趣味

ビシソワーズはみそ味

4月1日(木)

料理研究家の平野レミさんっておもしろいね。

通勤途中の車の中で、「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いて、ゲラゲラ笑ってしまった。憂鬱な気分が晴れるね。

夫の和田誠さんとの馴れ初めを聴くと、「久米宏って、ほんと、性格悪いなー」と思ったり(「久米宏 ラジオなんですけど」でも、自らそのエピソードを紹介していたが)。

和田誠さんが亡くなって打ちひしがれているときに、息子の配偶者の上野樹里さんが、

「レミさん、手を出して」

と言って、レミさんの息子の手を握らせて、

「ここに和田さんがいる」

と思った、なんて話は、じーんとくる。

とにかく早口で、せっかちで、それでいて相手を傷つけないマシンガントーク。

「冷たい牛乳とトマトジュースを、ちょうど半々に混ぜて、バジルを落として、オリーブオイルをちょっとたらしたら、これがおいしいのよ。ビシソワーズみたいに」

と、レミさんが早口で言ったら、阿佐ヶ谷姉妹のエリコさんが、

「え?みそ味」

と聞き間違えて、

「どうして牛乳とトマトを混ぜたらみそ味になるんだよ!みそ味じゃなくて、ビシソワーズ!」

と大竹さんにツッコまれたのが、最高に可笑しかった。レミさんの早口とエリコさんの聞き間違い癖が見事にハマった瞬間である。

よく伊集院光さんが使うネタで、

「ラジオブースで手を切っちゃって、「消毒液を買ってきて」と番組スタッフに言ったら、「ショートケーキ」を買って来ちゃった。何で手を切った俺がショートケーキを食べたいと思うんだよ!」

というのがあるんだけど(先日の「ちびまる子ちゃんスペシャル」でも話していた)、それに匹敵する聞き間違いである。

この「大竹メインディッシュ」のコーナーの最後に、大竹さんが、

「楽しかった~」

と言って終わったのは、ここ最近では、近田春夫、吉幾三、平野レミの3人である。

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電凸小噺

再び鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

世の中、わからないことだらけですなあ。

SNSを見ていたら、「電凸」という言葉が出てきて、これがよくわからない。

「ご隠居、わからねえことはご隠居に聞けばわかるってねえ」

「なんだ熊公か。まあおまえよりも長く生きてるから、多少のことは知ってるぞ。隠居ベディアがおせーてやろう」

「晴の輔かよ!まったく…。いえ知りてえのは、『電凸』って言葉でして」

「『電凸』…?」

「ご隠居、まさかご存じないんじゃ…?」

「何を言う。知らないわけがないだろう」

「そもそも、何て読むんです?」

「いま、何て読むって聞いたか?」

「ええ」

「凸というのはな、凸凹、つまりデコボコのデコと読む」

「するってえと、『電凸』は『デンデコ』ですかい?」

「そうだ」

「デンデコ…。デンデケ…。青春デンデケデケデケ!」

「何くだらねえこと言ってんだ」

「でんでん太鼓」

「もっとくだらねえよ」

「じゃあ何です?教えてくださいな」

「電池にはプラスマイナスがあるだろう。電池のプラスの方のことを電凸という」

「なるほどねえ。じゃあ電池のマイナスの方は電池の電に凸凹の凹で、電凹だ!」

「そうだ」

「何て読むんです?」

「電凸がデンデコなら、電凹はデンボコだろう」

「デンボコねえ。チ…あ、いけねえ」

「おいおい!」

「しかしご隠居、日常生活で、電池のプラスとかマイナスとか、頻繁に使いますかねえ」

「使うだろう。電池の交換の時なんかに」

「それにしては妙なんですね。あっしが見たSNSでは、『あいつを辞めさせるために職場に電凸しろ』『いや、電凸すると職場に迷惑がかかるからやめた方がいいよ、職場に罪はない』『職場は、あんなやつを許しておいていいのか!』『電凸だと職場に負担がかかるからせめてメールやファックスにしとけ』みたいな感じで炎上していたんですよ」

「うむ。たしかに電池のプラスと解釈したらおかしなことになるな…。まてよ。凸は形が爆弾に似てないか?電凸とは、電気仕掛けの爆弾のことだよ」

「なるほどねえ。爆弾か。『あいつを辞めさせるために職場に電気仕掛けの爆弾を仕掛けろ』『いや、電気仕掛けの爆弾を仕掛けると職場に迷惑がかかるからやめた方がいいよ、職場に罪はない』『職場は、あんなやつを許しておいていいのか!』『電気仕掛けの爆弾だと職場に負担がかかるからせめてメールやファックスにしとけ』…て、最後のところ、爆弾をやめてメールにしろってのは、落差がありすぎませんか?」

「それもそうだな…。凸はトツとも読むぞ。電凸は『デントツ』と読むんじゃないか?」

「なるほどご隠居…。いまスマホで『デントツ』と入れたら『電凸』と変換されました。これですよ!…で、意味は何です?」

「凸が煙突の形をしているだろう。『デントツ』とはつまり電気煙突のことだ」

「ますますわからねえや。ご隠居、そろそろ本当のことを教えてくださいな」

「エヘン、『電凸』とは、企業とかマスコミとか政治団体とかに電話して、組織の見解を問いただすことを言うのだ。」

「なるほどねえ。それならつじつまが合う。なんだご隠居、知ってたんじゃないっすか。いよっ!さすが隠居ペディア!」

「いや、ウィキペディアに書いてあった」

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新作落語・ごりん(習作)

お久しぶりでございます。鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

久しぶりに、新作落語をひとつ。

とある長屋に、あだ名を「ごりん」というやつが住んでおりまして、そのごりんの長屋に、ある日兄貴分のバッハがやってきた。返事がないので入ってみると、何とごりんが死んでいる。そういえば、昨晩会ったときにアサリを食べていたが、さてはそいつに中(あた)りやがったな……。

「兄弟分の葬儀を出してやりたい」、そう思ったバッハだが、金がない。考え込んでいると、ちょうど上手い具合に屑屋のセイ公がやってきた。早速、その屑屋のセイ公を呼んで室内の物を引き取ってもらおうとするが、セイ公はごりんの家の家財道具のことは全部知っている。なんでも、何回もガラクタばかりを引き取らされたので引き取りたくないという。ますます困るバッハ。と、その時にあるアイディアが浮かんだ。

「月番のヤマシタを呼んでこい」

セイ公を月番のヤマシタの所に行かせ、長屋に住むスポンサー企業から香典を集めてくるよう言いつけさせるのがバッハの魂胆。セイ公は断るが、大臣の職をとられ、しぶしぶヤマシタの所へ。

「ごりんが死んだ」と聞き、喜ぶヤマシタ。しかしこれまでスポンサーにはごりんのために散々お金を工面してもらった手前、このうえ香典をもらいに行くのは気が進まなかったのだが、結局「ごりん中止の花火を打ち上げる代わりに香典を出すよう言って集めてくる」と了承した。

安心したセイ公だが、ごりんの家に戻ると、今度はスポンサーのビール会社に通夜に出すビールとつまみを届けさせるよう命令された。ところが、スポンサーのビール会社はドケチというかドライで有名。そのことを話すと、バッハは「断ったらこう言えばいい」と秘策を授ける。

「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでにたいまつを持って聖火ランナーにさせて、聖火リレーををご覧にいれます」

仕方なくスポンサーのビール会社へ行ったセイ公。ごりんが死んだと聞き、大喜びするビール会社。しかし、ビールとつまみの申し出は拒絶。なんとこのごりんという男、このビール会社からただ酒をしこたま飲んでいたらしい。

すかさずセイ公が「ごりんの死骸にたいまつを持たせて聖火ランナーとして走らせるぞ」という話をすると「やれるものならやってみろ!!」。

セイ公がそのことをバッハに伝えると、何とバッハはセイ公にごりんの死骸を担がせ、本当にビール会社へ乗り込んでしまった。そして、死骸にたいまつを持たせ、文楽人形のように動かし、聖火リレーをしてみせた。本当にやると思っていなかったスポンサーのビール会社はすっかり縮み上がってしまい、ビールとつまみを出すよう約束した。

これで解放されたと思ったセイ公。だが、今度はスポンサーの自動車会社の所へ「棺桶代わりに使うから、自動車を借りてこい」と命令された。「ハイ…イエース…」と、しぶしぶ行くと、ごりんが死んだことを聞いてやはりスポンサーの自動車会社はたいそう喜び、申し入れは断られた。「聖火リレー」の話をすると先ほど同様「やってみろ」と言われるが、つい今しがたスポンサーのビール会社で実演してきたばかりだと言うと「何台でもいいから持っていけー!」。

これで葬式の準備が整った。セイ公がごりんの家に戻ると、ビール会社からビールとつまみが届いている。バッハに勧められ、しぶしぶビールを飲んだセイ公。ところが、このセイ公、かなりの酒乱で、酒を飲んで興が乗るとやたらめったら接吻をしまくる。おいおいそれはセクハラだよ、という制止も聞かず、「おいバッハ、もっとビールを持ってこい!スポンサーのビール会社がイヤだって言ったら、ごりんの死骸にたいまつを持たせて聖火ランナーをやらせるぞ!」

何だか分からなくなったバッハは言われたとおりにビールを持ってくる。そうこうしているうちに、話はごりんの葬礼へ。スポンサーの自動車会社からぶんどった自動車にごりんを放り込んだ。

「どこ行くんだい?」

「決まってらあな。東京湾に行って海に投げ捨てるのよ」

廃車寸前の車だったせいか、道中で底が抜けて、中のごりんが落っこちてしまい、東京湾に着いた頃にはごりんの死骸はなかった。仕方なく死骸を探しに戻ると、橋のたもとでモリの坊主が、いびきをかいて眠っている。酔った二人はそれを死骸と勘違いし、車に押し込んで東京湾に連行するとそのまま海の中へ放り込んでしまった。

ところがこの海、ヘドロがたまっていて臭くってたまらない。さすがにモリの坊主、目が覚めた。

「おい、いきなり何しやがるんだい!どうせ面白おかしく書こうって魂胆だろ。ここはどこだ!?」

「トライアスロンをする予定だった東京湾だ」

「どうりで臭いと思った。おい、アサリを持ってこい!」

おあとがよろしいようで。

(Wikipedia「らくだ」の「あらすじ」をもとに改変)

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ひとり新聞社

3月8日(月)

新聞記者、という話でつながるのだが。

こんどはTBSラジオ「荻上チキ Session」のラジオクラウドを聴いていたら、「東日本大震災から10年」の特集として、岩手県大槌町で、「大槌新聞」をひとりで発行している菊池由貴子さんという方がゲストだった。

岩手県大槌町は、人口が1万人あまりの町である。菊池さんは震災後、自分の住んでいる大槌町に「地域紙」すなわち地元の新聞がないことを憂いて、自ら新聞を作ろうと決意する。新聞記者になるなら、どうしたらいいのだろう?まずは新聞記者の「七つ道具」みたいなものをそろえることから始まった。パソコンだとか、ICレコーダーとか。

え、そこから?という感じなのだが、もっとスゴいのは、菊池さんは最初、ワードやエクセルの使い方も知らなかったという。まさにゼロからの勉強である。新聞作成アプリを使ったりして、大槌新聞の創刊号が発行されたのは、震災から1年以上たった、2012年6月のことだった。そこから週1のペースで、大槌新聞は発行され続けた。取材、執筆、編集はすべてひとりである。つまり、ひとり新聞社。

しかし、菊池さんの地域紙の取り組みは、一筋縄ではいかない。最初は国からの助成金をもらっていたので、無料配布していたのだが、助成金が打ち切られ、有償配布を余儀なくされた。町内の政治的な対立に巻き込まれることもあった。しかし、この町で知りたいことを追求するためにはこの地域紙しかないということで、さまざまな葛藤を経ながら、続けてきているのである。

地域のジャーナリズムとは何かとか、いろいろと考えさせられるのだが、ひとりの生き方としても、考えさせられる。

いま僕は組織の中にいて、組織の中で働くことに嫌気がさすことがある。ああ、フリーランスになりたい、と、一日に何度かは思うのである。でもその勇気がない。

自分だったら、「ひとり新聞社」ができるだろうか?趣味ていどだったらできるかもしれないが(実は、「ひとりラジオ」をやるのが夢である)、これを信念を持って続けられるかというと、そこまでの自信や体力がない。

でも、「ひとり○○」というのは、憧れるんだよなあ。みなさんは、「ひとり○○」の「○○」に、何を入れますか?

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発売前から重版出来

2月17日(水)

僕が少しだけ関わった本が、なんと発売前から重版がかかったというのである。

僕はその本の中で、自分の無知をさらけ出すような原稿を書いていたので、できればあまり人目についてほしくなかったのだが、タイトルがタイトルだけに、書店の期待値も高まったのだろう。

僕以外の執筆者の原稿は(といって、僕が手を抜いているというわけではない)、どうにか面白い内容に仕上げようという気迫のこもったものばかりなので、やはりそういった心意気が伝わる本なのだろう。

その一方で、僕自身が面白いと思って書いた本が全く売れずに、400部を廃棄処分するというのはいったいどういうわけなのか、全くこの世は不可解である。

ところで、昨日(2月16日)、通勤中にTBSラジオ「伊集院光とラジオと」を聴いていたら、ニュースのコーナーで、伊集院光氏が、こんなコメントをしていて、印象深かったので、書き留めておく。

「絶賛勉強中で、最近僕の中でアップデートされたこと。やっぱり『この数女性を…』といったときに、『じゃあ女性であったら、現状の能力値が低くても優先されるのか?』っていう反論ってあると思うんです。でもその数がなぜ必要なのか、という話のところの、ヒントの一つに、ー学ぶのが遅くて大変申し訳ないんですけれどもー、すでにバランスが狂った中でルールが作られていると、そこに女性がちゃんと入ってきて、数が修正されることがたいへん難しいっていう、公平な状態に戻るようなルールが発案されることも実は難しいので、あるていど修正値をかけてでも数をそろえようとすること自体に意味があるのと、やっぱりどこかで、女性も男性も平等であることが、ーこの言い方、正しいのかどうかわかんないんだけどー、男性にとっても良い社会なんだという意見が入ってこないと、ある意味、みんな損するんだよ、みたいな意識が(必要で)、俺たちは、女性が得する社会に変えることで、ただでさえ男性の中でも損している俺たちがもっと損になるんじゃないかと、ハリネズミみたいに凝り固まり、逆に、強くこれをスピード感持って進めようとする人たちも、これでまた男性の側からの反論を聞いていたら、また一歩遠のくみたいなことが、実はものすごい壁になっていくんじゃないかなみたいなのがあって、そこだと思うんですよね」

僕自身も学ぶのが遅い人間だが、僕と同世代の人間、とくに男性が、少しずつ学び、なるほど、そういうことなのか…という意識の覚醒を重ねていくしかないのだろう。

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調子悪くてあたりまえ

最近のラジオで痺れたのは、なんといってもアトロクの2月9日(火)放送の「ゲレンデDJ特集」である!

いまから30年ほど前、就職活動に全部失敗した南部広美さんが、スキーのゲレンデDJをしていたという話がおもしろく、それに加えて、当時スキー場でかかっていた曲に乗せて南部さんが曲のフリから曲の受けまで、当時を彷彿とさせる多幸感溢れるDJぶりを披露していて、スキー嫌いだった僕も、なぜか久々にテンションが上がった。

僕が高校生、大学生の時は、バブル華やかりしころで、空前のスキーブームだった。僕は高校2年の冬に友だちとスキーに行ったのだが、大けがをして帰ってきて、それからスキーに行くことはなかった。大学生の時にも誘われたのだが、すべて断ったのである。

なのでスキーに関する思い出はまったくといっていいほどないのだが、それでも、ある懐かしさを感じてしまうのはなぜだろう。当時は、スキー場でかかるような曲は「しゃらくせえ」と思っていたのに、不思議とその曲はすべて耳に残っているのだ。

ああいう雰囲気のDJ番組って、もうないのかなあと思っていたが、先日聴いたコミュニティFMの番組で、知り合いのパーソナリティーが似たようなテイストで番組を進行していて、ああ、コミュニティFMにそのテイストがいまも残っているのだなと、俄然、コミュニティFMに関心が向かずにはいられなくなった。このあたりはこぶぎさんのテリトリーなのだろう。

コミュニティFMといえば、昨日の日曜日の午後、高校の1年後輩であるアサカワ君が、約1年ぶりに地元のコミュニティFMにゲスト出演していた。「サックス奏者のアサカワさんです!」と相変わらず紹介されていて、「俺はたしかに知っているが、他のリスナーはどのくらい知っているのだろう?」と、その感覚が可笑しくてたまらなかった。律儀なことに、緊急事態宣言下だったので、スタジオ出演ではなく電話出演だった。近いんだからスタジオ出演してもいいんじゃね?とも思ったのだが、そういうわけにもいかなかったのだろう。

内容は、まあ世間話といった内容で、僕にとっては、彼の近況報告が聴けてよかったのだが、あんな感じで成立してしまうのが、コミュニティFMのよさである。アサカワ君はミュージシャンだから、選曲もいいし。このよさに気づくと、これは深みにはまるなぁ。

もう一つ、先週の金曜日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」にゲスト出演していた近田春夫さんが、とってもよかった。

近田春夫、という名前を初めて知ったのは、子どものころである。テレビのバラエティー番組のワンコーナーにレギュラー出演していて、ラジオブースみたいなところで音楽について毎週喋っていたのを見た記憶があるのだが、Wikipediaを見ても、そのときの番組についての情報がなく、僕の記憶違いだろうか。

『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』という本を出したそうで、その宣伝を兼ねての出演だったのだが、本人の語りと、大竹まこと氏とのやりとりがたまらなくおもしろく、これまた聴いていて多幸感に溢れた時間だった。

なにより「調子悪くてあたりまえ」というのは、座右の銘にしたいくらい、いい言葉である。

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言い方なのよ、すべては

1月19日(火)

「不織布マスクは他の素材よりも飛沫を防ぐ効果がある」というニュースは、やはり瞬く間に世間に広まったようだ。今日の職場の全体会議に出席した同僚たちを注意深く見ていると、不織布マスクの割合が圧倒的に多かった。以前は布マスクをしていた人も、いまは不織布マスクに替えている。

そんなことを思いながらインターネットのニュースを見ていたら、「不織布マスク警察」なる者が現れているらしい。「マスク警察」の進化形である。いまやマスクをしている、していないの段階ではなく、不織布マスクをしている、していないの段階に突入しているのである。

今日は朝から会議が3つあり、夕方には思考が完全にストップしてしまった。

職場の行き帰りは、運転をしながらラジオを聴くのを趣味としているが、例によって文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」をradikoのタイムフリーで聴いていると、「大竹メインディッシュ」のコーナーは、あるノンフィクション作家がゲストだった。

いまの日本が、新自由主義によって冒され、たいへんな世の中になっている、という本を書いた方のようで、それ自体は、たしかにそうだと思うのだが、大竹まことの質問に対する答え方を聴いていると、なぜかだんだん不愉快になってきた。

(うーむ。こんなゲストだと、大竹さんはきっと最後にはキレるんじゃないだろうか)

と、僕はとてもそれ以上聴く気にならなくなり、途中で聴くのをやめてしまった。

毎日、ゲストを呼ぶようなラジオ番組だと、ゲストによっても、あるいはその日のパーソナリティーのコンディションによっても、ゲストとの対談が不調に終わることがある。これは、人間の体調と同じようなもので、仕方のないことである。

TBSラジオ「荻上チキ Session」でも、ときおりイラッとくるゲストが登場する。そんなとき、荻上チキは、真っ向からキレるわけではなく、ゲストを「泳がせて」その人の底意地の悪さをわざと可視化(ラジオだから可聴化?)しようとしている節がある。それはそれで、面白いといえば面白い。

ただ、大竹まことは素直な人だから、荻上チキのようなテクニックは使わない。なんとかゲストから気持ちよく答えを引き出そうと、気を遣った質問をする。だからなおさらのこと、イラッとくるゲストが来たときには、ヒヤヒヤして聴いていられなくなるのである。

「メインディッシュ」のコーナーを早送りして、その後から聴くのを再開したら、大竹まことが、

「俺のインタビューがまずかったのかなあ…」

と、めずらしく引きずっていた。終始、そのゲストとはかみ合わなかったようである。

さて、その後に登場したのが、「大竹紳士交遊録」の隔週のレギュラー、武田砂鉄氏である。15分程度、時事問題をコラム的に話すのだが、相変わらず、切れ味があり、小気味よく、何より聴いていて楽しい。大竹まことも、武田砂鉄の言葉に共感をもってうなずき、ときに自分の意見をのびのびと主張する。それは、先ほどの「メインディッシュ」での不調を挽回するかのようであった。

それにしても、である。

同じライターという立場で、しかも同じスタンスで政権批判をしているように思えるにもかかわらず、「メインディッシュ」のゲストと、武田砂鉄氏とでは、なぜかくも印象が異なるのだろうか。

「言い方なのよ、すべては」

といういとうあさこの言葉を思い出した。

以前、「人は見た目が9割」という本があったと記憶しているが、その向こうを張って、ドキュメンタリー映画監督の森達也氏は、「見た目よりも声が重要だ」と言っていた。

いま調べたら、「人は話し方が9割」「伝え方が9割」という本もあるようである。しかし「話し方」「伝え方」というのは、声よりも内容や表現手法を重視しているニュアンスが感じられる。

やはり「言い方なのよ、すべては」に尽きる。僕が本を出すとしたら、タイトルはそうしよう。

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だんみっつぁん

1月13日(水)

緊急事態宣言に対して、職場としてどう対応したらいいのか?コロナ禍にさなかにあって、仕事をどのようにまわしていったらいいのか?

そんなことばかり考えさせられて、結局何もいい知恵が出ず、自分のふがいなさに落ち込むばかりである。これでは後手後手の対策しかしていない政府を批判できないではないか…。

憂鬱な日々なのだが、唯一癒やされるのは、往復5時間の車通勤でのラジオである。文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」をラジオクラウドで聴くのが楽しみである。

なかでも楽しみなのは、水曜日のオープニングでの、いとうあさこのトークである。最近は、月曜日の阿佐ヶ谷姉妹のトークが猛追している。

今週月曜日のオープニングで、阿佐ヶ谷姉妹が本番前にトイレに入り、二人同時に隣どうしの個室で用を足している最中に、妹のミホさんが、

「成人式は今はリモートでぇ‥」

と姉のエリコさんに語りかけるのだが、エリコさんは流水音を設定しているため、隣の個室で用を足しているミホさんの声が聞き取れず、

「え?え?え?」

と何度も聞き返すのだが、ミホさんはそれでもなお、

「だから成人式はリモートでぇ‥」

と語りかけ、そのたびにエリコさんが何度も、

「え?え?え?」

と聞き返していたのを、たまたまさらにその隣の個室で用を足していたガンバレルーヤのよしこさんが一部始終を聴いていて、それを面白おかしく再現していたのには、腹を抱えて笑った。

「全然聞こえなかったのよ。なんでこのタイミングで話しかけてくるのかしら?こっちは聞こえないために音を流しているわけでしょう?それなのにあえてそういうときにしゃべってきてねぇ」

「隣だから聞こえるだろうと思ってついつい話しかけちゃったのよ」

という、阿佐ヶ谷姉妹のやりとりも、たまらなく可笑しい。

…ま、わかる人だけにわかればよろしい。

だがそれよりも、いとうあさこなのである。いとうあさこが友だちなら、どーでもいい話をずっとしていられるような気がする。

水曜パートナーの壇蜜のことを「だんみっつぁん」と呼んでいるのも、「銭形のとっつぁん」みたいでそこはかとなく可笑しい。

ときおり壇蜜が、変なことを言ったときのいとうあさこのリアクションが、これまたそこはかとなく可笑しい。

今日のオープニングでは、壇蜜が「堅焼き」という、めちゃめちゃ堅いお菓子みたいな物を持ってきて、みんなに食べさせて面白がっていたのだが(ま、それじたいが僕には理解しがたい感覚なのだが)、その中に、白い粉をまぶしたお菓子があったらしく、

「あ~!怪しい白い粉がついてますよ。怪しい白い粉!」

と、これまたいつもの壇蜜らしく、物議を醸しそうな言い方を嬉しそうにしたわけだ。するといとうあさこは即座に、

「言い方なのよ、すべては」

と、たしなめるでもなく、ボソッと冷静にツッコミを入れた、そのやりとりが、無性に可笑しかったのである。というか、「言い方なのよ、すべては」とは、壇蜜の本質を見事に言い当てた言葉ではないだろうか。

僕の文章表現の拙さもあり、面白さが全然伝わってないと思うのだが、疲れているので、これ以上のことは書けない。というか、面白いと思っているのは俺だけか?

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生きていれば、きっとこんなことも起こるだろう

12月9日(水)

タイトルは、大林宣彦監督の映画「あした」が公開されたときのキャッチコピー「愛していれば、きっとこんなことも起こるだろう」の捩りである。映画「あした」は、大林監督にしてはめずらしいウェルメイドな群像劇だった。

そんなことはともかく。

仕事のストレスはたまる一方で、精神的にはなかなかキツい状況である。ハードル競走のような連日の会議をいかにして倒さずに走り抜けるか、とか、日々、矢のように降ってくる大小のトラブルをどうやって乗り切るか、と、そんなことばかりやっている。おかげで出勤するのがすっかり憂鬱になってしまった。

しかし人生、悪いことばかりではない。

今日の夕方、愛聴しているラジオ番組をリアルタイムで聴いていたら、昨日僕が番組宛てに出したメールが、またまた読まれた!しかも今回もまた実名である!

敬愛するラジオパーソナリティーが昨日の番組でうちの職場のイベントについて紹介してくれたことへの、お礼のメールを出したのである。

まさか2日続けて、うちの職場のイベントのことを取り上げてくれるなんてことはないよな。だってこの番組は、ほかに取り上げるべき話題が山ほどあるのだもの。

…と思っていたら、ご丁寧に僕のメールの全文を紹介してくれて、しかもそれに対する共感と絶賛のコメントをいただいたのである。

こちらの思いを全面的に受け止めてくれ、しかもその趣旨をリスナーに向けてさらに発信してくれたことが、何より嬉しい。

やっぱり一流の表現者というのはすごいね。僕の拙いメールの内容を、これほどまでに深く広く伝えてくれるのだから。

ここまで僕の気持ちの本質の部分をとらえてくれる人は、なかなかいない。同い年だし、もしどこかで出会っていたら、意気投合して無二の親友になっていたかも知れない、と、そう一方的に勘違いさせるほど、ありがたいコメントだった。ま、そう思わせてくれるからこそ、一流の表現者なのだろうけど。

僕の中では、これで大満足。「祭りは終わった」。

一流の表現者、といえば、もう一つ、嬉しいことがあった。

このブログでも何度か書いたことがあるが、ミュージシャンで文筆家の寺尾紗穂さん。以前、ある本で一緒にお仕事をしたことがあるのだが、面識はない。

僕は寺尾紗穂さんの音楽はもちろん、文章も大好きなのだが、やはりその本で一緒にお仕事をした若い友人が、寺尾紗穂さんのライブのお手伝いをすることになった、という連絡をもらった。

なぜわざわざそんな連絡をくれたのかというと、僕が寺尾紗穂さんの文章が好きだということを知っていて、ちょうどライブをお手伝いするという機会に、寺尾紗穂さんの本に僕宛てのサインをもらってくれる、というのだ。

これまた願ってもないことなので、お言葉に甘えてお願いすることにした。

そして今日。ライブの日。僕が大好きな『彗星の孤独』という本に、サインを書いてもらいましたと、連絡をいただいた。近いうちに仕事で会う予定なので、そのときに受け取ることになるだろう。

敬愛するラジオパーソナリティーと、敬愛するミュージシャン兼文筆家。

どちらもお会いしたことはないが、僕が憧れる一流の表現者である。

その二人から、同じ日に、僕宛てのメッセージをいただく。

「生きていたら、きっとこんなことも起こるだろう」というタイトルの意味は、そういうことである。

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4年越しの物語

11月18日(水)

先日書いた、あるラジオ番組へのお手紙が、なんと今日の番組のオープニングで紹介された!しかもラジオネームではなく、実名である。

ありがたいことに、敬愛するメインパーソナリティの方に、お手紙の全文、つまりA4用紙1枚分をまるまる読んでいただいた。

手紙の内容は、今回のうちの職場のイベントと、そのラジオ番組(正確に言えば、その前身番組なのだが)をめぐる、4年越しの不思議な縁についての物語である。

僕は4年前の出来事を、いつかそのパーソナリティに伝えたいと思っていたのだが、その勇気がなく、そのままにしておいた。それが喉の奥に刺さった魚の小骨の如く、僕の中に残り続けたのだが、先週の水曜日、うちの職場のイベントについてオープニングでたまたま取り上げてもらったことがきっかけとなり、もうこのタイミングしかないと思い、意を決して、いまのイベントの原点が4年前の出来事にあることを伝えることにしたのである。

そしたらあーた、初投稿で初採用である!しかも何度も言うが、実名である!ハガキ職人になれるんじゃないか?

いちばん嬉しかったのは、この4年越しの物語についての感慨や驚きを、メインパーソナリティの方と共有できたことである。メインパーソナリティの方のコメントは、まさに僕が言いたかったことでもあった。なにより、この「種明かし」を4年間熟成させたことについて喜んでもらったことが、リスナーとしては嬉しいことこの上ない。例えて言えば、すべての伏線を回収して大団円を迎えたときのカタルシスである。

ちょっとTwitterのタイムラインをのぞいたら、「むちゃくちゃいい話じゃん」とつぶやいてくれたリスナーもいて、この番組のリスナーは、前身番組のときから、ほんとうにまじめな人が多いなあ、とあらためて思った。だからこそ、僕の地味な手紙のようなものでも紹介していただけたのだろう。

最後の方なんか、「鬼瓦さ〜ん」と、メインパーソナリティから呼びかけられたもんね。もうこれ以上、何を望むことがあろうか。

一つ悩ましいのは、以前に「熱狂的なファン」と紹介されたあのラジオ番組とは、別の番組だということである。いや、どちらの番組も「熱狂的なファン」なんですよ!

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