書籍・雑誌

「車中のバナナ」と「ああ軍歌」

頭木弘樹『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)について、もう少し書く。

この本の中には、数々の文学作品からのエピソードや言葉がちりばめられているのだが、その中に、脚本家・山田太一の「車中のバナナ」というエッセイを紹介しているくだりがある。「このエッセイが好きで仕方がない」と、頭木さんは述べている。

それは、こんなお話である。

山田太一が、旅先からの帰り、普通列車に乗っている。電車の四人がけの席には、中年男性と、老人と、若い女性、すべてその場に居合わせた他人が座っている。その中の一人、気のよさそうな中年男性がみんなに話しかけ、わきあいあいと会話が始まる。

その男性が、バナナをカバンから取り出す。

そこに座っていた老人と若い女性は、バナナを受け取ったが、山田太一は断った。中年男性は「遠慮することないじゃないか」といったが、山田太一は「遠慮じゃない。欲しくないから」と再び断った。

するとその中年男性は、

「まあ、ここへ置くから、お食べなさい」と窓際にバナナを置く。

「おいしいんだから、あんたも食べなさい」と、中年男性は山田太一にしつこく勧める。

老人も非難し始める。「いただきなさいよ。旅は道連れというじゃないの。せっかくなごやかに話していたのに、あんたいけないよ」と山田太一をたしなめるのである。

頭木さんは、このエッセイにひどく共感する。

せっかくバナナを通じてみんながなごやかになっているのに、どうしてバナナを受け取らないのか?雰囲気がぶち壊しではないか、ということを当然のことと考えることに対する恐怖に、頭木さんは共感したのである。

「もともとは、たんにバナナを出したというだけのことでも、このように、「たちまちなごやかにはなれない人間」に対して、圧力をかけ、非難するという展開になっていく」ことが、ここでは問題なのである。

この話を読んで、僕は山田太一脚本のあるドラマのことを思い出した。

それは、渥美清主演の「泣いてたまるか」というドラマシリーズの、「ああ軍歌」(1967年)という回である。

「泣いてたまるか」は、1話完結型のドラマで、渥美清が毎回さまざまな職業の人間に扮して、その悲哀を描くというものである。脚本家も毎回異なり、のちに一線で活躍する脚本家たちが、このドラマの脚本に関わっていた。山田太一も、その1人である。

山田太一脚本の「ああ軍歌」は、たしかこんな内容である。

主人公は、杉山という、ある会社の営業課長(渥美清)。戦争でつらい体験をした彼は、戦後になっても、その思いが消えない。いつまでも戦争の悲しみを引きずっている。

ある日、親会社から元軍人の重役(山形勲)がやってくる。この重役は、軍隊時代を誇りに思っている人間で、職場をまるで軍隊のように作り上げようとする。その職場方針に、営業課長の杉山の心は次第に塞いでゆく。

ひどく憂鬱なのは、宴会である。その重役が中心となる宴会では、みんなが手拍子を打ちながら軍歌を大きな声で歌う。部下たちも重役の機嫌を損ねないようにと、一緒になって軍歌を大声で歌うのである。

しかし営業課長の杉山はそれが耐えられない。自分ひとりだけ、軍歌を歌わずに下をうつむいて黙っている。

それに気づいた部下は、「今さら軍歌にこだわってどうするってんですか。もっと人間の幅を持たなきゃ! たかが歌じゃありませんか? もっと平気になってもらわなきゃ、この激しい生存競争をどうして乗り切れますか」と営業課長の杉山に説教するのだが、それでも杉山は軍歌を歌うことに納得がいかない。

そしてついに、本社からの客をもてなす宴会の席で、杉山は重役から軍歌を歌うことを強要される。重役も、杉山のこれまでの態度が気に入らなかったのであろう。ここで歌わないと、本社からの客に不愉快な思いをさせてしまうことになる。

杉山は立ち上がり、自分はなぜ軍歌を歌いたくないかについて、自らのつらい戦争体験を語り出す。

宴会の席が重苦しい雰囲気になり、重役の怒りは爆発する。「もう歌わんでいい!」

「いえ、歌います!こうなったらどうあっても歌います!」と、これまでの怒りをぶつけるように、杉山は軍歌をひとり大声で歌い始める。それは、懐かしい思い出などとはほど遠い、つらい戦争体験を喚起させる歌い方である。

重役は「あんなヤツはクビだ!」と、杉山の態度に怒り心頭になる。

…というストーリーなのだが、この話は「車中のバナナ」とまったく同じ構造ではないか。

電車の中でバナナを食べるように勧める人のよさそうな中年男性と、宴会で部下に軍歌を歌うことを強要する元軍人の重役と、どこがどう違うのだろう?

ひょっとして、「ああ軍歌」は、山田太一自身が体験した「車中のバナナ」がモチーフになっているのではないだろうか?

少なくとも言えることは、山田太一は、かなり早い段階から、この国の社会が持っている「同調圧力」を危惧していて、それをエッセイや脚本を通じて発信していた、ということである。「同調圧力」という言葉が生まれるはるか以前から、山田太一はそのことに気づいていたのである。

名脚本家は、予言者でもあるのだ。

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気は病から

10月7日(水)

「特急のすれ違う駅」の町へ日帰り出張の道中で、頭木弘樹さんの『食べることと出すこと』(医学書院、2020年)を、すがるような気持ちで読んだ。

大学生のころに潰瘍性大腸炎を発症し、今も闘病を続けている頭木さんの、闘病記、というよりも、闘病を通じた思索、というべき本である。

潰瘍性大腸炎の当事者だけでなく、まったく身に覚えのない形で発症し、いつ治るかもわからない病気を抱えている人にとっては、じつに共感できる本なのではないだろうか。というか、少なくとも僕は共感した。

本で書かれたことの一部は、先日紹介したTBSラジオの「荻上チキSession22」で語られているが、そこで語られなかった内容についても、共感することばかりである。

たとえばこんな話。

「病は気から」という言葉がある。病気をしている人たちが、いかにも病気になりそうな性格だ、と思えることがある。

「潰瘍性大腸炎の人たちは、みんな同じような性格をしている」といわれたことがある著者は、最初はピンとこなかったが、やがて闘病を続けているうちに、自分もだんだんそういう性格になっていったことに気づく。

「つまり、そういう性格だから、その病気になったのではなく、その病気だから、そういう性格になったのである。病気によって形成された性格であるため、その性格を見ると、その病気になりそうに見えるのだ。「病は気から」というが、「気は病から」でもあるのだ」(252頁)。

潰瘍性大腸炎を患った著者は、「病気になる前とは、別人のようになってしまった」と述懐している。

もちろん、病気になっても性格が変わらない人もいるんだけどね。でも、僕はこの頭木さんの気持ちはなんとなくわかる。

病気には休みがない(199頁)、というのもよくわかる。「「病気であることを忘れる」という瞬間がないということが、とても苦しい」と頭木さんは述べている。

頭木さんが、ある医師とプライベートで会って話をしたとき、

「自分だけがたいへんなようなつもりでいる。誰でもたいへんなことがあるのに、それがわかっていない」

そう言って、その医師はジョッキでビールを美味しそうに飲んだ、という。

たしかに誰でもたいへんなことがある。しかしたとえ医師のほうがはるかにたいへんだったとしても、勤務時間を終えれば、ビールを飲んでひと息つける。

しかし慢性痛の人の場合は、痛さから逃れてひと息つくことはできない。休みがないということは、どれほど人を消耗させ絶望させるかしれない、と頭木さんは述べている。

僕は慢性痛ではないのだが、病気には休みがない、という感覚は、よくわかる。

もともと、集まってお酒を飲んだりすることは好きではなかったが、病気になってからはよりその傾向が強くなった。お酒をやめてしまったこともあるが、気心の知れた仲間どうしの集まりであったとしても避けるようになった。そういう集まりに出ることが、耐えがたくなったのである。その理由はいわく言いがたい。病気のことが頭の片隅にあり、みんなと同じようにひと息つくことができない、という感覚があるからかもしれない。これはあくまで僕の心の問題であり、誰かのせいというわけではない。

一方で、こんなこともある。完治できない病を抱えているある人と、病気の種類はまったく異なるが、同志というつもりでいろいろとお話をしていたが、あるときからぱったりと音信不通になってしまった。あまり心当たりは見当たらなかったのだが、おそらく僕が何かしら無頓着なことを言ってしまったのかもしれない。

繰り返しこの本を読もう。この本のよさは、楽観的ではなく、思索的であるという点にある。

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1944年8月6日の第九

太田愛の小説『天上の葦』には、1944年8月6日に東京帝国大学で行われた「壮行大音楽会」のエピソードが出てくる。これは史実で、この日、東大生の学徒出陣にかかわり、音楽会が催された。この中で、ベートーベンの「第九」も演奏された。

「第九」といえば、僕の母の知り合いだったスズキさんが書いた『第九と日本人』という本の中でも、このときの「壮行大音楽会」の様子を、実際の資料から復元している。

小説は、どのあたりまで史実に基づいているのか、検証してみたくなり、小説の描写と、スズキさんが明らかにした1944年8月6日当日の様子とを、比較してみることにした。

まず、太田愛の小説『天上の葦』から、該当の記述を抜粋する。

「あれは、一九九四年八月六日だった。

(中略)

だが、あの日の音楽会は、美しい音楽を聴くのもこれが最後になるやもしれぬと、覚悟を決めた若者たちのためのものだった。それは、東京帝大法学部学生自治会・緑会の発案によって開催されることになった出陣学徒のための壮行音楽会だった。(中略)

緑会の学生は当初、演目にベートーベンの第九交響曲を考えていたが、これは大曲で平時でさえ体力を要する演目であるため、猛暑の中、栄養不良の体で演奏するのは困難であると日本交響楽団に断られたという。だが、彼らは戦地に赴くに当たってせめて最後に第九をと交渉を重ね、遂にいくつかの小品と共に第九の第三楽章と最終楽章の上演にこぎ着けたのだと聞いていた。

会場は安田講堂が歌舞音曲一切禁止のため、法文経一号館の二階にある二十五番教室。開演時間は灯火管制で夜が不可能であるため、日盛りの午後二時だった。(中略)

午後二時過ぎ、音楽会は『君が代』で幕を開けた。次いでベートーベンの歌劇エグモント序曲、ブラームスのハンガリー舞曲、南ドイツの歌があり、十五分の休憩の後、いよいよベートーベン第九交響曲の第三楽章と最終楽章の演奏が始まった。日本交響楽団と、合唱は東京高等音楽学院生徒百余名。

(中略)

音楽の力と喜びに全てを忘れて聴き入った。

そして天に駆け上るようなあの最後のフレーズが終わった後、辺りは静寂に包まれた。一瞬の後、頭上に割れんばかりの拍手が沸き起こった。私はただ放心して突っ立っていた。

だが、最後に演奏された『海ゆかば』が私を現実に引き戻した。それは、出征兵士を見送る曲であると同時に、ラジオの戦果発表で玉砕が報じられる際、必ず冒頭で流れるものでもあったからだ。(後略)」(角川文庫版、下巻44頁~46頁)

対して、スズキさんの『第九と日本人』に書かれている資料を紹介する。スズキさんは、「この演奏会についても公式な記録はないが、同年九月一日付の『東京大学学生新聞』がただひとつこの事実を伝えている」と述べ、このときの記事「今日よりは醜の御楯…”気魄を持ち最後のご奉公を”相継ぐ出陣学徒壮行会」の一部を引用している。

「征で行く学徒を音楽で壮行しようと云う和やかな企「出陣学徒壮行大音楽会」は東大法文経三学部会の主催の下に去月六日二時から東大法文経二十五番教室で催された。(中略)一同起立「君が代」合唱の後日本交響楽団(指揮尾高尚忠氏)のベート-ヴェンの歌劇「エグモント」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲(第五番、第六番)、尾高尚忠氏編曲、南ドイツの歌(独唱三宅春恵女史、合唱東京高等音楽院生徒)があり、十五分の休憩の後待望のベート-ヴェン第九交響楽(終楽章)独唱矢田部勁吉氏、竹岡鶴代女史、合唱東京高等音楽院生徒百余名で行われ、出陣学徒も暫恍惚とする。かくて一同”海ゆかば”を合唱し壮行音楽会の幕を閉じた」

またスズキさんは、これに続いて、この当時東京帝国大学法学部一年に在籍していた栗坂義郎(朝日新聞元アメリカ総局長)が、1978年の『文藝春秋』8月号に書いた「出陣学徒と第九交響楽」という一文を紹介してる。

「そんな十九年初夏のある日、法学部緑会委員の間で壮行会の催しの話が出て、それなら日響を呼んでみんなで”第九”を聴き、その思い出を胸に、悔いなく戦場に行こうと私が提案した。(中略)

ところが日響の有馬大五郎理事長に”第九”の演奏は楽団員にとっていちばん骨が折れるし、暑い最中に栄養も不足で体力が続かない、と断られてしまった。われわれにとって戦争は死に結びつく、しかし生きたいー祖国防衛に起ち上がれとの歌い文句は勇ましい。だが死を賭して戦場に赴くには、祖国日本を象徴する身近な何か、恋人でも肉親でも愛する人の鮮烈な面影か、美しい人風土に囲まれて生きてきた無上の喜び、想い出を心に秘めて征きたいとの焦りにもにた願いが、我々にはうずいていた。(中略)

戦争に勝てそうもない、せめて最後に好きな音楽のうちでも至高の名曲”第九”を聴いて、また友だちにも聴かせてーと思い詰めた私は、なお有馬氏を説得しようとしたところ「第三の英雄か、第五の運命交響曲なら……」とまで軟化してくれた。だが、第三の二楽章には葬送行進曲があり、第五の「運命はかく扉をたたく」の序章は出陣学徒に不吉だというわけで、あくまで”第九”を懇望し、ついに有馬氏の承諾をとりつけた。(後略)」

その後、栗坂氏の文章は、演奏会の様子を克明に記す。前半の「小品」の演奏が終わり、十五分の休憩の後、第九の第三楽章、第四楽章が始まった。その最後の箇所。

「…ともかく空襲・警戒警報もなく、万雷の拍手のうちに無事に終った。野球など米英スポーツはすでに禁止、ジャズもない、娯楽といえばクラシック音楽ぐらいしかなく、その音楽にも飢えていた若人は戦争を忘れ、音楽に酔った。ついで”海ゆかば”になると再び戦争の現実に帰った。これが最後の第九か ー不安が再び頭を擡げ、出陣学徒は三々五々複雑な表情で散っていった。会場に残った私は、全身から力が抜けていったのをいまでも覚えている」

これらを読むと、太田愛の『天上の葦』の1944年8月6日の場面は、かなり史実に正確に描いていることがわかる。

・主催が緑会、会場が東京帝国大学法文経二十五番教室、開演が午後二時だったこと。

・実際に演奏された曲のプログラムと、演奏・合唱した人々。

事実関係だけでなく、そのときの出陣学徒の「想い」についても、当事者である栗坂氏の文章に書かれた「想い」に沿って書かれていることがわかる。

「緑会の学生は当初、演目にベートーベンの第九交響曲を考えていたが、これは大曲で平時でさえ体力を要する演目であるため、猛暑の中、栄養不良の体で演奏するのは困難であると日本交響楽団に断られたという。だが、彼らは戦地に赴くに当たってせめて最後に第九をと交渉を重ね、遂にいくつかの小品と共に第九の第三楽章と最終楽章の上演にこぎ着けたのだと聞いていた」(『天上の葦』)

「そんな十九年初夏のある日、法学部緑会委員の間で壮行会の催しの話が出て、それなら日響を呼んでみんなで”第九”を聴き、その思い出を胸に、悔いなく戦場に行こうと私が提案した。(中略)ところが日響の有馬大五郎理事長に”第九”の演奏は楽団員にとっていちばん骨が折れるし、暑い最中に栄養も不足で体力が続かない、と断られてしまった。(中略)戦争に勝てそうもない、せめて最後に好きな音楽のうちでも至高の名曲”第九”を聴いて、また友だちにも聴かせてーと思い詰めた私は、なお有馬氏を説得しようとしたところ「第三の英雄か、第五の運命交響曲なら……」とまで軟化してくれた。だが、第三の二楽章には葬送行進曲があり、第五の「運命はかく扉をたたく」の序章は出陣学徒に不吉だというわけで、あくまで”第九”を懇望し、ついに有馬氏の承諾をとりつけた。(後略)」

「音楽の力と喜びに全てを忘れて聴き入った。

そして天に駆け上るようなあの最後のフレーズが終わった後、辺りは静寂に包まれた。一瞬の後、頭上に割れんばかりの拍手が沸き起こった。私はただ放心して突っ立っていた。

だが、最後に演奏された『海ゆかば』が私を現実に引き戻した。それは、出征兵士を見送る曲であると同時に、ラジオの戦果発表で玉砕が報じられる際、必ず冒頭で流れるものでもあったからだ。(後略)」

「万雷の拍手のうちに無事に終った。(中略)娯楽といえばクラシック音楽ぐらいしかなく、その音楽にも飢えていた若人は戦争を忘れ、音楽に酔った。ついで”海ゆかば”になると再び戦争の現実に帰った。これが最後の第九か ー不安が再び頭を擡げ、出陣学徒は三々五々複雑な表情で散っていった。会場に残った私は、全身から力が抜けていったのをいまでも覚えている」

実際、小説の巻末には、参考文献の一つとして栗坂義郎氏のこの文章があげられており、当事者だった栗坂義郎氏の想いを尊重し、その想いに寄り添った形での描写であることは間違いない。

話題の小説の中で、1944年8月6日の第九のエピソードが紹介されていることを知ったら、スズキさん、喜んだだろうな、と思う。

心覚えのために、記録として書いておく。

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逆ピカレスク小説

むかし、浅田次郎のエッセイを読んでいたら、まとまった休みができたときは、スーツケースいっぱいに(他人様の)小説を詰めて、旅先でそれをひたすら読み耽る、みたいなことが書いてあって、そのときはあまりピンとこなかったのだが、いまはその行為をしてみたくなる気持ちがよくわかる。

ということで、本当は書かなければいけない原稿が山ほどあるのだが、この週はそこから逃避することにして、できるだけ仕事とは関係のない本を読みたいと思っているのだが、実際にはなかなか読書三昧、というわけにもいかない。

子どもの頃、テレビ朝日の「特捜最前線」という刑事ドラマが大好きだったのだが、物語が終わり、エンドクレジットのところで、脚本家の名前が出る。その名前を見るのが好きだった。

見ているうちに、脚本家の作風みたいなことがだんだんわかってきて、…といってもなんとなくわかるのは、二人ぐらいなのだが、あ、これはトリックが凝っているから長坂秀佳だな、とか、あ、これは人情話の要素が強いから塙五郎だな、とか。…ま、ある時期は、ほとんどこの二人が脚本を書いていたんだけどね。

そういう遊びが好きだったのだが、いまのドラマでそれをやるとしたら、テレビ朝日の「相棒」である。

…といってもこのドラマには脚本家が多いので、各脚本家の作風を当てることはなかなか難しいのだが、

(うーむ、今回の話はすごいなあ)

と思った回の脚本は、だいたいが太田愛だったりすることに気づいた。ま、あくまでも自分の好みなのだろうけれど。

で、以前に太田愛の小説『天上の葦』(角川文庫)を手に入れたのだが、ちょっと分量が多かったので、なかなか取りかかることができずにいた。この夏休みを逃したら、読む機会がなくなってしまうかもしれない、と思い、ようやく取りかかることにしたのである。

巻末の解説に町山智浩さんが書いているように、太田愛の脚本家としての出発点は、円谷プロの(平成)ウルトラマンシリーズである。

この点については、町山さんの解説を読む前に、TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」で、太田愛がゲストに来た際に(それこそ、この『天上の葦』が刊行された時期に合わせてのゲストだったと思う)、太田愛の脚本家デビューがウルトラマンシリーズであることを聴いて知っていた。

その後、円谷プロのYouTube公式チャンネルで、『ウルトラマンダイナ』の「少年宇宙人」という作品が配信されたときにたまたま観てみたら、とてもメッセージ性の強い内容ですごいなあと思っていたら、脚本が太田愛だった。町山さんは解説のなかで、太田愛という脚本家に初めて注目したのは、このエピソードを見たときからだったと解説のなかで述懐している。

前置きが長くなったが、『天上の葦』を読んでみた。

予想に違わぬ面白い内容であった。報道をとりまくいまの状況が、ヘタをすると戦時中のメディア統制と同じ道をたどってしまうのではないかという危機感がよく伝わってくる。「相棒」の脚本でこれまで小出しにしてきたメッセージを、この小説に込めたのだなということがよくわかる。

そのへんの背景は町山さんの解説をはじめいろいろと語られているからそちらに譲るとして、それ以上に、僕の読後感は、エンターテインメントとして十二分に楽しめた、ということであった。

なんと言えばいいのか、「逆ピカレスク小説」という言葉が頭に浮かんだ。

「ピカレスク小説」は、悪党をテーマにした「悪漢小説」とか「悪党小説」といったジャンルだが、僕のなかでは、悪党たちがいろいろな悪知恵を駆使して悪事を成し遂げていくという娯楽小説というイメージがある。

この小説も、主人公たちがさまざまな知恵を駆使して、ひとつのことを成し遂げていくというスリリングな娯楽小説と言えるのだが、主人公たちは悪党ではなく、むしろ彼らを追い詰めていく連中が公安警察という悪党たちなのである。

いや、公安警察の立場からすれば、自分たちこそ善で、あいつらが悪党なのだ、という理屈が成り立つのかもしれない。しかし、これを「ピカレスク小説」としてしまうと、公安警察を善と認めてしまうことになるので、「逆ピカレスク小説」と命名してみた。

まったく的外れな感想かもしれない。

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入学から就活まで

前回の記事で村木厚子さんのことを書いたが、最近出版された村木厚子さんの著書『公務員という仕事』(2020年7月、ちくまプリマー新書)という本がおすすめである。

とくに、公務員を目指す大学生のテキストとして、これ以上によい本はないと思う。

試みに、本書の「おわりに」で書かれているメッセージを引用する。

「①新しい仕事をするチャンスがあったら引き受けましょう。

これは、自分の大学時代の恩師から教えられたことです。その人の職業的なキャパシティーというのは、専門性・経験の深さと間口の広さの掛け算で決まる。だから、自分の専門性、得意分野を伸ばすことは大事だが、同時に、ほんの少しでもいいから、まったく違う分野を経験してみると、それは、掛け算で効いてくるというのです。だから、新しいこと、苦手なことへのチャレンジは大きなチャンスなのです。

②昇進のオファーがあったら受けましょう

昇進は階段を上ることととてもよく似ています。階段を上ると、背が伸びたわけでもないのに、下の段にいたときには背伸びをしたり跳び上がったりしなければ見えなかったものが自然に見えるようになります。オファーがあったということは、客観的に見て実力がついているということ。自信をもって、オファーを受けましょう。

③ネットワークを作りましょう

仕事はうまくいくこともいかないこともあります。先が見えないこともしょっちゅうです。そんなときに、同じように仕事に取り組む仲間や、経験豊かな先輩とのネットワークがあれば、たくさんアドバイスがもらえます。自分の仕事と全く違う異業種の人に新しい視点をもらったり、みんな同じように悩むんだと連帯感を持ったりというのもうれしいことです。

④家族・家庭を大切にしましょう

これまでの日本社会は、「滅私奉公」などといった言葉にも象徴されているように、職場では家庭のことはあまり見せない、残業も、転勤もいつでもOKといった仕事優先の姿勢が賛美される傾向がありました。しかし、家族・家庭は安定した職業生活の基盤ですし、「仕事」と「家庭」という二つの軸を持つことで、ものの見方が多様になったり、気分転換を上手にできたりします。これからは家族・家庭を大切にしている人が職場でも尊敬されるようにしたいですね。」

この4つは、いちいちうなずくことばかりである。若い人向けの言葉なのだが、すべていまの僕にもあてはまる。つまり、いくつになっても、この4つは大事だということなのだろう。若者だけでなく、中堅やベテランも読むべき本である。

ついでに(といっては失礼だが)もう1冊、おすすめの本は、武田砂鉄『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年7月)である。こちらの方は、実はまだ読み始めたばかりなのだが、僕はこの本を読んで、忸怩たる思いがする。

教員稼業をしていた頃、大学に入学したての学生を対象にした授業「スタートアップセミナー」を担当したとき、人の文章をわかりやすく要約する技術であるとか、自分の考えをわかりやすくプレゼンする技術とか、そういうことばかり教えていた。

しかし本当は、大学というところは、わかりにくいことを勉強するところなのだ。わかりやすいことはよいことばかりではない、ということを学ぶ場のはずである。

その意味で、本来は大学に入ったら、「世の中はわかりやすいことばかりではない」「わかりやすいことには、落とし穴がある」といったこと学ぶ必要があるのだ。だがいつの頃からか、「わかりやすいことは善」という考え方が、大学教育を支配するようになってしまった。

だからいまの僕だったら、大学に入学したての学生を対象にした授業では武田砂鉄『わかりやすさの罪』をテキストにし、就活をしている学生を対象にした授業では村木厚子『公務員という仕事』をテキストにするだろう。ま、そういう機会はこの先永遠に訪れることはないだろうけれど。

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人類の一大叙事詩

7月14日(火)

隔離生活、2冊目の本は、小松左京『復活の日』(角川文庫、初出1964年)である。

深作欣二監督の角川映画は何度となく見ていたのだが、原作の小説をちゃんと読むのは、たぶんこれが初めてである。

原作を読んでわかったことは、僕が見ていたあの映画は、残念ながらまったく原作小説の足下にも及んでいなかった、ということである。ひょっとしたら、あの映画を作った人たちは、原作小説の本質をまるで理解していなかったのではないだろうか、とさえ思えてくる。

ちょっと言い過ぎたかも知れない。しかしあの映画が、原作小説のごく一部、それもあまり本質的ではないと思われる部分を強調して描いているような気がしてならないのだ。

『復活の日』を『シン・ゴジラ』みたいなテイストでリメイクしてくれないかなあ、と、なんとなく思った。

まあそれはともかく、この小説は、人類の一大叙事詩ともいうべき小説である。そしてこの小説もまた、生半可な知識では書けないし、読者も生半可な知識ではついて行くことができない。そして原作のもつあの格調の高さは、やはり映画では描ききれなかったのである。

そしてまた、この小説は予言の書でもある。新型コロナウィルスの感染拡大の現状を予言している、ということはもちろんなのだが、僕が注目したのは、この小説で描かれている、アメリカと、アメリカ大統領についてである。

この小説には、前大統領と、その次の現大統領という、二人の大統領が登場する。その描き方が対照的である。

まず小説では、現大統領が登場する。その一節。

「『ジョージ……すまないが、その話はあとできかせてくれ。緊急電話だ』

テレビ電話を切って、かかってきた電話を耳にあてると、大統領の表情がみるみるけわしくなった。『なんだって!--そんなバカなことが許せるか!』と大統領はどなった。『すぐ州知事を呼びたまえ!--今いなければ、かえったらすぐ!そんなことは絶対ゆるさんと、秘書にいえ。場合によれば軍隊を出動させる、とな』

ガチャリと電話をたたきつけると、大統領は苦虫をかみつぶしそうにいった。

『アラバマで黒人の暴動がおこりかけている』

『なぜ?』と財務長官。

『州政府が、ワクチン接種の差別をしたというんだ。--州兵が出動して、保健所の前から黒人を追っ払い、発泡した』

『絶対量がたらないんですよ』と国防長官がいった。

『かといって、黒人を差別することはゆるさん』」

この場面、新型コロナウィルス感染のさなかに、黒人に対する差別の問題が起こり、市民運動が起こっているいまの現実を、予言しているようにも思える。もっとも、小説の中の大統領はリベラルだが、現実世界の現大統領は、それとは正反対である。

さて小説の中では、その前任の大統領について言及している場面がある。

「『まったくバカげたことだ。そして、このバカげたことの原因は、アメリカはじまって以来の、バカげた大統領--シルヴァーランドによってつくられたものだ……』

『前大統領の……』吉住はつぶやいた。

『そう--あいつは……ほとんど考えられないくらいの極右反動で、まるできちがいじみた男だった。南部の大資本家と称するギャングどもの手先で……二十世紀アメリカのアッチラ大王だった。憎悪、孤立、頑迷、無智、傲慢、貪欲--こういった中世の宗教裁判官のような獣的な心情を、”勇気”や、”正義”と思いこんでいた男だ。世界史の見通しなど全然なく、六年前にはもう一度”アカ”の国々と大戦争をおっぱじめるつもりだった。--なぜ、こんな男を、アメリカ国民がえらんでしまったのか、いまだにわからない。私は軍人ではあるが、あの時ばかりは、アメリカの後進性に絶望した…』」

これって、明らかに現実世界のいまのアメリカ大統領のことだよね!

半世紀以上も前に、小松左京はトランプ大統領の出現を予言していたのだ!

そしてコロナ禍で顕在化した人種差別も!

以前にも書いたが、小松左京こそが現代の予言者である。いまこそ、彼の言葉に耳を傾けなければならない。

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俺のための小説

7月13日(月)

3日間の隔離生活。浮世のことはあまり考えないことにして、小説を読むことにした。

1冊目は、僕の高校時代の1年下の後輩である小説家が書いた「シリーズもの」の最新作である。

もうこのシリーズ、11冊も出ている。僕はそのほとんどすべてを読んでいる。

僕はその後輩とは直接の面識がないのだが、僕の親しい後輩の高校時代の親友にあたり、その親しい後輩からは何度となく、その小説家の話を聞いていた。

で、以前にその後輩から、その小説家がいま取り組んでいるシリーズものの話を聞き、おもしろそうだったので読んでみることにしたのである。

そしたらあーた、そのシリーズものが、僕の業界のドンピシャリな世界を描いているではないか。つまりは、かなりマニアックな内容である。

僕が関わったことのあるフィールドや、僕の知り合いが勤めている組織などが、バンバン登場するのである。

これ、書いているほうも生半可な知識では書けないし、読むほうも、生半可な知識ではなかなかついて行くのが難しいのではないか、というくらい、情報量の多い小説である。

では難しい内容なのかというと、まったくそんなことはない。内容自体は、ミステリー小説というべきものである。さすがプロというのは、そのあたりの構想力というか、読ませ方が上手だなと、毎回読むたびに感服する。

で、僕はすっかり、このシリーズのファンになってしまったのである。

さらに驚いたことに、このシリーズのうちのいくつかに、僕の大学院時代の恩師の本が参考文献にあがっているのだ。つまり小説を書く際に、参考にしたのである。それも小説の中でかなり重要な要素になっている。

うーむ。僕の恩師が取り組んでいたような、あんなにマイナーなテーマを主軸に物語が進んでいくなんて、

「これ、俺のための小説じゃね?」

と勘違いしてしまうほどだ。

先日、それとなく読んでいた本の中に友人の名前が出てきてビックリした、という話を書いたが、それと同じ気持ちである。

恩師にしても、自身の研究がそれと知らずに小説になっているというのは、うれしいのではないだろうか。僕だったらうれしい。

恩師にこの小説のことを紹介しよう、と、本気で思い始めている。

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本の中の再会

7月4日(土)

笠井信輔『増補版 僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た』(新潮文庫)を読む。

先日も書いたが、2018年5月におこなった大林宣彦監督へのインタビューの中で、フジテレビのアナウンサーだった笠井信輔さんについてふれる場面があった。

「笠井さんは、映画がとても好きな人で、映画祭に出てきて取材もしてくださるくらい映画へのリスペクトがあって、そういう人間だから、はしたない真似はしないということを学んでいる。その笠井さんから、東日本大震災の取材のときのことを聞いたんだけど、ある被災者へのインタビューの内容は、とても生々しくて、テレビでは放送できないものだった。でものちに彼はそれを本に書いたんだ。私は伝えるために取材したので、映像では伝えられないけど、本に書き残しておきます、ってね」

およそこのようなお話しだった。

笠井アナが大林監督に話したという、被災者へのインタビューの内容は、この本の序章に書かれていた。

この本は、東日本大震災が起きてから、笠井アナがすぐに現場に駆けつけ、被災地の取材をしたときの様子や、そのときの気持ち、あるいは葛藤、といったものが、じつに生々しく書かれている。

読み進めていくと、次の記述にあたった。震災から2日目のくだりである。

「仙台放送では、地元向けのローカル番組が延々と続いていた。給水場所、遺体の安置場所など、細かな情報を地域の被災者に向けて放送し続けていた。全てがローカル枠ではないとはいえ、フジテレビと違って24時間を数人のアナウンサーで回していた。少ない人数で、もう2日。さぞかし大変だろうと、生放送を一旦終えたばかりの報道キャスター、佐藤拓雄アナに声を掛けた。

 「大変だね」

するとやや悲しげな表情の佐藤アナが、「たぶん、誰も見てないんです。停電です。テレビ見られないんですよ。誰のために放送しているんでしょうか?」

 「……」(絶句)

答えられなかった。全く予想していなかった佐藤アナの言葉に頭が白くなってしまった。」

ここに出てくる「佐藤拓雄」というのは、高校時代、吹奏楽の部活でいっしょだった友人である。人望が厚く、部長をつとめていた。もう30年近くも会っていない。

僕はこの文章を読んで、いまから9年ほど前の、2011年3月ことを思い出した

「あの日」の少し前、3月3日に、高校時代の部活の男子で、久しぶりに東京で集まらないか、というメールが来た。拓雄が仕事で東京に来るそうだから、それに合わせて3月26日にみんなで集まろう、ということになったのである。

拓雄かぁ。高校卒業後は、大学時代に一度会ったきりだから、20年ぶりだなあ。

だが僕は3月26日に出張の予定が入っていて、あいにくその同窓会には参加できそうになかった。そのことをメールでみんなに知らせると、その日の晩に、拓雄からメールが来た。26日は会えなくて残念だが、せっかくお互い隣県に住んでいるんだから、こんど酒でも飲もう、という内容である。僕たちは再会を約束した。

それから1週間ほどして、「あの日」を迎え、事態は一変した。

電気が復旧し、テレビをつけたら、空港が津波に襲われている映像が流れていた。食い入るように見ていたら、

 「…言葉がありません」

と声を詰まらせているアナウンサーの声が聞こえた。

拓雄の声だ。

皮肉というべきか、僕はこのときに、画面に映る彼と久しぶりに再会したのである。彼は連日、被害の状況を伝えていた。

僕は笠井さんのこの文章を読みながら、あの日、拓雄が「言葉がありません」と言葉を詰まらせていたことを思い出したのである。伝える職業なのに、それを伝えることができないもどかしさや無念が、「言葉がありません」「誰のために放送しているんでしょうか?」といった言葉にあらわれているような気がしたのである。

結局、拓雄との再会を果たせないまま、「あの日」から3年がたったときに、僕は勤務地を離れた。いまに至るまで、再会が果たせないままである。

つい先日、復帰した笠井信輔さんの元気な声をラジオで聴き、そういえば2年前の大林監督へのインタビューで、笠井さんが震災を取材したときのことについてふれておられたなあと思い出し、ふと読み始めた笠井さんの本の中に、高校時代の友人の名前を見つける。

このたとえがふさわしいのかどうかわからないが、まるで、ビリヤードの玉を突くように、僕の中で人と人とが転がるようにつながってゆく。

 画面の中の再会の次は、本の中の再会。コロナ禍が落ち着いたら、今度こそほんとうに、再会したいものだ。

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アンソロジーには裏切られる&古い友人との読書話

本好きの人に聞きたいのだが。

アンソロジーって、買ってよかった、ってことある?

僕はなんか、いつも裏切られるような感じがするんだよなあ。

しかも始末の悪いことに、僕はアンソロジーがけっこう好きで、騙されるとわかっていても、つい買ってしまったりする。

有名な作家が選んだ短篇集なんて、ついその選球眼を信じて買ってしまうんだけれど、いつも失敗したと思うんだよなあ。

結局、自分で見つけようとはせずに、他人の見立てたものを読むという受動的な態度がよくないのだろうということに、最近気づいた。

本だけではない。音楽もそうだ。

ちょっと前に、「星野源が選んだ細野晴臣のベスト盤」みたいなCDが発売されていて、一瞬、買おうかなと思ったが思いとどまった。いくら星野源が音楽のセンスがいいからといって、そのチョイスが僕の好みとあっているとは限らない。

そう考えると、小説にしても音楽にしても、その分野で著名な作家なりミュージシャンが、わざわざアンソロジーを編もうとする意図は、何なのだろう?ワインのソムリエみたいな役割なのだろうか。唯一裏切られないのは、町山さんの映画評論だけだ。

人に勧められた本がさほど面白くなかったという、よくある体験と近いものがあるのだろう。

読書で思い出したのだが、以前に古い友人と久しぶりに話す機会があって、本や映画の話で盛り上がったことがある。

高校の頃は、それこそ毎日のようにバカ話ばかりしていて、本の話などしたこともなかったのだが、この歳になって、高校のときの読書体験について話題に上がったとき、

「高校のとき、柴田翔とかを読んでいたんですよ。(見かけによらず)暗いでしょう?」

「ええええぇ?!そうだったの?実は俺も柴田翔を読んでいたよ」

「あの時代、柴田翔なんて読んでいる高校生なんて誰もいないと思ってました。あと、高野悦子の‥」

「『二十歳の原点』!暗すぎるだろ!」

35年ぶりくらいに、高校時代に共通の読書体験があることがわかって、それはそれは愉快なひとときであった。

本や音楽や映画や大衆芸能や芸術など、たとえ嗜好が違っていても、そういう話ができる友人が、この年齢になるとありがたいような気がする。

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終りに見た街

3月28日(土)

本来だったら、今ごろは韓国の大邱に行っているはずなのだが、新型コロナウィルス騒動で、もちろん早々に無期限延期となってしまった。

水曜日に都知事が記者会見し、「週末の不要不急な外出は自粛するように」との要請が出て、その週末を迎えた。

昨日(金曜)の夕方、娘を保育園まで迎えに行き、その後小児科に連れて行き、自宅のマンションに戻ってきたのが午後6時半頃。

マンションのエレベーターを待っていると、同じマンションの住人で、僕よりも少し若いくらいの男性が、やはり同じエレベーターに乗ろうと待っていた。名前がわからないので、仮にAさんとしよう。

そうこうするうちに、エレベーターが降りてきたのだが、そこには、ゴルフバッグを抱えた、やはり僕よりも少し若いくらいの男性が乗っていた。この人もこのマンションの住人なのだが、名前がわからないので、仮にBさんとしよう。

エレベーターの扉が開くと、AさんとBさんはどうやら顔見知りのようで、「やあ」と声を掛け合った。

「これからどこに行くの?」とAさん。

「(ゴルフの)打ちっ放しですよ」とBさん。

「そうですか、じゃあ」

といって二人は別れたのだが、横で聞いていた僕は、

(おいおい!週末は不要不急の外出自粛、ましてや夜間の外出はとくに自粛って、都知事が言ってたじゃん!)

と、Bさんの行動に大変驚いたのだが、Bさんは水曜日の記者会見を、さほど意に介していないのだろうか。

このタイミングで、ゴルフの打ちっ放しにいくという感覚が、僕には全然わからない。それほど急を要することなのか???

そして今日、土曜日。

娘をどうしても耳鼻科に連れて行かなければならなかったので、午前中に外に出たのだが、記者会見の効果か、車の数や歩いている人の数は、普段の週末より、やや少なめである。とくに、先週の3連休の時と比べると遙かに少ない。先週の3連休は、道路が大渋滞し、バス停にも人が大勢並んでいたのだが、今日は道路の渋滞もなく、バス停に並ぶ人もかなり少なくなっている。

そんな中で目立つのは、ジョギングをする人たち、である。

普通に歩いている人が少ない分、行き交う人というのは、ジョギングを目的に走っている人がほとんどなのである。

ジョギングって、不要不急の外出には当たらないの???

こんなときにジョギングをしている人って、バカなの???

ジョギングをせずにいられない病気なの???

それとも、ジョギングをすることは、新型コロナウィルスに感染もしないし、感染もさせないという科学的根拠があるのだろうか?寡聞にして知らない。

脚本家の山田太一が書いた、『終りに見た街』(小学館文庫、2013年、初出は1981年)という小説のことを思い出した。

ある家族が、太平洋戦争末期の1944年末に突然タイムスリップする、というファンタジー小説である。そこで彼らは、飢餓や言論統制や空襲という悪夢のような体験をするのだが、未来から来た彼らは、いつどこで空襲が起こるか、とか、最終的に日本が敗戦する、といった歴史的事実を知っている。

やがて、1945年3月10日という日が迫ってくる。東京大空襲の日である。未来から来た家族たちは、一人でも多くの人を東京大空襲から救おうと、東京中を駆け回って、

「3月10日に東京で大規模な空襲が起きるから、早く逃げて!」

と呼びかけるのだが、誰も聞く耳を持とうとしない。それどころか、根拠のない嘘で不安をあおり立てたとして、彼らはみんなから罵倒されるのである。

過去にタイムスリップした人が、未来について警告するなんて、まったくの荒唐無稽な話だと思うかもしれないが、果たしてそうだろうか。

いま、欧州や米国に住んでいる人が、日本に住む人たちに対して、

「このままだと、東京、あるいは日本に感染爆発が起きて、とんでもないことになるから、そうならないように、外出するのはやめて!」

と呼びかけている。欧州や米国の現実が、まさにそうだからである。この国にとって、少し先の未来なのかもしれないのだ。

だが日本に住む人々は、その呼びかけを、どれほど真剣に受け止めているだろうか。

山田太一が小説の中で語ったのと同じことが、いまこの国で起きているのではないだろうか。

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