日記・コラム・つぶやき

文章便利屋稼業

8月1日(土)

先週の金曜、ある方から、ある申請書を提出しなければならないのだがそのためには第三者の推薦書が必要なので、書いてほしいという依頼が来た。書類の最終締め切りは、8月10日消印有効なので、あまり時間がない。しかも、推薦書はメールに添付して送ればいいというものではなく、捺印した原本を提出するようにと、その要項には書いてある。

以前、お世話になった方なので、書くことは全然やぶさかではないのだが、申請書の内容を考えると、僕が書くのはお門違いなのではないだろうかといささか疑問を抱きつつ、まあそこはプロですから、申請の趣旨に合わせてすぐに書いて出すことにした。推薦書を書くこと自体は、「前の職場」でもさんざん経験があるので、別に苦にならない。その日のうちに書いて、翌日、捺印したものを郵送してその方のもとに届けた。

そして今日は、以前に一度だけお仕事したことのある方から、メールが来た。知り合いの海外の方が、その国からお金をもらってあるプロジェクトを実施することを計画しているのだが、そのプロジェクトの日本パートの代表者になってくれないか、ついては申請書の日本パートの部分を書いてくれないだろうか、という内容だった。

よくよく聞いてみると、昨晩遅く、海外の方からその方のもとに、いきなりプロジェクト計画の話が来て、申請書の締め切りも迫っているし、慌ててどうしようかということになり、僕の顔が浮かんで、僕に依頼のメールをよこしたのだという。

締め切りを聞いてみると、「8月10日までに、翻訳した上で、そのプロジェクト代表者の海外の方に送らなければいけない」という。あと10日しかないではないか。

その申請書には、日本パートが行うべき計画やチームのメンバーの名前とその役割、などを書く必要があって、つまりは計画やメンバーの人選などもこちらで行わなければいけないようである。

うーむ。この短い間で、それを完成させるのは至難の業である。人選にしたって、本人に内諾をもらった上でないと申請書には書けない。

厳しい審査があるそうなので、このプロジェクトが本当に採用されるのかどうかはわからないのだが、そもそも、自分がこのプロジェクトに参加するのは、物理的にも精神的にも不可能に近い。

しかし、である。

その方からいただいたメールは、かなり悲壮感が漂っていた。いきなり海外の方からこんな間際になって、日本チームを作って申請書を完成させろという無茶な依頼、というより命令が来たのである。その方からすれば、わらをもつかむ思いなのだろう。

メールをいただいたあとでお電話でお話ししたのだが、その方は、こんな無謀なお願いを一度しかお会いしたことがない方にお願いするのはまことに失礼きわまりないことは重々わかっているのですが…どうか前向きにご検討を、と、たいへん恐縮した様子でお話しになる。

まあ、海外の方が、ギリギリになって無謀な依頼をしてくることは、僕も何度も経験していることだから、それ自体は驚かないのだが、問題は、僕がそれにふさわしい人物かどうかである。きっと海外の方は失望するのではないだろうか。

だが、いろいろと聞いてみると、なかなか断れるような状況ではなく、仕方ない、申請書を書くしかないかなあと思い始めているところである。

こんなふうに、かなりタイトなスケジュールで、人の目にほとんど触れない文章を書く、という機会が、実はかなり多い。というか、今までそんなことばかりやってきた。文章便利屋などという需要があれば、すぐにでも起業したいくらいである。

| | コメント (0)

地震・水害・感染症

7月30日(木)

車で1時間半かけて病院に行く日である。

朝、自宅を出ようとすると、スマホの緊急地震速報がけたたましく鳴り響いた。

(これは大きな地震かな…)

と身構えたが、揺れが全くなかった。

ホッとして、車で1時間半かけて病院に出かけた。

病院に着くと、中の待合スペースではかなりの人々が密集している。

そればかりではない。総合受付にいる医療事務の人や、その奥でさまざまな作業をしている看護師さんのところを見ると、やはりかなりの人々が密集している。

(こりゃあ、ソーシャルディスタンスどころではないな…)

これだけの患者に対応しなくてはいけないので、仕方がないのだろう。

長時間待ったあげく、診察自体は数分で終了した。

さて、昨日は、「前の勤務地」「前の前の勤務地」のあたりが、大雨の影響で未曾有の水害に見舞われた。

「前の勤務地」時代の仲間たちが、被害の状況について、昨日から猛烈な勢いで情報交換を進めている。

僕も、昨年12月に訪れた場所のことが気になって、そのときにお世話になった方に連絡をとってみたりした。

「前の勤務地」だけでなく、その隣の県も、未曾有の水害に見舞われた。僕が長年お世話になっている事務所の方に連絡をとり、当地の状況と、近況をうかがったりした。

どちらもまた訪れたい場所なのだが、感染症の影響でおいそれと訪れるわけにも行かないのが、歯がゆくて仕方がない。

この日、都内の感染者数は367人と、これまでで最多になり、全国の感染者数も1200人を超えた。

明日は、最速の新幹線で2時間15分ほどかかる県から出張に来られる方と都内で打ち合わせの予定だったが、昨日からの感染拡大の状況に鑑み、明日の出張は見合わせるとの連絡があった。

| | コメント (1)

リモート三昧

東京サンシャインボーイズの昔の傑作舞台「ショー・マスト・ゴー・オン」の中で、女役を演じる男優と新人脚本家による、こんなやりとりがあった。

「先生よ~。今度俺のためにホン書いてくれよ」

「たとえばどんなのがいいんです?」

「『おんなねずみ小僧』みたいなやつ。たとえば、『おんな旗本退屈男』とか」

「『おんな旗本退屈男』って、女なんですか、男なんですか?」

「じゃあ、『おんな八百屋お七』ってのはどうです?」

「『八百屋お七』ってのはもともと女なんじゃないですか?」

みたいなやりとり。

これになぞらえれば、「オンラインオフ会」って、オンなのかオフなのかよくわからないが、我ながらよい命名である。

4連休のうちの前半2日は、リモート三昧だった。

23日(木)は、オンライン研究会だった。オンライン研究会自体は、2回目の体験である。

実際にやってみると、対面で行うのと、ほとんど大差がないことに気づく。スライドなんかも、画面共有すれば鮮明に見られるので、対面の研究会よりもむしろ見やすい。

なにより、会場を確保したり、配付資料を人数分用意したり、みたいな面倒くさい準備も不要なのでかえって楽である。

24日(金)も、オンライン会議やらオンライン打ち合わせやらオンラインオフ会やらで、ほぼ丸一日、リモート漬けだった。

オンライン会議は、わざわざ重い荷物を持って都内に出向いて…みたいな面倒なプロセスが必要ないし、対面とほぼ変わらない意見交換ができるので、もうリモートでいいんじゃねえの?という思いを強くする。

オンラインオフ会も、長距離を移動して会いに行く、というプロセスは楽しめないものの、考え方を変えれば移動の負担を考えずに会うことができるので、やはりこれも新鮮な体験だった。

お笑いタレントの事務所であるASH&Dコーポレーションというところに所属する「阿佐ヶ谷姉妹」「ザ・ギース」「ラブレターズ」という3組のお笑い芸人が、YouTubeで「東京リモートコントメン」というコントライブを配信していたので、見てみたのだが、これがなかなか面白かった。

ASH&Dコーポレーションって、もともと大竹まこと、斉木しげる、きたろうの「シティーボーイズ」が所属する事務所だったのだが、今では芸人やタレントの数も増えて、とくにコントに強い芸能事務所といったイメージを築きつつある。

僕がこのライブを面白いと思ったところは、今までのような劇場の舞台でやるコントをそのまま配信する、というのではなく、設定をそもそもリモートにする、という点だった。

「ラブレターズ」は、コロナ禍で卒業式ができなかった学校が、リモートで卒業式をやることになった、という設定で、画面上では校長先生と答辞を読む生徒との間でボケとツッコミが繰り広げられる、というコントであった。

「ザ・ギース」は、やはりコロナ禍で直接不動産屋さんに行けないお客さんが、オンラインを通じて不動産屋さんに部屋探しを相談する、という設定で、やはりオンライン上の画面でボケとツッコミが繰り広げられる。

つまり、リモートそのものを設定としたコントなのである。うーむ、わかりにくかったかな。説明が下手ですみません。

とにかく、リモートという制約の中で、コントのあり方も変わってくるのだな、ということが実感できるようなライブだった。

そう考えれば、会議だって研究会だって飲み会だって、リモートの可能性をもっと追求すれば、面白くなるのかもしれない、と僕は強く思ったのである。

そう、僕たちは変わらなければいけないのだ。

だがしかし、一方で「変わりたくない」という考えの人が大勢いることも、また事実である。

対面で話した方が、誤解も生じないし、信頼関係も生まれるのだ、だから俺はリモートなんて信用できない、という意見ももっともなのだが、話の通じない人は、対面であろうとリモートであろうと、話の通じない人であることには変わりない、ということもまた事実である。

容易には結論の出ない問題だけれど、もう少しリモートの力を信じてみよう、リモートでできることはリモートでいいんじゃね?というのが、この二日間のリモート三昧での結論である。

| | コメント (0)

オンラインコミュニケーション

7月19日(日)

午後、オンラインの会議である。気が重い。

会議の趣旨は、僕の書いたものに対し、複数の人がコメントを言う、というもので、早い話が僕の文章にダメ出しをする会である。

以前に、あらかじめ各人のコメントを書面でもらったことがあって、その中には、お会いしたことのない方も何人か含まれていた。

要はそのコメントにもとづいて、僕の書いたものを修正するわけだが、お一人、お会いしたことのない方のコメントが、かなりキツい調子で書かれていた。

(何もそんな書き方をしなくてもよいのに…)

と落ち込んで、しばらく自分の文章を修正する気になれなかったほどである。

それでも気持ちを切り替えてなんとか修正をして提出した。

で、今度は、実際にオンライン会議をして各人のコメントを聴くことになったのである。

あらかじめ出席者の名前をみたところ、かなりキツいコメントを書いた方が出席することになっているようで、

(また、強い調子でダメ出しされるのだろうか…)

と戦々恐々としていた。

さて、その方に、オンライン会議で初めてお会いしたことになったのだが、僕が想像していたよりも、はるかに言葉に気をつけながら発言されていた。

もちろん、その方の主張は一貫したものだし、言葉の端々に、その方の「偏屈さ」みたいなものが垣間見られたのだが、結果的に書面に書かれていたことと同じようなコメントであったとしても、実際にお話をうかがったほうが、

(なるほど、この方がおっしゃっていたことは、そういうことだったのか…)

と、はるかに納得がいったのである。

もっとも、だからといって、その方のダメ出しに応えられるような修正を、僕自身ができるかどうかはわからないのだが。

メールや書面よりもオンライン、オンラインよりも対面、のほうが、コミュニケーションの手段として優れているというのは、ある意味で真実であろう。

しかしそれでは、いつまでたっても「働き方改革」なんてできないなあ、とも思ってしまい、悩ましいところである。

| | コメント (0)

オンライン懇親会にビビる

7月11日(土)

今日は、僕にとって初めての、オンライン研究会である。

職場でオンラインの会議は何度となくやっているので、zoomじたいには慣れているのだが、研究会に参加するのは、これが初めてなのである。

しかも、いままでに参加したことのない、まったく専門外の研究会に初参加するというのだから、さらにハードルは高い。

なぜ専門外の研究会に参加することになったのかというと、昨年の11月に、その研究会の主宰者の方とあるところで知り合い、ふとしたきっかけで、その方とこの1年、小さなプロジェクトを進めることになった。お会いしたのはそのときだけで、その後はコロナ禍のせいもありたまにメールをやりとりする程度なのだが、その方が、ご自身が主宰する研究会をオンラインで開催するというのでお誘いのメールをいただいたのである。

専門外の研究会だし、知り合いもほとんどいないと思ったので、黙って話を聴いているだけなら気楽なものだろうと思い、参加することにした。

直前になり、主宰者の方から、

「オンライン研究会の後、オンライン懇親会もやりますので、それぞれ飲み物とおつまみを用意してご参加ください」

とメールが来た。

オンライン懇親会かあ。これもまた経験がない。世に言う「zoom飲み会」ってのは、どんなものなんだろう?ちょっと興味が引かれた。ちょっと参加してみよっかなあ…。

さて当日。参加者は全部で30人くらいだという。

参加メンバーを見て、いささか驚いた。

15年ほど前にいっしょに「大きな仕事」をしたMさん、2年ほど前にいっしょに仕事をしたA出版社のOさん、いまいっしょに仕事をしているB出版社のOさん、そして昨年度まで僕が主宰していたプロジェクトに何度か参加してくれたFさんなど、知り合いがけっこういたのだ。しかも、いずれの方も僕とは異なる業界にいる人たちである。

不思議なものである。これまでまったく別のところでいっしょに仕事をしていた人たちと、ひとつのオンライン会議システムの中で、再会したのである。相変わらず、引きが強いねえ。

とくに15年前にいっしょに「大きな仕事」をしたMさんは、僕がzoomの会場に入室するなり、

「あれ、鬼瓦さんじゃない?東京の仕事の時以来だよね」

「ご無沙汰しています。再会できてうれしいです」

ちゃんと覚えていてくれたことに感激した。

午後2時30分から始まった研究会は、けっこう盛り上がって、4時間後の6時30分頃に終了した。

いままでオンライン会議ではストレスがたまる一方だったが、あんまり利害関係を考えずに自由闊達に議論できる場に久しぶりに参加できて、なかなかにおもしろい体験だった。

さて、問題はその後の懇親会である。

7時から開始ということだったが、娘をお風呂に入れなければならないし、夕食もいっしょに食べなければならないしで、開始時間の7時から参加するというのは不可能である。

ならば途中から参加しようかな?とも思ったが、僕以外のメンバーはすでに関係性ができあがっている、そんなグループの中に、懇親会に遅れて参加する、というのは、僕も気まずいし、ほかの方々にとっても興ざめなのではないか、という不安が襲ってきた。

これがもし親しい間柄だったら、遅れて参加してもどうってことはないんだけどね。

なにより僕は、懇親会でどんなことを話していいのかわからない。誰とも話ができずに黙ったままで画面を見つめることになってしまうのではないだろうか?これでは間が持たない、と、どんどんビビってしまった。

…というわけで、結局オンライン懇親会は遠慮することにした。

オンライン懇親会参加への道のりは、まだまだ遠いなあ。

| | コメント (0)

雑談欲求

7月9日(木)

車で1時間半ほどかけて、県をまたいで病院に行く。やはり電車に乗ると感染のリスクが高いという不安があるので、仕方がない。

今日はわずか数分の診察のためだけに行くのだが、かといって行かないと、次の予約が取れないので、無意味だなあと思っても行かなくてはならない。たった数分のために、一日がかりの大仕事である。

病院に着いて、ビックリした。待合室が患者でごった返しているではないか!

これは3密なのか?そうではないのか?よくわからない。

かなりの時間、待たされたあげく、2分ほどで診察が終わった。

うーむ。これならば、オンライン診察みたいなものでも十分だったんではないだろうか。これだけのことで、かなり体力を消耗した。

病院に通うにも、体力がないといけない。

結局、主治医の先生と数分しゃべって終わりか…。話す内容も、最低限の情報だけである。

考えてみれば、コロナ禍以降、雑談というものをほとんどしていない。職場では、誰に対しても業務に関わる最低限の話しかしていないし、昨日の会議では、僕は結局ひと言も発言しなかった。

そういえばちょうど1週間前、都内に出たついでに、出版社の編集者の方と、1時間ほど喫茶店でお話をしたんだった。

1年くらい前だったか、その方からお手紙をもらい、一度お話しをしたのだが、その後はとくに仕事の進展がなかったため、しびれを切らしたその方が、またお会いしたいということでその前日に連絡をいただいたのだった。で、急遽、お会いすることにしたのである。なのでその方にお会いするのは、2回目である。

親しい間柄というわけではないので、バカ話ができるというわけではない。基本的には仕事というか原稿に関する話なのだが、それでも相手が聞き役で、僕の方が自分の関心の赴くままにお話しするという形なので、なんか久しぶりに雑談をした、という気持ちになったのである。

話していくうちに、なんとなく構想がまとまっていくような気がしたのだが、かといって、仕事が進むとは限らない。

それでも、出版社の方は出版社の方で、このコロナ禍のなかでかなりたいへんであるらしく、結果を出していかなければならないという焦燥感もあり、なんとか仕事を進めてもらいたいという思いもあるのだろう。

のらりくらり交わしていた僕も、ちょっと申し訳ないなあという気持ちになり、少し仕事を進めなければと思ったのであった。思っただけである。

「1時間、タダで講義を聴かせていただいた気分です。ぜひそれを形に」

「はぁ」

僕は久しぶりに1時間もじっくりしゃべったので、すっかり疲れてしまった。

でもいま自分がやりたいのは、「雑談」だということに、あらためて気づいたのである。

最近もっぱらラジオばかり聴いているのも、そのせいかもしれない。

| | コメント (1)

起転承結

7月8日(水)

先日、4000字程度のエッセイを書きあげたのだが、ほかの執筆者の原稿もあがってきていて、読みくらべてみたところ、

(うーむ。控えめに言ってもやっぱり俺の文章がいちばんおもしろい)

という結論に至った。

また自画自賛かよ!と呆れた人はここから先は読まなくてよろしい。なにしろ本当のことなんだから仕方がない。

あらためて自分のエッセイを読み返して驚いたのだが、まったく無意識のうちに、教科書のお手本かよ!と思うほどに、「起承転結」のセオリーに忠実に書いていることに気づいた。

いや、よく読んでみると、「起承転結」ではなく、「起転承結」かもしれないぞ。

どっちにしても、「起承転結」「起転承結」こそが、文章の極意である、と僕はいまだに信じている。

文章を書く際に「起承転結」(あるいは「序破急」)が大事だということは、小学校の時の担任の先生が口酸っぱくおっしゃっていたことで、僕はいまだに、その教えを守っているにすぎないのだ。

しかし、ほかの執筆者の書いた文章を読むと、必ずしもそのセオリーに従っていないというものが多く、それで、ほかの執筆者の書いた文章にちょっとした違和感を抱いてしまうのだと思う。

もちろんこれは、好みの問題でもあるので、起承転結がない文章を好むという人も、当然いるのだろう。

もう一つ、僕がいまめざしているのは、

「右からも左からも攻撃されるようなテーマの文章を書くときに、いかにして、右からも左からも攻撃されずに、それでいて自分の主張を貫けるか」

というタイプの文章である。最近この手の文章を書く機会が多い。

これはとても高度なテクニックで、こういう手法で文章が書けるのは、俺ぐらいのものだぞ、と、やはり自画自賛である。

ま、他の人から見れば、どー---でもいいことなんだけど。

そういう細かいことにこだわって文章を書くというのが、僕にとっての楽しみなのである。

…とても不愉快な文章になってしまったことをお詫びする。疲れていることに免じてお許しください。

| | コメント (2)

まだまだ焼け石に水

6月26日(金)

今週も、何とか金曜日を乗り越えた。

ここ最近は、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」の金曜日のオープニングで、ジェーン・スーさんが必ず言う、

「さあ、お仕事中の方、家事育児、病気療養、はたまた介護中のみなみな様、よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!」

という言葉通りの心境である。

今月は、たまりにたまっていた原稿を、いくつか書き上げた。なにしろ、3月のコロナ禍以降、4月、5月と、まったく原稿が書けなかったからね。書ける気がせず、漫然とした日々を過ごしていた。

それが今月は全部で4本、以前に書いた原稿の修正が1本。

4本の原稿の文字数を合わせると32000字程度。400字詰原稿用紙にして80枚。うーむ。もっと分量を書いた気でいたが、1本あたりの文字数が少ないなあ。まあ、それでも考えに考えて書き続けていたのだから、仕方がない。

このうち3本は、1年先、2年先、あるいはもっと先にならないと公表されないかも知れない。気が遠くなるなあ。

それでも、まだまだ焼け石に水である。締め切りを過ぎた原稿はまだだいぶ残っているし、これから締め切りが来る原稿もある。もちろん原稿だけでなく、先送りにしているプロジェクトもかなりある。

なんとかこの勢いで、7月以降も原稿が進めばいいのだが、どうなるかはわからない。

| | コメント (0)

原稿の神様、降臨!

6月16日(火)

6月15日(月)が締め切りの原稿が書けない。

週末の土、日を使って書こうと思ったのだが、週末は結局何もせずに過ごし、2日間を棒に振った。

おかしいなあ。金曜日の時点では、「よし、土曜日にがんばるぞ一」と思っていたのが、土曜日になると「日曜日があるからいいや」と思ってしまい、結局、日曜日もまったく手つかずで終わってしまった。

こういうときの自己嫌悪ってのは、半端ないねえ。

そして締め切り当日を迎えた。

この日も、午後までうだうだしていて結局何も手がつかない。

(あ~あ、今日もダメか…)

と思っていた矢先、夕方になってパソコンに向かったら、次々と文章が浮かんできた。

それまでまったく手つかずだったものが、次第に形になっていく。

夕方は2時間弱ほどパソコンに向かい、その後、夕食やお風呂や、娘を寝かしつける時間をはさんで、夜にまた数時間、原稿を書き続けた。

結局、数時間ほどで、目標の4000字を書き上げた。

で、一晩寝かせて、本日送信。結局、締め切りからわずか1日遅れで原稿を提出した。

それまで何も書けずに悶々としていたあの時間は、いったい何だったんだ?

今回もまた、「原稿の神様」に助けられた。

それにしても不思議である。今回ばかりはお手上げだ、と毎回思うのだが、土壇場で原稿がなんとか書き上がる。

おそらく集中力の問題なのだろうということはわかるのだが、問題は、その集中力が、どのようなメカニズムで訪れるのか、である。

原稿を早めに出したいのなら、締め切りを早めに設定する暗示をかければよいのではないかとも思うのだが、いままでそれで成功したためしがない。

いつもいつも、締め切りに合わせて集中力が訪れるというわけでもない。締め切りを大幅に過ぎてから原稿の神様が降りてくることもある。

自分の意志とは関係なしに、突然スプーンと同じくらいに小さくなってしまう「スプーンおばさん」みたいなものなのだろうか?ナンダカヨクワカラナイ。

| | コメント (0)

豆腐屋のメタファー

6月13日(土)

金曜日の職場での仕事が、あまりにもストレスフルだったので、今日は疲労と頭痛で身体が石のようになり、何もできなかった。ま、休みの日はいつもそんな感じではあるのだが。

新型コロナウィルスによる影響で、平時では起こらない問題が発生したりして、それをどのように収めるか、といったことに腐心しなければならない。運の悪いことに今年度からはそんな役回りをさせられる立場になって、そういう仕事に慣れていない僕は、些細なことであってもそれを収めることに過度なストレスを感じるのだ。

「リーダーシップ論」とか「組織運営論」とか、そういうビジネス系自己啓発本みたいな本を読んだ方がいいのだろうか。何かいい本があったら教えてください。

そんなわけで、職業的文章が相変わらず止まったままである。

そんなことはともかく。

前回書いた文章は、よくよく読んでみれば、まったく論理的ではない。

こぶぎさんがコメント欄で紹介してくれたように、YouTubeの「伯山ティービィー」で、講釈師の神田阿久鯉先生が「徂徠豆腐」をやるというのを知り(ちなみに、阿久鯉先生の「徂徠豆腐」は名演であった!)、文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」で豆腐屋のエピソードを聴いて感傷的になり、そういえば少し前の「久米宏 ラジオなんですけど」(今月で番組終了というのが残念!)で、元朝日新聞論説委員の清水建宇さんが退職後にスペインで豆腐屋を始めたというお話しを思い出して、これらを1つの文章にできないだろうかと思って書いたのが、前回の文章なのである。

だから、論理性はまったくなく、僕の脳の中にあるとりとめのない断片を息を吐くように文章に認めたにすぎない。

こんな支離滅裂な文章、共感して読んでくれる人なんて誰もいないだろうな。もっとも自分のために書いているのだから仕方ないのだが。

豆腐屋について思い出したことをもう少し書くと(しつこいな)。

山田洋次監督の映画「男はつらいよ 望郷編」(第5作)では、フーテンの寅次郎が、一念発起して地道に働こうとしてたどり着いた先が、豆腐屋さんだった。その豆腐屋の一人娘(長山藍子)に恋をしてフラれる、というお決まりの展開になるのだが、それはまあ置いといて。

フーテンと対極にある地道な仕事の代表として、豆腐屋が選ばれているのだ。

映画のつながりでいえば、小津安二郎監督は、

「私は豆腐屋のような映画監督なのだから、トンカツを作れといわれても無理で、せいぜいガンモドキぐらいだよ」

という言葉を遺している。小津安二郎監督にとって「豆腐屋のような映画監督」であることは、自身のアイデンティティーだったようである。

トンカツのようなお腹にもたれることのない豆腐のような映画を作る、というのがその真意なのだろう。それに加えて、豆腐屋は地味で手間がかかる仕事の象徴であるという意味も込められているのかも知れない。

そういえば「頭文字D(イニシャルD)」の主人公の家が「藤原豆腐店」だったが、家業が豆腐屋であることに何か意味があったのだろうか。未見なのでわからない。

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧