育児

親バカ行進曲

すこぶる体調が悪い。

それでも今日の午後は都内で憂鬱な会合に出席しなければならない。

12月2日(土)

保育園の学芸会がおこなわれた。来年4月から小学校に通う娘にとっては、保育園での最後の行事である。

演目は、「太鼓演奏」「劇」「歌」と、バラエティに富んだ構成だった。

20人もいるから、キャスティングがなかなかたいへんだ。「太鼓演奏」と「歌」については、おのずと全員参加できる仕組みだから問題ないのだが、問題は「劇」である。

限られた役を20人で演じなければならない。場面ごとに出演者を区切り、ダブルキャストどころか、トリプルキャストである。特定の子どもが目立つと保護者からクレームが来ることを恐れて、保育士さんもかなり苦労してキャスティングを考えてくれたようだった。

しかし20人もいれば、いろいろな子どもがいる。いくら練習しても段取りどおりにはいかないのは当然である。

そんな中にあって、うちの娘は、格段に上手だった。もうね、セリフも仕草も完璧だった。他の子がバカに見えてしょうがない。

保育士さんもそのことを十分に理解していたようで、娘を、「劇」の終盤の、一番大事な場面に起用していた。

この「劇」で最も重要なセリフ、

「生きていることのほうがよっぽど地獄だ」

を任されたことが、何よりの証拠である。

うちの娘がすごいのは、ほかのお友だちのセリフも全部頭に入っていたことである。当日の朝、一人で通し稽古をしていたのだが、お人形さんをほかのキャストに見立てて、そのお人形さんにセリフを言わせ、自分のセリフのタイミングをつかんでいた。

こりゃあもう、子役劇団に入れた方がいいな。で、僕がステージパパとなる。

ということを考えたのだが、それでは親の負担が大きいので面倒くさい。

いま考えているのは、高校に入ったら演劇部に入って、高校演劇の伝説的な俳優をめざすのはどうか、ということである。六角精児さんみたいに。

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思う壺

11月11日(土)

午後、5歳の娘をピアノ教室に連れていく。

そのピアノ教室は、繁華街の町の、著名な店舗がいくつも入っている建物の6階にある。

いつものように入口から入ろうとすると、入口のところに、大きな…、あれ、正式名称は何だろう?商店街の福引きなんかで、ガラガラとまわして色の付いた玉を出すヤツ…、ガラガラ抽選器が置いてある。どうやら、地下1階のゲームコーナーにかかわる抽選器のようで、その横には、「景品は地下1階で交換してください」みたいなことが書かれたのぼりが立っている。

それを娘がめざとく見つけた。というか、あんなに大きなガラガラ抽選器だったら、イヤでも目に入ってくる。

「あれ、やりた~い」

と娘が言い出した。そりゃあそうだろう。僕が5歳だったとしても、絶対にやりたいと言うはずだ。娘からこの言葉が出るともうおしまいだ。こちらがいくら否定しても後には引かない。しまいには大泣きして、こっちが悪いみたいな状況が作り出されてしまう。僕は何度か「ダメ」といったが、予想どおり娘は一歩も引かなかった。

僕はイヤな予感がした。「無料で景品に交換」みたいなことがのぼりに書いてあったからである。「無料」と謳っているほど怪しいものはない。

しかし娘はそこからテコでも動かないという意志を固めていたようなので、仕方なく1回だけガラガラをさせることにした。

すると、黄色の玉が出て、「お菓子引換券を差し上げますので、地下1階の店の奥のカウンターで、交換してください」と言われて、「お菓子引換券」と書かれた紙を渡された。

これが、ふつうの紙だったら、僕は娘に「残念、ハズレでした」と言い含めて、その引換券を捨てて地下1階には行かなかったであろう。しかし、敵はそういう心理を見越して、「お菓子引換券」にある工夫を凝らしていた。それは、紙にパウチをしていて、この引換券はくり返し使うものなので必ずお店のカウンターで交換してください、といわんばかりの作りになっていたのである。

僕が懸念していたのは、地下1階のゲームコーナーというのがクレーンゲームばかりを集めた空間で、店内に1歩入ったが最後、娘の欲望に火が付いてしまう。そうなると、無料のお菓子だけでは済まないことになる。

しかも「店内の奥にあるカウンター」というのもトラップである。否が応でもひととおりさまざまなクレーンゲームを目にしたあげくに、お菓子交換にたどり着く仕組みだ。そうなると、娘の欲望はますます加速してしまう。

どうしようか、逡巡したが、やはりパウチされた「お菓子引換券」をお菓子に交換しないのはキモチがワルい。仕方なく地下1階に降りることにした。

降りた途端、僕は後悔した。なんという、クレーンゲームのパラダイスだ!

早く店内のカウンターを見つけてお菓子を交換して、この場を立ち去りたいと思ったのだが、店内は迷路のようになっていて、否が応でもクレーンゲームのパラダイスの中をウロウロしなければならない。ようやくカウンターに辿り着いてお菓子引換券を渡すと、店員は10円相当のお菓子を渡した。

「さあ、帰ろう」

僕は早くこの場を立ち去りたかったが、まるでお釈迦様の掌の上で遊ばされているように、娘は「ゲームやりた~い」と言い出した。

奴らは、これが狙いだったのだ。大きなガラガラ抽選器に「無料でお菓子交換」という文句で小さい子どもを引き寄せて、なんとか地下1階に誘い出す。そうなるともう、クレーンゲームをやりたいと思わずにはいられなくなる。なんという騙しのテクニックだ!

僕は強引に、娘を連れてエスカレーターの地上階に出ようとしたが、「ゲームしたい!」と、娘は泣き出す始末。仕方なく「1回だけだよ」と、1回100円のクレーンゲームをするが、僕はこの種のゲームをまったくしたことがないので、目的の品をつかむことができない。

「失敗だったよ。さあ行こう」

100円をドブに捨てたようなものだ。

「お願い!取れるまでやって!」

また泣き始めた。こうなるともうダメだ。僕も腹をくくって、目的の品をつかむまで諦めないぞと誓った。

結局、何度か挑戦し、数百円かけてようやく目的の品を手に入れた。

結局、10円そこそこのお菓子ひとつで、数百円の出費をしたことになる。もう完全にお店側の思う壺だ。

「無料で抽選」は絶対にやめた方がよい。

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QRコードになった娘

11月7日(火)

今週の日曜日から1週間ほど、妻が出張で不在である。したがって当然のことながら僕が保育園の送り迎えをすることになるのだが、10月31日をもって保育園の「連絡帳」が廃止された。まるで、東海道新幹線の車内販売が10月31日をもって終了したのと同じくらいのショックである。

ではどうなったかというと、電子化されたのだ。保育園とのやりとりは、すべてスマホのアプリを通じておこなわれることになったのである。

高齢の親にとっては受難の時代である。手のひらサイズのノートに、1日1ページを使ってその日の娘の体調とちょっとしたエピソードを記す、というのは、いわば日記代わりだったのだ。もちろんスマホに入力する内容は連絡帳に書いていたことと変わらないのだが、ちょっと味気ないし、後で見返すなんてことは、ほぼなくなるだろう。

時代の流れには抗えないとはいえ、だれが言い出したことなのだろう?スマホを使いこなしている若い保護者が、紙の連絡帳なんていつの時代の話だよ!とクレームをつけたのか?あるいは保育士さんの負担を減らすために、ひとりひとりの連絡帳にコメントを書くことをやめ、クラス一斉に同じ内容のメッセージを送れるようにする方法をとることにしたのか、いずれにしても、問答無用でそれはおこなわれた。

僕もよくわからないながら、アプリをダウンロードして、マニュアルを見ながらあれこれと設定すると、スマホの画面上に大きなQRコードがあらわれた。娘の登園、降園の際に使用するQRコードである。保育園の入口にあるQRコードの読み取り機にスマホの画面上に現れたQRコードをかざすと、読み取り機が反応して、登園や降園の情報が登録されるのである。まるで、娘が二次元空間のQRコードになってしまったが如くである。

なるほどこれがデジタル化社会か。そう考えると、マイナンバーカードなんて、デジタルどころか、アナログもいいとこだな。だいたいカードなんてものは三次元の物体なのだから、「デジタル行政」なんて言うのはちゃんちゃらおかしい。その政策をデジタル庁と名のる役所が得意になって進めているのはどうかしている。究極のデジタル化とは、個人がQRコードになる社会なのではないだろうか。

そのうちわれわれ全員がQRコードになってしまうのだろうか?「このQRコードはたしかに俺だが、スマホを持っているこの俺はだれだろう?」落語「粗忽長屋」は、実はデジタル化社会を予言し、それを揶揄した落語なのではないか、というのが、僕の仮説である。

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5歳放浪記

風という名のCafe

10月22日(日)

僕が午前中からお昼にかけて国際会議にZoom参加しているあいだ、妻と5歳の娘は外出して時間を潰し、近所にある「風」というCafeで昼ご飯を食べていたようだった。

以前にも書いたが、「風」は住宅街にあり、ふつうの住宅を改装してCafeにしている。メニューには、沖縄関係のおそばがメインで、和歌山の茶粥などもある、不思議な取り合わせである。

5歳の娘は、日頃から疑問に思っていることを、実直そうな白髪の店主に聞いてみたんだという。

「このお店の名前は、なぜ『風』なのですか?」

いい質問だ。この探究心が素晴らしい。

「で、答えは何だったの?」

「えーっと、えーっと、…忘れちゃった」

忘れたのかよ!

そのときのやりとりを聞いていた妻から、だいたいの話を教えてもらった。以下、不正確だが、次のような話であった。

その実直そうな白髪の店主が、Cafeをはじめようと準備をしていたが、店名をどうしようか、決めあぐねていた。

そんな折、沖縄に旅行して、山あいにある小さな藍染め工房を訪ねたら、その名前が「風」だった。

これだ!と店主はひらめき、店名を「風」に決めた。

そればかりではなく、お店の看板になるような大きな幕を、その藍染め工房に頼んで作ってもらった。

…そういえば、お店の外側に「風」と書いた大きな幕が張ってあり、しかも幕の一部が藍色に染められていたことを思い出した。

しかしその藍染め工房のご主人は、3~4年ほど前に亡くなってしまった。工房はどうなるのかと思っていたところ、別の人がその工房を買いとって、いまも藍染め工房とCafeを続けているのだという。あるとき、その工房を買いとった人が(たまたまなのか?)お店にやってきたそうで、縁とはほんとうに不思議なものだ、とその実直そうな白髪の店主は感慨深く語ったという。

なんとも深~い話で、5歳の娘が「忘れちゃった」というのも無理はない。

さて、お昼過ぎまで続いた国際会議が終わり、ソファーで深い眠りについていたら、午後3時頃、5歳の娘にたたき起こされた。

「太鼓の音が聞こえるよ」

「聞こえないけど」

「聞こえるよ。どこかでお祭りをやっているはずだから、連れていってよ」

こうなるともう、お祭りに行かないと気が済まないのが娘の性分である。

太鼓の音なんてどこからも聞こえてこないのだが、スマホで、この近所でお祭りらしきものをやっていないか、検索してみる。

すると、バスで15分ほどのところにある駅の南口側で、露店のようなものをいくつか出しているらしい、ということがわかった。駅の南口を出ると、南北にまっすぐ伸びる道路があり、ちょっとした商店街みたいな感じになっている。そこに、露店がいくつか出ているというのだ。秋祭り、というわけではなく、毎月1回、日曜日におこなわれる定期的な行事らしい。この町に住んで5年くらいになるが、初めて知った。

娘を連れてバスに乗り、駅の繁華街に向かう。バスを降りると、たしかに露店が点在している。僕は「露店が軒を連ねる」というイメージだったのだが、ポツリポツリとある程度である。

なんだかなあ、と思っていたが、「紙芝居」と看板があるブースに目がとまった。

当然、子どもたちが集まっている。さっそくのぞいてみると、

「どうぞお入りください」

とうながされた。いままさに紙芝居が始まったタイミングで、娘は座るやいなや、食い入るように紙芝居の方を見つめた。

「実は私たち、こういうことをやっています」

と、ある若者から手渡されたチラシを見ると、「演劇集団○」と書かれていた。

「『演劇集団○』って、たしかこのすぐ近くに稽古場がある劇団ですよね」

「そうです。よくご存じですね」

「ええ、以前このあたりを歩いたときに見つけたのです。演劇集団○って、たしかトヨエツが在籍していませんでしたか?」

僕はわずかな記憶を頼りにその質問をしたが、その若者はそこには触れず、いまも在籍している別の俳優の名前をあげた。

「その俳優さんなら、僕も大ファンですよ」

これは別にリップサービスではなく、ほんとうである。地元にこんな演劇集団があるとわかると、とたんに応援したくなるのが僕の性分である。

(後で調べたら、トヨエツも若い頃この劇団の研究生として所属していたというから、僕の記憶もあながち間違ってはいなかった)

ふと、紙芝居を観ている娘の方を見ると、食い入るように前を見つめている。

紙芝居は、使い古されたもののようで、『なしとりきょうだい』と『雪の女王』だった。娘はこの2つの紙芝居をかぶりつきで観ていた。なんということのないような話に思えたが、おそらく劇団員であろうお二人が、ホンイキで紙芝居を読んでいるので、声もよく通り、抑揚もあり、娘はすっかり虜になっていた。

2つの紙芝居が終わり、休憩時間に入ったので次の露店に向かったのだが、

「紙芝居、面白かった?」

と聞くと、

「面白かった。『なしとりきょうだい』は保育園でも読んだけど、保育園の先生より面白かった」

そりゃあそうだ。劇団員がホンイキで読んでいるんだもの。なんとも贅沢な紙芝居である。

僕はこの日、Zoom参加の国際会議と駅前通りの露店散歩で、すっかり疲れてしまった。でもいちばん疲れたのは、一日中歩いた娘のほうだろう。

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続・バレたらパニック!

10月4日(水)

バレたらパニック!

午前10時から30分だけ保育参観をすることになった。

といっても、同じ日に全員一斉に保護者が保育参観をするというわけではない。1週間くらいの期間のなかで、都合のよい日を保護者が選んで保育園に申し出る。保育園は、参加する保護者の数のバランスを見ながら、個々の保育参観の日程を決める、という段取りである。で、たまたま僕が空いている日がこの日だったので、日程が決まったのである。

前回は、バレないように扮装して行ったのだが、今回は、とくに何も言われていない。大手を振って保育参観ができるのかな?

約束の時間に保育園に行くと、僕の他に2人のママがいた。つまり3人による保育参観である。

担当の保育士さんがあらわれて、

「そのままだとバレてしまうので、変装してもらいます」

え?聞いてないよ!

保育士さんは事務室に戻り、保育園児が着るような、小さくてかわいい模様があるかっぽう着を持ってきた。

「上からこれを着てください」

着てくださいって、あーた、俺はこの体格だぜ。

2人のママはすんなりと着られたが、僕は、むりやりかっぽう着を着させられ、おまえに帽子もかぶらされた。

「これで大丈夫です」

大丈夫なのかよ!

いよいよ5歳児クラスに潜入である。

「絶対にバレないように、ベランダからご覧ください」

「ベランダ?」

「ええ、ふだんはガラス戸なので外の様子がまるわかりですけれど、今回の保護者参観のために、遮蔽板を用意しました」

ベランダに出てみると、ベランダの窓ガラスに雑な感じで段ボールが貼ってあり、そこにところどころ小窓を開けて、真っ青なセロファンシートを貼っている。

「この青いセロファンシートの小窓を覗いて、園児たちの様子をご覧ください」

覗いてみたら、当然ながら全体が真っ青である。

うーむ。これではよくわからないなあ。

ふと気がつくと、段ボールが雑な貼り方をしているので、ところどころ窓ガラスが露出している隙間がある。

「ここ、いいですよ」

真っ青なセロファンシートを貼った小窓よりも、段ボールの隙間の窓ガラスから部屋を覗いた方が、当然のことながらリアルである。

しかし一人、われわれの存在に気がついた園児がいた。ヒナノちゃんである!

ヒナノちゃんは、部屋を覗いている僕と何度も目が合い、半笑いしている。

バレたか!

しかししばらくはそのことをだれに言うでもなく、一人で楽しんでいるようである。

大丈夫大丈夫、ヒナノちゃんがお友だちに言ったらパニックになるだろうけれど、今のところ一人だけなのでバレてないバレてない。

…と、しばらくして、ヒナノちゃんは僕の娘のところに行き、

「パパが来てるよ」

と耳打ちしたようである。なんでわかったのだろう?こんなに変装しているのに!

マズい、バレる!

娘がチラチラと、ベランダの窓の方を見始めたので、そのたびに、サッと身を隠す。

僕が素早く身を隠したおかげで、なんとかパニックにならずに済んだ。

やれやれ、おかげで肌寒い日であるにもかかわらず、大汗をかいた。

30分の保育参観が終わり、借りた帽子とかっぽう着をお返しして、保育園を出た。

娘が帰ってきてから、種明かしをしたけどね。

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秋祭り

10月1日(日)

5歳の娘が自転車に乗れるようになったことは、以前に書いた。

そのことを知った保育園で同じクラスのHちゃん(以前「お泊まり会」をやったお友だち)が、一緒に自転車遊びをしようと提案したらしく、先方の家と調整した結果、10月1日(日)の午後に、近所にある遊歩道で自転車遊びをしましょう、ということになった。

その前日は運動会とバーベキューがあり、体力的にキツいな、と思いながらも、午後からだから大丈夫だろうと、その提案にしたがった。

折しも10月1日(日)は、近所の神社が秋祭りをするということで、どうせなら、秋祭りも一緒に見に行くことにしましょうということになった。

当日の朝、先方からメッセージが来た。

「この近辺は、午後から雨になると予報が出てますので、雨の降らない午前中に予定変更しましょう」

午後に雨が降るんじゃぁ、午前に予定変更するよりほかないな、と思い、それも承諾した。

ちなみにこの日、妻はオンライン会合があるのでそちらに専念しなければならない。ということで、僕が対応することになっていた。

「午前10時半に遊歩道に集合しましょう」

昨日の疲れで、午前中はゆっくりしたかったのだが、仕方がない。老体に鞭を打って、遊歩道に向かう。

うちの娘とHちゃんは、遊歩道の広いスペースのところを自転車でグルグルとまわって、興奮した様子で遊んでいた。

しばらくすると、こっちもいい加減飽きてきて、

「さ、もういいでしょう?自転車の練習は」

というと、

「練習じゃないよ、遊びだよ」

と娘が反論する。どっちでもいいじゃねえか、という気がするのだが、僕が「練習」というたびに「練習じゃないよ、遊びだよ」と、その都度訂正するのがやたら可笑しかった。

「こっちは遊びでやってんじゃねえんだよ!」

という啖呵はよく聞くが、「こっちは練習でやってんじゃねえんだよ!遊びでやってるんだ!」という理屈は、そこはかとなく可笑しい。

自転車乗りに飽きた二人は、

「公園に行きた~い」

と言いだした。

「え、このあと秋祭りに行くんだよ」

と言うと、

「秋祭りなんか行きたくな~い。公園に行きたい」

と言ってきかない。

仕方がないので近所の小さな公園に場所を移したのだが、そこでは延々と「プリキュアごっこ」が繰り広げられる。僕が保育園児の頃、「仮面ライダーごっこ」が大流行りしていたが、物語構成は基本的には今も昔も変わらない。

時間は午後12時をまわっているのだが、プリキュアごっこがいっこうに終わる気配がない。

そろそろ潮時かな?という時間を見計らって、

「そろそろお昼ご飯の時間だから、いったん解散しよう」

というと、二人揃って、

「解散やだー、一緒にお昼ご飯を食べたい」

と言いだした。

一緒にご飯を食べるといっても、こっちは全然準備していないし、困ったなあと思っていたら、先方のご厚意で、娘だけ先方の家でお昼ご飯をいただくことになった。

「じゃあ午後の集合時間が決まったら連絡ください」

とだけ言って、僕は自宅に戻って、妻がオンライン会合をしている横で昼食休憩をとった。

昼食が終わりソファーに座ると、10分間ほど気を失った。それから少し経って先方から、2時半に近所のスーパーのところに集合しましょう、と連絡があった。もはや動く気力はゼロである。

というか、雨の予報はどうなった?いっこうに雨が降らないではないか!

2時半に再集合した僕たちは、近くの小さな神社まで秋祭りを見に行った。

途中で、御神輿を担いでいるのも見られたし、神社では縁日っぽい遊びや、おみくじなど、一通りの秋祭り気分を満喫したのだが、秋祭りは4時で終了だったこともあり、神社は閑散としていて、一部片付けも始まっていた。

秋祭りの御神輿には、同じ5歳児クラスのお友だちのパパも担ぎ手になっていた。いかにも御神輿を担ぎそうな感じのパパである。

午後4時過ぎ、秋祭りも終わり、さあ帰ろうというときに、

「まだ一緒にいたい!」

と二人は駄々をこね始めたが、ここで妥協してしまうとたいへんなことになると思い、なんとか説得してお別れした。

しかし4時過ぎというのは中途半端な時間である。自宅ではまだ妻がオンライン会合をしているからである。オンライン会合をしている間は、外で遊ばせるという約束なのだ。

考えたあげく、娘を連れてカラオケに行くことにした。娘にとってみれば、願ったり叶ったりである。

そこで1時間半ほど娘に歌わせ、午後6時過ぎにようやく自宅に戻ることができた。

こんなはずではなかったのに。

 

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謎のレンタルスペース

9月30日(土)

保育園の運動会が終わったのがお昼過ぎ。午後からは、5歳児クラスの有志で親子連れのバーベキューをすることになっていた。

もちろん参加するしないは自由なのだが、娘が楽しみにしている可能性もあるので、無碍に不参加を表明するわけにはいかないと思い、参加することにした。

しかし気心の知れた人が妻しかおらず、パパ友なんぞまったくいない僕にとっては、この3時間をどうやり過ごすかは、かなり苦痛な課題である。

ましてやパパ友の多くは30代~40代前半くらいで、50代のパパなんて、一人もいやしない。おまけにぱっと見、体育会系とかオシャレ系とか、そういうパパたちばかりなので、なおさらそのノリについていくのは至難の業である。

ところで、バーベキューの場所というのが不思議なところで、保育園から歩いて20分くらいのところに、バーベキューをするためのレンタルスペースがあることを初めて知った。1時間あたりの使用料が550円で、バーベキューのための少し大きなグリルとか、木炭とか、そういったものがすべて用意されているという。つまり肉とか野菜とかを持っていきさえすれば、そこでバーベキューができると、こういうわけである。

運動会が終わり、いったん家に戻って、それから20分ほど歩いてその場所に行くと、その場所は住宅街の一角にあった。もう何組かの親子がいて、屈強なパパが肉を焼いている。

そんなに広いスペースではないのだが、ちょっとしたビニールプールや、おもちゃなどで遊ぶスペースなどもあり、子どもにとってはなかなか充実した空間ではある。

それだけに、子どもが10人以上いると、たちまちカオスな空間になる。子どもたちは大騒ぎして暴れ回っている。ビニールプールに飛び込んでこれでもかというくらいにはしゃいでいるのである。

(近所迷惑じゃないのかなぁ…)

それだけが心配だったが、どうもそんな気配はなさそうである。

バーベキューグリルの周辺では、ママ友やパパ友たちが思い思いにお喋りをしているのだが、僕は当然、そんな輪の中には入ることはできずに、ひたすらスペースの端っこのほうをうろうろしていたのだが、よく見るとそのスペースに隣接するアパートの2棟ほどが、どうやらこのレンタルスペースを経営しているオフィスになっていたり、DIYの工房になっていたりと、ちょっと異質な空間が周囲に展開していることに気づいた。

そうか、さっきから見知らぬ人たちがやたら機嫌よく挨拶してくれるなあと思っていたら、このレンタルスペースを管理している会社のスタッフだったのか。もはや僕には、パパ友と会社のスタッフの見分けがつかないほど、パパ友とは交流していなかったのだ。

ひとり、やはり見たこともない男性が、目が会うたびにやたらと会釈してくる。僕と同じ世代くらいの、濃い顔のおじさんである。だれかのパパだろうか?

目が合って会釈をした何回目かに、

「どうも、このたびはご利用ありがとうございます」

と声をかけられたので、

(なんだ、ここのスタッフか)

とようやく気づいた。

「初めて来ましたけれど、市内にこんな空間があったんですね」

「そうなんです。でもうちの会社の本業は違うんです。これだけでは食べていけませんからね」

それはそうだろう。1時間あたり550円でスペースを貸して、そこでどんなに大騒ぎをしてもかまわない、なんて場所では、スタッフを雇う余裕もないだろう。

「本業は、リフォーム事業とか、ビルのメンテナンス事業なんかをやってます」

「そうですか。このスペースに隣接する2棟のアパートには、DIY工房だとか工作教室だとか学習塾だとかありますけれど、アパートは買い取ったのですか?」

「ええ、そうです。この一帯をひとつの『ムラ』みたいなものにしたいと。このアパートだけでなく、あっちの建物も、そっちの建物も、うちのものです」

と、周辺の建物を指さしながら説明した。

なるほど、だからいくら騒いでも問題ないというわけか。それに本業がリフォーム事業だから、アパートの一室をオフィスに改装したり、DIY工房に改装したりするなんてことはお手のものだ。

アパートの空き部屋は、スタッフの寮としても使っている、というような話も聞いた。

「20代の頃に起業して28年くらい経ちますかね。少しずつ事業を拡大して、地元の人たちからも助けていただきながら、なんとか続けられています」

ということはこの人は社長なのか…。

「ご出身はこの市内ですか?」

「そうです」

この市に生まれ育ったことに対する愛着もあるのだろう。

僕がその社長らしき人と話していると、スタッフのひとりが何か察したらしく、

「よろしかったらこれをどうぞ」

と、会社案内を僕にくれた。スタッフにとっても、働きやすい環境なのだろうか。

「騒がしくて仕事に差し障りがあることはないのですか?」

と社長に聞くと、

「いえ、むしろこういう環境で、みんなが喜んでくれる様子が間近で感じられると、仕事の励みになります」

と答えた。

もう少し社長を取材したいと思ったが、まあその経営ノウハウを知ったところで、僕は経営コンサルタントではないし、僕の今後の人生に生かせるかどうかもわからないので、このあたりで話を切り上げた。

ふと見るとパパ友たちが僕を呼んでいる。気を遣って話しかけてくれるようだ。

「お酒はいかがです?」

「お酒はやめたんです。この水筒にはほうじ茶が入っているんです」

この「ほうじ茶」という言葉のチョイスが可笑しかったらしく、パパ友たちは爆笑した。

そこでほんの少しだけ、パパ友との距離が縮まった気がしたが、これ以上深入りすると、野球の話とかに発展しそうなので、フェイドアウトした。

夕方5時。ようやくバーベキューも終了。最後に集合写真を撮ったのだが、横にいたパパ友のリーダー格の人に、

「このあと、パパ友同士で飲みに行くんですけれど、いかがです?」

と耳打ちされたのだが、

「もう疲労が限界です。何しろジジイなもので」

と丁重にお断りした。もちろん、社交辞令だったことはわかっている。

そして実際、足腰がもう限界だった。20分ほど歩いて自宅に戻ったときは、「足が棒になる」とはこのことだな、というくらいに足が棒になっていた。

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気もそぞろな親子ダンス

9月30日(土)

保育園の運動会の日。小学校の体育館を借りて、4歳児クラスと5歳児クラス合同の運動会がおこなわれた。コロナ禍では、三密(懐かしい響きだね)を避けるために年齢ごとに時間をずらしておこなっていた。今年もそれに変わりはないのだが、4歳児クラスと5歳児クラスが合同でおこなわれるようになったという点が、今年の特色である。

これまでは30分程度で運動会は終わっていたのだが、4,5歳児クラスともなると、10:30~11:50までの長丁場である。4歳児クラスと5歳児クラスが交互に種目をおこなうので時間が2倍かかるということもあるが、バルーンを使った大がかりな演目あり、器械体操あり、リレーありと、内容が充実していることにもよる。

すべての種目が終わった後、最後に親子ダンスというものがある。園児とその保護者が、保育士さんのお手本に合わせて簡単なダンスをするのである。

観客席にいた保護者たちは、保育士さんの合図で体育館の中央に出て、自分の子どものところに向かう。僕もその中の一人である。

音楽が鳴り始め、ほかの親子と適切な距離を保ちながら、ダンスが始まった。園児たちは事前に練習しているので、ダンスの振り付けは覚えているが、保護者は初見なので、保育士さんのお手本を見ながらでないと踊れない。

僕もダンスの振り付けがわからないので、保育士さんのほうに視線を向けると、視界に気になる人物の姿が入った。

おそらくひとつ下の4歳児クラスの子どものパパなのだろう。

(あれ…?一之輔師匠じゃね???)

頭の形といい、髪型といい、適度な顔の濃さといい、なにより苦虫をかみつぶしたようなぶっきらぼうな表情といい、まるで一之輔師匠である。

(もしや…ホンモノ?)

僕の胸は高鳴りだした。まさか、娘と同じ保育園に一之輔師匠のお子さんが通っている、とか???

確信が持てない理由は、 僕は着物を着た一之輔師匠しか見たことがないからである。今日は運動会なので、みんながラフな格好をしている。一之輔師匠がラフな格好をすると、あんな感じに見えるのだろうか?

そうなるともう、気になって仕方がない。保育士さんの振り付けのお手本を見るふりをして、視線は完全に一之輔師匠の方向にロックオンである。ダンスなんかに身が入るわけがない。気もそぞろになり、すっかり挙動不審な動きになってしまった。

ダンスが終わると、5歳児クラスの親子が集合写真を撮ることになっていた。

「こっちに集まってくださ~い」

という呼びかけにも気がそぞろである。ちょっと待ってください、とばかりに、なんとか本人かどうかを確かめようと、その人の近くまで行ってまじまじと顔を見た。

「…一之輔師匠じゃない!!」

たしかに似ているのだが、一之輔師匠よりもかなり若い感じである。そもそも僕は、一之輔師匠のことをそんなによく知らないし、なにより家族構成なんか全然知らないのだ。

しかしあの頭の形と髪型と適度に濃い顔と苦虫をかみつぶしたようなぶっきらぼうな表情は、まさしく一之輔師匠だという確信があったのだがなぁ。

そんな妄想にとらわれたあの時間は一体何だったのか?だれも得しない時間だった。

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ストライダーのおかげ

9月24日(日)

5歳の娘が、「自転車に乗る練習をしたい」と言い出し、同じマンションに住む小学生の姪が小さい頃に使っていた自転車を譲り受けて、自転車に乗る練習をすることにした。マンションのすぐ近くに、車も通れない100メートルくらいの直線道路があり、自転車の練習をするにはもってこいの場所である。

飽きっぽい娘だから、どうせ「できない~」とかいってすぐに諦めるんだろうな、と高をくくっていたら、すぐにコツを覚えたらしく、ふらふらするものの、足をつけずにペダルをこいで、100mくらいを走ることができた。

僕はびっくりした。僕が足を地面につけることなく自転車のペダルをこぐことができるようになったのは、小学校3年生頃だったからである。

ゴロウさんの自転車

僕は長らく補助輪というのをつけていて、その補助輪をなかなか手放すことができなかった。補助輪を外して自転車のペダルを漕ごうとすると、バランスを崩してすぐに足が地面についてしまったのである。

しかし娘は5歳にして自転車に乗ることができたのである。僕にとっては驚くべきことだった。

しかし考えてみるとこれはさほど驚くべきことではない。それ以前に長らくストライダーに乗って遊んでいたことがスムーズに自転車に乗ることができた理由であることは、明らかである。

まだ娘が生まれる前だったと思うが、テレビを漫然と見ていたら、タレントの小倉優子さんが、自分の息子が全然自転車に乗れない、ペダルを漕ごうとするとすぐ足が地面についてしまう、という悩みを告白していて、実際息子さんは、何度自転車に乗っても、ペダルを漕ぐ前に地面に足がついてしまう。さて、この悩みをどうやって解決するのだろう?と、身を乗り出してテレビを見続けていたら、専門家らしき人が登場して、

「最初に、ペダルのない自転車でバランスをとる練習をすれば、すぐに自転車に乗れます」

と言っていた。ほんとうかなあ?と半信半疑でテレビを見続けていたら、場面は幕張海浜公園かなんかに変わり、そこで、小倉優子さんの幼い息子さんが、ペダルのない自転車に乗って、ひたすらバランスをとる練習をしていた。

「さあ、では自転車に乗ってみましょう」

という合図で、いよいよペダル付きの自転車に乗ると、あら不思議、こんどは足は地面につかずに、自転車に乗れたのである。

摩訶不思議な現象だ、とそのときは思ったが、考えてみればこれがいちばん合理的な練習方法なのかも知れない。

娘は、ペダルのないストライダーに長らく乗っていたから、スムーズに自転車に乗ることができたのである。

僕が子どもの頃は、三輪車→補助輪つき自転車→補助輪なし自転車という過程を踏んだと思うのだが、いまはストライダー→自転車なのである。

自転車に乗れることがひどく楽しかったらしく、お昼の時間だからもう帰るよ、と言うと、

「お願い!もうちょっと!」

腰を曲げて両手を合わせて必死にお願いする姿が、お笑いコンビ「十九人」の「スカウト」というコントで、ゆッちゃんWが相方の松永君に対して「どうかあなたがスカウトでありますように!」と両手を合わせて懇願する仕草とまったく同じなので、つい笑ってしまった、といってもナンダカヨクワカラナイね。

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子どもキャンプ

5歳の娘は、8月25日(金)から2泊3日の夏休みの子どもキャンプに出かけた。

長野県に、子どもたちに自然に親しむための野外教育活動を企画する会社があり、そこに申し込んだのである。

25日の朝8時に、新宿にある都庁大型バス駐車場から出発するという。聞いてみると、東京からだけでなく、名古屋や京都からもバスを出して、大勢の子どもたちとキャンプをするらしい。

25日早朝、妻は都庁大型バス駐車場まで連れていき、娘がバスに乗るのを見送ることになったのだが、僕もその運転手として目的地まで同行した。そのあとそのまま職場に行き、その日の午後から行われる韓国の会社の社長との昼食懇談会を準備し、その昼食懇談会に参加した。考えてみればこの日は朝早かったのだ。どおりで疲れたわけだ。

で、今日、娘が帰ってくる日である。バスはお昼の12時に、行きと同じ都庁大型バス駐車場に到着するという。

ただこの日は、今度は妻が出張で離島に行くことになっていた。出発は羽田空港からの早朝便である。自宅から最も近いリムジンバスに乗れば羽田空港まで楽にたどり着くのだが、しかしあまり早朝すぎて、そこにたどり着くまでが一苦労である。ということで、早朝4時台に起きて、朝5時40分のリムジンバスに間に合うように、僕がまた運転手となった。

いったん自宅に戻り、今度はバスと電車を乗り継いで都庁大型バス駐車場に向かう。なぜ帰りも車ではないのか、というと、行きは妻がバス乗り場まで連れていくことになっていたので、僕は二人を車から降ろしてすぐに職場に向かうことができたのだが、帰りは僕一人が迎えに行くことになる。その近くには一般車を停められるような駐車場がないので、当然車ではなく公共交通機関を使わないといけない。

到着予定の30分前に都庁大型バス駐車場に着いたのだが、あたりには人っ子一人いない。高架下で直射日光が当たらないとはいえ、湿度が高いせいか、暑くて汗が止まらない。ほんとうにこの場所でよいのか、不安になってきた。

やがて二人組の女性がやってきて、僕の顔を見るなり話しかけた。

「…ひょっとして、子どもキャンプのお迎えですか?」

「ええ、そうです」

「バスは時間どおりに到着する予定です」

「そうなんですか?」

「ええ、暑いでしょうから、どこか涼しいところでお待ちください」

わかりました、とは言ったものの、近くに涼しいところがあるのか分からない。とりあえず高架下の駐車場を出ると、ちょうどはす向かいのところに高層ビルがあり、その地下にチェーン店のカフェがあったので、そこで時間を潰した。

11時50分過ぎにカフェを出て、再び都庁大型バス駐車場に向かうと、こんどは黒山の人だかり。一体この人たちはどこから湧いてきたのだろうと思うほど、駐車場は俄然賑やかになっていた。

やがて大型バスが到着した。子どもたちがバスの前方扉からひとりひとり、まるで「朝まで生テレビ」のオープニングの出演者の登場シーンみたいな感じで降りてくるのだが、どうやらうちの娘はこのバスには乗ってなさそうだ。

バスから降りた子どもたちは、キャンプで習った歌を一通り歌いながら、解散式を行ったのだが、自分の娘がいない解散式を眺めても仕方がないので、次のバスが到着するのを待つことにした。

少し時間をおいて、次々にバスがやってきた。びっくりしたのは、最終的には大型バスが5台もあったことである。このほかに、名古屋方面や京都方面に子どもたちを送るバスもあったのだとすると、いったい何人の子どもたちが子どもキャンプに参加したのか???

あとから来た4台のバスからも、続々と子どもたちが降りてくるのだが、うちの娘がどのバスから降りてくるのか、まったくわからない。

結局、娘を見つけることができなかった。

おかしいなあ、と思い、最初のバスのところに戻ると、見覚えのある子どもがスタッフの横で泣いている。よく見るとうちの娘だった。なんと、最初に着いたバスに娘が乗っていたのを、僕は気づかなかったのだ。あれだけ目を皿のようにして降りてくる子どもたちを見ていたのに。

「解散式は終わったので、このままお帰りくださ~い」

と、スタッフの人に言われたのだが、こんなことなら最初の解散式をもっと真剣に見ておくべきだった。

「キャンプは楽しかった?」

「楽しかった」

「泣かなかった?」

「テントで寝ているときに、寂しくてちょっと泣いた」

来年も参加したいと思ってくれるかどうかは、微妙なところである。

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