職場の出来事

カオスを呼ぶ人

7月22日(水)

いままでの人生の中で、「カオス」を呼び込むタイプの人を、何人か目の当たりにしてきた。

仕事をやっていくうちに、どんどんとカオスに巻き込まれていく人、といったらよいか。あるいは、その人の個性が引き起こしている事態なのかもしれない。

いまやっている、あるプロジェクトが、なかなかカオスになりつつある。

そのプロジェクトの代表者は、とてつもなく壮大な計画を立てて、その計画を実行するために、多くの優秀なメンバーを集めて、アイデアを出し合ってもらうことにした。

優秀なメンバーばかりだから、どんどんとアイデアが出てきて、壮大な計画は、さらに微に入り細を穿ち、複雑で手間のかかる作業を伴うようになっていく。

優秀なメンバーたちは、一方で、自己主張が強い。このプロジェクトを成功させるには、絶対にこのことが必要だ、とか、あれをやった方がよい、とか、いろいろな意見を代表者に言ってくる。

そのたびにその代表者は、人がいいもんだから、できるだけ意見と組み入れて、当初の計画をさらに複雑なものにしていく。

「船頭多くしてなんとやら」である。

これだけ複雑で壮大な(無謀な?)計画が、はたして実行可能なのか、このプロジェクトの末端にいる僕としても、いまからひやひやしているのである。

代表者は、それだけでなく、それ以外の仕事でも、いろいろと突発的なアクシデントに巻き込まれたりして、そのたびにそれにかかりっきりになって、泥沼にはまってしまう。

いやいやいや、そんなことなんか横に置いといて、いま大事なのは、プロジェクトのほうでしょう!と言いたいところなのだが、やはり性分なのだろう。というか、常に目の前のカオスと闘っているのだ。

で、そういったことについて悩んでいるのかと思ったら、そうでもなく、プロジェクトの壮大な計画の変更がいかに大変だったか、とか、巻き込まれたアクシデントがいかに面倒なことだったかを嬉々として僕に話すと、大笑いして帰っていくのである。もちろん僕も、大笑いする。

…と、ここまでの説明、わかりにくかったかな?周りにこういう人がいれば、わかってくれると思うのだが。

こういうタイプの人、以前にも僕の近くにいたなあと記憶をたどったら、「前の前の職場」の同僚だった、OQさんという人だった。もう亡くなって14年になるんだね。

OQさんについては、このブログで何度もふれているので、気になる方は過去にさかのぼって読んでほしい。

同じ同僚だった方が、OQさんについて、こんな思い出を語っている。毎年韓国に学生を引率していたOQさんについての思い出である。

「旅行案を練っている時のOQ先生は、実に嬉しそうでした。まず、インターネットから見学先の情報を編集して分厚いしおりを作り、そのしおりを私に見せてくれます。この段階ですでに緻密な旅程が組まれているのですが、それから旅程が変わるたびにしおりを改訂、旅程を変更したいとや苦心の跡を事細かに説明して、終わると満足して戻ってゆかれました。これがなんと五~六回続くのですから、私の仕事部屋にしおりの改訂版が山積みに、なんてことも。改訂が進むほどに旅程がさらに緻密に、実現不可能になっていくようでした」(一部改変)

もちろん僕も、この場面に立ち会っていた者の一人なので、このときの様子をありありと思い出すことができる。

いま僕が直面していることは、これとまったく同じことだ、と思った。「旅行案」を「プロジェクトの計画」に置き換えれば、いま私が体験していることそのままである。

そして僕は気づいたのだ。

壮大で緻密な計画を立てれば立てるほど、カオスの世界にはまっていく人、しかしそれを厭わずに、嬉々として語る人。

僕はそういう人を傍で見つめながら、その人のもつ価値観に影響を受けてきたのだ、と。

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伏線だらけの人生

6月9日(火)

出勤前から憂鬱である。

コロナ禍による不測の事態により、いろいろとトラブルが起きる。

で僕は、それらのトラブルを、なんとか収めなければならない係。

午前中は2つの気の重い案件があり、なんとか収めなければならない。

この頭、どうせたいした頭ではないのだから、必要とあらばいつでも下げる用意がある。頭を下げて解決するものなら、いくらだって頭を下げるぞ、という思いを強くした。

それはともかく、1つめの重い案件が解決した後、2つめの案件に取りかかる。

こちらの方は、具体的な解決策は結局見つかりそうにないのだが、その職員さんは、僕に愚痴をこぼしているうちに、心が少し軽くなったらしい。

今年度から、うちの職場に異動になった人で、初めてお会いする職員さんである。話を聞いているうちに雑談になった。

僕が「前の職場」の話をすると、その職員さんの「前の職場」の上司が、僕の「前の職場」から異動してきた人だったという。

「僕の知っている人かも知れませんね。何て言う名前です?」

「Mさんです」

「Mさん!知ってますよ!」

久しぶりにMさんの名前を聞いた。

「前の職場」にいた頃、僕はある部局にしょっちゅう出入りしていたのだが、職員のMさんも、けっこうそこに出入りしていて、何度かお茶を飲みながら雑談を交わしたことがある。僕と同い年くらいで、とても有能な職員さんだった。職場結婚をして、たしか新婚早々に、Mさんはその職員さんの「前の職場」に異動してしまい、それからずっと週末は新幹線で地元に戻る、という生活だったんじゃなかったかな。

そんな記憶を話すと、「その通りです」とその職員さんが言った。「とても有能な方なので、地元には帰してもらえず、いまは別の勤務地に転出されました」

「そうだったんですか…」

「それにしても、Mさんを知っている方がこの職場にいらっしゃったとは、驚きです」そこで警戒心が解けたのか、その職員さんのお喋りに拍車がかかった。

結局、問題は何一つ解決していないのだが、ふだんたまっている愚痴を吐き出してすっきりしたようだった。

それにしても僕は、相変わらず引きが強い。

「袖すり合うも多生の縁」。どんな出会いも、無駄な出会いなんてないのだな。まさか「前の職場」のMさんと少しばかり雑談を交わしたことが、いまの職場に生きてくるとは、思ってもみなかった。

そう考えると、人生は伏線だらけだ。

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東京アラートが発動された日

6月2日(火)

実に久しぶりに、職場に出勤した!

久しぶりに出勤すると、身体が慣れていないのか、職場に着いたとたん脂汗をかいて、めまいがしたのだが、午後になるにつれて体調は持ち直した。

午前中は、僕が議長をつとめる会議で、今月もまたzoom会議である。「会議と○○は短い方がいい」というのが僕のモットーで、今回は40分ほどで終了した。

それから、こまごまとした案件をいくつか対応しているうちに、あっという間に夕方になってしまった。

職場は、思っていたより多くの人たちが出勤していた。ほぼ2か月ぶりに出勤した僕としては、月並みな言い方だが「浦島太郎」状態である。

家に着いたらどっと疲れた。

そしたらあーた、久しぶりに出勤したその日に、東京は感染者数がまた増加したとかで、「東京アラート」が発動されたというではないか。…ところで「東京アラート」って何?東京駅で売っている甘いお菓子のことかと思った。

…という軽口はさておき。

僕はいつも不思議に思っていることがあるのだが。

僕はよく、「企画もの」とか「シリーズもの」といった本で、大勢の執筆者のうちの一人として、決められたテーマで原稿を書かされることがある。

そういう原稿って、自分で書いていて、そうとうつまんないんだよね。だって書いている本人が、

(こんな文章、誰が読むんだよ!)

と思いながら書いているんだもん。

それでも、こっちはプロだから、一応それなりの原稿を仕上げるのである。

(企画はアレだし、本のデザインもいまひとつだし、その割には値段も決して安くはないし、こんな本買う人いるのかなあ)

と思っていると、それが売れて重版出来!となったりする。なかには3刷とか。

僕は、自分が本当におもしろいと思って労力をかけて作った本は、いままで一度も重版になったことがないが、逆に、人に頼まれて、その他大勢の1人として義務的に書かされた「企画もの」は、重版になる確率がかなり高いのである。

つまり、僕がいままで書いた原稿の中で売れているのが、そのたぐいの本ばかりなのだ。

これはいったいどういうことだ?

出版社の戦略があたったということか?いや、それにしては全体にそうとう地味な内容だぞ。

それとも、僕以外の執筆者が、とても魅力的な人たちばかりで、そのネームバリューに惹かれて買うとか?

目次を見直してみると、僕を使うくらいだから推して知るべしということで「うーん」と唸ってしまうのだが、それはあくまで僕の感覚であり、読者の感じ入るところとは異なるのだろう。

どうして自分がおもしろいと思って苦労して作った本が売れずに、人に言われて書いた、さほど斬新ではない職業的文章の方が読まれるのだろう?人の敷いたレールの上で書いた文章の方が読まれるのだから、自分のセンスの悪さを恨むばかりである。

ま、それでも、誰かの役には立っているのだろうと、思い直し、与えられた仕事を誠実に取り組むことにしている。

ただこうした経験から僕が確信したことは、

「売れる本が、いい本であるとは限らない。かといって、売れない本がいい本であるとも限らないのだが、それでも、売れない本の中にいい本がある可能性をつぶしてはいけない」

ということなのだ。一読者としての僕は、売れる本には疑うことから始めることにしている。

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リアル「12人の優しい日本人」

5月12日(火)

5月6日、大型連休の最終日に、Zoom会議システムによる「12人の優しい日本人」(三谷幸喜脚本)の朗読劇が、YouTubeを通じて配信された。しかも、初演のときの「東京サンシャインボーイズ」のメンバーのほとんどが参加した。

僕は、中原俊監督の映画版を何度も見たクチだが、元祖である東京サンシャインボーイズのメンバーによる芝居は見たことがなかったので、とても楽しんで見ることができた。朗読劇と言うよりも、Zoom会議劇の様相を呈していた。

昨日今日と、Zoom会議をしたのだが、これがまさに「12人の優しい日本人」のような体験だった。いや、正確に言えば、「12人の優しい日本人」は笑えたり面白かったりするが、実際のZoom会議は、笑えたり面白かったりする要素がない「12人の優しい日本人」である。

昨日の会議は、僕はホスト役でなかったので気楽ではあったが、

「A案とB案、どちらがよろしいでしょうか」

という議題が、ことごとく意見が割れ、議論が地味に紛糾した。「12人の優しい日本人」でたとえると、

「有罪と無罪、どちらがよろしいでしょうか」

という議論で紛糾しているようなものである。

こういうときは、たいてい僕は少数派の方に入ってしまう。陪審員2号の気持ちである(わかるひとがわかればよろしい)。

僕が提案するアイデアも、ことごとく否定されるので、僕はすっかり疲弊してしまった。僕は、議論をかき回している人間だと思われているのだろうか。ほとんど発言していないのだが。

結局3時間もかかって終了した。

今日の会議は、僕が進行役である。つまり陪審員1号。

僕は「会議と○○は短いほどよい」というのがモットーなので、自分が仕切る会議は、極力短時間で終わるように心がけている。

今回はA4版で80頁以上ある資料を使った会議を、1時間で終わらせるつもりでいたのだが、最終的には1時間半かかって終わった。

適度に建設的な議論が起こり、紛糾することなく収めたので、まあよしとしよう。

終わってホッとしたのも束の間、どっと疲れた。

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連休前の追い込み

5月1日(金)

明日から連休に入るということもあって、今日は一日中、職場からのメールの対応に追われた。午前9時頃から夕方6時頃まで、ひっきりなしに来るメールを開いては、そのたびに細々とした案件に対する判断を行う。連休明けに、本社に提出しなければならない書類があり、それで大わらわだったようだ。

うちは、でっかい親会社Aの下にある本社Bの、さらにその下にある支社Cにあたる組織で、さらにその中にいろいろな部局があるのだが、僕はその部局Dで、いろいろな判断を任されている役回りである。

たとえば、親会社に書類を提出する場合、本社が支社の分をとりまとめて提出するので、支社はまず、本社に書類を提出しなければならない。本社は本社で、親会社に提出する前に、それをチェックして、各支社に書類の改善点を指示し、各支社はそれをふまえて書き直す。さらに書類の作成や修正には、関係する社内の各部局があたることになる。

親会社に提出する期限が決まっていると、それに合わせて、支社が本社に提出する期限も自ずと決まる。本社は支社の書類の書き直しを命じたりするから、親会社への提出期限に間に合わせるためには、実際には相当前の段階に支社の書類を完成させ、それを本社に提出しなければならない。その締め切りが、どうやら大型連休明けなのである。そのためには、連休前までに、関係する部局ごとに書類をととのえて、支社全体でとりまとめを行わなければならない、と、こういうわけなのである。

この国のあらゆる組織は、どんな天変地異が起こっても、基本的には平時の論理を変えないという姿勢を貫いているので、たとえ職場が在宅勤務で混乱していようとも、お上は通常の対応を求めてくるのが常なのである。

さすがに今回のような非常時には、それを貫き通せないだろう、と思っていたのだが、不思議なもので、上層だけではなく、われわれのような末端の組織でも、ルーティーンをできるだけ維持しようと努力するのである。たとえていえば、形状記憶合金といったらよいか。あるいは低反発枕か。ナンダカヨクワカラナイ。

ばたばたとしたが、なんとか、連休前にやっておくべき仕事はひとまず終わったようである。こっちは一日中ノートパソコンにはりついていたから、夕方には目がしょぼしょぼしてしまった。

目を休ませるために少しばかり遠くの景色を見ようと、夕方にベランダに出てみたら、風が心地よかった。

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Zoom会議第1号

4月14日(火)

在宅勤務7日目。コロナ鬱の日々。

うちの職場、いつまで経ってもオンライン会議をやりそうにないなあ、と思っていたら、昨日の夕方いきなりメールが来た。

「明日午後の会議は鬼瓦先生にはZoomで参加していただきます。ついては、18時に接続の確認を行います。

えええぇぇぇっ!!!いきなり???

18時に、出勤している職員さんとZoomの動作確認をしたのだが、タイミング悪く、娘が火がついたように泣き出した。その泣き声が大きすぎて、画面からの職員さんの声が聞こえない。

「聞こえてますか?」

「すみません。娘の泣き声が大きくて…」

娘の泣き声のことばかり気になってしまい、動作確認も早々に切り上げてしまった。

そして今日。午後は妻と娘には別の場所で待機してもらうことにした。

13時30分からの会議だが、13時から、例によってZoomの動作確認をするという。「またかよ!」と思ったが、会議室のオンライン環境との調整が必要らしい。そこで衝撃の事実を知る。

「Zoomで会議に参加いただくのは、鬼瓦先生だけです」

ええええぇぇっ1!!俺だけ???ということは、ほかの人たちは出勤してるってことか!!!

僕の画面には会議室が映し出されたが、僕以外の全員が会議室にいる。いまもなお対面の会議をしていて大丈夫なんだろうかと、逆に心配になるくらいである。

会議室のスクリーンには、僕の顔が大写しになっているらしい。

(どんな羞恥プレイだよ!)

会議は2時間におよび、ようやく終了した。

僕の声は、会議室にはよく聞こえていたみたいだが、会議室の音声は、僕にはよく聞き取れなかった。まあこれは、今後の課題だろう。

ということで、はからずも僕が、職場でリモート会議参加者第1号となった。

「はじめに道はない。人が歩くから道になるのだ」という魯迅の言葉を思い出した。

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メール生活

4月10日(金)

在宅勤務5日目。コロナ鬱の日々。

うちの職場は、今日もまだZoomを導入しておりません!

ま、Zoomを導入したところで、本当に会議に使うのかどうかはわからないのだが。

なので在宅勤務ではもっぱらメールでやりとりをしている。

うちの職場の職員さんたちも、シフトを組んで、徐々に在宅勤務に移行しているようである。

今日、仕事関係で届いたメールを数えてみたら、30通くらい来ていた。これは私個人宛てに来たメールのみの数で、職場全体の一斉メールを入れると、もう少し多くなる。

こちらから出した仕事のメールは、返信も含めて18通くらいだった。この数が、多いのか少ないのか、よくわからない。

こちらからお願いのメールを書いたり、逆に判断を仰がれて細かく指示したりするメールがほとんどなので、一通あたりの分量が長い。得意の「クドいメール」なのである。

仮に1通に平均10分かけて書いているとしたら、18通書くのに3時間かかることになる。いや、いろいろと考えたり文章を練ったりしながら書くので、10分では書けないことが多い。仮に平均20分かけて書いているとしたら、6時間かかることになる。つまり、メールを書いているだけで、勤務時間のほとんどが費やされてしまうのだ。メールに添付する資料を作ったりしていると、さらに時間はかかる。

こちらの近況を伝えても大丈夫かな、という仕事の関係者には、用件のついでに、ひと言ふたこと、近況を伝えたりもする。そうすると、相手からもちょっとした近況が伝えられたりする。

ある仕事の関係者は、パートナーの方の職場の建物で謎の発熱をした人が何人も出て、ひょっとしたら新型コロナウィルスに罹っているかもと思っても検査をしてもらえないのでわからず、とりあえず自宅待機をすることになり、自分も用心して自宅待機をしているのだが、家の中でパートナーとの距離を2m以上保とうと思っても、2メートルより近寄ってしまうし、ついついでかい声でしゃべってしまうし、マスクもつい忘れてしまって、困ってしまう、といった近況を報告したり、

また別の仕事の関係者は、自分の義理の息子が大きな病院で医者をしているのだが、4月からコロナウィルスの感染者の対応をすることになり、とても心配だ、という近況を報告したり、

また別の仕事の関係者は、自分が住んでいる県は、まだ感染者がゼロなのだが、みんなはもう絶対いるはずだと思い始めており、「ただでさえ寂しい通りが、全く人が通らない状態です」と近況を報告してくれた。ちなみにこのメールを受け取った数時間後、その県で初めての感染者が出たと報道された。

まあそんなこんなで、ひと言ふたことの近況の端々からも、新型コロナウィルスの恐怖がひたひたと忍び寄ってくる様子が伝わってくるのである。もう、自分だけは関わりがないなんてことは、誰も言えないのだ。

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ZOOM待ち

4月6日(月)

昨日、社長に言われたので、在宅勤務しているのだが、それにしても気になるのは、明日、僕が初めて議長となるはずの会議がどうなるか、である。

ま、僕自身はメール審議でも問題ないと思ったのだが、今日の午後になって連絡が来た。

「明日の会議は、代理の議長を立てて対面で行うことにすると、社長が決めました」

ええええぇぇぇっ!!!

対面でやるの???

この状況で、わざわざ対面でやることはないと思うのだがなあ。

僕は遠くから通勤しているので、新型コロナウィルスに感染するリスクが高いということで、在宅勤務になったわけだが、ほかの人たちだって、同じくらいに感染のリスクが高いはずだ。

で、会議の責任者である僕が出勤せずに、他の人に議長の代理を任せるというのは、どうも後味が悪い。

まるで俺ひとりが、在宅勤務をすると駄々をこねたみたいじゃないか!!

こんなことなら、出勤して議長をやった方がどれだけ精神的に楽だろうか。

しかし、それをすると、「なんだ、対面の会議ができるんじゃん」と、いつまで経っても職場がテレワークだのオンライン会議だのに移行しようとしない、だらだらと対面の会議を続けるだけである。

ここは一つ、心を鬼にして、家から出ないようにしなければ、世の中は変わらないのだ!

ああ、早くZOOMとやらでオンライン会議ができるようになれば、在宅勤務でも気兼ねないのだがなあ。

だがZOOMは契約するのにお金がかかるとかなんとかで、職場が契約し、こちらを招待してくれないと使えないみたいなのだ。招待されたときに、リンク先をクリックするとZOOMが自動的にインストールされるので、こっちが下手にインストールしない方がいいんだとかいう人もいたりするのだが、本当だろうか?よくわからない。このあたり、テキトーに書いているが、未知のものなので、わからないことだらけだ。

早く職場がZOOMを使用したオンライン会議に踏み切ってくれないと、困るなあ。ところで、本当にZOOMで、明るい未来は来るのだろうか?

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在宅勤務ヲ命ズ

4月は人事異動の季節である。

うちのような職場では、この時期に、お役所を中心にいろいろなところから人事異動の挨拶にいらっしゃるのが慣例となっているようである。

先日の金曜日は会議がなかったので在宅勤務をしていると、職場から、

「4月6日(月)に得意先Aの部長さんと課長さんがうちの社長のところに挨拶にみえるので、同席してください」

「4月10日(金)に得意先Bの社長さんがうちの社長のところに挨拶にみえるので、同席してください」

という依頼のメールが、立て続けに来た。得意先というのは、ま、簡単に言えばお役所とか公的機関のことである。

いくら慣例とはいえ、新型コロナウィルスによる感染が広がっているこの時期に、何事もなかったかのように、本当に挨拶に来るつもりなのだろうか。

僕はこの些細な出来事のなかに、この国の社会の本質が潜んでいるとみている。

東日本大震災のあと、ある地域で活動していたボランティアの方が、こんなことを言っていた。

「役所というのは、非常時には平時の論理が優先する」

たしかそのような言葉だったと思う。いまの政権が、国民一人一人への一律の現金支給を拒み、「現金ではなく商品券を」とか、「現金を支給する場合は、所得に制限を設けて自己申告させる」などということを、この期に及んで真剣に考えているというのは、いまの政権が狂っているというだけではなく、もともとこの国の役所が、そういう考えしかできないところだからである。「コロナ禍」という状況で、まるで平時のように挨拶まわりというふるまいを見せようとするのも、そういうことなのだろう。

そしてこの土日、東京の感染者数が100人を超える、という事態になった。いよいよ危機的な状況である。というか、もうこれ、ダメだよね。

日曜日の夕方あたりから、

(ああ、明日の月曜日は、挨拶まわりで社長室にやってくる方々に対応するためだけに、2時間半の満員電車に揺られて職場に行かなければならないのかあ…)

と、すっかり憂鬱になってしまった。それでも、今年度からはそういう仕事もやらなければならないのだから、仕方がないだろうと、あきらめた。

そうしたところ、日曜の夜に社長から電話があり、

「君、東京やろ。明日から当面は、職場に来んでええで」

と言われた。もちろん、クビになったわけではなく、在宅勤務を命じられたのである。

ひとまず、満員電車に乗らなくてよくなったと、安堵した。

とはいえ、在宅勤務に切り替えることで、自分の主宰する会議をどうするかなど、いろいろなことに対応をしなければならず、その対応も悩ましいところである。

それよりも僕が気になるのは、ここ数日の急激な感染拡大の状況にあって、得意先の方々は、本当に予定通り、うちの職場に挨拶まわりに来るのだろうか、ということである。

もし本当に、挨拶まわりに来るのだとしたら、「非常時には平時の論理が優先する」という仮説が、ますますもって証明されることになるだろう。

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新体制、怒濤の始動

4月2日(木)

新型コロナウィルス感染拡大の危機が迫っていても、4月1日の人事異動は変わらずに行われた。

うちの職場では、今日が辞令公布の儀式だった。

午前中に辞令交付式が終わると、午後からはさっそく、新型コロナウィルス対策に関わる緊急会合のために、関係者が招集された。

僕も、いきなり虎の穴に放り込まれたようなものだ。

「今後、感染の拡大によってどんな問題が持ち上がり、どんな対策が必要か、最悪の事態まで想定して、各部局であらいだしを頼む」

と言われても、まったく見通しが立たないし、なにより新参者の僕には、どうしていいかよくわからない。

「どうやらZOOMという会議アプリを使えば、リモート会議も可能になる」ということで説明を受けたのだが、僕を含めた大半の人がその仕組みをよくわかっておらず、これからいろいろと設定することになった。

すでに職場で使いこなしている人からすれば、「ええええぇぇぇっ!!!そこから?」と笑われるかもしれない。

うちの職場でリモート会議が実現するのは、まだ少し先のことになるだろう。

緊急会合の後は、来週に行われる、僕がとりしきる会議の打ち合わせである。

こちらはこちらで、自分自身が頼りない上に、事務側のスタッフが人事異動のためガラッと変わってしまい、先例を知る事務スタッフがいなくなってしまったため、今年度、無事に会議をまわしていくことができるのか、とても自信がない。

職場の心配だけではない。自分と家族の健康のことも心配だ。

満員電車に乗って、東京を横断して通勤している僕にとって、電車の中はさながらロシアンルーレットである。あるいは「黒ひげ危機一髪」といった方がよいか。

東日本大震災のときのことを思い出すが、僕の皮膚感覚では、あのときよりも、いまのほうが、先行き不透明による不安感が強い。

いままで経験のしたことのないような状況の中で、新体制が始動した。

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