スピーチの極意·前編
いやはや今日も尋常じゃない仕事量だった。常に追い込まれている。…という話はともかく。
極意シリーズ。
いまから20~30年前は、多くの人を呼ぶ結婚披露宴をする人が多かった。僕は結婚式をしなかったが、当時は珍しがられたと思う。
僕自身は結婚式をしない派だったが、不思議と結婚式に呼ばれ、披露宴でスピーチをさせられることが多かった。
まだ僕が20代の頃、大学の研究室の先輩の結婚式でスピーチを頼まれた。僕はあらかじめ用意していたBGMに合わせてスピーチをして、その音楽が終わると同時にスピーチも終わる、という凝った演出を考えて実行した。そんな凝ったスピーチをやるヤツなんていない。
ところがこれが評判を呼び、次に別の先輩が結婚するときに、結婚式の司会を頼まれた。僕は完全台本を作り、時折アドリブを混ぜながらも、新郎新婦を引き立てる役に徹した。会場には偉い先生がたくさんいたが、披露宴全体は和やかな雰囲気に包まれ、「ふだん地味な君があんなに芸達者だったとは」と、口々に言われた。
そこに出席していた別の先輩から、「俺の結婚式の時にもスピーチをしてくれ」と頼まれた。結婚式の会場は四国にある県である。四国の結婚式にはとにかくたくさんの人を呼ぶのがならわしのようで、200人からの出席者がいたと思う。わざわざ四国まで行き、ほとんど知らない人たちの前でスピーチをした。
それから10年以上経った頃に、その結婚式に出席した人と偶然に会った。「あなた、○○さんの結婚式でスピーチした人でしょう。いまでもその内容を覚えていますよ」と言われてびっくりした。
高校の吹奏楽部の後輩の結婚式にも何度かスピーチをした。新郎新婦はお互い部活の同期生である。僕はさほど親しかったわけでもなかったが、是非にと頼まれたのである。後年その後輩夫婦から、いまでもそのスピーチを思い出すと言われた。
やはり同じ吹奏楽部の1学年後輩どうしが結婚することになり、スピーチを頼まれた。通常のスピーチではつまらないと思い、親友のコバヤシと二人で漫才をすることにした。僕が漫才台本を書き、何度か練習をして、さぁ披露するぞと意気込んでいたら、結婚式の前日に東日本大震災が起こり、僕もコバヤシも披露宴に出席できず、漫才は幻と化した。あの漫才が上手くいったらM-1グランプリにエントリーしようと思ったのに、それが叶わず残念だった。
教え子の結婚式にも何度か呼ばれ、スピーチをした記憶があるが、一番印象に残っているのは、出席しない結婚式でスピーチをしたことである。正確に言えば、新婦である教え子に手紙を書いて、司会の方に代読してもらったのである。
新婦と同期である教え子たちが、サプライズで先生(つまり僕)の手紙を結婚式で読んでもらうという演出を考え、依頼してきた。僕はわりと一所懸命に手紙を書いた。その手紙は思い出の写真のスライドショーとともに読まれ、新婦は感激のあまり泣いたと後から聞いたが、僕が記憶を盛っているかもしれない。
つまり何が言いたいかというと、ここまではたんなる自慢話なのである。地味で滑舌の悪い僕がなぜスピーチを頼まれ、後々にも記憶に残るスピーチをすることができたのか?そのメカニズムはよくわからない。小学校の時にはあまりに無口で先生によく叱られていたのである。
思いのほか自慢話が長くなったので分析編はまたの機会に書くことにする。といってもたいした分析ではないといまから言っておくぞ。
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