日記・コラム・つぶやき

雑にあつかわれるのは、なじんできたからなのか?

1月21日(金)

3日間にわたる「ひとり合宿」、ええい、めんどくせえ、「入院」が無事に終了した。

もうすっかり恒例になってしまったため、担当の先生や看護師さんも、僕に対する扱いが雑になっている。

本来ならば初日に受付をすませて入室したあと、担当の先生が病室に来て次の日の治療の説明をするのだが、今回は、受付をすませて待合室で待っていると、担当の先生が通りかかり、

「ちょうどよかった。明日の件だけど…」と、次の日の治療スケジュールを教えてくれた。「よかった。病室に行く手間が省けた」と。

2日目は、3時間にわたる長丁場の治療が終わり、僕が病室に戻る前に、担当の先生が、

「このあと用事があるので、流れ解散ということで」

と、やはり病室に来て治療の結果を説明してくれなかった。「流れ解散」という言い方に、思わず笑ってしまった。

まあこっちも、よけいな気を遣わずにすむからかまわないんだけど。

看護師さんも、いちおう消灯時間の9時に、「消灯の時間です」と、部屋の扉を開けてひと言呼びかけるのが恒例なのだが、今回はそれもない。

こうなるともう完全な放置プレイである。

そういえば、初日の看護師さんは、ずいぶんとおしゃべりな人だった。

どういうわけか、僕に3歳の娘がいることを知っていて(話した記憶はないのだが…)、

「いま、娘さんは何に興味があるんですか?アナ雪とか?」

と聞いてくる。

「アナ雪もそうですけど、…阿佐ヶ谷姉妹ですね」

と言ったら、大爆笑された。

「阿佐ヶ谷姉妹ですか!私も大好きです」

「あと、…大泉洋さん」

「ああ、紅白歌合戦で司会してましたね。阿佐ヶ谷姉妹と大泉さんが好きって、ずいぶんシブい娘さんですね」

たしかにシブい3歳児だ。阿佐ヶ谷姉妹と大泉さんが共演したら、娘は狂喜乱舞するだろうな。

「担当の先生、すごく頭がいいんですよ」と看護師さん。

「わかりますよ」と僕。

「なにしろ、○○高校の出身で、現役で××大学に入ったんですからね。たしか息子さんも、○○高校じゃなかったかしら」

と、ずいぶんと個人情報を教えてくれる。というか、口が軽すぎないか??

あんな調子で、僕の個人情報も同僚の看護師たちに喋っているのだろうか。

まあ、毎回お世話になっているし、命を預けている身なので、それくらいのことはたいしたことでもないのだが。

今日の午前に退院し、お昼近くに帰宅したのだが、午後には職場のオンライン会議に参加しなければならなかった。事情を話したにもかかわらず、「休んでもいいよ」という人が一人もいなかったのは驚きだ。仮にも退院直後だぜ。俺の身体の深刻さがわかっていないのだろう。

明日からの土日もオンライン会議があり、進行役をつとめなければならない。先ほどまで会議資料を作っていたので、今日は「アシタノカレッジ 金曜日」は聴かない。

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アンケート効果か

1月19日(水)

約3ヵ月に一度の恒例、3日間の「ひとり合宿」である。

毎回、仕事とは関係のない本を持っていって、初日は仕事を忘れて読み耽るのが恒例なのだが、今回は、やむにやまれず、締切がとっくに過ぎた職業的文章を書き続けることにした。ちっとも楽しくはない。

さて、どうでもいいことなのだが、ひとり合宿の部屋は、ビルの3階と4階で、ほとんど毎回、僕は4階の部屋があてがわれる。しかし困ったことに、4階の部屋のトイレには、温水洗浄便座がない。

一度だけ、3階の部屋をあてがわれたことがあったのだが、そのときの部屋には温水洗浄便座があった。ひょっとしたら、温水便座がついているのは3階の部屋だけで、4階の部屋にはついていないということなのではないだろうか。

前回のひとり合宿は4階だったので、意を決して、アンケート用紙に、

「できれば温水洗浄便座にしてほしい」

と書いた。

すると今回は、3階の部屋をあてがわれたのである。これって、アンケートに書いた効果なのか?

しかし、アンケートは無記名なので、誰が書いたかわからないはずである。

それに、僕が意図したのは、「全部の部屋を温水洗浄便座のトイレにして欲しい」ということだったのだが、とりあえずクレーム対策のために、3階の部屋をあてがわれたのだろうか。

そういえば以前、食事に鯖が出た時があった。そのとき、アンケートに、

「体調が悪い時の鯖はちょっと…」

と書いたら、それ以降、鯖が食事に出されることはなくなった。

やはりこれも、アンケート効果だったか。

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片手袋からはじまるストーリー

1月14日(金)

今日のTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、片手袋研究家の石井公三さんだった。

道ばたに落ちている片方だけの手袋=片手袋から、いろいろな思索をめぐらせるという。

そういえば、僕はこの1週間ほどのあいだで、2回ほど、片手袋に遭遇した。

1度目は、1月8日(土)、繁華街のバス停から、バスに乗り込んだときのことである。

大方の客がバスに乗り込み、いよいよ出発かな、と思っていたら、乗車口である前方の扉から、おばさんが息せき切ってバスに乗り込んできた。

「あの、…手袋を落とされましたよ!」

そのおばさんは、バスに乗り込んだかと思うと、優先席に座りかけていたおばあさんに、その片手袋を差し出した。そのおばあさんがバスに乗る前に手袋を落とした瞬間を、たまたま通りかかったおばさんが目撃して、落ちている手袋をすぐに拾って、バスが出発する前に手渡そうとしたのだろういうことが、その一連の様子からうかがえた。

たしかに、優先席に座りかけていたおばあさんは手袋をはめていたが、左手のみで、右手にははめていない。

「あ、…ご親切にどうもありがとうご…、あ、いや…」

と口ごもったかと思うと、

「これ、私のじゃありません」

とまさかの答え。

手袋を渡そうとしたおばさんは、ビックリした様子で、

「違うんですか?」

と念を押すと、

「違います」

と、やはり否定する。

よく見てみると、おばさんの拾った手袋と、優先席に座ろうとしたおばあさんの手袋は、色が微妙に異なる。つまりまったく違う手袋なのだ。

手袋を拾ったおばさんは、首をかしげながら、バスを降りて、どこかへ歩いて行ってしまった。

いくつもの疑問が残る。

おばさんは、道ばたに長い時間落ちていた片手袋ではなく、「落としたてほやほや」の片手袋を拾ったのである。だから、バスの乗客のものと思い込んだのだ。

で、いままさにバスに乗り込もうとしたおばあさんは、手袋を片手しかはめていないことを確認し、そのおばあさんを追いかけてバスに乗り込んだ。

どう考えても、その「落としたてほやほや」の手袋は、そのおばあさんのものとしか考えられないのだが、実は違う手袋だったのだ。これはいったいどういうことなのか?

同じバスに乗っている人で、「それ、私のです!」と言う人もいなかった。

おばさんは仕方なくバスを降りてどこかへ行ってしまったのだが、拾った片手袋はどうしたのだろう?

そもそも、片手袋を拾ったら、どこに届ければいいのだろう?バスの運転手さんに預けるわけにも行かないし、もともと落ちていた場所に戻すのだろうか?人の片手袋を持って帰るわけにも行かないし、どうにも扱いに困る。

それに、最大の疑問は、そもそもバスに乗り込んだそのおばあさんが、なぜ左手にしか手袋をはめていなかったのだろうか?そのことが、この問題をややこしくさせていたのだ。

僕はざわついた気持ちのまま、家路についたのであった。

2度目は昨日、自宅の最寄りのバス停でバスを待っていたときのことである。

列の先頭に並んでいたのだが、ふと道ばたを見ると、片手袋が落ちている。

ちょうどバスの乗車口のあたりに落ちていたので、バスに乗ろうとしたときにICカードを取り出すタイミングかなんかで、片方の手袋を脱いで、そのまま落としてしまった、といった一連の過程が想像された。

しかも、いかにも「落としたてほやほや」の片手袋である。そればかりか、その片手袋自体、どうやらまだ使い始めたばかりの新品のようなのである。

片手袋を観察すると、かなり複雑な構造を呈している。指の先の部分が出るような仕組みになっていて、さらにそれを覆うようなカバーがついている。つまりふだんは、4本の指と親指とが二股に分かれている手袋として使えて、手袋をしたままスマホをいじる場合には、その4本の指のところのカバーをはずして、指を出す、という、すぐれものの手袋なのである(わかりにくいかな?)。しかも毛糸で作られていて、かなり可愛い。

その手袋の様子から、若い女性がはめていた手袋であろうことは容易に想像できた。おそらく1本前のバスに乗ろうとした若い女性客が、うっかり落としてしまったのだろう。

サア困った。

僕はそれを見つけてしまったのだが、これをどうしたらよいのか?

たかが手袋、と思うかもしれないが、その人にとっては大事な手袋かもしれない。なにしろ新品同様で、しかもかなり凝った作りの手袋なのである。そうとうなお気に入りの手袋であったことに違いない。

いや待てよ。自分で買ったとどうして決めてかかるんだ?大切な人からプレゼントでもらった手袋かもしれないじゃないか。だとしたら、落としたことがよけいに悔やまれるはずだ。今ごろ1本前のバスの中で、泣いているに違いない。

結局、拾って届けようにもどこに届けたらよいのか、という疑問にぶち当たり、何もできず、僕はバスに乗り込んだのだった。

バスに乗っている間、僕はずーっと、その片手袋の持ち主のことを想像し、なぜ自分は何もできなかったのかと悔やむばかりだった。

そして帰路、同じ路線バスに乗って自宅近くの停留所で降りたとき、片手袋が落ちていたところに行って見てみたが、当然ながら、すでに片手袋はなかった。

誰か親切な人が拾って、何か手立てを講じてくれたのだろうかと、僕はそう願うばかりだった。

…ことほどさように、道ばたに落ちている片手袋は、人の気持ちをざわつかせる。僕だけではなく、もちろん片手袋研究家だけではなく、誰もが、道ばたに落ちている片手袋にまつわるエピソードを持っているのではないだろうか。

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年賀状フェイドアウト作戦

毎年、頭を悩ませるのが年賀状である。

毎年、暮れになるとやめたいと思うのだが、結局やめることができない。しかし昨年末は、あまりに忙しくて、いよいよ年賀状を出す暇がなくなった。

いっそこのまま、ほんとうにやめてしまおうと思ったのだが、ごくまれに、娘の成長を楽しみにしている人がいたりして、突然やめてしまうのはやはり忍びない。そこで、方針転換をはかることにした。

それは、こちらから年賀状を出すのではなく、「いただいた年賀状にのみ返信する」という方針である。それと、原則として三が日までにいただいた年賀状に返信し、返信する年賀状の枚数に上限を設ける、という方針である。

例外なくひと言メッセージを書かない、という原則は、これまで通りである。

まことに手前勝手な方針だが、そうでもしないと、なかなか年賀状の枚数を減らすことができないのである。

しかし実際に年賀状をいただくと、メッセージに思いの込められているものもあり、なかなか捨てがたいものがある。

職場の元上司からいただいた昨年の年賀状に、「年賀状は今回限りで」と書いてあり、現役を引退したこともあり年賀状はもう出されないのだろうなと思っていたら、なぜか今年も送られてきて、しかもご丁寧なメッセージも頂戴した。やはり年賀状をスッパリとやめることが難しかったのだろうか。

もう15年以上も会っていない、小学校から高校までずっと一緒だった友人。年賀状に詳しい近況報告が書かれていた。中学2年生の息子が発達支援学級に通っていて、幼少期は言葉を出さなかったが、気がつけば鉄道とアイドルの推しの内容を、ほぼ毎日繰り返して雄弁に語るようになった、最後の義務教育生活で、その後の生活の自覚が出てくるのか、それとも受け止めきれなくなるのか、見守っていきたいとあった。1枚の小さな年賀状の中に、この15年の歩みが凝縮されているように感じた。そう、やはり「推し活は私を救う」のである。そう信じたい。

僕と同世代の知り合いからは、大学進学とともに郷里から首都圏に移り30年以上が経ち、いろいろと挑戦したことで貴重な体験ができたが、現実の社会での評価は厳しく、けがや病気にも見舞われ、厳しい1年だったと書かれていた。

いろいろな手段で手軽に連絡が取れるような時代になったが、やはりはがきに書かれてメッセージというのは、言葉の持つ重みが違うように感じる。

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年末年始

年末年始は、例の「節句働き」のクセが顔を出し、大晦日の午前は、自宅で1月3日(月)締切の入力の仕事を行った。

これがまあひどい話で、12月22日に依頼を受けたのだが、12月26日から12月31日までは、システムのメンテナンスでサイトにアクセスできません、というではないか。しかも締切は1月3日。ということは、12月22日~25日か、1月1日~3日の期間に入力の作業をしなければならない。

12月22日~25日は、本務の仕事がめちゃくちゃ忙しくてとてもそれどころではない。とすれば、お正月の三が日に作業をしろってか?それもちょっとなあ。

…と思っていたところ、予定より1日早く、メンテナンスが終わったようで、12月31日には入力作業が可能になっていた。そこで、年を越す前にやってしまうことにしたのである。

で、午後は、年末に締切の原稿にとりかかる。ほんとうは12月27日が締切だったのだが、とても間に合わず、かといって先延ばしにできないタイプの原稿なので、他の原稿よりも優先して、年明け早々に出さなければならない。そこで、やる気スイッチが入っていないにもかかわらず、重い腰を上げて大晦日から書き始めることにしたのである。A4で4枚、文字数にして4000字程度かと思うのだけれど、職業的文章なのでいい加減なことも書けず、一つ一つ「裏取り」しながら書かなければならない。これが意外と難航した。

夕方になると、もう紅白歌合戦一色である。とくに今年は、ふだんならば絶対見ない「直前スペシャル」なるものを、阿佐ヶ谷姉妹が出演するという理由だけで見ることにした。

阿佐ヶ谷姉妹は、紅白歌合戦の会場で出場歌手のインタビューをするレポーターという役で、間違いがあっちゃいけないと、画面からもその緊張感が伝わってきた。そのガッチガチの阿佐ヶ谷姉妹のレポートを、NHKのスタジオで司会の南海キャンディーズ・山里亮太が引き取るのだが、その「受け」のコメントがどれもおもしろく、すばらしかった。

どんどん話が逸れていくが、山里亮太という芸人がすばらしいのは、(ちょっと上から目線の物言いになるけれども)映画や読書により自らの教養の幅を広げている点である。山里亮太がアシスタントをつとめるTBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび 火曜日」の町山智浩さんの映画のコーナーを聴いていると、町山さんに紹介された映画は、どんなマイナーなものでも欠かさずに見ているし、読書についてもちょいちょい話題に出る。つまりは勉強熱心なのだ。その努力があってこその、笑いの瞬発力なのだと思う。

阿佐ヶ谷姉妹や山里亮太も、紅白の本番に出るのかなと思いきや、ついに出演しなかった。そういえばここ1,2年の紅白歌合戦は、曲と曲の間の、お笑い芸人らによる「にぎやかし」のコーナーが、まったくなくなっていることに気づく。しかも副音声もいつのまにかなくなっている。コロナ禍により密を避ける意味があったのか?その分、それぞれの歌手の舞台演出に力を入れているということなのか?いずれにしても、シンプルに音楽に集中できるという意味では、よいことなのかもしれない。

その代わり、三山ひろしの「けん玉でギネスに挑戦」というコーナーがすっかり定番となり、僕はそれに釘付けなのだが、

「おもしろいねえ、ね?おもしろいでしょ?」

と後ろをふり返って娘の顔を見たら、娘は面白がるどころか、生気を失った目をしていて、どこがおもしろいのかわからない、という顔をしていた。3歳児の笑いのツボは、いまだによくわからない。

…と、こんなことを書きたいのではなかった。

結局、紅白歌合戦の途中からテレビ東京の「ジルベスターコンサート」に切り替え、クラシック音楽で年越しのカウントダウンをする、といういつものパターンとなったのだが、これではいかんと思い直し、再び原稿に取りかかる。かなりの深夜になって、なんとか大枠を完成させた。結果、A4で4枚の予定が、A4で6枚となってしまった。このほかにも、年内締切の原稿がいくつかあったのだが、そのうちの一つの目処が立ったというだけで、まずはよしとしよう。

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学ばない国際会議

12月21日(火)

今日も大変な一日だった。

10時からの会議はメール審議になったものの、10時半から30分ほど打合せが入り、そのあと11時から1時間ほど別の打合せ、1時間弱のお昼休みをはさんで、午後1時から職場の全体会議である。職場の全体会議では、毎回、僕が提案したり報告したりしなければならない時間があるので、気を抜くことができない。これが3時間ほど続く。

で、今日は、その会議が終わってから、すぐに韓国の国際会議にオンライン参加することになっていた。

本当は午前中から国際会議は始まっているのだが、全体会議を休むわけにはいかず、夕方からの参加になったのである。

最初に依頼されたのは、いつだったか。

「12月21日に国際会議をやりますので、登壇者のプレゼンに対してコメントをお願いします」

と言われたので、

「この日は会議なので、参加することはできませんよ。参加できたとしても、夕方です」

と答えると、

「コメントの時間は夕方ですので大丈夫です」

「大丈夫って…。登壇者のプレゼンを聴かないままコメントを言うんですか?」

「登壇者には、あらかじめペーパーを準備してもらいますから、それを読んでコメントして下さい」

…というわけで、登壇者のプレゼンを聴かないままプレゼンに対するコメントを言うという、俺史上初の無謀な挑戦を強いられることになった。

1週間ほど前から、五月雨式に登壇者のプレゼン資料が送られてくる。できあがりの早い人もいれば、遅い人もいるのである。

送られてくるペーパーは、なんと11人分!しかも中国語と韓国語ばかりである。

「えーっと、どの方に対するコメント文を書けばいいのですか?」

「とくに決まってません」

「決まってないのですか?」

「ええ。でも、韓国語のペーパーに対するコメントをお願いできればと思います」

当日のプログラムを見ると、韓国人の登壇者は、全部で4人。だが、3人分しか受け取っていない。

「あとの1人のペーパーはどうなってますか?」

「提出される気配がありません。たぶん当日までできないと思います」

あの野郎、いつもそうだ。もう絶交してやる!

「ではその人に対するコメント文は書きません」

「それでけっこうです」

というわけで、先日の土日に、別の国際会議にオンライン参加して、それを聞き流しながら、韓国語のペーパーを読んで、うーんうーんと苦しみながらなんとかコメント文を3名分書いた。全部でA4用紙3枚分の原稿である。しかも1人につき質問を2~3問用意した。これだけ書けば文句は言われないだろう。

日曜日の夜に、先方に日本語のコメント文を送信した。「書けるだけ書きました。あとは適当の処理して下さい」と。

いよいよ当日。

全体会議が終わって休む間もなく、Zoomを立ち上げた。登壇者のプレゼンは終わりかけていて、このプレゼンが終わると、短い休憩をはさんで討論の時間である。どうやら時間通りに進行しているらしい。

(なんとか間に合った…)

16時50分。予定の時間通り討論が始まった。コメンテーターは僕を含めて3人である。あとの2人のうち、1人は中国人、もう1人は韓国人。

「それでは討論を始めます」と、討論の司会者がひどく早口である。「今日のプレゼンターは12名おり、コメンテーターは3名です。時間は80分です。一つ一つのプレゼンに対してコメントや質問をして、それに答えていると、あっという間に時間が経ってしまいますので、1人に対する質問は、2分、2分でお願いします。いくつか質問があった場合も、最も核心的な質問1問だけにしてください。いいですか、2分、2分ですよ。答える方も、核心的な回答のみをお願いします」

「イーブン(2分)」という言葉と、「ヘクシムジョギン(核心的な)」という言葉が、司会者の口から何度も何度も繰り返された。討論の時間が始まったばかりだというのに、司会者はすでにかなりテンパっていた。討論時間が延びることをかなり警戒しているようだ。

討論時間80分とはいっても、いちいち中国語、韓国語、日本語に通訳しながら進めていかなくてはいけないので、実質の時間はその3分の1、約27分くらいである。それを3名のコメンテーターで割ると、ひとりのコメンテーターの持ち時間は9分。コメンテーターは4分半で質問し、登壇者は4分半で答えるという計算になる。ほとんど何も質問できないじゃん!

コメントの最初は中国人、2番目は韓国人。ここまで順調に進み、いよいよ僕の番である。

「では3番目のコメンテーターの方、登壇者の○○先生のプレゼンに対するコメントと質問をお願いします」

なんと!いきなりピンポイントで、1名に対してのみのコメントを求められた。

だったら最初から登壇者を指定してくれよ!!!こっちは案配がわかんないから、3名分のコメントを用意してきちゃったぞ!しかも1人につき3問用意したから、質問は全部で9問あったのだ。

「1問のみでお願いします」

というわけで、A4用紙3枚の原稿のうち、2枚半はまったく使うことなく、わずか半ページのみのコメントで終わってしまった。

「時間が来ましたので、討論の時間はこれで終わりにしたいと思います。みなさまお疲れさまでした!」

韓国の国際会議で、段取りをまったく聞かされないまま、ぶっつけ本番でのぞむことに、すっかり動じなくなってしまった。というか、こんなんで「国際会議」などと銘打ってしまっていいのか???

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怒鳴る人

12月17日(金)

今週もよくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました。…ま、無事ではないんだけれども。

今週はTBSラジオ70周年記念ウィークとのことで、ちょっと僕のなかでは「TBSラジオ過多」である。とくに武田砂鉄過多。

水曜日の「アシタノカレッジ」のゲストが武田砂鉄氏。

「よく会社とかで怒鳴る人とかいるんだけど、怒鳴ることで問題が解決したことなんか一度もない」

「誰かに対して怒鳴る人は、その人とこの先どのような関係になるのかという想像力がはたらいていないんだな、と思うことにしている」

など、いちいち共感することが多い。

いつだったっけなあ。ずいぶん前に、東京駅八重洲口のマックで、列車の時間が来るまで時間をつぶしていたら、サラリーマン風の、僕と同じ年齢くらいの男性が、若いカップルに対してすげえ勢いで怒鳴っていた。若いカップルのおしゃべりがうるさいとか、携帯電話の充電をするために備え付けのコンセントを使っているとか、そういう些細なことで怒っているらしい。

「ヤカラ」みたいなおっさんではなく、見た目はごくふつうのサラリーマン風の人なのである。

若いカップルの方が無法者なのかといえば、そんな感じでもない。むしろ好感が持てる感じのカップルである。しかしなぜか、そのサラリーマン風の男性は、そのカップルたちを口汚く罵っているのである。

聞くとはなしに聞こえてくるその怒鳴り声は、近くで聞いていて不愉快きわまりないものだった。周りの人たちは、「やべー奴」といった感じで、なるべく関わらないようにしているようだ。

しかしかわいそうなのはその若いカップルである。たいして悪いことをしていないのに、ずっと罵倒され続けているのである。

だんだん僕は腹が立ってきた。

いっそ、そのサラリーマンに怒鳴ってやろうかと思ったが、ここで怒鳴ってしまったらそいつと同じ穴の狢である。

頃合いを見て、僕は椅子から立ち上がり、その男性に近づいて、耳元でささやいた。

「そのへんでやめておいたらいかがですか?もう気が済んだでしょう」

するとその男は僕をにらみつけ、

「○×△□◇▼◎※!!!」

とわけのわからない言葉を怒鳴った。そしてバツが悪くなったのか、その場から退散したのである。

僕は矛先がこっちに向くのを覚悟していたが、想像していたほどではなかった。そしてそのサラリーマン風の男性から、「怒鳴っても問題は解決しない」という定理を実践的に学んだのである。

もう一つの、「誰かに対して怒鳴る人は、その人とこの先どのような関係になるのかという想像力がはたらいていない」という定理。

これは、前回書いたように、「50歳を過ぎてから、人生の前半生は物語の「伏線」」であるというニュアンスとも近い。

いま目の前にいる人は、この先、いつまた一緒に仕事をするかわからない。その伏線かもしれないのだ。しかも、そのときにお互いの立場がどのように変化するのかも、まったくわからないのだ。

後々の「人生の伏線」になるかもしれない相手に対して、傍若無人にふるまうことがいかに無謀なことかが、わかりそうなものである。

よく「一期一会」と言うが、一生に一度しか出会わないから誠意をつくすべきだ、という意味よりも、またどこかで会ったときに(過去の)悪い印象が残らないように、誠意をつくすべきだ、という意味の方が、僕にとってはしっくりくる感じがする。

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またしても「ひな壇芸人」

またしても愚痴が続く。

このところ、いろいろな本の企画で「その他大勢」という立場で職業的文章を書くことが多い。というか、以前からずっとそうである。

僕はそれをなかば自嘲的に「ひな壇芸人」に喩えたことがある。

もうここ最近は、立て続けにそんな依頼ばかりである。昨年だったか一昨年だったか、3つの企画が立て続けに来て、一つは最近刊行され、一つはようやく校正が出て、一つはまだ執筆途中である。

こういう企画ものは、得てして予定調和的なものなので、そのへんをわきまえて書かなければならない。つまり編者の期待を裏切らない文章を書かなければならないのである。さすがにこうした職業的文章を連続して書いていると、自分自身が飽きてしまうし、このままでいいのだろうかとも思う。

つい数日前も、また別のところからシリーズ本の企画に職業的文章を書くようにという依頼が来た。依頼してきた方が、日ごろからお世話になっている方なので、断ることができない。これで「ひな壇芸人」的文章は4つめだ。人生の貴重な残り時間を思うと、忸怩たる思いがある。

もう少し自由に書かせてくれるような場所はないだろうか。「ひな壇」ではなく「単独ライブ」をやりたいのだが、こういう「ひな壇芸人」的文章ばかり書いていると、その書きぶりに慣れてしまって、自由に書こうとしてもその呪縛から逃れることができないのではないか、という不安が頭をもたげてくる。だから自分の文章を読み返すのが怖いのである。

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ちっともめでたくない重版出来

またもや愚痴なのだが。

僕が数ページだけ書いた、黄色い表紙の新書が、何とめでたく4刷になったそうだ。累計3万部だそうだから、昨今の新書としては、異例の売り上げということなのだろう。

その都度、その報告が出版社からメールで来るのだが、それがなんとも腹立たしい!というのも、いくら売れても、僕には1円も入ってこないのだ!!だから売れれば売れるほど、僕は損した気分になるのである。

こんなことばかりだから、本を書くモチベーションが下がるのである。

で、ふつうは、重版のたびにその本が執筆者のもとに送られるはずなのだが、最初に2冊送られてきただけで、あとは全然なしのつぶてである。

僕はこの出版社とは何のゆかりもないし、もともとこの新書も部外者の立場で書いたから、思いきって出版社に聞いてみることにした。

「4刷が決定したのですね。おめでとうございます。まことに厚かましいご相談なのですが、各刷ごとの本をお送りいただくというのは、難しいでしょうか。以前に別の出版社で重版が決定した際に、その都度1冊お送りいただいた経験があったのですが、もしそのような慣習がなければ、ご放念下さい。」

一応、気を遣って書いてみた。するとすぐに出版社から返事が来た。

「執筆者の方全員に重版のたびにお送りするのは費用面でも作業面でも負担が大きく、執筆者の方への献本は初版にお送りした2冊のみでご容赦いただければ大変ありがたいです。たとえば「4刷のものを10冊買いたい」などのご要望にはお応えできるかと思いますので、ご入用の際はお申し付けください。」

つまり、「重版で儲かったけど、お前らには最初の2冊だけだよ」という意味である。

ま、これ以上つっかかると、こっちの方が器が小さいと思われそうだから、引き下がることにした。

何度でも書くが、僕はこの新書がいくら売れても、1円も入ってこないのだ。せめて現物支給だけでも…って、やはり俺は、器が小さいのか???

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注文の多いオンライン講演会

12月14日(火)

昨日の「雪中行軍」ですっかり疲れてしまい、夜遅くに帰宅したのだが、翌日の午後は、職場で定例の会議があるので車で2時間半かけて出勤する。

出勤するとさまざまな案件が降りかかり、二つの会議の合間に職場の中をまわって解決につとめる。

二つめの会議では、こみ入った規定変更を説明しなければならないので、細かいところで揚げ足をとられないように、言葉に注意しながら説明する。なんとか異論もなく終了したが、神経を使いすぎて疲れてしまった。

夕方5時。某国に向けてのオンライン講演会まで、あと2時間ある。この2時間の間に、会議の余熱をクールダウンしなければならない。

もともと、無茶なスケジュール設定だったのだ。

某国からは、「11月か12月に、講演会をお願いします」と言われたのだが、まったく気が進まないので、「ちょっと忙しいですから時間がとれるかどうかわかりません」とか何とかいいつつ、はぐらかしていた。

それからしばらくすると今度は、「午後7時以降にオンラインミーティングをしたいので、ご都合のよい日を教えて下さい」と連絡が来た。

仕方がないので、いくつか候補日をあげたところ、12月7日にオンラインミーティングをしたことは、このブログにも書いた。

その翌週も候補日としてあげておいたら、「では1週間後の14日にオンライン講演会をお願いします」、だってこの日は空いているんでしょ?とばかりに、強引に設定されてしまったのである。これって何て言うの?騙し討ち?

まあ逃げられないと思い、どうせやらなければならないのなら、イヤなことは早くすませてしまおうと、仕方がなく引き受けた。

ところがよくよく考えたらその前の数日間は地獄のような忙しさなので、日程的には空いていても、体力が持つかどうかが不安だった。

それでも先方は、容赦なく注文を付けてくる。

「○日までに講演内容の資料をお願いします。事前に翻訳しなければならないので、早めに出して下さい」

「講演時間はどれくらいですか?」

「通訳を含めて2時間くらいです」

「2時間!?」

長いな、というニュアンスを先方も感じとったのか、「ま、1時間半から2時間の間くらいです」と訂正した。

必死に講演原稿を作り、提出した際に、「当日はこの原稿を手元で見てもらいながら、パワーポイントで画面共有しながらお話しするつもりです」と連絡した。

すると講演の前日の夜になって、

「すみません。できましたらパワーポイントのデータもお送り下さい。通訳をする先生は、日本語に自信がないとおっしゃっているので、できるだけ事前にどのような資料を用いるのかを知りたいと不安がっておられます。遅くとも講演の3時間前までに送って下さい」

と連絡が来た。パワポなんて、講演の直前まで試行錯誤しながら作ることが僕の流儀だったのだが、早めによこせというのだから仕方がない。僕は「雪中行軍」から帰った晩、夜なべしてパワポを完成させて先方に送った。

まったく、どんどんと注文が増えてくる。

さて、話を戻すと、会議が終わった5時からの2時間は、7時からの講演会の最終準備のほか、ほかの仕事のための準備に追われていた。

そしていよいよ午後7時。

その3分前に、教えられたミーティングIDとパスコードでZoomに入室すると、僕の画面と、ホストの画面の2画面しか映っていない。

ホストの画面では、慌てふためいた姿が映っている。

「ちょっと問題が起こりまして…」

「どうしたんですか?」

「先生には、日本時間で午後7時から講演を開始するとくり返しお伝えしたかと思いますが」

「ええ、そう聞きました」

「実は当方の連絡ミスで、こちらの学生には、こちらの国の時間の午後7時から開始すると伝えてしまっておりまして…」

「ええぇぇっ!!」

こちらと向こうでは時差が1時間ある。向こうの午後7時ということは、こちらの午後8時である。午後8時から最大で2時間、講演をするとなると、午後10時になり、それから帰宅するとなると、家に着くのは午前0時近くになるのだ。

しかしそんなことは、先方が知ったことではない。もともと、そんな事情はおかまいなしに依頼してきているのだ。

「いま、何とか7時半から始められないか、急いで対応しています。30分後にもう一度入室いただけますか?」

「わかりました」

もう怒っていいレベルなんじゃないか?という気がしてきた。

7時半にもう一度Zoomに入室すると、すでに多くの学生が入室していた。

「先生、もう一つ問題が…」

「今度は何ですか!?」

「この講演会のホストである、プロジェクトリーダーの先生が、急に党の会議に呼ばれまして、終わり次第戻るそうです」

党の会議?…ま、僕の講演会よりも、当然そっちの方が優先されるべきなのだろう。

いよいよ講演会が始まった。

僕の腹づもりでは、7時半から始まって、9時くらいに終わるつもりで話し始めた。1時間半~2時間くらいと言われていたので、最短時間で終わろうともくろんだのである。とにかく早く帰りたいのだ。

しかし話し始めると、どんどん時間が経ち、目標としていた9時に近づいてきた。

「あ、だんだん時間がなくなってきたので、少し先を急ぎます」

と言ったところ、向こうにいる日本人スタッフからチャットが来た。

「こちらは何時まででもかまいませんので、どうか思う存分お話し下さい」

いやいやいやいや!!そっちはそれでかまわなくとも、こっちはそんなわけにはいかないんだよ!

結局、9時半過ぎに講演会が終わった。今回もやはり、打てど響かない講演会だった。早くクビにしてくんないかなぁ。

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