停まってくれるだろうか?

「こういうときは、轢かれる覚悟で『乗りま~す』ってアピールすればいいのよ」

と妻が言うと、バスの前に飛び出して、「お~い」とバスに向かって手を振った。まるで、遭難した人が助けを求めるように、である。

するとバスが停まった。

「よかった。停まってくれた」

バスの中から運転手さんが出てきて、

「ここは乗り場ではないんですよ。降りるための専用の停留所でね」

「え?そうなんですか?」

「始発の停留所は、反対側を戻った先にあるんです」

「そうだったんですか…」

「でもまあいいです。乗ってください」

そういうと、バスの運転手さんは親切に、僕たちを乗せてくれたのである。小さな娘も一緒だったから、不憫に思ったのかも知れない。

バスが走り出してしばらくすると、「最初の停留所」に停まった。

(ここが本当のバス乗り場だったのか…)

と、ようやく4年越しの謎が解決したのであった。次回来たときは、もう迷うことはあるまい。

しかしそれでもなお、不思議なことがある。

守衛さんはなぜ、降りるための専用の停留所を指さして、あそこがバス乗り場だと教えてくれたのだろう?

ひょっとして守衛さんも、よく知らなかったのではないだろうか?

もうひとつの大きな謎。それは、なぜ、降りるための専用の停留所であるにもかかわらず、「あと何分で到着する」といった電光掲示板や、バス路線図が設置されているのか?

乗り場ではないのだから、「あと何分で到着する」という電光掲示板は不要である。もちろん降りる人にとっても不必要な掲示板である。ではいったい誰に向けての情報なのか?

この電光掲示板や路線図があったばかりに、僕たちは、ここがバス乗り場だと勘違いしてしまったのである!

不可解さを残したまま、夕方5時過ぎ、9004番のバスは江南駅の繁華街まで、僕たちを送ってくれたのだった。

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