映画・テレビ

初夢を語る

最近、2歳9か月の娘がしきりに観ているのは、年末に録画しておいた「おかあさんといっしょスペシャル プリンセス・ミミィと音の城」である。

「あつこおねえさんがツルツルめんめんをたべているテビルがみた〜い」

と言われ、一瞬、何のことかわからなかったのだが、たしか前述の番組の中で、あつこおねえさんがラーメンを食べているシーンがあったことを思い出し、その番組を再生し、「これ?」と聞いたら「そう」と答えたので、以降はこの番組ばかりを繰り返し観ている。

地下の迷路で迷子になったあつこおねえさんが、モグラが経営しているラーメン屋の屋台を見つけて、そこでラーメンを食べる、という、言葉で説明しただけでは何のこっちゃわからないシチュエーションなのだが、そこであつこおねえさんは、本物のラーメンではなく、よくできた小道具のラーメンを持って、麺をすすっている(ふりをしている)のだが、その食べっぷりが、見ていて気持ちいいのである。

はは~ん。娘も、あつこおねえさんのこの食べっぷりがそこはかとなくおもしろいと思い、繰り返し観たいと思ったのかもしれない。

さて番組は、迷子になったあつこおねえさんをほかのメンバーが地下の迷路を探しまわるという、これまた言葉で説明しただけではよくわからないストーリーが展開するのだが、その中で、ゆういちろうおにいさんが、「ホ!ホ!ホ!」という歌を歌う場面がある。

「会いたい人に 会いたいときは

呼んでみようよ その名前」

いままでなんとも思わなかったのだが、僕はその歌にある真理を見出だしたのである。

3年近く前、僕は、若い頃からの大ファンだった大林宣彦監督にインタビューするという幸運に見舞われたのだが、それは僕が、「大林監督の大ファンである」ということをその仕事の関係者にカミングアウトしたからである。

つまり、自分の憧れの人とか、手の届きそうにない人の名前を秘めずに、言葉に出せば、その人に近づくチャンスがある、ということなのだ。

昨年後半は、敬愛するラジオパーソナリティーに2度もお便りが読まれたからね。やはり自分から行動しなければ、そういう機会は生まれないのだ。ようやくこの年齢になってわかった。

僕は初夢というのを、いままでほとんど見たことがないのだが、今年見た初夢は、はっきりと覚えている。

僕が武田砂鉄さんのラジオ番組にゲストで呼ばれたのだが、武田砂鉄さんが「誰だ?こいつ」という感じで、ほとんど相手にしてもらえなかった、という夢である。

もう、どんだけラジオに取り憑かれているんだ?

とくに昨年は、新型コロナウィルスの影響で車通勤をするようになり、車の中でラジオを聴く機会が格段に増えた。それに、ラジオ番組でリクエスト曲がかかったり、実名でお便りが読まれたりと、成功体験が続いたことも大きい。

しかし初夢から覚めて、僕は落ち込んだ。そうだ。そうなんだよな。僕はラジオに呼ばれるほどおもしろい仕事をしていないのだ。

せっかくだから、ゲストに呼ばれたい番組を書いておくと、宇多丸さんのアトロク、チキさんのSession、大竹さんのゴールデンラジオ、砂鉄さんのアシタノカレッジ、あたりなのだが、どれもハードルがとても高い。呼ばれたい番組名を言葉に出しておけば、いつか呼ばれることがあるだろうか…。

しかし、それを心の中に秘めていて何も行動しない、というのも悔しい。少しでもこれらの番組に近づくために、戦略を考えなくてはいけない。

自分自身がおもしろい仕事をするというのが一番なのだが、当分の間それができそうにないので、別の戦略をいま、考えているところである。

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ラジオきっかけ

12月15日(火)

あんまり書くことがないのだが。

最近聴き始めたラジオで楽しみなのは、金曜の夜10時からTBSラジオで放送している「武田砂鉄 アシタノカレッジ」である。

この番組では、毎週ゲストが登場するのだが、いままで僕が全然知らなかった人がゲストとして出演して、これをきっかけにファンになる、というパターンが多い。

アイドルの和田彩花さんも、この番組を聴いて、初めて知った。

Aマッソというお笑いコンビも、コンビの1人である加納さんがこの番組にゲスト出演した回を聴いて、初めて知った。

センスのいい方だなあ、と思っていたら、昨日の「THE W」とかいう、女性芸人だけのM-1グランプリみたいな番組の決勝にAマッソが残っている、と知って、どんなネタをやる人たちなんだろうと思い、見てみることにした。

そしたら、思っていたとおり、センスのいいネタを披露していて、もう少しこのコンビのネタを見てみたいなあ、と思った。

次の対戦相手は、キワモノ芸をすることで有名なピン芸人で、すでに多くの人に認知されている人気芸人である。僕自身はあまりハマっていないので、ちゃんとは見なかったのだが、やはりキワモノ芸を披露したらしく、観客の爆笑を誘っていた。

審査員の評価は、僅差で後者のピン芸人に軍配が上がり、Aマッソはあっけなく敗れた。その時点で僕は、テレビを消した。

ところで今日、僕のところにある出版社から封書が来て、「あなたが以前にうちの出版社から出した本は、大量に売れ残っていて場所をとるので、400冊を廃棄処分します」と通告された。

僕はそのとき、キワモノ芸人に敗れたAマッソの敗北感と似たものを、なぜか感じたのである。

それはともかく。

僕が言いたいのは、そんなふうに、ラジオきっかけで、その人を初めて知り、ファンになることが多い、ということなのである。

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続・ご油断なく

『A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る』(立東舎、2020年)は、圧巻の書である。なにしろ、全作品について詳細に語っているのだから。

まだ精読していないが、ひとつ、謎が解けた箇所がある。それは、大林映画によく出てくる「ご油断なく」という言葉の謎である。

大林監督は、映画「異人たちとの夏」について語っている箇所で、次のようなことを言っている。

「ーーそしてこの映画、本多猪四郎監督が八ツ目鰻屋の親父に扮しています。

大林 そうそう、それで、本多さんになにか一言いい台詞ないですか?と言ったら、「ご油断なく」、という。これが痺れたねえ。いい言葉だねえ猪さん、と。(後略)」(345頁)

で、この「ご油断なく」というところに脚注がついている。

「「ご油断なく」 本多猪四郎監督の演技によって新たな意味を持ったこの言葉は、その後の大林映画に頻繁に登場するようになる。『SADA ~戯作・阿部定の生涯』で狂言回しの嶋田久作が、『22歳の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』で筧利夫が、『理由』で柄本明が、と言った具合に、さりげなく、または効果的に使われている。元は盛岡弁だそう」

というわけで、僕が長年抱いていた謎は、「本多猪四郎監督がアドリブで『ご油断なく』と言ったところ、その言葉の響きに大林監督が感激し、その後の映画で使い続けた」という結論に落ち着いた。

ただ、これですべて解決したわけではない。岩手県出身でもない本多猪四郎監督が、なぜこの言葉を使ったのか、という疑問は、まだ解けてはいない。本多猪四郎監督は、どこかで、この言葉を聞いて、その言葉の響きに感激し、どこかで使おうと思ったのだろか。

だとすれば、両監督の響き合う言葉の感性に、思いを致さずにいられない。これもまた、映画史である。

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キネマの○○

そろそろ、大林宣彦監督の映画『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の話をしようか。

大林監督は「キネマ」という言葉にこだわった。もう一人、「キネマ」という言葉にこだわった映画監督がいる。山田洋次監督である。

山田洋次監督には『キネマの天地』という映画があるし、次回作は『キネマの神様』というタイトルの映画だそうである。

山田監督と大林監督は、撮影所出身の監督とインディペンデントの監督ということで、その作風や映画作りの手法は相容れないものだったと思われる。だが晩年、この二人は同世代ということもあり、意気投合するようになったようである。

二人に共通するのは、古きよき「キネマ」の時代、もっといえば無声映画の時代への憧憬である。山田監督も大林監督も、老境に至り「キネマ」をタイトルに使った映画にこだわったことは、単なる偶然ではないのだろう。

さて、本題に入る。

『海辺の映画館』は、晩年の大林監督がこだわった、反戦に対する強いメッセージの映画だ、と評価されることが多い。たしかにそれはそうなのだが、僕はもう少し別の見方をしている。

よく大林監督は、「自分の映画は、自分の人生の中ですべてつながっている」という意味のお話をしていた。

あまりふれられていないことだと思うが、これまでの大林映画の一連の流れの中でこの映画を観たとき、この映画の直接のルーツとなっているのは、『マヌケ先生』(2000年)と『淀川長治物語・神戸篇 サイナラ』(1999年)である。どちらも、大林映画の中でもきわめてマイナーな映画である。

『マヌケ先生』は、大林監督の自伝的映画で、長く大林監督の助監督をつとめた内藤忠司が監督をし、大林監督は「総監督」という立場で関わっている。だがその映像を見ればわかるように、大林映画の作風が全開の映画である。

この『マヌケ先生』は、『海辺の映画館』の中でも一部引用されているので、両者が同じ系譜上に位置する映画であることは容易に想像できるのだが、それよりもさらに『海辺の映画館』に作風が近いものが、『淀川長治物語』である。

なにしろ、映画館の内部のセットが、二つともほぼ同じである。スクリーンの脇に活弁士がいて、スクリーンと客席の間にオーケストラが陣取る。これは、大林監督の少年時代に無声映画を上映していた映画館の構造そのものであり、これこそが、大林監督にとっての正統な映画館なのである。

さて、その映画館でどのようなことが起こるかというと、淀川少年は、客席とスクリーンの中を、行ったり来たりするのである。これは、『海辺の映画館』と、まったく同じモチーフである。とくに『淀川長治物語』のラストは、淀川少年が映画館の客席から舞台に上がり、スクリーンに映し出された蒸気機関車に乗り込むという場面で終わる。

『海辺の映画館』の場合、観客だった3人の若者が上映されている映画のスクリーンに入り込んで歴史上のいろいろな出来事に巻き込まれる、という荒唐無稽な設定に面食らった人もけっこういただろうと思うのだが、何のことはない、大林監督はすでに『淀川長治物語』の中でその手法を実践していたのである。

そう思って、そのほかの作品を観てみると、「瀬戸内キネマ」が登場する大林映画は、すべて同様の映像手法がとられている。

「瀬戸内キネマ」は、『海辺の映画館』だけでなく、大林映画の中でしばしば登場する架空の映画館(もしくは撮影所)である。過去には、『麗猫伝説』(1983年)、『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしき人々の群 夕子かなしむ』(1988年)、そして『マヌケ先生』などに登場する。

『おかしなふたり』に登場する映画館「瀬戸内キネマ」では、『上海帰りのリル』(1952年)という実在の古い映画が上映されるのだが、この映画の主役をつとめた水島道太郎(映画の中では「水城龍太郎」という役名)本人が、スクリーンの中ですっかり老けた現在の姿で登場するのである。大林監督は、過去の『上海帰りのリル』の映像の中に、現在の水島道太郎の姿を映し出したのである。そしてその映画を観ていた原泉演ずるヤクザの組長が、「映画も歳をとるのねえ」とつぶやく。

…ちょっと何言ってるかわからない、かな?説明が下手で申し訳ない。

また、「瀬戸内キネマ」という撮影所を舞台にした『麗猫伝説』では、大映の「化け猫映画」という、やはり古い日本映画がモチーフにされていて、ここでも、過去の映画と現在がスクリーンの中で交錯する。

つまり「瀬戸内キネマ」は、スクリーンの中の映画と現実世界を行ったり来たりできる映画館として、大林監督の中で、ずっと描かれ続けてきたのだ。

別の言い方をすれば、スクリーンこそが、「虚」と「実」の皮膜の役割をはたしていたのである。これはたぶん、少年時代の映画に対する原体験、というか、原感覚にもとづくものであろう。

一見奇抜に思われる『海辺の映画館』の映像手法は、実はすでに大林映画でくり返し行われてきたものであり、さらにそれは、映画に対する大林監督の原体験(原感覚)にもとづいているのである。

スクリーンの向こう側(虚像)とこちら側(実像)には隔たりがない、という感覚は、「死者と生者の間に隔たりがない」という、大林映画を貫くもう一つの映画的手法(ひいては死生観)にも通じていて、じつに興味深い。

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茗荷村見聞記

おぼろげな記憶なのだが。

小学生の頃、『茗荷村見聞記』という映画を、劇場に観に行ったことがある。

調べてみると、1979年に公開されたそうだから、僕が小学校5年生の時である。

僕がその映画を見たいと思い、父にお願いして、父と一緒に見に行ったという、かすかな記憶がある。父は映画にあまり興味のない人だったから、父が僕を誘って観に行ったとは考えにくい。

で、その映画を見たあとに、原作である田村一二の小説『茗荷村見聞記』を買った。いまでもその本は実家の僕の部屋に残っていた。これは僕が自発的に買った本である。映画もやはり僕が自発的に観に行きたいと思ったのだろう。

いま思えば、とても地味な映画である。当時、全国でどの程度の規模で公開されていた映画なのかもよくわからない。どういう経緯で、僕がその映画の存在を知ったのかも、記憶にないのである。そもそも、小学5年生が自ら好んで観る映画とは考えがたい。

しかしこの映画は、僕に鮮烈な印象を残した。そこに登場する人々の個性に惹かれたのである。

僕はこの映画で、殿山泰司、大泉滉、ケーシー高峰といった、個性的な役者に心を奪われた。そして主演の長門裕之の人間味あふれる演技も、強く印象に残った。長門裕之が、馬車に乗って移動しているシーンは、この映画のことを思い出すたびに頭に浮かんでくる光景である。

映画を観るときに、個性派と呼ばれる俳優や、アクの強い俳優に注目するようになった原点が、この映画だと思う。

あれから40年が経つが、原作者の田村一二が思い描いた「茗荷村」という理想郷は、この国のどこにも存在しない。

(今日は父の墓参りに行ったので、父と映画を観に行った思い出を書いたのだが、はたしてこの記憶が正しいのかどうかは、自信がない。)

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ご油断なく

「ご油断なく」という言葉が好きである。

この言葉を知るきっかけとなったのが、大林宣彦監督の映画「異人たちとの夏」(1988年)で、本多猪四郎監督が扮する浅草のやつめうなぎ屋の主人が、

「長生きをしなさい。ご油断なく」

と主人公たちに声をかける場面が、短いがとても印象的だったからである。

大林監督の映画にはこのほかにも、「理由」(2004年)のなかで、柄本明扮する簡易宿泊所の主人が宿泊客の外出の際に「ご油断なく」と声をかける場面があったり、「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年)の中で、筧利夫扮する主人公が、映画の一番最後のナレーションで「ご油断なく」と観客に語りかける場面などがある。もっと探せば、ほかの作品にもこの言葉が使われているかもしれない。どうやら大林監督はこの「ご油断なく」という言葉がよっぽど好きだったようである。

しかし、ほかのところでこの「ご油断なく」という言葉を聞いたことがない。一般的な言葉なのだろうか?少なくとも僕の人生の中で、日常生活でこの言葉に出くわしたことはない。

で、調べてみると、これが岩手の方言であることがわかった。「お気をつけてお帰りください」という意味らしい。

しかし不思議なのは、大林監督は広島県の尾道出身だし、パートナーの恭子プロデューサーは秋田県の大館出身なので、岩手県とは何のゆかりもない。

では、「異人たちとの夏」の脚本を書いた市川森一が書いた台詞だろうか?と思って調べてみると、市川森一は長崎県の出身である。ちなみに原作者の山田太一は東京の浅草出身である。さらに、「異人たちとの夏」で「ご油断なく」の台詞を言った本多猪四郎監督のアドリブの台詞かとも考えたが、本多猪四郎監督は山形県の庄内地方出身であり、やはり岩手県とは関係がない。まあ台詞の感じからして、大林監督が撮影台本として書き足した台詞の可能性が高い。

大林監督は、東京の浅草が舞台の「異人たちとの夏」、荒川区が舞台の「理由」、大分県が舞台の「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」、つまり地域にかかわらず「ご油断なく」を登場させている。しかも「気をつけてお帰りください」という意味ではなく、どうやら「気をつけて行ってらっしゃい」という意味で使っている。

いったいこれはどういうことなのか?皆目わからなくなってしまった。

「ご油断なく」という言葉の響きがよいので、僕も日常で使ってみたいと思っているのだが、いきなり「ご油断なく」と言うと、言われたほうが「はあ?」となってしまう可能性があるので、使うのをためらっている。

大林監督も、どこかでこの言葉を知り、その言葉の響きに惹かれて、映画の台詞として使ったのだろうか。

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真夜中のリハーサル

8月27日(木)、23時30分

9月5日(土)に「前の勤務地」の映画館で上映されるドキュメンタリー映画の「オンライン舞台挨拶」に監督と一緒に出ることになったのだが、今日はその動作確認を行った。

どうして23時30分という遅い時間に動作確認を行うことになったかというと、その映画館で映画の上映が終わるのが23時過ぎで、実際の上映館を使って「オンライン舞台挨拶」のリハーサルをするためには、映画の上映が終わってからでないとダメだからである。

僕は自宅にいるから問題はないが、実行委員の方々は、その時間に映画館にいるというのだから、遅くまで大変である。

僕は2歳5か月になった娘を必死で寝かしつけて、教えられたアカウントで23時30分にZoom会議システムに入室した。

するとそこには、会場となる上映館が映し出されていた。

懐かしい。「前の勤務地」にいた頃、よくマイナーな映画やドキュメンタリー映画を観に通ったものだ。

僕は実行委員のみなさんに挨拶をした。当日の主役のO監督もすでに入室していた。

さて、「オンライン舞台挨拶」というのは、どのようにやるのか?

上映会場とO監督と私の三者をZoom会議システムでつなぐ。それを、映画のスクリーンに映し出すのである。

つまり、僕の顔が、映画のスクリーンにドーンと映し出されるわけだ。

ついに銀幕デビューですよ!!!

言うは易しで、実際にこのやり方がそう簡単にできるわけではない。実行委員の方々は、どのようにしたらスムーズに進行できるかを、いろいろと試行錯誤していた。実行委員の方々の並々ならぬ熱意を見るようであった。

映画館の中なので、たぶんWi-Fi環境もそれほどよいとはいえないのかもしれない。会場からの画面はしばしばフリーズしていた。

若干の不安は残ったが、ひとまず動作確認は終了した。

「これから本番までの打ち合わせは、グループLINEで行います。鬼瓦先生、LINEのアカウントはお持ちですか?」

と実行委員のKさん。

「ええ、まあ。ただどうすれば私のアカウントがみなさんに伝わるんでしょうか」

僕はほとんどLINEの使い方を知らない。

「では、私から先生のメールアドレスにQRコードを送りますので、それを読み取っていただければ大丈夫です」

「はぁ」

ナンダカヨクワカラナイが、ひとまず言われたとおりにしてみると、知らないうちにグループLINEに参加していた。

そこから、怒濤のLINEの応酬である。みんな使い慣れているから、打つの早いなあ。僕が返信しようともたもたしていると次々にメッセージが入ってくるので、僕のメッセージが変なタイミングで入ることになる。

「当日はリアルタイムでグループLINEに連絡を入れていきますので、グループLINEから目を離さないでください」

「はぁ」

もう一つ困ったことがあった。それは、僕のスマホが壊れかけていることである。

かなりの頻度で電源が入らないことが多く、電源が入るまでに数分かかることがある。それに、4Gの回線の速度が異様に遅い。イメージとしてはダイヤル回線でインターネットにつないでるようなものである。つまりスマホは瀕死の状況なのだ。

当日、スマホの電源がスムーズに入ることを祈るばかりである。

さらにもう一つ困ったことがあった。

「あのう、ぜひご自身のSNSとかで宣伝してください。一人でも多くの方に来てもらいたいので」

「はぁ」

しかし僕にビックリするほど集客力がないことは、すでにいろいろなイベントで証明済みである。こっちが勇んで宣伝をしても、最終的に恥をかくだけなのだ。

どうせ個別に宣伝をしても、

「行きたいです!でもその日はちょと…」

と、落語の「寝床」のような展開になるのがオチである。

かといって、このブログで、

「ある映画館で上映されるある映画の、9月5日(土)の初回上映の後に、オンライン舞台挨拶をしますので、ぜひ来てください」

と宣伝しても、固有名詞がひとっつもないからナンダカヨクワカラナイ。

まったく、どうしたらいいものか。

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上映会

8月21日(金)、22日(土)と、「前の勤務地」で、僕が少しだけかかわったドキュメンタリー映画の上映会が行われた。

僕にとって、このドキュメンタリー映画が「前の勤務地」で上映されることは悲願だったのだが、多くの有志の方々のお力で、この約束がはたされたことは、じつに感慨深い。

きっかけは、昨年(2019年)4月末にさかのぼる

「前の勤務地」で大林宣彦監督の講演会があるという。しかも企画者のひとりが、昔の仕事仲間の旧姓Mさんである。

手帳を見ると、この日だけ、仕事がなく、ぽっかりと空いている。

これは日帰りで講演会を聴きに行けという神のお告げか?と思い、新幹線で片道3時間かけて講演会を聴きに行くことにした。

その1年前(2018年5月)、大林監督にインタビューをする機会に恵まれたのだが、その機会を作ってくれた、若きO監督も、その日はたまたま空いていて、その講演会に参加することになった。そこで僕たちは大林監督と再会することになるのだが、とくにO監督はほかにもさまざまな人と出会い、地元の有志の方々と「いずれかならずこの地で上映しましょう」と約束を交わした。

そしてその約束が現実になったのである。

このコロナ禍で、映画を上映することはかなり困難をともなうことだったと思うが、時間をかけて周到に準備し、実現にこぎつけた実行委員の方々の熱意には、敬意を表さずにいられない。

上映会にあたって、メッセージを書いてください、という依頼が来たので、僕は700字ほどのメッセージを書いてお送りした。僕自身は、昨年大林監督の講演会を聴きに行き、懇親会に顔を出したというだけで、今回の上映会の実現には何の役にも立っていないのだが、以前この地に住んでいたというご縁で書かせていただいた。

上映会が終わった直後と思われる時間に、O監督からメールが来た。O監督はオンラインで舞台挨拶をしたそうで、上映会が順調に進んだということと、実行委員の方々の強い思いに感激したと書かれていた。

そのメールには、上映会のときに配られた、手作りのパンフレットのPDFが添付されていた。

そこには、O監督の書いたメッセージはもちろん、僕の書いたメッセージも掲載していただいたのだが、それよりも驚いたのは、実行委員の方々のメッセージの、想いの強さだった。自分の書いた拙いメッセージが恥ずかしくなるほどに、映画を上映することへの想いにあふれた文章だった。

O監督のメールからほどなくして、僕が「前の勤務地」時代に大変お世話になったIさんからもメールが来た。僕が勝手に「人生の師」と仰いでいる方で、大林監督よりも3歳ほど年上の、人生の大先輩である。

ここ最近、Iさんとメールをやりとりする機会があったのだが、この上映会のことはお知らせしそびれていた。ところがIさんから、さきほど上映会に参加してきましたとのメールをいただき、まさかIさんが上映会に参加されていたとは思わず、見ていただきたい人に見ていただいたなあと、これもまた感激したのであった。

旧姓MさんやIさんなど、映画を通じて旧知の親しい人とまたつながることができるというのは、なんとも嬉しいものである。映画には人と人とを結びつける力がある。それは、大林監督の映画から学んだことでもある。

さてここからが宣伝。

9月4日(金)~10日(木)、この映画が「前の勤務地」の映画館で公開されることが決まりました。

9月5日(土)、午前10時の回の上映終了後、O監督による「オンライン舞台挨拶」が行われますが、そこに僕もオンラインで登壇する予定です!つまり「映画の舞台挨拶」をします!

そういえば「前の勤務地」に住んでいた頃、ある映画で「トヨエツ」が舞台挨拶に来ていたのを見に行ったなあ。してみると俺は「トヨエツ」みたいなもんか?

ま、今回はあまり照れくさがらずに、「前の勤務地」でお世話になった人たちにも宣伝しようかと思います。

9月5日(土)、劇場で再会しましょう。

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ファンのリアリティー

前回、是枝裕和監督の映画「海よりもまだ深く」のことを書いて、ひとつ、些細なことなのだが、思い出したことがあった。

たまに実家に帰ると、一人暮らしの母はよく、昼間にBSで再放送している「2時間ドラマ」を観ていることが多い。

なかには、わざわざ録画して観ているものもあるようである。

実家に戻るたびに、熱心に2時間ドラマを観ているのだが、僕はつい先日、あることに気づいた。

母がもっぱら熱心に観ている2時間ドラマが、『駅弁刑事・神保徳之助』(TBSテレビ)というシリーズだ、ということである。主演は、小林稔侍である。

僕は恐る恐る母に聞いた。

「ひょっとして、…小林稔侍のファンなの?」

「そうだよ」

いやあ驚いた。母が小林稔侍のファンだったなんて、初めて知った。

「橋爪功もね」

なんと、橋爪功が主演の2時間ドラマも熱心に観ているらしい。

「じゃあ、平泉成は?」

と試みに聞いてみたが、「あの人はほら、どちらかというと2時間ドラマでは脇役だから」といって、そこは違うようである。

僕が不思議なのは、キムタクとか福山雅治とかじゃないんだ、ということだった。年相応というか、同世代の俳優の方が、心惹かれるようなのである。

ま、考えてみれば僕自身も、いまは若い女優よりも同世代の女優に心惹かれることが多いから、同じことなのか。

ということは、自分がもっとジジイになったときにも、年相応の女優のファンになったりするのだろうか。どうもそこまでの実感が、まだわかない。

なんでこんなことを思い出したのかというと、映画「海よりもまだ深く」のなかで、団地に一人住まいしている樹木希林が、同じ団地にやはり一人住まいしている、橋爪功扮する老紳士が主宰しているクラシック音楽愛好サークルみたいな会に足繁く通い、その老紳士のクラシック音楽解説をうっとり聞く、という場面があったからである。その愛好会には、樹木希林だけでなく、団地に住む同世代の老婦人たちが、その老紳士のクラシック音楽解説を聞くことを楽しみに集まっていて、母が2時間ドラマの小林稔侍や橋爪功にハマっているのを間近に見て、映画のその場面が、急にリアリティーのあるものとして感じられたのである。

ひょっとして是枝監督は、この映画でそういったディテールを描きたかったんじゃないだろうか。

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これは予言なのか

ちょっと前の話になるが、録りだめておいた是枝裕和監督の映画を何本かまとめて観た。

「そして父になる」(2013年)

「誰も知らない」(2004年)

「海よりもまだ深く」(2016年)

の3本。いずれも劇場では観ていない。

僕は、是枝監督の作品にそれほど思い入れがあるわけではない、のだが、こうしてみると、意外にけっこうな数の是枝作品を観ているなあ。

個人的には、「万引き家族」よりも「誰も知らない」の方が、強く印象に残る映画だと思ったのだが、どうだろう。

…いや、今回書きたいのは、そういうことではない。

ほとんど誰も注目していないことだと思うが、「海よりもまだ深く」で、樹木希林と小林聡美が、親子の役で共演していることが、僕にとっては大事件である。

この映画が、阿部寛を主演としていながら、ほとんど樹木希林の存在感が圧倒的な映画であることは、誰しも認めることであろう。さらに僕からしたら、よくぞ娘役に小林聡美をキャスティングしてくれた!と、拍手喝采せずにはいられない。

大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」で、尾美としのり扮するヒロキの母(藤田弓子)の友人役で、樹木希林が出演している。そしてその娘役が、いわゆる「尾道三部作」の第一作「転校生」での主人公を演じた小林聡美なのである。「転校生」でも樹木希林と小林聡美は共演しているが、ここでは「直接の」親子関係にはない。ただ、この二人のキャスティングは、明らかに、「転校生」ファンに向けてのサービスであった。藤田弓子と尾美としのりの親子、樹木希林と小林聡美の親子が、一堂に会する場面は、映画の中でもとりわけ祝祭的な場面である。

で、大昔、「さびしんぼう」に関する誰かの短い映画評を読んだことがある。誰の映画評なのか、どこに載っていたのか、まったく覚えていないのだが、ちょっと辛辣な評価だった印象がある。載っていた雑誌は『広告批評』だったかな?

なんて書いてあったかというと、富田靖子と藤田弓子、小林聡美と樹木希林は一卵性双生児のようなもので、女優としての富田靖子の未来は藤田弓子であり、女優としての小林聡美の未来は樹木希林である、みたいな評。なんだかよくわからないが、それを読んだ当時、なんとなく、富田靖子と小林聡美を揶揄しているような書きぶりだった。つまり、将来は、藤田弓子「程度」の女優、樹木希林「程度」の女優になるのだろう、といったニュアンスである。ま、細部は覚えていないので、僕の思い込みにすぎないかもしれない。

…こういう冷笑系の映画評は、やっぱり『広告批評』だったんじゃないだろうか。まあそれはともかく。

だが小林聡美に関していえば、将来は樹木希林「程度」の女優になる、というのは、いまとなっては最高の褒め言葉なのではないだろうか。樹木希林は、晩年、何者にも代えがたい存在として評価されていった。映画「さびしんぼう」から30年経って、樹木希林と小林聡美が再び親子役で共演することに、僕はある感慨を禁じ得ないのである。

このキャスティングは「さびしんぼう」を意識したものなのか?いや、それは考えすぎだろう。であればなおさら、この二人を親子とするというキャスティングに自然にいきついたことは、まさに慧眼というべきである。樹木希林の娘役は、小林聡美でなければならないのだ。そして、いずれ樹木希林のような存在になっていくはずである。

あの映画評を書いたのは誰だったのだろう?

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