日記・コラム・つぶやき

好青年医師

12月4日(水)

毎週水曜日は感染症科の外来診察がある。

外来診察といっても、感染症科の主治医の先生と若手の医師たち数人が病室に回診に来るという形なので、僕はその場にいればよい。ただしその時間は主治医の先生次第なので、いつ来るのかわからない。

その前の午前中に、先兵として若い医師が一人来て、「体調はいかがですか?」と聞きにくるのが回診の段取りのようだ。

午前中、ベッドに座って本を読んでいると先兵の若い医師が来た。

「体調はいかがですか?…あ、あの本は読み終わりました?」

キング·オブ·「積ん読」本を読んでいたときにその本に反応を示してくれたあの若い青年医師か!

「ええ、なんとか読み終わりました」

「そうですか。すごいなあ」

素直に驚いている様子だった。そしてテーブルの上にあった本に気づいた。

「今度はどんな本を読んでいるんですか?ずいぶん分厚い本ですね」

本にブックカバーをしていたので、そのブックカバーをはずして本のタイトルを見せた。

「難しそうな本ですね…」

青年医師は著者の名前を知らないらしい。

「いえいえ、そんなことはありません。この著者は探検作家で、人の行かないようなところに行って、その冒険譚をわかりやすく面白く書いているんです」

私はその本の内容について少しばかり話した。少しよけいなことを話しすぎたかも知れない、と後になって反省した。しかし青年医師は辛抱強く聞いてくれたようだった。

「僕にも読めますかね」

「大丈夫ですよ」

「それにしてもすごい数の付箋がついてますね」

今度は付箋に気が付いた。僕は昨年あたりから、100円ショップのセリアで売っている「フィルムふせん」という極細の付箋を愛用するようになった。付箋をつけながら読むことがすっかり習慣となった。

「大事かなと思うところや印象的な言葉だなと思ったところに付箋をつけているんです」

それにしても興味を持って聞いてくれるという姿勢が実に嬉しい。

「その本、あとでチェックしてみます」

と言って去っていった。何という好青年だ。

午後になって主治医の先生は、その好青年医師を含む数人の若手医師を連れて回診にやって来た。もちろん回診の間、その好青年医師は一言も発せず、型通りの回診が終わると帰っていった。

本の話はいわば二人だけの秘密の会話だ。些細なことだが、それだけでも楽しい。

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便座

尾籠な話で恐縮だが。

4人部屋の病室の共用トイレに入ると、ある日を境に便座が上がったままになっていた。犯人はわかっている。同室の70代の男性だ。彼がこの病室に入ったその日から便座が上がっていた。というより4人部屋の病室には僕とその男性しかいないのだ。

昔は洋式トイレのことを「腰掛便器」と呼んでいて、男性が小用を足すときは、便座を上げて立ってするのが「常識」だった、というより推奨されていた。今では考えられない。今は洋式トイレで男性が小用を足すときは便座に座ってすることが常識になっていると思う。僕もそうしている。とくに共用トイレであればなおさらだ。

しかもその男性は小用を足したあと、便座を上げたままトイレを出ている。頑なに便座を戻そうとしない。それがちょっと不快だった。

武田砂鉄さんの『マチズモを削り取れ』(集英社文庫、2024年、初出2021年)のなかに、「それでも立って尿をするのか」という章があり、居酒屋とかコンビニとか、とくに男女共用のトイレの便座が上がったままになっているケースが多いことを指摘している。女性が使うことを想定せずに男性が使っていることの証左だ。つまり上がったままの便座とは男性優位社会の象徴である。

たぶんその70代の男性は、これまでしてきた通りに、病室の共用トイレに対しても同じことをしているのだろう。それで許されていた社会に守られてきた。これからも何の疑いもなく便座は上げたままにするのだろう。

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もう一人、懐かしい教え子について語ろうか

11月16日(土)

この日はもう一人、懐かしい教え子からメールが来た。「前の前の職場」の教え子で、僕が最初に送り出した卒業生のMさんである。

「前の前の職場」で、いまでも連絡をとろうと思えばとれるのは2人。Mさんと、その下の学年のSさん。いずれもメールでのつながり。もう一人いたのだが、Facebook自体をやめてしまったらしい。

ある地方で勤務しているMさんは、僕がその近くで講演会などをしたりすると必ず駆けつけてくれる。そして帰りはMさんの車で最寄りの新幹線の駅まで送ってくれる。もっともそんな頻繁なわけではなく、ここ7~8年の間に2回ほどそんなことがあっただけである。

そのうちの1回、昨年だったか一昨年だったか、Mさんが帰りの新幹線の駅まで乗せてくれる道すがら、Mさんが寄り道して案内してくれた場所からヒントを得て、何を書こうかと悩んでいた「職業的文章」を書き上げることができた。もちろんその「職業的文章」の末尾にはMさんへの謝辞を書いた。

そんなこともあり、11月16日(土)に「前の前の職場」で行われるイベントで僕もちょっとだけ顔を出すので、宣伝のメールをMさんに送ったのだが、前日の15日に「なんとか参加しようと調整してみましたが、仕事が終わらず泣く泣く今回は断念します」とメールが来た。こっちも入院することになり行けなくなった旨を返信すると、

「入院ですか!」

というリアクションもほどほどに、自らの簡単な近況報告をしてくれた。広い意味で同じ業界に生息しているので、またひょこっとどこかで会う機会もあるだろう。

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懐かしい教え子からのメール

11月16日(土)

この日の夕方に、前の職場の教え子のA君から突然メールが来た。僕が最後に送り出した卒業生である。A君とは卒業以来会っていないし、メールをもらうのも初めてなので僕は吃驚した。しかも件名には「お見舞い申し上げます」とあるのでますます驚いた。A君は当然、僕が入院していることなど知っているはずがないからである。

メールの内容は、かいつまんで書くと、以下のようなものであった。

「鬼瓦先生

大変ご無沙汰しております。平成26年に、先生にご指導頂き、大学を卒業しましたAです。突然のご連絡、誠に恐れ入ります。

この度、先生がご入院されたとお聞きし、お見舞い申し上げたく、ご連絡しました。

実を申しますと、5年前に転職して県職員になり、昨年から自分が専攻した分野に関わる担当部署に異動しておりました。

仕事の中で、県内のいろいろな先生から鬼瓦先生のお話をたくさんお聞きする機会がありました。

鬼瓦先生が当地にいらした際は是非ご挨拶させて頂きたいと願っており、県内での講演会の話を知りましたが、体調不良で中止となった、というお話を聞きました。どうかお身体ご自愛くださいませ。

私もまさか仕事で再び自分が大学時代に専攻した分野に関わるとは夢にも思っておりませんでした(仕事の理解のためにも、もっともっと、先生の授業に懸命に取り組むべきだったと反省しております…)。

またお会い出来る日を楽しみにしております。先生の益々のご活躍をお祈り申し上げます」。

在学時のA君そのままの、誠実で実直な文章である。それにしても人の縁とはまことに不思議なものである。これもまた人生の伏線回収だ。

そうか、17日に県内で行うはずだった講演会に来てくれるはずが、急病のため突然中止になったと知り、わざわざお見舞いのメールをくれたのだな。その経緯を知り僕は感無量だった。

残念ながら退院はやはり間に合わなかった。しかし退院をしたあかつきには、日をあらためて講演会をすることを先方とは約束している。いずれそのときにお会いしましょうとA君には返信した。だからこの約束は必ずはたさなければならない。

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散歩リハビリ・14年後

10月21日(月)

今日は職場の一斉休業日とやらで、強制的な休日である。

このところ休みがまったく取れていなかったので、ひたすら体を休める日にしようかなと思ったが、締切をとっくに過ぎてしまった原稿や、もうすぐ締切の原稿などのことを考えると、どうにも心が落ち着かない。しかしそんなことを言っていたら体が休まらないので、録りためておいた古い映画を観たりしながら過ごす。

夕方近くになって、ふと思い立ち散歩に出かけることにした。明後日の出張の新幹線チケットを最寄りの駅のみどりの窓口で買ったり、銀行のキャッシュディスペンサーでお金をおろしたり(現金主義なので)、100円ショップで買い物をしたりと、いろいろな用事を思い出したからである。ただし自宅近くのバス停からバスに乗って最寄りの駅まで行き、駅前でいろいろと用事を済ませるだけなので、ここまでだと厳密には散歩とはいえない。

さて僕がいう散歩というのは、ここから先の話である。駅や駅前で諸々の用事を済ませたあと、駅の南口からまっすぐ伸びる道を、T字路となる突き当たりあたりまでひたすら歩く。その突き当たりの近くには、僕がたまに通う小さな独立系書店がある。そこまでの道をゆっくり歩いて、最終目的地を本屋さんに据えたのである。これは何より散歩のモチベーションにつながるのだ。

先日、職場の近くで行われている秋祭り会場まで歩いたとき、途中で両足がつってしまってエラいことになってしまった。そのことがまたくり返されるのではないかと心配していたが、杞憂に終わった。やはり先日は極度に疲れていたことが原因だったのだ。休みをとるって大事だ。

ゆっくりと本屋さんに向かって歩いていると、後ろで男女ふたり組が話している声が聞こえた。

どうやら女性の方は夜勤明けらしい。この時間に歩いているということは、夜勤から家に戻って、少し休んでからまた出かけたのだろう。

一緒にいる男性が、

「夜勤明けなのに、ずいぶんとしっかりお化粧しているね」

と聞くと女性は、

「だって、…今日は…デートでしょ?」

と答えていた。僕はそこから、ふたりの会話に釘付けになる。

男性は照れた様子で、

「でもさあ、夜勤明けなのに化粧をしているなんて、おかしいと思われない?」

「そうねえ」

「バレちゃうかな」

「大丈夫よ。女の子と出かけたことにすれば」

おいおい、聞き捨てならない会話だぞ!ふたりは未婚同士なのだろうか?それとも…。

もし後者だとすれば、この会話はたちどころに淫靡な雰囲気を醸し出す。

僕がゆっくり歩いていたせいで、途中、そのふたりに追い越されたのだが、どんなふたり組だろうと横顔をチラ見すると、決して若いカップルというわけではなく、アラフォーっぽい感じのふたりだった。うーん。ますます…。

そのふたりは途中で道を曲がったので、思わずついていきそうになり、「いかんいかん!」と頭を横に振って、まっすぐな道を歩き続けた。

ようやく本屋さんの前に辿り着くと、シャッターが閉まっていた。月曜日は休業日なのか、せっかくここまで来たのに…。

ま、でも散歩ここまで歩いて足がつらなかったことがわかったからよしとしよう。最寄りのバス停からバスに乗り、自宅に戻った。

そういえば、以前も「散歩リハビリ」というタイトルの記事を書いた記憶があると思って過去のアーカイブを調べてみると、14年ほど前にも書いていて、やってることがあまりにも変わっていないことに大笑いしてしまった。14年前との共通点は、

・書かなければいけない原稿があるのに、散歩に出かける。

・散歩の最終目的地は、本屋さんである。

という2点である。むかしも今も、やってることは変わらない。

ただ唯一違うところは、散歩の時間と距離が格段に違うということである。むかしはよく歩いていたんだな。いまでは考えられない。

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ふたたびの相談

9月28日(土)

8月に、うちの社長を通して、大企業の社長さんから「社内部活」を進めていくための相談を受けたことは、以前に書いた

それでお役御免と思っていたら、社長の部下の方から、この日のお昼頃に再び相談のメールが来た。

11月末に、部活のメンバー数名で韓国でツアーを行いたいのだが、韓国に詳しい鬼瓦さんに、どういうところをまわったらいいか、しかも観光ではなく部活のツアーなので、実のあるものにしたい、ただし韓国語がわからないので、日本語による説明や解説があると望ましい、帰りは飛行機ではなく船で帰りたい、など、かなり条件の多い相談メールだった。で、先ずはメールで相談に乗ってほしいと。

メールの文面からは、暗に僕にもツアーに参加してほしいというニュアンスを感じたが、ツアーの期間を5日間くらい想定しているので、とても僕は参加できない。「日本語による説明や解説があると望ましい」とあるが、かといって現地の友人を巻き込みたくはない。そのあたりの含みを持たせながら、返事を書かなければならない。僕へのメールは先方の社長とうちの社長にもCCで送られているので、できるだけ失礼のないように丁寧に返信を書かなければならない。

しかしこの日は、家族で科学館に行っていたので日中はもちろん返事が書けず、夜に書くことにしたのだが、書いているうちにこっちもおもしろくなっちゃって、まわるべきコースについて詳細にアドバイスしたツアーガイドのようになってしまい、思いのほかかなりの長文になってしまった。

書いているうちに日付が変わってしまい、深夜に送信した。

そうしたところ、さっそく翌日曜日の早朝に返信が来た。メールをもとにこちらでも検討し、いずれまた直接お目にかかって相談いたします、という内容だった。

僕が不思議に思ったのは、先方のメールがまず休日の土曜日に来たということ。それもかなり長文の相談メールであった。ということは、土曜日も出勤しているということだろうか?あるいは出勤せずとも、仕事に関するメールを土曜に出すのはちょっとどうだろう。

僕も負けじと、つい土曜の深夜に返信をしたが、そのメールに対する返信も翌日曜の朝に送られてきて、たとえ職場ではなく在宅でメールを送ったとしても、仕事に関するメールを休日に送るのは、休日も仕事のことについて考えている(あるいは考えさせられている?)のかなと、ちょっと不安に思った。さすが大企業というべきなのか、あるいは働き方改革というかけ声はどこに行ったんだろうとか、さまざまなことを考えさせられるメールだった。そういうメールに休日対応している僕もどうかしていると思うが。

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今年の新語流行語大賞予想・2024

昨年の9月に2023年の新語流行語大賞の予想をしたら、見事当てました!

昨年に引き続き、今年の新語流行語大賞を予想してみようと思う。

今年はズバリ、

「50-50」(フィフティ・フィフティ)

である!もうこれしかない!

理由は、大賞にはいつも野球に関する言葉が選ばれているからである。昨年だって、阪神優勝にちなんだ「アレ」という言葉だったんだぜ。

今年は断然、大谷翔平選手がホームラン50本と50盗塁を達成し、そればかりかそれ以上の記録を伸ばしていることの象徴として、「50-50」に間違いないと思うのだ。だって大谷選手にまったく興味のない僕だって知っている言葉なのだから。

「50-50」という言葉、実は使い勝手がすごくいい言葉である。

「あの裏金議員、こんどの総選挙で当選するかどうかは『50-50』(フィフティ・フィフティ)だ」

と使うこともできる。この場合は「確率が5分5分」という意味だ。

エッセイストの能町みね子さんは、尊富士関が優勝した際に祖父が言ったという「大谷・焼肉・尊富士」を、今年の大賞に推したいと語っていたが、はたしてどうだろう。これはもちろん、かつて流行語となった「巨人・大鵬・玉子焼き」を捩った言い方だが、たぶん若い人は全然知らないので難しいだろう。

裏金議員で思い出したが、「裏金」も流行語大賞になる可能性があるぞ。だが大賞を取ったとしても、だれが表彰状を受けとるのかがわからないので、これも難しいかもしれない。告発をした方だったら受け取れる可能性がある。

では「公益通報」はどうだろう。個人的にはこの言葉がもっと広まってほしいと思っているが、これもまた、だれが表彰状を受けとるのかがわからない。

ではパリ五輪関係で「チョー気持ちいい」的な、印象的な発言をした選手はいなかっただろうか?と考えたが、そもそもパリ五輪をまったく観ていないのでわからない。

そう考えると、やはり「50-50」一択である!

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引きが強い親子

9月21日(土)

今日はお彼岸ということで、父や祖父母の眠る霊園に行って、お墓参りをすることになった。妻と小1の娘を車に乗せ、実家に向かって母をピックアップして、実家と同じ市内にある大規模な霊園へと向かう。

お墓参りが終わると、ちょうどお昼の時間になったので、その霊園からほど近いところにあるパスタとピザのお店に入った。このお店は、お墓参りの後に、たまに立ち寄るお店である。

お昼時で混んでいたので、少しばかり待たされてからテーブルに案内されると、母が、隣のテーブルを見て「あら!」といった。そのテーブルには、母と同世代くらいのおばあちゃんと、その子ども夫婦らしき人の3人が座り、まさに食べ終わろうとするようなタイミングだった。

「久しぶりねえ」

と言って、何やら会話をしている。会話が一段落して、僕は母に小声で尋ねた。

「相変わらず引きが強いねえ。どんな知り合いなの?」

母の話によると、以前、最寄り駅の駅前で小さな靴屋を営んでいた人で、夫が亡くなってからは靴屋をたたんで、別の町に引っ越したという。でもバスの中でいまでもたまに会うので、向こうも僕の母のことを認識していたのだろう。ただ、顔は見知っていたとしても、なにしろ駅前で靴屋を営んでいたというだけの関係だから、先方は母の名前を知っている様子ではなかった。

しかし母の記憶力は凄まじい。母が僕に言った。

「お前、中学時代にナカムラさんという同級生がいたろ?」

ナカムラさん、と言われても、ナカムラさんと名の付く人はまわりに何人もいたので、すぐには思い出せなかったが、なんとなくいたことだけは憶えていた。

「うん、いたね」

「あのおばあちゃんは、そのナカムラさんの伯母さんなんだよ」

「伯母さん?」

「そう。ナカムラさんのお母さんのお姉さん」

母は何でそんなことまで知っているんだ!?相変わらず母の頭の中のデータベースは健在だ。

「ねえねえ」

隣のテーブルからそのおばあちゃんが母に話しかけてきた。

「あなたのお名前、何だっけ?」

決して惚けているわけではない。「会えば挨拶する間柄」という程度の関係だったので無理はない。

「鬼瓦です」

母がそう答えると、隣にいた娘さんらしき人が驚いて、母の隣に座っている僕に向かって叫んだ。

「えっ!鬼瓦くん???」1

「そうです」

「私、ナカムラです。中学の3年A組で同級生だった…!あなた、生徒会長をしていた鬼瓦くんよね?」

「そうです」

「ビックリした!…こっちはうちの旦那です」

と、対面に座っているハゲ頭のおじさんを指さした。

「どうもはじめまして」

「はじめまして」

「うちのやつ、中学時代は困ったヤツでしたでしょう?」

だんだん思い出してきた。クラスの中では三枚目的な存在で、おしゃべり好きだったことを。

「ええ、クラスでは目立っていました」

「そうでしょう」

「やたら声が大きくてね」

そう言うと旦那さんは笑い出した。おそらくいまでもそうなのだろう。

「今どこに住んでいるの?」

と聞くと、「平塚」と答えた。ここからずいぶんと遠い町だ。「今日は伯父さんのお墓参りに来たの」

僕はてっきり、おばあちゃんの娘夫婦だと思い込んでいたのだが、一人暮らしをしている伯母さんをお墓参りに連れていくために、平塚からわざわざ車で来て、伯母さんと一緒に伯父さんのお墓参りをしに来ていたのだ。

挨拶はそのていどで終わり、料理を食べ終わったその3人は席を立った。

僕はかなりのショックを受けた。というのも、40年ぶりに会ったナカムラさんには、中学時代の面影がまったく感じられなかったからである。かろうじてその声により、ナカムラさんであることを認識したていどだった。

40年も経っているのだから仕方がないが、ずいぶんと老けたなあというのが率直な印象だった。「旦那だ」といって紹介された夫の方も、頭がすっかりハゲあがっていて、どう見ても老夫婦である。

…ということは待てよ。この俺も、同じように見られていたということか???自分より年上だと思い込んでいたその人が同級生のナカムラさんだと知ったとき、俺もまわりからあんなふうに見えているのかと恐怖を覚えた。たとえばふたまわりくらい年下の若者から見たら、僕があんなふうに見えているのだろうかと思うと、絶望的な気持ちになった。

まあ、お互いあれから40年経っているのだからそんなふうに変化するのも無理はない。むかしシティボーイズの大竹まことさんが、ほかのメンバー2人の老けた顔を見ながら自分の老いを確認する、と言っていたことがあったが、いまその言葉は身に染みてわかる。

そんなことはともかく。

「鹿島さんこれって…」

「スピってます」

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素浪人になりたい

ガリ版刷りの手書きのミニコミ誌を僕が定期購読しているという話は以前に書いた。そのミニコミ誌には高校時代の恩師がエッセイの連載を持っている。僕が高校時代にはまったく知らなかった恩師の苦労話が語られていて、それを読むのが楽しみだった。少し前のある号では、ちょっと映画みたいな体験談が書かれていて、僕はその文章にあまりにも感動して、ミニコミ誌の編集代表者の方に思わず感想のメールを送った。そうしたところ、編集代表者から「次回の号の読者感想欄に掲載させてください」と言われ、僕は晴れてミニコミ誌デビューをすることになった。

どういう経緯か忘れたが、編集代表者は僕の素性について知るところとなり、僕に連載の打診が来た。僕の本職のエピソードについて書いてくれという依頼である。正直言って自分は学校の勉強をサボっていたのでまったくちんぷんかんぷんな世界だが、そういう人間にもその面白さがわかるような文章を書いてくださいとあった。

あこがれのミニコミ誌から連載の打診をもらって、もちろん嬉しかったのだが、僕はちょっと困ってしまった。僕がミニコミ誌を購読しているのは、自分の本職とは違う世界に少しでもふれておきたいという思いがあったからである。そのミニコミ誌は、これまで長年社会運動などに関心を持ってこられた方によって支えられてきた、いわば意識の高いミニコミ誌である。そんな中にあって、僕の本職の話を書いたところで、読者が面白いと思うだろうか。本職から遠い世界に身を置きたいと思って購読している雑誌に、本職のことを書くのはいささか興の醒める話でもある。そもそも、まったく興味のない人に面白く伝えることなど、僕にはとてもできない。

それでも僕はこれまで一般読者向けに書いてきた本職の文章のいくつかを、編集代表者に紹介した。なかにはその文章を収めた本じたいをお送りしたこともある。社会運動を手がけておられる方々にも興味を持ってもらえるかなという内容の原稿も少しは含まれているのだが、どうもその編集代表者の反応はあまり芳しくないようで、それ以降、パッタリと連絡が来なくなった。

それでよかったのだと思う。僕はやはり一読者としてそのミニコミ誌を楽しむ側の人間なのだ。来月からうちの職場で始まる、僕も少しだけお手伝いしているイベントでは、社会運動やミニコミ誌を取りあげているコーナーもあるので、その御案内を差し上げようかなとも一瞬思ったが、連載を持たせてくださいというこちらからのメッセージとも受け取られかねない可能性もあるので、逡巡している。せめて高校時代の恩師にだけはお知らせしようかとも思うが、そのためにわざわざ足を運んでいただくのも気が引けて、それもまた逡巡している。

人間はどうしても、その人の立場という視点で人物を見てしまう。そういうのを「立場主義」というのかもしれないが、立場を越えて人間は助け合わなければならないと思っている人の中にも、無意識に立場主義に立ってしまうこともありうることである。高校時代の恩師が御自身の名刺に「素浪人」と書いていたことが思い起こされる。僕も最終的には「素浪人」になりたい。

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エアコン交換

9月14日(土)

これからは食に関するエッセイを積極的に載せていこうかと、前回はカレーについて書いてみたのだが、その後がなかなか続かない。しかし「グルメ・クッキング」のカテゴリーを見ると、食欲が旺盛だった頃にはそれなりに書いていたようである。

ということで、今回は食の話ではなくエアコン交換の話。

いまのマンションに引っ越したのが6年ほど前なのだが、そのときにエアコンをリビングに取り付けた。しかし、いつの頃からか、このエアコンの冷房の効きが悪くなった。冷房をつけると最初は元気よく冷風が出るのだが、ほどなくして冷風が出なくなる。またしばらくして、思い出したように冷風が出るのだが、ほどなくして冷風がストップしてしまう、のくり返しだった。

温度を20度に設定しても、取り立てて涼しくなるということはなく、とくにこの夏は冷房の効きの悪い部屋で汗を搔きながら過ごさなければならなかった。

さらに僕が寝る部屋は別の部屋なので、扉を開けっぱなしにしたとしても、リビングの冷房の恩恵にあずかることはほぼ絶望的である。もともと効きの悪い冷房なのだ。

仕方がないので、扇風機をつけながら寝ることにした。子どもの頃、

「扇風機をつけっぱなしで寝てしまうと、死ぬ」

という都市伝説があり、それが怖いので寝るときは扇風機を必ず切って寝たものだが、かなり大人になってから、どうやらつけっぱなしで寝てもも大丈夫らしいということに気づき、いまでは平気で扇風機の風を受けながら寝ている。しかし6時間経つと自動的に切れる設定になっているので、扇風機の風が止まると途端に汗が噴き出してくる。

この生活、なんとかならないかと思っていたら、さすがに家族もエアコンの交換の必要性を強く感じたらしく、家電量販店で新しいエアコンを買い直すことにした。

しかも今回は、リビングだけではなく、僕の寝ている6畳ほどの部屋にもつけることになった。つまり1台から2台に増えるのである。これはありがたい。

しかし、ちょっと困ったのは、僕の寝ている部屋には寝ているところの周りに本が無造作に積まれていて、ダンボールに入ったりしている。エアコンを取り付けるためには、設置場所の周辺だけでも、本をどけなければならない。

僕は昨日、汗だくになりながら本を少しばかり整理し、とりあえず設置場所付近に置かれていた本を別の部屋に避難させた。「とりあえず」なので、設置場所以外のスペースには本が無造作に積まれている。こんなものを取り付け業者の人に見られたらドン引きされるかもしれないと思いながらも、妙案がないので仕方なくそのままにしておいた。

で、本日がいよいよ新しいエアコンが設置される日である。

設置業者からは、「午後1時~3時のあいだにうかがいます」という連絡があったので、午後1時から待っていると、待てど暮らせど来ない。するとまた電話が来て、「ちょっと前の作業が遅れておりまして、到着が3時過ぎると思います」という。

こっちは、すぐにエアコンの交換工事に取りかかれるように、午後1時からエアコンを切って待っていたのだが、結局2時間近く、エアコンを切ったまま待つことになった。9月中旬とはいえ、残暑というよりも猛暑の日なのでたちどころに汗が噴き出した。

午後3時過ぎに設置業者さん2人がやってきた。たぶん今日は朝から同じような作業をずっとしてきたのだろう。しかもこの暑さである。エアコンを交換するためには、エアコンを切って作業しなければならないので、たぶん作業効率は下がるのだろう。しかもどちらかといえば年配の方と言った方がよいおじさんなので、とりわけ暑さにはこたえることは容易に想像できる。だから設置工事が予定の時間より遅れてしまっても責めることはできない。というより、僕はそもそも職人気質の人には無条件で敬意を表しているので、業者さんのペースで作業してもらうことには何の不満もないのだ。

このたびのエアコン設置の作業は、まずリビングのエアコンを取り外して、新しいエアコンに交換する、というのと、僕が寝ている部屋のエアコンを新しく設置する、という二つのことをやらなければならない。当然ながら、設置工事中はエアコンは付けられないから、業者さんも汗だくになってエアコンの取り付けをしなければならない。それを二つも設置するのだから、いやはや大変な作業だ。

設置工事には2時間ほどかかり、午後5時過ぎにようやく終わった。

エアコンを付けてみると、これがびっくりするくらい涼しい。いままでのエアコンはいったい何だったのか?

僕の部屋もエアコンを付けてみたが、狭い部屋なのでなおさらに涼しく感じる。これはもう扇風機いらずだ。

エアコンを付けながらしばらくベッドに横になっていると、寒くなってエアコンを消したほどである。

 

 

 

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