職場の出来事

1週間を乗り越える

1月10日(金)

仕事始めから最初の週末を迎えた。

よくぞ、よくぞ金曜日までたどり着きました!お疲れさん!というジェーン・スーさんの言葉をこれほどリアルに感じた週はなかった。

今日は13時から重たい会議があり、通常は2時間ていどで終わる会議が、議題が多くて3時間半もかかった。

そのあとに別の打合せが入っていたのだが、その打合せは僕がいないと始まらない。あらかじめ「会議が終わったあとに打合せをしましょう」と担当職員さんには言っておいたのだが、あまりにも僕が来るのが遅いので、担当職員さんはしびれを切らして会議の部屋までやってきた。

「いま終わったところです」実際、会議が終わったタイミングにその担当職員さんがやって来たのだ。

「急かせてしまってすみません」

「いえいえ」

担当職員さんに連れられて、打合せをするスペースに向かった。

「少し休みますか?お疲れでしょう」

と担当職員さんは言ってくれたのだが、このうえ打合せの時間が遅くなると、打合せに参加する職員さんを残業させてしまうことになってしまうので、

「いえ、このまま打合せをしましょう」

と僕は言った。

打合せは1時間ほどかかり、17時30分頃に終わった。

結局、水分も取らず、休憩なしで4時間半も会議と打合せをしたことになる。これってよくあることなのか?

頻尿の僕がトイレ休憩を挟まないで走りきったというのも奇跡である。

ようやく体調が回復して仕事始めをしたと思ったら、いきなり丸腰で戦場に立たされた気分である。

来週はもっと会議が多い。いちばんひどいのは、ある曜日では同じ時間に出席しなければいけない会議が二つあり、しかもその二つとも僕が説明をしなければならない場面がある。つまり僕がいないと成り立たない会議がダブルブッキングをしているのだ。どういうこっちゃ?

クローン人間がほしいというのは、陳腐な冗談としてよく語られるが、僕の場合はリアルにクローン人間がほしい。

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仕事始め

1月6日(月)

仕事始めは誰でも気が重いのではないだろうか。ましてや年末年始の9連休の後だ。僕なんかは2カ月間体調不良で休んでいたのでなおさら気が重い。

仕事明けにいきなり分刻みのスケジュールだ。肉体労働あり、精神的に重い仕事ありと、初日から虎の穴にぶちこまれた心境だ。このペースで仕事を続けて大丈夫か?

ところで1月7日絶体締切の原稿は、なんとか提出した。我ながらプロだと自画自賛したが、よく考えるともともとの締切は前年の9月末だった。つまり3カ月遅れで提出したのである。ほんとうのプロだったら3カ月も遅れて原稿を提出しない。しかも600字ていどの短い原稿である。この600字がなかなか書けなかった。

しかしなんとか間に合わせて、原稿を落とさなかったという意味ではプロである、とまた自画自賛が始まる。出版社はすぐに原稿のレイアウト案を送ってきた。見映えのいいレイアウトだ。出版社の方がよっぽどプロである。

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疲労のピーク

10月29日(火)

疲労のピークである。

午後から、わりと重要な会議だったのだが、僕に発言の機会はとくになかったので、ついうたた寝してしまった。

会議は2時間ほどで終わり、そのあとは、懸案の12月の2日間にわたる大規模会合についての打合せである。

この大規模会合の責任者は別にいて、僕はお世話係にすぎないのだが、職場を会場とすることもあり、膨大な書類の手続きが必要である。もっぱら僕はその書類作成に追われる。

しかし僕ができることといえば書類作成だけで、肝心の大規模会合のコンセプトについては、責任者の頭の中にだけ存在する。それを早く出していただかないことには、物事が進まないのであるが、なかなかコミュニケーションがうまくとれない。

このままでは間に合わなくなると思い、交渉ごとについても僕が一部引き受けることにした。

この「コミュニケーションがうまくとれない」という事態が、いちばんの疲労を生むような気がする。

オンラインでの打合せは思いのほか長くかかったが、結局何が決まったのか自分でもよくわからなくなり、あとは自分の仕事を粛々と進めるしかないと腹を括った。

打合せ終了後は、必要な書類を新たに作成したり、諸方面にメールをしたりと、なかなかグッタリする作業が続いた。でもまあそれが仕事なのだから仕方がない。

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2連勤の2日目・Tシャツを着て仕事をする

10月20日(日)

まったく休みがなくて、さすがにキツい。

今日は職場でちょっとしたイベントがあり、いちおう責任者は僕なので、出なければならなかった。

2~3週間前だったか、担当の社員さんに、

「当日はこれを着てください」

と渡されたのが、白いスタッフTシャツだった。

「XLで大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

封を切らないまま前日を迎えたのだが、考えて見れば、もしサイズが合わなかったらどうしようと急に不安になり、前日に試着してみた。

サイズは問題なかったのだが、なんというか…ダサい。基本、白Tで、下の方に申し訳程度にロゴがあしらわれている。ほかに色がなかったのかよ!

僕はTシャツを着て仕事をするということじたいには憧れていた。僕の知り合いの同業者は、どこのイベントに行くにも赤いスタッフTシャツを着ている。それに武田砂鉄さんやピーターバラカンさんも、どこに行くにもバンドTシャツを着ていく。どこへ行くにも同じ格好で行くということができたら、どんなに楽だろうと思う。

そういえば、前の職場にいた頃、けっこう学生たちと学園祭でお店を出したりしていたのだが、ああいうときって、スタッフTシャツを作ればよかったんだよな。そこまで気がまわらなかったし、学生たちもとくにそのことにこだわってはいなかった。そもそも僕には、みんながおなじTシャツを着ることを強要することなんか絶対にできないし、よしんば学生たちからそういう提案があれば考えないこともないが、誰も言い出さなかったので、みんなそんなことにこだわっていないのだなと思ったのである。つまり一体感を視覚的に示す必要がないほど、彼らはすでに一体感を獲得していたのだ。そのことは僕の誇りである。

でもまあ今回は仕事なので仕方がない。イベント参加者からすれば、誰がスタッフなのかが視覚的にわかるので、そういう場合には効果的である。

実際、ほとんど全員のスタッフがTシャツを着ていたが、ビックリしたのは、黒Tシャツバージョンを着ている人が何人もいたことだった。しかも、Tシャツのロゴも、白Tよりもいくぶんセンスがある。

黒TシャツにはXLサイズがなかったのだろうか?ああ、黒Tシャツを着たかったなあ。

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2連勤の1日目

10月19日(土)

先週の三連休は3連勤だが、今週の土日も2連勤である。

今日は職場で会合なのだが、妻もその会合に参加するため、小1の娘を留守番させておくわけにもいかず、娘を連れて3人で職場に行かなければならない。以前もそんなことがあった。

問題は会合の間、娘をどうするかである。ひとまず、ぬりえとか折り紙とか、一人で黙って遊べるアイテムを持っていって、会議のあいだじゅう、それをやってもらうことにした。

会合は午後からだったが、車で片道2時間かかるし、せっかくだから寄り道をしようということになって、朝早めに自宅を出て、2時間ほどで寄り道ポイントに着いた。

そこでしばしの時間過ごした後に、昼食をとり、職場に着いたのが12時30分。会合は13時からだった。

会合は17時までの4時間が予定されていて、さすがに4時間も娘を同席させるのは難しいだろうということで、会合の前半を会議室で過ごし、後半の2時間を、妻が娘を連れ出していま開催中のイベントやら、体験コーナーやらで時間を潰すことにした。

それにしても、である。

ふだんはウルサいくらいのおてんば娘なのだが、会合の最中はひと言もしゃべらず、ぬりえや折り紙に没頭していた。おそらく会合参加者で最も熱心だったのは娘だったのではないだろうか。

誰しもが、会合を邪魔しなかった娘を褒めていたが、そのおかげで、娘には手がかからくていいねという間違った認識を植え付けられては困る。

そんなこんなで、会合は予定の時間を30分ほどオーバーして17時30分に終了した。ここからまた、2時間かけて帰らなくてはならない。

幸いにして大きな渋滞に巻き込まれることはなかったが、それでも自宅に着いたときは、3人とも疲れ果ててしまい、泥のようになってしまった。

明日も出勤だ。

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取材というより雑談・2回目

10月14日(月)

3連休の最終日。

3連休の初日の大渋滞とは打って変わって、高速道路は気持ちがいいくらいガラガラだった。今日も出勤である。というか、僕が勝手に受けたという体(テイ)になっている追加取材なので、正確にいえば勤務ではなくボランティアである。

メインの目的である取材が終わり、職場にある共通スペースのところに座り、休憩がてら雑談をする。

話題は今年のノーベル文学賞や平和賞についてとか、総選挙の話、吹奏楽コンクールの話など、多岐にわたった。吹奏楽コンクールは、その記者の勤務している新聞社が主催なので、コンクールを取材をしたこともあるという。そこから吹奏楽が好きになったのだそうだ。

「なぜか、女子生徒といえは吹奏楽部で、男子生徒といえば野球部という感覚がいまだに社会にはびこっているんですよねえ」

と記者の人が言うので、

「僕は吹奏楽部でしたよ」

と言ったら、意外な顔をされた。

次に、同じ新聞社が主催する高校野球についての違和感を言いたくなった。その記者が所属する新聞社が主催しているので、高校野球の構造的問題に関する悪口を言ってもいいものかどうか迷ったが、思い切って批判的見解を述べると、「現場の記者も同じことを思っています」と言っていた。

「でも高校野球の応援をする吹奏楽部は好きですよ。ずっと高校野球の吹奏楽部を取材しているライターの方がいましたよね。TBSラジオ『安住紳一郎 日曜天国』でその方がゲスト回の放送を聴いて、とても面白かったんですよ」

とフォローすると、

「その人、知ってます知ってます。高校野球を応援する吹奏楽部に特化するとは、ニッチなテーマですよね。えっと、名前は…」

そう、名前が思い出せない。

後で調べたら梅津有希子さんというライターの方だった。いずれ読まなくてはいけない本である。

あとFacebookについても、僕の持論を炸裂させた。いまやFacebookは若い人なんか誰も使っておらず、アラフィフやアラカンの解放区になってしまい、見るも無惨に荒れ果てている。車の運転をすると人が変わったようにまわりに毒づくとよく言うことがあるが、Facebookも同じで、ふだんそんな顔を見せない人が、「アンチ巨人」なのか、毎日毎日プロ野球の読売ジャイアンツを口汚く罵る人がいたり、現在の政府に対しても、やはり口汚く罵っている人がいるとか、もう少し言い方があるだろ!と思うくらいに野放図に書いていたりする。いまのアラフィフ以上は、大人になってからインターネットとかSNSという「おもちゃ」を手にしたので、そのおもちゃを使って何でもありの遊びをしているのだ。それに対して若者は、物心ついたときから触れているので、ネットやSNSについてのリテラシーが高いのではないか、という仮説を開陳した。するとその若い記者(お話の様子を聴いていると、30代前半の方らしい)は、

「あと、ヤフコメもまったく同じですね。Facebookとヤフコメはアラフィフ以上のネットリテラシーのない方が荒しまくっているんですよ」

と同意してくれた。

まあそんなこんなで、メインの取材よりも終了後の雑談の時間のほうが長くなり、結局3時間以上も経ってしまった。仕事とはいえ、こっちの繰り出す話題にいちいちつきあうのも迷惑な話だろう。これもまたアラフィフ、というか俺の害悪である、と反省した。

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秋祭りと怪ホテル

10月12日(土)

この3連休は3連勤なのだが、最初の2日はうちの職場がホストになる会合が行われる。

朝、比較的早く家を出たのだが、3連休の初日ということもあり、高速道路は大渋滞。11時のイベントに間に合わないかもと焦ったが、ギリギリ間に合った。

1日目は話を聞いているだけでよかったのだが、午前も午後も力のこもったトークが続き、いまの自分にやれと言われてもとてもできないと思い、そろそろ引退を考えた。

1日目の用務が終わり、18時からは会合チームによる懇親会である。会場はいつものお店だと聞いたので、これもいつもの通り、車でお店の近くのコインパーキングに停めて合流するつもりだった。

職場を出て、いつも利用しているコインパーキングに車を停めようとすると、大きく「満」の文字が見える。

しまった!今日はこの町の秋祭りの最中だった!

この町の秋祭りはこの地域で一二を争うお祭りのようで、当然ながら秋祭りを楽しむために周辺各地からたくさんの人が集まってくる。そういう人たちが、コインパーキングを利用しているのだ。

しばらく待ってみたが、埒があかないので、スマホで「この近くの駐車場」と検索し、片っ端からコインパーキングをあたってみたが、どこのコインパーキングも「満」の字である。僕は絶望した。

いよいよ諦めて、職場に車で戻り、職場の駐車スペースに停めて歩いて会場に向かうことにした。最初からそうすればよかった。

職場の駐車場に車を停めて、車を出て歩き始めると、警備員さんが追いかけてきた。

「僕です。鬼瓦です」

「鬼瓦さんですか。てっきり不審者かと思いました」

真っ暗なのでそう思われるのも仕方がない。

「ちょっとお店の近くのコインパーキングがどこも満車だったので、ここに車を置かせてもらおうと…」

「そういうことですか。秋祭りですからね。気をつけて行ってらっしゃい」

僕は懇親会会場に向けて歩き出し、開始時間より30分遅れて到着した。そして懇親会はちょうど9時に終わった。

僕はそこから2時間かけて家に帰り、高速道路の渋滞を勘案して翌朝早くに家を出て職場に出勤するつもりだったが、冷静に考えて、それは無茶な移動だということに昨日ようやく気づき、昨日、慌てて隣の市のホテルを予約した。ほんとうなら市内のホテルに泊まりたかったのだが、どこも満室だったのだ。

予約したホテルは、チェックインが午後10時まで、とあった。最近は深夜12時くらいまでにチェックインできるホテルが多いと思うのだが、このホテルはかたくなに「午後10時まで」と主張している。予約サイトの写真を見ると、やや古いホテルのようだったが、Wi-Fiも使用可能と書いてあるし、駅からも近いし、「風呂、トイレ付き」とわざわざ書いているので、値段の相対的な安さに負けて、予約してしまったのである。

カーナビの通りに車を運転すると、たしかに駅前の大通りのところは通るのだが、そこからちょっと道を曲がったら途端に道が細くなり、どんどん坂道を上がって行くではないか!さっきの繁華街は嘘のように、まわりは何もない道に出てしまった。

そこから右にぐーんと曲がると、坂道の勾配はさらにキツくなっていく。およそこんなところにホテルなんかあるはずがないぞ、と誰しも思うような細い道が続いている。

カーナビは、たしかにこのあたりだと教えてくれているのだが、ホテルらしき建物が見あたらない。

僕は急勾配の坂道に車を停車して、ホテルに電話をかけた。

すると、電話に出たのはおじいちゃんだった。しかも耳の遠いおじいちゃん。

僕は自分の場所を説明しようとするが、初めての場所なのでどう説明していいかわからない。

「自分はどこにいるのでしょう?」

「月はどっちに出ている」

というセリフでおなじみの、タクシードライバーを描いた映画『月はどっちに出ている』を思い出した。

とりあえず耳の遠いおじいさんとの会話をくり返すうちに、もう少し坂道を登ったところにあるようだということがわかった。

坂道を上り続けるが、それらしいホテルが見あたらない。ついに丘の頂上まで行くと、広い駐車場があった。

ここじゃないか?だって予約サイトには「駐車場30台」と書いてあったぞ。しかしホテルらしき建物は見あたらない。

僕は耳の遠いおじいさんに再び電話をかけた。

「広い駐車場のところに来ました。このあたりですか?」

「それは行き過ぎだよ。いま来た道を戻りなさい。気づかなかったのか?」

「ええ」

「じゃあホテルの玄関を出て誘導するから」

僕はいま登った坂道を下った。

するとほどなくしておじいさんの姿が見えた。

「ここでしたか」

「なんで気がつかなかったんだ」

なんで気づかなかったんだといわれても、真っ暗な道なので気づかないのは当然である。

「車はここに停めなさい」

と指定された場所が、ホテルの前に3台ほどある駐車スペースだった。

30台じゃなかったのかよ!

しかし3台の駐車スペースはガラ空きで、余裕で駐車できた。

ようやくチェックインをしたが、カウンターには耳の遠いおじいさん一人しかいなかった。一人で切り盛りしているのだろうか?

鍵を受けとったが、むかしながらの開け方をする鍵だった。当然、オートロックではない。

なにより不思議なのは、このホテルに人気(ひとけ)を感じないことである。このホテル予約難の時代に、ひょっとしたら泊まっているのは俺だけか?と考えたら、ちょっと身震いした。

急勾配の坂道の途中にあるホテル。ホテル名はその立地にふさわしい名前であったことに、後で気づいた。ふつう、そのホテル名だったら、オシャレなホテルを想像するだろ!

当然、周囲にコンビニなどあるはずもなく、明日は朝早くチェックアウトして、職場の近くのコンビニで朝食を調達をするしかないな。

朝起きたらホテルなんかなくて、身ぐるみはがされて葉っぱ一枚で坂道に寝そべっていたらどうしよう。

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救世主あらわる

10月11日(金)

会合は午後からだったので、午前中は在宅でもある程度できる仕事を済ましてから職場へ車を走らせた。

走行中に電話が鳴った。ハンズフリー通話に設定していたので電話に出ると、先日取材を受けた記者さんからだった。

「突然で申し訳ありませんが、14日の祝日に追加の取材をお願いできますか?」

その記者さんは、新幹線で1時間半ほどかかる中核都市の支局に勤めていて、ある事情により数日間、東京本社で業務をすることになったそうである。平日は当然その業務にかかりきりになるから、祝日ならば追加取材ができると思って提案してきたのだろう。

僕は逡巡した。明日からの3連休のうち、最初の2日は私の職場がホスト役になる会合を開くことになっていたからである。このうえ、3連休の最後の日も出勤するとなると、3連休ならぬ3連勤になってしまう。先ずは家族の許可が必要だ。

それよりなにより困ったのは、先方はちょっと面倒な条件を出してきて、それが僕だけでは判断できない条件なのだ。

とにかく、いまこの場で判断はできないので、職場に着いてから諸方面と調整をとらなければならない。

金曜日ということもあり、高速道路は渋滞していて、職場に着いたのは会合が始まる20分前だった。この20分の間に、家族に3連勤の許可をもらい、先方の出してきた条件について、取材の話を持ってきた部署に相談のメールを書いているうちに、会合の時間になった。

会合は思いのほか長くかかり、2時間の予定が2時間半以上かかってようやく終わった。

仕事部屋に戻ると、相談した部署から返信があり、「この取材は取り次ぎはしたけれど、ご本人の判断で受けた取材であるため、当方はいっさい関知しません。他の部署をあたってください」

と言われた。そうだった。そういえば最初の段階で「取材を受けるんだったらご本人の判断で受けて下さい。こちらは関与しません。その代わり情報だけは下さい」と言われていたんだった。

そこで別の部署にメールをすると、しばらくして若い社員が仕事部屋に来て、

「本来ですと、取材する方に申請書を提出してもらって、その決済が降りるまで少なくとも1週間はかかります。あと、その条件だと休日に対応できかねますので、平日に変えてもらって下さい」

と言われた。しかし先方は平日はかなり難しい様子だし、いまから決済が下りるまで1週間かかるとすると、早くても再来週になってしまう。しかし先方は2日後に追加取材したいと言ってきている。

…うーむ。これは八方塞がりだな。それほど大げさなことでもないのに、手続きに1週間かかるなんてなんだかなあ、これはもう追加取材を中止してもらうしか手はないな、と思いはじめた。そのときの僕の顔は、明らかに不機嫌そうな顔になっていたと思う。しかし、その規則を教えてくれた若い社員にはまったく罪がないのだ。なぜなら職務に忠実だから。それは入社して間もない社員として当然の対応だった。

「もうあきらめます…」と言いかけたところ、廊下をこちらに走ってくる音が聞こえた。同じ部署の、やはり若い社員である。

「話は聞きました。先方にもいろいろ事情があるだろうし、これこれこういうふうにしたら問題ないと思います」

と、裏技を教えてくれた。

そうか、そういう手があったか、と僕は胸をなで下ろし、ひとまず14日の祝日に追加取材の対応をすることが可能になった。僕は突然現れた救世主に感謝した。入社して5年ほどの若い社員は、いろいろな経験を積んで臨機応変に対応する術を身につけたのだろう。

この件は、誰も悪くないのだ。先方の記者もその日くらいしか追加取材できる日はないので、これも悪気があったわけではない。

しかし先方への返信には、

「あまりにも急な話だったので、調整に手間取りました」

とひと言イヤミを書いてしまった。

やれやれ、と思ったら、その後も些細なトラブル、というかトラブルの種になりそうな案件について別の部署の人が相談してきて、

「些細なことでも、対応が遅れると大きなトラブルを引き起こしかねないので、できるだけ早く対応を考えましょう」

と、連休明けの全体会議の後に打合せの機会を設けることにした。

ああ休みたい。

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会議をすっぽかす

10月8日(火)

午前中の会議をすっぽかした。

今日は会議が午後だけと思い込み、朝、少しゆっくり自宅を出て、職場に向かう車の中で電話が鳴った。ハンズフリー通話で電話に出る。

「鬼瓦先生の携帯ですか」

「そうです」

「あのう…午前中の会議は…」

「ごめんなさい!すっかり忘れていました!」

「いえ、みなさん心配されて、ひょっとしたら急に体調を崩されたのではないかと…」

「いえいえ、そんなことはないです」

これはマズいなあ。午前中に会議があるなんて、すっかり忘れていた。

理由はいくつか考えられる。

まず、昨日のイベントのお披露目会とか、その後に若者のプレゼンの読み原稿の添削をしたりしたものだから、すっかり疲れ果ててしまった。

…が、こんなことは理由にならない。

いちばん大きな理由は、手帳に書き込むことを忘れたことである。毎週定例の会議なのだから、手帳に書き込まなくても覚えていなければならないのだが、なぜかすっぽりと抜け落ちてしまったのである。

そして今日は、午後から会議が3つもあり、その中の一つは僕が司会進行しなければならない会議であることに加えて、3つめの本社会議では発言してやろうと思っていたこともあり、その3つの会議のことで頭がいっぱいになって、定例の会議のことが頭になかったのである。

あれ?書いていて思いだしたぞ。その定例会議は、通常は15時から始まるはずだった。だから月の第2火曜日は、午後に会議が固まっているので、午前はゆっくりに出るのがルーティンだった。ところが今日の午後は別の会議が入ったりしたので、定例会議が午前に移動したのだろう。つまりイレギュラーな時間に定例会議が開催されることに気づかなかったのである。これは「忘れた」のではない。「知らなかった」のである。

しかし、軍隊では「知りませんでした」と言ってはいけない、と、大西巨人の『神聖喜劇』に書いてあった。「忘れました」と言えと。なぜなら、「知りませんでした」では上司に責任が及ぶが、「忘れました」と言えば自分の責任となるからである。

職場について、さっそく社長室へ謝罪に行った。社長はお昼休憩をとられているところだった。

社長室に入るなり、

「ほんとうに申し訳ございませんでした」

と頭を下げると、社長には笑って許していただいた。

「みんな君の体調のことを心配してたで。なんかあったんやないかと」

「手帳に書くのを忘れていただけでした。この通り元気です。ほんとうに申し訳ありません。」

「かめへんかめへん」

みなさん体調のことを気遣ってくれるのはありがたいが、そういうふうに思われるのもシャクだなあ。僕は元気です。

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生前葬・2回目

10月7日(月)

薬を2倍にしたせいか、午後になると倦怠感がひどくなる。

午後はうちの職場で開催する大規模イベントのお披露目会だった。僕はこのイベントメンバーの末席に連なってにすぎない存在だったが、末席であろうと、メンバーである以上はこのお披露目会に出席しなければならない。

僕がこのイベントの準備にかかわったのはほんの少しだけだが、それでもいささか感慨深いのが、ひょっとしてこのイベントが僕の2回目の生前葬なのかもしれないと思ったからである。

1回目の生前葬は、昨年の春に僕が責任者となって行ったイベントのときだった。照れくさい言い方だが、全身全霊を捧げてこのイベントの準備に臨み、これならば披露にたえうるイベントになるぞという自信をを持った段階で、いままでお世話になった人や、古い友人や、教え子、遠くに住む友人など、自分がこのイベントを見に来てほしいと思う人たちに手当たり次第に声をかけた。

するとそのほとんどの人たちがイベントを見に来てくれた。これまでお世話になった人たちがみんな駆けつけてくれるって、これはまさに生前葬ではないか。

ではこのたびのイベントは、僕がそれほどかかわっていないにもかかわらず、なぜ生前葬と思ったか?

今回、イベントのためにお借りした作品の中には、まるで僕の職歴を辿るように、「前の前の職場」「前の職場」のものがあり、それが一つのコーナーの中に一堂に会したからである。そればかりではない。同じコーナーには僕の出身大学からお借りした作品も並んでいる。つまり僕の学歴と職歴をコンプリートした、さながら履歴書のようなコーナーが存在するのである。

連続したコーナーには、昨年春に手がけたイベントの「おかわり企画」というべきか、「リターンズ企画」というべきか、とにかく僕が「生前葬」と名づけたほどの思い出深いイベントがプチ再現されているのである。

これを「生前葬」と呼ばずして、何と呼ぼう。

もちろん、こんなことは僕以外の人にはまったく関係のないことだが、2回も生前葬をしてもらえるのは、幸せ者の証拠である。

これで安心して本番を迎えられる。

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