映画・テレビ

KOC雑感2024

今年は忙しすぎてキングオブコントを見逃した。

TVerで見逃し配信をやているというので、優勝したラブレターズのコントだけを観た。

昨年は、というか、昨年も惜しくも敗退してしまったので、その時点で番組を見るのをやめてしまった。今年はついに優勝したので、コントを2回観ることができた。

ラブレターズとは、シティボーイズと同じASH&Dというお笑い事務所所属のコント芸人である。ASH&Dはシティボーイズのために作った事務所で、当時の社長さんが「灰とダイヤモンド」という映画が好きなことから、事務所の名前をASH&Dにしたというのは、誰でも知ってる話だよね。

このASH&Dは、少数精鋭の事務所で、今メジャーな芸人としては、阿佐ヶ谷姉妹、ギース、ラブレターズの3組しかいない。このほか、若手お笑い芸人が2組いるくらいである。

このうち、阿佐ヶ谷姉妹は女性芸人のグランプリである「W」で優勝しているし、ラブレターズは今回のキングオブコントで、苦節17年の末、第17代王者の栄冠に輝いた。効率のいい事務所である。というより「見る目がある」のだ。シティボーイズ、とりわけきたろうさんが見巧者なのだろう。

ラブレターズは塚本と溜口の二人の男性からなるお笑いコンビで、ネタ作りは塚本が担当し、そのネタを自由に演じるのが溜口の役割である。

溜口は、「粗暴であるが優しい性格」という役を演じたときに最も輝く。溜口が感情のままにセリフを叫ぶとき、最もカタルシスを感じる。実際僕は、くだらないコントなのに、溜口の芝居に感情を持ってかれてつい泣き笑いしてしまう。

1回目のコントが終わった後の、東京03の飯塚さんのコメントに、「哀愁のあるコント」という評価が語られていたが、その言葉を聞いて、そうだ、僕もそこにラブレターズの面白さを見出していたのだと気づかされた。

10月15日(火)の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のオープニングトークでは、大竹さんがかなりの時間をとって、事務所の後輩であるラブレターズが優勝したことへの感慨を語っていた。優しさ溢れるコメントだった。

そんなに追っかけて観ているわけではないが、ラブレターズが活躍しているのを見たり聞いたりすると、「おっ!」と思ってひそかに応援している。

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ドリーム

10月1日(火)

そういえば昨日、新聞記者と取材とも雑談ともつかぬことを話していたときに、ある映画のことを思い出したので、その映画のことを記者に紹介しようと思ったのだが、タイトルが出てこない。

「えーっと、アメリカで、NASAみたいな宇宙の研究所が舞台で、そこに3人の黒人女性が勤めているという映画があるんですよ。実話なんですがね。ところがまだアメリカは黒人差別が激しい時代で、トイレなんかも白人と黒人が別なんです。黒人女性がトイレに行こうとすると、うんと離れた場所にあるトイレに行かなくてはならず、仕事にならないんです。ほかの白人たちには、黒人女性が席を立ったままなかなか帰ってこないのを見て、サボっているのではないかと疑いの目を向けるんですが、いや、そもそも白人が決めたルールに従って遠いところにある黒人用トイレに行かなくてはならないから時間がかかるんだと。

3人の黒人女性はとても能力が高い女性で、そのことが上司の目にとまり、そこでようやく黒人女性たちに対する理不尽な差別に気づく。上司はその3人を重用して、それでアメリカの宇宙計画に多大な貢献をするわけです。日本ではこういう映画、作られないでしょう」

とここまで言って、映画のタイトルが思い出せない。

「ええっと、タイトルは…」

仕方がないので、出演者を手がかりに思い出すしかない。上司役の人は有名な俳優だった。

「上司役を有名な俳優さんがやっているんですよ」

今度はその俳優の名前が出てこない。

「えーっと、名前、何だったっけなあ」

顔とほかの出演映画名はははっきりと思い浮かぶのだが、どうしても名前が出てこないのである。

「『フィールド・オブ・ドリームス』に出ていた俳優ですよ」

「『フィールド・オブ・ドリームス』?」

どうやら先方は『フィールド・オブ・ドリームス』を知らない様子。

先方がスマホで検索して、

「ケビン・コスナー…ですか?」

「そうです!ケビン・コスナー!その人が出ている映画ですよ」

さらに検索を続けていく。

「…『ドリーム』?」

「そうです!『ドリーム』です!」

ようやく映画の名前が出てきた。

最近こういうことが多くて困る。

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わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー!

9月22日(日)

小1の娘と2人で1年ぶりにプリキュアの映画版を観に行った。現在公開中の『わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー!』である。もう2回目なので、何のためらいもない。

劇場はほぼ満席で、親子連れが多いのはあたりまえだが、おそらく子どもは幼稚園児または保育園児くらいの年齢が多いと思われ、小1の娘がいまだに面白がって観ているのはよいことなのか、ちょっと不安になった。娘はいつまでプリキュアを見続けるつもりだろう。

それに、ポップコーン率も高い。小さな子どもが食べているのかと思ったら、もちろんそれもあるが、どちらかといえば親の方が熱心にポップコーンを食べている。なかには父親と母親が別々のポップコーンを食べていて、どんだけ食べるんだ?とツッコみたくなる。そんな中、うちは、映画のあとに昼食を食べることになっていたので、ポップコーンを食べるのを禁止した。以前は毎回のようにポップコーンを食べるのを楽しみにしていたが、ここ最近は食べるのを我慢しており、この傾向が続いてほしいものである。

映画が始まって早々に僕はついうとうととして目を閉じてしまったりしたので、最初のあたりの設定についてはよくわからなかったのだが、気がつくと、わんだふるプリキュアのメンバーは、有名なゲームクリエーターの作ったゲームの中に入ってしまい、つまりは仮想空間の中で敵と戦うような事態になっていた。これはあれか?キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』みたいなものか?と、あやふやな記憶を頼りに推測したのだが、よくわからない。

前回も書いたが、今回もやはり、劇場版のウルトラマン映画みたいだという印象は変わらなかった。窮地に追い込まれた現役のウルトラマン某が、歴代のウルトラマンシリーズで活躍したウルトラ兄弟の助けを借りて敵を倒す、という構造と類似しており、過去の歴代のプリキュアが応援のために登場している。おそらく長くプリキュアを見続けているファンにはたまらない内容なのだろう。

しかしウルトラマンシリーズと決定的に異なるのは、ウルトラマンのほうは出てくる怪獣がたんなる「悪者」として描かれる、つまりは善悪二元論で描かれることが多いのに対して、プリキュアのほうは、「どんな悪い敵でもそうなってしまう事情があり、その事情がわかれば敵に対しても慈しみを感じる」というスタンスが貫かれていることである。もっとも誤解のないようにいうと、ウルトラマンシリーズの中にも、とくにウルトラセブンなどでは、宇宙人を単純な悪者とみることに対して疑問を呈する回もあって、そういう回の方がむしろ僕の中では今でも強く印象に残っている。

それと、プリキュアシリーズは、過剰なまでに仲間の絆を強調しており、そのことを強調するセリフがくり返しくり返し、てらうことなく語られる。そうやって常に言葉に出すことで、お互いの絆の確認をしているとも読み取れる。そういうことを率直に言い合えるのは、今の時代であればこそである。小さい子どもには、そうやってはっきりと言葉に出すことで、絆の大切さを理解してもらおうということなのだろう。

娘にとってのプリキュアシリーズが、僕にとってのウルトラマンシリーズ(ただし1980年までに限る)であると見立てれば、今後も娘はプリキュアシリーズを見続けるのだろう。

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団地のふたり

9月16日(月)

NHKーBSのドラマ「団地のふたり」が面白い。

最近は全然ドラマを見ていない。話題の朝ドラや大河ドラマも観ていないし、クドカン脚本の「新宿野戦病院」も見逃した。

愚妹に会ったときに、「(「団地のふたり」を)観た方がいいよ」と薦められ、第2回の放送から観ることにした。

愚妹は僕のドラマの趣味を理解しているのである、というより愚妹と僕のテレビ番組の趣味はほぼ一致しているのだ。小泉今日子、小林聡美がダブル主演だったとは知らず、これは観ないといけないと思ったのである。

ふたりは同じ団地に住む、保育園からの幼なじみという設定である。しかも年齢設定は、いまの僕の年齢と同じというのだから、これは僕のためにあるドラマだといっても過言ではない。

団地では高齢化が進み、些細だがさまざまな問題が巻き起こる。そうした問題を、団地のふたりが、同じ団地の人たちと助け合いながら少しずつ解決していくというお話、らしい。「らしい」と言ったのは、まだ第2回と第3回しか観ていないからである。

ドラマの雰囲気は、以前にNHKの地上波で放送された「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」によく似ている。脚本家も演出家も全然違うが。

たしか小泉今日子と小林聡美は、実生活でも同い年だったと思う。学年でいうと僕よりも4つほど上くらいである。木皿泉脚本のドラマ「すいか」(2003年)以来、2人はたびたび共演しているが、ラジオとかPodcastなどでごくたまに2人が対談している様子を聴くと、実生活ではドラマのようなベッタリする友人関係という印象はない。あくまでも仕事上の同志といった感じである。お互いの私生活には深入りしていないのが心地よい。

2人には、一緒に仕事をすれば絶対にいい仕事になるという確信めいたものがある、ということを以前から感じていた。もしそうだとすれば、理想の関係ではないか。いまではすっかり裏方にまわってしまった小泉今日子が、ドラマの主役として久々に登場したのは、相手役が小林聡美だから安心できたのだろうと勝手な想像をしてしまう。なんにせよ、テレビに絶望した小泉今日子を舞台の真ん中に再び引き上げたのは、そういう確信や安心があったからではないだろうか。まことに範としたい人間関係である。

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きみの色

9月8日(日)

小1の娘と2人でアニメ映画『きみの色』(山田尚子監督)を観に行った。

少し前、おなじ山田尚子監督のアニメ映画『聲の形』(2016年)がテレビで放映されていて、それを娘が熱心に観ていて、僕はそれを横からチラチラと見たていどだったのだが、なんというか心がざわつくような映画だなと気になっていたら、どうやらこの映画がテレビで放映されたのは、山田監督の最新作のプロモーションらしい、ということがわかって、それでその最新作『きみの色』を観に行くことにしたのである。恥ずかしながら山田尚子監督のお名前を知ったのはこれが初めてだった。

あるサイトに載っていた作品情報を一部引用すると、

全寮制のミッションスクールに通うトツ子は、うれしい色、楽しい色、穏やかな色など、幼いころから人が「色」として見える。そんなトツ子は、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみ、街の片隅にある古書店で出会った音楽好きの少年・ルイの3人でバンドを組むことになる。離島の古い教会を練習場所に、それぞれ悩みを抱える3人は音楽によって心を通わせていき、いつしか友情とほのかな恋のような感情が芽生え始める。」

とある。多少補足すると、「全寮制のミッションスクール」というのは思いのほか規律の厳しい学校で、教師はみなシスターとして敬虔な服装をしている。規律に違反すると反省文を毎日書かされたり、奉仕活動を行わなければならない。実際にミッションスクールというのは、一概にそういう学校なのかどうかはわからない。

トツ子、きみ、ルイの3人は、それぞれ家族に対して秘密を抱えながら、ひそかにバンドの練習をするが、唯一の理解者であるシスター日吉子がそのことを知り、学園祭でバンドのライブをしてほしいと3人に提案する。いままでそれぞれ家族に対して秘密を抱えていた3人(とくにきみとルイ)は、家族に本当のことを打ち明け、学園祭のバンドのライブに来てほしいとお願いをする。

そして学園祭の日、幕が上がる。何も聞かされていない生徒たちは、いきなりバンドライブが始まったことに戸惑うが、次第に会場は盛り上がり、シスターたちも曲の動きに合わせて踊り出す。わだかまりのあったきみの祖母やルイの母も駆けつけ、物語は大団円を迎える。

バンドの曲調は、YMOというより、TMネットワークに近いテクノサウンドで、まず僕はそこに心を奪われた。映画のエモーショナルな場面は、いうまでもなくこの学園祭でのライブで最高潮に達する。

おそらくこの場面を観てすぐに連想されるのが、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『天使にラブソングを』であろう。たしかに『天使にラブソングを』へのオマージュが含まれているであろう点は想像に難くいない。

しかし僕がこの場面から直ちに連想したのは、芦原すなお原作・大林宣彦監督の映画『青春デンデケデケデケ』である。あの映画も最後の場面では、高校生のロックバンド「ロッキングホースメン」が、文化祭の時に体育館でライブを行い、生徒たちはもちろん、家族を始めとする「ロッキングホースメン」にゆかりのある人たちがライブに集合し、曲に合わせてノリノリの動きを取りながら彼らの活動を賞賛するのである。

『青春デンデケデケデケ』との共通点はほかにもある。『きみの色』では、学園祭のライブが大成功を収めたあと、3人のうちのひとり、ルイが大学受験のために船で島を離れて東京に出発し、ほかの2人がルイを送り出す場面が感動的だが、『青春デンデケデケデケ』もまた、バンド結成を呼びかけた「ちっくん」が大学受験のために故郷を離れる際に、逡巡する「ちっくん」をほかのメンバーが励まし、送り出すのである。

さらに、映画では唯一彼らの活動に理解を示すシスター日吉子(声:新垣結衣)が彼らの活動を後押しするが、『青春デンデケデケデケ』でも、唯一の理解者である寺内先生(岸辺一徳)が、高校でのバンド練習に力を貸す。つまりシスター日吉子は、寺内先生なのである。

これはもうまぎれもなく、『青春デンデケデケデケ』へのオマージュ作品だ。

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化け猫あんずちゃん

7月27日(土)

土曜日は小1の娘と2人で映画館に行くことがここ最近習慣化している。

子どもも楽しめる新しい話題作が登場するのは8月になってからが多く、7月末はあまりなじみのない映画が多いような気がする。しかし娘は「アニメ映画が観たい」といってきかない。最初は「コナンが観たい」と駄々をこねたのだが、すでに1回観ているし、もう一度あの映画を見直すというのはかなり頭が疲れてしまう。

そこでほかにないか探してみると、『化け猫あんずちゃん』(久野遥子・山下敦弘監督)というアニメ映画がヒットした。時間も95分という手ごろな長さだ。僕は何も考えずにこの映画を予約することにした。

スマホで予約すると「MX4D席」とあった。前回は3Dを体験したが、こんどは4D体験なのか?座席とかが揺れたりするのだろうか。

「座席が揺れたりするかもしれないけど大丈夫?」

と娘に聞くと、娘は不安そうな顔をしたが、そこしかないので仕方がない。

かくして、どんな映画化もわからないまま、『化け猫あんずちゃん』を観ることにしたのである。

結果は、観てよかったと思える映画だった。

僕がいちばん嬉しかったのは、音楽を鈴木慶一さんが担当してたということである。鈴木慶一さんといえばムーンライダース。もうそれだけでも得をした気分だ。

不思議な映画だなあと思いながら余韻に浸りたかったのだが、娘が上映終了の5分前くらいになって、

「おしっこしたい」

と言いだした。

「あと5分で終わるから。…我慢できる?」

「うん」

さわやかに感動するラストシーンなのだが、娘のおしっこのことが気になってラスト5分は映画に集中できなかった。

本編が終わり、エンドクレジットが始まるやいなや、

「おしっこがまんできない」

と言い出したので、急いで映画館を出たのであった。

なかなかおもしろい映画だったと思い、あとからいろいろと調べてみると、この映画は、まずは実写撮影をして声をあてる俳優たちに演技をしてもらい、その映像をトレースしてアニメーションにするという「ロトスコープ」という手法を採用したそうだ。監督がふたりいるのも、実写撮影が山下敦弘さん、アニメーション担当が久野遥子さんという役割分担があったというわけだ。めちゃめちゃ手のかかる作業を経ているではないか。

得をした気分で映画館を出たが、

「いすがゆれなかったよ」

と娘が言った。そういえばMX4Dをうたっているのにたしかに座席が揺れなかった。たんにMX4Dの座席だというだけだったのか。

 

 

 

 

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怪盗グルーのミニオン超変身

7月20日(土)

小1の娘をどこかに連れていかないと行けないが、外は暑いので考えつくところは映画館しかない。

再三「おいハンサム!!」を提案したのだが、娘は首を縦に振ってくれない。というかそもそも、「おいハンサム!!」は封切りから時間が経ってしまって、いまは朝早い時間か夜遅い時間でしか観ることができないようだった。

娘はどうしてもアニメ的な映画が観たいというもので、探してみると「怪盗グルーのミニオン超変身」という映画がやっていたので、それにすることにした。

「ミニオンズ」というキャラクターの存在は知っていたが、てっきりミニオンズが主人公のシリーズ映画だと思っていたら、違うんだね。「怪盗グルー」が主人公のシリーズの中で登場するキャラクターなのだと初めて知った。

えええぇぇぇっ!そこから~????

「シリーズ最新作」とあるのだが、なにしろ初めて観るので、以前にどんなエピソードがあったのかも全然知らない。笑福亭鶴瓶師匠が主人公の声を吹き替えているということくらいはテレビの情報番組で知っていたくらいである。後で調べたら、最初から怪盗グルーの声は鶴瓶師匠が吹き替えを担当していたんだね。僕はあのミニオンズというキャラクターにはあんまりハマらなかったので、今まで全然このシリーズを観たことがなかった。

映画館の上映スケジュールを見ると2Dバージョンと3Dバージョンがあるみたいで、どうせ観るなら3Dバージョンだろうと思ってその時間帯を予約した。しかも55歳以上はシニア料金なんだとさ。ぎりぎりシニアなのが悔しい。

映画館に着いて入場券を見せるとサングラスをもらった。3Dの映画を観るのは、じつは初めてかもしれない。

座席はわりと空いていた。「名探偵コナン」の時とはエラい違いだ。もっとも、「名探偵コナン」は封切りとほぼ同時に観に行ったのに対して、この「ミニオンズ」は封切りから時間が経っているので当然なのだろう。

鶴瓶師匠が声をあてるというので、ひょっとしたら違和感があるのかもと思ったが、なにしろ初めて観たので、違和感もなにも、こういうものなのだと理解した。

何も知らない僕が観ても、なかなかおもしろかった。というかアメリカ映画の定石のような展開で安心して観ることができたといった方が正しい。とくに3D映画初体験の娘は、飛び出す画面が気に入ったようだ。

上映時間は95分で、長さもちょうどよい。なるほどさすがによく考えて作られているなと感心した。

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名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)

4月14日(日)

4月12日(金)から、名探偵コナン劇場版最新作『100万ドルの五稜星(みちしるべ)』という映画が公開された。小1の娘はコナンが大好きで、当然レギュラー放送も欠かさず見ている。劇場版も、前作の『黒鉄の魚影(サブマリン)』から映画館で観ている。

今回も当然見に連れていかなければならない。日曜日に時間があったので、近所の映画館を検索すると、どの映画館も満席に近い状況である。

(こりゃあたいへんだ)

急いで劇場と上映時間を決めて予約した。

なにも封切りの2日後に見に行かずとも、少し間をおいたほうが余裕を持ってみられるんじゃねえの?と思うかもしれないが、思い立ったが吉日、という言葉もある。いつ見に行けるかの保証もないので、混んでいることを覚悟で映画館に行くことにした。

そしたらあーた、予想したとおり、というか予想以上の混雑ぶりである。あんなに映画館が激混みしているのを見るのは初めてである。

ポップコーン売り場は長蛇の列。わりとギリギリに到着したので、買う暇がない。せめて飲み物だけでも思ったが、並ばなければ買えないことには変わらず、これならばあらかじめ飲み物を買っておくべきだったと後悔した。

そのシネコンでは、コナンが複数のスクリーンで上映されていて、ほぼ30分おきに見ることができるようにプログラムを組んでいる。それにもかかわらず、というか、そのようにしたことでなおさら人が集まって来ちゃった、とこういうわけだ。

僕と娘が観た回も、満席だった。

さて内容だが、とても面白いということだけはわかった。娘も「とても面白かった」と言っていた。しかし、ストーリーが複雑で、展開もめまぐるしく、圧倒的な情報量の前に、1回で内容を完全に理解することができなかった。

テーマや設定が僕のものすごく好きなものだったが、その知識をもってしても、理解が追いつかない。

というのも、僕がコナンを見始めたのがここ1,2年なので、まずキャラクターが覚えられない。キャラクターに対する反射神経が鍛えられていないのである。

えっと…この人は、…あ、そうか、毛利小五郎さんの娘さんか!などと考えているうちに、画面はすでに次の展開に移っている。

もちろん、伏線とそれに対する回収もよくわかってカタルシスを十分に感じることができた。

あの高度な内容を小学生が面白がって観ていることは、未来にちょっと希望が持てる気がする。

映画を見終わったあとは、近くの公園に行った。その公園には大きなタコを形どった滑り台があるので、「タコ公園」と呼んでいる。

娘がタコの滑り台で遊んでいると、娘よりちょっと学年が上だと思われる女の子が、娘のことが気になったらしく、娘が滑り台を逆からよじ登る姿を見ながら、「頑張れ」と言った。その女の子も、滑り台を逆からのぼる遊びをしていたのである。

そのうちに、二人は心を通わすことになった。言葉はほとんど交わしていないのに、二人の間に友情が芽生えたのである。

ひとしきり遊びが終わると、その女の子が娘に言った。

「あのさあ、友だちになってくれない?」

「いいよ」

「わたしはねえ、○○小学校。あなたは?」

「となりの市の○○小学校」

友だちになるといっても、実際には距離が離れていて会うことなどできない。

「来週もこの公園に来るから、3時頃に。来てくれる?」

「いいよ」

なんと!娘は来週再会することを約束してしまった。おいおい、自宅からこの公園に来るのはけっこう遠いんだぜ!

お別れしてから、娘は僕に、

「来週もこの公園にぜったい来るからね」

と言ってきたが、困った。妻は出張で不在だし、僕は夕方にオンライン会議がある。どないする?

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泣きの演技

ドラマ「おっさんずラブ」(全9回)もいよいよ終盤である。

第8回の最後は感動的な場面だった。主人公の3人がそれぞれ泣く場面である。

3人いずれも、もらい泣きするレベルの迫真の演技で、感動したのだが、ちょっと気になることがあった。

田中圭さんと林遣都さんは、いずれも目から涙をこぼし、鼻水まで垂らして泣いている。

一方で、吉田剛太郎さんも声を上げて号泣する。感情が爆発する迫真の演技なのだが、涙が出ていない。といって、不自然な泣き方というわけではなく、観ている者の感情を揺さぶる泣き方なのである。

些細といえば些細な違いなのだが、この泣きの演技の違いはどういうことなのだろう?

思い浮かんだのは、演劇的な泣き方か、映像的な泣き方家の違いではないか、という仮説である。

吉田剛太郎さんは演劇の舞台出身の俳優で、ほかの2人はおもにテレビや映画などで活躍している。

吉田剛太郎さんは「舞台映え」する泣き方をし、一方ほかの二人は「映像映え」する泣き方をしたのではないだろうか。

「おっさんずラブ」じたい、舞台演劇のようなテイストのドラマなので、どちらの泣き方もまったく違和感がない。

ほんとうに些細なことで、だからどうなの?と言われれば返す言葉もない。

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おっさんずラブ

「おっさんずラブ リターンズ」を観たけれども、こんなに面白いドラマとは思わなかった。

いちおう「おっさん同士の恋愛ドラマ」というふれこみになっている。まあそういうことなのかもしれないが、恋愛とまではいかなくとも、かなり薄めた形ではあるがおっさん同士であのような場面に出くわすことがしばしばあるのではないかと思う。だから観ていて違和感を覚えないのだ。

Facebookで、ある「おっさん」と友だちになっている(ここでは「おっさん」という名称で統一する)。そのおっさんとは、数年前にある地方都市で仕事をした時に、アテンドしていただいた方である。車で少しばかり町を案内していただいたり、駅までの送り迎えなどをしていただき、その道中でさまざまなお話をしたのだった。その一度しか、お会いしていない。

その「おっさん」のFacebookで、その地方都市でイベントがおこなわれるという案内があり、僕の仕事とも関係するイベントだったので、何の気なしに「○○日にうかがいます」とコメントした。ちなみにその「おっさん」はそのイベントに直接関係していないのだが、さっそくダイレクトメールが来て、「○○日の自分の予定を確認しました。午前中は用事があり、午後も別の対応があり、十分なお相手ができませんが、いらっしゃる時間など当日のご予定を教えて下さい。一目お会いしたく存じます」とあった。何の気なしに書いたコメントだったが、わざわざ時間を作って会いたいと言ってくださるのはじつに恐縮する。あんまりご迷惑もかけられないと思い、「とくにこの日はほかに約束や予定はありませんので、お時間は如何様にも対応できます」と返信すると、「それでは会場に○時×分に待ち合わせてお食事ご一緒しましょう。粗餐ですがご用意します」と返信をいただき、なんと、お昼ご飯までごちそうしてくださるというではないか。僕はすっかり恐縮してしまったが、「承知いたしました。どうもありがとうございます。では○時×分に会場にいるようにします。よろしくお願い申し上げます」と返信すると、「ありがとうございます(ニッコリの顔文字)。楽しみです」と書いてくださった。

もちろん僕とそのおっさんとの間には恋愛感情などないし、もとより一度しかお目にかかったことがない。それでも、わざわざ時間を作って食事までごちそうしていただくことになり、双方がその再会を楽しみにしているというのは、かなり薄めた形での「おっさんずラブ」なのである。

このおっさんに限らず、ほかの場所にも、再会するとなるとうきうきしてしまうようなおっさんが何人もいるのではないかという気がしてきた。「おっさんずラブ」はデフォルメされたドラマだが、なんとなく思いあたるフシがあるように感じるのは、そういうことなのかもしれない。

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