職場の出来事

アダモさん

4月6日(火)

毎月第1火曜日は、朝9時半から僕が議長をする会議があり、憂鬱な気分になる。

朝6時過ぎには家を出なければならない。車で通勤しているので、いつ何時、渋滞に引っかかるかわからないのだ。

そのため前の晩はできるだけ早く寝ることにしているのだが、翌朝が会議となると、なかなか寝付けない。

結局、ずっと浅い眠りのまま朝を迎えることになる。

しかも今日は新年度1回目の会議なので、メンバーも一部新たになったこともあり、どうなるか不安である。

誰かが言っていたが、この国の会議は、議論をする場ではなくて、承認をする場である。だから、あらかじめ根回しをしておいて、会議の時には異論が出ないようにしておかなければならないのだ、と。

僕はその根回しというのが死ぬほど苦手なのだが、かといって根回しをせずにいて怒られるのも苦手である。そんな人間が、よく会議を仕切っているよと、ほとほと自分には呆れてしまう。

午前の会議は2時間半ほどかかり、終わった頃にはお昼休みの時間になっていた。

午後にはいくつかの打ち合わせがあり、それもまたストレスだったのだが、気がついたら夕方だった。

大学時代の先輩に誘われて、夜からはZoomによる会合に参加した。

ゆるゆるとした知的会合で、昼間の殺伐とした感情が少しだけ解きほぐされた。

1時間ほどで会合を失礼して職場を出るつもりが、時間を忘れて1時間半ほど参加した。

帰ると家族はすでに寝ていた。

テレビをつけると、「ザ・ギース」というお笑いコンビがコントをしていた。

「アダモさん」というタイトルで、外国人のアダモさんが、日本語のフレーズを「あ」から順番に勉強していて、「あ」から始まるフレーズにはめちゃめちゃ詳しいのだが、「あ」までしか勉強していないので、「あ」から始まるフレーズしか使わないで仕事仲間の日本人と会話をする、というコントである。

言葉遊びの発想が筒井康隆的で、とてもおもしろい。なんとなく『残像に口紅を』を思い出した。

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事実はドラマよりも奇なり

4月2日(金)

新年度2日目だが、すでに2日目から前途多難な船出である。これで1年間、自分の心が持つかどうか心配である。

まあそれでも、金曜日の夜はTBSラジオ「アシタノカレッジ金曜日」の、武田砂鉄氏と澤田大樹記者のYouTubeによるアフタートークを楽しめれば、無事に1週間を過ごせたことにしよう。

今日のアフタートークもおもしろかった。

来週月曜日のアトロク(TBSラジオ「アフター6ジャンクション」)の「ビヨンド・ザ・カルチャー」という1時間の特集コーナーで、武田砂鉄氏が音楽ジャンルの一つであるメタルについてのプレゼンをやるのだという。

ついに念願叶ってのアトロクデビューということになるのだが、アトロク初出演の武田砂鉄氏に対し、澤田大樹記者が、自分の出演経験をもとに、「アトロク攻略法3か条」を得意げに伝授していたのが、まるで学生時代にモテない男子同士が、「女子を落とす攻略法」について真面目に語り合っている場面を彷彿とさせ、微笑ましくなった。

…いや、今日書きたいのはそんなことではない。今週の月曜日の話を書きたいのである。

いま、6月に発行予定の、ある雑誌の編集を担当しているのだが、今週の月曜日は、その表紙の打ち合わせのために、日ごろ編集作業でお世話になっている都内の出版社を訪れた。前にも一度訪れたことのある出版社である。

その出版社は、雑居ビルの一室にある、従業員数名の小さな出版社で、町工場的な雰囲気のするものづくりの現場である。そこの社長さんも、町工場の社長さんのような趣がある。小さい出版社ながら、精力的に数多くの本を出版している。

部屋の奥に小さなテーブルがあり、そこで打ち合わせが始まった。

こっちが思いついたアイデアをもとに、編集者とデザイナーさんが、イメージを膨らませる。

「いっそ表紙の紙をこれまでとは違うものにしましょう。たぶん質感が大事になってくるので、○×紙なんかどうだろう?安っぽく見えないかな?」と編集者。

するとデザイナーさんが、

「そうですね。○△×紙にすれば、それほど違和感ないでしょうし、コストもかからないと思います」

「そこに箔をつけることできる?」

「ええ、できます」

「あ、でもバーコードを入れなきゃいけないんだよね」

「それはかくかくしかじかのやり方でやれば大丈夫かと」

みたいな会話が延々と続くのだが、聞いているこっちは、専門用語というか業界用語が多すぎて、さっぱりちんぷんかんぷんである。

しかし、何か前進していることだけはわかった。

「しかし、紙の質感を知りたいから、紙のサンプルがほしいんだよなあ…」

と編集者がつぶやいたそのとき、

「こんちわ~」

と、出入りの印刷業者らしき人がやってきた。請求書を持ってきたらしい。

「お!ちょうどいいときに来た!○○ちゃん!」

「何です?」

「いま、今度出る雑誌の表紙を考えているんだけど、かくかくしかじかのイメージで、はっきり言えば○○のパロディーを考えているんだけど、そうすると、これまでの表紙の紙じゃなくて、質感としては○×紙がいいでしょう?」

「そうですね」

「○×紙と、○△×紙と、どっちがいいかねえ」

「それだと、かくかくしかじかですねえ」

「なるほど。で、そこに箔をつけたいんだけど」

「あ~、なるほど。それなら、かくかくしかじかですねえ」

「それとイメージとしては、表紙はカバーをつけるのではなくって」

「わりと高めの帯にするんですね」

「そうそう。それで、コストはどのくらい増える?」

「それだと、かくかくしかじかですねえ」

「なるほど」

「あと、納期に少し余裕をみてもらわないと」

…ここまでの会話を聞いて、すっかり感心してしまった。

内容はちんぷんかんぷんなのだが、会話がツーカーなのである。

「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことなのだろう。

「じゃあ○○ちゃんさあ、こんどサンプルもってきてよ」

「わかりました」

…はたして僕が最初に出したアイデアは、どのような形になってあらわれるのか?この会話を聞いた限りではよくわからないのだが、僕のいたずらなアイデアが、プロの編集者やデザイナーや印刷業者によって確実にいいものになるだろうということだけは予感できた。

町工場のような小さな1室で、職人同士の会話を聞いている気分になり、やっぱりプロってスゴいなあ。ものづくりは(手作り感があるほど)おもしろいなあということを、あらためて実感させてくれた。

みんな、ドラマに出てくるようなキャラが立っている人ばかりである。いや、町工場的出版社を舞台にしたドラマが作れるんじゃないか?

表紙の紙の打ち合わせをしているときに、ちょうどタイミングよく出入りの印刷業者が「こんちわ~」とあらわれるなんて、仕込んでたんじゃないの?と思いたくなるほど、事実はドラマよりも奇である。

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辞令交付式

3月31日(水)

恥ずかしいことに、僕はいままで全然知らなかったのだが、3月31日にも辞令交付式が行われるという。中間管理職として立ち会わなければならない立場になって、初めて知った。

辞令交付式といえば、4月1日とばかり思っていて、もちろん4月1日も行われるのだが、3月31日は退職したり転出したりする人に対する辞令交付式が行われるという。

僕はこれまで2度ほど、職場を変わっているが、転出したときに辞令交付式があったという記憶がない。うちだけが特別に、辞令交付式を厳粛に行う職場なのだろうか。よくわからない。

一通りの儀式が終わり、今度は別の部屋に移り、僕がいつも一緒に仕事をしている課で退職される方への花束贈呈式が行われる。

例年ならば、送別会が行われるのだが、今年度はコロナ禍のために、送別会は中止になった。その代わりに、課の有志が企画して、退職する方々へ花束と、少しばかりの品物をお贈りすることになったのである。

僕はその課の人たちと一緒に仕事をしている関係から、花束贈呈式に出席することになった。

指定された部屋に行くと、すでに課内で働く人がほぼ全員揃っていた。

僕はビックリした。いままでほとんど気にとめていなかったのだが、うちの課には、非正規雇用の方も含めてたくさんの人々がいたのだ。

(これだけ多くの人に支えられていたのか…)

1年経ってようやく気づいた自分が恥ずかしくなった。

もう一つビックリしたことは、うちの課は、非正規雇用の方が大半を占め、しかもそれが全員女性であるということである。

これが、この国の社会の縮図というものか…。

うちの課で退職されるのは4人。そのうち正規雇用は二人で、二人とも男性。一人は定年退職、一人は早期退職である。

あとの二人は非正規雇用で、二人とも女性である。いずれも家庭の事情により、任期を待たずして辞めることになった。家庭の事情を優先して辞めざるを得ないのは、やはり女性の方なのである。

これもやはり、この国の社会の縮図である。

僕は複雑な気持ちになった。

僕は最初に挨拶をさせられ、これまでお世話になったことに対して、感謝の言葉を述べた。

その後、4人が順番に挨拶をした。何人かの方が、「在職中は人に恵まれました」と言った。

息苦しい職場だなあと思っていただけに、その言葉は意外だった。きっと、僕がまったく知らないところで、課内の人たちはお互いを助け合い、気を遣いあいながら仕事をしてきたのだろう。

僕はこの1年間、いったい何を見てきたのか。何も見えていなかった、いや、何も見ようとしなかったのではないだろうか。

明日もまた辞令交付式である。今度は着任される方の辞令交付式。

風通しのいい職場、人に恵まれる職場になることを、願うばかりである。

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無伴奏のチェロ組曲

3月16日(火)

小学生の頃から、自分の声と話し方が嫌いだったので、人前で話すことが苦手だった。

それが何の因果か、中学生になって生徒会長に選ばれてしまい、月に2回、月曜日の朝の「生徒集会」で、全校生徒の前で校長先生みたいな挨拶をしなければならなかった。これが苦痛で苦痛で仕方なかった。よく「サザエさん症候群」というが、僕の場合は、本当の意味で「サザエさん症候群」に悩まされた。

文面を考えて、体育館の舞台に立ち、数分間のスピーチを行う。我ながらいいことを言った、と思い、壇上から降りて、友達に、

「どうだった?いまの挨拶」

と聞くと、

「ボソボソ言っていて何言ってるのか全然わからなかった」

というのが、お決まりの答えだった。ああ、自分には喋ることが向いていないと、あらためて実感した。その思いはいまも変わっていない。

毎週火曜日は会議日。とくにこの日は、全体会議なので、ことさら気が重い。僕はこの全体会議の中で、何回か説明しなければならない場面があり、説明の仕方を間違えたり、躊躇したりすると、質問が出たり、反論されたりすることもある。そうなると会議が紛糾するので、とにかく穏便にすませなければならない。

ここ最近は、軽いウツなんじゃないかってほど、自分の言葉に覇気がないことがわかっている。説明するのもしんどいのである。しかも今日はよりによって、込み入った説明をしなければならない場面がある。

(ああ、憂鬱だなあ)

こういうときは、無理に声を張って説明しても空回りするだけである。できるだけテンションを上げずに、淡々と説明することに限る。

僕は声のトーンを下げ、しかも一定のトーンで説明することに徹した。

(聞いている人は、まるで覇気がないと思うだろうな…)

幸いにも、けっこう脇の甘い説明だったにもかかわらず、とくに荒れることなく、会議は終了した。

あとで知ったのだが、会議に参加していた人の多くは、居眠りをしていたらしい。

ある同僚に言われた。

「鬼瓦さんの話がやたらと子守歌みたいで、つい寝てしまった。語り方が『無伴奏のチェロ組曲』みたいだった」

僕は「無伴奏のチェロ組曲」を聞いたことがないのでわからないのだが、少なくとも褒め言葉ではないだろう。

もうこれからは、異論を封じるために、この戦法で乗り切るしかないかな、とも思い始めた。

と同時に僕は、冒頭に書いた、中学校の生徒集会の時のことを思い出したのである。

もう一つ、こんなことも思い出した。

大学生の時、友達のアンドウ君の家に電話をしたときのことである。

僕が大学生の頃は、当然携帯電話などなかったから、電話をかけるときは、家の固定電話にかけるのがあたりまえだった。

アンドウ君の家に電話すると、決まって、愛想の悪いお姉さんが電話を取るのだった。

「もしもし、鬼瓦と申しますけれども、アンドウ君はいらっしゃいますか?」

「いえ、いません」

電話を切ってしばらくすると、アンドウ君から電話があった。

「さっき電話してきたの、おまえ?」

「うん」

「友達から電話があったよと姉貴が言うもんだから、誰から?と聞いたら、『名前は聞き取れなかった。ドイツ語みたいにしゃべる人だった』といったから、おそらくおまえだろうと…」

アンドウ君のお姉さんは、僕の電話が聞き取れず、ドイツ語をしゃべっている人のようだと答えたのだ。

ここで重要なのは、アンドウ君が、その情報だけで、電話をかけてきた人物が僕だと特定できたことである。ということは、アンドウ君もふだんから僕のしゃべりをドイツ語をしゃべってるみたいだと思っていたということである。

「無伴奏のチェロ組曲」を作曲したのは、ドイツ人のヨハン・ゼバスティアン・バッハだそうだから、俺のしゃべりはやはり万人に、ドイツっぽいと思われているのだろうか。ドイツ語の単位を落とした僕としては、あまりにも不可解な話である。

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上司は思いつきでものを言う

3月9日(火)

『上司は思いつきでものを言う』という本を書いたのは、橋本治だったか。

今日のオンライン会議ほど、そのことを身にしみて感じたことはない。

昨年10月頃から、コロナ対策の一環としてある対応をすることになったのだが、その実施方針を、時間をかけて、社長や副社長にも根回しをしながら、ようやく合意にこぎつけたのが昨年末。社員に向けて、その実施方針を示した。

この間、何度も社長や副社長に原案を突き返され、若い主任と二人であれこれと修正を加えながら、ようやく合意に至ったのである。あとは、具体的な実施方法を作るのみである。

これについても、若い主任と二人で、なるべく足下をすくわれないような、周到な実施方法を考えた、つもりであった。

ところが今日のオンライン会議で、社長や副社長から、

「実施する意味がよくわからない。やめるべきだ」

と言われたのである。

ええええぇぇぇっ!!!まさかの、ちゃぶ台返し?

ま、ちゃぶ台返しはこれまでもあったことなので、さほど驚くことではないのだが、しかし最後の最後になってこうなるとはねえ。

僕は頭に血が上って、

「じゃあ、撤回します!」

と大見得を切ってしまった。これがいけなかった。

長い長いオンライン会議のあと、うなだれて廊下に出ると、会議に陪席していたベテランの部長から、

「撤回してはだめですよ」

と言われて、ハッと目が覚めた。

そうだ、僕はあの場でもっと、噛んで含めるように説明しなければならなかったのだ。つまりすべては、僕の説明不足のせいである。

「上司は思いつきでものを言う」という、橋本治が掲げたテーゼにしたがって考えると、戦術を間違っていたのは僕の方だったのだ。

そのことに気づいたとき、僕は取り返しのつかないことを言ってしまった、と思った。

でもなあ、あんな言われ方をされて、冷静を保てる人は、よっぽど胆力のある人だぜ。

とにかく僕は、ここまで一緒に作ってきた若い主任に申し訳ないと思うばかりだった。

すると、僕がうなだれている間に、若い係長と若い主任が話し合いをしたらしく、

「戦略を立て直しましょう。まずは僕らで説明資料を作りますので」

と言ってくれた。

ベテランの部長からは、

「とにかく揉めないように」

とのアドバイス。

根気よくやっていくしかない。

「いろいろな問題が起こるねえ。力不足で申し訳ない」と僕が若い主任に言うと、

「少しでも、(事態が)前に進んでくれるといいんですがね」

「そうだね。少しずつでも進めていこうよ」

と、仕切り直すことにした。日々、こんなことばかりである。

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根を詰めると鼻血が止まらない

3月4日(木)

最近は韓国のドラマを見ていないのでわからないのだが、10年ほど前まで、よく韓国ドラマを見ていると、仕事があまりにキツくて鼻血が出たり、受験勉強をやりすぎて鼻血が出たり、みたいなシーンがあって、

「んなことあるかい!」

「また鼻血出してるよ!」

とゲラゲラ笑ったものだった。韓国人にとって、「一生懸命がんばる=鼻血が出る」というのが、あるあるネタになっているんだなということを、ドラマを見るたびに思ったものだ。

しかし、である。

今日はさすがにキツかった。

来週月曜までに社長に提出しなければならない宿題がまだできていない。先月行われた、2時間×9回の会合で出た意見をまとめる、という作業である。なにしろこの間忙しく、それにこの作業に対するやる気がまったく出ずに、作業をずっと先送りしていたのである。

しかし、土日は終日オンライン会合なので、金曜日のうちにやっておかなくては月曜日に間に合わない。

そこで、会議が終わった5時半過ぎから、3時間半ほどかけて、作業を行うことにした。

会議の時に、いろいろな人の発言をノートにメモしていたのだが、僕はそのノートを見ながら、そのときの様子を思い出し、言葉を補いながら発言録を作成していく。

ノートを見てはパソコンのキーボードを連打すること3時間半。ようやく目処がついた。気がついたら、字数にして1万4000字ほどになっていた。400字詰め原稿用紙にして35枚である。1時間あたり原稿用紙10枚のペースだ。これってけっこう速いペースなんじゃねえの?

帰ろうと思ったら今度は副社長からメールが来て、頼んでおいたものを早く提出するようにとややご立腹である。行間に「鬼瓦はいつも遅い」というニュアンスがにじみ出ていた。「しまった!作っておいたのにメールするのを忘れていた!」と思い、慌ててメールで提出する。

ほかにも別件でいくつかメールがあったが、帰ってから対応しよう。

ということで、2時間ほどかけて車で自宅に戻り、TBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」をリアルタイムで聴き、さらにそのあとYouTubeで配信されている武田砂鉄氏と澤田大樹記者のアフタートークを聴きながら、

(あ~、これでようやく週末だ)

とささやかな幸せに浸っていたら、急に鼻血が出て来た。

(なんだなんだ??)

ちょっとしたら止まるだろうと思ったら、なかなかどうして、意外と長い時間止まらない。こんな感じの鼻血なんて久しぶりである。

そこで僕は、冒頭に書いた韓国ドラマのことを思い出したのである。これだ!と。

僕は、2時間×9回の会議の発言録を怒濤のように作成することにより、根を詰めすぎたのだ。さすがに身体が悲鳴を上げて、鼻血が出てしまったとしか考えられない。

韓国ドラマさん。がんばりすぎると鼻血を出すというシーンに対して、

「んなことあるかい!」

と突っ込んでしまい申し訳ありませんでした。

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対面もつらいよ

3月4日(木)

今日は午前中に職場で対面の会議があり、午後からは外部機関が主催のオンライン会合である。

朝9時半から12時半までの3時間。それが終わると、14時から17時までの3時間。もうこれでほとんど1日を使い果たしてしまった。

午前は僕がやり玉にあがる会議だったのだが、荒れるんじゃないかと思って、緊張を強いられ通しだった。

結果、少ししか荒れずにすんだ(やっぱり荒れたんかい!)。

ヘトヘトになっていたら、午後のオンライン会合の時間があっという間に来てしまった。

これもまた気が重い。

「○○さんが出席するとのことで、『一言もの申す!』と宣言しているそうです。○○VS××で荒れ模様になったら、鬼瓦さん、調整してください」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!○○さんも××さんも僕よりも年上で、クセもスゴいし、とても僕の手になんか負えませんよ」

事前にこんなことを言われたら、もう不安しかない。

会合が始まっても、そのことがずっと気になってしまい、気もそぞろである。

会合の終盤になって、

「もの申す!」

という声が聞こえた。

ああ、とうとう来たか…と絶望していたら、司会の方が、

「もう終了予定の時間なので、手短にお願いします!」

と先手を打ってくれた。すると、

「私は××さんと180度違う意見なんですけどねぇ…。ま、今日はそういうことを言い合う場ではないので、やめておきます」

と矛をおさめたのであった。

始まる前は、

(こりゃあ、予定の時間をオーバーするなぁ)

と覚悟をしていたのだが、司会の方がPunctualな方だったようで、17時きっかりに終わってくれた。

この業界、予定の時間を過ぎてもだらだら討論をしたりすることが多いのだが、これぞ、働き方改革である。これがおっさんが司会で、ホモソーシャルな会合だったら、17時過ぎてもダラダラと会合は続いていただろう。「おっさんは話が長い」のだ。

これもまた、偏見だろうか。

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○的なるもの

2月24日(水)

職場のイベントを見に来るお客さんの中に、「マスクをしない主義」の家族がいて、ちょっとしたトラブルになったということが、職場のコロナ対策の会議で話題になった。

マスクをしてください、というと、その一家は「マスクをしない主義だ」と言って、イベント会場に入ってゆく。イベント会場では、マスクをしている人たちが、マスクをしていない家族を見て、「なんでマスクをしろと注意しないんだ!」と、会場スタッフにクレームをつける。

これはたいへんだということで、「マスク未着用の方には会場に入るのを遠慮いただく」という方針が決まった。

しかし、なんかモヤモヤする。

もしどんな人でも、マスク未着用ならば会場には入れないとなると、たとえば、2歳10か月のうちの娘はどうなるのだろう?

そこで質問した。

「あのう…たとえばうちの娘はまだ2歳なんですけど、2歳の子にもマスクの着用を義務づけるということですか?」

「はぁ、そうなります」

「ちょ、ちょっと待ってください。たしかWHOは、幼児はマスクをするとかえって窒息などの健康上の被害が懸念されるので、マスクは着けない方がいいと奨励していたはずです」

考えてみれば、この会議は、全員が男性である。しかも平均年齢は高い。ひょっとして、「幼児はマスクをするとかえって健康上の問題が生ずる」ということを、わかっていないのではないだろうか?

平均年齢の高い男性だけでルールを決めたら、男性からみえない部分がすっぽりと抜け落ちてしまう典型のような事例である。

ちなみにWHOは、5歳未満の子どもにはマスクを着けるのを推奨しないとしている。

厚生労働省は、昨年8月に、2歳未満の子どもは息苦しさを訴えたり、自力でマスクを外したりするのが難しく、窒息や熱中症のリスクが高まるとして、着用させないよう呼びかけていた。冬場のいまはどうかわからないが、窒息のリスクがあることには変わらない。

森喜朗の発言以降、景色が違って見えるようになってきた。

たとえば、こんなこともそう。

職場の僕のメールボックスに、パンフレットが入っていた。親会社が、有識者を集めて応援団をこしらえて、これからいろいろと盛り立てていこうというイベントを企画しているという。

パンフレットを見て驚いた。たしかに有識者には違いないのだが、応援団の11名中、女性は2名しかいない。しかも男性のほとんどは高齢者である。

その2名の女性というのも、たいへん有名な人なのだが、僕から見たら、どちらかといえば「わきまえる」側の人である。ああ、わきまえる人を選んだんだな、ということが、すぐにわかった。

しかも、である。

当日のイベントの登壇者、つまり講釈をたれるのは基本的にすべて高齢の男性。で、女性はというと、2名のうちの一人がそのイベントに出席し、司会をするのである。女性はやはりお飾りなのか???

今時こんなイベントをして、炎上しないのだろうか???と、ドキドキしてしまう。

いままであたりまえのように思っていた風景が、一転して、モヤモヤしたものになってしまう。おそらく、こういうことを不自然だと思えるような感覚を、一人ひとり持ち続けていくことが大事なのだろう。

しかしながら、これを不自然と感じないまま、イベントを誇らしげに行う人たちも厳然として存在する。「森的なるもの」は、すぐ近くに存在するのだ。

ちょっと前のニュースで見たのだが、今の国連事務総長は、自分が外部から会議に招かれたときに、男性しかパネリストがいなかったら、出席を拒否するのだという。ある時事務総長が日本に招かれて、会議のパネラーとして登壇してくださいと言われたのだが、パネラーが全員男性だったので、国連側は、「これでは事務総長は出席できません」と土壇場で断った。慌てた日本側の主催者は、たまたま司会者が女性だったので、女性の出席者もいますと説明して、なんとか出席してもらった、という。

親会社のイベントのパンフレットを見て、この話を思い出したのである。

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ストレスラジオ

2月2日(火)

火曜日は会議の日。とくに月の第一火曜日は、僕が司会進行をしなければならない、長い会議があるので、前日から憂鬱で仕方がない。

難しい案件があると、「どうか無事に通りますように…」と、そればかりが気になるのだ。

今年度は、すべてオンラインで会議を行っている。他の人が主催する会議の中には、対面で行っていることがけっこうあるのだが、僕は一貫してオンラインにこだわっている。

で、僕が司会進行する会議は、資料にもとづいて僕が説明し、会議の構成員たちが意見交換をして、最終的に、提案通りに承認されることを目的としているのだが、提案が覆らないように(つまり炎上しないように)気をつけながら説明するのが、僕の役割である。

オンライン会議の場合、僕は仕事部屋でノートパソコンを使いながら延々と喋るので、ほとんど独白に近い。たとえて言えば、ラジオブースの中で一人語りをしているようなものである。画面の中の人たちは、カメラをオフにしている人も多いし、僕が喋っている間は、当然黙っているので、僕は無言のリスナーに向けて喋っているラジオパーソナリティーのような錯覚に陥ることがある。リスナーからのメールを読むが如く、手元の資料を読み上げるのである。

そうか。ラジオパーソナリティーのつもりで司会をやれば、気が重い会議もそこそこ楽しめるのかもしれない。

今日は議題も多く、また複雑な内容をわかりやすく順を追って説明しなければならない案件もあったので、ほとんど2時間半、喋り通しだった。とくに炎上することもなく終わった。

ついでに午後も、僕が司会進行の会議があったのだが、こちらの方も僕が一方的に喋り続け、とくに問題もなく30分弱で終わった。

この会議が終わると、束の間だがストレスから解放される。

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俺は発見されたのか?

1月8日(金)

TBSラジオ「アシタノカレッジ 金曜日」を聴いていたら、

「初夢に武田砂鉄さんが出てきました」

というリスナーのメールがけっこう来ていたとかで、思わず笑ってしまった。曰く、

「武田砂鉄さんに卒業論文の指導をされた」

とか、

「武田砂鉄さんがずっと横にいて締切厳守のプレッシャーをかけられた」

といった類い。僕が見た「ラジオ番組にゲストに呼ばれたにもかかわらず、『誰だこいつ?』という顔をされた」というのと、同じようなテイストである。というか、武田砂鉄が初夢に出てくる確率はけっこう高いんじゃないだろうか?せっかくなら番組宛てにメールを出せばよかったな…。

そんなことはどうでもよい。

この日のゲストが歌人の穗村弘さんだった。穗村さんのエッセイは、ちょっと自虐的なところが好きである。

ラジオの中で、

「毎日郵便受けをチェックして、『君は天才だ!』という手紙が来ないか、待ち続けていた」

と言っていたのがおもしろかった。つまり、

「誰か俺(の才能)を発見してくれ!!」

と、待ち続けたというのである。

穗村さんは、晴れてその才能が発見されていまに至るわけだが、僕はいまでも、「誰か俺のことを発見してくれ」と待ち続けている。

そんな、今日の出来事。

職場に出勤すると、今日は緊急事態宣言に対応するための会議があるし、パソコンを開くと朝から大量のメールが来ているし、またこんなことで1日が終わってしまうのか、とゲンナリしていると、大量のメールの中の1通に目がとまった。職場の広報担当からである。

「A新聞のT様より、取材の依頼が来ております。

お受けになられる場合は、直接先方にご連絡お願いいたします。

お断りになる場合は、広報担当から断りますので、

その旨広報担当までご連絡ください。

ご検討をよろしくお願いいたします。」

転送されたメールの内容を読んでみると、三大紙といっても、僕にとってほとんど縁もゆかりもない県の支局の記者からのメールだった。どちらかといえば地味な県で、47都道府県を順番に言っていくと、後の方になってようやく出てくる、というイメージの県である。

しかしその内容がじつにおもしろい。というか、この内容だと、俺が取材を受けるしかないだろ!

僕はその取材を受けることにした。会議が終わった後の昼休みに、T記者宛てに、取材内容に対するコメントを含めた、長いメールを書いた。ついでに、その取材内容に関係すると思われる、僕の書いた本や原稿を紹介した。

するとほどなくして、返信が来た。

「メールをありがとうございます。お聞きしたいのは、○○についてと、××についてです。後ほど電話を差し上げたいのですが、よろしいでしょうか」

僕は、(コメントはさっきメールに書いたんだがな‥)と思いながらも、

「4時から1時間半ほど打ち合わせが入っているので、その前後であれば大丈夫です」

と返信した。

3時50分になって、電話が鳴った。電話を取ると、T記者だった。

(おいおい、会議の10分前だよ…)

と思ったのだが、T記者は、

「短い時間でけっこうですので、取材にお答えいただければと」

「はあ」

僕はいろいろと話す気満々だったのだが、T記者は、2つぐらい質問をして、それを僕が手短に答えると、その答えを復唱して、「なるほど、そういうことなんですね」と感心して見せた。

「実はインターネットを検索していたら、たまたま鬼瓦先生のお名前を見つけまして、この記事にふさわしいコメントがいただけるかと…」

「そうでしたか」名前をネットで見つけただけで、僕の本を読む気はないらしい。

「先生の肩書きは、○×○×□△◇…でよろしいですか」

「はあ」

「ありがとうございました。あまり大きな記事にはならないかもしれませんが、記事になりましたら新聞をお送りいたします」

「そうですか」

電話取材は10分以内で終わった。

要は、僕に取材をしたというアリバイがほしかったのだな、ということに、電話を切った後になって気づいた。

すでに記事の内容はほとんどできていて、僕はその記者が作ったストーリーに合わせて喋らされたんだな。そういえば、以前もそんな取材を受けたことがあった。T記者は、とても丁寧な方だったので、そこには文句はないのだが、肉声を聞かなければ取材したことにならない、ということなのだろう。ネットで検索したらたまたま僕の名前を見つけたと言っていたが、この場合、「俺は発見された」ことになるのだろうか???いや、発見されたとしたら、自分の本が400冊も廃棄処分されるなどという憂き目には遭わないはずである。やはり僕はまだ発見されていないのだ。

三大紙とはいえ、その県の人しか見ることのできない地方版の片隅に僕の名前が載ることを想像して、僕は次の打ち合わせ場所に急いだ。

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