趣味

話の極意

12月9日(月)

スマホのYouTubeを開いたら、おすすめの動画として「ナイツ塙会長の自由時間」というチャンネルがあがっていて、伊集院光さんがエピソードトークの極意について塙さんと語っていた。1年前の動画のようで、僕は初めて見たのだが、これがめちゃくちゃおもしろかった。

若い頃、伊集院さんのラジオは毎週欠かさず聴いて、その話術というか話芸の面白さの虜になっていたのだが、その話芸の極意がかなりロジカルに語られていた。僕が若い頃に、伊集院さんの話芸のコツについて漠然と考えていたことが、理論化、言語化されていて、僕は溜飲が下がったのであった。

リスナーにわかりやすく面白く伝えるために、若手芸人5人と飲んだことを2人で飲んだことにして話がややこしくならないようにするとか、2回に分けて行った場所について、それをそのまま話すとややこしくなるので1回の話にまとめてしまうとか。それはラジオの尺を考えながらそのときの判断で話を組み立てる、というのである。

伊集院さん本人はそのことを「話を盛る」と表現していたが、「盛る」というよりも「組み立てる」とか「組み換える」といった方がふさわしいのかもしれない。

僕も長らくラジオを聴いていて、漠然とそんなことを感じていたので、それが言語化されたことにちょっと感動した。

こんなことを書くと「おまえそれは後付けだろ!」と叱られてしまうかも知れないが、このブログもそんな感じで書いている。エピソードじたいは本当の出来事でも、時間の前後を入れ換えたり、不必要なことは省いたり、会話を足したりしている。

伊集院さんは「(初めてこのラジオを聴いてくれる)リスナーを置いてきぼりにしない」とも言っていて、実際にラジオのトークではそうならないように話の端々に補助線を引いていたことを思い出す。

一番よくないのが、エピソードの全部を話そうとすること、あるいはエピソードの本筋とは関係ないことまで話そうとすることだと言っていて、これにも同感だった。要するに全部を説明しようとするのはよくないということである。

僕は前の職場にいた頃、若者たちに「知ってることとか調べたこととかを全部書こうとするのはよくない。文章の極意はそれらを如何に捨てるかということである」と、偉そうに指南していた。今から思うとまことに恥ずかしいが、あながち間違っていなかったのではないかと思う。

自分がそのことをできているかははなはだ心許ない。実際、これだけクドい文章を書いているということは、まだまだ修行が足りないということなのだろう。

| | コメント (0)

○○噺

11月30日(土)

入院してからというもの、ふだん聴いているラジオ番組やPodcast番組を聴かなくなってしまった。Barakan beatも聴かない。武田砂鉄さんや大竹まことさんのラジオ番組も聴かない。Podcastの雑談番組も聴かない。入院中ならばやることもないので聴きそうなものだが、僕の場合はラジオ番組などを聴く習慣が日常生活と密着していて、入院などの非日常的な環境に置かれると途端にその習慣にしたがうことに疲れてしまうのだろう。

そんな中で唯一聴いたのがTBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」でピン芸人の街裏ピンクさんがゲスト出演した回である。武田砂鉄さんと街裏ピンクさんの対談の部分だけを聴いた。

街裏ピンクという芸人について初めて知ったのは、ずいぶん前に文化放送「大竹まことのゴールデンラジオ」で、週1レギュラーのきたろうさんが紹介しているのを聴いてからである。僕はきたろうさんの「お笑い鑑識眼」を信じているので、きたろうさんが面白いと思った芸人は絶対に面白いはずだと信じて疑わない。「可笑しいんだこれが」の一言がキラーワードだ。

YouTubeで街裏ピンクさんの漫談を観たらこれがやたらと可笑しい。最初から最後まで嘘の話をさも本当の出来事のようなリアルな口調で語る。ライブに来ているお客さんもそのファンタジーの世界に身を委ねて頭の中で想像しながら笑い転げている。

すでに指摘されていることかも知れないが、これは「鶴瓶噺」の虚言版である。「鶴瓶噺」は若い人は知らないと思うが、笑福亭鶴瓶師匠が、自分の身のまわりで起こったことを細部にわたって描写して面白可笑しく語る漫談だ。もちろん構成などが練られていて一種の新作落語とも言えるのだが、時折「(この話)ホンマやで!」という台詞が差し挟まれ、嘘のような本当の話が繰り広げられるのである。

街裏ピンクさんの漫談にも時折「ホンマやで!」の台詞が差し挟まれる。しかしこちらの方は完全な虚言版である。そのことをわかっていてお客さんは楽しんでいる。僕はそれに加えて「鶴瓶噺」を聴いているつもりで楽しんでいる。

| | コメント (2)

アイス論

9月12日(木)

TBSラジオ「東京ポッド許可局」の「アイス論」が面白かった。

この番組は、マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオの3人の芸人がおじさんトークをくり広げるのだが、冒頭は毎回「○○論」と題して、なんとなく一つのテーマを決めて、あーでもないこーでもないと雑談をする。

アラフィフのおじさん3人が、「何のアイスが好き?」とか、「どんなときにアイスを食べるの?」など、「アイス」について真剣に語り合っている様子は、それだけで微笑ましい。とくにマキタスポーツさんは、テーマが「食」に関係するものになると、途端にヒートアップする。

たとえば、こんな発言。

「世の中でいちばんうまい食べ物ってアイスだと思うんですよ。

アイスって、学習が必要ないじゃないですか。いきなり美味いんですよ。たとえばミョウガは経験と学習が必要でしょう?

子どもにソフトクリーム食べさせると、脳みそがのっとられているんだよ。完全に操縦桿にぎられてるんですよ。

口があやされている感じになっているんですよ。

アイスほど口をあやしてくれるものはないと思うんですよ」

と力説する。「世の中でいちばん美味い食べ物はアイスだ」という発言はあまりにも極論だが、なんとなくそうなのかなあという気になって聴いてしまう。「アイスは口をあやしてくれる」という表現は詩的だ。

ところがほかの2人に、

「マキタさん、それ10年ほど前にも同じこと言ってましたよ」

「同じ語り口でしたよ」

と突っ込まれる。10年ほど前の回でも「アイス論」というテーマで雑談をして、そのときも同じことを言っていたらしい。つまりブレていないのである。というか、すっかり忘れて同じことを言っている。僕も彼らと同世代のおじさんなので、以前に言ったことを忘れて同じことをくり返し言ってしまうのは、よくわかる。つまりこの番組は、おじさんを相対化する番組として聴くと楽しめるのだ。

| | コメント (0)

想像力の起点

10月11日(水) 後半

検査の結果は、なかなか思わしくなく、さすがの僕も落ち込んだのだが、そんなときに気持ちを救ってくれるのは、やはり運転中に聴くラジオ番組である。

10月9日(月)放送分のTBSラジオ「荻上チキ Session」の7時台を、radikoのタイムフリーで聴く。

TBSラジオはこの10月から大幅な改編がおこなわれ、「荻上チキ Session」は6時から9時の3時間放送となった。

10月9日(月)は、メインパーソナリティの荻上チキ氏が取材のためお休みで、代打のパーソナリティは武田砂鉄氏である。

7時台の「フロントラインSession」は、日替わりコメンテーターが気になるトピックを取りあげて話す、というコーナーである。

このときの日替わりコメンテーターは、ラッパーのダース・レイダー氏。

とりあげるトピックは、「イスラエルとパレスチナの戦いの歴史を、自分史をまじえて話をする」というものだった。

10歳のときまでロンドンに住んでいたダース・レイダー氏は、その地区に多く住んでいたユダヤ人の子どもたちと仲良くなる。そこにはアラブ人の家族も住んでいて、ほどなくしてアラブ人の子どもとも友だちになる。みんな国籍とか民族とかに関係なく遊んでいた。

ところがあるとき、ユダヤ人の子どもとアラブ人の子どもが激しいケンカを始める。ダース・レイダー少年には、二人がなぜケンカを始めたのかわからない。そのうちアラブ人の子どもは遊びに参加しなくなり、やがて家族ともども引っ越してしまった。

どういうことなんだろう?ほどなくしてダース・レイダー少年は知ることになる。イスラエルとパレスチナの戦争のことを。

それ以来、その戦争が起こるたびに、ダース・レイダー氏は、あのときのユダヤ人の友だちとアラブ人の友だちの顔を思い出す、という。

戦争を知るって、どういうことだろう?

情勢分析をしたり犠牲者の数を把握したりして知識を増やすことが、戦争を知ることになるのだろうか?

ダース・レイダー氏の場合、あのころの友だちの顔を思い出すことが、「戦争への想像力」の起点となった。

世論の空気になんとなくなびかされそうになったときに、そうした自分なりの想像力の起点、というか、トリガーというものを持っておくことが大事なのではないか。

…という話を聞いて、前に読んだ『あのころはフリードリヒがいた』をなんとなく思い出した。

| | コメント (0)

夜が来たぞー!

10月11日(水)

朝8時、5歳の娘を保育園に送ったあと、検査と診察と治療のために車で1時間ほどかかる総合病院に行く。今日はたいへんだ。なにしろ分刻みで複数の検査と診察と、定例の治療をおこなうことになっている。終了予定時刻は16時半。そこから車で急ぎ帰宅して、18時の保育園のお迎えに行かなければならない。時間との勝負である。

病院での診察結果にふさぎ込まないように、テンションを上げていかなければならない。例によって、運転中に聴くラジオ番組がその助けとなる。

往路は、10月7日(土)放送分の文化放送「シティボーイズファイナルPart.2 SAYONARAシティボーイズ」を聴く。

毎回、冒頭に3人によるラジオコントが繰り広げられるのだが、この回のコントは、シティボーイズの世界観がもっともよく現れていたもので、秀逸だった。

夕陽の綺麗な港町に、東京からひとりの男(大竹まこと)が訪れる。その男に話しかける地元の男(斉木しげる)は、旅の男を「ワケあり」の男とみて、旅の男に、「しばらくこの町でお過ごしなさい。そのためには仕事を見つけなければなりませんね」と提案する。

「あなたのお仕事は?」と旅の男が尋ねると、地元の男は「夜が来たことを知らせる仕事です」と答えた。

その答えに、旅の男はやや不気味な印象を持つ。

電話の相手にやたらと忙しいと連発している男(きたろう)がいる。

「あの人は、ずいぶんと忙しそうですね」

「あの人の電話はだれにもつながっていません。『電話で忙しいふりをする仕事』をしているのです」

旅の男はますます訝しむ。

やがて夕陽が沈む。すると男は突然、大きな声で何度も叫び、町中を駆け回る。

「夜が来たぞー!夜が来たぞー!よーるがきたぞー!!」

…斉木しげるさんのその叫びを聞いて、僕は吹き出してしまった。「夜が来たぞー!」という何の変哲もない台詞なのだが、それを斉木さんが叫ぶだけで、やたらと可笑しいのである。

このあとコントは少しばかり続くのであるが、そこは省略する。

コントが終わって一呼吸置くと、今度はコントをふり返る3人のトークが始まる。まるで童話のような(不思議な世界観の)コントだなあという総評のあと、大竹さんが斉木さんを大絶賛する。

「あの『夜が来たぞー!』という(狂気じみた)セリフは斉木さんにしかできない。だいたい、斉木さんの狂気は何に向かっているのかわからないよ。俺は対象がないと狂気って出せないんだけど。そこがすごい」

僕はこの大竹さんの言葉に、30年来のファンを自称していながらシティボーイズのコントの本質がようやくわかったような気がした。

そしてそれをおもしろがる3人。こりゃあそんじょそこらの信頼関係ではないぞ。年を重ねても、そういう信頼関係が揺らがない3人を、うらやましく思う。

帰路で聴いたラジオについても書こうと思ったが、それはまた別の話。

| | コメント (0)

おじさんチャージ

9月26日(火)

10月の第3週の週末に某国が主催する国際会議、11月の第2週の週末に韓国が主催する国際会議で、いずれもオンライン登壇することになり、引き受けなければよかったと後悔している。

といっても、引き受けないという選択肢はなかった。某国のそれは例のスジの悪いプロジェクトなのだが、無碍に断ると国際問題になる。韓国のそれは、知り合いからの依頼なので断ることができなかった。ともに現地参加が前提の会議なのだが、現地参加ではなくオンライン参加にさせてください、そうでないと引き受けられません、というのがせめてもの抵抗だった。

国際会議と偉そうに言っているが、そう呼んでいるだけで、実際には「国際会議ごっこ」ともいうべき会合にすぎない、と僕は踏んでいる。3カ国以上集まらないと「国際会議」とは名乗れないそうで、要は数合わせのために僕が呼ばれたのである。

そのためだけに現地参加するのは僕にとっては「限られた体力の無駄遣い」となってしまうので、オンライン参加というわがままを聞いてもらった。というより、もともと日程的に現地参加が無理だったんだけどね。

多分に儀礼的な会合とはいっても、話す内容はちゃんとしたものでなければならない、ということで、その準備がたいへんである。配付資料やパワポの資料を作るのは当然だが、それを前もって先方に翻訳してもらう都合上、締切が早めに設定されている。それに、日本で当たり前に説明できることが、某国や韓国に対してはそのままでは通じないので、その点も噛んで含めるような説明をしなければならない。それなりに神経をすり減らしながら準備をしている。

10月は第2週の週末に「地方公演」も予定されている。こちらの方は力を入れなくてはならない。そのための配付資料とパワポも準備しなければならない。以上の3つは、まったく違うテーマで話をすることになっているので、使い回しができない。もう頭が混乱してきた。

TBSラジオ「東京ポッド許可局」で、「おじさんチャージ」という言葉が出てきて共感した。僕にとっては、片道2時間以上かかる自動車通勤が「おじさんチャージ」の時間である。運転中は何もすることができないから、ラジオやポッドキャストなどの音声コンテンツを聴くしかない。しかしそれが僕の「おじさんチャージ」の時間として貴重なものとなっている。

月曜の朝は、前日にInterFMで放送された「Barakan Beat」をradikoのタイムフリーで2時間みっちり聴きながら運転をする、というのが習慣になった。あいかわらず、リスナーのリクエストとピーター・バラカンの選曲がマニアックすぎて、知らない曲ばかりなのだが、良質の音楽が2時間聴けることは、僕にとっての「おじさんチャージ」かも知れない、と思い始めた。

火曜日の退勤の車の中では、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の火曜日、つまり当日の放送分をラジコのタイムフリーで聴く。これもすっかり習慣づいている。

そのほかの時間の車中では、自分のお気に入りのコンテンツを雑多に聴きまくる。最近は、お気に入りのコンテンツが増えているので、なかなかそれを聴きこなすのだけでもたいへんである。というか、聴きこなせていない。いったい僕は、何と闘っているのか。

| | コメント (1)

声優第二世代

9月5日(火)の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のメインコーナー「大竹メインディッシュ」のゲストは、神谷明さんだった。久しぶりに映画版「シティーハンター」の最新作が公開されることになり、主人公の冴羽獠の声をあてるという。

生まれた年を聞いて驚いたが、1946年生まれの76歳だという。いまでもバリバリ現役で、昔と変わらず冴羽獠の声をあてているのだ。

…といっても、僕は、アニメ弱者なので、このあたりのアニメを全然見ていなかった。

聞くところによると、神谷明さんは当時、『週刊少年ジャンプ』に同時期に連載していた「キン肉マン」と「北斗の拳」と「シティーハンター」の3作品がアニメになったときの主人公の声をすべて担当していたんだってね。恥ずかしいことに僕は、「キン肉マン」も「北斗の拳」も観ていないのである。『週刊少年ジャンプ』派ではなく、『週刊少年サンデー』派だったからだろうか。いずれにしても、「ルパン三世パートⅡ」を最後に、僕は同世代の人たちが観ていたであろうアニメに完全に乗り遅れてしまったのだ。

しかしながら、神谷明さんの声に思い入れがあるのはなぜだろうと考えていたら、NHKの人形劇「プリンプリン物語」の影響があるのではないかという気がしてきた。僕はその前の『紅孔雀』から人形劇を観ていて、そこにもたぶん神谷明さんが声をあてていたから、人形劇の印象が強いのかもしれない。

で、ラジオを聴いてみると、声優の歴史について、こんなことが語られていた。

この国における声優の歴史というのは、まず(NHKの)人形劇に始まると。そのあと、洋画の吹き替えで声優の需要が増え、やがてアニメ全盛の時代になっていくという。

で、最初のころは、俳優だけでは食えない人たちが声優として活動した。熊倉一雄、若山玄蔵、野沢那智、近石真介、納谷悟朗、山田康雄、といった人たちがそうであろう。

そういう人たちが声優の先鞭をつけてくれたおかげで、自分も声優の道に進むことができたのだ、と神谷さんは言う。たしかに、僕はどちらかというと、人形劇の声や洋画の吹き替えのほうが、アニメの声優よりも馴染み深い。神谷さんは、声優第二世代なのだ。

余談だが、近石真介さんが長年続けていたTBSラジオの朝のワイド番組「こんちワ近石真介です」が惜しまれつつ終了した後、それを引き継いだのは神谷明さんだった。僕は子どもながらにその流れがとても自然だと思われたが、いま思うと、声優第一世代から第二世代への引き継ぎが込められていたのかもしれない。

「むかしの声優さんは、声を聴くとだれなのかすぐわかったが、最近の声優さんは、なかなか声の区別がつかない」という神谷さんの言葉にも納得である。自分が年をとったせいもあり、声優の絶対数も増えていることが原因なのだろうが、「ポアロ」といえば熊倉一雄、「コロンボ」といえば小池朝雄、「ルパン三世」といえば山田康雄、といったように、画面のキャラクターと声優(俳優)が分かちがたく結びついていた。…というか、実はいまも同じで、たんに僕がいまの声優事情を知らないだけかもしれない。

声優の概念を壊したのは、宮崎駿監督なのではないかと、いまふと思いついたが、確たる根拠はない。それにしても、声優の看板でずっとやってきた神谷明さんが現役で活躍されているのは、みんなにとってハッピーなことなのではないかと、ラジオを聴いて思ったのである。

| | コメント (0)

シティボーイズなひととき

YouTubeのおすすめ動画に、俳優の荒川良々氏とシティボーイズのきたろうさんが「さし飲み」をする動画、というのがあがっていた。

文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」で、きたろうさんがよく荒川良々氏と一緒に芝居を見に行った話をしたりしていたので、ふたりは仲良しなのだろうなということは何となく知っていた。

そのYouTubeを見ると、荒川良々氏にとって、役者としてのきたろうさんを尊敬する先輩だそうで、きたろうさんもまんざらでもないような感じで、その動画はその関係性がよくわかる内容だった。

そのとき荒川良々氏がこんなことを言っていた。自分が上京して初めて見た舞台が、シティボーイズだった。それは三鷹で行われたもので、3人がコントをするのではなく、一人ひとりがピンでネタを披露する、というものだった。そのとききたろうさんは、落語を披露していて、後々になって自分も、落語に挑戦するようになった。自分はいつもきたろうさんの後を追いかけている、と。

それを聞いて、僕はビックリした。僕もまた、20代の頃に、三鷹で行われたシティボーイズの舞台を観に行ったことがあったからである。荒川良々氏が言うとおり、それのときは3人のコントではなく、一人ひとりがネタを披露するというものだった。

たしか、タイトルは「シティボーイズなひととき」というもので、タイトルからもわかるように、都内で行われるシティボーイズの本公演とはまったく雰囲気が異なり、肩の力が抜けた、ゆるゆるした舞台だった。

調べてみると、三鷹での「シティボーイズなひととき」シリーズは、3回ほど行われている。

「三鷹公演・シティボーイズなひととき」(1996年11月)

「三鷹公演・さらにシティボーイズなひととき」(1997年11月)

「三鷹公演・ますますシティボーイズなひととき」(1998年11月)

この3回の公演すべてを観に行ったかどうか、記憶にはない。この3回の公演のうち、きたろうさんの落語はいずれかの回で行ったはずで、その落語を観た気もするのだが、記憶が定かではない。もしその回を観ていたとしたら、そのとき僕は荒川良々氏と同じ会場にいたことになる。

僕が強烈に覚えているのは、それとは別の回だと思うのだが、きたろうさんが「1行のポエム」というネタを披露していた回である。当時、シティボーイズがレギュラーだったテレビの深夜番組で行われていたコーナーの一つだったと思う。内容は、少し悲しげなBGMに乗せて、きたろうさんが短いポエムを朗読する。そのきたろうさんの朗読がまた、たまらなく可笑しかった。1999年に伊集院光氏が深夜ラジオで「ダメ人間だもの」という名物コーナーを誕生させるが、それよりも前に、きたろうさんは同じようなコンセプトのコーナーをしていたのである。

いまでも一つだけ覚えているポエムがあって、悲しげなBGMに乗せてきたろうさんが朗読した、

「…………夫に間違いありません」

というポエムだった。このひと言だけで、いろいろな想像が膨らみ、さまざまな情景が思い浮かぶ。たったひと言のポエムが、これほどまで豊かな想像力をかき立てるものなのかと、僕はいまに至るまでこのきたろうさんの朗読を、忘れることができない。

荒川良々氏の動画を観ながらそんなことを思い出していたら、2月17日(金)に文化放送で「SAYONARAシティボーイズ」という単発のドキュメンタリー番組をやるということを知った。タイトルから、すわ解散か、と心配したが、どうやらそういうわけではないようだった。

番組は始まると、テーマ曲が流れた。小西康陽さんが音楽を担当した、1993年公演「愚者の代弁者、西へ」のテーマ曲だ!!!懐かしい!これはいま聴いても名曲である。

そのほかにも、90年代のコントをよく見ていた僕にとってはたまらない内容の番組だった。老境に入った3人のコント師(当時、コント師などという言葉はなかった)が、いい感じにポンコツなジジイになりながらも、それぞれが意固地になることもなく、ずっと変わらない人間関係を維持している。やはり僕にとってはこんなポンコツジジイが理想である。

若いときは大竹まことさんが3人のリーダー的存在なのかと思っていたが、実は真のリーダーはきたろうさんである。その関係性もずっと変わっていないことが、3人の会話から感じられた。

トリオ・ザ・テクノ(YMO)は、3人の活動がもう叶わなくなってしまい、いまはその喪失感が甚だしいが、僕にはまだ、シティボーイズがいる。

| | コメント (0)

かく語りき

2月3日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日のアフタートーク」までたどり着きました!お疲れさん!

今週は忙しかった!何が忙しかったと言って、武田砂鉄氏がほぼ毎日のようにラジオに出演していたからである。砂鉄推しの人間にとっては、いちいちチェックしなければならない。

今週の出演履歴は、

月曜日はTBSラジオ「赤江珠緒 たまむすび」の「週間ニッポンの空気」15時過ぎから20分ほどのコーナー出演。

火曜日は文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」で13時~14時まで出演。

木曜日はbayfm「髭男爵山田ルイ53世 シン・ラジオ -ヒューマニスタは、かく語りき-」16時~19時までの3時間出演。

金曜日はTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」22時~25時過ぎまでの2時間+α出演。

金曜日はもう一つ、J-WAVE「わたしたちのスリープオーバー」25時半~26時に出演。

これだけあると、移動中は常にradikoを聴くことになる。

この中でいちばんおもしろかったのは、髭男爵山田ルイ53世のラジオである。前々から薄々感じていたが、伊集院光氏の朝のラジオ番組のテイストのようなコーナーまわしができるのは、髭男爵山田ルイ53世だけじゃなかろうか?しかし、週1でも、忙しい時間をやりくりして3時間を聴き通すのは、なかなか至難の業である。

山田ルイ53世、YBSラジオでも週1で2時間のワイド番組をやっているんだよなあ。これも聴き始めると、ますます収拾がつかなくなる。

| | コメント (0)

スダを比較する

11月25日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

イベントの準備が、アクセルを踏んでも進んでいない感じのスランプ状態に陥っている。つまりはクッソ忙しいのだが、唯一の楽しみは、職場への行き帰りの長時間に、ポッドキャストを聴くことである。

韓国語で「スダ」という言葉がある。おしゃべりとか、無駄話、という意味である。「駄弁る」と言う言葉がいちばんしっくりくるように思うのだが、「駄弁る」は死語なのか?

最近聴いているのは、自分と同世代、つまりギリギリバブル世代の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組と、「ゆとりっこ世代」の二人が「スダ」をするポッドキャスト番組である。

二つの番組に共通しているのは、番組のリスナーを「リスナー」とはいわず、独特の呼び方をしていることと、どちらの番組も熱狂的なファン、いわゆるヘビーリスナーがいるということである。

両者を比較してみると、面白いことに気づく。

ゆとりっこ世代の二人のスダは、お互いの言ったことを決して否定しない。「わかる」とか「たしかに」という言葉を連発しながら、話題を重ねていく。話し方も、かなりゆったりとしていて心地よい。

一方で、ギリギリバブル世代の二人のスダは、一種のプロレスである。もちろん、根底に強い信頼関係があるからこそできるのだろうが、言葉の応酬がすさまじい。そしてずいぶん早口である。それに、ゆとりっこ世代のスダを聴いた後であらためて聴いてみると、話題やたとえが古い。2000年問題、あったよねえとか、いまの若い人はまったく知らないだろう。

全共闘世代、バブル世代、ロスジェネ世代、ゆとり世代、Z世代など、いろいろな世代があるが、各世代の「スダ」の特徴を分析した新書を書けば売れるかも知れない。書こうとは思わないけど。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧