音楽

コンサート

12月1日(金)

午後の会議を終えて、急ぎ都内に向かう。今日の夜はあるミュージシャンのコンサートに行くことになっていた。

この夏に若くして亡くなった知り合いの編集者が好きだったミュージシャンの1人だ。毎年この時期に、都内の立派なホールでコンサートを1日だけするというので、編集者にゆかりのある人で行くことになったのである。ピアノの弾き語りをするミュージシャンである。

ミュージシャンのコンサートなんて何年ぶりだろう、と思い出すと、ちょうど10年前に、前の勤務地に住んでいるときに行った矢野顕子さんのコンサート以来のような気がする。矢野顕子さんがピアノの弾き語りをするコンサートだった。

入口で整理券の番号順に並んでいると、ひとりのおじさんが入場整理をしている。

「整理券番号1番から100番の人、お入りください!」ずいぶんと手慣れている。

「あの方は、このコンサートの企画者ですよ」

と、同行の人が教えてくれた。

「え?そうなんですか?」

「ええ、もう10年以上も、このミュージシャンと二人三脚でコンサートをおこなっているのです」

そうはいっても、マネージャーというわけでもないらしい。現在の正式なご職業は不明である。

「じゃあ、まだ売れない頃からこのミュージシャンに賭けていたわけですね」

「そうでしょうね。将来は絶対にこのホールでコンサートをするんだと言っていたそうですから、夢が叶ったというわけです」

「まるで執筆者と編集者の関係みたいですね」

「なるほど、言われてみればそうですね」

それにしても、このコンサートの企画者本人が、入場整理をするだろうか。入場整理が終わったら、今度は壇上に立って司会をこなしている。このコンサートにかける愛情が並大抵のものではないことがうかがい知れた。

今回は、新たな試みをとりいれたようで、実に不思議な感覚を覚えた。あっという間の2時間だった。

このコンサートには、亡くなった編集者のお連れあいの方も来ていて、お通夜の席でご挨拶した程度だったのだが、初めてちゃんとお話しすることができた。思い出話は尽きなかった。

| | コメント (1)

だれも知らないKAN

KANさんといえば、「愛は勝つ」である。僕はちょうど大学生のころで、「愛は勝つ」が収められているアルバム『野球選手が夢だった』を買った覚えがある。

しかし僕の中でKANさんといえば、大林宣彦監督の映画『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしきひとびとの群』(1988年作品)で、劇伴音楽を担当していた、ということのほうが、思い出深い。しかしこの映画は、映画業界のさまざまなトラブルに巻き込まれ、ごくわずかの劇場でしか公開されることがなかったが、大林映画の集大成ともいわれている。

で、その映画の劇伴音楽を担当したのが、KANさんであった。Wikipediaから引用する。

「音楽は後に「愛は勝つ」を大ヒットさせるKANが担当。山本又一朗主宰のフィルムリンク・インターナショナルの関連会社に、当時KANが所属していたことから話が持ち込まれた。レコードデビューする以前の作曲で、KANにとってはプロとしての初仕事であった。予算がないため、全てシンセサイザーによる作曲で、録音は無料で使えたヤマハのスタジオで行った。サントラは当初発売されなかったが、大林宣彦サントラコレクションシリーズの中でCD化されている。(バップ、1998年発売)」

僕はこの映画のDVDを観て、その音楽に取り憑かれ、だれだろうと思ってクレジットを確認すると「KAN」とあった。え?KANって、あのKAN?と、最初は「愛は勝つ」の人と同じなのか別人なのかわからなかったので、それで僕はそれを確かめようと『野球選手が夢だった』を買ったのである。しかし、あの劇伴音楽の、もの悲しさをイメージするような曲は、片鱗もなかった。それでも当時、このアルバムを繰り返し聴いていた。

1998年に映画のサントラが発売になって、さっそく手に入れてこれも繰り返し聴いた。この曲は、紛れもなく心に残る名曲である。いまでも僕はKANさんの楽曲の中でこの映画の劇伴がいちばん好きである。たぶん、これはKANさんが手がけた曲ですよといわれても、ファンですら驚くに違いない。

俺は、デビュー前からKANの音楽を知っていたんだぜ。

| | コメント (1)

俺たちに未来はあるか

11月18日(土)

先週に引き続き、5歳の娘をピアノ教室に連れていく。

先週、「ガラガラ抽選器」の思う壺になってイタい目に遭った。今週も同じ場所にガラガラ抽選器が置いてあるのを見つけたので、先週とは違う入口から入ることで、事なきを得た。

そのビルの6階のフロアーはまるまる音楽教室になっていて、ピアノのほかにも、さまざまな楽器の教室がある。

娘を連れて何度かこの音楽教室に通っていると、あることに気づいた。

おそらく会社を定年退職して悠々自適に過ごしているのであろうオジさんの姿がちらほらみられるのだが、音楽教室を行き来するオジさんたちは、かなりの高確率で「アルトサックス」を手にしているのである。つまり、オジさんたちのほとんどが、アルトサックスを習っている。というか、アルトサックスを習っている人のほとんどが、定年退職後のオジさんなのだ。

僕は高校時代に、吹奏楽の部活に入り、アルトサックスを吹いていた。たしかにアルトサックスは、ひとりで楽器を習得するには手軽なのである。ほかの楽器と違って、音が出しやすいし、大きさも手頃だし、それを持ち歩いている姿もなかなか絵になる。そういう諸々の理由で、定年退職後のオジさんの間でアルトサックスがもてはやされているのではないだろうか。そうか、俺ももう一度アルトサックスを習ってみるかな、という気持ちにさせてくれる。

音楽教室のフロアには30部屋近くの個室があるのだが、娘がいつもピアノのお稽古をする部屋のはす向かいから、いつもアルトサックスの音が漏れ聞こえてくる。

練習している音楽が、ジャズとかフュージョンだったら、まあわかるのだけれども、そうではなく、練習している曲はドリカムの「未来予想図Ⅱ」なのだ。それも、延々と、くり返しくり返し、耳について離れないほど、アルトサックスの音色の「未来予想図Ⅱ」が聞こえてくる。アルトサックスだけなので、当然、バックバンドのようなものもなく、ひたすら、「未来予想図Ⅱ」のメロディーだけをもの悲しく吹いているのである。

おいおい、「未来予想図Ⅱ」を演奏したいためにアルトサックスを習ったのかよ!いや、それは別に人それぞれに好みがあるのだから、全然かまわないのだけれど、ただ僕自身が、せっかくアルトサックスを習いたいといったときに、課題曲が「未来予想図Ⅱ」というのは勘弁してほしい。もちろんいい曲だということはわかってますよ!でも2007年の曲ですよ!どうしてその曲をチョイスしたのか、逆に知りたい。

さてそうなると、どんな人が演奏しているのか、気になって仕方がない。そんなことを詮索するのが下品だということを百も承知で、やはりどうしても見たくなる。

僕はその部屋に何気なく近づいていって、ドアのところにある小窓みたいなところから見てみると、やはり定年退職後のオジさんとおぼしき人が、「未来予想図Ⅱ」を吹いていた。

いや、全然それはかまわないんです。かまわないんだけど、定年退職後の「未来予想図」って…。どんな予想図を思い浮かべながら演奏しているのだろうと、僕は切なくなった。

| | コメント (0)

むかし、フュージョン音楽というものがありまして

いまは死語になったのだろうか、10代のころはフュージョン音楽がわりと好きだった。僕が10代の頃の1980年代は、フュージョン音楽が全盛期だったと思う。

中学生の頃にYMOを聴くようになってから、インストゥルメンタルの音楽が好きになった。坂本龍一さんのソロデビューアルバムの『千のナイフ』は、たしかフュージョン音楽の分類に入れられていたと思う。前にも書いたと思うが、坂本龍一さんは、フュージョン音楽の名手である。

しかし、インストゥルメンタルとかフュージョンというのは、あまり評価がされにくいような印象も、当時から感じていた。

「歌詞のない音楽なんて、無理」

みたいな反応があったし、最近ではさらにその傾向が強いのではないだろうか。

ジャズ音楽に詳しい人からは、フュージョンなんて、などと軽く見られていたふしがある。被害妄想かもしれないが。

クラシック音楽に傾倒したいた人からも同様の反応があったように思う。ロックもまた然り。

あくまでも、クラシック音楽やジャズ音楽やロックが主で、フュージョン音楽はそこから派生した亜流の音楽なのだ、という謎の階級意識などを感じて、何となく後ろめたい感じがした。

高校時代は吹奏楽の部活動に参加していたが、やたらクラシック音楽に詳しかったり、ジャズ音楽に詳しかったりする人が多くて、僕のような根無し草はちょっと肩身の狭い思いをした。

高校を卒業してからも、10年ほど吹奏楽はほそぼそと続けたが、吹奏楽にそれほど思い入れがない自分に気づき、自分にとって続ける意味がわからなくなって、結局辞めてしまった。いまでも続けている人を見ると、心の底からうらやましいと思うし、尊敬する。

その代わり、10年ほど前になるが、前の職場の学生たちとフュージョンバンドを組んで、学園祭で3曲ほど演奏したときは、これほど楽しいと思ったことはなかった。またやってみたい、と思った。

久しぶりに楽器を持ちだして、練習でもしてみるか、などと時折思うことがあるが、いまの体力では、とうてい演奏をするなどということはできない。

でも、フュージョンはやっぱり僕にとって好きな音楽だし、その立ち位置から、ジャズファンやクラシックファンの生態を眺めてみると、なかなかおもしろい見え方ができる。僕の人生の立ち位置にふさわしい音楽なのである。

| | コメント (0)

はらかなこさん!

1月20日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

なかなかに気分が落ち込んだ週の後半だったが、それでも仕事は変わらずに降ってくる。

ユキヒロさんがいなくなって以来、ユキヒロさんの曲やYMOの曲ばかりを聴いている。それがいまの、僕の唯一の癒やしである。

そうしているうちに、あるYouTubeのチャンネルに行き着いた。

ピアニスト・はらかなこさんのチャンネルである!

もう、この映像に釘付けになった!

僕の大好きなYMOの曲を次々とピアノアレンジで披露している。

そればかりではない、THE SQUARE(T-SQUAREではない)の「宝島」だとか「OMENS・OF・LOVE」など、和泉宏隆さんの懐かしい名曲まで弾いているではないか!(そういえば、和泉宏隆さんも最近お亡くなりなってしまった…)。

とにかく、曲のチョイスが、アラフィフやアラカンのオジサンの心を鷲掴みにして放さないのだ。これで沼に落ちるなと言う方がオカシイ。

ピアノの技術をさることながら、ピアノを弾いているときの楽しそうな表情がとてもよい。とくに「OMENS・OF・LOVE」を弾いているときの表情がそうだ。ピアノを前にして、自己が解放され、鍵盤の上を自在に駆け回っている、そんな印象を受けるのである。あんなふうに軽やかに生きられたら、どんなにすばらしいだろう。

YMOの曲をピアノアレンジでカバーする動画は数あれど、いまのところはらかなこさんがベストワンである!

| | コメント (0)

ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)

1月15日(日)

大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020年公開)に、かなり重要な役として高橋幸宏こと「ユキヒロ」さんが出演しているのを知ったとき、ああ、大林監督とユキヒロさんとの友情がずっと続いていたのだな、と安堵した。

10代の頃、寝ても覚めてもYMOの音楽ばかり聴いていた僕は、とにかくYMOのことばかり追いかけていた。そのユキヒロさんが、これまた10代の頃からのファンの大林宣彦監督の映画『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』に主演すると知ったときは、僕にとってはいまでいう「夢のコラボ」で、胸が躍ったのだった。

当時、坂本龍一さんは大島渚監督とタッグを組み、ユキヒロさんは大林宣彦監督とタッグを組む。いかにも「らしい」組み合わせである。

『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、大林宣彦監督にはめずらしいウェルメイドな喜劇で、フランス映画を意識したおしゃれな作品だった。フランス料理のシェフが料理監修に就いて、映画の中で料理を本格的に見せようとする手法の、先駆けの映画といえるかもしれない。ヒットはしなかったものの、愛すべき小品である。

ユキヒロさんは、大林監督の『天国にいちばん近い島』や『異人たちとの夏』にもゲスト出演していた。そして、大林宣彦監督の集大成ともいうべき『海辺の映画館 キネマの玉手箱』で、監督の分身ともいうべき「狂言回し」として出演したのは、二人の信頼関係がずっと続いていた証なのだろう、と思った。

ユキヒロさんの訃報を聴いて、僕が大好きなソロアルバム『薔薇色の明日』を聴き直し、『四月の魚』を見直す。『薔薇色の明日』にはバート・バカラックの「エイプリル・フール」をカバーしたユキヒロさんの歌が収録されており、これがとても大好きである。『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、フランスでは4月1日のことを意味するらしい。ユキヒロさんは4月1日に縁がある。今年の4月1日を迎えることなくユキヒロさんが旅立ってしまったのは、とても悲しいし、悔しい。でも僕は、これからもユキヒロさんの音楽を聴き続ける。

| | コメント (0)

詠み人知らずの歌

録画してあったNHK-BSPの「The Covers」の「スターダスト☆レビューLIVE」(5月27日放送)を見た。

感染対策に配慮しつつ観客を入れたLIVEだったが、客層は明らかに、アラフィフの年代の人ばかりである。

とりあえず、「木蘭の涙」が、アコースティックバージョンではなく、オリジナルのバンドバージョンだったのがよかった。

「木蘭の涙」は、何といってもオリジナルのバンドバージョンに限る。

アコースティックバージョンが歌われ始めた頃、この曲は注目を集め、いろいろなアーティストがカバーをした。そのうち、誰のオリジナル曲なのかわからなくなっちゃって、

「『スタレビさんも、「木蘭の涙」をカバーするんですね』、と言われたんですよ」

と、そのLIVEでボーカルの根本要さんが、本当とも嘘ともつかないMC を炸裂させて、会場を笑わせていた。

根本要さんのMC力は、レギュラーをつとめた毎日放送のラジオ「ヤングタウン」で、野沢直子と笑福亭笑瓶とのトークで培われたという。

あるテレビ番組の受け売りだが、大滝詠一が、本当にいい曲というのは、作った人間の手を離れて、いつしか「詠み人知らず」のように歌われるようになることだと語っていたという。「木蘭の涙」も、もはやその域に達しているということなのだろう。

最近、ネット上で読んだ、、根本要さんのインタビューが、とてもよかった。

「僕らが40年続いたいちばんの理由は、売れなかったことかもしれない」

「本当にヒット曲はないんです。でも長いこと歌っていると、世の中の人が勝手にヒット曲のように感じちゃうらしく、実際は『木蘭の涙』だって20位くらいで、『今夜だけきっと』は50位にも入ってない。だから最近は“ヒット曲でもないのに知られてる曲がある”って自虐的に言ってます(笑)。本当にヒット曲のないバンドなんです。でも、世の中の人たちはそこに価値を見出す。ありがたいことに今回こうやってインタビューしてもらっていますが、僕らはただのマニア向けバンドかもしれません。でも音楽は、マニアックに聞いてくれたほうが、それまで知らなかった音に出会えたりするんですよ。僕自身も“もっとマニアックに音楽を聴こう”と思います。時代と共に薄れる曲よりは、“あなたの中でのヒット曲を作ろうよ”と。売れた曲を“ヒット曲”と呼ぶより、心を叩いてくれた曲を“ヒット曲”と呼んでほしいですね」(週刊女性PRIME 、 2022年6月4日)

そういえば、ムーンライダーズも、まったく同じことを言っていた。

ラジオ番組で、「バンドが長続きする秘訣は?」と聞かれて、

「ヒット作(代表作)がないこと」

と答えていた。

そういうふうなスタンスで仕事が続けられたら、どんなにいいだろう、と憧れる。

ところで、さきの根本要さんのインタビューでは、こんなことも言っていた。

「『木蘭の涙』はたくさんの方にカバーしていただいていますが、なかには“あれ? オリジナルを聴いたことないのかな?”ってカバーもありますよね。やっぱり原曲へのリスペクトはとても大切だと思います。最初にカバーしてくれたのは佐藤竹善とコブクロ、最近も鈴木雅之さんが歌ってくれていますが、僕よりうまくて困りました(笑)。原曲はバンドでの演奏ですが、アコースティックバージョンがよく歌われます」

いろいろなアーティストが「木蘭の涙」をカバーすることに対して僕が違和感を抱いていたのは、そういうことだったのかと、溜飲が下がった。今回のLIVEでオリジナルのバンドバージョンを演奏したことの意味が、わかった気がした。

| | コメント (0)

ムーンライダーズがいた!

5月9日(月)

今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のメインゲストがムーンライダーズだと聞いて、矢も盾もたまらず、帰りの車の中でradikoのタイムフリーで聴いた。ゲストは鈴木慶一氏と白井良明氏。

1975年結成。僕の原体験は、1976年のドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌「お早うの朝」。作詞谷川俊太郎、作曲小室等、演奏ムーンライダーズとクレジットが出ていた。ラジオでの話だと、最初はバックバンドの活動をしていたというから、これもその一環として、バックバンドとして演奏していたのだろう。

この歌が大好きで、のちにこの曲が入った小室等のアルバムを買ったが、演奏はムーンライダーズではなく、編曲もまるで違ったバージョンになっていて愕然とした。やはりこの曲は、ムーンライダーズの演奏でないといけない。

中学の時にYMOにハマり、当然、その界隈にいたムーンライダーズがしばしば話題にあがったが、YMOにばかり執心していた当時の僕は、ムーンライダーズを熱心に聴いた方ではない。「ムーンライダーズはいいぞ」と教えてくれたのは、中学の時にYMOの音楽の手ほどきを受けたヤマセ君だったか、高校時代の親友のコバヤシだったか、記憶が定かではない。「火の玉ボーイ」は買ったかも知れない。

でも僕が圧倒的に好きだったのは、ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎氏の初のソロアルバム「リラのホテル」だった。これは今でも持っている。素朴な感じの曲ばかりで、とても素敵だった。

Wikipediaで調べたら、かしぶち哲郎さんは、2013年にお亡くなりになっていた。ラジオの中で鈴木慶一さんが「46年間の活動の中で、メンバーの1人が死んで、1人が新たに加入して‥」と言っていたが、その1人というのが、僕が好きだったかしぶち哲郎さんだったとは、いまさらながらショックである。

長寿のロックバンドといえば、アルフィーとかスタレビとかがすぐに思い浮かぶが、ムーンライダーズもいたね。

 

| | コメント (0)

投げ銭ライブ

以前にも書いたことがあるが、僕の高校時代の1学年下と2学年下に、サックスミュージシャンがいる。1学年下の後輩はアサカワ君で、2学年下の後輩はジロー君である。

この二人が、この大型連休中に、それぞれライブをするという告知がSNSのタイムラインに流れてきた。ジロー君は大型連休のはじめのほうに、アサカワ君は大型連休の最後の方に、それぞれライブを行うようである。大型連休は、ライブをするのにもってこいの時期ともいえる。

行動制限のないこのたびの大型連休では、ライブ会場にお客さんを入れて行うようなのだが、同時に動画投稿サイトでの配信も行うという。これは、ありがたいことである。

僕のように、おいそれとライブ会場に足を運ぶことのできない人間にとっては、たとえ感染症がおさまったとしても、ライブ配信は今後も続けてほしいと願うものである。

しかも、ふたつのライブとも、あるていどの期間、アーカイブ視聴できるというのも嬉しい。なかなかリアルタイムで視聴する環境を確保するのが難しいからである。

もちろん、ただで観ることは失礼かなと思うから、わずかながら投げ銭で応援することにしている。

ジロー君のライブは、以前に視聴したときと同じ、ジロー君の地元のカフェが会場である。ジロー君のライブは、だいたい午後3時頃から、1時間半程度行われる。この時間帯がまたよい。

カフェの窓から差し込む日の光によって、自分もまるで日だまりにいるような感覚になり、それだけでも、じつに癒やされるのである。

以前にも書いたように、映像も、ライブの音質も、格段にすばらしく、聴いていてまったくストレスを感じない。今回は、ジロー君と、Minkoさんという、ギター兼ボーカルの二人によるライブで、古いブルースを中心にしたラインナップだった。Minkoさんというミュージシャンを初めて知ったが、ギターとボーカルがとても耳心地がよくて、それがカフェの日だまりの映像と相まって、これ以上にない癒やしの音楽を演出していた。

ジロー君は、サブトーンという奏法にこだわるサックス奏者である。力強い音や伸びのある音が好きな僕にとって、サブトーンという奏法は耳慣れない感じが最初はしたけれども、Minkoさんの音と共鳴することで、次第に僕の耳にもなじんだ音になっていった。

僕の好きな「Lover,Come Back to Me(恋人よ我に帰れ)」を聴くことができたのが嬉しかった。最後の「On The Sunny Side Of The Street」も、キャッチーな選曲でよかった。

続いて視聴したのは、アサカワ君のライブである。アサカワ君は、ジャズというよりも、ブラジル音楽のミュージシャンである。おそらく、中央線沿線のブラジル音楽界を代表する一人であろう。「中央線小説」ならぬ、「中央線ブラジル音楽」である。僕は、コロナ前に、阿佐ヶ谷北口の小さなライブハウスにフラッと立ち寄って、彼の演奏を聴きに行ったことがある。今回のライブ会場は、吉祥寺である。

こちらの配信映像も、なかなか凝っていた。複数のカメラを据えてスイッチングしながら、あらゆる角度からミュージシャンの様子を映し出している。そのなかに1台だけ、モノクロ映像で映しているカメラがあり、これがまたいい雰囲気を醸し出していた。

ジロー君のライブは演奏者が2人だったが、アサカワ君のバンドは5人ほどの編成である。こちらは、日だまりのライブではなく、夜が似合うライブだった。アサカワ君の音にはちょっと色気がある。

僕は高校時代、吹奏楽団で彼らと演奏をともにしたが、僕は早々に音楽に対するこだわりがなくなってしまい、高校卒業後もOBによる吹奏楽団を立ち上げたものの、吹奏楽に対するこだわりのないまま無為に10年近くを過ごし、結局はやめてしまった。だからいまとなっては、僕は吹奏楽もジャズも、たんなるド素人の一人である。だが二人は、その後も自分なりの音楽にこだわり続け、いまでもライブを続けているのだから頭が下がる。彼らのライブを観ていつも思うのは、彼らの周りには常に一緒に演奏する人が集まってきて、それがまたいいメンバーで、だからこそ長く続けてこられたのだな、ということである。音楽分野に限らず、僕の業界でもそうだが、見限られることなく続けられるというのは、それだけですばらしいことである。

| | コメント (0)

Tokyo

10月8日(金)

朝9時からストレスのたまる仕事である。たぶんこの1年半の間で最大のピンチである。

この八方塞がりな状況で、どうやって事態を丸くおさめろというのだ?と、思わず天を仰ぎ嘆息する。

今日の格言。「すべての問題は構造的問題である。すべての対立は感情的対立である」

午前はストレスのたまる仕事、午後は間違いのないように神経を使う仕事で、すっかり疲れてしまった。右膝が痛いのは、痛風の発作が出かかっているのだろう。毎日薬を飲んでいるし、ここ数年お酒もまったく飲んでいない。数年ぶりに痛み出しているのは、もう完全にストレスによるものと断じてよい。

夕方に職場を出て、車で家路へ急いだのだが、金曜日の夕方なので、首都高速が大渋滞である。

カーナビの通りに走っていると、途中で首都高速を降りろと、カーナビが指令する。

カーナビに言われるがままに走っていると、ふだんのルートとは異なるルートを指定され、あげくの果てに「銀座」の出口で降りろという指示が出た。

銀座?まったく土地勘がないところである。もちろん銀座へは何度も行ったことはあるが、地下鉄の駅を降りて歩いたことがある程度である。

銀座のど真ん中を車で走っていると、なんとなく見たことのある建物が並んでいる。金曜日の夜なので、歩道には多くの人が行き交っている。

(なかなか華やかだなあ)

こんな時に、難しい政治談義の番組を聴きながら運転するというのは、野暮というものである。今日は家に帰るまで、音楽を聴きながら帰ることにしよう。

銀座を抜けると、突然国会議事堂が見えた。国会議事堂を右によける形で車を走らせると、今度は赤坂である。右手には豊川稲荷が見える。

(TBSの放送局は、このあたりかなあ…)暗くてよくわからない。

「四谷三丁目」の地下鉄の駅も見えた。

それから青山一丁目の交差点を右折した。このあたりもまた、おしゃれな街である。

そこからどこをどう通ったか、忘れてしまったが、新宿の伊勢丹の前あたりの道を走っていた。新宿もまた、人であふれている。

銀座、赤坂、四谷、青山、新宿…。

思い出したのは、井上陽水の「Tokyo」という曲である。

「銀座へ

はとバスが走る

歌舞伎座をぬけ 並木をすりぬけ

新宿へ

地下鉄がすべる

そびえるビルに月まで隠れて

(中略)

渋谷へ

青山の路で

恋する人は口づけを交わして

(中略)

Tokyo

赤坂 浅草

まだまだ街は人を惹き付ける

街並みは夢とあこがれ

街角までが歌を奏でる」

なんと!この歌には、いま僕が通ってきた銀座、赤坂、青山、新宿が入っているではないか!

ということは、僕は今日、井上陽水の「Tokyo」を体感したのだ。

家に帰るまでの時間が、通常の2倍近くかかって疲労困憊したが、途中から井上陽水の「Tokyo」を聴きながら運転したので、少しばかり、昼間のストレスが解消された。

| | コメント (1)

より以前の記事一覧