コバヤシ

年賀状はいらない

毎年、高校時代の部活の同期の一人から年賀状をもらうのだが、

「ブログ読んでいます。コバヤシが登場していて嬉しい」

と書いてあった。彼には、僕のブログを通してコバヤシの消息を知ることができることが嬉しいようだ。それにしても、ブログの件はずっと以前に、一度だけ宣伝したような気がしたが、今でも律儀に読んでくれているのは驚きである。もっとも、年賀状を送ることになる年末になって、そういえばあいつはどうしているのだろう、と、このブログを覗く程度なのかもしれないが。

そのコバヤシとは、年賀状のやりとりを今までしたことがない。本当に親しい間柄だと、連絡したいときにいつでも連絡できるという安心感があるから、不要なのかもしれない。

新年が明けて、コバヤシにメールをしたが、今読み返すと、ふだんどおりの書き出しで、新年のあいさつすら書いていなかったことに気づいた。そういえば、コバヤシは喪中だったか…。

お互い「○○殿」と書き始め、文中では、「貴殿」「貴兄」と呼び合うスタイルが定着している。

最近はもっぱらお互いの健康を気遣うあいさつが続いている。こっちはこっちで大変だが、向こうも向こうで大変だ。お互い何かとままならない身体とつきあいながら生活している。

コバヤシからの返信に、「歳を取ってきた為か、あまり興味を持てないことに時間を割くのがだんだん面倒になってきました」とあり、今の僕とまったく同じ心境だということに、不思議と安堵感を覚えた。

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ボケとツッコミ

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。少しご無沙汰してます。

昨日からバンド練習で福岡に来ているのですが、移動時間の暇つぶしということで、最近のネタを書かせていただきます。今回も、つまらなかったらゴメンなさい。

大阪に来て早3年が経とうとしていますが、まだまだ当地の文化に馴染めないところがあります。その一つが、所謂「ボケとツッコミ」です。大阪では、何気ない会話から仕事の会話まで、随所にボケが潜んでおり、それに対しすかさずツッコミを入れる必要があります。

先日も週に一度の職場の清掃の時間に雑巾を洗っていると、横にいた私よりも少し歳上の女性が蛇口や洗面台をキレイに拭いているので、「Hさん丁寧に掃除してくれて偉いね!」と何気なく声をかけたら、Hさん(女性)は「だって女の子だもん〜❤️」とワザと可愛らしい声を出して答えてきます。コレは明らかにツッコミを待っている発言なのですが、私はいきなりのボケに怯んでしまい上手くツッコミが出来ません。仕方なくHさんに「ごめん。俺、申し訳ないけれどツッコミ無理!」と逃げてしまいました。Hさんからは「センター長(職場では立場上、私はそう呼ばれています)、まだまだですね〜。」とダメ出しを食らってしまいました。

Hさんは、真面目でバリバリ働くキャリアウーマンを絵に描いたような人ですが、その彼女ですら、仕事の話をしでいても随所でボケをかましてきます。その度に、ゴメン、ツッコミ無理!と私は逃げ、Hさんからは、頑張りましょう!と言われてしまう始末です。

ちなみに、この春、異動してしまった彼女の元上司のH室長は、普段殆ど喋らないくせに、Hさんに対するツッコミは絶妙にこなしていました。それを見て何時も私はスゴイなあと感心ていたのですが。

先週末、この秋から加入したビッグバンドの演奏会があり、その打ち上げで、バンマスのデュークさんとジャネットさんに、カクカクシカジカと先日のHさんとのやり取りを話したところ(当地ではバンドメンバー同士があだ名で呼びあう習慣が有るようです。なので、私はバンドメンバーの本名を殆ど知りません。しかもそのあだ名のセンスも中々のもので、この習慣も私が馴染めないものの一つです。ちなみにデュークさんは本名が東郷さんだからです。)、デュークさんが「コバさん、大阪に来てどれくらい経つの?」と聞くので、「もう3年目になります。」と答えると、「そりゃアカンわ〜。そんだけ大阪におったらボケとツッコミぐらい出来んと。」とダメ出しを食らってしまいます。ジャネットさんは「ちとそのボケはハードル高いけどな。」と優しくフォローしてくれますが、デュークさんはそんなことお構いなしに「あのな、コバさんな、そういう時は無理だとか言わんで、取り敢えず、何でやねん!と言っときゃいいんよ。」と言うので、私は「えっ、でもデュークさん、なんでやねん!だけだったら話が上手くつながってないじゃないですか?」と言うと、ジャネットさんが「大丈夫。ちゃんとボケてくれる人だったら、すかさずツッコミで返してくれるから。」、「そんなんで良いんですか?」と聞くとデュークさんもジャネットさんも「そんなんでええんや!」と声を揃えて答えます。「さあ、コバさん、取り敢えず、なんでやねん!て言うてみい。」、「えっ!私、関西弁喋れませんよ。」、「いいから言うてみい。」と強引に2人が迫るので仕方なく「なんでやねん!」と少し恥ずかしそうに言うと、2人は「全然大丈夫やん!少しもおかしいないで。じゃあ、もう一回言ってみよう。」と何度か、なんでやねん!を連発させられてしまう始末。一体俺は何をやってんだろうと思いつつ、大阪の夜は更けて行くのでした。

それにしても、なんでやねん!という言葉は、最近注目されている、知らんけど、と同様に関西においては何にでも使える万能のフレーズのようです。

ところで、先程のジャネットさんですが、貴君はどのような人物を想像したでしょうか?誤解があるといけないので説明しておくと、ジャネットさんは65歳の少し禿げかかったおっさんで、かつては市役所で働いていたそうで、職場ではセクハラ発言も多かったとのこと。

何故ジャネットさんなのか全く分かりませんが、これもなかなかのセンスですね。

ということで、何だか良く分からない話を長々と失礼しました。

それでは、大分寒くなってきましたので、くれぐれもご自愛ください。

また、そのうち!

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謎のお爺さん

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。8月も終わりだというのに暑い日が続いていますが、体調は大丈夫ですか?

ところで、昨日の夕方、大阪で入団したバンドの練習があったのですが、ちょっとしたハプニングがあり、なかなか面白い体験をしたので、ネタとしてメールさせて頂きます。ちょっとつまらなかったら申し訳ありませんが、ご一読いただければ幸いです。

我々のバンドは大阪の環状線のとある駅の高架下のスタジオで練習しています。

今日はメンバーが6人しか集まらず、だらだらと練習していたのですが、練習後半の休憩時間中に、突然、変なお爺さんが「すんまへん。Tさん(ウチのバンドのドラマー)はおらんかね~?近所に住んでるもんで、買いもんついでに寄ったんやけど。」と突然スタジオに入って来ました。

私は、ちょっとアルコールも入ったボケ気味の老人かと思って、どうしたものかと見ていたのですが、ベースをやっているバンマスはどうやら顔見知りらしく「Tさんは今日、別のバンドの練習でお休みなんです。すみません。」と、ちょっと驚いたような様子を見せながらも普通に答えています。

お爺さんは「そうか、しゃあないな~。でもドラムいないならワシがちょっと叩かせて貰ってもええかい?」と言い出します。私は、あれあれ困ったなあ、この人ちゃんとドラム叩けるのかなあと見ていると、お爺さんは「買いもんついでに寄ったから、スティックを持ってないんだけど、ある?」と図々しく聞いてきます。

バンマスはちょっと困ったように「ご覧の通りTさんが休みだからスティックはないですよ。」と答えます。するとお爺さんは「ほな、ちょっと待ってな。その辺で借りてくるわ。」と何処かに消えていき、暫くするとスティックを握って戻ってきました。

「ほな、叩かせて貰うけど、本当に構わんかいな?」と少し遠慮した様子を見せながらも叩く気満々で我々に尋ねます。私も1曲叩いたら居なくなるだろうと思い、是非、と答えました。

お爺さんは「何の曲やるん。楽譜はないんかね?」と聞くので、バンマスが「すみません。あいにくドラムの楽譜持ってきてないんです。ただ基本的にカウント・ベイシーの曲を演ってますんで。」と答えます。

するとお爺さんはやる曲を聞いてフムフムと頷き、バンマスにテンポを聞くと、おもむろにカウントを出し演奏を開始しました。

最初の一瞬、デカい音だけど大丈夫かなあと思ったのは大きな間違いで、シンバルのレガート(4拍の刻み)は滅茶苦茶スイングしていてバンド全体をプッシュしてきます。更に各所にあるドラムの決めもきっちりこなし、音の強弱の付け方も素人とは思えません。

1曲終わった後、お爺さんは「覚えとるかなあ?と思ったけど、叩いてみると意外に思い出してくるもんやな。この曲は確か1970年ぐらいにやったなあ。」と飄々と話します。本当にビックリしてこのお爺さんは何者だろうと思ったものの、お爺さんは「次は何やる?」と言って次々と曲を完璧にこなしていきます。私も何曲かソロを吹かせて貰いましたが、アンサンブルの時は大きな音で叩いていたのが、ソロになるとちゃんと音量を落としてソロを引き立てるように叩いてくれるので本当に気持ちよく吹けます(まあ私の腕はさておき)。

さきほど「デカい音」と書きましたが、音量は大きくてもツボを押さえた的確な叩き方なので全くウルさくありません。

お爺さんは4~5曲、叩いた後、「ちょっと昔話させて貰ってもええですか?」と言って、自分は音楽の道に入ってもう60年が経つなどと話しながら、「皆さん平原綾香は知ってる思うけど、私、そのお爺さんのトランペッターの平原さんのバンドにいたんですわ。(ちなみに平原綾香のお父さんは平原まこと、というサックス奏者ですね)」とか、「昔、原さん(原信夫とシシャープス&フラッツ)と対バンでやりましたわ。」とか「北村さん(クラリネットの北村英治)のバンドでやってた時は」などと、何だか凄い話をします。

また最近ウチのバンドでは、バンド経営層とサックス陣の何人かが揉めてバンドを去っていったのですが、それを知ってか知らないでか「バンドっちゅうのは、それぞれのバンドの流儀があるから、メンバーはバンマスに従うだけで、どうするこうするなんて言っちゃいかんのですわ。音を出せば、お互いのことはすぐ判りますから。私は若い頃、そう先輩たちから教わりましたわ。」とか、「私はどんなバンドで叩く時も、それがクソみたいな酷いバンドであっても、必ず本番の2時間前には会場に行きます。長年そうしてきました。それが私の仕事に対する矜持です。」などと自分の経験を穏やかに語ってくれます。「私も若い頃は良く先輩たちにシゴカレましたわ。休憩と言われたから休憩していたら先輩にどつかれたもんですわ。昔は今と違って厳しかったですからね。お陰様で私も長くやらせてもろうてますわ。でも、若い時はなかなかその先輩の教えが判らず、漸く判った時は、もう死ぬときですわ。」などとボケも交えながら話してくれました。

暫く話した後、お爺さんは「そろそろ帰らないと家内に怒られてしまうわ。最近、家内も調子悪いし、ワシも最近、腹切ったばかりなんですわ。」と言って、シャツをめくってお腹を出して手術の跡を見せながら「後45分遅かったら死んでるとこでしたわ。ほな、今日はありがとうございました。」と言って帰っていきました。

お爺さんが帰った後、バンマスに「あの人は何者なんですか?」と聞いたら、「あの人はNさんといって関西に昔からあるアロージャズビッグバンドのドラマーだった人です。ウチのドラムのTさんのお師匠さんです。」とのこと。

なるほど上手いわけだと独り合点しつつも、プロと演奏するとやはり勉強になるなあ、と思った次第です。

ということで、長く第一線で活躍して来た人の言葉は飄々と語られても含蓄があるものだなあと思いつつ、最近、色々と考える処があったので、お爺さんの話を聞いて、少しモヤモヤが晴れました。

ということで、つまらない話を失礼。

それでは、お元気で!

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すべての粉もんはオカズ

体調がいまひとつなので高校時代の親友・コバヤシから来たメールを転載します。

鬼瓦殿

こんばんは、コバヤシです。

夏風邪をこじらせたようですが大丈夫ですか?

療養中でしたら気晴らしの小ネタを一つ。

私の職場には所謂、社員食堂があるのですが、そのシステム は4種類あるオカズの中から好きなモノを二つ選び、それにご飯とお味噌汁がつくという風になっています。もう少し補足すると、オカズを一つだけにしたら、ウドンか蕎麦も選べます。

先週の木曜に、そのオカズの中に焼きそばが有ったので、これが噂には聞いていた、焼きそばもご飯のオカズになるというヤツかと思い、たまたま焼きそばを手にとった女性社員に、それってオカズなの?と聞いたら、もちろん!と即答、更には聞いてもないのに、お好み焼きもオカズですよ、何ならウチの息子達はタコ焼きでもご飯食べますよ、と衝撃の発言が。

お好み焼きがオカズというのは聞いていたけど、まさかタコ焼きもかと思い、昼休みに近くに座っている男性社員に、タコ焼きってオカズなの?と尋ねると暫く考えて、というか即答で違うと答えると思ってたのですが、ウチではオカズにはしないけど、それも有りかなあ、と答えます。

ちょっと曖昧なの回答だったので、他の女性社員にも、タコ焼きはオカズなの?と聞くと、その女性は即答で、当たり前じゃないですか、タコ焼きはご飯のオカズですよ、と言います。ついでに、でもビールの方が合いますけどね、とのこと。

他にも何人か聞くと、自分はオカズにはしないけどという人も何人かいましたが、タコ焼きがオカズになるということを否定する人は殆どいませんでした。

なるほど関西人は、どうやら粉もん全般をオカズにするという文化があるのかと独り合点した次第です。

ここで一つの疑念が浮かびました。

冒頭に二つ選べるオカズを一つにすれば、ウドンか蕎麦を選べると書きましたが、その場合もご飯とお味噌汁は食べられます。
まさかとは思いながら、皆んなにウドンと蕎麦はオカズなのかと聞くと、殆どの人がオカズだと答えます。しつこく、ウドンのおつゆを汁物としてご飯を食べるということではなく、ウドンの麺でご飯を食べるのかと聞くと、多くの人がそうだと答えます。

そう関西人は、あらゆる粉もんをご飯のオカズにしてしまうという衝撃の事実が判明しました。

やはり、東西のギャップは我々が考える以上に大きいようです。

ついでに書くと大阪のスーパーには我々関東人が当たり前のように使っている中濃ソースは存在しません。というか、関西人は中濃ソースの存在すら知りません。これも最近知った衝撃の事実でした。

ということで、今回のネタはいかがでしたか?

それでは、毎度大きなお世話かもしれませんが、くれぐれもご自愛ください、

またそのうち会いましょう!

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コバヤシとの再会

5月16日(火)

この日のトラック野郎行脚は、スケジュールにかなり余裕があったようなので、大阪に住んでいる高校時代の親友・コバヤシに連絡をとり、夕方に「なんば」で待ち合わせようということになった。コバヤシからは、この日は仕事が早めに終わりそうだということと、翌日は健康診断があるのでお酒は飲めないとの返信が来た。ま、僕はお酒をスッパリとやめたので、それはそれで好都合である。僕は、「貴兄も明日は健康診断だし、私もやや疲れているので、今日は早めに切り上げましょう」と返信した。

僕が早めに「なんば」に着いて喫茶店で時間をつぶしていると、コバヤシが意外と早く仕事が終わったようで、5時半にその喫茶店にやってきて、これから食事でもしようということになった。

「なんば」にある百貨店の上の階に食事街がある。お好み焼き屋に入ろうと思ったが、カウンターしかなく、落ち着いて話もできない。いろいろ探したら、どうやら洋食屋ならばゆっくり話もできそうだということで、そこに入ることにした。

食事をしながらの話題は、もっぱら僕が担当したイベントの話である。コバヤシは、遠いという理由でイベントを見てはいないのだが、僕の話を面白がって聞いてくれた。僕も話していくうちに、興が乗ってきてどんどん元気になっていく。

いままで、僕の仕事に対してまったくといって興味のなかったコバヤシが、このイベントに関しては身を乗り出して聞いてくれている。それどころか、

「おまえ、それ、絶対に続編をやれよ。おもしろいから」

とまで言う。

やはりこのイベントは僕の人生の中で特別な仕事だったのだ。

お互い時計も見ずに対話をしていたら、気がつくと8時半になっていた。

「おい、もう3時間も喋ってるよ」

「いかんいかん、帰らないと」

急いでお店を出て、

「じゃあまた会おう」

といって別れた。

翌日、メールが来た。

「昨日は久しぶりに会えて嬉しかったです。しかも裏話を含めて聴かせてもらったイベントの話は本当に面白かったです。時間が経つのを忘れて聴いてしまいました。

でも、それ以上に、貴君が思ったよりも元気そうだったので安心しました。体調は思わしくないとは思いますが、そんなことを感じさせることなく精力的に活動を続けていることに少しホッとしました。

とは言え、やはり無理せず自分の体調を第一に行動してください。

またそのうち会いましょう!では、お元気で!」

僕は、ようやく自分の人生のつじつまが合ってきたような気がして、そのことを噛みしめた。

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俺の鮨も光っているか

鬼瓦殿

こんばんは。高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。

木曜、金曜で東京出張だったので、久しぶりに行きつけだった下町のお寿司屋さんに行ったのですが、お店の大将と話していて、ふと思い出した話があり、メールした次第です。

もう何年も前になりますが、その下町にある行きつけのお鮨屋さんに行った際に、他に誰もお客さんがいなかったことも有り、大将の秀さんの修業時代の昔話を色々と聞かせて貰いました。秀さんは今年で71歳になる如何にも叩き上げの鮨職人という感じの方です。その秀さんがしみじみと語ってくれた昭和の時代の職人さんの修業話は面白くもあり、非常に心に残るものでした。

大将の秀さんは昔の浅草区の出身で、中学を出てすぐに鮨屋に住み込みの修業に入ったそうで、18歳くらいの時に鮨職人として一人前に育ててくれた親方に出会ったそうです。もう50年以上も前のことだそうで、今は無い上野の駅前にあったホテルの鮨屋で修業していたそうです。

ただ、今でこそ有り難さを感じているそうですが、修業を始めたばかりの頃は本当に酷い目に遭ったとのことで、親方を刺し殺してやろうかと思ったことも幾度となくあったそうです。

例えばと話してくれたのは、秀さんがその店に入って間もない頃、親方の指示どおりにシャリを炊いてお酢を切ってお櫃に入れておいたところ、親方が試しにシャリを握った途端にお櫃に水をぶっかけて捨ててしまい、今日の昼の営業はヤメだと言って帰ってしまったり、大量に注文が入った海苔巻きを巻いていたら、突然、親方が来て何も言わずに折角作った海苔巻きを全てゴミ箱に放り込まれてしまったり、と本当に酷い目に遭ったそうです。

でも、今改めて考えると、その時は海苔巻きを鮨を握るようにしっかり巻いてしまったので、親方は、海苔巻きっていうのはしっかり、でもフワッと巻くもんだ、普通の鮨を握るより難しいんだ、と教えてくれたのでは、と気付いたそうです。ただ、昔の職人さんは何も説明してくれないので、何故シャリを捨てられてしまったのかは未だに分からないそうです。

またある時などは、お店の営業時間が終わった後の夜の10時過ぎに、親方の一番弟子がやっている銀座の店に行って来いと言われ、え〜今から!もう疲れてるから帰りたいよ!と思いながらも親方には逆らえず、11時過ぎから朝方3時ぐらいまでただ働きをさせられたこともあったそうです。銀座の仕事が終わった後は勤めていたホテルの仮眠所に行って少し寝て、また親方の店で働き、お店が終わると銀座で働くというのが暫く続き、今じゃあ考えられないブラックな職場だったけど、いまは良い思い出だね〜、と語っていました。

親方はかなり大変な人だったようで、営業そっちのけで常連さんと麻雀に行ってしまったり、徹夜で麻雀をした後、朝の10時ごろにお店に来たと思ったら、仕込みを見て1時間ちょっとで帰ってしまったりと本当に大変だったそうです。

それでも、半年経ったぐらいからは大分仕事を任せてくれるようになり、数年後には、この店を出て他に行けと鮨職人の組合に行かされたそうで、そこから本当に沢山のお店で修業をしたそうです。

親方の元を去った後も、事ある毎に親方に挨拶に行くと、今度はこの店に行けあの店に行けと言われ、その中には所謂名人と言われる職人さんのところもあったそうです。親方は握りはお世辞にも上手いとは言えなかったそうですが、顔は広かったので、昭和の名人と呼ばれる人達を何人も知っていて、時期を見てそういう名人の下に秀さんを行かせてくれたそうです。

その頃に見た名人達の仕事は本当に素晴らしかったそうで、秀さん曰く、何て言って良いか分からないんだけど、とにかくお鮨が光ってるんだよね、今じゃあもうあんなお鮨を見ることは出来ないよ、でも俺は何時も店の端っこで仕込みをしながら見ているだけで、その鮨を実際に食べたことは無いんだけどね、と話してくれました。

ただ、その名人と呼ばれる人達は困った人達でもあったそうで、食材へのこだわりは人一倍強く商売は度外視で、こんな魚じゃあ握れないよとゴネたり、食材に妥協を許さないあまり経営が立ち行かなくなりお店を潰してしまう、なんてことも多々あったそうです。

先程、秀さんの親方は握りは下手だったと書きましたが、包丁捌きだけは素晴らしかったそうで、何百枚とネタを切っても寸分違わず美しく切ることが出来たそうです。名人と呼ばれる親方の知り合い達からも、お前の親方の仕事は良く見ておけよ、と言われたそうです。

秀さんもたまに自分の握った鮨を見ながら、俺の鮨も少しは光っているかなぁと考えるそうですが、やはり自分は少し商売っ気があるので駄目なんだよね、と照れながら語ってくれました。

秀さんの親方は経営者としても優れた人だったようで、数々の店を繁盛させただけでなく、秀さんが挨拶に行くたびに、その時の修業先のことを聞き、聞き終わると、その店はもう長くはないからとっとと辞めて他の店に行けとか、もう半年その店で辛抱して働けとか、都度的確な助言をしてくれたそうで、気付けば秀さんはどんな店に行っても困ることの無い一人前の職人になっていたそうです。

江戸っ子の秀さんはそんな話をした後、つまんない話を長々としちまってすいませんね、とはにかんだように言います。そんな秀さんの語る昭和の職人さんの話は、少々酔って聴いている私を何とも言えない懐かしいようなしみじみとした気持ちにさせてくれました。
ということで、まだかろうじて残っている昭和の職人さんの話でした。私の行く店は東京もそうですが、福岡も大阪も皆70を超えた昭和の職人さんの店ばかりで、後何年行けるのやら。

ではまたそのうち。

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大阪のバーの夜

こんにちは。コバヤシです。

少しご無沙汰してしまいましたが、元気ですか?

本日、訪ねたバーでなかなか面白い体験をしたので、メールさせて頂きます。

昨日、業界団体の会合が有り、大阪の商業の中心地、船場に行ったのですが、会合とその後の懇親会が早く終わったので、大阪に来てからたまに行く、北新地に近いバーに行くことにしました。

お店に入ると、右端に2人連れの少し歳のいった男性客、左端の方に若い方が1人で飲んでいます。
その間に私は座ったのですが、右横の2人連れは結構呑んでいる感じで、楽しそうに盛り上がっています。どうやら2人は会社経営者とそのお客さんの社長のようです。

私も飲み始めて少しすると、2人のうち年輩らしい方のノヅさんという方(御年は確か65歳と言っていました)が、「ハマちゃん(経営者の方で多分50代)な、折角、久し振りにこの店に来たんやからタッちゃん(バーのマスター)にも1杯奢ってやらんと。」、と言い出しました。更に、「ハマちゃんな、他にお客さんも2人おるし、折角だからシャンパンの1本でも開けて一緒に呑んでもらったらええやん、これも何かの縁(えにし)やし。」、と言い出します。ハマちゃんはすかさず、「ちょっと待ってアンタ、アンタお金出してくれんの?というか俺が出すんやろ、いい加減にしてくれや!」、と返します。ノヅさんは、悪びれた様子も無く、「俺は一銭も出さんで、アンタガ金出すんやろ。ここでご馳走しといたら、アンタかっけえ~で。しかも、今だったら店には5人しかおらんし。この後、他のお客さん来たら、もっと高くつくで。」、と返します。ハマちゃんは、「オッサンん死ねや、いい加減にしてくれや、さっきの店でもアンタ、1杯しか飲めんと言っとたのに5杯も飲んだやんけ。しかも、ここのお客さんとは多分もう二度と会わへんで!」と少し怒り気味に答えます。その後、ハマちゃんが私の方を向いて、「このオッサンと昼の11時過ぎから飲んでて、もう6件目ですわ。どう思います?」と言ってくるので、「そんな時間から今まで飲んでるとはお二人ともお元気ですね。」とお茶を濁すと、ノヅさんは全く意に介さず「ハマちゃん、いいからシャンパン1本奢ったれ。」と言い、押し切られたハマチャンは「分かったは、じゃあ1本シャンパン奢るわ。他のお客さんにもお騒がせして迷惑かけたし。」と豪勢にも、たまたまいた我々にもシャンパンをご馳走してくれました。

ノヅさんは「この酒、ホント旨いな。やっぱりシャンパンは良いわ。」と飄々と語ります。ハマちゃんは「オッサン死ねや。高い酒なんだから旨いのは当たり前や!」と突っ込みます。ついには、ノヅさんは、歌でも歌うかと何故か博多祝い唄を歌い出す始末。ハマちゃんは「いい加減にしろや。この店は歌を歌うような店やないやろ。他のお客さんに迷惑やろ!しかも、なんで大阪の人間なのに博多なんやねん。」とすかさず突っ込みを入れますが、ノヅさんは全く意に介せず、「そやなあ。タッちゃんが修行してたXXXXXでは、ワシも流石に歌う勇気なかったわ。あの店は何というか圧が強くて、ワシも静かに飲んどったわ。」ハマちゃんも「XXXXXは大阪1の高級バーやから当たり前やろ!でも、確かにあの店は本当に凄かったなあ。」と、どうやら今は閉店したらしい北新地のバーの思い出話にマスターも入って花が咲きますが、暫くすると、またノヅさんが「じゃあ折角美味しいシャンパンを飲めたから、博多一本締めでもするか。お客さんも一緒に御願いします。ほな行きますか。よ~、(パン、パン)、もひとつ(パン、パン)、(パパンガパン)。ありがとうございました!」と自由奔放に振る舞います。ハマちゃんも思わず一緒に一本締めをした後、「オッサン、何しとるねん。迷惑やろ。しかも何で、また博多一本締めなんやねん。」と突っ込みを入れ、私ともう1人のお客さん、そしてマスターの3人は笑いこけるばかり。

暫くしてグラスのお酒が減ってくると、またノヅさんが「ハマちゃんな、折角だからシャンパンもう1本開けてみんなで飲もうや。」と言い出します。すかさずハマちゃんが「アンタもう帰れや!誰が勘定払うと思ってるんや。あんた払わんか!ここにカード置いてけや!」とたたみかけます。ノヅさんは、全く動じることも無く「俺は1銭も出さんで。ええやん、アンタが出しとけば。」と淡々と返します。するとハマチャンは再び私の方を向いて「このオッサン、資産12億円はもっとるんですわ。それなのに、俺に奢れなんて、どう思います?」と訴えてきます。流石に私も「もう1本奢って貰うのは申し訳ないので。。。」と、ノヅさんの方を見て言うと、ノヅさんは「俺が金出すわけやないんで構いませんわ。シャンパン旨いですやろ。」としゃあしゃあと答えます。ハマちゃんは、ノヅさんの方を見て「オッサン死ねや。アンタ、金出さんくせに何言うとんねん。ええい、分かったわ、もう1本シャンパン開けるわ!」と半ばやけになって言います。マスターは「ありがとうございます。高いシャンパンを2本も開けてくれて助かります。ご馳走になります!」と言うと、ノヅさんは「そうやろ。新地の酒の味も判らん姉ちゃんに高い酒飲ますぐらいなら、ここの酒の味判る人達と飲んだ方がよっぽどマシやわ。」と答え、ハマちゃんはまた「オッサン死ねや!カネ出しとんのはワシやで!」と返します。その後、暫く横の2人はボケと突っ込みを繰り返し、最後にハマちゃんが「お騒がせしてすいませんでしたね。」と我々に話しかけて、2人はお店を出ていきました。

2人が店を出て暫くしてから、バーのマスターが「あの2人は、この店にもう20年以上も通ってくれているんですよ。実はノヅさんは建築関係の会社を経営しているんですが、数年前に仕事に行き詰って鬱になってしまってお酒を辞めていたんです。今日は久しぶりに2人でお店に来てくれたんです。ハマちゃんは、あんなこと言ってましたが、ノヅさんが楽しそうにしてくれていたんで、本当に嬉しかった筈です。」としみじみと語ってくれました。

2人の会話を聞いているだけで漫才を聞いているようで面白かったのですが、そんなことがあって今日2人がここで飲んでいたのだと思うと、表面では判らない大阪人の人情の深さに少しジ~ンときてしまいました。
という訳で、何だかよくわからないまま、美味しいお酒を飲みながら、漫才を楽しみ、更には人情話まで聞くという、大阪のバーの懐の深さを実感した次第です。

それでは、またそのうち。

…とここまでが、高校時代の親友・コバヤシからのメール。

8年ほど前の、ある地方都市でのやきとり屋での出来事を思い出した。

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新大阪再会

11月20日(日)

明日は午前から関西で用務があるので、日曜日に用務先と同じ市内に前泊することになった。

いま大阪府内に住んでいる高校時代の友人・コバヤシに連絡をとってみたところ、せっかく日曜日に関西方面に来るなら、会おうということになった。たしかに、平日に関西に滞在しても、コバヤシは仕事なので会うことは難しい。

コバヤシと会うのは何年ぶりかと調べてみると、2018年6月に生まれたばかりの娘の顔を見にわが家にやってきて以来だと思うから、4年半ぶりくらいである。

問題は、どこで会うか、である。

僕が滞在する用務先と、コバヤシの住んでいるところとでは、同じ関西といっても、ちょっと離れている。最初はその中間くらいの場所を指定されたのだが、新幹線から降りて、在来線に乗り換えて途中下車して、また用務先のホテルに向かうというのは、荷物も重いし、かなりしんどい。かといって、いっぺん用務先のホテルにチェックインして、そこから在来線で30分以上かけて移動するというのも、これまたしんどい。加えて、昨日の土曜日はひどく具合が悪くて、コバヤシに会う体力が残っているか心配になった。

何かいい方法はないものか、と調べてみると、1日に4本だけ、新大阪駅から用務先のホテルの最寄りの駅まで直通の電車が走っていることがわかった。これならば、新幹線を降りて在来線に乗り換えて途中下車する、という手間が省ける。新幹線を降りて新大阪駅で会えば、そのままその在来線の直通電車に乗って用務先の最寄りのホテルまで直行できる、というわけである。

ということで、新大阪で待ち合わせて会うことにした。

約3時間、ああでもない、こうでもない、と話をしたのだが、とくに来年開催予定のイベントの準備で大変だ、という話をすると、コバヤシは大笑いしながら、

「人間というものはいくつになっても変わらないものだな。おまえを見ているとつくづくそう思う」

と、いつもと同様の結論を繰り返した。面白そうだと思って自分が言い出した企画を実現しようとして、最終的にはそのことに苦しめられる、というのが、高校時代からの僕の性分のようだ。

いろいろと話してくうちに、僕自身は何の趣味もないのだが、趣味人、それも「知られざる趣味人」に出会うのが好きなのだ、ということが自分でもわかってきた。

「だから俺とつきあいが続いているんだな」とコバヤシ。

たしかにそうだ。趣味人のコバヤシは、いままで僕の知らない趣味をいろいろと教えてくれた。

コバヤシとは、性格も、趣味嗜好も、おそらくは思想信条も、かなり異なるのだが、それでも長続きしているのは、そういうことなのだろう。

「最近は、みんなで集まることよりも、会いたい人に会いに行く、という方がおもしろくってね」

「終活みたいなこと言うなよ」

50歳を過ぎたら、若い頃に張り巡らされた人生の伏線の回収がはじまる。あながち終活という言葉も、間違ってはいない。

もちろん、「また会おう」と言って別れた。

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表現力について

10月27日(木)

前回の記事で、久石譲の「人生のメリーゴーランド」がビッグバンド用の編曲にとてもよくマッチしていて、どことなく「Beautiful Love」というジャズの名曲を彷彿とさせる、といったようなことを書いたが、それに対して、高校時代の親友・元福岡のコバヤシがすぐにメールをくれ、「そう言われてナルホドと気付きました」と書いてくれていた。

「人生のメリーゴーランドは短調、すなわちマイナーのキーが4小節続き、その後の4小節は長調、すなわちメジャーに転調します。この展開はBeautiful Loveも一緒ですし、有名な枯葉も同じような構成です。

ちなみに私のオリジナル曲もマイナーで始まり、少し間をはさんでメジャーに転調するので似たような感じは有ります。

そもそも自分も含めて日本人はマイナーの曲を好むというか、感情移入しやすい傾向にあると思います。

そうすると、貴君が私の演奏で感心したのも、私の演奏技術より、日本人好みのマイナーの曲だったからでしょうか。う~ん」

すごい。僕の音楽に対するざっくりとした感覚を、理論立てて説明してくれている。ナルホドと思ったのはこっちの方である。

僕はジャズにぜんぜん詳しくないのだが、それでもなんとなく頭の中にその引き出しができているのは、高校時代に同期のコバヤシや1年下の後輩からいろいろなことを教わったからである。先日のミュージアムコンサートで、「リカード・ボサノバ」(ギフト)という曲をこれからやりますと聞いて「おおっ!」と思ったのは、高校時代にボサノバ好きな後輩にイーディ・ゴーメがいいと奨められたからである。僕はイーディ・ゴーメのレコードを買って、ある時期、くり返し聴いていた。人生において、なにひとつとして無駄な知識はないのである。

コバヤシはメールの別のところでこんなことを書いていた。

「ちなみに私の今の演奏技術は学生時代よりも相当衰えています。ただ成長したとすれば、歳を重ねた分、技術とは違う表現力がついたのかもしれませんね。もし、年齢を重ねたことがほんとうに表現力の向上に繋がったとするならば、嫌々続けたサラリーマン生活も無駄ではなかった、ということでしょうか」

そう、無駄ではなかったということである。技術の衰えを表現力でカバーする、というのは、僕が職業的文章を書く場合でも同じである。

表現力についての考察は、別の例でもう少し書いてみたいところだが、疲れたので次の機会に書く。

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人生のメリーゴーランド

久しぶりに、高校時代の親友・元福岡のコバヤシからメールが来た。

「鬼瓦殿

ブログを読む限り、どうにかこうにか何とかやってるみたいですね。でも相変わらず、仕事を詰め込んでるのを見ると、人間変わらないものだなあと、つくづく思います。

先程、貴君のブログでミュージアム コンサートに行き、また人前で演奏してみたい、と書いていたのを読み、久しぶりにメールしようと思いました。というのも、10月に入り先週末、先々週末と私自身が人前で演奏する機会が有り、その楽しさをしみじみと実感していたからです。

ちなみに先々週末は奈良の○○寺というお寺で、この夏から参加し始めた大阪のビッグバンドで演奏し、この週末は門司港で10年来続けている福岡のカルテットで演奏しました。

久しぶりの人前の演奏でしたが、やはり観客に向かって演奏するというのは、演奏の出来自体はともかく嬉しいものですね。所詮、自己満足でしかないのですが、やはり人に見て欲しいという欲求が自分にもあるのだなあと、つくづく思いました。

貴君も諦めずに是非また挑戦して欲しいものです。

ということで、先週土曜の門司港の演奏を知り合いが撮ってくれた映像のアドレスを添付するので興味があれば聴いて見てください。学生時代に作曲したオリジナルを33年振りに演奏してます。

ビッグバンドの方はYoutubeで検索すると出てきます。「人生のメリーゴーランド」という曲でソロを吹いています」

送られてきたリンクをたどり、演奏を聴いてみた。

門司港でのカルテットの演奏は、コバヤシのオリジナル曲で、彼の演奏を堪能できた。高校の後輩で、CDを出したりしているサックス奏者もいるのだが、コバヤシの演奏がはるかに心にすっと入り込むのは不思議である。むかしから聞き慣れた音だからだろうか。若い頃よりも上手くなっている。若い頃からどんな演奏をやりたいのかがはっきりしていて、軸がぶれていないな、と感じる。

奈良の古刹での演奏はビッグバンド編成で、どれも親しみやすい曲ばかりだった。彼がソロをとった「人生のメリーゴーランド」。すごく聞いたことがある曲で、何の曲だったかな?と調べてみたら、宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』の劇伴音楽で、久石譲が作曲したものだった。どうりで心に残るはずである。

この曲をビッグバンドのためにアレンジしたものなのだが、妙にマッチしている。どことなく「Beautiful Love」というジャズの名曲を彷彿とさせるからかも知れない。そう感じているのは僕だけかも知れないが。

僕自身の演奏は叶わなくても、職場にミュージシャンを呼んでコンサートをしたい、などという思いに駆られる。

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