鬼瓦殿
こんにちは。コバヤシです。
まだまだ体調は思わしくないようですね。
ということで、今回もお見舞いメールを長々と書いてみました。
だんだんマニアックというのか、個人的な嗜好に偏った内容になってきてしまい、かなり読むのがシンドイのではと危惧しております。
だったらメールするな、という話になるのですが、やはり書いてしまったのでお送りします。
つまらなかったら、ごめんなさい。
今日も銀座のTさんの話です。このシリーズもこの辺でお終いにしようと思います。
銀座のバーOのTさんの口癖は、「ウチは銀座のバーですから。」と「ウチはカタギですから。」の二つです。
後者は、いつもお会計の値段を見て私が「こんなに安くていいんですか?」という問いに対する返事で、前者は私に色々な珍しいお酒を出してくれる時に言う言葉です。
Tさんがお酒を出すときに必ずお客さんに要求するルールが「出来ればいくつかのお酒を比較して飲んでください。」というものです。Tさんは、あるメーカーのお酒を出す時に必ず、同じメーカーの同年代の複数のランク(大手のブランデーメーカーは、大抵下からスリースター、VSOP、ナポレオン、XO、エクストラといった風に熟成年数と酒質に応じて複数のランクのお酒を出しています。)のお酒か、複数の年代の同じランクのお酒を飲むことを薦めます。Tさんは、「比較対照があって初めてそのお酒の良さが分かるんです。そもそもお酒の良し悪しの判断は、その時の体調や天候によっても変わってきますしね。」と、持論を展開します。私がいつものように「スリースターだけ飲んでいれば、これはこれでかなり美味しいけど、上のクラスのお酒を飲むとやはり明らかに酒質が上というのが分かりますね。」と言うと、Tさんは満足げに「そうでしょう。比べるからこそ、上のクラスのお酒の良さよく分かるんです。」と語ります。このお酒の提供の仕方については、私の浅草の行きつけのビストロGのシェフは「あそこは全然飲みたいお酒を飲ませてくれないんだよ。」とボヤきます(ちなみに浅草のGは今の業態に変わる前はTさんの行きつけのお店だったそうです)。でも、マスターのOさんからすれば、それは良いお酒の真価を味わって貰うためには決して譲れない拘りの1つなのです。
だから、たまに、これは!という凄いお酒を見せてくれても「一緒に出すお酒がないんで、まだ出せませんね〜。」などと言われてしまいます。ただ、一緒に出せるお酒が手に入ると「C社のデキャンタボトル(コニャックの超高級ラインナップ。バカラなんかの高級ボトルに詰めたお酒。各社のフラッグシップとしてその会社の一級品が詰められている)が、漸くもう一本手に入ったんですよ。比べて飲んで見ます?ちょっと高いですが。」と嬉しそうに薦めてくれたりします。
先日伺った際に、大手M社の1905年という珍しいヴィンテージボトルを飲みたいと言ったら、「このボトルはとても繊細なので一緒に薦めるお酒が難しいんですよ。」と言って出し渋ります。暫く考えてから並べてくれたお酒は、何と1928年と1900年に造られたアルマニャック(コニャックはコニャック地方で造られたブランデー。アルマニャックはアルマニャック地方で造られたブランデー。後者の方が独特の荒々しい風味がある。)でした。これは流石に普通には飲めないなと見送った次第です。でも、恐らくその3本を飲んでも、もし他の店で出せる店があったとしてですが、まあ半分以下の値段なんですが。
そうしたお酒を比較して飲ませる為には膨大なストックが必要となります。私が色々なお酒を飲ませて貰った後に「よくこれだけ揃えてますよね。」と言うと、Tさんはいつものように「ウチは銀座のバーですから。」と答えます。「それに、銀座のバーのプライドとして、お客さんから言われたお酒が無い、とは決して言いたくないんです。」
「それにしても良くこれだけのお酒を集めましたね。」と私が改めて言うと、再び「ウチは銀座のバーですから。」と言って話を続けます。
「そもそも高いブランデーを輸入業者が仕入れると、まず銀座でその三分の二を捌こうとするんです。残りの三分の一を地方のバー、大阪や神戸、京都でしょうか、に売り込むんです。銀座でブランデーを扱っているのはウチぐらいのものですから、必ずウチに売り込みに来ます。
それから、バー仲間や輸入業者の人たちもウチがブランデーに拘っているのを知ってますから、どこそこの酒屋にこんなお酒があったよ!と教えてくれるんです。私自身も古いウイスキーを見かけたりすると買っておいて、後で同業者に譲ったりしますしね。」と話してくれます。
「後は、銀座の古いクラブが店を畳むときなんかは酒屋経由でいくつかのバーに声が掛かったりするんですが、ブランデーだとウチだし、ウイスキーはやはり銀座のC、シェリー酒なんかだと五反田のSとか。大体その3人でお店に行って在庫をより分けて買い取ります。古い銀座のクラブなんかは、商社マンだったママの旦那が戦後間も無く海外出張に行った際にお土産に買って来てくれたなんていう高そうなお酒が後生大事に飾ってあったりするんですよ。
それから大分昔ですけど、やはり酒屋からイタリア人のコニャックのコレクターがコレクションを大量に手放したんだけどみたいな話があって、銀座の一番上の店から声を掛けていったらしいんですが、ブランデーなんて買わないよと言う人たちが多くて、ちょうどウチが4~5番手ぐらいだったんですけど、じゃあと言うことで買っちゃったんですが、当時で外車が一台は買える値段でした。奥さんに買ってもいい?って聞いたらOKしてくれたんで買っちゃったんです。本当に良く許してくれたなあと今でも思います。」そう言ってTさんはそのコレクションの一部を見せてくれたのですが、フィロキセラ(19世紀半ば過ぎにヨーロッパの葡萄畑を襲った害虫。以降、ヨーロッパの葡萄はアメリカの葡萄の木の土台に接ぎ木されたものになっている。)前に造られたという大手H社のコニャックや、第二次世界大戦前のC社のコニャック、それにやはり大手M社のイタリア周りの250周年記念ボトル(1960年代のボトル)なんていう凄いお宝を次々に見せてくれます。「凄いですね~!」と私が言うと、Tさんは、また「ウチは銀座のバーですから。」と、淡々とでもちょっと誇らしげに答えます。
Tさんのお酒のコレクション(もはやお店の商品と言うよりもこの表現が適切と思われます)は本当に凄く、19世紀のコニャックは未開栓のものも含めまだ何本も持ってますし(一本だけは私も飲みました)、なかにはマサンドラコレクションと呼ばれる、ロシア王朝が崩壊した際に放出されたというニコライ皇帝所有のワインなんていう曰くつきのお酒を取り出してニヤニヤしながら自慢げに見せてくれたりします。
そんな貴重なお酒達が棚には入り切らずにバーカウンターの上から我々の席の後ろまで所狭しと大量に置かれています。更に置ききれない在庫は貸し倉庫に数百本預けられているそうです。そんなお酒達を見ながら私は「失礼ですが、そんなに大量のお酒を持っていても、もう売り切れないでしょう。」と言うと、Tさんは「いや〜。実は一昨年の年末に重病を患って三週間ほど店を閉めて入院していたんですが、その時、店の前を通りかかった同業者達が、Tが死んだらしいぞと言い出して、ウチのお酒の在庫を狙って騒いでたらしいんですよ。」と皮肉混じりに笑いながら話します。「そんな話はさておき、ウチのお酒はちゃんとした店、ウチのように並べて出せるような店に譲りたいんですよ。でも、このお酒はアソコに行くんだろうなというのも結構有って、アソコの古いカルバドスなんかは京都のTさんのところに行くんだろうなあ、なんて思いながら毎日ボトルを見てますよ。お客さんも、私のお酒を大切に扱ってくれそうな良いお店を知りませんか?」と逆に聞かれてしまう始末。私も実はTさんのコレクションには目をつけていたので、ここぞとばかりに「数本でも良いので私にも譲って貰えないものですかね?」と冗談めかして言ってみましたが、残念ながら完全に無視されてしまいました。
そもそも、これほどのコレクションをずらっと並べて比較して飲め、などと言える店なんて普通では先ず有り得ないのですが、それでも大阪時代に通った北新地に近いバーのKさんだったらもしやと思いつつ、この話を伝えたいと思っているのですが、なかなか大阪に行く機会が有りません。
ちなみに、大阪のKさんには当地の色々な飲食店を紹介して貰い本当にお世話になったのですが、中でも「最後の浪速割烹料理」のお店と言っても過言では無い心斎橋にあるUを紹介して貰ったことは、私の短い関西での生活に於いて得難い経験となりました。でも、この話はまた次回。
そうそう忘れるところでしたが、銀座のTさんは、知ってるかどうか分かりませんが、あのラズウェル細木の「酒の細道」に、こだわりが強いマスターとして一度登場したことがあります。お店でその漫画を見せて貰ったのですが、Tさんご本人は全然自分に似てない!と不満そうでしたが、確かにあまり似てないなかったのですが、Tさんが醸し出す雰囲気というのか、初めてTさんに会った人が感じるであろう雰囲気が良く表現されており、流石プロの漫画家だなあと思った次第です。ちょっとどうでもいい余談でした。
ということで、今回も長過ぎるメールをお許しください。また内容もかなり個人的な嗜好の話になってしまったので、あまり面白く無いのではと反省しております。
1日も早く回復されることを祈念しております。
それでは、また!
最近のコメント