趣味

おかえり、笠井さん

6月30日(火)

笠井さんの声は、想像していたよりはるかに明るかった。今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」でのことである。

アナウンサーの笠井信輔さんは、2019年9月末にフジテレビを退社し、フリーランスとなったが、その2か月後に「悪性リンパ腫、ステージ4」と診断され、4か月以上にわたる過酷な抗がん剤治療を終え、復帰した。

僕はとりたてて笠井さんのファンというわけではないのだが、2018年5月に、大林宣彦監督にインタビューしたときに、大林監督がふと、笠井さんのことをお話になったことがきっかけで、笠井さんに親近感を持つようになった。

なぜ、笠井さんのお話が出たかというと、東日本大震災のときに笠井さんが取材に行った話を聞いて、その取材姿勢がとてもすばらしかった、と、大林監督が絶賛したのである。

もともと笠井さんは無類の映画好きで、大林監督のファンでもあったそうだ。トークショーで一緒になることが何度もあり、大林監督も、笠井さんに信頼を寄せていたのだろう。それで僕も、笠井さんに対して勝手に親近感を抱くようになった。

その後、笠井さんが病魔に襲われたというニュースを聞いたものだから、僕はかなりショックを受けた。

しかし、今日のラジオから聞こえてくる笠井さんの声は、明るかった。おそらく想像を絶する辛い治療だったと思うのだが、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えることができたのではないか、と思わせるほどのお話しぶりだった。

大林監督も、がんを患ってから、徹頭徹尾、楽天的だった。

先のインタビューの中で、大林監督は、ある女優のお話しをされた。その女優は、がんを患い、余命を宣告され、あるドラマに出演した後、亡くなった。あの人が亡くなったのは、「この作品だけはやり遂げたい」と言ってしまったからだ、「この作品はもちろん、あと30作品くらいは女優として生きていたい」と言えば、いまも生きていたはずだ。がんと共に生きるってことは、そういうことなんだよ、と。

僕は笠井さんの声を聴きながら、大林監督のそのお話しを、思い出したのであった。

聴きながら、さらにいろんなことを思い出した。

僕が3年前の夏に大病を患ったあと、なんとか復帰して、最初の出張先に選んだのは、その年の10月の「前の勤務地」の映像イベントだった。あのときは肉体的にとても辛かったが、おもしろいイベントになり、無理をしてでも出張して本当によかったと思った。その月は、このほかに遠方の出張が3件ほどあり、このブログでもそれとなく書いたが、いずれも肉体的にかなり辛かった。でもこれまでお世話になった人への恩返しみたいな出張だったので、行ってよかったと思った。

僕は残念ながら楽天的な性格ではない。笠井さんの声を聴いて、僕ももう少し楽天的に生きないとな、と思い直した。

| | コメント (0)

話術の真骨頂

6月27日(土)

TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」が、とうとう終わってしまった。

小学生の身で「久米宏の土曜ワイドラジオ東京」を折りにふれて聴いていた頃からのリスナーとしては、じつに寂寞たる思いである。

といっても、熱心なリスナーというわけではなく、時間があるときにラジオクラウドで聴いていたくらいなのだが。

最終回のひとつ前、つまり先週6月20日(土)放送のオープニングで、久米さんの話術にハッとさせられた体験をしたので、書きとどめておく。

番組のオープニングは「空白の12分」といって、久米さんが12分間のフリートークをすることになっている。

話題はひとつではなく、あちこちに飛ぶので、聴いている方はそのジェットコースターのようなトークに翻弄されるのだが、先週の回も、話題があちこちに飛んだ。

フリートークの最後のほうで、久米さんが、

「TBSラジオの社長から手紙が来たんです」

と、意味深に言う。

聴いていた僕は、番組が終わるにあたってTBSラジオの社長が久米さんに何らかのメッセージを書いたのではないかと想像してしまう。たぶん多くのリスナーがそう感じたのではないだろうか。

アシスタントの堀井美香アナも、そのことを初めて聴いたらしく、「まさかここで読むんですか?」と、手紙の内容が気になって仕方がないといった様子である。

「あたり前じゃないですか。僕に来たんですから」といって、久米さんはその封書を開き、少し間を置いて、その手紙を読み始める。

「謹啓、梅雨の候、愈々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご芳情を賜わり、厚く御礼を申し上げます。

さて!…」

ここでまた間が開く。

「さて…?」ここからが本題か?

「さて、6月17日に開催されました定期株主総会ならびに取締役会の決議におきまして、次の通り役員を選任したうえで、それぞれ決定し、就任いたしましたことをご報告いたします」

ここで聴いている僕は脱力する。堀井アナも思わず吹き出す。なんだよ!株主総会の報告の定型文かよ!それ、久米さんだけに出したやつじゃなくて関係者みんなに送った儀礼的なやつじゃん!

ここで肩すかしを食らうのである。

これがオチなのかな、と思いきや、久米さんは引き続きその「手紙」の内容を紹介する。

「会長がお一人、代表取締役社長がお一人、常務取締役がお一人、取締役が四人、監査役が一人、全部で八人、お名前が書いてあります。

…全員、男なんですよ」

僕はここでハッとする。

そうか、久米さんが言いたかったのはここなのか。

「一言でいうと、ちょっと時代遅れ。放送局って、一応時代の先端を走っている企業であるはずなのに、役員全員が男ってのはねえ…時代に敏感でなければならない放送局なんだから、せめて役員に女性を何人か入れてほしかったですねえ」

そう言って、フリートークを締めくくった。

僕はこの、何ということのないフリートークについて、深く考えてしまった。

最初に、「社長から手紙をもらった」と意味深なことを言って、リスナーにいろいろな想像力を働かせておいて、実は、何の変哲もない、株主総会の報告文だった、というオチ。

だが、そこで終わらないのだ。その、何の変哲もない儀礼的な報告文の中に、問題点を見つけ出し、リスナーに問いかけるのだ。

しかも今回の場合、自分の古巣であり、現在番組を持っている放送局に対する臆せぬ批判にもなっている。

ここまでが、ひとつのパッケージである。

最初に意味ありげなことを言って、期待を持たせておいて、肩すかしを食らわせる。しかし最後に、ハッとしたことを言う。そしてそれが、停止していた我々の思考を揺さぶるような内容になっている。

たぶんこれが、久米さんの話術の真骨頂なのではないかと思う。

こういうまどろっこしい話術を自在に扱えるラジオパーソナリティーは、久米さんをおいてほかにいないんじゃないだろうか。

| | コメント (0)

永遠のラジオDJ

6月26日(金)

TBSテレビの金曜ドラマの新番組が始まるというので、観ることにした。

もう最近は、ドラマのタイトルが覚えらんない。何というタイトルのドラマなんだろうと思って調べてみたら、「MIU404」だった。

…といわれても、タイトルの意味すらわからない。もうこうなると、完全なおじいちゃんだな。副題が「機動捜査隊」とあったので、刑事ドラマだということがわかる。しかもいわゆるバディもの。

「機動捜査隊」といえば、テレビ朝日の「特捜最前線」の前身番組(というか「特捜最前線」が後身番組なのだが)の「特別機動捜査隊」が有名であるが、まあ若い人は知るまい。僕だって観たことがない。

ふだん、ドラマなんかすすんで観ようとは思わないのだが、このドラマを観たかった理由は、星野源や綾野剛が主演だったからではない。

第1回のゲスト俳優として平野文さんが出ていたからである!

ちょっと前に、TBSラジオ「伊集院光とラジオと」で、平野文さんがゲストで出ていた。そのときに、このドラマの第1回にゲスト出演します、という告知をしていたので、「これは観なければ!」と思ったわけである。

平野文さんといえば、たぶんほとんどの人が「うる星やつら」のラムちゃんの声優として認識しているだろう。

だが僕は残念ながら、「うる星やつら」のアニメを観たことがない。もちろん、ラムちゃんの声が平野文さんである、ということは知っている。

僕の中では、平野文さんは、憧れのラジオDJなのである。

前にも書いたが、小学校の頃、僕がよく聴いていたNHKのラジオ番組に、平野文さんが出演していた。小学生の僕にとって、平野文さんは「ラジオのおねえさん」だったのである。

文化放送の「走れ歌謡曲」という、深夜3時から5時まで、長距離トラックの運転手さんしか聴かないような時間帯の番組にも、平野文さんはDJをしていたと記憶する。さすがにそれを頻繁に聴くことはできなかったが、何とかがんばって深夜3時まで起きていて、オープニングだけ聴いてから寝たことが、何回かある。小学生の時ですよ!

僕がラジオを聴いていた頃とほぼ同じくらいだったか、アニメ「うる星やつら」が始まって、すげえブレイクしたのだが、僕はなぜかアニメを観ることはなかった。あくまでもラジオDJとしての平野文さんが好きだったからだろう。

その後、平野文さんは、築地の魚河岸のところに嫁いで「魚河岸の女房」になってしまい、そのまま遠ざかってしまったのであった。

で、先日、「伊集院光とラジオと」で、久しぶりに平野文さんのトークを聴いて、

「声、全然変わってねえ~!」

と、たいへんビックリしたのである。伊集院光氏との丁々発止のやりとりも、僕が小学生の時にラジオ番組で聴いた頃の印象とまったく変わっていない!

で、僕はとたんに、小学生の頃の自分に戻ったのであった。

これはドラマを観なければならない!となったわけである。

どんな役で出演されるのだろうか、と、まったく知らずに観ていると、孫娘のためにプレゼントを買った帰り道、歩道を歩いていたら、横をものすごいスピードで自動車が走り去っていくことにビックリして、思わず転倒してしまったおばあちゃん、という役だった。

えええぇぇっ!!!平野文さんがおばあちゃん!!??

僕はビックリしたが、たしかに声は平野文さんである。

考えてみれば、僕よりも15歳も年上なのだ。おばあちゃんの役をやって、何ら不思議ではない。

たとえおばあちゃんの役を演じていても、僕にとっては、小学生の頃と変わらず、永遠のラジオDJである。

ラジオ番組、またやってくれないかなあ。

| | コメント (0)

趣味・特技

昨日、ようやく一本、原稿を出したという話を書いた。

原稿といっしょに、「執筆者紹介」というのを書かなければいけないみたいで、その様式に沿って、いろいろと書いていたら、執筆者紹介の項目の中に、

「趣味・特技」

を書く欄があった。

えええええぇぇぇぇぇっ???!!!

今どき「趣味・特技」を書くなんて、昭和かよ!

お見合いをするんじゃないんだから!

そもそも、原稿の内容と何の関係があるんだ?まったく関係ないじゃないか!

読者はそれを知ったところで、どうするんだ?

「へえ、鬼瓦さんという人には、そういう一面があるのか?意外!」

って、読者はそもそも、俺のことをどれほど知っていたというのだ?

しかも「特技」って何だよ!「コーラの一気飲み」とか、そういうヤツ?

こういうことを聞かれるのがいちばんつらいのだ。

だってこちとら無趣味なんだもん!びっくりするほど、趣味がないのだ。

鉄道マニアでもないし、切手集めもしていないし、動物も飼っていないし、ロードバイクも挫折しちゃったし、お酒もやめちゃったし、麻雀もやらないし、ゴルフもやったことがない。

…まったく思いつかない。

いっそ書かないまま出そうとも思ったが、それもまた大人げないと思い、

「映画、演芸、ラジオ、アルトサックス」

と書くことにした。

でもこれも、大嘘なんだぜ。映画が趣味といっても、映画なんてほとんど見ていない。先日思い返してあらためて驚いたんだけど、「ロッキー」とか「バック・トゥ・ザ・ヒューチャー」とか「インディージョーンズ」とか「エイリアン」とか「ターミネーター」とか、そういう有名どころの映画を、ちゃんと見たことがないのだ。

これでは映画が趣味ですとは、とてもいえない。

子どもが生まれてから、映画館で映画を見る機会はめっきり減ってしまったし、いまはかろうじて、TBSラジオ「たまむすび」火曜日の町山智浩さんの映画コーナーを毎週聴くぐらいなものである。

演芸も、いまは「伯山ティービィー」を見るくらいだ。演芸場に足を運んだこともない。いまは落語では一之輔師匠が飛ぶ鳥落とす勢いらしいが、ちょっとあの無愛想な雰囲気(それが持ち味なんだろうけれど)にどうもなじめず、いまだに一之輔師匠の落語を聴けていない。

ラジオも、全然マニアなんかじゃない。TBSラジオのいくつかの番組を、時間があるときに聴く程度。だが「久米宏 ラジオなんですけど」が今月末で終わっちゃうので、「荒川強啓 デイキャッチ」に続き、また1つ、聴いていた番組が減ってしまった。あとは文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴くくらい。

特技として「アルトサックス」と書いたが、これも大嘘。むかしかじっていたという程度である。いまはまったくやっていないので、とくに思い入れがあるわけでもない。

…というわけで、まったくの大嘘を書いてしまった。ま、お見合いをするわけでもないので、実害はないだろう。

いったい何を書けば正解なんだろう。

| | コメント (0)

安定剤

往復5時間の通勤の間、何をしているかというと、もっぱら「ラジオクラウド」を聴いている。

おもにいつも聴いているのは、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」とTBSラジオ「荻上チキSession22」である。

「ゴールデンラジオ」のほうは、TBSラジオ「荒川強啓 デイキャッチ」が終了してしまい、「強啓ロス」になった後から聴き始めたので、まだ聴き始めて1年経っていない。実際に聴いてみると、青木理とか宮台慎司とか、「デイキャッチ」に出演していたレギュラーコメンテーターが、2カ月に1度くらいの割合で出演しているので、番組のテイストはほとんどデイキャッチである。「大竹紳士交遊録」というラジオコラムのようなコーナーがあるのだが、そこに出演する曜日レギュラー(森永卓郎、武田砂鉄、深澤真紀、きたろう、みうらじゅん、金子勝など)の話も、聴いていて飽きない。

いままで、なぜ聴いてこなかったのだろうと悔やまれる。

僕は20代の一時期、シティーボーイズのコントを信奉していたから、大竹まことにはことのほか思い入れがある。自分にとって憧れの「ダメ人間」なのである。大竹まことも古稀になり、いまや「おじいちゃんラジオパーソナリティー」である。

「Session22」の荻上チキは、僕よりもずっと年下だが、よく勉強していて、キレッキレのコメントをする。ただ、理が勝ちすぎるきらいがある。ものすごく出来のいい大学院生のゼミ発表を聴いているような印象である。もちろんこれは、褒め言葉である。

大竹まことのラジオで一貫しているのは、マイノリティーに対する暖かなまなざし、弱者をないがしろにするこの国のしくみに対する怒り、である。それは、大竹まことの歩んできた人生による影響が大きいのだろうが、上岡龍太郎との出会いも大きかったのではないかとも愚考する。

僕にとってはこの二つが、この国のメディアの最後の砦である。もしこの番組がなくなったら、僕にはもう頼るメディアがない。

そんなふうに、僕の日常はこの二つのラジオ番組を聴くことに支えられているのだが、先日の金曜日(10日)、「荻上チキ Session22」で新春対談として、荻上チキと大竹まことの対談があった。もちろん、二つの番組のリスナーである僕にとっては、涙ものの企画である。

親子ほどの年齢差がある2人、そして、「論理のチキ、感情の大竹」ともいうべき対照的な2人が、ラジオパーソナリティーとして尊敬し合い、お互いの番組に敬意を表している、ということや、Session22で荻上チキをサポートしている南部広美さんのことを、大竹まことが高く評価していた、といったことは、二つの番組のファンである僕にとって、涙腺が緩くなるトークだったのだが、対談の最後のほうで、大竹まことが、

「ラジオは、面白いだけではダメだ。安心を届ける役割、安定剤のような存在でないといけない」

と言っていたことに深く共感した。

僕にとってラジオは、精神安定剤なのだ。そして、いまの自分に合う安定剤が、この二つの番組なのだろう。

| | コメント (0)

小林少年ロス

強啓ロス」に続いて、「小林少年ロス」ですよ!

小林少年、といっても、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」のことでもなければ、「明智こぶ郎探偵の小林助手」のことでもない。TBSアナウンサー・小林豊氏のことである。小柄で童顔の風貌から、そんなあだ名がついていた。

7月1日付で、TBSのアナウンス部から別の部署に異動することになったのだという。

TBSラジオ「土曜ワイドラジオ東京 ナイツのちゃきちゃき大放送」で、「小林豊のTOKYO潜入大作戦」という中継コーナーを担当していた。僕はこの番組を毎週欠かさず聴いていた、というわけではなかったのだが、たまに車を運転しながらこの番組の「TOKYO潜入大作戦」をよく聴いていた。小林アナの実に安定した中継さばきが楽しみだった。安心して聴けるラジオアナウンサーの1人だった。

小林アナが出演する最後の回が昨日(6月29日)だったのだが、

「二度とマイクを持つことはないかと思います」「本音を言うと、二度と喋るかよTBS!」「小林豊、ここまでです。廃業です」

という発言が印象に残った。

捨て台詞、とまではいわないが、自分の職場の番組でここまでの言葉を言わないわけにはいかなった上に、その職場に残らざるを得ない状況を考えると、会社が抱えている闇の部分とか、53歳の小林アナが自身の人生を考えた上の選択であるとか、いろいろなことを考えてしまうのだけれども、それ以上に思うのは、自ら極めてきた、あるいは極めようとしていた「ラジオ道」、というか、「ラジオ中継道」といったものが、いとも簡単に潰えてしまうという無常さである。自分の才能に見切りを付けた上での廃業ではないがゆえに、なおさらその思いを強くする。

本人の限界とは無関係のところで打ち切られるという点において、先日の「強啓ロス」とやはり通底していて、蟻の一穴とならないか、TBSラジオファンとしては、今後の成り行きをちょっと心配している。

| | コメント (1)

ふたつの顔

4月29日(月)

一昨日に行われた大林宣彦監督の講演会は、「野口久光 シネマグラフィックス」展の関連イベントとしておこなわれたものだった。

以前このブログにも書いたのだが、2014年11月に、僕はある場所で「野口久光 シネマグラフィックス」展を見ている。

そのときの記事の中で僕は、20代の頃にある映画のポスターを見たのがきっかけで、野口久光という名前を知った、と書いた。その映画というのは、大林監督の「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「青春デンデケデケデケ」である。この3本の映画のポスターは、1990年代前半に、野口久光さんが手がけたものである。

このころすでに野口さんは、映画のポスターの仕事を引退し、ジャズ評論家として名を馳せていた頃だったのだが、野口さんを慕う大林監督が、ぜひポスターを野口さんに描いてもらいたいと依頼して、実現したものらしい。洋画のポスターを描くのが専門だった野口さんが、日本映画のポスターを描いたのは、大林監督のこの3本の映画だけである(野口さんは最晩年に、TBSドラマのポスターを1枚描いている)。

さてこの「野口久光 シネマグラフィックス」展の仕掛け人が、NPO法人を主宰するNさんという、僕よりも8歳ほど年上のおじさんである。今回の企画展と講演会も、もちろんNさんの企画によるものである。

懇親会の席で、Nさんとも少しお話しすることができた。とてもバイタリティーのある方で、お話しも歯切れがよく、面白い。

Nさんから聞いたエピソードで興味深かったのは、ジャズサックス奏者の渡辺貞夫さんに関するエピソードである。

以前のブログに書いたように、野口久光さんは、映画のポスター制作の仕事から引退した後、ジャズ評論家として活躍した。渡辺貞夫さんは若い頃から野口さんと知り合い、野口さんのことを信頼していたという。

「貞夫さんは、野口さんがおびただしい数の洋画のポスターを描いていたということを、知らなかったんですよ」

「え?そうなんですか?」

「貞夫さんは、野口さんとはジャズ評論家としておつきあいしてましたからね。ジャズ評論をやる前に、洋画のポスターを描いていたことは聞いていなかったようなのです」

「野口さんも、渡辺貞夫さんに言わなかったということですか?」

「おそらくそうなのでしょう。ですからね、先日、こんなことがあったんですよ。野口久光展に、貞夫さんをゲストでお呼びしたときに、貞夫さんが驚かれましてね。野口さんがこれほどたくさんの洋画のポスターを描いていたとは、長いつきあいだったけれども知らなかったと。で、展示室にご案内したら、野口さんのポスターを、実に熱心にご覧になるんです」

「ほう」

「熱心にご覧になるあまりに、ポスターが展示されているガラスケースに何度も何度も頭をぶつけるほどでした」

「それはすごい話ですね」

「ええ。で、貞夫さんがこれからいろいろなところでコンサートをするときに、その会場で野口さんの洋画のポスターも展示できないだろうか、と考えてくれているようです」

驚きである。野口さんは、自分の過去の仕事を言わなかったんだな。また言う必要もないと思ったのだろう。こういう生き方を「粋」というのかも知れない。

「もう一つ面白かったのはですねえ。野口さんは、カメラの腕前もよかった」

「そのようですね」

「貞夫さんも、写真はプロの腕前です」

「そうですね」

「野口さんの撮った写真と、貞夫さんの撮った写真をくらべてみると、貞夫さんの写真は、野口さんの影響を受けているなあということがよくわかるんです」

「なるほど」このエピソードだけでも渡辺貞夫さんが野口さんに信頼を寄せていたことがよくわかる。

「野口さんは不思議な人なんですよ。古い世代の人にとっては、洋画のポスターの画家として知られていて、下の世代に人にとっては、ジャズ評論家として知られていたんです。だから、洋画のポスター作家とジャズ評論家というふたつの顔が、結びつかないという人が多いのです」

「なるほど」僕も思いあたるフシがあった。「実は僕、10代の頃、大林監督の大ファンであったと同時に、渡辺貞夫さんの大ファンでもあったのです

「そうでしたか」

「僕は大林監督を通じて、洋画のポスター画家の野口久光さんのお名前を知り、渡辺貞夫さんを通じて、ジャズ評論家の野口久光さんのお名前を知ったんです。でも若い頃はそれが結びついてはいませんでした」

「やはりそうでしたか」

「不思議なものですねえ。10代の頃に、全然別のきっかけから、大林監督と渡辺貞夫さんのファンになったのですが、それが野口久光さんを介してつながるんですからね」

「なるほど、それはおもしろいですねえ。…今度8月に、野口さんと貞夫さんの写真展を東京でやることになっているんですよ。そのときはぜひ来てください」」

「それは行きたいですねえ」

野口久光、恐るべしである。

| | コメント (0)

ヤングパラダイスリターンズ

こぶぎさんのコメントを見て、慌ててラジコのタイムフリーで「三宅裕司のヤングパラダイスリターンズ」を聴いた。

いやあ、懐かしい。

番組のオープニング曲、安部恭弘の「Cafe Flamingo」が流れたときは、涙が出てしまったよ。

 

「三宅裕司のヤングパラダイス」こそが、僕にとっての青春のラジオである!

ヤンパラが始まったのが、1984年2月。中3の最後の2月である。僕は中3から高校時代にかけて、ヤンパラを熱心に聴いていた。

YMOのファンだった僕は1983年、「高橋幸宏のオールナイトニッポン」というニッポン放送のラジオ番組の小さなコーナーで、SETという小さな劇団があることを知り、その座長が三宅裕司であることを知った。

その後三宅裕司は、ニッポン放送の「パンツの穴」というラジオ番組で、当時売り出し中の菊池桃子らと、ラジオコントをしていた。ちなみにこの番組については、ウィキペディアにも出ていない。土曜日の夕方だったか、夜だったかに放送されていた(土曜日夕方は、「欽ちゃんのここからトコトン」、通称「欽トコ」→「パンツの穴」という流れで聴いていたような記憶がある。どうだ、だれにもわからないだろ)

つまり僕は、「高橋幸宏のオールナイトニッポン」→「パンツの穴」→「三宅裕司のヤングパラダイス」と、三宅裕司がまだ無名だった頃から、彼が出演するラジオ番組を聴いていたのである。そればかりではない。高1の時に、巣鴨の三百人劇場というところで、当時知る人ぞ知るの存在だったSETの公演「ディストピア西遊記」を見に行った(いまもう、巣鴨の三百人劇場って、なくなっちゃったんだね)。僕は中学生から高校生までのある時期、三宅裕司の追っかけをしていたのである。

まあそれくらいのファンだったから、「ヤングパラダイスリターンズ」が放送されると聞いて、聴かないわけにはいかなかった。もっとも僕が聴いていたのはヤンパラの初期の頃なので、「ヒランヤ」あたりからは、熱心なリスナーではなくなってしまった。

今回「ヤングパラダイスリターンズ」を聴いて驚いたのは、名物コーナー「ドカンクイズ」の参加者や、はがきのコーナーに投稿している人が、軒並み50歳!つまり僕と同い年の人たちばかりだったことである。これには笑った。やっぱりアラフィフにとって「三宅裕司のヤングパラダイス」は、青春のラジオだったのだ。

もっとも、これは東京の場合に限られる。おそらく関西の人がこの番組を聴いたら、「どこが面白いのか?」となるのではないだろうか。

例えば、「○○にならなくてよかった」というはがきコーナーがあった。

「桃太郎にならなくてよかった。なぜなら、桃が割られたときに包丁をよける自信がないから」

みたいなネタなのだが、つまりは「笑点」の大喜利なのである。

だがそういう短いネタのコーナーよりも、この番組の特色は、体験談を中心とする長いネタが多いことである。その時の三宅裕司の「はがき読み」は絶品で、ちょっとした落語を聞いているような心持ちだった。

あらためて思うのは、三宅裕司の笑いは、誰も傷つけない笑いだ、ということである。

それまで「ビートたけしのオールナイトニッポン」の信奉者として、毒舌を聴かないとラジオを聴いた気がしないと思っていた僕にとって、毒舌のないラジオは、新鮮だった。これはクレイジーキャッツの笑いに近いのだと、後々になって気づいた。

そんなわけだから、ビートたけしのラジオと、三宅裕司のラジオは、どちらも好きだったが、まったくカラーの違う番組として、僕は聴き分けていた。当時、ビートたけしが「オールナイトニッポン」で、三宅裕司の番組を批判していたことがあったが、さもありなん、と思ったものである。ただ、両人が根底で共通していたのは、落語のような江戸前の語り口だった。

後にその二人が「ぢ・大黒堂」というバンドを結成したときは、僕にとってのラジオスターが共演したという意味で、とても感慨深いものがあった。

どんな経緯があったのかは、わからない。

| | コメント (2)

強啓ロス

TBSラジオ「荒川強啓 デイキャッチ」が、3月末をもって終了してしまった。

心のよりどころがまた一つ、なくなってしまった…。

「荒川強啓 デイキャッチ」は、平日の午後3時半から5時50分まで放送されているので、リアルタイムで聴く機会はほとんどなかったのだが、夜、家で夕食を食べながら、「デイキャッチ」のラジオクラウドを聴くのが、ここ最近の習慣になっていた。

とくに好きだったのは、金曜日のコメンテーター・宮台真司の暴走っぷりである。

「はっきり言って、クソ政策ですね」

「クズ政治家」

「クソ政権の、ケツ舐め外交」「ケツ舐め官僚」

「朝まで生テレビ」における大島渚監督の「バカヤロー!」発言と同じように、宮台真司が、番組の中で「クソ」「クズ」「ケツ舐め」をどのタイミングで、何回言うのかが、僕のもっぱらの関心事だった。

最終回なんて、最後だとばかりに連発していたからね。まるで打ち上げ花火のフィナーレを見ているようだった。

宮台真司の暴走に対して、さすがの強啓さんも、呆れて何も言えなくなる場面がしばしばあった。というか、宮台真司が暴走しすぎて何言ってるかわからない時の、強啓さんの困った感じ、というのがたまらなく好きだったのだ。

「デイキャッチ」は、コンテンツとしてとてもよくできていた。「荻上チキのセッション22」は、聴くと疲れるのだが、「デイキャッチ」は、適当に力を抜いた感じで、それでいてその日のニュースが硬軟取り混ぜてよくわかる構成になっていた。疲れて帰ってきて、夕食を食べながら聴くのにちょうどいい温度の番組だった。

アシスタントの片桐千晶さんとの相性もよかった。強啓さんの「前の勤務地」と、片桐さんの出身地が同じだったことも、相性がよかった理由かもしれない。

さすがに最近、強啓さんも年齢が年齢だけに、ちょっとおとろえたかな、と、聴いていて思わなくもなかったが、それがまた味になっていて、これからいよいよ「志ん生」の域にまで達するのではないかと、楽しみでもあった。

これからはどうやってニュースを「インプット」すればいいのだろう?(…あ、こういうときに「インプット」って使うのか!)

2019年2月16日(土)のTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」の「空白の12分」(オープニングトーク)の中で、強啓さんとの出会いや、強啓さんの人柄について、久米さんが例によってまどろっこしく語っているが、これは「デイキャッチ」が終了することに対する、久米さん流のねぎらいの言葉だったんだろう。

もし放送局の上層部が、今の元号が終わるタイミングで「デイキャッチ」の使命が終わったと考えているのだとしたら、「改元」はとても迷惑なものである。

| | コメント (3)

問わず語りの松之丞

昨年の3月末の、日曜日の夜だったと思う。

車を運転しながらラジオを聞いていたら、…もちろんTBSラジオですよ!…いままで聴いたことのないようなラジオのパーソナリティーの語りが面白くて、つい引き込まれてしまった。

まだ番組の途中だったのに家に着いちゃったもんだから、家に帰ってからもラジオを付けて、その番組を聴き続けた。

こんなことって、あまりないことなんだけどね。

それが、神田松之丞の「問わず語りの松之丞」という番組だった。

ちょうど、第1回、というか、パイロット版みたいな放送を、たまたまナマで聴いていたのだ。

つまり松之丞が初めてラジオに出たときの瞬間を、リアルタイムで聴いていたということになる。

で、このときの直感って、すごいもんだねえ。その後、神田松之丞はすげー売れて、いまや講談界の風雲児なんて呼ばれちゃった。

そういう意味で言えば、神田松之丞を見いだしたのは、俺ですからね!

まあ冗談はさておき。

このブログでも何度か、ラジオ番組「問わず語りも松之丞」のパロディー風の記事を書きましたけどね。

松之丞が面白い、なんてことを言ったら、義妹がどっぷりハマってしまいましてね。

先日、「『ペンプラス』をすでに買いましたんで、買わなくてもいいです」と言われたんですが、何のこっちゃわからない。

で、聞いてみると、『ペンプラス』という雑誌の最新号が、「完全保存版 1冊まるごと、神田松之丞」という特集だというんです。

いやいやいや、『ペンプラス』という雑誌名も初めて聞いたし、神田松之丞に対しては、ラジオは好きだが、そこまで思い入れがあるわけじゃないよ、こっちは。

…と思いながらも、その雑誌を借りて読んでみました。

すると文字通り、1冊まるごと、神田松之丞の特集です。

もうドン引きするぐらいの、これでもかという特集記事。

さすがの熱烈な松之丞ファンの義妹も途中で読むのをやめてしまったようです。

さてこの特集の中で、個人的にいちばん興味深かったのは、伊集院光との対談でした。

神田松之丞のラジオを聴けばわかるように、彼は明らかに伊集院光の影響を受けています。

で、まあそのあたりの関係性を念頭に置きながら読むと、これがなかなか興味深かった。

たとえば、自分に置き換えてみると。

自分と同じようなテイストの後輩があらわれて、しかも自分よりも進化している場合、自分はこれからどうしていけばよいのか?

そんなことを考えさせられる対談でありました。

内容はその雑誌を読んでもらうとして、僕がいちばん印象深かったのは、インタビュー記事のいちばん最後で伊集院光が語っていたことです。

「最後に大先輩としてアドバイスをいただけるとうれしいのですが」という松之丞の問いかけに、こんなことを言ってました。

「迷ったらしゃべることかな。それも全部。最近、師匠が弟子をとる意味がやっとわかったんだよ。師匠は弟子に言うことで確認してるの。先輩と後輩もそう。だから今日話したことは、自分に言いきかせてる(後略)」

これってむかし、「ダウンタウンDX」で、上岡龍太郎がダウンタウンに言ってたことと、まったく同じことだってことに気づいたんです。

「弟子はとった方がええで。自分に返ってくるから。弟子に言うことで、自分に言いきかせることができる」

みたいなことを言っていた(前に、ブログのどっかに書いたと思うんだが、見つからない…)。

僕が教員稼業をしていたとき、やっぱり同じ境地に至ったことがあるんですよ。学生に言ったことは、全部自分にはね返ってくるって。

たとえば、あまりにも他人と比較しようとして落ち込んでしまう学生がいたときに、

「他人と比較したって何の意味もないよ。自分は自分なりのやり方があるんだからさ」

とかなんとかアドバイスしていたのだが、それはそのまま自分にもあてはまることだったり。

だから当時は、学生に話すことで、自分に言いきかせていたんですね。

ところがいまはどうだろう。

語るべき学生がいなくなってしまったので、自分に言いきかせる機会が、すっかりなくなってしまいました。

何が寂しいかと言えば、いまはそれが寂しいね。

| | コメント (2)

より以前の記事一覧