育児

友だちの顔を見ると遊びたくなる

3月1日(土)

小1の娘と僕の二人で、市内で行われているアニメ映画祭に行く。毎年なかなかの人気だそうで、今回初めて応募して当選するという幸運に恵まれた。他の人のなかには何回か挑戦して今回やっと当選した人もいるらしい。

アニメ映画祭といっても、ジブリ作品とか有名な作品ではなく、5分~10分程度の短編アニメ作品を10本見るという催しである。しかも作り手は無名の大学生だったり、有名な監督の若かりし頃の作品であったり、さまざまであった。日本だけではなく、アメリカ、ドイツ、韓国など、世界各地から作品が集められている。

最初はあまり乗り気ではなかったのだが、見ているうちに引き込まれた。声に出して笑ってしまった作品もある。総じて、脳がグンニョリするような作品ばかりで、中には子どもにトラウマを植え付けかねないものもある。しかし、映画祭で賞をとった作品もあり、2時間半あまりの映画祭を堪能した。

ここからは別の話。会場で、娘の保育園時代のお友だちとそのお母さんに遭遇した。同じ市内なのでさもありなんということなのだが、娘は久しぶりに会ったそのお友だちであるユーリちゃんと遊びたいと言い出した。10分休憩の時に少し遊んだようなのだが、それでは物足りなかったらしく、映画祭のあともユーリちゃんと一緒に遊びたいと言い出した。

しかし、こっちにも午後に車の点検があり、苦労して日程調整したのでいまさら予定を変更することはできない。だいいちお昼ごはんはどうするのだ?午後に遊ぶとなると一緒にお昼ごはんも食べなければならない。

「映画祭のあとにユーリちゃんと遊ぶ約束をしたの?」

「ううん、なにも言ってない。でもユーリちゃんと遊びたいの!」

と涙目で答えている。しかし決局、引っ込み思案の娘は最後まで「ユーリちゃん、遊ぼ」とはいえず、そのまま別れたのだった。

「ユーリちゃんだってさあ、午後に予定があるかもしれないでしょ?」

「そう言うと思った」

と娘はしくしく泣き出した。

娘は休みの日なんかにたまたま友だちの顔を見ると、その友だちと遊びたくなる癖がある。無理もない。休みの日はいつも一人で遊んでいるからだ。とりわけ僕が体調を崩してからは遠くに連れていってやれず、淋しい思いをしていることは容易に想像できる。

申し訳ないと思いつつ、娘を車の点検のためにお店に連れていくと、そこはジュース飲み放題、キッズスペースもあり、おまけに帰り際に子ども用のお菓子の詰め合わせをもらった。どうやらそれで機嫌がなおったらしく、帰りの車の中では熟睡していた。

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お泊まり会・3回目の2日目

1月12日(日)

朝ご飯を食べたあと、車で30分ほどかかる公園に向かう。うちの娘が日ごろから気に入っている公園で、遊具が充実していて、凧揚げができる広場もある。

凧揚げはうちの娘とHちゃんが興じていたが、Hちゃんの妹のAちゃんはまだ小さいので、シャボン玉遊びに興じていた。

心配したのは、凧揚げの主導権をどちらが握るかについて揉めるのではないか、ということである。

わがまま放題のHちゃんは自分が凧を揚げたいものだから、タコ糸を離そうとしない。しかしうちの娘も凧揚げをしたい。どうしてもHちゃんのほうが押しが強いので、娘にとっては少しストレスがたまる。それでも大きなトラブルもなく凧揚げ遊びは終わった。

問題は遊具遊びである。どっちが先にブランコに乗るかの主導権争いとか、3人のうちの2人しか乗れないシーソーに誰が乗るかという主導権争いなど、3人いると、つねに主導権争いが絶えない。そのたびにうちの娘は泣くのである。

しかし押しの強いわがまま放題なHちゃんは「オレがオレが」のメンタリティーで、まったく意に介さない。むしろ妹のAちゃんのほうがわきまえている。

僕だったら絶交したくなるような友だちなのだが、それでもうちの娘はHちゃんと遊ぶことが楽しいらしい。

あっという間にお昼になった。

昼食はマクドナルドに入ったのだが、ここにも子どもが遊べるスペースがあって、注文した品が来るまで、3人は自由奔放に遊んでいた。ま、それは全然かまわないのだが、遊びのスペースから戻ってきた娘やHちゃんは信じられないくらい大汗をかいている。

「暑い暑い」と言っているが、おい、今日は寒波がきているんだぞ!「子どもは風の子」とはよくいったものだ。

マクドナルドでの滞在時間は長く、昨日よりかねて危惧していた13時30分から開始の同業者集会の時間がきてしまい、仕方がないのでスマホでZoomに入ることにした。

同業者集会の様子を車の中で聴きながら自宅に戻り、午後は妻が徒歩で別の公園に連れていって、夕方の5時に戻ってきた。これですべての日程が終了し、Hちゃんと妹のAちゃんの保護者に無事に引き渡した。先方の保護者はひどく気を使って餃子とドーナツをいただいた。「どうぞおかまいなく」と言ったのだが、どうしてももっていってくださいというので、受けとることにした。

結果的には餃子に救われた。妻も僕も疲れすぎて夕食を作る気力もなく、餃子が夕食の主食となった。先方の保護者も、ご自身の娘たちに手を焼いていることを日ごろから実感していたのだろうかと妄想した。

たびたび泣いていたうちの娘に「お泊まり会は楽しかった?」と聞いたら、笑顔で「楽しかった」と答えていたので、結果オーライなのだろう。

先方の保護者からLINEが送られてきた。

「寒い中、公園×2とマックにも連れて行っていただき、大満足の2日間だったようです。しかもまだ小さいAまで連れて行っていただき、心の広さに感激しました。

私たちも約8年ぶりにだいぶゆっくりした時間をいただいてしまってありがとうございました」

妻も僕もこういうことは苦手なのだが、苦手なりにも試行錯誤しながらアテンドすれば、それなりに感謝してもらえるらしい。

そういえば韓国に1年ほど留学していたとき、日本から次々とやってくるお客さんを二人で試行錯誤しながらアテンドしたことを思い出した。あのときの体験が生きているのかもしれない。

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お泊まり会・3回目の1日目

1月11日(土)

大興奮のお泊まり会

お泊まり会・2回目

小1の娘が、保育園時代からのお友だちのHちゃんと勝手にお泊まり会の約束を取り付けてしまった。

先日、娘が「大事な話があるの」と言って、深刻そうな声で言うので、「どうしたの?」と聞くと、「Hちゃんとお泊まり会をすることになったの」「どこでお泊まり会するの?」「うちで」「いつ?」「こんどの土曜日」「土曜日にうちに泊まって、日曜日に帰ってもらう、ってことね」「うん」

いきなりの話で面食らった。手帳を見ると、妻は土曜の午後にオンライン会合があるし、僕は日曜の午後から神戸で同業者会合がある。しかし僕は体調のこともあり、現地参加をあきらめてオンライン参加にすることにしていた。だからその2日間のお泊まり会に対応できないこともない。

「わかった。いいよ」

と答えると、その日から娘は大興奮して、例によって当日のシミュレーションなどを始めた。

「Aちゃんもお泊まり会に来るんだけど、いい?」Aちゃんというのは、Hちゃんの妹である。前回のわが家でのお泊まり会では、妹のAちゃんがまだ小さいという理由でHちゃんのみが泊まりに来たのだが、Aちゃんも4歳くらいになったので、一緒にお泊まり会に誘ったというわけである。

なんか、大変なことになりそうだなあ。

しかし断ると娘がすぐ泣くので、それも認めることにした。

なにしろうちのマンションは狭い。それに加えて本が溢れているので、デッドスペースがほとんどである。子ども3人が泊まれるスペースを確保できるのかが難しい。もちろん他人様の子どもを預かるのだから、なんかあっちゃいけない。

そして当日を迎えた。HちゃんとAちゃんは、夕方5時に来ることになっている。しかしその日は朝から大変である。

洗濯やお風呂掃除やトイレ掃除、部屋全体と掃除機やコロコロをかけるというのはもちろんだが、布団カバーを洗濯したり、布団乾燥機で布団を暖めたり、年末にできなかった大掃除をはからずもすることになった。あと夕食の下ごしらえ。これらを午前中に終わらせなければならない。

午後の1時から5時までは妻がオンライン会合なので、娘を自宅から連れ出さないといけない。近くの図書館で4時半まで過ごすことにした。

その間も娘はずっと興奮状態で、時間ばかりを気にしている。

4時半になり、自宅に戻る。5時にこちらのマンションに来てもらう約束だったが、娘は待ちきれず10分前からマンションの1階のエントランスに待機していた。約束の時間の5時になり、2人が来ると興奮状態はMaxになった。さっそくマンションの部屋で、夕食まで遊びに興ずることになった。

娘が小声で言う。

「ねえ、これっていまお泊まり会をしてるんだよね?」

「どういうこと?」

「夢じゃないよね」

「夢じゃないよ」

そう答えると、娘は自分の頬を自分でひっぱたいた。

あまりに楽しすぎて夢なんじゃないか?って思うなんて、どんだけ興奮してるんだ?

夕食が終わり、子どもたち3人でお風呂に入り、パジャマに着替えて歯磨きをして…と、ここまでは順調だった。

だが前回同様、寝る前になってまた興奮状態がMaxになり、3人は騒ぎ始めた。いっこうに寝る気配がない。とくにHちゃんの騒ぎ方は尋常じゃない。

そのうち3人が揃って「暑い!」と言いはじめた。

おいおい、この週末は最大の寒波が来ると言われているんだぞ!「暑い!」ってなんだよ!

「冷房をつけて」とHちゃんが言う。

「冷房はダメだよ」と答えると、「じゃあ扇風機」というので、この寒波の季節に扇風機をまわした。しかも「強」である。どんだけ興奮しているんだ?_

バカ騒ぎは夜10時半頃まで続いた。先方の保護者からは「もう寝ましたか?」というLINEが来たが、「大興奮状態でまだ寝ていません」と答えた。

3人が楽しんでいること自体はとてもよかったのだが、僕が思ったことは、前回のお泊まり会よりもHちゃんのわがまま度が増している、ということだった。妹のAちゃんにとっては初めてのお泊まり会だったが、Aちゃんのわがままぶりもまたお姉ちゃんのHちゃんに負けず劣らずである。

それをたしなめるのはうちの娘だった。

うちの娘も、ふだんはそうとうわがままだなと思っていたが、上には上がいるものだな。

それでわかったのは、うちの娘は学級委員タイプだということだ。

「生徒会長もやりかねないんじゃないの?」と妻が冗談で言ったので、「そうなると親子二代で生徒会長ということになるな」と笑った。

ふだんからあんなわがままな生活をしていたら、先方の保護者の方も大変だな、しかも二馬力である。そう考えると、まだうちの娘はマシな方なのかもしれない。

2日目は午前中に公園に行って、昼食を外食ですませるところまでは予定が決まっているが、それぞれの家の夕飯の時間まで遊びたいと言い出してきかないので、午後もつきあわなければならない。しかしいまのところノープランである。僕は午後から同業者会合にオンライン参加する予定なので、はたして予定通りオンライン参加できるのか、いまから不安である(この記事の執筆時は日曜日の早朝)。

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凧揚げは楽しい

1月4日(土)

9日間の連休で、小1の娘を飽きさせないようにすることが最大の難問である。

正月遊びのなかで、凧揚げがいちばん楽しいということがわかった。娘はとにかく外で遊びたいという欲望が強く、室内で遊べる遊びにはあまり乗ってこないのだ。

元旦と2日にも凧揚げをしたが、さすがに同じ公園で凧揚げをするのは食傷気味なので、ほかの公園に行くことにした。

いろいろ調べてみると、自宅から車で20分ほどのところに、凧揚げができる公園があることを見つけた。

初めて訪れる公園である。意外と広々としていて、まだ午前中の早い時間だが、凧揚げをしている家族が何組かいた。

私たちもさっそく凧揚げをはじめたが、始まって5分も経たないうちにたこ糸が切れて、凧の本体が飛んでいってしまい、広場の中の木の枝に引っかかってしまった。

人間の背丈では届かない枝に引っかかってしまったので、棒かなにかで凧を取ろうと思い、サービスセンターに駆け込んで、

「凧が木の枝に引っかかってしまったので、それを取るための棒はありますか?」

とたずねた。すると職員の方は、

「凧が引っかかった木は何ですか?」

と尋ねたので、

「桜の木です」

と答えたら、

「では棒で取ることは枝を傷めることになるのでできません。自然に落ちてきたら、拾得物として扱うことはできます」

なるほど、それはそうだ。どうせ安物の凧だったので、未練がましく取ることもなかろうと思い、近くのコンビニでこれまた安物のビニール製の凧を買って、凧揚げを再開することにした。

最初はなかなかうまくいかなかったが、今日は風も強かったので、次第に慣れていき、長時間、しかも高いところまで上げられるようになった。そうなると楽しい。

しかし今日は凍り付くような寒さである。公園にいられるのも午前中が限度で、昼食を行きつけの中国料理屋で済ませたあと、午後には家に戻った。

問題は午後である。娘はまた公園に行きたいと駄々をこねたが、さすがに寒くて外遊びはもう無理だ。考えたあげく、図書館に行って絵本を返したあと、近くにあるカラオケ店に行って娘に1時間半ほど歌わせた。

自宅に戻ったときには午後5時。すっかり疲れてしまった。おかげで1月7日厳守の原稿がまったく進んでいない。これについては、残り1日の休日でなんとかしなければならない。

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福笑い・凧揚げ・カルタ・年賀状

1月2日(木)

今年の年末年始は、9連休という長い期間だが、僕が病み上がりということもあり、小1の娘が喜ぶようなイベントをすることがなかなか難しい。

自分にできることは映画館に連れていって映画を観ることくらいで、あとは毎年の恒例となっている、元日に僕の実家に行き、2日に妻の実家に行くことくらいである。

なにか正月らしいことはできないだろうかと考えたことの1つが、お手製の福笑いを作るというアイデアだった。

まず大きな紙に顔の輪郭をかたどった土台を切り抜く。

次に眉毛とか目とか鼻とか口とかほっぺたとか、顔の部位を切り抜く。このとき、顔の輪郭とのバランスを考えなければならない。輪郭の大きさに比して部位が大きすぎたり小さすぎたりしないように注意する。

目隠しをしていると、部位の表裏の区別が付かない恐れがあるので、裏面にはシールを貼ったりマスキングテープを貼ったりして、触感で表裏がわかるように工夫をする。

土台となる顔の輪郭だけを決めておけば、目や鼻といった部位のバリエーションは際限なく作ることができる。

ここまでしておけば、簡単に福笑いセットを自作するすることができるとわかった。

材料費がタダである程度楽しめるのだから効率的である。実際、娘には好評だった。

次に考えたのは、凧揚げである。

凧から作るのは面倒くさいので、安価なビニール製の凧を購入した。

問題は凧揚げをする場所である。

凧揚げを許可している公園はなかなかない。電柱や木に引っかかったりすると厄介だからである。

いちばんいい場所は河川敷なのだが、河川敷では凧揚げをするよりほかにすることがなく、あっという間に飽きてしまう恐れがある。

そういえばよく通っている実家の近くの公園で凧揚げをしている光景を見たことがあった。あの公園ならば凧揚げをしてもよいということである。それに、その公園には遊具もあるので、凧揚げに飽きたら遊具で遊べばよい。

凧揚げは、最初はうまく飛ばすのが難しくて、その段階でイヤになっちゃうことが多いが、辛抱強く凧揚げのコツを教えれば、次第にコツをつかんで凧を飛ばせるようになる。そうなると凧揚げが楽しくなる。結局娘は、元日と2日の二日間、その公園で凧揚げに興ずるようになった。

次に考えたのはカルタである。

僕は「郷土カルタ」というのを2種類もっていて、そのうえ今季のクリスマスのプレゼントは「歳時記カルタ」だった。カルタは言葉や歴史や風習を学ぶことができる。小1の娘にはまだよくわからない言葉が多いが、何年もかけて遊んでいくうちにそうしたことが遊びながら学べるというのは、教材としてもふさわしい。

そして年賀状。

今年は出さないことに決めていたが、やはり元日に年賀状が来てしまうと、こちらも年賀状を出さなければいけないという思いにとらわれてしまう。そこで急遽、「送ってきた人にだけ」年賀状を出すことに方針を変更した。僕が娘を凧揚げに連れ回している間に、妻は年賀状のデザインを考え、元日に届いた人に対して年賀状を投函した。仕事が早い。

というわけで、先着100名の方に、年賀状をお送りいたします。「100枚も年賀状は来ないよ」と叱られてしまいましたが、「何かあっちゃいけない」精神で、すでに100枚の年賀状を購入しております。

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引きの強い三代

12月31日(火)

朝、娘が寝ている僕を起こして、

「『モアナ』を観に行きたい!」

と言いだした。いま公開中のディズニー映画『モアナと伝説の海パート2』のことである。

僕はパート1をちゃんと観ていないのだが、娘が「モアナ」の大ファンで、くり返し観ていたことは知っていた。

「わかったわかった。観に行こう」

起き抜けにスマホで予約をする。映画館はどこにしようかなあ。ここから一番近い映画館は、車を停めるところがないし、実家のあるF市にある映画館にしようか、それともその隣のC市の映画館にしようか。

迷ったあげく、自宅と実家のあるF市との中間にあるC市の映画館で観ることに決めた。

10時25分の上映時間になんとか間に合い、無事に映画を観ることができた。観客は当然、親子連れが多い。

僕はパート1を観ていなかったせいもあって、映画の世界観がわかっていなかったのだが、あっという間に引き込まれてしまった。

ディズニー映画とかピクサー映画って、頭のいい人たちがよってたかって作っている映画なので、面白くないはずはないのだ。

映画が終わって会場を出ると、

「あら、○○ちゃん!」

と娘を呼ぶ声がした。見ると、娘と同い年くらいの女の子とその両親である。娘を呼んだのは女の子の両親のほうだった。

「こんにちは」

と娘が言って、同い年くらいの女の子とも二言三言挨拶を交わしていた。

「じゃあまたね!」

しかし僕は、その家族が何者なのか、わからない。

その家族が去ってから娘に、

「いまの人、だれ?」

と聞くと、

「アンちゃんとそのお父さんとお母さんだよ」

と答えた。

「アンちゃんって、あのアンちゃん?」

「そうだよ」

娘の日常会話の中で、「アンちゃん」という名前は何度となく聞いていた。同じクラスのお友だちで、学童も同じである。学童の帰りには一緒に遊んだりして、とても仲のよい友だちの一人なのだ。

そのアンちゃんが、同じ時間に、同じ映画館で、同じ映画を観ていたのだ!

こんな偶然ってある??だって最寄りの映画館ではなく、車で行かないとたどり着けないC市の映画館なんだぜ。僕の気まぐれで、もしF市の映画館を選んでいたら、会えなかったわけだ。実際僕は、最初F市の映画館を予約しようとして、やっぱりやめようとキャンセルしてC市の映画館を選んだのである。

それにしても不思議だ。僕はアンちゃんはおろか、アンちゃんのご両親もどんな顔をしているか全然わからないのに、なぜかアンちゃんのご両親は僕の娘の顔をわかっていたのだ。

「どうしてアンちゃんのお父さんとお母さんは○○ちゃんのことを知っているの?」

「だって、学童が終わってから遊んでいると、アンちゃんのお父さんとお母さんがいつも迎えに来てくれるから」

なるほど、そういうことだったのか。僕は何も知らなかったことを恥じた。

「でもアンちゃんに会えてよかった。ほんとうはこの冬休みに遊びたかったんだよ」

会えただけでもうれしかったらしい。

それにしても、である。

母と私が「引きが強い」人生を送っていることは、以前にも書いたことがある

このうえ娘までも引きが強いではないか!

引きの強さは遺伝するのか???

「鹿島さんこれって…」

「スピってます」

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秋祭り・公園編

10月27日(日)

今日も妻は仕事なので、小1の娘と2人で過ごすことになった。ゆるゆると部屋の片付けをして過ごそうかなと思ったら、お昼頃に妻からLINEが来た。今日は12時から15時までの予定で近くの公園で秋祭りをするという内容のLINEで、どうやら保育園のママ友たちのグループLINEからの情報らしい。

保育園時代にお友だちだった保護者の何人かが主催者として秋祭りを切り盛りしているので、当然、たくさんの同窓生たちが来るのではないか、とのことだった。僕は娘を秋祭りに連れていくのが面倒くさかったので、はじめはこの情報を娘には知らせないようにしようかと思ったが、あとで何を言われるかわからないので、部屋の片付けをするという予定を変更し、娘と2人で秋祭りに行くことにした。

場所は、自宅から本当に近いところにある公園で、狭い公園の中にテントをいくつも張って、ちょっとしたゲームやら飲み物や食べ物、はてはビールまで売っていたりしていた。

秋祭りに参加するにはまず500円を支払う。そうすると、10枚ほど連貼されたチケットが渡される。ゲームをしたり、食べ物を買ったり飲み物を買ったりするときには、すべてそのチケットで支払うことになる。ゲームだとチケット1枚、食べ物や飲み物を買うとなるとチケット2枚を必要とする。こうして10枚のチケットをうまく使いながら秋祭りを楽しむのである。

予想通り、保育園時代の同窓生が何人か来ていた。そればかりか学童のお友だちもいた。娘は保育園時代の同窓生のグループを見つけると、そこに駆け寄って、4人くらいで一緒に遊ぶことになった。ただ、娘を除く3人は、住んでいるところが近く、そのうえ保護者同士も仲がいいので、3人でかたまって遊んでいたわけだが、そこに異分子である娘が入ってきたわけである。当然僕はママ友たちと親しいわけではないので、4人が遊んでいる様子を遠くから眺めていることしかできなかった。

遠くからその様子を見ていると、一見、仲よく遊んでいるのだが、娘はちょっとした疎外感を抱いている様子にも見えた。それは、あるとき僕のところに駆け寄ってきて、

「いつもボクは置いてきぼり…」

とつぶやいたことからも明らかであった。

それでも娘はめげずにほかの3人のグループと遊んだ。なるべく3人の迷惑にならないように、控えめに参加しているようにボクには見えた。

僕は連日の疲労がたまり、立っているのがしんどくなってきた。ちょうどそのとき、4人は秋祭りに飽きたらしく、ひとりの子のマンションで遊ぶという話がまとまったらしい。4人は秋祭りの会場を出てひとりのお友だちのマンションに向かった。

「パパは家に帰って待ってて」

と言われたので、これで無罪放免だと家に戻り、ソファーに横になったら泥のように寝てしまった。

娘は17時過ぎに家に戻り、「楽しかった」と言っていた。秋祭りに参加して、めでたしめでたし、であった。

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授業参観

10月26日(土)

妻は仕事なので、ひとりで小1の娘の授業参観に行ってきた。授業参観は初めてである。

昨日の夜に3日間の出張から帰ってヘトヘトだったが、8時35分開始の授業に間に合うように時間に余裕をもって登校しなければならない。

1時間目が国語、2時間目は算数なのだが、2時間目の授業は非公開で、代わりに保護者たちは体育館に集められて、道徳に関する教育講演会を聞く。そして3時間目は再び教室に戻り、道徳の授業を参観する。

僕が心配していたのは、授業が行われる45分間、保護者は教室で立ちっぱなしなので、自分の体力が持つかということだった。もちろん、ふつうの保護者であれば何の問題もないのだろうが、薬の副作用で倦怠感が半端なく、しかも足腰に不安があるのだ。それにもうひとつ、もし途中で用を足す必要に迫られた場合、トイレはどこにあるのだろう、という不安もあった。

8時35分に1時間目の国語の授業が始まった。盛りだくさんの内容だったが、いくつか気になる点があった。

一つは、教科書の音読である。これを全員が一斉に行うのである。

これははたしてよいことなのだろうか?もちろん、クラス32人の誰もが取りこぼされないように平等に機会を与えるという方針なのだということはわかる。実際、先生は児童に手を上げて答えさせるたびに、誰に当てたのかをメモしていた。つまり一人に偏らないように、できるだけ機会均等を心がけなければいけないという方針なのである。

しかしそれでほんとうに個性が伸びるのだろうか。たとえばよく聞く話なのだが、伊集院光さんは小学生のころ、教科書の音読をひどく褒められて、それが「喋りの仕事」につくきっかけになったと聞いたことがあるし、講釈師の神田伯山さんも同じく、小学生のときの教科書の音読を褒められて講談師の道に進んだと述懐していた。

自慢だがうちの娘は音読が上手い。その音読を褒めて個性を伸ばせば、その先の人生について一つの展望が見えてくるのではないだろうか。

僕は伊集院光さんや神田伯山さんのエピソードを思い出し、音読を全員が一斉に行うスタイルに違和感を持たざるをえなかった。

二つめは、うちの娘の授業態度についてである。

保育園時代の同窓生のふうかちゃんが、別の小学校から転校して、娘の隣の席で勉強することになり、そのことに娘は興奮して、ふうかちゃんに「わからないことがあったらなんでもきいてね」とくり返し書いた手紙を渡したことを前に書いた。

しかし、実際の授業風景を見ていると、娘はふうかちゃんのサポートをまったくしていない。ふうかちゃんは転校してきたばかりで、何かと先生の指示の意味がわからなくて、先生の指示とは違う行動をしてしまうことが多い。ふうかちゃん自身、とてもおとなしい子どもなので、わからないことをまわりのお友だちに聞く、という行動もとらない。

だからこそ、娘はふうかちゃんを助けたいと思って手紙を書いたわけだが、その手紙に書かれた情熱とは裏腹に、ふうかちゃんの困っている様子について無頓着なのである。

授業参観が終わって家に戻ってから、「どうしてふうかちゃんのことを助けてあげなかったの?ふうかちゃん、先生の指示がわからなくて困っていたみたいだったよ」と娘に聞いたら、

「全然気づかなかった」

と言った。たぶんそれは本心だろう。そこでハタと気づいた。娘は自分のことで手一杯で、隣の席のふうかちゃんの様子を見る余裕などなかったのだ、と。

ま、あれだけ矢継ぎ早に先生の指示が飛んでくることに対応するのは、小1の児童にとっては酷なことである。娘はふうかちゃんの様子に全然気づかなかったことにひどく反省をしていたので、決して嘘ではないだろう。

「これからは、余裕のあるときでかまわないからふうかちゃんを助けてあげるんだよ」

「うん」

ということで、この件は一件落着。

さて、2時間目の授業は非公開なので、その時間は体育館に移動し、保護者のための道徳教育講演会を聞くことになっていた。休む間もなく体育館に移動する。

講師は若い男性で、保育系の大学を卒業して小学校の先生になったが、途中で子どもの教育関係の仕事を起業し、そのかたわら今もどこかの小学校で非常勤の教師をしているという。

45分間の講演は、一つのパッケージになっていて、相当手慣れた講師だなというのが第一印象だった。おそらくこの種の講演に呼ばれることが多いのだろう。後でインターネットを検索すると、ホームページを持っていて、講演は年に200回近くしているとか、本を出しているとか、その道の有名人であることがわかった。

さすが、手練れの講師で、お話しも上手で、パワポも完璧。緩急をつけた喋りとエモーショナルな内容に、最近とみに涙腺が緩くなった僕は、すっかり泣かされてしまった。

…といっても、別に感化されたわけではない。ちょっと自己啓発セミナーっぽい匂いを感じたし、全体にふわっとした感じの内容だったので、なるほどこういうところが受けているんだなと感心した。

45分の講演が終わり、再び教室へ向かう。ほんとうに休みがない。

3時間目の授業は道徳である。この道徳の授業がカオスすぎて、何が言いたいのかよくわからなかった。もっとも、担任の先生も必死に授業の組み立てを考えていることは十分に伝わったので、やはり道徳の教科じたいに無理があるのではないかと感じた。

あとで娘に聞いてみると、やはり道徳はいちばん苦手だといっていた。

「オオカミの気持ちになれって言われてもねえ」

たしかに。心の置き場が見つからないまま、道徳の授業はこれからも続くのだろうか。

再び45分間立ちっぱなしだったので、さすがにもう体力的に限界が来たが、用を足すアクシデントもなく、足がつることもなく、無事に終了した。

しかし午後になって疲れや倦怠感が一気に押し寄せてきたのか、手の指はつるし足はつるしで、やるべきことが思い通りにできずに終わった。

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ふうかちゃん

10月21日(月)

散歩から帰ってくるなり、学童から戻ってきた小1の娘が駆け寄ってきた。

「ねえねえ、明日ねえ、転校生が来るんだよ!」

ずいぶんと声が弾んでいる。

「転校生が来るの?」

「うん、それがねえ、保育園で一緒だったふうかちゃん」

「ふうかちゃん!」

ふうかちゃんはたしか、保育園の卒園後、違う小学校に通うことになったはずだが、保育園のお友だちがたくさんいる小学校に転校してくるというのだ。何か事情があったのかもしれないけれど、そんなことを詮索することなどできない。

「それにねえ、ボクの隣の席に座ることになったんだ!同じ斑なんだよ!」

「斑」というのは、一緒に給食を食べるグループのことをいうらしい。

「よかったねえ」

「うん。手紙も書いたんだ!」

また手紙か!手紙が好きだなあ。

「見せて」

「ヤダ、でも読んであげる」

といってその手紙を読み始めた。

「ふうかちゃんへ

はんいっしょだからよろしくね。きんちょうしたらなんでもゆってね。1-4くみはわらったりたのしいことばかりだからだからだいじょうぶだよ。ふうかちゃんともだちはいっぱいいるからだいじょうぶだよ。ふうかちゃん○しょうとちがうけどだいじょうぶだよ」

ふうかちゃんが緊張しないように、全力でサポートするらしい。

「ねえねえ、○○くんがヘンなことを言ってきたらどうしよう」

「○○くんはヘンなことをいうお友だちなの?」

「そういうわけじゃないけど…」

要らぬ心配までしている。

いまから、明日のシミュレーションを始める、というのも、これまで通りの展開である。

娘は終始「うれしすぎる」と言って、興奮状態だった。どれだけ興奮状態だったかというと、興奮しすぎて椅子から転げ落ち、テーブルの角に頭をぶつけてこぶを作って大泣きをする、というほどである。

まるでコントを見ているようで可笑しかった。

勉強なんてできなくったっていいんだ。そうやって人を思いやる人間になってくれればそれでいい。娘の手紙の朗読を聞きながら、そんなことを思った。

 

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届かなかった手紙

10月16日(水)

夕方、小1の娘がうなだれて帰ってきた。

娘は学童保育から帰ってくると、ランドセルを玄関に置いて、そのまま友だちのところへ遊びに行く、というのが日課になっている。3人の友だちだ。

しかし今日はうなだれて帰ってきた。

「どうしたの?」

と聞くと、

「3人のお友だちにお手紙を書いたんだけれど、3人ともに『いらない』と言われた」

そう言うと娘は、渡すはずだったその手紙をゴミ箱に捨てた。

「絶対に読んじゃダメだよ」

ひどい話だ。そんなことってある?せめて受けとるくらいはするだろ!…と、こっちは頭に血が上ってしまった。

娘は自分の気に入った人にお手紙を書くのが好きだ。保育園に通っていた頃、TBSテレビのドラマ『石子と羽男』というドラマが好きすぎて、ドラマが終わってから、石子役の有村架純さんと、羽男役の中村倫也さんと、石子の父親役のさだまさしさんの3人に、ファンレターを書いて投函したことがあった。まあそれは極端な例だが、日常においても友だちに手紙を書いて渡すことを楽しみとしていたようだ。

しかし、いつも遊んでいる3人から、「いらない」と言われたら、そうとうなショックだろう。もちろん、他の友だちにも手紙を書くことがあり、たいていは受けとってくれるのだが、この場合、受けとらない意味がわからない。

さあ、お風呂で僕の道徳の授業が始まる。

「○○さん(娘のこと)は、そのお友だちと遊んでいるとき、楽しい?」

「楽しい。でもボク(娘は自分のことを「ボク」と自称している)がしたい遊びはやらせてもらえない…」

学童の個人面談で、娘が決して自分から遊ぼうと提案せず、ほかの人の遊びに自分を合わせる傾向にあるという、保育士の言葉を思い出した。

3人は近くに住んでいて、以前から仲良しだったところに、うちの娘が入ってきたものだから、娘はちょっと疎外感を抱いているのかもしれない。かといって、遊んでくれるお友だちはほかになかなか見つからない。

「ひょっとしたら、その3人は手紙をもらい慣れていないんじゃないのかなあ」

3人には罪がないのではないか、という仮説も立ててみた。

すると、娘は妙なことを口にした。

保育園の時、お友だちに手紙を渡そうと思ったら、先生に叱られたのだという。保育園の中では、個人的に手紙のやりとりをしてはいけないのだそうだ。

そして小学校も、教室の中では個人的に手紙のやりとりをしてはいけないことになったいるそうだ。その代わり、学童ではそんな決まりはないという。

ホントかよ!僕はビックリした。小1の娘の言うことだから、必ずしも正確な言い方ではないにしても、僕には信じられなかった。むかしからそうだったっけ???

「じゃあさあ、その3人のお友だちは、手紙を受けとると叱られると思ったから、受けとらなかったんじゃない?」

…苦し紛れの仮説である。第一ほかのお友だちは受けとってくれるのだ。

娘はまだ腑に落ちないという顔をしていたので、

「でも、○○さん(娘)のやったことは正しいよ。手紙を書いたりすることは優しい気持ちだし、自分が遊びたいことをガマンしてほかのお友だちの遊びを一緒に楽しむことも大切なことだよ」

と言ったら、少し腑に落ちたようにみえた。

お風呂からあがると、

「今日はいい日ではなかったなあ」

と娘がつぶやいた。

「いいことを教えてあげる」

「なになに?」

「今日のことを忘れたいんだったら、いまから歯を磨いて、洗面台の前で顔をゴシゴシ洗って、早めに寝ることだよ。そうしたら、明日の朝にはすっかり忘れるよ」

まったく根拠のないことを言ったことに罪悪感を抱いてしまったが、娘は、その通りに行動をして、すぐに寝てしまった。

娘は3人のお友だちにどんな手紙を書いたのだろう?

ほんとうはやってはいけないことだとわかっているのだが、ゴミ箱に捨てられた3通の手紙をとりあげてみると、折り紙で作った封筒に手紙が入っていた。折り紙で作った封筒は決して上手とはいえなかったが、心のこもったものであることには違いなかった。

手紙の文面は、3人とも同じだった。

「○○ちゃんへ

いつもあそんでくれてありがとう。そのかわりにおりがみをあげるよ。ひとつえらんでね。ありがとうありがとう。

○○○○○より」

娘は、3人のお友だちに「遊んでくれてありがとう」と、感謝の気持ちを伝えたかったのだ。

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