日記・コラム・つぶやき

俺は何をやっているのか

4月12日(月)

先週の水曜(4月7日)、都内で会合があった折に、偉い先生から、

「4月27日に韓国が主催するオンライン国際会合で、15分でも20分でもいいので発表してください」

と言われた。なんとも寝耳に水の話である。

僕が逡巡をしていると、

「あとで事務局に伝えます。追って事務局から連絡が来ると思いますので、よろしく」

おいおい!そんな乱暴な!

そもそもその国際会合は、半年くらい前から計画を練って、当日の発表者も人選していたんじゃないか?当然、当日のタイムテーブルも決まっているはずである。

それを20日前に変更するなんてことして大丈夫なのか?東京五輪じゃないんだから。

するとその翌日に、事務局をしている韓国の方からメールが来た。当日の午後3時頃から25分ほど時間をとってくれるらしい。急遽作り替えたと思われるタイムテーブルが添付されていた。

短い内容のメールだったが、行間から、いきなり偉い先生に言われてタイムテーブルの変更を余儀なくされたことへの困惑した気持ちが感じられた。

(俺がごり押しして発表を希望した感じになっていないだろうか?)

と僕は少し心配になったが、考えても仕方がない。

それよりも心配なのは、いつまでに原稿を出したらいいのか、という肝心な情報が、まるでないことである。ま、いつものことといえばいつものことなのだが、僕はこれまでの経験と与えられた発表時間から類推して、原稿の量を考えた。

原稿だけではない。これまでの経験によると、原稿そのものは翻訳されず、要旨だけが中国語や韓国語に翻訳されている。ということは、原稿と一緒に要旨も書いて提出しなければならないのではないだろうか?

あくまでも僕の推測なのだが、何の連絡も来ない以上、僕の推測に任せて原稿と要旨を作るしかない。

いろいろと逆算してみると、今日のうちに原稿と要旨を提出しなければならないのではないか(これも僕の推測)という結論になり、僕は今日一日かけて、原稿を作ることにした。

原稿といっても、文章原稿を6000字程度のほかに、図版10点くらいを準備しなければならない。

この図版がまたたいへんである。原稿の内容に合う図版を見つけてきて、片っ端からスキャンして、トリミングして、その中から選択して、レイアウトする。この作業がとてもめんどくさい。

原稿もまた面倒である。書き殴ってよいものではなく、いずれ翻訳される可能性もあるし、文化的差異もあるので、そうしたことに配慮した書き方をしなければならない。こっちではあたりまえと思っている知識が、むこうではまったく知られていない、なんてことはざらだからね。

そんなこんなで悪戦苦闘して、なんとか6000字弱の原稿と1000字程度の要旨を仕上げ、10点程度の図版をレイアウトしたものを付けて、先方にメールで送信した。

はっきり言って、かなりのやっつけ仕事である。

今日はこれしかできなかった。まったく俺は何をやっているのか?

しかし、早くこの仕事から逃れたいと思っていたので、やれやれである。僕は先方に、「原稿の提出先や締切や分量など何も教えていただいてないので、とりあえずこちらで考えたものをお送りします」と、なかばイヤミを書いてお送りした。

やれやれと思っていたら、韓国の事務局の方から連絡が来た。

「中国の○○先生から突然連絡が来て、自分も発表したいと希望されましたので、やむを得ずタイムテーブルを変更いたします。これが最終版のプログラムです」

今度は明らかに困惑した様子がメールからうかがえた。

僕の発表時間は、その先生のおかげでさらに30分ほど後ろ倒しされることになった。

ま、想定内だから別に驚かない。「これが最終版のプログラムです」といったが、本当に最終版なのか、安心はできない。

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俺は何を調べているのか?

前回のようなタイプの文章を書くのが、一番好きである。「どーでもいい知識や教養を脈絡もなく組み合わせて書く文章」といったらよいか。

いつも、着地点を決めずに書き始めるのだが、前回は、実際に書いている途中で、手塚治虫の『ロストワールド』のことを急に思い出した。書き始めた時には、まったく意識していなかったのに。

それで、「豚藻負児(ぶたもまける)」の最後の「児」をなぜ「る」と読むのだろうという長年の疑問のことを思い出し、調べていくと、医学用語に「加多児(カタル)」があり、医学の知識がある手塚治虫がこれを採用したのではないか、という仮説に行き着いた。マジで、自分でも思いもよらなかった結論である。

…とまあ、自分ではたいへん面白がって書いたのだが、これを読んでいる人がいるとしたら、「何がおもしろいんだかちっともわからない」ということになるのだろう。だから僕の書く本はまったく売れないのである。

そんなことはともかく。

前回の「加答児」の続き。

「カタル」とは、オランダ語由来の言葉で、江戸時代に伝わった言葉らしい。医学に関する言葉が多く伝わったそうであるから、「カタル」もその中の一つとして伝わったのだろう。それを漢字の音にあてはめたのである。

…というくらいしか今のところわからず、なぜこの言葉を「加答児」とあてたのかは相変わらずわからない。

僕は恥ずかしいことに中国語がわからないので、以下に書くことはまったくの見当違いかもしれないのだが、中国語には「児化」というものがあるらしい。Wikipediaによれば、

「普通話や中国語の一部方言に確認できる発音表現である。接尾語としての「児」が音節として独立せず、前の音節と1音節として発音され語尾が巻舌音化する。日本では通例「アル化」と呼ばれるが、実際の発音はあまり「アル」には似ていない。北京語・東北官話・膠遼官話などの北方方言の話し言葉では頻繁に使用され普通話にも取り入れられているが、他の地域での使用は稀で、このことから簡体字で「儿化」と表記するのが一般的である」

「「児」は前の音節の母音をR音性を持った音に変化させる」

と書いてある。これはつまり、「児」が最後に来る時には、R音風の「ル」と発音するということのようである。

一方で、「児」の前にある「答」という字は、中国語では「da」と発音する(らしい)。ちなみに韓国語では「답」と発音する。

つまり「答」のあとの「児」は、「児化」によりR音風の「ル」と発音することになり、両者をつなげて中国語風に発音し、これを仮名表記すると、「タル」となるのではないだろうか。

…というのが、いまのところの仮説である。中国語のわかる人に「加答児」を発音してもらえば、すぐにわかることなのかもしれない。語学の知識がないというのは、ツラいものだねえ。

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マンボウ

「ヤン坊マン坊天気予報!」

「それはヤン坊マー坊天気予報!」

「チャッチャチャラッチャチャッチャラッチャッチャ」

「それはマンボNo.5!」

「北杜夫!」

「それはどくとるマンボウ!」

「マンボウダンス!」

「それはリンボーダンス!」

「マンボウの女!」

「それはミンボーの女!」

「君たちキウイ、パパイヤ、マンボ‥」

「それはマンゴー」

ささ、どんどんボケてくださいよー。

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キーワードは高齢化

4月7日(水)

今週月曜日に放送されたTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(通称アトロク)の「ビヨンド・ザ・カルチャー」のコーナーを聴いた。武田砂鉄氏によるメタル音楽特集である。

先週の金曜日に、TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」の、武田砂鉄氏と澤田大樹記者によるアフタートーク(YouTube配信)で、「アトロク」の宇多丸さんに、どうやったら興味を持ってもらえるかということについて、アトロク出演経験のある澤田大樹記者が「アトロク攻略法」を武田砂鉄氏に伝授していて、それがあたかも、モテない男子同士が「どうやったら女子を落とせるか」という作戦会議を彷彿とさせた、ということはすでに書いた

澤田大樹記者はそのときに、「私もリアタイしますんで。グッドラック!」と武田砂鉄氏にエールを送っていたのだが、実際の放送を聴いてみると、澤田大樹記者はその放送をリアルタイムで聴くどころか、スタジオのサブで見届けていたのだという。

どんだけ仲がいいんだ?

最近僕の仕事まわりはとても殺伐としていて、人間関係の中でこのような経験をしたことがほとんどなくなってしまったことに、あらためて愕然とした。

最近は、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークのような会話をしてみたいという衝動に駆られることがある。

さて、アトロクのメタル音楽特集は予想以上におもしろかったのだが、なかでも笑ったのが、「メタル音楽の送り手と受け手(ファン)の高齢化」問題である。メタル音楽は50年の歴史があるが、若い世代の新規参入が難しく、世代交代がうまく行われていない問題があるというのだ。

「ライブじゃなくて、株主総会かな?って思うことがある」というくだりに笑ってしまった。

しかしこれはメタル音楽に限ったことではない。

今日、久しぶりに都内に出て、20代の頃から一緒に勉強をしている方たちと勉強会があったのだが、こちらの方も、高齢化が甚だしい。若者の新規参入がなく、新陳代謝がないことにあらためて危機意識を抱かざるを得なかった。

このままでこの先この業界は大丈夫なんだろうか、と不安を抱かずにいられない。

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もしも病院

4月5日(月)

お世話になっているので、あんまりヘンなことはいえないのだが、今日は都内の病院で3か月に1度の定期検査であった。

そこは、最先端の治療を受けることのできる病院で、僕はそのおかげでなんとか生きながらえているといっても過言ではない。

ところが、いつも困ったことがある。

検査をして、検査に引っかかったら入院ということになり、入院と決まったら、採血をしなければならないのだが、この病院、こんなことを言っては申し訳ないのだが、採血が恐ろしく下手なのである。

もともと僕は、血管が出にくいと言われていて、採血泣かせの腕なのだが、それでも、いつも1時間半以上かけて通っている、総合病院で採血をする時は、まったくそんなことは問題にならず、スムーズに採血が行われている。

ところが、この都内の病院では、全員がおしなべて採血ベタで、毎回必ず、採血に悪戦苦闘しているのだ。

結局この日も、採血をすることになってしまい、嫌な予感がした。

おそらく初めて僕の採血を担当する女性の看護師さんだったのだが、僕が腕をまくった瞬間、困ったような顔をした。

いくらがんばっても、採血ポイントが見つからないようだ。

悪戦苦闘したあげく、ようやく採血ポイントを見つけたようで、

「ちょっとチクッとしますよ」

と言われ、僕は目をつむった。

腕にチクッと感じたのだが、その看護師さんは、

「あれ?あれ?」

とつぶやき始めた。

おいおい!針を刺してから不安になるなよ!と思いながら、それでも我慢していると、

「すみません。やっぱり抜きますね…」

抜くのかよ!

その看護師さんは、ほとほと困った様子で、打つ手なし、という感じだった。

こっちからしたら、簡単にあきらめるなよ!と思うのだが、まだ経験が浅い人だったようで、どうしていいかわからなくなったようだった。

「すみません。ちょっと難しいので、看護師さんを呼びます」

え?あなた、看護師さんじゃなかったの???じゃあいったい誰なんだ?

看護師さんではなかったその女性は、内線の電話をかけて、看護師さんを呼び出した。

看護師さんがすぐに来てくれ、なんとか悪戦苦闘の末、採血は終了したのだが、最先端の医療技術とは裏腹に、毎回この病院で採血検査を受けるたびに不安になるというのはどうだろう。

これがドリフだったら、「もしも採血がひどく苦手な病院があったら」というコントができるのではないだろうかと、毎回、そのコントを想像しては、ニヤニヤしてしまう。

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文集

3月27日(土)

さて、実家でお昼を食べていると、

「ちょっと見てほしいものがあるのよ」

「何?」

「今度、文集に書かなくちゃいけなくて、原稿を書いてみたんだけど、読んでみて、おかしなところがあったら直してちょうだい」

「文春?」

「文集」

「なんだ、文集か」

どうやら喜寿の記念に、高校時代の仲間で、思い出話を綴った文集を作る、ということらしい。

見ると、テーブルの上に400字詰め原稿用紙があり、3枚にわたって謹厳な文字で文章が書かれている。

いまどき、400字詰めの原稿用紙に文章を書く、なんてことはトンと見たことがないから、新鮮というか、微笑ましい感じがした。

「読んでくれた?」

「いままだご飯を食べてるんだよ。そんなに早く読めるかよ!」

とにかく、早く読んでもらいたくて仕方がないらしい。

お昼を食べ終わり、いよいよ原稿用紙に目を通す。

そこには、母の青春時代の話が書かれていて、読んでいて少し面映ゆくなった。

母は田舎町の中学校を卒業したあと、バレーボールを続けたいということで、同じ県内にある、スポーツが盛んな高校に入学した。入学直後から、バレーボールの練習に明け暮れることになる。遅くまで練習が続き、電車がなくなって家に帰れなくなって友達の家に泊まることもしばしばだった。当時、家に電話がなかったから、近所の酒屋さんに電話をかけて、今日は帰れないと家に言づてを頼んだことが何度もあった。

バレーボールの強豪校であったこともあり、毎年のように国体に出場し、そのたびに遠征をした。ある年は、北海道への修学旅行と遠征の日程が重なり、泣く泣く修学旅行を諦め、宇部の大会を優先させたのだが、その代わりに、宇部の大会が終わったあと、周辺をみんなで旅行して修学旅行気分を味わった。

運動能力には誰にも負けない自信があり、全校生徒が参加するマラソン大会で、1年生の時に3年生の先輩とゴールを争って肩の差で2位になった。

昨年、バレー部のキャプテンが亡くなった。闘病生活を続け、ことあるごとに励ましていたが、昨年はコロナ禍のために直接お見舞いに行けなかったことが悔やまれた。告別式でようやくキャプテンの顔を見ることができたが、その顔は実に安らかだった。

のちに娘さんが、遺品の中からメモを見つけ、高校のバレー部のみんなに励まされたことがとてもうれしかったと書いてあったと知らせてくれた。

母の文章は、情緒的に過ぎず、淡々と書かれていた。決してうまい文章とはいえなかったが、この素朴な味を壊してはならないと、修正は最小限にとどめた。

最後の数行には、いまに至る人生が少しばかり書かれていた。その後結婚し、同居している夫の両親の津軽弁がわからず苦労したが、最終的には東京生まれの夫よりも津軽弁が聞き取れるようになった。その夫も3年前に亡くなり、いまはできるだけ子どもたちに迷惑をかけないように終活をしたい、とあった。

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謎のカンノさん

謎のナトリさん

3月27日(土)

実家に行くと、母が帰りにいつもいろいろなものを持たせてくれる。それがけっこういいお菓子だったりすることがあるのだが、そういうものはたいてい、母が買ってきたものではなく、「カンノさん」という母の友人が母にくれたものをお裾分けしてくれるものだったりする。

この「カンノさん」という名前を、僕は10代の頃から母から聞いていたし、いまも実家を訪れるたびに「カンノさん」の名前を聞くのだが、実は僕は、「カンノさん」に会ったことがない。

これまでの話を総合すると、カンノさんは、母の中学時代の同級生である。母の故郷は、いまの家から遠く離れた、人口が1万人に満たない陸の孤島のような小さな田舎町である。中学卒業後、ふたりは別々の道を歩み、それぞれ社会人となって結婚したのだが、まったく偶然なことに、結婚後も家が近所だった、というのである。そんな奇縁もあって、いまでもよく会ったりしているというのだ。

これだけ頻繁にカンノさんの話を聞きながら、僕はそのカンノさんに会ったことがないのである。

次第に僕は、カンノさんの実在を疑うようになった。カンノさんは、本当に存在するのだろうか?

さて、昨日は娘の3歳の誕生日だった。

3歳になったこともあり、今日は実家の母のところに娘を連れて行ったのだが、そこでお昼を食べていると、玄関のベルが鳴った。

母がインターホン越しに、来客の姿を確認すると、

「あら、…あんたも玄関に来なさい。カンノさんよ」

なんと、カンノさん!

玄関に出ると、まさにカンノさんがそこに立っていた。

「いつも母がお世話になっています」

僕は初めて、カンノさんに挨拶をした。

カンノさんは、僕につられてついてきた娘を見つけて、

「○○ちゃんね、大きくなったわねえ。抱っこさせて」

と、娘を抱っこしたのである。

娘も突然のことで戸惑っていたが、母は自分の孫の写真を、カンノさんに折に触れて見せていたのだろう。

それからカンノさんは、玄関先で二言三言、母と会話を交わして、帰ってしまった。

「家に上がってもらわなくてよかったの?」

「いいのよ。いつもそうしているから」

母は、カンノさんからもらったとおぼしきレジ袋を手にしていて、中から何かをとりだした。

「これ、カンノさんからもらった高級食パン」

見ると、たしかに高級そうな食パンである。

「半分持って行きなさいよ」

ということで、僕は高級食パンを4切れほど、お裾分けにあずかったのだった。

おいしいものが手に入るとお裾分けをする、というのが、むかしからの母とカンノさんの関係だというのを、僕は目の当たりにして、カンノさんが実在することを確認したのである。

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ロスジェネの逆襲

3月26日(金)

TBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」のゲストは、作家の村山由佳さん。最近刊行された、明治・大正時代を生きたアナキストで女性解放運動家・伊藤野枝の評伝小説『風よあらしよ』(集英社、2021年)にまつわるお話だった。

ラジオの中で紹介された伊藤野枝の言葉は力強く、今のこの社会が直面する問題にも、強く響き渡るものである。決して「置きにいこう」とはしない、寸分の遊びもない言葉の強さ、といったらよいだろうか。

僕はこの話を聴きながら、いま起こっているあの一連の騒動を思い起こした。

今年の夏にこの国で行われる予定の大規模スポーツイベント、本来は昨年の夏に行われる予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、1年延期されることになった。

僕はスポーツ観戦が大嫌いなので、このスポーツイベントは基本的にはほとんど見たことがないのだが、それでも僕が高校生の時だったか、アメリカのロサンゼルスで行われたそのスポーツイベントの開会式は、いまでも印象に残っている。

開会式の競技場で、ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が生演奏される。言わずと知れたアメリカン・クラシック音楽の名曲である。圧巻なのはピアノ演奏だった。これでもか、という台数のピアノが現れ、ユニゾンで一斉に演奏するという演出を見たときは、ちょっと心が震えた。僕はそれ以来、この曲が大好きになった。

開会式における高度で上質な音楽的パフォーマンスは、僕がそのイベントを見るとすれば、唯一楽しみにしていることである。

このたび、この国で行うイベントの開会式をめぐって、さまざまなトラブルが起こったようである。

演出統括者は、人選が二転三転し、いつのまにか、元広告代理店のクリエイティブ・ディレクターという男性(66歳)が担当することになっていた。

聞けば、これまでもいろいろなCMやイベントを手がけていたそうで、それらはなぜか共通して、僕をイラッとさせるものばかりだった。

まあそれは、僕の好みの問題だから措くとして、それよりも問題だったのは、イベント名にかけたダジャレを思いついて、ある女性タレントに豚に見立てた扮装をさせる、というまったくおもしろくない演出をアイデアとして出したことが明るみに出たことである。週刊誌にこのことが暴露され、そのクリエイティブ・ディレクターの男性は、開会式の演出統括者を辞任することになった。

もちろんその女性タレントを侮辱するような演出アイデアを出したこと自体、大問題なのだが、実はこの問題の本質はもう少し違うところにある、ということが、その後の週刊誌報道で明らかになってきた。

それは、そのクリエイティブ・ディレクターの男性が、その前に演出統括者だった演出振付師の女性(43歳)を排除した、という事実である。その男性が、というよりも、組織ぐるみで行ったことかもしれない。いずれにしても、それまでその演出振付師の女性が積み上げてきた演出プランをないものとして、というのか、なおざりにして、というのか、とにかくきわめて侮辱的な扱いをして排除したことが、明るみに出たのである。

恥ずかしながら僕はその演出振付師の名前をそれまでまったく知らなかったのだが、聞けば、Perfumeのダンス指導をした人というではないか。しかもかなりの実績のある方である。毎年文句を言いながら見ているNHKの「紅白歌合戦」で、「あの番組で見るべきところといったら、Perfumeのパフォーマンスくらいしかない」と思っていたから、「ひょっとしたらこれは、僕が高校生の時に見た『ラプソディー・イン・ブルー』のような心の震えを多くの人に与えるのではないだろうか」と思ったのだった。

ところがその希望は潰え、ダジャレを面白がる66歳のクリエイティブ・ディレクターに演出統括者が代わり、苦虫をかみつぶしていたところ、結局その人物は自爆してしまった。

66歳のクリエイティブ・ディレクターの男性は、問題が明るみに出たときに、「謝罪文」を公開したが、これがひどい悪文だった。何度読んでも、意味がよくわからない。言い訳にしか聞こえない。まったく人の心を打たない。むしろ読んでいて、あまりの論理性のなさに具合が悪くなりそうな文体である。多くの人が指摘しているように、あの謝罪文は、公表する前に、誰のチェックも受けなかったのか?あの謝罪文でよしとする人しか周囲にいないとしたら、それこそが、この問題の本質ではないだろうか。

そして今度は、一連の週刊誌報道を受けて、演出振付師の女性がコメントを出したのだが、このコメントの文章が実に素晴らしかった。人の心に訴えかけ、胸を打つ文章だったのである。一読して、前者と破格の違いがあることは、誰の目にも明らかであると思う。

言葉に生命があるのだとしたら、演出振付師の女性のコメントは、血の通った言葉であり、それは伊藤野枝が圧倒的な言葉をもって語ろうとした姿勢にも通じるのではないだろうか、と、そんなことを感じたのである。

そしてこの問題は、この国の社会全体に関わる問題であると、僕は見ている。性別による理不尽な扱いももちろんだが、世代の上下による圧力と隷従、成功体験にすがる世代と、何もないところから出発せざるを得ない世代との対立。この国のあらゆる場面で、日々、こうした対立や葛藤が起きているのだ。

どれだけの言葉を尽くせば、過去の成功体験にすがる人たちの古い価値観を変えさせることができるのか。むなしい作業かもしれないが、いまこそ逆襲の時である。

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さがしもの

3月21日(日)

昨日は春分の日だったため、父の墓参りに行った。僕の実家のお墓は、実家から車で20分ばかりの、同じ市内にある大きな霊園の中にあるのだが、天気もそこそこで、気温も低くなかったので、霊園の中はお墓参りの人たちの車で大渋滞していた。

今となっては、この霊園の中にお墓があるというのはずいぶんと恵まれていると思うのだが、母の話によると、私の叔父(私の父の兄)が先の戦争で戦死したので、優先的にこの霊園にお墓を作ることが認められたらしい。

私の祖父が田舎から上京したのが、戦争が始まる1941年で、そのときに父が生まれたのだが、その後まもなく父の兄は戦地に赴き、戦死した。つまり、今の墓に最初に入ったのは、父の兄である。

その後、僕が3歳の時に祖父が死に、20歳の時に祖母が死に、48歳の時に父が死んだので、お墓に入った順序としては、叔父→祖父→祖母→父である。ただし、叔父は「中支」で戦死したそうなので、骨はない。なのでお墓の中には、祖父と祖母と父の骨がある。

ところが、父の納骨の時に、お墓の下を開けたら、祖父、祖母の骨壺のほかに、もう一つ、木の入れ物が腐って崩れたような状態であったというのである。陶器の骨壺ではなく、木の箱に骨が入っていたのだろうか。だとしたらずいぶん前に入れられたのもののようである。しかし叔父の骨はないはずだから、いったい誰の骨なのだろうと、母も首をかしげていた。

一転して今日は大雨である。

マンションの一室が、本や書類で埋もれているので、1日かけて、少しずつ片付けようとしているのだが、なかなか片付かない。

片付けようと思った理由の一つが、定期購読している業界紙のバックナンバーを見つけ出したい、と思ったからである。必要があって読まなければならない号なのだ。

僕は整理が悪くて、複数の業界紙が毎月送られてくると、たちまち部屋の適当なところに置いてしまうので、あとでどこに行ったかわからなくなってしまう。

2015年11月に発行された639号、というのを探しているのだが、まったく見つからない。

複数の業界紙をまとめて置いているところで、該当の号を探すのだが、とにかく雑然と置かれているので、見つけるの時間がかかる。時間をかけても、結局見つかることはなかった。

職場に行けば該当の号が架蔵されているので、それをコピーすればすむ話なのだが、コピーをすると、また紙ゴミが増えてしまうことになる。

その号は、自分にとって大事な号なので、とっておこうと思って、どこか別の場所(本棚?)に置いておいた記憶があるのだが、どこに置いたのかが記憶にない。まったく、探したいものほど見つからないのだから、困ったものである。

その代わりに、片付けているうちに、思わぬものが発見されることもある。

僕は全然メモ魔ではないのだが、ちょっと調べたことや考えたことをメモしたりするノートが出てくることがある。

これもまた整理が悪いもので、僕はすぐにノートが行方不明になり、代わりのノートを使ったりするので、あちこちにメモ書きが分散されることになる。

整理していると、思わぬところからノートが見つかったりすることがあり、

(あ~、このメモ、このノートに書いていたのか!)

と、再開することもしばしばである。

あるノートには、ノートの最初に、

「打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友とわかれぬ」

という石川啄木の歌が書いてあった。それ以外のことは何も書かれていない。

そういえば以前、こんな経験をしたことがあって、たまたま啄木の歌を読んだときにこの歌に出会って、まるでそのときの気持ちが代弁されていると思い、メモしたのだと思う。

「打ち明けて語りて何か損をせしごとく思ひて友とわかれぬ」

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世界睡眠デー

3月19日(金)

3月19日は、世界睡眠デーなのだそうだ。

TBSラジオでは朝から晩まで、睡眠に関する話題をしている。といっても、今日聴いたのは「荻上チキSession」と「アシタノカレッジ金曜日」くらいなのだが、いずれもメインのコーナーで睡眠の話題をしていた。

個人的には、荻上チキ氏が、

「僕、布団が変わると眠れないので、出張とかでホテルに泊まると、ホテルのベッドで絶対寝られないんです。あと、新幹線とか飛行機とかでも、まったく眠ることができません。海外に行くときも、10数時間飛行機に乗っていて一睡もできません。巷間言われているようなありとあらゆる方法を試して睡眠のための努力をしてきましたが、どれもまったく効果がありません。どうしたらいいですか?」

という質問に、専門家の先生が困っていた様子が可笑しかった。

かくいう私は、昨日にオンライン国際会合のホストをつとめ、慣れないZoomの操作をしたものだから、終わったらドッと疲れて夜9時に寝てしまった。

というか今週は、月曜日は自治体主催のオンライン会議が2つ、火曜日は職場の全体会議、木曜日は僕がホストのオンライン国際会合、金曜日が職場の最高意思決定会議と、重い会議が続き、すっかりと疲れてしまった。

僕は最近、YouTubeなどで時事問題についておじさん二人がトークしているような番組をベッドに横になりながらタブレットで見ていると、いつの間にか眠ってしまうことが多い。

落ち着いた声で喋る武田砂鉄氏も「自分の声は眠気を誘う」と言っていたが、そこでハタと思いついた。

僕の声や話し方も、「無伴奏のチェロ組曲」のようで眠気を誘うと言われたので、たとえば僕が、延々と小説などを朗読している音源を「睡眠用」として発売すれば、けっこう売れるんじゃないだろうか?

あと、もう一つ新しい商売を思いついた。「謝罪文ライター」である。

偉くなったおじさんというのは、謝罪文を書くのがド下手である。謝罪文の中に、どうしても言い訳とか自尊心などを入れてしまい、かえって人の心を逆なですることが多い。それに、文章自体が恐ろしく下手で、ああ、口八丁で今までやってきたのだな、ということがよくわかったりする。

そこで僕の登場ですよ。僕ならば、ありとあらゆる謝罪文に対応できる自信があるぞ。『炎上しない謝罪文の書き方』という本を書きたいくらいである。

試しに、具体的にある謝罪文を取り上げて、この場で推敲してやろうか、と思ったのだが、大人げないのでやめた。

しかしこれには問題が二つある。

一つは、僕が書いた謝罪文の内容と、本人の性格とのギャップが乖離しすぎて、「はは~ん。さては誰かに謝罪文を書かせたな」ということがわかってしまう恐れがあるということ。

もう一つは、身に覚えのないことについて僕が謝罪文を代筆することで、僕の心がやられてしまうんじゃないだろうか、ということ。

でも、つまらないダジャレで全世界を沸かせようという口先のアイデアを出して炎上するよりも、人の心を打つ謝罪文を書いて事態を収拾するほうが、僕の性に合っている。

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