思い出

これもまた自慢話

これもまた自慢話。

前の職場時代に、学内の一部局が発行している定期刊行物に、大学生時代の思い出にかかわるちょっとしたエッセイを書いた。いまでこそ学内で発行している定期刊行物は、学外の一般の人たちの目にも触れるため、長い文章は嫌われ、カラー刷りで短い情報を発信するツールになってしまったが、僕がいた頃は、やはり一般向けの宣伝の役割はその当時からあったものの、いまよりも地味な体裁であった。

その定期刊行物は学内の全教員にも配布されたが、僕と同世代のある同僚から次のようなことを言われた。

「あのエッセイ、面白くて夢中で読んじゃいましたよ。メールボックスで受け取って、自分の研究室に戻ろうと階段を上っている間に、なんとなく読み始めたら止まんなくなっちゃって、階段の踊り場のところで読み終わるまで立ち止まってしまいました」

僕は驚いた。そんなことを言われたのは初めてだったからである。しかもふだんは口数の少ない同僚なのである。

しかも、その同僚は僕とは専門分野がまったく異なる、堅物で有名な法律の専門家だったのである。その同僚とはとくに親しいわけではなく、「学食」で見かけると、近くの席に座って多少の会話をする程度の間柄だった。お互い孤高の人間だったからね。

そういう堅物の法律家を夢中にさせたエッセイを書けたことに、僕は少なからず誇りを持った。他の誰にも感想を言われたことはなかったが、僕はその同僚一人に言われただけで満足だった。

文章なんて、それで十分だという思いを強くしたのは、それがきっかけである。

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企画、これにて終了

「企画だおれの企画」でおなじみの「贈り物についてのエピソード」は、これにて終了いたします。

お寄せいただいたエピソードの数はきわめて少ないものでしたが、僕としては理想的な着地ができたことに、とても満足しています。

考えてみれば、みなさんふだんの仕事がお忙しい中で、こんな企画に付き合うヒマなんぞなかったでしょう。その中にあって、とくに時間を見つけて投稿していただいたわさびなさんとこぶぎさんには深く感謝いたします。

同時に、このブログは多くの「サイレントだまらー」のみなさんに支えられていることも実感いたしました。「サイレントだまらー」のみなさまにも感謝申し上げます。

それでは、またいつかお会いしましょう。さようなら。

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小さな魔法

企画だおれの企画「贈り物のエピソード」。予想通りこぶぎさんのほかに誰もお寄せいただかなかったので、企画の終了宣言をしようかと思っていた矢先、ついにお一人からエピソードをいただくことができました!ご本人に連絡を取り、このブログへの掲載を許可いただきましたので、以下に掲載させていただきます。

だまらーネーム「わさびな」さんです。

……………………………………………

小さな劇場に立つ人に、終演後にお会いして、小さなお菓子を手渡すことがある。

旅先で見つけた地方の銘菓や、コンビニで買って美味しかった個包装のお菓子を、「おすそわけ」と言って持っていく。

一つか二つをラッピング用の紙袋に入れて準備するのだが、手渡す前にいったん一つずつ取り出して、お菓子の説明をして聞かせるのが常だ。

その人はとても偏食だから、私はいつも自分が先に食べてみることにしている。

「そんなに甘くないですよ。」「熱海の『こっこ』によく似てますよ。」と、味や食感を伝える私の話を聞きながら、包みの裏を一生懸命に見ているその人に、「大丈夫そうですか?」と尋ねる。

すると少しだけ目線を上げて、「だいじょうぶだと思います。」とその人は答える。

それが、お決まりのやり取りだ。

ある時、コンビニでクリームソーダ味のミルキーを見つけた。クリームソーダはその人の好物だ。

買って食べてみたが、味もとても良かった。

これはおすそわけしたいと思ったが、ミルキーは紙で包んであるだけだから、いつものように小さな贈り物としてパッケージすると、ちょっと警戒されてしまうかもしれない。

そこで、お会いした時に、目の前で封を開けてみせた。

「これ本当にクリームソーダの味がするんです。おひとつどうぞ。」と、口の空いた袋を差し出した。

その人は、「へぇ」と言いながら、指で一粒摘み出した。

すぐに紙包みをほどいて、口の中に放り込んでくれた。

思いもよらない反応に、胸の奥で何かが大きく動いた。

その人は少し微笑んで「これは、よくできてる」とボソッと呟いた。

うれしいよりも、まず安心が胸の奥に落ちた。

「十粒以上入ってますけど、どうされますか?」

私は、努めて事務的に伝えた。

その人は、「じゃ、もう一粒だけ。せっかくだから。」と言って、袋からもう一粒摘んでパーカーのポケットに入れた。

言葉にすると重くなりすぎる気持ちを、形あるものに変えて、相手に手渡す。

その瞬間だけ、あちら側の世界と私を厳しく隔てる薄いベールがふわりと揺れて、相手に触れないまま触れさせてくれる。贈り物は小さな魔法だ。

その人はいつも「ありがとうございました」と頭を下げてから、振り向きもせずに去っていく。

その背中を見送って、私はゆっくりと反対の方向へ歩き始める。

肩を並べて歩くわけにはいかない。

だから、少し遠回りをしながら、同じ駅へ向かう。

本当に「ありがとう」と思っているのかなんて分からない。

それでも、小さな魔法の灯りに照らされて一瞬だけ浮かび上がったあの景色は、私の胸の中だけで、今も静かに光っている。

……………………………………

企画はもう少し続けます。

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企画だおれの企画

いま僕の中でブームになっているのは、贈り物にまつわるとっておきのエピソードをいろいろな人に聞いてみたい、ということである。きっかけとなったのは、最近出たばかりの牟田都子編の『贈り物の本』を読んだからである。37人の文筆の達人たちが贈り物にまつわるとっておきのエピソードをエッセイにしているのを読んで、贈り物に関する捉え方が当然ながら人それぞれであることに今更ながら気づいたのである。

そこで、このブログの読者(だまらー)にも、贈り物にまつわるエピソードを募集したいと考えたのだが、そう言われて書いてくれる人はまずいないだろう。ギャラが出るわけでもないですしね。

唯一、こぶぎさんがAIを使って書いてくれそうな気がするくらいである(決してフリではありません)。

万が一、気が向いたらでけっこうですので、何らかの方法で僕にお送りください。緩募というやつです。基本的に僕が楽しむだけのことになりますので文章の長さは問いません。ひょっとしてこのブログで紹介する場合があるかも知れませんが、その場合はあらためてこちらから連絡をとらせていただきます。もちろん実名は伏せます。

この記事のコメント欄に直接書いていただいてもかまいません。

だまらーのみなさんには何の得にもならない企画ですが、企画だおれになることは最初から覚悟しておりますので、またあいつが変なことを考えてやがると、読み流してください。

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野心家たちの競演

さすがにもう何も書くことがない。

いまのもっぱらの関心事は、「日の丸弁当を食べることは国旗損壊罪に当たるのか」ということである。もし国旗損壊罪に当たるのであれば、日の丸弁当は「梅干しどまんなか弁当」と名称を変えるか、あるいは白米のど真ん中に梅干しを乗せることを法律で禁止するかの、どちらかである。誰か国会で質問してくんねえかなあ。

という屁理屈はさておきですよ。

僕が大学生のころ、テレビ朝日で「プレステージ」という深夜の生放送番組をやっていた。月曜~木曜のたしか深夜1時からの番組で、明け方まで放送していた。司会者は曜日ごとに違っていて、いまから思えば、いずれも上昇志向の強い野心家たちが司会をしていた。

最近そのことを思い出して、運命とはまことに不思議なものである、と感慨に浸った。

何曜日か忘れてしまったが、ある曜日の司会者は、作家・飯干晃一の娘の飯星景子さん、それに蓮舫さん、高市早苗さんの3人だった。

僕はその番組をよく観ていたが、番組を仕切るのはおもに飯星さんで、ほかの2人は茶々を入れる役割だったと記憶する。

蓮舫さんと高市さんは、のちに政治家になったことはご承知の通りである。

しかも、蓮舫さんは野党政治家、高市さんは与党政治家、というふうに別々の道を歩むことになったのである。

そしてこのたび、高市さんは総理大臣にまで登りつめた。

いま、蓮舫さんと高市さんは激しく対立している。お互い譲らない野心家。2人は、あの番組のことについていまはどう思っているのだろう。なかったことにされているのだろうか。

ちなみに、僕も大学生の頃、この番組に出演したことがある。もっとも、飯星さんや蓮舫さんや高市さんが司会の曜日ではない。別の曜日である。その思い出話は以前に書いた。

僕はこの番組に出演したことがきっかけで、「野心なんかくそ食らえ!」と思うようになった。

人間の運命とは、じつに不思議なものである。

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弘法は筆を選ばず

10月26日(日)

なんにも書くことがないので、高校のクラス会のことについてもう少しこすらせていただきます。もはや誰も関心がないだろうけど。

グループLINEの通知をオフにしたので、精神的にはずいぶん楽になった。あとは、頃合いをみて退会しようかと思っている。

「プロ写真家」のクラスメートによる写真撮影指南は、今日の深夜に至るまで続いた。専門用語の連続に、ド素人の僕にはサッパリわからないところがあるのだが、「写真を見たときに、見る側がエネルギーを感じ取るような力が備わった写真が撮れるとベスト」「またその一枚を見た時に、情景をイメージさせられるような写真だと良いでしょう」は、精神論を言っているのだなということだけはわかった。僕がバカだから意味は理解できなかったけど。

カメラの機種についてはとくに触れていなかったけど、撮影の時に必ず双眼鏡をもっていくようにというアドバイスがあり、双眼鏡ならこれを買えという指定まであった。ということは、カメラもまた、プロ仕様のいいカメラを揃えなくてはならないという暗黙の示唆があるものと思われる。この点は僕の勘違いかも知れないが。

いい写真を撮るには、その技術に耐えうるいいカメラを用意しなければならない、ということは、いいカメラでないとプロのような写真が撮れない、ということ?つまり写真の善し悪しは結局はカメラの善し悪しに左右されるってこと?という批判は、多分しちゃいけないんだよね。

そんな批判をしたらお前は何もわかっていない、と叱られるだろう。

なぜなら、むかしから「弘法は筆を選ばず」という格言があるからである。当然、写真芸術の世界も、カメラの善し悪しなど関係がないのだ。

音楽の世界もそうだ。以前に書いたことがあったが、むかしNHKの番組で、老境に入ったYMO の3人が、しょぼい楽器で「ライディーン」を戯れに演奏したことがあった。この時の演奏がすばらしく、視聴者に絶賛され、いまでも「どてらYMO」の名で語り継がれている。これはまさに現代の「弘法は筆を選ばず」の最適な事例である。

…とここまで書いていて僕が勘違いしていたことに気づいた。「弘法は筆を選ばず」は凡百の「プロ」に対して言った格言ではなく、「天才」に対して言った格言なのではないか、と。

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肩書きの多いクラスメート

10月25日(土)

昨日のクラス会終了後から、高校のクラス有志のグループLINEの盛り上りが止まらない。

深夜から翌日の午後まで、着信を知らせるバイブがずっと震えっぱなしなのである。

原因は、例の「一人旅愛好家」による投稿である。

相変わらず大量の写真がアップされている。

その過程で、彼の肩書きが複数あることが、本人により明らかにされた。

「プロ写真家」と「プロ料理家」。「プロ」というくらいだから、それで収入を得ているということである。

「嘘じゃない証拠に仕事道具の包丁コレクション送っておきます」

と、ご丁寧に包丁コレクションの写真も送られてきた。

「私は確かに『プロ写真家とプロの料理家』ですが副業でやってて本業は別にあります」

とも書いていて、本業はまた別にあるらしい。

そのあと、別のクラスメートが撮った「鳥の写真」をとりあげて、素人と一緒にしないでほしいと、やんわりディスっていた。

そのあとも五月雨式に今の自分の肩書きを写真とともに紹介していた。曰く、「自動車修理工房」「走り屋」「モータージャーナリスト」「その他」。

「その他」ってなんだよ(笑)

そこにはご丁寧にも車を運転している動画も添えられていた。

そのあとには次のようなコメントが書いてあった。

「あまり自身の正体明かすの好きじゃないですが、皆さまも人生楽しんでもらいたいと思ってね」

おいおい、「自身の正体明かすの好きじゃない」って、さんざん正体を明かしてるじゃん!(笑)

もうこうなると可笑しくて可笑しくてたまらない。本当は正体を明かしたくてたまらないんじゃないの?(笑)

最後にはこんなコメントで締められていた。

「もう私にはやり残した事は無いです。いつ死んでも良いように」

これにはちょっとカチンと来た。健常者の論理だ。僕みたいに生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人間にとっては、いつもそのことで葛藤している。それをこんなふうに軽々と言ってしまわれると、複雑な気持ちがする。

ともあれ、リア充ぶりを惜しげもなく披露してくれたクラスメートの写真と文章には大いに楽しませてもらった。僕はこういうツッコミどころ満載の文章が大好物なのである。

同時に、別のクラスメートが趣味でアップした「鳥の写真」を、いかにも「プロ写真家」の立場からこてんぱんに非難し、「きちんと真面目にやってください」と言ってのけたのはさすがに不愉快きわまりないことであった。プロ意識とはそういうものではない。

しかし「素人写真」と非難されたそのクラスメートは、ちゃんと大人の対応をしていた。みんなあたたかい人たちだなあ。僕だったら頭に来てグループLINEからすぐに退会するのに。

そういえば、高校3年間、彼とは一言も会話を交わしていなかったことを思い出した。

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クラス会の日だった

10月24日(金)

今日は高校のクラス会の日だったようだ。

新宿で飲み会をしたらしく、写真が送られてきた。出席したのは7人。

写真を見ると、みんなそれなりに年齢を重ねていることがよくわかるが、注目したいのはそこではない。

写っているほぼ全員がテニス部だったのである。1人だけサッカー部がいた。

完全に体育会系の人たちばかりである。高校時代にもほとんど接点がなく、かえすがえすも、なぜ僕がそのLINEグループに入っているのかがまったくわからない。僕は目立たない文学青年だったに過ぎない。だからあのメンバーの中で今さら何を話せばいいのかもわからない。

まことに世の中は不可思議なことばかりである。

そしてそして。

深夜に大量の写真をグループLINEにアップする者がいた。「一人旅愛好家」と自ら名乗っているヤツである。最近訪れた場所の風景写真を大量にアップしていた。そればかりか、「人生は一人旅であると知ろう」というスピリチュアルな格言も添えている。

あいつ、昔はそんなヤツじゃなかったはずなのにな。最近になって一人旅に目覚めたのだろうか。そしてスピな格言にハマってしまったのか?

もう一人、それに負けじと、自分が撮影した鳥の写真をアップするものが現れた。お前は池中玄太か!と突っ込みたくなってしまった。

僕が不思議に思うのは、それをグループLINEとはいえ、どうだ!とばかりに披露するという心理である。人間、歳をとると、自分の趣味を披露したくなるのだろうか。僕もこうしてブログを書いているので他人様のことは言えないが、別にむかしのクラスメートに読んでもらおうとは思わない。むしろ一切宣伝をしない。読んでくれる人に届けばいいだけの話だ。

しかし彼らの気持ちもわかる。久しぶりにクラスメートに会って、したたかにお酒に酔って、気分が高揚したのだろう。今の自分を知ってもらいたくて誇りたくなったのではないだろうか。そう思うと、彼らはいまも高校のクラスメートを大切に思っているのだろうなと微笑ましくなる。冷たい人間なのはむしろ僕のほうだ。

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救急車の思い出·後編

(承前)

Bさんが寝ている和室に行くと、Bさんが息苦しそうに呼吸をして、大汗をかいて布団に入っている。これはたしかに尋常ではない。学生たちが「様子がおかしい」と僕の部屋に駆け込んできたことは、決して大げさなことではない。

「あのぅ……」

Aさんが口を開いた。

「ひょっとして、私の霊感がうつったんじゃないでしょうか?」

霊感がうつる?霊感って、伝染するものなのか???

とにかくBさんをこのまま放っておくわけにはいけない。この時間だと病院はどこも閉まっているし、これで何か不測の事態が起こったら僕の責任だ。

僕は救急車を呼ぶことにした。

実習中に救急車を呼ぶなんて、前代未聞のことである。しかしBさんに何かあっちゃいけない。

救急車が来た。僕は救急車に同乗した。ほかに、Bさんと親しいCさんも同乗したと記憶する。

「とりあえず一晩入院しましょう」

救急車で運ばれた病院の先生が言った。「ついては入院の承諾書に署名してください」

ふつうなら家族が署名するところだが、代理で僕が署名するしかなかった。

「あのぅ……」

Bさんが息も絶え絶えに口を開いた。

「この私の携帯電話の一番上の電話番号にかけて、事情を説明していただけないでしょうか」

「誰?ご家族?」

と聞いたら、Bさんは言いにくそうに、

「彼氏です」

と言った。

おいおい、家族に連絡する前に彼氏に連絡するのか?

僕がかけるとややこしくなるため、同行したCさんに電話をお願いした。

僕は、その彼氏はBさんをそうとう束縛するタイプなのだろうと推測した。だから家族を差し置いて、いの一番に彼氏に電話したのだ。

その晩は旅館に戻り、翌朝、再びCさんと病院に向かった。Bさんはすっかり回復していて、安堵した。退院の手続きをとり、ほかの学生たちと合流した。やれやれ、一件落着である。

僕はその翌月の9月に職場を移ったから、それ以来、AさんにもBさんにもCさんにも会っていない。

でも今ならはっきりと言える。

あれは霊感なんかじゃなかった。熱中症だったのだ、と。

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救急車の思い出·前編

リハビリをするほかは、もう毎日がヒマでヒマで、書くことが何もない。いくら捻り出そうとしても、何にも思い浮かばない。

ヒマだと、自分がどんどん老け込んでゆくことがわかる。浦島太郎の玉手箱というのはこういうことのメタファーなんだなということがよくわかる。

このたびの入院では、初めて救急車に乗った。

(とうとう俺も救急車のお世話になってしまったか…)

と気落ちしていたのだが、待てよ、救急車に乗ったのは初めてではないぞ、と記憶がよみがえってきた。

それはもう25年ほど前のことになる。僕がまだ「前の前の職場」に勤めていた時のことである。

毎年、夏の8月に、学生を連れて関西方面に実習に行くことになっていた。実習先の京都に行ったとき、名前がすぐに思い出せないので仮にAさんとしよう、そのAさんがこう言った。

「私、霊感が強いので、京都に行けるか心配です」

たしかに京都は歴史的に大きな戦乱がいくつもあり、その霊が跋扈していそうな古都である。でもいくらなんでもそれで何かあるわけではないだろう。

だが僕の見通しは甘かった。養源院というお寺をめぐっていたとき、Aさんがとたんに気分が悪くなったのだ。

養源院には血天井というものがある。この血天井とは、伏見城の戦い(1600年)で自害した徳川の将士らの血で染まった廊下を、弔いのために天井に上げたものである。

伏見の戦いで亡くなった者たちの霊を感じとったということなのかぁ??

養源院を出た途端、Aさんは座り込んでしまった。僕はAさんが霊感が強いという告白を、過小評価していたのだ。

それでもしばらく経つとAさんは復活し、なんとか無事に京都の巡見を終えた。

その日の晩。

京都の旅館に泊まり、そろそろ寝る時間という頃に、学生たちが慌てた様子で僕の部屋にきた。

「先生、大変です!明らかに様子がおかしいんです」

「誰が?Aさんか?」

「いえ、Bさんです」

「Bさん???」

どういうこっちゃ!Bさんも霊感が強かったなんて聞いてないぞ!

僕は慌ててBさんのいる部屋に向かった。

(つづく)

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