1級1班

期末考査

最近の生活リズムは、5時に授業が終わってから、大学の研究室に寄って、その日の宿題をして、夕食、というパターンだったが、最後の授業が終わった昨日、研究室に寄ってはみたものの、「そうか、もう宿題はしなくていいんだ…」ということに気づき、早めに家に戻った。

いつの間にか、宿題が自分の生活のリズムの一つになっていた。

翌日は期末試験だというのに、なかなか試験勉強ができない。こういうときに限って、自分の研究に関係ある本を読みたくなったりする。ウダウダと無駄な時間を過ごしてしまった。

2月7日(土)

いよいよ、期末考査である。

試験時間と試験会場は、前回の中間考査と同じである。ただ、午後のマラギ(対話)の試験の順番は、前回最後だった私が、今回は最初になる、という点が異なっている。

午前9時から午後1時10分まで、文法、読解、作文、リスニングと、試験が続く。

大人になってよかったことは、試験勉強から解放されたことであった。実際、今でも、入学試験や、学校の定期試験の時の夢を見たりすることがある。試験勉強をまったくせずに、試験にのぞむ、という夢である。もうあの頃には戻りたくない、という願望なのだろうが、今、現実に、あのときと同じ状況に置かれている。この状況が、この後もしばらく続くのは、やはりちょっとつらい気がする。

「優等生の視点だよね」と、この日記を読んだある人が言った。「いっそ、中国人留学生たちみたいになっちゃえば?」

たしかにそういう面はあるかも知れない。この日記では、中国人留学生たちの行動が理解できない、としきりに書いてきたが、勉強が嫌いな人にとっては、むしろわかるのは中国人留学生たちの行動の方なのではないか。

ビックリするくらい荒れていた中学校で、私は生徒会長を務めていた。毎日のようにガラスが割れ、イタズラに消化器がまかれるような中学校で、いわゆる不良と呼ばれる彼らとともに授業を受けながら、受験勉強をしていた。あのときと今とでは、自分のスタンスは何ら変わってないではないか、ということに気づき、思わず笑ってしまう。

人間にはもって生まれた「業(ごう)」のようなものがあるのかも知れない。

さて、文法、読解、作文の試験は、中間考査の時と同じように、同じ教室の中で、1級から3級までの学生が、1列ごとに机に座って受験する。隣の席の答案を見ないための方策である。

ところがリスニングの試験だけは、違う級の人がひとつの教室で受験する、というわけにはいかない。そこで、1級の人たちがひとつの教室に集まって受験することになる。

だから、リスニング試験の時は、とりわけカンニング対策が重要である。試験監督の先生方は、学生どうしの席が近すぎないように最大限に注意を払い、「隣の人の答案を絶対見てはいけませんよ!」と、何度も学生に呼びかける。

ひとり、こわい顔をした試験監督の先生が、

「もし、隣の人の答案を見たら、こうなります!」

とおっしゃって、答案用紙を1枚ビリッと破いてみせた。

学生たちは、一瞬凍りついた。これは効果がありそうだ。

午前中の試験は、脳細胞が日に日に死滅しつつあるこの頭をフル稼働させ、1時10分に終わった。

リスニングの試験が終わってから、1級1班で優等生のパオ・ハイチェン君が私に聞いてきた。「最後のあの問題の答えは、何ですか?」

「プルコギとビビンバだよ。『冷麺を食べたかったけど、寒かったので食べなかった』って、言ってたでしょう」

「そうか~、プルコギとビビンバか~」

パオ・ハイチェン君はひどく悔しがっていた。

このあたりの会話も、中学、高校時代に友達とよくやったなあ。

パオ・ハイチェン君とは、今後もいいライバルになるような気がする。

問題は、午後のマラギ(対話)の試験である。どうも先生と1対1では、緊張してしまう。

順番が最初なので、2時少し前に、3階の試験が行われる部屋の前で待っていると、例によってものすごい怒鳴り声が聞こえてきた。

「何度言ったらわかるの?関係ない人は2階に降りて待っていなさい!」

「猟奇的な先生」の声である。「猟奇的な先生」の声は、本当によく通る。

すると中国人留学生たちは、「やべえ、『キムチ』だ、『キムチ』だ」といって、階段を降りていった。

「キムチ」とは、「猟奇的な先生」ことキム先生のあだ名である。キム先生のフルネームを続けて言ってみると「キムチ」と聞こえるため、そのようなあだ名になったらしい。だからこの語学堂では、「キムチ」といえば、それは「猟奇的な先生」のことなのである(ちなみに「猟奇的な先生」とは、この日記の中だけで私が使っている呼称。念のため)。

これからあの怒鳴り声をしばらく聞くことができないとなると、それはそれで寂しい気もする。

マラギ(対話)の試験は、途中、言葉に詰まって失敗したところがあったものの、いちおう無事に終わった。失敗したことは仕方がない。

試験が終わって語学堂の外に出ると、マ・クン君がいた。

「マラギ、難しかったですか?」

「ちょっとね。あまりよくできなかった」

「僕、これからなんです」

「ヨルシミ ハセヨ!(一生懸命がんばりなさい)」

マ・クン君はニッコリ笑って、語学堂の建物に入っていった。

この試験が終われば、彼らのほとんどは、2月末まで中国に帰る。すでに頭の中は、故郷に帰った時のことでいっぱいなのだろう。

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さよなら、1級1班!

今学期最後の授業。

といっても、相変わらず出席者は少ない。パオ・ハイチェン君、リュ・ピン君、ロン・ウォンポン君、リ・ミン君、トゥン・チネイ君、そして私。マ・クン君が、やや遅れてやってくる。

「猟奇的な先生」の授業。「モッテヨ(できません)」と「チャル モッテヨ(よくはできません)」の違いを学ぶ。「モッテヨ」は、全然できないことを意味し、「チャル モッテヨ」は、「できるにはできるが、上手ではない」という意味。

先生が私に質問する。「中国語はできますか?」「モッテヨ」

今度はリュ・ピン君に質問。「リュ・ピン!日本語はできますか?」

「チャル モッテヨ」

「リュ・ピン!違うでしょ。『チャル モッテヨ』だと、少しはできる、ということなのよ」

「できます!」

「言ってみなさい」

「アイシテル!」

私が教えた日本語が、初めて役に立った!と思ったのもつかの間、

「他には?」

しまった。他の言葉を教えていなかった。

「…アイニチワ」

「それは『こんにちは』でしょう!それでは『チャル モッテヨ』とは言わないのよ」

と、あえなく撃沈。

そして「猟奇的な先生」の授業時間も最後を迎えた。

「この班のみんなが2級に行ければ、いいと思っている」

この言葉を、何度かくり返しつぶやいた。そしてつけ加える。

「もし、来学期また1級ということになったら、また私が教えることになるからね」

最後に先生は、私に質問した。

「1級の授業はどうだった?簡単だった?難しかった?」

「クジョクレッソヨ(まあまあでした)」

昨日習ったばかりの言葉で答えた。「クジョクレッソヨ」。便利な言葉だ。

続くベテランの先生の授業。相変わらずの学級崩壊。

学生が教室を出たり入ったりする。

リュ・ピン君が「ソンセンニム!チング(友達)がお腹が痛いというので、早退していいですか?」

「おかしいわよ。友達がお腹が痛くて、なぜリュ・ピンが授業を早退しなければならないの?」

「僕がいないと病院に行けないやつなんです」

どう考えても、リュ・ピン君よりもその友達の方が韓国語が上手だと思うのだが。

「今日は最後の授業なのよ!…わかったわ。行ってきなさい」

そのままリュ・ピン君は戻ってこなかった。

続いてマ・クン君。今日のマ・クン君は、教室を出たり入ったりしている。

「ソンセンニム!飛行機の切符を買わなければ行けないので、早退してもいいですか?」

「ダメです。飛行機の切符なら、授業を終わってからでも買いに行けるでしょう」

最後の授業らしい緊張感などまるでなかった。

ベテランの先生の授業も終わりに近づく。マ・クン君が質問する。

「ソンセンニム!もし僕たちが2級に行けたら、また韓国語を教えてくれますか?」

「教えたいけど、無理なのよ」

新学期から、別の大学で教えることになるのだ、という。だからこの大学での語学の授業は、これで最後なのだ。

「先生も、みんなともっと勉強したかったんだけど…」

そして授業の最後に先生がいつも言う言葉、

「マチムニダ(終わります)」

を、目に涙をため、言葉を詰まらせながらおっしゃった。

あれだけ悩まされてばかりの班だったのに、不思議なものだ。

そしてみんなは、いつもよりやや大きな声で、挨拶する。

「アンニョンヒ カセヨ!(さようなら)」

学生たちとは、明日の期末試験でも会うとは思うが、ちゃんとした挨拶は、これが最後かも知れない。

さよなら、1級1班!

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マ・クン君からの手紙

今学期最後のクイズ(小テスト)も終わり、あとは明日の授業と明後日の期末試験を残すのみとなった。

「猟奇的な先生」は、「今学期の授業が明日で終わりで、本当に気分がいいわ!」とえらく上機嫌である。「猟奇的な先生」にとっても、この2カ月あまりの間は、長い戦いだったのだろう。

4時間目の授業中、私のところにノートの切れ端がまわってきた。

二つに折られたそのオモテのところには、「ピョンジ(手紙)」と書いてある。

顔を上げると、私の正面にいるリュ・ピン君が、マ・クン君を指さしている。

どうもマ・クン君が書いた手紙のようだ。

中を見ると、次のように書いてあった。

「スオプ クンナヨ ウリ カッチ パブル モゴッソヨ チュングク パブル マシッソヨ」

直訳すると、次のようになる。

「授業 おわります 私たち 一緒に ご飯を 食べました 中国ご飯を おいしいです」

綴りや助詞の使い方や時制がめちゃくちゃだが、ふだんの会話から察して、

「授業が終わってから、私たちと一緒にご飯を食べましょう。中国料理はおいしいですよ」

と言いたいのだと思う。

読み終わってマ・クン君の方を見ると、「OKですか?」という顔をしている。一瞬、どうしようか迷ったが、こちらもアイコンタクトで「OK」と返事をした。

授業が終わって、6時に大学の北門で待ち合わせる。待っていたのは、リュ・ピン君だった。横にもう1人いて、「僕のトンセン(弟)です」と紹介した。

「あなたがトンセン(弟)ですか」と聞くと、「いえ、僕はトンセンではありません。彼のチング(友達)です」という。

どういうことだ?てっきり、弟も一緒に韓国に来ているのかと思ったら、そうではなかったのだ。どうも、リュ・ピン君は、その友達を日本語でいう「舎弟」の意味でトンセンと呼んでいるようである。

リュ・ピン君の案内で、マ・クンの部屋に向かう。道すがら、リュ・ピン君が話しかける。

「アジョッシ、覚えてますか?僕が前にアジョッシに教えてもらった日本語」

「覚えてるよ。『アイシテル』だろう」

「そう、『アイシテル』」

「使ってみた?」

「ヨジャチング(ガールフレンド)に言ってみました。でも、ヨジャチングはわからなかった」

歩くこと10分。マ・クン君の部屋のある建物に到着。日本でいえばワンルームのアパートである。語学堂で学んでいる中国人留学生ばかりが住んでおり、さながら寄宿舎のようである。

部屋にはいると、マ・クン君と、リュ・ピン君のヨジャチングが、すでに料理の準備をしている。

やがて、同じアパート内に住んでいる、マ・クン君の友達が入ってくる。

「このアパートのヌナ(お姉さん)です」

とマ・クン君が紹介する。聞くと、同じ大学の語学堂で勉強しているのだが、学生ではなく、仕事をしているらしい。韓国語をマスターして、こちらで本格的に仕事をしたいのだ、という。実際、みんなより少し年上である。韓国語も上手で、しっかりもの、という感じの人である。

総勢6名で鍋を囲む。少々辛い鍋だが、冬の鍋のよさは、中国も韓国も日本も変わりないことを実感する。

途中、マ・クン君がスカイプをはじめた。故郷のオモニ(母)やヒョン(兄)と、他の中国人留学生たちにもわからないような地元の言葉(方言)で会話をしている。パソコンにつけられたカメラで、私たちをさかんに映して、故郷の人たちに紹介していた。嬉しかったのだろう。

スカイプでの会話が終わった後、私は彼に聞いた。

「今度のパンハク(休暇)に中国に帰る、ということを、プモニム(ご両親)は許してくれたの?」

「実はまだ話してません。でも、突然帰れば、プモニムも『帰ってくるな』とは言えないでしょう。だから黙って帰ります」

ひとりで韓国にいるのは、やはりつらいのだろう。

やがて、1人帰り、2人帰り、となり、私だけが残った。

中国の度数の強いお酒を飲みながら、お互い、たどたどしい韓国語でいろいろな話をする。

といっても、もっぱら話すのはマ・クン君で、私は聞き手である。どうも私は、日本だけでなく韓国でも聞き手に回ることが多い。

マ・クン君は、これまでのことを、ときに可笑しく、ときに真剣に話した。故郷の家族のこと、韓国に来てからのこと、そして、語学堂でいちばん大好きなナム先生のこと…。

その話しぶりは、ふだんの授業の会話練習からは想像もつかないほど、わかりやすい。技術の習得だけが、コミュニケーションを成り立たせているのではないことを、実感する。

気がつくと9時になろうとしていた。帰ろうと思って立ち上がると、マ・クン君が聞いた。

「中国のお酒はどうですか」

「度数が強くて大変だけど、冬に飲むにはいいね」

「今度中国から戻ってきたら、必ずおみやげに持ってきます」

マ・クン君がアパートの外まで見送ってくれて、「じゃあまた明日」といって別れる。

度数の強いお酒を醒ますには、ほどよい寒さの夜だった。

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代理の先生

無事、大邱に着いた私は、いつもより少し早く、教室に到着した。

12時50分まで、別の班が授業をしていたので教室の外で待っていると、やがて授業が終わり、教室から若い女性の先生が出てきた。

すると、どこからか、中国人留学生が数人やってきて(うちの班ではない)、教室から出てきた先生に、びっくりするくらい大きな「ピザ」を渡そうとしている。宅配のピザなどでよく見る大きさのものである。

その先生は、びっくりして、「なに?どうしたの」と聞く。学生は「どうぞ食べてください」と言った。

「こんなに食べられないわよ。受け取れないわ。みんなで食べなさいよ」

どう考えても、華奢な体の先生には無理な大きさのピザである。

「いえ、僕たちはお腹がいっぱいなんです。どうか受け取ってください」

留学生たちの執拗なプレゼント攻撃に観念して、先生がピザを受け取った。

先生のことが好きなので渡したのか、それとも来るべき期末試験に向けての賄賂なのか、そのあたりはわからない。

いずれにしても、不思議な光景だった。

さて、今日は、お金を両替する時の表現を学ぶ。「日本のお金を、韓国のお金に替えてください」といった表現である。

前半の「猟奇的な先生」の授業では、途中までうまくいっていたのに、ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君が、緊張がゆるんだのか、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君に中国語で私語してしまったために、先生の怒りをかい、ひとしきりお説教を受けるはめになる。その内容は、もう何度もここで書いていることなのでくり返さない。

なんとか気まずい雰囲気を立て直そうと、私は積極的に先生の質問に答えたり、先生に質問したりする。なんでこっちが気を遣わなければいけないのだろう。

そんなことはどうでもよい。今日は、後半の授業を担当されているベテランの先生が、別の仕事で授業をお休みした。そこで、代理の先生がいらっしゃることになった。

代理の先生が入ってくるなり、「この部屋、タバコ臭いわね。窓を開けなさい!」とおっしゃる。

うちの班の学生の多くが、タバコを吸っている。10分間の休憩時間のたびに、語学堂の建物の外に出て、みんなでタバコを吸って談笑している。だから、しばしば授業に遅れて来るのである。

今日も、先生が来ているのにもかかわらず、半分くらいの学生が教室に戻ってこない。

先生がイライラし出した。「いつもこうなの?」

「そうです」

「班長は誰ですか?」

「まだ教室に戻ってきてません」

先生があきれる。

先生も、いきなりとんでもない洗礼を受けたものだ。

ようやく、15分くらいたってみんなが揃った。

代理の先生は、この班についてどのくらい予備知識があったのだろうか。私のことを当初中国人だと思って話しかけていたところを見ると、あまり聞かされていなかったのではないか。

もちろん問題の多いクラスだということくらいはお聞きになっていただろうが、ひとりひとりの人間性についてまでは当然ながらよくわかってらっしゃらないので、ペースをつかみかねているようだった。

さて、この代理の先生は、声も大きく、表情も豊かにお話になる。小学校の先生によくいらっしゃるタイプ、というべきだろうか。まだ若くて、とても明るい先生である。

素直な学生ばかりの班であれば、とてもうまくいくのだろうが、うちのような班のような連中に通用するかどうか。

とくに先生は、学生の発音を気にされているようだった。うちの班の中国人留学生たちはかなり発音が悪いのだが、そこにこだわりだした。

トゥン・チネイ君がある単語の発音をした。だがその発音が間違いで、別の単語の発音であることを聞き逃さなかった先生は、「いまの発音だとね…」と言って、その別の単語に関する、考えられないような下ネタを話しはじめた(ここでは書けない)。

しかも、図解しながら説明しだしたのである。

「…ね?だから、発音は大事なんですよー」

大人のジョークとしてはよいかも知れないが、この班でそんな話をすると、ますます悪ふざけが始まるぞ、と思ったら、案の定、その単語を連呼して大笑いする。

この班では、そういうネタは逆効果なのだ。

先生は何度もため息をつかれる。困りはてた先生は、私の方を見て話しかけた。

「この班、大変でしょう」

「ええ、大変ですとも!毎日毎日ね!」

私も、思いの丈をぶつけた。

この後、今日習ったばかりの表現を使って、「私を別の班に替えてください!」と、よっぽど言いたかったのだが、あと3日の我慢だ、と自分に言い聞かせて、グッとこらえた。

相変わらず、連中は珍奇な発言をくり返して、代理の先生を翻弄する。

そんなことより私が気になっているのは、パンジャンニムが、宿題のノートを、2時間目の後の休み時間にも、3時間目の後の休み時間にも、みんなからいっこうに集める気配がなかった、ということであった。

以前にも書いたと思うが、毎日の宿題のノートは、授業の休憩時間中にパンジャンニムが集めて、研究室の先生の机に提出する。そして、それと入れ替わりに、昨日提出した宿題のノートを先生から受け取り、みんなに返すのである。

この学期の初め頃は、パンジャンニムが授業が始まる前にみんなから集めて、1時間目が終わった休み時間に、研究室の先生の机に提出したのであるが、次第にそれが、2時間目の休み時間になり、3時間目の休み時間になり、というように、遅くなっていったのである。

そして今日は、3時間目の後の休み時間になっても、宿題のノートを先生の机に持って行こうとしない。

理由は簡単である。昨日やるべき宿題を今日になってもやっていない学生が多く、授業中、あるいは休憩時間に宿題をしているからである。それらが終わらない限り、宿題のノートをまとめて提出することができないのである。

こちらは、(宿題ノートを早く提出して、昨日の宿題ノートを返してくれよ…)と気が気でない。

そんなこちらの心配をよそに、マ・クン君、リュ・ピン君、トゥン・チネイ君の3人は、授業と授業の間の休み時間に、平然と昨日出された宿題を書いている。

しかもリュ・ピン君は、隣のパオ・ハイチェン君のノートを奪い取って、それを見ながら速攻で丸写ししているのである。トゥン・チネイ君も、昨日の宿題で出た「私の好きな季節」という題目の作文を、ロン・ウォンポン君から奪い取って、自分の提出用紙に丸写ししている。

かくして、クローン作文ができあがる。

彼らが、期末試験の準備をしているかどうかは、推して知るべしである。

パンジャンニムが、集めた宿題ノートを提出し、昨日の宿題のノートを持ってきたのは、今日の授業が終了した後のことであった。

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続・学ばない人たち

いよいよ、冬学期の最終週となった。

もう後がない中国人留学生たちの様子は、というと…。

先週とまったく変わらず、授業に集中していない。

「上の空」の学生がほとんどである。

1時間目、機嫌よく教えておられた「猟奇的な先生」だったが、2時間目から、雲行きが怪しくなる。

教科書の練習問題を「猟奇的な先生」が当てていくのだが、留学生たちは、ボーッとしているため、どの問題をあてられたのかわからず、オロオロしている。そのため、なかなかスムーズに授業が進まない。

「猟奇的な先生」の口調も、次第に厳しくなっていく。

最近は、「猟奇的な先生」の怒りのメーターが上がっていく様子が、手に取るようにわかる。

あー、もうじき爆発するな、と思ったそのとき、先生の怒りが爆発した。

当てられた問題が探せなかったり、間違えたりした学生に対して、「両手をあげなさい」とおっしゃる。

一瞬、なんのことかわからなかったが、「いいから、両手をあげなさい」とくり返す。その口調は冷静だが、ものすごい迫力である。

次の人を当てる。次の人もオロオロしたあげく、間違ってしまった。すると、やはり「両手をあげなさい」とおっしゃる。

いわれた学生は、ずっと両手をあげたままでいなければならない。まるでFBI捜査官が、犯人を追い詰めたときのようである。

「もっと高くあげなさい!」

その光景は、見ていてかなり屈辱的である。

両手をあげる学生の数が次第に増えてくる。

そして次は私の番。

私もミスをしたら両手をあげなければいけないのだろうか、と思うと、極度に緊張して、心臓が高鳴った。まるで、背中に拳銃を突きつけられているような思いである。

ブルブルと声を震わせながら、なんとか解答する。もう少しで泣きそうだった。

練習問題がひととおり終わり、「猟奇的な先生」のお説教が始まる。

「みんなはね、教室で授業を受けていても、頭では全然別のことを考えているのよ。それでは、家にいるのと同じね。そんな態度で授業を受ける意味なんてあると思う?いったい何しに学校に来ているの?」

例によって静かになるが、どうもこの静寂は、先生の話を真剣にきいている、という感じには思えなかった。

「みんなは、頭が悪いから点数が悪いんじゃないの。授業態度が悪いから、いつまでたっても点数が上がらないのよ。前学期も、前々学期も、同じような授業態度だったでしょう。だから、いつまでたっても、1級から抜け出ることができないのよ。今回もまた、それをくり返す気?」

「そう、これは態度の問題なのよ。一生懸命勉強してもわかりませんでした、という人を責めません。なぜなら、わかるまでこちらが何度でも教えることができるから。でも、授業をまともに聞く気のない人に、いくら教えたって、上達するはずはないでしょう。子どもが食べ物を受けつけずに吐いているところに、むりやり食べ物を口に入れてもまた吐き出すのと同じことなのよ」

最後のたとえがいまひとつよくわからないが、このあとも「問題は授業態度である」という言葉が、何回もくり返し出てきた。

念のため補足しておくが、「猟奇的な先生」は、できなかったことに対して怒ったことは一度もない。また、留学生の人格を否定したり、間違いをあげつらって罵倒したりしたことも、当然のことながら一度もない。それは断言できる。

今回の「両手をあげろ」事件も、学生たちのほとんどが「上の空」で授業を聞いていたことを責めたものである。

どんなに発音が悪くても、たどたどしくとも、必ず、「チャレッソヨ(よくできました)」とおっしゃる。聞いているこっちからすれば、「いまの発音がチャレッソヨなのかよ」と思うこともしばしばなのだが、努力して言い終えた人に対しては、「発音が悪いわね」とか、「もっとスムーズに話せないの?」などといった言葉は絶対に言わないし、聞いたこともない。それは、後半のベテランの先生の場合でも同様である。語学の先生の鉄則なのだろう。

また、学生の授業態度が悪いのは、先生の教え方が悪いからでは決してない。実にわかりやすく、懇切に教えてくださっている。

それだけ、先生はプロに徹しているのである。

にもかかわらず、彼らは、それをわかろうとはしない。このお説教もまた、まったく心に響いていないことだろう。

最後に先生がおっしゃる。

「私がこの語学堂でいちばん恐い先生だ、て言われているのはみんなわかっているでしょう。だからこのクラスを担当しているのよ。他の先生だったら、とてもやっていけないわ」

それはそうだろう、と思う。「猟奇的な先生」くらい肝が据わっている先生か、ベテランの先生くらい寛容な精神にあふれた先生でないと、このクラスを担当できないだろう。

現にこの私が、もう耐えられない状況に来ているのである。

お話が終わると、「猟奇的な先生」は、颯爽と教室を出ていかれた。その去り際が実にかっこよく、「オットコ前だなあ」と、ヘンに感心してしまった。

先生が出ていかれ、ドアがバタンと閉まった途端、緊張から解放された彼らは、ホッとしたかのように、中国語で話しはじめた。

やっぱりわかっていないな。こいつらは。というか、学生たちは、先生のお説教をちゃんと聞き取れてるのか?リュ・ピン君あたりは、先生が何を話していたのか、まったくわからなかったのではないだろうか。

後半のベテランの先生の時間。やはり学級崩壊がくり返される。

リュ・ピン君は、相変わらず授業なんて聞かずに、隣のパオ・ハイチェン君にちょっかいを出している。トゥン・チネイ君とパンジャンニム(班長殿)ことロン・ウォンポン君は、相変わらず中国語で喋り続けている。トゥ・シギ君とリ・ミン君もその会話に参加している。マ・クン君は、前半の「猟奇的な先生」の授業で極度に緊張した反動か、机に突っ伏して熟睡してしまった。

やはり「猟奇的な先生」のお説教は、まったく彼らの心に響いていなかったのである。

とくにリュ・ピン君の授業態度はひどい。パオ・ハイチェン君との会話の練習のときである。テキストの会話を、2人で読みあわせる。

パオ「来週からパンハク(休暇)だけど、どこか旅行に…」

リュ「チョアヨ(いいね)」

パオ「山がいいか、海が…」

リュ「山より海の方がいいね」

パオ「じゃあ海に行こう。ところで何を準…」

リュ「着る服と飲み水を準備しなさい」

と言ったように、パオ・ハイチェン君が全部言い終わらないうちに、「食いぎみ」に会話を進めていくのである。要は、相手の言葉をまったく聞かずに、自分のセリフだけを言ってよしとしているのだ。

さすがに先生もあきれる。

「そんな会話はないでしょう。会話練習なんだから、相手の言ったことを全部聞いてから答えなさい!」

だが、リュ・ピン君は、そんなことおかまいなしなのである。

今日は、ずっとイヤな気分が続いたが、最後にマ・クン君との会話練習で、少し救われた。

4時間目。目を覚ましたマ・クン君と、「パンハク(休暇)の時の旅行についての計画を立てる」という会話練習をする。

例文は次の通り。

「今度の休暇、一緒に旅行に行くかい?」

「いいね。どこへ行こうか」

「いまは寒いから、寒くないところがいいね。チェジュド(済州島)なんかどう?」

「いいね。チェジュドに行こう」

「船で行こうか、飛行機で行こうか」

「時間があるから船にしよう。飛行機は速いけど、値段が高いからね」

「チェジュドで何をしようか?」

「ハンラ山が有名だからハンラ山に登ろう」

「いいね。じゃあ何を準備したらいいだろう」

「準備するものはそんなにいらないよ。あたたかい服を着て、運動靴を履いておいでよ」

「うん、わかった」

少し長いが、これをアレンジして、会話を2人で作らなければならない。

私「今度の休暇、一緒に旅行に行くかい?」

マ「いいね。どこへ行こうか」

私「いまは寒いから、寒くないところがいいね。(中国の)海南島なんかどう?」

マ「いいね。海南島に行こう」

私「船で行こうか、飛行機で行こうか」

マ「お金があるから飛行機で行こう。船は安いけど、時間がかかるからね」

私「海南島で何をしようか?」

マ「天崖海角が有名だから天崖海角で海水浴をしよう」

私「いいね。じゃあ何を準備したらいいだろう」

マ「準備するものはそんなにいらないよ。海水パンツを履いて、水泳眼鏡をかけておいでよ」

私「え…それで飛行機に乗るの?」

最後のやりとりに反応して、先生が大爆笑した。

「おかしいでしょう。海水パンツと水泳眼鏡だけを身につけて飛行機に乗るなんて!そういうときは、『海水パンツと水泳眼鏡を持っておいでよ』と言えばいいのよ」

その言葉で、先生と、マ・クン君と、私の頭の中には、海水パンツと水泳眼鏡だけを身につけて、飛行機に乗っている絵が浮かび、再び大爆笑する。

韓国人、中国人、日本人が、共通の絵を思い浮かべて大爆笑する…。

東アジアに共通する笑いのツボは、たしかに存在するのだ。

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2カ月

韓国へ来てから2カ月が過ぎた。

いままで、日記なんぞ書いたことのない人間が、よく続いたものだと思う。

この2カ月間、語学堂で起きたさまざまな出来事を、できるだけありのままに書いてきたが、私の体験が、文章でどれだけ表現できているのか、どれほど伝わっているのか、はなはだ心許ない。

あまり抽象的でも伝わらないし、逆に些末な出来事を書き連ねても、話が込み入りすぎて、読むのが面倒くさくなってしまう。

たとえば、昨日の授業でいちばん笑ったのは、次のようなことであった。

後半のベテランの先生の授業で、「もし…したら、何をしますか?」という対話練習をした。

「今度の休暇が来たら、何をしますか?」「中国に帰ったら、何をしますか?」といった風に質問をして、それに対して、もう1人が答えるのである。

ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君と、人のよいパンジャンニム(班長殿)ことロン・ウォンポン君の対話練習。

この2人は、同じ吉林省出身ということもあってか、いつも仲良く喧嘩している。たいていは、トゥン・チネイ君がからかう方で、ロン・ウォンポン君がからかわれる方。トゥン・チネイ君は、自分は打たれ弱いくせに、相手にはサディスティックなまでの言動を浴びせる。

今回も、トゥン・チネイ君は、ロン・ウォンポン君をやり込める気満々である。

「ヨジャチング(ガールフレンド)と家で何をしますか?」

ロン・ウォンポン君をからかうときは、たいていヨジャチングの話題をふる。というか、うちの班の連中は、ヨジャチングの話題が大好きなのである。小学生じみた発想である。

そしてこういった質問をする場合、相手から「ポッポする」、という答えをなんとか引き出そうとする。「ポッポ」とは、韓国語でキスのことである。日本語の語感でいえば、「チューする」といったほうがよいであろうか。

この「ポッポ」という言葉も、彼らが大好きな言葉なのである。これまた、小学生のような感覚である。

ベテランの先生があきれる。

「またヨジャチングの話題なの?それよりトゥン・チネイ君、いまは『もし…したら、何をしますか』という勉強をしているのよ。その表現を使って質問しなさい!」

トゥン・チネイ君は、ロン・ウォンポン君をやり込めたいあまり、使うべき表現をまったく無視して質問したのである。そこでまた言い直す。

「ヨジャチングが家に来たら、何をしますか?」

「…料理をします」

ロン・ウォンポン君は、相手の思惑に乗らないように、慎重に答える。

「それから?」

と、負けずにトゥン・チネイ君も質問を続ける。

「…ご飯を食べます」

「それから?」

「…お酒を飲みます」

「それから?」

「…テレビを見ます」

「それから?」

トゥン・チネイ君の攻撃は執拗である。ここまでくると、もはや語学の練習ではない。相手からいかに「ポッポ」という言葉を引き出すか、という目的のみで、この対話が続けられることになる。

「…話をします」

ロン・ウォンポン君も必死に対抗する。

次の瞬間、トゥン・チネイ君は質問を変えた。

「では、夜11時頃、何をしますか?」

ここでロン・ウォンポン君は耐えきれず撃沈。「…ポッポします」

そして一同は、大爆笑。

…というわけで、授業中は、こうしたことのくり返しなのであるが、この文章で、授業中の可笑しさが、どのくらい伝わっているのだろうか?もし伝わっていなければ、ただただ些末なことを延々と書いているに過ぎなくなってしまう。

その場にいて可笑しかったことを、文章で伝えることが、なんと難しいことか。

といいつつ、こんな実験的な文章を書いても仕方がないのだが。

もし、読者がいるのだとすれば、こんな話ばかりで、とっくに飽きていることだろう。

来週末に、この学期が終わる。とりあえずそこまでは、日記を書き続けよう。そしてそれ以降のことについては、またあらためて考えることにしよう。それまで、もう少しの辛抱だ。

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本日モ反省ノ色ナシ

ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君が久しぶりに授業に現れる。

授業中、「猟奇的な先生」が、さかんにトゥン・チネイ君をからかおうとするが、トゥン・チネイ君は、表情ひとつ変えず、それに乗ろうとはしない。

どうも、トゥン・チネイ君は、「猟奇的な先生」が苦手なようである。

今週の「猟奇的な先生」は、いたって穏やかである。旅行前には、いろいろ考えすぎて荷物がいっぱいになってしまう、という話や、引っ越しの見積もりの時に、大量にある本を冷蔵庫や洋服ダンスに隠して、引っ越し代を安くあげた話など、ここ数日の「猟奇的な先生」のフリートークは、むしろ冴えているといってよい。

私自身は、同世代かつ同業者の「あるあるネタ」としてとても面白く聞いているのだが、しかし、学生たちにはいまひとつ受けが悪い。

これとは対照的に、後半のベテランの先生の時には、学生が積極的に先生に話しかける。

いま、彼らの間で一番気になっているのは、「自分が果たして2級に上がれるのか?」ということである。彼らの頭の中には、いまそれしかないのである。

さっそく、授業の始まる前にマ・クン君がベテランの先生に質問する。「先生、僕は2級に上がれるでしょうか?」

何回同じ質問しているんだよ、と言いたくなる。

マ・クン君だけではない。ほかの学生たちからも、次々に「僕は2級に行けるでしょうか」と質問攻めにあう。

さすがにベテランの先生も、これでは埒があかないと思ったのだろう。休憩後の4時間目、これまでの成績表を持って教室にやってきた。

2級に上がれるかどうかの基準は、以下の通りである。

まず、出席が80%以上であることが条件。その上で、中間考査の成績が20%、期末考査の成績が20%、4回行われるクイズ(小テスト)の成績が20%、毎日の宿題が20%、毎日のパダスギ(書き取り試験)が20%、という割合で総合的に評価される。

だから、私情が入る余地はないのだ。いくら先生にお願いしたって、無理なものは無理、というシステムになっている。

昨日のリュ・ピン君のように、何かアピールすれば上級クラスに上がれる、というものではないのだ。

しかし彼らは、なかば冗談で「もし2級に上がれたら、先生に贈り物をします」などと、贈収賄の罪に問われるようなことを言って懇願するのである。

さて、4時間目の授業の最初、ベテランの先生が成績表を持ってくると、学生たちはたちまち先生のまわりに群がるように集まり、自分のこれまでの成績を確かめはじめた。

しかし、確かめたところで、何になる、というのだろう。仮に、いままでの成績が、思ったより良かったとして、「じゃあ期末考査は手を抜いていいや」ということになるのだろうか。

いままでの成績がどうであろうと、残された試験に全力を尽くすことには、変わりないのではないか。

私には、彼らの行動がまったく理解できない。

しばらくの間、彼らは自分の成績を確かめ、それを書き写し、点数の計算をすることに没頭している。

おかげで、授業時間がどんどん削られている。本末転倒な話ではないか。

それでいて、彼らは、まじめに授業を受けるか、というと、そういうわけではない。相変わらず、中国語の私語は延々と続いているし、対話の練習では、頓珍漢な受け答えばかりしている。

いちばん自覚がないのは、リュ・ピン君だ。最悪なのは、授業中に携帯電話で誰かとヒソヒソと話している。7人しかいない授業で、よくそんなことができるものだ。

ベテランの先生は、叱りはするが、とりあげようとまではしない。もしこれが「猟奇的な先生」だったら、携帯電話をとりあげるだけでは済まず、登録されている電話番号を全部消去してしまうところであろう。あるいは窓の外へ放り投げるかも知れない。

ときに、それくらいことをしないと、彼らにはわからないのだろう。

その点において、私は「猟奇的な先生」を支持する。ベテランの先生の優しさが、結果的に彼らをダメにしている一要因である、と、残念ながら認めざるを得ないのである。

しかし、「猟奇的な先生」には学生の人望がなく、ベテランの先生は、学生たちに絶大な信頼がある。

教育とは、本当に難しい。理想の教育者、て、どんな人なんだろう。

私にはわからなくなってきた。

彼らは、人一倍、2級に上がりたいと願っている。しかし、2級に上がるためのいちばんの近道は、授業を地道に受けることだ、ということに、まったく気づいていない。

相変わらず、この4時間の授業をいかにやり過ごすか、ということだけを考えている。

いよいよ、あと1週間で、この学期も終わる。

来週も、こんな感じで授業が続くのだろうか。

1級1班、本日モ反省ノ色ナシ。

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「チェガ ネルケヨ」

韓国で、複数の人たちと食事に行くと、本当に難しい。

その食事代を、誰が支払うか、という問題である。

基本的に日本のような「割り勘」という習慣がないので、複数で食事に行くと、誰かが全部を支払うことになる。

昨日の居酒屋も、1次会はウさんが全部支払い、2次会は、別の大学院生の方が全部支払った。

今日、昨日の人たちと大学の食堂で昼食をとったが、その時は、もう1人の大学院生の方が全部支払ってくれた。

なるほど。今日、めずらしく昼食に誘われたのも、もう1人の大学院生が、食事代をおごらなければならなかったためか。

結局、支払っていないのは私だけ。

そこで私は、昨日習ったばかりの「タウメヌン チェガ ネルケヨ(次は、私は支払います)」と言うと、なぜか爆笑された。

自分が外国人ということもあるので、なかばお客様扱いされていることもあるのだろうか。いずれにしても、自分が支払うタイミング、というのが、よくわからない。

今日の「猟奇的な先生」の授業でも、そんなことが話題になった。

昨日に続き、今日の出席者は5人。昨日のメンバーのうち、ロン・ウォンポン君が欠席で、代わりにマ・クン君が出席である。昨日、両方の鼻の穴にティッシュを詰めていたパンジャンニムことロン・ウォンポン君は、さらに風邪が悪化したのかも知れない。

トゥン・チネイ君、トゥン・シギ君、ジョウ・レイ君の悪友3人組も、昨日に引き続いて欠席。2級に上がれないと宣告されたのがショックだったのかも知れない。やはり、打たれ弱いやつだ。

例によって時間が大幅に余ったので、「みなさん、韓国の人と食事に行ったことがありますか?」と話題をふられた。

「韓国の人と食事に行くと、1人が全員の分を支払うでしょう。外国人にはそれが不思議みたいね」

「そうです。とても難しいです」昨日のことが頭にあった私は、その話に反応した。

先生が続ける。

「学生時代、米国人の友達と食事に行ったとき、私が全部払ったのね。そうしたら、次から、一緒に食事に行きたくない、みたいになって、だんだん疎遠になっていたのよ。たぶん、負担に感じたのね。払ってもらっても精神的な負担だし、自分が払うとなると今度は金銭的な負担だし」

個人主義の国の人なら、それはそうなるだろう、と思う。

「でも、韓国人だって、難しく感じているのよ。みんなで一緒に食事しているとき、『ここは誰が払うのだろうか』とか、『あれ?この前は誰が払ったかしら』とか。計算が済んだあとも、『次は誰が払うのだろうか』とか、年中考えながら食事をしているのよ」

「そんな考えながら食事をしても、美味しくないのではないですか」という私の質問を、笑いながら受け流し、先生は話を続ける。

「以前友達と食事に行って、友達に5000ウォンのジャージャー麺をおごってもらったのよ(韓国人は、ジャージャー麺が好きである)。『次は私が払うね』といって行ったところが、サムギョプサル(豚焼き肉)の店。そこで10万ウォンも払ったのよ!もう悔しくて悔しくて…。だから自分がどのタイミングでおごるか、ということも、考えなければならないのよ」

ちょいとしたロシアンルーレットである。

後半のベテランの先生の授業。3時間目は、「私の1日」というテーマで話をする。

そこで、リュ・ピン君の仰天発言。

リュ・ピン君は、わが班の中で、おそらく精神年齢がいちばん幼い。加えて、韓国語の出来もかなりよくない。

「僕は、毎日毎日、夜遅くまでスクチェ(宿題)をしているんです」とリュ・ピン君。

「そんなに宿題が好きなの?でも夜遅くまでかかるほど宿題は多くないでしょう」と先生。

「違うんです。僕は、ヨジャ・チング(ガールフレンド)と、トンセン(弟)の分の宿題もやってあげてるんです」

この言葉に、先生が大爆笑した。なぜなら、ヨジャ・チングも、トンセンも、リュ・ピン君より上級の、2級クラスに在籍しているからである。

「じゃあリュ・ピン君は2級のクラスの宿題もやっているの?」

「そうです。だから2級の勉強もできるんです。だから2級に行けますよね」

再び先生は大爆笑。

「でもリュ・ピン君、あなたの提出する宿題は、いつも間違いだらけよ。それで、よく2級の宿題ができるわね。ほかの2人はそのあいだ何をしているの?」

「料理を作っています」

どうも、自分は亭主気取りで「宿題は俺にまかせろ」なんていいながら、ヨジャチングに料理を作らせているらしい。こりゃ、将来、厄介な亭主になりそうだぞ。

それにしても、ヨジャチングやトンセンも、よくリュ・ピン君に宿題なんかまかせられるな。もしこれが本当の話だとしたら、毎日、間違いだらけの宿題を提出していることになるぞ。

リュ・ピン君は、「自分は2級の宿題もやっているのだから、次の学期は2級のクラスでやっていける自信があるんです」という意図でそんな話をしたのだと思うが、だとしたら、完全に間違ったアピールである。2級の宿題なんかやるより、今の1級の勉強をもっとまじめにやれよ、と、誰もが言いたくなるだろう。

どうも考えていることがよくわからない。

私は、昨日の居酒屋の話をする。そこから、日本、韓国、中国の、居酒屋の比較に話が広がる。といっても、初級の語学レベルなので、たいした話にはならないが。

授業が終わって帰ろうとすると、マ・クン君が私のところにやって来た。

「アジョッシ!中国のお酒を飲んだことありますか?」

「飲んだことあるけど、度数が高くて、飲むとのどが熱くなるね」

そう答えると、そうでしょう、と言わんばかりに、

「僕たちにしてみれば、韓国の焼酎なんて、水みたいなものです」

と言う。「この前も中国人の友達4人で韓国の焼酎を16本も空けたんですよ」

へえー、と感心していると、マ・クン君は続けた。

「今度のパンハク(休暇)に中国に帰ります」

「でも、プモニム(ご両親)が帰ってくるなって言ってなかった?」

「大丈夫です。帰ります。…で、今度韓国に戻ってきたとき、中国のお酒をたくさん買って持ってきます。アジョッシにも、おみやげに買ってきます」

「そう。ありがとう。楽しみに待っているよ」

マ・クン君はニッコリ笑って、教室を飛び出していった。

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おでんと熱燗の夜

5日ぶりの授業にきたのは、わずか5人。

パオ・ハイチェン君、リュ・ピン君、パンジャンニム(班長殿)のロン・ウォンポン君、リ・ミン君、そして私。

欠席者が多いのは、5日前の一件があったからなのかどうかは、わからない。

「猟奇的な先生」は、あきらめムードなのか、いたって平穏に授業を進める。

そして5人なので、授業の進むスピードも速い。予定のところがあっという間に終わってしまう。

こういうときには、フリートークになる。

今日は、「助ける」という動詞を習った。そこで「猟奇的な先生」は、「みなさんは、韓国へ来て、誰かを助けたことがありますか?」と、多少むちゃぶりな質問をする。

そこで、1週間くらい前のことを思い出した。

バスの停留所でバスを待っていた時のこと。アジュンマ(おばさん)が、「○○へ行くには、何番のバスに乗ればいいのかしら」と私に聞いてきた。

たまたま私は、その場所を知っていたので、「○番のバスに乗ればいいです」と答えた。

つまり、韓国人にバスの乗り方を聞かれ、それに対して答えたのである。

そのことを、苦労しながら話すと、先生は意外な顔をした。

「アジュンマは、韓国人と思って話しかけてきたのかしら」

「そうだと思います」

「で、教えたバスは、本当にその場所に行くバスだったの?」

「はい」

疑り深い人だ。

その話で思い出したのか、今度は先生がおもむろに話しはじめた。

「そういえば、私が日本に旅行に行ったとき、東京で、みんながやたら私にばかり道を聞いてきたのよねえ。どうしてかしら」

それは美人だからですよ、と合いの手を入れようとしたが、バカバカしいのでやめた。

「で、あまりにいろんな人が道を聞いてくるものだから、最後は面倒くさくなって、『○○はどこですか?』と聞かれて、『あっちの方です』って、適当な方角を指さして教えてあげたのよ。本当はそんな場所なんて知らないのに」

一同はあきれつつも爆笑。そこでちょうど授業時間が終わり、「猟奇的な先生」も、気分よく帰っていかれた。

後半の授業。ベテランの先生はすでにおいでになっているというのに、学生はなかなか戻ってこない。

しばらくして、みんなが休憩から戻ってきた。するとパンジャンニムが、両方の鼻の穴に、ちり紙をつめている。

まるで、鼻の下に白髭をたくわえた人みたいになっている。

ベテランの先生が驚き、「どうしたの?鼻血?」と聞くと、

「いいえ、鼻水です。大丈夫です。気にしないでください」

気にしないでくれ、て言われても、その顔はインパクトがありすぎる。顔が面白すぎて、授業に集中できない。だがパンジャンニムは、そのままの状態で、授業を受けつづけた。

金曜日のことがあったためか、ベテランの先生が気にされて、再び、みんなを励ます。

「あらためてこれまでの点数を見てみたけど、今のままでは、合格点に少しだけ届いていないのよ。だから、期末考査を、一生懸命がんばりなさい。9割以上とらないとダメよ」

彼らに9割以上とれ、というのは、それ自体無理な話ではないか、と思うのだが、まあ、最後まであきらめるな、ということをおっしゃりたいのだろう。

ベテランの先生のアドバイスを、パンジャンニムも真剣に聞いている。

しかし、両方の鼻の穴にティッシュを詰め、白髭をたくわえた人みたいになっている顔は、およそ人の話を真剣に聞く人のようにはみえない。

先生とパンジャンニムの両者が、ともに真剣であるだけに、なんとも滑稽である。

授業が終わり、ウさんを含めた大学院生3人と、お酒を飲みに行く。

日本風の居酒屋である。店の前には、「おでん」と書かれた赤ちょうちんもある。

メニューには店の名前が書いてあるが、「HIGA」とあり、そのしたに「火が」と表記している。

「火が」という店名らしい。火が、どうした、というのだろう。

Photo それはともかく、この店でおでんと、徳利に入った熱燗をいただく。日本と微妙に味が異なるが、でも、居酒屋の雰囲気を十分堪能できた。

しかし、相変わらず私の韓国語はまったく使いものにならない。思いきって、冗談も言ってみたりしたのだが、その冗談に笑ったのか、私の韓国語が珍奇なことに笑ったのか、定かではない。

そのあと、店を変えてビールを飲む。気がつくと10時をまわっていた。

いつものように、いい人たちと楽しい時間を過ごせたという思いと、韓国語が思うようにできないことに対する「死にたい気持ち」がない交ぜになりつつ、みなさんとお別れした。

明日の昼食もご一緒することを約束して。

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アメとムチ

Photo 明日からソルラル(旧正月)の4連休というこの日、「猟奇的な先生」は、2時間目の最初に、みんなに「ヤクパプ」を配った。

「ヤクパプ」とは、旧正月の時に食べる、餅米を炊いたもので、日本でいえばお餅にあたるものだろうか。ちまきにも似ている。

「猟奇的な先生」は、連休の前の日ということもあってか、いつになくやさしい。本来であれば、授業中に飲食をすれば、怒った上に、その食べ物をとりあげるのであるが、今日は、「トゥセヨ(食べなさい)」とおっしゃる。

私が、(これは何かの罠ではないか)と思って、食べるのをためらっていると、やはり「トゥセヨ」とおっしゃる。

昼食を抜いていたこともあり、美味しくいただいた。

また、「猟奇的な先生」は昨日、映画「レッドクリフ2」を見に行ったという。

「ソルラルは、家にいないで、映画を見に行きなさい。この映画は面白いから」

お調子者のマ・クン君は、「じゃあ今日の夕方、さっそく見に行きます!」と答える。

「猟奇的な先生」のご機嫌もよいようだし、これで、気持ちよく連休がすごせる、と思った矢先のことである。

悲劇は、2時間目の最後に起こった。

「この前のクイズ(小テスト)の結果、相当悪かったわよ。それに、今日のパダスギ(書き取り小テスト)もひどかったわね。このままだと、この班のほとんどの人が、来学期もう一度、1級をやることになるわね」と、先生がおもむろに話し出す。

そして、私とパオ・ハイチェン君の2人は、このままの調子で頑張れば2級に上がれると思うが、そのほかの人たちは、このままでは、2級に上がれない、と宣告したのである。

この言葉に、一同が耳を疑った。

マ・クン君が「僕は来学期、2級に上がりたいんです」と懇願する。

「おそらくダメだわね」と先生。

ジャッキー・チェンにそっくりのトゥン・チネイ君も、「僕も、来学期はもう一度1級の授業を受けなければいけませんか?」と、消え入るような声でたずねる。

「このままだと、おそらくそうなるでしょうね」と先生。

一同が、慄然とする。

パンジャンニム(班長殿)も、言葉を失っている。ただただ、「ウェ?(どうして)。ウェ?」と、信じられない、という様子で先生に質問する。

しかし先生は、「別に私が決めるわけじゃないのよ。いままでの点数を総合的にみると、そうなる可能性が高い、ということよ」と突き放す。

そして、「このあと、クイズが1回あって、最後に期末試験があるでしょう。その時には一生懸命に頑張りなさい」とだけおっしゃる。

私以外はみんな、2回も3回も、多い人は4回も、この1級(初級)の授業を受けてきた連中だ。とくにパンジャンニムは、もう1年も韓国にいる。その間に、ヨジャチングはどんどんと上級のクラスへと進んでいる。いつになったらこの「1級地獄」から抜け出せるのか?

たぶん、いちばん慄然としたのは、パンジャンニムだっただろう。

「ソルラルには、映画を見たり、一生懸命勉強したりして、有意義に過ごしなさいよ~」とおっしゃって、「猟奇的な先生」は教室をあとにした。

いつものような激しい怒りではなく、どちらかというと、突き放した、あきらめムードの捨て台詞である。こちらの方が、はるかに恐ろしい。

「猟奇的な先生」が教室のドアを開けて去られたあと、心なしか、教室には冷たい風が吹き抜ける。一同が、言葉を失っていた。

パンジャンニムは、宿題のノートをみんなから集めるという班長の仕事をやる気力すらなくなっている。そのことを察したパオ・ハイチェン君は、パンジャンニムの代わりにみんなから宿題のノートを集め、先生のところに持っていった。

さて、後半の、ベテランの先生の授業。

教室が、水をうったように静かである。全員がうなだれている。「心ここにあらず」といった感じである。

ベテランの先生が不審に思って、「どうしたの?今日はみんな変よ」と聞く。

パンジャンニムが泣きそうな顔で、「キム先生が、このままではこの班のみんなが2級に上がれない、とおっしゃったんです」

おいおい、「みんな」ではないだろう。

「それでみんな元気がないのね。残っているクイズと期末試験を一生懸命頑張れば大丈夫よ。だから気持ちを切り替えて勉強しましょう!」

と先生はおっしゃるが、そんな言葉くらいで気持ちを切り替えられるはずもない。

「ほら!どうしたの?おかしいわよ。いつもならうるさいぐらいに喋っているのに。この班らしくないわよ」

ん?「授業中にうるさくない」のが「おかしい」って、どういうことだ?

それはともかく、面白いくらいに、みんなの様子が変化したことだけははっきりしている。

いちおう教員の端くれとしての立場から言えば、彼らの日ごろの授業態度、学習態度では、成績が伸びないだろうな、というのは、容易に想像がつく。だから、厳しい言葉だが、「自業自得」と言わざるを得ない面もある。

そして学生の立場から言えば、これほどの戦慄な発言はない。私自身についても、「調子に乗るなよ。うかうかしていたら、1級地獄から抜けられなくなるぞ」という恐怖感が、これからたびたび私を襲うことになるだろう。

しかし、教育、とは難しい。

このタイミングで、「1級残留」を彼らに宣告したことは、果たして、彼らにとってよかったのか?残された授業に対する士気を高めることになるのか、あるいはその逆になるのか、よくわからない。

あるいは、そのどちらでもないかも知れない。彼らは、今日言われたことも、次第に深刻に受け止めなくなり、忘れてしまうかも知れない。

4時間目の授業では、次第に本来の元気を取り戻していく。

「○○を勉強したいので○○に電話をかけて、入会方法を聞く」という会話練習。

マ・クン君とトゥン・チネイ君の会話。

トゥン・チネイ「もしもし、テコンドー教室ですか?」

マ・クン「ハイ、こちら『大マ・クン テコンドー道場』です」

トゥン・チネイ「私、フランス人なんですけどね。フランスでテコンドーを習っていたんですが、韓国へ来てもテコンドーを習いたいと思いまして。」

マ・クン「ありがとうございます。『大マ・クン テコンドー道場』は、大邱でも知らない人がいない、有名な道場です」

トゥン・チネイ「練習はいつから始まりますか?」

マ・クン「3月2日から5月31日までの3カ月です」

トゥン・チネイ「いくらですか?」

マ・クン「1カ月15万ウォンです」

トゥン・チネイ「その、…『豚マ・クン テコンドー道場』に行くには、どうしたらいいんですか?」

マ・クン「『豚』ではない!『大』です!」

トゥン・チネイ「いま、チェジュド(済州島)にいるんですけどね。チェジュドから、どうやっていったらいいんですか?」

マ・クン「チェっ、チェジュド?…飛行機に乗って、大邱国際空港に降りなさい。そこからタクシーに乗って、運転手に『大マ・クン テコンドー道場』と言えば、有名なのですぐわかりますよ」

トゥン・チネイ「飛行機とタクシーですか。お金がないんで無理ですね。自転車では行けませんか?」

マ・クン「いい加減にしろ!」

相変わらず、トゥン・チネイ君が相手を翻弄しながら会話を進めていく。

しだいに、いつもの「わが班」らしい授業に戻っていった。

しかし私の心の中には、まだあのときの戦慄は消えていない。あのときの戦慄を最後まで引きずるのは、ほかでもない、この私ではないだろうか。

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