映画・テレビ

ばいきんまんは悪者なのか

「ねえねえ、ママに内緒で、ママのiPadで、アンパンマンの動画、観た~い。どうやって観るの?やって」

と、ママにiPadの操作をお願いする3歳9か月の娘。あんた、「内緒で」の意味、わかってんの?

というわけで、相変わらず娘は、アンパンマンのアニメの本編ではなく、アンパンマンの人形遊びをする謎の動画にハマっている。おもちゃの販促動画なのか?

アンパンマンのお人形遊びをする動画は、動画制作者が勝手にストーリーを作っているもので、アニメ本編とは世界観がまるで違う。「ウルトラファイト」のようなものである、ということは以前に書いた

動画を見続けていた娘は、

「ばいきんまんがかわいそう。ばいきんまんは悪くない。悪いのは周りの人」

とつぶやいた。

僕も、娘につきあって、何度かその動画を観たのだが、たしかにばいきんまんは、その動画の中では何も悪いことをしていないのに、周りのドキンちゃんとかアンパンマンとかから意地悪されたり、理不尽な仕打ちを受けたりする。冷静に考えると、これはいじめである。

実はアニメの本編をちゃんと見たことがないので、アニメの中でばいきんまんがどのように描かれているのかわからないのだが、少なくともその人形遊びの動画の中では、身に覚えのない仕打ちを受けたりしているのである。

なんとなく、ばいきんまんは悪者、という認識がすり込まれている僕からしたら、最初はありがちな勧善懲悪の動画なのかなと思ってみていたのだが、よくよく考えてみると、ばいきんまんには「悪」の要素がないのである。

予備知識なく観ている娘からしたら、そこに違和感を抱いたのだろう。

世の中に本当の悪人がいるのか、ということを、最近よく考える。

ちょうど、水道橋博士と町山智浩さんが対談している動画(「博士の異常な対談」)を観ていたら、大島新監督のドキュメンタリー映画「香川1区」を取り上げていた。ちなみに僕は、前作の「なぜ君は総理大臣になれないのか」と今作の「香川1区」の両方とも、まだ観ていない。

水道橋博士が「香川1区」を「スターウォーズ」になぞらえ、与党の平井デジタル大臣をダースベーダーにたとえたことに対し、町山さんが猛然と反論する。なぜ大島監督は、平井デジタル大臣のことを、もっと(相手の懐に入って)ちゃんと取材しなかったのか、今度の映画でやるべきことは、それだったのではないか、と。

町山さんの語りは次第に熱を帯びてゆく。「この世に本当の悪人など存在しない。あるのは、「間抜け」とか「バカ」とか「傲慢」とか「ズルさ」とか「うっかり」とか、そういう人なのだ。何代も続く地元の名家に生まれた平井デジタル担当大臣にも、苦しみや悲しみがあるはずだ。そうした人間のほころびの部分を撮ることこそが映画だ」、と。たとえば佐々木守脚本の「ウルトラマン」でも、怪獣の側の悲哀をちゃんと描いていたじゃないか、もちろん、近年公開されたアメリカ映画「ジョーカー」もしかりである、と。

ほんの何年か前まで僕は、自分が許せない人間のことを悪いやつだと思い込んでいた。そういう人は徹底的に糾弾すべきである、と。

もちろん、声を上げることは重要で、そうしないと世の中は変わっていかないのだが、悪い奴をとっちめることを目的にすることが、はたしてよりよい世の中になることを意味するのか、いまの僕にはわからない。

ただ、その人がやっていることが「間抜け」で「バカ」で「傲慢」で「ズル」くて「うっかり」なものであることは、可視化しなければならないと思う。それが、どうすれば世の中がよくなるかを考えるための「のりしろ」である。その意味で僕は、町山さんの言葉に溜飲が下がったのである。

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朝ドラ撤退宣言、撤回!

以前、「朝ドラ撤退宣言」をしたが、撤回することにする。

「戦後編」になって、出演陣がガラッと変わり、深津絵里、オダギリジョー、村田雄浩、濱田マリなどが登場することでほんわかした雰囲気になり、安心して観ていられるようになった。やはり「戦後」になって、時代が明るくなったことも関係するのだろう。

何より、1960年代のジャズ音楽が、物語の大きな軸になっていることである。

このドラマの「戦時下編」ではしばしば、渡辺貞夫さんが演奏するサックスの音色がBGMで使われていたが、「戦後編」では、実際に渡辺貞夫さんが、ドラマに登場する。といっても、本人が登場するのではなく、ナベサダさんのレコードがレコード店のシーンで登場したり、当時のジャズメンがセリフの中でナベサダさんに言及しているという形で、である。

主人公の「るい」(深津絵里)が、あるレコード店に入るシーンでは、その店の一推しのジャズレコードとして、渡辺貞夫さんのアルバムが店頭に飾られている。そのレコードの脇には、書店でいうところのPOPが貼ってあり、店長の推薦コメントが書かれている。1960年代当時、新譜に対して書店のPOPのような手書きの宣伝文が存在したのかどうか、実際のところはよくわからない。

また同じレコード店には、「新譜紹介 野口洋三」という貼り紙があるが、これは当時のジャズ評論家の「野口久光」と「岩波洋三」を合わせた名前ではないだろうか。なんとも細かい芸である。

また、ジャズのライブハウスに出入りしているトミー(早乙女太一)というトランペット奏者の、

「俺よりも先に渡辺貞夫が渡米するなんて…。秋吉敏子に続いて渡米するジャズミュージシャンはこの俺だ、と決めていたのに…」

というセリフがあるが、渡辺貞夫が秋吉敏子に続いて渡米したというのは事実である。こうした「小ネタ」は、この時代のジャズにノスタルジーを感じる人にはたまらない内容なのではないだろうか。もちろん、より詳しい人には、ツッコミどころもあるのかもしれないが…。

というわけで、「朝ドラ撤退宣言」を撤回することにしたのである。

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誰が為に鐘は鳴る

12月26日(日)

テレビの本体HDDがいっぱいになりそうなので、以前に録画したアメリカ映画「誰が為に鐘は鳴る」(アメリカ公開1943年)を見ることにした。

1936年から1939年まで第二共和制期のスペインで起こった内戦を舞台にした映画だが、原作は、アーネスト・ヘミングウェイが1940年に刊行した長編小説である。実際の内戦から、小説化、映画化に至るまで、じつに短期間であるにもかかわらず、大作映画と呼ぶにふさわしい内容で、アメリカの底力を思い知らされる。

日本で公開されたのは、戦後の1952年である。ちなみに「風と共に去りぬ」(1939年)が日本で公開されたのも同年。戦後の占領期には、日本が反米感情を抱かぬよう、アメリカの戦争映画を日本で公開することが禁止されていたのだと、たしか大林宣彦監督がNHKの「最後の授業」という番組で語っていたと思う。1952年という年は、サンフランシスコ講和条約締結の翌年である。

印象的なのは、ラストシーンである。あの終わらせ方は、戦後の数々の映画に影響を与えたのではないだろうか。見当違いかもしれないが、「明日に向かって撃て」(アメリカ・1969年)とか、日本でいうと、「野性の証明」(監督:佐藤純彌、1978年)とか。

こうした映画の演出に関する発想の類似性が、意識的に行われているのか、それとも無意識的に行われているのかについては、興味がある。

またまた大林宣彦監督の映画に関することで恐縮だが、映画「ねらわれた学園」(1981年)で、主人公が何か喋っている背後で、ローラースケートの集団が走り回る、というシーンがある。けったいなシーンだな、と思っていたら、映画「この空の花」(2012年)でも、主人公が何か喋っている背後に一輪車の集団が走り回っているというシーンがあり、大林監督特有の演出なのかな、と思って観ていた。

あるとき、黒澤明監督がドストエフスキーの小説を映画化した「白痴」(1951年)を観ていたら、夜のスキー場みたいなところで、主人公が何か喋っている後ろで、たいまつを持ったスキーヤーの集団がスキーを滑っているシーンがあって、「これだ!」と思った。大林監督の演出の原点はこれなんじゃないか?と。

映画監督は、当然、映画が好きなので、過去の映画で観た数々のシーンが、サブリミナル効果のように脳裏に残り、それが自身の演出にも大きな影響を与えているのではないだろうか。

ここから言えることは、「過去の映画の影響なしには、いまの映画は存在しえない」という結論である。

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朝ドラ撤退宣言!

12月23日(木)

「いちばん長い日」というタイトルで書こうと思ったが、ちょっとまだ整理がつかない。

生まれて初めて、NHKの朝ドラを毎日見ている。もっともリアルタイムで観ることができないので、録画をしておいて、時間のあるときにまとめて観ている。

戦時中の岡山が舞台で、しかも「ラジオ」が重要なポイントになると聞いたので、ちょっと今の自分の仕事と関係しそうな内容だったので、観ることにしたのである。

実際に見始めると、けっこうシビアな内容で、むかしでいう「マー姉ちゃん」とか、そういうほんわかしたやりとりが行われるような内容ではなく、ちょっと心にずっしり重くのしかかるような内容である。

マー姉ちゃん、で思い出したが、先日、BSでまとめて再放送していたのをチラッと見ていたら、冒頭のクレジットに、「三宅裕司」の名前が出て来て、三宅裕司、出ていたんだ、と思って見続けても、いっこうに出てこない。どうやら一瞬だけ映る、セリフのないちょい役だったみたいで、まだ無名の新人だったのだ。最終的に、松竹映画の主演をはるコメディー俳優になるんだから、人生とはわからない。

それはともかく。

今期の朝ドラも、むかしのイメージで軽妙なやりとりを期待していたら、主人公がどんどん窮地に追い込まれていって、ちょっと心が持ってかれそうになり、15分観るだけでもグッタリしてしまう。そう思っているのは俺だけ?

たしかに脚本がすばらしいんだけど、コンディションがいいときでないと観られないというか…。いま僕は、精神的にすごく追い詰められているので、虚構の世界でも同じような気持ちにさせられるのは、勘弁してほしい、という気になってきた。いま僕が欲しているのは、何も起こらない、軽妙なやりとりのドラマなのかもしれない。なにも義務感にかられて観る必要もないのだ。もうドラマ上では時代は戦後になったし。

というわけで、残念だが、朝ドラからの撤退を宣言する。ただし、撤退の撤回もあり得る。

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ちょっとふたり暮らし

12月22日(水)

修羅場続きの仕事の、ほんの束の間の在宅勤務の日。

もうすぐ3歳9ヵ月になる娘は、ドラマの影響で、すっかり阿佐ヶ谷姉妹にハマっている。

昨晩、遅く帰ってきたら、まだ起きていて、

「いまねえ、おうたをうたっていたの」

と、あみんの「待つわ」を歌ってみせた。NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」で姉妹が歌っていた歌だ。それから、

「姉のエリコです。妹のミホです。阿佐ヶ谷姉妹です!」「ミホさ〜ん」「オツケーよ」

と、エリコさんの発するフレーズを完コピしていて、爆笑してしまった。

で、今日、娘と一緒にお風呂に入っていると、

「ねえねえ、早く阿佐ヶ谷に行きた〜い」

と言い出した。年末の休みになったら、阿佐ヶ谷に連れていくと娘と約束をしていたのだ。

「早く阿佐ヶ谷に行きたいねえ」

「〇〇ちゃん、阿佐ヶ谷にずっといた〜い」

「阿佐ヶ谷にずっといたいの?」

「だってぇ、〇〇ちゃん、エリコさんとふたりで暮らしたいんだもん」

「エリコさんと暮らしたいの?」

「うん」

「じゃあミホさんはどうするの?」

「ミホさんはひとりがいいんでしょ?でもエリコさんはふたりがいいって言ってたから、〇〇ちゃんがエリコさんといっしょに暮らす!」

なんと!ドラマの内容をよく理解していたことに驚いた。

「〇〇ちゃんがエリコさんと暮らしたら、パパとママはふたりで暮らしてね」

まことによく喋る娘である。こんな3歳児がいることをエリコさんに伝えたら、涙もろいエリコさんは、きっと泣くだろうな。

NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」が最終回を迎えた。

僕にとって感慨深いことといえば、アパートの大家さん役で出演した研ナオコである。

僕はこのドラマを観て、今から40年ほど前に放送された日本テレビのドラマ「ちょっとマイウェイ」を思い出した。代官山の小さな洋食店を舞台にしたコメディタッチのドラマで、鎌田敏夫をはじめ何人かの脚本家が脚本を書いていた。

とくに事件が起こるわけでもないのだが、何気ない会話が面白く、人と人とのつながりが感じられて、大好きなドラマだった。今回のドラマ「阿佐ヶ谷姉妹〜」にも通じるテイストである。

この「ちょっとマイウェイ」には、当時売れっ子だった研ナオコも出演していた。しかもドラマの中で、洋食店を切り盛りする主人公「なつみ」(桃井かおり)と、親友の「カツ子」(研ナオコ)は、ひとつの部屋で「ふたり暮らし」をしていたのだ。明日をもわからない生活だが、お金なんかなくったって、みんなで力を合わせればなんとか生きていけるさ、というこの当時の独特の雰囲気が、ドラマ全体を覆っていた。

そして40年後、研ナオコが阿佐ヶ谷姉妹の大家さん役で出演する。僕にはそれが、「ふたり暮らし」の先輩として阿佐ヶ谷姉妹を見守っているような存在に思えてならなかった。多分、そんなことを考えてのキャスティングではないだろうし、研ナオコがそういう感慨をもって出演したわけでもないだろう。しかし「ちょっとマイウェイ」というタイトルは、いまの阿佐ヶ谷姉妹の生き方を言い表しているようにも思われて、やはり不思議な因縁を感じざるをえない。

 

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審査員の気持ち

12月19日(日)

この週末は何をしていたかというと、土日2日間の午前中は、オンライン国際会合だった。時差の関係から、午前9時開始、午後12時終了というプログラムだった。聴くだけだったので、とくに神経を使うことがなかったが、それを聴きながら、火曜日に参加するオンライン国際会合のコメント原稿を苦しみながら作成していた。国際会合に義務として参加しながら、別の国際会合の不本意な原稿を準備しているなんて、いったい俺は何をしているのだ?

テレビで「M-1グランプリ」をやっていたので、何年ぶりかに観た。といっても、途中でお風呂に入ったりしたので、そんなに熱心に観たわけではない。個人的には、なんとなくハライチとオズワルドを応援していたのだが、優勝したのは錦鯉という僕と同年代のコンビだった。向かって左側の白いスーツを着ている長谷川さんという人が、俳優の故・高松英郎さんにそっくりで、そのことばかりが気になる。

この年齢になると、演者よりも審査員の気持ちの方を考えてしまう。ところで審査員は、上沼恵美子さんを除いてみんな男性なのだが、それってどうなのだろう?と家族で話題になった。女性の審査員だと誰がいいだろうか、としばし話し合う。ハイヒール・モモコさんとかかなあ、…あ、いい人がいた!野沢直子さんがいい!など。しかしそのほかの候補が思い浮かばない。

考えてみれば、これまでの優勝者はすべて男性であるし、ファイナルステージまで残った漫才師のほとんどが男性である。こんなことを言うと、またジェンダーかよ、と言われそうだが、そもそも、お笑いの世界は、マチズモ(男性優位主義)がはびこっているのではないかという気がしてならない。審査員の男女比は、そのまま、この国の管理職の男女比をあらわしているような気がする。

なぜなのだろう、と考えてみたのだが、お笑いの世界というのは、最初はそれだけで「食っていく」ことが難しくて、アルバイトをしながら食いつないでいかないといけない。男性はそれでもアルバイトの口があるのでやっていけるが、女性はなかなかアルバイトの口がないので、お笑いを続けることが構造的に難しいのではないだろうか、つまり、社会における性別による生きづらさの反映である、という仮説を立ててみたのだが、演劇の世界とか、講談の世界では、それなりに女性が活躍しているようにも思えるし、どうもよくわからない。

話を戻すと、演者よりも審査員の気持ちの方を考えてしまうというのは、僕自身が年を重ねて、いろいろなものをジャッジする立場になってしまったからかもしれない。俺なんかに何かをジャッジする資格があるのか?とか、どのようなコメントを言ったら、この場がまるく収まるのだろう?とか、日々そんなことを考えてしまい、いったい何が正しい判断なのか、自分が何に価値をおいているのか、よくわからなくなってしまうのである。僕が健康を損ねているのは、こういう仕事があまりにも多いからではないだろうか、と思いたくなるほど、葛藤と煩悶が続く。

「M-1グランプリ」は、知らず知らずのうちに肩に力が入って、見終わったあと、ヘトヘトになってしまったのだが、そのあと、つい流れで観てしまった「くりぃむナンタラ」というダラダラした番組が、肩の抜けた感じでおもしろかった。ちょうどM-1グランプリの直後ということで、それをパロディー化した内容だった。審査員を審査するという、いま僕が最も観たいと思う内容で、しかも審査員は、くりぃむしちゅー上田、南海キャンディーズ山里、オードリー春日、空気階段の鈴木もぐらという、絶妙のキャスティングだった。

4人の審査員は、実際の漫才を目の前で観て、それに対するコメント力を競っていたが、くりぃむしちゅー有田の相変わらずのサディスティックな司会ぶりが十分に生かされた、じつにおもしろい企画だった。しかし、笑ったあとに気づいたのは、ここでも審査員はみんな男性ばかり。それもまたパロディーなのだろうか。

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笑いの系譜

疲れているので、どうでもいい話を。

ドリフターズのコントに、「階段落ち」という傑作がある。

志村けん扮する映画監督が、映画のワンシーンとして、池田屋の階段落ちの場面を撮影するのだが、そこに田舎芝居上がりの役者(加藤茶)が、代理のスタントマンと称してやってくる。そのスタントマンは、主役に斬られて階段から落ちるだけのエキストラなのだが、初めての映画出演のせいか、ひどく張り切っていて、何とか目立とうと思って、顔を白く塗りたくったり、大仰な芝居をしたりする。

たんなるエキストラが、大仰な芝居をして、主役以上に目立とうとするから、監督はそのたびにそれをたしなめることになる。しかしこれまでの芝居のクセはぬけず、どうしても歌舞伎のような大げさなものになってしまう。

…と言葉で説明しても、なかなかその面白さを伝えることができないのだが、この10分ほど続くドタバタコントは、加藤茶のボケが遺憾なく発揮されて、終始笑いっぱなしである。

僕はこのコントが大好きなのだが、加東大介原作の映画『南の島に雪が降る』(1961年、東宝)を見ていると、この設定を彷彿とさせる場面が出てくる。

加東大介の『南の島に雪が降る』(ちくま文庫)の内容については、以前に書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

で、それが原作となって1961年に東宝で映画化された。

この映画に出演している役者がすごい。

主演はもちろん、原作を書いた加東大介だが、その脇を、伴淳三郎、三木のり平、有島一郎、柳家小金治、西村晃、渥美清、フランキー堺、小林桂樹、そして森繁久弥といった、当代きっての喜劇役者が勢揃いして固めているのである。渥美清なんか、まだあんまり売れていない頃だったから、下っ端の役である。

伴淳三郎は、いわゆるドサ回りの芝居をしていた田舎役者で、歌舞伎のまねごとをした大仰な演技をする、いわゆる大根役者である。

最初のうちは、どうしてもその大仰な演技のクセがぬけず、何でもないシーンでも、どうしても歌舞伎の見得を切るような、大げさに演じてしまう。

そのたびに、加東大介は、「おまえの演技にはリアリティーがないんだよ!」とたしなめるのだが、伴淳は「リアリティーって、なんです?」と、その意味がわからず、相変わらず大げさな芝居を続ける。映画を見ているものからすれば、それが可笑しくってたまらないのである。

この場面を見て、加藤茶は、ひょっとしたら伴淳さんの演技の影響を受けているのではないだろうか、という気がした。「階段落ち」というコントには、伴淳さんのとぼけた演技を彷彿とさせるものがあるのだ。

すでに言い古されているかもしれないが、笑いには系譜があるのだということを実感する。その系譜をたどることもまた楽し。

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あぁ!新世界

ニコルソン・ベイカーという作家の『中二階』という小説は、「極小文学」と言われている。

主人公が、会社のあるビルのロビーに入り、そこからオフィスのある中二階までエスカレーターで移動する。その、中二階までエスカレーターで移動する短い時間のあいだに、主人公が頭の中でいろいろな思いをめぐらす。その思考の過程をつぶさに追った小説で、おそらく時間にして数十秒という短かさの中で、ものすごく濃密な思考の過程が披露される。小説の中の時間の流れとしては、ギネスブック級の短さなのではないだろうか。

これを読んでいくうちに、ずっと昔に観たTVドラマのある情景が浮かんできた。

ドラマの冒頭、大きなホールの舞台の上で、オーケストラの演奏が今まさに始まろうとしている。

カメラは、一人の男性に寄っていく。シンバルを持っている男性である。

やがて演奏が始まる。シンバルを持っている男性は、じっと目を閉じている。自分の出番を待っているのだろうか。

ほどなくして、回想シーンになる。シンバルを持っている男の頭の中で、数々の思い出が浮かんでいるようである。

つまり、観客の目には、シンバルを叩く瞬間を待っている男の姿として映っているのだが、男の頭の中は、音楽のこととはまったく別のことを考えているのである。それはこの演奏会に至るまでの、過去のさまざまな体験を思い返しているのである。

…このTVドラマに対する僕の記憶は、ここで途絶えている。彼が頭の中に浮かんだ思い出がどういうものだったのか、最後にどのような終わり方をしたのか、まったく覚えていない。ドラマの最後に、自分の出番が来てシンバルを叩いて大団円を迎えたのか、そのあたりもよくわからない。

僕は折にふれてこのドラマのことを思い出すことがあった。あのドラマは、何だったのだろう?

僕が間違いなく記憶しているのは、それが「東芝日曜劇場」の中の1話だった、ということである。毎週日曜日の夜9時にTBSテレビで放送されていた1話完結のドラマで、ホームドラマのようなテイストのものが多かった。子どもの頃、このドラマ枠が好きで、よく見ていたのである。

さて、そのシンバルを持つ男は、誰だったのだろう?財津一郎だったような気がする。

ありがたいことに「テレビドラマデータベース」なるサイトが存在する。そこで検索をかけてみるほかない。

「東芝日曜劇場 財津一郎」で検索してみても、それに該当するようなドラマは存在しない。

財津一郎ではないのかもしれない、と思い、「東芝日曜劇場 オーケストラ」で検索してみたら、判明した!

東芝日曜劇場第947回、1975年2月2日放送の「あぁ!新世界」という回である。脚本は、なんと倉本聰!

そしてシンバルを持つ男は、…フランキー堺である!そうか、思い出した。たしかにフランキー堺だった!

そのテレビドラマデータベースの記載を引用すると、

「倉本聰は本作ほかの脚本により第12回ギャラクシー賞を受賞した。「札幌市民会館の大ホール。今まさにオーケストラの演奏が始まろうとしている。そのステージに、10年ぶりにシンバルを手にした男が曲中に鳴るただ一回のシンバルのため、新世界への活路をかけて座っている。その男の脳裏をよぎる想いは何か?青春の志ならず、音楽を捨てて10年。満たされぬ毎日を僻村に送っていた一人の中年男のかなさしさ、おかしさを、素朴な村人と、愛すべき妻とふれあいを通して描いていく。【TBSチャンネル広報資料より引用】」協力:厚田村。」

とある。ドラマの冒頭についての僕の記憶は、間違っていなかった。というか、数ある東芝日曜劇場のドラマの中で、この回がとりわけ記憶に残ったというのも、そのはずだ、倉本聰の脚本で、しかもギャラクシー賞を受賞した、言ってみれば神回なのである。

しかも、である。このドラマの放送年は1975年。つまり僕が小学1年生の時である。名作は、小学1年生の頭の中にも鮮烈な印象を残したのである。

ドヴォルザークの「新世界」の演奏中に、シンバルを持つ男が脳裏によぎる想いをたぐり寄せている、その描写が、『中二階』を読んでいて、なぜか甦ってきたのである。

どういう結末を迎えたのか、まったく覚えていない。あるいは当時、結末を待たずに寝てしまった可能性もある。このドラマを有料配信しているサイトもあるようだが、観てみようかどうしようか、迷っている。

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波打ち際のカタルシス

先日、NHK-BSPで、森谷司郎監督の映画「動乱」(1980年)が放送されていたので、録画して観た。

森谷司郎監督は、確か黒澤明監督の助監督を務めたこともあり、どちらかといえば大作志向のイメージがある。「日本沈没」(1973)、「八甲田山」(1977)、「小説吉田学校」(1983)あたりは好きな作品である。せっかくなので、この機会に、未見だった「動乱」を見てみることにしたのである。

観た感想は…、森谷作品にしては、やや凡庸な印象だった。高倉健と吉永小百合の共演ということで、ちょっとハードルが上がりすぎた感がある。言ってみれば「キャスティング落ち」なのである。

最後のエンドクレジットのところで、助監督が、先般亡くなった「澤井信一郎」だったことに、ある感慨を抱いたのだが、それ以上に印象に残ったのが、吉永小百合が一人、少し荒れている波打ち際にたたずむという映像をバックに、小椋佳のエンディングテーマ曲「流れるなら」が流れることであった。

この感じ、どこかで観たなあ、と思ったら思い出した。同じ森谷司郎監督の映画「小説吉田学校」でも、森繁久彌演じる吉田茂が、大磯の海岸の、少し荒れた波打ち際にたたずみ、そのバックに堀内孝雄のエンディング曲「少年達よ」が流れていた。構造はまったく同じではないか。

森谷司郎監督は、映画の最後に、荒れた波打ち際に主人公をたたずませて、そのバックにニューミュージックを流す、という映像手法が、ひどく気に入っていたのではないだろうか。

たしか、以前にも、大作映画や大作時代劇のエンディングをニューミュージックで煮しめることが、1980年代に流行した、みたいな話をこのブログで書いた記憶があるのだが、探しても見つからない。書いたつもりになっていたのか?

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スーツアクターに個性あり

高校時代の1年後輩のSNSを見たら、いまNHK-BSPで放送中の「ウルトラセブン」の「ウルトラ警備隊、西へ」の回の感想を書いていた。いわゆるキング・ジョーが登場する回である。

「さて、セブンのスーツアクターといえば上西弘次氏なのだがこの回は菊池英一とある。帰ってきたウルトラマンのアクターだ。そう思って観ていると立ち方、立ち合いの雰囲気が新マンっぽいのが興味深い」

キング・ジョーの回のセブンの立ち合いの雰囲気が新マンっぽい、というのは、どういうことなのだろうと思っていたら、それからほどなくして彼のSNSで画像入りで補足の説明をしていた。

「上西セブンと菊池セブン そして帰ってきたウルトラマン(菊池)。セブンは基本両手グー。一方新マンは片手手刀、もう片手がグーという構えが多い。こういうのは子供の頃のごっこ遊びを通じて自然と培われた観察眼なんだと思う。当時ビデオもないのに」

なるほど、画像を見ると、キング・ジョーの回、つまり菊池セブンは、セブンが片手が手刀で片手がグーという構えをしている。しかし、上西セブンは両手がグーである。そして新マンは、片手が手刀で、もう片手がグーだった。もうそのことを知って以来、セブンの立ち合いを見るたびに、「両手がグー」になっているかどうかが気になって仕方がない。

僕は子どもの頃、そこまでは気づかなかったが、その後輩は身体的な感覚として覚えていたというのだからたいしたものである。

(ちなみに「ウルトラ警備隊、西へ」は、岡本喜八監督の「独立愚連隊、西へ」のタイトルを捩ったものであるというのは、常識なのだろうか。)

そういえば、ウルトラマンのスーツアクターだった古谷敏さんが、ウルトラセブンではアマギ隊員の役を演じていたが、少し腰を落として銃を構える仕草が、ウルトラマンがスペシウム光線を打つ姿勢を彷彿とさせたことは記憶している。

…と、これを書いていて思い出したが、毒蝮三太夫さんのYouTubeチャンネルで、古谷敏さんをゲストに迎えて対談していたとき、マムシさんが

「俺一人が、ウルトラマンから続けてウルトラセブンに出演した。いわゆるスピンオフというやつね」

と言っていた。「スピンオフ」というと、「既存の作品(本編)からそれに関連する別の作品が派生することを指す。そうして制作された作品を派生作品もしくはスピンオフ作品と呼ぶ。日本ではテレビドラマや映画、漫画などの派生作品によく使われる」(Wikipediaより)というイメージがあるのだが、マムシさんは、ちょっと違う意味で使っていたようだった。前のシリーズから、次のシリーズに移るときに、前のシリーズのレギュラーを一人残して次のシリーズのレギュラーを続けさせることを、スピンオフと言っているらしい。当時、アメリカのテレビやなんかでよく使われるやり方だった、というのだが、「スピンオフ」の意味が変容したのか、どうもよくわからないので、ここに書きとめておく。

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