育児

秋祭り・公園編

10月27日(日)

今日も妻は仕事なので、小1の娘と2人で過ごすことになった。ゆるゆると部屋の片付けをして過ごそうかなと思ったら、お昼頃に妻からLINEが来た。今日は12時から15時までの予定で近くの公園で秋祭りをするという内容のLINEで、どうやら保育園のママ友たちのグループLINEからの情報らしい。

保育園時代にお友だちだった保護者の何人かが主催者として秋祭りを切り盛りしているので、当然、たくさんの同窓生たちが来るのではないか、とのことだった。僕は娘を秋祭りに連れていくのが面倒くさかったので、はじめはこの情報を娘には知らせないようにしようかと思ったが、あとで何を言われるかわからないので、部屋の片付けをするという予定を変更し、娘と2人で秋祭りに行くことにした。

場所は、自宅から本当に近いところにある公園で、狭い公園の中にテントをいくつも張って、ちょっとしたゲームやら飲み物や食べ物、はてはビールまで売っていたりしていた。

秋祭りに参加するにはまず500円を支払う。そうすると、10枚ほど連貼されたチケットが渡される。ゲームをしたり、食べ物を買ったり飲み物を買ったりするときには、すべてそのチケットで支払うことになる。ゲームだとチケット1枚、食べ物や飲み物を買うとなるとチケット2枚を必要とする。こうして10枚のチケットをうまく使いながら秋祭りを楽しむのである。

予想通り、保育園時代の同窓生が何人か来ていた。そればかりか学童のお友だちもいた。娘は保育園時代の同窓生のグループを見つけると、そこに駆け寄って、4人くらいで一緒に遊ぶことになった。ただ、娘を除く3人は、住んでいるところが近く、そのうえ保護者同士も仲がいいので、3人でかたまって遊んでいたわけだが、そこに異分子である娘が入ってきたわけである。当然僕はママ友たちと親しいわけではないので、4人が遊んでいる様子を遠くから眺めていることしかできなかった。

遠くからその様子を見ていると、一見、仲よく遊んでいるのだが、娘はちょっとした疎外感を抱いている様子にも見えた。それは、あるとき僕のところに駆け寄ってきて、

「いつもボクは置いてきぼり…」

とつぶやいたことからも明らかであった。

それでも娘はめげずにほかの3人のグループと遊んだ。なるべく3人の迷惑にならないように、控えめに参加しているようにボクには見えた。

僕は連日の疲労がたまり、立っているのがしんどくなってきた。ちょうどそのとき、4人は秋祭りに飽きたらしく、ひとりの子のマンションで遊ぶという話がまとまったらしい。4人は秋祭りの会場を出てひとりのお友だちのマンションに向かった。

「パパは家に帰って待ってて」

と言われたので、これで無罪放免だと家に戻り、ソファーに横になったら泥のように寝てしまった。

娘は17時過ぎに家に戻り、「楽しかった」と言っていた。秋祭りに参加して、めでたしめでたし、であった。

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授業参観

10月26日(土)

妻は仕事なので、ひとりで小1の娘の授業参観に行ってきた。授業参観は初めてである。

昨日の夜に3日間の出張から帰ってヘトヘトだったが、8時35分開始の授業に間に合うように時間に余裕をもって登校しなければならない。

1時間目が国語、2時間目は算数なのだが、2時間目の授業は非公開で、代わりに保護者たちは体育館に集められて、道徳に関する教育講演会を聞く。そして3時間目は再び教室に戻り、道徳の授業を参観する。

僕が心配していたのは、授業が行われる45分間、保護者は教室で立ちっぱなしなので、自分の体力が持つかということだった。もちろん、ふつうの保護者であれば何の問題もないのだろうが、薬の副作用で倦怠感が半端なく、しかも足腰に不安があるのだ。それにもうひとつ、もし途中で用を足す必要に迫られた場合、トイレはどこにあるのだろう、という不安もあった。

8時35分に1時間目の国語の授業が始まった。盛りだくさんの内容だったが、いくつか気になる点があった。

一つは、教科書の音読である。これを全員が一斉に行うのである。

これははたしてよいことなのだろうか?もちろん、クラス32人の誰もが取りこぼされないように平等に機会を与えるという方針なのだということはわかる。実際、先生は児童に手を上げて答えさせるたびに、誰に当てたのかをメモしていた。つまり一人に偏らないように、できるだけ機会均等を心がけなければいけないという方針なのである。

しかしそれでほんとうに個性が伸びるのだろうか。たとえばよく聞く話なのだが、伊集院光さんは小学生のころ、教科書の音読をひどく褒められて、それが「喋りの仕事」につくきっかけになったと聞いたことがあるし、講釈師の神田伯山さんも同じく、小学生のときの教科書の音読を褒められて講談師の道に進んだと述懐していた。

自慢だがうちの娘は音読が上手い。その音読を褒めて個性を伸ばせば、その先の人生について一つの展望が見えてくるのではないだろうか。

僕は伊集院光さんや神田伯山さんのエピソードを思い出し、音読を全員が一斉に行うスタイルに違和感を持たざるをえなかった。

二つめは、うちの娘の授業態度についてである。

保育園時代の同窓生のふうかちゃんが、別の小学校から転校して、娘の隣の席で勉強することになり、そのことに娘は興奮して、ふうかちゃんに「わからないことがあったらなんでもきいてね」とくり返し書いた手紙を渡したことを前に書いた。

しかし、実際の授業風景を見ていると、娘はふうかちゃんのサポートをまったくしていない。ふうかちゃんは転校してきたばかりで、何かと先生の指示の意味がわからなくて、先生の指示とは違う行動をしてしまうことが多い。ふうかちゃん自身、とてもおとなしい子どもなので、わからないことをまわりのお友だちに聞く、という行動もとらない。

だからこそ、娘はふうかちゃんを助けたいと思って手紙を書いたわけだが、その手紙に書かれた情熱とは裏腹に、ふうかちゃんの困っている様子について無頓着なのである。

授業参観が終わって家に戻ってから、「どうしてふうかちゃんのことを助けてあげなかったの?ふうかちゃん、先生の指示がわからなくて困っていたみたいだったよ」と娘に聞いたら、

「全然気づかなかった」

と言った。たぶんそれは本心だろう。そこでハタと気づいた。娘は自分のことで手一杯で、隣の席のふうかちゃんの様子を見る余裕などなかったのだ、と。

ま、あれだけ矢継ぎ早に先生の指示が飛んでくることに対応するのは、小1の児童にとっては酷なことである。娘はふうかちゃんの様子に全然気づかなかったことにひどく反省をしていたので、決して嘘ではないだろう。

「これからは、余裕のあるときでかまわないからふうかちゃんを助けてあげるんだよ」

「うん」

ということで、この件は一件落着。

さて、2時間目の授業は非公開なので、その時間は体育館に移動し、保護者のための道徳教育講演会を聞くことになっていた。休む間もなく体育館に移動する。

講師は若い男性で、保育系の大学を卒業して小学校の先生になったが、途中で子どもの教育関係の仕事を起業し、そのかたわら今もどこかの小学校で非常勤の教師をしているという。

45分間の講演は、一つのパッケージになっていて、相当手慣れた講師だなというのが第一印象だった。おそらくこの種の講演に呼ばれることが多いのだろう。後でインターネットを検索すると、ホームページを持っていて、講演は年に200回近くしているとか、本を出しているとか、その道の有名人であることがわかった。

さすが、手練れの講師で、お話しも上手で、パワポも完璧。緩急をつけた喋りとエモーショナルな内容に、最近とみに涙腺が緩くなった僕は、すっかり泣かされてしまった。

…といっても、別に感化されたわけではない。ちょっと自己啓発セミナーっぽい匂いを感じたし、全体にふわっとした感じの内容だったので、なるほどこういうところが受けているんだなと感心した。

45分の講演が終わり、再び教室へ向かう。ほんとうに休みがない。

3時間目の授業は道徳である。この道徳の授業がカオスすぎて、何が言いたいのかよくわからなかった。もっとも、担任の先生も必死に授業の組み立てを考えていることは十分に伝わったので、やはり道徳の教科じたいに無理があるのではないかと感じた。

あとで娘に聞いてみると、やはり道徳はいちばん苦手だといっていた。

「オオカミの気持ちになれって言われてもねえ」

たしかに。心の置き場が見つからないまま、道徳の授業はこれからも続くのだろうか。

再び45分間立ちっぱなしだったので、さすがにもう体力的に限界が来たが、用を足すアクシデントもなく、足がつることもなく、無事に終了した。

しかし午後になって疲れや倦怠感が一気に押し寄せてきたのか、手の指はつるし足はつるしで、やるべきことが思い通りにできずに終わった。

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ふうかちゃん

10月21日(月)

散歩から帰ってくるなり、学童から戻ってきた小1の娘が駆け寄ってきた。

「ねえねえ、明日ねえ、転校生が来るんだよ!」

ずいぶんと声が弾んでいる。

「転校生が来るの?」

「うん、それがねえ、保育園で一緒だったふうかちゃん」

「ふうかちゃん!」

ふうかちゃんはたしか、保育園の卒園後、違う小学校に通うことになったはずだが、保育園のお友だちがたくさんいる小学校に転校してくるというのだ。何か事情があったのかもしれないけれど、そんなことを詮索することなどできない。

「それにねえ、ボクの隣の席に座ることになったんだ!同じ斑なんだよ!」

「斑」というのは、一緒に給食を食べるグループのことをいうらしい。

「よかったねえ」

「うん。手紙も書いたんだ!」

また手紙か!手紙が好きだなあ。

「見せて」

「ヤダ、でも読んであげる」

といってその手紙を読み始めた。

「ふうかちゃんへ

はんいっしょだからよろしくね。きんちょうしたらなんでもゆってね。1-4くみはわらったりたのしいことばかりだからだからだいじょうぶだよ。ふうかちゃんともだちはいっぱいいるからだいじょうぶだよ。ふうかちゃん○しょうとちがうけどだいじょうぶだよ」

ふうかちゃんが緊張しないように、全力でサポートするらしい。

「ねえねえ、○○くんがヘンなことを言ってきたらどうしよう」

「○○くんはヘンなことをいうお友だちなの?」

「そういうわけじゃないけど…」

要らぬ心配までしている。

いまから、明日のシミュレーションを始める、というのも、これまで通りの展開である。

娘は終始「うれしすぎる」と言って、興奮状態だった。どれだけ興奮状態だったかというと、興奮しすぎて椅子から転げ落ち、テーブルの角に頭をぶつけてこぶを作って大泣きをする、というほどである。

まるでコントを見ているようで可笑しかった。

勉強なんてできなくったっていいんだ。そうやって人を思いやる人間になってくれればそれでいい。娘の手紙の朗読を聞きながら、そんなことを思った。

 

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届かなかった手紙

10月16日(水)

夕方、小1の娘がうなだれて帰ってきた。

娘は学童保育から帰ってくると、ランドセルを玄関に置いて、そのまま友だちのところへ遊びに行く、というのが日課になっている。3人の友だちだ。

しかし今日はうなだれて帰ってきた。

「どうしたの?」

と聞くと、

「3人のお友だちにお手紙を書いたんだけれど、3人ともに『いらない』と言われた」

そう言うと娘は、渡すはずだったその手紙をゴミ箱に捨てた。

「絶対に読んじゃダメだよ」

ひどい話だ。そんなことってある?せめて受けとるくらいはするだろ!…と、こっちは頭に血が上ってしまった。

娘は自分の気に入った人にお手紙を書くのが好きだ。保育園に通っていた頃、TBSテレビのドラマ『石子と羽男』というドラマが好きすぎて、ドラマが終わってから、石子役の有村架純さんと、羽男役の中村倫也さんと、石子の父親役のさだまさしさんの3人に、ファンレターを書いて投函したことがあった。まあそれは極端な例だが、日常においても友だちに手紙を書いて渡すことを楽しみとしていたようだ。

しかし、いつも遊んでいる3人から、「いらない」と言われたら、そうとうなショックだろう。もちろん、他の友だちにも手紙を書くことがあり、たいていは受けとってくれるのだが、この場合、受けとらない意味がわからない。

さあ、お風呂で僕の道徳の授業が始まる。

「○○さん(娘のこと)は、そのお友だちと遊んでいるとき、楽しい?」

「楽しい。でもボク(娘は自分のことを「ボク」と自称している)がしたい遊びはやらせてもらえない…」

学童の個人面談で、娘が決して自分から遊ぼうと提案せず、ほかの人の遊びに自分を合わせる傾向にあるという、保育士の言葉を思い出した。

3人は近くに住んでいて、以前から仲良しだったところに、うちの娘が入ってきたものだから、娘はちょっと疎外感を抱いているのかもしれない。かといって、遊んでくれるお友だちはほかになかなか見つからない。

「ひょっとしたら、その3人は手紙をもらい慣れていないんじゃないのかなあ」

3人には罪がないのではないか、という仮説も立ててみた。

すると、娘は妙なことを口にした。

保育園の時、お友だちに手紙を渡そうと思ったら、先生に叱られたのだという。保育園の中では、個人的に手紙のやりとりをしてはいけないのだそうだ。

そして小学校も、教室の中では個人的に手紙のやりとりをしてはいけないことになったいるそうだ。その代わり、学童ではそんな決まりはないという。

ホントかよ!僕はビックリした。小1の娘の言うことだから、必ずしも正確な言い方ではないにしても、僕には信じられなかった。むかしからそうだったっけ???

「じゃあさあ、その3人のお友だちは、手紙を受けとると叱られると思ったから、受けとらなかったんじゃない?」

…苦し紛れの仮説である。第一ほかのお友だちは受けとってくれるのだ。

娘はまだ腑に落ちないという顔をしていたので、

「でも、○○さん(娘)のやったことは正しいよ。手紙を書いたりすることは優しい気持ちだし、自分が遊びたいことをガマンしてほかのお友だちの遊びを一緒に楽しむことも大切なことだよ」

と言ったら、少し腑に落ちたようにみえた。

お風呂からあがると、

「今日はいい日ではなかったなあ」

と娘がつぶやいた。

「いいことを教えてあげる」

「なになに?」

「今日のことを忘れたいんだったら、いまから歯を磨いて、洗面台の前で顔をゴシゴシ洗って、早めに寝ることだよ。そうしたら、明日の朝にはすっかり忘れるよ」

まったく根拠のないことを言ったことに罪悪感を抱いてしまったが、娘は、その通りに行動をして、すぐに寝てしまった。

娘は3人のお友だちにどんな手紙を書いたのだろう?

ほんとうはやってはいけないことだとわかっているのだが、ゴミ箱に捨てられた3通の手紙をとりあげてみると、折り紙で作った封筒に手紙が入っていた。折り紙で作った封筒は決して上手とはいえなかったが、心のこもったものであることには違いなかった。

手紙の文面は、3人とも同じだった。

「○○ちゃんへ

いつもあそんでくれてありがとう。そのかわりにおりがみをあげるよ。ひとつえらんでね。ありがとうありがとう。

○○○○○より」

娘は、3人のお友だちに「遊んでくれてありがとう」と、感謝の気持ちを伝えたかったのだ。

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ハリーポッターのスタジオツアー

10月6日(日)

昨日に引き続き、今日も小1の娘と2人で過ごすことになった。

休日になると娘は「どこかへ連れていって」と言う。まあどこの家庭でもそうなのだと思うが、さすがにもうネタ切れになるよなーと思っていたら、昨日の午前に、

「ハリーポッターのところに連れていって!」

と言いだした。何のことかと思えば、ここ最近、テレビの地上波でハリーポッターの映画シリーズが立て続けに放送され、それを観た娘がハリー・ポッターにハマり、映画の間に流れるCMで、閉園した豊島園の跡地にできた「ハリーポッターワーナーブラザーススタジオ」に行きたいということらしい。こっちが消極的な態度をとると、娘は頑として譲らず、しまいには泣く始末である。

僕は、娘がハリーポッターの映画を観ているところを横からチラ見しただけで、ハリーポッターに関する知識は全くない。もちろん、魔法学校に関する話だ、ということくらいはなんとなくわかる。旧豊島園の敷地内にあるハリーポッターのテーマパークというのも、どういうものなのかまったくわからない。しかしそれで娘の気が済むのならと、スマホで予約をした。最近は何でもスマホだなあ。

すると、そこは「スタジオツアー」といって、ハリーポッターがどのように作られたかというメイキングを展示しているようなのである。つまり映画のスタジオに見立てて、セットを組み、そのセットのなかで入場者は没入感を楽しむという趣向のようなのである。そしてそのスタジオツアーは30分ごとにスタートすることになっていて、まず何時の回にスタジオツアーを希望するかを決めなければならない。おそらくあまりに入場者が多いのでそのような措置がとられているのだろう。

僕はとりあえず、いちばん早い予約可能時間を探し、12時30分の回を予約した。

何も考えずに予約ボタンを押したら、料金が出てきて、それがまたけっこうなお値段なのである。一瞬逡巡したが、まあ世界的に大人気映画の映画スタジオを見ることができるんだったら仕方ないと、購入を決めた。

その後、そのスタジオはどんなところなのだろうと思って少しだけ調べてみたら、攻略法みたいなことを書いてくれているブログを見つけた。どんなことが書いてあったかというと、

・スタジオツアーに要する時間は、人によるが、平均4時間ていどである。

・スタジオツアーが始まる1時間前から建物に入場できるので、つまり予約時間ギリギリに行くのではなく1時間前に入場した方がよい。

・というのも、スタジオツアーが始まるまでの1時間で、エントランスにあるフードコートで昼食を済ませたり、トイレに行ったりしたほうがよいからである。

・スタジオ内は飲食ができない。途中の休憩スペースにフードコートはあるものの、そこにたどり着くまでに2時間かかる。トイレについても、スタジオツアーに入ってしまうと、1時間くらい歩かないとトイレがないので、最初に済ませておいた方がよい。

・スマホはフル充電で臨むこと。スタジオツアーのなかで、体験コーナーに参加しようとすると、そのたびにQRコードをかざして登録しなければならないし、何よりスタジオ内にはフォトジェニックな撮影場所がたくさんある。つまりスマホが大活躍するのである。

…とまあざっとこんな感じで、しかしこれを読んでも何が何だかわからないのだが、ひとまずこのアドバイスにしたがって行動することにしようと決めたのである。

12時30分のスタジオツアーを申し込んだから、1時間前の11時30分には建物に着いていなければならない。電車のルートを調べてみると、自宅の最寄りの駅から40分ほどしかかからず、しかも乗り換えは1回で済むようなので、意外と近いところにあったんだなと初めて知った。これだと娘を電車に乗せてもストレスにならないだろう。

さて当日、建物の前には10時50分頃に着いてしまい、40分ほど建物の前にある公園で時間を潰し、11時30分に建物の中に入ることができた。

僕と娘は、先ずはフードコートで腹ごしらえをして、そのあとトイレに入って用を足すというマニュアル通りの行動をして、いよいよ12時30分開始のスタジオツアーに参加した。

長くなるので詳細な内容は割愛して感想だけ述べることにするが、娘が興奮したのは当然として、ハリーポッターについてほとんど知識のない僕にとっても、とても楽しめる空間だった。多くの入場者は、ハリーポッターのコスプレをしていて、最初は不審に思っていたが、中に入ると、なるほど、映画のセットがそのまま復元されているところが多いので、自分もその映画の中に入ったつもりで楽しむ、つまり没入感を楽しむためにコスプレをしているのだなということがわかった。そしておそらくリピーターが多いということでもあるのだろう。

スタジオツアーの中には何カ所か体験コーナーがある。最初は、面倒くさいのでスルーしようかと思っていたが、当然娘はやりたいといってきかない。で、どんな体験をするのか見てみると、映画の中のあるシーンと同じ行動をとってその様子を撮影し、それを実際の映画のなかに合成する、というものであった。どうも説明が下手でわかりにくいが、つまり自分たちも映画に出演するつもりになった気分になれるというわけだ。これもまた没入感を楽しむもので、なるほど、没入感とコスプレは一心同体のものなんだなとあらためて気づいたのだった。

あと、やたらQRコードを使う。そういえば最近、TBSラジオ「東京ポッド許可局」で、「最近はやたらとイベントなどでQRコードを使う場面が多くて、頭の古いおじさんにとってはついていけないことがある」といったニュアンスのことをマキタスポーツさんが言っていたが、まさに今日、僕はそのことが身に染みてわかったのである。しかもスタジオ内課金というものもあり、それもまたけっこうなお値段だった。しかしほんとうに楽しむには、値段のことで気に病んではいけない、値段に見合った楽しさを感じる空間であると思わなければならない。なにより娘は、4時間ほどのツアーを飽きることなく楽しんでいたのだ。

ということで、建物を出たのが16時30分。マニュアルの通りだった。しかしまったく休憩をとらずに歩き続けたので、僕も娘も疲労の極限状態となり、娘に「疲れていても明日は学校に必ず行くんだぞ」と、自分に言い聞かせるように約束をした。

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誰もいない秋祭り

10月5日(土)

朝から雨が降っている。

今日は娘と2人で一日を過ごさなければならない。ちょうどこの週末、近所の小さい神社で秋祭りをするという。例年だと、御神輿も町中を廻るということになっているのだが、この雨ではとても御神輿は町中を廻ることができないだろう。実際、道路は静かだった。

神社では、ごく小規模だが、子ども向けのゲームとか、大きな太鼓を叩かせてくれるとか、風船アートをその場で作ってくれるとか、ちょっとした縁日気分を味わえる。昨年だったか一昨年だったか、神社の境内に行ったときは、子ども連れの家族も含めてけっこう多くの人たちが集まっていた。しかし今年はこの雨で、笛や太鼓の音も聞こえず、ひどく静かである。

しかし手持ち無沙汰で過ごすわけにもいかないので、ひとまず神社の境内に行ってみることにした。

神社の近くまで来ると、お囃子が聞こえてきた。なあんだ。雨だからといって秋祭りが中止になったわけではないんだな、それにしても神社の境内に向かう人がほとんどいない。

不審に思いながら、ちょっとした高台にある神社の石段を登り、神社の境内に到着すると、何カ所かテントが張られていて、いちおう子どもたちが遊ぶためのゲームとその景品が用意されていた。

しかし、お客さんは誰もいない。いるのは法被を着た秋祭りのスタッフばかりである。

スタッフたちは僕ら親子が来たことに気づくと、一斉に手招きをした。こうなったらもう、引き返せない。

子供用のゲームコーナーでは、スーパーボールを使ったパチンコのようなゲームがあって、その点数によって景品を選ぶことができるという遊びを用意していた。

100円を払って、娘がそのスーパーボールゲームをすると、65点という比較的高得点をたたき出し、その景品としておもちゃをもらった。

それから境内をさらに進むと、

「大きな和太鼓を叩きませんか?」

と手招きがあった。そういえば前回来たとき、娘は太鼓を叩いていたことを思い出し、

「太鼓叩く?」

と聞くと、首を大きく横に振った。

「前も叩いたでしょ?覚えてる?」

それは覚えていたようなのだが、今日は気分が乗らないらしい。

そりゃそうだ。前に来たときは友達と一緒だった。その友達が太鼓を叩いたので、それを見ていて自分も叩きたいという願望が生まれたのだが、今日は友達はおろか、誰ひとりいないのだ。つまり、娘にしてみたら、太鼓を叩く動機がない。それで今回は、頑として首を縦に振らなかったのである。

仕方がないので僕が叩くことにした。

「7回叩いて、続いて5回叩いて、最後に3回叩いてください」

「これは決まりなんですか?」

と聞くと、

「七五三にちなんで、7回、5回、3回と叩くのです」

「なるほど」

「もうひとつお願いしたいのは、必ず最後は左手で叩くようにしてください。つまりまず最初に右手で2回叩き、その後は左右交互に1回ずつたたけば、最後は必ず左手で叩くことになります」

「はあ」

ナンダカヨクワカラナイが、7回叩くときには「右右左右左右左」、5回叩くときには「右右左右左」、3回叩くときには「右右左」の順番で叩くようにしろということらしい。なぜ最後は左手で叩かなければならないのか?聞こうとしたのだが、あまり理屈っぽい人間だと思われたくなかったので聞けなかった。

和太鼓が終わり、こんどは間髪入れず、ほかのおじさんが

「風船アートはいかがですか?」

と言われた。細長い風船をぐるぐる巻いたりしていろいろな形を作るアレである。正式にはバルーンアート風船と言うのだろうか?よくわからない。

これも前回の秋祭りでもらったので、今回ももらわないわけにいかない。

「どんな形がいいですか?」

と聞かれたのだが、聞かれてもこっちはよくわからない。

結局先方の提案で、「ちいかわ」のウサギをかたどったブレスレット風の風船アートを作ってもらった。

この神社では毎年、風船アートを作っては子どもたちに配っているので、作る人は手慣れたものである。今年はお客さんが極端に少ないので、そのおじさんもここが腕の見せ所といった感じで作っていた。

そのうちちらほらとお客さんが現れたが、やはり昨年にくらべると圧倒的に少ない。

「帰ろうか」

「帰ろう」

と、その神社をあとにした。

 

 

 

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科学館・2回目

9月28日(土)

小1の娘が、以前に行った科学館にまた行きたいと行って、はては泣き出してしまったので、しょうがないので自宅から車で30分ほどのところにある科学館にまた連れていった。今回は家族3人で行ったのでいささか楽ではある。

前回言ったときはひどく暑い日で、家族連れがこぞって涼しい場所を求めて屋内の体験施設である科学館に押し寄せたため、激混みだった。今回も混んではいたが、駐車場にはすんなり入れたし、体験コーナーも比較的待たずに利用できたので、まあよかったと言っていいだろう。

しかしあらためて驚いたのは、受付やカフェや体験コーナーなどに、学生風のアルバイトがけっこう多いことである。アルバイトだけではなく、若者同士で来ている客もちらほら確認できる。前回も書いたように、客層は必ずしも小さい子どもを連れた家族ばかりではないのだ。

調べてみると、この科学館の周辺には大学がそれなりにあって、バスや鉄道を使えばこの科学館にアクセスできる。つまり、この科学館周辺の大学生が、ここをアルバイトの人気スポットとして認識しているのではないか、という仮説を立ててみた。

たしかに、科学館でアルバイトをしているというのは、なんとなく学問の雰囲気に触れているという感覚になる。けっこうアルバイト先として人気があるところ何じゃないか?この科学館は。

もうひとつ気づいたことは、体験コーナーは全部で5室あるのだが、最初は幼い子どもがいろいろな科学体験をできるように工夫されているのだが、これが4室、5室あたりになると、とたんに内容が難しくなり、科学体験も減ってゆくような印象を持った。

まあこれは僕の邪推だが、最初は頑張って小さい子どもにも楽しめる工夫を考えたりしたのが、だんだんそういうネタが尽きたのか、あるいは億劫になったのか、ふつうの展示室のようになってしまったのではないかと、これは言ったようにあくまでも僕の邪推である。

今回も閉館時間ギリギリまで過ごした。

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親バカ絵日記

9月23日(月)

1週間くらい前から小1の娘が絵日記を始めた。

絵日記は1頁に1日分の出来事を書かなければならない。さらにその1頁の中は、上半分が絵を書くスペースで、下半分が字を書くスペースである。低学年用の絵日記帳なので、比較的大きめのマス目が引いてあって、マスの数を数えると48個。つまり48文字で1日の出来事を書かなければならない。旧Twitterだって140文字が制限字数なのだが、絵日記はそれよりもはるかに少ない。その中に1日の出来事をまとめるのはなかなか至難の業である。

娘は、この制限字数の48字にピタリと収まるように書くことにこだわっているフシがある。もちろん文字数が少なくて2~3マス空白のまま終わる場合もあるが、多くは48のマス目をすべて文字で埋めている。かつて私は、期間限定で職場の公式Twitterで毎日ツイートしたことがあったが、そのとき、140字ぴったりに収まるような文章を考えていた。つまり娘のこのこだわりは、父親似かもしれない。

9月21日(土)には、3つくらい出来事があった。午前中にお墓参りに行ったこと、午後に新しいメガネができたので受け取りに行ったこと、夜にマンションの最上階から、隣の市で行われている花火大会の花火を見たこと。

さすがにこの三つの出来事を48字でまとめるのはできない。このうちのどれかエピソードを捨てなければ無理である。場合によっては1つのエピソードしか書けないかもしれない。

さあ、どんなことを書くのかなと楽しみにしていたら、その表現に舌を巻いた。

「わたしは、きょうめがねをかえました。はなびがはっきりみえてうれしかったです。きれいでした。」

制限字数48文字の中に、二つのエピソードが盛り込まれている。しかも「めがねをかえた」→「はなびがはっきりみえた」というふうに、2つのエピソードをさりげなくつないでいるではないか。

絵の方を見ると、上の方にはカラフルで大きな花火、そして下の方にはそれを見ている娘自身が描かれていて、新しいメガネをかけていることがさりげなく強調されている。

「メガネを変えたおかげで、花火がはっきり見えてきれいだった」と、1日の出来事を因果関係として整理して短くまとめているのは、すごいことではないだろうかと感動を覚えた。もちろん親バカであることは認めますよ。

 

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ゆいと君

9月18日(水)

予報では都内は夕方頃にひどい雷雨に見舞われるという予想だったが、自宅近くは夕方になっても小雨が降ったていどだった。

それでも、念のため小1の娘を迎えに行こうと傘を持って学童保育に向かう。自宅から学童保育まではふつうの人の足で歩いて5分程度である。

学童保育の建物の前まで行くと、ちょうど娘が学童保育の建物を出るところだった。どうやらこのていどの雨ならば「ひとり帰り」でもよかったらしい。

帰り道を歩いているうちにほとんど雨もあがっていた。

帰り道が同じゆいと君とは今日も一緒に帰っているのだが、途中、娘はみくるちゃんの住むマンションの前にさしかかると、

「みくるちゃんたちと遊ぶ約束がある」

と言いだした。

「こんな天気で遊ぶの?」

「マンションのエントランスで遊ぶから大丈夫。だから、ランドセルと帽子を家に持って帰って!」

そういうと背負っていたランドセルとかぶっていた帽子を僕に渡した。

お、重い…。ランドセルがめちゃくちゃ重いではないか!ふだん僕が通勤の時に持って行っているリュックよりも重いかもしれない。

6歳の小さな子が、毎日こんな重いランドセルを背負わされているのは、どう考えても身体にとってよくない!

僕はその重いランドセルを持ちながら帰ることになった。

残されたのは僕とゆいと君の2人。

ゆいと君は僕に言った。

「ほんとうはね、家に帰ってランドセルを置いてからでないと遊びに行ってはいけないんだよ。家に帰るまでが学童だから」

なるほど、その通りだ。というか、ゆいと君は僕になんの警戒心もなく話しかけてきた。

「そうだよね。ほんとうはいけないんだよね」

ゆいと君はしっかりした子で、遵法精神にあふれている。うちの娘とは大違いだ。

ゆいと君は話を続けた。

「今日は7時からそろばん教室があるんだ」

「そうなのか」いまは6時過ぎである。

そろばん教室はどこにあるの?と聞きたかったが、こういうときは口を挟まない方がよい。というか、小さい子どもが話しかけてきたときは、口を挟まずに聞いてあげるのが最良の方法であると僕は信じている。小さい子どもたちは別に小粋な会話をくり広げたいなんて思っていないのだから、ただ必死に伝えようとしている話を受けとめるだけで十分なのである。

「帰ったらお弁当を食べて、そろばんの宿題をやって、そろばん教室に行くんだ。7時って言ったけど、6時55分くらいに教室に着かないとダメなんだよ」

どこまでも遵法精神にあふれた子どもだ。

「そろばん教室から帰ったらねえ、フリータイム。そのときに観たいテレビを観るんだ」

「フリータイム」という言い方が可笑しい。

交差点を渡ると、ゆいと君のママがゆいと君を迎えに来ていた。

「じゃあね」

と別れた。

「いま、○○ちゃんのパパとお話していたんだよ」

と、ゆいと君はママにそう伝えていたようだった。

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いっぽんでもニンジン

9月3日(火)

小1の娘が、小学校で「いろいろな物の数え方」について習っているようである。本だと「1冊2冊」とか、鉛筆だと「1本2本」だとか、そういう単位について学んでいるというのである。

「じゃあ、この歌で覚えればいいよ」

と僕が提案したのは、大昔、「ひらけ!ポンキッキ」という子ども向け番組で流れていた「いっぽんでもニンジン」という歌である。

若い人はまったくわからないと思うが、僕が小学校低学年の頃は、猫も杓子もこの歌が歌えたのである。

このあたりについて、もう少し詳しく説明すると、「ひらけ!ポンキッキ」から生まれた子門真人さんが歌う「およげ!たいやきくん」が空前のヒットとなった。シングルレコードはある時期まではオリコン史上最大の売り上げ作品であった。そしてそのB面が、なぎら健壱さんの歌う「いっぽんでもニンジン」なのである。

史上最大の売り上げを誇りながら、歌手に支払われるのは「印税」ではなく、「契約金」だったので、いくら売れても印税が入ってくるわけではなかった、と聞いたことがある。

とにかく僕は、この二つの歌が自分の中にしみついていて、今でも諳んじて歌えるほどである。

ここ数日、お風呂で一緒に歌ったり、お風呂からあがってからはYouTubeで歌の動画を見せたりしたら、娘はすっかり「いっぽんでもニンジン」と「およげ!たいやきくん」が好きになったみたいで、「およげ!たいやきくん」の方は難しくて覚えられないようだが、「いっぽんでもニンジン」の方は、くり返し歌っていくうちに覚えたようである。

「『いっぽんでもニンジン』の歌を、学校のみんなに教えてあげなよ」

と言ったのだが、その翌日、

「どうだった?」

と聞くと、

「お友だちのみんなは興味なかったみたい」

と答えた。それでもめげずに娘は「いっぽんでもニンジン」を歌い続けている。

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