そんなこともあるさ
以前、ある書店で行われたトークイベントを聞きにいった。トークイベントのゲストは僕が初めて知るエッセイストだったのだが、なかなかにお話が面白いとそのとき感じて、その方の本を買ってサインをもらった。本の帯には僕が好きな著名なエッセイストが最大限の讃辞を贈っていて、否が応でも期待値が高まった。
トークイベントには、その方の信奉者らしき人もいて、というか、そういう人がほとんどだったのだが、「自分も○○さんのようなエッセイを書きたいと思って、思い切って自分の日記やエッセイをインターネットで公開しました」、という人もいた。僕はそれほどまでに信奉者の方がいるとは知らず、その界隈の人々にとっては後を追いかけるべき存在の人なのだなとひたすら感心するばかりだった。
ところが家に帰ってきて本を開き、読み始めたのだが、これがなかなか進まない。どうがんばっても、その先を読む気がしないのである。
おかしいな。僕が好きなエッセイストは本の帯であんなに絶賛していたのに、僕には全然頭に入ってこないのである。僕の感覚がおかしいのかな?
その方が男性の小説家と2人でやっているPodcast番組があることを知り、聴いてみたのだが、やはりどうがんばっても聴き続けることができない。これを聴くんだったら、他にもっと面白い番組があるのだからそれを聴こうと、聴くのをやめてしまった。
僕は自分の感性のなさに絶望し、自分は何か時代に置いていかれているのではないかと思い悩んだのだが、こんなことに思い悩んでいるのは自分だけだろうかと思ってSNSなどをつい調べてみると、大絶賛の嵐の中、ひとりだけ僕と同じような印象を抱いている人がいるのを見つけた。
その人は僕と同じで、有名なエッセイストが推薦されているので手に取って読み始めたけれども、どうにもしっくりこないと書いてあった。とても素敵なエッセイで、自分もそのことを重々承知しているのだが、文章のタッチが自分にはどうもしっくりこないと。
その感想を書いている人がどんな人なのかはわからないが、おそらく僕がそのエッセイストの本に対して抱いたのと同じ印象を持ったのだな、ということが、その短い文章から容易に想像できたのである。
そして、この方の素晴らしいのは、その文章の最後のところである。正確な引用ではないが、云わく、
「作品との相性というのか、こういうことが自分にはたまに起こるので、きっといまは受け付けない時期なのだろう、少し時間をおいて、気持ちを新たに読めるときがきたら手に取ろうと思う」
とあり、これは自分のいまのコンディションの問題であり、やがて時間が解決してくれるだろうとまとめている。おそらく時間が解決する問題ではないと思うのだが、それでも多くの人たちが絶賛している素敵なエッセイを理解したいという前向きな姿勢に、僕はすっかり脱帽してしまった。
そして僕がここに書いている駄文も同じことで、どうも相性が悪いと思って離れてしまった人も多いのだろうということにあらためて気づかせてくれたのである。
まことに些細な話なのだが、心覚えに書いておく。
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