育児

僕はラーメンからできている

6月22日(水)

午後から都内で、来年のイベントに関する打合せを6時間以上にわたって行い、すっかりヘトヘトになってしまった。

帰宅すると、もうすぐ4歳3か月になる娘が、起きていた。

娘は最近、寝付きが悪い。暑さのせいなのか、それとも、僕が遅くに帰宅することにより睡眠のペースを乱されるからなのか、わからない。

僕はいつも心配して、

「眠れないの?」

と娘に聞くのだが、娘はきまって、

「眠れるよ」

と反論し、自分の寝付きの悪さを決して認めない。

だが、今日。

「○○ちゃん(娘のこと)、どうして眠れないかわかる?」

と聞いてきた。

「どうして眠れないの?」

と聞くと、

「だって、『僕はラーメンからできている』から!」

と答えた。

僕は爆笑した。

「すごいねえ、天才だよ!」

僕は娘の言っていることを瞬時に理解した。

さて、どういうことでしょう?ま、これだけではナンダカヨクワカラナイ。

実は最近、録画しておいた映画『南極料理人』を、娘はくり返し観ている。どうやらお気に入りの映画のようだ。

映画『南極料理人』は、そのタイトル通り、堺雅人扮する西村が、南極観測隊の料理人となって、隊員たちに料理をふるまう、という内容なのだが、そこに登場するメンバーが、じつに個性的な役者ばかりである。

最年長である「隊長」こと、きたろうを筆頭に、生瀬勝久、豊原功補、高良健吾、古舘寬治、黒田大輔、小浜正寛という面々である。

隊長のきたろうさんは、ラーメンが大好きで、毎晩、夜中にこっそりと、南極の在庫のラーメンを食べていたところ、ついに南極にストックしてあったラーメンが尽きてしまった。南極だから当然、買い出しに行けるはずもない。在庫がなくなったら、もうそれっきりなのだ。

それに気づいた西村(堺雅人)が、

「もうラーメンはありません」

と言うと、きたろうさんは、ほんとうに悲しそうな表情をする。この表情が、たまらなく可笑しい。この表情を見るだけでも、この映画を観る価値がある!

ある夜、きたろうさんは、熟睡している西村(堺雅人)の部屋を訪れた。

「西村くん、眠れないよ」

驚いて目を覚ます西村。

「西村くん、僕の身体はね、ラーメンでできているんだよ」

訴えかけるような目で、ほんとうに深刻そうに話すきたろうさん。この表情がまた可笑しい。

西村(堺雅人)は、「そんなこと僕に言われても…」と、眠り目をこすりながら、きたろうさんの深刻そうな顔を見つめる。

…僕は、娘の「僕はラーメンからできている」という言葉を聞いて、映画のこの場面を瞬時に思い出したのである。

娘は、この場面が、映画の中でいちばん面白いと思ったのである。それを、自分の眠れない理由に使うなんざ、粋だね。天才的だね。

2時間の映画で、いちばん印象に残ったセリフが、きたろうさんの「僕の身体はラーメンでできている」というセリフだったのかよ!笑いのセンスがパパと同じじゃないか!

このエピソード、きたろうさんが聞いたら喜ぶんじゃないだろうか。だってあの映画ではきたろうさんがいちばん面白いと言っているようなものだもの。「大竹まこと ゴールデンラジオ」の水曜日宛てに、メールを出してみようかしら。

…いや、どうせ紹介されないから、やめておこう。

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ひょっこりひょうかんじわ

これはたぶん私家版なのだと思うが、『往復書簡 ひとりになること花をおくるよ』は、写真家の植本一子さんと作家の滝口悠生さんが、コロナ禍の2021年11月から2022年4月20日まで16回にわたってやりとりした往復書簡集である。メールのやりとりではなく、実際に書簡を往復させたようである。

滝口さんには1歳の娘さんがいるそうなのだが、そこで語られている言葉が、わかるわかる、といった感じなのだ。

「一歳を過ぎてからの変化は日々めざましいものがあります。たぶん喉を使って音を出したり、これまでと違う舌の使い方を覚えたことで、アルファベットで表すと、gr gr gr とか、krrrみたいな声を上げます。これまでは「んまー」とか「ぱっぱっぱ」とか、いわゆる喃語らしい音だったのですが、最近の音は僕の耳にはとても新鮮で、ちょっとモンゴルとかロシアとかの言葉みたいに聞こえます。日本語の音声が身体化している僕は同じ音を出そうと思ってもなかなか真似できません。母音と子音を組み合わせた発音はまだできないから、日本語にはないような子音の音を出したり、子音を続けて発音したりしているようで、言葉ができあがる過程を見ているみたいでおもしろいです」

これは僕も感じたことである。1歳から2歳くらいのころ、娘の発する音が、韓国語のパッチムのように聞こえることが、よくあった。だがそれは、僕はたまたま韓国語の発音を習ったことがあったから、娘の発音の仕方がパッチムのように聞こえたのであって、ドイツ語の発音になじんでいる人にとっては、ドイツ語の発音に聞こえたかもしれないし、フランス語の発音になじんでいる人が聞いたら、フランス語のリエゾンのように聞こえたのかもしれない。

つまりここから言えることは、1~2歳児は、言語の習得に関するあらゆる可能性を持っているということである。それが、成長するにつれて、日本語の発音が身体化していくのである。

4歳2か月の娘はいまや、かつてのような発音が次第に淘汰され、ほとんど日本語の発音が身体化しつつある。それが少しさびしい。

また、滝口さんは、こんなことも書いている。

「日々できることが増えることは、そばで娘を見ているものとしては嬉しいですが、同時に感じるのはその過程そのものや、その過程にあって親しみを覚えはじめていた娘のしぐさや言動を楽しめる時期があっという間に過ぎ去ってしまうことのかなしさです」

このことを実感するのは、娘の歌う歌を聞いているときである。人から聞いた歌や、テレビから流れてくる歌を、聞こえたなりに娘が歌うのだが、歌詞がかなりおかしい。

最近、娘がハマっているもののひとつが、「ウルトラマン」である。映画「シン・ウルトラマン」を劇場で観て以来、毎日のように、以前僕が買った、オリジナルの「ウルトラマン」とか「帰ってきたウルトラマン」のDVDを見ている。最近の口癖は、「ハヤタ~」であり、マムシさんの最近の写真を見て「あ、アラシ隊員だ!」と同定したりする。どんな4歳児なんだ?!

もちろん「ウルトラマン」の歌も歌うのだが、もう一つ、いま盛んに歌っているのが、「ひょっこりひょうたん島」の主題歌である。こちらの方はたぶん、保育園で習ってきたのだろう。

「ウルトラマン」だとか「ひょっこりひょうたん島」だとか、1960年代の歌しか歌わないのが可笑しい。

で、「ひょっこりひょうたん島」は、振りつけを交えて歌うのだが、歌詞がところどころ、不正確なのである。

「泣くのはイヤだ、笑っちゃおう♪」

のところは、

「泣くならいまだ、笑っちゃおう♪」

と歌うし、最後に、

「ひょっこりひょうたん島♪ひょっこりひょうたん島」

とくり返して歌うところは、

「ひょっこりひょうかんじ~わ♪ひょっこりひょうかんじ~わ♪」

と歌うのだ。

これも、もうしばらくすると、正しい歌詞に直ってしまうのだろうと思うと、この間違った歌詞を聞いているいまが大切な時間に思えてくる。

だから、滝口さんの言う「親しみを覚えはじめていた娘のしぐさや言動を楽しめる時期があっという間に過ぎ去ってしまうことのかなしさ」という言葉は、よくわかるのである。滝口さんの言葉は、どれもじつにしっくりくる。

ちなみにこの本、巻末に武田砂鉄氏が一文を寄せている。実はそれが目当てでこの本を入手したのだが、この巻末の一文も、往復書簡の雰囲気に呼応していて、じつに味わい深い。

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カッパオヤジ

6月3日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

今週もほんと、ツラかったなぁ…。体調がアレなのでなおさらである。

最近、4歳2か月の娘が、やたらと「カッパオヤジ」というのを口にするようになった。

何日か前、朝起きたばかりの娘がいきなり、

「昨日、カッパオヤジから手紙が来たんだよ」

と言う。全然意味がわからない僕は、

「夢でも見たの?」

と聞くと、

「ちが~う。保育園に手紙が来たの」

「カッパオヤジが持ってきたの?」

「ちが~う。先生が持ってきたの」

と、ますますわからないことを言う。

数日後。

保育園から帰ってきた娘は、緑と白の折り紙で作られた腕輪のようなものをみせた。

「これ、カッパオヤジにもらったの」

「カッパオヤジに?」

「うん。ここがみどりいろいでしょ?これがカッパオヤジのうでわなの」

何の変哲もない、折り紙で作った腕輪なのだが、

「これだけは、絶対に触っちゃダメだよ」

という。

こちらがふざけて、その腕輪に触ろうとすると、

「絶対にダメ!」

と触らせない。

それからというもの、娘は、カッパオヤジからもらった腕輪が気になって気になって仕方がない様子である。

ある日、保育園から帰った娘は、カッパオヤジからもらった腕輪が、片付けられていることに気づく。

「あれ?カッパオヤジのうでわ、パパ、触った?」

「触ってないよ」

「触っちゃダメなんだよ」

「わかってるよ」

とにかく、カッパオヤジからもらった折り紙の腕輪だけは、なぜか触らせないのだ。

意味がまったくわからない。そもそもカッパオヤジって誰なんだ?

…と思って、調べてみると、どうやらこれは、保育園ぐるみで仕込んでいる遊びのようだ。

ネット上で公開されている、いろいろな保育園のブログやらおたよりやらを見ると、どうやらこれは一連の冒険ごっこのようなのである。

その段取りをまとめてみると、こんな流れらしい。

ある日、保育園にカッパオヤジから挑戦状がとどいた。

先生が走ってきて、「みんな、こんな挑戦状がとどいたよ!」

「カッパオヤジからのお手紙だ!」「腕輪をとりに来いだって~!」

子どもたちはドキドキしながら、手紙の地図をたよりに冒険に出かけることにする。目的の場所は「ゆうれいづか」というところらしい。

こわいなあ、と思いながら、勇気をふりしぼってゆうれいづかをさがしに行く。

するとついにゆうれいづか発見!!腕輪があった。子どもたちは腕輪を取ったら一目散に逃げた。

「腕輪を取ったぞ!やった~」

…とまあ、こんな感じである。

ある保育園だよりには、4歳児クラスになって初めてカッパオヤジから手紙が届いた、と書いてあったので、全国的に、4歳児クラスで行われている行事なのだろうか。

もともとは『かっぱおやじ』という絵本があり、それがもとになっているようなのだが、恥ずかしながらその絵本の存在も知らなかった。

何も知らない僕は、娘が妄想で「カッパオヤジ」のことを言っているとばかり思っていたのだが、ちゃんと筋が通っていたのだ。

娘が最初にカッパオヤジから手紙が来たといったとき、カッパオヤジ本人ではなく、先生がそれを持ってきたと言っていたが、それはつまりは保育園の先生が仕込んでいた、ということを意味する。

そして、しばらくして、腕輪を持って帰ってきた、ということは、カッパオヤジからの挑戦状を受けて、クラスのみんなが「ゆうれいづか」まで冒険し、そこでみずから腕輪を手に入れ、持って帰ってきた、ということなのだろう。

ネットで公開されている、とある保育園便りには、カッパオヤジからの挑戦状の本文が掲載されていた。

「○○組のみんなへ

○○組になって、いろいろなことにチャレンジして、心が強くたくましくなったみんなに、カッパオヤジからの挑戦状だ!××のところに、カッパの腕輪をおいた。つらいときに力のわいてくるふしぎな腕輪だ。勇気をもって一人ずつ取りに行くんだぞ。カッパオヤジより。」

たぶん、うちの保育園に来た手紙も、同様の文面だったのだろう。

ふつうの腕輪ではない。「つらいときに力のわいてくるふしぎな腕輪」なのだ。

だから、腕輪には触らせようとしなかったんだな。

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にじいろ広場

5月29日(日)

土日は、仕事のことをあまり考えたくないので、仕事に関することは何もしていない。

日曜は、4歳2か月の娘を実家に連れて行くことにした。

実家に行く途中に、「にじいろ広場」という公園がある。ここ最近、娘はその公園がお気に入りで、今日も行きたいという。自分自身もそこそこ運動になるし、娘も喜ぶので、一石二鳥と思い、「にじいろ公園」に行くことにした。

にじいろ広場は、敷地が広く、さまざまな遊具がある。そのせいか、いつもたくさんの親子連れが集まっている。今日は日差しも強く、30度を越える真夏日を記録していたにもかかわらず、多くの親子連れが集まって遊んでいた。

「マシュマロくん」という遊具がある。小さい山状の形のもので、トランポリンみたいに飛び跳ねて遊ぶものなのだが、トランポリンほど高くは飛べず、誰かが飛び跳ねると、その振動で小山全体が揺れて、その揺れを楽しむものらしい。

娘が一心不乱にジャンプしていると、1歳くらいの、やっと歩けるようになったくらいの「赤ちゃん」が娘に近づいてきて、娘に触れてきた。

どうもそのとき、娘に雷が落ちたらしい。つまり、ビビッときたのである。

サアそれからというもの、娘は、その赤ちゃんのことが気になって気になって仕方がない。その赤ちゃんの、若い両親が、赤ちゃんを抱きかかえてほかの遊具に移動すると、娘も、その赤ちゃんのあとをついていき、なんとかその赤ちゃんの視界に入ろうとする。

ほかの子どもはどうなのかわからないが、うちの娘は、公園で気に入った子、それがたとえ知らない子であっても、を見つけると、ロックオンして、その子の周りを離れなくなるのである。今回も、そのパターンだろうな、というのが容易に想像できた。

「どうしてあの子についていこうとするの?」

「だってあの赤ちゃん、○○ちゃん(娘のこと)のことが好きなんだもん」

「え?どういうこと、○○ちゃんがあの赤ちゃんのこと好きなの?」

「ちがう。赤ちゃんが、○○ちゃんのこと好きなの」

どうやら、「マシュマロくん」で遊んでいたとき、赤ちゃんに触られたことで、その赤ちゃんが自分のことを好きなのだと思ったらしい。娘にしてみたら、その気持ちに応えたい、と思ったのだろう。しかし、おそらく1歳の赤ちゃんは、そんなことは微塵も考えていなかっただろう。すべては娘の妄想である。

そんなことを考えているうちにも、その若い両親が赤ちゃんを抱きかかえてほかの遊具に連れて行くたびに、娘はその赤ちゃんの行方を追いかける。

やがてブランコのところにやってきた。

ブランコ、といっても、ふつうのブランコではない。「皿型ブランコ」といって、座る部分が大きなお皿状になっていて、その上には、寝そべったり、あるいは何人かで一緒に乗ったりすることもできる。かなりの人気遊具なので、いつも、順番待ちの行列ができる。

くだんの若い両親と1歳児の赤ちゃんは、その皿型ブランコの列に並んだ。それをめざとく見つけた娘は、急いで皿型ブランコの列に駆け寄り、その赤ちゃんの後ろにピタッと並んだ。

「ねえねえパパ」

「なに?」

「○○ちゃん、赤ちゃんと一緒にブランコに乗りた~い」

「乗りたいの?」

まあたしかに、二人で乗ったとしても十分なスペースのある皿型ブランコなので、理屈では一緒に乗ることは可能である。

しかし、まったく知らない赤の他人同士なのだ。しかも、先方は、うちの娘がその赤ちゃんをずっとロックオンしていたなんぞ、知るよしもない。

「じゃあ、○○ちゃんが、自分でお願いしてみたら?」

「なんて?」

「一緒に乗っていいですか?って」

「…恥ずかしい」

「でも言わなきゃ、わからないよ」

しばらく考えたあげく、娘は、

「あ~あ、誰か一緒にブランコに乗ってくれないかなあ~」

と、目の前に並んでいる若い両親と赤ちゃんに聞こえるような大きな声で言った。

「『誰か』じゃわからないでしょ!そんなボンヤリしたことを言っても相手に気づかれないよ!」

「だって恥ずかしいんだもん…。じゃあ、パパが言ってよ」

「どうしてパパが言わなきゃならないの?」

泣きそうな顔をしたので、仕方なく、前の若い両親に声をかけた。

「あのう…」

後ろのおじさん(つまり僕)に不意に声をかけられて、若い両親が一瞬、警戒した顔をした。

「この子がどうしても、一緒にブランコに乗りたいと言ってきかないのですが、一緒に乗ってもらってもいいでしょうか」

若い両親は戸惑った様子だった。

「う~ん。どうでしょう…。一緒に乗って、そちらのお子さんが万が一ケガをしたりすると心配ですからねえ」

おっしゃるとおりだった。実際にブランコを揺らすのは、若い両親のほうなので、何かあったときの責任は、その若い両親の過失ということになってしまう。

諦めようと思ったが、娘があまりに一緒に乗りたいという顔をしていたので、その若い両親も娘の心を汲み、一緒にブランコに乗せてもらうことにした。

娘も、自分のせいで何かあっちゃいけない、ということがわかっていたようで、皿型ブランコに乗って揺らされている間中、その1歳の赤ちゃんがブランコから落ちないようにと、うつ伏せで乗っている赤ちゃんの背中にずっと手を当てて、自分も迷惑をかけないようにと、ブランコの上で身動き一つとらずにじっとしていた。

1歳の赤ちゃんも喜んでいる様子だったし、娘の思いも遂げられて、結果的にはよかった。これで、娘の気も済んだであろう。

「○○ちゃん、これでいいでしょう?じゃあ、赤ちゃんにバイバイして」

「うん」

その赤ちゃんにバイバイして、ようやく気持ちの踏ん切りがついたようだったが、しかしそうは簡単に諦めがつかない様子で、その後も、その赤ちゃんが次はどの遊具に行くのだろうと、その行方をずっと目で追っていた。

情の深い人間に育つのだろうか。

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保護者会でスベる

5月14日(土)

コロナウィルスまん延の影響で開かれなかった、保育園の保護者会が、2年ぶりに開催された。ただし、12時45分からの1時間、感染対策を十分に講じた上での開催である。

参加する保護者には、事前に宿題が出ていた。

「お子さんの素敵なところ、そしてご自身の好きなもの(こと)について、みなさんの前でお話しいただきますので、前もって考えてきてください」

一人ひとり、挨拶がてら自己紹介をする、という意図らしい。「お子さんの素敵なところ」というのは、まだわかるが、保護者の好きなもの(こと)、つまり趣味的なものをお話しするってのは、必要ないんじゃねえの?

僕は自他ともに認める無趣味な人間なので、適当な話題が見当たらない。なので、あらかじめ発言の内容を考えることはせず、出たとこ勝負でのぞむことにした。

保育園のホールに集まった、同じ4歳児クラスの保護者は、全部で20人ほどであった。ママ友だのパパ友だのがひとりもいない僕にとっては、だれがどの子の保護者なのか、よくわからない。しかも、この20人ほどの中で、僕がおそらくダントツの最高齢である。見たところ、ほとんどが「ママ」で、参加している「パパ」は僕を含めて3人ほどである。

保護者会が始まった。

「まずは手遊びからはじめます。本来ならばみなさんに歌っていただきながら手遊びをしたいのですが、こういうご時世ですので、保護者のみなさんには歌っていただかずに、手遊びだけを行います。さ、手を出してください」

保育士さんに促されるように、両手を前に出す。

「かみなりどんがやってきた♪」

という歌に合わせて、保護者が一斉に手遊びをする。もちろん僕も、である。

「さ、身体を動かしたところで、お一人お一人に自己紹介していただきます。あらかじめ申し上げておきましたように、お子さんの素敵なところと、ご自身の好きなことをご説明ください」

まずは、担任の保育士さんたちが「私が好きなものは…」といって、推しのYouTuberの話をした。

さっそく困ってしまった。推しのYouTuberの話をした方がよいのか?でも、「とっち~ちゃんねる」とか「ダース・レイダーさんの番組」の話をしても、だれにも理解されないだろうと思い、YouTubeの話をすることは思いとどまった。

ほかの保護者たちの挨拶は、みんなとても上手である。「お子さんの素敵なところ」というお題では、家族想いのところ、とか、ちょっとした一言に癒やされる、とか、物事に集中するところ、とか、じつに微笑ましいコメントばかりである。

「ご自身の好きなもの(こと)」というお題では、フットサルとか、テニスとか、スキューバダイビングとか、登山とか、美味しいコーヒーを入れること、とか、趣味のお話のほかに、「BTSが好き」とか、「なにわ男子が好き」といった、推しのお話をする人もいた。

さて僕の順番が回ってきた。

「うちの子どもの素敵なところは、…そうですねえ。自作のヘンな歌を延々と歌っているところですかねえ」

しーん。

「あと、ドラマに出てくるチョイ役の俳優さんが、全然別のCMとかに出たりすると、それを同一人物だと見抜くところです。…ま、あまり役に立つ特技ではないですけれど…」

しーん。

「自分がいま好きなことは、子どもと一緒に映画を見に行くことですかねえ」

ほう。

「あと、親子ともども阿佐ヶ谷姉妹のファンなので、阿佐ヶ谷に連れて行ったりしています」

(ややウケ)

…ということで、ダダすべりであった!

そりゃあそうだ。フットサルだ、テニスだ、BTSだ、なにわ男子だ、といっている中で、親子で阿佐ヶ谷姉妹のファンだとカミングアウトして、「昭和」感がハンパないのだ!そりゃあ、ママ友やパパ友ができないはずである。

結局、自己紹介は30分以上続き、保育園からのお知らせ的なものは、重要な内容をほとんど聞く時間もないまま、保護者会は終わってしまった。

自己紹介のくだり、いらなかったんじゃね?

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タブレット純を認識する4歳児

5月3日(火)

このブログでもおなじみ、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」は、今週1週間、メインパーソナリティーの大竹まこと氏がお休みで、代打として、今日はタブレット純と武田砂鉄氏がメインパーソナリティーをつとめていた。

僕にとっては夢の共演である。いままで歩んできた道や、趣味嗜好のまったく異なるこの二人が、お互いを尊重し、気心を通じ合わせ、それでいて適当な距離を保っている、というのが、人間関係の理想型として僕の心をとらえて離さないのである。

番組の企画は、「純鉄歌合戦」といって、タブレット純の専門である「昭和歌謡」と、武田砂鉄氏の専門である「ヘヴィメタル」(「ヘビメタ」と言ってはいけない)の曲をかけ合い、そのインパクトを競うというものである。ただし選曲には縛りがあり、タブ純には「ヘヴィメタルを感じさせる昭和歌謡」、砂鉄氏には「昭和歌謡を感じさせるヘヴィメタル」という条件が課される。

簡単に言えば、この3月末に終了したTBSラジオ「伊集院光とらじおと」で、アレな感じなレコードを紹介する「アレコード」という人気コーナーをオマージュした企画である。流れてくる曲はいずれも、珍奇な昭和歌謡、珍奇なヘヴィメタルばかりで、「アレコード」のコーナーなき今、それを受け継ぐような良企画だった。

僕はこの番組を、リアルタイムで聴いていたのだが、途中、家族が買い物に行くというので、車を出すことになった。あまりにおもしろかったので、車の中でも引き続き、この番組を聴いていた。

さて、驚くのはここからである。

ラジオから流れてくる声を聞いた4歳の娘が、

「あ!阿佐ヶ谷アパートメントの人だ!」

と叫んだ。

聞こえてくる声は、男性の声で、阿佐ヶ谷姉妹の声ではない。もちろん、家族は、ぽかーんとしている。

僕はすぐにわかった。そのときに喋っていたのは、タブレット純だったのである。

タブレット純は、NHKテレビ「阿佐ヶ谷アパートメント」の各コーナーのフリの部分で、ほんの一瞬、VTR出演している(というか、それ以外にタブレット純をテレビで見かける機会はほとんどない)。そこでは、持ち前の「声の小さいつぶやき」と、それとは対照的な力強い歌声が披露される。

しかしそれは、あまりに一瞬な時間である。ところが娘は、テレビ画面に一瞬だけ映る、タブレット純のボソボソッとした語りを聞き逃しておらず、ラジオから流れてくる声を聞いただけで、その声が、「阿佐ヶ谷アパートメント」に出演しているタブレット純だと同定したのである。

声を聞いただけで、タブレット純だとわかるって、どんな4歳児なんだ?そもそも、タブレット純の声を聞き分けることのできる4歳児って、世間にどのくらいいるのだろう?

しかしさすがは4歳児。そのあとすぐに、娘は車の中で眠ってしまった。もともと運転中の車の揺れが心地よくて眠ってしまいがちではあるのだが、理由はそれだけではないだろう。タブレット純と武田砂鉄氏の落ち着いた語りが、眠りを誘ったに違いない。

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白髪、それがどうした

4月25日(月)

今日から、恒例の2泊3日の「ひとり合宿」である。先々週の検査でまた引っかかったのである。

前にも書いたが、ひとり合宿の部屋にいると、新聞の朝刊と夕刊のサービスがある。その新聞というのが、僕が決して自分から読まない新聞社の新聞なので、ひとり合宿のときだけ、その新聞に目を通すことになる。

夕刊は、ビジネスマンとか会社の経営者が読むような新聞である。1面の下に、コラムがあるのだが、新聞の編集委員が書くのではなく、日替わりで、会社の社長とか有名人とかが書いているようである。

今日の夕刊のコラムは、ある大手不動産会社の社長が書いていた。こんな内容のコラムである。

若い頃から白髪が多くて、子どもを連れていると、孫と間違えられることがよくあった。授業参観のときには、娘から、髪を染めてほしいと言われ、散髪屋で白髪ぼかしをしてもらったが、途中で弱気になって中途半端なところでやめてしまったので、髪の色がヘンな感じになり、もう髪を染めるのは懲り懲りで、その後は父親参観に行くことはなかった。その後初孫が生まれて、ようやくお爺さんになれてホッとした、というのがコラムのオチである。

お世辞にもおもしろい文章とはいえない。このコラムに違和感を抱くの、俺だけかなあ。

僕は40代の頃から白髪が目立つようになり、5年ほど前に大病を患ってから、白髪が急激に増え、いまではほとんど真っ白である。古い友人が、道ですれ違ったってだれだかわからないだろう、というくらい。

それでも、散髪屋に行くたびに、白髪ぼかしというのをやってはいるのだが、気休めにすぎず、時間が経てば、元の木阿弥になる。

で、4年ほど前に子どもを授かったのだが、年齢も年齢だし、髪も白いので、誰もが僕のことをおじいさんだと思い込む。僕に向かって「かわいいお孫さんですね」とか、娘に向かって「おじいちゃんと一緒でいいねえ」とか言われるのは日常茶飯事である。僕はそのたびに、

「いえ、父です。この子は娘です」

と言うことにしている。そうすると、言った方は、「あらごめんなさい」と、言ったことを後悔する。悪趣味だが、言ったことを後悔させるために、僕ははっきりと訂正するのである。

白髪があるからって、なんで「おじいさんと孫」と言いきってしまうの?そして当事者は、それに対してどうして後ろめたく感じなきゃいけないの?

この不動産会社の社長は、頭が白いことを理由に父親参観に行かなくなった、とあるが、それは父親参観に行かないことの口実にすぎないのではないか?逆に、何度も通っていれば、父親であることを誰も疑わなくなるのではないか?そして、本人が見た目を気にするということは、他人に対しても見た目で判断するということではないのか?

自分の娘が小学校に上がって、授業参観があったときに、「パパは髪を染めてきて」と言われるのかなあ。いや、そんなことを気にしない子に育てたい。まわりの人に、「あなたのお父さん、おじいさんみたいだね」と言われたとしても、「それがどうした?」と意にも介さない子に。

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思いつきで動物園に行く

4月17日(日)

今日は1日、ダラダラと過ごすつもりでいたが、家族の提案で動物園に行くことにした。

「疲れているんなら、最寄りの駅まで車で送ってもらえば電車で行くけど」

「いいよ、動物園まで車を運転するから、みんなで動物園に行こう」

実際、休みの日にはほとんど家にいる状態なので、運動不足が甚だしい。動物園ならば、それなりに歩くだろうから、適度な運動になる。同じマンションに住む姪の家族もさそって、郊外の動物園に行くことにした。

小さいころ、この動物園に行ったことがあるかどうか、ほとんど記憶にない。というのも、もともと僕は、動物園に興味がなかったのだ。しかしまあ、4歳になった娘は、動物園に連れて行けば喜ぶのではないだろうか。

午前9時半に出発し、車で1時間ほどで動物園に着いたのだが、目の前の光景を見て驚いた。

動物園の入り口に、人が列をなして並んでいる。

考えてみれば、コロナの感染に警戒しているこのご時世、野外にある動物園は、感染のリスクをあまりともなわない場所として、まる1日過ごすことのできる、お手軽な場所なのである。考えていることは、みんな同じなんだな。

動物園に来ている人のタイプは、子ども連れの家族か、カップルか、動物マニアか、写真マニアか、のいずれかである。

いやいやいや、阿佐ヶ谷姉妹もたしか、むかしは姉妹のふたりでよく動物園に行ったって言っていたから、カップルと言っても、お付き合いをしているカップルだけとも限らないぞ。仲のいい人たちで行く場合もあるだろう。

阿佐ヶ谷姉妹で思い出したが、動物の行動を観察することで、さまざまな仕草を自分の中に吸収する芸人とか役者がいるとやも聞いている。

動物マニアでも写真マニアでもなく、たんに動物を見て癒やされるために一人で訪れる人もいるだろう。

そう考えると、動物園は「全方位外交」の場所なのだ。これだけの人が集まるというのも頷ける。

僕は、上野動物園(といっても、上野動物園じたい、ほとんど訪れた記憶がないのだが)のような動物園をイメージしていたのだが、さにあらず、郊外の山にある動物園なので、敷地が広く、起伏が激しいのである。「アフリカ園」だの「オーストラリア園」だの「アジア園」などと、かなり広範囲に動物のエリアが広がっている。

(こりゃあ、聞いてないぞ)

ふだん運動不足の僕にとっては、かなりこたえる場所である。しかし、もともと運動不足解消のためにと思って来たのだから、おあつらえ向きと言えば、おあつらえ向きである。

「まずはライオンを観に行こう」

と、ライオンのいるスペースまで歩いていると、途中、4歳の娘をめがけて、カラスが襲ってきた。

「ギャァ~!!!」

まるでヒッチコックの「鳥」の世界である。

「カラス!カラス!」

「カラスはいいの!ライオンを観なさい」

ほどなくライオンのエリアがみえてきた。

「ライオンがいる!」

遠くの方にライオンがいるのがわかったが、しかしほとんどのライオンは寝ている。

すると、先ほどのカラスが、ライオンのいるエリアめがけて飛んでいき、木の台の上にとまった。

よく見ると、木の台の上にあるライオンの餌(生肉)をついばんでいる。カラスの目当ては、ライオンの餌だったのだ。

恐るべし、カラスである。だってライオンの食料を奪うんだから。いまや百獣の王は、ライオンではなくてカラスなんじゃないだろうか?

そうこうしているうちに、お昼の時間になった。こちとら、思いつきで来ちゃったものだから、お昼ご飯のことを考えていなかった。あらかじめ準備してきたわけではなかったので、園内の食堂で食べるしかない。案の定、園内の食堂は混んでいて、長い時間かけて並んで、食事を手に入れて、どうにか座る場所も確保できた。

しかしこの時点で、もうグッタリである。4歳の娘も駄々をこね始めている。

というか、実はあんまり動物に関心がないみたいだ。

歩いていると、お城のような建物が目に入った。

「あのお城に行きたい!」

「あのねえ、動物を見に来たんでしょう?お城は関係ないの」

「でも見に行きた~い!」

といってきかない。

「わかった、じゃあ、コアラさんを観てからお城に行こうよ」

と、なんとかなだめながら「コアラ館」までたどり着いた。

コアラといったら、あーた、動物園のメインキャラクターといってもいい動物ですよ!

しかし、娘はあまり関心がない様子。

「コアラ館」の天井はドーム状になっていて、星をイメージした豆電球がちりばめられている。まるでプラネタリウムを思わせるのだが、しょせんは豆電球なので、ちゃちな感は否めない。

「あ、お星さま!」

「あのねえ、動物を見に来たんでしょう?お星さまが観たいんだったら、また『お星さまの映画館』(プラネタリウム)に連れて行ってあげるよ」

「お星さまの映画館、行きた~い」

動物学者よりも、天文学者に向いているのか?

結局、娘はコアラにはほとんど目を向けることがなかった。

仕方がないので小5の姪に、

「コアラはねえ、オーストラリアにしか生息していないんだよ」

と言ったら、

「オーストラリアにしかいないコアラが、なんで日本にいるの?」

と聞かれ、ぐうの音も出なかった。

コアラ館を出た娘は、先ほど見えた「お城」にどうしても行きたいと駄々をこね、仕方ないので行ってみたのだが、行ってみると、お城の中に入れるわけではない、というか、かなり朽ちた感じのお城である。どうも以前までアジア象のいた場所だったのだが、老朽化が激しくなり、アジア象エリアが移転して、いまは廃墟になっているようなのである。

うら寂しい気持ちを抱えて、動物園のもうひとつのメインキャラクター、オランウータンのところにむかったのだが、どうやら疲れた様子で、離れたところにある椅子に座り、おやつを夢中になって食べ始めた。

「ほら、オランウータンがこっちを見ているよ!」

と言って、一番近くでオランウータンが見える柵の手すりのところまで促したのだが、娘は手すりを見つめている。

「あ、蜘蛛だ!」

「ええぇぇぇー、そっち?」

手すりの蜘蛛のほうが気になる様子。

まるで、マレーシアのジャングルで「動物を観察しなさいよ」と藤村ディレクターに言われて、渋々動物を観察している大泉さんを見ているようである。わかる人がわかればよろしい。

一事が万事、そんな感じで、後半は歩き疲れたのか、「早く帰りた~い」と大声で叫ぶばかりだった。

「これだったら、近くの○○の里公園に連れて行っても同じだったね」

よかれと思って連れて行ったのだが、甲斐がないというのは、このことだ。

近いうちに「リベンジ」したいが、父親に似て、やはりもともと動物に関心がないのかもしれない。

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迷子さがし顔

3月27日(日)

娘は昨日、4歳になったが、妻はあいにく出張中である。

昨日に引き続き、実家近くの「もり公園 にじ色広場」に連れて行った。これで3回目だが、すっかりお気に入りの様子である。

実際行ってみると、敷地は広いし、遊具もかなり充実しているので、娘がこの公園を気に入る気持ちがよくわかる。というよりも、そもそもこの公園は、子どもの気持ちをかなりわしづかみしているようで、この土日はかなりの人数の家族連れが訪れている。

ひとしきり遊んで、こっちも疲れてきたので、サア帰ろうかと娘に促したところ、もう少し遊んでいたそうな顔をしていたが、出口に向かって渋々歩き出した。

すると、声をかけられた。誰かのお子さんの母親のようである。

「あのう、この近くで、女の子を見かけませんでしたか?」

女の子、といわれても、この公園にはかなりの数の子どもがいる。

「ちょっと目を離している隙にはぐれてしまいまして…。フード付き紺色のパーカーを着ているのですが…」

フード付きの紺色のパーカー、という情報も、かなりアバウトである。

「さぁ…」

「もし見かけたら、公園を出たところの管理室までご連絡いただけますか?」

「わかりました」

そう言うと、その女性は僕たちと正反対の方向、つまり公園の中のほうに入っていった。おそらくさがしまわるのだろう。その様子は、切羽詰まった様子に見えた。

しかし、いまこの公園にいる人数をざっと見積もってみても、200~300人ほどはいるはずである。そんななかで、紺色のフード付きパーカーを着た女の子という情報だけを頼りに探すのは、至難の業である。

「パパ、どうしたの?」

と娘が聞いた。

「女の子が迷子になっちゃったみたいで、おかあさんが必死にさがしているみたいだよ」

「それでパパに聞いてきたの?」

「そう」

「どんな子?」

「紺色のフード付きのパーカーを着ている女の子だって」

と説明して、4歳の娘にどれだけ伝わっているかはわからない。

「その子、さがす」

と言いだした。

「こんなに人がいるのに、さがせないよ」

「でも、心配だから、さがす」

といって聞かない。娘は周りを見渡して、

「あの人がそうじゃないかな?」

と手当たり次第に指をさすのだが、いずれも服装が違う。

「そう簡単には見つからないよ。だってこんなにたくさん人がいるんだよ」

と思って歩いていたら、なんという偶然か、前方に紺色のフード付きパーカーを着た女の子が歩いていた!

(あの子がそうか?)

その女の子の右隣には、大柄な女性がいて、女の子と手をつないでいる。

後ろ姿しかわからないが、女の子の手を引いている大柄な女性は、紺色のウィンドブレーカーを着ている。女の子の方は、とくにイヤがっている様子ではないのだが、手のつなぎ方が不自然で、直感だが、その女の子の母親のようには見えないのである。

(ひょっとして…ゆ、ゆうかい…?)

僕はそれとなく、娘の手を引きながらその二人のあとを尾行した。

すると、その二人は、トイレのあるとおぼしき建物の中に入っていった。

(トイレに入ったのか?)

ここでまたイヤな予感がした。最悪の事態を想像してしまった。

声をかけるべきかどうか?

いや、そもそもその女の子が、迷子になった子であるかどうかも確信がない。なにしろ紺のフード付きのパーカーを着ているという情報だけである。下手に声をかけると、僕の方が何か巻き込まれる可能性もある。

(見なかったことにしよう)僕は怖くなって、引き返すことにした。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」

「ねえ、その女の子をさがそうよ。もういちど公園に戻ろうよ」

娘はどうやら、その女の子をさがすことを口実に、公園でまだ遊んでいたいようである。

「でもわからないよ。もう見つかったかもしれないし」

「でもさがした~い」

僕も、あの不思議な二人のことを忘れたいと思い、踵を返して公園の中に戻った。

キョロキョロと周囲を見渡しながら、該当する女の子はいないかさがしてみるのだが、それらしい女の子は見当たらない。

それに、そのお母さんとおぼしき人も、どこにいるのかわからなくなってしまった。

「ブランコに乗りた~い」

公園の奥の方にあるブランコは、ちょっとした工夫が凝らしてあって、行列ができるほどの人気スポットである。

そこに並んでいると、どこからともなく、先ほどのお母さんとおぼしき人がやってきた。

見ると、その女性は、先ほど謎の女性に手を引かれていた女の子と手をつないでいた。

「さきほどはすみませんでした。おかげさまで、見つかりました」

「そうでしたか、それはよかった」

やはりあの女の子が、迷子になった女の子だったのだ。

では、僕が見た謎の女性は誰だったのか?

ウィンドブレーカーを来ていたことからすると、公園のスタッフであった可能性が高い。迷子になった女の子の手を引いて、管理室のある建物まで連れて行って、お母さんに連絡を取ったものと思われる。二人は、トイレに入ったのではなく、管理室に入っていったのだ。

これで一件落着、最悪の事態にならなくてよかった、と胸をなで下ろしていたら、娘が言った。

「ねえねえ」

「何?」

「あのおかあさん、どうしたパパばっかりに、迷子をさがしてくれって言ったの?」

「……」

言われてみればそうだ。その母親とおぼしき人は、手当たり次第に人に聞いていたわけではなかった。なぜか僕にだけ聞いてきたのである。

「ねえ、どうして?」

「さあ、どうしてだろうね。迷子を捜す仕事の人だと思ったんじゃないかなあ」

「どうして、あの人はそう思ったの?ねえ、どうして?」

「わからないよ」

娘のいつもの「どうして?」攻撃が始まった。

しかし不思議である。

ブランコに並んでいると、その母親とおぼしき人が僕の姿を見つけて、わざわざ「見つかりました」と報告してきたのだ。僕は、その母親とおぼしき人の顔をとっくに忘れてしまったのに、その人は、たまたま通りすがりに尋ねたにすぎない僕の顔を覚えているというのも不思議だった。

ブランコを終え、その親子のことが気になり、あたりを目を凝らしてさがしてみたが、すでにもう、その親子を見つけることはできなかった。

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老眼芸

3月8日(火)

もうすぐ4歳になる娘は、「大泉さんのちょんまげ」(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」)に夢中である。

すごいのは、テレビCMで一瞬、中村獅童が出た時に、「あ!大泉さんのちょんまげに出てた人!」と見逃さない。たしかに中村獅童は、梶原景時役で出演している。

三谷幸喜作の喜劇「社長放浪記」のDVDを観ていると、佐藤B作が出てきたところで、「あ!大泉さんのちょんまげに出てた人!」と叫んだ。佐藤B作も、三浦義澄役で出演している。

いずれも、そんなに出番が多いわけではないのだが、それでも、はっきりと覚えているのは、才能なのか?普通なのか?

保育園の友だちのエイシ君は、図鑑が大好きで、いろいろな虫を瞬時に見分けられるそうなのだが、うちの娘はどうやら、いぶし銀の俳優を瞬時に見分けるのが得意なようである。こんなことなら、図鑑を買い与えておけばよかった、と後悔する。

保育園では、たまに「保育園だより」が配られる。むかしでいう「ガリ版刷り」みたいな質のよくないコピーで作られたもので、保育園での園児の活動の様子を、手書きの文章と解像度の低い白黒の写真で構成している。写真には、保育園の園児たちが遊んでいる様子が写っている。しかし、写真が小さくて、写っているのが誰なのかがよくわからない。

娘はその「保育園だより」をもってきて、写真に写っているお友達が誰なのかを説明してくれた。

「これは、ハル君、これは、ツムちゃん、これは、セイナちゃん」

と、指を指しながら説明してくれるのだが、ひとり、どうしてもわからないお友達がいた。

「だれかなあ」

そう言うと娘は、自分がかけている眼鏡をおでこのほうにずらして、裸眼でその写真をのぞき込んだ。

おいおい!それは、俺がいつもやっている、「老眼のポーズ」ではないか!!!

字が見えにくいときに眼鏡をおでこにずらす「老眼のポーズ」を、いつの間にか娘がマネをしている!

「あんたはやらなくてもいいんだよ!老眼じゃないんだから!」

と突っ込んだが、あれは知ってやっているのか、知らないでやっているのか…。もし知ってやっているのだとしたら、笑わせにかかっているとしか思えない。もうすぐ4歳になる娘の老眼芸は、それはそれで爆笑ものだが、親の老眼がバレるので、頼むから保育園ではやらないでほしい!

3歳にして、すでに芸が老成している。いぶし銀の芸とはこのことである。

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