クリーニング作業

登場人物の多い一日

3月14日(土)

前の勤務地で続けていたボランティア活動の、年に1度の定期会合である。毎年、3月11日の前後に行われる。

集会室のような部屋に、多くの人たちが集まった。

「あ、先生!」

最初に私に声をかけてくれたのは、人生の大先輩、傘寿を越えたIさんである

「昨年は忙しかったですけど、今年こそはまたこちらで調査したいものです」と私。

「その時は、ぜひ声をかけてください」

「はい、必ずご連絡します」私は約束した。

次に声をかけてくれたのは、「特急のすれ違う駅の町」につとめるSさんである。

一昨年から、「特急のすれ違う駅の町」で私がお手伝いしていた仕事が再開することになったのだが、Sさんは、その担当者であった。

まさかこんなところでお会いするとは、私はびっくりした。「特急のすれ違う駅の町」からここまでは、ゆうに3時間はかかるはずである。

全然別のところで一緒に仕事している人と、その仕事とは全然違うことで、また別の場所で会う。人間のつながりというのは、まことに面白い。

「ダブルKさん」(ダブル浅野的な意味で)と会う。まずは「前の前の職場」のKさん。

「こぶぎさんはお元気ですか?」と私。こぶぎさんの連絡先を知らないので、その消息はKさんに聞くしかない。彼のブログで消息を知ろうと思っても、いまアップされている記事はすべて1年前に書かれたものばかりで、消息を知るにはまったく役に立たないのだ。

「最近は、スキーにばかり行っているみたいですよ。冬は雪のために自転車が乗れないそうなので」

あの運動嫌いなこぶぎさんが、今はもうすっかり自転車とスキーにはまっているのだから人生というのは、本当にわからない。

次に世話人代表のKさん。

「職場が変わっても、お客さん、少ないでしょう」

私に会うなり言った言葉である。私は昔から、マイナスオーラを出す人間なので、イベントを企画しても人がほとんど集まらなかった。そのことを知っているKさんは、今の職場でもそうなのだろう、という意味で、そう言ったのである。

私に会うと、相変わらず口が悪いのだが、その口の悪さは、おそらく父親譲りなのだろう。長いつきあいなので、もうすっかり慣れてしまった。

「どうして、私たちにちゃんとお別れを言ってくれなかったんです?」

そういえば、昨年3月にこの地を去るとき、ボランティアの仲間たちにちゃんとお別れを言わないまま、引っ越してしまったのだった。引っ越しが忙しかったということもあるが、お別れの言葉を言ってしまうと、何となく関係が切れてしまうような感じがして、言い出せないままこの地を離れたのである。

「それは、その…、いつでもまた戻れるように、と思って…」私はKさんに言った。

続いて、卒業生の「ダブルT君」(ダブル浅野的ではない意味で)。

会合の総合司会を後輩のほうのT君が担当し、閉会の言葉を先輩のほうのT君が担当した。

彼らの成長ぶりに、驚いた。

とくに、T君の閉会の挨拶は練った内容で、喋りの技術が格段に進歩していた。場数を踏んだ成果だろう。最近は、ラジオにも出演して好評を博したらしい。

さらに二人にとって後輩にあたる、2年生のU君も、頼もしい。

そしてトリプルTさん(ダブル浅野的ではない意味で)。

残念ながらお話しする機会を逸してしまったが、この3人にお会いすると、本当に安心する。

大学院生のYさん。

この3月で大学院を修了し、4月からは、Yさんにとってはいままでまったく縁のなかった町に、就職することになった。

大学2年の時から4年間、ボランティア作業の中核として大活躍した。

それがきっかけで、研究テーマを見つけて大学院に進み、さらにこの4月からは自分の専門を生かせる職場に就職することができた。

私はボランティア活動でしかおつきあいがなかったが、まるで自分の卒業生のことのように嬉しい。

しかも、就職先は新天地だというのがいい。Yさんの大学の先輩であるK君もまた、数年前に新天地に就職したが、新天地に就職すると、人間はたくましくなるのだ。それは、K君が証明している。

仕事仲間のSさんとYさん。同志、といってもよい。

現場を何よりも大切にする姿勢を、私はこの二人から学んだ。だが二人がそれぞれ属する職場の上層部は、現場にまったく関心を持とうとしない。地道な現場が、次第に職場から排除されようとしている。

二人はこれからますます忙しい立場になるが、それでもなお、二人はぶれることなく、抗い続けるだろう。

そして最後に、同い年の盟友・Uさん。

Aさんが、2年間にわたる被災地支援の仕事から戻り、その入れ替わりで、4月からUさんが被災地支援の仕事で隣県に赴くことになった。単身赴任である。しかも仕事の現場は、私も関わりのある「特急がすれ違う駅の町」なのだ。

「朝、起きられるの?」私は心配した。奥さんがいなければ、Uさんは何もできないのではないかと思ったからである。

「大丈夫」と、Uさんは言った。

Uさんもまた、少しの間だけれど、この町を離れるのか。

先日Uさんは、いちどわが家に泊まりに来いよ、と言ってくれたが、実現するのは少し先のことになるなあ。

「特急のすれ違う駅の町」で、会うことにしようか。

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ぜんぶ雪のせいだ!2日目

2月16日(日)

結論から言うと、今日もタイヘンな1日だった。

今日も朝9時から、市の中心部にある「第一小学校に隣接した公共施設」で、ボランティア作業である。

朝8時。車が使えないので、自宅から歩くことにした。昨日から降り続いた雪はやんだのだが、問題は道路である。

雪が降り積もったためにガタガタの悪路になってしまった道を、転ばないように歩く。

1時間ほどかかって、ようやく「第一小学校に隣接した公共施設」に到着した。外は寒いのに、なぜか汗だくである。

県外から来る予定だった人びとは、たどり着く手段がなく、欠席だったが、それでも20名ほどの人が集まってくれた。

昨日に引き続き、私は別室にてパソコン入力作業の差配である。だが今日は、知り合いの先生の定年退職記念祝賀会に出ることになっていたので、作業の段取りだけ整えることにして、午前10時半に中座した。

祝賀会が終わった夕方、ふたたびこの「第一小学校に隣接した公共施設」にもどると、今日の作業はすでに終わっており、作業のあとかたづけを手伝った。

2日間にわたるボランティア作業は、なんとか無事に終わった。

この2日間、「同い年の盟友」Uさんをはじめとして、この作業の段取りを組んだ仲間たちは、本当によく頑張った。

これが同世代の俺たちの「生きざま」だと、少しは胸を張ってもいいよな、Uさん。

2日間、作業のための資材を運んだり、朝から夕方まで多くの人たちを束ねて作業したりするだけでも大変なのに、その上、この雪が、さらに私たちの体力を消耗させた。

あの大雪で、よくここまでできたものだ、と思う。

「デルス・ウザーラ」を撮影した黒澤明の心境である!

…といっても、わかりにくいか。

でも、やっぱり雪のバカヤロー!

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ぜんぶ雪のせいだ!

2月15日(土)

結論から言うと、今日はタイヘンな1日だった!

今日の予定は次の通りである。

朝9時から夕方5時まで、市内の中心部にある「第一小学校に隣接する公共施設」で、ボランティア作業である。

このボランティア作業は、今日と明日の2日間行われるが、「同い年の盟友」Uさんが企画して段取りを組んだもので、Uさんの熱意に応えるためにも、ぜひとも参加しなければならない。

それが終わると今度は、昨年3月に卒業したCさんと食事会の予定である。

昨年3月に卒業したCさんは、例の「詰めがあまい学年」の一人である。いまは隣県の職場に勤めている。

卒業してから何度か、こちらに遊びに来るついでに私のところにおしゃべりをしに来たい、とメールをもらっていたのだが、そのたびに私は、出張などで、職場を不在にしていた。

そんなすれ違いが、これまで3回ほど続いていたのだ。タイミングが合わないこと甚だしい。

そこで、満を持して今日は夕方に食事会をしようということになったのである。

さて、朝起きると、外は大雪である。

天気予報を見てわかってはいたが、それにしても朝からかなり降っているではないか。

車に降り積もった雪を払い落として自宅を出発し、午前8時45分、やっとの思いで、ボランティア作業場の「第一小学校に隣接する公共施設」に到着した。

すでにUさんは到着している。

Uさんばかりではない。Uさんの奥さんも来ていた。

今回のボランティア作業は、Uさんが人集めから場所の確保、作業の分担や弁当の手配まで、ほとんど一人で獅子奮迅の活躍をしていた。さすがに一人では手が足りなかったので、奥さんにも登場願ったらしい。

「こんな雪で、人、集まるでしょうかねえ」

心配をよそに、次々と人が集まってきた。最終的には20人以上にもおよんだ。私にとっては、初めてお会いする人ばかりである。

午前9時、作業開始時刻である。人が集まったところで、今回の企画者のUさんが、みんなの前で、今日の段取りを説明する。

「オレの生きざま、よく見ておけよ」

Uさんは奥さんにそう言うと、集まった人たちの前で、今日の段取りの説明をはじめた。

20人もの人たち、それも、お互いが初めて会うような人たちをまとめていくことは、容易なことではない。

「オレの生きざま、よく見ておけよ」

とは、そうした人たちを束ねようと努力しているオレの姿を見てほしい、ということなのだろう。

私はその言葉に、奥さんへの愛情を感じ、感動を覚えたのであった。

段取りの説明が終わり、各自がそれぞれの作業を始める。

やや落ち着いたころ、Uさんに

「生きざま、奥さんに見せることができましたね」

と言うと、Uさんは、

「オレ、どうだった?って聞いたら、『あんた、段取り悪すぎ!』と言われました」

Uさんは奥さんに言われた言葉に、かなり凹んだ様子だった。

それはさておき。

私の役目は、パソコンでデータ入力をする仕事を、束ねることである。

大人から高校生まで、10名ほどが、別室にならべられたノートパソコンの前に座り、入力作業を行う。

その作業の差配を行うのである。

私自身が慣れていないこともあり、いろいろなところに気を配らなければならず、かなり神経を使う。

それでも、順調に作業は進み出した。

だが、外は相変わらずの大雪である。

お昼頃だったか、鉄道が全面運休し、県外とを結ぶ幹線道路がすべて通行止めになった、というニュースが入ってきて、

(とうとう、ここも陸の孤島になってしまったか…)

と、窓の外で降りしきる雪を見ながら、ため息をついた。

「こりゃあ、帰れませんね」

隣県に住む作業仲間のSさんは、今日はこの近くのホテルに泊まることを決めたという。

携帯にメールが来た。卒業生のCさんからである。

「今日お会いする予定だったのですが、雪で高速バス、電車ともに運休となってしまいました。なんでこの日に限ってこんな悪天候なんでしょう!今回はぜんぶ雪のせいだということで、いずれまたお会いする機会を設けたいと思いますので、そのときはよろしくお願いします」

なんと、これで4度目の「すれ違い」である!

こうなるともう、一生会える気がしないな。神様がわざと会わせないようにしているとしか思えない。

夕方4時過ぎ、1日目の作業は終了した。

慣れないこともあり、むちゃくちゃ疲れたが、志を同じくする仲間たちとの作業は、やはり充実感がある。

夕方、車で家に帰ることにするが、降った雪の上にできた轍が凍り、大変な悪路である。

やっとの思いで家に戻ると、駐車スペースに、これまでみたこともないくらい、雪が積もっていた。

(仕方ないな。やるか…)

雪かきをしなければ、生きていけない土地なのである。

雪のバカヤロー!

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心強い仲間たち

10月26日(土)

朝9時すぎ、車で1時間半以上かかるO村に向けて出発する。昨年からはじまったO村訪問も、今回で5度目である。

このブログには全く書かなかったが、この10月は、12日(土)と19日(土)に、ほんの少しだが、ある場所でボランティア作業を行った。そして今日も、その仲間たちとの「調査」である。

この調査を取りしきるT君はこれまで、仕事の合間を見て、日程調整や、地元のKさんとの交渉などを、粘り強く行ってきた。そのことをよく知っている私が、参加しないわけにはいかない。

作業仲間の「知恵袋」であるTさんや、隣の隣の県からはるばるやってきたKさんとも、現地で合流する。もちろん、今回もまた、地元のKさんの全面的な協力をいただく。

いずれも、心強い仲間である。この活動をしなければ、知り合えなかった人たちである。

学生3人も、今回はじめて参加してくれた。

台風の影響であいにくの天気だったが、予定していた午後4時に、調査は終わった。

不思議である。

私はこの村のことが、どんどん好きになっていく。

もちろん私は、冬が来るたびにこの村が直面する、自然の苛酷さを知らない。

同時に、春を迎え、田植えがはじまったころの棚田の美しさも知らない。

しかし今日、この村の奥深くにある沼を見た。

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とても美しい沼である。

「落ち込んだときにこの沼に来たら、立ち直れそうですね」

と私が言うと、「また始まった」とばかりに周りが笑った。

実際私は、この沼を見たおかげで、昨日からの陰々滅々とした気持ちが、いくぶんかやわらいだのである。

やはり励まされているのは、私のほうであるらしい。

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そういえば、もう新そばの季節である。

今年こそはあちこちに行って、うらやましいくらい新そばを食べまくろう。

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大雨バーベキュー

7月13日(土)

50㎞離れた「前の職場」で、ボランティア仲間たちと、日ごろの作業を慰労する意味でバーベキューが開かれる。

少し解説しておくと、毎週月曜日の夕方が「うちの職場」でボランティア作業、木曜日は「丘の上の作業場」でボランティア作業、金曜日は「前の職場」でボランティア作業を行っている。これがもう2年以上も続いている。

50㎞離れた「前の職場」の作業仲間たちとは、ふだんなかなか顔を合わせる機会がないが、この機会に、「前の職場」を会場にして、慰労と懇親を兼ねてバーベキューをやろう、ということになったのである。世話人代表のKさんの発案である。

ただしバーベキューは午後からで、午前は、通常のボランティア作業を行うことになっていた。

朝から大雨である。午後からのバーベキューは大丈夫だろうか。

朝9時の集合に、やや遅れて到着した。すでに15人くらいが集まっていた。

「バーベキューの場所は変更になりました。ここの食堂をお借りすることになりました」

当初は、河川敷の橋の下でやることになっていたが、この大雨では、移動するのも大変である。河川敷でやってこそ、バーベキューは楽しいのだが、まあ仕方がない。

おりしも明日は「前の職場」で、オープンキャンパスが開かれる。そこで、私たちの活動をパネル展示することになり、通常の作業と並行して、展示の準備作業もおこなうことになった。

「前の職場」の学生が中心となり、テキパキと展示準備が進んだ。それもそのはず、作業仲間には、「展示のプロ」の大人たちが4人もいたからである。

Photo 午前の作業を終え、展示の準備をしている会場に行くと、すでにあらかた展示の準備が終わっていた。

「ではみなさん、このボランティア作業について、ひと言ずつコメントを書いて、メッセージボードに貼ってください」

世話人代表のKさんは、そう言って、名刺サイズのカードをひとりひとりに渡した。

「私も書くんですか?」私はとまどった。

「ええ。当然です」

「学生さんだけでいいじゃないですか」

「ダメです。大人も学生も、みんなに書いてもらいます」

2 今年の自分の職場のオープンキャンパスにまったくかかわっていない私が、「前の職場」のオープンキャンパスのお手伝いをしているのは、ちょっと自分でも可笑しかった。

左手にカードを持ち、右手に赤色のクレヨンを持ってはみたものの、はて、何を書いたらいいか、言葉が出てこない。

「いざとなると、言葉が出てこないものですねえ」と私。まわりの学生さんたちは、スラスラとコメントを書いていた。

「そうでしょう。ふだん、学生さんたちに感想を書かせてばかりいるのでしょうけど、いざ自分が書くとなると、大変だってことがわかるでしょう」と、世話人代表のKさん。

3それにしても、学生さんたちは、本当にスラスラと書いているなあ。

いざとなると、短いメッセージというのは、難しいものである。

私は悩んだあげく、次のように書いた。

「励まされたのは、私の方でした。」

思いの丈を書いてくれている学生さんたちにくらべて、私はこの一言しか書けなかったのが情けない。

「そろそろバーベキューをはじめますよ。食堂に集合してください」

朝の大雨は、午後になるとすっかり止んでいた。

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丘の上の作業場、3年目の夕焼け

7月4日(木)

最近、このブログの文章がやたらと長くなっている。

えええええぇぇぇぇぇっ!!今ごろ気づいたの?

これでは読む気が失せるし、何より読者の貴重な時間を無駄にしてしまう。読者離れの原因になってしまう。

…ということで、これからはできるだけ短く書くことにした。

午後の授業が終わって事務室に行くと、高校時代の友人、K田君からの荷物が届いていた。

高校時代の友人・K田君、そして、研究仲間のFさんとの不思議な因縁については、以前に書いたことがある

3年前、私とFさんの共著で出した本は、古くからの二人を知るK田君にこそ真っ先に送るべきだった。だがそれに気がついたのは、本を出してから3年が過ぎた先日のことである。届いた荷物の中身は、K田君のいま住んでいる地元の銘菓の詰め合わせで、送った本のお礼として届いたものだった。

あまりにたくさん入っていたので、同僚におすそわけして話したりしているうちに、気分が復調してきた。

夕方、「丘の上の作業場」に行く。

「丘の上の作業場」総監督のYさん、卒業生のT君、そして作業仲間のTさんと私の4人で、作業した。

今日は夕焼けがとてもきれいだった。

一昨年の夕焼け

そして去年の夕焼け。去年はデジカメを持ってこなかった。

「今日はたまたまデジカメを持ってきたんですよ」と私。

「じゃあ、早く撮らないと暗くなりますよ。撮るなら今でしょ!」どこかで聞いたセリフである。

急いでカメラに収めた。

Photo

今日は作業仲間のTさんが、地元の高級果物を持ってきてくれた。まさに今が旬の果物で、ご実家で収穫されたそうである。

作業が終わったあと、みんなで分けることにした。

「いいんですか?こんなに」

「いいんですよ。ふだん、あまり食べる機会がないでしょう?」

「ええ」たしかに、もっぱら贈答用で、自分で買って食べることはしない。

ありがたくいただくことにした。

(そうだ、今日はスポーツクラブに行こう!)

作業終了後、久しぶりにスポーツクラブで汗を流した。

といっても、エアロバイクをこいだり、ウォーキングマシーンで歩いたりしただけなのだが。

以前にも書いたと思うが、ウォーキングのときに聴く音楽としてもっともふさわしいのは、EPOの「DOWN TOWN」である。

この曲を聴きながら、リズムに合わせて歩調を整えると、ウォーキングのペースとしては最高で、しかも、気分が前向きになれるのである。

また再開しようか。

 

「暗い気持ちさえ

すぐに晴れて

みんな ウキウキ

DOWN TOWNへくりだそう

DOWN TOWNへくりだそう

DOWN TOWNへくりだそう」

(作詞:伊藤銀次、作曲:山下達郎)

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俺たちの、この情緒的なるもの

6月25日(火)

むかし見た映画に、「俺たちの交響楽」(1979年)というのがあって、私の嫌いな武田鉄矢が出ていたんだけど(当時は好きでも嫌いでもなかった)、原案が山田洋次で、監督が朝間義隆という「寅さんコンビ」による作品だった。現在ソフト化はされていない。

内容はほとんど覚えていないが、ふだんはいろいろなところで働いている若者たちが、「ベートーベンの第九を歌おう」と集まり、仕事が終わった夜とか、週末とかに、みんなで集まって練習し、対立や結束をくり返しながら、演奏会をめざす、という内容だったと記憶している。

震災後のボランティア活動が軌道に乗りつつあったころ、私はなぜかこの映画のことを思い出した。ふだんはいろいろなところで働く人たちが、週に1,2度、夕方に「作業場」に集まり、1つの目的に向かって作業をする、という姿が、その映画を連想させたのかも知れない。

で、続けていくうちに、いつの間にか、この活動も「俺たちのボランティア」になってしまったようである。

昨日の作業のあと、同世代のオッサン3人(+若者1人)で、そんな話題になった。

ボランティアに「俺たちの」という冠はいらない。あくまで相手の気持ちが最優先されるべきものだからである。

理屈ではわかっている。

だがしかし、長く続けていくと、そう単純に割り切れるものでもなくなってくる。

ここから、オッサン3人(と若者1人)の苦悩が始まる。

そもそも、KさんもUさんも私も、そしておそらくT君も、多分に情緒的な性格なのだ。

おそらくこの4人の情緒的な性格は、ボランティア活動に限ったことではないだろう。およそ人間関係すべてにわたって、同じようなことがくり返されていると想像される。

「自分はこれほどまでに想っているのだ」という思いが勝ちすぎて、しばしば先走ってしまう、という性格である。

「私たちの気持ちの問題はさておきましょう」とKさんが提案する。つまり、知らず知らずのうちに付いてしまった「俺たちの」という冠をとりましょう、ということである。私たちの気持ちはさておき、相手の気持ちにより添うべきだ、というのは、至極当然の提案である。

もちろん、大人だから、気持ちの整理をつけることはできる。だがそこに、何か抑えがたい気持ちがあることもまた、事実である。

その抑えがたい気持ち、というのは、言葉にはできないが、UさんもKさんも、そして私も、同じ気持ちなのだろう、と思う。

考えてみれば、この活動は、情緒的な人たちの集まりだった。そうでなければ、この活動は、続かなかったはずである。

お互いがお互いの「情緒的なるもの」に共鳴した結果が、この活動だったのではないだろうか。

とくにUさんの中にある「情緒的なるもの」は、震災後、ずっと彼を見てきた私にとって、手にとるようにわかる。そして私もそれに共鳴し、それが仲間意識とか友情といったものを強めていった。その意味において、このボランティア活動は、「俺たちの」問題にもなったのである。

「俺たち」は、今後どうなっていくのか。

些細な問題といわれるかも知れないが、いい歳をしたオッサンたちは、これからも悩み続けるだろう。

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ダメな大人たち

6月10日(月)

夕方、いつものクリーニング作業。

このクリーニング作業の学生リーダーである4年生のTさんが言う。

昨日のブログ読みました」

「え?読んでるの?」

Tさんも読んでいるとは知らなかった。

「私もO村に行きたかったです」

だがTさんはいま、進路活動の真っ最中なのだ。

「まだ機会はあるさ」

「あのブログの最後、なんか面白かったです。でも、先生のおっしゃること、ちょっと違います」

「どういうこと?」

「大学ではふだん体験できないこと、って書いてありましたけど、大学でやるべきことをやった上で、大学で体験できないことをやっているから、面白いんです」

なるほど。そう思ってくれたのだとしたら、うれしいことである。

Tさんは、作業のための準備を済ませたあと、進路活動のために早退した。

クリーニング作業が始まった。今日は少し風が強いが、天気がよいので、作業の半分を建物の外で行うことにした。

建物の前の駐車場に机といすを並べ、本のクリーニング作業に取りかかる。少し遅れて、世話人代表のKさんがやってきた。

4年生ではもう1人、Sさんが参加してくれている。この4月から作業に参加してくれている学生である。

Sさんの両隣に、私とKさんが座って作業をした。オッサンに挟まれたSさんは、さぞ居心地が悪かったことだろう。

しかもおっさん二人が、本を掃除するための刷毛を動かしながら、これからの生き方なんぞについて講釈を垂れているものだから、もう最悪である。

「若いうちにねえ。ダメな大人に会っておいた方がいいよ」とKさん。

「ダメな大人…ですか?」Sさんが聞く。

「そう」

「どういうところにいるんです?」

「いま、両隣にいるでしょう?」

「そんな…ダメな大人だなんて…」

まあ、Sさんからしたら、両隣のオッサンを「ダメな大人」だとは言えないだろう。ましてやそのうちの一人は、自分が教わったことのある先生なのだから。

だが、Kさんが言っていることは正しい。私もKさんも、「ダメな大人」なのである。

その「ダメぶり」は、具体的には何とも説明しがたいが、親しい人ならわかるはずである。私の場合、それをいちばんよく分かっているのは、妻である。

考えてみれば、私の周りはみんな、「ダメな大人」ばかりである。

世話人代表のKさん、こぶぎさん、前の職場の同僚のKさん、そして、同い年の盟友のUさん。

みんな、「ダメな大人」たちなのである。

同い年の盟友のUさんの口癖は、「ダ~メだなあ、俺」である。

たぶん若い人たちから見れば、このオッサンたちが異様に映っていることだろう。

「若いときにダメな大人を見るのがいいって、どういうことなんですか?」Sさんが聞く。

「つまり、ダメな大人を見れば、『こう生きなければいけない』という縛り、みたいなものから、解き放たれるんだ」と私。「肩肘張らずに生きていくことができる、というか…」

なんだか、わかったようなわかんないような理屈である。

私が念頭にあったのは、以前、このブログにも書いた、「謎のタカタさん」である。

大学1,2年生のときに、このけったいなおっさんに出会ったことに始まり、それ以降は、なぜか私は、「ダメな大人」の方へと、私自身が引き寄せられていったのである。

そうそう、前の職場の同僚だったOQさんもそうだった。OQさんは、「ダメな大人」の典型だったなあ。

私の周りには、常に「ダメな大人」たちがいたのだ。

しょっちゅう落ち込んでばかりいるけれど、「ダメな大人」で居続けることが、私の目標である。

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村が見晴らせる場所

6月9日(日)

この村を訪れるのは、4度目である。

正直なところ、今日は休みたかった。とくにこの週末は、やるべきことが多すぎた。

「休んだらいいじゃん…ま、どうせ聞きゃあしないんでしょうけど」

妻のアドバイスを聞き流すことの多い私に、妻はすっかり呆れていた。

極度の疲労なので休みたいのはやまやまなのだが、私が言い出しっぺの1人なので、やめるわけにいかない。それに、学生に呼びかけたら、ありがたいことに5人も来てくれたのだ。

それに、何より今日のこの活動を企画してくれたT君が、

「本当はこんなことをしている場合じゃないんです」

という。本業が、あまりに忙しすぎるというのだ。

みんな、ギリギリのところで頑張っているんだなあ。

午前11時。O村に向けて出発する。

O村では、地元の先生の全面的なご協力のもと、地区の家をまわり、その家の方のお話をうかがい、それを記録する。

午後4時すぎ、本日の予定が終わった。

「村が見晴らせる場所に行きましょう」

地元の先生の提案で、村が見晴らせる場所に行く。

Photo

文字通り、村が見晴らせる場所だった。

しばらく、ボーッと見ていると、卒業生のT君が言う。

「先生、癒されましたね?」

「癒されたねえ」

公民館に戻り、今日の調査のまとめを話し合った。

参加してくれた5人の学生は、いずれもはじめての参加だった。

5人がそれぞれ、今日の調査で感じたことを自分の言葉で話してくれた。ふだんの授業では決して味わうことのできない体験を、したことだと思う。

やはり来てよかったのだ。

…と、ここまで書いて思う。

大学では決して味わうことのできない体験を、大学の教員である私が推奨するのは、いかがなものか?まるで自分の職業を否定しているようなものではないか?

そう考えると、オレはいったい何者なのか?と、なんか可笑しかった。

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体調を崩す世代

3月24日(日)

ボランティア作業2日目。朝9時から作業開始である。

朝7時すぎ、「前の職場」の元同僚のKさんから電話があった。

「急に体調が悪くなって、これから病院の救急外来で診察を受けるところです。9時からの作業、進めておいてください」

昨晩、こぶぎさんと3人で午前1時まで「ガスト会議」をしていたときは、とくに何ともなかったKさんが、翌朝、救急診療の病院に行かねばならぬほど、体調が悪くなったという。

「わかりました。こちらの方は心配いりませんから、どうかお大事にしてください」

そう言って電話を切ったが、そうは言ってみたものの、この2日間は、「前の職場」を作業場として、県内外から20人以上のメンバーが集まっている。作業場の管理人は、この「前の職場」に勤務するKさんであり、Kさんがいなくなれば、いわば「家主」がいない状況で作業を進めなければならなくなる。

それでもなんとか、朝9時前から作業をはじめることができた。

この2日間の作業は、一つの区切りとなる重要なものであり、Kさんは、作業場所の確保から、参加人数の把握、作業当日の弁当の注文に至るまで、準備の段階でかなり神経を使い、そのストレスは相当なものだったと想像される。

おそらく体調不良の原因は、そこにあるのだろう。

それに加え、午前1時まで「ガスト会議」をしていたのだから、疲労は頂点に達したのであろう。

「Mさん(つまり私)の責任ですよ。MさんがKさんを追いつめるようなことを言うから」

これは、作業仲間たちの、おおかたの見解である。

どうも私は知らず知らずのうちに、繊細なKさんに対して軽口をたたいたつもりが、Kさんを追いつめるようなことを言っていたようである。

私はいつもそうである。親しい友人であればあるほど、つい気を緩めてしまい、相手の事情を考えない発言をしてしまうのだ。これが知らず知らずのうちに相手にストレスを与えてしまう。この点は、猛省しなければならない。

そしてもう一つ考えなければならないことは、私たちの世代は、無理をすると、とたんに体が拒否反応を示し、体調を崩す、ということである。若い頃には考えられなかったことである。

午後、Kさんの体調は回復し、作業場に戻ってきた。

2日間の作業も、多くの人たちの結束によって、無事終了した。

大事に至らなくて、本当によかった。

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