映画・テレビ

仮定の質問には答えられない

「仮定の質問には答えられない」。

これ、最近の大臣の答弁などでよく聞く言葉なんだけれど、よく考えたら、おかしな話である。

「気象予報士さん、明日の天気はどうでしょう?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは天気予報が成り立たない。

「将来の夢は何ですか?」

「仮定の質問には答えられません」

これでは面接試験が成り立たない。

つまりすべての質問を無力化する、魔法の言葉なのである。

この答弁のルーツについて、あんまり言及されている記事を見たことがないんだけど、これって明らかに、映画「小説吉田学校」(1983年公開、森谷司郎監督)のなかで、吉田茂首相扮する森繁久弥が言っていた台詞だよね。

映画なのに「小説吉田学校」って何だよ!と思うかも知れなけれど、もともとは、政治評論家の戸川猪佐武が書いた政治実録小説である。それを映画化したもので、なかなかにおもしろい映画である。

国会の場で、勝野洋扮する中曽根康弘が、

「もし第三国が日本に攻撃してきた場合、警察予備隊は戦うのか」

という質問をしたら、吉田茂首相が、

「仮定の問題には答えられない」

と答えたシーンがある。僕はこのやりとりがとても印象に残っていた。

つまり、「仮定の質問には答えられない」という答弁を最初にした政治家は、吉田茂である。

だから、昨今の内閣が、

「仮定の質問には答えられない」

という答弁を連発したときに、

「ははあ~ん、さては映画『小説吉田学校』からパクったな」

と確信したのである。

考えてもご覧なさい。いまの副総理兼財務大臣は、吉田茂の孫ですよ!

で、心なしか、「仮定の質問には答えられない」という答弁を頻繁にする人というのは、この副総理兼財務大臣なのである。たぶんほかの大臣にくらべて、この答弁をする機会が多いのではないだろうか。「仮定の質問には答えられない」という言葉と、その大臣の名前を合わせて検索をかけると、そうした答弁の実例をいくつも見ることができる。

ところで、映画の最後は、吉田茂が大磯の海岸で幼い孫と戯れるシーンで終わる、と記憶しているのだが、つまりはいまの副総理兼財務大臣の幼い頃である。

いまの副総理兼財務大臣が、この映画を見ていないはずはない。なにしろ、おじいちゃんがかっこよく描かれているからね。おそらく『ゴルゴ13』よろしく、自らの政治の教材にしているに違いないのだ。

この映画を見た彼は、自分のおじいちゃんが「仮定の質問には答えられない」と憤然と答えている姿を見て、「かっこいい~」と思い、自分も同じ台詞を使いたくなってしまった気持ちは、彼の性格から言ったら、十分すぎるくらいにわかる。

ちなみに、この映画には、現首相のおじいちゃんとお父さんも、一瞬だが登場する。現首相もまた、この映画を見て、「仮定の質問には答えられない」という台詞に痺れ、使いたくなっちゃったのかな?こうしてこの台詞は、再生産されていくのだ。

こういうのを、「馬鹿のひとつ覚え」という。

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ハリウッド版ゴジラ

6月20日(土)

地上波放送で、2014年に公開されたハリウッド版「GODZILLA ゴジラ 」が放送されていたので観てみた。劇場では観ていないので、これが初観賞である。

ただし、ちゃんと観ていたわけではなく、途中でお風呂に入ったりしたので、かなり失礼な鑑賞の仕方である。

前にも書いたかもしれないが、僕は年齢的に、ゴジラシリーズをリアルタイムで観て熱狂した世代ではなく、ちょうど狭間の世代なので、実はあんまりゴジラに対する熱量がそれほど高くない。

放送を見終わった後、町山智浩さんが以前にTBSラジオ「たまむすび」で解説していた回と、ライムスター宇多丸さんが「タマフル」で解説していた回を聴きくらべてみたのだが、町山さんは大絶賛だったのに対し、宇多丸さんは是々非々という立場だった。

で、僕の感想は、宇多丸さんの方に近い。これはたぶん世代的な問題が関係していて、町山さんは少年時代にゴジラにどハマりしていた世代であるのに対し、僕とほぼ同い年の宇多丸さんは、本人も告白しているように、少年時代にはそこまでどハマりしていなかったことが関係しているのだろう。

1998年のハリウッド版ゴジラはまったく別物と考えるとして、2014年のハリウッド版ゴジラは、東宝映画のゴジラに対するリスペクトが感じられる映画になっている。また、渡辺謙が演じる芹沢博士の父が、広島の原爆で犠牲になったという台詞が劇中にある。とってつけたような設定だが、ハリウッド映画で広島の原爆に言及するのは、これがギリギリの線だったのだろうか。

怪獣のシーンはたしかに圧巻だったが、人間ドラマの場面が、個人的にはあまり受けつけなかった。ハリウッド映画、とくにパニック映画にありがちな、何でもかんでも「家族愛」とか「根性論」に落とし込んでゆくドラマ展開が、どうも苦手である。ああいう展開にする、というのは、ハリウッド映画の定石なんだろうか。

宇多丸さんは、平成ガメラシリーズとの類似性を指摘していた。僕は平成ガメラシリーズをまったく観たことがないのだが、金子修介さんが監督しているし、宇多丸さんが絶賛していたので、いつか観てみなければならないだろう。

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ああ、青春日記

6月14日(日)

お昼時にテレビをつけたら、BSフジで「渥美清のああ、青春日記」という1997年のドラマを再放送していた。渥美清の1周忌に合わせて作られたドラマである。最初の30分くらいを見逃してしまったが、最後まで見ることができた。

ちなみに僕は、リアルタイムではこのドラマを観ていない。当時、観る気が起きなかったのは、渥美清を誰が演じても、自分にとっては不満が残るだろうと思っていたからである。

しかし、このドラマの脚本が早坂暁さんであることをいまになって知り、これは観ておかなければと思ったのである。以前にも書いたが、僕は子どもの頃に観た早坂暁さん脚本のドラマが長く記憶に残っていて、没後に刊行されたエッセイ集を読んで感激しその感想がまわりまわって早坂さんの奥様に届き、奥様から長いお手紙をいただくという幸福な体験をした。それからというもの僕にとって早坂さんは、「ご縁のある人」として僕の心に刻まれたのである。

余談になるが、以前の勤め先で同姓同名の教え子がいて、在学中に「将来は脚本家になりたい」という夢を語ってくれたことがある。僕はびっくりして、「じゃあ君と同じ名前の有名な脚本家がいるんだけど知ってる?」と聞くと、「知りません」と彼は答えた。「素晴らしい脚本を書いているから、脚本家を目指すんだったら、何かの縁だ、まずは早坂さんのドラマを観なさい」と、そんな会話を交わした記憶がある。いま彼はどうしているのかと、早坂さん脚本のドラマを見返すたびに思い出す。

さて、このドラマで渥美清を演じたのはウッチャンナンチャンの南原清隆だった。おそらく1997年時点で考えうる最高のキャスティングだっただろう。そもそも、若いころの渥美清を演じられる役者を思い浮かべることができない。いま強いて考えれば、大泉洋とか阿部サダヲの名前が浮かぶのだが、渥美清のすごさは、声を張らなくてもセリフが聞きとれるという滑舌のよさにある。ナンちゃんの場合は、渥美清の滑舌を再現するために声を張り続けなければならないという点が少し気になったが、それでも好演や熱演と呼ぶにふさわしいものであった。

ドラマは、若い頃に渥美清と交流のあった早坂暁の視点で描かれる。二人は終生の親友どうしであったことはよく知られている。つまり渥美清の若い頃をドラマ化するとしたら、脚本は早坂暁さん以外考えられないのだ。

プロデューサーと演出は、小林俊一。映画版の前にフジテレビ版の連続ドラマ「男はつらいよ」が放送されたが、その演出をつとめたのが小林俊一である。映画版でも1本だけ監督をつとめている。

関敬六、谷幹一、秋野太作など、渥美清の若い頃にゆかりの深い人たちが出演している。音楽は山本直純である。つまりスタッフ、キャストともに、渥美清にゆかりの深い人々が結集してドラマが作られたのである。

ドラマのタイトルが「渥美清のああ、青春日記」というものだが、これがじつに早坂暁さんらしいタイトルである。

早坂さんのドラマには、「日記」とつくタイトルのものが多い気がする。一番有名なのは「夢千代日記」だが、代表作の「花へんろ」の副題は「風の昭和日記」である。毎日放送版「人間の証明」(これも名作)は、ある高校生の日記の体裁をとって、ドラマのナレーションが進んでいく。時代劇の傑作「関ヶ原」(全3話)の第2話の最後は、石坂浩二による、

「この日、イギリスの都ロンドンでは、シェークスピアの『真夏の夜の夢』が上演されている」

というナレーションで締めくくられる。僕はこのナレーションが子どもの頃から耳について離れないほど印象的なものだったのだが(おそらく司馬遼太郎の原作にはないのではないか)、このナレーションもまた、日記的な語りである。つまり日記的な語りこそが、早坂暁さんの脚本の真骨頂なのである。

そして「ああ」という言葉。

渥美清がいろいろな人を演じたTBSの連続ドラマ「泣いてたまるか」も、「男はつらいよ」以前の渥美清の代表作だが、このドラマで、早坂暁さんは2回ほど脚本を書いている。「ああ誕生」「ああ無名戦士!」の2本である。もともと「泣いてたまるか」の各回のタイトルには「ああ◯◯」と題するものが多いのだが、つまりはこの、渥美清と早坂暁さんが若い頃に一緒に仕事をした思い出深いドラマ「泣いてたまるか」へのオマージュなのではないだろうかと、妄想したくなる。タイトルを見ただけでも、さまざまな思いが詰まった脚本だということがわかるのだ。

このドラマが、欲張らず、まだ世に出る前の若き渥美清をのみ描くことに特化したのも、早坂暁さんならではであろう。みんながよく知っている「寅さん」以後ではなく、その前の渥美清を知ってもらいたいという思いが込められていると思う。そしてそのホンは、早坂暁さんにしかやはり書けなかったであろう。

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素晴らしき日曜日

前回、「カメラに向かって役者が語りかける」という映画の話をしたが、黒澤明監督の初期の映画「素晴らしき日曜日」(1947年)の終盤のあたりで、役者がカメラに向かって語りかけるという場面があった。

主人公は貧しい恋人(沼沢薫、中北千枝子)。毎週日曜日にデートするのだが、お金がない。なけなしのお金で、週に1度しか会えない日曜日のデートをなんとか楽しもうとするのだが、その日は、ことごとく裏目に出る。

戯れに飛び入り参加した子どもたちの草野球で、男が打ったボールが饅頭屋に入り、弁償をする羽目になる。戦友が経営するキャバレーに行くと、乞食と間違われて冷たい仕打ちを受ける。日比谷音楽堂の「未完成交響楽」演奏会を聴きに行こうとチケット売り場に並ぶが、ダフ屋にチケットが買い占められ、高値で買わされようとしたことに抗議をすると、ボコボコにリンチされる。挙げ句の果てには、カフェでぼったくられて、ついにお金は底を尽いてしまう。

とんだ日曜日だ、と男は悲嘆に暮れる。それをなんとかなだめようとする女。

夜、2人は、再び音楽堂に向かう。演奏会はとっくに終わり、誰もいない音楽堂の舞台の上で、昼間に聴くはずだった「未完成交響楽」の気分に浸ろうと、男は指揮者のまねごとをはじめる。客席には恋人の女がひとり。

しかしやっぱりダメだ。テンションを上げようと思っても、自分のふがいなさに心がおれそうになる男。

そのとき、女は立ち上がって後ろを振り向き、誰もいない客席に向かって、…つまりカメラの向こう側にいる映画の観客に向かって、語りかけるのである。

「みなさん!お願いです!どうか拍手をしてやってください!みなさんの暖かいお心で、どうか励ましてやってください!お願いです!…世の中には、私たちみたいな貧乏な恋人がたくさんいます。そういう人たちのために…ひとかけらの夢も、一筋の希望も奪われがちなたくさんの可哀想な恋人たちのために、…世の中の冷たい風に、いつも凍えていなければならない、いじけがちな、ひがみがちな、貧しい恋人たちのために、どうか、みなさんの温かいお心で声援を送ってください!そして、私たちに美しい夢が描けるようにしてください!みなさんの温かい心だけがわれわれのいじけた心に翼を与えてくれるのです。夢を、希望を、力を与えてくれるのです。どうか拍手をしてやってください!お願いします、お願いします!」

このとき、実際に映画館で拍手が起きたのかどうかは、わからない。しかし女優がカメラに向かって観客に語りかけ、そして拍手を求めるという演出は、当時としてはかなり実験的な手法だったと思われる。

「素晴らしき日曜日」は、地味だが佳品である。脚本を書いたのは、植草圭之助。黒澤明とは小学校の同級生で、つまり幼いころから二人は親友だった。

植草圭之助は、「素晴らしき日曜日」」のほかにもう一つ、「酔いどれ天使」の脚本も書いている。この映画も名作である。黒澤明と仕事をしたのは、この2本だけである。この後、二人は決別する。

植草圭之助が書いた『わが青春の黒沢明』(文春文庫、1985年、原題『されど夜明けに』1978年)は、親友・黒沢明との友情と決別を叙情的な筆致で書いており、実に味わい深い本である。脚本家の目から見た黒沢明の実像を描いたものとしては、橋本忍『複眼の映像』(文春文庫)が白眉だが、植草のこの本も、それに並ぶ傑作だと思う。

植草圭之助が黒澤明と決別したあと、ちょうど入れ替わるように、今度は橋本忍が脚本家として黒澤明の作品に関わり、「生きる」「七人の侍」などの傑作を生み出す。その橋本忍も、やがて黒澤明と決別してしまう。

両者の本を読み比べてみると、もちろん筆致も個性も異なるが、脚本家のまなざしとはなるほどこういうものか、という脚本家特有の視点のようなものを感じ取ることができる。

植草圭之助と橋本忍という、黒澤明に深く関わった2人の脚本家の黒澤評伝は、いずれもそれ自体が映画の脚本であるかのような物語性を持っていて、実におもしろい。

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作風の起源

「人に歴史あり」ならぬ、「表現者に作風あり」

人はみな、それぞれの作風というものを持っている。その作風から、逃れることはできない。

読者を減らすために、再び大林映画についての話。

あんまり語られていないことかも知れないが、大林監督の映画「北京的西瓜」(1989年)は、大林映画の転機となった作品であると、僕は考えている。

千葉県船橋市にある八百屋のおじさん(ベンガル)と、中国人留学生との交流を描いた、実話をもとにした作品。ファンタジーとかジュブナイルとかを好んで作る大林監督のイメージからしたら、ちょっと異質の作品である。

東京乾電池など、当時の小劇団の役者さんをたくさん起用して、こぢんまりした作品に仕上げた。どちらかといえば、地味な作品である。

この映画の最後は、中国に帰ったかつての留学生たちが、立派になって、八百屋のおじさん夫婦を北京に招待し、日本でお世話になったお礼をする、という場面で終わる予定だった。

ところが、撮影中に、天安門事件が起こり、中国ロケが叶わなくなった。

映画は、八百屋のおじさん夫婦(ベンガル、もたいまさこ)が中国に飛び立った直後、画面が真っ白になる。37秒間、画面は真っ白のままになったのである。

そして画面が変わると、八百屋のおじさん扮するベンガルが、なんとカメラに向かって、観客に語りかける。中国ロケに行けなかったことを、ありのままに説明するのである。

当時大学生だった僕は、劇場でこの映画を観て戸惑ってしまった。それまで、手練れの小劇団の役者たちによるウェルメイドの映画だと思って観ていたら、途中からまったく裏切られるのである。

自分は虚構の世界にいるのか、現実の世界にいるのか、わからなくなってしまった。

しかも、役者が映画のカメラに向かって語りかけるというのは、ふつうではあり得ない。その「禁じ手」を使ったのである。

この「北京的西瓜」は、地味な映画ながら、けっこうファンが多い。

のちに宮部みゆきの『理由』が大林監督によって映画化されるが、その『理由』のなかでも、役者が入れ替わり立ち替わりカメラに向かって語りかけている。

「カメラに向かって役者が語りかける」という作風は、「北京的西瓜」によって生まれ、その後の大林映画にあたりまえのようにみられるようになった。

「北京的西瓜」の作風を最もダイレクトに受け継いでいるのが、2012年に公開された「この空の花 長岡花火物語」であると思う。「この空の花」は、大林監督晩年の傑作である。

まず、出てくる役者が共通している。柄本明、笹野高史、ベンガルなど、「北京的西瓜」に出演していた役者たちが、ここでも数多く登場している。

そして、例によって役者がカメラに向かって語りかけている場面がたびたびあらわれる。

さらに、この映画の構想途中に東日本大震災が起こり、映画のコンセプトの見直しが図られる。「北京的西瓜」が、天安門事件により映画のコンセプトを根本から考え直すことになったがごとくである。

こうしてみると、あの大傑作「この空の花」は、「北京的西瓜」とてもよく似ていて、「北京的西瓜」がなければ「この空の花」は生まれなかったとさえ言ってよい、というのが、僕の仮説である。

もう一つ、「青春デンデケデケデケ」が、その後の大林映画の「饒舌性」という作風を開花させたという仮説を立てているのだが、ここまで書いてきて疲れたので、またの機会に。

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大林映画総選挙

今ごろ気がついたんだが、ライムスター宇多丸さんの「アトロク」の4月23日放送分で、「“さよなら、大林監督。” 追悼特別企画<大林監督作品>総選挙!」というのをやっていたんだね。順位は以下の通り。

第1位 『時をかける少女』1983年7月16日・公開

第2位 『さびしんぼう』1985年4月13日・公開

第3位 『青春デンデケデケデケ』1992年10月31日・公開

第4位 『ふたり』1991年5月11日・公開

第5位 『転校生』1982年4月17日・公開

第6位 『この空の花 長岡花火物語 』2012年4月7日・公開

第7位 『HOUSE 』1977年7月30日・公開

第8位 『異人たちとの夏』1988年9月15日・公開

第9位 『はるか、ノスタルジイ』1993年2月20日・公開

第10位 『花筐』2017年12月16日・公開

なんというか、実に良心的な順位である。非常にバランスのとれたランキングである。

いわゆる「尾道三部作」がランクインしているのは当然として、注目されるのは、「青春デンデケデケデケ」「ふたり」「はるか、ノスタルジイ」の3作品がランクインしていることである。

1991年公開の映画「ふたり」(赤川次郎原作)は、「新・尾道三部作」の第1作として作られた。といっても、2作目の「あした」、3作目の「あの、夏の日。とんでろじいちゃん」は、あまり知られていない。

僕にとっては、「ふたり」「青春デンデケデケデケ」「はるか、ノスタルジイ」こそが、90年代初頭の三部作(あるいは50代三部作)なのである。この時期は、大林監督にとって「脂の乗った」時期なのである。

もう一つ、この3作品に共通しているのは、映画のポスターをあの野口久光さんに画いてもらったということである。別の言い方をすれば「野口久光三部作」といってもよい。映画公開の当初から、この3作品は特別な存在だったのだ。だからこの3作品がランクインしているのは、きわめて当然のことなのである。

さらに興味深いのは、「この空の花」と「花筐」の2作品がランクインしていること。これは、晩年のいわゆる「戦争三部作」のうちの2つである。

「この空の花」以降の作品もまた、作品の熱量が尋常ではなく、大林映画に注目が集まった時期である。

こうしてみてくると、

80年代前半期の「尾道三部作」

90年代初頭の「野口久光三部作」

2011年の東日本大震災以降の「戦争三部作」

この3つの時期が、大林監督が神がかった映画を作った時期ということになる。

それが、正直にこのランキングにあらわれているというのが、うれしい。

ちなみに、「HOUSE」は商業映画デビュー作品で、かつその後の作風を決定づけたものとして別格。

「異人たちとの夏」は、大林映画の中で最も一般に広く薦められる映画として、これもまた別格である。

僕自身のベストテンについては、機会があったらいずれ述べる。

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弁護人

GyaOでソン・ガンホ主演の「弁護人」(2013年)を観た。

1981年に軍事政権下の韓国で実際に起きた冤罪事件である釜林事件を題材にしていて、主人公は3代前の盧武鉉(ノムヒョン)大統領がモデルになっている。

弁護士だった盧武鉉はのちに金大中(キムデジュン)に続くリベラル派の大統領となり、引退後はお金の問題で逮捕されて、崖から飛び降りて自殺してしまった。

僕が韓国に住んでいた2009年のことで、ちょうど10年前のことなんだね。ニュースを見てびっくりしたのを覚えている。僕は当時、韓国の地方都市に住んでいたが、ちょうど永訣式の前日にソウルに行ったら、市民の人たちが追悼デモみたいのをやっていて、僕もついでに参加した

ソン・ガンホはおそらくこの映画に主演したことがきっかけで、保守派のパク・クネ大統領のときに、反体制派のブラックリストに載ったのである。

でもソン・ガンホは、「大統領の理髪師」という映画で、パク・クネのお父さんであるパク・チョンヒ大統領のお抱えの理髪師役をやっている。そこではパク・チョンヒ大統領に気に入られているのである。パク・クネ大統領は、お父さんの髪を散髪してくれたソン・ガンホに恩を仇で返したわけである。

そのパク・クネ大統領も捕まり、いまは盧武鉉大統領に見いだされた文在寅が大統領となり、ソン・ガンホはアカデミー賞をとったのだから、時代の移り変わりというのは、じつにおもしろいものである。

いま、この国では芸能人が政治に口出しするなという風潮が強いけれど、隣の国では、どんな名優も臆せず政治色の強い映画に出演する。民主主義を、闘って勝ち取ったのか、お上から与えられて粛々と従ったのかという、「お国柄」の違いによるところが大きい。

映画「1987 ある闘いの真実」は、「弁護人」の続編として観ると、また興味深い。

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種痘証明

BSで放送されていたむかしのイギリス映画「予期せぬ出来事」(1963年)を観た。

霧で飛行機が飛ばなくなった国際空港を舞台に、そこに居合わせた人々がさまざまな人生の転機を迎えるという物語。原題は「The V.I.P.s 」。

こうした群像劇を、「グランドホテル形式」と言うんだったと思う。

この映画の中で、出国する際に、パスポートとともに「種痘証明」を提出しなければいけないことになっている、という描写がある。不勉強で、この映画で初めて知った。

調べてみると、世界保健機構(WHO)は 1967年、 全世界天然痘根絶計画をスタートさせ、その後、1980年のWHO総会で正式に天然痘根絶宣言を行った。これにともない、 旅行者に種痘証明書の提示を要求する制度を廃止したのだという。

ということは、1980年より前は、旅行者に種痘証明書の提示を求める制度が、ふつうに存在していたということなんだな。世の中、知らないことばかりだ。

今後も、同様の証明が求められる時代が来るのだろうか。

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セーラー服と緋牡丹博徒

映画「緋牡丹博徒」(1968年)を観た。

僕はこうした任侠モノというのをほとんど観たことがない。だからほぼ初心者に等しい。

主演の藤純子がかわいらしい、のひと言に尽きる。

やくざの親分が死んで、その一人娘が、跡を継いで一家の親分となる。

これって、基本的なプロットは「セーラー服と機関銃」と同じではないか。

映画の中では藤純子を陰ながら見守る役として、高倉健が登場する。

つまり、

藤純子=薬師丸ひろ子

であり、

高倉健=渡瀬恒彦

というわけだ。

「セーラー服と機関銃」の方は、薬師丸ひろ子が序盤でいきなりやくざの組長になるが、「緋牡丹のお竜」は、最後の最後に、親の跡目を継ぐことになる。そういう違いはあるものの、基本的には、物語の展開は同じである。

実際のところ、「セーラー服と機関銃」が「緋牡丹博徒」の影響を受けているのかどうかは、よくわからない。

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作風・その2

作風

相変わらず、何も書くことがない。

ずっと以前に録画しておいた、野村芳太郎監督の映画「続・拝啓天皇陛下様」〈1964年)を観た。

「続」というからには、当然第1作がある。野村芳太郎監督による映画「拝啓天皇陛下様」は、1963年に公開され、それがあまりにヒットしたため、急遽続編を製作したといわれている。

しかし、1作目の「拝啓天皇陛下様」と、2作目の「続・拝啓天皇陛下様」は、実際にはまったくつながりのない、別の話である。手っ取り早くウィキペディアの説明を借りると、「『拝啓天皇陛下様』と同じく、棟田博の兵隊小説・拝啓天皇陛下様を原作としているが、前作にて主人公は死んでしまっており、「軍隊は天国だと思っている純朴な男」というコンセプト以外は、設定その他全て変わっている別物である」。 主演は両方とも渥美清だが、主人公の名前は、1作目は「山田正助」で、2作目は「山口善助」である。

1作目は、以前からよくみていたのだが、2作目を観たのは、今回が初めてである(このあと、「拝啓・総理大臣様」という「パート3」が作られるのだが、「パート3に当たりなし」というジンクスどおりの作品らしい。後日観る予定〉。

1作目も面白かったが、2作目も悪くない。脇を固める人たちの演技が、みんなすばらしい。とくに「続」の方は、華僑の王さんという役で小沢昭一が登場するが、これがまた絶品の演技である。

余談になるが、小沢昭一演じる華僑の王さんもまた、時代に翻弄される庶民として登場するが、彼のもともとの職業が理髪師という設定なのである。この設定もまた興味深いので、心覚えに書き留めておく。

話を戻すと。

2作を通したコンセプトとしては、「軍隊を天国だと思い、天皇陛下の赤子として天皇を純粋に思い続ける愚鈍な男」の戦中から戦後に駆けての悲哀を描いているのだが、両作品を見比べてみると、なんというか、読後感ならぬ「観後感」が、かなり異なる。

1作目は、「戦友であり良き理解者でもある棟本博との長年にわたる関係を軸に構成されている」(ウィキペディア)。棟本博を演ずるのは長門裕之であり、映画の視点も棟本博の視点を中心に語られる。物語の全体の印象は、「乾いた印象」というのか、カラッとしている感じである。

それに対して2作目は、前作よりも少し物語が重く、ちょっと切ない。前作の印象が、カラッとしているのに対して、2作目は「ウェットな感じ」がするのである。

それともう一つ、渥美清が演じる山口善助が、のちの寅さんを連想させるのである。これは、前作を観たときにはあまり感じなかったことである。実際、2作目の中では、山口善助は少年時代に勉強を教えてくれた先生(岩下志麻)に恋い焦がれてフラれ、戦後は戦争未亡人(久我美子)に恋い焦がれてフラれるのである。その展開は、まるで後の寅さんそのものである。

それもそのはずである。2作目の「続・拝啓天皇陛下様」の脚本には、野村芳太郎監督と並んで山田洋次監督も名を連ねているのである。

1作目と2作目のテイストが、なぜかくも違うのか?それは、脚本の山田洋次によるところが大きいのではないかと愚考する。2作目の、あの独特のウェット感(これは、後年の「砂の器」の脚本にも通ずる)は、山田洋次の作風そのものである。逆に言えば、1作目がわりとカラッとした展開になっていたのは、山田洋次が脚本に参加していなかったことが大きいのだろう。

作風ってのは、つきまとうんだねえ。

で、もう一つ気がついたのだが、若い頃の山口善助が、自分の唯一の理解者であった先生(岩下志麻)に憧れる場面。このときの岩下志麻が、まあ綺麗なんだ。

どこかで観た場面だなあと記憶をたどっていくと、山田洋次監督の映画「馬鹿が戦車でやって来る」にも、同じような場面があったことを思い出した。「続・拝啓天皇陛下様」と同じ1964年に公開された映画である。

ハナ肇演じる主人公サブは、少年兵上がりの無教養な乱暴者で、村中から嫌われている。唯一の理解者が、岩下志麻演じる村の長者の娘だった。このときの岩下志麻も、まあ本当に綺麗なんだ。当然、サブはその娘に憧れるわけだが、その恋が成就することはない。

考えてみれば、渥美清演じる「続・拝啓天皇陛下様」の主人公も、ハナ肇演じる「馬鹿が戦車でやって来る」の主人公も、その性格や境遇や世間からの目、といった点で共通していて、両者はかなり親和性が高いのである。これもやはり、山田洋次の作風のなせる業である。ただおそらく、山田洋次監督特有の「ウェットなストーリー展開」には、おそらく渥美清の演技の方が適合したのであろう。ハナ肇の演技は、どちらかといえばカラッとしているのである。そのあたりが、後年の「男はつらいよ」の流れにつながっていくのだと思うが、あくまでこれは僕の妄想仮説である。

妄想仮説ついでに書くと、世間的には「拝啓天皇陛下様」と「続・拝啓天皇陛下様」が一連のものとしてとらえられているが、僕からしたらむしろ、「続・拝啓天皇陛下様」と「馬鹿が戦車でやって来る」を一連のものとしてとらえたほうがいいのではないかとみている。

以前に書いたことがあるように、僕の中では「砂の器」→「八つ墓村」という系譜ではなく、「砂の器」→「八甲田山」という系譜なのだ、というのと、同じニュアンスで、「拝啓天皇陛下様」→「続・拝啓天皇陛下様」ではなく、「続・拝啓天皇陛下様」→「馬鹿が戦車でやって来る」という系譜なのである。

…相変わらずどうもわかりにくいね。

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