書籍・雑誌

「時代の趨勢」ではかたづけられない

11月15日(水)

3日目の「高気圧酸素治療」も終わり、お昼前に「ひとり合宿」から解放された。

ふと思い立ち、途中下車して、あるE電の駅南口に隣接する本屋さんに立ち寄ることにする。僕はこの沿線に住んでいるので、この路線に乗るときに、時間ができれば途中下車をすることは何度かあったが、その本屋さんには、2,3回訪れた程度だった。その印象は、「品揃えは非常によく練られており、決して広くはない空間にメガ書店にまったく引けを取らない豊かさがあ」った(日野剛広『本屋なんか好きじゃなかった』十七時退勤社、2023年より表現をお借りしました)。なにより、地元が頼りにしている本屋さんだった。このE電の沿線には、そういう本屋さんが多い。

久しぶりに入口に立ってみて驚いた。立て看板が立っており、こんなことが書かれていた。

「お客様各位 大変残念ですが、当店は2024年1月8日をもって閉店致します。皆様のご利用によりこの地で40年以上書店として存在できた事は大変な喜びです。この地から退く事は大変な悲しみですが、時代の趨勢として受け入れざるを得ません。長い間本当にありがとうございました」

おいおい、閉店しちゃうのかよ!

店の中に入ると、それなりにお客さんがいる。本棚を眺めながら店内を歩いていると、お客さんが店員さんに向かって、口々にお店がなくなることの寂しさを語っていた。

「本当にやめちゃうの?」

「淋しくなるねえ」

「私はこれから、どこの本屋さんに行けばいいの?」

お客さんの声をそれとなく聞いていると、別の町からはるばるこの本屋に通っている人もけっこういるようだった。

しかし、40年も続いた本屋さんが、幕を閉じるとは。同じ町の南の方には、もう1軒、同じような規模で50年続いた、やはり品揃えがよく練られた本屋さんがあったそうだが、そのお店も2017年にすでに閉店している。

決してさびれた町ではないのに、しかも駅に隣接した一等地なのに、お客さんもそこそこいるのに、それにもかかわらず、閉店に追い込まれるというのはどういうわけだろう?

この先、本屋さんは「メガ書店」と「インディーズ書店」の二極化がますます進み、粛々と営んでいた「町の本屋さん」は、どんどん廃業していってしまうのだろうか。

いったい、だれを恨めばいいのか?

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文フリって何だ?

11月12日(日)

午前中、父親の七回忌法要を済ませたあと、午後に市内の小規模書店に向かう。ちょっとした知り合いがトークイベントをするというので、聴きに行くことにしたのだ。

前日は、東京の流通センターというところで、「文フリ」があった。

「文フリ」。今年になって初めて覚えた言葉である。「文学フリマ」のことだが、それをわざわざ「文フリ」と略すのはどうだろう?

「文学フリマ」とは、文学作品展示即売会のことで、公式ホームページによると、「小説・短歌・俳句・詩・評論・エッセイ・ZINEなど、さまざまなジャンルの文学が集まります。同人誌・商業誌、プロ・アマチュア、営利・非営利を問わず、個人・団体・会社等も問わず、文芸サークル、短歌会、句会、同人なども出店しています。参加者の年代は10代〜90代まで様々です。現在、九州〜北海道までの全国8箇所で、年合計9回開催しています」とある。行ったことないけど、「コミケ」みたいなものなのだろうか?

「文フリ」の話題は、「武田砂鉄 プレ金ナイト」でも、TBSラジオの澤田大樹記者が「ZINE」を出すという話をしていて、その存在自体は知っていた。というか「ZINE」という言葉も、最近知った言葉である。かつての「同人誌」みたいなものと勝手に理解している。

知り合いからぜひ来てみてください、と誘われたのだが、昨日はとても無理だったのでお断りした。

僕の究極の夢は、ミニコミ誌を発行することだと以前に書いたことがあるが、「文フリ」はそのためにおあつらえ向きの空間なのかも知れない。行ってみたいという衝動に駆られるが、そもそも混雑しているところに行くのは好きではなく、「文フリ界隈の人々」とコミュニケーションをとるのは苦手だし、とくにそこまで文フリに思い入れがあるわけでもないので、たぶん今後も行くことはないだろう。

たまたま文フリに出店した知り合いが、市内の書店でトークイベントをするというので、文フリに参加する代わりに、文フリ気分をちょっとでも味わえればと参加したわけである。

…なんか、「文フリ」と言いたいだけの人みたいだな。

トークイベントは、昨日の文フリに出店していた2人による対談という形式でおこなわれた。当然、昨日の文フリの振り返りみたいな話題も出たので、僕はそれだけで十分だった。おそらく文フリの現場に行ったら、見境なく同人誌を買ってしまうかも知れない。それが怖いので、行かなくて正解だった。昨日の娘のわがままをたしなめる資格はない。

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ほんとにオーディオブックになっちゃった!

以前僕が書いた本が、オーディオブックになった。

かつての担当編集者から、「先生の本をオーディオブックにしたいと考えております」とメールをもらったのは昨年(2022年)9月のことだった。その本は内容に自信があったものの、まったく売れなかったので、あまりよい思い出はないのだが、この期に及んでオーディオブックにするというのは、どういうつもりなのか、よくわからなかった。

それに、僕の書いた本の内容は、およそオーディオブック向きではない。音声だけでは伝わらないところが多いのではないかと不審に思ったのである。

気になって調べてみると、その出版社は「すべての人に本を」というキャッチフレーズで「音声Project」を始動し、なんと2年で1000作品をオーディオブックとして制作し、配信するという目標を立てたようなのである。

つまり、僕の本は少しでもその目標数に近づくための1冊に入れてもらったと、こういうわけである。その試み自体は大賛成なので、僕にはまったく異論がなかった。

直ちに承諾したが、それから半年ほど経った今年(2023年)の3月初頭に担当編集者からメールが来て、読み方のわからないところをチェックしてほしいと、エクセルに入力されたチェックリスト一覧が送られてきた。僕はちょうどそのとき、職場のイベントの準備が忙しく、まさに開幕数日前という状況だったので、とてもその件に関わっている時間はなかった。しかも締切は1週間後というではないか。しかし放っておく訳にはいかないし、誤った読み方のまま配信されてしまっては沽券に関わるので、チェックリストに載っている言葉の一つ一つについての対応策についてエクセルに記入し、返信した。これが判断に迷うところも意外に多くて、それなりに面倒な作業だった。

で、それから半年ほど経った9月末くらいに、どうやらオーディオブックとして配信されたらしい、ということを、たまたま何かのSNSで知った、というか、担当編集者は配信したことを教えてくれないのかよ!

著者である僕に、その音源をくれるなんてことはないのかな?と少し待ってみたが、そんな様子もない。つまり、自分の本のオーディオブックを聴きたい場合は、AmazonAudibleに登録しろということらしいのである。その代わり、登録している人はタダで読めるのだと。

で、待っていてもいっこうに音源が提供されないから、AmazonAudibleに登録することにした。実は愛聴している文化放送「SAYONARAシティボーイズ Part2」も、AmazonAudibleが提供している番組なので、登録すればついでにシティボーイズのラジオもAmazonAudibleで聴くことができる、というか、そっちの方が主たる目的である。

自分の書いた文章を音声で聴くというのは、ひどく恥ずかしい行為だが、意を決して、「どんな感じになっているんだろう?」と聴いてみることにした。

そしたらあーた、全部聴き終わるまで8時間もかかるというじゃあ~りませんか!そんなに内容の長い本を書いた覚えはないのに、あんな本でも8時間かかるんだな。

で、聴き始めると、これが自慢じゃないが、めっぽうわかりやすい!俺ってこんな文章書いていたっけ?と新鮮な気持ちで聴いてしまった。

ただ、あいかわらず僕の文章はクドい。わかりにくい内容を一つ一つ解きほぐすものだから、どうしてもクドくなってしまうのである。

それに、チェックリストに載っていなかった箇所で、漢字の読み間違いがけっこうあったりして、「全文にわたってチェックしたかったなあ」と悔やまれた。なかなかマニアックな言葉が多かったので仕方がないのだが。

エピソードの1つめを聴いただけで疲れてしまった。このあと、どんだけ続くんだろうと思うと先はまだ長いが、最後まで聴かなければならない。

しかし聴いていて思ったのは、俺の文章って、実はオーディオブック向きじゃね?ということだった。ま、これは完全に自慢なのだが、これからはどんな文章も、オーディオブックになることを意識して書くようにしよう。

なんてったって、「SAYONARAシティボーイズ Part2」と一緒に、AmazonAudibleで聴くことができるんだからね。それがいちばんの自慢だ。

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電光石火の早技、なのか?

8月30日(水)

帰宅して、郵便物を見て驚いた。

5月に原稿を出した新書が、もう完成しているではないか!

…と、この経緯について説明すると、話せば長くなる。

僕はここ最近、単行本とか選書とか新書とかのシリーズものとか企画ものの1章分くらいの原稿を依頼されることがほんとに多い。もう、そういうライターといってもいいほどである。決して筆が速いというわけではないし、どうして依頼されるのかはまったくもってわからないのだが、僕はどんなテーマで依頼されても断らずに引き受けるので、おそらく使い勝手のいいライターと思われているのだろう。

今回の新書もまたシリーズものの1冊である。昨今の新書事情というのはよくわからないのだが、『○○講義』とかなんとかと銘打って、複数の執筆者が少しずつ書くような新書が売れているのだろうか。最近は、SNSにすっかり慣れてしまってしまった読者層が長い文章を読む気力を失って、一つ一つの内容が短いほうが好まれるのだろうか。

あと、僕が大嫌いな言葉「サクッと学べる」ことを、読者は欲しているのだろうか?少なくとも出版社はそういう本を望んでいるのだろう。

で、僕にもそんなコンセプトの原稿依頼が来たわけである。

依頼を受けたのは昨年の12月。ふつうは封書で来るものなのだが、いきなりメールが送られてきた。ま、いまどき封書で依頼状を受け取ることをよしとする僕の感覚は、「昭和」の感覚なのかもしれない。

僕にとってはあまり馴染みのないテーマを書けという依頼だったが、前述のポリシーのごとく、僕に合わないテーマでも断ってはならないと思い、引き受けることにした。僕よりもふさわしい執筆者の顔が何人も思い浮かんだが、考えないことにする。原稿の分量が、400字詰めの原稿用紙に換算して20枚程度ということだったので、なんとかなるだろう、とも思ったのだ。

しかし思い出してほしい。この時期は、僕は一世一代のイベントの準備をしていて、5月の大型連休最終日の会期末まではまったく時間がとれない。いや、そればかりか、会期終了後も撤収作業や返却作業が1か月近くあるので、5月いっぱいは、イベントの内容とはまったく違うテーマの原稿を書く頭に切り替わらないのだ。

イベントの最終日は5月7日、原稿の締切は5月8日である。締切日に編集者から、

「本日が締切ですよ~」

というメールが来た。僕はすぐに、もう少しかかりますと言ったが、先方のメールの様子だと、これは締切を大幅に過ぎてはいけないヤツらしい。

で、いまとなってはどうやって書いたのかは覚えていないが、約1週間後の5月14日にひとまず原稿を完成させて提出した。ますは本文のみをとりあえず提出し、その後、図版についての指示を行った。

このあと、印刷所に入稿して、初校の受け取りと戻し、再校の受け取りと戻し、という作業が続くのだが、その校正も僕は遅れ気味で、

「校正をお待ちしております」

とメールでたびたび催促をもらう。

8月4日に再校の戻しを送って、あとは出版社のほうで校閲して、おかしなところがあったら問い合わせがくるだろうと思っていたら、本日いきなり完成本が送られてきたと、こういうわけである。

僕の記憶では、入稿から完成までの期間がこれほど短いという経験をしたことがないので、驚いたのだが、新書というのは、ふつうはこんなペースなのだろうか?僕がこれまでかかわってきた新書でも、入稿から完成までがこれほど早いことは経験したことがない。

サクッと作って、サクッと読まれる本は、サクッと忘れられるだろうから、ま、いいか。いや、それでいいのか?

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オダジマおじさんの諦念指南

コラムニストの小田嶋隆さんが亡くなってちょうど1年がたつ。

小田嶋さんの没後に刊行された『諦念後 男の老後の大問題』(亜紀書房、2022年)は、亡くなる4年前の2018年7月から1年ちょっとにわたって、集英社の『青春と読書』に連載されていた文章をまとめたものである。

「『青春と読書』ってタイトル、ダサいですよねえ」

と、やはりこの雑誌に連載を持っていた武田砂鉄氏が言っていたが、小田嶋さんもそう感じていたのかもしれない。「青春」ではなくあえて「老後」を連載のテーマにしたのである。

僕はまだ老後といわれる年代ではないが、体力的にも気分的にもすっかり老後だし、少なくとも老後への心構えが必要だと思っているので、この本をそのための指南書だと思って読んだ。

この本は、「コラム」ではなく「エッセイ」である。「コラム」というのは、対象が社会事象であるが、「エッセイ」は対象が自分自身に向かっている。小田嶋さんの主戦場である「コラム」とはひと味違い、自分が体験したことについて思考を巡らす文章なのだが、この文体が、実にキレッキレなのである。

どれも面白いエピソードなのだが、「卒業後40年を経て、同窓会に出席してみた」は、アラフィフの僕にも非常に共感できるエピソードである。

ほとんど同様の内容を酒井順子さんが『ガラスの50代』というエッセイで書いていたが、小田嶋さんの文章はもっと口が悪い。

「別の言い方をすれば、公立半端進学校の大規模同窓会は、それなりの大学を出た先に勤めたそれなりの会社でそこそこの出世を果たした人間でないと顔を出せない結界なのである」

「ってことは、オレらの世代の人間にとって同窓会というのは、互いに知り合っておいて損のないエリート同士が、生臭い情報交換をしつつ互いの自慢話を披露し合う出世サロンの如きものなのだろうか」

「とはいえ、大規模同窓会組織の中枢をなすエリート連中よりずっと仲が良かったはずの同じクラスの仲間が、時を経て話してみると、これが残念なことにどうにも面白くない」

「特に男は、どれもこれも、自分の会社で知り得た範囲のおよそ外部の人間には興味の持てそうにない話を繰り返すばかりだったりする。ついでに申せば、社内でそこそこの地位にいて、部下に話を聞いてもらえるのがデフォルトになっているせいなのかどうか、話しっぷりがやけに偉そうだったりする。しかも、他人の話を聞かない。

『おい』

私は何人かと話して、本気でびっくりした。

『会社生活というのは、こんなにもあからさまに一人の高校生をつまらないクソ親父に変貌させてしまうものなのか?』」

同窓会やクラス会に参加する人たちを、全方位に敵に回しているのがたまらなく可笑しい。

僕が通っていた高校も公立半端進学校だったから、たまに送られてくる同窓会誌を見る限りでは同じ現象が起こっていることが容易に想像できる。それをこんな感じで文章化してくれるのはひとえに痛快と言うほかない。

「ひまつぶしのために麻雀を打ってみた」では、こんなことも書いている。

「早い話、酒さえ飲んでいれば、向かい側に座っている人間は誰であってもかまわないということである。

なんなら犬だって差し支えない。

『まあ、アレだ、オダジマ君、一緒に飲む液体が酒だったら相手がどんなバカであっても苦にはならないってことだよ』

と、ずっと昔、よく一緒に飲んだ大酒飲みの先輩が言っていたものだが、たしかに酒飲みは相手を選ばない。どうせ先方の話なんか聞いちゃいないわけだし、自分は自分で飲んで好き勝手なオダをあげるだけの話だからだ。

先輩の話はもう少し続く。

『ところが、だ、オダジマ君。一緒に囲むテーブルに並べられている飲み物がお茶だのコーヒーだのってことになると、これはもう相手がバカだと間が持てない。わかるか?(略)』

実際そのとおりだろう。だからこそ、ソフトドリンクで3時間話題が尽きない相手を『友だち』と呼ぶのだ」

数年前にお酒をスッパリやめてしまった僕には、このことがよくわかる。

かくして痛快極まりない文章が続くのであるが、全体を通して読むと、ゆっくりと人生の終焉を迎えるように、各エピソードがつながっていく。

そして、「あとがきにかえて」で、小田嶋さんのお連れ合いの小田嶋美香子さんがこんなことを書いている。

「…あらためて読み直しましたところ、家族としては、何とも胸が締めつけられるような内容でありました。

というのも、意図したか意図せずかわかりませんが、それまでの文章ではなかなか見られない、等身大の隆氏が諦念へと向かう、さまざまな上にもさまざまな心の動きが、本人によって文中に描き出されていたからです。それも、結果的には亡くなる前、数年の。」

軽妙に書いている一つ一つのエピソードが、いまとなっては胸が締めつけられる思いがする、という気持ちは、長らく愛読者だった僕にも、よくわかる。

「意図したか意図せずかわかりませんが」とあるが、小田嶋さんは絶対に意図して書いていたと思う。それは、「定年後」のダジャレとして使っている「諦念後」というタイトルは、一見照れ隠しのようでいて、実はほどなく訪れるであろう人生の終焉に対して自分に言い聞かせていた言葉だったのではないかという気がするからである。

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ウラをとる

6月1日(木)

5月29日(月)放送分の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の「大竹メインディッシュ」のコーナーは、佐藤B作さん。

大竹さんと同世代の芝居仲間がゲストに来るときは、ほんとうに面白い。

口の悪いB作さんは、同世代の役者仲間への嫉妬やら、同世代の役者の若い頃の恥ずかしい話やらを、おもしろおかしく毒づきながら喋る。

その中で、こんなやりとりがあった。

大竹「噂では、坂本龍一さんと女性を取り合ったという…」

B作「あいつ(坂本龍一)ねえ、学生の頃『自由劇場』に来てねえ、もう『坂本』『B作』の仲だから」

大竹「『あいつ』なんて言っちゃっていいの?世界のサカモトですよ」

B作「知らないよそんなこと、俺が出会った頃はただの学生だったから。モテたねえ」

大竹「取り合ったら負けるでしょう」

B作「そりゃあ負けるよ。中央線の、何て駅だったかなぁ、(女性のアパートに行ったら)すでに坂本龍一が中にいました。で、泣きながら帰ってきましたよ」

大竹「ホントの話?それ」

B作「本当の話ですよ。嘘なんか言ったことないですよ、一度も」

大竹「ホントにいたの?、そこに」

B作「いたよ、『B作さん、ダメ、今日は帰ってください』今日は、っていうか、一度も入ったことないんだけどね、そのアパートには」

大竹「取り合ってないじゃない!」

B作「そうだね。一方的に負けてるんだ…坂本、あいつメチャクチャなんだよ」

大竹「なんで呼び捨てなんだよ!」

B作「うちによく泊めてあげたんだ。カネなくなって」

大竹「ホントに?」

B作「ホントだよ。芸大の学生の頃。そうしたら次の日、必ずお母さんが『佐藤さん、うちの龍一を泊めてくださってありがとう』って来てね」

大竹「ホントかなあ、その話」

B作「ホントだってば。すげえマザコンだったんだ」」

大竹「『マザコン』とか言うな!YMOだよ!」

B作「有名になってからはつきあいないんだよ」

大竹「ずっとシカトされてた…」

B作「病院で会っても『よぉぅ、B作』って言うくらい…」

大竹さんは、「その話、ほんとうなのか?」と驚くばかりである。たしかに嘘のような話で、佐藤B作さんと坂本龍一さん、まるで接点がない感じがするが、坂本龍一さんの『音楽は自由にする』(新潮文庫)には、学生時代にアングラ演劇に関わっていた思い出が語られており、その中にこんな記述がある。

「友だちを介して自由劇場での公演にも関わりました。参加している人たちがみんな面白い人ばかりで、そういう人たちと一緒にものがつくれるのはとても楽しかった。ステージに立ったこともあります。作・演出は、まだ一般的に有名になる前の串田和美さん。吉田日出子さんとか柄本明さんとか佐藤B作さんとか、みんな友だちでした。一度公演があれば、2週間や3週間はずっとそれにかかりきりですから、大学に行ってる暇なんてまったくありませんでした。

当時のアングラ演劇では、役者をやりながらミュージシャンもやっているというような人も珍しくなかった。演劇の中でも音楽がふんだんに使われていたし、演劇と音楽は、かなりシンクロしていました」(128~129頁)

坂本龍一さんと佐藤B作さんが自由劇場時代に友だちだったことは紛れもない事実である。坂本さんは、それを行儀よく語っているが、B作さんの語りは、その当時の様子をさらに活写している。

たしかに話を盛っている可能性はあるが、こういう語りは、決して活字にはあらわれない、消えてなくなってしまうような思い出である。お金がない坂本龍一さんを泊めてやったというB作さんの話じたいは他愛もない話だが、坂本さん本人も語りえなかった、ほかでは知り得ない証言として貴重であると思い、ここに記録を留める。

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夢は究極のミニコミ誌

5月29日(月)

高校時代の恩師がガリ版刷りのミニコミ誌に連載しているエッセイがとても面白かったので、このミニコミ誌に俄然興味がわいた。

僕は、そのミニコミ誌の細かい情報について、先生からまったく聞かされていないので、それが入手できるのかどうかもわからない。

ところが、先生のエッセイの中に、ミニコミ誌のタイトルとおぼしきものが書かれていたので、それを頼りに検索すると、ある出版社のホームページがヒットした。

そこには、その出版社が出版した本が、そのミニコミ誌で書評されたことが紹介されていて、そこには、「(書評を載せてくれたミニコミ誌は)年6回発行されている全ページ手描き文字の通信です。 謄写版印刷の暖かみが伝わるミニコミで、下記へ年間購読料を払い込むと定期購読できます」と書いてあり、年間購読料と郵便振替口座の番号が記されていた。

これだ、これに間違いない。

さっそく、そこに書かれている郵便振替口座に、年間購読料を振り込んだ。

するとその2日後だったか、見知らぬ番号から電話があった。

「もしもし、鬼瓦さんですか?」

「はい」

「私、ミニコミ誌を編集している者です」

だいぶお年を召した女性の声だった。

「このたびは、購読していただきありがとうございます」

「いえいえ」

「あのう…振り込んでいただいた購読料なんですけれど…この口座、どこでお知りになりました?」

「実はインターネットで検索して、郵便振替口座の番号と年間購読料を紹介しているホームページを見つけたのです」

「言いにくいのですが…600円足りないのです」

「そうなんですか?」僕はホームページで紹介されたとおりの購読料を支払ったつもりだった。

「以前はその購読料だったのですけれど、最近、値上げをしまして」

「そうだったのですか」

「お送りする会報に、振込用紙を同封しますので、600円を追加でお支払いいただけますとありがたいのです」

「ええ、それはもちろんです。承知しました」

「それと、…このミニコミ誌をどこでお知りになりました?」

「Nさんです」僕は高校の恩師の名前をあげた。

「そうだったんですか。購読いただけて、大変うれしいです」

「こちらこそ、楽しみにしています」

といって電話が切れた。

で、今日、そのミニコミ誌が届いた。

完全なる手作りによるミニコミ誌である。

先生が言っていたとおり、最初から最後まで手書き、しかもガリ版刷りだった。

「編集・ガリ切り・印刷・発行」としてひとりの名前が書かれている。なるほど、「ガリ切り」って言うんだな。

B4の紙の両面にガリ版印刷したもの6枚を、半分に折ってB5サイズの雑誌のような作りになっている。B4サイズ1枚あたり4頁の計算になるから、1号あたりのページ数は24頁になる。しかしホッチキス止めはしていない。

これぞ、究極のミニコミ誌である。

記事の内容はじつに多彩である。巻頭を飾るエッセイや、いくつかの連載、読者の投書欄、科学エッセイなど、読んでいて飽きない。もちろん、高校時代の恩師の連載エッセイは、その中に自然に溶け込んでおり、しかも抜群に面白い。

書いている人たちというのはどんな人たちなのだろう?と思っても、肩書きなど一切ないので、どんな人なのかもわからない。読者の投書欄には「○○県××市」と書いてあるのだが、その住所は全国に及び、特定の地域にかたまっている、というわけでもない。

うーむ。このネットワークはいったい、何なのだろう?ますます僕の興味をかき立てる。

…と、ここまで来て僕は気がついた。僕は、こういうミニコミ誌が、大好きなのである。

このミニコミ誌のほかにも、定期的に、ある団体からの会誌が送られてくる。それもまた、B4サイズの紙を二つ折りにして全4頁としたところに、会員がエッセイを書いているというスタイルである。さすがに手書きではないけれど、ぬくもりが伝わる。

そういえば僕は少し前に、「アングラもアングラ、ひっそり作っている秘密の会誌」に文章を寄せたことがあった。それもまた、B4サイズの紙を二つ折りにして全4頁にまとめた会報である。「秘密の会誌」というくらいだから、発行人の名前も事務局の場所も書かれていない。読者も想定していない。じゃあいったいだれが読むんだ?という、これもまた、究極のミニコミ誌である。

よく考えてみたら、僕はそういうミニコミ誌が大好きなのだ。それも、アングラであればあるほどよい。

前にも書いたが、20代の頃、高校の後輩たちに向けてミニコミ誌、というか個人誌を、だれに頼まれたわけでもないのに作成していた。内容は、いまやっているこのブログと同じようなテイストのエッセイをいくつか載せたもので、それを強引に後輩たちに送りつけていたのである。やってることは「ジャイアンリサイタル」と変わらない。この個人誌もまた、B4サイズを二つ折りにして全4頁にしたものだった。

僕は、職業的文章を本にするよりも、B4サイズの紙を二つ折りにして作るミニコミ誌を作ることのほうに、憧れているのだ。「B4サイズの紙を二つ折り」にして作る、というのがポイントである。

僕にもし余生があるとしたら、究極のミニコミ誌を作って過ごしたい。

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入院中にどんな本を読むべきか問題

4月28日(金)

ひとまず、無事に退院した。

これは病人あるあるなのかもしれないが、手術でたいへんなのは、手術中そのものよりも、術後である。

手術中は全身麻酔がかけられるので、ほんの一瞬で終わる。

「いいですか。大きく息を吸ってください」

といわれた時点でどうやら眠ってしまうらしく、次に続くセリフは、

「起きてください」

である。

それを同じ人が言うものだから、それがあたかも連続して聞こえるのである。これはまことに不思議な感覚である。

むしろ意識が醒めたあと、さまざまな管や機械を体中に付けられて、一晩を過ごさなければならない。寝返りも打てず、同じ姿勢を貫かなければならないので、よほどの忍耐がないとむずかしい。

しかも、僕はどうも睡眠時無呼吸症候群らしく、寝ているとたまに無呼吸になるらしい。

そのたびに酸素飽和度がさがるので、看護婦が病室に駆け込んできて、

「息をしてください!」

と言われる。おちおち眠ることもできないのである。

2日目に大部屋に戻るが、管はついたままで、これがどうにも違和感がある。

3日目にようやく体中の管がはずされ、晴れて自由の身となる。そこで持ってきた本を読もうと思うのだが、この本選びというのが、なかなか難しい。

体調がアレだから簡単に読める本を、と思い、先日、ある方からいただいた科学エッセイを持ってきた。科学とはいいながら、滋味深い文章で、ひとつひとつのエピソードも短い。タイトルに「夜話」とつくくらいだから、夜寝るときに、一話ずつ読めばちょうどよいというボリュームである。

読み始めると、たしかに滋味深い文章で、それでいて科学の知識についてなるほどと思わせる名作なのだが、科学の知識が必要となるため、頭を使わないといけない内容が含まれており、健康なときは何ら問題はないのだが、術後の身体には思いのほか思考に過重な負担を与えたようで、どうも長続きしない。これは無理をせずに、あらためて健康な状態のときにじっくり読むほうが得策のようだ。

こういうときはあまり頭を使わない方がよい、という結論になり、こんどは小説を読むことにした。僕の高校時代のすぐ下の後輩が、作家をしていて、つい最近、最新刊が刊行された。僕はその後輩とは面識はないのだが、その後輩の親友が僕と同じ部活の後輩だった縁で、その作家の小説を読むようになったのである。

読み始めると、これがめっぽう面白くて止まらない。けっこうな長編小説だったが、一気に読み終わってしまった。

頭を使わなくてもよい、といっても、決して簡単な内容の小説ではない。登場人物も多く、その人物たちの背景や人間関係も複雑で、しかもある業界の専門用語がバンバン出てくる。にもかかわらず、読み進めていけたのは、ひとえにその作家の「筆力」のおかげだろう。

前述の科学エッセイもたしかに名文なのだが、やはり小説のエンターテインメント性が、思考への負担をかなり軽減してくれていたのではなかろうか。

これからもしばしば入院する機会があるだろうから、病院で読む本は、なるべく思考に負担がかからない本を持っていこう。いまのところ、エンターテインメント性の強い小説がその候補になるのではないかと、僕は仮説を立てている。

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鉱脈

8月26日(金)

秘境から無事に戻ってまいりました。

小田嶋隆さんの最新刊であり遺稿集である『コラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)を読んでいたら、涙が出てきてしまった。まだ喪失感は続いているらしい。

Web上で連載していたコラムのうち、亡くなる10カ月くらい前からのものをまとめたものだが、本のタイトルは、小田嶋さんが亡くなる4日前に、ご本人が決めたと、編集部が書いた「まえがきに代えて」に書いてあった。

ちなみにその「まえがきに代えて」には、

「五月末、小田嶋さんから電話があり、『医者は、夏を迎えられないかもしれない、とか言ってるんです』と軽やかにおっしゃいました」という一文があり、これが泣けて仕方がない。ちなみに小田嶋さんが亡くなったのは、6月24日である。

まだ途中までしか読んでいないが、文章はあいかわらず軽妙で諧謔に満ちており、僕にとっては名言の連続なのであるが、ところどころ、ご自身の最後を予感しているようなくだりがある。高校時代からの親友だった、CMプランナーでメディアクリエイターの岡康道さんに向けて書いた文章は、まさにそのような感じである。

小田嶋さんと岡さんの関係については、このブログでもたびたび紹介してきた。岡さんは、小田嶋さんよりも2年早く他界されたが、その岡さんについて書いた、こんな文章がある。

「あいつ(岡康道)の『夏の果て』(小学館文庫)を読んだのは、(中略)六十歳を過ぎた頃のことだ。

頭をなぐられた気がしたことを、いまでもおぼえている。

『おまえには、こんなことができたんだ』

私にとっては、まったくの不意打ちだった。

『どうしていままで隠していたんだ?』

という、いまでもその驚きの中にいる。

(中略)

この作品が、岡の最後の長編小説になってしまったことは、返す返すも残念な成り行きだ。この先にどれほどの鉱脈が隠されていたのか、誰にもわからなくなってしまった。それは、とてもとても悲しいことだ」

僕はこの小田嶋さんの文章を読んで、小田嶋さんの最初で最後の小説『東京四次元紀行』を読んだときの、僕の感想とまったく同じであることに気づいた。

岡さんの唯一の長篇小説を読んだときの小田嶋さんのこの感想は、そっくりそのまま、小田嶋さんの唯一の連作小説『東京四次元紀行』に対する感想として、お返ししたい。『東京四次元紀行』の読者の多くが、小田嶋さんの「隠された鉱脈」を見いだしていたと思う。

小田嶋さんが人生の最後に小説を書いたというのは、ひょっとして、親友の岡康道さんのことを強く意識していたからではないだろうか。岡さんの小説に突き動かされるように、ご自身も小説を書いたのではないか。そんな妄想を抱いてしまう。

さて、文章を生業とする人間、あるいは、文章を書くことを厭わない人間が、自分の最後をあるていど覚悟したときに書く文章には、二つのタイプがあると思う。

一つは、自分の最後に至る経過を、包み隠さず、克明に書こうとするタイプ。

もう一つは、最後の最後まで、その覚悟を悟られることなく、自分の文体を貫き通すタイプ。

小田嶋さんは、当然後者である。病気のことは一切ふれずに、最後のコラムは、「また来週」で終わっている。

僕もまたそうありたい、と思っているが、どうなるかはわからない。

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記憶狩り

最近読んだ本、ということで、もう少し書く。

小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫、1998年)は、ある島で、記憶が一つ一つ消滅していく物語である。その島の多くの人は、何が消滅しても、それに適応し、慣らされて淡々と生活を続けていくのだが、一部の人は記憶力を失わない。記憶力を失わない人に対して、「秘密警察」による「記憶狩り」が行われ、粛清されていく。

まるでいまのこの国の社会を予言したような寓話ではないか。この国の政治家たちは、都合の悪い事実を忘れさせようと、書類を改ざんしたり、隠蔽したり、Twitterのアカウントを削除したり、あの手この手で、なんとか証拠を残さないように、というか、最初からなかったかのようにふるまう。しかし、いかに「最初からなかった」ようにふるまったとしても、私たちは記憶している。「私たち」といっても、すべての人ではないかも知れないが、あの事件も、この不正も、忘れないように、しつこく記憶している人は多いはずである。もちろんこの小説では、そうした政治批評的な視点は微塵も見られないが、この小説のように、やがては記憶している私たちのほうに権力の刃が向くのではないか、という未来も、いま読んでみると、予感させるのである。

この小説の英語訳が、日本人作品として初めてブッカー国際賞の候補になったという。「日本人作品」という括り方は、あまり好きではないが、あえて言えば、ノーベル文学賞に一番近い日本人作家は、小川洋子なのではないか、と思ったりする。もちろんこれは、僕のきわめて乏しい読書体験からの想像にすぎないので、異論は認める。

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