コバヤシ

ブログ職人?ゴーストライター?深夜の世迷い事

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

次のネタを執筆中ですが、もう暫く時間がかかりそうなので、最近だんだんと疑問に感じ始めたことを箸休めにメールします。

気付けば、貴君へのお見舞い代わりに書き始めたメールも早1カ月を超えました。

最初は貴君の気休めになれば、と書いていた筈なのに、先程、貴君のブログを見て数えたら、何と7つも連続して掲載されているではないですか。

少し前に、貴君のブログを代筆しているのではないかという錯覚に陥りそう、と書きましたが、他人のブログを代筆する(と勝手に言ってすみません)というこの行為は一体何なんだろう?という疑問がだんだん湧いて来ました。

私の考えるところでは、ブログというのは自分の身近で起こったことや、思うところを、不特定多数に発信すると言いながらも、友人知人などある程度知っている人が読むことを前提に書くものだと思います。

それからすると、貴君のブログに載せることを前提とし始めたこの文章は一体何なんだろうか、と思うわけです。

貴君のブログの読者の方達を私はほとんど知らないですし、読者の方達も、私のことはたまに貴君のブログに登場するコバヤシという存在でしか知らないと思われます。もしかしたら、これだけ私の文章が貴君のブログで続くと、コバヤシとは貴君の創作した人物ではないかという疑念が湧いて来ても不思議では有りません。

大体、何かしら自分のことを語りたいなら自分のブログを始めれば良いのであって、親しいとは言え他人のブログの為に文章を書くという行為は不可解と言う他有りません。

そこで私の頭をよぎったのは、良く深夜ラジオのパーソナリティに読み上げて貰うことを目的にハガキを書き続けるハガキ職人と呼ばれる人達ですが、私のこの行為は貴君のブログに載せて貰うことを目的に投稿し続けるブログ職人とでも言うのでしょうか?

でも、ちょっとしっくりこないような気もするのですが、もしかしたら良く芸能人が自分で文章を書けないので代筆して貰うゴーストライターのようなものでしょうか?これもしっくり来ませんね。

ということで、深夜の世迷い事、失礼しました。

では、ご自愛専一のほどを。

〔付記〕コバヤシには大きなご負担をおかけしたようだ。でも私には書けない世界なので、毎回新鮮な気持ちで読ませてもらっている。私を励ますためだけにくれたメールをこのようにブログの代筆のごとくに掲載してしまうのは私の不徳のいたすところだ。本来ならば死んでお詫びをしたいところだが、また書く気が起きれば復活するので、それまでは堪えていただきたい。貴兄の話を楽しみにしている人が居ることことだけは申し添えたいと思います。

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サラリーマンとして思うこと

鬼瓦殿

こんばんは。幾らかは良くなったでしょうか?

次のネタに行く前に、ちょっと小休止ということで、昨日、久しぶりに腐れ縁の上司登場2人で呑みに行って思ったことを少し書かせて頂きます。

少し前のメールで「サラリーマンは腐れ縁」というネタを書きましたが、昨日も改めてそれを実感した次第です。

あのネタの中で子会社に出向する前の元上司が、2人もまた上司として私の上にいると書きましたが、昨日はその上司の1人、一番長く付き合っている上司というのかほぼ友達に近い副社長のMさんと呑みに行きました。

昨日は飛び石連休の中日だし、さっさと帰ろうと夕方5時半ピッタリにパソコンを落としたら、副社長のMさんが私の横に寄ってきて「コバヤシ、暇?」と聞きます。私が「もう帰りますよ。」と言うと、また「暇なんだろ?」と食い下がります。

まあ実は、昨日は年休だった筈のMさんが昼過ぎに会社に来たので、「もしかして家に居づらくなって会社来ちゃったんすか?」と言うと「そうそう、家にずっと居ると煮詰まっちゃってね〜。」と素直に認めるので、これは絶対帰り際に誘いに来るなあ、とは思っていたのですが。

一応お約束で再度「帰るつもりなんですけど。」と答えると、Mさんは「今日は金持ってるから大丈夫だよ。」と他の社員がいる前で恥も外聞も無く食い下がります。

ちょっと補足すると、Mさんは、17、8年前、私が千葉の工場に勤めていた頃の上司でもあったのですが、その時はあまりの忙しさに半ばグレていて、夜8時を過ぎると、私が忙しそうに働いているのを無視して「コバヤシ、呑みに行こうよ!もうやってらんないよ!」と度々誘いに来ます。私が「忙しいからダメです。」と答えると、「良いじゃん!そんなの明日やれば良いじゃん!」とめげずに誘うので、仕方が無いなあ、と呑みに行くと「悪いけどさあ。今日、金持って無いから貸して。」と全く悪びれることなくお金の無心をします。結局、何度か呑みに行って、その度に金貸してと言うので、一時期は三万円以上お金を貸していました。もうちょっと補足すると、お世話になった職場のベテラン女性を慰労するために開いた呑み会も、私にお金を借りて開催する始末。(なんか、このネタ前にも書いたような気もしますね~。失礼。)

まあ、最後はちゃんと(本人曰く「五百円も利子をつけて!」)返して貰ったのですが。この借金については、我々の中ではお互いの持ちネタになっているので、前述の「金持ってるよ。」の発言に繋がる訳です。

少々余談が長くなりましたが、二人で呑みに行って話すのは、「お互い、変な人同士よく働いて来たなあ」ということです。

前にも話したと思いますが、私の大学時代の仲の良い友達は誰一人サラリーマンをしていません。数年前に結婚して奥さんの扶養家族になり今は専業主夫をやってる奴や、デパート勤めを直ぐに辞めてプータローも早30年以上、私が貸したそれなりの額のお金を10年以上も返さない奴など、う~んという人達ばかりです。まあ大学の先生になった奴もいたりするのですが、そいつもサラリーマンを辞めて学者になったやはり変な奴です。

ご存知かどうか分かりませんが、私の出た大学は一応Captain of industryを標榜するサラリーマン業界で活躍する人達が多い学校な筈なのにこの体たらくです。

そんな中で、友達からもサークルの先輩からも「コバヤシは絶対にサラリーマンは務まらない。」と言われていたのに気づけば30年以上もサラリーマンを続けています。

Mさんは、「コバヤシは変な奴だし、働きたくないと言うくせに良く働くよなあ。しかも30年以上も。おかげで俺も助かったよ。感謝してるよ。」と酔っぱらいながら語ります。そう言うMさん自体がかなりの変人なのですが、Mさんはそれを自覚しながら、サラリーマンとして評価されるには如何に立ち回るべきかを考えながら長年やってきた結果(それを批判する人もいるのでしょうが)、一応、親会社では役員になり、今の会社でも副社長になった人です。周りの人達は、そうした努力には殆ど気付かず、ただの変人と思ってる人が多いので、私が「Mさんも社会人不適格者のくせに良くそこまで意識しながら頑張って来られましたよね~。」と言うと、「そうなんだよ!誰もそれを分かってくれないんだよ。分かってくれるのはお前ぐらいだよ。」と言います。

まあ、サラリーマンだけでなく学者の世界も音楽の世界も、有無を言わせないほどの圧倒的な実力と才能が無い限りは、やはり立ち回りは重要な訳で、それをとやかく言う人はどれだけ自分が認めて貰うための努力をしたのだろうか?と私などは思ってしまいます。私自身はそんな努力や評価とは無縁なので、どうでも良いと言えばどうでも良いのですが。

でも、思い返すと私のサラリーマン人生、要所要所でMさんみたいな変な人や、同期でも、泥酔して野宿ばかりする頭のおかしい奴や、やはり泥酔して転んで血だらけになる奴やらダメ人間が現れ、その度にこんなふざけた人間でも何とかサラリーマンが勤まるもんだなあ、と思いながら今まで続いて来ました。

そうして、サラリーマン人生の最後にまたMさん、更にはもう一人の上司Aさん(インド人もビックリ!と前に書いたかなり変な人)という変な人達と再び一緒に働くことになったというのは何かの巡り合わせなのでしょうか。そうであれば、サラリーマン人生も満更でも無かったのかとも、今更ながらしみじみと思ったりもします。

話は変わりますが、Mさんは文学青年、かつ歌を詠むのが趣味な人なので、副社長室には公私混同も甚だしい蔵書がいくつか並んでいます。

「赤光」を始めとした斎藤茂吉全集や正岡子規の歌集が棚に並んでいたりします。(まあ、家に置くスペースが無いので会社に置いてる訳です。)ちなみに、Mさんは日経新聞の歌壇の常連だったりもします。

先日などは、仕事の報告しに行った筈なのに、そんな話は二の次で「こないださあ。埼玉の古本屋のネットで河出書房の須賀敦子全集が売ってたから買っちゃったんだよ。明日、会社に届くんだよ。羨ましいだろ!」などと言い出す始末。 私も須賀敦子は大好きなので  、つい、「え~!いいなあ!俺も欲しいな~。」などと答えてしまいました。翌日は、届いた段ボール箱の本を、秘書の女性を含む3人で「お~!」とか何とか言いながら開けて楽しんでしまいました。(ちなみに秘書の女性はこれらの本に全く興味はありません。)

まあ、そんな訳で、類は友を呼ぶ、と言うのかどうかは判りませんが、変な人たちに囲まれながらあと数年はサラリーマンを続けてみようかと思う今日この頃です。

それでは、また!少しでも早い回復を祈念しております。

コバヤシより

〔付記〕高校時代、コバヤシと二人で山口瞳さんの家を探しに行ったことがある。コバヤシはさながら現代の山口瞳さんを彷彿とさせる。

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銀座のバーのマスターは尚も語る ~銀座のBarの矜持~

鬼瓦殿

こんにちは。コバヤシです。

まだまだ体調は思わしくないようですね。

ということで、今回もお見舞いメールを長々と書いてみました。

だんだんマニアックというのか、個人的な嗜好に偏った内容になってきてしまい、かなり読むのがシンドイのではと危惧しております。

だったらメールするな、という話になるのですが、やはり書いてしまったのでお送りします。
つまらなかったら、ごめんなさい。
今日も銀座のTさんの話です。このシリーズもこの辺でお終いにしようと思います。

銀座のバーOのTさんの口癖は、「ウチは銀座のバーですから。」と「ウチはカタギですから。」の二つです。

後者は、いつもお会計の値段を見て私が「こんなに安くていいんですか?」という問いに対する返事で、前者は私に色々な珍しいお酒を出してくれる時に言う言葉です。

Tさんがお酒を出すときに必ずお客さんに要求するルールが「出来ればいくつかのお酒を比較して飲んでください。」というものです。Tさんは、あるメーカーのお酒を出す時に必ず、同じメーカーの同年代の複数のランク(大手のブランデーメーカーは、大抵下からスリースター、VSOP、ナポレオン、XO、エクストラといった風に熟成年数と酒質に応じて複数のランクのお酒を出しています。)のお酒か、複数の年代の同じランクのお酒を飲むことを薦めます。Tさんは、「比較対照があって初めてそのお酒の良さが分かるんです。そもそもお酒の良し悪しの判断は、その時の体調や天候によっても変わってきますしね。」と、持論を展開します。私がいつものように「スリースターだけ飲んでいれば、これはこれでかなり美味しいけど、上のクラスのお酒を飲むとやはり明らかに酒質が上というのが分かりますね。」と言うと、Tさんは満足げに「そうでしょう。比べるからこそ、上のクラスのお酒の良さよく分かるんです。」と語ります。このお酒の提供の仕方については、私の浅草の行きつけのビストロGのシェフは「あそこは全然飲みたいお酒を飲ませてくれないんだよ。」とボヤきます(ちなみに浅草のGは今の業態に変わる前はTさんの行きつけのお店だったそうです)。でも、マスターのOさんからすれば、それは良いお酒の真価を味わって貰うためには決して譲れない拘りの1つなのです。

だから、たまに、これは!という凄いお酒を見せてくれても「一緒に出すお酒がないんで、まだ出せませんね〜。」などと言われてしまいます。ただ、一緒に出せるお酒が手に入ると「C社のデキャンタボトル(コニャックの超高級ラインナップ。バカラなんかの高級ボトルに詰めたお酒。各社のフラッグシップとしてその会社の一級品が詰められている)が、漸くもう一本手に入ったんですよ。比べて飲んで見ます?ちょっと高いですが。」と嬉しそうに薦めてくれたりします。

先日伺った際に、大手M社の1905年という珍しいヴィンテージボトルを飲みたいと言ったら、「このボトルはとても繊細なので一緒に薦めるお酒が難しいんですよ。」と言って出し渋ります。暫く考えてから並べてくれたお酒は、何と1928年と1900年に造られたアルマニャック(コニャックはコニャック地方で造られたブランデー。アルマニャックはアルマニャック地方で造られたブランデー。後者の方が独特の荒々しい風味がある。)でした。これは流石に普通には飲めないなと見送った次第です。でも、恐らくその3本を飲んでも、もし他の店で出せる店があったとしてですが、まあ半分以下の値段なんですが。

そうしたお酒を比較して飲ませる為には膨大なストックが必要となります。私が色々なお酒を飲ませて貰った後に「よくこれだけ揃えてますよね。」と言うと、Tさんはいつものように「ウチは銀座のバーですから。」と答えます。「それに、銀座のバーのプライドとして、お客さんから言われたお酒が無い、とは決して言いたくないんです。」

「それにしても良くこれだけのお酒を集めましたね。」と私が改めて言うと、再び「ウチは銀座のバーですから。」と言って話を続けます。

「そもそも高いブランデーを輸入業者が仕入れると、まず銀座でその三分の二を捌こうとするんです。残りの三分の一を地方のバー、大阪や神戸、京都でしょうか、に売り込むんです。銀座でブランデーを扱っているのはウチぐらいのものですから、必ずウチに売り込みに来ます。

それから、バー仲間や輸入業者の人たちもウチがブランデーに拘っているのを知ってますから、どこそこの酒屋にこんなお酒があったよ!と教えてくれるんです。私自身も古いウイスキーを見かけたりすると買っておいて、後で同業者に譲ったりしますしね。」と話してくれます。

「後は、銀座の古いクラブが店を畳むときなんかは酒屋経由でいくつかのバーに声が掛かったりするんですが、ブランデーだとウチだし、ウイスキーはやはり銀座のC、シェリー酒なんかだと五反田のSとか。大体その3人でお店に行って在庫をより分けて買い取ります。古い銀座のクラブなんかは、商社マンだったママの旦那が戦後間も無く海外出張に行った際にお土産に買って来てくれたなんていう高そうなお酒が後生大事に飾ってあったりするんですよ。

それから大分昔ですけど、やはり酒屋からイタリア人のコニャックのコレクターがコレクションを大量に手放したんだけどみたいな話があって、銀座の一番上の店から声を掛けていったらしいんですが、ブランデーなんて買わないよと言う人たちが多くて、ちょうどウチが4~5番手ぐらいだったんですけど、じゃあと言うことで買っちゃったんですが、当時で外車が一台は買える値段でした。奥さんに買ってもいい?って聞いたらOKしてくれたんで買っちゃったんです。本当に良く許してくれたなあと今でも思います。」そう言ってTさんはそのコレクションの一部を見せてくれたのですが、フィロキセラ(19世紀半ば過ぎにヨーロッパの葡萄畑を襲った害虫。以降、ヨーロッパの葡萄はアメリカの葡萄の木の土台に接ぎ木されたものになっている。)前に造られたという大手H社のコニャックや、第二次世界大戦前のC社のコニャック、それにやはり大手M社のイタリア周りの250周年記念ボトル(1960年代のボトル)なんていう凄いお宝を次々に見せてくれます。「凄いですね~!」と私が言うと、Tさんは、また「ウチは銀座のバーですから。」と、淡々とでもちょっと誇らしげに答えます。

Tさんのお酒のコレクション(もはやお店の商品と言うよりもこの表現が適切と思われます)は本当に凄く、19世紀のコニャックは未開栓のものも含めまだ何本も持ってますし(一本だけは私も飲みました)、なかにはマサンドラコレクションと呼ばれる、ロシア王朝が崩壊した際に放出されたというニコライ皇帝所有のワインなんていう曰くつきのお酒を取り出してニヤニヤしながら自慢げに見せてくれたりします。

そんな貴重なお酒達が棚には入り切らずにバーカウンターの上から我々の席の後ろまで所狭しと大量に置かれています。更に置ききれない在庫は貸し倉庫に数百本預けられているそうです。そんなお酒達を見ながら私は「失礼ですが、そんなに大量のお酒を持っていても、もう売り切れないでしょう。」と言うと、Tさんは「いや〜。実は一昨年の年末に重病を患って三週間ほど店を閉めて入院していたんですが、その時、店の前を通りかかった同業者達が、Tが死んだらしいぞと言い出して、ウチのお酒の在庫を狙って騒いでたらしいんですよ。」と皮肉混じりに笑いながら話します。「そんな話はさておき、ウチのお酒はちゃんとした店、ウチのように並べて出せるような店に譲りたいんですよ。でも、このお酒はアソコに行くんだろうなというのも結構有って、アソコの古いカルバドスなんかは京都のTさんのところに行くんだろうなあ、なんて思いながら毎日ボトルを見てますよ。お客さんも、私のお酒を大切に扱ってくれそうな良いお店を知りませんか?」と逆に聞かれてしまう始末。私も実はTさんのコレクションには目をつけていたので、ここぞとばかりに「数本でも良いので私にも譲って貰えないものですかね?」と冗談めかして言ってみましたが、残念ながら完全に無視されてしまいました。

そもそも、これほどのコレクションをずらっと並べて比較して飲め、などと言える店なんて普通では先ず有り得ないのですが、それでも大阪時代に通った北新地に近いバーのKさんだったらもしやと思いつつ、この話を伝えたいと思っているのですが、なかなか大阪に行く機会が有りません。

ちなみに、大阪のKさんには当地の色々な飲食店を紹介して貰い本当にお世話になったのですが、中でも「最後の浪速割烹料理」のお店と言っても過言では無い心斎橋にあるUを紹介して貰ったことは、私の短い関西での生活に於いて得難い経験となりました。でも、この話はまた次回。

そうそう忘れるところでしたが、銀座のTさんは、知ってるかどうか分かりませんが、あのラズウェル細木の「酒の細道」に、こだわりが強いマスターとして一度登場したことがあります。お店でその漫画を見せて貰ったのですが、Tさんご本人は全然自分に似てない!と不満そうでしたが、確かにあまり似てないなかったのですが、Tさんが醸し出す雰囲気というのか、初めてTさんに会った人が感じるであろう雰囲気が良く表現されており、流石プロの漫画家だなあと思った次第です。ちょっとどうでもいい余談でした。

ということで、今回も長過ぎるメールをお許しください。また内容もかなり個人的な嗜好の話になってしまったので、あまり面白く無いのではと反省しております。

1日も早く回復されることを祈念しております。

それでは、また!

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Re:銀座のバーのマスターは語る ~銀座篇~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

まだまだみたいですが、少しずつ良くなっているようで良かったです。ただ、いないことにされている、などとはあまり考えない方が良いと思うのですが。

メールのネタですが、なかなか素面だと書く気が起こらないのですが、酔った時に色々と思いつくので、その時にダーッと書き出しています。ただ、酔って書くと誤字脱字も内容も酷かったりするので、翌日以降素面の時、電車の中や暇な時に改めて読み直して修正・追記を繰り返しています。

特に夜中や休みの、ふとやる気が起きた時に一気に仕上げています。

まあ、いつまで続くか分かりませんが。

ということで、今日も家飲みした後にこのメールを書いています。

ネタの方は週末に読み返して送れる内容だったらメールします。

期待せずに待っていてください。

まだちょっと酔いが残っているコバヤシより

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銀座のバーのマスターは語る ~銀座編~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。
まだまだ体調の方は芳しくないようですね。
お見舞い代わりのネタをまたメールさせて頂きます。

前回のメールでは、書いているのが楽しいと書きましたが、だんだん息切れしてきました。やはり文章を書くのは大変ですね。後、2〜3回ぐらいは何とかいけるかな?
ということで、今回も楽しんで頂けたら幸いです。

銀座のバーOのマスターTさんは、事あるごとに「銀座のお姉さんは恐い!」と語ります。
先日のメールで、Tさんが「六本木から銀座に進出するお姉さん達に騙されて銀座に連れて来られた。」と言っていたと書きましたが、Tさんに語るところによると、「お姉さん達が銀座進出するに当たって自分達が使い易い都合の良い店が欲しいということで、勝手に物件を見つけて来て、色々と私を言いくるめて、結局、思惑通りに銀座の路面店を借りることになってしまったんです。」とのこと。

Tさん曰く「銀座のお姉さん達は百戦錬磨ですから、素人が引っかかったら、なす術もなく財産をかっさわれてしまいます。私は若いバーテンダーによく話すのですが、お店が軌道に乗った頃に必ず綺麗なお姉さんが現れるぞ。そのお姉さんには気をつけろと。」Tさんは話を続けます。「そういうお姉さん達は、お前達を金ヅルとして狙って来るんだ。お姉さん達は店にもお客さんを送り込んでくれるけど、それ以上に、自分のお店に来てくれとか、自分の馴染みのお客さんのどこそこのお店を使ってくれとか、だんだんと色々な頼み事をしてくるんだ。お姉さんの為に何とか!なんて思ってお金を使ってると、いくらあっても足りなくなるんだ。」Tさんは淡々とした表情で、「そうやって店を潰した奴を何人も見て来ましたよ。」と語ります。「大体、あのお姉さん達は仕事が終わったあとに、騙くらかした男について、アイツは全然金持ってなかったからダメとか、夜な夜な仲間と集まって話してるんですよ。恐ろしい限りです。でもまあ、それがあの人達の仕事ですから、仕方ないんですけどね。」

「そういうTさんは銀座で30年以上も続けてるじゃないですか、」と私が言うと「いや〜、そんなの銀座のお姉さんを1人か2人引っ掛けれはなんとでもなりますよ。お客さんもどうですか?」とニヤニヤしながら話します。「私も日々、営業努力をしてますから。でも、私のバックには6人の銀座のお姉さん達がいるから本当に大変なんです。あの人達は人の弱みを握ったら、とことんつけ込んできます。」Tさんは半ば嬉しそうに半ば悔しそうに続けます。「私は20年ぐらい前に家内を亡くしたのですが、その時、女の子も含めて育ち盛りの子供がいたんで、つい銀座のお姉さん達を頼ってしまったんですよ。それが運の尽きでした。更に一昨年の年末に大病を患っで暫く入院したんですが、そういう弱り目に祟り目の時は飴玉一つでも有り難いと思ってしまうものなんです。結果、私は銀座のお姉さん達の呪縛から逃れられないんです。」
Tさんによると「毎週末の土日は私はそのお姉さん達と一緒に食事に行くというお仕事が待っています。お姉さん達からすると、贔屓の客は大抵家庭持ちですから土日はダメだし、変に若い男だとお客さんに見られたりすると厄介だし、私みたいな人畜無害な年寄りが何の心配もいらないので便利らしいんです。私もこの業界が長いですからまあそれなりにお店は知ってますしね。それにありがたいことに6人のお姉さん達は、それぞれ好きな食べ物のジャンルが違うので、お店が被ることが有りません。でも、行くお店を探すのは私なんで本当に大変です。お鮨屋さんは都内だけで百件以上は行きましたけど、漸く大塚に良い店を見つけました。それにお姉さん達は色々忙しいから、大体スケジュールが決まるのは直前なんで早めにお店の予約が出来ないので、あそこがダメだったらこちらという風に何軒かシミュレーションしておく必要も有りますし。この間なんか、食事が終わった後に、何が気に食わなかったか分かりませんが、アンタどうなってんのよ!とひっぱたかれましたよ。この年になってひっぱたかれるなんて思いもしませんでした。」

とある日は「6人の銀座のお姉さんの中には、たまに病気や高齢で引退するお姉さんがいるのですが、恐ろしいことにあるお姉さんが引退すると直ぐに新しいお姉さんが後釜に座るんですよ。どうやらお姉さん達の中で順番待ちがちあるみたいで。だから私はいつまで経っても銀座のお姉さんから逃れられないんです。」
へぇ〜っという感じで聞いていると、Tさんは尚も続けます。「お姉さんと言いましたが、下は確か40代から上は一応私よりは下ということになってますが、定かでは有りません。こないだなんかウチから近いモンナカの銀行に行ったら、知らないオバさんが私の方を睨んでるんですよ。恐いなあと思いながら、そそくさと逃げたんですけどね。そうしたら、その夜、懇意にしているお姉さんが店に来て、アンタ今日の昼に私を無視したでしょ!と怒るんですよ。えっ、会った覚えはないんですけど、と言うと、モンナカの銀行にアンタも居たでしょっ!と言われて初めて気づきましたよ。あ〜、あの時、私を睨んでたオバさんねと。でも私から言わせてもらうと、そんなご無体な!絶対に分からないですよ。私はアナタのすっぴんなんて見たことないし。まあ、本人には絶対そんなことは言えませんけどね。いや〜、銀座のお姉さんの化け方は凄いですよ、長年銀座で働いている私も全く分かりませんでしたからね~。」

そんなものかなあ、と思いながら私も質問します。「でも、そうは言ってもそれなりに綺麗なお姉さん達がいるからTさんもお元気でいられるんじゃあないんですか?それに人間ある程度ストレスがあった方がいいって言うじゃないですか。」そう言うと、「確かに緊張感は凄いですよ!でも、私にも好みっていうもんが有りますからね。大体、さっき話したお姉さんもそうですが、みんながみんな綺麗という訳じゃ有りません。そもそも、私は本当は週末はお洗濯をして、その洗濯物を日光に当てて乾かしたいんです。お姉さん達と付き合ってると、大抵午後から呼び出されますから、洗濯物は午前中だけじゃ乾かないんですよ。あと、私は甘党なんで、休みの午後にコーヒーでも飲みながら大好きなアップルパイでも食べながら過ごしたいんです。」そうなんですか、と相槌を打っていると、「でも、そういうお姉さん達のおかげで平日はこんなのんびりとした商売が出来るんですけどね。」と語ります。

またある日は、こんな話をしてくれました。「何年前だったかなあ?毎週末の決まった時間にジンフィズだけ一杯飲んで帰って行く若い女性がいたんですよ。特別美人という訳でもない、本当にどこにでも居るようなごく普通な女性でした。何度か来てくれた後の雨が降ってる夜だったんですが、その若い女性が自分の仕事の話をし始めたんですけど、何度も申し上げますが、本当にごく普通の女性だったんですが、そのお姉さんは昼間は普通に会社でOLをしてるらしいんですが、仕事が終わった後の副業としてSM嬢をしていると言うんですよ。六本木の方がそう言う店が多いんですが、銀座にもそういう店が何軒かあるらしいんです。彼女が言うには、ウチの店で飲んだ後に店まで行ってドアを開けた瞬間からスイッチが入るそうなんです。そんな話を暫くしてから、若い女性はお会計をして店を出て行ったんですが、店を出で直ぐに、雨の中傘をさしたその女性がこちらを振り返って、暗闇の中からニヤっと笑いながら言うんですよ『来る?』と一言。ちょっと油断したら吸い込まれそうな眼でした。思わず私も付いて行きそうになりましたよ。あれは本当に怖かった。」
こんな話しをしながら、いつもの銀座の夜が更けて行くのでした。

ということで、今日も大概長過ぎるメール失礼しました。少しは楽しんで頂けたでしょうか?

それでは、またそのうち。

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銀座のバーのマスターは語る ~六本木篇~

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

前回のメールで、銀座のバーOのマスターTさんと二人きりのお店で、色々な話を聞いていると書きましたが、今回はその話を少し。

Tさんは元々大学を卒業して暫く珈琲のチェーン店で働いていたらしいのですが、結婚した奥さんの勤め先の社宅が赤坂にあったのと、共働きとは言えもう少し稼がねばということで、赤坂から比較的近く、保育園の子供の送り迎えにも便利な六本木の大箱のバーに勤めることにしたそうです。

Tさんは、バーテンダーとしては少し遅い一歩を踏み出したのですが、元々、人を動かすのが得意だったのと日々の努力で、すぐにチーフバーテンダーの座についたそうです。

当時の六本木はバブル真っ盛りの一番六本木が六本木らしかった頃で、当然街全体が活気に溢れていたのですが、それとは裏腹に危ない街でもあったそうです。

Tさん達が仕事を終えた朝方は、街にはまだ酔いが醒めきらぬ人達や、周辺の店のやはり仕事を終えた人達が大勢、肩を怒らせて通りを歩いていたそうで、Tさん曰く「当時の六本木は、向こうから歩いて来た奴を避けたら負けみたいな荒っぽい奴らが沢山いたので、店の若いのには絶対避けるなよ!と言ったもんです。ただ、私は小柄なので、少し後ろに2~3人デカい奴を引き連れて歩いてましたけどね。」と笑いながら話してくれます。「ただ流石にアッチ系(Tさんは頬に人差し指をかざして話します)の人が来た時は、ぶつかったらどんな目にあわされるか判らないので避けましたけどね(笑)でも、田舎から出て来て事務所に入ったばかりの若いアンチャンみたいのには、たまにこちらからわざとブツかって痛い目に合わせてやったこともありますけど。」と嬉しそうに話してくれます。

Tさんが勤めていたお店にも「田舎の高校を出たばかりの若いお兄ちゃん達」が沢山いたそうで、Tさんはそうした若者があまり悪さをしないようにと遊びに連れて行ったりしたそうです。お台場辺りに連れて行ってウインドサーフィンをやらせてみたり(Tさん自身がそうしたレクリエーションが好きだったそうです。)と色々していたそうなのですが、それでもたまに若い子が「ヤバいお店の悪いお姉ちゃん」に手を出して因縁をつけられるなんてことも結構あったそうです。そういう時は「店のマネージャーが、上司ということで事務所に行って謝って来いと言うんで、仕方なくビクビクしながら事務所に謝りに行くんですが、当時はまだ良い時代で、上の人間が謝りに行けば、向こうもメンツが立ったということで大概許してくれたんですよ。バブルが弾けた後はそういう訳にもいかなくなりましたけどね。」とやはり笑いながら話してくれます。

Tさん曰く、長年「こういう業界」にいると数々の修羅場を経験することになるとのことで、ある日のこと、そろそろお店を閉める時間かという時に、「大きなカバンを抱えた目の血走った若いお姉ちゃんが、バーのカウンターに帯封(札束のことをTさんはこう呼んでました)を2つぐらいポーンと投げ出して『誰か私を逃がしてくれない!』と叫ぶんですよ。店のマネージャーは、首を横に振りながら、相手にするなという風にこっちを見ます。当時は、アッチ系の事務所に行くと大抵小さなテーブルに帯封が山積みになってたもんですが、どうやらそのお姉ちゃんはその帯封を大量に持ち逃げして来たらしいんですよ。」と語ります。「相手にするなと言われても、このまま店に居座られても大変なことになるんで、ちょうど使えない馬鹿な若いのが居たんで、まあそういう奴に限って変な正義感があったりするんですが、そいつに、このお姉ちゃんを何処か安全なところまで送ってやれ!と言って二人を店から送り出したんです。まあ結局その若いのは二度とお店には戻って来ませんでしたけどね。」と中々に恐い話を笑いながら話してくれます。

バブル期の六本木の馬鹿話もいくつか話してくれました。

ある時、Tさんは六本木の大箱のディスコにゲストバーテンダーとして呼ばれたそうなのですが、凝り性のTさんは、「事前に何度かその店にディスコステップを習いに行きましたよ。本番当日はスポットライトを浴びる中、シェーカーを振りつつディスコステップを踏みながら踊っているお客さんの中を通り抜け、VIP席にいる綺麗なお姉さんの前に跪いてカクテルグラスに注ぐ、なんて恥ずかしいこともしましたよ。今はもうあんなこと出来ませんけどね。」なんて話もしてくれます。

またある時などは「当時、六本木のバーテンダーを5人集めて、誰が一番最初に六本木のお店のお姉ちゃんを酔わせることが出来るか?なんていう馬鹿なイベントをやったんですが、ウチのお店が大箱だったということもあって会場になったんで、まあ私も参加したんです。六本木のお店で働いてる派手な若いお姉ちゃんが5~6人集められて、我々5人のバーテンダーが代わる代わるお姉ちゃん達にカクテルを飲ませて酔わせるという趣向です。私は真面目に何日も前からカクテルブックと睨めっこをしてアルコール度数の高いカクテルを研究して臨んだんですが、結果は4位と惨敗でした。店のマネージャーに何でこんなに研究したのに自分は負けたんだ?と聞くと、マネージャーは、馬鹿かお前は?普通にやって勝てる訳ないだろ!優勝した奴は薬使ってんだよ!と言います。えっ!?と思って話を良く聞くと、優勝した奴は、近くの薬局で風邪薬のアンプルを買ってこさせて、それをこっそりカクテルに混ぜてたと言うんですよ。風邪薬は良く効くように当然カラダが吸収し易くなってますから、それを混ぜたカクテルもアルコールの吸収が良くなるという訳です。確かに優勝した奴のカクテルを飲んだお姉ちゃんはすぐに酔っぱらってひっくり返ってましたよ。チキショーと思いましたが、薬が入ってるのが判らないように作るのもバーテンダーの腕前ですかね。まあ、今はもうこんな馬鹿なイベントなんて無いでしょうけど。」なんて話もしてくれました。

Tさんは暫く六本木で働いた後に独立して銀座に移った訳なんですが、「私は銀座でバーをやる気なんてさらさらなかったんです。ウチの店の常連だった六本木のお姉さん達が銀座に進出する時に、騙されて銀座に連れられて来たようなもんですよ。いや~、銀座のお姉さん達は本当に恐いですよ。」とニヤッと笑いながら話します。

こうして、銀座の恐いお姉さん達を巡る面白い話が始まるのですが、その話はまた次回。

ということで、今日も大概長い文章失礼しました。

また次のネタをメールしますので、それまでに少しでも体調が良くなっていることを祈念しております。

それではお休みなさい。

〔付記〕これも高校時代の親友·コバヤシが書いてくれた文章。別のメールに「だんだんと貴君のブログを代筆しているのではないか?という錯覚に陥りそうです」とあったが、その通り!書くことの楽しみを知ってくれたことが何より嬉しい。

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漸く辿り着いた銀座のバー、そこで待っていたのは…。

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

多少は体調は良くなったでしょうか?

今回も相当長い文章になってしまいましたが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

私のバー通いは、20年ちょっと前に東京の西麻布から始まったことは話したような気がしますが、その後、転勤で訪れた福岡の中洲、そしてまた東京に戻ってからの浅草、そこからまた転勤で住んだ大阪のキタと、訪れた街ごとに新しいバーとの出会いがあり、昨年春に戻って来た東京でもまた新たなバーとの出会いがありました。

私はブランデー、特に葡萄酒を蒸留して造られたフランスのコニャックが好きなので、東京に戻ったら、大阪に行く前に通っていたコニャックで有名な浅草のバーDに再び通い始める予定だったのですが、残念ながら浅草の店が改築のために暫くお休みになることになり、暫し行くお店が無くなってしまい、どうしたものかと考えあぐねていました。
そんな時、京都のカルヴァドス(リンゴのブランデー)で有名なバーCのTさんや、休業中の浅草のNさん、そして銀座の閉店したお店にいたYさんが、銀座にはOというオールド・ボトル(現行品では無く、数十年前に販売されていたお酒。昔のお酒は良い意味で今のものとは別物。)を大量に持っているお店があると言っていたのを思い出しました。
特に京都のTさんには、私が福岡でオールド・ボトルのコニャックを飲んでいた話をしたことがあったのですが、「福岡のお店より絶対に安い値段で飲ませてくれるので行った方が良いですよ。」と言ってくれていたことも思い出しました。

それでは、と昨年の6月の週末の土曜に銀座まで行ってみたのですが、2回行って2回ともお店のシャッターが開いていません。もしかして閉店してしまったのだろうかとも思いましたが、もう一度だけ行ってみようと、今度は会社帰りの平日に行ってみました。

今度は嬉しいことにお店は開いていたのですが、早い時間だったこともあってか誰も先客はいません。

バーOは銀座7丁目(マスターのTさん曰く銀座の中心とのこと)にある路面店なので、外から店の中が良く見えるのです。
ちょっとおっかなびっくりだったのですが、意を決してお店に入ると、少し怖そうにも見える髭を蓄えた初老の小柄な男性がバーカウンターの向こうにいます。
「いらっしゃいませ。」と声はかけてくれたのですが、どこかよそよそしさを感じます。それから、椅子の前のバーカウンターにコースターが置かれ、その席に座るよう促されます。
椅子に座ると、マスターは「何をお飲みになりますか?私にはお客様の好みは判らないので、なるべく具体的に飲みたいお酒や好みの味を言っていただけると助かります。」と、やはりよそよそしく、しかもかなり強めの圧で話しかけてきます。これはなかなかにハードルが高いお店だぞと少々怖気づきながら自分はコニャック、特に古いものだとマーテル(フランスの大手コニャックメーカー。コルドン・ブルーという銘柄が特に有名。)が好きだと説明しました。
するとマスターは「ちょっと待ってください。」と言って、後ろの棚の木の扉を開けて次々にボトルを出してカウンターに並べ始めます。10本近くはカウンターに並んだでしょうか。おもむろにマスターがボトルの説明を始めます。1970年代に流通していたスリースター(一番安い商品)、VSOP、コルドンブルーその他、更に60年代に流通していたというボトル達、最後に説明されたのはマーテルでは珍しいヴィンテージ(蒸留年)が入ったボトル、しかもなんと1905年!マスターは「ウチは銀座のバーですからこれぐらいは持ってます。」と誇らしげに話します。更に「お酒というのは、1杯だけでは判りませんから、出来れば2杯以上を比較して飲んで頂きたい。」と畳みかけてきます。大分緊張しながらも「では、取り敢えず2杯お願いします。」と答えると、マスターは「では、判り易いところで、この辺りを行ってみますか。」と、手前の方にある恐らく60年代流通品と思われるスリースターとVSOPを薦めてくれます。マスターのお薦めに従って注文すると「ウチは昔ながらのお店なので、1ショットが15杯取りの45CCなので、ハーフでお出しします。」と説明してくれます。ちなみに、今のバーでは1ショットは30CCが主流なので、それからするとかなり多い量です。
注文したコニャックは、福岡に居た時にそれなりに飲んだことがあったものだったのですが、銀座のこの場所だから大分高そうだなあ、と思いつつ提供されたコニャックを飲み始めました。
素直に「美味しいですね。」と伝えると、少しずつマスターも打ち解けて来てくれた様子で、奥の鍵を閉めたガラス棚から、見たことも無い古そうなボトルを持って来て見せてくれます。なんだか良くわからないけど凄いお店だなあ~と思いつつ、飲み終わってお会計をお願いすると、渡された伝票を見てびっくり!あまりに驚いたので私は「本当に、この値段でいいんですか?」と聞き返してしまいました。マスターは「いいんです。ウチはカタギですから。(後に何度もこのセリフを聞くことになります。)」と淡々と言います。私のこれまでの経験からすると、半分から三分の一程度の値段で、銀座の一等地のバーなのに居酒屋並みの価格ではないか!と驚くばかり。こうして私の銀座通いが始まりました。

マスターのTさんは、実は御年77歳とかなりのご高齢の方ですが、そんな歳には見えないかくしゃくとした方です。バブル期に六本木で少し遅めのバーテンダーとしての道を歩み始めたそうで、その頃から銀座に移って来た1990年代初めまでに集めた膨大なコレクションを、その時代の仕入れ値を前提に提供してくれるので、今となっては貴重なお酒を格安で飲める稀有なお店です。
最初はかなり癖のある面倒臭そうな人だと思っていたのですが、何度か通う内にだいぶ気さくに話しかけてくれるようになり、意外と茶目っ気がある面白い人だということが判って来ました。
ただ、自分のお店のお酒を大切に時間をかけて飲んで欲しいというこだわりが人一倍強く、ともすればそのこだわりがお客様との軋轢を産むのですが、そんなことは全く意に介しません。

ある日のことですが、若いお客さんが友達に連れられて来たようなのですが、Tさんはその一見の若いお客さんに「何をお飲みになりますか?」と私の時もそうだったようにかなりよそよそしく聞きます。その若いお客さんは少し戸惑った様子で「では、ウイスキーを何か、ロックでお願いします。」と答えます。するとTさんは「ウイスキーと言っても、癖のあるものから華やかなものまで色々有りますが、お客さんの好みはいかがですか?」と、やや高圧的に答えます。若者はおずおずと「では、少し癖のあるものをロックで。」と再び答えます。ここからがTさんの凄いところなのですが「ウチはカスクストレングス(所謂、樽出し、加水をしていないアルコール度数が高いウイスキー。)が中心なので出来ればストレートで飲んで頂きたい。ガソリンで言えばハイオクみたいなものです。ハイオクに混ぜ物をする人はいないでしょう。」と冷淡に答えます。そう言われた若者は少し不満そうに「では、ストレートでお願いします。」と答えたので、Tさんは「もしストレートで飲んでご不満があれば氷でも水でも何でもご要望通りぶち込んで差し上げます。」とまた冷淡に答えます。ついにその若者は耐えきれなくなり「私はこのお店とは合わないようですから、すみませんが出て行きます!」と怒って席を立ってしまいました。彼を連れて来た友達らしき方は大分困った様子で「今日は、すみませんでした。」と言って後を追うように出て行きました。そんな遣り取りを間近で見ていた私はハラハラし通しだったのですが、Tさんは何事も無かったように平然としています。

Tさんからすると、自分が何十年もかけて集めて来た貴重なお酒を大切に飲んで欲しい、という想いからこのような行動に出てしまうようです。その代り、自分のその大切なお酒を時間をかけて大切に飲んでくれる客に対しては愛想良く嬉しそうに接してくれます。
自分で言うのも何ですが、私はブランデーを時間をかけて大切に飲むことにかけては、浅草のNさんが「コバヤシさんの飲んだ後のグラスは本当に凄い!パーフェクトグラスです!」と絶賛するぐらい、他に右に出るものはいないぐらいの手練れの飲み手です (笑)
ちなみにパーフェクトグラスとは何ぞやというのを少し解説すると、良いブランデーにはNさん曰く脂肪酸(Tさんは不純物と言ってますが)が入っているので、時間をかけてゆっくり(最低でも40分程度)飲むとグラスが白く曇ってきます。ここまで時間をかけると最初の力強く華やかな香りが少しウッディーな、良いものだと淡い葡萄の香りになり、Nさん曰く「そのお酒の全てを引き出した状態」になります。Nさんは、私が飲んだ後の白く曇ったグラスを写真に撮って、初めてのお客さんに「上手に飲んだお手本」として説明に使っていますし(一応、私の公認です)、ついには某ブ〇〇タスという雑誌で、ブランデーに関するコラムを書いて欲しいと依頼があった際には、私のパーフェクトグラスについて写真付きで書きたいと提案したらしいのですが、あまりにマニアック過ぎて却下されたそうです (笑)
大分話が逸れましたが、かような訳で、晴れて私は飲み手としてTさんの信頼を得て、次々に貴重なコニャックを格安で飲ませて頂くという至福を享受することになりました。この半年は、毎度お互い何にするか相談するのは面倒ということで、アルファベットのAのメーカーから順番に飲んでいくことになりました。私は、これを修行と称しつつ、月数回の至福の時間を満喫しています。
西麻布から始まった私のバー遍歴は、大分遠回りをしたような気もしますが、20年以上もの時をかけて漸く銀座に辿り着きました。そして、そこにはパラダイスが待っていたのです(ちょっと大げさかな?)。

Tさんは先ほど書いたようにご高齢なので「何時までこの店をやっていけるのか判らないよ。」とニヤッと笑いながらいつも私に話しかけます。私は60歳で会社を辞めて福岡に移住するつもりなので、多分その時はTさんは80歳になりますが、その時が来るまでせっせと銀座のOに通うつもりです。

銀座のOにはもう数十回は通っていますが、これ程のお店なのに私の他にお客さんが全くいないことが殆どです。マスターのTさんの癖が強すぎる為なのか、はたまたバー業界では強面で通っている為なのか?結果、私とTさんは2~3時間もの間ずっと二人で話をしているのですが、そんな時、Tさんは六本木時代や銀座で体験した色々な面白い話をしてくれます。この話がまた中々に面白いのですが、その話はまた次回。

ということで、今回もまた大分長文になってしまい失礼しました。でも、少しでも楽しんで頂けたら嬉しい限りです。

それでは、また!

〔付記〕これもまた高校時代の親友·コバヤシが、僕だけに書いてくれたメールだが、あまりに力作なのでここに公開することにした。病気療養中の僕を飽きさせずに、時間を割いて書いてくれるのはとてもありがたい。病気療養中で時間をもてあましている今の僕にとって、これは嬉しいことなのだ。これぞ現代のお見舞いの形である。

そういえば「銀座九丁目は水の上」という歌が昔あったなぁ。

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サラリーマンは腐れ縁

鬼瓦殿

こんばんは。コバヤシです。

その後、体調はいかがですか?

ということで、今日は標題のネタをちょっと書いて見ようと思います。

3年ちょっと前に子会社の物流会社に出向したことは前に話しましたが、この話も前に話したような気もるのですが、その翌年、私を送り出した前の会社の上司Aさんが私の上司の役員としてその会社に出向してきました。
そして、なんとその1年後には、Aさんの前任者の元々上司のMさんが私とAさんの上司として出向して来ました。私からすれば、会社が変わった筈なのに1人ならまだしも2人の元上司がまた上に来るという理解し難い境遇に置かれた訳です。出向した元上司から呼ばれると言う話はよく聞きますが、出向した部下を追いかけるように元上司が2人も出向して来るなどという話は聞いたことも有りません。

我々の関係を少し説明すると、まずMさんとは20年以上前の親会社が合併する前の事前検討段階から各々違う会社の人間として一緒に仕事をし始めて、合併後、私が千葉の工場に異動になった数年後に上司の課長として赴任して来て再度一緒に仕事をすることになったのですが、更に千葉から福岡に私が異動した7年後に今度は東京に自分の部下として呼び戻すという形で既に3回も一緒に仕事をしてきました。まあ上司としても今回が三度目の正直?というやつでしょうか。
このMさんという人は非常に口の悪い人で、すぐに「あんな馬鹿は死んでしまえ!」とか言うのですが、私が福岡に異動する際も「お前があんまり部長に逆らうから九州に飛ばされたんだ!大体アイツは下品だから嫌いなんだけど。」とわざわざ私に言いに来るし、東京に呼び戻す際は「せっかく福岡に出してやったのに何の成果もあげないから(ここでは伴侶を見つけることも無くとの意)仕方なく回収したんだ」とのたまいます。この春、私が東京に戻ったのも二度目の「回収」だそうです。

MさんはAさんが新入社員だった時の一年上の指導先輩で、二人も三十数年振りにまた一緒に仕事をすることになったのですが、AさんにとってMさんは、絶対に逆らうことが出来ない怖い先輩だったりします。
しかも、Mさんは少しジャイアン的な(パワハラという言い方もありますが)ところもあり、先日ウチの会社の役員の懇親会が有った際に、実はAさんは翌日、大腸の内視鏡検査があったのでお飲酒は禁止、食べるのも夜の8時までだったのですが、ジャイアンMさんは「どうせ、明日は2リッターの下剤飲んで胃から腸まで空っぽにするんだから呑んでも食べても大丈夫!」と言ってアルコールも飲ませて宴会も最後まで付き合わせてしまったそうです。

では、Aさんはどういう人かと言うと、いい人ではあるのですが、いい人が本当に良い人かと言うとそう言う訳でも無く、世界人類が平和であります様にという博愛主義的な人が返って人を不孝にするというのか、頭の回転は良いのですがどこかネジが1本緩んでいるというのか、なかなかの困ったちゃんだったりもします。

私が堺の職場にいる時に出張で電車で来る際も、乗ってはいけないと注意した電車に乗ってしまい変な場所に行ってしまい、三度目の出張で漸くちゃんと1人で来れたという始末。しかも飲み会の席でその話をしたら、「そんなの全然大丈夫だよ。だって、昔、広州に出張に行った時に、空港に迎えの人が来てくれると聞いてたから、空港の外に出たら手を振ってくれる人がいるので車に乗ったんだけど、大分車に乗っているのに一向に街中に着かず、気付いたら山の中の村に連れて行かれて、そこで初めてお互い間違えたことに気づいたんだよね。向こうは中国の人だから言葉は通じないし困ったんだけど、結局、空港にまた戻してくれたんだよね。」と笑いながら話します。我々からすると良く生きて戻って来たなあと開いた口が塞がりません。今でも、どんなことが有っても無事(かどうかは少し微妙ですが)に生きているという意味では凄い人なのかもしれません。

ついでに言うと、Aさんは人の話をちゃんと聞かないというか、ちょっと聞いて分かったつもりになりあれこれ言いだす人で、軌道修正するのに我々部下はかなりウンザリさせられています。何かの時にインドに居た時の現地スタッフが聞き分けが無くて困ったみたいな話をしていたのですが、よくよく聞くと何を言っているのか分からない上司に、インドの方も閉口していたのでは、インド人もビックリ!だったに違いないと思う次第です。

そんな人達なので、私を含めたややこしい三角関係が生じます。Mさんは、Aさんにとっては怖い先輩ですが、私にとっては既に3回も一緒に仕事をしているし、その他もろもろ色々気が合うところもあるので、仲の良い先輩というか友達に近い存在でもあります。(会社での年次をちょっと説明しておくと、Mさんは私の5つ上、Aさんは4つ上です。)
Mさんがあれこれ仕事に注文をつけると、私などは「え~っ、そんなの無理!」とか、「本当にやるんですか?面倒くさいなあ。」とか、すぐにあーだこーだ口走るのですが、それを見たAさんは「なんで小林はMさんにあんな態度を取れるんだ?と訝しがります。

まあそれでも、この一年ちょっとでそんな状況にAさんも慣れてきたのか、Mさんと私がああでもないこうでもないと戯言を言っているのを聞き流すようになり、更には私が関わるMさんへの報告案件(Mさんは一応副社長です)は、「コバヤシに任せるよ。Mさんと相談して決めておいて。」と、自らを飛ばしてやっといて構わないという態度をとる始末(私は違いますがAさんは一応常務執行役員です)。

たまに副社長室で私が「Aさん、頭は良くて事務処理能力は高いんですけど、皆んなが混乱するんですよね。困ったもんですよね。」と言うと、Mさんは「そうなんだよな。アイツ、昔からダメな奴なんだけど事務処理能力だけは高いんだよね。しかも社長にいつも付いて行っ余計な仕事を拾って来るし。社長が気に入ってるから常務になったんだけど、反対する人も多いのを俺が後見人になるということで上げてやったんだよ。」などと身も蓋も無い話を2人で溜め息をつきながら話したりします。

結局、私は上司のAさんのフォローと暴走を止める役割を果たしつつ、AさんとMさんの間に入って会社の仕事を円滑に進めるという何だか良く分からないことをしており、周りの人達からは不思議がられるというか気の毒がられるというか、役員2人を抑えているので重宝がられるというか、殆ど意味不明な役割を担いながら日々働いております。

これも、会社が変わっても変わらないという長年の腐れ縁がなせる技でしょうか?

ということで、少しずつ書き溜めて行ったらかなり長い文になってしまいました。すみません。

では、またそのうち!

〔付記〕高校時代の親友·コバヤシが、僕だけのために書いてくれた文章。あまりに力作なのでほぼノーカットで無断転載しました。個人情報的には大丈夫だと思いますが、問題があったらご連絡ください。すぐに削除します。

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新年会

「鬼瓦殿

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

その後、体調はいかがですか?

今日は、貴君もご存知かと思いますが、高校時代の部活の有志による新年会に行って来ました。参加メンバーは、私を含めて8人でしたが、みんな元気そうで、和やかに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

皆んなに会うまでは、行くと言っちゃったけど面倒だなあ、しまったなぁと思いながら、重い腰を上げて行ったのですが、いざ会って見ると、そんなことを思っていたのも嘘のように楽しく皆んなと話すことが出来ました。

食わず嫌いというのは、やっぱりダメだなあと思った次第です。まあ私も歳を取ったということかもしれませんが。

鬼瓦の話題も色々出ていました。私が貴君のことについて、多分余計なことを喋ったと思いますが、何卒お許しください。

昔の知り合いというのは、そうしょっちゅう会う必要は無いと思いますが、たまに会うのはいいことなのかもしれませんね。貴君も気が向いたら参加してみて下さい。無理をする必要は有りませんが。

では、くれぐれもお身体には気をつけてお過ごしください。

いつになるか分かりませんが、そのうち会いましょう。

コバヤシより」

「コバヤシ殿

あけましておめでとうございます。

新年会に貴兄が参加したのかどうか、気になっていて、よっぽど事前に聞こうかと思いましたが、私が新年会のことを気にしていると思われるのもバツが悪いので我慢していました。新年会の様子は誰も教えてくれなかったので、新年会のことを教えてくれてありがとう。予想より多くの人が集まったみたいで何よりでした。

そもそもインフルエンザの後遺症?で咳が止まらず、小さい子どもを日中に遊ばせないといけないので、夜は疲れてしまい、時間がとれないのです。

最近思うことは、人間関係を縮小してしまうと、年寄りになってからボケが進むのではないかということです。そうならないためには大勢で旧交をあたためることはやはり必要なのではないかと思い始めました。だから貴兄が参加してよかったとという心境はよくわかります。体調が回復して、子育てから手が離れたら参加したいと思います。その前に見捨てられるかもしれませんが。

書いているうちは生きていると思ってください。

ではまたそのうち。

鬼瓦」

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年賀状はいらない

毎年、高校時代の部活の同期の一人から年賀状をもらうのだが、

「ブログ読んでいます。コバヤシが登場していて嬉しい」

と書いてあった。彼には、僕のブログを通してコバヤシの消息を知ることができることが嬉しいようだ。それにしても、ブログの件はずっと以前に、一度だけ宣伝したような気がしたが、今でも律儀に読んでくれているのは驚きである。もっとも、年賀状を送ることになる年末になって、そういえばあいつはどうしているのだろう、と、このブログを覗く程度なのかもしれないが。

そのコバヤシとは、年賀状のやりとりを今までしたことがない。本当に親しい間柄だと、連絡したいときにいつでも連絡できるという安心感があるから、不要なのかもしれない。

新年が明けて、コバヤシにメールをしたが、今読み返すと、ふだんどおりの書き出しで、新年のあいさつすら書いていなかったことに気づいた。そういえば、コバヤシは喪中だったか…。

お互い「○○殿」と書き始め、文中では、「貴殿」「貴兄」と呼び合うスタイルが定着している。

最近はもっぱらお互いの健康を気遣うあいさつが続いている。こっちはこっちで大変だが、向こうも向こうで大変だ。お互い何かとままならない身体とつきあいながら生活している。

コバヤシからの返信に、「歳を取ってきた為か、あまり興味を持てないことに時間を割くのがだんだん面倒になってきました」とあり、今の僕とまったく同じ心境だということに、不思議と安堵感を覚えた。

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