旅行・地域

名刺交換

6月1日(水)

新幹線で北に向かう。

メインの用務は午後の会議だが、生来の貧乏性ゆえか、前後にそれぞれ別件の用事を入れて、日帰り出張をめいっぱい使った。案の定、極度に疲労困憊となった。

午後の会議では、初めて会う人が多く、会議の前には名刺交換の嵐である。

考えてみれば、コロナ禍で出張がなかったときは、名刺交換を行うこともなかったのだが、4月以降、出張が続くようになると、とたんに名刺を配りまくることになり、もはや名刺の在庫がなくなりつつある。

今回は、部長、課長、オブザーバー、新規委員の方々と名刺交換したが、途中から、手持ちの名刺が切れてしまったらどうしようとヒヤヒヤした。何とか5枚にとどまったので、手持ちの名刺が切れなくて済んだ。

会議が終わり、最寄りの駅に移動し、休む間もなく、別件の打合せを行い、長い一日が終わった。

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不意打ちの面接試験

5月25日(水)

新幹線と在来線を乗り継いで、1泊2日の出張である。

来年のイベントの協力依頼のため、各所に挨拶回りをするというのが、今回の用務である。

本日の用務先は1カ所で、仲介の労をとっていただいた方から事前の聞いていた話では、「ふたつ返事で協力してくれるようなことをおっしゃってましたよ」という。

しかし念のためご挨拶しておくのは必要なので、その方のお宅にご訪問することにしたのである。

当初予想していた感じと違い、対応された方は、かなり気難しい感じの人であった。名刺をお渡しすると、あ、そうですか、という感じで、受け取られた。

「最初に言っておきますけれど、以前、別のところから協力の依頼でお見えになった方が、とても印象が悪かったので、イヤな思いをしたことがあります。私どもが提供するものを、ほんとうに丁寧に扱ってくれるのか、そのことが払拭されないかぎり、協力しない方針です」

機先を制せられた。こちらをかなり警戒している様子である。

ふたつ返事で協力してくれるようなことを言っていた、というのは、何だったんだ?と不意打ちを食らってしまったが、やはり実際にお目にかかっておいてよかった。ここからがほんとうの交渉ごとである。

僕は、こちらの趣旨をできるだけ丁寧にご説明したが、説明しているうちに汗が噴き出し、心が折れそうになった。

まるでこれは、面接試験だな。

先方は、僕のしどろもどろの説明に納得しているかどうか、顔色ひとつ変えない。

「要点だけ言ってください」

「すみません…」

ひととおり説明を終えたあと、先方は、

「わかりました。…では名刺をお渡しします」

といって、そこで初めて、先方が名刺を差し出した。

…これって、この時点で初めて客として認めてもらったってことか???

僕もいい大人なのだから、これくらいのことでビビっていてはいけない、というのは心ではよくわかっているのだが、やはり、なかなか慣れるというものではない。

最終的には、

「いちおう、承りました」

と言われたのだが、これは、とりあえず合格、とみてよいのか???

よくわからないまま、あまり長居するのも失礼かと思い、ひととおりのご説明が終わった後に退散した。

そういえば、ビジネスマナーをなにひとつ僕は実践していなかったな、と反省した。というか、それどころではなかった。とにかく先方の警戒心を解くために、決してアヤシいものではございません、と、丁寧に説明することにばかり注力していたのである。それが相手の心に届いたのかどうか、今ひとつ、達成感がない。ま、ここまでくれば、あとはなるようにしかならないだろう。

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今日の反省

5月11日(水)

昨日から1泊2日で、久しぶりに飛行機に乗り、遠方の出張である。

昨日は、用務先に到着するやいなや、わりと神経を使う作業をして、ドッと疲れてしまった。今回はメンバーが多かったこともあり、精神的にも疲れてしまった。

今日は、朝から夕方まで、巡検である。

ここから先のことは、やや具体的に説明しないとわかりにくいかもしれない。

この日の予定は、朝8時40分にホテルのロビーに集合して、ジャンボタクシーに乗り、巡検を行う。

メンバーは男性3人、女性3人の合計6人である。

ジャンボタクシーに、8時45分までにホテルの裏口にある駐車スペースまで来てもらい、我々はホテルの裏口から、そのジャンボタクシーに乗ることになっていた。

時間通りメンバーが揃って、8時45分にホテルの裏口に行くと、すでにジャンボタクシーが駐車スペースに停まっていた。ジャンボタクシーというくらいだから、かなり大きい。運転もたいへんそうだ。

しかし運転席を見てみると、運転手さんが不在である。

ジャンボタクシーのバックドアのところにホテルの制服らしいものを来た若い女性が一人いるだけである。ジャンボタクシーを駐車スペースに誘導した従業員さんだろうか。

「運転手さんがいませんねえ」

しばらくすると、前のほうから、ジャンボタクシーに向かっておじさんが歩いてきた。

「あ、運転手さんらしき人が来ましたね」いかにも、ジャンボタクシーを運転しそうな風貌をしている。

ところが、そのおじさんは、ジャンボタクシーの横を通り過ぎて、ホテルの中に入っていってしまった。

(あれ?…僕たちのことを客だと気づかず、客がまだ中にいると思ってホテルに入っていったのかな?)、と思っていたそのとき、

「あのう…ジャンボタクシーを利用されるお客様でしょうか」

と、ホテルの制服らしきものを着ている若い女性が僕たちに向かって尋ねた。

「そうです」

と言うと、

「では、まず大きい荷物を後ろに積みますので、こちらにお持ちください」

と言って、ジャンボタクシーのバックドアを開けた。

荷物が積み終わり、我々が車に乗り込むと、なんとその若い女性は、運転席に座った。

この人が運転手さんだったのか!!!

もちろん、だれひとり、そのことは声に出して言わなかったけれど、おそらくそのとき、6名全員が驚いたと思う。なぜなら全員が全員、その若い女性を、てっきりホテルの従業員と思い込んでいたからである。

さっき通りかかったおじさんは、ホテルのお客さんだったのだ!!

何が言いたいかというと、全員が全員、「若い女性がジャンボタクシーの運転手であるはずがない」と思い込んでいた、ということである。

メンバーの中には、ジェンダーに関して問題意識の高い人が何人もいる。というか、メンバーのほとんどがジェンダーについて多かれ少なかれ問題意識を持っていたと思われる。

にもかかわらず、全員が例外なく「ジャンボタクシーを運転するのはおじさんで、若い女性であるはずがない」と判断してしまっていたのである。

お昼休みの時間、メンバーの中でもとりわけジェンダーについての問題意識の高い人が、「これは(自分も含めて)反省しなければなりませんね」と、懺悔していた。もちろん、僕自身も、ほかのみんなも、反省した。これでまたひとつ、意識が変わったような気がする。

ちなみにその運転手さんの技術はすばらしく、こちらのわがままな希望や、わかりにくいマニアックなルートを瞬時に理解してくれて、適切に移動してくれた。

最終目的地の空港で、僕たちは運転手さんに深々と頭を下げて、お礼を言った。

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引きは強いが、謎は残る

4月6日(水)

朝早くに家を出て、新幹線で西に向かう。今回は、久しぶりに予定を詰め込んだ出張なので、自分の体調が心配である。実際、体調はいまひとつである。

着いたのは、千年の都といわれる町である。

そこから地下鉄に乗り、目的の駅で降りる。

この駅は、これまで何度となく降りた駅である。東西に走る三条通はよく歩いた。とくに通り沿いにある喫茶店は、この町を訪れるたびに利用していた。円卓状のカウンターの中で、店員さんがせわしなくコーヒーを淹れている様子は見ていても飽きなかった。

まだ約束の時間まで少しある、と思って、その喫茶店の前まで行くと、残念ながら改装工事中で、1年後に再開予定とのことだった。

しばらく界隈をうろうろしたあと、時間になったので、最初の用務先である施設に入る。

今回の打合せ、というか交渉ごとに関して、二人の方が対応してくれたが、一人は以前からの知り合い。もう一人は、初対面である。初対面の人はまだ若い。

名刺を交換すると、おもむろにこんなことを言った。

「僕の妻が、鬼瓦先生の『前の職場』の卒業生で、鬼瓦先生のことをよく知っていました」

「え!そうですか。直接教えた学生でしょうか」

「いえ、ゼミは違うのですけれど、友だちや先輩の中には、鬼瓦先生のゼミ生もいたそうです」

まったく、狭い世界である。

というか、ここでもまた、引きの強さを発揮したぞ!

しかし、不思議である。前の職場と、この場所とでは、かなり距離が離れている。

「ちなみに、ご出身はどちらですか?」

と聞くと、その方ご自身は中部地方で、その人の妻、つまり僕の「前の職場」の卒業生は、東北地方の中核都市であるという。

ますます謎である。

そもそも二人は、どうやって知り合ったのだろう。大学での専門分野も、まったく異なっている。出身大学も違うようだ。

それに、遠く離れたこの町に、どのような経緯でたどり着いたのだろう。

野次馬根性の塊である僕は、その人の人生について小一時間インタビューしたい、という衝動に駆られたが、そもそも打合せの時間が限られているし、初対面の人に突っ込んで聞く話でもないので、グッとこらえた。

打合せをしているうちに、予定していた1時間半があっという間にすぎた。

引きの強さのおかげか、非常に好意的に対応していただき、この施設をあとにした。

次に向かったところは、まったくの初対面の場所である。

僕はそもそも、人と話すのが苦手で、初対面の人ならばなおさらである。つまりはこの仕事にむいていないということなのだが、しかしそれで「お足をいただいている」(by小沢昭一)ので、仕方がない。

こちらもまた対応してくれたお二人が好意的な方だったので、うまく話が進んだ。

ひとまず初日の用務は無事に終了したのだが、今回対応していただいた4人の方は、いずれも私よりはるかに若いことに、いささかのショックを受けた。広い意味で同業者なのだが、この業界で僕は何も成し遂げていないまま無駄に年を重ねてしまったことを恥じながら、次の用務先である隣県に向かった。

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背広を着たまま眠った夜

3月16日(水)

在来線特急で2時間半かけて、「特急のすれ違う駅」に着いたのは、午後7時半ごろだった。

駅前のホテルに泊まり、明日は朝からこの町で小さな会議である。

テレビを観たり原稿を書いたりして、さあ寝ようと思ったら、部屋が大きく揺れた。それとともに緊急地震速報を伝える警戒音が、スマホからけたたましく鳴り響いた。

テレビを観たら通常の放送のまま、地震速報が流れた。

しかし尋常な揺れではない。11年前を思い出した。

いったん揺れはおさまったが、ほどなくしてまた大きな揺れが始まった。こんどはもっとシャレにならない揺れである。再びスマホの緊急地震速報がけたたましく鳴った。

「おいおいおい!ちょっとちょっと!」

と叫んでも、揺れがおさまるはずもなかった。ホテルが倒壊せんばかりの揺れに思えた。このままホテルの瓦礫に埋もれて死ぬのだろうか。

ここで息絶えるとしても、パンツ一丁はマズいだろう。すぐに避難できるようにしないと!

といっても、着るものといえば背広一着しかない。僕は急いでワイシャツと背広を着て、革靴を履いて、荷物をまとめた。これでいつでも避難できる。

テレビの放送は、通常の番組から、地震を伝えるニュースのスタジオに切り替わった。

僕はそれを見て驚いた。

震源地はすぐ近くの沖ではないか!僕がいるところは、最大震度6強である。

しかも津波注意報が出ている。

もう一つ心配なのは原発である。

ますます11年前を思い出さずにはいられなかった。

津波が来たらどうしよう。今いるのはホテルの4階だから大丈夫だろうか。

「○駅と×駅の間で新幹線が脱線しているという情報もあります」

そうだ。交通機関も心配だ。11年前はしばらく東京に行けなかったことを思い出した。

いろいろな心配が頭をグルグルとめぐるが、考えても仕方がない。

余震が怖くて仕方がなかったが、とりあえず背広を着たまま、革靴を履いたまま、荷物を抱えてベッドに横になった。そのうち、いつのまにか眠ってしまった。

翌朝、5時過ぎに目が覚めた。世界はまだ無事だったようだ。

Fさんから電話があった。

「大丈夫でしたか」

「ええ」

「8時半にホテルにお迎えにあがります。会議を早めに切り上げて、本日中にお帰りになれる方法を検討します」

「わかりました」

8時半にホテルを出て車で会議場所までの道すがら、外を見ると、昨日の大きな地震が嘘のように穏やかな町並みである。

朝9時から始まった会議は、早めに切り上げるどころか、当初の予定通りの時間に終わった。

「このあとお昼のお弁当を用意していますけれど」

「いえ、帰りの時間が気になるので、なるべく早く出たいです」

「わかりました。復旧している路線の駅まで車でお送りします」

「ありがとうございます。助かります」

この時点で復旧している路線の駅というのは、ここから車で2時間ほどかかるI駅だった。

I駅まで車で送ってくれたFさんに感謝し、I駅のみどりの窓口で在来線特急の切符を買う。これで確実に東京に帰れる。

2時間半後、特急は東京駅に到着した。

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雪中行軍

12月13日(月)

朝起きると、雪が降っているのがホテルの窓から見えた。そういえば、今日は北日本を中心に荒れ模様になると、ニュースで言っていた。

ホテルから在来線で2駅乗った場所が、今回の用務先である。駅を降りると、雪がかなりの本降りである。

「建物までは駅から歩いて10分ていどですので、歩いておいでいただけますが、もし必要ならば、駅までお迎えにまいります」

と、事前のメールをいただいていた。どうしようかなあと考えたあげく、「荷物が重いと思うので、可能であれば迎えに来て下さい」とあらかじめ連絡しておいてよかった。仮に「歩いてうかがいます」などとうっかり答えたら、大雪の中を重い荷物を持って歩かなければならなかっただろう。

今回は、二人の方と再会した。

一人は、私より年上のAさん。僕は記憶になかったのだが、「前の前の職場」にいたとき、本務でAさんの職場に訪れたことがあり、そのときに挨拶を交わしたという。ということは、20年近くまえのことだな。

もう一人は、私より年下のBさん。僕が「前の前の職場」に赴任する前に、あるところで1年ほど一緒に学んだ方である。1998年くらいだったろうか。やはり20年以上前のことだ。

つまり僕は、ほぼ20年ぶりに再会したお二人と、一緒に仕事をすることになったのである。

以前にお会いした人と、さまざまな縁があって20年ぶりに再会して一緒にお仕事をする、というのは、人生、まったく無駄がない。大林宣彦監督は、映画づくりの場で俳優と再会することを無上の喜びとしていたが、それに近い感慨がある。

Bさんは、20数年前の雰囲気を、そのままとどめていた。

「現場にご案内します」と、昼食後にBさんが言った。

(現場って、大雪じゃんかよ…)

と、内心思ったが、むしろ大雪の現場がどんな感じなのかを、見てみたかった。

お昼過ぎになると、雪があっという間に積もり、あたりは一面、白銀の世界である。

右を向いても左を向いても真っ白な世界のなかを、Bさんについて歩いて行くのだが、マスクをしながら歩いているせいで、眼鏡が曇って前が見えない。前をどんどん進んでいくBさんの姿がぼんやりと見える程度である。

(こりゃあ、勘で歩くしかないな…)

積雪を踏みしめながら、歩いていると、

ズボッ!!

と、落とし穴みたいなところにハマってしまった。

(なんじゃこりゃ!)

足下を見ると、どうやら小さな溝にハマってしまったらしい。

(アブねえ)

慎重に歩くことにする。

前を歩いていたBさんがようやく立ち止まった。

「ここです」

(ここ…って、真っ白で何も見えない…)

Bさんは、あそこがああで、こちらがこうで、と熱心に説明してくれているのだが、真っ白で何も見えないし、なにより雪がガンガン降っているので、そっちの方が気になっちゃって、内容が頭に入ってこないのだ。

それでも愚直に説明するBさんは、20年以上前の姿そのものだった。

現場検証は30分ほどで終わり、雪の中を歩いて、溝に注意しつつ、建物に戻った。

わずか1日の滞在だったが、AさんやBさんの丁寧なアテンドや、さまざまな意見交換のおかげで、とても充実した1日になった。

「またうかがいます」

「今度は雪のないときにどうぞ」

来月も行くつもりでいるが、また大雪になるかもしれない。

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オンライン会議の現実

11月30日(火)

少し前に、「こっちがほんとの『オンラインオフ会議』」というエピソードを書いた。

オンライン会議が苦手な人や、オンライン会議に参加できる環境にない場所にいる人に対して、ボタンを二つ押すだけでオンライン会議に参加できるという画期的なシステムを開発中で、先日、そのデモンストレーションが行われたのであった。

しかし、そのときにデモンストレーションに参加したメンバーの反応は冷ややかであった。曰く、

「いま、これだけオンライン会議が普及していて、オンライン会議に慣れている人が多い中で、どれだけ需要があるのか?」

とか、

「コロナ禍が2年近く続いているにもかかわらず、いまだにオンライン会議に対するアレルギーがある人は、どんな簡単なシステムを使っても参加しないのではないか」

といった意見である。

僕はその意見に違和感を抱き、反論した。

「たしかにうちの職場ではオンライン会議をあたりまえのように行っていますが、たとえば、地方自治体の職員さんなど、対面会議が主流であるところは、オンライン会議に慣れていない場合が多いのではないでしょうか。実際、そんな体験をしたことがあります。」

しかし、僕の反論は、あまりピンとこないようだった。

さてこの日、新幹線と在来線を乗り継いで2時間近くかかる町まで行き、その町の庁舎の会議室で対面とオンラインとの併用、すなわちハイブリッド会議に参加することになった。

もちろん僕も、その会議にオンラインで参加することもできたのだが、この日はたまたま1日空いていたことと、コロナの感染状況が落ち着いていること、そして、久しぶりにその町に訪れたいと思ったことなどから、現地参加することにしたのである。

前回の8月の会議では、オンライン参加したのだが、オンライン会議に慣れていないせいなのか、さまざまなトラブルに見舞われ、しばしば会議が中断した。しかし今回、現地参加をして、そのトラブルの真の理由が、はじめてわかったのである。

現地参加の委員は僕を含めて2人、そのほかの5人はオンライン参加とのことだった。あとはホスト役をつとめる事務スタッフである。

会議室に着くと、広い部屋に、タブレット端末が2台置いてある。

「こちらにお座りください」

と、タブレットの置いてある机の前に座らされた。

「申し訳ありません。会議用の端末が2台しかありませんので、現地参加のおふたりにはこのタブレット1台を共用してください」もう1台は、ホストである事務スタッフ用のタブレットである。

「それはかまいませんが、庁舎内にはノートパソコンが山ほどあるでしょう?それは使わないのですか?」

「使えないのです」

「どうしてです?」

「ふだん使っているノートパソコンは、セキュリティーの関係上、ネットワークが異なるため、オンライン会議の端末としては使えないのです」

「そうなんですか」

「しかも、オンライン会議専用のタブレット端末が、この庁舎内には全部で8台しかありません。ここ最近、各部局でオンライン会議を行うようになりましたので、8台の端末の取り合いになっているのです。で、今日はなんとか2台だけ確保できた、という次第でして…」

「それは不便ですね。しかも端末がタブレットだけだと、使い勝手が悪いでしょうね」

「ええ、そうなんです。タブレットだと、画面共有もできないので、それが困ります」

思い出した。前回の8月の会議でも、画面共有をまったくしなかったので、やり方がわからないのかな、と不審に思ったのだが、そもそもできない仕組みになっていたのだ。

「しかも、オンライン会議システムのアプリは、ZoomとかWebexといった使い勝手のよいものではなくて、どちらかと言えば使い勝手の悪いアプリですよね」

「ええ、うちの庁舎では、このアプリしか使えないようでして…。ほかの自治体も同じでしょうか」

「いえ、違うところもありますよ」僕は、他のアプリを使っている自治体の事例を紹介した。

やがて会議が始まった。前回と同様、オンライン会議はトラブル続きで、しばしば会議は中断した。

しかしそれは、僕が漠然と考えていたような、オンライン会議に慣れていないから、という理由ではなく、庁舎内でのオンライン会議システムがいかに使い勝手が悪いかという、構造上の問題に由来することがはっきりしたのである。

「オンライン会議なんて、いまやみんな慣れているさ」と、あのときの会議で発言した人と、僕とでは、見ている風景がぜんぜん違っているのだという思いを、僕は帰りの新幹線の中で、噛みしめたのだった。

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Dream Library

11月3日(水)

郊外の町に、「Dream Library」と呼ばれる場所があることを知ったのは、昨年冬のことである。

僕はそのとき、職場の業務のために訪れたのだが、実際に現地の建物の前に立ってみると、想像していたのとは異なり、小さなビルの一室が、そのスペースだったことに、まずは驚いた。

(これがDream Libraryなのか…?)

つまり正直なことをいえば、「言うに事欠いてDream Libraryだなんて…」というのが第一印象だったのである。

しかし、その小さな一室の扉を開けて、中に入ったとき、その第一印象が間違っていたことに気づいた。

(やはりここはDream Libraryだ!)

もう少し正確に言うと、僕の業務は、一瞬で終わるものだったのだが、その部屋を管理している管理人の方の説明を聞いているうちに、

(これはまぎれもなくDream Libraryだ!)

という思いを強くしたのである。

本来の目的である業務は5分程度で終わったのだが、その後に管理人の方が、この施設について説明してくれた内容が飛び抜けて面白く、つい1時間ほど長居をしてしまったほどである。

訪れたのが夕方の遅い時間だったこともあり、

「また今度、あらためてうかがいます」

と言って、後ろ髪を引かれるようにその場所を後にした。

しかしさて、そうは言ってみたものの、再訪する機会などはたしてあるのだろうか、と思っていたら、意外と早くその機会は訪れることになった。いま職場で行っている、あるプロジェクトを進めていく上で、「Dream Library」の助けを借りる必要があるのではないか、ということに思い至り、プロジェクトを一緒に進めているメンバーに、

「以前業務で訪れたDream Libraryという場所が、このプロジェクトを進めていく上でかなり参考になると思いますよ」

と提案したところ、それは面白そうなので、新型コロナウイルスの感染状況も落ち着いたことだし、行ってみましょう、ということになったのである。今回は総勢4人である。

小さなビルの2階の一室、扉の呼び鈴を鳴らすと、以前にお会いした管理人の方が出迎えてくれた。管理人は、僕の顔を見ても覚えていないようだったので、

「昨年、うちの職場の業務でここに訪れた者です。今回は、別のプロジェクトでこちらに参りました」

「そうでしたか。ささ、中へどうぞ」

まだほかの3人は来ておらず、僕が一番乗りだった。

僕は、今回の訪問の目的を伝え、いまこういうプロジェクトを進めているのですが、進めていくうちに、ヒントになるような本がここにあるのではないかと思い、今回、おたずねした次第です、こういったことや、ああいったことを知りたいのです、と矢継ぎ早に質問をすると、

「ああ、それはこれこれですね。…ありますよ」

「あるんですか?では、こういったことも知りたいんですが、それに関するものはありますか?」

「それもありますよ」

「あるんですか!?」

むかし、検事を主人公にしたドラマで、主人公がバーのマスターにどんなに無茶な注文をしても、そのマスターが、

「あるよ」

と言って注文された料理やお酒を出す、という場面が有名になったけど、そんな感じなのだ。

やがて、プロジェクト仲間の3人が遅れてやってきた。

管理人は、その3人にも丁寧な説明をすると、たちまち3人もその「管理人ワールド」の中に引き込まれた。

説明を聞いているうちに、3人それぞれ、自分の中からいくつもの質問がわき上がってきたようで、矢継ぎ早にいろいろと質問をすると、管理人はそれに全部答えてくれるばかりか、

「それに関係するものもありますよ」

と言う。あるんかい!と心の中でツッコんだ。

僕は最初、今回の訪問は、それほど時間がかからないだろう、と高をくくっていたのだが、さにあらず、結局、その一室にこもりっきりで、5時間以上過ごすことになった。管理人が、こちらの期待以上の本を次々と出してくれるのだ。

途中、プロジェクト仲間の一人が、隣にいる僕に小声で僕に聞いた。

「あの方、いったい何者なんでしょうね」

「さあ、僕もよく知りませんが、とにかくどんな質問にも答えてくれるんですよ」

「そうですよねぇ。すごいなぁ」

職業柄これまでいろいろな「変わり者」を見てきたであろうその人も、管理人のあまりの博覧強記ぶりに、驚いた様子だった。

1時から始まった調査が、あっというまに午後6時を過ぎ、それでも終わらなかったのだが、いよいよ失礼しなければならない。

「今回の訪問だけでは見切れませんでしたので、またあらためてうかがいます」

「いつでもどうぞ。お待ちしております」

この狭い一室が、まるで底なしの沼のような無限の空間のように思えた。

やはりここは、Dream Libraryなのである。

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ミッション

8月1日(日)

久しぶりの出張である。新幹線と私鉄を乗り継いで、西に向かう。

ずいぶん前から決まっていたことで、先方の事情もあることなので、こんな状況でも、行かなくてはならない。

今回は1泊だけで、前日の日曜日は移動日なのだが、本務とは別に、ミッションがあった。

このブログでも何回か書いているが、米国在住の日本人ジャーナリストから、78年前に日本人が書き残した手帳が米国にあるので、それを解読してほしいという依頼が来ていた。なぜ日本人が書き残した手帳が米国にあるのかについての説明は省略する。

手帳の持ち主だった人の名前はわからないのだが、手帳に書かれているメモから、その人物の行動履歴を復元できるのではないかと思い、断片的な記述から、あれこれと想像して読んでみた。だがなかなか手がかりはつかめない。

すると、そのジャーナリストの方から、ひょっとしたら手がかりになる可能性のある本が、僕が出張に行く県の図書館にあるかもしれない、という連絡を受けた。そのジャーナリストの方は、すでにその図書館の司書の方と連絡をとっているらしく、司書の方も、それについて関係しそうな本を探し出してくれているという。

ぼくはたまたまその県に出張する機会があり、しかも日曜日が移動日なので、少し早く家を出て、その日は図書館で手帳に関わるかもしれない本について閲覧できるかもしれない、と、ジャーナリストの方に伝えると、さっそくその図書館の司書の方に連絡をとってくれて、

「その日は司書の方も出勤されていて、鬼瓦さんが行けばあらかじめ関係ありそうな本を準備してくれるそうです」

と返事が返ってきた。

こうなるともう、引くに引けない。僕はその県の図書館に行ったことがないので、その興味もあり、体調を気にしながら家を早めに出ることにした。

家を出てから4時間半ほどかかって、午後2時過ぎに、その図書館に到着した。

司書の方にご挨拶すると、すでにカートの中にたくさんの本が準備されていた。

「関係ありそうな本を集めてみました」

本には1冊1冊、その司書の方による付箋が挟み込まれていて、その本が何に関する本なのかが端的に書かれていた。その丁寧な仕事に、司書の方のプロ意識を垣間見た。

あまり時間もないので、1冊1冊めくりながら、関係ありそうな頁を選び、最後にまとめて複写することにした。

そんなこんなで4時間半、ぶっ続けで閲覧をし、最後の方にはもう目がショボショボして頭がはたらかなくなった。

結論から言うと、その手帳の持ち主に関わる直接的な情報は得られなかったのだが、手帳に書かれた断片的な記述から、その人物の立場や行動履歴をあるていど復元できそうである。ホテルに戻り、そのことを簡単にまとめて、米国在住の日本人ジャーナリストに速報的にメールを書いた。

すっかり疲れてしまった。明日の本務に差し支えないようにしないといけない。

 

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疱瘡神社の謎

高校の後輩が元旦にSNSで書いていたことがなかなか謎めいていた。

その後輩は、毎年正月に義母の家で過ごすことになっている。東京の隣県、といっても、かなりの田舎町である。都内から電車を乗り継いで3時間くらいかかるところじゃないだろうか。

毎年、初詣は電車に乗って一ノ宮と呼ばれた神社に行くそうなのだが、今年は密を避けるため、車に乗って、ふだん行かなそうな小さな神社に行くことにした。

グーグルマップで周辺を見てみると、ポツンと「疱瘡神社」という神社がある。誰も行かないような、小さな神社のようだ。

やはり新型コロナウィルスを乗り切るにはここにお参りするしかない、と思った後輩は、その神社をめざして車を走らせた。

ところが、である。

なんと神社があった場所は整地されていて、社殿も何も跡形もなくなっている。真新しい階段とスロープがあり、上ると地面になにやら糸が引かれている。神社が取り壊され、再建されるのだろうか?とその後輩は思ったという。

あるはずの場所に神社がないことに驚いたその後輩は、別の神社(熊野神社)に初詣に行くことにしたのだが、その神社に着くと、社殿の屋根のあたりに今度はハーケンクロイツがあることを発見して、これはいったいどういうことだ、と、不思議な思いをして帰ってきたというのであった。

後者については措くとして、僕が興味を持ったのは、疱瘡神社の件である。

いったいなぜ、更地になっていたのだろう?

僕はそのことが妙に気になり、疱瘡神社という神社名を手がかりに、インターネットで調べてみると、2019年10月に訪れた人のレポートを発見した。おそらく後輩が訪れたのと同じ疱瘡神社である。

そのレポートによれば、その時点で神社はすでに跡形もなかったようである。ただ、その9か月前のGooglemapの投稿では、小高い地形の上に小さな社と社殿があったことが確認できたと、そのレポートには書かれていた。

つまり、2019年1月の時点では、社殿は確実に存在していたのである。

それから2019年10月までの間に、どのような事情があって、社殿が忽然と姿を消したのだろうか?

うーむ。これは謎めいているぞ。

このことを後輩にコメントしたら、

「やはりこのコロナ禍は疱瘡神社の社殿を取り壊したことで封印されていた魔力が世界中に解き放たれたからに違いない!」

という荒唐無稽な仮説を立てていた。

いやいや、僕が知りたいのは、疱瘡神社がなぜ忽然と姿を消したのか?ということである。

僕の仮説は、「疱瘡神社が漂流教室みたいにタイムスリップしてコロナで人類が絶滅した未来を漂流している」というものなのだが、これもまた荒唐無稽である。

ま、これだけの情報では、どこの疱瘡神社かはわかるまい。

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