クリーニング作業

空の下の作業、開始

5月24日(木)

夕方6時過ぎ、「丘の上の作業場」に行く。

今日から、念願の「空の下の作業」である!

記録によれば、「丘の上の作業場」で「空の下の作業」がはじまったのが昨年の5月17日だから、ほぼ1年が経過したことになる。

久しぶりの「空の下の作業」なので、心なしかウキウキする。世話人代表のKさんも、いつになくウキウキしている様子だった。

目の前に座ったのが、今年度から作業に加わった1年生のYさん。東京の洗足池の出身なので、Kさんが「洗足池さん」とあだ名をつけた。

Kさんが、Yさんに言う。

「オジサン2人に囲まれて、やりにくいでしょ」

「そんなことありませんよ」

「このオジサン」Kさんは私のことをさしていった。「こう見えて、昔は切れ者だったんですよ」Kさんは相変わらず私のことをからかう。

「ほんとですか」

「それが今じゃあ、こうしてハケを片手にせっせと砂を落としているんですから、人生なんて、わからないものです」と私。一同は爆笑した。

そこに一人の女子学生が通りかかった。

「何をやっているんです?」興味深そうに私たちの作業をのぞきこんだ。

「津波で砂をかぶってしまった書類を、こうしてハケで掃除しているんです」とKさん。「どうです?やってみませんか?」

「私にもできますか?」

「もちろんです」

聞くと、やはりこの大学の1年生だという。一ノ関の出身だということで、Kさんは彼女に「一ノ関さん」とあだ名をつけた。

飛び入り参加の学生も加わり、いつになくにぎやかな作業場である。

これも、「空の下の作業」のせいだろう。

丘の上に吹く心地よい風は、去年の今ごろに吹いた風と、少しも変わらなかった。

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丘の上に駆けつける人びと

5月10日(木)

昨日、今日と、クタクタである。

ま、私の周りにはもっと忙しい人がいるから、忙しいなどと嘆いてみても仕方がない。

夕方6時過ぎに仕事が一段落つき、「丘の上の作業場」に向かう。

「作業場」に到着すると、社会人、学生あわせて20人くらいが来ていた。今年度から新しく参加した人も多い。

作業をはじめて1年が経っているが、ますます活気づいているではないか。じつに不思議である。

どんなに疲れていても、ハケで汚れを落としながら、みんなでああでもないこうでもないと話しているうちに、昼間の疲れもしばし忘れてしまう。

続いている理由は、案外そんなところにあるのかも知れない。

今日は奥さんが残業なので、家事をするために、少しだけ作業をして早退する人。

仕事が長びいたため、終わる間際に駆けつけて、少しだけ作業をする人。

さまざまである。みんな、少しの時間でもかかわっていたい、と思っているのだろう。

世話人代表のKさんも来ていた。

「おとといはどうも」

おとといのこと、やっぱり書きましたね」

「すいません」

「書くと思ってました」

考えてみれば、Kさんと会うのは、今週これで3回目である。

ひょっとして、今週いちばん頻繁に顔を合わせたのは、家族や同僚などより、世話人代表のKさんだったのではないか。

そう思うと、少し複雑な気持ちである。

「今日は本当は、オモテで作業をやりたかったんですがねえ」と、「丘の上の作業場」のリーダーのYさん。あいにくの雨で、今日も作業は、建物の中である。

「来週からはオモテでやりたいですねえ」

「そうですねえ」

「空の下の作業」が、待ち遠しい。

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うっかり往復100㎞

5月8日(火)

夕方、打ち合わせが終わって研究室に戻ると、携帯電話が鳴った。

「ご無沙汰してます。Aです」

大学の後輩のA君である。

「仕事でこちらに来たもので、いるかなあと思って電話しました」

「今どこ?」

「大学の建物の玄関です」

「え?下にいるの?」

「はい」

ということで、研究室まであがってきてもらって、しばし雑談。

「このあとお忙しいんですか?」とA君。

夕方6時から、いつものクリーニング作業をしに「丘の上の作業場」に行く予定だった。

かくかくしかじか、と、これまでの経緯を話すと、

「帰りの新幹線までまだ時間がありますから、一緒に行きましょう」という。

夕方6時。車で「丘の上の作業場」まで行くと、世話人代表のKさんがいた。

「今日は、作業、ないみたいですよ」

「え?そうなんですか?」

「私も勘違いして、来ちゃいました」

世話人代表のKさんとは、昨日夕方の、うちの職場でのクリーニング作業のさい、「じゃあまた明日」といって別れたばかりだった。

「てっきりあると思ってました」まあ、ちゃんと確かめなかった私の方が悪かったのだが。

それにしても、私はともかく、うっかり片道50㎞かけて来てしまったKさんの方が大変である。このあとまた、片道50㎞をかけて帰らなければならないのだから。

…あ!「恥ずかしいので誰にも言わないでくださいよ」とKさんに言われていたんだった。

だが、「うっかり往復100㎞」という言葉を思いついてしまったので、書いてしまった次第です。すみません。

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丘の上の作業場、再開

4月19日(木)

木曜日は、いちばんキツイ。夕方、ヘトヘトになった。

夕方6時。今日はそういえば、今年度最初の「丘の上のクリーニング作業」ではないか。

あわてて車を走らせ、「丘の上の作業場」に到着。

「お久しぶりです」と、昨年からの学生さんたち。「今年度もよろしくお願いします」

約3ヵ月ぶりくらいの、丘の上での作業である。

片道50㎞をかけて、世話人代表のKさんもやってきた。ホント、よく動く人だ。「往復100㎞の熱情」である。

4月半ばとはいえ、まだ寒い。空の下で作業をするにはまだ早い、ということで、建物の中での作業である。

もう少ししたら、空の下で作業ができる。

それが楽しみである。

丘の上から夕焼け空を見ながら作業をする。これほど清々することはない。

やはり作業場は、「丘の上」にかぎる。

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おせっかいな人たち

4月14日(土)

ある会社の重役のブログを読んでいたら、

「居酒屋で美味しいお酒を飲みながら、若者たちとの会話を楽しんだ」

みたいなことが、自慢げに書いてあって、

(この人、何にもわかっていないんだなあ。楽しいと思っているのは、アンタだけなのに)

と思った。

部下にとって、上司と飲むお酒ほど、楽しくない酒はない。

学生が教員と飲む酒もまた、同じである。

そういえば、この日記でも、学生とお酒を飲んだ時のことをしばしば書いているが、まさか「楽しかった」なんてノーテンキなこと書いていなかっただろうな。

急に不安になり、過去の日記を読み返してみた。

「楽しかった」と書いている日記が1カ所だけあり、猛省。

それに対して、同世代の友人や仲間と飲む酒は、気兼ねがない。

午後4時から2時間、同世代の仲間が集まって、新年度の活動の展望とか、懸案の事項などについて話し合った。片道100㎞かけて来てくれた人もいた。

午後6時すぎ、会議が終わると、居酒屋に場所を移して、話し合いが続く。

「この活動にも、マスコットキャラクターが必要ですよ」誰かが言いだした。

「そうそう、あの学生が書いてくれたやつなんてどうですか?」

「何です?」

「ほら、ブログで紹介されていたでしょう」

どうやら、今年の卒業生が書いてくれた、あの絵のことらしい。

「ほら、これですよ」

と、「前の職場」の同僚のKさんが、自身の携帯電話に保存していた画像を、みんなに見せてまわした。

なんとKさんは、あの画像を保存していたのだ!

「やめてくださいよ!いやですよ、そんなの」と私。

「大丈夫ですよ。誰の顔だかわかりゃしませんよ…。…あ、わかるか…」画像を見ながら世話人代表のKさんが言った。

ま、お酒の席の会話なんて、そんなものである。

1次会が終わり、シメはラーメン屋で、ビールに餃子、そしてラーメンである。

ここでも、オッサンたちの会話は続く。

いや、オッサンたちにまじって、20代前半の若者が1人いたぞ。

彼には、オッサンたちの会話が、どんな風に聞こえたのだろう。

あんまりオッサンたちの会話に慣れない方がいいと思うぞ。

みんなと別れた帰り道、いつだったか、世話人代表のKさんが私に言っていたことを思い出した。

「Mさんひょっとして、おせっかいな方でしょう」

「私がですか?」

「ええ」

「そんなことありませんよ」

「いえ、おせっかいなはずです」

「そうでしょうか」

「ここに集まってくる人たち、みんな、おせっかいな人たちです。そうでなきゃ、この活動は続きません」

なるほど、そういうものかも知れない、と思った。

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どうでもいい話

3月11日(日)

交流会の席で、世話人代表のKさんが私に言った。

「『韓国国立中央図書館の攻略法』、読みました」

「そうですか」

「あれ、はっきり言って、『どぉーでもいい話』ですなあ」

「そうでしょう。だって、そのつもりでねらって書いたんですもん」

「うっかり最後まで読んでしまったじゃないですか!」

「そうですか」

「で、最後まで真剣に読んで、『あ~、時間の無駄だった!』と激しく後悔しました」

「なんの役にも立たない話でしょう?」

「そうですよ!だって、韓国の図書館の利用法なんて、たぶん、一生役に立つことなんてないですもん。おかげでこっちは、せっかくの会合の準備の時間を、すっかり無駄にしてしまいました」Kさんは頭を抱えた。

「私のブログは、それがねらいですよ」

「そうでしょう。そうだと思いました。なんか、罠にはまった感じです」

「だれにも、なんにも関係ない、どうでもいい話を書く、というのがポリシーです」

「ほんと、『どぉーでもいい話』ばかりですよね」

同じ指摘は、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシからも受けたことがある。「お前のブログを読むと、時間を損した気分になる」と。

そう、わからない人にはわからないように書いているのだ。

前回書いた記事だって、関係のない人が読んだら「しゃらくさい」と思うに違いないし。

だから、悪いことは言いません。時間を無駄にしたくない、と思ったら、このブログを読まないことです。

閑話休題。

3次会の席で、学生たちが「きゃりーぱみゅぱみゅ」の話題をしていた。

「何だい、『きゃりーぱみゅぱみゅ』って?アイドルグループか何かか?」

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という言葉じたいはラジオで聞いたことがあったが、テレビを見ていないので、それが何だかわからない。

「知らないんですか?とっても可愛いカリスマファッションモデルですよ」と3年生のUさん。

「へえ」

「益若つばさみたいな感じです」

そのたとえも私にはよくわからない。

「『きゃりーぱみゅぱみゅ』は、FMのDJ泣かせなんですよ。曲紹介なんかで、『きゃりーぱみゅぱみゅ』を絶対に噛むんです」と卒業生のT君。

歌も歌っている人なのか。たしかに「きゃりーぱみゅぱみゅ」は言いづらい。それに、ワープロでも打ちにくい。

「あ、でもそれ、アクセントを変えれば簡単に言えるようになりますよ。『きゃりーみゅみゅ』ではなくて、『きゃりーぱみゅみゅ』と言えばいいんです」と3年生のO君。

みんなで、O君の言ったとおりに「きゃりーぱみゅみゅ」と復唱した。

「あ、ほんとだ。言えた」

なんと、この短時間で「きゃりーぱみゅぱみゅを噛まずに言える裏技」までマスターしたぞ!

「こんな早口言葉はどうだい?」私が思いついた。

「赤ぱみゅぱみゅ 青ぱみゅぱみゅ 黄ぱみゅぱみゅ」

一同爆笑。こうなると、もう私は止まらなくなる。

「カエルぱみゅぱみゅ三ぱみゅぱみゅ 合わせてぱみゅぱみゅ六ぱみゅぱみゅ」

「あのぱみゅぱみゅに、ぱみゅぱみゅしたかったのは、ぱみゅぱみゅしたかったからぱみゅぱみゅしたのです」

3次会ともなると、こんなくだらないことがどんどんと出てくる。

どうです?どうでもいい話の極致でしょう?

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それぞれの3月11日

3月11日(日)

午前10時。熱が少し下がったので、会合の会場に向かうことにした。

午前10時から始まった会合に1時間ほど遅れて到着すると、会場には60人ほどの人が集まっていた。その多くは、学生を中心とする若者たちである。あれから1年がたって、60人もの人がこの会合に参加することを、だれが予想していただろう。

この1年間、後方支援、という形で、被災資料のクリーニング作業にかかわってきた。甚大な被害を受けた資料をお預かりして、クリーニングをする、という作業である。今日は、この1年の節目の会合であった。

講義教室のように並んでいる机をあえて使用せず、それらをとりかこむように、車座になって話し合いが行われていた。世話人代表のKさんらしいアイデアである。会場は、「静かな熱気」につつまれていた。

午前の部が終わり、数人で昼食を食べていたとき、水損した本をクリーニングしたあとの保管方法について話題になった。

「洋装の本の場合は、平積みではなく、本箱の中に立てて保管しておくのが本のためにもよいと言われたんですが、それだと、本の中の湿気がなかなか抜けないと思うんです。和装本だと、平積みにして保管しているのでそれほど問題ないんですが」

「本箱にすき間なくならべているのですか?」

「ええ」

「それだとたしかに通気性が悪いですね。ブックスタンドのようなもので、本と本とのあいだにすき間をあけて並べたらどうです?」

「いや、ブックスタンドを使うと、下の部分に凸凹ができてしまうので、本にとってはあまりよくないそうです」

「じゃあ、背表紙の部分を下にして並べたらどうでしょう。そうしたら、いくらかでも通気性がよくなるんじゃありませんか」

昼食の話題にしては、ずいぶんマニアックな話である。

「いま、『水損した図書をどのように保管するか』を昼食の話題にしているのは、世界中でここだけかも知れませんね」世話人代表のKさんが言った。

考えてみれば、この1年、集まればそんな話ばかりをしてきたのだ。

午後も現状と課題についての話し合いが続き、2時46分には黙祷を捧げた。そして4時過ぎ、会合は終了した。

午後5時からは、交流会である。この1年間、頑張ってくれた学生たち、とくにこの3月で卒業する学生たちの労をねぎらう意味で企画された。

駅近くの居酒屋で行われた交流会には40名ほどが参加した。圧巻なのは、県内3大学の学生と教員有志、それに社会人が、一堂に会し、一体となった雰囲気の中で会が進んだことである。こんな草の根的な「連携」ができるのは、たぶん県内ではうちの団体くらいしかないのではないか。それだけは、誰にも負けない、大きな誇りである。

「知ってる顔を見れば、安心するものですよ」とは、世話人代表のKさんの口癖である。知っている人たちがクリーニング作業で顔を合わせ、そこでまた知らない人同士が顔を合わせて、「知っている顔」になる。今日集まった人たちは、そのような人たちばかりである。だから、この場に来ると安心するのだ。

「これまで、人の集まらない企画ばかりやっていましたよねえ」世話人代表のKさんが感慨深げに言う。これまでは、Kさんが提案した草の根的な企画に私が賛同すると、ほとんど人が集まらない、というジンクスがあったが、今回は違った。震災が契機になったというのは、何とも複雑な思いがする。

交流会に参加した人びとは、みんな、いい表情だった。

「2次会に行きましょう」

風邪が治っていないため、1次会を途中で失礼しようと思っていたつもりが、なぜか2次会へ向かう道の先頭を歩いていた。

2次会では、チューハイを飲みながらよもやま話をする。話の内容はもっぱら、これからの活動についてである。卒業生のT君や4年生のT君の語る「これから先の話」が、私にとってはとても心地よいものだった。

「さっき、職場から来たメールを確認したら、明日の朝までに絶対に仕上げなければならない書類ができてしまったんですよ。だから今日は早く帰ります」と言っていた「丘の上の作業場」のリーダー、Yさんは、結局2次会の最後までつきあってくれた。Yさんも、私と同世代の「おっさん」だが、この活動がなければ、お話しする機会もあまりなかっただろう。

この活動を牽引してきたのは、もちろんダブルKさん(ダブル浅野的な意味の)だが、さまざまな技術的な問題は、Yさんがいなければ決して解決しなかった。だから私は、Yさんを、ひそかに「宇宙戦艦ヤマト」に登場する「真田工場長」になぞらえていた。

そうすると、ダブルKさんは、古代進と島大介か?

じゃあ私は…、佐渡酒造あたりだろうか?

…などという妄想をしているうちに、2次会が終了した。

「3次会に行きましょう」

「じゃあ、もう少しだけつきあいますか」

最後は、卒業生のT君、4年生のT君、3年生のAさん、O君、Uさんが残り、場所を移動する。ここでもよもやま話をしているうちに、気がつくと時間は深夜12時をまわっていた。

「いかん!明日は朝から重要な仕事があるんだった!」慌てて帰り支度をする。

「先生、風邪は大丈夫なんですか?」

「不思議なことに、もうなんともないよ」

外は雪がちらついていて寒かったが、体のだるさはすっかりなくなっていた。

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午前3時のハイボール

2月1日(水)

夜11時ごろに1次会が終わり、寒い雪の中、同世代のオッサン4人が残された。

「もう1軒、行きましょう」

とりあえず目の前にあった、チェーン店の居酒屋に入った。

すでに1次会で、生ビールと芋焼酎をしこたま飲んでいたが、4人の誰もが、まだ話し足りない、と思っていたらしい。

「飲み物はどうしましょうか」

「ハイボールにしましょう」

ということで、4人ともハイボールを飲みながら、「あの時」から今に至る10カ月あまりをふり返り、これからのことを語り合う。

ときに意見が対立し、ときに意気投合しながら、自画自賛と自問自答をくり返す。

「俺たちは、ウェットなんですよ」という言葉が印象的だった。

「それって、『くどい』ってことですか」

「そうそう。若いヤツらにくらべたら、俺たち、くどいでしょう」

そうだ。4人とも、「ウェット」なのである。それは、そういう世代だからなのか、あるいはオッサンになったからなのかは、わからない。でも、それを十分に確認できた夜だった。

素性も、歩んできた道も異なる4人が、こうしてひとつの席につくことを、1年前は誰が予想していただろう。たまたまこの地に居合わせていた4人が、ひとつの意志を持ちはじめたことを、「奇跡」と呼ぶのは、感傷的にすぎるだろうか。

気がつくと3杯目のハイボールが空いていた。

「そろそろ閉店のお時間です」

時計を見ると、午前3時である。

ご、午前3時???

どんだけ喋ってたんだ??

あわてて店を出ると、外はビックリするくらいの大雪だった。

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長生きしたもん勝ち

1月19日(木)

夕方、久しぶりに「丘の上の作業場」に行く。今年に入って初めてである。

世話人代表のKさんと会うのも久しぶりである。

「年末に、泊まりがけで『おじいちゃん先生』たちの集まる忘年会に参加したんですよ」とKさん。

「ああ、他の方に聞きました。なんでも深夜3時ごろまで飲んでたって話じゃないですか」

「とにかくおじいちゃん先生たち、よく喋るんですよ。まあ楽しかったんですけどね」

「みなさんお元気ですねえ」

「それで、ひとつ発見したんです」

「何をです?」

「大学生の若者たちって、まだ20年くらいしか生きてないじゃないですか。だから、そんなに喋る話題もないと思うんですよ」

「ほう」

「でも、おじいちゃんたちって、80年も生きていますからね。思い出話にしたって、80年分あるわけですよ。だからまあ話題の尽きないこと!もうビックリしました」

「なるほどねえ」

つまりは、「長生きしたもん勝ち」ということである。

そう考えると、老いるのも楽しいかも。おじいちゃんになったら、いろんな人たちと茶飲み話をして、喋りたおしてやろう。

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メッセージ

11月21日(月)

「映画監督の山田洋次さんは、東日本大震災によせて「貧弱な想像力を懸命に働かせて、被災地の人たちを思い続けたい。そうすることでつながっていたい」と語りました。いま私たちに大切なのは、被災地に対する想像力を持ち続けることです。

しかし残念ながら、私たちの想像力は、山田監督が言うように、実に貧弱なものです。震災から時がたてばたつほど、被災地に対する想像力は失われていきます。

ではどうすれば、想像力が持続するのでしょうか。私はその答えが、被災資料クリーニング作業にあるような気がします。毎週、少しずつでも刷毛を動かし、被災資料にふれることによって、たとえ被災地から離れた場所であっても、そのことを忘れずに思い続けることができるのです。それは同時に、「私たちにできること」でもあるのです。

さあみなさん、「私たちにできること」を、少しずつ、そして息長く、進めていきましょう。それがたとえわずかな力であったとしても、被災地を思い続ける想像力となりうるのであれば、私たちは誇りをもって、この作業に関わることができるのではないでしょうか。一緒に頑張りましょう。」

先日、頼まれてこのようなメッセージを書いたことがある。日の目を見たのかどうかはわからない。

今日、職場の夕方クリーニング作業に、新人さんが2人やってきた。UさんとIさんである。

お二人とも、仕事もあるし、家庭生活もあるし、お忙しいだろうと想像するが、なんとかやりくりをつけて来てくださったのだろう。

「いま、職場でパネル展をやっているでしょう。あれを見て、参加したいと思いました」とIさん。

これには、私も、4年生のT君もおどろいた。自分が関わっておきながら妙な話だが、私は心のどこかで、パネル展をしたところで、それがどれほどの宣伝効果があるのか、半信半疑だったのかも知れない。私はそう感じていたことを恥じた。

だが、あのささやかなパネル展が、少なくとも一人の心を動かしたのだ。

おそらく、このことにいちばん感激したのは、パネル展の準備に最も活躍した4年生のT君だったのだろう。

「この作業、いつ始まったんですか?」とIさん。

7月です

「ええぇぇ!そんな前からやっていたんですか。ちっとも知らなかった。知っていれば、もっと早くから参加したのに」

いたって地味な作業なのだが、Iさんの琴線にふれたらしい

「こういうことって、大事ですよね。これだったら、被災地に行ってお手伝いできないような人でも、被災地のお手伝いに関わることができます」Iさんは続けた。

どうやら私たちは、アピールがまだまだ不足していたらしい、ということに気づく。

一人でも多くの人たちの琴線にふれるようにするためには、これからもメッセージを出し続けなければならないのだ。

それはとてもしんどい作業だが、まだ続けていく価値は十分にある。

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