音楽

禁断のサブスク音楽

1月1日(水)

あることがきっかけで、Spotifyのサブスク音楽に手を染めることになった。

いままではサブスクというものに警戒心を持っていた。だから聴きたい音楽はせっせとCDを買い、それをiPodに入れたりしていた。しかし数年ほど前からiPodに入れる作業が面倒くさくなり、CDプレイヤーを使って直接CDを聴くという原点に戻った。

「あることがきっかけで」というのは、どうしてもSpotifyのサブスクでなければ聴けないジャズの音楽があったからである。やむにやまれず、Spotifyのサブスク音楽に手を出したのだが、サブスク音楽に手を出すと人間が堕落するという妙な偏見があり、最初はどうしても必要なジャズ音楽だけを聴くつもりで利用した。

しかしそれたけではすまないのが人情というもので、ファンであるミュージシャンの楽曲や、むかし聴いていて印象に残った楽曲を聴きたい欲求にかられ、ついそういう楽曲にも手を出してしまった。

するとあーた、これまでせっせとiPodに入れて聴いていた楽曲の多くがサブスクで聴けるではあ~りませんか!これってもはやiPod要らずってこと?もっと言うとCD要らずってこと?なんか怖くなってきた。

さらに驚いたことがあった。

たまたま必要があってフラカンの楽曲を聞き直すためにサブスクを利用した。で今日、家族を乗せて車を運転した。こんなことは今では常識だが、僕の車はBluetoothでスマホと繋がっていて、エンジンをかけると自動的にSpotifyの音声コンテンツが流れる仕組みになっている。

なので、エンジンをかけるとSpotifyが自動的に起動し、フラカンの楽曲が流れ始めた。直前までフラカンの楽曲を聴いていたのでそれ自体はいつものことである。

運転中に聴いていると、次から次へと楽曲が流れて来る。しかもフラカン以外の、である。

フラカンの次は、エレカシ、その次は星野源さん、と楽曲は続く、さらにそのあとは、竹原ピストルさんとかnever young Beachなど(僕にとっては)マニアックなミュージシャンが続き、なかには初めて知るバンド名なんかもある。そしてある程度のところまで行くと、またフラカンに戻ったり、星野源さんに戻ったりと、はてしなく続く。

これをプレイリストというのだということは僕にだってわかる。しかし聴いたことのないバンドの曲も含まれていて、いったいどういう基準でSpotifyがこれらの曲を選んでいるのだろうと疑問がわいて、あらためてスマホの画面を見てみると、

「フラワーカンパニーズに似た楽曲」

というテーマで選んでいると書いてあった。

なるほど、そう言われてみれば、流れてきた楽曲はほとんど違和感なく聴くことができる。選んでいるのはAIなのか何かしらないが、知らない曲でも聴けてしまうから不思議である。

ということはですよ、Spotifyが選んだこれらの楽曲は、広い意味で同じカテゴリーに入ると認識されているということなのか?

フラカンとエレカシはなんとなくわかる。星野源さんもこのカテゴリーに入るのだろうか、と最初は疑問に思ったが、なるほどたしかに聴いていて違和感はない。竹原ピストルさんとかnever young Beachも同様だ。

で、そうなると、仮にフラカンファンだったとして、ほかにもフラカン的なミュージシャンの存在を知ると、今度はそのミュージシャンに興味を持つようになる。こうして、音楽の世界が広がっていくのではないだろうか?

「おまえ、いまさら何を言ってるの?」と言われそうだが、サブスク音楽にふれて、その衝撃があまりに新鮮だったので、こんな稚拙な感想しか思いつかない。

しかし僕にはまだよくわからない。サブスク音楽に対する向き合い方が。

サブスク音楽に対する正しい向き合い方というのは、どういうものなのだろう?僕はこのままサブスク音楽の沼にハマっていてよいのか、怖くて仕方がない。苦労してCDを手に入れて律儀に聴いていくという聴き方のほうが安心すると、つい思ってしまうのである。

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変更

12月27日(金)

僕は今年の紅白歌合戦を見るつもりはないのだが、星野源さんが紅白歌合戦で歌う予定だった「地獄でなぜ悪い」が、「ばらばら」という歌に変更になったというニュースは、少し気になった。といっても、自分の考えが十分に整理されているわけではない。

「地獄でなぜ悪い」は2013年に公開された園子温監督の映画『地獄でなぜ悪い』のエンディングテーマ曲である。僕もこの映画を観て、それがきっかけで星野源という人を認識したし、エンディングの曲に魅了された。

ところがその後2022年に監督の園子温さんによる性加害が複数の女性俳優から告発され、それをきっかけに映画界における性加害の問題について映画界が真剣に取り組むことが表明された。映画関係者たちが声を上げたことはとても意義のあることだと思う。

そうした経緯もあり、性加害疑惑のある園子温監督の映画の中で使われた、しかも映画と同名の曲を紅白歌合戦で歌うのは、二次加害にあたる可能性が指摘され、ふさわしくない、という判断から、当初の予定を変更し、別の曲に変更することにしたと、ニュースにあった。星野源さんと彼のスタッフチームは、「私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません」と表明している。

ほぼ同じときに、ある有名な音楽プロデューサーも、この件について「星野さんとNHKは楽曲変更を考え直してもらいたい」という強い調子のコラムを発表している。曰く、星野源さんほどの人権意識の高い人が、紅白歌合戦で「地獄でなぜ悪い」を歌うのはあり得ない。それは園子温監督の性加害をウォッシングし矮小化することに加担してしまうことになる。この曲で励まされた人も多いという名曲だが、そんなことは問題ではない。人権より重い曲なんて、この地球のどこにもない。歌いたければ、ワンマンライブなどで自由に歌えばよい。NHKという公共放送で歌うことを問題にしているだけだ、と。

僕はこの音楽プロデューサーのコラムを読んで、いささか複雑な思いにとらわれた。

実際僕も、この楽曲には励まされたクチである。この歌は、映画の内容とはまったく関係なく、むしろ星野源さん本人の体験、とくにご自身が大病を患って入院したときの体験、が歌になっている。

僕が7年前に大病で入院したとき、どれだけこの歌に励まされたかわからない。つい先日1か月半ほど入院したときも、この歌が頭に浮かんだ。病気の種類は違うが、歌詞と今の自分の状況が見事に重なったのである。

僕は星野源さんの曲を、メディアから流れてくるものや薦められたものを聞く程度の人間だから、偉そうなことはいえないのだが、それでも「地獄でなぜ悪い」はいちばん好きな曲である。

しかしそんな個人的な思いはどうだっていいのだ。星野さんとそのスタッフチームがNHKという公共放送、しかも紅白歌合戦で歌わないという判断をしたのは賢明だろうと思う。一方で当初、この歌を選定したという最初の判断もわからなくはない。

有名な音楽プロデューサーは、「公共放送で歌うからダメなんで、ワンマンライブなどで自由に歌えばよい」と書いていたが、はたして今後、紅白歌合戦では歌いませんでしたが、自分のライブでは歌います、というわけにいくのだろうか。

そうなると、この曲は地下に埋もれてしまうのだろうか。個人がひっそりと聞くだけの曲になってしまうのか。発禁にならなかっただけよかったと思うべきなのか。僕にはよくわからない。

ほら、だから最初に、自分の考えが整理されているわけではないと言ったでしょう。

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吹きだまり音楽CDを作りましょう

ここのところこぶぎさんがコメント欄でAI作曲ソフトを使って僕のブログを歌詞にした曲を作ってくれているが、これがどれもめちゃめちゃ秀逸な曲過ぎて笑える。

もうこのブログはダラダラと15年くらい続けているが、初期の頃からこぶぎさんはコメントを書いてくれている。ラジオでいえばヘビーリスナー、はがき職人、常連さん、…などという言い方は古いのか…。そのコメントの変遷をたどるだけでも一つの作品になるのだが、ここへきて、いよいよAIを使ったコメントという新たな手法を生み出した。そればかりか、AI作曲ソフトを使って、このブログの世界観を曲にしてくれるまでに至るとは!いやはや、長生きはするもんだね。

そこで考えたんだが、このブログも15年を経て、記事も(下書きにしているものも含めて)4000回を超えているので、なにか記念グッズを作ったらどうだろう。吹きだまり音楽アルバムのCDを作るとか。技術的には難しいのかもしれないが…。

…ま、グッズを作ったとして、誰に配るんだ!?という問題は残る。

 

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コンサート

12月1日(金)

午後の会議を終えて、急ぎ都内に向かう。今日の夜はあるミュージシャンのコンサートに行くことになっていた。

この夏に若くして亡くなった知り合いの編集者が好きだったミュージシャンの1人だ。毎年この時期に、都内の立派なホールでコンサートを1日だけするというので、編集者にゆかりのある人で行くことになったのである。ピアノの弾き語りをするミュージシャンである。

ミュージシャンのコンサートなんて何年ぶりだろう、と思い出すと、ちょうど10年前に、前の勤務地に住んでいるときに行った矢野顕子さんのコンサート以来のような気がする。矢野顕子さんがピアノの弾き語りをするコンサートだった。

入口で整理券の番号順に並んでいると、ひとりのおじさんが入場整理をしている。

「整理券番号1番から100番の人、お入りください!」ずいぶんと手慣れている。

「あの方は、このコンサートの企画者ですよ」

と、同行の人が教えてくれた。

「え?そうなんですか?」

「ええ、もう10年以上も、このミュージシャンと二人三脚でコンサートをおこなっているのです」

そうはいっても、マネージャーというわけでもないらしい。現在の正式なご職業は不明である。

「じゃあ、まだ売れない頃からこのミュージシャンに賭けていたわけですね」

「そうでしょうね。将来は絶対にこのホールでコンサートをするんだと言っていたそうですから、夢が叶ったというわけです」

「まるで執筆者と編集者の関係みたいですね」

「なるほど、言われてみればそうですね」

それにしても、このコンサートの企画者本人が、入場整理をするだろうか。入場整理が終わったら、今度は壇上に立って司会をこなしている。このコンサートにかける愛情が並大抵のものではないことがうかがい知れた。

今回は、新たな試みをとりいれたようで、実に不思議な感覚を覚えた。あっという間の2時間だった。

このコンサートには、亡くなった編集者のお連れあいの方も来ていて、お通夜の席でご挨拶した程度だったのだが、初めてちゃんとお話しすることができた。思い出話は尽きなかった。

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だれも知らないKAN

KANさんといえば、「愛は勝つ」である。僕はちょうど大学生のころで、「愛は勝つ」が収められているアルバム『野球選手が夢だった』を買った覚えがある。

しかし僕の中でKANさんといえば、大林宣彦監督の映画『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしきひとびとの群』(1988年作品)で、劇伴音楽を担当していた、ということのほうが、思い出深い。しかしこの映画は、映画業界のさまざまなトラブルに巻き込まれ、ごくわずかの劇場でしか公開されることがなかったが、大林映画の集大成ともいわれている。

で、その映画の劇伴音楽を担当したのが、KANさんであった。Wikipediaから引用する。

「音楽は後に「愛は勝つ」を大ヒットさせるKANが担当。山本又一朗主宰のフィルムリンク・インターナショナルの関連会社に、当時KANが所属していたことから話が持ち込まれた。レコードデビューする以前の作曲で、KANにとってはプロとしての初仕事であった。予算がないため、全てシンセサイザーによる作曲で、録音は無料で使えたヤマハのスタジオで行った。サントラは当初発売されなかったが、大林宣彦サントラコレクションシリーズの中でCD化されている。(バップ、1998年発売)」

僕はこの映画のDVDを観て、その音楽に取り憑かれ、だれだろうと思ってクレジットを確認すると「KAN」とあった。え?KANって、あのKAN?と、最初は「愛は勝つ」の人と同じなのか別人なのかわからなかったので、それで僕はそれを確かめようと『野球選手が夢だった』を買ったのである。しかし、あの劇伴音楽の、もの悲しさをイメージするような曲は、片鱗もなかった。それでも当時、このアルバムを繰り返し聴いていた。

1998年に映画のサントラが発売になって、さっそく手に入れてこれも繰り返し聴いた。この曲は、紛れもなく心に残る名曲である。いまでも僕はKANさんの楽曲の中でこの映画の劇伴がいちばん好きである。たぶん、これはKANさんが手がけた曲ですよといわれても、ファンですら驚くに違いない。

俺は、デビュー前からKANの音楽を知っていたんだぜ。

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俺たちに未来はあるか

11月18日(土)

先週に引き続き、5歳の娘をピアノ教室に連れていく。

先週、「ガラガラ抽選器」の思う壺になってイタい目に遭った。今週も同じ場所にガラガラ抽選器が置いてあるのを見つけたので、先週とは違う入口から入ることで、事なきを得た。

そのビルの6階のフロアーはまるまる音楽教室になっていて、ピアノのほかにも、さまざまな楽器の教室がある。

娘を連れて何度かこの音楽教室に通っていると、あることに気づいた。

おそらく会社を定年退職して悠々自適に過ごしているのであろうオジさんの姿がちらほらみられるのだが、音楽教室を行き来するオジさんたちは、かなりの高確率で「アルトサックス」を手にしているのである。つまり、オジさんたちのほとんどが、アルトサックスを習っている。というか、アルトサックスを習っている人のほとんどが、定年退職後のオジさんなのだ。

僕は高校時代に、吹奏楽の部活に入り、アルトサックスを吹いていた。たしかにアルトサックスは、ひとりで楽器を習得するには手軽なのである。ほかの楽器と違って、音が出しやすいし、大きさも手頃だし、それを持ち歩いている姿もなかなか絵になる。そういう諸々の理由で、定年退職後のオジさんの間でアルトサックスがもてはやされているのではないだろうか。そうか、俺ももう一度アルトサックスを習ってみるかな、という気持ちにさせてくれる。

音楽教室のフロアには30部屋近くの個室があるのだが、娘がいつもピアノのお稽古をする部屋のはす向かいから、いつもアルトサックスの音が漏れ聞こえてくる。

練習している音楽が、ジャズとかフュージョンだったら、まあわかるのだけれども、そうではなく、練習している曲はドリカムの「未来予想図Ⅱ」なのだ。それも、延々と、くり返しくり返し、耳について離れないほど、アルトサックスの音色の「未来予想図Ⅱ」が聞こえてくる。アルトサックスだけなので、当然、バックバンドのようなものもなく、ひたすら、「未来予想図Ⅱ」のメロディーだけをもの悲しく吹いているのである。

おいおい、「未来予想図Ⅱ」を演奏したいためにアルトサックスを習ったのかよ!いや、それは別に人それぞれに好みがあるのだから、全然かまわないのだけれど、ただ僕自身が、せっかくアルトサックスを習いたいといったときに、課題曲が「未来予想図Ⅱ」というのは勘弁してほしい。もちろんいい曲だということはわかってますよ!でも2007年の曲ですよ!どうしてその曲をチョイスしたのか、逆に知りたい。

さてそうなると、どんな人が演奏しているのか、気になって仕方がない。そんなことを詮索するのが下品だということを百も承知で、やはりどうしても見たくなる。

僕はその部屋に何気なく近づいていって、ドアのところにある小窓みたいなところから見てみると、やはり定年退職後のオジさんとおぼしき人が、「未来予想図Ⅱ」を吹いていた。

いや、全然それはかまわないんです。かまわないんだけど、定年退職後の「未来予想図」って…。どんな予想図を思い浮かべながら演奏しているのだろうと、僕は切なくなった。

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はらかなこさん!

1月20日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

なかなかに気分が落ち込んだ週の後半だったが、それでも仕事は変わらずに降ってくる。

ユキヒロさんがいなくなって以来、ユキヒロさんの曲やYMOの曲ばかりを聴いている。それがいまの、僕の唯一の癒やしである。

そうしているうちに、あるYouTubeのチャンネルに行き着いた。

ピアニスト・はらかなこさんのチャンネルである!

もう、この映像に釘付けになった!

僕の大好きなYMOの曲を次々とピアノアレンジで披露している。

そればかりではない、THE SQUARE(T-SQUAREではない)の「宝島」だとか「OMENS・OF・LOVE」など、和泉宏隆さんの懐かしい名曲まで弾いているではないか!(そういえば、和泉宏隆さんも最近お亡くなりなってしまった…)。

とにかく、曲のチョイスが、アラフィフやアラカンのオジサンの心を鷲掴みにして放さないのだ。これで沼に落ちるなと言う方がオカシイ。

ピアノの技術をさることながら、ピアノを弾いているときの楽しそうな表情がとてもよい。とくに「OMENS・OF・LOVE」を弾いているときの表情がそうだ。ピアノを前にして、自己が解放され、鍵盤の上を自在に駆け回っている、そんな印象を受けるのである。あんなふうに軽やかに生きられたら、どんなにすばらしいだろう。

YMOの曲をピアノアレンジでカバーする動画は数あれど、いまのところはらかなこさんがベストワンである!

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ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)

1月15日(日)

大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020年公開)に、かなり重要な役として高橋幸宏こと「ユキヒロ」さんが出演しているのを知ったとき、ああ、大林監督とユキヒロさんとの友情がずっと続いていたのだな、と安堵した。

10代の頃、寝ても覚めてもYMOの音楽ばかり聴いていた僕は、とにかくYMOのことばかり追いかけていた。そのユキヒロさんが、これまた10代の頃からのファンの大林宣彦監督の映画『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』に主演すると知ったときは、僕にとってはいまでいう「夢のコラボ」で、胸が躍ったのだった。

当時、坂本龍一さんは大島渚監督とタッグを組み、ユキヒロさんは大林宣彦監督とタッグを組む。いかにも「らしい」組み合わせである。

『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、大林宣彦監督にはめずらしいウェルメイドな喜劇で、フランス映画を意識したおしゃれな作品だった。フランス料理のシェフが料理監修に就いて、映画の中で料理を本格的に見せようとする手法の、先駆けの映画といえるかもしれない。ヒットはしなかったものの、愛すべき小品である。

ユキヒロさんは、大林監督の『天国にいちばん近い島』や『異人たちとの夏』にもゲスト出演していた。そして、大林宣彦監督の集大成ともいうべき『海辺の映画館 キネマの玉手箱』で、監督の分身ともいうべき「狂言回し」として出演したのは、二人の信頼関係がずっと続いていた証なのだろう、と思った。

ユキヒロさんの訃報を聴いて、僕が大好きなソロアルバム『薔薇色の明日』を聴き直し、『四月の魚』を見直す。『薔薇色の明日』にはバート・バカラックの「エイプリル・フール」をカバーしたユキヒロさんの歌が収録されており、これがとても大好きである。『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、フランスでは4月1日のことを意味するらしい。ユキヒロさんは4月1日に縁がある。今年の4月1日を迎えることなくユキヒロさんが旅立ってしまったのは、とても悲しいし、悔しい。でも僕は、これからもユキヒロさんの音楽を聴き続ける。

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詠み人知らずの歌

録画してあったNHK-BSPの「The Covers」の「スターダスト☆レビューLIVE」(5月27日放送)を見た。

感染対策に配慮しつつ観客を入れたLIVEだったが、客層は明らかに、アラフィフの年代の人ばかりである。

とりあえず、「木蘭の涙」が、アコースティックバージョンではなく、オリジナルのバンドバージョンだったのがよかった。

「木蘭の涙」は、何といってもオリジナルのバンドバージョンに限る。

アコースティックバージョンが歌われ始めた頃、この曲は注目を集め、いろいろなアーティストがカバーをした。そのうち、誰のオリジナル曲なのかわからなくなっちゃって、

「『スタレビさんも、「木蘭の涙」をカバーするんですね』、と言われたんですよ」

と、そのLIVEでボーカルの根本要さんが、本当とも嘘ともつかないMC を炸裂させて、会場を笑わせていた。

根本要さんのMC力は、レギュラーをつとめた毎日放送のラジオ「ヤングタウン」で、野沢直子と笑福亭笑瓶とのトークで培われたという。

あるテレビ番組の受け売りだが、大滝詠一が、本当にいい曲というのは、作った人間の手を離れて、いつしか「詠み人知らず」のように歌われるようになることだと語っていたという。「木蘭の涙」も、もはやその域に達しているということなのだろう。

最近、ネット上で読んだ、、根本要さんのインタビューが、とてもよかった。

「僕らが40年続いたいちばんの理由は、売れなかったことかもしれない」

「本当にヒット曲はないんです。でも長いこと歌っていると、世の中の人が勝手にヒット曲のように感じちゃうらしく、実際は『木蘭の涙』だって20位くらいで、『今夜だけきっと』は50位にも入ってない。だから最近は“ヒット曲でもないのに知られてる曲がある”って自虐的に言ってます(笑)。本当にヒット曲のないバンドなんです。でも、世の中の人たちはそこに価値を見出す。ありがたいことに今回こうやってインタビューしてもらっていますが、僕らはただのマニア向けバンドかもしれません。でも音楽は、マニアックに聞いてくれたほうが、それまで知らなかった音に出会えたりするんですよ。僕自身も“もっとマニアックに音楽を聴こう”と思います。時代と共に薄れる曲よりは、“あなたの中でのヒット曲を作ろうよ”と。売れた曲を“ヒット曲”と呼ぶより、心を叩いてくれた曲を“ヒット曲”と呼んでほしいですね」(週刊女性PRIME 、 2022年6月4日)

そういえば、ムーンライダーズも、まったく同じことを言っていた。

ラジオ番組で、「バンドが長続きする秘訣は?」と聞かれて、

「ヒット作(代表作)がないこと」

と答えていた。

そういうふうなスタンスで仕事が続けられたら、どんなにいいだろう、と憧れる。

ところで、さきの根本要さんのインタビューでは、こんなことも言っていた。

「『木蘭の涙』はたくさんの方にカバーしていただいていますが、なかには“あれ? オリジナルを聴いたことないのかな?”ってカバーもありますよね。やっぱり原曲へのリスペクトはとても大切だと思います。最初にカバーしてくれたのは佐藤竹善とコブクロ、最近も鈴木雅之さんが歌ってくれていますが、僕よりうまくて困りました(笑)。原曲はバンドでの演奏ですが、アコースティックバージョンがよく歌われます」

いろいろなアーティストが「木蘭の涙」をカバーすることに対して僕が違和感を抱いていたのは、そういうことだったのかと、溜飲が下がった。今回のLIVEでオリジナルのバンドバージョンを演奏したことの意味が、わかった気がした。

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ムーンライダーズがいた!

5月9日(月)

今日の文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」のメインゲストがムーンライダーズだと聞いて、矢も盾もたまらず、帰りの車の中でradikoのタイムフリーで聴いた。ゲストは鈴木慶一氏と白井良明氏。

1975年結成。僕の原体験は、1976年のドラマ「高原へいらっしゃい」の主題歌「お早うの朝」。作詞谷川俊太郎、作曲小室等、演奏ムーンライダーズとクレジットが出ていた。ラジオでの話だと、最初はバックバンドの活動をしていたというから、これもその一環として、バックバンドとして演奏していたのだろう。

この歌が大好きで、のちにこの曲が入った小室等のアルバムを買ったが、演奏はムーンライダーズではなく、編曲もまるで違ったバージョンになっていて愕然とした。やはりこの曲は、ムーンライダーズの演奏でないといけない。

中学の時にYMOにハマり、当然、その界隈にいたムーンライダーズがしばしば話題にあがったが、YMOにばかり執心していた当時の僕は、ムーンライダーズを熱心に聴いた方ではない。「ムーンライダーズはいいぞ」と教えてくれたのは、中学の時にYMOの音楽の手ほどきを受けたヤマセ君だったか、高校時代の親友のコバヤシだったか、記憶が定かではない。「火の玉ボーイ」は買ったかも知れない。

でも僕が圧倒的に好きだったのは、ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎氏の初のソロアルバム「リラのホテル」だった。これは今でも持っている。素朴な感じの曲ばかりで、とても素敵だった。

Wikipediaで調べたら、かしぶち哲郎さんは、2013年にお亡くなりになっていた。ラジオの中で鈴木慶一さんが「46年間の活動の中で、メンバーの1人が死んで、1人が新たに加入して‥」と言っていたが、その1人というのが、僕が好きだったかしぶち哲郎さんだったとは、いまさらながらショックである。

長寿のロックバンドといえば、アルフィーとかスタレビとかがすぐに思い浮かぶが、ムーンライダーズもいたね。

 

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