育児

おともだち

4月3日(土)

午前中は、娘と「タイヤ公園」で遊び、午後は僕の実家に娘を連れて行き、その近くの公園で遊ぶという公園のハシゴをして、すっかりくたびれてしまった。

公園における、最近の娘の遊び方に、一つのパターンがあることに気づいた。

それは、公園に着くなりまず、その公園に来ている子たちの一人を、「おともだち」と認定する、ということである。もちろん、その場の一期一会の「おともだち」である。

娘にとっては、どうやら「おともだち」と認定する条件があるようで、自分と同じくらいの背格好か、あるいは自分よりも少し小さな子が、ターゲットになる。

ターゲットを見つけると、その子に近づいていって、なんとなく行動を共にする。その子がすべり台を滑ろうとすると、そのあとをついて行って自分もすべり台を滑ろうとするし、その子が砂場に移動して遊ぼうとすると、娘も砂場でいっしょに遊ぼうとする。

別に何かを喋るわけでもなく、黙ってその子について行って、その子と同じことをしようとしているのだから、ちょっとしたストーカーである。

いままでのところ、娘が勝手に「おともだち」と認定した子たちのなかで、嫌がっている子はいないようなのだが、こっちとしては、いつ嫌がられるかと、不安でしょうがない。娘からしたら、自分よりもちょっと小さい「おともだち」を作って、自分がお姉さん気分に浸りたいということなのかもしれない。

ただ、たいていは、その「おともだち」のほうが先に帰ってしまう。娘はもっと遊びたがっているようで、

「あれ?おともだち、どこへ行ったの?」

と、いつの間にかいなくなってしまった「おともだち」をさがすのだが、ちょっと「泣いた赤鬼」っぽくって、見ていて切ない。

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大雨公園

3月28日(日)

午前9時半、3歳になったばかりの娘と二人で家を出た。

向かった先は、娘が「タイヤ公園」と勝手に呼んでいる公園で、公園にはタイヤが全くないのに、なぜかそう呼んでいる。家からゆっくり歩いて20分くらいかかるところにある。遊具がいろいろとあるので、娘が気に入っている公園である。

最近は、娘と公園に行くのがブームである。昨日も、実家の近くにある、遊具のある公園で午後のひとときを過ごした。

少し気になったのは、天気のことだった。空はどんより曇り、低い雲が立ちこめている。いまにも雨が降りそうな空である。

しかし、ピンポイントの天気予報を見ると、日中は曇りマークで、夕方6時くらいから雨マークに変わっていたので、たぶん大丈夫だろうと、雨具を持って行かなかった。

一抹の不安はあった。家から公園までも道のりは、完全なる住宅街で、途中で休むところもない。公園やその付近も、屋根の下で休むような場所が全くないのである。

(雨が降ったら防ぎようがないな…)

僕は雨具を持ってこなかったことを、公園に向かう途中で後悔した。

公園に着くと、いつもよりも若干遊んでいる子どもたちが少ない。この天気が影響しているのだろうと思った。

最初の30分ほどは、なんとか天気がもってくれたのだが、少しずつ、パラパラと小雨が降るようになってきた。

すると、少しずつ、公園から人がいなくなっていった。

それでも娘は小さな女の子と一緒に遊ぶようになり、一緒に土いじりなどをしていたが、やがてその小さな女の子も、家に帰ってしまった。

「おしっこ出ちゃった…」

娘が残念そうに言った。見ると、ズボンの両側におしっこの流れたあとがあった。娘はズボンがおしっこで濡れてしまったのを気持ち悪く思ったのか、がに股で歩き始めた。

「いま着替えようね」

何も遮るもののない公園で着替えさせるのは、なかなか難しい。しかも地面は砂地だから、靴を脱がせてズボンを着替えさせようとすると、足の裏がたちまち汚れてしまう。

娘をベンチの上に立たせて、おしっこまみれのパンツとズボンを脱がし始めた。

(漏らすことがわかってて、どうしてパンツを履かせてしまったかねえ。最初からオムツを履かせておけばよかった…)

と僕は後悔した。昨日も公園で遊んでいたとき、おしっこを漏らしてしまったのだ。

着替え終わった頃に、雨が少し強くなってきた。

「おうちへ帰ろう」

「イヤだ」

娘は駄々をこねた。すでに公園には誰ひとりいない。

「おうちに帰ったらケーキあるよ。ケーキ食べる?」

「ケーキ食べたい」

と、なんとか嘘をついて娘を説得したときには、すでに遅かった。

雨はものすごい勢いで降り始め、風も強くなった。

急いで公園を出て歩き始めたが、傘も雨がっぱもないので、僕と娘はたちまちずぶ濡れになった。

娘はいまにも泣きそうだったので、僕は急いで娘を抱っこして、歩いて5,6分のところにコミュニティーセンターがあることを思い出し、ひとまずそこに向かうことにした。

歩いている間も、容赦なく雨が振りつけてくる。

大雨の中を、傘もなく、小さい子どもを抱っこして歩いている人間なんぞ、どこにもいない。

「もうちょっとだからね、頑張ってね」

と、僕は泣きそうになりながら、娘にたびたび言い聞かせて、ようやくコミュニティーセンターに到着した。中に入ると、かろうじて玄関の部分だけが自由スペースだったが、椅子も何にもなく、僕も娘も立ったままなすすべもなかった。

ひとまず家にいる妻に、コミュニティーセンターで雨宿りしてると伝えると、「迎えに行きます」という。

僕は、小やみになったらタクシーを呼んで家に帰りたい心境だった。また家までの道のりを歩いて帰るのは勘弁してほしかった。

しばらくして、傘と雨がっぱをもった妻がコミュニティーセンターに現れた時には、すでに雨は小やみになっていた。

そこからまた、足場の悪い道をひたすら歩いて家に向かい、着いた頃にはもうヘトヘトになっていた。

娘はそのあとに体力を回復したようだが、僕は体調を崩し、午後はグッタリと過ごしたのであった。

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あっちゃんあがつく

娘ももうすぐで3歳だ。

たまに、「これ読んで」ともってくるのが、「あっちゃんあがつく」という絵本。「あ」から「ん」まで、最初にその文字がつく食べ物をあげていくというものである。

「あっちゃんあがつくあいすくりーむ」

みたいな。

で、僕が「あっちゃんあがつく」と言って、娘が「あいすくりーむ」と答える遊びが、ここ最近好きらしい。

「あっちゃんあがつく」

「あいすくりーむ」

「いっちゃんいがつく」

「いちごじゃむ」

「うっちゃんうがつく」

「うめぼしすっぱい」

「えっちゃんえがつく」

「えびふらい」

「おっちゃんおがつく」

「おにぎりふたつ」

最初のほうは完璧に覚えているのだが、後半になるとかなりあやしくなる。

「まっちゃんまがつく」

「…何だっけ?」

「まかろにぐらたん」

「ろっちゃんろがつく」

「…何だっけ?」

「ろーすとチキン」

そもそも娘はマカロニグラタンもローストチキンを食べたことがないので、どんなものなのかも想像もつかないらしい。

可笑しいのは「め」のくだりである。

「めっちゃんめがつく」

「ねまやまき」

「…え?」

「ねまやまき」

「めだまやき、でしょ?」

「めなやまき」

「めだまやき」

「ねまなやき」

「めだまやき」

「ねなやまき」

「めだまやき」

「ねやまなき」

どうしても、「目玉焼き」とい言葉が言いにくいらしい。

なぜ、「めだまやき」だけ言いにくいのか?

そういえば、映画「となりのトトロ」の劇中で歌われている歌を歌うのが好きなのだが、

「まっくろくろすけでておいで でないとねなまをくりぬくぞ まっくろくろすけでておいで でないとねまなをくりぬくぞ!」

と、やはり「目玉」の部分が言いにくいようだ。

今度は「目玉おやじ」で試してみよう。

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お札を干す

3月14日(日)

久しぶりに、オンライン会合のない土日である。

この週はいろいろあったから、精神的にもまいってしまい、この土日は仕事のことは一切考えないことにした。というか、これからは、仕事以外の時間は仕事のことを考えずに、本を読むとか映画を観るとか、自分の好きな時間に使わないと、メンタルがやられてしまう。

日曜の午前は、もうすぐ3歳になる娘を連れて、公園に行くことにした。

最近娘がはまっているのは、家から歩いて20分ほどかかる「タイヤ公園」という公園である。もっとも「タイヤ公園」という呼び名は、娘が勝手にそう言っているだけで、正式な名称は別である。そもそもその公園には、タイヤがない。娘がなぜその公園を「タイヤ公園」と呼んでいるのかは謎である。

娘がその公園のことを好きなのは、遊具がたくさんあるからである。うちの娘に限らず、どの子どもたちも好きみたいで、そんなに広い公園ではないのだが、いつも親子連れであふれかえっている。密なのだ。

ふだんは妻や、近くに住む姪なども一緒に行くのだが、今日は事情があり、私と娘の二人だけで公園に行くことになった。

不安なのは、公園までの道のりにトイレがないことである。もちろん公園にもない。薬の副作用で、突発的にお腹がくだることがある僕にとっては、不安でしかない。もしそうなったときに、娘を誰かに預けて、少し遠くにあるスーパーマーケットのトイレに駆け込む、ということができないのだ。しかしまあ仕方がない。

僕は、自分の鞄に、自分の財布と、公園で遊んでいて娘が喉が渇いたときのために「おでかけストローマグ」に麦茶を入れたものを入れて出発した。

「おでかけストローマグ」というのは、蓋やストローがついている幼児用のコップのことで、落としたり倒したりしても、こぼれることのない工夫がされている。なので出かけるときには重宝なのである。ただ、いくつかの部品からなっていて、それを毎日分解して洗っているのだが、持って行くときは、それを組み立てないといけない。

出かける直前に、僕はそのバラバラになった「おでかけストローマグ」を組み立てて、そこに麦茶をなみなみと入れて、それを肩掛け鞄に入れて出発した。

20分ほどかけて娘と歩き、公園に着いた時には、すでにたくさんの親子連れで密な状態になっていた。

公園を見つけた娘は遊具に向かって走り出し、いくつかあるすべり台をさっそく楽しんでいた。

僕は最初は娘の近くから目を離さずにいたのだが、そのうち疲れてきちゃって、目の届く範囲にあるベンチに腰を下ろした。

すると、ズボンがなぜか冷たい。

(ベンチが濡れているのかな?)

と最初は気にもとめていなかったのだが、立ち上がって肩掛け鞄を触ると、鞄の底の方がぐっしょりと濡れている。

(うわ!なんじゃこりゃ!)

急いで鞄の中を開けてみると、「おでかけストローマグ」の中にあったはずの麦茶が、なくなっているではないか!僕の組み立て方が甘かったのか、麦茶は「おでかけストローマグ」から漏れ出して、鞄が麦茶まみれになってしまったのである。そしてそれがズボンに伝わり、ズボンまで湿ってしまったのだ。

そこからはもう、テンションがガタ落ちである。もうこうなると、早く家に帰って鞄とズボンを洗濯したいということしか思い浮かばない。

「もう十分に遊んだでしょう?」

と娘に言って聞かせ、公園をあとにして、20分かけて帰宅した。

あらためて鞄の中をのぞいてビックリした。

財布の中のお金やらカードやらが、すべて水浸しではないか!

僕は不安症なので、財布にはいつも余裕を持ってお札を入れているのだが、そのお札を財布から取り出したら、すっかり水分を吸ってふにゃふにゃになるばかりか、財布の中でお札がみんなピタッとくっついてしまっているではないか!枚数を数えてみたら、1万円札やら千円札やらが合わせて12枚もある!

僕は、お札が破れないように、慎重に一枚一枚をはがした。もちろん財布も水浸しである。

(これをどうすればよいだろう)

困った僕は、ベランダにある、洗濯バサミがたくさんついている物干しハンガーに、1枚1枚洗濯ばさみに挟んで干すことにした。ふだんは靴下だのパンツだの、汗拭きタオルなどを干している物干しハンガーである。

初めてだな、お札を洗濯ばさみに挟んで干すのは。

1万円札だの千円札だのを1枚1枚干していて、なぜか、札束で汗を拭く東MAXのギャグを思い出した。知らない人が見たら、まるで汗拭きタオル代わりに使った札束を洗濯して干しているように思われるのではないだろうか?

あるいは、「マネーロンダリング(資金洗浄)って、本当にお札を洗うことだと思ってるのかよ!」と思われるかもしれない。

…といった被害妄想がよぎる。

幸い、今日は日差しも強くて、お札も財布もすぐに乾いたのだが、その感触は、バリバリというべきか、ゴワゴワというべきか。

今日の教訓は、「おでかけストローマグ」を組み立てて麦茶を入れたときは、いい加減に組み立てずに、倒しても本当にこぼれないか、出かける前に入念にチェックする必要がある、ということである。

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おむつの向こう側

3月6日(土)

昨日の金曜日は夜遅くに帰宅し、今日は午前と午後にオンラインの会合があったので朝から娘を保育園に預けたのだが、ちょっと見ないうちに、娘は3歳を目前にして急激な成長を遂げた。

そう!トイレでおしっこをすることができるようになったのである!

前に、うんちをトイレですることができたことはすでに述べた

ただその後は、一進一退というか、またおむつの中にうんちをすることが多くなってしまった。

(一過性のものだったのかな…)

と思っていたら、どうやら昨日あたりからトイレでおしっこができるようになったというのである。

実際、今朝起きたら、

「おしっこ…」

と言うので、トイレに連れて行ったら、

シャーッ!!

とおしっこをしていた。

ただし、まだ小さいので、自分でトイレの便座に座ることはできない。映画「ズートピア」で、主人公のうさぎ・ジュディが用を足そうと、洋式便所に飛び乗るシーンがあるのだが、あんな感じである(わかりにくい)。

トイレの電気をつけて、ドアを開けて中に入り、便座に座り、用を足し、トイレットペーパーで拭いて、便座から降りて、水を流して、トイレを出て、ドアを閉めて…という一連の動作は、もう完璧である。

あとは、尿意に合わせてトイレに行く頻度が高くなることを祈るばかりである。それと、自分で便座に座ることができるようになることもね。

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3回目の成功

2月10日(水)

終日、オンラインによる会議である。

会議といっても、どちらかといえばその場にいて聞いているだけで問題ないという会議もあれば、本当の意味で建設的な意見を戦わせて結論を出さなければならない会議もある。本日の会議は後者である。後者がとても緊張を強いられる会議であることは、言を俟たない。

今日はこれだけでも疲労するのだが、その間にも、職場から矢のようなメールが降ってきて、それにいちいち対応しなければならない。しかも明日は祝日なので、今日のうちに指示を出しておかなければならないことも多く、些細な指示ばかりなのだが、それが積もり積もれば、こちらもかなり疲弊する。まったく俺は、日々、何と闘っているのだろう?

むかしの職場の仕事仲間が、ちょっとした近況を伝えるメッセージのなかで「(ちょっと前までは)良い時代でしたね。この10年も経たないうちにいろんな景色、状況が変わってしまいました」と書いていた。変わってしまったのは、僕をとりまく世界だけではないようだ。もちろんそこには、コロナ禍というまるで戦時下のようないまの状況も、大いに関係しているのだろう。

いまやりたいのは、仕事のことを気にせず、自分が読みたい本を読んだり、見たい映画を見たりすることなのだが、まとまった時間がとれず、常に何かに追い立てられている。ほんの8年くらい前までは、もっと余裕があったのに。

いっそフリーランスになろうかと、日に一度は考える。だが、先日の月曜日、「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、ゲスト出演していた戦場ジャーナリストの桜木武史さんが、いまもトラックドライバーをして貯めたお金で、シリアに渡って戦場ジャーナリストの活動をしているという話を聞いて、自分にはそこまでの覚悟はないなあ、と思い直した。

今日のよいことといえば、もうすぐ3歳になる娘が3度目のトイレうんちに成功したことである。

1回目は、同じマンションに住む義妹のところでトイレうんちをしたので、僕は目撃していない。

2回目は、前に書いたように、成功といえるかどうか、グレーゾーンのトイレうんちだった。

そして3回目の今日。

夕食後に遊んでいたら、急に動きが止まり、「うんちでる~」と。

「また虚言なんじゃねえの?」と言ったら、「なんてこと言うの!ひどいこと言うねえ」と家族に叱られた。

早速トイレに連れて行って、便座に座らせる。

娘の手を握り、「がんばれ~」と、息んだ顔を見せたら、娘も同じ顔をして下半身に力を入れた。

今回もダメかな、とあきらめかけていたのだが、やがてプーンとニオイがしたかと思ったら、

ポチャッ!

「やったぁ!」

その一部始終は、動画におさめられた。

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脱おむつへの道

2月8日(月)

もうすぐ3歳になる娘に対する最大の関心事は、「いつからおむつが必要なくなるか?」である。

これがなかなか難しい。

ところが昨日の日曜日に、同じマンションに住む義妹の家に娘が遊びに行ったときに、なんとトイレでうんちができたというのである!

これまで「しまじろう」のDVDを見ながら、トイレのイメージトレーニングをしていたから、その甲斐があったのだろうか?

そして翌月曜日。

夕方、保育園から帰った娘は、いきなり

「うんちでる~」

と言い出した。

これはチャンスだ!と思い、急いでトイレに連れて行き、便座に座らせた。

「出るの?」

「でる~」

娘は、思いっきり息んだ顔で「う~ん」と唸るのだが、うんともすんとも言わない。

「本当に出るの?」

「ほんとうにでる~」

僕は娘の手を握りしめて、

「がんばれ~」

と応援しながら、僕もいっしょに息んで見せた。するとこっちが出そうになる。

娘は僕の顔を見ながら、僕と同じ顔で息んでいるのだが、やはり出ない。

あきらめて、お風呂に入ることにした。

お風呂に出てから夕食を食べていると、娘が突然、椅子の上に立ち上がって震え出した。

「どうしたの?…まさか、うんち出るの?」

「うんちでる~」

慌てて椅子から降ろして、トイレの前まで行っておむつを下ろすと、すでにお尻から半分以上、うんちが出ているではないか!

もうあと少しで、うんちはお尻から床に落ちてしまうぞ!そうなると大惨事である。

慌てて便器に座らせたとたん、

ポチャッ!

とうんちが落ちた音がした。

やれやれ、間一髪で大惨事を免れた。

ところでこれは、2回目の成功と数えていいのだろうか?

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おたすけ!およよマン

1月16日(土)

妻が仕事があるというので、午後から2歳9か月の娘を近くの公園に連れて行くことにした。

最近、娘はすべり台がお気に入りのようで、すべり台のある公園に連れて行けば、満足するのだ。

近くにある公園に行くと、見知らぬ親子がもう1組いた。5歳くらいの女の子である。

娘が興味を持ってその子の後をくっついていったりすると、いつの間にか二人はいっしょに公園の土を掘り返したりして遊んでいた。

そのあともう1軒、公園をハシゴして、3時間くらい遊んで自宅に帰り、お風呂に入ると、娘も僕も、もうグッタリしてしまった。

そんなことはともかく。

ここ最近、忙しくて「おかあさんといっしょ」をちゃんと見ていなかったのだが、1月の「月歌」が、「おたすけ!およよマン」という歌だそうで、テレビから聞こえてくる歌を聴いていると、なんとも珍奇な歌詞である。

「作詞はオノ・ヨーコだよ」と妻。

「え?オノ・ヨーコって、あのオノ・ヨーコ?」

「そう」

「へえ、すごいねえ」

まさかオノ・ヨーコが「おかあさんといっしょ」の「月歌」を作詞する日が来るとは、ビックリである。まあ考えてみれば、昨年度の「月歌」では、内田也哉子とか、いとうせいこうとかが作詞を担当しているから、そういう文化人的なジャンルの人、と考えれば、オノ・ヨーコが、子どもに対してメッセージを込めた歌を書く、なんてことは、あながち不自然なことはない。

それにしても、である。

歌詞が珍奇すぎる。ひたすら「およよ」を連発するのだ。これ本当に、「イマジン」をジョン・レノンと共作したオノ・ヨーコが作詞したのか?ギャップがありすぎるだろ!

しかし、オノ・ヨーコのことだから、一見、珍奇な歌詞の中に、深い意味が込められているに違いない、と思って歌詞に注意して聴いてみるのだが、それでもよくわからない。

(う~む。この歌詞の哲学的な意味は何なのだろう…?)

そう思って今日、じっくりと聴いてやろうと思い、テレビに正面から向かい合って、最初から画面を見ていたら、

「作詞 オヨヨーコ」

とあるではないか。

「オノ・ヨーコじゃないよ!オヨヨーコだってよ!!」

「え?そうだったの?」

妻もすっかり「空目」だったようだ。やはり、オノ・ヨーコがあのような歌詞を書くはずはないのだ!

…というか、オヨヨーコって、誰?

さっそくインターネットで調べてみても、オヨヨーコなる人物の正体は、明かされていないようであった。Twitterでも、オヨヨーコって誰?と、騒然としている。

そうか、これは「はらぺこカマキリ」でいうところの「作詞 カマキリ先生」というのと、同じことだな。ここでいう「カマキリ先生」というのは、俳優の香川照之のことである。

ただこの場合は、同じEテレの「昆虫すごいぜ!」を見ていれば、いかにも香川照之が書きそうな歌詞だということはわかるし、しかも香川照之がペンネームとして「カマキリ先生」と名のっている理由もよくわかるのだが、オヨヨーコについては、まったく手がかりがない。

真っ先に思い浮かぶのは、桂三枝(現・桂文枝)である。「オヨヨ」といえば、僕らの世代では桂三枝である。

ということで、僕は「オヨヨーコ=桂文枝」説を唱えたいのだが、あるいはひょっとすると、オノ・ヨーコが、セルフパロディーとして「オヨヨーコ」と名のっている可能性も、なくはない。

もしそうだとすると、あの歌詞にはやはり、平和への深い意味が込められているに違いないのだが、はたして、真相はどうだろうか。

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名曲のバロメーター

2歳7か月の娘は、歌を歌うのが好きである。というか、これくらいの年齢の子どもは、みんな歌が好きなのだろうか。

驚いたのは、まだ2歳になる前に、「パプリカ」を完コピしたことである。

1歳の子どもにも鮮烈な印象を残すような歌なんだから、そりゃあ「レコード大賞」をとるはずである。

2歳になって来たブームは、すでに書いたが、ミュージカル『レ・ミゼラブル』より「民衆の歌」。これはいまだに歌っている。最近は「なんちゃって英語バージョン」も歌うようになった。

先日は、「香水」っていう歌?僕は全然知らないんだけど、娘はサビの部分を何度か聴いただけで覚えたらしく、歌っていた。

あと、いまCMで大滝詠一の「君は天然色」の一節、

「思い出はモノクローム 色をつけてくれ」

が流れると、テレビの画面に釘付けになり、一緒になって歌っている。

2歳の娘の心に響き、歌いたくなる歌というのは、名曲のバロメーターなんじゃないだろうか、と、いろんな歌を聴かせているのだが、こっちがいい歌だと思って聴かせたものでも、全然反応しないことがあり、名曲のハードルというのは、なかなか高いものである。

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かなり密な七五三

11月8日(日)

娘が、数え年三歳なので、七五三のお参りに行くことになった。僕が45年前に七五三の参拝をした神社である。

娘は、妻が七五三のときに着た着物を着るために、朝、妻の実家に行って、着付けをしてもらった。

「お姫さまになったよ」

と娘が言ったのは、最近、高畑勲監督の映画「かぐや姫の物語」を見た影響だろう。

色鮮やかな着物で、たしかにお人形のようにかわいいのだが、身体のあちこちががんじがらめにしばられているような窮屈な感じがして、しかも履き慣れない草履が、歩きにくそうだった。お姫さまになったうれしさと、窮屈そうな感じが、心なしか娘の表情に表れているような気がした。その表情が、なんとなく「かぐや姫」とダブるのである。

午前11時少し前に神社に到着すると、七五三の参拝客で境内がごった返している。

参拝受付のところで名前を書き、初穂料を納め、お札を受け取って、決められた場所に並ぶようにと言われたので向かったが、長蛇の列である。

おまけに、神前結婚式をしているグループもあり、拝殿の前はかなり密なことになっている。

10分以上並んで、ようやく順番がまわってきた。

通常だと、拝殿に上がって、拝殿の中で祈祷を受けるのだと思うが、おそらくコロナ対策なのだろう。拝殿と本殿の間にある、屋外の空間で祈祷を受けることとなった。それでもかなりの密である。

途中、神官が祝詞で、

「○○市、誰々の某々、三歳(みとせ)」

と、祈祷の対象となる子どもたちの名前を一人ひとり読み上げるのだが、聞いてると、けっこう遠くから来ている人も多くてびっくりした。うちはまだ、近い方である。

祈祷は10分ほどで終わり、再び拝殿の前の空間に戻り、写真を撮ることにする。

娘はすっかり疲れてしまったのか、目がうつろである。着慣れない着物や、履き慣れない草履のせいなのかもしれない。それでも写真を撮るときは、文句一つ言わずポーズをとっていた。

神社の滞在時間は1時間ほどで、車で僕の実家に向かい、そこで昼食を食べることになった。

着物から普段着に着替えた娘は、とたんに元気になった。反対に、僕や妻はあまりに疲れてしまい、昼食後に昼寝をしてしまった。七五三には、体力が必要だ。

次は七歳になったときか。

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