職場の出来事

メールの暴力・その2

11月30日(木)

いつぞやも、「メールの暴力」というタイトルで記事を書いた。

出勤するなり、職員さん2人が「ちょっとご相談してもよろしいでしょうか」と仕事部屋をたずねてきた。こういう場合は、たいていは不吉な相談である。

その予感は的中した。ある人が、職員さん2人に向けてクレームのようなメールを送りつけてきたのである。文面を見て、よくこんなことが書けるなあと驚いた。

よくよく話を聞いてみると、非は明らかに先方にある。こちらがよかれと思ってしたことに対して、なぜか上から目線でキレているのである。事務手続きを誠実に行っている職員に対して、何も事情のわかっていないヤカラが因縁をふっかけてきたようなものである。

一人は恐怖におびえ、一人は怒りに震えた。そのやり場のない恐怖や怒りをどこにぶつけたらいいのか、とにかく話だけでも聞いてほしいと、経緯を聞いた。

「こんなメールを受け取ったら、メンタルがやられてしまうねえ」

この問題は僕が引き取ることにし、僕の責任で事態を収拾することにした。そもそも、立場の弱い職員にクレームをつけるというのは、あってはならないことなのだ。現段階では、事態が収拾されたかどうかはまだわからないが、もう二度とこういうヤツとは一緒に仕事をしないぞと僕は誓ったのである。

以前も、別の職員がクレームのメールを受け取ったことがあった。その職員は気丈な性格だったので、一人で事態の収拾をはかったようだった。そして最後にそのメールのやりとりの一部始終を僕に転送してくれた。「こんなメールが来ましたので、こういう対応をしました」と。

僕はその職員にうまい対応だったと労をねぎらい、こういう人がいるとは困ったものだねと返信をした。その気丈な職員さんも、さすがに一人ではこの問題を抱えきれず、だれかと共有をしたかったのだろう。それでメールの一部始終を僕に教えてくれたのだ。そんなことが以前にあって以降は、職員のメンタルを守ることが何より大事なのではないかと思うようになった。

それにしても、人はなぜ弱い人に向けてクレームを言いがちなのだろう。

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文にあたる

11月28日(火)

体中が痛いのは、薬を変えたせいだろう。先々週に変えた薬の副作用が、いまになってようやく牙をむきだしたのである。もちろんそれだけではなく、自らの運動不足も祟っている。

ということで、昨日の大がかりな作業も、今日の納品の立ち会いも、全盛期の半分以下の体力でかろうじて終えた。

1月末の韓国での国際会議の原稿も、今月末締切なのだが、まだ仕上がってはいない。

以前に大変お世話になった方から、メールをいただいた。原稿を書いたのだが、事実関係が間違っていないか不安なので、確認してほしいという内容だった。

添付されたPDFファイルを開くと、けっこうな分量の原稿である。短い期間だったが僕はこの方と一緒に仕事ができたことがよい思い出として残っている。わざわざ僕に事前の確認を求めるということは、先方もどうやらそう思ってくれているらしいと解釈した。そういう人の原稿を読んでも、まったく苦にならない。むしろ頼ってくれることがありがたかったので、よし今日は、空いている時間をすべてこの原稿の校閲に使おうと決めたのである。

業務が終わり、職場の図書室に籠もり、すでに再校となっている組み原稿をアタマからチェックした。読みながら気になるところを青い字で書き込んでいく。文章はわかりやすく、興味を引く表現をしているので、もちろん地の文はまったく直さず、データだとかそういったものをチェックするだけにとどめた。それでもけっこうな直しが入った。

僕はそれを数時間で仕上げ、先方に返送した。自分の原稿なら、こんなに熱心に、そしてこんなにテキパキと校正は終わらせないだろう。やはり読んでいて苦にならないのはその人を信頼しているからである。何度もくり返すが、「文は人なり」である。

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引き出し狂想曲

11月20日(月)

5月に、韓国から突然訪れて対応に苦慮したY先生

それからしばらくして、うちの職場にある「大きな引き出し」を見せてほしい、という連絡が来た。

実は5月にいらしたときに、「9月頃に、こちらにある大きな引き出しを見てみたい」という話をしていたのだが、9月になってもいっこうに話が来ないので、あの話はなくなったのだな、と安堵していたら、10月半ばになってメールが来て、11月後半に「大きな引き出し」を見てみたいと、正式な申請書が送られてきた。具体的な候補日も書かれていて、「このうちのどれかの日に見たいです」という。

さあ、この連絡を受けて、担当事務は上へ下への大騒ぎ!なぜなら、大きな引き出しは倉庫から出し入れするのに、ひどくめんどうなのだ。並大抵の面倒くささではない。なにしろ引き出しの大きさは2メートル四方もあり、ひとりで運べる大きさではない。当然、雑な扱いはできないから、ひとつひとつ台車に乗せて運ぶ必要がある。

しかも引き出しの数は12枚ある。引き出しは一つずつしか運べないから、倉庫と見学部屋との間を12往復して運ばなければら七位のである。

しかし、その大変さについて知っているのは、職場内のごく一部の人間である。当然、韓国のお客さんは、そんな大変な作業が必要だなんて知るよしもない。だから、「スナック感覚」で申し込んできたのだ。

申し込まれた以上は断るわけにはいかない。しかも韓国のお客さんなので、断ると外交問題に発展する。さあ、ここから大がかりな「引き出しプロジェクト」が始まる。

まず、当日のタイムテーブルを作る。先方の希望は12枚全部の引き出しをみたいと言うことだったが、最後の3枚はあまり見ても意味がないだろうと判断し、先方に「最後の3枚は見なくてもいいですよね」と私が交渉し、先方の了解を得た。これだけでも、ずいぶんと省力化が図れることになる。

事前に入念なシミュレーションをおこなうと、少なくとも引き出しを運ぶのに10名くらいの人が必要だということが判明し、職場から人をかき集める。

韓国からのお客さんは全部で3人。この3人は当日の朝から引き出しを見る気満々なので、当然、前泊をしなければならない。その前泊の手配も僕のほうでおこなった。で、僕も、何かあっちゃいけないと思い、職場の近くに前泊することにした。それが前日の日曜日。

さて月曜日の今日。

朝からお客さんがやってきて、とりあえず荷物置き場や昼食会場として確保した会議室にお通しする。実はお客さんは韓国から来た人だけでなく、日本在住の方も「大きな引き出し」を見に5人来ることになっていたので、合計8名のお客さんである。

僕は8名のお客さんが到着したことを確認し、「準備ができたらお呼びしますのでこの部屋で待っていてください」と言ってすぐに走って倉庫に向かう。

倉庫では、「大きな引き出し移動作戦」がおこなわれようとしていた。ありがたいことに総勢10名ほどのスタッフが力を貸してくれるという。僕はいちおう現場監督の役割のような者なので、僕がいないと作業が進められないことになっていた。

お客さんのアテンドもして、同時に倉庫から「大きな引き出し」を出す現場監督もするのは、なかなかしんどい。

予定より少し遅れて、9枚出す引き出しのうちの4枚を出して、見学場所に並べた。ちなみに見学場所は、大きな引き出しを4枚並べることで限界の広さである。まずは4枚を見てもらって、午後に残りの5枚を見てもらうことにしたのだった。

そのうちに昼食休憩の時間になった。お客さんには、荷物置き場兼昼食会場である会議室に戻ってもらい、彼らが昼食を食べている間、今度は午後の部の準備である。

午前に並べた4枚の引き出しを1枚ずつ倉庫に戻し、こんどは5枚の引き出しにすべて交換しなければならない。でも見学場所には一度に5枚は並べられないから、最後の1枚は台車の上で待機させ、頃合いを見て、4枚のうちの1枚と交換する。これもまた重労働である。

しかしなんとか予定の時間までに、韓国のお客さんには9枚すべての引き出しを、心ゆくまで見てもらった。最後の3枚をオミットしておいてよかった。ちょうどいい時間に終了した。

この間、僕はお昼休みの30分だけで、あとはずっと「大きな引き出し」とつきっきりだった。

韓国からのお客さんは、いずれも満足そうな顔をして、「おかげで引き出しをよく見ることができました」と言った。そりゃあそうだ、そのためにこっちはまる一日時間を潰して、献身的に準備したんだから。

「韓国に来たら必ず連絡してください。ごちそうしますから」

とお決まりのセリフを言って別れたが、お気持ちだけ受け取っておきます、という思いで、「また会いましょう」といって別れた。

…ナンダカヨクワカラナイ文章でしょう。こっちは半分眠りながら書いているのだから。

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憂鬱な年末調整

11月16日(木)

すっかり失念していたのだが、今年度から年末調整が、紙で提出するのではなく、パソコンに入力する方式に代わったのだった。

いよっ!デジタル社会!

今年度から入力方式になりますよ、と連絡が来たのが11月2日(木)。入力の締切を確認すると、11月16日(木)厳守だった。

何だ、けっこう時間の余裕があるじゃん、と思っていたら、意外と余裕がないことに気づいた。

通知文をよく読むと、職場の外からは入力できません。職場内でのパソコンからしか入力できません、とある。

ゲゲッ!

翌3日(金)から3連休、5日(日)から11日(土)までの1週間は妻が出張で、保育園の送り迎えは僕がやらないといけない。もちろん送り迎えの合間に出勤するのだが、職場には短時間しかいられず、仕事が多すぎて入力する時間がない。

12日(日)の休日をはさんで、13日(月)~15日(水)は「ひとり合宿」のために休暇を取った。16日(木)の日中は、車で片道1時間半ほどかかる総合病院での診察がある。

ゲゲゲッ!!職場に行って入力するチャンスがあるのは、最終日・16日(木)の午後遅くの時間だけじゃん!全然時間がない!

16日(木)、病院での検査を終えると一目散に職場に向かう。到着したのが15時半だった。

そのまま担当部署に向かう。実は入力のやり方がよくわからないので、担当事務の部屋に行ってパソコンを使わせてもらって、説明を聞きながら入力しようと思ったのだ。なんとか勤務時間には間に合った。

IDとパスワードを入れる。

「IDは何を入れればいいのですか?」

「ここで働く人ひとりひとりが持っている個人番号です。」

「ああ、あれね」

IDとパスワードを入力してログインしようと思うのだが、何度やっても「IDが間違っている」という表示が出る。

おかしいなあと思ってIDを見直してみたら、自分の個人番号ではなく、銀行の口座番号を入力していたのだった。間抜けな話だ。

あらためて個人番号とパスワードを入力したら、ようやくログインができて、入力すべき項目を開くことができた。

「え~っと、この欄は何だっけ?これでいいのか?」

「ここの記入欄は何も入力しなくてよかったんだな?」

と、ブツブツと独り言を言いながら入力していくのだが、1回もエラー表示を出さずに入力できたページは、ただの一つもなかった。エラーが出るたびに原因を究明するのだが、そのすべては私のタイプミスである。

結局、年末調整の書類を入力するだけで1時間もかかってしまった。

しかしまあこれからは徐々に慣れていくのだろう。慣れていけば、紙で書くときより大幅な省力化が図られるはずである。これぞデジタル化社会である。

「すみません。ところで保険会社から年末調整に必要だというはがきが来たのですが、どうすればよいのですか?」

「台紙にのりで貼って提出してください」

えええぇぇぇっ!!!そこはアナログなのかよ!

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経緯説明

先日、偉い人と偉い人がちょっとしてことで揉めはじめた。

僕からしてみたら、些細な行き違いに過ぎないと思うことだったのだが、一方の偉い人が、腹に据えたのか、事情を知る僕のところに、

「どないなってんねん」

と、経緯を説明しろというメールを送ってきた。

日曜の午前に仕事のメールなんて勘弁してくれよ!と思ったのだが、こういうときは事態を早く収拾しなければ、よけいにこじれることになる。

僕はメールをもらってすぐに、経緯を説明するメールを書き始めた。

こういうときは、足下をすくわれないように時間経過を含めてできるだけ具体的に書くのがよい。

経緯説明の中で、僕を含めた複数の登場人物が実名で登場するのだが、僕の見立てでは、今回の件に関してはだれも悪くない、だから、偉い人の怒りの矛先がだれにも向かないよう、経緯を注意深く書く必要がある。だれに責任を押しつけるわけでもない、という書き方が重要である。

当然僕も、何も悪くないのだが、かといって開き直るわけにも行かないので、あるていど自分の落ち度にも触れておく必要がある。しかし、落ち度を自覚していることを述べるていどで、謝ることはしない。

こぶしを振り上げそうにしている偉い人のプライドを傷つけないように書くのも、当然である。

しかも、全体が嘘くさくならないように、自然な文章を心がける。

こうしたことを考慮しながらメールを書き始めると、けっこう長い文章になってしまった。

しかし、全方位に配慮した、われながら奇跡の文章である(と自画自賛)。

そして翌日の月曜日、ふたりの偉い人は、和解した。

やれやれである。

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催促は金曜日の夕方にやってくる

9月22日(金)

山ほど原稿を書くということは、山ほど校正がやってくる、ということである。

何度も書いているが、僕は校正が大嫌いである。世の中から校正がなくなれば、僕は憂鬱な気持ちからいくばくか解放されるのだが。

校正、といってもいろいろなパターンがあって、出版社を例にとると、出版社の側であらかじめ、不審な箇所を鉛筆書きでメモして、これは正しいですか、とか、こうしたらどうですか、などとアドバイスをくれて、そのアドバイスに倣って修正をしていくパターンがある。いわゆる「校閲」というものである。

そのあたりの苦労話は、牟田都子さんの『文にあたる』(亜紀書房)にくわしい。

そうかと思えば、入稿した原稿を版下にした状態のものを、そのまま送りつけてくる出版社が居やがる。ムーディー勝山よろしく、「右から左へ受け流す~♪」とばかりに、校閲なんて関係ねえ、著者が自分で全部校正しろよ、ということなのだろう。

心なしか、最近は後者のパターンが多いような気がする。

最近、依頼されて、ある新書のうちの数ページ分だけ原稿を書いたのだが、入稿したらすぐに初校が送られてきた。来た来た。例の「右から左へ受け流す~♪」のヤツだな。

初校、再校と終わり、その新書はつい最近、電光石火の如く刊行された。送られてきた僕の文章を読み直してみると、1ページ目からさっそく「変換ミス」が見つかった。「あちゃ~」(死語)である。僕はさっそく編集者にメールをしてその事実を伝えると、

「気がつきませんでした」と。おいおい、気がつきませんでしたで済む問題かよ!

校閲が入らないということは、畢竟、著者のみが校正にかかわることになり、第三者の目で読んでくれる機会を失ってしまうのである。しかし昨今は、経費節減なのか、校閲者は絶滅危惧種になり、すべての責任を著者に押しつけようとしている。これではますます校正をするのがイヤになる。

最近は「校正」と聞くと、怒りが沸々と湧いてくるまでになりつつある。

今日なんぞは、怒りが爆発しそうになった。

以前にも書いた、あるプロジェクトで成果物を出すという仕事、結局今年の3月までに出すなんてことは到底できず、1年延期されることになった。いや、1年どころでは済まないようなスピード感である。

ようやく初校が出たのが、今年の7月くらいなのだが、僕はそこにけっこうな分量の文章を書いていて、初校の分量に圧倒され、しばらくは初校を見ないようにしていたのだが、9月初頭くらいに「初校はどうなってますでしょうか」とメールが来て、急いで校正をして、事務局が用意してくれた返信用のレターパックライトに入れて9月の初めくらいに郵便ポストに投函した。

やれやれと思っていたところ、今日の夕方5時頃、事務局の担当者からメールが来た。

「さて9月もう後1週間を残すのみとなりましたが、お忙しい中いかがお過ごしでしょうか。大変にお忙しいとは存じますが、執筆分担部分の校正原稿の返信をお願い申し上げます」

えええぇぇぇっ!!!以前に送ったはずなのに~!!!

送ったつもりだったのに、実際には送っていなかったのだろうか???

いや、送ったという記憶はたしかにあるぞ!…しかし最近、物忘れがひどくなったから、ほんとうは送っていないのかも知れん…。

などと、頭の中の思考回路がグルグルと回り始めた。

僕はすぐに、「送ったと記憶していますが、記憶が不確かなのですぐに送ります」と返信を書いたものの、直接電話した方が早いや、と思い、事務局に電話をかけたのが午後6時。

何回コールしてみても、先方は電話に出る様子がない。はは~ん。これはもう退勤したな。

考えてみれば当たり前である。相手は長らくお役所仕事をしていて、再雇用でいまのプロジェクトを担当している高齢者のおじいさんなのである。定時で帰るのも無理はない。

(遅かったか~)

僕は冷静になって、仕事部屋を探したが、送り損ねたかもしれないレターパックライトは、ついに見つからなかった。

その代わりに、郵送する前にコピーをとって保存していた初校控を発見した。思い出した!僕はコピーを1部とって控えにしていたのだ。その枚数は、A3の紙のサイズで数十枚あった。

しかもご丁寧に、僕はそこに、レターパックライトから剥がした、問い合わせ番号が書かれているシールを貼っていた!ふつうは捨ててしまったり、どこかへ行ってしまったりしてわからなくなってしまうものだが、今回に限っては初校控にちゃんとシールを貼っておいたのが、功を奏した。

あんなシール、あってもなくても関係ねえ!と思っていたが、大きな勘違いである。あのシールって大事よ!

問い合わせ番号が書かれたシールにはQRコードがあって、それをスキャンすると、郵便局のホームページに飛んで、しかも、その問い合わせ番号の荷物が、何月何日に届けられたか、届けた取扱局はどこか、まで懇切に記録されている。

僕はさっそく事務局にメールをした。

「何度も申し訳ございません。鬼瓦です。
仕事部屋に、第○章の初校の控え(コピー)がありました。そこに投函した際にはがした、レターパックライトのお問い合わせ番号を書いたシールを私が貼付しておりまして、
○△□×-◇■○×-△□◆●
という番号でした。
この番号で、郵便局のホームページで検索してみると、配達状況がわかります。
それによりますと、以下の通りでした。

引受
9月8日 16:57
取扱局:Y郵便局(○×県)

到着
9月9日 05:20
取扱局:M郵便局(東京都)

お届け先にお届け済み
9月9日 15:05
取扱局:M郵便局(東京都)

これによると、9月9日に届いているはずですので、至急ご確認いただければと思います。
もし届いていない場合は、最初にお示しした12桁のお問い合わせ番号で、まず取扱局にお問い合わせいただけますでしょうか。

もしそれでも届いていないということでしたら、あらためてお送りいたします。その場合、投函する日は、9月25日(月)になりますことをお許しください」

噛んで含めるような書き方をするときの僕は、怒りに震えているときである。

校正にまつわるトラブルは、ほんとうに勘弁してほしいと思ったが、事務局の担当者は、再雇用の高齢の方ということもあり、自分のキャパシティを越える仕事量をさせられてパニックに陥っているのではないか、とも想像した。

結果がわかるのが週明けの月曜日なのだが、はたして僕の郵送したレターパックライトが無事に届いていることを確認してもらえるだろうか。

やれやれ、と思って帰ろうとすると、もう1通、メールが来た。今度は職場の担当者からのメールである。

「2022年度版の当社の業務報告の再校のご確認について、本日を期限にお願いしておりました。お忙しいところ申し訳ございませんが、修正すべき箇所がございましたら、お知らせいただければ幸いです。とくにない場合には、ご返信には及びません」

また校正の催促かよ!!ま、ギリギリまで出さなかった僕が悪いにしても、もうちょっと早くリマインドしてくれたらよかったんじゃないの?なにしろこっちはいろいろな原稿や校正に追い立てられて、職場の業務報告書のことなんぞすっかり忘れていたんだから。いったん無視して、帰途につく。

…と、ここで思い出した。「催促は金曜日の夕方に来る」の法則だ。

原稿でも校正でも、一般的に金曜日の夕方に催促が来るのは、先方の発注者が金曜日に催促をしてしまえば、あとは週明けによろしくね、ってな感じで、自分たちは週末を謳歌できるからである。そのため、受注者である書き手は、土日を使って原稿を書いたり校正をしたりする羽目に陥ってしまうのだ。

つまり、催促する側が、金曜日の夕方に最後っ屁のような催促をして、「ボールはそっちに投げたから、週明けに投げ返してきてね。こっちは週末を謳歌するから」ってなものである。

業務報告の校正のほうは、いっそめんどくさいから何も見ずに「修正すべきところはありません」と返信しようかと一瞬思ったが、逆に修正を見つけてやろうと思い立ち、帰宅後に目を皿のようにして修正箇所を探したところ、実際修正すべきところがいくつも見つかって、校正を真っ赤にしてメールに添付して返信した。

結果的には修正すべき箇所が見つかってめでたしめでたしだったわけだが、これからは金曜日の夕方が来るのが怖い。

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おつりで生きる

9月19日(火)

今日は職場で朝から夕方まで1日中忙しかった。

明日の早朝から1泊2日の出張である。

ちょっと戻って、9月16日(土)の話。

その数日前、あるプロジェクトを一緒にしている、僕より少し若い仕事仲間からメールが来た。

9月15日(金)に、広島の原爆関係の聞き取り調査で、鬼瓦さんの近くの職場に行きます。もう一人、その聞き取り調査のために広島からお客さんが来るのですが、せっかくなので1泊して、翌16日の午前中から鬼瓦さんの職場に広島からのお客さんをお連れしたいと思うのですが、この日は空いてますか?できればせっかくなのでご挨拶したい、という内容だった。

三連休の初日なので、休みたかったが、その仕事仲間には忙しいという理由で最近はいろいろと不義理をしているし、なにより広島からわざわざお客さんが来るとなれば、行かないとは言いづらい。

朝に家の用事を済ませてから家を出ます、家から職場まで車で2時間以上かかるので、ちょっと遅れますけどいいですか、というと、来ていただけるだけでありがたいです、と返信が来た。職場の業務ではないから、たんなるボランティア出勤なのだが、まあ仕方がない。当日の朝、家の用事を少し済ませてから、車で2時間以上かけて職場に向かった。

お昼前に職場に到着すると、すでに仕事仲間と広島からのお客さんの二人が来ていたので合流した。

その広島からのお客さんというのは、原爆の被害に遭った関係者の方なのかなと思っていたのだが、そうではなく、広島の大学の学部4年生だった。

しかしその大学生は、自分が小学生の時に、8月6日に行われる広島の平和記念式典で作文を読み上げたという。つまり、広島のこと、平和のことを子どものころから考えてきた若者だったのだ。で、いまは広島の大学に通っていて、卒業後は大学院に進学したいと希望しているという。

お昼過ぎになったので、職場見学をいったん切り上げて、職場の食堂でいろいろとお話を聞いた。

いま大学4年生ということは、2020年4月に入学した、ということである。つまり、入学したと同時に、新型コロナウィルスの感染対策による行動制限を強いられたのである。当然、大学に通うことなどできず、授業はすべてオンラインとなった。

「サークルにはいりたかったし、アルバイトもしたかったんですけど、何もできなかったんです」

小学生の時に8月6日の平和記念式典で作文を読み上げた若者である。何ごとに対しても関心を持ち、いろいろな人たちとコミュニケーションをとりたい、というタイプの若者であることは、そのたたずまいからもわかる。

「でもその代わりに、だれにも会わずに、本を読んだり映画を観たりする機会が圧倒的に増えました。それって、いいことですよね」

僕は10代の終わりから20代前半のころの自分を思い出して答えた。

「僕が大学生とか大学院生とかの時は、ヒマでヒマでしょうがなくってね。仕方がないので本を読んだり映画を観たり、名曲喫茶に行ったりして時間を潰していたんです」

そう言うと、仕事仲間も、大学4年生も笑った。

「いまはそのおつりで生きているようなものです」

と言うと、さらに二人は笑ったのだが、僕が言ったことには、かなりの真実が含まれている。

当然のことながら、いまはヒマでヒマでしょうがなかった大学の時のように、フットワークを軽くして映画を観ることなどできないし、仕事に必要な本以外の、自分の読みたい本を買っても、忙しくて読む暇がない。

しかし、若いときに観た映画(そのときにロードショー公開されていたものだけでなく古い映画も含めて)や読んだ本が、いまでも「話の泉」となる場面に何度も出会うのだ。

いま流行りの言葉でいえば、インプットとかアウトプットって言うの?あんまり好きな言葉じゃないが。

「芸は身を助く」ならぬ、「エンタメは身を助く」なのである。

いまはわからないかも知れないけれど、30年経てば、その大学生も実感するかも知れない。

遅い昼食をとったあと、今度は僕の解説をまじえて、職場見学をしてもらった。仕事仲間によると、「飽きてしまうかも知れませんよ」と前もって言われていたのだが、その大学生は飽きるどころか、営業時間が終わるまで目を輝かせていた。

もう会うこともないだろうが、その大学生に幸あれ、と思わずにはいられない。

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慌ただしい昼食懇談会

8月25日(金)

8月の初頭だったか、韓国のHという会社の知り合いRさんから久しぶりにメールが来た。

「うちの社長が8月25日の夕方4時に都内のセレモニーに出るのですが、その前に、昼食をとりながらおたくの会社の社長と懇談をしたいというのです。その日の社長のご予定はいかがですか?」

さっそく秘書にたずねてみると、24日当日は社長が休暇をとる日だという。

韓国のHという会社は、7年くらい前からわが社と交流協定を結んでいて、それにもとづくイベントなども数々おこなってきた。当初からその窓口担当になっていたのが僕だった。一方で相手方の窓口担当はRさん。それでRさんから僕のところに久しぶりにメールが来たのである。コロナ禍は連絡が途絶えていたから、ほぼ4年ぶりくらいである。

僕はすっかり忘れていたのだが、Rさんとはカカオトーク(カトク)の友だち登録をしていた。カトクとは、日本でいうLINEとほぼ同じもので、韓国ではLINEよりもカトクの方が利用者数が多い。僕もカトクにはアカウントを作っていたので、いつの間にかRさんとのコミュニケーションツールがメールからカトクに変わった。

「25日のご予定はいかがですか?」とカトクで頻繁に聞いてくるので、「いまは社長は夏期休暇中なので、8月10日(木)に聞いてみます」

と答えると、8月10日当日になって、「今日は社長と打ち合わせする日ですよね。予定が大丈夫か確認をお願いします」という念押しのメッセージが来た。とにかく、かけてくるプレッシャーがすごい。社長に対して下手を打たないようにかなり神経を使っているように見受けられた。

8月10日、社長室に行く。

「社長、この日(25日)は休暇をお取りになる予定ですよね…」

「かめへんよ。わが社にとっては会っておいた方がよい会社なら会うよ」

「そうですねえ。いままでの交流実績を考えると、会っていただいた方がよいと思います」

「よしわかった。じゃあ休暇を返上して会おうじゃないの」

かくしてうちの社長の予定は大丈夫だとRさんに伝えると、Rさんはひどく喜んだ。

さあたいへんなのはここからである。

まずは社長に、これまでのH社との交流実績をレクチャーし、懇談の話題となるような素材を提供する。

一方、先方との実務的な話は、H社のYさんとメールで打ち合わせることになった。Rさんは来日せず、実質はYさんという若い社員が段取りを組むらしい。

Yさんから聞いたスケジュールがタイトだった。

25日当日の11時20分に飛行機が到着し、その後、わが社に車で直行する。懇談が終わったあと、また車に乗って都内に向かい、16時開始のセレモニーに参加することになっているという。あいかわらず、予定を詰めるのが好きな国民性だな、と思う。

逆算すると、おそくとも14時にはわが社を出ないと、都内のセレモニーには間に合わない。ということは、ほとんど昼食をとる時間しか確保できないではないか。

しかも昼食は、社外に出て小洒落たお店に行く、などという時間的余裕はない。そもそも、わが社の周りには小洒落たお店がまったくないのだ。

そうなると残る選択肢はただ一つ。社長室で弁当を食べながら懇談する、という選択肢である。

当然、コンビニの弁当というわけにはいかない。高級弁当を注文しなければならない。

弁当を注文するということは、あらかじめ懇談(会食)に参加する人数を把握しておかなければならない。僕はYさんにそのことを確認した。

「当日は何人いらっしゃいますか?」

「社長と、部下2人と、通訳1人と、運転手です」

「すると5人が会食に参加するのですね?」

「いえ、運転手は会食には参加しません。別行動です」

ということで先方の弁当の数は4個。わが社は社長と僕の2人だから弁当の数は2個。ということで弁当の数は6個と確定した。

「プレゼントはどうしよう…」

向こうもお土産を持ってくるだろうから、当然こっちもお土産を用意する必要がある。いわゆるプレゼント交換である。これも吟味して決めていった。記念撮影もしなければならないからちゃんとしたカメラも用意しなければならない。

ほかにも当日の段取りや席次など、細かい準備を詰めていく。

先方のYさんとは、カトクの友だち登録をしたので、

「当日の連絡はカトクでやりとりしましょう。空港について車に乗ったら連絡ください」

「わかりました」

で、いよいよ8月25日当日を迎えた。

11時20分到着のはずが、待てど暮らせど連絡が来ない。航空会社と空港のホームページで運航状況を確認すると、到着時間が遅れるらしいことが書いてあった。

1時間後の12時20分頃、Yさんからカトクにメッセージが来た。

「いま車に乗りました。30~40分ほどかかると思います」

その後、ちょっと道に迷ったようで、ご一行を乗せた車がわが社に着いたのが12時50分過ぎだった。

(これでは滞在時間が1時間しかないじゃないか…)

僕はご一行を玄関でお迎えして、あいさつもそこそこにすぐに社長室に連れて行った。まずはプレゼント交換、次に記念写真、いよいよ昼食懇談会が始まるという頃には、13時をまわっていた。

(あと1時間しかない…)

わずか1時間だったのだが、双方の社長の座持ちのよさで、話は思いのほか盛り上がり、いい雰囲気のまま昼食懇談会が終わった。

先方の社長は、社交辞令なのかもしれないが、うちの社長と僕をいたく気に入ってくれたようで、「ぜひお二人で韓国にお越しください。そのときは歓待いたします」と何度もくり返した。

よほど機嫌がよかったのか、あるいはこれが本題だったのか、

「コロナ禍をはさんでしまったが、これからもますます実質的な交流を頻繁に行っていきましょう」

と先方の社長は言った。海外交流を進めることは、先方の社長にとって実績を積むことであり、さらなる出世につながることなのだろう。

なかなかの盛り上がりだが、実際に交流イベントをやることになったら、結局窓口担当である僕に全部仕事が回ってきてしまうなあ、と少し複雑な気持ちになった。

ともあれご一行は、滞在時間が1時間しかないなかで、結局談笑しながらお昼のお弁当だけ食べて、怒濤のように去っていった。

「結局お昼だけ食べて、肝心なことは何も決まらなかったなあ」

「外交儀礼なんて、そんなものです」

「そうだな。外交儀礼としては成功だったな」

社長は、まんざらでもない、という顔をした。

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デジタル化社会(笑)

6月27日(火)

大変な事態が起きている。

打ち合わせにめずらしく職員さんが遅れてやってきた。この打ち合わせというのは、数日後に行われる会議の下準備のためにおこなわれるもので、会議当日に配布する資料を検討・修正して、本番までに正式な会議資料を作り、会議の段取り(DDR)を考える、といったことをする。僕が会議の議長なので、僕もその打ち合わせに出なければならないのだ。

遅れるだけでなく、その会議資料の草案というのも、いつもにくらべてかなり不十分な仕上がりである。いつも堅実な職員さんが、一体どうしたのだろう?

「すみません」

「何かあったのですか?」

「実は…」

と、その職員さんが話し始めた内容というのが、実に驚くべきものだった。

うちの職場に限らず、うちと同業種の会社では、全国的に、「紙の刊行物」を廃止して、デジタル化を進める方向にある。かくいううちの職場も、その流れに与している。

で、そのデジタル化のシステムというのは、ほぼ全国の同種の会社がこぞって、ある一つの機関から提供を受けている。いわば、全国の会社が、そのシステムに頼ってデジタル化を進めていると言ってよい。

で、そのデジタル化のシステムが、この6月にバージョンアップすることになり、バージョン2からバージョン3に移行するという通達が来た。

しかし、このバージョン3というのがくせ者で、バージョンアップした途端、とんでもない不具合を生じた、というのだ。

たとえば、ある言葉を検索にかけると、不正確な検索結果が出る、とか、日本語で検索しているのに、検索結果がなぜか英語で出てくる、とか、人の名前を漢字で検索すると、なぜかカタカナになって出てきたり、とか。

職員がその問題点をまくし立てるようにしゃべるので、聞いていて、どういう状況なのか今ひとつわからないところもあるのだが、とにかく、バージョン3というのが、正常に動作していない、ということだけはよくわかった。

うちの職場だけなのだろうか、と思って、システム提供元に問い合わせをしてみようと、問い合わせフォームみたいなところをのぞくと、すでに全国の同様の会社から、システム提供元に対して、「更新したシステムに不具合があるのでなんとかしてください」という問い合わせが、山のように来ていることがわかった。つまり、うちの職場だけの問題ではなく、明らかにシステムそれ自体に不具合があるのだ。

しかし、当のシステム提供元は、自分たちの責任ではない、といわんばかりに、「もし不具合がある場合は、このマニュアルに沿って修正してください」みたいな回答が来る。つまり、現場でなんとかしろ、というわけだ。

えええぇぇぇっ!!明らかにもとのシステムじたいに不具合があるのに、何で現場レベルで個別に修正しなければならないのか?システム提供元から提供されたそのマニュアルというのも、きわめてわかりにくいもので、およそ現場でスムーズに対応できるようなマニュアルではない。

しかし、放っておいたらおいたで、利用者が不便な思いをするし、混乱を招くことになる。仕方がないので、現場の職員が手作業で一つ一つのデータについて修正することになる。結果的に無駄な仕事が増え、肝心な仕事に取りかかれないという本末転倒な事態になる。

ここまで書いて、わかったかな?書いている僕自身はよくわかっていないのだが。

とにかく、現場があまりに理不尽な仕打ちを受けているので、システム提供元に「いったん白紙に戻して、システム自体を再構築してからバージョンアップしたらどうですか?」と進言する会社がいくつもあるそうなのだが、システム提供元は、聞く耳を持たないという。

こりゃあ、署名でも集めて直談判するしかないんじゃないか、という動きもあると聞いて、いよいよ事態の深刻さを実感した。

この事案は、あまりにわかりにくい話だし、多くの人々にとってはあまり関係のないことだから、ニュースで取り上げられることはないのだが、しかしながら重大な問題であることには違いない。

ここまで読んだ賢明な読者はおわかりだろうか。これは、今直面している、マイナンバーカードのシステムの不具合とそれに対する対応の仕方と、うり二つである。

これはいったい何を意味するのか。

この国のデジタル化事情が、マイナンバーカードに限らず、そもそもきわめてお粗末な状況である、ということ。

システムの不具合に対して「システムに問題はない」とかたくなに信じていることもまた、この国の「デジタル話法」である。その結果、しわ寄せが来るのはいつも現場の人間である。

つまり、マイナンバーカード問題は、この国のデジタル化のお粗末な事情に照らして、起こるべくして起こった騒動なのである。似たような騒動は、見えないだけで至るところで起こっているのだ。

菅原文太さんが生きていたらこう問いかけるだろう。

「デジタル化って、何かね?」

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ワンオペDDR

6月15日(木)

今日から2日間、某国から5名のお客さんがうちの職場を訪問する。僕が最初から最後まで、一人でアテンドしなければならないのがツラい。

2日間のスケジュールを考え、そのために必要なことを職場の中で根回しをし、必要な資料を作成し、それを人数分コピーして封筒に詰める、といった準備作業をして、ようやく当日を迎えた。

午前9時半過ぎにご一行は到着し、午前中は3時間ほどの座学を行う。そして昼食休憩をはさんで、午後は3時間、休憩なしの立ちっぱなしの研修を行い、もう最後の方は疲れてしまい説明すべきことを端折ったりして、何を喋っているかわからなくなった。

そしてそのあとは懇親会である。体調を考えるとできれば遠慮したかったが、ホストなのでそうも言っていられない。懇親会は2時間半に及んだ。

唯一の救いは、今回の来日で通訳をつとめた日本に留学経験のあるKさんである。

僕も言葉がわからないし、先方の訪問団のボスもまったく日本語がわからない。Kさんは命綱なのである。そのKさんは、日本語の通訳が完璧にうまいというわけではないのだが、人柄がとてもよく、「愛すべきキャラクター」といえる。そのことで、私もアテンドのモチベーションを保つことができたといえる。

しかし、不思議なもので、まったくわからない言語でも、注意深く聞き続けていると、なんとなく単語の意味がわかってくるし、単語の意味がわかってくると、話の文脈がなんとなく推測できるようになってくる。ちょっと某国語を勉強しようかな、という気になるから不思議である。たぶん忙しくてやらないだろうけれど。

6月16日(金)

午前中の研修の段取り(DDR)に思いのほか時間がかかることがわかった。もっと前から準備しておけよ、と言われるかも知れないが、管理が厳重なので、前もってDDRしておくわけにはいかないのである。

仕方がないので、お客さんが来てから、DDRを始めることになる。なにしろワンオペなので、お客さんの相手をしながら、DDRもするという離れ業はかなり難しい。少しお待たせすることになってしまった。

待てよ、DDRにこれだけ時間がかかるということは、撤収にも時間がかかるということか。午後には午後で別のDDRがあるので、午前にDDRしたものはお昼休みのうちに撤収しておかないと、後々たいへんなことになる。ということで、午前の部が終了するとお客さんたちに対しては少し長めの昼食休憩を取ってもらうことにし、その間に僕が一人で撤収をすることになった。そして撤収のあとは、引き続き午後のDDRである。このDDRも思いのほか時間がかかり、結局昼食をとることができなかった。

午後の研修もなんとか形になってめでたしめでたしだったのだが、こんどもまたひとりで撤収作業をしなければならない。その間、自由時間ということでお客さんたちを職場見学をしてもらうことにした。

必死に撤収作業をして、客人の控え室に向かうと、約束の時間にだれもいない。

しばらくして客人の一人が、

「すみません。職場見学が面白くてもっと見学したいので、もう少し時間をください、とボスが言っています」

「いいですよ」

結局、予定の時間を1時間ほど延長して、2日間のワンオペDDRは大団円を迎えた。

この「2日間耐久DDR」を、ひとりでやり遂げた自分を褒めてあげたい。

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