9月22日(金)
山ほど原稿を書くということは、山ほど校正がやってくる、ということである。
何度も書いているが、僕は校正が大嫌いである。世の中から校正がなくなれば、僕は憂鬱な気持ちからいくばくか解放されるのだが。
校正、といってもいろいろなパターンがあって、出版社を例にとると、出版社の側であらかじめ、不審な箇所を鉛筆書きでメモして、これは正しいですか、とか、こうしたらどうですか、などとアドバイスをくれて、そのアドバイスに倣って修正をしていくパターンがある。いわゆる「校閲」というものである。
そのあたりの苦労話は、牟田都子さんの『文にあたる』(亜紀書房)にくわしい。
そうかと思えば、入稿した原稿を版下にした状態のものを、そのまま送りつけてくる出版社が居やがる。ムーディー勝山よろしく、「右から左へ受け流す~♪」とばかりに、校閲なんて関係ねえ、著者が自分で全部校正しろよ、ということなのだろう。
心なしか、最近は後者のパターンが多いような気がする。
最近、依頼されて、ある新書のうちの数ページ分だけ原稿を書いたのだが、入稿したらすぐに初校が送られてきた。来た来た。例の「右から左へ受け流す~♪」のヤツだな。
初校、再校と終わり、その新書はつい最近、電光石火の如く刊行された。送られてきた僕の文章を読み直してみると、1ページ目からさっそく「変換ミス」が見つかった。「あちゃ~」(死語)である。僕はさっそく編集者にメールをしてその事実を伝えると、
「気がつきませんでした」と。おいおい、気がつきませんでしたで済む問題かよ!
校閲が入らないということは、畢竟、著者のみが校正にかかわることになり、第三者の目で読んでくれる機会を失ってしまうのである。しかし昨今は、経費節減なのか、校閲者は絶滅危惧種になり、すべての責任を著者に押しつけようとしている。これではますます校正をするのがイヤになる。
最近は「校正」と聞くと、怒りが沸々と湧いてくるまでになりつつある。
今日なんぞは、怒りが爆発しそうになった。
以前にも書いた、あるプロジェクトで成果物を出すという仕事、結局今年の3月までに出すなんてことは到底できず、1年延期されることになった。いや、1年どころでは済まないようなスピード感である。
ようやく初校が出たのが、今年の7月くらいなのだが、僕はそこにけっこうな分量の文章を書いていて、初校の分量に圧倒され、しばらくは初校を見ないようにしていたのだが、9月初頭くらいに「初校はどうなってますでしょうか」とメールが来て、急いで校正をして、事務局が用意してくれた返信用のレターパックライトに入れて9月の初めくらいに郵便ポストに投函した。
やれやれと思っていたところ、今日の夕方5時頃、事務局の担当者からメールが来た。
「さて9月もう後1週間を残すのみとなりましたが、お忙しい中いかがお過ごしでしょうか。大変にお忙しいとは存じますが、執筆分担部分の校正原稿の返信をお願い申し上げます」
えええぇぇぇっ!!!以前に送ったはずなのに~!!!
送ったつもりだったのに、実際には送っていなかったのだろうか???
いや、送ったという記憶はたしかにあるぞ!…しかし最近、物忘れがひどくなったから、ほんとうは送っていないのかも知れん…。
などと、頭の中の思考回路がグルグルと回り始めた。
僕はすぐに、「送ったと記憶していますが、記憶が不確かなのですぐに送ります」と返信を書いたものの、直接電話した方が早いや、と思い、事務局に電話をかけたのが午後6時。
何回コールしてみても、先方は電話に出る様子がない。はは~ん。これはもう退勤したな。
考えてみれば当たり前である。相手は長らくお役所仕事をしていて、再雇用でいまのプロジェクトを担当している高齢者のおじいさんなのである。定時で帰るのも無理はない。
(遅かったか~)
僕は冷静になって、仕事部屋を探したが、送り損ねたかもしれないレターパックライトは、ついに見つからなかった。
その代わりに、郵送する前にコピーをとって保存していた初校控を発見した。思い出した!僕はコピーを1部とって控えにしていたのだ。その枚数は、A3の紙のサイズで数十枚あった。
しかもご丁寧に、僕はそこに、レターパックライトから剥がした、問い合わせ番号が書かれているシールを貼っていた!ふつうは捨ててしまったり、どこかへ行ってしまったりしてわからなくなってしまうものだが、今回に限っては初校控にちゃんとシールを貼っておいたのが、功を奏した。
あんなシール、あってもなくても関係ねえ!と思っていたが、大きな勘違いである。あのシールって大事よ!
問い合わせ番号が書かれたシールにはQRコードがあって、それをスキャンすると、郵便局のホームページに飛んで、しかも、その問い合わせ番号の荷物が、何月何日に届けられたか、届けた取扱局はどこか、まで懇切に記録されている。
僕はさっそく事務局にメールをした。
「何度も申し訳ございません。鬼瓦です。
仕事部屋に、第○章の初校の控え(コピー)がありました。そこに投函した際にはがした、レターパックライトのお問い合わせ番号を書いたシールを私が貼付しておりまして、
○△□×-◇■○×-△□◆●
という番号でした。
この番号で、郵便局のホームページで検索してみると、配達状況がわかります。
それによりますと、以下の通りでした。
引受
9月8日 16:57
取扱局:Y郵便局(○×県)
到着
9月9日 05:20
取扱局:M郵便局(東京都)
お届け先にお届け済み
9月9日 15:05
取扱局:M郵便局(東京都)
これによると、9月9日に届いているはずですので、至急ご確認いただければと思います。
もし届いていない場合は、最初にお示しした12桁のお問い合わせ番号で、まず取扱局にお問い合わせいただけますでしょうか。
もしそれでも届いていないということでしたら、あらためてお送りいたします。その場合、投函する日は、9月25日(月)になりますことをお許しください」
噛んで含めるような書き方をするときの僕は、怒りに震えているときである。
校正にまつわるトラブルは、ほんとうに勘弁してほしいと思ったが、事務局の担当者は、再雇用の高齢の方ということもあり、自分のキャパシティを越える仕事量をさせられてパニックに陥っているのではないか、とも想像した。
結果がわかるのが週明けの月曜日なのだが、はたして僕の郵送したレターパックライトが無事に届いていることを確認してもらえるだろうか。
やれやれ、と思って帰ろうとすると、もう1通、メールが来た。今度は職場の担当者からのメールである。
「2022年度版の当社の業務報告の再校のご確認について、本日を期限にお願いしておりました。お忙しいところ申し訳ございませんが、修正すべき箇所がございましたら、お知らせいただければ幸いです。とくにない場合には、ご返信には及びません」
また校正の催促かよ!!ま、ギリギリまで出さなかった僕が悪いにしても、もうちょっと早くリマインドしてくれたらよかったんじゃないの?なにしろこっちはいろいろな原稿や校正に追い立てられて、職場の業務報告書のことなんぞすっかり忘れていたんだから。いったん無視して、帰途につく。
…と、ここで思い出した。「催促は金曜日の夕方に来る」の法則だ。
原稿でも校正でも、一般的に金曜日の夕方に催促が来るのは、先方の発注者が金曜日に催促をしてしまえば、あとは週明けによろしくね、ってな感じで、自分たちは週末を謳歌できるからである。そのため、受注者である書き手は、土日を使って原稿を書いたり校正をしたりする羽目に陥ってしまうのだ。
つまり、催促する側が、金曜日の夕方に最後っ屁のような催促をして、「ボールはそっちに投げたから、週明けに投げ返してきてね。こっちは週末を謳歌するから」ってなものである。
業務報告の校正のほうは、いっそめんどくさいから何も見ずに「修正すべきところはありません」と返信しようかと一瞬思ったが、逆に修正を見つけてやろうと思い立ち、帰宅後に目を皿のようにして修正箇所を探したところ、実際修正すべきところがいくつも見つかって、校正を真っ赤にしてメールに添付して返信した。
結果的には修正すべき箇所が見つかってめでたしめでたしだったわけだが、これからは金曜日の夕方が来るのが怖い。
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