音楽

コンサート

12月1日(金)

午後の会議を終えて、急ぎ都内に向かう。今日の夜はあるミュージシャンのコンサートに行くことになっていた。

この夏に若くして亡くなった知り合いの編集者が好きだったミュージシャンの1人だ。毎年この時期に、都内の立派なホールでコンサートを1日だけするというので、編集者にゆかりのある人で行くことになったのである。ピアノの弾き語りをするミュージシャンである。

ミュージシャンのコンサートなんて何年ぶりだろう、と思い出すと、ちょうど10年前に、前の勤務地に住んでいるときに行った矢野顕子さんのコンサート以来のような気がする。矢野顕子さんがピアノの弾き語りをするコンサートだった。

入口で整理券の番号順に並んでいると、ひとりのおじさんが入場整理をしている。

「整理券番号1番から100番の人、お入りください!」ずいぶんと手慣れている。

「あの方は、このコンサートの企画者ですよ」

と、同行の人が教えてくれた。

「え?そうなんですか?」

「ええ、もう10年以上も、このミュージシャンと二人三脚でコンサートをおこなっているのです」

そうはいっても、マネージャーというわけでもないらしい。現在の正式なご職業は不明である。

「じゃあ、まだ売れない頃からこのミュージシャンに賭けていたわけですね」

「そうでしょうね。将来は絶対にこのホールでコンサートをするんだと言っていたそうですから、夢が叶ったというわけです」

「まるで執筆者と編集者の関係みたいですね」

「なるほど、言われてみればそうですね」

それにしても、このコンサートの企画者本人が、入場整理をするだろうか。入場整理が終わったら、今度は壇上に立って司会をこなしている。このコンサートにかける愛情が並大抵のものではないことがうかがい知れた。

今回は、新たな試みをとりいれたようで、実に不思議な感覚を覚えた。あっという間の2時間だった。

このコンサートには、亡くなった編集者のお連れあいの方も来ていて、お通夜の席でご挨拶した程度だったのだが、初めてちゃんとお話しすることができた。思い出話は尽きなかった。

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だれも知らないKAN

KANさんといえば、「愛は勝つ」である。僕はちょうど大学生のころで、「愛は勝つ」が収められているアルバム『野球選手が夢だった』を買った覚えがある。

しかし僕の中でKANさんといえば、大林宣彦監督の映画『日本殉情伝 おかしなふたり ものぐるほしきひとびとの群』(1988年作品)で、劇伴音楽を担当していた、ということのほうが、思い出深い。しかしこの映画は、映画業界のさまざまなトラブルに巻き込まれ、ごくわずかの劇場でしか公開されることがなかったが、大林映画の集大成ともいわれている。

で、その映画の劇伴音楽を担当したのが、KANさんであった。Wikipediaから引用する。

「音楽は後に「愛は勝つ」を大ヒットさせるKANが担当。山本又一朗主宰のフィルムリンク・インターナショナルの関連会社に、当時KANが所属していたことから話が持ち込まれた。レコードデビューする以前の作曲で、KANにとってはプロとしての初仕事であった。予算がないため、全てシンセサイザーによる作曲で、録音は無料で使えたヤマハのスタジオで行った。サントラは当初発売されなかったが、大林宣彦サントラコレクションシリーズの中でCD化されている。(バップ、1998年発売)」

僕はこの映画のDVDを観て、その音楽に取り憑かれ、だれだろうと思ってクレジットを確認すると「KAN」とあった。え?KANって、あのKAN?と、最初は「愛は勝つ」の人と同じなのか別人なのかわからなかったので、それで僕はそれを確かめようと『野球選手が夢だった』を買ったのである。しかし、あの劇伴音楽の、もの悲しさをイメージするような曲は、片鱗もなかった。それでも当時、このアルバムを繰り返し聴いていた。

1998年に映画のサントラが発売になって、さっそく手に入れてこれも繰り返し聴いた。この曲は、紛れもなく心に残る名曲である。いまでも僕はKANさんの楽曲の中でこの映画の劇伴がいちばん好きである。たぶん、これはKANさんが手がけた曲ですよといわれても、ファンですら驚くに違いない。

俺は、デビュー前からKANの音楽を知っていたんだぜ。

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俺たちに未来はあるか

11月18日(土)

先週に引き続き、5歳の娘をピアノ教室に連れていく。

先週、「ガラガラ抽選器」の思う壺になってイタい目に遭った。今週も同じ場所にガラガラ抽選器が置いてあるのを見つけたので、先週とは違う入口から入ることで、事なきを得た。

そのビルの6階のフロアーはまるまる音楽教室になっていて、ピアノのほかにも、さまざまな楽器の教室がある。

娘を連れて何度かこの音楽教室に通っていると、あることに気づいた。

おそらく会社を定年退職して悠々自適に過ごしているのであろうオジさんの姿がちらほらみられるのだが、音楽教室を行き来するオジさんたちは、かなりの高確率で「アルトサックス」を手にしているのである。つまり、オジさんたちのほとんどが、アルトサックスを習っている。というか、アルトサックスを習っている人のほとんどが、定年退職後のオジさんなのだ。

僕は高校時代に、吹奏楽の部活に入り、アルトサックスを吹いていた。たしかにアルトサックスは、ひとりで楽器を習得するには手軽なのである。ほかの楽器と違って、音が出しやすいし、大きさも手頃だし、それを持ち歩いている姿もなかなか絵になる。そういう諸々の理由で、定年退職後のオジさんの間でアルトサックスがもてはやされているのではないだろうか。そうか、俺ももう一度アルトサックスを習ってみるかな、という気持ちにさせてくれる。

音楽教室のフロアには30部屋近くの個室があるのだが、娘がいつもピアノのお稽古をする部屋のはす向かいから、いつもアルトサックスの音が漏れ聞こえてくる。

練習している音楽が、ジャズとかフュージョンだったら、まあわかるのだけれども、そうではなく、練習している曲はドリカムの「未来予想図Ⅱ」なのだ。それも、延々と、くり返しくり返し、耳について離れないほど、アルトサックスの音色の「未来予想図Ⅱ」が聞こえてくる。アルトサックスだけなので、当然、バックバンドのようなものもなく、ひたすら、「未来予想図Ⅱ」のメロディーだけをもの悲しく吹いているのである。

おいおい、「未来予想図Ⅱ」を演奏したいためにアルトサックスを習ったのかよ!いや、それは別に人それぞれに好みがあるのだから、全然かまわないのだけれど、ただ僕自身が、せっかくアルトサックスを習いたいといったときに、課題曲が「未来予想図Ⅱ」というのは勘弁してほしい。もちろんいい曲だということはわかってますよ!でも2007年の曲ですよ!どうしてその曲をチョイスしたのか、逆に知りたい。

さてそうなると、どんな人が演奏しているのか、気になって仕方がない。そんなことを詮索するのが下品だということを百も承知で、やはりどうしても見たくなる。

僕はその部屋に何気なく近づいていって、ドアのところにある小窓みたいなところから見てみると、やはり定年退職後のオジさんとおぼしき人が、「未来予想図Ⅱ」を吹いていた。

いや、全然それはかまわないんです。かまわないんだけど、定年退職後の「未来予想図」って…。どんな予想図を思い浮かべながら演奏しているのだろうと、僕は切なくなった。

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バラカンさん、バカラックを語る

2月16日(木)

あいかわらず校正の日々。まじめにやり出すと、「終わらない校正はない」ではなく、「校正に終わりなし」という感を強くする。しかし校了の日は決まっているので、それまでにはなんとしても終わらせなければならない。

唯一の楽しみは、通勤の車の中で聴くradikoである。

最近聴き始めたのは、interfmの「Barakan Beat」である。ピーター・バラカンさんが、リスナーからのリクエストに応え(あるいは応えるふりをして)、ひたすら好きな曲をかけるという2時間番組である。

音楽に疎い僕は、バラカンさんの博識と選曲のセンスにすっかり圧倒されつつ、その音楽がどれもいいからずーっと聴けてしまう。知らない曲ばかりだし、バラカンさんの語る知識にもまったくついていけてないのだが、そんなことは関係ないのだ。

今日は、先日亡くなったバート・バカラックの曲が少し特集されていた。ビートルズの「Baby It's You」って、バカラックの曲だったんだね。

あるリスナーからのメールでは、自分が幼い頃に「雨の日の曲」としてずっと印象に残っていた曲があった。その後10代になって、その曲名をを知りたいと「雨」をキーワードにFM番組をエアチェック(死語)しまくって、ようやく自分が幼少のときに出会った曲が「雨に濡れても」という曲名で、その作曲がバート・バカラックであることを知った、という思い出を書いていた。

そしてそのメールの中で、坂本龍一さんがバカラックについて語った

「荒れた世界の片隅にあった狂おしいまでのロマンティシズム」

という言葉と、矢野顕子さんがバカラックについて語った

「バカラックの曲を聴いたせいで、自分の作る曲がこんなふうになってしまったという人が地上に100万人はいる」

という言葉が紹介されていた。

このブログでも何度か書いたが、坂本龍一さんは、バート・バカラックに憧れていることをラジオで語っていたし、高橋幸宏さんは、バート・バカラックの「エイプリル・フール」をカバーしている。僕もYMOを通じて、バカラックを知ったクチである。

実際、この番組の中でも、坂本龍一さんのラジオでバカラックの名前を知り、ユキヒロさんの「エイプリル・フール」でバカラックファンとなることが決定づけられた人のメールが紹介されていて、僕と同じ体験をしている人が多かったんだなと、感慨深かった。もちろん、番組では、ユキヒロさんの「エイプリル・フール」をかけていた。そらぁかけるさ。バラカンさんだもの。

バートバカラックの思い出について書こうと思ったが、すでに書いていたので、省略。高1の時にカセットテープに録音していたNHK-FMの「バートバカラック特集」は、無事にデジタルファイルとしてパソコンの中に入ったので、また聴き直そう。

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むかし、フュージョン音楽というものがありまして

いまは死語になったのだろうか、10代のころはフュージョン音楽がわりと好きだった。僕が10代の頃の1980年代は、フュージョン音楽が全盛期だったと思う。

中学生の頃にYMOを聴くようになってから、インストゥルメンタルの音楽が好きになった。坂本龍一さんのソロデビューアルバムの『千のナイフ』は、たしかフュージョン音楽の分類に入れられていたと思う。前にも書いたと思うが、坂本龍一さんは、フュージョン音楽の名手である。

しかし、インストゥルメンタルとかフュージョンというのは、あまり評価がされにくいような印象も、当時から感じていた。

「歌詞のない音楽なんて、無理」

みたいな反応があったし、最近ではさらにその傾向が強いのではないだろうか。

ジャズ音楽に詳しい人からは、フュージョンなんて、などと軽く見られていたふしがある。被害妄想かもしれないが。

クラシック音楽に傾倒したいた人からも同様の反応があったように思う。ロックもまた然り。

あくまでも、クラシック音楽やジャズ音楽やロックが主で、フュージョン音楽はそこから派生した亜流の音楽なのだ、という謎の階級意識などを感じて、何となく後ろめたい感じがした。

高校時代は吹奏楽の部活動に参加していたが、やたらクラシック音楽に詳しかったり、ジャズ音楽に詳しかったりする人が多くて、僕のような根無し草はちょっと肩身の狭い思いをした。

高校を卒業してからも、10年ほど吹奏楽はほそぼそと続けたが、吹奏楽にそれほど思い入れがない自分に気づき、自分にとって続ける意味がわからなくなって、結局辞めてしまった。いまでも続けている人を見ると、心の底からうらやましいと思うし、尊敬する。

その代わり、10年ほど前になるが、前の職場の学生たちとフュージョンバンドを組んで、学園祭で3曲ほど演奏したときは、これほど楽しいと思ったことはなかった。またやってみたい、と思った。

久しぶりに楽器を持ちだして、練習でもしてみるか、などと時折思うことがあるが、いまの体力では、とうてい演奏をするなどということはできない。

でも、フュージョンはやっぱり僕にとって好きな音楽だし、その立ち位置から、ジャズファンやクラシックファンの生態を眺めてみると、なかなかおもしろい見え方ができる。僕の人生の立ち位置にふさわしい音楽なのである。

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はらかなこさん!

1月20日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

なかなかに気分が落ち込んだ週の後半だったが、それでも仕事は変わらずに降ってくる。

ユキヒロさんがいなくなって以来、ユキヒロさんの曲やYMOの曲ばかりを聴いている。それがいまの、僕の唯一の癒やしである。

そうしているうちに、あるYouTubeのチャンネルに行き着いた。

ピアニスト・はらかなこさんのチャンネルである!

もう、この映像に釘付けになった!

僕の大好きなYMOの曲を次々とピアノアレンジで披露している。

そればかりではない、THE SQUARE(T-SQUAREではない)の「宝島」だとか「OMENS・OF・LOVE」など、和泉宏隆さんの懐かしい名曲まで弾いているではないか!(そういえば、和泉宏隆さんも最近お亡くなりなってしまった…)。

とにかく、曲のチョイスが、アラフィフやアラカンのオジサンの心を鷲掴みにして放さないのだ。これで沼に落ちるなと言う方がオカシイ。

ピアノの技術をさることながら、ピアノを弾いているときの楽しそうな表情がとてもよい。とくに「OMENS・OF・LOVE」を弾いているときの表情がそうだ。ピアノを前にして、自己が解放され、鍵盤の上を自在に駆け回っている、そんな印象を受けるのである。あんなふうに軽やかに生きられたら、どんなにすばらしいだろう。

YMOの曲をピアノアレンジでカバーする動画は数あれど、いまのところはらかなこさんがベストワンである!

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ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)

1月15日(日)

大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020年公開)に、かなり重要な役として高橋幸宏こと「ユキヒロ」さんが出演しているのを知ったとき、ああ、大林監督とユキヒロさんとの友情がずっと続いていたのだな、と安堵した。

10代の頃、寝ても覚めてもYMOの音楽ばかり聴いていた僕は、とにかくYMOのことばかり追いかけていた。そのユキヒロさんが、これまた10代の頃からのファンの大林宣彦監督の映画『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』に主演すると知ったときは、僕にとってはいまでいう「夢のコラボ」で、胸が躍ったのだった。

当時、坂本龍一さんは大島渚監督とタッグを組み、ユキヒロさんは大林宣彦監督とタッグを組む。いかにも「らしい」組み合わせである。

『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、大林宣彦監督にはめずらしいウェルメイドな喜劇で、フランス映画を意識したおしゃれな作品だった。フランス料理のシェフが料理監修に就いて、映画の中で料理を本格的に見せようとする手法の、先駆けの映画といえるかもしれない。ヒットはしなかったものの、愛すべき小品である。

ユキヒロさんは、大林監督の『天国にいちばん近い島』や『異人たちとの夏』にもゲスト出演していた。そして、大林宣彦監督の集大成ともいうべき『海辺の映画館 キネマの玉手箱』で、監督の分身ともいうべき「狂言回し」として出演したのは、二人の信頼関係がずっと続いていた証なのだろう、と思った。

ユキヒロさんの訃報を聴いて、僕が大好きなソロアルバム『薔薇色の明日』を聴き直し、『四月の魚』を見直す。『薔薇色の明日』にはバート・バカラックの「エイプリル・フール」をカバーしたユキヒロさんの歌が収録されており、これがとても大好きである。『四月の魚 ポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)』は、フランスでは4月1日のことを意味するらしい。ユキヒロさんは4月1日に縁がある。今年の4月1日を迎えることなくユキヒロさんが旅立ってしまったのは、とても悲しいし、悔しい。でも僕は、これからもユキヒロさんの音楽を聴き続ける。

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東風に始まり、東風に終わる

4月12日(火)

配信で行われたコンサートは、僕の複雑な心境を払拭するような、すばらしいものだった。

正直に言うと、2000年代に入ってからの坂本龍一さんは、よい意味で落ち着いた、だが見ようによってはちょっと衰えを感じさせる演奏という印象を抱かせ、少し遠ざかっていた。それは、矢野顕子さんが年齢を重ねてもエネルギッシュなピアノ演奏を見せてくれるのと、ちょっと対照的だな、そう感じていた時期がある。

しかし、1時間強の、今回の配信コンサートは、実に力強かった。

スタジオには、ピアノ1台と坂本さんが1人。音楽を極限まで濾過した、究極のステージ。命を削るように音を紡ぎ出す、もはや求道者である。

それでいて、楽しみながら演奏している。

ピアノを弾く皺の多い指は、しかしながら若いときにシンセサイザーを弾いていた指の動きと、変わらなかった。

選曲は、そうとう吟味して行われたようだが、その中の1曲に「東風」が入っていたことは、僕にはたまらなかった。

おそらく、YMOの曲でいちばん好きな曲は何か、といわれたら、「東風」と答えるだろう。YMOは東風に始まり、東風に終わるのである。

すべての演奏が終わったあと、坂本龍一さんのコメントで、

「ここへ来て新境地をひらいた」

と自画自賛していたが、まさにその通りだった。

演奏が終わり、立ち上がって歩いて画面から去っていく姿を見て、僕は複雑な心境から、いつのまにか解き放たれていた。

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メッセージ

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」の「ザ・ゴールデンヒストリー」は、市井の人々の人生を取材し、放送作家が原稿にまとめたものを、大竹まことが語る、というコーナーで、聴くとしみじみした気持ちになる。

数日前、僕と同世代の男性の人生が取り上げられていた。

その人は、小学生のころ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の音楽に出会い、「電気的啓示」(エレクトリック・リベレーション、芦原すなお『青春デンデケデケデケ』より)ならぬ、「テクノ的啓示」を受ける。そこから、寝ても覚めてもYMOの日々が始まる。

しかし、別れは意外と早く訪れる。1983年に、YMOはわずか5年の活動に終止符を打つのである。「解散」ならぬ「散開」コンサートが、全国ツアーで行われ、その最後が東京の日本武道館だった。

当日券のあてもない彼は、コンサートの当日、せめて近くで同じ空気を吸おうと、日本武道館まで訪れる。すると、「友だちのひとりが来れなくなった」というグループから、運よく定価でチケットを譲ってもらうことができ、YMOのラストステージを噛みしめたのだった。

その後もYMOの後を追いかけ、お金を貯めてシンセサイザーを買ったりするが、勉強からは落ちこぼれてしまう。それでも、独学でコンピュータを勉強し、その技術を生かすことのできる会社に入る。

一時期、音楽関係の仕事に就いたこともある。そのときに、細野さんや坂本さんが自分の間近にあらわれる機会があり、一ファンとして握手をしてもらったことがあるという。

YMOが自分の励みとなり、いまではIT関係の会社の取締役になった。でも夢は、「一ファンとしてではなく、いつかYMOのメンバーと仕事でお会いしたい」と、いまでも彼は、YMOを追い続けているのだ、と、大竹まことのナレーションが締めくくられる。

…小・中学生の時にYMOの洗礼を受けた同世代の僕にとっては、まるで自分のことのようだ。思わず涙が出る。

当時は、まだ中学生くらいだったから、コンサートには行けなかったものの、レコードは全部買い、3人が載っている雑誌や本を集めた。大人になってからも、さまざまな再編集版のCDや、「YMO伝説」について書かれた本を、できるだけ集めた。散開から10年経ったときに東京ドームで行われた再結成のコンサートも行った。坂本龍一さんの武道館ライブも行った。こういうのを、いまでいう「推し」というのかどうかはわからない。たぶん違うのだろう。

僕は音楽関係の職に就くような才能はないが、自分が10代の時に憧れていた人と、一ファンとして会うのではなく、一緒に仕事をするというのが、いちばんの理想だというのも、よくわかる。

以前に書いたが、昨年、テレビの取材を受けて、それが番組として放送されたとき、自分が語っているバックに、坂本龍一さんの「戦メリ」の曲が流れたときは、坂本さんといっしょに仕事をしている気分になり、「ああ、生きていてよかった」と思ったのだった。

YouTubeに、4日ほど前に公開された坂本龍一さんの短い動画があがっていた。

それは、2分ほど、坂本龍一さんが語った動画だった。

2020年6月に癌であることがわかり、それ以来、表だった活動をしてこなかった。かなり体力が落ちてしまい、1時間とか1時間半といった通常のコンサートを行うのが難しい状態になった。なので、1曲づつ演奏したものを映像にまとめて、コンサートの形にしたい。

力をふりしぼるように語っていた。僕はいま、複雑な心境である。

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詠み人知らずの歌

録画してあったNHK-BSPの「The Covers」の「スターダスト☆レビューLIVE」(5月27日放送)を見た。

感染対策に配慮しつつ観客を入れたLIVEだったが、客層は明らかに、アラフィフの年代の人ばかりである。

とりあえず、「木蘭の涙」が、アコースティックバージョンではなく、オリジナルのバンドバージョンだったのがよかった。

「木蘭の涙」は、何といってもオリジナルのバンドバージョンに限る。

アコースティックバージョンが歌われ始めた頃、この曲は注目を集め、いろいろなアーティストがカバーをした。そのうち、誰のオリジナル曲なのかわからなくなっちゃって、

「『スタレビさんも、「木蘭の涙」をカバーするんですね』、と言われたんですよ」

と、そのLIVEでボーカルの根本要さんが、本当とも嘘ともつかないMC を炸裂させて、会場を笑わせていた。

根本要さんのMC力は、レギュラーをつとめた毎日放送のラジオ「ヤングタウン」で、野沢直子と笑福亭笑瓶とのトークで培われたという。

あるテレビ番組の受け売りだが、大滝詠一が、本当にいい曲というのは、作った人間の手を離れて、いつしか「詠み人知らず」のように歌われるようになることだと語っていたという。「木蘭の涙」も、もはやその域に達しているということなのだろう。

最近、ネット上で読んだ、、根本要さんのインタビューが、とてもよかった。

「僕らが40年続いたいちばんの理由は、売れなかったことかもしれない」

「本当にヒット曲はないんです。でも長いこと歌っていると、世の中の人が勝手にヒット曲のように感じちゃうらしく、実際は『木蘭の涙』だって20位くらいで、『今夜だけきっと』は50位にも入ってない。だから最近は“ヒット曲でもないのに知られてる曲がある”って自虐的に言ってます(笑)。本当にヒット曲のないバンドなんです。でも、世の中の人たちはそこに価値を見出す。ありがたいことに今回こうやってインタビューしてもらっていますが、僕らはただのマニア向けバンドかもしれません。でも音楽は、マニアックに聞いてくれたほうが、それまで知らなかった音に出会えたりするんですよ。僕自身も“もっとマニアックに音楽を聴こう”と思います。時代と共に薄れる曲よりは、“あなたの中でのヒット曲を作ろうよ”と。売れた曲を“ヒット曲”と呼ぶより、心を叩いてくれた曲を“ヒット曲”と呼んでほしいですね」(週刊女性PRIME 、 2022年6月4日)

そういえば、ムーンライダーズも、まったく同じことを言っていた。

ラジオ番組で、「バンドが長続きする秘訣は?」と聞かれて、

「ヒット作(代表作)がないこと」

と答えていた。

そういうふうなスタンスで仕事が続けられたら、どんなにいいだろう、と憧れる。

ところで、さきの根本要さんのインタビューでは、こんなことも言っていた。

「『木蘭の涙』はたくさんの方にカバーしていただいていますが、なかには“あれ? オリジナルを聴いたことないのかな?”ってカバーもありますよね。やっぱり原曲へのリスペクトはとても大切だと思います。最初にカバーしてくれたのは佐藤竹善とコブクロ、最近も鈴木雅之さんが歌ってくれていますが、僕よりうまくて困りました(笑)。原曲はバンドでの演奏ですが、アコースティックバージョンがよく歌われます」

いろいろなアーティストが「木蘭の涙」をカバーすることに対して僕が違和感を抱いていたのは、そういうことだったのかと、溜飲が下がった。今回のLIVEでオリジナルのバンドバージョンを演奏したことの意味が、わかった気がした。

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