日記・コラム・つぶやき

人物評

11月30日(水)

クッソ忙しくて書くことが何もない。

このところ、イベントの準備のために、初対面の人に挨拶に行ったり電話をしたりすることが多い。その多くは、いきなり連絡するのではなく、事前にその人を知る知り合いから連絡してもらって、あらかたの趣旨を先方にあらかじめ説明しておいてもらった上でこちらから連絡する。その方が、スムーズに事が運ぶことが多いのである。もちろん、それが通じないケースもあるが。

先日お会いした方の話でいうと、仲介の労を執ってもらったその知り合いからは、「もちろん良い人なのですが、少々「くせ」のある人物で、何でもすぐにツーカーで進むというよりは、手順を踏んで進めるのが無難と思います」というアドバイスをうかがった。で、実際にお電話したりお会いしたりすると、その知り合いが言ったとおり、「たしかに良い人だが、少々クセがある方」だとわかり、言われたとおりに丁寧に話を進めていった結果、おかげさまで交渉がまとまったのである。

今日、お電話でお話しした人のケースでは、やはり仲介の労をとってもらった知り合いから、「メールを使われず、携帯電話でしかコミュニケーションをとれないので、ご連絡を取るのが面倒なのですが、それ以外はあまり面倒ではありません」とあり、たしかにメールに慣れてしまった身としては、電話をするのは億劫だなあ、と思いつつ電話をした。なかなか繋がらず、何回目かになってようやく繋がった。やはり電話はめんどうだ、と思ったのだが、お話ししてみると、たしかにその知り合いが言うように、ぜんぜん面倒な方ではなく、交渉もスムーズにいった。不思議なことに、一度電話は繋がってからは、タイミングが合ってきたのか、電話で数回やりとりすることができ、僕もいつの間にか、その人と電話をすることが楽しみになってきたくらいである。それほど折り目正しい人だったのである。

この二つのケースは、まったく別の知り合いによるアドバイスなのだが、いずれも的確な人物評で、僕は実に助かったのである。

人は、実際に会ったときに、相手の持っている細かなニュアンスを無意識のうちに感じ取るのかも知れない。そしてそれを上手に言語化できれば、対人間のトラブルというのは、たいていの場合、防げるのではないだろうか、と感じたのである。

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10年前の話

11月18日(金)

数日前、公共放送のある地方局から、取材の依頼が来た。ある特集番組を、来年の春に放送する予定で準備を進めているのだが、そのために、10年前の話をしてほしいという依頼である。実際にカメラの前でインタビューすることになるかはわからないが、まずは「情報取材」をさせてほしいのだという。10年前の話をたどっていったら、おそらくインターネットか何かで僕の名前が引っかかったのだろう。

なるほど、取材の前の下取材のことを「情報取材」というのだな。お笑い芸人でいえば、オーディションというやつであろう。その「情報取材」でうまくディレクターのイメージにハマれば、晴れて本番の取材をする、ということなのだろう。

「思い出話みたいになってしまいますが、それでもいいですか?」

「かまいません」

10年前の俺の思い出話なんぞ、何の役に立つのか?ま、どうせ俺の話なんぞ、採用されないに決まっている。

で、今日の夕方、その担当ディレクターによるZoomでの「情報取材」に応じることにした。

別にカメラがまわっているわけでもないし、そのディレクターとは初対面だから、10年前の話の発端から順を追って話し始めると、

「あのう…そこのくだりはいらないです。その後どうなったのか、という話からお願いします」

おそらく、僕の話が長くなりそうだ、ということを、ディレクターが察知したのだろう。

せっかく説明してやってるのに、と、一瞬カチンときたが、たしかに俺の話もクドかったと反省し、その続きの話から始めた。

話していくうちに、10年前の出来事がどんどん思い出されてくる。なぜ自分は、そのときにそのようなことを考え、そのような行動をとったのか?そしてそのとき自分がどう感じたのか、そしていまどんなことを考えているのか、を一気に話した。

「…聴き入ってしまいました」とディレクター。「思い出話とはいいながら、まるで昨日のことのように覚えていらっしゃいますね」

「そんなことはありません」

昨日のことは忘れるが10年前のことは覚えているというのは一種の老化現象ですよ、と喉元まで出かかった。

「また後日、あらためてお話を聞くことができますか?」

なんだ?2次面接があるのか?

「お話といっても、この程度の思い出話以上のことは語れませんよ」

「いや、いままでボンヤリとしていたことがすっきりとわかった気がします。ちょっと今日の話、こちらの方で整理させていただいて、またお話をうかがえればと」

「そうですか」

ディレクターは、自分の頭の中で、番組のできあがりのイメージを必死に組み立てているようだった。僕の話ははたしてディレクターのイメージする番組の中に、パズルのピースのようにはめ込むことができるだろうか?よくわからない。

「会って話が聞きたいと思う人とこうしてお会いできてよかったです」

ほんとかよ、と思いながら、Zoomによる「情報取材」はひとまず終了した。

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秘境探検作家に会う

11月12日(土)

先週、僕の住む市にある小さな書店でおこなわれたトークイベントに来店参加したと書いたが、今日もまた、同じ書店でトークイベントがあり、来店参加した。

今日のゲストは、僕が愛読している探検作家である。これは聴きに行かない手はない。

例によって15名程度のお客さん。僕は最前列の、その探検作家のお顔がよく見える席に陣取る。かぶりつき、というやつである。

実際に見る探検作家は、想像よりも華奢な感じがした。秘境探検をするような人だから、もっとマッチョな感じかと思ったら、ぜんぜんそんなことはなかった。

しかも、ガッハッハ系ではなく、そんなに押しの強い人とも思えない。しかし、めげない人なのだろうなという印象ではあった。

お話は終始おもしろくて、というか、あれほどの体験をいくつもしている人の話だから、おもしろくないわけがない。

僕は、探検ものも好きなのだが、その作家には「探検しない三部作」というのもある。「青春三部作」といってよいかもしれない。実はその三部作が、ことによると探検ものよりもおもしろいかも、と思ったことがある。今日のお話ではじめて知ったのだが、若いころは、自分の書く文章を編集者になるべくいじらせないで本を作ってきたが、「探検しない三部作」は、個性的で有能な編集者と議論しながら作り上げていったものだったという。なるほど、それであれだけ読ませる本になったのか。で、それがきっかけになって、編集者の意見を聞きながら作り上げていくようになったのだという。

「でも、トンデモ編集者もいましたよ」

「ほう、どんな?」

「あるとき、こんなことを言われたんですよ。『宮部みゆきって作家いるじゃないですか、あんなふうにおもしろく書けませんかねえ』と。何それ?って思いましたよ」

僕はそれを聞いて思わず爆笑した。いかにもそういう編集者、いそうだなあ。

あっという間の90分だった。

トークイベント終了後、例によってサインをもらいに行く。サインをもらっている時間が、唯一の話しかけられるチャンスである。

「あのう…、実は私も同じ秘境で探検しました

そう言うと探検作家は笑って、

「そうでしたか。思ったよりよかったでしょう」

「ええ、よかったです」

ファンは、このことを伝えるだけでも精一杯である。

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「ラーハ」な時間

11月11日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

少し前に、文筆活動や地方局のラジオパーソナリティーなどをしている「うっすい知り合い」のトークイベントに来店参加した、ということを書いたが、一昨日の水曜日、その友人の方から、メッセージが届いた。というか、その「友人の方」、というのが、僕がかつて仕事をしたことがある人で、その人を介して、そのラジオパーソナリティーの方と1,2度面識を持った、という経緯がある。

そのメッセージによると、その前日、久しぶりにふたりで仕事をして、その仕事が比較的早く終わったので、夕方に代々木公園を通ったら、大勢の人が空を見上げている、何かと思ったら、皆既月食を見ているのだとわかり、じゃあせっかくだからと、皆既月食を眺めながら代々木公園でしばらく時間を過ごすことにした、と。

で、その代々木公園で、急遽、ラジオ番組を収録すること思い立った。ふたりが大変お世話になった編集者の方が、いま重い病で闘病中である。その編集者のためだけに、架空の、というべきか、非公開の、というべきか、とにかく私家版のラジオ番組を作って、その闘病中の編集者の人に贈り、元気になってもらおう、と計画したそうなのである。

で、その完全非公開のラジオ番組の音声ファイルが、僕のところにも送られてきた。いわゆる「完パケ」というヤツである。

なぜ、その音声ファイルが僕のところにも送られてきたかというと、その闘病中の編集者は、僕もよく知っている人で、僕も大病を患ったことがあったものだから、たまにメールを送って、その編集者を励ます、と言ってしまっては上から目線な感じだけれど、なんとか元気になってもらいたいと思っていたので、そのことを知っていたその二人が、僕にもその完パケのラジオ番組の音声ファイルを送ってくれたのだろう。もちろん、僕よりもその編集者と親しい人は何人もいるから、他の人にも送ったものと思われる。ただ、間違いないのは、そのラジオ番組は闘病中の編集者のためだけに作られたものである、ということである。

送られてきた音声ファイルには、「鬼瓦先生からのおたよりをお待ちしております」と、メッセージが添えられていた。おたより?おたよりって何だろう?

さっそくその音声ファイルを聴いてみると、これがちゃんとしたラジオ番組になっていた。オープニングのフリートークがあり、2つくらいのメール紹介コーナーがある。メール紹介のコーナー、といっても、非公開のラジオ番組なので、実際にはメールが来るはずもなく、二人でそのテーマに関する即興のトークをする。さらに、曲も3曲ほどかかった。ふつうのポッドキャストだったら権利関係で音楽は流せないのだが、私家版で非公開のラジオ番組なので曲は堂々と流すことができる。

つまり最初から最後まで、ちゃんとしたラジオ番組の体裁をとり、しかもきっちりと30分に時間をおさめていた。おそらく、皆既月食の夜に代々木公園でトークを収録し、その後1日かけて、そのラジオパーソナリティーが音楽を入れたりして30分の番組に編集したのだろう。

たったひとりに向けてのラジオ番組のために、これだけの手間をかけるって、すごくない?その番組の中で、とくにその人に向けてのメッセージはなかったが、それとわかるキーワードがふんだんにちりばめられており、闘病中の編集者は、おそらくこれを聴いて泣いたと思う。

さて、「鬼瓦先生からのおたよりをお待ちしております」というメッセージの謎が解けた。そのラジオ番組のコーナーに、メールという体裁で何かを書いてくれ、ということなのだという意味なのだ。もちろん冗談で書いたのだろうけれど、この冗談を受け流してよいものだろうか。冗談には洒落で返すべきなのではないか。

2つほどコーナーがあったうちの1つが、「あなたにとってのラーハな時間」というテーマだった。「ラーハ」というのは、アラビア語で「くつろぎ」とか「安息」という意味で、仕事でも遊びでもない時間のことを言う。もう一つのテーマでは書きにくかったので、こちらのテーマを選んで、ひとつ洒落で書いてみることにした。番組内ではメールの宛先についての告知がなく(あたりまえだ)、「何らかの方法で送って下さい」と言っていたので、このラジオ番組を送ってくれた人に、ラジオ番組にメールを出す体裁でメッセージを書いた

「初めてメールします。ラジオネーム『○○○○○○』と申します。私のラーハな時間は、小さくて個性的な本屋さんに行って、店内に並んでいる本を眺めることです。はじめて知った本があったり、店主や店員さんの選書のセンスが光っていたりすると、それだけでも幸せな気分になります。最近は店内にカフェが併設されている書店も増えましたが、古い人間のせいか、カフェを利用する勇気がまだなく、書店のカフェを利用しながら日がな一日好きな本を読むことが、よりラーハな時間を過ごすための次なる課題です」

我ながら、なんとなくラジオ番組へのメールっぽくなったではないか。

このラジオ番組に2回目があるのか、わからないし、そもそも非公開で私家版のラジオ番組なので、結局このメールが日の目を見ないで終わるのは間違いない。そんなことはどうでもいいのだ。僕がいま思うのは、病気と闘っている、ひとりの人のために、皆既月食が見える夜の代々木公園で二人でおしゃべりをした会話を収録して、仕事でもないのに30分のガチのラジオ番組に仕上げて、その人に贈る、という行動、それこそが、いちばんの「ラーハ」な時間なのではないか、ということである。

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間に合えばお願いします

11月9日(水)

以前、「しつこくてすいませんが…」というメールが来て、絶対に出さなければならない職業的文章をやっとの思いで提出したら、実は僕の後ろには原稿を書いていない人がけっこういた、という話を書いた。

10月の末にその初校があがってきて、今回は校正を早めにして返しちゃおう、と、ほぼ校正をすませたところで、編集者から、

「間に合えばお願いします」

という件名のメールが来た。

こんどは何なに~!もうこの件名を見ればイヤな予感しかしない。

「まだ間に合えばですが、ご検討いただきたい点があります」

と、以下、3点について、大幅な修正点があげられていた。

そのうちの2点は、他の執筆者が書いた文章を、僕の書いた文章の冒頭にリライトして差し込んでほしい、その方が流れとして適切なので、という依頼だった。そして、その執筆者の文章のPDFファイルで送られてきた。他の執筆者のPDFファイルには、けっこうな分量の文章がマーカーで囲まれている。その文章を、僕の執筆したページに移して、自然な流れになるようにリライトしてもらいたい、というのである。

ちょっと待ってよ、そんな無茶な!言ってみれば、臓器移植手術ってこと?

すでに僕は、見開き2ページにピッタリおさまるように文章を書いている。サントリーウィスキー「山崎」の、「何も足さない、何も引かない」状態である。それでうまくいったと思っているのに、いまになって、他人の文章をこの中に入れろだと??

早く言ってよ!という心境である。最近、早く言ってよ!と言いたくなる事案が増えていて、それでなくともムシャクシャしていたのだ。

ふつうだったら、「そんなことできるか!」と突っぱねるところなのだが、それはそれ、僕もプロのライターだから、「わかりました」とやってみることにした。

まず、僕の文章の中に挿入すべき、他の執筆者の文章。これが、僕の文体とはまったく異なる。はっきり言って難解なのである。しかも長い!これを、書いてある内容をかみ砕いて説明したうえに、適切な長さにまとめる必要がある。

修正して確定した文章、つまりは1段落分を、僕の原稿におさめるのだが、そうするとこんどは、僕の文章が、その段落の分だけはみ出してしまうことになる。そこで、こんどは僕の文章を削る。

不思議なもので、自分の文章を読み直すと、ここはなくてもよい説明だな、というところに気づく。それらをバッサリと切って、なんとか見開き2ページにおさめた。するとあら不思議、修正した全体の原稿は、以前の原稿よりも読みやすくなった。

「何も足さない、何も引かない」なんて言ってる場合ではないな。こと文章に関しては、足したり引いたりすることでもっと味わい深くなることもあるのだ。

そんな作業を昨晩の夜遅くまで行い、深夜に先方に送信した。久しぶりにかなりの寝不足となった。翌朝、「お忙しいなか、また急なお願いにもかかわらず、ありがとうございました」と、短い返信が来た。

何が言いたいかというと、先方の無茶で急な依頼に対応して、先方の希望に沿った文章を納品する俺ってスゲえ、ということなのである。要はいつもの自慢ですよ。

たぶん、その文章が日の目を見ることはないのだが。

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言葉にする勇気

11月7日(月)

通勤に往復5時間、職場の滞在時間が2時間というのは、ひたすら徒労感が増すばかりである。しかも夕方の都内は退勤の車で大渋滞であった。

何も書くことがないので、一昨日のトークイベントのことをもう少し書く。

トークイベントに出た、僕の「うっすい知り合い」について、この人はすごいなあ、と思う場面があった。

対談が始まる直前のことである。その「うっすい知り合い」は、司会進行役の店主に、何やら耳打ちをしていた。僕は一番前の席だったので、なんとなくその声が聞こえたのだが、

「換気のために、書店の入口の扉、ほんの少しでいいので、開けていただけませんか?」

とおそらく言っていたのだと思う。トークイベントということで、ほかのお客さんが入ってこないように、とか、音が漏れないように、ということで、書店の入口は閉められていたのだろう。でも、狭い店内だし、そのなかにお客さんを含めて15人くらいはいたので、その「うっすい知り合い」は、感染のことを心配したのである。僕は鈍感だったが、お客さんの中にも、そういうことを気にする人がいたに違いないし、その人のことに対する想像力もはたらかせたのだろう。

物腰の柔らかい店主は、「そうですね。そうしましょう」と、藤岡さんの意図をくんで、書店の入口の扉を換気のために開けてくれた。そのことにホッとした「うっすい知り合い」は、心おきなくトークに集中できたようであった。

なにより、こういうことを、ちゃんと言葉にして相手に伝える、というのは、本当にすばらしいと思う。別のたとえでいえば、人前でたばこを吸うのがあたりまえだったような時代に、「たばこをやめてもらってもいいですか?」と伝えるくらい、勇気のいることである。ほんのちょっとした言葉を口に出すことで、世の中が少しずつ変わるような気がする。

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パンダファンミーティング

11月5日(土)

文筆活動や地方局のラジオパーソナリティーをしている「うっすい知り合い」(「知り合い」であると強調するにはあまりにもおこがましく、ちょっと憚られるので、「うっすい知り合い」ということにする)が、僕の住む市にある小さな書店で、トークイベントをすると聞いたので、これも何かの縁と思い、来店参加することにした。

「どうせファンミーティングなんでしょ?」「違う。トークイベントだよ」と家族に嫌みを言われながら、バスと徒歩で会場に向かう。

なんでも、今年はパンダ来日50周年なのだそうだ。それでパンダをテーマとして企画したそうで、自他ともに認めるパンダ好きのその「うっすい知り合い」と、パンダの専門家との対談が実現したのであった。

開始直前に、小さな店内に入ると、10名程度の来店参加者がいた。だんだんわかってきたことだが、来店参加者のほとんどは、ガチのパンダ好きだったようである。

僕は端っこの席に座り、パンダに詳しくない俺が来たのは場違いだったかなあと身を潜めていると、その「うっすい知り合い」が、緊張した面持ちで、

「こんにちは。お久しぶりです」と会釈したので、僕も突然のことであわわとなり、「どうも、こんにちは」と返すのが精一杯だった。その「うっすい知り合い」は、対談する席に着いた。

するとその後ろに立っていた方が、

「ご無沙汰しております。その節はどうも」

と声をかけてきた。その「うっすい知り合い」が書いた本の担当編集者の方である。

「おやおや、ご無沙汰しております」

話が長くなるので、かいつまんで話をすると、その編集者とは、ある場所で名刺交換をしたことがある。その際に、同じ鬼瓦姓だったことにおどろき、「同じ鬼瓦姓なんて、珍しいですね」という話になり、これも何かのご縁と、以前僕が編集を担当した雑誌を送ったことがあった。するとしばらくたって、その編集者から、その出版社から出した新刊が送られてきた。つまり本の交換をしたのである。送られてきた2冊の本は僕の好みそうな本を選んでくれたらしく、たしかに読んでとてもおもしろかったのだが、忙しくて感想をお伝えするタイミングを逸していたところだった。

「前にいただいた本、とてもおもしろかったです。感想のお返事を出さずにすみませんでした」

「いえいえ、それにしても、不思議な縁ですね」

「そうですね。まさか鬼瓦さんがあの本の編集担当だったとはね」

「そういう鬼瓦さんも、著者と以前からお知り合いだったとは」

という謎の会話。

トークイベントが始まった。内容は、予想していたとおりパンダの話で、パンダの専門家がほとんど喋っていた。「うっすい知り合い」は、ラジオパーソナリティーらしく、その専門家の話をうまく引き出していた。

最後の質問コーナーでは、ガチのパンダ好きによる質問も出て、ああ、ほんとうにこの場はパンダ好きが集まっていたのだなと実感した。僕の隣に座っていた若い男性は、対談の間、ふたりの話をずっとメモしていて、そのメモにもとづいて質問をした。その真摯な姿勢に、僕は胸を打たれたのだった。おそらくパンダ好きに、悪い人はいないのだろう。

1時間半のトークイベントが終わったあと、僕は帰り際に「うっすい知り合い」と担当編集者に挨拶をした。

「鬼瓦先生は、引きが強いですよね」その「うっすい知り合い」も、担当編集者と僕の不思議な縁に驚いていたようだった。

「よくそう言われます」そして編集担当者の方を向いて、「いつか鬼瓦さんといっしょに仕事ができる機会があればいいですね」「そうですね」と言葉を交わし、書店をあとにした。僕もエッセイ集を出したいぞ。

そして、少しだけパンダについて詳しくなったぞ。

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突破力

11月2日(水)

10月21日(金)のTBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」で、次のような内容のメールが紹介されていた。

「日々のニュースを見ては混乱しています。たとえば、世間で政治家や経営者などが突破力といって評価されていることに違和感があります。具体的な手法や工程を示さず、部下に無理難題を押しつけ、過労死もかまわず働かせ、尻拭いさせ、関係各所の準備や負担を無視し、取り残されている人は切り捨て、責任の取り方が謝罪の言葉を発するだけならば、だれでも何でも掲げられる、と思っていますが、それを世間では突破力と評価していると思っています。私の考え方がひねくれているのでしょうか」

うーむ。俺も思いあたるフシがあるぞ。

物事を大きく変えていこう、とか、新しいことにチャレンジしよう、といったとき、突破力を売りにしているリーダーは、自らの意志を力強く表明すれば多くの人に理解してもらい、そのことが実現できると思い込んでいる。しかし実際は、その漠たる方針につじつまを合わさなければならない部下たちが、かなりの、それもあまり生産的ではない努力を強いられる。結果的に、無駄な打合せに参加させられ、絵に描いたような餅のような構想を考えさせられ、それを実現するために、というか実現したように見せるために、なんとか取り繕おうとする。

以前、どこかの自動車会社の社長さんが、みずからCMに出演し、「BEVも本気、燃料電池も本気、PHEVも本気、全部本気です!」と、熱をもった言葉でみずからの突破力の強さを公然とアピールしていたのを思い出す。僕はあのCMが怖くて仕方なかった。全部本気で取り組めるほど、会社には十分な体力があるのだろうか。社長、よく言ってくれた、と、社員たちは諸手を挙げて賛成しているのだろうか。僕にはよくわからない。少なくとも僕だったら、おいおい、それを実現させる身にもなってくれよ、と思ってしまうかもしれない。

突破力を標榜しているリーダーは、意外なところで打たれ弱いということも、僕は知っている。いや、むしろ本人がそのことを自覚しているから、突破力という甲冑を着ているのかもしれない。

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四十熱、五十熱

10月25日(火)

今日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、小島慶子さんが「四十熱、五十熱」の話をしていた。

男性にその傾向が多いそうなのだが、年齢が40歳に近づくと、「俺は何事も成し遂げていない」と思い立ち、会社を辞めたり家を買ったりみたいなことをする。ある程度時間がたつとその熱は冷めるのだが、今度は50歳に近づくと、また「俺は何事も成し遂げてない」という思いに取り憑かれ、そばを打ったり、釣りをはじめたり、乗り慣れない大型バイクに乗ったりする。そういう熱に浮かされた状態のことを四十熱、五十熱というのだという。小島慶子さんのオリジナルな仮説だそうだ。

たしかに、40歳を機に会社を辞めてフリーになった人を知っているし、50歳を機にやはり会社を辞めて別の会社に移った人も知っている。ただ、後者の事例は女性だったので、必ずしも男性ばかりに言えることではないかもしれない。

僕はというと、40歳を目前にして韓国に留学し、滞在中に40歳になった。これが、転機といえば転機といえるかもしれない。そのとき、自分は何かを成し遂げようとしたのだろうか、よく覚えていない。

では50歳のときはどうだったかというと、50歳を目前にして子どもを授かった。これも大きな転機だが、ただこれはたまたまタイミングがそうなっただけである。

では、何かを成し遂げたかというと、とくにいまのところ何も成し遂げてはいない。大竹まことさんや武田砂鉄さんは目の前の仕事をこなすのが精一杯で、そんな先を見通したことなどないと言っていたが、僕も同じようなものかも知れない。

しかし一方で、妙にそういった年齢の区切りを意識する人がいることも事実である。この違いが何に由来するのかは、興味深い問題ではある。

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ミュージアムコンサート

10月23日(日)

自分が住んでいる市の市報に、市内の博物館でミュージアムコンサートがあるという記事が載っていた。人数制限があるので抽選制だったが、家族が応募したところ、見事に当選して、家族で行くことになった。

同じ市内といっても、自宅からはバスを乗り継いだりして、交通の便が必ずしもいいわけではなかったが、それでも僕がそのコンサートに惹かれたのは、サックスとピアノのデュオだったからである。若い頃、アルトサックスを吹いた経験のある僕は、久しぶりにサックスの生の音色が聴けることに、胸が躍った。

ただ僕は、そのコンサートに関してはサックスとピアノのデュオによる演奏であるという情報しかわからない。だれが演奏するのか、といったこともわからないまま、会場に着いたのである。

会場の一番前の席を陣取った。見ると、グランドピアノの横に、すでにソプラノサックスとテナーサックスの2台が並んで立てかけられている。

しばらくして、開演時間になった。主催者の簡単な挨拶が終わると、いよいよ演奏者の登場である。

あらわれたのは、おじさんふたりだった。まさに「おじさん」と呼ぶにふさわしい男性である。僕はてっきり、というか、何の根拠もなく、サックスとピアノのデュオは、女性の方なのではないか、と想像していた。なぜなのかはわからない。博物館の小さな講堂の中で行われる、ユルいコンサートを想像していたからだろうか。だとしたら、僕の中でジェンダーバイアスがかかっていたといわざるを得ない。

もうひとつ驚いたのは、ピアノ奏者の方が、サックス奏者の方の手を引きながら、会場にあらわれたことである。サックス奏者の方は、目の見えない方だったのである。

僕は、ありとあらゆる狭小な思考や偏見が自分自身の中にあることを恥じた。

さて、演奏が始まった。忘れないうちに、演奏された曲を覚えている限りで書きとどめておく。

1.ヘンリー・マンシーニ「酒とバラの日々」

2.ルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」

3.映画『カサブランカ』より「As Time Goes By」

4.「リカード・ボサノバ」(ギフト)

5.スタン・ゲッツ「ティズオータム」

6.ソニー・ロリンズ「マック・ザ・ナイフ(モリタート)」

7.「枯葉」

8.「Autumn In New York」

9.「Fly Me To The Moon」

サックス奏者の方によると、とくにこの曲をやると決めてきたわけではなく、成り行きでこういう曲順になったという。それにしても、ピアノ奏者の方との相性は抜群だった。

何より凄かったのは、ピアノ奏者の方が、楽譜も鍵盤も一切見ずに、サックス奏者の演奏に寄り添って演奏していたということである。ここでアドリブを終えて主旋律に戻る、というタイミングは、演奏者同士でアイコンタクトをしながら決める、なんてこともあるらしいが、サックス奏者の方は目が不自由なのでそれができない。ピアノ奏者の方は、ひたすらサックス奏者の演奏を見つめながら、タイミングを見計らって、アドリブを繰り広げ、さらにそれをサックスの主旋律に返していく。その呼吸が、ピッタリなのである。その一点だけで、このふたりの揺るぎない信頼関係というものが感じられた。

1時間程度の予定だったが、1時間半近くコンサートは続き、最後は30人ほどの会場が大きな拍手で包まれた。

いささか大げさだが、僕は音楽とは何だろうということについて、考えずにはいられなかった。そしてまたいつか自分もアルトサックスの練習をして人前に立ちたい、という希望がわいてきたのであった。

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