職場の出来事

差し入れには困らない

3月30日(木)

昨日は「トラック野郎」(正確に言うと「ハイエース野郎」なのだが)の車に乗り、10時間以上かけて職場まで戻ってきた。そこからこんどは電車で2時間ほどかけて帰宅した。どんだけ乗り物に乗っているんだ?

すっかり疲れてしまったが、今日もまた朝早く家を出なければならない。2組の来客対応があるからである。

出勤すると、「お預かりものがあります」と言われた。昨日、僕が不在のときに、元同僚の友人がイベントを見に来てくれたようで、差し入れを持ってきてくれた。僕にとっては懐かしいお店のお菓子であった上に、そこに「楽しく拝見しました」のひと言が添えられていた。なんとも粋な人だ。

今日の午前中は、20年ほど前に卒業した「前の職場」の卒業生が、山里深い町からわざわざイベントを見に来てくれるというので、イベントの案内をすることにした。

20年前の卒業というと、もうアラフォーなのか。しかし20年前と変わらず、知的好奇心は旺盛である。何年ぶりに再会したのか、もう忘れてしまったが、懐かしさのあまり、イベントの解説をしているうちに、あっという間に2時間以上になった。それを飽きずに聞いてくれたというのも、学生時代と少しも変わっていない。

「これ、差し入れです」と、地元のお菓子をいただいた。次の予定があるというので、再会を期して、慌ただしく別れた。

午後は、ある人に頼まれて、偉い人にイベントの案内を1時間ていどすることになっていた。偉い人、というのは、どっかの会社の会長さんらしいのだが、その会社の名前を聞いても、失礼ながらどんな会社なのかはわからない。

大事なのは、その会長さんが連れてくる人というのが、僕でも名前を知っている大企業の副社長さんだというのである。しかも副社長の秘書も同行するという。1人で来れないのかよ!と言いたくなる気持ちを、グッとこらえた。

実際にお目にかかると、私よりはるかに年齢が上の男性の副社長さんの後ろに、若い女性の秘書がいた。絵に描いたようなハナシで、ほんとうにこういう世界ってあるんだな、と思わされる。

僕はビジネスライクな説明をして、予定の1時間を10分ほど過ぎて、案内を終えた。僕の役割はここまでである。

3人が帰った後、アテンドしていた職員があとで僕のところにやって来て、

「これ、会長さんからの差し入れだそうです」

と言って、僕に紙袋を渡した。持つと意外に重い。

「何です?これは」

「生のタケノコだそうです」

「タケノコ?」

差し入れがなぜ生のタケノコなのか?よくわからない。

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微妙に遠い場所

3月28日(火)

「イベントが開幕したら、少しは落ち着いたでしょう」と言われることがあるが、とんでもない話である。

イベントは、開幕した当初は、じつに不完全な存在で、日々少しずつ進化をしながら、完成形に近づけていく。

昨日は、イベントにかかわるあるものを運搬するために、都心まで車を運転し、職場までそれを運び込んだ。

それだけでも疲れてしまったのだが、今日は、やはりイベントにかかわる別のものをお借りするために、新幹線に乗って西に向かう。

屈指の観光地であるその町は、ちょうど桜の季節であることも相俟って、びっくりするくらい多くの人でごった返していた。

新幹線の駅には、少し早めに着いたつもりだったが、バスに乗って目的地に向かおうとすると、道路が大渋滞で、結局約束の時間ギリギリに到着した。

そこで、「トラック野郎」と合流し、2件の仕事を終え、お借りしたものをトラックに積み込んだ。この日は、お借りしたものをいったん近くの倉庫に保管して、翌日の朝、トラックで職場に向かうことになっている。

しかしその倉庫というのが、町の中心地から少し離れたところにあって、そこまで行くのにまた、渋滞に阻まれて時間がかかった。

ようやく着いたその場所は、郊外の見知らぬ土地だった。倉庫に仮置きした後、

「では、明日の朝8時にこの場所でお目にかかりましょう」と、「トラック野郎」が言った。

「あのう…最寄りの駅はどこですか?」

てっきり、「トラック野郎」が最寄りの駅までトラックに乗せてくれるのかと思ったが、そういうわけではないようだ。今日の宿泊先には自力で戻らなければならない。

「トラック野郎」は、事細かに、最寄りの駅に行くためのバス停の場所を教えてくれたのだが、そのバス停まで行くのがまた、足の痛い僕にとっては苦痛である。

それでもなんとかバス停にまでたどり着き、最寄りの駅までたどり着いた。なんだかんだで宿泊先まで1時間ほどかかった。

明日はトラックに10時間以上乗らなければならず、職場に着くのは夜である。

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4年ぶり

3月26日(日)

都下の町で、ある勉強会に出席した。

この日は娘の誕生日なので、出席するのがためらわれていたのだが、その勉強会はうちの職場が主催で、僕は形ばかりの代表をつとめていたので、出席しないわけにはいかない。

20名ほどが出席するこぢんまりした会で、はじめた見かける人がほとんどである。本来ならば、一人ひとり挨拶しなければいけないのだろうが、スケジュールが詰まっていて、その時間はなかった。会じたいは、とても勉強になってよかった。

夕食は娘とケーキを食べなければならないので、会が終わると、すぐ帰らなければならない。会は5時過ぎに終わった。

さあ帰ろうと立ち上がると、後ろの席の人が声をかけてきた。

「お久しぶりです。覚えていますか?」

顔を見たが、はて、覚えていない。

「4年ほど前に、ウクレレの会でお会いしました」

そう言うと、彼は自分のスマホをとりだして、スマホの中の写真を僕に見せた。

思い出した!以前、ある本の仕事を一緒にした人である。

といっても、面識はほとんどなく、ちゃんとお話ししたのは、2019年11月のウクレレの会というイベントの時だった。

その時僕は、1歳8カ月の娘を連れて行って、彼もまた、生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきていた。赤ちゃんを連れてきた参加者は、僕と彼の二人だけだったので、主催者の人に頼んで、一緒に写真を撮ってもらったのである。

彼が見せた写真は、その時の写真であった。

しかし、その時の写真の彼と、現在の彼とは、かなり印象が違っていたので、まったく気づかなかったのである。

「こんなところでお会いできるなんてね!」

「あの時の子は、いま4歳です。鬼瓦さんのところは?」

「今日が誕生日で、5歳になりました」

「そうでしたか」

「いまはここに勤めております」

と彼は名刺を差し出した。

横で話を聞いていた、この勉強会の担当者が、

「こんど、うちのチームと一緒に仕事をすることになる方です。お知り合いだったんですか?」

と驚いていた。

「じゃあ、これからまたいっしょに仕事ができるんですね」

「そうですね」

かつて、いっしょに仕事をしたことのある人と、まったく別の仕事でまたご一緒するというのは、僕にとって、最も幸福な再会の仕方である。

僕はそういう再会を、何度もしている。

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最後のイベント

今回のイベントの作業をしているスタッフから、こんな話を聞いた。

大変お世話になった大学の指導教員に、たまにメールで連絡をしている。その先生は、在学期間の終わり頃から体調を崩し、ずっと不調の日々が続いていたが、最近、手術をしてだいぶ体調がよくなったそうで安心した。自分が携わっているイベントが始まるタイミングで、必ずメールを書いているのだが、「(人事異動があるかもしれず)今回のイベントが最後の担当になるかもしれない」と書いたら、「イベントに行こうかな」と返信が来て、その言葉だけでも嬉しかった、と。

なるほど、その気持ちがよくわかる。

僕は年齢的には、その指導教官の側なのだが、立場としては、そのスタッフと同じ立場である。

僕は、前の職場を去るときに、教え子たちに対して恥じない生き方をしようと誓った。

それがはたしてできているか、ずっとモヤモヤしていたが、あれから10年、今回のイベントを行ったことで、ようやく胸を張って恥じない生き方をしている、と言えるようになったかもしれない。

できれば教え子たちにこのイベントを見てもらいたい、と思うのだが、いささか時間がかかりすぎた。それぞれの生活や人生の追われていて、なかなかそんな機会は訪れないかもしれない。

それでも、20年以上前の教え子から、遠路はるばる、万難を排して来てくれるという連絡をもらうと、やはりうれしい。

僕自身も、これが「最後のイベント」だと思っている。もう、こんな大がかりのイベントを自分で企画立案する機会は、訪れないかもしれない。「集大成」「生前葬」と自己評価する所以である。

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NGなし

3月14日(火)

昨日、今日と、テレビ番組の収録があった。もちろん、今回のイベントを紹介する番組である。

昨日は、ローカルケーブルテレビの15分番組の収録で、プロの芸人さんとトークを繰り広げながらイベントの紹介をするというものである。

いちど、事前に打ち合わせをしたのだが、その芸人さんとお会いするのは、本番当日、というか本番直前である。

最初にディレクターが、だいたいの流れを説明する。

「かくかくしかじか…、こんな感じでお願いします」

「わかりました」

いきなり本番である。

百戦錬磨、その芸人さんはこの番組のレギュラーなので、ディレクターの意図を瞬時に理解し、番組をまわしはじめる。

こっちも負けてられない。芸人さんの投げかける言葉に、的をはずさぬように応答する。

「はい、OKです!」とディレクターの声。「すばらしいです」

掛け合いが、見事にハマったらしい。芸人さんも、「すごいです」と驚いていた。

掛け合いの場面は、まずオープニングから始まり、次にイベントの中身を、4場面にわたって紹介する。これだけで、5つの場面で芸人さんと掛け合いをしたことになる。

「はい、最後はエンディングです。もうかなり撮れ高があるので、エンディングは短めにお願いします。○○さん(芸人さん)がいい感じで感想を言っていただいて、それに対して鬼瓦先生がいい感じのコメントをお願いします」

「撮れ高」って言葉を実際に使っている人を、初めて見た。そりゃそうだ、ディレクターだもの。

さて、芸人さんが、どんな感想を繰り出すかわからない。しかしその芸人さんは、かなりクレバーな人なので、その場で的確な、しかも短い感想を言った。さすがである。

それに対して僕は、その感想を受けて的をはずさぬように短いコメントを言って、それがまた、見事にハマったのである。

「はい、オッケーです!完璧でした」

「そうでしたか」

「捨てるところがありません」

彼らが言うには、一発OKというのは珍しいらしい。それほど、掛け合いがハマっていたのである。

「ピンマイクをはずしま~す」ADのような人が僕のシャツにつけていたピンマイクをはずして、無事に収録は終わった。

「どうしてそんなにお上手なんです?」とディレクター。

「実は、ラジオパーソナリティーになるのが夢だったんですよ」

と恐る恐る言うと、

「ポッドキャスト番組とかもったらいかがです?絶対に人気が出ますよ。なんだったら○○さん(芸人さん)と掛け合いをするとか」

「ほんとうですか?」言われた僕もまんざらではない。「じゃあ、事務所に入ろうかな」その芸人さんは、老舗のお笑いタレント事務所に所属していて、僕の憧れているお笑いタレントがいる事務所でもあるのだ。この「事務所に入ろうかな」のひと言で、周りは爆笑した。

「鬼瓦先生、ほんとうに面白いですねえ。絶対にいけますよ」

どこまでおだてるんだ、この人たちは。

ということで、スムーズに収録を終えたのだった。

そして翌日の今日。

こんどは一転して、公共放送の伝統ある番組である。5分間だけ放送してくれるという。その中で僕のインタビューは40秒くらい流れるらしい。

前日はラフな格好だったが、今日はスーツを着て撮影にのぞむ。

こちらのほうも、ディレクターから「だいたいこんなことを言ってください」と言われて、いきなり本番である。

今回は、ディレクターが質問をして、その質問に対して答える、と形式なのだが、あたかもひとり語りをしているような感じに編集されるのだろう。

ディレクターの聞きたいことに対して、的をはずさないように応答する。

そのやりとりを何度かくり返して、

「はい、オッケーです」

と、終わった。

「もう完璧です。こちらの聞きたいことに全部答えてくださいました」

「伝わったのでしょうか」

「もちろんです。なんならこのまま1時間番組にしたいくらいです」

ディレクターというのは、おだてる人種なのか?

お疲れさまでした、とようやく解放され、帰途についたとき、ふと思った。

(あれ?ピンマイクつけなかったぞ?)

機材は、カメラと照明だけだった。ピンマイクをつけ忘れたのかな?

(ひょっとして、俺が喋った話は、全部音が入っていないんじゃないだろうか?)

と心配になってきた。

それとも、その公共放送のカメラは、とても性能がいいので、カメラに高性能のマイクが付いているのだろうか?いやいや、そんなことはないだろう。

あ~あ、あの人たちが会社に戻って映像をチェックしたら、音声が入っていないことに愕然とするのではないだろうか。

いよいよ心配はつのるばかりだが、オンエアのときにそのことを確かめなければならない。

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俺に週末はない

3月12日(日)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ 金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!

…と書けなかったのは、この週末も、休む暇がなかったからである。

手帳を見ると、今月ほとんど休みがない!

しかし、遠くからイベントに来てくれる人がいて、じつにありがたい。

金曜日は、前の勤務地でお世話になった方が来てくれた。

土曜日は、「イベントの関連イベント」だったのだが、高校の吹奏楽の後輩がわざわざその「イベントの関連イベント」を聴きに来てくれた。

日曜日は、午前、午後とも、遠方からやってきた同業の仲間にイベントの解説をした。

もうヘロヘロなのだが、遠方からわざわざ来てくれる人たちにお会いすると、それはまた嬉しいものである。

「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」というのは、こういう心境を言うのだろうな。

…これからしばらくは、簡単な身辺雑記が続きます。

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○○○○と会議は短い方がよい

3月9日(木)

イベントが開幕してからも、やることが多い。

数々の打合せ、取材対応、イベントにかこつけて研修なり講座なりを設定させられ、連日のように話をする。客が重ならないのだから同じ話をすればいいのだが、そういうわけにもいかない。趣旨に合わせて内容を微妙に変えていく。

そのたびに配付資料を作ったりパワポを作ったりするのだが、あまりに同時並行的に作っているので、

(あれ?いま俺、なんの資料を作っているんだっけ?)

とわからなくなることがある。

それに、頼まれてもいないのに、イベントのみどころを、隔日くらいの割合で職場のTwitterに投稿している。

結局、開幕後も時間がなくなるのだ。

なので、打合せはできるだけ短くする必要がある。

そう思って眺めてみれば、無駄な打合せが多すぎる。

ある打合せでは、長い時間、プランのないままに話し合った挙げ句、そろそろ意見も出なくなった頃に、まとめに入ればいいものを、長い時間、沈黙が続いた。

(え?この沈黙、何?時間がもったいないんだけど)

と思うのだが、誰もまとめに入ろうとしない。

僕は次の打合せが入っていたので、

「じゃあ私はこれで失礼します」

というと、ようやく沈黙が解かれ、

「そういうわけで、みなさんよろしくお願いします」

と、その打合せがようやく終わったのだった。この時間はなんだったんだろう?

会議や打合せが多いのは、ヒマな連中が多いからではないかと、最近思い始めている。

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生前葬

3月7日(火)

いよいよイベントが開幕した。

前日は、報道関係者向けの開幕式で、ひどく疲れてしまった。

開幕初日は、このイベントのきっかけの一つを作ってくれた3人がさっそく見に来てくれた。「きっかけ」というのは、2018年11月まで遡る。このとき、Fさんと偶然再会していなかったら、このイベントはまったく違う趣になっていただろう。

それから僕は、Fさんの縁を頼りに、あらためて交渉にうかがい、僕の夢を実現した。

「あのときの鬼瓦先生のひと言が、まさかこのような形で実現するとはねえ」

と、Fさんを含む3人は感慨深げに言った。

「これは、言ってみれば、僕の生前葬なんですよ」

「生前葬?!」

僕は、「自分のやりたいことをやりきった」「集大成」という意味で、「生前葬」という比喩を使ったのだが、他人が聞くと、縁起でもないことを言わないでくださいよ、という意味にとられるらしい。

僕はこのところ、この「生前葬」という言葉を気に入って、ことあるごとにいろいろな人に「このイベントは僕の生前葬です」と言っていて、そのたびに怪訝な顔をされる。この3人にも、

「そんなことおっしゃらないでくださいよ」

とまじめに受け止められたのである。

この言葉には、僕なりの意味がある。大林宣彦監督が映画「この空の花 長岡花火物語」を完成させたとき、インタビューで「これは僕の生前葬のようなものだ」と答えたのである。その場面は、「この空の花 長岡花火物語」のメイキング映像に残っている。

自分のために、いろいろな俳優さんが集まってくれて、力を合わせて、これだけのインパクトのある集大成的な映画を作ってくれた、という思いからそのような言葉が出たのである。実際、この映画は圧倒的に心を揺さぶられる映画だった。

しかし大林監督は実際には、それから3本の映画を撮って、この世を去ったのである。

だから「生前葬」はあくまでも比喩であり、「すぐに死ぬ」という意味ではないのだ。

しかしひとりだけ、一緒にこのイベントを作り上げたいちばんの仲間が、

「生前葬!言い得て妙ですね」

とわかってくれた。さすがである。

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照明マジック

3月3日(金)

今週も、よくぞ、よくぞ「アシタノカレッジ金曜日」のアフタートークまでたどり着きました!ほんとうにお疲れさん!

今週ほどキツかった週はない。イベントの準備の追い込みで、とくにラスト数日はキツかった。

ラスト2日間は、照明の設置である。

以前、Zoomで打合せをしたときに、「クセが強い親方」なんてことを書いてしまったが、Zoomの画面越しに見る印象と、実際にお会いするとでは、少し印象が違った。

短気な感じの人なのかな、と思っていたら、全然そんなことはなかった。とても穏やかな人である。年齢は、僕と同じくらいだろうか。

聞いたら、名だたるイベントの照明を手がけてきた人で、僕の下手な説明を聞いて、瞬時にその本質を理解し、思い通りのライティングをしてくれる。

僕と同じ世代くらいの親方のほかに、「若い衆」が3人いた。1人は若い男性で、2人は若い女性である。つまりこの3人は、いってみれば親方の弟子なのである。理想的なジェンダーバランスではないか!

その仕事ぶりを見ていると、親方は実際にライティングをしながら、若い衆3人にその技術を伝授している。それでいて、任せるところは任せている。粘り強く、納得がいくまで作業を続ける。

親方は3人に平等に接し、男性だから、女性だから、ということで仕事の役割を決めつけるところがない。そして(あたりまえだが)決して声を荒げない。4人のチームが、和気藹々と仕事をしている。

親方は絶対ではない。「若い衆」は意見をし、納得すれば親方もその意見をすんなりと受け入れる。納得しなければ「こんな方法もあるよ」と、親方が別の案を提示する。

僕はそれを見て、すっかり感動してしまった。暗くて見えにくいところを鮮やかに映し出す「照明マジック」もさることながら、その4人の関係性にも、である。こうして技術は、若い世代に伝承されていくのだ。

夜にすべての作業が終わり、なんとか週明けの開幕には間に合った。僕は照明チームの4人に、深々と頭を下げた。

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パワポで動画編集

2月25日(土)

イベント会場で流す動画の素材が大量に送られてきた。正確に言えば、動画と静止画が混在していて、提供者からは「好きなように使ってください」と言われている。

送られてきた動画や静止画は、1点1点だけ見ると、なんのこっちゃわからないのだが、これを時系列に合わせて編集できるのは、僕しかいない。

しかし、動画編集って、どうやるのだろう?

「パワポで簡単にできますよ」と同僚に聞いた。その言葉だけを頼りに、パワポで動画編集をすることにした。

そういえばパワポに動画を貼り付けたものを何度も見たことがあるので、パワポのスライド上に動画を貼り付けることは簡単にできるのだろう。しかし今回は、イベント会場でエンドレスで流す動画である。つまり、

・スライドが自動的に切り替わる。

・動画が全画面表示される。

・スライドが自動的に切り替わると、動画が自動再生される。

・スライド全体が、エンドレスで繰り返し上映される。

・素材の動画は、なるべく短く切り取ってエッセンスだけを編集する。

といったことができないといけない。パワポを使いこなしている人にとっては朝飯前なのだろうが、これまで最低限の使い方しかしてこなかった僕にしては、初めて尽くしである。

いろいろと調べてみると、上記の条件は、すべて可能であることがわかり、さっそく作業を始めることにした。

とりあえず、候補になりそうな動画を片っ端からスライドに貼り付けていく。で、自動切り替えとか自動再生とか全画面再生とかといった設定にする。

とりあえず粗編集したものをそれをスライドショーで見てみると、なるほど、ふつうの映像を見ているのと違和感のない感じになることがわかった。だが再生時間があまりに長すぎる。

当初は5分くらいを想定していたが、これでは30分くらいの動画になってしまうぞ。

ここから、いよいよ編集作業である。まず、これはなくてもよいかな、という動画は、全カットする。これは必要だと思われる動画の中でも、長いもので3分くらいの動画があるのだが、1つの動画あたり、せいぜい20秒くらいにおさめたい。

スライド上で動画を短く切り取ることができることもわかり、1動画あたり20秒以内におさめるように編集をする。

ほんとうは映像に説明字幕をつけたいのだが、そこまでの技術はなく、3つくらいのテーマに分けて、動画の最初にそのタイトルをつけて、あとはひたすら動画を流し続ける。

そんなふうに、悪戦苦闘しながら、ようやく11分程度の動画にまとまった。

11分でもかなり長い。イベント会場内で流す動画は、あまり立ち止まって見てくれるようなことがないので、短ければ短い方がよいのである。しかし、1年近くかけて撮影した動画の断片たちは、いずれもなかなか捨てがたく、しかも、ふだんは見ることのできない世界なので、なおさらである。11分にまとめるのが精一杯だった。

それにしても、動画の編集というものは、とても楽しい。時間を忘れてしまう。映画の編集作業って、こんなに楽しいものなんだな。比ぶべくもない話だが、黒澤明監督が、その日に撮影した映像の素材を、その日のうちに粗編集をするという話を聞いたことがあるが、あれは、編集を早くしたくてたまらないからだったんだろうな。

もちろん、パワポなどよりも、動画編集用ソフトを使えば、もっと簡単に、そしてもっと細かく編集が可能なのだろうが、素人なので、いまからイベントに合わせて凝った編集をする時間がなく、これをMP4ファイルにエクスポートすれば、動画サイトにも上げることができるので、これで十分である。しかし僕にとっては、初めて作った、11分の、あまりにもマニアックなドキュメンタリー映画である。

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