書籍・雑誌

入学から就活まで

前回の記事で村木厚子さんのことを書いたが、最近出版された村木厚子さんの著書『公務員という仕事』(2020年7月、ちくまプリマー新書)という本がおすすめである。

とくに、公務員を目指す大学生のテキストとして、これ以上によい本はないと思う。

試みに、本書の「おわりに」で書かれているメッセージを引用する。

「①新しい仕事をするチャンスがあったら引き受けましょう。

これは、自分の大学時代の恩師から教えられたことです。その人の職業的なキャパシティーというのは、専門性・経験の深さと間口の広さの掛け算で決まる。だから、自分の専門性、得意分野を伸ばすことは大事だが、同時に、ほんの少しでもいいから、まったく違う分野を経験してみると、それは、掛け算で効いてくるというのです。だから、新しいこと、苦手なことへのチャレンジは大きなチャンスなのです。

②昇進のオファーがあったら受けましょう

昇進は階段を上ることととてもよく似ています。階段を上ると、背が伸びたわけでもないのに、下の段にいたときには背伸びをしたり跳び上がったりしなければ見えなかったものが自然に見えるようになります。オファーがあったということは、客観的に見て実力がついているということ。自信をもって、オファーを受けましょう。

③ネットワークを作りましょう

仕事はうまくいくこともいかないこともあります。先が見えないこともしょっちゅうです。そんなときに、同じように仕事に取り組む仲間や、経験豊かな先輩とのネットワークがあれば、たくさんアドバイスがもらえます。自分の仕事と全く違う異業種の人に新しい視点をもらったり、みんな同じように悩むんだと連帯感を持ったりというのもうれしいことです。

④家族・家庭を大切にしましょう

これまでの日本社会は、「滅私奉公」などといった言葉にも象徴されているように、職場では家庭のことはあまり見せない、残業も、転勤もいつでもOKといった仕事優先の姿勢が賛美される傾向がありました。しかし、家族・家庭は安定した職業生活の基盤ですし、「仕事」と「家庭」という二つの軸を持つことで、ものの見方が多様になったり、気分転換を上手にできたりします。これからは家族・家庭を大切にしている人が職場でも尊敬されるようにしたいですね。」

この4つは、いちいちうなずくことばかりである。若い人向けの言葉なのだが、すべていまの僕にもあてはまる。つまり、いくつになっても、この4つは大事だということなのだろう。若者だけでなく、中堅やベテランも読むべき本である。

ついでに(といっては失礼だが)もう1冊、おすすめの本は、武田砂鉄『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)である。こちらの方は、実はまだ読み始めたばかりなのだが、僕はこの本を読んで、忸怩たる思いがする。

教員稼業をしていた頃、大学に入学したての学生を対象にした授業「スタートアップセミナー」を担当したとき、人の文章をわかりやすく要約する技術であるとか、自分の考えをわかりやすくプレゼンする技術とか、そういうことばかり教えていた。

しかし本当は、大学というところは、わかりにくいことを勉強するところなのだ。わかりやすいことはよいことばかりではない、ということを学ぶ場のはずである。

その意味で、本来は大学に入ったら、「世の中はわかりやすいことばかりではない」「わかりやすいことには、落とし穴がある」といったこと学ぶ必要があるのだ。だがいつの頃からか、「わかりやすいことは善」という考え方が、大学教育を支配するようになってしまった。

だからいまの僕だったら、大学に入学したての学生を対象にした授業では武田砂鉄『わかりやすさの罪』をテキストにし、就活をしている学生を対象にした授業では村木厚子『公務員という仕事』をテキストにするだろう。ま、そういう機会はこの先永遠に訪れることはないだろうけれど。

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人類の一大叙事詩

7月14日(火)

隔離生活、2冊目の本は、小松左京『復活の日』(角川文庫、初出1964年)である。

深作欣二監督の角川映画は何度となく見ていたのだが、原作の小説をちゃんと読むのは、たぶんこれが初めてである。

原作を読んでわかったことは、僕が見ていたあの映画は、残念ながらまったく原作小説の足下にも及んでいなかった、ということである。ひょっとしたら、あの映画を作った人たちは、原作小説の本質をまるで理解していなかったのではないだろうか、とさえ思えてくる。

ちょっと言い過ぎたかも知れない。しかしあの映画が、原作小説のごく一部、それもあまり本質的ではないと思われる部分を強調して描いているような気がしてならないのだ。

『復活の日』を『シン・ゴジラ』みたいなテイストでリメイクしてくれないかなあ、と、なんとなく思った。

まあそれはともかく、この小説は、人類の一大叙事詩ともいうべき小説である。そしてこの小説もまた、生半可な知識では書けないし、読者も生半可な知識ではついて行くことができない。そして原作のもつあの格調の高さは、やはり映画では描ききれなかったのである。

そしてまた、この小説は予言の書でもある。新型コロナウィルスの感染拡大の現状を予言している、ということはもちろんなのだが、僕が注目したのは、この小説で描かれている、アメリカと、アメリカ大統領についてである。

この小説には、前大統領と、その次の現大統領という、二人の大統領が登場する。その描き方が対照的である。

まず小説では、現大統領が登場する。その一節。

「『ジョージ……すまないが、その話はあとできかせてくれ。緊急電話だ』

テレビ電話を切って、かかってきた電話を耳にあてると、大統領の表情がみるみるけわしくなった。『なんだって!--そんなバカなことが許せるか!』と大統領はどなった。『すぐ州知事を呼びたまえ!--今いなければ、かえったらすぐ!そんなことは絶対ゆるさんと、秘書にいえ。場合によれば軍隊を出動させる、とな』

ガチャリと電話をたたきつけると、大統領は苦虫をかみつぶしそうにいった。

『アラバマで黒人の暴動がおこりかけている』

『なぜ?』と財務長官。

『州政府が、ワクチン接種の差別をしたというんだ。--州兵が出動して、保健所の前から黒人を追っ払い、発泡した』

『絶対量がたらないんですよ』と国防長官がいった。

『かといって、黒人を差別することはゆるさん』」

この場面、新型コロナウィルス感染のさなかに、黒人に対する差別の問題が起こり、市民運動が起こっているいまの現実を、予言しているようにも思える。もっとも、小説の中の大統領はリベラルだが、現実世界の現大統領は、それとは正反対である。

さて小説の中では、その前任の大統領について言及している場面がある。

「『まったくバカげたことだ。そして、このバカげたことの原因は、アメリカはじまって以来の、バカげた大統領--シルヴァーランドによってつくられたものだ……』

『前大統領の……』吉住はつぶやいた。

『そう--あいつは……ほとんど考えられないくらいの極右反動で、まるできちがいじみた男だった。南部の大資本家と称するギャングどもの手先で……二十世紀アメリカのアッチラ大王だった。憎悪、孤立、頑迷、無智、傲慢、貪欲--こういった中世の宗教裁判官のような獣的な心情を、”勇気”や、”正義”と思いこんでいた男だ。世界史の見通しなど全然なく、六年前にはもう一度”アカ”の国々と大戦争をおっぱじめるつもりだった。--なぜ、こんな男を、アメリカ国民がえらんでしまったのか、いまだにわからない。私は軍人ではあるが、あの時ばかりは、アメリカの後進性に絶望した…』」

これって、明らかに現実世界のいまのアメリカ大統領のことだよね!

半世紀以上も前に、小松左京はトランプ大統領の出現を予言していたのだ!

そしてコロナ禍で顕在化した人種差別も!

以前にも書いたが、小松左京こそが現代の予言者である。いまこそ、彼の言葉に耳を傾けなければならない。

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俺のための小説

7月13日(月)

3日間の隔離生活。浮世のことはあまり考えないことにして、小説を読むことにした。

1冊目は、僕の高校時代の1年下の後輩である小説家が書いた「シリーズもの」の最新作である。

もうこのシリーズ、11冊も出ている。僕はそのほとんどすべてを読んでいる。

僕はその後輩とは直接の面識がないのだが、僕の親しい後輩の高校時代の親友にあたり、その親しい後輩からは何度となく、その小説家の話を聞いていた。

で、以前にその後輩から、その小説家がいま取り組んでいるシリーズものの話を聞き、おもしろそうだったので読んでみることにしたのである。

そしたらあーた、そのシリーズものが、僕の業界のドンピシャリな世界を描いているではないか。つまりは、かなりマニアックな内容である。

僕が関わったことのあるフィールドや、僕の知り合いが勤めている組織などが、バンバン登場するのである。

これ、書いているほうも生半可な知識では書けないし、読むほうも、生半可な知識ではなかなかついて行くのが難しいのではないか、というくらい、情報量の多い小説である。

では難しい内容なのかというと、まったくそんなことはない。内容自体は、ミステリー小説というべきものである。さすがプロというのは、そのあたりの構想力というか、読ませ方が上手だなと、毎回読むたびに感服する。

で、僕はすっかり、このシリーズのファンになってしまったのである。

さらに驚いたことに、このシリーズのうちのいくつかに、僕の大学院時代の恩師の本が参考文献にあがっているのだ。つまり小説を書く際に、参考にしたのである。それも小説の中でかなり重要な要素になっている。

うーむ。僕の恩師が取り組んでいたような、あんなにマイナーなテーマを主軸に物語が進んでいくなんて、

「これ、俺のための小説じゃね?」

と勘違いしてしまうほどだ。

先日、それとなく読んでいた本の中に友人の名前が出てきてビックリした、という話を書いたが、それと同じ気持ちである。

恩師にしても、自身の研究がそれと知らずに小説になっているというのは、うれしいのではないだろうか。僕だったらうれしい。

恩師にこの小説のことを紹介しよう、と、本気で思い始めている。

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本の中の再会

7月4日(土)

笠井信輔『増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)を読む。

先日も書いたが、2018年5月におこなった大林宣彦監督へのインタビューの中で、フジテレビのアナウンサーだった笠井信輔さんについてふれる場面があった。

「笠井さんは、映画がとても好きな人で、映画祭に出てきて取材もしてくださるくらい映画へのリスペクトがあって、そういう人間だから、はしたない真似はしないということを学んでいる。その笠井さんから、東日本大震災の取材のときのことを聞いたんだけど、ある被災者へのインタビューの内容は、とても生々しくて、テレビでは放送できないものだった。でものちに彼はそれを本に書いたんだ。私は伝えるために取材したので、映像では伝えられないけど、本に書き残しておきます、ってね」

およそこのようなお話しだった。

笠井アナが大林監督に話したという、被災者へのインタビューの内容は、この本の序章に書かれていた。

この本は、東日本大震災が起きてから、笠井アナがすぐに現場に駆けつけ、被災地の取材をしたときの様子や、そのときの気持ち、あるいは葛藤、といったものが、じつに生々しく書かれている。

読み進めていくと、次の記述にあたった。震災から2日目のくだりである。

「仙台放送では、地元向けのローカル番組が延々と続いていた。給水場所、遺体の安置場所など、細かな情報を地域の被災者に向けて放送し続けていた。全てがローカル枠ではないとはいえ、フジテレビと違って24時間を数人のアナウンサーで回していた。少ない人数で、もう2日。さぞかし大変だろうと、生放送を一旦終えたばかりの報道キャスター、佐藤拓雄アナに声を掛けた。

 「大変だね」

するとやや悲しげな表情の佐藤アナが、「たぶん、誰も見てないんです。停電です。テレビ見られないんですよ。誰のために放送しているんでしょうか?」

 「……」(絶句)

答えられなかった。全く予想していなかった佐藤アナの言葉に頭が白くなってしまった。」

ここに出てくる「佐藤拓雄」というのは、高校時代、吹奏楽の部活でいっしょだった友人である。人望が厚く、部長をつとめていた。もう30年近くも会っていない。

僕はこの文章を読んで、いまから9年ほど前の、2011年3月ことを思い出した

「あの日」の少し前、3月3日に、高校時代の部活の男子で、久しぶりに東京で集まらないか、というメールが来た。拓雄が仕事で東京に来るそうだから、それに合わせて3月26日にみんなで集まろう、ということになったのである。

拓雄かぁ。高校卒業後は、大学時代に一度会ったきりだから、20年ぶりだなあ。

だが僕は3月26日に出張の予定が入っていて、あいにくその同窓会には参加できそうになかった。そのことをメールでみんなに知らせると、その日の晩に、拓雄からメールが来た。26日は会えなくて残念だが、せっかくお互い隣県に住んでいるんだから、こんど酒でも飲もう、という内容である。僕たちは再会を約束した。

それから1週間ほどして、「あの日」を迎え、事態は一変した。

電気が復旧し、テレビをつけたら、空港が津波に襲われている映像が流れていた。食い入るように見ていたら、

 「…言葉がありません」

と声を詰まらせているアナウンサーの声が聞こえた。

拓雄の声だ。

皮肉というべきか、僕はこのときに、画面に映る彼と久しぶりに再会したのである。彼は連日、被害の状況を伝えていた。

僕は笠井さんのこの文章を読みながら、あの日、拓雄が「言葉がありません」と言葉を詰まらせていたことを思い出したのである。伝える職業なのに、それを伝えることができないもどかしさや無念が、「言葉がありません」「誰のために放送しているんでしょうか?」といった言葉にあらわれているような気がしたのである。

結局、拓雄との再会を果たせないまま、「あの日」から3年がたったときに、僕は勤務地を離れた。いまに至るまで、再会が果たせないままである。

つい先日、復帰した笠井信輔さんの元気な声をラジオで聴き、そういえば2年前の大林監督へのインタビューで、笠井さんが震災を取材したときのことについてふれておられたなあと思い出し、ふと読み始めた笠井さんの本の中に、高校時代の友人の名前を見つける。

このたとえがふさわしいのかどうかわからないが、まるで、ビリヤードの玉を突くように、僕の中で人と人とが転がるようにつながってゆく。

 画面の中の再会の次は、本の中の再会。コロナ禍が落ち着いたら、今度こそほんとうに、再会したいものだ。

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アンソロジーには裏切られる&古い友人との読書話

本好きの人に聞きたいのだが。

アンソロジーって、買ってよかった、ってことある?

僕はなんか、いつも裏切られるような感じがするんだよなあ。

しかも始末の悪いことに、僕はアンソロジーがけっこう好きで、騙されるとわかっていても、つい買ってしまったりする。

有名な作家が選んだ短篇集なんて、ついその選球眼を信じて買ってしまうんだけれど、いつも失敗したと思うんだよなあ。

結局、自分で見つけようとはせずに、他人の見立てたものを読むという受動的な態度がよくないのだろうということに、最近気づいた。

本だけではない。音楽もそうだ。

ちょっと前に、「星野源が選んだ細野晴臣のベスト盤」みたいなCDが発売されていて、一瞬、買おうかなと思ったが思いとどまった。いくら星野源が音楽のセンスがいいからといって、そのチョイスが僕の好みとあっているとは限らない。

そう考えると、小説にしても音楽にしても、その分野で著名な作家なりミュージシャンが、わざわざアンソロジーを編もうとする意図は、何なのだろう?ワインのソムリエみたいな役割なのだろうか。唯一裏切られないのは、町山さんの映画評論だけだ。

人に勧められた本がさほど面白くなかったという、よくある体験と近いものがあるのだろう。

読書で思い出したのだが、以前に古い友人と久しぶりに話す機会があって、本や映画の話で盛り上がったことがある。

高校の頃は、それこそ毎日のようにバカ話ばかりしていて、本の話などしたこともなかったのだが、この歳になって、高校のときの読書体験について話題に上がったとき、

「高校のとき、柴田翔とかを読んでいたんですよ。(見かけによらず)暗いでしょう?」

「ええええぇ?!そうだったの?実は俺も柴田翔を読んでいたよ」

「あの時代、柴田翔なんて読んでいる高校生なんて誰もいないと思ってました。あと、高野悦子の‥」

「『二十歳の原点』!暗すぎるだろ!」

35年ぶりくらいに、高校時代に共通の読書体験があることがわかって、それはそれは愉快なひとときであった。

本や音楽や映画や大衆芸能や芸術など、たとえ嗜好が違っていても、そういう話ができる友人が、この年齢になるとありがたいような気がする。

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終りに見た街

3月28日(土)

本来だったら、今ごろは韓国の大邱に行っているはずなのだが、新型コロナウィルス騒動で、もちろん早々に無期限延期となってしまった。

水曜日に都知事が記者会見し、「週末の不要不急な外出は自粛するように」との要請が出て、その週末を迎えた。

昨日(金曜)の夕方、娘を保育園まで迎えに行き、その後小児科に連れて行き、自宅のマンションに戻ってきたのが午後6時半頃。

マンションのエレベーターを待っていると、同じマンションの住人で、僕よりも少し若いくらいの男性が、やはり同じエレベーターに乗ろうと待っていた。名前がわからないので、仮にAさんとしよう。

そうこうするうちに、エレベーターが降りてきたのだが、そこには、ゴルフバッグを抱えた、やはり僕よりも少し若いくらいの男性が乗っていた。この人もこのマンションの住人なのだが、名前がわからないので、仮にBさんとしよう。

エレベーターの扉が開くと、AさんとBさんはどうやら顔見知りのようで、「やあ」と声を掛け合った。

「これからどこに行くの?」とAさん。

「(ゴルフの)打ちっ放しですよ」とBさん。

「そうですか、じゃあ」

といって二人は別れたのだが、横で聞いていた僕は、

(おいおい!週末は不要不急の外出自粛、ましてや夜間の外出はとくに自粛って、都知事が言ってたじゃん!)

と、Bさんの行動に大変驚いたのだが、Bさんは水曜日の記者会見を、さほど意に介していないのだろうか。

このタイミングで、ゴルフの打ちっ放しにいくという感覚が、僕には全然わからない。それほど急を要することなのか???

そして今日、土曜日。

娘をどうしても耳鼻科に連れて行かなければならなかったので、午前中に外に出たのだが、記者会見の効果か、車の数や歩いている人の数は、普段の週末より、やや少なめである。とくに、先週の3連休の時と比べると遙かに少ない。先週の3連休は、道路が大渋滞し、バス停にも人が大勢並んでいたのだが、今日は道路の渋滞もなく、バス停に並ぶ人もかなり少なくなっている。

そんな中で目立つのは、ジョギングをする人たち、である。

普通に歩いている人が少ない分、行き交う人というのは、ジョギングを目的に走っている人がほとんどなのである。

ジョギングって、不要不急の外出には当たらないの???

こんなときにジョギングをしている人って、バカなの???

ジョギングをせずにいられない病気なの???

それとも、ジョギングをすることは、新型コロナウィルスに感染もしないし、感染もさせないという科学的根拠があるのだろうか?寡聞にして知らない。

脚本家の山田太一が書いた、『終りに見た街』(小学館文庫、2013年、初出は1981年)という小説のことを思い出した。

ある家族が、太平洋戦争末期の1944年末に突然タイムスリップする、というファンタジー小説である。そこで彼らは、飢餓や言論統制や空襲という悪夢のような体験をするのだが、未来から来た彼らは、いつどこで空襲が起こるか、とか、最終的に日本が敗戦する、といった歴史的事実を知っている。

やがて、1945年3月10日という日が迫ってくる。東京大空襲の日である。未来から来た家族たちは、一人でも多くの人を東京大空襲から救おうと、東京中を駆け回って、

「3月10日に東京で大規模な空襲が起きるから、早く逃げて!」

と呼びかけるのだが、誰も聞く耳を持とうとしない。それどころか、根拠のない嘘で不安をあおり立てたとして、彼らはみんなから罵倒されるのである。

過去にタイムスリップした人が、未来について警告するなんて、まったくの荒唐無稽な話だと思うかもしれないが、果たしてそうだろうか。

いま、欧州や米国に住んでいる人が、日本に住む人たちに対して、

「このままだと、東京、あるいは日本に感染爆発が起きて、とんでもないことになるから、そうならないように、外出するのはやめて!」

と呼びかけている。欧州や米国の現実が、まさにそうだからである。この国にとって、少し先の未来なのかもしれないのだ。

だが日本に住む人々は、その呼びかけを、どれほど真剣に受け止めているだろうか。

山田太一が小説の中で語ったのと同じことが、いまこの国で起きているのではないだろうか。

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もし総理大臣になったら

もし総理大臣になったら、絶対に日記をつけるだろう。

総理大臣になるチャンスなど、誰にでも訪れるわけではない。

そんなチャンスを、漫然と過ごしているのはもったいない。

もともと、このブログも、40歳にして韓国留学、という、一生に一度、あるかないかという体験を、事細かに記録にとどめておこうという趣旨で、はじめたものである。

ずいぶん前に買った本だが、細川護煕『内訟録』(日本経済新聞出版社、2010年)という本がある。

細川護煕氏が、1993年夏から1994年春にかけての8カ月間、総理大臣を務めたときの日記である。

ちょうど僕はその頃、大学院生だったので、リアルタイムでこのときの政権のことを記憶している。

この日記が、めちゃくちゃ面白いので、折にふれて読み返し、いまの政権の知的水準との雲泥の差に、思いを致している。

思えば、細川氏が、当時飛び抜けて知的水準が高かった、というわけではないだろう。むしろこの世代の平均的な知的水準をもつ政治家であったはずである。

1993年8月4日(水)の日記

「トインビーは『私たちは自分たちがたまたまその中に生きている特定の国家、文明および宗教を、その故に中心的であり、また高級なものであるとする幻想からみずからを解放しなくてはならない』(『歴史の研究』)と言っているが、ベルリンの壁の崩壊、東西両ドイツの統一、旧ソ連の瓦解、東西冷戦の終結など、歴史の変化の速度は人智を超えるものなり。

日本自身の変化の速さに思いを致すとき、人間の考える時刻表が如何にあてにならぬものかと改めて思う。

私は行動で誤ることがあっても、歴史を見ることで誤ることはない。-シャルル・ドゴール」

1993年9月5日(日)の日記。

「すべての権力を持つ者が、それを濫用しがちなことは、いつも経験するところである…。権力を濫用できないようにするには、権力が権力を抑えるようなしくみが必要だ、とモンテスキューが『法の精神』で言える如く、活力ある、豊かさが実感できる社会実現のためには、何としても官僚の抵抗を抑え規制緩和せざるべからず。『春秋左氏伝』に、「国将亡、必多制」とあることを銘記すべし」

1993年11月5日(金)の日記。

「朝、皇居正殿「松の間」における文化勲章、功労賞授賞式に出席。

それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽した人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、まことに見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。西郷曰く、「生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は、御しがたきものなり。然れどもこの御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計るべからず」と」

細川政権は、わずか8カ月で瓦解した。政権を投げ出したと、当時、批判された。

政界引退後は、趣味人として生きているようである。

以前、小さな映画館で、細川さんと思しき方と、すれ違ったことがある。

政治のドキュメンタリー映画も上映していたが、それには目もくれず、芸術を主題にしたドキュメンタリー映画をご覧になったようだった。

趣味人としての人生を、全うされるおつもりなのだろう。

政治が芸術を弾圧するような風潮が訪れているいま、細川さんはどんなことを考えているのだろう。

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ブックカバーの話

本を買ったとき、ブックカバーをつけてもらうか、つけてもらわないかは、人によって好みが分かれると思う。

僕は、買ったときにはつけてもらい、その本を読み終わるとブックカバーをはずす派である。

高校時代の本好きの友人は、どうやらブックカバーを捨てない派らしい。

理由を聞くと、「ブックカバーを見ると、その本をいつ頃どこで買ったかを思い出すから」だという。

その友人は、高校時代に買った文庫本を今もたまに読み返すそうで、以前にその本を見せてもらったことがあるが、「東西書店」のブックカバーがかけられたままだった。

そのブックカバーのデザインをしばらくぶりに見た僕は、とたんに懐かしい気持ちになった。

僕の通っていた高校の近所には、「東西書店」と「増田書店」という二つのちょっと大きめな本屋さんがあって、高校時代はその二つの本屋さんをよくハシゴしていた。増田書店のブックカバーこデザインは忘れてしまったけれど、見たらきっと思い出すだろう。

なるほど、その友人からしたら、「東西書店」のブックカバーを見ればその文庫本を買った高校生の時の自分の気持ち、つまりどんな気持ちでその本を買ったのか、といったことを思い出すのかもしれない。

そう考えたら、ブックカバーは捨てたもんじゃない、というかむやみに捨てるもんじゃない。

めったに行かないのだが、家の近所の有名な繁華街のアーケード内に昔からある小さな老舗の古本屋のブックカバーのデザインは、なかなか凝っていて好きである。地元に対する郷土愛に溢れたブックカバーといったらよいか。本じたいを大切に守っている、という感覚になり、そこで買った文庫本は、読み終わってもブックカバーをはずすことができない。

してみると、愛着がわくようなブックカバーを提供する本屋は、本に対する愛着に溢れた本屋であるということを表明しているということなのかもしれない。

最近は、おしゃれなブックカバーも多い。同じ本を買うのでも、好みのブックカバーの本屋で買おうかな、と思う場合も少なくない。

ただ困るのは、ブックカバーの種類がいくつもあって、それを客に選ばせるシステムをとっている本屋である。

ある本屋は、10種類の色からブックカバーを客に選ばせている。

「お好きな色をお選びください」と店員はいうが、10種類もあれば目移りしてしまって、それを考えるだけでも疲れてしまう。で、一つの色を選んで、その色のブックカバーをつけてもらうと、「この色じゃないのがよかった」と、あとでひどく後悔するのである。ブックカバーひとつで、なぜこれほどまで思い悩まなければいけないのか。そうなるともう、本の内容が頭に入ってこなくなる。

ブックカバーひとつでも、僕の感情は浮き沈みするのである。


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台風と虹と大雨と

今年は、台風15号、台風19号と、関東地方に風や雨による被害が続いた。

先週金曜日の大雨も、それに追い打ちをかけるものとなった。実感としては、今回の大雨が、最も危険を感じるものとなった。前の二つの台風が休日におとずれたのに対し、このたびの大雨が出勤日と重なったことにもよるだろう。

金曜日は朝からひどい大雨だったが、夕方になって雨がやみ、幸い電車が動いていたので、帰宅することができた。

ただ、ふだん使っている道が、崖崩れで寸断され、ちょっとした遠回りをする羽目になった。

帰宅すると、僕の職場のある町が、大雨による冠水でひどいことになっているとニュースになっていた。

ニュースを見た何人かの方から、お見舞いのメールをいただき、とてもありがたかった。不幸中の幸いと言うべきか、僕の職場は山の上にあるので、冠水などの被害には遭わなかった(と思う)。

自宅は、職場から通勤時間2時間半の場所にあるので、特段の被害はなかった。

しかし、実際に大雨の被害に遭った地域に自宅のある人は、想像を絶する体験をしたのだろうと思う。

先週の火曜日、10月22日(火)に、さるやんごとなき方がやんごとなき地位に就かれたとのことで、内外からお客さんを招いて、お祝いの式典が行われた。

その日は祝日になったこともあり、僕はテレビでその式典をボンヤリと眺めていたにすぎないのだが、その式典を眺めている間、桐山襲の小説『パルチザン伝説』のある一節が僕の頭から離れなかった。戦争で空襲に遭った男二人が話をする場面である。

「『このへんには工場がないから大丈夫だとは思うけれど―』
私が落ち着きをとりもどしてそう言うと、男はしばらく防空壕の方角を見やっていたが、やがて断固たる調子で、戦争だから家が焼かれるのは仕方ねえが工場が狙われるのが悔しい、それに宮城(きゅうじょう)が心配だ、と答えた。

…戦争だから家が焼かれるのは仕方ないが工場が狙われるのが悔しい、それに宮城が心配だ…

なるほど、この国のひとびとはかつてない空爆のなかでそういうふうに考えているのか――動悸の細波が残っている胸を押さえながら、私は頭のどこかが痺れるのを感じていた。まだ焼かれ足りないのか、まだ殺され足りないのか、いや、全部焼かれ、全部殺されても、そう思いつづけているのか」

「確かに私の周囲で生きているひとびとは、ただならぬ生活の混乱や肉親の死に直面しているにもかかわらず、未だ敗け足りていないように見えた。民間人だけではない、軍人もまた、真剣に降伏を考えているのは上層の極めて一部であり、それ以外は児戯に類する本土決戦の〝準備〟に我を忘れている状態だった。なるほど民は自らの水準に応じてその支配者を持つものだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、軍部のごろつきたちはまことに適合しているのかも知れなかった」

儀式が始まると空が晴れて、その直後に上空に虹が現れたと、ニュースがまるでそれを吉兆のように伝えているのは、もはや非科学的でしかなかった。現実にはその3日後に、「弱り目に祟り目」の大雨が、台風19号の被災地に容赦なく襲ってきたのである。

やんごとなき式典についての僕のコメントは、これ以上でも以下でもない。

〔付記〕なお、この記事のタイトルは、あるドラマのタイトルのパロディーである。説明するのも野暮な話だが。

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私だけの逸話

先日、知り合いの編集者が出版した、脚本家・早坂暁さんのエッセイ集を読んだという話を書いた。

その感想を、知り合いの編集者の方にメールでお送りしたところ、なんと僕の感想を早坂さんの奥様に伝えてくださったようで、奥様がたいへん喜んでおられましたと、その編集者の方からメールをもらった。

なんとも恐縮するようなお話しである。僕は一読者にすぎず、書いた感想も実に拙いものだったのだが、早坂暁さんや早坂さんの奥様とはまったく面識がないにもかかわらず、存在がぐっと身近に思えてしまったのである。

僕の感想を、早坂さんの奥様がご覧になったと聞いて、ちょっとこれは書かない方がよかったのかな、と思った部分があった。

「エッセイ集とは関係のない話になりますが、早坂暁さんと大林宣彦監督は、「恋人よわれに帰れ」(1983年)という単発ドラマで、いちどだけ一緒にお仕事をされていますね。僕は未見なので内容はよくわからないのですが、ある評論によれば、ビデオ制作によるテレビドラマだったために、大林監督らしい演出が発揮できず、当時はあまり評価されなかったようだったとありました(樋口尚文編『フィルムメーカーズ20 大林宣彦』2019年7月、宮帯出版社刊)。同じ瀬戸内海の生まれで、しかも広島での戦争体験を共有しているお二人が、映画で一緒にお仕事をなさるところをもっと見たかったなあとも思います」

僕が大林宣彦監督のファンであるあまりに、上記のような、エッセイ集の感想とは関係のないことを書いてしまったのであるが、ここで大林監督のお名前を出してよかったのだろうか?と、ちょっと心配になった。お二人が良好なご関係にあったかどうか、僕はわからないまま書いてしまったからである。

編集者の方からの返信によると、「奥様はもともと実家が尾道で、大林監督と同郷です。医者だった大林監督のお父さんは地元では「大先生」と呼ばれていて、「ちなみに大林さんの父上は開業医で、私の伯母は、盲腸を切ってもらったそうです」とのことです」とあったので、僕はまたまたびっくりしてしまった。人間の縁とは、なんとおもしろいものだろう。早坂さんと大林監督は、意外なところでつながっていたのである。僕があの感想を書かなければ、「早坂さんの奥様の叔母様が大林監督の父上に盲腸を切ってもらった」というエピソードを伺うことはできなかったのである。

大林監督といえば、今年の5月にお目にかかったときのエピソードを思い出したので、書きとどめておく。

大林監督の講演会の後、僕は厚かましくも懇親会に出席して、あろうことか途中から監督の隣の席に座ることになった。

僕はガッチガチに固まって、結局何もお話しできなかったのであるが、まあそれは置いといて。

その懇親会場には、プロジェクターがセットされていて、壁には大きなスクリーンが掛かっていた。

途中、スタッフの方が気を利かせて、スクリーンに映像作品を流しはじめた。食事をしたり歓談したりしながら、BGM的に見てもらおうと思ったのだろう。

大林監督が、スクリーンに映し出された映像に気がついて、スタッフの人に質問した。

「いま、前で流れているあの映像は、何?」

「あれは、地元の大学の学生が、授業の一環として制作した短編映画です」

たしかそんなふうに答えていたと思う。すると大林監督がおっしゃった。

「食べたり飲んだりしながら見ちゃ、失礼だよ。見るんならばちゃんとした環境で見たい。あとでじっくり見たい」

「では、後日にこの映像作品をお送りします」

「ありがとう」

横で聞いていた僕は、びっくりしてしまった。いってしまえば、たかが学生が作った、おそらくは未熟な作品である。そうした作品さえも、映画として尊重しているのだ。どんな映像作品も、1つとしておろそかには観ない。つまりこれは、映画そのものに対する、監督の畏敬の念なのではないだろうか。僕はすっかり感動してしまった。

おそらく、その場に居合わせた僕しか知らないエピソードだろうと思うので、書きとどめておく。

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