映画・テレビ

キネマの○○

そろそろ、大林宣彦監督の映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の話をしようか。

大林監督は「キネマ」という言葉にこだわった。もう一人、「キネマ」という言葉にこだわった映画監督がいる。山田洋次監督である。

山田洋次監督には『キネマの天地』という映画があるし、次回作は『キネマの神様』というタイトルの映画だそうである。

山田監督と大林監督は、撮影所出身の監督とインディペンデントの監督ということで、その作風や映画作りの手法は相容れないものだったと思われる。だが晩年、この二人は同世代ということもあり、意気投合するようになったようである。

二人に共通するのは、古きよき「キネマ」の時代、もっといえば無声映画の時代への憧憬である。山田監督も大林監督も、老境に至り「キネマ」をタイトルに使った映画にこだわったことは、単なる偶然ではないのだろう。

さて、本題に入る。

『海辺の映画館』は、晩年の大林監督がこだわった、反戦に対する強いメッセージの映画だ、と評価されることが多い。たしかにそれはそうなのだが、僕はもう少し別の見方をしている。

よく大林監督は、「自分の映画は、自分の人生の中ですべてつながっている」という意味のお話をしていた。

あまりふれられていないことだと思うが、これまでの大林映画の一連の流れの中でこの映画を観たとき、この映画の直接のルーツとなっているのは、『マヌケ先生』(2000年)と『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』(1999年)である。どちらも、大林映画の中でもきわめてマイナーな映画である。

『マヌケ先生』は、大林監督の自伝的映画で、長く大林監督の助監督をつとめた内藤忠司が監督をし、大林監督は「総監督」という立場で関わっている。だがその映像を見ればわかるように、大林映画の作風が全開の映画である。

この『マヌケ先生』は、『海辺の映画館』の中でも一部引用されているので、両者が同じ系譜上に位置する映画であることは容易に想像できるのだが、それよりもさらに『海辺の映画館』に作風が近いものが、『淀川長治物語』である。

なにしろ、映画館の内部のセットが、二つともほぼ同じである。スクリーンの脇に活弁士がいて、スクリーンと客席の間にオーケストラが陣取る。これは、大林監督の少年時代に無声映画を上映していた映画館の構造そのものであり、これこそが、大林監督にとっての正統な映画館なのである。

さて、その映画館でどのようなことが起こるかというと、淀川少年は、客席とスクリーンの中を、行ったり来たりするのである。これは、『海辺の映画館』と、まったく同じモチーフである。とくに『淀川長治物語』のラストは、淀川少年が映画館の客席から舞台に上がり、スクリーンに映し出された蒸気機関車に乗り込むという場面で終わる。

『海辺の映画館』の場合、観客だった3人の若者が上映されている映画のスクリーンに入り込んで歴史上のいろいろな出来事に巻き込まれる、という荒唐無稽な設定に面食らった人もけっこういただろうと思うのだが、何のことはない、大林監督はすでに『淀川長治物語』の中でその手法を実践していたのである。

そう思って、そのほかの作品を観てみると、「瀬戸内キネマ」が登場する大林映画は、すべて同様の映像手法がとられている。

「瀬戸内キネマ」は、『海辺の映画館』だけでなく、大林映画の中でしばしば登場する架空の映画館(もしくは撮影所)である。過去には、『麗猫伝説』(1983年)、『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしき人々の群 夕子かなしむ』(1988年)、そして『マヌケ先生』などに登場する。

『おかしなふたり』に登場する映画館「瀬戸内キネマ」では、『上海帰りのリル』(1952年)という実在の古い映画が上映されるのだが、この映画の主役をつとめた水島道太郎(映画の中では「水城龍太郎」という役名)本人が、スクリーンの中ですっかり老けた現在の姿で登場するのである。大林監督は、過去の『上海帰りのリル』の映像の中に、現在の水島道太郎の姿を映し出したのである。そしてその映画を観ていた原泉演ずるヤクザの組長が、「映画も歳をとるのねえ」とつぶやく。

…ちょっと何言ってるかわからない、かな?説明が下手で申し訳ない。

また、「瀬戸内キネマ」という撮影所を舞台にした『麗猫伝説』では、大映の「化け猫映画」という、やはり古い日本映画がモチーフにされていて、ここでも、過去の映画と現在がスクリーンの中で交錯する。

つまり「瀬戸内キネマ」は、スクリーンの中の映画と現実世界を行ったり来たりできる映画館として、大林監督の中で、ずっと描かれ続けてきたのだ。

別の言い方をすれば、スクリーンこそが、「虚」と「実」の皮膜の役割をはたしていたのである。これはたぶん、少年時代の映画に対する原体験、というか、原感覚にもとづくものであろう。

一見奇抜に思われる『海辺の映画館』の映像手法は、実はすでに大林映画でくり返し行われてきたものであり、さらにそれは、映画に対する大林監督の原体験(原感覚)にもとづいているのである。

スクリーンの向こう側(虚像)とこちら側(実像)には隔たりがない、という感覚は、「死者と生者の間に隔たりがない」という、大林映画を貫くもう一つの映画的手法(ひいては死生観)にも通じていて、じつに興味深い。

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茗荷村見聞記

おぼろげな記憶なのだが。

小学生の頃、『茗荷村見聞記』という映画を、劇場に観に行ったことがある。

調べてみると、1979年に公開されたそうだから、僕が小学校5年生の時である。

僕がその映画を見たいと思い、父にお願いして、父と一緒に見に行ったという、かすかな記憶がある。父は映画にあまり興味のない人だったから、父が僕を誘って観に行ったとは考えにくい。

で、その映画を見たあとに、原作である田村一二の小説『茗荷村見聞記』を買った。いまでもその本は実家の僕の部屋に残っていた。これは僕が自発的に買った本である。映画もやはり僕が自発的に観に行きたいと思ったのだろう。

いま思えば、とても地味な映画である。当時、全国でどの程度の規模で公開されていた映画なのかもよくわからない。どういう経緯で、僕がその映画の存在を知ったのかも、記憶にないのである。そもそも、小学5年生が自ら好んで観る映画とは考えがたい。

しかしこの映画は、僕に鮮烈な印象を残した。そこに登場する人々の個性に惹かれたのである。

僕はこの映画で、殿山泰司、大泉滉、ケーシー高峰といった、個性的な役者に心を奪われた。そして主演の長門裕之の人間味あふれる演技も、強く印象に残った。長門裕之が、馬車に乗って移動しているシーンは、この映画のことを思い出すたびに頭に浮かんでくる光景である。

映画を観るときに、個性派と呼ばれる俳優や、アクの強い俳優に注目するようになった原点が、この映画だと思う。

あれから40年が経つが、原作者の田村一二が思い描いた「茗荷村」という理想郷は、この国のどこにも存在しない。

(今日は父の墓参りに行ったので、父と映画を観に行った思い出を書いたのだが、はたしてこの記憶が正しいのかどうかは、自信がない。)

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ご油断なく

「ご油断なく」という言葉が好きである。

この言葉を知るきっかけとなったのが、大林宣彦監督の映画「異人たちとの夏」(1988年)で、本多猪四郎監督が扮する浅草のやつめうなぎ屋の主人が、

「長生きをしなさい。ご油断なく」

と主人公たちに声をかける場面が、短いがとても印象的だったからである。

大林監督の映画にはこのほかにも、「理由」(2004年)のなかで、柄本明扮する簡易宿泊所の主人が宿泊客の外出の際に「ご油断なく」と声をかける場面があったり、「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年)の中で、筧利夫扮する主人公が、映画の一番最後のナレーションで「ご油断なく」と観客に語りかける場面などがある。もっと探せば、ほかの作品にもこの言葉が使われているかもしれない。どうやら大林監督はこの「ご油断なく」という言葉がよっぽど好きだったようである。

しかし、ほかのところでこの「ご油断なく」という言葉を聞いたことがない。一般的な言葉なのだろうか?少なくとも僕の人生の中で、日常生活でこの言葉に出くわしたことはない。

で、調べてみると、これが岩手の方言であることがわかった。「お気をつけてお帰りください」という意味らしい。

しかし不思議なのは、大林監督は広島県の尾道出身だし、パートナーの恭子プロデューサーは秋田県の大館出身なので、岩手県とは何のゆかりもない。

では、「異人たちとの夏」の脚本を書いた市川森一が書いた台詞だろうか?と思って調べてみると、市川森一は長崎県の出身である。ちなみに原作者の山田太一は東京の浅草出身である。さらに、「異人たちとの夏」で「ご油断なく」の台詞を言った本多猪四郎監督のアドリブの台詞かとも考えたが、本多猪四郎監督は山形県の庄内地方出身であり、やはり岩手県とは関係がない。まあ台詞の感じからして、大林監督が撮影台本として書き足した台詞の可能性が高い。

大林監督は、東京の浅草が舞台の「異人たちとの夏」、荒川区が舞台の「理由」、大分県が舞台の「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」、つまり地域にかかわらず「ご油断なく」を登場させている。しかも「気をつけてお帰りください」という意味ではなく、どうやら「気をつけて行ってらっしゃい」という意味で使っている。

いったいこれはどういうことなのか?皆目わからなくなってしまった。

「ご油断なく」という言葉の響きがよいので、僕も日常で使ってみたいと思っているのだが、いきなり「ご油断なく」と言うと、言われたほうが「はあ?」となってしまう可能性があるので、使うのをためらっている。

大林監督も、どこかでこの言葉を知り、その言葉の響きに惹かれて、映画の台詞として使ったのだろうか。

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真夜中のリハーサル

8月27日(木)、23時30分

9月5日(土)に「前の勤務地」の映画館で上映されるドキュメンタリー映画の「オンライン舞台挨拶」に監督と一緒に出ることになったのだが、今日はその動作確認を行った。

どうして23時30分という遅い時間に動作確認を行うことになったかというと、その映画館で映画の上映が終わるのが23時過ぎで、実際の上映館を使って「オンライン舞台挨拶」のリハーサルをするためには、映画の上映が終わってからでないとダメだからである。

僕は自宅にいるから問題はないが、実行委員の方々は、その時間に映画館にいるというのだから、遅くまで大変である。

僕は2歳5か月になった娘を必死で寝かしつけて、教えられたアカウントで23時30分にZoom会議システムに入室した。

するとそこには、会場となる上映館が映し出されていた。

懐かしい。「前の勤務地」にいた頃、よくマイナーな映画やドキュメンタリー映画を観に通ったものだ。

僕は実行委員のみなさんに挨拶をした。当日の主役のO監督もすでに入室していた。

さて、「オンライン舞台挨拶」というのは、どのようにやるのか?

上映会場とO監督と私の三者をZoom会議システムでつなぐ。それを、映画のスクリーンに映し出すのである。

つまり、僕の顔が、映画のスクリーンにドーンと映し出されるわけだ。

ついに銀幕デビューですよ!!!

言うは易しで、実際にこのやり方がそう簡単にできるわけではない。実行委員の方々は、どのようにしたらスムーズに進行できるかを、いろいろと試行錯誤していた。実行委員の方々の並々ならぬ熱意を見るようであった。

映画館の中なので、たぶんWi-Fi環境もそれほどよいとはいえないのかもしれない。会場からの画面はしばしばフリーズしていた。

若干の不安は残ったが、ひとまず動作確認は終了した。

「これから本番までの打ち合わせは、グループLINEで行います。鬼瓦先生、LINEのアカウントはお持ちですか?」

と実行委員のKさん。

「ええ、まあ。ただどうすれば私のアカウントがみなさんに伝わるんでしょうか」

僕はほとんどLINEの使い方を知らない。

「では、私から先生のメールアドレスにQRコードを送りますので、それを読み取っていただければ大丈夫です」

「はぁ」

ナンダカヨクワカラナイが、ひとまず言われたとおりにしてみると、知らないうちにグループLINEに参加していた。

そこから、怒濤のLINEの応酬である。みんな使い慣れているから、打つの早いなあ。僕が返信しようともたもたしていると次々にメッセージが入ってくるので、僕のメッセージが変なタイミングで入ることになる。

「当日はリアルタイムでグループLINEに連絡を入れていきますので、グループLINEから目を離さないでください」

「はぁ」

もう一つ困ったことがあった。それは、僕のスマホが壊れかけていることである。

かなりの頻度で電源が入らないことが多く、電源が入るまでに数分かかることがある。それに、4Gの回線の速度が異様に遅い。イメージとしてはダイヤル回線でインターネットにつないでるようなものである。つまりスマホは瀕死の状況なのだ。

当日、スマホの電源がスムーズに入ることを祈るばかりである。

さらにもう一つ困ったことがあった。

「あのう、ぜひご自身のSNSとかで宣伝してください。一人でも多くの方に来てもらいたいので」

「はぁ」

しかし僕にビックリするほど集客力がないことは、すでにいろいろなイベントで証明済みである。こっちが勇んで宣伝をしても、最終的に恥をかくだけなのだ。

どうせ個別に宣伝をしても、

「行きたいです!でもその日はちょと…」

と、落語の「寝床」のような展開になるのがオチである。

かといって、このブログで、

「ある映画館で上映されるある映画の、9月5日(土)の初回上映の後に、オンライン舞台挨拶をしますので、ぜひ来てください」

と宣伝しても、固有名詞がひとっつもないからナンダカヨクワカラナイ。

まったく、どうしたらいいものか。

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上映会

8月21日(金)、22日(土)と、「前の勤務地」で、僕が少しだけかかわったドキュメンタリー映画の上映会が行われた。

僕にとって、このドキュメンタリー映画が「前の勤務地」で上映されることは悲願だったのだが、多くの有志の方々のお力で、この約束がはたされたことは、じつに感慨深い。

きっかけは、昨年(2019年)4月末にさかのぼる

「前の勤務地」で大林宣彦監督の講演会があるという。しかも企画者のひとりが、昔の仕事仲間の旧姓Mさんである。

手帳を見ると、この日だけ、仕事がなく、ぽっかりと空いている。

これは日帰りで講演会を聴きに行けという神のお告げか?と思い、新幹線で片道3時間かけて講演会を聴きに行くことにした。

その1年前(2018年5月)、大林監督にインタビューをする機会に恵まれたのだが、その機会を作ってくれた、若きO監督も、その日はたまたま空いていて、その講演会に参加することになった。そこで僕たちは大林監督と再会することになるのだが、とくにO監督はほかにもさまざまな人と出会い、地元の有志の方々と「いずれかならずこの地で上映しましょう」と約束を交わした。

そしてその約束が現実になったのである。

このコロナ禍で、映画を上映することはかなり困難をともなうことだったと思うが、時間をかけて周到に準備し、実現にこぎつけた実行委員の方々の熱意には、敬意を表さずにいられない。

上映会にあたって、メッセージを書いてください、という依頼が来たので、僕は700字ほどのメッセージを書いてお送りした。僕自身は、昨年大林監督の講演会を聴きに行き、懇親会に顔を出したというだけで、今回の上映会の実現には何の役にも立っていないのだが、以前この地に住んでいたというご縁で書かせていただいた。

上映会が終わった直後と思われる時間に、O監督からメールが来た。O監督はオンラインで舞台挨拶をしたそうで、上映会が順調に進んだということと、実行委員の方々の強い思いに感激したと書かれていた。

そのメールには、上映会のときに配られた、手作りのパンフレットのPDFが添付されていた。

そこには、O監督の書いたメッセージはもちろん、僕の書いたメッセージも掲載していただいたのだが、それよりも驚いたのは、実行委員の方々のメッセージの、想いの強さだった。自分の書いた拙いメッセージが恥ずかしくなるほどに、映画を上映することへの想いにあふれた文章だった。

O監督のメールからほどなくして、僕が「前の勤務地」時代に大変お世話になったIさんからもメールが来た。僕が勝手に「人生の師」と仰いでいる方で、大林監督よりも3歳ほど年上の、人生の大先輩である。

ここ最近、Iさんとメールをやりとりする機会があったのだが、この上映会のことはお知らせしそびれていた。ところがIさんから、さきほど上映会に参加してきましたとのメールをいただき、まさかIさんが上映会に参加されていたとは思わず、見ていただきたい人に見ていただいたなあと、これもまた感激したのであった。

旧姓MさんやIさんなど、映画を通じて旧知の親しい人とまたつながることができるというのは、なんとも嬉しいものである。映画には人と人とを結びつける力がある。それは、大林監督の映画から学んだことでもある。

さてここからが宣伝。

9月4日(金)~10日(木)、この映画が「前の勤務地」の映画館で公開されることが決まりました。

9月5日(土)、午前10時の回の上映終了後、O監督による「オンライン舞台挨拶」が行われますが、そこに僕もオンラインで登壇する予定です!つまり「映画の舞台挨拶」をします!

そういえば「前の勤務地」に住んでいた頃、ある映画で「トヨエツ」が舞台挨拶に来ていたのを見に行ったなあ。してみると俺は「トヨエツ」みたいなもんか?

ま、今回はあまり照れくさがらずに、「前の勤務地」でお世話になった人たちにも宣伝しようかと思います。

9月5日(土)、劇場で再会しましょう。

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ファンのリアリティー

前回、是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」のことを書いて、ひとつ、些細なことなのだが、思い出したことがあった。

たまに実家に帰ると、一人暮らしの母はよく、昼間にBSで再放送している「2時間ドラマ」を観ていることが多い。

なかには、わざわざ録画して観ているものもあるようである。

実家に戻るたびに、熱心に2時間ドラマを観ているのだが、僕はつい先日、あることに気づいた。

母がもっぱら熱心に観ている2時間ドラマが、『駅弁刑事・神保徳之助』(TBSテレビ)というシリーズだ、ということである。主演は、小林稔侍である。

僕は恐る恐る母に聞いた。

「ひょっとして、…小林稔侍のファンなの?」

「そうだよ」

いやあ驚いた。母が小林稔侍のファンだったなんて、初めて知った。

「橋爪功もね」

なんと、橋爪功が主演の2時間ドラマも熱心に観ているらしい。

「じゃあ、平泉成は?」

と試みに聞いてみたが、「あの人はほら、どちらかというと2時間ドラマでは脇役だから」といって、そこは違うようである。

僕が不思議なのは、キムタクとか福山雅治とかじゃないんだ、ということだった。年相応というか、同世代の俳優の方が、心惹かれるようなのである。

ま、考えてみれば僕自身も、いまは若い女優よりも同世代の女優に心惹かれることが多いから、同じことなのか。

ということは、自分がもっとジジイになったときにも、年相応の女優のファンになったりするのだろうか。どうもそこまでの実感が、まだわかない。

なんでこんなことを思い出したのかというと、映画「海よりもまだ深く」のなかで、団地に一人住まいしている樹木希林が、同じ団地にやはり一人住まいしている、橋爪功扮する老紳士が主宰しているクラシック音楽愛好サークルみたいな会に足繁く通い、その老紳士のクラシック音楽解説をうっとり聞く、という場面があったからである。その愛好会には、樹木希林だけでなく、団地に住む同世代の老婦人たちが、その老紳士のクラシック音楽解説を聞くことを楽しみに集まっていて、母が2時間ドラマの小林稔侍や橋爪功にハマっているのを間近に見て、映画のその場面が、急にリアリティーのあるものとして感じられたのである。

ひょっとして是枝監督は、この映画でそういったディテールを描きたかったんじゃないだろうか。

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これは予言なのか

ちょっと前の話になるが、録りだめておいた是枝裕和監督の映画を何本かまとめて観た。

「そして父になる」(2013年)

「誰も知らない」(2004年)

「海よりもまだ深く」(2016年)

の3本。いずれも劇場では観ていない。

僕は、是枝監督の作品にそれほど思い入れがあるわけではない、のだが、こうしてみると、意外にけっこうな数の是枝作品を観ているなあ。

個人的には、「万引き家族」よりも「誰も知らない」の方が、強く印象に残る映画だと思ったのだが、どうだろう。

…いや、今回書きたいのは、そういうことではない。

ほとんど誰も注目していないことだと思うが、「海よりもまだ深く」で、樹木希林と小林聡美が、親子の役で共演していることが、僕にとっては大事件である。

この映画が、阿部寛を主演としていながら、ほとんど樹木希林の存在感が圧倒的な映画であることは、誰しも認めることであろう。さらに僕からしたら、よくぞ娘役に小林聡美をキャスティングしてくれた!と、拍手喝采せずにはいられない。

大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」で、尾美としのり扮するヒロキの母(藤田弓子)の友人役で、樹木希林が出演している。そしてその娘役が、いわゆる「尾道三部作」の第一作「転校生」での主人公を演じた小林聡美なのである。「転校生」でも樹木希林と小林聡美は共演しているが、ここでは「直接の」親子関係にはない。ただ、この二人のキャスティングは、明らかに、「転校生」ファンに向けてのサービスであった。藤田弓子と尾美としのりの親子、樹木希林と小林聡美の親子が、一堂に会する場面は、映画の中でもとりわけ祝祭的な場面である。

で、大昔、「さびしんぼう」に関する誰かの短い映画評を読んだことがある。誰の映画評なのか、どこに載っていたのか、まったく覚えていないのだが、ちょっと辛辣な評価だった印象がある。載っていた雑誌は『広告批評』だったかな?

なんて書いてあったかというと、富田靖子と藤田弓子、小林聡美と樹木希林は一卵性双生児のようなもので、女優としての富田靖子の未来は藤田弓子であり、女優としての小林聡美の未来は樹木希林である、みたいな評。なんだかよくわからないが、それを読んだ当時、なんとなく、富田靖子と小林聡美を揶揄しているような書きぶりだった。つまり、将来は、藤田弓子「程度」の女優、樹木希林「程度」の女優になるのだろう、といったニュアンスである。ま、細部は覚えていないので、僕の思い込みにすぎないかもしれない。

…こういう冷笑系の映画評は、やっぱり『広告批評』だったんじゃないだろうか。まあそれはともかく。

だが小林聡美に関していえば、将来は樹木希林「程度」の女優になる、というのは、いまとなっては最高の褒め言葉なのではないだろうか。樹木希林は、晩年、何者にも代えがたい存在として評価されていった。映画「さびしんぼう」から30年経って、樹木希林と小林聡美が再び親子役で共演することに、僕はある感慨を禁じ得ないのである。

このキャスティングは「さびしんぼう」を意識したものなのか?いや、それは考えすぎだろう。であればなおさら、この二人を親子とするというキャスティングに自然にいきついたことは、まさに慧眼というべきである。樹木希林の娘役は、小林聡美でなければならないのだ。そして、いずれ樹木希林のような存在になっていくはずである。

あの映画評を書いたのは誰だったのだろう?

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仮定の質問には答えられない

「仮定の質問には答えられない」。

これ、最近の大臣の答弁などでよく聞く言葉なんだけれど、よく考えたら、おかしな話である。

「気象予報士さん、明日の天気はどうでしょう?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは天気予報が成り立たない。

「将来の夢は何ですか?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは面接試験が成り立たない。

つまりすべての質問を無力化する、魔法の言葉なのである。

この答弁のルーツについて、あんまり言及されている記事を見たことがないんだけど、これって明らかに、映画「小説吉田学校」(1983年公開、森谷司郎監督)のなかで、吉田茂首相扮する森繁久弥が言っていた台詞だよね。

映画なのに「小説吉田学校」って何だよ!と思うかも知れなけれど、もともとは、政治評論家の戸川猪佐武が書いた政治実録小説である。それを映画化したもので、なかなかにおもしろい映画である。

国会の場で、勝野洋扮する中曽根康弘が、

「もし第三国が日本に攻撃してきた場合、警察予備隊は戦うのか」

という質問をしたら、吉田茂首相が、

「仮定の問題には答えられない」

と答えたシーンがある。僕はこのやりとりがとても印象に残っていた。

つまり、「仮定の質問には答えられない」という答弁を最初にした政治家は、吉田茂である。

だから、昨今の内閣が、

「仮定の質問には答えられない」

という答弁を連発したときに、

「ははあ~ん、さては映画『小説吉田学校』からパクったな」

と確信したのである。

考えてもご覧なさい。いまの副総理兼財務大臣は、吉田茂の孫ですよ!

で、心なしか、「仮定の質問には答えられない」という答弁を頻繁にする人というのは、この副総理兼財務大臣なのである。たぶんほかの大臣にくらべて、この答弁をする機会が多いのではないだろうか。「仮定の質問には答えられない」という言葉と、その大臣の名前を合わせて検索をかけると、そうした答弁の実例をいくつも見ることができる。

ところで、映画の最後は、吉田茂が大磯の海岸で幼い孫と戯れるシーンで終わる、と記憶しているのだが、つまりはいまの副総理兼財務大臣の幼い頃である。

いまの副総理兼財務大臣が、この映画を見ていないはずはない。なにしろ、おじいちゃんがかっこよく描かれているからね。おそらく『ゴルゴ13』よろしく、自らの政治の教材にしているに違いないのだ。

この映画を見た彼は、自分のおじいちゃんが「仮定の質問には答えられない」と憤然と答えている姿を見て、「かっこいい~」と思い、自分も同じ台詞を使いたくなってしまった気持ちは、彼の性格から言ったら、十分すぎるくらいにわかる。

ちなみに、この映画には、現首相のおじいちゃんとお父さんも、一瞬だが登場する。現首相もまた、この映画を見て、「仮定の質問には答えられない」という台詞に痺れ、使いたくなっちゃったのかな?こうしてこの台詞は、再生産されていくのだ。

こういうのを、「馬鹿のひとつ覚え」という。

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ハリウッド版ゴジラ

6月20日(土)

地上波放送で、2014年に公開されたハリウッド版「GODZILLA ゴジラ 」が放送されていたので観てみた。劇場では観ていないので、これが初観賞である。

ただし、ちゃんと観ていたわけではなく、途中でお風呂に入ったりしたので、かなり失礼な鑑賞の仕方である。

前にも書いたかもしれないが、僕は年齢的に、ゴジラシリーズをリアルタイムで観て熱狂した世代ではなく、ちょうど狭間の世代なので、実はあんまりゴジラに対する熱量がそれほど高くない。

放送を見終わった後、町山智浩さんが以前にTBSラジオ「たまむすび」で解説していた回と、ライムスター宇多丸さんが「タマフル」で解説していた回を聴きくらべてみたのだが、町山さんは大絶賛だったのに対し、宇多丸さんは是々非々という立場だった。

で、僕の感想は、宇多丸さんの方に近い。これはたぶん世代的な問題が関係していて、町山さんは少年時代にゴジラにどハマりしていた世代であるのに対し、僕とほぼ同い年の宇多丸さんは、本人も告白しているように、少年時代にはそこまでどハマりしていなかったことが関係しているのだろう。

1998年のハリウッド版ゴジラはまったく別物と考えるとして、2014年のハリウッド版ゴジラは、東宝映画のゴジラに対するリスペクトが感じられる映画になっている。また、渡辺謙が演じる芹沢博士の父が、広島の原爆で犠牲になったという台詞が劇中にある。とってつけたような設定だが、ハリウッド映画で広島の原爆に言及するのは、これがギリギリの線だったのだろうか。

怪獣のシーンはたしかに圧巻だったが、人間ドラマの場面が、個人的にはあまり受けつけなかった。ハリウッド映画、とくにパニック映画にありがちな、何でもかんでも「家族愛」とか「根性論」に落とし込んでゆくドラマ展開が、どうも苦手である。ああいう展開にする、というのは、ハリウッド映画の定石なんだろうか。

宇多丸さんは、平成ガメラシリーズとの類似性を指摘していた。僕は平成ガメラシリーズをまったく観たことがないのだが、金子修介さんが監督しているし、宇多丸さんが絶賛していたので、いつか観てみなければならないだろう。

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ああ、青春日記

6月14日(日)

お昼時にテレビをつけたら、BSフジで「渥美清のああ、青春日記」という1997年のドラマを再放送していた。渥美清の1周忌に合わせて作られたドラマである。最初の30分くらいを見逃してしまったが、最後まで見ることができた。

ちなみに僕は、リアルタイムではこのドラマを観ていない。当時、観る気が起きなかったのは、渥美清を誰が演じても、自分にとっては不満が残るだろうと思っていたからである。

しかし、このドラマの脚本が早坂暁さんであることをいまになって知り、これは観ておかなければと思ったのである。以前にも書いたが、僕は子どもの頃に観た早坂暁さん脚本のドラマが長く記憶に残っていて、没後に刊行されたエッセイ集を読んで感激しその感想がまわりまわって早坂さんの奥様に届き、奥様から長いお手紙をいただくという幸福な体験をした。それからというもの僕にとって早坂さんは、「ご縁のある人」として僕の心に刻まれたのである。

余談になるが、以前の勤め先で同姓同名の教え子がいて、在学中に「将来は脚本家になりたい」という夢を語ってくれたことがある。僕はびっくりして、「じゃあ君と同じ名前の有名な脚本家がいるんだけど知ってる?」と聞くと、「知りません」と彼は答えた。「素晴らしい脚本を書いているから、脚本家を目指すんだったら、何かの縁だ、まずは早坂さんのドラマを観なさい」と、そんな会話を交わした記憶がある。いま彼はどうしているのかと、早坂さん脚本のドラマを見返すたびに思い出す。

さて、このドラマで渥美清を演じたのはウッチャンナンチャンの南原清隆だった。おそらく1997年時点で考えうる最高のキャスティングだっただろう。そもそも、若いころの渥美清を演じられる役者を思い浮かべることができない。いま強いて考えれば、大泉洋とか阿部サダヲの名前が浮かぶのだが、渥美清のすごさは、声を張らなくてもセリフが聞きとれるという滑舌のよさにある。ナンちゃんの場合は、渥美清の滑舌を再現するために声を張り続けなければならないという点が少し気になったが、それでも好演や熱演と呼ぶにふさわしいものであった。

ドラマは、若い頃に渥美清と交流のあった早坂暁の視点で描かれる。二人は終生の親友どうしであったことはよく知られている。つまり渥美清の若い頃をドラマ化するとしたら、脚本は早坂暁さん以外考えられないのだ。

プロデューサーと演出は、小林俊一。映画版の前にフジテレビ版の連続ドラマ「男はつらいよ」が放送されたが、その演出をつとめたのが小林俊一である。映画版でも1本だけ監督をつとめている。

関敬六、谷幹一、秋野太作など、渥美清の若い頃にゆかりの深い人たちが出演している。音楽は山本直純である。つまりスタッフ、キャストともに、渥美清にゆかりの深い人々が結集してドラマが作られたのである。

ドラマのタイトルが「渥美清のああ、青春日記」というものだが、これがじつに早坂暁さんらしいタイトルである。

早坂さんのドラマには、「日記」とつくタイトルのものが多い気がする。一番有名なのは「夢千代日記」だが、代表作の「花へんろ」の副題は「風の昭和日記」である。毎日放送版「人間の証明」(これも名作)は、ある高校生の日記の体裁をとって、ドラマのナレーションが進んでいく。時代劇の傑作「関ヶ原」(全3話)の第2話の最後は、石坂浩二による、

「この日、イギリスの都ロンドンでは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』が上演されている」

というナレーションで締めくくられる。僕はこのナレーションが子どもの頃から耳について離れないほど印象的なものだったのだが(おそらく司馬遼太郎の原作にはないのではないか)、このナレーションもまた、日記的な語りである。つまり日記的な語りこそが、早坂暁さんの脚本の真骨頂なのである。

そして「ああ」という言葉。

渥美清がいろいろな人を演じたTBSの連続ドラマ「泣いてたまるか」も、「男はつらいよ」以前の渥美清の代表作だが、このドラマで、早坂暁さんは2回ほど脚本を書いている。「ああ誕生」「ああ無名戦士!」の2本である。もともと「泣いてたまるか」の各回のタイトルには「ああ◯◯」と題するものが多いのだが、つまりはこの、渥美清と早坂暁さんが若い頃に一緒に仕事をした思い出深いドラマ「泣いてたまるか」へのオマージュなのではないだろうかと、妄想したくなる。タイトルを見ただけでも、さまざまな思いが詰まった脚本だということがわかるのだ。

このドラマが、欲張らず、まだ世に出る前の若き渥美清をのみ描くことに特化したのも、早坂暁さんならではであろう。みんながよく知っている「寅さん」以後ではなく、その前の渥美清を知ってもらいたいという思いが込められていると思う。そしてそのホンは、早坂暁さんにしかやはり書けなかったであろう。

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