笑いは格闘技、なのか?
11月21日(金)に、TBS ラジオの「武田砂鉄のプレ金ナイト」を久しぶりに聴いた。健康な頃は毎週リアルタイムで聴いていたのに、病気をしてからそのモチベーションが上がらなかったのである。
久しぶりに聴いたといっても全編ではない。ゲストコーナーのみである。この日のゲストは芸人で歌手のタブレット純さんだったので、これはぜひ聴かねばと思ったのである。
タブレット純さんは、大竹まことさんと武田砂鉄さんの優しさに守られて、今日まで芸人を続けてこられることができたと言っても過言ではない。
決してテレビ向きの芸人ではない。いま流行りの「ひな壇芸人」には到底なり得ない。
自分はラジオ向きだと本人は言う。その通りである。テレビに出た時の数々の失敗を告白した。
それに対してラジオは、テレビのような尺を気にせず、しかもテレビ的に「正解」のコメントやリアクションを求められることもない。むしろ自分自身をさらけ出すことができる。ラジオというのは人間そのものなのだ。大竹まことさんが「俺はラジオだ」と言ったのはそういうことではないか。
気弱な芸人、タブレット純さんが珍しくテレビ業界のお笑いに切り込んでいる。もちろん砂鉄さんとの掛け合いでトークは面白く仕上がっていたが、僕には頷くことばかりだった。
なかでもハッとしたのは、毎年この時期に行われるお笑いの賞レースのことである。タブレット純さんもコンテスト的なものに出て苦渋をなめた経験が何度もある。賞レースに勝ち抜くことはたしかに芸人冥利に尽きるのだが、はたしてそれでよいのだろうか?
賞レースに勝つために、そこに照準を合わせてネタやコンディションを整えることが、本当によいことなのだろうか。
自分(タブレット純)はあまり客の入らない寄席に出ることが多いが、どんなときでも、目の前にいるお客さんに笑いを届けて帰ってもらおうとしている。賞レースの日がお笑いネタの頂点になるように調整することは自分にはできない。
これを客観的に聞けば、芸人の「敗者の弁」あるいは「負け惜しみ」に聞こえるかもしれない。
しかしそもそもお笑いは勝ち負けなのか?格闘技のようなものなのか?お笑いの賞レースがテレビで始まった頃、これからはお笑いの潮目が変わるかも知れないと感じたものである。もちろんそれを支持する人があってもいい。僕も最初の頃はお笑いの賞レースを楽しんで視ていたクチである。
しかしいまは、マイナーで不器用な芸人のタブレット純さんを支持している。タブレット純さんが引き続き芸人でいられるようなお笑い業界であり続けることを、切に望んでいる。


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