日記・コラム・つぶやき

縮図

3月22日(水)

職場の重要な会議があることを忘れて、病院の診察予約を入れてしまった。というか、もともとこの日しか診察を受ける日がなかったので、仕方がない。しかも、かかりつけの病院ながら、部署が異なるので、初診扱いとなり、予約の患者が終わったあとに診察を受けることになる。

「朝からお越しいただくことになりますが、ひょっとしたら診察は夕方頃になるかもしれません」

「そうですか…」

こうなったら、一日、病院で過ごすことを覚悟する。

待合室でがんばって重要な会議にZoom参加することも考えたが、そこまですると身体が悲鳴を上げる。それほどに、疲労が蓄積し、体調が悪い。クソ真面目に全部の仕事をこなそうとすることは命にかかわる。

それにしても、かかりつけの病院が、自宅から電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかるところにある、というのはどうだろう。病院に行くには、元気でないと通えない。

…と、ここまで書いて、以前に聞いた話を思い出した。

ある山里深い町を訪れたときのことである。その村は、数年前に大水害により、唯一の公共交通機関である鉄道の橋が落ち、それが復旧することがないまま10年近くが経っていた。なかなかたどり着くことが難しい「秘境」、といってもよいかもしれない。

その町で働く人が、僕たちを車に乗せて運転しながら、こんな話をしてくれた。

妻が妊娠したときに、車でよく病院まで連れて行ったのだが、最寄りの病院まで片道2時間かかる。ある日、往復4時間かけて病院に行き、自宅に戻ると、妻の体調がすぐれなかったので、その日、もういちど、2時間かけて病院に行った。結局その日は、全部で8時間かけて病院と家を2往復した。

…たしか、こんな話だったと思う。

それを聞いて、いやぁ、たいへんだなあと思ったのだが、考えてみれば自分も同じようなものである。

総合病院のような大きな病院に通っていると、この国の縮図を見る思いがする。

平日の日中の病院というのは、高齢者ばかりである。年老いた男性が病気の場合は、年老いた女性が診察に付き添い、逆もまた然りである。「老老介護」という言葉がいつごろから言われはじめたのかは記憶にないが、それを実際に目の当たりにすると、どうにもやるせない。

待合室は、ひどい混雑ぶりである。ひとりの医者が、いったい何人を診ているのだろう。そして、看護師さんや医事課の職員さんたちの患者さばきを見ていると、ほんとうに頭が下がる。なかには待ち時間が長いといって医事課の職員にクレームをつける人もいるのだが、クレームをつけたところで事態は何も変わらないし、医事課の職員さんにそんな権限もない。つまりは座して待つより仕方がないのだが、そういう理不尽なクレームを相手にしなければならないのは、そうとうなストレスだろう。

現場がかろうじて踏ん張っているから、なんとか崩壊せずにすんでいる、というのは、どこの業界でも同じだろうか。実際は仕事がまわっていないというべき状況なのである。政治家は病気になっても、待たされることもなく、混雑した様子を観察することもないのだろう。世間に対する政治家の解像度の低さというのは、なんとかならないものだろうか。

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ちょっとした人捜し

14年ほど前、1年間の韓国留学でお世話になったウさんは、私より少し年上だが、日本に留学した経験があったので、留学当初は韓国語がまったくわからなかった僕にとっては、恩人である。

コロナ禍で韓国に行けなくなったこともあり、ウさんとはもうずいぶん会っていない。いまはFacebook上でのつきあいである。

そのウさんが、公開設定で、次のような呼びかけをした。

「1991年留学生別科に入学し、1992年3月に修了した韓国人のウともうします。その当時にT大学教育学部に在学していたK(当時3年生)という卒業生を探していますが、情報はH県出身である事だけです。現在は、たぶんH県で小学校の先生になって弟子を育てると思います。何とか探すことができますでしょうか?私が1992年からR大学で留学中に大変お世話なっていることを一生わすれないからです。」

そのメッセージに、二人ならんで写っている写真が添えられていた。大学時代に撮った写真である。

コメントも見ると、

「下の名前はわからないんですか?」

「わからないんです」

というやりとりがある。つまり苗字しかわからないのだ。

しかし、その苗字というのが、ひどく変わっている。僕は少なくとも初めて見る苗字である。これならば、かなり探しやすいのではないだろうか。

じゃあ、その苗字で検索すればいいじゃないか、となるかもしれないが、その苗字は、一般名詞としても使われたりする熟語なので、検索したところでよくわからない。

「H県で小学校の教師をしているであろう」というウさんの推測、そして変わった苗字、この2つを手がかりに、人探しをはじめる。

仮に小学校の教師をしていたとしたら、人事異動が公表されているはずだ。まずはH県の県庁所在地の市の小学校の人事異動情報をインターネットから探す。

すると、あったあった。S小学校の教頭先生の名前がKさんである。

「S小学校の教頭先生の名前がKさんですよ」

とコメントに書く。

「ワオッ!ありがとうございます。連絡をとってみます」というウさんの返事。

「結果を教えてくださいよ」

「当然でしょう」

しかしそれからどうなったのか、しばらく音沙汰がなかった。

今日、ウさんからメッセージが来た。

「鬼瓦先生のおかげでKさんからメールが来ました。ほんとうにありがとうございます」

やはり、僕の調査は間違っていなかった。

そして、その下には、Kさんから来たメールの一部が転載されていた。

「ウさん。君が京都から連絡なしにいなくなって30年が過ぎました。突然職場にairmailが届き、驚きました。よく、俺の所在がわかったなあと感心しました。どうやって見つけたんだろうかと。」

俺が見つけたんだよ、と言いたかったが、言ったところでどうにもならない。

いずれにしても、30年ぶりに、二人は連絡を取り合うことができたのである。

ウさんは、日本での留学中にたいへんお世話になった人にちゃんとしたお別れを言えなかったことを、ずっと悔やんでいたのだろう。それで、公開で呼びかけたのである。で、ウさんにお世話になった僕が、ウさんの旧友を引き合わせた。

お世話になった人のために、その人がお世話になった人を捜し当てるって、なんか運命的でしょ?

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責めを塞ぐ

3月18日(土)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

…と言いたいところだが、今週もまた、週末が埋まってしまっている。

今週後半の出来事はというと…。

15日(水)~17日(金)は、妻が出張のため、娘の保育園の送り迎えは私の役目である。朝8時に登園させて、夕方6時にお迎えに行く、という時間は必ず守らなければならない。

水曜日は、朝8時に登園させたあと、電車とバスを乗り継いで1時間半かかる病院で検査である。これが思いのほか長くかかり、寄託したときにはお迎えの時間ギリギリだった。

木曜日は、職場で重要な会議である。幸いなことに、開始時間は午前11時。これだと、朝8時に登園させたあと、自家用車で職場まで行くのに11時までには間に合う。会議が終わるのはお昼過ぎなのだが、午後は、僕だけ居残りさせられて、会議に参加した外部の有識者に対して、イベントをご案内しなければならない。会議の事務担当の人に、案内するように頼まれたのだ。

「この日、保育園のお迎えがあるので3時には職場を出なければならないんですよ。それでも大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

と確約をとり、会議終了後の午後1時からイベントをご案内した。みっちりと2時間解説をして、ちょうど3時になった。慌てて自家用車に乗り込み、帰途につく。

しかしこの時間、退勤時間と重なるせいか、高速道路は大渋滞となる。ふだんなら2時間ほどで帰れるのだが、3時間近くかかり、お迎えの時間ギリギリの夕方6時に帰宅した。やれやれ、である。

もうこの2日間だけでフラフラ、というより、その前もずっと休みなく働いていたので、いい加減これでは身体がぶっ壊れそうだ、と思い、金曜日は在宅勤務とし、たまっていた原稿を少しでも進めることにした。おかげで、海外の外国人からひどくダメ出しを食らった原稿を修正して、送信できた。この、まったく見知らぬ海外の外国人から依頼された原稿、言われるがままに書いたのだが、ほんとうに日の目を見るのだろうか?原稿料はもともと諦めているが、どうもあやしい。

で、土曜日。

午後からは荷が重いオンライン集会に参加する。僕は15分ほどそこでコメントを喋らなければならないのだが、荷が重くて、直前までコメントが1ミリも思いつかない。うーむ。これは困った。しかしギブアップするわけにはいかないので、そこはそれ、なんとか15分の責めを塞いだ。

明日は職場に行ってまた別の会合である。休みなしの日々は続く。

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チクチク言葉

もうすぐ5歳になる娘が、保育園で「チクチク言葉」という言葉を習ってきた。

「チクチク言葉」とは、いわれて不快になる言葉、とか、人を傷つける言葉、という意味だが、でも「チクチク言葉」という語感は、いちばんしっくりくる表現だと思う。

大人になると、言葉の内容そのものだけではなく、言葉をかけるタイミングが悪かったり、言い方が上から目線だったり、何となく責任をこっちに誘導させるような発言だったりなど、「チクチク言葉」は多様化する。

日ごろ大言壮語を吐いている人に限って、納期が近づいても一向に作業をしようとしない。そんなとき、こちらの心はチクチクする。

スタンドプレーばかりしていないで、見えないところで手を動せよ!アンタの仕事の宣伝をしてやろうと思っているのに、納期が間に合わなかったら何にもならないじゃないか!と喉元まで出かかるのだが、言っても甲斐のないことである。

指示待ち妖怪もたまにあらわれる。

「これどうすんの?」「これは?」「それは?」「あれは?」「殿、ご決断を」

あのねえ、ちっとはてめえの頭で考えろや、俺よりもベテランなんだから!

こっちが来客対応であくせくしているのを近くで見ているにもかかわらず、

「鬼瓦さ~ん、これ、どうすればいい?」

と大声で聞いてくるので、私も堪忍袋の緒が切れて、

「あとでやります!」

と田原総一朗の「朝まで生テレビ」ばりに大声を出した。

自分の仕事を早く終わらせたいためなのか、自分の責任を回避したいからなのか。

これもまたチクチク言葉である。

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アメリカの知り合い

ある人から、「ひょっとしたらちょっとした仕事でボストンに行くかもしれないんですけれど、もしお知り合いなどがいたら、(代わりに)お会いしてきますよ」

と連絡が来た。

ボストン…?はて、知り合いがいただろうか?というか、そもそもアメリカに知り合いなんぞいるだろうか?と考えてみるのだが、全然知り合いがいないことに気づく。

パッと思いつくのは、映画評論家の町山智浩さんなのだが、あの人はカリフォルニア州バークレーに在住で、ボストンとは正反対のところに住んでいるし、そもそも、知り合いでも何でもない。こっちが一方的に知っているだけだ。

うーむ、誰かいないだろうかと考えた結果、アメリカ在住の日本人ジャーナリストの名前が、思い浮かんだ。

そのジャーナリストの人とは、一昨年の夏くらいだったか、ある「人探し」の調査のために、ものすごい勢いでメールのやりとりしたことがある。アメリカと日本を股にかけた壮大な調査が展開され、そのメールのやりとりだけで1冊の本ができるのではないか、と思われるほどの分量だった。

結局、その「人探し」は迷宮入りとなってしまい、それ以来、メールのやりとりやぱったりと途絶えてしまった。

その人とは、メールのやりとりをしていただけで、まったくお会いしたことがない。

「日本に一時帰国したら、必ずお目にかかります」と言っていたのだが、そんな機会はいまだ訪れていない。

いつか機会があればお会いしたいと思っているのだが、はたしてそんな機会があるかどうか。

調べてみたら、その人はニューヨーク在住だった。

ニューヨークとボストンって、近いんだっけ?そこからして、よくわからない。日本列島でたとえたら、どこからどこくらいまでの距離なんだ?調べりゃわかるんだろうが、調べる気力もない。

で、僕はその人に、アメリカ在住の知り合いは、その日本人ジャーナリストひとりしか知らない、しかもその人はニューヨーク在住なので、ボストンで会うなんて無理でしょうか、と恥を忍んで返信したら、何の返信もなかったので、おそらくニューヨークとボストンは離れているから無理だということなのだろう。

しかしいつかは実際にその人にお会いして、あのときの「人探し」は結局謎のままで残念でしたね、いえいえ、まだまだ探し続けますよ、といった会話を交わしてみたいものである。

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この世の見え方

すこぶる体調が悪い。

武田砂鉄氏の新刊『父ではありませんが 第三者として考える』(集英社)は、武田砂鉄氏のあれこれと逡巡する思考をたどった本である。

僕自身、数年前に大病を患ったり(いまも治療中だが)、子どもを授かったりしてから、社会の見え方が変わったことは紛れもない事実であるが、この本を読むと、それよりも前の自分の感覚を思い出させてくれる。

以前ならば、フットワーク軽く、週末も厭わずいろいろなところに出かけていったりしたのだが、いまはそんなエネルギーはないし、現在の自分の環境からも難しい。平日に、自分のするべき仕事を、しかもわりと過重気味に行っていると、週末はできるだけ休みたくなる。

しかしこの業界では、週末だろうとなんだろうと、がんばって現地参加しないと不真面目と思われるのではないか、そんな風な旧態依然とした考え方が、僕のなかにもまだ残っている。

「コロナが明けたらぜひ対面で」が合い言葉になるのはどこの世界でも同じだが、僕にとってはオンライン参加が何よりもありがたい。いまや対面参加は、僕にとって莫大なエネルギーを必要とするようになってしまったのだ。だから必要最小限にしたいといつも思っている。

せっかくの週末に、どんなに遠い場所でも厭わず、会合に対面参加をできる人が、うらやましく思うこともなくはない。それは、僕自身がそれを望んでいるからではなく、それができる体力があり、それをしても不都合が生じない環境にある点において、である。

画面の向こうでは、「久しぶりに対面参加の会合ができて…」「懇親会で○○さんとお話しをして…」「やっぱり実際にお会いすることは大切ですね…」という言葉が飛び交うのだが、最近の僕は、そうしたくてもできないし、そうしなくてもよいような人間関係の築き方ができないものか、そしてそれをしても悪くない世の中にならないものか、という思いが強くなってきている。

プロインタビューアーの吉田豪さんは、たぶん僕と同じような世代だと思うのだが、20代の頃から「死ぬまで現状維持」を目標にして、いまのところその通りになっている、と言っていたが、それを貫くのはなかなか難しい。

…そうはいいながら、次の週末は泊まりがけで、会合に対面参加しなければならない。聞くところによると、緊張する方々と夕食会なるものも予定されているという。終始気を抜くことができないとすると、体調が不安である。

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墓参

1月24日(火)

今日から3日間、別の用務があり、出勤できず。それでも、ひっきりなしにメールが来て、移動の合間に対応に追われる。

本日は、お世話になった方のお墓参り。

仲間と遺稿集を編んだ。というより、結果的に遺稿集になってしまった。その仲間と一緒に、その方の奥様と待ち合わせて、お墓に向かう。

奥様のお話では、墓じまいをされ、郊外の墓地から都内の共同墓地のようなところに移したという。実際、都会のど真ん中といっていい場所に、そのお寺とお墓はあった。

「まさかこんなところにあるとは、びっくりしたでしょう」と奥様。

墓碑には数十人の名前が小さく彫られていて、その方のお名前を探すのに、少し時間がかかった。

お線香とお花をあげ、「少し休みましょう」と、お寺の建物の中にある休憩室のようなところに入る。

その部屋の中には、受付の女性がひとりいるだけで、他にはだれもいない。

「どうぞ自由にお使いください」

墓参が終わった我々の突然の訪問を嫌がる様子もなく、広めのテーブルに案内される。ちょっとしたお菓子が出ていた。お寺の名前が入った瓦煎餅みたいなものもあったので、お寺のご厚意によるもののようだ。お茶も飲み放題である。

小一時間ほど、奥様と思い出話をする。

何ということのないふつうの椅子やテーブルが置いてあるだけの空間だったが、なぜか居心地がよかった。

「お忙しいのに今日はどうもありがとうございました」

「いえ、場所を覚えたので、またふらっとお墓参りに立ち寄ります」

「そうしていただけると、喜ぶと思います」

もう少し思い出話をしたいと思ったが、またそんな機会もあるだろう。

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高齢化会議

1月9日(月)

数年来参加しているあるプロジェクトの会議が久しぶりに開かれたのだが、予算の都合上、今年の3月までに成果物を出さなければいけないのに、まったく進んでいないことに愕然とする。

いくら素人の僕でも、このままでは絶対に3月までに成果物は出せないと思うし、ほかのメンバーもそのことは当然わかっていることなのだが、事務局の体制が圧倒的に脆弱なせいか、なかなかうまくいかない。

ちなみに、プロジェクトのメンバーは5名+α、メンバーを見渡すと、僕は下から2番目に若い。つまりそれだけ高齢化しているということだ。

事務局は2人体制である。主たる担当事務の方は、すでに定年退職され、再雇用でお勤めの方である。

しかし、定年退職され再雇用された方の仕事としては、ちょっとハードすぎる。各方面への交渉やら、神経を使う細かい仕事やら、かなりの体力や集中力を駆使しなければならないのである。いくらまじめな方でも、これは如何ともし難い。その方は、まじめな上に、ノウハウもあまりないように見受けられるから、間違った方向に努力されたりして、よけいなエネルギーを使ってしまう傾向にある。しかし、仕事が進まないのはその人個人の問題ではなく、人事の配置上、そのような扱いの部署になっているという構造上の問題である。

事務局のもう一人の方が、事務体制のリーダー的存在で、この方がいることでかろうじてプロジェクトが進んでいる、といっても過言ではないのだが、今日、会議の最後に、

「実は私、この3月で定年退職になります。この先、どのような事務体制になるかはわかりません」

という発言が出て驚いた。全体のプロジェクトはまだ道半ばなのである。

おそらく、定年退職後も引き続きこのプロジェクトにかかわってくれることになるとは思うのだが、そうなると、事務局体制は、再雇用の人たちだけでまわしていくということになる。

事務作業にそうとうのエネルギーが必要となるこのプロジェクトに、若い人がいないというのは実に心許ない。はたして3月までに間に合うのだろうか。

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船出に幸あれ

1月7日(土)

先月、対面とオンラインを併用した会合が行われ、その後、対面参加者だけで打ち上げ、つまり宴会を行った。

僕は本来、出なくてすむなら出ない主義なのだが、今回は韓国からお客さんを招いていたこともあり、参加することにした。

初対面の人の中に、出版社に勤めている人がいた。僕よりもおそらく10歳以上若い人で、物腰も柔らかく、おとなしい感じの方である。聞くと、以前は僕もよくお世話になっている中堅の出版社に勤めていたが、そこを退社して、独立の準備をしているという。

その方の語りが、朴訥ながらなかなか面白く、なかでも「ドキュメンタリー映画と私小説の関係」という話が印象的だった。

正確な内容を伝えられるか心許ないが、それはたしかこんな内容だった。日本の文学界には伝統的に私小説の文化がある。それは読んで字のごとく、自分の身のまわりの出来事を小説にするというもの。何か小説を書きたいが、何を書いていいかわからない場合、手始めに私小説を書き始めれば形になる。あくまでもざっくりとした言い方だが。

それを映像作品に置き換えて考えてみると、ドキュメンタリー映画がそれに近いのではないか。何か映画を撮りたい、という意志が先行して、とりあえず自分の身のまわりで起こっている出来事にカメラを向ければ、ドキュメンタリー映画が成立する。

もちろん、私小説を書く人も、ドキュメンタリー映画を撮る人も、そんな動機ではじめているわけではないだろうが、ただ、私小説やドキュメンタリー映画は親和性が高く、両者がこれだけの歴史を重ねてきた根底には、そのような共通性があるのではないか。

その方の話を曲解している可能性もあるが、僕はそれを聞いて、大いに納得したのである。

その方が、昨年末に「ひとり出版社」を立ち上げたと、ある人のブログで知った。船出に幸あれ、である。

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年賀状反省会

もう年賀状を辞めようと思いつつ、やはりいただくと、こちらから出さないというのも失礼に思えてきて、結局ズルズルと年賀状を出すこと習慣が続いている。今回も年末ギリギリになって出すことになってしまった。

元旦に来た年賀状。だれに送ったか、送らなかったかを妻と二人でチェックする。こちらから送っていなかった人には、送らなければならないためである。

一枚一枚年賀状を見ながら、とりとめのない話をする。

むかし、妻の両親が仲人をしたという人から、いまでも妻の両親のもとに年賀状が届くのだが、そこに書かれている宛名の名前が、毎年必ずといっていいほど、間違っているという。

もちろんこちらは、正しい名前を毎年書いて送っているのだが、そのことに気づかないのか、毎年、宛名が修正されることなく送られてくる。

「パソコンに登録している住所録が間違っていて、毎年そのまま宛先を打ち出しているからじゃないの?」

「それはそうかもしれないけど、つまり、そのていどの関係にしか思っていない人なんだよ」

なるほど。僕自身も、名前の表記を間違えて送ってしまうことがある。しかし、極力気をつけてはいるし、もし間違っていることがわかったら毎年その都度修正している。それはほかならぬ僕自身、名前の表記をよく間違えられるからだ。

僕は、一枚一枚確認していた年賀状の一枚を手にとって言った。

「たとえばこれ、名前の表記が間違っているだろう?」

「ほんとだ」

僕のファーストネームの1文字目は、どういうわけか、いろいろな別の漢字に間違えられる確率が高い。

「この人は、10代から知っていて、いまでも何かとつながりのある人だ。40年近くたっても、僕の名前の表記を間違って送ってきている。つまりこの人にとっては、僕はそのていどの関係の人間だということだ。そういうとこなんだぞ、と」

もちろん、むかしから名前の漢字表記が間違えられることが多く、そんなことはすっかり慣れきっているので、別にどうということはない。

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