芸能・アイドル

静観

人気お笑い芸人が、反社会的勢力の忘年会に出たということで、大手芸能プロダクションから契約解消を言い渡され、それを受けて二人のお笑い芸人が、謝罪の会見を行った。

その謝罪の会見は2時間半にも及んだそうだが、その中で、大手芸能プロダクションと所属芸人との間のやりとり、というのが明らかにされた。

僕はその大手芸能プロダクションが好きではないし、所属の芸人たちに対する思い入れもない。なのでこの騒動自体に関してはなんの興味もないのだが、ただ、その会見内容は、実に興味深いものであった。

当初は、芸人たちが、反社会的勢力の忘年会に出た、ということで、謹慎処分が下されたが、その後、芸人たちがギャラを受けとっていたのではないか、という疑惑が出てきた。

会見を開いた芸人の話によれば、5年も前の出来事なので、自分たちは、ギャラをもらったかどうかの記憶が定かではなかった。そこで、当初は「ギャラは受けとっていない」と取材に答えていた。

ところが、のちに複数の芸人の記憶をたどっていくと、実はそのときにギャラを受けとっていたという事実が判明した。

そうなると話は別である。反社会的勢力が違法行為によって被害者から奪い取ったお金を、お笑い芸人たちがギャラとして受けとっていたことになるからである。

お笑い芸人たちは、自分が所属する大手芸能プロダクションにそのことを正直に告白し、「このことを正直に公表して謝罪をさせてほしい」と会社に懇願した。

ところが大手芸能プロダクションは、「いまさら(事態を)ひっくり返すわけにはいかない」として、ギャラを受けとったという事実を公表するのを見送ったのである。当初の取材で「ギャラは受けとっていない」と答えていたことを、いまさら覆すわけにはいかない、ということなのだろう。

そのとき、社長を含めた社員たちは、「会社としては静観でいく」という方針を決めた。つまり、ギャラを受けとったという事実をあえて公表はせず、事態の推移を見守る、ということである。

結果的にこの方針がきっかけで、大手芸能プロダクションと所属芸人との関係がこじれにこじれ、問題を大きくさせ、最終的には「契約解消」という事態をもたらし、芸人による記者会見で大手芸能プロダクションの悪辣性が白日の下にさらされる結果となった。

どう考えても、ギャラを受けとっていたという事実がわかった時点で、大手芸能プロダクションと所属芸人がそろって謝罪会見を開けば、ここまで問題がこじれることがなかったはずである。

なぜ、このような「どーでもいい会見」に僕が注目したのかというと、ここで使われている「静観」という言葉を会見で聞いて、あることを思い出したからである。

それは、ポツダム宣言である。

1945年7月、ポツダム宣言を確認した日本の政府は、もはや戦争継続が困難という見方もあり受諾やむなしとの空気もあったものの、当面の間は一切の意思表示をせず「静観」するという方針を決めた。そうした方針が、次第にこじれていき、結果的にさらに大きな悲劇を生んだことは、歴史の事実である。

「静観」という言葉が引き起こした悲劇という点で、両者は共通していると僕は見ている。「静観」という態度が、しばしば取り返しのつかない事態を引き起こすことがあるのだということを、歴史は教えてくれているように思う。

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史上最強のどーでもいいニュース

このブログも今やすっかり閑古鳥が鳴いているし、体調もアレな感じなので、超どーでもいい話を書く。

以前、「クールス」という、どーでもいい話を書いたことがあるが、それをはるかに凌ぐ、どーでもいい話である。

最近のいちばんの衝撃的な芸能ニュースといえば???

そう!最近テレビで大活躍している、あのアラフィフのミュージシャンの衝撃的な事件ですよ!!!

…ここまで書いてもおわかりでない?

高嶋ちさ子の「仕事セーブ宣言」のニュースですよ!

なんといっても芸能界に衝撃が走ったニュースが、これですよねえ。

…という冗談はさておき。

「高嶋ちさ子が仕事セーブ宣言をした」というニュース自体、心底どーでもいいニュースである。何でこんなことがニュースになるんだ???

このニュース自体、どーでもいいニュースなのだが、これに輪をかけてどーでもいい記事をインターネットで見つけた。

「フジ軽部アナ、高嶋の近況「とにかく多忙」仕事セーブ宣言に理解 伊藤アナが明かす

デイリースポーツ/神戸新聞社 2019/03/12 09:55

フジテレビの伊藤利尋アナウンサーが12日、同局の「とくダネ!」で、仕事セーブを宣言した高嶋ちさ子について、一緒にコンサートを行っている軽部真一アナウンサーから聞いた高嶋の近況を明かした。

番組では、高嶋の家庭優先、仕事セーブ宣言の反響について特集。高嶋は10日のブログで「今後、平日のお仕事は、子供が学校から帰宅する時間までに終わる物しか絶対にお引き受けしません。例外もなくします」と宣言。「私は仕事人ではなくお母さんなので、仕事はセーブさせて頂きます。それで干されても良いです。このままだと息子に干されそうなので」と、子供を最優先にしていくことを誓っていた。

この内情について、小倉智昭は「ちさ子さんに関しては、軽部アナウンサーが一番よく知ってると思うんだけど取材したの?」と伊藤アナに尋ねた。

軽部アナは長年高嶋と一緒にクラシックコンサートを行っており、公私にわたって親交が深い。伊藤アナは「ですから、特に下のお子さんの今の状態については、とっても気をもんでらっしゃるところもあって。その子のためにというところはあるようですが」とコメント。

「ただ、とにかく近年、超多忙だという中で、ちさ子さん流のブレイク宣言をかけられたのかなあと、そういう趣旨でした」と軽部アナから聞いた高嶋の最近の様子を明かしていた。」

この記事、すごくない?最初読んだとき、ラジオのハガキネタかと思った。

「フジテレビの伊藤利尋アナが、軽部真一アナから聞いた高嶋ちさ子の近況を明かした」って、どんだけ間接的な情報なんだよ!!!

で、聞いた結果が、「とにかく多忙」って、何にも言ってないに等しいじゃん!

ま、テレビで見たことやラジオで聴いたことをそのまま記事にするのは、最近よくあることだけど、その中でも、この記事はダントツのどーでもいい記事ではないだろうか。

子どものころ、新聞記者とか雑誌記者になりたいと思っていたのだがなあ…(小学校の卒業文集にそう書いた)。

まことに不可解な時代となってしまった。

記録として書きとどめておく。

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ジュリーは談志だ!

まず最初に大前提として確認しておきますけれど、

「沢田研二こそが、史上最高の男性アイドルである」

ということ。これについては、異論を認めません。

なぜなら、以前、ラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の「史上最高のアイドルは誰だ?評議会(男性編)」という企画で、ぶっちぎりで沢田研二が史上最高の男性アイドルと認められたからである!

このラジオの中で、僕と同世代のコンバットRECさんが、

41v7idxaill「僕が初めて買った音楽アルバムは、小学生のときに買った沢田研二の『思いきり気障な人生』だった」

と言っていたが、これを聞いて僕はビックリした。

なぜなら僕も、小学生のときに生まれて初めて買った音楽アルバムが、「思いきり気障な人生」だったからである!

なんという偶然の一致!!!

…というか、コンバットRECって、誰?

つまり「思いきり気障な人生」を買うというのは、当時の小学生男子にとっての「あるあるネタ」だったのである!

当時の小学生男子にとって、沢田研二がいかにすごい存在だったか。それは、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のエンディングテーマが、沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」だったことからもわかる。

あるいはこれは、子どもと一緒に映画を見に来た親の世代へのサービスだったのかも知れないが、当時、このエンディングテーマが、小学生男子たちの心をどれだけ鷲掴みにしたことか!

コンバットRECさんや僕が、「思いきり気障な人生」を買ってしまったのも無理はない。

…だから、コンバットRECって、誰っ!!??

さて、沢田研二の「さいたまスーパーアリーナドタキャン事件」。

9000人収容のさいたまスーパーアリーナで、7000人分のチケットしか売れなかったので、急遽コンサートを中止したという事件のことですよ。

テレビのワイドショーでは大騒ぎしていたようだが、

「沢田研二は、立川談志である」

と考えれば、べつに驚くことではない。

落語家の立川談志は、よく知られるように、気分が乗らないと高座をドタキャンしたり、客席で居眠りをしている客を見つけると、

「おまえ、帰れ!」

と言ったり、まあわがままなことばかりやっていた。

それとおんなじじゃね?

沢田研二も、談志と同じ、プライドの高い、偏屈な人間なのだ。

そういえば、たしか立川談志は、

「人間は、カネで動くか、プライドで動くかの、どちらかだ」

という意味のことを、よく言っていた。

たいていの場合は、この法則にあてはまると思う。

人間は、プライドを捨ててカネに生きるか、カネを捨ててプライドに生きるかの、どちらかなのだ。

もちろん、カネもプライドもほしい人はいるし、カネもプライドもいらないという人もいるだろうが、まあ、たいていの場合、人間を突き動かす原動力となるのは、カネかプライドかのどちらかなのである。

僕自身についていえば、どちらかといえばプライドで動く人間である。

でなければ、いまみたいな仕事はしていない。

理屈のうえでは、できるだけプライドを捨てて生きよう、と思ってはいる。仕事なんかでも、こっちが悪くないのに謝ったりするし、自分の主義を曲げて他人の意見に従うことだってある。

だが、本音のところでは、プライドが高い。

「なんでアイツのつまらねえ本が、俺の本よりも売れてるんだ?」

みたいなことを、年中考えたりしている。

もちろん、「他人と比較したって何の意味もない。自分が満足することをやればいいのだ」という忠告は、いつもありがたく受けとめている。

しかし、

「志ん朝と俺の二人会をするんだったら、俺のギャラを志ん朝よりも100円高くしてくれ」

と言った談志の気持ちも、なんとなくわかるし、

沢田研二が「7000人しか集まらなかったからコンサートはやらない」

と言った気持ちも、なんとなくわかるのだ。

もっとも僕は、お客さんが2人しかいないところで講演をしたことがあるけどね。

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人生はクイズだ!

「オフ会」で出た話題から。

以前、こぶぎさんから送られてきた封書の差し出しのところに、

「JUNIEL JUNIEL 五少女のすりきれず 

KARA ギュリ スンヨンの ニコル待つ グ・ハラ待つ ジョン待つ

食う寝る一緒に住むTwice ぺたら工事のジア グァンヒ

ベビボベビボ ベビボの10人いない 10人いないの5人だい

5人になっても解散しない 少女時代を

チョー急に辞めたチョン・スヨンちゃんの生誕を祝う

K-POP落語友の会 代表 こ・ぶ・ぎ」

と書かれていて、KーPOPアイドルグループを落語の「寿限無」風に紹介するという斬新な、しかし誰にもわからない試みをしていたことを紹介した。

このとき、

「さてここでクイズです。ここに登場するKーPOPグループの合計人数を足すと、何人になるでしょうか!」

と書いたのだが、考えるのがめんどくさくなっちゃってそのままほったらかしていたら、オフ会のときにこぶぎさんが、

「クイズを出したのに解答を書いてくれないんで、自分で答えを出したよ」

と、クイズの答えを書いた紙を見せてくれた。

「KARA5名+脱退・途中加入者2名(キム・ソンヒ、ホ・ヨンジ)=7名

ZE:A9名

Twice9名

Baby V.O.X5名+脱退者1名(イ・ガイ)=6名

(Baby V.O.X Re.V除く)

少女時代9名

正解は40名」

…ということで、正解は「40名」だった。

全世界で、このクイズについて真剣に考えているのが、私とこぶぎさんだけだというのが、笑える。

さて、このブログは、基本的に固有名詞をあまり書かない。

私が出張などで訪れた場所の地名も、極力書かない。

それが、一種のクイズになっていて、…というか、こぶぎさんがそれを勝手にクイズに見立てて、コメント欄などで解答を書く。

で、解答そのものも、判じ物のようになっていて、容易にはわからない。

つまり、このブログは、全編、クイズ形式なのである。

ただ、ここからが重要。

こぶぎさんは、私の訪れた場所を単に当てるだけではない。

私が訪れた場所に、こぶぎさんも実際に訪れているのだ。

こぶぎさんはこれを、「聖地巡礼」と言っている。

で、オフ会のときに、実際に「聖地巡礼」したときの写真をスライドショーで見せてくれるのである。

ビックリするのは、えっ?こんなところにまでわざわざ行ったの?というような場所にまで行っていることである。

こっちは仕事で行ってるからいいけど、こぶぎさんは、単に「私が行った場所」という理由だけで、大変な労力をかけて、そこに行ってるからね。

で、それを誰に公表するわけでもなく、たまたま私と会ったときに、ネタばらしをするのだ。

「やっぱりね。自分の行きたいところに行くのがいちばんいいよ。他人の行ったところに行っても、さほど面白くはない」

そりゃあ、そうだろう。

しかし、こぶぎさんは続けるのだろう。

こぶぎさんが続ける限り、私も旅を続けなければならない。

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クールス

ほんとにどーでもいい話なのだが。

インターネットのニュースを見ていたら、岩城滉一と舘ひろしが、友人の葬式に参列して、42年ぶりに和解したとあった。

ね?どーでもいい話でしょう?

二人は若い頃、なんでも「クールス」という不良バイクグループのメンバーだったらしい。

その後クールスは、ロックバンドとしてデビューすることになるそうなのだが、音楽に興味のない岩城滉一は、グループの路線をめぐって舘ひろしと対立し、俳優の道に進んだのだという。

舘ひろしもほぼ同じ頃、結局俳優の道に進むことになる。

その後も二人の気まずい関係が続いたのだと、ニュースにあった。

なんでこんなどーでもいい話に僕が食いついたのかというと、二人が若い頃に出演していた映画を見たときに、ある共通点を見いだしていたからである。

岩城滉一は、映画「人間の証明」(1978年)で、郡恭平という、大物政治家のバカ息子の役を演じていた。

これがどうしようもないダメ人間で、役が見事にはまっていた。

一方舘ひろしは、映画「野性の証明」(1978年)で、大場成明という、地元の有力者のバカ息子の役を演じていた。

これもまたどうしようもないダメ人間で、これまた役が見事にはまっていたのである。

さらに二人はどちらも、劇中で、バイクを乗り回していた。

つまり二人の若い頃は、典型的な、金持ちのボンボンのバカ息子役が似合う俳優だったのである。

むかしこの2つの映画を見た僕は、

「若い頃の岩城滉一と舘ひろしは、キャラ、かぶってるなあ」

と思ったものであった。だってほとんど同じような役だもの。

キャラがかぶってるもなにも、二人は実生活でも同じ不良グループでつるんでいたというわけだな。

二人が当時、お互いに対してどのような気持ちをもっていたのかはわからない。

おそらく、若いときにありがちな、自意識過剰というか、「俺とおまえとは違う」みたいな感情があったのだろう。

しかし大人からみれば、二人は同じ穴のムジナ。

キャスティングした大人のプロデューサーにとっては、若い二人はまったく同じタイプの人間にしか見えなかったに違いない。

なんかそのあたりがおもしろいなあと思ったのだが、結局は、どーでもいい話である。

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風俗を語るように政治を語ろう

10月21日(土)

この国を代表するアイドルグループが、昨年末に「解散」した。

5人の男性からなるグループで、芸能界を牛耳る大手芸能事務所に所属していたが、「解散」後の5人の立場は、さまざまだった。

1人は、大手芸能事務所の幹部の覚えもめでたく、体制派を貫いて事務所にとどまった。

1人は、「解散」前から大手芸能事務所のやり方に不信感を持っていたが、今後のことも考えたのか、結局「解散」後も事務所にとどまった。

あとの3人は、「解散」からしばらくして、大手芸能事務所を辞めた。事務所の呪縛から解き放たれ、自由の身になったのである。

大手芸能事務所の方針にしたがう体制派。

大手芸能事務所に不信感をいだきながらも、生き残りのために自分の身を守った残留派。

大手芸能事務所に「排除」されたリベラル派。

テレビ局は、大手芸能事務所の意向を「忖度」して、「排除」されたメンバーの出演番組を打ち切ったり、露出を少なくしたりした。

「排除」された3人のうち、1人は孤高の「無所属」のようで、2人はラジオ番組で共演したりしている。

かくして、5人の置かれた立場は、さまざまになった。

このアイドルグループの「解散」をめぐる一連の動きと、それをめぐる大手芸能事務所やマスコミの対応を見ているとまるで、今のこの国の政治状況を見ているようである。

SMAPは、この国の政治風土の縮図なのだ。

もちろん僕は、「排除」された3人を支持する。

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「少女時代」のユナちゃんに会いました!

8月15日(月)

朝、羽田空港のチェックインカウンターで、異様な光景に出くわした。

ど派手な模様の、ピンクのスーツケースを10 個ほど預けている一団がいた。

笑っちゃうくらいど派手な模様の、ピンクのスーツケースである。

どうやら同じ飛行機に乗るらしい。

(何の集団なんだろう?)

飛行機が金浦空港に着いた。

手荷物受け取りのところに行くと、またしても異様な光景が広がっていた。

ベルトコンベアで延々と運ばれてきたのは、ど派手な模様の、ピンクのスーツケースである。

それを、若い小太りの男がひとりでせっせと取り上げている。

次々とピンクのスーツケースが運ばれてきては、若い小太りの男がそれを取り上げているのである。それ以外にふつうのスーツケースも、若い小太りの男が次々と取り上げては、カートに乗せている。

何なんだこの光景は?

回転寿司でいったら、「おまえ、どんだけ食うんだ?」といった勢いで、運ばれてくるスーツケースが次々と若い小太りの男のところで取り上げられてしまうのである。

流しそうめんでいったら、「おまえのところでせき止めるなよ!」といった勢いで、次々と若い小太りの男がスーツケースを取り上げている。

…回転寿司や流しそうめんの比喩は関係ないか。ま、それはともかく。

しばらく自分の荷物が来そうにないので、手荷物受け取りスペースのはずれにあるトイレに用を足しに行った。

終わって、トイレから出ると、トイレの前のベンチのところに、若者の一団がいて、その一団の中央に、すげえ綺麗な女の子が座っている。

(すごい綺麗な女の子だなあ。「少女時代」のユナちゃんにそっくりだ)

二度見ならず三度見をしたが、どう見てもユナちゃんにそっくりである。

だが、こんなところにユナちゃんがいるはずはない。

ふだんよりもかなり時間がかかって、ようやく荷物を受け取り、出口のドアを出ると、ビックリするくらい多くの若い女の子たちが、こちらに向かってカメラを向けている。まるで誰かを待ちかまえているようである。

(何なんだ?)

ますます意味がわからない。

出迎えに来ていた人に聞いてみた。

「いったい、何があるんです?」

「アイドルが日本の公演が終わって戻って来るところを、みんなで待っているみたいです」

「ほう。誰なんです?」

「少女時代です」

「しょ、少女時代??!!」

す、すると、さっき私がトイレの前で見たすげえ綺麗な女の子は、やっぱりユナちゃんだったのか?

そういえば、あのど派手な模様のピンクのスーツケースの一群。

共通のタグがついていて、「GIRL'S GENERATION」と書いてあったぞ!

あれはライブの衣装を入れたスーツケースだったのか!

…ということは、私は「少女時代」と同じ飛行機に乗っていたのだ!

どうだい、こぶぎさん。

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ラジオDJの憂鬱

最近、芸能界を揺るがせた事件といえば?

そう。

あるお笑いコンビの一人が、都内の高校に侵入して女子高生の制服など24点を盗んだとして窃盗及び建造物侵入の容疑で警視庁に逮捕された、という事件である。

その人物は、20年前から同様の行為をしていたと供述し、自宅からは制服など約600点が押収されたという。

この人物、実は8年ほど前にも痴漢の容疑で逮捕されたが、このときは、不起訴処分となっている。

彼はこのあと、芸人として復帰したのだが、このたびの逮捕で、おそらく復帰は絶望的だろう。

この事件を、忸怩たる思いで見ていたのが、私と同世代のラジオDJである。

8年ほど前、このラジオDJは、この芸人とラジオ番組で共演していた。彼が復帰したあと、ラジオDJは、「その芸人がそういう犯罪をするヤツとは、とうてい思えなかった」と発言した。つまり、「その芸人を信じていた」と発言したのである。

しかしそれは、結果的に裏切られる形となったのである。

先日、ラジオDJは、いつもはおふざけの深夜番組で、いつになくまじめに、この事件のことについて語り始めた。

「自分は7~8年前に、彼に痴漢の容疑がかかった時に、自分の番組の生放送で、今思えばとてもみっともなくて、間抜けで、恥ずかしいことを言ってしまった。

僕はその時、『職業柄、人と目を見て喋った上で、その人を見る目は、それなりにあると思う』と前置きした上で、痴漢の容疑について、『そいつはそういうことをするヤツだとはとても思えないんだよな』という話をした。

結果的に、今思えばとてもみっともない結果になった。

僕がラジオをやるための免許、というか、僕がラジオをやり続けてもいいって、僕に対して思うかどうかは、このことを喋ることだと思っている。

『人を見る目があると思う』って前置きをした上で、『やってないと思うし、やってないと思いたい』って言ったことに関して、反省してるし、『バカだな、お前』って思う人は笑って欲しい。

『アイツ、みっともねぇな。何の見る目もないじゃん』って、その通りなんだ。その通りだから、そこは笑って欲しいし、逆に、とてもじゃないけど笑えない立場の人もいると思う。

とてもじゃないけど笑えない立場の人は、僕のことを憎んでほしいと思う」

この後も発言は続くのだが、私がこれを聴いて思ったのは、引用した最後の部分である。

彼がいちばん言いたかったのは、ここなのではないだろうか?

8年前の痴漢事件が、冤罪なのかそうでないのか、今となってはわからない。

だが、同じお笑い界の仲間であり、自分の番組のレギュラーであったその人物を、なんの根拠もなく擁護してしまったことが、結果的に、その人物に苦しめられた人(つまり被害者)に、さらに苦痛を与えることになったのではないだろうか?

「とてもじゃないけど笑えない立場の人もいると思う」というのは、そのことを指していると思う。

そのことを考えたときに、軽はずみでもその人物を擁護してしまったことが、悔やまれたのである。

ラジオDJは、それを決して些細な問題ではないと考え、あえて「憎んでほしい」と発言したのだ。

そしてここに、ハラスメント問題の本質があるのだと思う。

加害者の周囲の人物が、仲間だという理由で軽はずみに擁護したり、あるいは擁護したことが結果的に間違いだったことに対して、被害者にそれをきちんと伝えることを怠ったり。

それが、二次的な被害を生む可能性を持っているのである。

多くの人は、そこに対する想像力をはたらかせようとはしない。

だから、自分とは関係のない問題だと思ってしまうのだ。

このラジオDJは、言葉を扱う職業人として、そこだけははずしたくなかったのだろう。

だからあえてこんな発言をしたのだろう、と私は解釈する。

こんなふうに想像力をはたらかせた人たちが、どれくらいいたのか。それは大変興味深い問題である。

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わきまえなさい

7月3日(木)

自分のふがいなさに、反省の日々である。

私は超メジャーになってからの三谷幸喜、より具体的に言えば映画「マジックアワー」以降の三谷幸喜に、まったく興味がなくなり、それ以降の映画や舞台は全く見ていない。

だが、それ以前の、「マイナーメジャー」くらいまでの作品は、いまでも時々見返すことがある。

このブログでもたびたび取りあげている演劇「笑の大学」(西村雅彦、近藤芳正)は、いまでもいちばん好きな作品である。

戦争色が濃厚になる昭和15年。舞台は警視庁の検閲係の一室。

登場人物は、警視庁検閲係の向坂睦男(西村雅彦)と、浅草の軽演劇(コメディ)劇団の座付き作家、椿一(つばきはじめ)の二人。

演劇の台本は、上演前に検閲を受けたうえで、適切と認められた場合、上演許可を出すことになっていた。

非常時に低俗な軽演劇などまかりならん、という向坂は、椿の書く台本に無理難題を浴びせて、なんとか上演中止に追い込もうとする。それに対して椿は、無理難題を受け入れ、さらに面白い台本に仕上げていく。そのうち二人はいつしか協力し合い、より面白い台本を作りあげていくのである。

とりわけ印象深いのは、最後の方のシーンである。

芝居の台本を2人で直していくうちに、2人はお互いの立場を忘れ、しだいに友情を感じるようになってゆく。

物語の終盤、椿は、向坂をかけがえのない友人と感じ、彼に国家権力に対する「踏み込んだ本音」を話し始める。それは、なんでも打ち明けられる友人だからこそ言える、本音であった。

「なぜ、そんな話を、私に?」

「向坂さんなら、わかってくれると思って」

「…そんな話、聞きたくなかった。…残念です…。私たちは台本作りに夢中になるあまりに、互いの立場を忘れていたようだ。椿さん、私はあなたが立ち向かった権力の末端にいる人間だ。そんな話を聞いて私が放っておけるとでも思うんですか?人を甘く見るのもいい加減にしたまえ!」

ここから、向坂の態度が急に変わり始める。向坂は、自分の立場というものに気づき、椿となれ合っていた友情に、壁を作り始めるのである。再び2人は、検閲官と座付き作家という関係に戻ることになる。

もちろん、話はここで終わらないのだが、この作品が好きなのは、こうした人間どうしの心の機微、というものが、実にうまく表現されているからである。

同じ三谷が脚本を書いたテレビドラマ「古畑任三郎」のなかで、刑事の古畑(田村正和)が、犯人の天才ピアニスト(木の実ナナ)としだいに心を通わせていくが、ついに犯人が罪を認めたあと、自分に心を開いてくれたと思い込んだ古畑は、つい調子に乗って、ピアニストとしての彼女に最後にこんな馴れ馴れしいお願いをする。

「あのとき弾くことができなかった曲、いまここで弾いていただけますか?」

これに対して彼女はきっぱりと答える。

「…わきまえなさい」

彼女は、自分がプロのピアニストであるという立場を思い出し、そうやすやすと、馴れ馴れしい望みに応えるわけにはいかないことを、きっぱりと表明するのである。

「わきまえなさい」

おそらく三谷自身が、よく体験したことなのかもしれない。

私も、よく反省することである。

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いまさら壇蜜

いまさらヨン様

いまさらレディ・ガガ

でおなじみの、「いまさら」シリーズ。

テレビを持っていないので、全然見ていないのだが、壇蜜という人が売れているらしい。

もちろん、全然知らないわけではない。たまにテレビを見る機会があったりすると、壇蜜という人が出ていたりするのを見て、その受け答えに、なんとなく頭の良さを感じさせる。

…こんなことを思った時点で、たぶん壇蜜の思う壺なんだと思うが。

たまたまインターネットのニュースで、壇蜜のインタビュー記事を読んだのだが、これがなかなか面白い。

「芸能界から退くことを常に意識している。次は立体駐車場を経営したい。なぜなら、立体駐車場は儲かるから」

立体駐車場、という言葉のチョイスがいい。

こんなことも言っている。

「以前、ミッツ・マングローブさんとお話ししたときに、人の情は4年で枯渇するってのを聞いて、すごく共感したんです。そこで意地張って頑張る人もいますが、私は毎日終わることを考えてます」

所詮、人の情なんて4年で枯れてしまうのだから、いつまでもしがみつこうとせず、退くことを考えよう、という趣旨のようである。

こうした「諦観」を感じさせるところに、壇蜜の頭の良さがあるのだろうな。

インターネットのニュースなので、どこまで本人が言った言葉なのかはわからないのだが、「人の情は4年で枯渇する」という表現が、妙にリアルである。

自分の置き換えて考えてみると、4年という歳月は、私が韓国から帰国してから今に至る時間である。

人の情などというものは、4年くらいで枯渇してしまうものなのかなあ。そう考えると、少し寂しい。

あんまりこっちが思うほど、「人の情」というものに期待してはいけないのかもしれない。

…こんなことを考える時点で、やはり壇蜜の思う壺なのか。

いや、ミッツ・マングローブか?

どっちでもいいや。

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