趣味

喪失感ロス

水道橋博士と町山智浩さんの対談動画(「博士の異常な対談」)の別のところで、こんなことを言っていた。

「すべてのサブカルは雑誌から生まれた。映画も、音楽も、アニメも、テレビも、ガンプラも、すべては雑誌がプラットフォームになっていた。僕はそれに憧れて、雑誌の編集者になったが、いまはどうだ、雑誌の文化は完全に衰退してしまったではないか」と。

雑誌の世界だけではない、と町山さんは言う。高校や大学の同級生たちと話をすると、かつて花形と言われたどの業界も、例外なく衰退しているではないか。

そこでは話題に出なかったが、僕が好きなラジオも、いまや完全に衰退に向かっているとみてよいだろう。

いま僕がラジオを熱心に聴いているのは、ノスタルジーとして聴いているだけかもしれない。実際には、枯れ葉が1枚1枚落ちるように、だんだんと聴きたいと思う番組が減っていっているような気がする。

ちょっと前までだったら、それが喪失感、いまでいう「○○ロス」となっていたが、いまは、喪失感をあまり抱かなくなってしまった。やはり、大病を患ってからかなあ。

ぜんぜん関係ない話だが、上岡龍太郎さんが、ずっと昔、こんなことを言っていた。

「芸人で、帯の番組をやるヤツはアホ。芸人なんてものは、わがままで、時間にルーズで、世間の決め事を守らない象徴のようなもんや。毎日同じ時間に、同じところに行って仕事をするのは、サラリーマンと変わらへん」

これは、暗に「笑っていいとも」のタモさんへの批判だったのだが、その後、上岡さん自身が、「笑っていいとも」の裏番組で「おサイフいっぱいクイズ! QQQのQ」という帯番組の司会をやったことは、前言を翻す上岡さんらしくて面白かった(1998年に3か月だけTBSのお昼に放送された短命番組で、生放送ではなかったが)。

しかし、上岡さんの言葉は、いくぶんか本質を突いている。生放送の帯番組をやると、決められた時間に決められた場所に行き、ルールに従って仕事をしなければならない局面も出てくるので、どうしても会社勤めとさほど変わらなくなるような心持ちになるのではないだろうか。

それが、耐えられる芸人もいれば、耐えられない芸人もいる。大竹まことさんは、いまや達観しているのだろうけれども、一方で自由が制約されると感じる芸人がいても、決して不思議ではない。

僕も、基本的には気ままな生き方を好む方なのだが、いまはまるでお役所勤めのような毎日で、その生活に耐えられなくなるときがある。といって、そこから抜け出す勇気もない。

…なんでこんなとりとめのないことを書いたのだろう?まったくわからない。

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TBSラジオ70周年

12月24日(金)

昨年とは別の意味で、「とんだ仕事納め」だったが、実際は全然納まっておらず、重要な案件は年明けに持ち越しである。

今日は朝からTBSラジオで、70周年記念の特別番組である。

午前中は在宅で職場の会議に参加し、会議が終了したお昼に車で職場に向かう。ラジオをつけたら、特番の第2部で、ジェーン・スーさんと太田光の声が聞こえた。

あと一人、男性の声が聞こえたが、この声はひょっとしてハライチの岩井勇気ではないかな?、と思ってしばらく聴いていたら、はたして岩井勇気だった。すごくない?だって、ついちょっと前までは、岩井勇気のこと、まったく認識していなかったんだぜ。それがいまでは、声だけでわかるようになったんだから、「アシタノカレッジ 金曜日」の力は絶大である。

2時間半かけて職場に到着し、そこからまったく休みなしで次々と案件が降りかかってくる。あっという間に夜になってしまった。

帰りの車の中では、radikoのタイムフリーでTBSラジオの特番の第3部を聴いた。荻上チキさんと南部広美さんと武田砂鉄氏が司会で、TBSラジオのニュース・情報番組にゆかりのあるゲストが次々と登場した。

感慨深かったのは、「荒川強啓 デイキャッチ」の荒川強啓さんと、宮台真司氏と、青木理氏が3人で登場したときである。久しぶりに荒川強啓さんの声が聴けた。

「デイキャッチ」については、以前に「強啓ロス」というタイトルで書いたことがある。

この3人の話でおもしろかったのは、コメンテーターの二人から見た強啓さん像と、実際の強啓さんとが、まるで異なっていたことである。

宮台氏と青木氏は、「どんなにあぶない発言をしても、強啓さんがうまくまわしてくれるから、安心して好き勝手なことが言えた」と口を揃えていう。

しかし強啓さんは、「冗談じゃないですよ」という。「宮台さんはコメントの中で爆弾を投げて、ご自身のコーナーが終わると帰っちゃうからいいけど、こっちはそのあとも番組を続けなければいけないんですよ。宮台さんの過激な爆弾(発言)をどう処理していいか、いつも途方に暮れていましたよ」

それに対して二人は、「全然そんなふうにはみえませんでしたよ。いつも冷静に対応されていて…」と言っていたのだが、いやいやいや、リスナーの耳には、強啓さん、そういうときは明らかに困っていたぞ。

以前に僕はこんなことを書いた。

宮台真司の暴走に対して、さすがの強啓さんも、呆れて何も言えなくなる場面がしばしばあった。というか、宮台真司が暴走しすぎて何言ってるかわからない時の、強啓さんの困った感じ、というのがたまらなく好きだったのだ。」

今日はその答え合わせができた。やはり強啓さんは宮台氏の暴走に困っていたのだ。

そのあとも、「BATTLE TALK RADIO アクセス」とか「ニュース探求ラジオDig」だとか、夜のニュース番組を担当した論客たちがゲストに来た。その中で、個人的にちょっと苦手なタイプの人が出てきて、口調が横柄だし、いやだなあと思って聴いていた。

気がついたら、武田砂鉄氏もまったくそのゲストに絡もうとしない。ははあ~ん、ひょっとして砂鉄氏もこのゲストが苦手だな、あんまり関わりたくないような雰囲気を醸し出しているな、ということが、無言の様子から想像できた。

やはりラジオってすごいね。映像がなく、さらに無言なのにもかかわらず、その人の感情が透けてみえるのだから。

同日夜の「アシタノカレッジ 金曜日」のアフタートークで、(そのゲストが出たあとに)澤田大樹記者がゲストに出たときには、ホッとした、といったようなことを述べていた。これもまた答え合わせである。

ただ、「アクセス」をずっと聴いていた人からすれば、懐かしい声なのだろう。

僕が「BATTLE TALK RADIO アクセス」とか「ニュース探求ラジオDig」に対してまったく思い入れがないのは、ちょうどこのころ、ラジオを聴かなくなってしまったからだろう。しかも2000年から2014年までは、TBSラジオが聴けない地域で暮らしていたため、この時期のTBSラジオの番組は、ポカーンなのである。

ただ、朝の森本毅郎さんや、夕方の荒川強啓さんは、番組の一部が全国ネット化されていたから、ずーっと聴いていた、という印象がある。「話題のアンテナ 日本全国8時です」の小沢遼子さんとか荒川洋治さんとか、「デイキャッチ」内の「うわさの調査隊」とか、好きでよく聴いていたなあ。

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ラジオコントの復権

12月10日(金)

本日も、「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまで無事にたどり着いた。アフタートークを聴いたあとにこのブログを書くのが、1週間で至福の時間である。

昨日は都内某所で、6時間ノンストップの打合せがあった。約1年後に開催する、僕が代表をつとめるイベントについての打合せである。失敗して恥をかきたくないから、いまからいろいろと勉強しなくてはならない。

今日は僕がホスト役の責任の重い会議。揉めたらどうしようと気に病んでいたが、とくに揉めることなく原案で承認された。

「これでようやく年が越せますね」

と、この間、一緒にがんばってきた職員が言ってくれたが、まだまだ!僕にとっては明後日の日曜日から24日までの2週間が、本当の正念場なのだ。それについてはまたおいおいと書く。

ここ数日、ラジオコントについて考えている。

中学生の頃YMOのファンだった僕は、スネークマンショーの存在を知り、「音声だけのコント」に魅了された。それが「音声コント」との初めての出会いである。次に出会ったのは、SET(スーパー・エキセントリック・シアター)。「高橋幸宏のオールナイトニッポン」の中で「SET劇場」というコーナーがあり、三宅裕司率いる劇団によるラジオコントが毎週の楽しみだった。やがてSETはYMOの最後のアルバム『サーヴィス』で、曲と曲の間のコントを担当した。かつてスネークマンショーがYMOのアルバム『増殖』で、曲間に音声コントを演じていたごとくである。SETはその後、単独でギャグ主体にしたアルバム『ニッポノミクス』を発売したが、これが伝説の名盤だった。長らく廃盤だったが、最近、復刻されたらしい。

スネークマンショーはどちらかといえば毒味のあるシュールな音声コントという印象だったが、SETは、もっと大衆にわかりやすい音声コントをめざしていたように思う。いずれも、音質のクオリティーが高く、音声だけで笑わせることをとことん追求したコントユニットだった。

その後、ラジオコントとか音声コントに、トンと縁がなくなった。つまり僕は、10代以降、30年以上もラジオでコントを聴く機会がなかったのである。

ところがあるとき、僕がシティーボーイズのファンであることを知っている後輩から、「東京03ときたろうさんがコラボしたコントがとても面白いかったから、絶対に聴いてみて下さい」というメッセージが届いた。僕はぜんぜん知らなかったのだが、東京03というトリオのコント師が、NHKのラジオ番組「東京03の好きにさせるかッ」の中で、いろいろな人とユニットを組んでラジオコントをしているらしい。

僕は当然聞き逃していたので、そのとき初めて「らじる★らじる」という、民放でいうところの「radiko」のような聞き逃し配信アプリをインストールをして聴いてみたのだった。

そしたら、このコントが面白かったのだ。僕はこれを聴いているうちに、シティーボーイズの「夏への無意識」というコントライブを思い出した。会社をリストラされたサラリーマン3人が、公園で会社ごっこをしているうちに、どんどん公園に「社員」が集まってきて、あたかも本当の会社のようになってしまう、といった内容だったと思う。

東京03ときたろうさんのコントが、いかにもシティーボーイズっぽい世界観だなあと思っていたら、コントを作ったのはラブレターズの塚本氏という人で、シティーボーイズと同じ事務所のコント師だった。なるほど、シティーボーイズの血を受け継いでいるのねと、妙に納得したのである。

それからしばらくして、職場の同僚と立ち話の雑談をしていたとき、ふとラジオの話題になった。僕の趣味がラジオを聴くことであることは、職場で公言していたし、その同僚もラジオ好きらしかった。

「先日、あれがすごく面白かったんですよ。NHKのラジオでやってる『東京03の好きにさせるかッ』という番組で、東京03ときたろうさんがコントをやっていた回があって…」

「あれ、聴いてたんですか?」僕はビックリした。

「ええ」

「あれ、面白かったですよねえ」

「レジェンド級ですよ」

僕がシティーボーイズのファンであることを知らないその同僚が、なぜ唐突にそのときのラジオコントの話題を出したのかはよく覚えていないのだが、ピンポイントでその回の話題を出したのは、やはりよっぽど面白かったのである。

ただ、その後は忙しくてまったく聴かなくなってしまったのだが、つい最近、どうやらシティーボーイズと同じ事務所の阿佐ヶ谷姉妹も出演したらしいと聞いた。だがそれを知ったときはすでに放送が終わっていて、聞き逃し配信も聞き逃してしまった。

諦めていたら、偶然その回が動画サイトにあがっていて、聴いてみたら、やはり面白い!ラジオコントっていいなあ、と思わせてくれた時間だった。で、これもまた、台本を書いたのはラブレターズ塚本氏。

ラジオコントが面白くなるかどうかは、音質のクオリティーがよいかどうかにかかっている、というのが僕の持論である。漫才のように、ふたりが同じトーンで喋るのではなく、少し離れた場所で喋っている人がいたら、自然と声は遠くに聞こえるようにしなければならない。つまり距離感や空気感にこだわらないと、ラジオコントは面白くないのである。そしてその距離感や空気感をうまく使って想像力をかき立てる台本が、よい台本である。ラブレターズ塚本氏の台本は、そのツボを押さえていたので、面白かったのだ。

自分たちが演じるコントの台本を自分たちで書くよりも、ひょっとしたら、自分が考えたコントを他人に演じてもらう方が、面白いのかもしれない。やはり、世の中にコント作家というのは必要なのだ。

それに加えて、天下のNHKがこれを放送していることも重要である。音響や音質にことさらにこだわる放送局だからこそ、ラジオコントに最も向いているとも言える。最もクオリティーの高い音質で聴くと、ラジオコントはさらに面白くなる。

ラジオコントの傑作選をCD化してくれないかなあ。

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2分間の副産物

前回、NHKーFM「細野晴臣作曲講座」を録音したカセットテープを3時間45分かけてMP3に変換したあと、動画サイトにすでにアップロードされていて徒労に終わった、という内容の記事を書いたが、実はまったく徒労に終わったわけではなかった。

この番組は45分番組だったので、片面45分、両面90分のカセットテープに番組を録音していた。つまり片面に1回分の番組をまるまる録音したのである。

当時はタイマー録音の機能などなかったが、どうやら当時の僕は相当に律儀だったらしく、番組が始まる数分前から録音のスタンバイをして、時報とともに録音ボタンを押し、番組のエンディングテーマがフェイドアウトするとすぐに停止ボタンを押していた。

カセットテープは片面45分といっても、きっちり45分で終わるのではなく、2~3分ていどの「のりしろ」があった。

細野さんの番組のエンディングテーマが終わると、当時の僕はすぐに録音の停止ボタンを押したのだが、いま聴き直してみると、さらにそのあとのところに、以前に録音した番組の音源が残っていたことに気づいた。つまり前に録音した番組の上に、「細野晴臣作曲講座」を重ねて録音していたのである。

では、その上書きされてしまった番組とは何だったのだろう、と注意深く聴くと、近石真介さんと平野文さんのトークが聞こえてきた。

なんと、NHK第一放送の「おしゃべり歌謡曲」の音源だったのである!

このブログのヘビーリスナーにはおなじみの、あの「おしゃべり歌謡曲」ですよ!

残っていたのは、わずか2分ほどであった。どうやら誰かのお便りを読んで(そのお便りを読んだ部分は残っていない)、そのお便りを受けて、二人が他愛もないエピソードトークをふくらませる、という、近石さんが得意とする「はがきでこんにちは」的な展開の場面である。

わずか2分間だけであるが、当時の二人の丁々発止のやりとりを垣間見るには十分な時間であった。

さて、この「おしゃべり歌謡曲」の音源は、NHKにもほとんど保存されていないらしい。「NHK番組発掘プロジェクト通信」というサイトによれば、「2020年度、こんなラジオ番組を探しています!」という番組の中に、「おしゃべり歌謡曲」が含まれていた。

ということは、2分間だけでもこの番組の音源が残っていたというのは、かなり貴重なのではないだろうか?

さて、そのサイトにあがっている番組データは、以下の通りである。

「◆おしゃべり歌謡曲(1978~82年 ラジオ第1)

趣向をこらした歌謡曲のディスクジョッキー番組。男女コンビのパーソナリティーが担当。月曜から金曜午後8時台に放送。(年度前半は月・水・金)保存はほとんどありません。

主なDJ:春日三球・照代、ケーシー高峰・山本百合子、千昌夫・Jシェパード、浜村淳・三浦弘子、浜村淳・平野文、タモリ・三浦弘子、近石真介・平野文」

これだけの情報しかないが、これを読むと、「おしゃべり歌謡曲」のパーソナリティーがけっこう頻繁に変わっていたことがわかる。僕が聴いていたのは、「近石真介・平野文」コンビの時だけである。

いや、正確に言うと、「近石真介・平野文」コンビは長らく名コンビとして好評を博していたが、番組の終わりの方は、平野文さんと「みつおかまり」さんという方が交替で近石さんとコンビを組むようになったと記憶している。だがこのデータには、「みつおかまり」さんがパーソナリティをつとめていたという記載がない。

「みつおかまり」で検索をしてみると、「光丘真理」さんという児童文芸作家のお名前があがった。この方は以前に俳優をされていたということなので、おそらく「おしゃべり歌謡曲」のパーソナリティを短期間つとめた「みつおかまり」さんと同一人物とみて間違いないと思う。

…というか、こんなニッチな情報、誰が求めているのか?

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フラットになる境地

塩見三省、という役者の名前を初めて知ったのは、中原俊監督の映画「12人の優しい日本人」(1991年)である。この中で塩見さんは、「陪審員1号」の役を演じていた。

それからいろいろなドラマや映画で見かけるようになったが、そのあとしばらく見かけなくなり、2019年の大河ドラマ「いだてん」で、犬養毅役で出演していたのを観たのが、じつに久しぶりだった。

調べてみたら、7年前、66歳の時に脳出血を患い、左半身が麻痺して、闘病生活を続けてこられたという。

先日、塩見三省さんが、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のメインコーナー「大竹メインディッシュ」に、ゲストとして出演されていた。そこで、これまでの7年間の闘病生活などが語られた。

懸命なリハビリをしていたが、まだ左半身の麻痺は残っており、完全に回復したわけではないという。

とつぜんの病に襲われた最初の頃は、「この壁は乗り越えられないのではないか」と思い、泣いて嘆いて恨んで、という日々だった。

そうした精神状況が1年ほど続いた。「そういう時って、最近はすぐに前を向けとか言いますよね。病にかかったときとか、事故に遭ったときとか、災害に遭ったときとか…。でも僕はそうではなくて、とことん泣いて、とことん苦しんで、そこからようやく自分の中のフラットな感じを取り戻せて、誰かの助けを借りれば何かができるんじゃないかな。というところまで来ました」

ラジオの中で、次のようなやりとりが印象的だった。

塩見「自分の中で、許容範囲が自分でもわかっていて、その許容範囲を、何かになろうとして、ちょっと越えたところで病気になったんじゃないかな、と思ったりもするんですよね」

大竹「でも破竹の勢いの時だから、やっぱりちょっと…」

塩見「やらないわけにはいかないですよね」

大竹「仕事が来たからにはね、役者はそれを常に待っているわけですからね」

塩見「でも今ね、倒れて7年経って、すべてがやっとここでフラットになった、という感じがあるんです。自分はこれまでマイナスだったけど、ここから新しいスタートを切れるんだな、と。みんないま、病でも事故でもコロナでも、苦しんでいる方は大勢いらっしゃると思うんですけど、俺はあなたたちの味方だ、ゆっくりと、自分のペースで、『俺は俺なんだ』という感覚でいてほしいな、と」

自分に重ね合わせてみると、僕も4年前に大病を患ったものの、まだその境地には達していない。これからは、できるだけ自分なりのペースで、無理をせずゆっくりと仕事をしたいと思いながらも、なかなか現実にはそうはならない。これでも以前に比べれば、かなり仕事は断っているのだが、それでもまだ、もともと許容範囲が狭い僕が、それ以上の仕事をしているという感覚は変わらない。まだ野心の方が勝っているのかもしれない。

自分がフラットになる感覚になるのは、いつのことだろう。

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マチズモの岩盤

8月6日(金)

2回目のワクチン接種から2日経ったが、さしたる副反応はなし。

昨日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」では、カナダからリモートで光浦靖子さんが出演していた。

木曜パートナーとして出演していたのだが、番組の冒頭はWi-Fiの調子が悪く、本来パートナーを務める光浦さんに代わって、ヒコロヒーがパートナーの席に座っていた。いわば大竹まことへの合いの手を打つ役割である。

このヒコロヒーがなかなかよかった。まだ番組の準レギュラーになって間もないというのに、まったく不自然な感じがしない。パートナー役として十分に成立している。

さて、「カナダからの配信」はというと、音声がとぎれとぎれになりながらも、カナダでの語学留学生活の楽しさが十分に伝わっていた。

バスで40分かけて語学教室に通う。バスの時刻表の関係で、教室にずいぶんと早く着いてしまい、いつも一番乗りである。そのうち、自分よりも若い生徒が次々と教室にあらわれる。

50歳の光浦さんからしたら、自分以外はかなり若い人ばかりである。語学学校は、できるだけ日本人が少ないところ、できれば誰もいないところがいいと思い、カナダのバンクーバーを選んだ。しかしコロナの影響で、留学先をカナダに帰る日本人が増えたこともあり、いま通っている語学学校にも何人か日本人がいる。それでも少ない方なのだそうだ。

聴いていて、40歳の時に韓国に留学したときのことを思い出した。

自分以外は20代の中国人留学生。日本人は僕1人。最初はどうやってコミュニケーションをとろうかと思ったけれど、最終的にはみんなと仲良くなり、とても楽しかった。人生で、あの時を超える楽しい時間は、もう訪れないのだろうか。

50歳の光浦さんが、「いまが楽しくてしょうがない」と言っているのを聴いて、また留学したいと思った。

今日の午後は、オンラインによる打合せがあった。僕にとってはどちらかといえば気が進まない打合せで、時折会話の端々に出てくるマチズモの発言に、耐えられなくなった。マチズモの岩盤は、とても固いのだ。

すっかりふてくされてしまったのだが、金曜夜のTBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」で気持ちを立て直すことにする。

今日の番組後半の「ニュースエトセトラ」は、澤田大樹記者に代わり崎山敏也記者だった。

僕はSession22の「原発ニュース」時代からの崎山記者のファンである。忘れ去られそうになる小さな声に耳を傾け、それを忘れてもらわないように伝えることを信条とする。アナログな方法に裏打ちされた、たしかな取材に、つい、耳を傾けてしまう。

武田砂鉄氏も、いつものような澤田大樹記者との丁々発止のやりとりではなく、崎山記者の言葉にじっくりと耳を傾けている。

崎山記者のようなまなざしで、取材対象とじっくりと関わり、それを形にできることが、記者の本来の姿なのではないか、と、最近の記者会見などでの記者のふるまいを見ていると、そう思う。これはうちの業界についても同じことがいえる。

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カセットテープ

7月10日(土)

3歳4か月の娘を連れて、実家に行く。

今日は日中の気温が33度というので、公園には行かず、家の中で過ごす。

娘が昼寝をしている間、僕は以前から実家でやりたいと思っていたことを、重い腰を上げて実行することにした。

それは、カセットテープの探索である。

実家には10代の頃に使っていたカセットテープが何本もある。そのまま全部残っているわけではなく、かなりの数は廃棄処分にしたのだが、それでも数十本はまだ残っている。しかし、僕のズボラな性格が災いして、その多くは、そのカセットテープに何が録音されているのかを文字で記録して居らず、中身を聞いてみなければわからない。

しっかり記録しているものの多くは、友だちにレコードを借りて録音したもので、それはそのときに記録したために、中身を聞かなくてもどんな音源が入っているのかがわかる。

しかし、ラジオのエアチェックをして録音したものなんかは、まったく何も書いていないので、いちいち中身を聴いてみないとわからないのである。

今回の探索の目的は、2つである。

1.僕のリクエストはがきが初めて採用された、小学校6年の時のNHKラジオ「おしゃべり歌謡曲」 の音源である。たしか、録音したものをくり返し聴いていた記憶があるから、その回を録音したテープはどこかに残っているはずである。

2.高校生の時に聴いたFM東京「渡辺貞夫マイディアライフ」の中で放送された、1984年11月18日に中野サンプラザで行われた、東京フィルとのジョイントコンサートのライブ音源である。このときの「TSUMAGOI」という曲がとてもよかったので、もう一度聴きたいのである。

ということで、この2つを探すことを目的に、テープを片っ端から聴いたのだが、実家にあったテープレコーダーを使って、早送りをしたり巻き戻しをしたりしながら確認する作業は、とてもまどろっこしい!!もはやすっかりデジタル音源に自分の身体が慣れてしまっているのだなと痛感する。

結論から言うと、1.の音源は見つからず。2.の音源は、奇跡的に発見された。1984年12月8日放送分である。

以前にも書いたことがあるが、「渡辺貞夫 マイディアライフ」の冒頭の小林克也の語りはすばらしい。

今回見つけたのは、こんなオープニングである。

「夜、ピアノの部屋に五線紙が落ちていた。

古ぼけたボストン留学の頃の懐かしい1枚。

片隅に「貞夫へ」と、友人が巨匠の言葉を書き記した。

「君は学ぶべきだ。しかし君のハードワークは演奏の中に聞こえてはならない。

音楽はあたかも風の如く」-コールマン・ホーキンス-

ジャズ仲間に伝わるこの名句を、友は卒業の記念に書いてくれた。

夜更けの部屋に、そのとき、荒々しいけれど、どこか人なつっこい風の一吹きを感じた。

さわやかな香り。資生堂ブラバス。

この番組は、東京銀座資生堂の提供でお送りいたします」

この語りのバックに、渡辺貞夫の「マイ・ディア・ライフ」が流れるんだから、これ以上何を望むことがあろう。しかも土曜深夜12時に放送されていたんだぜ。贅沢な週末だったじゃあないか。

まあそれはともかく。

目的だった「TSUMAGOI」の1984年中野サンプラザバージョンを聴くことができて満足だったのだが、他のカセットテープの中にも、僕にとってとても懐かしいものや、すっかり忘れていたが「よくとっておいたなあ」と感激したものがいくつかあった。

NHK-FM「坂本龍一のサウンドストリート」の音源がいくつか残っていたが、なかでも「かしぶち哲郎コンサート」の模様を放送した回が残っていたことは、とても貴重だった。

NHK-FM「軽音楽をあなたに」という番組で放送されたバート・バカラック特集も懐かしかった。僕が高1の時である。たぶんNHKにも音源が残っていないのではないだろうか。当時これを聴いて、バカラックの曲を高校の吹奏楽部で演奏したいと思い、演奏会の曲目を決める「選曲会議」の場で、バカラックのある曲を推薦した記憶があるのだが、スコアがないという理由でまっ先に却下された。

あの曲は、いったいなんだったっけ?大人になってからバカラックのベスト盤みたいのを買ったりして聴いてみたのだが、どうしてもその曲が見つからない。

それが、このテープを聴いて解決した。「ストリートトーク」というタイトルの曲だった。

いまから思うと、なぜこの、バカラックの中でもそれほど有名ではない曲を吹奏楽で演奏したいと思ったのか、よくわからない。どうかしてたとしか言えない。

あとはねえ。

アルトサックス奏者のMALTAのライブ音源を録音しているものがいくつかあった。

なかでも感動したのは、「ゴールデンライブステージ」というラジオ番組で放送された、MALTAの初のコンサートの音源が残っていたことである。僕は高1の時、このコンサートに行った。たぶんこれが、自分でチケットを買って行った最初のコンサートだったと思う(以前にコンサートの場所を「新宿の厚生年金会館」と書いてしまったが、これは僕の記憶違いで、正しくは五反田の簡易保険ホールである)。記録によれば、コンサートの日は1984年11月17日であった。

ん?まてよ。そうすると、1984年11月17日に五反田の簡易保険ホールでMALTAのコンサートがあって、その翌日の18日に渡辺貞夫が中野サンプラザで東京フィルをしたがえてコンサートをしていた、ということか。まさに、アルトサックスの全盛期である!

それはともかく。

自分の行ったコンサートがラジオで放送されたことをまったく覚えていないのだが、当時は、エアチェックをしてちゃんと録音していたんだな。ネットのない当時にどうやってこういう情報をマメに集めていたのか、覚えていない。

MALTAのライブ音源は、ほかにも「ウィークエンドライブスペシャル」(1985年)というラジオ番組(たぶんNHK)でスタジオライブをしている回も録音していた。

あと、TBSラジオネタを二つ。

一つは、引き続きMALTAのライブ音源なのだが、TBSラジオ「ハニーサウンドオンライブ」という番組で、番組進行はなんと、先般亡くなられた若山弦蔵さん!これはかなり貴重ではないか!「ハニーサウンドオンライブ」のことは、若山弦蔵さんのWikipediaにも載ってないぞ!

もう一つは、「こんチワ近石真介」。1本だけ録音されていたものが残っていた。オープニングからエンディングまで残っている。全部は聴けなかったので、「口笛吹きと犬」のテーマ曲とともに始まる歯切れのいいオープニングトークと、「はがきでこんにちは」のコーナーを聴いた。懐かしい。ただし、聴くことはできるのだが、テープの状態が脆弱なので、くり返し再生するのがちょっと怖い。

…というわけで今回は、興味のない方にはまったくどうでもいいような内容を延々と書いてしまったが、これも読者離れキャンペーンの一環である。

で、結局何が言いたいかというと。

これらのカセットテープに記録された音を、できればデジタル化したい、と思っているのだが、簡易にできる方法などはあるのだろうか。あまりにめんどうなのであれば、やらない。

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キラキラはゴールデンだった!

7月1日(木)

今週一番気になっていたこと。

それは、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ 木曜日」のパートナーが誰になるか、ということである。

光浦靖子さんがカナダに長期留学することになったため、レギュラーを退くことになり、その代わりをつとめるパートナーは誰になるのか、もう気になって気になって仕方がない。

病院から職場に移動中の車の中で、運よくリアタイで「ゴールデンラジオ」を聴くことができた!

途中から聴いたので最初はわからなかったが、聴いているうちに、その声が小島慶子さんだということがわかった。

いいところ突いてくるねえ。

かつては、平日の同じ時間帯で、TBSの「キラキラ」と文化放送の「ゴールデンラジオ」が聴取率をめぐってしのぎを削っていた。それがいまや一緒に聴けるっていうんだから、驚いたねえ。

こういうのを何て言うの?合従連衡?

トークは抜群の安定感である。考えてみれば、ほかの曜日のパートナーは、タレントや芸人や作家なので、提供読みとか天気予報、交通情報といったところが、少したどたどしかったりするのだが、小島アナは他の追随を許さない。もちろんたどたどしさが「味」だったりするので、それもまたよいのだが。

小島アナの登板は、どうやら毎週ではないらしい。来週はまた別のパートナーが来るようなので、しばらくは、木曜日が気になって仕方がない。

 

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「はがきでこんにちは」をラジオ遺産に!

先週の土曜日、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」は、「ありがとう、若山弦蔵さん」と題する、若山弦蔵さんの追悼特集だった。

リアルタイムで聴くことができなかったので、radikoのタイムフリーで聴いたのだが、ゲストは毒蝮三太夫さんで、マムシさんらしい毒舌で、若山弦蔵さんの思い出話を語っていた。

僕の中で、TBSラジオ平日の帯番組の「レジェンド・パーソナリティー」というのは、近石真介、大沢悠里、若山弦蔵、毒蝮三太夫の4人なのだが、(土日を含めるとこれに永六輔が加わる)。実際、この4人は、たまに会って飲みに行く間柄だったらしい(ただし近石真介さんは下戸)。

TBSラジオの平日のワイド番組は、一時期、というか僕が小学生の頃は、近石真介→大沢悠里→若山弦蔵というリレーでおこなわれた。いまでいうと、伊集院光→ジェーン・スー→赤江珠緒→荻上チキの流れに相当する。

さて、この番組の中盤ごろ、近石真介さんが電話出演して、若山弦蔵さんの思い出を語っていた。近石さんは現在90歳である。

僕は、この4人の中でも、とりわけ近石真介さんに思い入れがあり僕のラジオの原体験だった。久しぶりに聴く声を懐かしく思ったのだが、さすがに90歳ともなると、電話口の声に衰えを感じないわけにはいかず、それでも、お元気そうな声ではっきりとお話になっていたことに安堵した。

しかし番組で大沢悠里さんが語っていたところによると、近石さんは昨年、体調を崩されたらしい。声の伸びやかさがかつてほどではないなあ、と感じたのは、そのせいかもしれない。

「最近はほとんど仕事をしていない」と言っていたので、気になって調べてみると、近石さんのラジオ番組「はがきでこんにちは」が、2020年9月25日に終了したとあった(Wikipediaによる)。1971年10月4日のスタート以来、49年の歴史に幕を閉じたことになる。

以前にも書いたが、「はがきでこんにちは」は、5分の番組で、近石さんが視聴者から寄せられた1枚のはがきを読み、それについて近石さんがコメントを言う、という、実にシンプルな内容で、はがきの内容も、日常のごくありふれた話ばかりで、近年のようにウケをねらったような内容では決してない。

とりとめのないはがきの内容に、近石さんが共感しながらとりとめのないコメントを言う、そしてそのコメントを聞きたいというリスナーがまたとりとめのない内容のはがきを送る、というサイクルで、49年も続けてきたのである。

くり返すが、これこそが、ラジオ番組の究極の形、最終形態なのではないか!

何度でも言う。「はがきでこんにちは」をラジオ遺産に!と。

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時間を弄ぶ

6月11日(金)

今週もいろいろなことがあった。

大半は、会議やら打ち合わせやら、交渉事やらで、すっかり疲弊してしまった。

もともと根回しをしたり交渉事をしたりするのが大の苦手なので、それだけで苦痛である。

しかも、トラブルを丸く収めたり、猫に鈴をつけるネズミのような仕事をしたり、ちょっとキレ気味な相手からの罵倒を平身低頭でやり過ごしたりと、合間合間に、まあほんとうに、いろいろなことが次々と起こる。

誰かが裏で「キュー」を出してるんじゃないか、と思いたくなる。

僕が以前に編み出した名言「人生はトゥルーマンショー」は、いまだに誰の共感も得ていないが、やはりこの世の真理なのだ。

世の中には、思い込みの激しい人や、クセの強い人や、アクの強い人や、うっかり地雷を踏むと激高する人など、いろいろである。僕も他人から見れば、その中のどれかにあてはまるのかもしれない。

もちろん僕も苦手な人は多いが、どんな苦手な人に対しても、安住紳一郎アナウンサーが言うところの「傾聴姿勢」を心がけている。そんなこともあって、僕は職場の人たちから、全方位外交ができる人、と思われているのか、とにかくもめ事を丸く収める仕事を任されることが多い。もちろん僕自身がトラブルの火種となることも多いのだが。

まあそんなこんなで、本来は人と関わりたくない「ソロ活」が大好きなのだが、最近は仕事で矢面に立たされることが多く、それがなかなかのストレスである。

今日も帰りが遅くなったのだが、帰りの車中で21時30分からのTBSラジオ「問わず語りの神田伯山」を聴き、ちょうど家に着いたときには夜10時になっていた。家族はすっかり眠っている。

急いでお風呂に入り、楽しみにしていたTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」を聴く。今日のゲストは光浦靖子さんだ、武田砂鉄氏との対談が楽しみだなあと思って待っていたら、直前になって光浦さんが体調不良のためキャンセル。ゲストコーナーの40分がまるまると空いてしまったという事態になった。さすがの武田砂鉄氏もこのハプニングに慌てて「みなさんのメールが頼りです!」とリスナーに呼びかけていたが、そこに、本来11時台後半のニュース解説のコーナーにレギュラー出演している澤田大樹記者がすでにTBSラジオ入りしたことがわかり、急遽ニュースのコーナーを前倒しして、本来光浦さんがゲスト出演するはずだった時間枠に出演することになった。

いつもなら、澤田記者は自らが出演するギリギリの時間にスタジオ入りするそうなのだが、今日はたまたま早くからTBSラジオにいる。その理由は、「いつもならば金曜夜は菅首相の記者会見やぶら下がり取材をしたあとでTBSラジオ入りすることが多いのだが、今日は菅首相がG7サミット出席のため日本に不在で、夜の取材がないために早めに来た」ということだった。

渡りに船というのか、立ってるものは親でも使えというのか、たまたま早めに来て手持ち無沙汰にしていた澤田大樹記者を急遽スタジオに招き入れ、それ以降、2時間にわたって、武田砂鉄氏と澤田大樹記者の二人によるさながらオールナイトニッポンのようなラジオトークが展開されたのである。

しかし、2時間ずっとニュース解説というのは飽きるから、途中でリスナーのメールをいつもより多めに紹介していたのだが、そのメールも、だんだんどーでもいい内容になってきて、「夕食は何時に食べるのですか」とか、「おにぎりの具では何が好きですか?」とか、「うまい棒は何味が好きですか?」といった、超どーでもいい質問が取り上げられ、それに対して二人が答えるという展開になった。

しかしまあその力の抜け具合が、疲れて帰ってきた僕のテンションにはなかなかよろしくて、この二人のトーク、いつまでも聴いていられるなあという気になるから不思議である。

手持ち無沙汰になった時間をどーでもいい会話で弄ぶ感覚は、僕自身、久しく経験していない。思えば、それが贅沢な時間の使い方なのかもしれない。

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