芸能・アイドル

話芸一代

6月2日(金)

今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のオープニングトークは、リアルタイムで聴くことができた。というか、どうしてもリアルタイムで聴きたかった。

この直前に、上岡龍太郎さんの訃報がインターネットのニュースで伝えられたからである。当然僕は、大竹まことさんのコメントを聴きたかった。訃報のニュースが出てから番組開始までほとんど時間がなかったので、どの程度のコメントを言うかわからなかったが、いざ番組が始まると、かなりの時間をとってコメントをしていた。

僕はまだ20代の頃、上岡龍太郎さんと大竹まことさんの共演する番組のウォッチャーだった。そのことは、以前に書いたことがある。

師と呼んだら怒られるかもしれない

大竹さんのコメントは、僕が以前から感じていたことと、おおむね同じようなことだった。上岡さんに対する思いが、時を経ても変わっていなかったということである。

おりしも、その3日前の「ゴールデンラジオ」で、火曜パートナーの小島慶子さんに「40歳の頃、大竹さんはなにしていました?」と聞かれて、

「上岡さんと一緒に仕事をし始めたくらいの頃かな…」

と答えていて、ああ、大竹さんは上岡さんに出会ったことが自分史の中で画期になっているのだな、と、感じていたところだった。

上岡さんの息子さんの、小林聖太郎さんのコメントが、名文である。

「お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。

昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。

とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。 小林聖太郎」

6年前に死んだ僕の父が、上岡さんと同じ病だったこともあり、「積極的治療の術がなく」「あれよあれよという急展開で」という表現が手にとるようにわかる。ちなみに父は1941年生まれ、上岡さんは1942年生まれである。僕の父と同じように、上岡さんは最期のときを迎えたのだろうと、僕は想像した。

上岡さんの名言は数多い。僕もこのブログの中でしばしば紹介している。過去の記事の検索をかけて、どんな名言を紹介したっけなと思って探してみたが、僕が大好きな名言をまだ一つ紹介していなかったことに気づいた。今から30年以上前の『鶴瓶・上岡パペポTV』での発言である。

現行憲法には、「五・七・五」になっている条文が一つだけある。第23条である。

「学問の自由は、これを保障する」

実は戦前の帝国憲法にも、「五・七・五」の条文が一つだけあった。第11条である。

「天皇は陸海軍ヲ統帥ス」

上岡さんみずからが発見したものではなく、憲法学者かだれかから聞いた話を紹介したと記憶している。

上岡さんの本領はここからである。

「憲法の条文を、全部『五・七・五』にしたらええねん。そうしたらみんなが覚えられるやろ」

「どういうことですか?」と鶴瓶。

「憲法第9条あるやろ。小難しい表現にせんと、『戦争はしません、軍隊持ちません』にしたらわかりやすいやろ」

僕はテレビの前で手を叩いて喝采した。「五・七・五」で、憲法第9条の本質が見事に表現されているではないか。

僕はこの一連の話が大好きで、ことあるごとに「うんちく」として披露している。つい最近は、僕が担当したイベントの準備をしているときに、イベント会場にあるひとつひとつの説明文はできるだけ短い方がよい、と提案して、一緒に準備をしている仕事仲間に、上記のエピソードをひととおり話した。

この話はいわゆる「テッパン」ネタのようで、万人が面白がってくれるネタである。その仕事仲間もその話の面白さに魅了されていた。

「…だから、説明文も全部「五・七・五」にしたらどうか」

と冗談で提案したら、

「面白いです!そうしましょう!」

と本気にされてしまったが、説明文を書くのは僕なのだから、全部の説明文を「五・七・五」にまとめるという至難の業は、僕自身を苦しめることになる。

結局、その試みはできなかったが、もっと準備の時間があればできたかもしれない、そうすれば、画期的なイベントになったかもしれない、と、今になって思っている。

上岡さんがいなくても、上岡さんの話芸は、僕の中で反芻し続ける。

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KOC雑感

10月8日(土)

今日の午前中は、4歳の娘の運動会だった。近くの小学校の体育館を借りて行い、終わってから同じクラスのみんなが公園に遊びに行くのにもつきあい、午後はすっかり疲れてしまった。

夜、テレビをつけると、「キングオブコント」という番組をやっていた。途中から見たのだが、驚いたことに、出場しているコントグループの名前を、ひとつも知らない。唯一知っていたのは、「吉住」くらいである。いまの自分がいかにお笑い番組から遠ざかっているかを実感させられた。

出場しているグループよりも、むしろ審査員に注目してしまう。「この笑いは、この審査員が好きそうな笑いだな」とか、そんなふうに予想しながらつい見てしまう。審査員が予想通りの点数をつけたときには、「ほらやっぱりそうだ!」と、本来の楽しみ方とは別の楽しみ方をしてしまうのだ。審査員がどんなコメントを言うのか、実はあの番組は、出場者以上に、審査員が審査される番組なのである。

コント、といっても、演者によってまるでテイストが違う。設定や台本の緻密さで笑わせるパターンもあれば、エキセントリックなキャラクターを憑依させて笑いを取るパターンもある。今回の優勝者は、どうやら後者のパターンだったようだが、これはコントに限らず、漫才師が競うM-1なども最近はそんな傾向があるような印象を受ける。もっと言えば、「このコンビ(トリオ)が優勝した場合、今後のテレビ番組のひな壇芸人として映えるかどうか」ということもひとつの基準になっているのではないかと邪推したくなってしまう。ま、そんなことはないのだろうけれど。

僕が好きだったのは、「や団」と「最高の人間」だった。設定と台本で笑わせるタイプだと思うのだが、それに加えて、ちょっとしたホラー要素があるのがよい。コントは、いろいろな楽しみ方があるし、ひたすら可笑しいだけのコントも好きだけれど、ちょっと心が揺さぶられて、観終わったあとに「いいものを観た」と思わせるコントが、僕のいちばん好きなコントである。

さまざまな作風や芸風を、「コント」という名の下に一元化して評価するのがはたしてよいのかどうか、よくわからない。文学に芥川賞と直木賞があるように、「シティボーイズ賞」とか「ダウンタウン賞」みたいな、作風の違いを認めた上で評価をしたほうがさまざまな笑いのパターンが生き残ることにつながるのかもしれないとも思うが、それもなかなか難しいかもしれない。結局は、好みの問題なのだろう。

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病院の待合室にて

2月17日(木)

車で1時間半かけて、定期診察のため病院に向かう。

大きな病院なので、あいかわらず外来の患者が多く、待合室はかなり密である。

待合室で待っていると、

「オダユウジさん、1番診察室にお入り下さい」

とか、

「オグラユウコさん、3番診察室にお入り下さい」

と、医者の先生が患者を呼び出す声が待合室中に響き渡るのだが、そういうときって、どうしても診察室に入っていく人の方を見ちゃうね。

都心の有名な病院ではなく、都外の、しかも市街地からもかなり離れた病院なので、まさか芸能人が通院しているはずもなく、同姓同名の人なのだろうけれど、それでも、どんな人だろう?と、つい診察室に向かう人の姿を確認しようとするのは、ミーハーである僕の、悲しい性(さが)である。

オダユウジさんは確認できなかったが、オグラユウコさんは、診察室に向かう姿が確認できた。もちろん芸能人ではなく、ふつうの人だったけれど、たぶん、自分が芸能人と同じ名前で、名前を呼ばれるたびに周りの注意を引くので、恥ずかしいという感覚がしみついているのだろう。顔を伏せて、ひどく足早に診察室に向かっていった。

待合室で呼ばれる名前といえば、たしかずっとむかし、ダウンタウンのコントに、病院の待合室で呼ばれる名前にまつわるコントがあった。

待合室でたくさんの人が待っている。医者が「○○さん、診察室へどうぞ」と呼び出すのだが、その「○○」の名前が、ふつうあまり聞かないような、珍奇な苗字なのである。

あまりに珍奇な名前ばかり医者が呼び出すので、みんなが驚いて、そのたびに診察室に向かう人の方を見る、というただそれだけのコントだった気がするが、僕が妙に覚えているのは、その中の苗字の一つに、「漆目八村(うるしめやむら)」という珍奇な苗字があったことだった。

本当にそんな苗字があるのか?と調べてみたのだが、どうも実際にはなさそうだ。それにしても、「うるしめやむら」という苗字を思いつく、その語感のセンスが、たまらなく面白くて、いまでも覚えているのである(病院の待合室という設定でなかったかもしれない)。

病院の待合室で思い出したが、桂文珍師匠の「老婆の休日」という落語だったか、病院の待合室での会話というのがあった。

「○○さん来てへんけどどないしたん?」

「風邪引いて休んでるわ」

これがたまらなく面白かった。

今年の正月に演芸番組を見ていたら、桂文珍師匠がテレビで新作落語をやっているのを久しぶりに見た。スマホの操作がわからない老人を主題にした内容で、腹を抱えて笑った。

桂文珍師匠は、僕が若い頃はバラエティ番組によく出ていて、本業の落語よりもそちらでの露出が目立っていた気がする。週末のニュース番組で政治のことを語ったり、上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶の「パペポTV」の向こうを張って、西川きよしと「目玉とメガネ」というトーク番組を始めたが、当時は観ていて、さほど面白いとは感じなかった。文珍はどうもインテリに憧れているという印象を拭えなかったのである。

しかしここへ来て、桂文珍師匠の落語の面白さにようやく気づいた。やはりこの人は落語の人なのだ。たいへん不遜な言い方だが、さまざまな雑味が濾過されて、純粋に落語の面白い部分だけが残った、ということであろうか。いや、桂文珍師匠のことをたいして知らないくせに、こんなことを言うのは、やはり不遜である。

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自虐ではなく、讃歌

12月12日(日)

さて、今日から24日までの約2週間は、怒濤の日々である。

手始めの今日は、午前中に2時間半のオンライン会議を行った。僕が責任者となって行う、約1年後に控えたイベントに関する会議である。当然、僕が会議の司会進行役なので、2時間半の間、まったく気が抜けない。

(とうとう始まったか…。あともどりはできないな…)

すでに頭を使いすぎてグッタリ疲れてしまった。

午後、というか夕方は、自宅を出て、新幹線で2時間以上かかる北の町に出張である。午前中の会議の件とはまったく別の仕事なので、頭を切り替えなければならない。この「頭を切り替える」という作業が、なかなか大変である。クールダウンが必要なのだが、なかなかその時間がとれない。強いていえば、新幹線の中が、クールダウンの時間である。

新幹線の中でちらほら考えたこと。

NHKのドラマ「阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし」の影響もあって、家ではすっかり阿佐ヶ谷姉妹づいている。3歳8ヵ月になる娘は、もうすっかり阿佐ヶ谷姉妹の虜になり、「阿佐ヶ谷に行きたい」と言い出した。24日まではまったく時間がとれないので、年末に阿佐ヶ谷に連れて行く約束をした。もちろん北口。

数年前まで僕は、阿佐ヶ谷姉妹の二人の区別がつかなかった。

ドラマの「のほほんふたり暮らし」第5回では、姉のエリコさんが、コンビではなくピン(一人)で仕事をする機会が増えたエピソードを紹介している。僕はその場面を観て、

(そういえば何年か前、エリコさんがピンで仕事をしていたな…)

と思って、思い出したのが、当時深夜に放送されていた、「かりそめ天国」というバラエティー番組だった。

2017年頃だったと思う。その番組の中で、駆け出しの芸人がいろいろなことに挑戦するというコーナーがあったのだが、僕が強烈に覚えているのが、「阿佐ヶ谷姉妹のうちの一人が、まる一日、フランス料理のフルコースを食べ続ける」という企画だった。

なるほど、あのときはたしかにエリコさんがピンで仕事をしていたなぁ。ドラマで描いていたのはこういうことだったのだな、と思っていたら、それがとんでもない間違いであることがわかった。

調べてみると、まる一日フランス料理をフルコースを食べ続けるという企画に挑戦していたのは、姉のエリコさんの方ではなく、妹のミホさんの方だったのだ!

…と、ここまで、阿佐ヶ谷姉妹にさほど興味のない人が読んだら、「そんなことどっちでもいいじゃん!」と思うかもしれないが、さにあらず。ここが重要なのである。

僕はその番組を観ていたとき、そのロケをあまりにそつなくこなしていたから、後になってだんだんわかってきた二人のキャラクターの違いから、てっきり姉のエリコさんの方だと、僕の中の記憶が上書きされていたのである。エリコさんがピンで活動していた時期は、その番組よりももっと古く、2012~2013年頃だったそうだ。

つまり何が言いたいかというと、当時はそれほど、僕の中で二人の見分けがつかなかったのである。

二人の見分けがつくようになったのは、阿佐ヶ谷姉妹が2020年の春から文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」の月曜パートナーになった頃からである。

いや、正確に言えば、最初はラジオを聴いてもあまり区別がつかなかった。転換点となったのは、2020年6月、阿佐ヶ谷姉妹がよく通う「朝陽」という中華料理屋さんのエアコンが壊れて、修理をどうしようか、ということを2週にわたってオープニングトークで姉のエリコさんが話したときである。何ということのない話なのだが、エリコさんの話し方がまるで落語を聞いているようで、思わず聴き入ってしまった。このときから僕は、阿佐ヶ谷姉妹の二人の個性、というものを、はっきりと認識するようになったのである。

二人の個性を認識するようになってから、阿佐ヶ谷姉妹の真の面白さに気づいた、と、こういうわけである。

いまや阿佐ヶ谷姉妹の漫才やコントの「おばさんネタ」は、安定した面白さを誇っている。しかしそれは、決して自虐ではない。おばさんに対する肯定であり、讃歌なのだ。その点がいま、阿佐ヶ谷姉妹が支持されている最大の理由なのではないかと思うのだが、いかがだろう。

この国の社会では、長らく「おばさん」という言葉に、揶揄や侮蔑的な意味合いが込められていたのではないかと思う。しかしその意識を根本から変えてしまう可能性を、阿佐ヶ谷姉妹は持っている。同じくジェーン・スーと堀井美香アナのコンビも、ポッドキャスト番組「OVER THE SUN」の中で意識改革をうながしている。両者はまったく異なるアプローチの仕方だが、同じ高みへと向かっている気がしてならないのである。

そういえば、武田砂鉄氏は、「のほほんふたり暮らし」のドラマ評として、こんなことを書いていた。

「これから、世界に平和が訪れる可能性ってかなりわずかだと思うのが、わずかだけ残っているとしたら、「その人(たち)がそう思ってるならそういうことでいいじゃないか」と思える場面をいかに増やせるかだ」(「ワダアキ考 テレビの中のわだかまり」2021年11月24日)

阿佐ヶ谷姉妹の生き方に世界平和の可能性を見いだす武田砂鉄氏。それになぞらえて僕もちょっと大げさな言い方をするならば、阿佐ヶ谷姉妹の生き方は、究極のSDGsなのではないか、と思う。もっとも、SDGsの意味はよく知らないんだけれども。

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「推し活」は私を救う

「落ちる」というのは、「恋に落ちる」という意味ではなく、「沼に落ちる」という意味なんだね。

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、木曜パートナーの小島慶子さんが、国連演説をしている韓国のアイドルグループ・BTSに興味を持ったと思ったら、

「気がついたら沼落ちしていたんですよ」

という。生まれてこの方、アイドルに無縁だったという小島慶子さんが、ふとしたきっかけで、アイドルの沼に落ちた。その瞬間、それまでの自分の思考の枠組みから解放され、新たな世界に気づいたというのである。

最近は、ジェーン・スーさんも、「推し活」をしているという。「推し」の対象は明らかにしていないが、「推し」を中心にした生活にガラリと変わったという。

この国において、「推し」のルーツは、「ヨン様」こと、ペ・ヨンジュン氏ではないかと思う。それを感じたのは、10年以上前に、韓国に1年ほど留学したときであった。

韓国のある田舎町の施設に行くと、受付の所にペ・ヨンジュン氏のサインが飾ってある。

たまたま、その受付に、日本人の方がいたので、聞いてみた。

「あれは、ペ・ヨンジュンさんのサインですよね」

「ええ」

「なぜこの場所にサインがあるんですか?」

「それは、ペ・ヨンジュンさんが韓国のよいところを紹介するための旅行エッセイを書くということで、この町に訪れたんです」

「そうなんですか」

「で、その本を読んだ日本のヨン様ファンの方が、次々とこの町に訪れたんです」

「なるほど、そうだったんですか」

僕はそれを聞いて、心底からヨン様ファンを尊敬した。

だって考えてもみたまえ。ヨン様ファンからしてみたら、その場所は「聖地」なのである。だがその「聖地」は、お世辞にも、交通の便がいいところとはいえない。最寄りの駅からもかなり離れた、陸の孤島のような場所なのである。

しかし日本のヨン様ファンは、「ヨン様と同じ空気を吸いたい」と思う一心で、韓国語を勉強し、韓国の地図を見て、電車の乗り方を覚え、さらにはタクシーを乗りこなして、陸の孤島のような町を訪れるのである。そこまで至るのに、どれだけのスキルアップをしたことか。その当時は「推し」なんて言葉はなかったが、今ならば立派な「推し活」である。

何度でも書くが、「推し活」は、決して世界を狭めはしない。むしろ世界を広げるのである。

そういえば、「前の職場」にいた頃、ある職員さんから、こんなことを頼まれたことがある。

「先生、今度、韓国に出張に行かれるんですよね」

「ええ、そうですけど」

「一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「韓国海苔をお土産に買ってきてください」

「それはかまいませんけど、いったいどうしてです?」

「実は僕の妻がヨン様の大ファンでして、韓国に行けなくても、ヨン様と同じ空気を感じたい、と思っているようでして」

「海苔でいいんですか?」

「ええ、海苔で十分だそうです。韓国から運んでいただいたというだけで、ヨン様と同じ空気を感じることができるんだそうです」

「そうですか。わかりました」

と、それほど高くない韓国海苔をお土産に買ってきて、ひどく喜ばれたのだった。

「推し活」は生きる希望を与えるものであり、自分の知識や世界を広げる最も理想的な方法なのではないだろうか。

…と、ここまでが前フリ。

小学校4年になる姪は、テレビ朝日のドラマ「科捜研の女」の大ファンである。姪からしてみると、「マリコ」こと、沢口靖子が「推し」の対象なのである。

レギュラー番組はもちろんのこと、つい最近ロードショー公開された、「科捜研の女 劇場版」をかぶりつきで観に行ったというのだから驚きである。

「『科捜研の女 劇場版』って、テレビで十分なのに、あんなもの、わざわざ映画にして、誰が観に行くんだろうね?うっひゃっひゃっ」

とバカにしていたら、いたねー、身近に。

姪は母親と二人で観に行ったらしいが、小学校4年生の姪と同じ熱量を持つ観客は、いなかったらしい。

さて今日。

職場の一斉メールに、「テレビ放映のお知らせ」と題するメールが来た。職場の同僚がテレビに出演したりすると、その情報を共有するメールが来るのである。

テレビ朝日ドラマ番組において、同僚の○○さんが監修された回につきまして、以下の通り、テレビ放映されますのでお知らせいたします」とあり、番組名を見たところ、それが「科捜研の女」だったのである。

その情報を、妻を通じて姪に伝えたところ、

「おじさんの同僚が『科捜研の女』を監修したと伝えると、興奮した姪が、おじさんの同僚のサインがほしいと言いだした。マリコ(沢口靖子)に会ってもいないと思うけど、と言ってもきかない。『関係していることがすばらしいんだ』って」

さあ、「推し活」をしているあなたなら、この心理はおわかりでしょう。

これこそが、「推し活」の真髄だ、ということを。

ヨン様が好きすぎて、同じ空気を吸いたいあまりに、韓国海苔のお土産をねだった人と、どこがどうちがうのだろうか?同じではないか。

さて、僕はその同僚にサインをもらうべきか?

「小4の姪が『科捜研の女』の大ファンなので、サインをください」

と頼むのは、どうかしている。韓国海苔を買うのとはわけが違うのだ。サインは諦めてもらうことにしよう。

しかし、これだけは言える。

姪は「科捜研の女」に「落ちた」ことによって、確実に、同学年の他のお友だちよりも、科学捜査に関する知識が詳しくなったのだ。

これが、姪の将来に影響を与えるかもしれない、という無限の可能性に、おじさんとしては、期待したいのである。

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「○○じゃない方」とは言わせない

10月1日(金)

ここ15年の間、僕は「お笑い界」というものにまったく疎くなってしまったのだが。

お笑い芸人・ハライチの岩井勇気を初めて認識したのは、いまから2年ほど前、NHKの「ETV特集」で、ある歴史上の実在の人物を取り上げた番組の、再現ドラマの中で、その人物を演じていたのを観たときである。

ずいぶんと古風な顔立ちの人だな、と思いながら見ていくと、その実在の人物を写した古い写真が、黒縁眼鏡をかけた岩井勇気の顔とそっくりだったので、なるほど、顔立ちでキャスティングしたのかもしれない、と思ったが、お笑い芸人とは思えないほど、誠実な演技だった。

ちなみに、その実在の人物の、気丈な妻の役を演じたのは、伊藤沙莉である。伊藤沙莉という俳優も、その番組を観て初めて認識をした。その後、注意深くテレビを観ていくと、志村けんのコント仕立てのドラマでも志村けんの相手役として共演していたことを知り(2018年にNHKで放送された「志村けんin探偵佐平60歳」が昨年、再放送されていた)、なるほどもともと芸達者な俳優さんなんだなと得心がいったのである。

そういうつもりで観ていくと、伊藤沙莉はいくつものテレビCMに登場する売れっ子の俳優なのだということも、わかってきた。しかも最近は、岩井勇気と伊藤沙莉が夫婦役を演じるCMがあることにも気づき、この二人を夫婦にするというキャスティングは、2年ほど前のETV特集がきっかけなのだろうかと勝手に思ったりした。それほどあのETV特集は、地味な内容ながらも岩井勇気と伊藤沙莉の二人を僕の記憶の中に深く刻んでいたのであった。

僕はそれまでずっとハライチの漫才を、テレビではいつもぼんやりと見ていた。向かって左側の人が無表情で「○○の○○」と言ったことに対して、向かって右側にいる澤部(この「澤部」という名前だけは認識していた)が、大声を張り上げて必死にボケまくるという漫才のスタイルを、なんとなく認識していた、という程度である。しかしそのETV特集を見て以降、左側で無表情で「○○の○○」という珍奇な言葉を繰り出していた澤部の相方を認識するようになり、その漫才が俄然面白いと感じるようになったから不思議である。

そうこうしているうちに、ハライチの「澤部じゃない方」である岩井勇気がエッセイ集を出し、そのエッセイ集が評判で、しかもかなり売れたと聞いて(実は僕は未読なのだが)、僕はそこでまたETV特集のことを思い出したのであった。そうなるともう僕の中では、「澤部じゃない方」ではなく、はっきりと「岩井勇気」である。

むかしテレビで観たのだが、まだ売れてない頃の爆笑問題の太田のことを評価していた立川談志が、太田に対して「(相方の)田中を絶対に手放すなよ」と言っていたのが印象的だった。漫才のボケを担当する太田の方が世間的には面白いと思われているのだが、それは太田ひとりで成立する面白さではなく、田中がいてこその面白さだ、ということに、談志は早くから見抜いていたのだろう。

それに近いこと、というか、より本質的なことを、上岡龍太郎が言っていた。コンビはボケ担当の方が面白いと一般的には言われているけれども、相方の面白さに気づけば、その漫才コンビがよりいっそう面白いと感じるようになり、そのコンビに対する愛着がいっそう深まっていくのだ、と。そのときに例としてあげていたのは、たしか漫才コンビの「トミーズ」だったと記憶する。トミーズ雅のボケの面白さが目立つのはあたりまえだが、その横にいるトミーズ健(彼も「雅じゃない方」と言われるような地味な存在である)の面白さに気づいたときに、トミーズの漫才はそれまでとは格段の違いでいとおしく感じるようになる、という、いかにも上岡さんらしい分析である。そう言われてみれば、お笑いコンビの「バイキング」も、小峠の相方である西村の面白さに気づいたとき、僕の中で面白さのフェーズが変わったのであった。

それまで自分の中で認識していなかった人を、何かをきっかけに面白い人だと気づき、それまで見ていた世界とはまったく違う世界が立ち現れてくる、というのは、なかなか楽しいものである。

ちなみに「ハライチ」というコンビ名が、二人の出身地である埼玉県上尾市原市(ハライチ)に由来するということを、今日放送されたTBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」を聴いてはじめて知った。「森三中」とか「北陽」みたいなコンビ名だったのか。

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館プロ

クールス

史上最強のどーでもいいニュース

「どーでもいいニュース」シリーズ。第3弾

俳優の舘ひろし(71)が、石原プロ解散後に、自身の新事務所「館プロ」を立ち上げた。

…なんか、「どーでもいいニュース」シリーズに、舘ひろしが登場する確率が高いようなのだが、誤解のないようにいっておくと、僕は舘ひろしのファンである。僕は舘ひろしと直接交流のある人を通じて、舘ひろしがいかにいい人か、ということを、むかし、聞いたことがある。

僕が驚いたのは、館プロに所属するタレント数名の中の一人に、ある名前を見つけたからである。

それは、竹内夢(21)さんである!

竹内夢さんといったら、あーた、NHKの子ども番組「おとうさんといっしょ」のゆめちゃんである!

かわいい絵本のなかから飛び出してきたような出で立ちで、子どもたちにも好かれ、それでいて歌もミュージカル俳優なみ実力を持つ、言ってみれば理想の「歌のおねえさん」である。

え、その人が館プロに?ギャップがありすぎるだろ!

インターネットのニュースでは、

「館は「どこかで石原プロの匂いをさせたい。映画作りの情熱とおはぎを踏襲してコロナが落ち着いたら神主を呼んで、餅つきをして事務所開きをしたい」と茶目っ気たっぷりに構想を明かした。」

という舘ひろしのコメントを紹介している。てことは、やる気だな、「西部警察」。

竹内夢さんが刑事役としてカーアクションに挑戦して、最後は車が炎上するなかから脱出する、という姿を想像して、思わず笑ってしまった。

ね?どーでもいいニュースでしょう?

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漫談

すこぶる体調が悪い。

それは、仕事への気力をそぐほどのものなのだが、体調不良の個人的要因と、構造的要因は、なんとなく想像がつく。だがそれを細かく書くこと自体、気力や体力を必要とするので、気力や体力の余裕があるときにあらためて書くことにする。

動画サイトをあさっていたら、NHKーFMで1984年放送されていた「タモリのジャズ特選」という番組があったので聴いてみた。タモリが自身のレコード・コレクションから厳選したナンバーを掛けながら、曲にまつわるエピソードやウンチクを語るといった内容なのだが、実際に聴いてみると、タモリが一人で立て板に水のごとく、ときに冗談を交えながら漫談をしていて、これが聴いていて実に心地よい。

この「立て板に水の漫談」の感覚、何かと共通しているなあ、と思ってよく考えたら、伊奈かっぺいの漫談を聞いたときの感覚と、非常に近いものがあった。あくまでも僕自身の感覚だが。

もちろん、青森の伊奈かっぺいと福岡のタモリでは、おそらく小さい頃からの言語形成がまったく異なると思うのだけれど、話術というか話芸を極めれば、ある究極のスタイルに行き着くのではないか、という気にすらさせてくれるのである。

久しぶりに、漫談あるいはひとり語りといったものに注目したくなった。久しぶりに、伊奈かっぺいの漫談を聴いてみようか。

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いていたら、きたろうが、いまYouTubeでおもしろいのは、「街裏ぴんく」という芸人の漫談だ、この人の漫談がむちゃくちゃなのだが、その熱量がすごい、と絶賛していた。

それを聞いて、僕も聴いてみたのだが、たしかにむちゃくちゃでおもしろい。「ちょっとどうかしている」話を、「鶴瓶噺」のような話法で、さもほんとうにあった体験かのように、観客を強引にその世界観に引き込んでしまう。ああいう発想はどこから来るのだろう、とただただ感服するばかりである。

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静観

人気お笑い芸人が、反社会的勢力の忘年会に出たということで、大手芸能プロダクションから契約解消を言い渡され、それを受けて二人のお笑い芸人が、謝罪の会見を行った。

その謝罪の会見は2時間半にも及んだそうだが、その中で、大手芸能プロダクションと所属芸人との間のやりとり、というのが明らかにされた。

僕はその大手芸能プロダクションが好きではないし、所属の芸人たちに対する思い入れもない。なのでこの騒動自体に関してはなんの興味もないのだが、ただ、その会見内容は、実に興味深いものであった。

当初は、芸人たちが、反社会的勢力の忘年会に出た、ということで、謹慎処分が下されたが、その後、芸人たちがギャラを受けとっていたのではないか、という疑惑が出てきた。

会見を開いた芸人の話によれば、5年も前の出来事なので、自分たちは、ギャラをもらったかどうかの記憶が定かではなかった。そこで、当初は「ギャラは受けとっていない」と取材に答えていた。

ところが、のちに複数の芸人の記憶をたどっていくと、実はそのときにギャラを受けとっていたという事実が判明した。

そうなると話は別である。反社会的勢力が違法行為によって被害者から奪い取ったお金を、お笑い芸人たちがギャラとして受けとっていたことになるからである。

お笑い芸人たちは、自分が所属する大手芸能プロダクションにそのことを正直に告白し、「このことを正直に公表して謝罪をさせてほしい」と会社に懇願した。

ところが大手芸能プロダクションは、「いまさら(事態を)ひっくり返すわけにはいかない」として、ギャラを受けとったという事実を公表するのを見送ったのである。当初の取材で「ギャラは受けとっていない」と答えていたことを、いまさら覆すわけにはいかない、ということなのだろう。

そのとき、社長を含めた社員たちは、「会社としては静観でいく」という方針を決めた。つまり、ギャラを受けとったという事実をあえて公表はせず、事態の推移を見守る、ということである。

結果的にこの方針がきっかけで、大手芸能プロダクションと所属芸人との関係がこじれにこじれ、問題を大きくさせ、最終的には「契約解消」という事態をもたらし、芸人による記者会見で大手芸能プロダクションの悪辣性が白日の下にさらされる結果となった。

どう考えても、ギャラを受けとっていたという事実がわかった時点で、大手芸能プロダクションと所属芸人がそろって謝罪会見を開けば、ここまで問題がこじれることがなかったはずである。

なぜ、このような「どーでもいい会見」に僕が注目したのかというと、ここで使われている「静観」という言葉を会見で聞いて、あることを思い出したからである。

それは、ポツダム宣言である。

1945年7月、ポツダム宣言を確認した日本の政府は、もはや戦争継続が困難という見方もあり受諾やむなしとの空気もあったものの、当面の間は一切の意思表示をせず「静観」するという方針を決めた。そうした方針が、次第にこじれていき、結果的にさらに大きな悲劇を生んだことは、歴史の事実である。

「静観」という言葉が引き起こした悲劇という点で、両者は共通していると僕は見ている。「静観」という態度が、しばしば取り返しのつかない事態を引き起こすことがあるのだということを、歴史は教えてくれているように思う。

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史上最強のどーでもいいニュース

このブログも今やすっかり閑古鳥が鳴いているし、体調もアレな感じなので、超どーでもいい話を書く。

以前、「クールス」という、どーでもいい話を書いたことがあるが、それをはるかに凌ぐ、どーでもいい話である。

最近のいちばんの衝撃的な芸能ニュースといえば???

そう!最近テレビで大活躍している、あのアラフィフのミュージシャンの衝撃的な事件ですよ!!!

…ここまで書いてもおわかりでない?

高嶋ちさ子の「仕事セーブ宣言」のニュースですよ!

なんといっても芸能界に衝撃が走ったニュースが、これですよねえ。

…という冗談はさておき。

「高嶋ちさ子が仕事セーブ宣言をした」というニュース自体、心底どーでもいいニュースである。何でこんなことがニュースになるんだ???

このニュース自体、どーでもいいニュースなのだが、これに輪をかけてどーでもいい記事をインターネットで見つけた。

「フジ軽部アナ、高嶋の近況「とにかく多忙」仕事セーブ宣言に理解 伊藤アナが明かす

デイリースポーツ/神戸新聞社 2019/03/12 09:55

フジテレビの伊藤利尋アナウンサーが12日、同局の「とくダネ!」で、仕事セーブを宣言した高嶋ちさ子について、一緒にコンサートを行っている軽部真一アナウンサーから聞いた高嶋の近況を明かした。

番組では、高嶋の家庭優先、仕事セーブ宣言の反響について特集。高嶋は10日のブログで「今後、平日のお仕事は、子供が学校から帰宅する時間までに終わる物しか絶対にお引き受けしません。例外もなくします」と宣言。「私は仕事人ではなくお母さんなので、仕事はセーブさせて頂きます。それで干されても良いです。このままだと息子に干されそうなので」と、子供を最優先にしていくことを誓っていた。

この内情について、小倉智昭は「ちさ子さんに関しては、軽部アナウンサーが一番よく知ってると思うんだけど取材したの?」と伊藤アナに尋ねた。

軽部アナは長年高嶋と一緒にクラシックコンサートを行っており、公私にわたって親交が深い。伊藤アナは「ですから、特に下のお子さんの今の状態については、とっても気をもんでらっしゃるところもあって。その子のためにというところはあるようですが」とコメント。

「ただ、とにかく近年、超多忙だという中で、ちさ子さん流のブレイク宣言をかけられたのかなあと、そういう趣旨でした」と軽部アナから聞いた高嶋の最近の様子を明かしていた。」

この記事、すごくない?最初読んだとき、ラジオのハガキネタかと思った。

「フジテレビの伊藤利尋アナが、軽部真一アナから聞いた高嶋ちさ子の近況を明かした」って、どんだけ間接的な情報なんだよ!!!

で、聞いた結果が、「とにかく多忙」って、何にも言ってないに等しいじゃん!

ま、テレビで見たことやラジオで聴いたことをそのまま記事にするのは、最近よくあることだけど、その中でも、この記事はダントツのどーでもいい記事ではないだろうか。

子どものころ、新聞記者とか雑誌記者になりたいと思っていたのだがなあ…(小学校の卒業文集にそう書いた)。

まことに不可解な時代となってしまった。

記録として書きとどめておく。

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