日記・コラム・つぶやき

割に合わない原稿

10月19日(月)

今日は、職場が一斉停電のため、お休みである。職場からメールが来ないというだけでも、気が楽である。

先週金曜日締切の、短い原稿を、今日のうちに仕上げておかなくてはいけない。それでなくとも、今週半ばに第二弾の原稿の締切、週明けには第三弾の締切が待っているのだ。

ごくごく短い原稿で、分量にすると1200字程度の文字数だと思うのだが、これがなかなか書けず、1日がかりの仕事である。

なるべく自分の個性を押し殺して、正確な記述につとめなければならない。さまざまな制約の中で書かなければならないこともあり、そのために今までなかなかやる気が出なかったのだが、ともかく今日のうちに書いてしまって出版社に出さないと、面倒なことになる。

夕方、なんとか書き終えて、図版候補も何点か入れて出版社に送ったのだが、すぐに出版社から返信が来た。

「たいへん申し訳ないんですけども、図版候補のうち、1点の写真については、使用料が法外に高くて、金銭的な事情で掲載するわけにはいきません。別の写真に差し替えていただけませんでしょうか」

聞いてみると、たしかに法外な使用料である。しかし以前にも自分の原稿に使用したことがあったと思ったが、そのときは出版社から何も言われなかったぞ。約15年前と今とでは、事情が違っているのだろうか。だとすれば、世知辛い世の中になったものである。

そんなに法外な使用料を取ったら、だれもその写真を使いたがらなくなり、かえって観光などで人が呼べなくなるぞ、と思うのだが、まあそれでも、写真の使用料から上がる利益のほうを大事にしたいということなのだろう。まったく、何が世界共有の財産なのか。

あわてて、まったく別の写真候補に差し替えて再送した。

とにかく、使いたい写真も使えないし、1200字の文章を書くにも1日がかりだし、原稿料などいつ入ってくるかわからないし、人目につく可能性はほとんどないし、まったく、割に合わない原稿である。最近はそんな原稿ばかり書いている。

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よい読書

現在開催中のイベント用のTwitterの件だが、管理人さんたちがえらく盛り上がっていて、どんどんエスカレートしていくような気がして、ちょっと怖くなってきた。

僕も、ツイート文をこれまで何度かアップさせてもらったのだが、だんだん面倒くさくなってきたので、ここらで引こうかと思っているところである。

『文藝春秋』2020年11月号の巻頭随筆に掲載された芸人の光浦靖子さんのエッセイ「留学の話」が、ネットで評判になっていて、僕も読んでみたのだが、とてもよい文章だった。

一つのことを追い、極めることが世間では素晴らしいとされています。でも私にはできそうもない。じゃ、どうする? 深さじゃなく、広く浅く、数で勝負するのは? 「逃げ」と「新しい挑戦」の線引きなんて曖昧なもんだ。」

「外国生まれの日本人の友達がいます。彼女は10代で日本に戻って来た時、虐められたそうです。「違う」と。でも彼女は「世界はここだけじゃない」ということを知っていたから、虐めを乗り越えられたそうです。仕事も友人も住む場所も、「世界はここだけじゃない」を知ったら、どれだけ強くなれるんだろう。私はそれを知りたいのです。英語から逃げた分岐点に戻って、もう一つの人生も回収したいんです。」

このあたりがグッときたので、心覚えに引用しておく。

「上から目線」の書き方かもしれないけれど、よい文章に出会った時は、「この人は、きっと『よい読書』をしてきたんだろうなあ」と思うことにしている。光浦さんが本好きなのは有名だが、たんなる本好きではなく、「よい読書」をしてきた人なのだ。ほかの芸人さんでいうと、バービーさんのエッセイを読んだ時も、同じ感想を抱いたことがある。

反対に、「うーむ。この人は、読書に恵まれなかったか、読書嫌いだったのだろうなあ」と思ってしまう文章に出会うこともある。人間は、歳を重ねるごとに自然と文章が上手くなるというわけではなく、それまでにどれだけ「よい読書」をしてきたかが、文章の深みを左右するのではないのだろうか、と思うようになってきた。

リンカーン大統領が、「男は40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」みたいなことを言ったとか言わなかったとか。「男は40過ぎたら」の部分はともかく、それまでの生き方が顔に出る、というのであれば、それまでの生き方が文章に表れる、ということもまた、真実なのではないだろうか。

光浦さんのエッセイを読んで、いまの業界における自分の立ち位置、みたいなことについて、少し考えてしまった。

光浦さんが自分について感じているのと同じように、僕自身もまた、一つのものを極めたという人間でもなければ、一芸に秀でている人間というわけではない。どちらかというと、かなりブレブレの人間だし、この業界でなんとなくやり過ごしてきた人間である。

この業界には、まったくブレない人がいて、そういう人は、自分のやるべきことが決まっているから、それにもとづいた仕事を量産してしている。僕はそういう人を、とてもうらやましく思っている、というより、かなり嫉妬している。僕には、「ブレない」ことが窮屈で仕方がない。

「ブレブレで何が悪い」と開き直っているのだが、たぶん光浦さんが書いているように、「新しい挑戦」といいながら、実際には逃げているだけなのかもしれない。

ただまあ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしているおかげで、「世界はここだけじゃない」という感覚を、漠然とだが持つことができた。

同じ業界の人から、酒に酔った勢いで僕がいかにダメかを延々と説教されたことが、何度かある。そのときはひどく落ち込んで、いまでもそいつらに対して根に持っていたりするのだが、それでもいまは、「俺はそんなところで勝負していない」という自負がある。「おまえらの考えている世界なんて、その程度のものさ」と。ま、負け惜しみなんだけどね。

まだ、「負け惜しみ」といっている時点で、勝ち負けにこだわっている自分がいるのだが、やがては、そんなことすらどーでもよくなるような境地に達したい。

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機種変更の憂鬱

9月26日(土)

この世でいちばん憂鬱なこと。

それは、スマホの機種変更をすることである!

もうホント、めんどくさい!

僕が初めてスマホを手にしたのが、2016年8月

それから4年間、ずっと同じスマホを使い続けてきた。

それなりに気に入っていた機種だったので、できれば一生使い続けたいと思っていたのだが、そういうわけにはいかないことが、ここ最近次々と起こった。

まず、電源が入りにくい。電源のボタンを100回くらい押し続けて、ようやくスマホの画面が起ち上がる。

次に、カメラが写らなくなった。

次に、回線速度がやたらと遅くなった。

そして極めつけは、アプリがアップデートできなくなった。アップデートできなくなると、強制的に使えなくなってしまう。

つまり、こうして機種変更の外堀を埋められていくのである。

むかし、中学校の技術の先生が、

「家の蛍光灯ってのは、あれ、わざとすぐに切れるようにしているんだよ。そうしないと、蛍光灯が売れないから」

と言っていたことをいまだに覚えているが、それ以来僕は、陰謀論者である。

頼んでもいないのにアプリを勝手にバージョンアップさせて、それに対応できないスマホを駆逐するという作戦に決まっているのだ。あ~くやしい!

4年ぶりの携帯電話ショップというのは、かなり様変わりしているんだろうな、とビクビクしながらお店に入った。

「ここでおまちください」

と、椅子に座って待っていると、

「これに必要事項を入力してください」

と、タブレットを渡され、延々と個人情報を入力し続ける。

いつも思うのだが、スマホの店員にこんなにも自分の個人情報をさらけ出して、大丈夫なんだろうか???

まずそこからして、スマホショップというのは気に食わない。

長い時間かけて、タブレットに自分の個人情報を入力し終わると、ようやくブースみたいなところに呼ばれた。

「機種変更したいんです」

と告げると、店員は僕の顔をほとんど見ずに、延々とパソコンとかタブレットをカタカタと動かしている。

「あのう、…いま使っているのと同じ会社の同じ機種はないんですか?

「もうありません」

なんと、僕が使っていた機種は、もう生産中止してしまったようなのだ。

「お客様はアンドロイドを使っていらっしゃったので、次もアンドロイドにしないと、データの移行が上手くいきません」

「そうですか…」

ま、iPhoneにそれほど関心がなかったので、それはそれでよかったのだが。

店員に勧められるがままに、アンドロイドスマホの機種を一つ選んだ。

もうちょっとね、ペットショップでペットに一目惚れして、思わず飼いたくなった、みたいにはならないもんかね。

というわけで、僕にとってはまったく思い入れのない機種に変更することになった。

僕は、新しい機種なので使い方もよくわからないし、データ移行とかも不安だし、そういうことを解消してほしいと思っていたのだが、店員さんは、そんなの関係ねえ、とばかりに、カタカタとパソコンやタブレットを動かし続け、僕にはちんぷんかんぷんのお金の計算やら、わかりにくい契約をごり押ししてくる。とにかく、使い方とかデータ移行とかは後まわしで、まずは店員が思うがままの料金プランを提示して契約させようという気まんまんなのである。

いくつもの紙にサインをさせられる。これって大丈夫か?だまされてるんじゃないだろうか?と、かなり不安になる。

しかし、この試練を乗り越えなければ、都市生活者として不適格となってしまうのだ、と思い、グッとこらえる。

あいかわらず、個人情報をえげつないほどにさらけ出しているのだが、なんで目の前にいるうさんくさいやつに、俺の個人情報をこんなにさらけ出さなければならないのかと、だんだん腹が立ってきた。

結局、妙な契約ばかりさせられ、データの移行とか操作の仕方とかは雑に扱われ、3時間もかかってようやく店を出た。

店員にとって客は、「いいカモ」にしか見えないんだろうな。あ~腹が立つ!

家に帰ってさっそく充電ケーブルを使ってスマホを充電してみるのだが、いっこうに充電できる気配がない。

さては、不良品をつかまされたな、と思い、ショップに電話をかけると、

「では明日の午前10時に来てください」

といわれた。

翌日日曜日の午前10時、開店と同時にショップに入ると、

「こちらでお待ちください」

と、昨日と同じ椅子に座らされ、

「これに必要事項を入力してください」

と、また昨日と同じタブレットを渡された。

また延々と個人情報を入力しなきゃいけないのか!?

と、腹が立つのをグッとこらえ、延々と入力していると、

「昨日お電話いただいた方ですね」

と、別の店員さんがやってきて、

「入力はしなくてけっこうです」

と、タブレットを取り上げられた。

「充電ケーブルの件でしたね」

「ええ」

「こちらに電源がありますから、実際に充電していただけますか」

「わかりました」

僕は昨日家でやったとおりに、スマホに充電ケーブルをつないで、コンセントに差し込んで充電を始めようとした。

案の定、うんともすんともいわない。

「ほら、充電できないでしょう?」

というと、店員さんは半笑いして、

「この充電ケーブル、先っぽが三つ叉になっているでしょう」

「ええ。どの機種にも対応するように作られているんですよね。僕のスマホはタイプCで間違いないですよね」

「ええ、ただ、タイプCの場合は、タイプBに接続した上で、スマホに差し込まなければ充電できません。やってみてください」

「え?そうなんですか?」

言われるがままに、タイプCをタイプBにジョイントさせた上で、スマホにつなげたら、あら不思議、充電が始まった。

充電ケーブルが壊れていたのではなく、僕がやり方を知らなかっただけなのである。

「昨日担当してくれた店員さんからは、そんなことを教わりませんでしたよ」

と言ってみたのだが、彼らからしたら、こんなこと知っていて当然のことなのだろう。

おまえは充電ケーブルの使い方も知らないポンコツ野郎だと烙印を押された気がして、ショップをあとにした。

数年後、また機種変更をしなければならないのかと思うと、いまから憂鬱である。

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二人のshioriさん

9月18日(金)

まったくもって忙しい。

4連休の前にできるだけ仕事を済ませておこうと考えていたのだが、まったく終わる気配がない。

何より、職場への通勤でかなりの体力を消費するのだ。

午前中だけで早くもぐったりしていると、お昼過ぎにLINEが来た。妻からかな?と思って見てみたら、「shiori」さんという人からだった。

「鬼瓦先生、ご無沙汰しております!昨日ですが、無事に女の子を出産しました~。母子ともに健康です!これから子育てがんばります」

というメッセージに添えて、昨日生まれたばかりという赤ちゃんの写真が送られてきた。

あれ?shioriさんって、結婚してたっけ?というか、つい最近、オンライン上で一緒に仕事をしていたはずだが…?

いきなり赤ちゃんが生まれたのか???

…よくよく考えてみたら、「前の職場」の教え子で、5年以上前に卒業したshioriさんのことだった。

実は最近、オンライントークの仕事の関係で、別のshioriさんという人とLINEで連絡をとったばかりだった。

つまり、僕のLINEの連絡先には、二人のshioriさんが登録されているのである。登録先が10名に満たないにもかかわらず、そのうちの二人が「shiori」という表記の名前なのは、なんとも見分けがつかない。ややこしいなあ。

僕は最初、てっきり、最近連絡をとった方のshioriさんだと勘違いして、いきなり出産の連絡が来たのでにビックリしたわけである。

しかし実際は、卒業生のshioriさんのほうだった。だったら納得だ。結婚したことや妊娠したことを折にふれて知らせてくれていたので、無事に女の子を出産したという報告は、待ちに待った知らせだったのである。

写真をよく見たら、(卒業生のほうの)shioriさんによく似た面影だ。

名前も聞いた。9月のこの時期にふさわしい、いい名前である。

ここ最近、仕事のことで鬱気味だったが、何よりも嬉しい知らせである。

しかも、生まれた翌日に知らせてくれたんだぜ。ありがたくて涙が出る。

これからは子育ての先輩面(づら)をしてやろう。

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小見出し

僕が書いた短いエッセイの初校が、出版社からPDFで送られてきた。

短い文章の中で、内容の区切りごとに小見出しを4つつけたのだが、4つの小見出しのうち、2つが、出版社により書き換えられていた。

書き換えられた小見出しは、僕のセンスというか、僕の意図するところに、著しく反するように思えた。

こういうときって、無性に腹が立つ。人によって怒りのポイントは違うと思うのだが、僕の場合は、こういうことが腹立たしいのである。

改変された小見出しは、「○○のか?」「○○の理由とは?」という、問いかけのスタイルである。問いかけの小見出しがときによい場合もあるのだが、この場合は、本文で自分が意図している内容とは異なる小見出しで、本文の内容をミスリードしかねない。

そうねえ、たとえていえば、よくインターネットのニュースで、1行のタイトル(小見出し)を見て、そのタイトルに引きずられてクリックして本文を読んでみたら、小見出しから連想される内容とはかけ離れたものだった、といったことあるでしょう?そんな感じ。

以前も同様のことがあった。出版社の編集者がつける小見出しが問いかけ風のものばかりで、自分のセンスとは著しく反するものだったのだが、出版社の編集者の世界では、小見出しで読者を引きつけないと中身を読んでもらえないという強迫観念があるらしく、人目を引く、というか煽るような小見出しをことごとくつけていた。

僕は面倒くさくなって、いちいちそれに対して反応するのをやめたのだが、結局その本は、まったく売れなかった。

それからというもの、僕は編集者のセンスというものが、よくわからなくなったのである。もちろん僕自身のセンスのなさを棚に上げて、だが。

小見出しをこうすれば本文を読んでもらえる、という出版社のセオリーは、ネットに氾濫する「悪意ある小見出し」に影響されたものだろうか。

これはたいへん興味深い問題である。

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銀幕デビュー

9月5日(土)

今日は「前の勤務地」の映画館で、ドキュメンタリー映画のオンライントークをする日である。

「11時50分から始まりますので、10分前の11時40分にZoomのアカウントにお入りください」

と、実行委員のNさんからメールが来た。

今日は「オンラインダブルタスク」の日である。午前10時から午後5時まで、職場主催の比較的大きな会合が行われる。僕も関わっているので、そちらにも出席しなければならない。そしてその会合を途中で抜け出して、オンライントークに参加しなければならない。職場の会合の方は聴いているだけなので、中座しても支障はない。

8月27日(木)に、会場となる映画館と繋いでZoom の動作確認はしたが、トークの内容についてのリハーサルは、一切していない。

(大丈夫かなあ…)

と若干不安だったので、前日の夜にO監督に、

「保険をかける意味で、いくつか写真画像を画面共有できるように準備しておきましょう」

と提案した。

で、今日の午前11時40分を迎えた。

職場のオンライン会合のZoomアカウントを退出し、11時40分少し前に、オンライントークのZoomアカウントに入室した。

職場の会合を中座して、そのまますぐに400キロ離れた「前の勤務地」の映画館の会場に顔を出すのだから、さながら「どこでもドア」である。

ところがZoomに入ってみると、本日の主役であるO監督がまだ入室していない。

(大丈夫かな…)

11時42分。グループライン上にO監督から、

「教えていただいたZoomに入ろうとすると、待機中画面ホストが別のミーティングを主催中になっていますが、問題ないでしょうか?」

というメッセージが送られてきた。

11時44分。ZoomのホストNさんから、

「もう一度入り直していただいてもよろしいでしょうか」

という返信。

同分。O監督から、

「いまもう一度試してみましたが、同じですね。もうオープンしてますか?」

という返信。

11時45分。ZoomのホストのNさんから、

「はい。では改めてリンクをお送りいたします」

という返信。

(おいおい、11時50分に間に合うのか???)

もし主役のO監督が機械のトラブルでZoomには入れないということになったら、画面には僕だけが大写しになり、観客から、

「ふざけんな!金返せ!」

ということにもなりかねない。

11時47分。O監督から、

「入れました!」

という返信。なんとオンライントーク開始の3分前に、登壇者が勢揃いしたのであった。

というわけで、まったく打ち合わせなしの「ぶっつけ本番」のオンライントークが11時50分に始まった。持ち時間は40分である。

この場合、僕の立ち位置が難しい。

主役はあくまでもこの映画を監督したOさんで、観客はO監督の話を聞きたくて来ている。なるべく邪魔にならないように、それでいて(映画を作ったわけではない)僕がこの場にいることの意味も観客にわかってもらわなければならない。黙っていたら、(誰だあいつは?)ということになってしまう。つまり、喋りすぎてもいけないし、喋らなすぎてもいけないのだ。

実行委員会の方からは、「お二人でお話しいただいたあとで、会場から質問を受けます」と聞いていたので、当然、その時間もとっておかなければならない。ある程度の時間が来たら、二人のトークを切り上げる必要がある。

…といったことが頭の中にいっぺんに浮かびつつ、話す内容をさぐりさぐりしながらひとまずO監督とのトークが始まった。「保険」として準備しておいた写真画像も役立った。

話しているうちに、時計が12時13分となり、持ち時間の半分が過ぎた。そろそろ二人のトークを切り上げなければならない。僕は、高校時代の恩師であり、この映画の応援団の一人であるKeiさんからいただいたメールに書かれていた、

この映画は、見ると必ず何かを言ってみたい衝動に駆られる、そういう刺激が詰まっている」

というメッセージを引用して、

「会場のみなさんも、この映画を見ていろいろと話したいことがあるかと思います。ぜひ会場からの質問や感想をいただければと思います」

と会場に投げかけて、二人のトークを切り上げた。

会場からの質問や感想も順調に出て、会場の観客ととO監督とのやりとりも充実した内容になった。

かくして、40分の予定が50分くらいになり、オンライントークは無事に終了した。

緊張から解き放たれ、しばらくは余韻が冷めやらず、職場の会合の午後の部に復帰するには、少し時間がかかった。

しばらくして、実行委員の方から、オンライントークの様子を写した会場の写真が送られてきた。

僕の顔がスクリーンに大写しである!

これが僕の「銀幕デビュー」であった。

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開かない○○はない

9月4日(金)

昨日から妻が出張である。

昨日は職場で午前中に3時間の会議、午後に1時間半の会議を終えたあと、夕方の保育園のお迎えに間に合うように、急いで職場を出た。

何しろ通勤時間が車で2時間かかるからね。

実家の母にも手伝ってもらい、昨日今日と、いまのところなんとか滞りなく、娘に食事をさせ、お風呂に入れ、寝かしつけることができている。

娘からしてみたら、ママがいないので、退屈で仕方がないんだろうな。いつもよりも早く寝ついてしまうのだ。

娘が家にいて起きているときは、娘から片時も目が離せないので、それだけでヘトヘトになる。

そんな感じなので、10月6日(火)から始まる職場での大きなイベントの準備が山場を迎えているということを、つい忘れてしまう。

いまは、そうとうな修羅場である。

僕もそのイベント関係者の末席に連なっているのだが、それでもかなり切羽詰まった仕事がかなり無茶なペースで降ってくる。

しかし文句は言えない。イベント代表者の同僚は、もっと大変なのだから。

はたして、10月6日(火)は無事に開くのか?

「明けない夜はない」という言葉になぞらえて、「開かないイベントはない」という言葉が、この業界にあるそうだが、はたしてこれは真実だろうか。

実際、新型コロナウィルスの影響で、うちの職場のいくつかのイベントは中止になってしまったぞ。

そして今回は、新型コロナウィルス感染拡大後、初めての大きなイベントである。

無事に開いてくれるのを祈るばかりである。というか、そのために僕もがんばらなくてはならない。

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文章便利屋稼業

8月1日(土)

先週の金曜、ある方から、ある申請書を提出しなければならないのだがそのためには第三者の推薦書が必要なので、書いてほしいという依頼が来た。書類の最終締め切りは、8月10日消印有効なので、あまり時間がない。しかも、推薦書はメールに添付して送ればいいというものではなく、捺印した原本を提出するようにと、その要項には書いてある。

以前、お世話になった方なので、書くことは全然やぶさかではないのだが、申請書の内容を考えると、僕が書くのはお門違いなのではないだろうかといささか疑問を抱きつつ、まあそこはプロですから、申請の趣旨に合わせてすぐに書いて出すことにした。推薦書を書くこと自体は、「前の職場」でもさんざん経験があるので、別に苦にならない。その日のうちに書いて、翌日、捺印したものを郵送してその方のもとに届けた。

そして今日は、以前に一度だけお仕事したことのある方から、メールが来た。知り合いの海外の方が、その国からお金をもらってあるプロジェクトを実施することを計画しているのだが、そのプロジェクトの日本パートの代表者になってくれないか、ついては申請書の日本パートの部分を書いてくれないだろうか、という内容だった。

よくよく聞いてみると、昨晩遅く、海外の方からその方のもとに、いきなりプロジェクト計画の話が来て、申請書の締め切りも迫っているし、慌ててどうしようかということになり、僕の顔が浮かんで、僕に依頼のメールをよこしたのだという。

締め切りを聞いてみると、「8月10日までに、翻訳した上で、そのプロジェクト代表者の海外の方に送らなければいけない」という。あと10日しかないではないか。

その申請書には、日本パートが行うべき計画やチームのメンバーの名前とその役割、などを書く必要があって、つまりは計画やメンバーの人選などもこちらで行わなければいけないようである。

うーむ。この短い間で、それを完成させるのは至難の業である。人選にしたって、本人に内諾をもらった上でないと申請書には書けない。

厳しい審査があるそうなので、このプロジェクトが本当に採用されるのかどうかはわからないのだが、そもそも、自分がこのプロジェクトに参加するのは、物理的にも精神的にも不可能に近い。

しかし、である。

その方からいただいたメールは、かなり悲壮感が漂っていた。いきなり海外の方からこんな間際になって、日本チームを作って申請書を完成させろという無茶な依頼、というより命令が来たのである。その方からすれば、わらをもつかむ思いなのだろう。

メールをいただいたあとでお電話でお話ししたのだが、その方は、こんな無謀なお願いを一度しかお会いしたことがない方にお願いするのはまことに失礼きわまりないことは重々わかっているのですが…どうか前向きにご検討を、と、たいへん恐縮した様子でお話しになる。

まあ、海外の方が、ギリギリになって無謀な依頼をしてくることは、僕も何度も経験していることだから、それ自体は驚かないのだが、問題は、僕がそれにふさわしい人物かどうかである。きっと海外の方は失望するのではないだろうか。

だが、いろいろと聞いてみると、なかなか断れるような状況ではなく、仕方ない、申請書を書くしかないかなあと思い始めているところである。

こんなふうに、かなりタイトなスケジュールで、人の目にほとんど触れない文章を書く、という機会が、実はかなり多い。というか、今までそんなことばかりやってきた。文章便利屋などという需要があれば、すぐにでも起業したいくらいである。

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地震・水害・感染症

7月30日(木)

車で1時間半かけて病院に行く日である。

朝、自宅を出ようとすると、スマホの緊急地震速報がけたたましく鳴り響いた。

(これは大きな地震かな…)

と身構えたが、揺れが全くなかった。

ホッとして、車で1時間半かけて病院に出かけた。

病院に着くと、中の待合スペースではかなりの人々が密集している。

そればかりではない。総合受付にいる医療事務の人や、その奥でさまざまな作業をしている看護師さんのところを見ると、やはりかなりの人々が密集している。

(こりゃあ、ソーシャルディスタンスどころではないな…)

これだけの患者に対応しなくてはいけないので、仕方がないのだろう。

長時間待ったあげく、診察自体は数分で終了した。

さて、昨日は、「前の勤務地」「前の前の勤務地」のあたりが、大雨の影響で未曾有の水害に見舞われた。

「前の勤務地」時代の仲間たちが、被害の状況について、昨日から猛烈な勢いで情報交換を進めている。

僕も、昨年12月に訪れた場所のことが気になって、そのときにお世話になった方に連絡をとってみたりした。

「前の勤務地」だけでなく、その隣の県も、未曾有の水害に見舞われた。僕が長年お世話になっている事務所の方に連絡をとり、当地の状況と、近況をうかがったりした。

どちらもまた訪れたい場所なのだが、感染症の影響でおいそれと訪れるわけにも行かないのが、歯がゆくて仕方がない。

この日、都内の感染者数は367人と、これまでで最多になり、全国の感染者数も1200人を超えた。

明日は、最速の新幹線で2時間15分ほどかかる県から出張に来られる方と都内で打ち合わせの予定だったが、昨日からの感染拡大の状況に鑑み、明日の出張は見合わせるとの連絡があった。

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リモート三昧

東京サンシャインボーイズの昔の傑作舞台「ショー・マスト・ゴー・オン」の中で、女役を演じる男優と新人脚本家による、こんなやりとりがあった。

「先生よ~。今度俺のためにホン書いてくれよ」

「たとえばどんなのがいいんです?」

「『おんなねずみ小僧』みたいなやつ。たとえば、『おんな旗本退屈男』とか」

「『おんな旗本退屈男』って、女なんですか、男なんですか?」

「じゃあ、『おんな八百屋お七』ってのはどうです?」

「『八百屋お七』ってのはもともと女なんじゃないですか?」

みたいなやりとり。

これになぞらえれば、「オンラインオフ会」って、オンなのかオフなのかよくわからないが、我ながらよい命名である。

4連休のうちの前半2日は、リモート三昧だった。

23日(木)は、オンライン研究会だった。オンライン研究会自体は、2回目の体験である。

実際にやってみると、対面で行うのと、ほとんど大差がないことに気づく。スライドなんかも、画面共有すれば鮮明に見られるので、対面の研究会よりもむしろ見やすい。

なにより、会場を確保したり、配付資料を人数分用意したり、みたいな面倒くさい準備も不要なのでかえって楽である。

24日(金)も、オンライン会議やらオンライン打ち合わせやらオンラインオフ会やらで、ほぼ丸一日、リモート漬けだった。

オンライン会議は、わざわざ重い荷物を持って都内に出向いて…みたいな面倒なプロセスが必要ないし、対面とほぼ変わらない意見交換ができるので、もうリモートでいいんじゃねえの?という思いを強くする。

オンラインオフ会も、長距離を移動して会いに行く、というプロセスは楽しめないものの、考え方を変えれば移動の負担を考えずに会うことができるので、やはりこれも新鮮な体験だった。

お笑いタレントの事務所であるASH&Dコーポレーションというところに所属する「阿佐ヶ谷姉妹」「ザ・ギース」「ラブレターズ」という3組のお笑い芸人が、YouTubeで「東京リモートコントメン」というコントライブを配信していたので、見てみたのだが、これがなかなか面白かった。

ASH&Dコーポレーションって、もともと大竹まこと、斉木しげる、きたろうの「シティーボーイズ」が所属する事務所だったのだが、今では芸人やタレントの数も増えて、とくにコントに強い芸能事務所といったイメージを築きつつある。

僕がこのライブを面白いと思ったところは、今までのような劇場の舞台でやるコントをそのまま配信する、というのではなく、設定をそもそもリモートにする、という点だった。

「ラブレターズ」は、コロナ禍で卒業式ができなかった学校が、リモートで卒業式をやることになった、という設定で、画面上では校長先生と答辞を読む生徒との間でボケとツッコミが繰り広げられる、というコントであった。

「ザ・ギース」は、やはりコロナ禍で直接不動産屋さんに行けないお客さんが、オンラインを通じて不動産屋さんに部屋探しを相談する、という設定で、やはりオンライン上の画面でボケとツッコミが繰り広げられる。

つまり、リモートそのものを設定としたコントなのである。うーむ、わかりにくかったかな。説明が下手ですみません。

とにかく、リモートという制約の中で、コントのあり方も変わってくるのだな、ということが実感できるようなライブだった。

そう考えれば、会議だって研究会だって飲み会だって、リモートの可能性をもっと追求すれば、面白くなるのかもしれない、と僕は強く思ったのである。

そう、僕たちは変わらなければいけないのだ。

だがしかし、一方で「変わりたくない」という考えの人が大勢いることも、また事実である。

対面で話した方が、誤解も生じないし、信頼関係も生まれるのだ、だから俺はリモートなんて信用できない、という意見ももっともなのだが、話の通じない人は、対面であろうとリモートであろうと、話の通じない人であることには変わりない、ということもまた事実である。

容易には結論の出ない問題だけれど、もう少しリモートの力を信じてみよう、リモートでできることはリモートでいいんじゃね?というのが、この二日間のリモート三昧での結論である。

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