3級6班

ナム先生の日本語

昨年9月、韓国の語学院でお世話になったナム先生とオンニ(お姉さん)が日本に観光旅行にいらしたとき、1日だけ、浅草とお台場をご案内したことは、前に書いた

先日、ナム先生のホームページに、その時の写真が、90枚ほどアップされていた。

ホームページには、写真1枚1枚の下に、ちょっとしたコメントを書く欄がある。それをつなぎ合わせれば、りっぱな旅行記になる。ナム先生の「東京旅行記」は、かなりの力作だった。

私たちは1日だけしかおつきあいしなかったが、90枚にわたる写真を順に見ていくことで、その前後の行程もよくわかるようになっている。

日本に到着そうそう、日本に住んでいるサチョンオンニ(いとこのお姉さん)の夫婦に連れられて、熱海の温泉に1泊したことや、そのあと東京に戻り、オンニと二人だけで新宿や渋谷を見てまわったことなど。

日本語が全くわからないお二人は、新宿から渋谷に行くのに、そうとう苦労したらしい。そのときの写真を見ると、「池袋駅」というホームの看板がみえる。ということは、山手線でまったく逆方向に向かってしまった、ということだな。

私たちと別れたあとのことも、写真を見ることで明らかになった。

原宿のレストランでハンバーガーを食べて、その後、原宿から渋谷まで歩き、渋谷駅でお別れした。ここまでは、前に書いた話

だが写真を見て、衝撃の事実を知る。

お二人は、渋谷で別れたあと、今度はサチョンオンニ夫妻に、「刺身」「すし」「ラーメン」をたらふくごちそうになった、というのである。「夕食を2回食べました」とある。

うーむ。やはりハンバーガーは余計だったか、と猛省。

ところでその日の午前、私たちが浅草の仲見世を案内したときの写真の中に、千社札を買っている様子を写したものがあった。

そこで思い出した。あの時、私は「南」と書かれた千社札を見つけて、ナム先生に買ってさし上げたのだった。

ナム先生の姓は、漢字で書くと「南」なのである。

「見てください。ナム先生の姓がありますよ」と私。

「ほんとですね。日本語でなんと読むんですか?」とナム先生。

「ミナミです」

「ミナミ…」

たしかその時、こんなやりとりがあったと思う。

この写真のコメントには、次のようにあった。

「『南』は日本語で『ミナミ』と読むのだとキョスニムはおっしゃった。後ほどサトシから聞いた話では、私の名前を日本語でよむと『ミナミ ヒデサダ』になるという。 私のお気に入りの名前だ」

「サトシ」とは、ナム先生が語学院で教えている日本人学生のことであろう。

それにしても、ミナミヒデサダ、とは…?

ナム先生のお名前は、スジョンとおっしゃり、「秀貞」と書く。つまり名前を日本風に読めば、「ミナミヒデサダ」となるのである。

スジョン、というのは、韓国人の女性によくある名前である。ありふれた名前といってよい。3級6班の自己紹介のときに、先生は「スジョンはありふれた名前なので、気に入らないんです」とおっしゃっていた。

それに対して、日本語の「ミナミヒデサダ」という名前の響きは、新鮮だったのかもしれない。

しかし、「ミナミヒデサダ」は、どうみても、女性の名前というよりは、男性の名前である。それも、強そうな武将にありそうな名前ではないか。

しかし、お気に入りの名前に水をさすわけにもいかないので、このまま黙っていることにしよう。

さて、90枚の写真の中には、私と妻が雷門の前で並んで写っている写真が載っていた。

写真の下には韓国語で、

「今回の旅行で大変お世話になったご夫婦」

と書いてあった。そしてさらにその下には、日本語のひらがなで、

「どうも ありがとうございます!」

と書いてあった。

ナム先生が初めて書いた日本語である。

私はその下に、

「どういたしまして」

と日本語でコメントを書いた。

| | コメント (0)

帰国のたより

キョスニム。

私たち、韓国に無事到着しました。帰りの飛行機の中では、キョスニム夫妻に対する感謝の気持ちでいっぱいでした。おかげで私たちは、本当に気楽に東京見物をできたんですが、迷惑ばかりおかけしたのではないか、と、いささか心配しています。

ふりかえってみると、したいお話ももっとたくさんあったように思いますし、写真ももっとたくさん撮ればよかった…という名残惜しさもあります。次にまた、機会があるだろうと思います。大切な因縁を、大事にしまっておきます。

今回の旅行では、学んだことがたくさんあります。日本を見ながら、それに、サチョン オンニ(いとこのお姉さん)夫妻とキョスニム夫妻を見ながら…。多くのことを教えてくれた旅行だったと思います。

ここ韓国は、雨がたくさん降ったためか、天気がとても涼しくなりました。個人的には、東京も早く涼しくなってくれたらと望んでいます。

韓国はいま、チュソク(秋夕)です。日本はまだ暑いですが、お二人も、心だけは豊かな中秋になられることをお祈り申し上げます。

奥様にも、私たちが無事帰国したということを伝えてください。オンニ(姉)も、必ず伝えてくださいとお願いしていました。

本当に、ありがとうございました。(2010.09.22.20:24

| | コメント (0)

でくのぼうの東京案内

9月21日(火)

語学院の3級のときに習ったナム先生が、オンニ(姉)と一緒に、東京に遊びに来るという。

韓国はいま、チュソク(秋夕)という連休である。日本でいえば、お盆にあたる。その連休を利用して、東京に観光にいらしたのであった。

ナム先生のサチョ オンニ(いとこのお姉さん)が、いま東京に住んでいていて、そのサチョン オンニのところに泊りに行くのだという。

近いうちに東京に遊びに行きたい、という話は、昨年11月の4級期末試験のマラギ(会話)試験のときに、聞いていた。

さらに、今年の1月末の、「最後の同窓会」のときにも、「サチョン オンニが東京にいるので、いつか東京に遊びに行きたい」とおっしゃっていた。

私はそのたびに、「東京に来る機会があれば、連絡ください。私たちが案内しますから」と約束した。

そしてその約束通り、ナム先生が東京に来て、私たちが案内をすることになった。

事前のメールで、「新宿と渋谷と原宿には行きたいと思うんですけど、それ以外にどこかキョスニムのオススメのところがありますか?」と聞かれたので、

「浅草がソウルのインサドンみたいな感じでいいと思います。そしてそこから、水上バスでお台場に行くのがよいかと思います」と答えた。

「19日、20日と、1泊2日でサチョン オンニと温泉に泊まり、20日は温泉から帰ったら新宿と渋谷を見てまわります。キョスニムは、21日に浅草を案内していただけますか?」

そして今日、そのルートをご案内することになったのである。

朝9時に渋谷のハチ公前で待ち合わせて、銀座線に乗って浅草に向かう。

浅草に着いたのが、9時40分すぎ。ちょうど、仲見世のお店が開きはじめる時間だ。

2010_09210006

雷門から、仲見世をゆっくりと歩き、みやげもの屋をのぞいたり、冷たい抹茶を飲んだり、人形焼きを食べたり、揚げ饅頭を食べたりしながら、浅草寺に向かう。

浅草寺をお参りした後、花やしき、木馬館、浅草演芸ホールなどを横目で見ながら、六区ブロードウェイを歩き、入山せんべいで焼きたての煎餅を食べる。

20100924001121_61870782 そうこうしているうちに、お昼である。お昼は、雷門の前で蕎麦を食べ、デザートにあんみつを食べる。

午後1時20分、浅草から水上バスでお台場に向かう。

Dsc07857 水上バスは、松本零士先生のデザインによる近未来の形をしている。韓国でも、「銀河鉄道999」は有名である。

隅田川の川幅の狭さ、かかっている橋の低さに、あらためておどろく。ソウルの漢江(ハンガン)とはくらべものにならないほど、小さい川であることを実感した。

水上バスに乗ること50分。お台場海浜公園に着いた。

2010_09210029 デックス東京ビーチにある「台場一丁目商店街」をゆっくりと見学し、パレットタウンに移動。

17~18世紀のヨーロッパの街並みをイメージしたヴィーナスフォートの中の、カフェ広場でひと休みする。

ロンチョン君はソウルにある大学の大学院に行ったそうです」

「クォチエンさんとリペイシャン君は、同じ大学に入って、今もうまくいっているようです。あと、ル・タオ君とそのヨジャチング(ガールフレンド)も、同じ大学に通ってます」

多くの中国人留学生たちが、通っていた語学院のあった大学に入学できたらしい。

ル・ルさんとタンシャオエイ君は、別れちゃったんですよ。ル・ルさんは、第一希望の大学に入学できたけど、タンシャオエイクンはダメだったみたいです。で、ル・ル氏は、いま、韓国人のナムジャチング(ボーイフレンド)とつきあっているそうです。勉強もよくできたけど、恋多き女性ですよね」

えぇ!あんなにラブラブだったふたりが別れたのか!これは衝撃だった。

アン先生は、ダイエットに成功して、ビックリするくらい痩せちゃったんです」

これにもおどろく。

そんな、語学院の近況を聞いているうちに、4時半になった。

夕方5時。「ゆりかもめ」と地下鉄を乗り継いで、表参道、原宿へとむかう。原宿に、ぜひ行ってみたかったのだそうだ。

竹下通りを歩き、原宿駅の前にあるレストランで、夕食をとる。ハンバーガーセットである。

食べながら、韓国のテレビの話題になる。

私が帰国してから最終回を迎えた大人気シットコム『屋根を突き抜けてハイキック』の、衝撃的な結末を聞いて、驚愕する。

あと、キム・ジェドン氏がテレビ番組のすべてを降板した話など。

原宿駅から渋谷駅まで歩き、午後8時、渋谷駅でお別れした。

お二人は翌日(22日)の昼、日本を出発されるという。

「たくさん見て、たくさん食べました。ありがとうございました」と先生。

「テグに来たら、必ず連絡してくださいよ」とオンニ。

「気をつけて韓国にお帰りください」

…と、ここまでが、東京案内の一部始終である。こぶぎさんのアドバイスのおかげもあり、浅草とお台場の主要なところを押さえることはできた。

さて、ここからは反省会。

案内していて、自分がつくづく「でくのぼう」だな、ということを実感する。

まず、韓国語でうまく説明ができない。

もともと、とくに女性と話をするのが苦手なうえに、それが韓国語ということになると、どういったことを話していいか、まったくわからなくなるのである。

結局、同行してくれた妻に、ほとんどを頼ってしまった。

それに、こぶぎさんのアドバイスがあったとはいえ、やはり細かなところで、いろいろと道に迷ったりする。

念のため、東京観光のガイドブックを2冊買って、それを見ながら案内したのだが、それ以上に、私があまりにも東京を知らなすぎた。

ナム先生は、文庫本よりも小さいサイズの、韓国語のガイドブックを持っていらしたが、むしろその本の方が使えたようだった。

それと食べ物。

昼間はそばを食べたが、口に合ったかどうかはわからない。デザートのあんみつは、寒天を残しておられた。韓国では寒天を食べないようで、寒天は、口に合わなかったらしい。

夕食は、食事する店が原宿にほとんどなかったせいで、レストランでハンバーガーを食べることになった。

もう少し、日本的で、美味しい食べ物をごちそうしたかった、と後悔した。

今回、東京を案内してみて、自分がいかに東京のことを知らなかったかが、わかった。

2010_09210003おそらく、最初で最後になるであろう、ナム先生とオンニの東京旅行。

「東京にいらしたら、ご案内します」という約束を果たしたことだけが、せめてもの達成感である。

| | コメント (0)

本当に最後の同窓会

1月28日(木)

数少ない韓国語日記の読者のひとりが、3級6班の時の担任だった、ナム先生である。

ナム先生は、律儀な方である。

私が韓国語日記(ミニホムピィ)を立ち上げたとき、「いちど遊びに行きますから(ホームページを見に行きますから)」と、おっしゃって以来、たぶん、義務感にかられて、たまに見に来られて、コメントを残してくださる。

少し前のコメントの中に、「3級6班も同窓会をしましょう」とあった。韓国語日記の中に、4級の同窓会のことを書いたのをお読みになって、これまた律儀にもそうおっしゃってくれたのだと思われる。

本来、ご自身からはあまりそういうことをおっしゃらないタイプだろう、と思うのだが、私と妻がもうすぐ日本に帰ることを、気にかけてくださったのだろう。ありがたいことである。

で、今日、その同窓会が実現することになったのである。

もうひとつ、今度は妻に連絡が入る。

妻のお世話になった語学院のチェ先生から、午後においしいトッポッギを食べに行きましょう、というお誘いが来た。さらに、妻と私が4級の時にお世話になったキム先生から、トッポッギを食べに行く前に、喫茶店でお話をしましょう、という連絡が入る。

ええい、今日は、荷が重い原稿のことは忘れてしまおう。2時に、キム先生と大学構内の喫茶店「勉強の楽しみ」で待ち合わせた。

そのキム先生も、私の韓国語の日記の、数少ない読者のひとりである。

「妄想三部作、おもしろかったですねえ」

ここ数日の韓国語日記で、これまで書いた日記の中から、「アイスアメリカーノ・妄想篇」と、「汗かきのメカニズム・妄想篇」を翻訳して載せた。せっかくだから、三部作にしてしまおう、と思い、「妄想は果てしなく続く」というタイトルの新作(韓国語版オリジナル)を書いて載せた。

ここ最近でいちばん笑った出来事だ、とおっしゃっていたが、ふだん、よっぽどおもしろくない生活をなさっているのだろうか。

それはともかく、話していうるうちに、3時となり、語学院の授業を終えたチェ先生と合流。さらに、妻と同じ班で勉強したエンロン君とも合流して、合計5人で、大邱でいちばん美味しいというトッポッギ屋さんに行く。エンロン君は、うらやましいくらいの好青年だ。

辛くて美味しいトッポッギをお腹いっぱい食べたあと、大学にもどり、今度は6時に大学の北門で待ち合わせる。3級6班の同窓会である。

集まったメンバーは、ナム先生、クォ・チエンさん、リ・プハイ君、チョン・ヤッポ君、3級6班ではないが、クォ・チエンさんのナムジャチング(ボーイフレンド)のリ・ペイシャン君、そして妻と私の合計7人。

「もっと集まればよかったんだけど、中国に帰った学生が多くて」と先生。

ま、この時期だから仕方がない。

「どこへ行きましょうか。いちおう、映画を見に行こう、と思うんですけど」と先生がおっしゃった。

同窓会で映画か。いかにも、ナム先生らしい。

1級1班のときのことを思い出す。

あるときマ・クン君が、休み時間に、教室の外にも出ずに席に座って何かを書いていた。

「何を書いてるの?」と聞くと、

「ナム先生に手紙を書いているんです」という。

明日、一緒に映画を見に行きましょう、という手紙だそうだ。

次の休み時間、マ・クン君はナム先生に手紙を渡した。

彼の告白はみごとかなって、ふたりで「レッドクリフ2」を見に行ったという。

彼は後日、そのことをうれしそうに私に話した。

「…で、何を見に行きましょうか?」あらかじめプリントアウトした映画の時間表を見ながら、先生がみんなにたずねる。

いまなら、さしずめ「アバタ」だろうが、今日はどうもそんな感じではない。

「『ガソリンスタンド襲撃事件2』なんて、どうです?」と先生が提案する。

私が見たいと思っていた映画である。

「それ、見たいです。パク・ヨンギュが出ている映画ですよね」と私。

私は、シットコム「順風産婦人科」以来、パク・ヨンギュのファンであった。

「そうそう、パク・ヨンギュ。じゃあこれにしましょう」

映画館まで、タクシーで移動する。

タクシーの中で、リ・プハイ君、チョン・ヤッポ君と会話する。

リ・プハイ君は、私にとって思い出深いチングである。なにしろ、マラギ(会話)の試験で、ペアになって試験を受けている最中、かかってきた携帯電話に出て通話をはじめた、という強者なのだから。

彼は、1級を2回、2級を2回、3級を3回と、2年間語学院に通ったすえ、昨年の9月に、はれて近隣の大学に入学した。

大学はいま春休みなので、留学生の多くは中国に帰っているのだが、彼は中国に帰らないようだ。

「春休みに、どうして中国に帰らないの?」

「アルバイトをしているからです」

「何のアルバイト?」

「工場で働いています」

工場のバイトは、かなりきついらしい。

次にチョン・ヤッポ君に聞く。「大学は決まったの?」

「落ちてしまいました」

3月の入学はかなわなかったようだ。

気が優しくてとてもいいやつなのだが、「僕は頭が悪くて…」と、どうも自分に自信がもてないようである。

「僕のヨジャチング(ガールフレンド)も、日本の大学を受験して、落ちてしまいました」と、彼はつけ加えた。

6時30分、映画館に到着。7時5分の上映開始まで30分くらいあるので、いろいろと話をする。

「チ・ジャオ君は、ヨジャチング(ガールフレンド)と同じ大学に入学するために、釜山に行ったそうですよ」と先生。「本人は行きたくなかったみたいなんだけど」

「なんか、ワン・ウィンチョ君みたいですね」と私。

ワン・ウィンチョ君は、ヨジャチングのチャオ・ルーさんのために、同じ大学に入学した。だがその大学は、お世辞にもいい大学とはいえなかった。彼の実力からすれば、もっと一流の大学をねらうことは十分可能だった。

「ほんと、ワン・ウィンチョ君はもったいなかったですよね。あんなに一生懸命韓国語を勉強したのに…。今はガソリンスタンドでアルバイトしてる、って聞きましたよ」と先生。

「ガソリンスタンドですか。ガソリンスタンドのバイトは、かなりきついですよ。僕もしたことありますけど」と、リ・プハイ君が口をはさむ。

おまえ、どんだけ社会経験を積んでるんだ。そんなひまがあったら勉強しろよ。

しかも、これから見る映画は、「ガソリンスタンド襲撃事件2」である。私は彼の言葉に、思わず爆笑した。

ナム先生が私に向かって聞く。

「ところで、미카미씨、どうも미카미씨、と呼びにくいんですよ。目上の人をこのように呼ぶのが礼儀に反するような気がして…。授業も終わって、もう学生ではないことだし、キョスニム(教授様)、と呼んでもかまわないですか?」

やはり韓国のお国柄、というのであろうか。ナム先生のような、語学の教育者のプロでも、やはりずっと違和感を感じておられたんだな。私は、やはり「キョスニム」といわれることにちょっと抵抗があったが、こればかりは仕方がない。

「好きなように呼んでもらってかまわないですよ」

そして私は、「キョスニム」にもどった。

映画がはじまる。コメディ映画である。映画の感想は、また別の機会に書くことにしよう。

映画が終わり、先生がおっしゃる。

「1よりもおもしろくなかったですね。1はもっとおもしろかったんだけれど」

「1」は見たことがないが、でも、私には十分におもしろい映画だった。

時計はすでに9時をまわっていた。大学の北門にもどり、カムジャタンの店でおそい夕食をとる。

わたしは、かねて聞きたいと思っていた、モンゴルの話を、思いきって聞くことにした。

すると先生は、モンゴルの学校で、生徒たちに2年間、韓国語を教えていたときのことを、懐かしみながら話しはじめた。

最初は、自分の思っていたとおりにうまく生徒が勉強してくれないことに悩んだこと、それがだんだんと、試行錯誤しながら生徒たちと交流を深めていき、最終的には、韓国語教育という自分の仕事にとって大きなステップとなったこと、そして、モンゴルでの2年間が、自分にとって何ものにも代えがたい経験となったこと。

1年間、韓国で勉強したいまの私にも、なんとなくその心の動きが理解できる。

「そういえば、先生のホームページの写真に写っているモンゴルの生徒たち、みんないい笑顔してますね」と私。

「そうでしょう」

しばらく、モンゴルの思い出話に聞き入った。

「本当はまた、モンゴルに行って韓国語を教えたいんです。モンゴルから帰ったばかりのころは、その気持ちが強かったんですけど、時間が経つにつれて、だんだん自信がなくなってきちゃって…」

先生は複雑な表情をした。

「そうそう、これ、ソンムル(贈り物)です」

先生が私と妻に、小さな封筒をくださる。

中を開けると、本のしおりだった。

「おふたり、本が好きでしょう」

どこまでも、律儀な先生である。

夕食が終わり、チングたちが帰るという。

「チョン・ヤッポ!しっかり勉強して、大学に合格しなさいよ」と先生。

「先生、でも僕、マラギ(会話)がダメなんです。自信がないんです。僕、頭が悪いから…」

「そんなことないわよ」

「そうですよ」リ・プハイ君。「韓国語が上達するためには、韓国の人たちとたくさん友だちになることがいちばん大事です」

語学院で留年をくり返していたリ・プハイ君が、悟りきったようにアドバイスしたことに、私は思わず苦笑した。だが彼には、世間を生き抜く知恵と強さがある。

みんなと別れたあと、先生と私たちの3人で、北門の横にある「カフェC」へ。私が毎日のように通っている喫茶店である。夕食代を出してもらったお礼に、コーヒーをごちそうすることにしたのである。

そこで1時間近く、いろいろな話をした。もっぱら、この1年間の思い出話である。

料理教室の話、あれはおもしろかったですねえ」と先生。

おもしろさが伝わるように、韓国語に翻訳するのに苦労したが、ワン・ウィンチョ君と顔を見合わせるくだりを読んで笑った、というのだから、こちらの意図はある程度は通じていたのだろう。

話はスギ(作文)の話におよぶ。

「キョスニムが書いた、3級のときの『チング(友)』、それと4級のときの『アボジ(父)』は、とくに印象に残っています。『アボジ』の作文は、あのとき、キム先生(4級の時のマラギの先生)からみせてもらったんですけど、読んでいて泣きそうになりました」

また「アボジ」の作文の話題が出た。くり返すが、私はどんなことを書いたのか、まったく覚えていないのだ。いったい私は、どんなことを書いたのだろう。

気がつくと、11時半になろうとしている。明日9時からまた授業だというのに、遅くまでおひきとめしてしまった。

「楽しい時間でした」と先生。

「日本に帰る前にいちど、語学院に挨拶にうかがいます」と約束して、お別れした。

| | コメント (0)

ナム先生の、もう一つの人生

前学期、3級6班の最後の授業(8月6日)のときのことである。

「みんなでわが班の集合写真を撮りましょう」と私が提案する。

写真を撮ったあと、マラギ(会話表現)担当のナム先生に、「最近、ミニホムピィを作ったので、この写真をそこにアップしてもいいですか?」と聞いたところ、「もちろんいいですよ。へえ、ミニホムピィを作ったんですね。今度遊びに行きますから、アドレスを教えてください」と言われた。

しばらくして、律儀にも訪問してくださり、「芳名録」に訪問コメントまで残してくださった。

前にも書いたように、ナム先生は、不思議な先生である。

授業じたいは、きわめてオーソドックスで、とくに学生を楽しませるために余計なことを言ったりすることはない。どちらかといえば、ふだんはクールな先生である。

だが、初回から学生の名前を完璧に覚えているなど、学生に対する目配りが行き届いていたり、授業でやるべきことをきっちりとやったりするなど、まさにプロの語学の先生だな、とふだんから敬意を表していた。学生たちの信頼も厚い。

そして、私生活はほとんど謎である。授業で、自分の私生活について話したことは全くないし、私も、先生と個人的に話したことは、ほとんどない。

どちらかというと、一匹狼的な人なのかな、と思っていた。

といって、取っつきにくい人ではなく、どちらかといえば、人なつっこい人である。

だからどうにも不思議な先生なのである。

「バレーボールの選手みたい」とは妻の談。性格がサッパリしていて、女性に好かれるタイプの女性だという。

さて、「芳名録」に訪問コメントが書かれると、書いた人のミニホムピィがリンクされていて、そこに飛ぶことができる。

ナム先生のミニホムピィを見て驚いた。

そこには、私が受けた授業からはまったく想像もできない世界があった。

掲載された写真は、すべてモンゴルの写真。どうも先生は、一時期モンゴルに滞在されていたらしい。

そして、教室の中にいる多くの子どもたちの写真もある。モンゴルに長く滞在されて、韓国語を教えられていたようである。

写真の中にいる子どもたちは、みんないい笑顔をしていた。

語学の授業中、先生がモンゴルの話をしたことは一度もなかった。モンゴル語が堪能である、ということも、おくびにも出していない。それだけに、このミニホムピィを見たときは衝撃的であった。

ふだんのクールな先生からは想像もつかない情熱である。

しかもそこには、いまの語学堂のことや、ふだんの生活のことはひとつもふれられていない。ただひたすら、モンゴルに対する「恋い焦がれた思い」だけで埋め尽くされているのである。

なにか見てはいけないものを見てしまった、という感じである。ナム先生にとって、このミニホムピィこそは、自分の大切な財産である「モンゴル滞在」の追憶の場になっていたのだ。

ミニホムピィの「芳名録」には、モンゴルに滞在していたときに韓国語を教えていたと思われる、モンゴル人の教え子たちからの訪問コメントがひっきりなしに寄せられている。

それに対する先生の返事もまた、ふだんの先生からは想像できない。

たとえば、こんな感じである。

「作文で賞を受けたこと、本当におめでとう。

先生のことを思ってくれて本当にありがとう。

ナヤが一生懸命やったから賞が取れたのよ。次はもっと一生懸命勉強して、必ず1位をとるのよ。わかった?

韓国はいま、花がたくさん咲いている。

韓国にあるたくさんのきれいな花を、ナヤも見られればいいのにね....

あとで写真送ってあげるね。

春になると、先生はモンゴルのことをたくさん思い出すの。

(職場の)学校へ行く道すがら、 『モンゴルも、今日は暖かいんだろうな』『モンゴルも、もうすぐ黄砂がひどくなるんだろうな』なんて考えてる。

本当に何もかもが懐かしい。

このごろ先生はね、モンゴルに遊びに行く日を指折り数えて待っているのよ」

そこには、モンゴルに対する思いが切々と語られていた。

ふだんの、クールで職人的な授業からは想像できない情熱をかいま見て、ふと考える。

なぜ、ナム先生は、それほどまでに恋い焦がれたモンゴルから、韓国に戻ってきたのだろう?

そして、恋い焦がれたモンゴルから引き離されたいま、どんなことを思っているのだろう?

そこから、空想の物語がとめどもなく広がってゆくのだが、根も葉もない物語を作るのはやめにしよう。

おそらく今後、ご本人にそのことをたずねる機会もないだろう。

今日もまた、遠いモンゴルの空を思いながら、目の前の留学生たちを相手に、日々の授業に追われる生活をしていることだろう。

| | コメント (0)

期末考査(3級)

8月8日(土)

朝9時、期末試験開始。

わが3級6班のチング16人のうち、試験を受けたのが半分の8名。残りの半分は、大学入学が決まったり、4級進級をあきらめたりで、試験を欠席した。

この間、熱心に勉強していたワン・ウィンチョ君も、9月からの大学入学が決まったために、期末試験を欠席してしまった。

昨日の最後の授業で、「明日の試験は受けません」と言ったワン・ウィンチョ君。先生に、「絶対に受けなさい!受けなきゃダメよ。今まで何のために勉強してきたの!大学入学が決まったからといって、韓国語の勉強が終わったわけではないでしょう」と、叱られる。

たしかにもったいない話だ。これまで熱心に授業を受け、すべての試験を受けてきたのに、ここへきて期末試験を受けないのは、なんとももったいない。

「でも、先日、大学入学の手続きとかで、2日も授業を休んだので、今回はどうせ奨学金をもらえないでしょうから、いいです」と、ワン・ウィンチョ君が答えた。

おいおい、前学期、私は5日も授業を休んだのに、奨学金をもらったぞ!それに、今学期は6日も休んだのに、奨学金をもらう気でいるんだぞ!たった2日休んだくらいで、そんなこと言ってどうする!

だが、そのことを彼に言いそびれてしまった。もしそのことを言ってあげれば、期末試験を受けたかも知れない。

いや、それを言ったところで、彼はやはり休んだだろう。これまでの中国人留学生たちの行動を見ていると、いともあっさりとあきらめてしまう場合が多いからだ。やはり私には理解できないことだった。

さて、試験は、前回の中間考査と同じ時間割である。定期試験はこれで6回目なので、最初に受けたときほどの緊張感は、もはやなくなっていた。

だが、午後のマラギ(会話表現)の試験は、相変わらず緊張する。

マラギ試験のテーマは、「もし万が一、自分がわが班の先生だったら、どういう先生になりたいですか?そして先生になってやりたいこと3つと、その理由を説明しなさい」というもの。これを、3分以内で発表すること。

以前、授業で「もし自分がわが班の先生だったら」「もし自分が大統領だったら」「もし自分が芸能人だったら」「もし自分が世界最高のお金持ちだったら」「もし自分が女性(男性)だったら」といったテーマで発表練習をしたことがあり、今回の試験はこのうちからどれか1題が出ると予想していた。だから、昨日のうちに、すべてについて完全台本を書き、準備していたのである。

予想通りだったが、いざ本番となると、やはり緊張して喋れなくなってしまう。

マラギの試験は5分で終了。今回もやはりダメだったか…と、うなだれて語学堂の建物を出て、歩いていると、後ろから私を呼ぶ声がした。

「パンハク(休暇)、有意義に過ごしてくださいよ~」

おしゃれなオートバイに乗った白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君が、後ろの席に美人のヨジャ・チングを乗せて、颯爽と私の横を通り過ぎていった。

あいつ、あんなかっこいいバイクに乗っていたんだな。どこまでもさわやかなやつだ。

| | コメント (0)

さよなら、3級6班!

8月6日(金)

3級の授業、最後の日。

文法の時間に、韓国の詩と、童謡を学ぶ。

「時間が余ったら、みなさんに、みなさんの国の童謡を歌ってもらいますよ」と先生。

当然、私は日本の童謡を歌わなくてはならない。

迷ったあげく、まず「権兵衛さんの赤ちゃん」を歌う。

もとはアメリカ民謡だが、日本はもちろん、韓国でも知られたメロディである。

次に、「ふるさと」。

「ふるさと」は、あまり好きな歌ではないのだが、定番中の定番なので、しかたがない。

そのあと、韓国の現代歌謡を聴く。キム・ドンウクという人の歌。

実は私の妻が好きな歌手なのだが、文法の先生が、どういうわけかその話を聞きつけたらしく、「先生もこの歌手は大好きなんです」と、この歌をみんなに聴かせた。

それにしても、妻とは直接話したことはないはずなのに、おそろしい情報網である。

引き続き、マラギの時間に、韓国の現代歌謡を聴く。

まず、イ・スンチョルの歌。これはなかなかよかった。

続いて、今をときめく超人気歌手、イ・スンギの「結婚してくれる?」という曲。

マラギの先生が、かなりのファンらしく、まずミュージックビデオを見せられ、そのあと、CDで数回くり返し聞かされた。

「さあ、一緒に歌いましょう」とおっしゃるのだが、歌詞を見ると、私からすれば、あまりに恥ずかしい内容で、歌うのが憚られた。

こんなふうにして、最終回の授業は、だだらに過ぎていった。

最後の授業にしては、実にあっけない。

「みんな、授業を3学期も受ければ、もう慣れてしまって、とくに感慨なんてないでしょう」とマラギの先生がおっしゃる。

たしかにそうかも知れない。3カ月ごとにリセットされる生活に、もはや慣れてしまったのだ。

しかし、9月からの大学入学が決まったワン・ウィンチョ君や、リュ・ジュインティンさんなどからすれば、いささか寂しいと感じたのではないだろうか。

居心地のよかった語学堂を出て、これから新しい生活がはじまるからである。

とくに、ヨジャ・チングと同じ大学への入学を決めたワン・ウィンチョ君の複雑な表情が印象的だった。

大学で日本語を勉強することになったワン・ウィンチョ君。またどこかで会えるだろうか。

残りの人たちとは、また9月に再会するだろう。

「僕たち、2級のときからのチングですよね。4級でも同じ班(クラス)になるといいですね」

白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君は、授業の最後に、私にそう言った。

| | コメント (0)

特講終了

8月6日(木)

TOPIK(韓国語能力試験)のための特別講座が、今日、終了した。

7月1日からはじまって、毎週月、水、金の3回、午後6時から8時まで、合計35時間の長丁場だった。

最終週は、追い込みで、月、火、水、木と連続で特講があった。

通常の授業を4時間受けたあと、さらに特講を2時間受けるのは、本当に大変だった。

学会の合宿のため1日欠席したほかは、すべて出席した。

これも、柳原可奈子ばりに芸達者だった、アン先生のおかげだろう。

明日は、いよいよ3級の授業が最後の日である。

| | コメント (0)

試験狂騒曲

8月4日(火)

今学期4回目のクイズ(小テスト)の日である。

大学入学が決まったり、もはや進級をあきらめた学生たちは、ここ最近、授業に出ていない。今日の出席者は8名。約半数が欠席している。

どこの国の学生も、試験の点数は気になるものである。だが、以前にも書いたように、こと中国人留学生たちとなると、点数に対する執着は、すさまじい。

1時間目の授業の最初の30分間にクイズが行われるのだが、そのクイズが終わり、答案が回収されるや否や、学生たちが先生のいる教卓の周りにわっと集まってくる。

「ソンセンニム(先生)!○番の答えは○○で合ってますか?」といった質問が、先生に矢継ぎ早に投げかけられる。

「席に戻りなさい!」と先生に言われて、席に戻ったあとも、学生どうしが、中国語で、

「あそこの問題はどうだった?答えは○○でいいんだよね」

という会話を続ける。

それにしても、みんな、よく設問の内容を正確に覚えているものだ。私などは、答案を提出したとたん、出された問題のことなど忘れてしまうのだが、彼らのそのへんの記憶力だけはすばらしい。

もう終わってしまった試験など、ふりかえっても仕方がない、と思うのだが、彼らは、いつまでもそれを引きずっている。

「もうクイズの話はそれまで!授業を始めますよ!」と、先生がしびれを切らして、彼らに注意する。

前半の文法の授業が終わり、休み時間になったとき、2級時代からのチングである白縁眼鏡の好青年、ル・タオ君が、思いつめた顔で私に言った。

「キョスニム、もう僕たち、4級で会うことはできません!」

「どうしたの?」

「クイズでたくさん間違えたんです。たぶん僕は、4級に上がれないでしょう」

「大丈夫だよ。心配することないよ」

「何が大丈夫なものですか!」

暗い表情で、教室を飛び出した。

そして、休み時間が終わるころに教室に戻ったル・タオ君は、相変わらず、思いつめた表情である。

ル・タオ君は、隣に座っていたクォ・リウリンさんの席の前まで行くと、机に置いてあったボールペンを両手で持ち、とがったペン先の方を自分の左胸にあて、何度も突き刺すような仕草をしながら、クォ・リウリンさんに中国語で喋っている。

どうやら、「俺の心臓をこのボールペンで突き刺して、俺をひと思いに殺してくれ!」と言っているようである。

クォ・リウリンさんに、「なに馬鹿なこと言ってるの」みたいなことを言われ、あっさりと断られたル・タオ君は、今度は私のところに来て、同じくボールペンで左胸を突き刺す仕草をしながら、「僕をこれでひと思いに殺してください!」と、今度は韓国語で懇願してきた。

冗談じゃない。そんなことできるわけないだろ!と言うと、今度は、リュ・リンチンさんのところに行って、同じ仕草をしながら「俺をこのボールペンでひと思いに殺してくれ!」と懇願する。当然、断られる。

「誰か、俺を殺してくれー!!」と叫ぶル・タオ君であった。

そこへ、後半のマラギの先生が教室に入ってくる。

「みなさーん。今日のクイズはどうでしたかー?」

「難しかったでーす」とみんなが答える。

ル・タオ君は、思いつめた表情で、先生に質問する。

「ソンセンニム!今回のクイズの問題を作った先生は誰ですか?」

「誰だったかしら…。私ではないわよ。たしか、問題用紙の上のところに、出題者の先生の名前が書いてあったと思うけど。それがどうかしたの?」

「その先生を見つけて、殺したいです!」

おいおい、殺してくれだの、殺したいだの、穏やかではないな。いつものル・タオ君らしくない。

先生があきれながら答える。

「そんなに考えこむことないわよ。ふだんの成績がいいんだから。クイズが1回くらいダメだったからって、進級できないなんてことないでしょう」

実際、先生のおっしゃるとおりである。冷静に考えれば、ふだんまじめに授業に出ていて、毎回の試験もちゃんと受けているル・タオ君であれば、4級に進めないはずはないのである。だが、本人にしてみれば、今回のクイズが、致命的な失敗だ、と思ってしまったらしい。

私にも同じ経験があるので、その気持ちはよくわかる。やはり試験が思うようにいかないと、人間、軽く死にたくなるものなのだな。

だが、落ち込んでばかりはいられない。後半の授業では、本日2回目の試験、スギ(作文)の試験が待っている。

後半の授業2時間のうち、最初の1時間で、作文の構成を考え、次の1時間で、その構成をもとに作文を仕上げる、という方式は、前と同じである

今回のスギのテーマは、「韓国と他の国との比較」である。

先週、「自分が紹介したい国について、世界のどの国でもいいですから、調べてきてくださーい」という宿題が出た。

みんなが、中国だの、日本だの、フランスだの、といった有名でわかりやすい国をとりあげるなか、私は、中米のコスタリカを取り上げることにした。

なぜ、私がコスタリカを取り上げようと思ったのか?わかる人にはわかると思うが、私が1度行ってみたいと思う国の1つだからである。

調べたデータを、簡単な表にまとめて先生に提出したのだが、今回のスギは、その時に調べた国と、韓国とを比較して、共通点と相違点をそれぞれ2つ以上ずつあげながら、説明しなさい、というもの。

韓国とコスタリカを比較して、共通点と相違点を探し出す、というのは、かなり無理がある。相違点はまだしも、共通点なんてあるのだろうか。第一、私はコスタリカに行ったことがないのだ。

仕方がないので、共通点として、「海に囲まれている」「景色が美しい」「人びとが親切だ」といった漠然とした内容を書き連ねることにする。一方、相違点については、問題なくあげることができた。

かくして、本日の2つの試験は終了。ル・タオ君も、クイズの失敗を、スギで取り返したことだろう。

あとは、土曜日の期末試験を残すのみである。

| | コメント (0)

結婚の条件

8月3日(月)

ダメだ。「ミニホムピィ」に、すっかりハマっている。

最初は、日記だけのつもりが、表紙を考えてみたり、写真帳を作ってみたりと、やってみるとこれが結構面白い。

語学堂での写真を中心に、いままで撮ったものを少しずつアップしていくことにした。

今日の午前中は、すっかりその作業に費やしてしまった。

ま、せっかく作っても、誰に宣伝するわけでもないので、おそらく見る人は誰もいないのが悲しいところだが。

本当は、こんなことをやっている場合ではないのだ。

今週は、試験ラッシュである。今日がマラギ(会話表現)の試験。明日(火曜日)がクイズとスギ(作文)の試験。そして今週の土曜日が期末試験である。

案の定、今日のパダスギ(書き取り試験)は、10点満点で8点。先週金曜日の6点からくらべれば、やや復調したが、それでも、ミニホムピィにうつつを抜かしていたのが痛かった。

そして、今日の後半の授業では、マラギの試験が行われた。

過去3回の試験は、2人がペアになって、決められたテーマにしたがって会話する、という形式だったが、今回は、1人が、決められたテーマにしたがって発表する、という形式である。

過去3回の、会話形式の試験が、あまりにお粗末で、これでは成績評価がとてもできない、ということになったのだろう。方針変更したものと思われる。

テーマはあらかじめ伝えられていた。「結婚したいと思う相手の条件について、3分以内で述べなさい。条件を3つ挙げて、それぞれの理由についても述べること」

またその手の話かよ!

しかも既婚者の身にとっては、今さら結婚の条件もへったくれもありゃしない。

だが、そんなことを言ってもはじまらないので、昨日、完全原稿を作って覚えることにした。

私があげた結婚相手の3つの条件とは、次のようなものである。

1.いつでも他人に対する配慮がある人。

2.健康な人。

3.食べ物の好き嫌いがない人。

そのそれぞれについて、理由を考えなければならない。とくに1番については、なかなか説明が難しい。そこで、次のような話をでっちあげることにした。

「以前、ある夏の暑い日、友人たちと食事をした。テーブルの横には扇風機が置いてあった。食事をしていると、友人の1人が突然立ち上がって、扇風機を首振りさせずに、自分の方に固定してまわしはじめた。他の人のことを考えずに、自分のところにだけ風が来るように扇風機をまわしたその人は、他人に対する配慮がない人ということができる。私はそういう人と結婚したいとは思わない」

全くのウソエピソードなのだが、わりとわかりやすいたとえなのではないか、と、思い、原稿に書きとめた。

あとの2つの条件についても、適当な理由をでっちあげる。

さて、試験当日の今日。

ほかの学生たちも、いささか緊張気味である。休み時間に、まるでセリフを覚えるかのように、自分で作った原稿を声に出して暗記しようとしていた。私もまた、同じであった。

最後の4時間目に、いよいよ試験が行われる。まず、先生が、くじを作って、順番を決めることになった。

一番前にいた私が、一番最初にくじを引いた。くじを開くと、「1」と書いてある。

1番めかよ…

心の準備ができていない私は、1番のくじを引いてうろたえた。

すると、隣の席にいたリン・チアン君が、

「僕のと交換しますか?」

と言ってきた。彼は、「8」と書かれたくじを引いていた。

「いいの?」

「ええ。僕はどうせなんにも準備してきてませんから」

そういえば、リン・チアン君は、久しぶりに授業にでた。だから、今日のマラギの試験のテーマを、何も聞かされていなかったのである。

幸い、先生は私が1番のくじを引いたことをまだ気づいておられない。

私が逡巡していると、リン・チアン君は、私の「1」のくじをサッと取り上げ、代わりに「8」のくじを私に渡した。

「大丈夫ですよ」とリン・チアン君。

「さあ、みなさん、くじを引きましたね。1番は誰ですか?」と先生が教室をひととおり見渡して質問した。

チン・チアン君がはい、と手をあげ、そのままみんなの前に出て、「結婚の条件」について発表をはじめた。

まったく準備をしていないにもかかわらず、堂々と発表している。

いつもはおとなしくていい加減なリン・チアン君の度胸に感服した。

見直したぞ、リン・チアン君。

そして次々と発表が続く。ほとんどの人が、完全原稿を作ってきて、それを一生懸命暗記していた。

かくいう私もそうである。いよいよ私の番となり、前へ出た。

「これから、結婚したい相手の条件について、お話ししたいと思います。条件は3つあります。1つは、…」

と話しはじめるのだが、1つめの条件であげた「扇風機」のたとえ話が、ややこみ入っていて、原稿の通りに思い出すことができない。

「むかし、こんな経験がありました。暑い日に友人達と食事をしていたとき、1人の友人が突然立ち上がって、…」

ここまで話して、「しまった!」と思った。あまりに緊張していて、「テーブルの横に扇風機があった」というくだりを説明するのを、忘れてしまったのである。

なんとか軌道修正するが、今度は「扇風機をまわす」という表現を、ど忘れしてしまう。

結局、これはウケる、と思って用意した扇風機のエピソードが、何が何だかわからないまま終了。きっとこの話は伝わらなかっただろうな。聞いている方は、「結婚の条件なのに、何で突然扇風機の話なんか持ち出したんだろう?」と思ったに違いない。

そして、いつものように自己嫌悪。人前で話をする商売をしているのに、何でこんな他愛もない話すら、できないのだろう。

不調から、まだ抜けきれていないようである。

| | コメント (0)