コバヤシ

ちょっと久しぶりですが長々と失礼

鬼瓦殿

こんにちは。「高校時代の友人・元福岡で今堺」のコバヤシです。

相変わらず忙しそうですし、体調もすぐれないようですね。こちらは、いくつか持病はあるものの日常生活では支障はなく、まあそれなりに元気にやってます。

今日は、そんな持病でちょっと離れた街の病院に行くときに車窓から見える風景で貴君と昔旅した時のことを思い出し、久しぶりにメールする次第です。

ちなみにその風景は、毎日通勤時に見ているのですが、うっかりすると何でもない風景として過ぎ去ってしまいます。

最初は全く気に留めもしなかった、その緑の風景、少し距離を置いて点在する森というのか林というのかを見ていたある日、街中に森が点在するのも変だよなあと考えていて、漸くここは堺、あの緑は古墳か!と気付いた次第。

堺には世界遺産に登録された巨大な古墳群があるのですが、残念ながら古墳群は高いビルの上からでも見ない限り、大きすぎて何だかさっぱり判りません。

と前置きが長くなりましたが、今朝この古墳を車窓から見ながら思い出したのは、30年以上も前の大学時代に、貴君の車の乗せられ(私は車が嫌いで自ら何処かに行こう!と言い出す筈も無いので、貴君に無理やり連れていかれた筈?)、当時高校時代の友人が住んでいた信州松本を訪ねた時に、貴君が非常に貴重な遺跡が近くにあるので見に行くぞ、と車で1時間近くうろうろするものの一向にその遺跡は見つからず、最後に小さな丘というのか山というのかに白い棒が1本建っいるのを見つけ、それが遺跡の印というのが判り、貴君が感慨深げに満足している横で、私は、何この棒1本だけ?それがどうしたって言うの?と呆れていた、という思い出です。

それから、同じ時だったと思うのですが、もう一つ重要な遺跡があるから、これも行かねば!と言うので、まだ行くの?と半ばウンザリしながら、やはり車で連れていかれた先にあったのは、少し大きめの石が3つぐらい積み重なって置いてあるだけというもので、これも貴君が満足げにしている横でやはり呆れていたことも思い出しました。

その方面の素養が全くない私には残念ながらその貴重さが全く理解出来ませんでした。

やはり私のような即物的な人間にはもう少し具体的な、何か見て判るものが無いとピンと来ません。

家の近所にあるザビエル公園は、堺の豪商がフランシスコ・ザビエルを招いてもてなしたお屋敷の跡地らしいのですが、ごく普通の公園なのでフランシスコ・ザビエルと言われてもなあ...、と思ってしまいますし、やはり歩いて5分ぐらいのところに与謝野晶子の生家跡というのがあるというので見に行ったら看板一枚あるだけで、これもう~んという感じです。

千利休の屋敷跡なんてのも近くにあるようですが、これも推して測るべしと行くのは止めました。

それはそれとして、ちょっと話は変わりますが、貴君はワクチンを既に二度打ったようですが、私は漸く今日の午後、病院から帰ってきてから、また大雨の中20分ぐらい歩いて、1回目のワクチンを打ちに行って来ました。

今のところ何の体調変化も無いので、まあ大丈夫かと考えています。

せっかく歩いて少し遠くまで行って来たので、700年近く続く和菓子屋さんで堺の名物と言われるスイーツを食べて帰ろうと10分ほど雨の中を歩いていったのですが、この悪天候の中、店の中は人で一杯で、これは無理と諦め店を出ました。

ちなみに、この店は秀吉が大阪城を築城した際に、当時の店主がその屈強振りを称えられ今の屋号を貰ったとのこと。

とは言え、何か甘いものを食べたくなり、ふと思い出せばもう10分ほど歩けば前述の与謝野晶子が幼少時に好んで食べたというあんころ餅が名物の、これまた400年ぐらい続く和菓子屋があるのを思い出し、大分小雨になった中てくてく歩いて行ってみましたが、こちらはお客は全くおらず、それでは名物のあんころ餅を買って帰ろうかと思って店内を見ると、先ほどの店で食べられなかったお菓子が売っていたので、これを買って帰り食べました。

ということで、私には珍しく朝から歴史に想いを馳せる?一日となりました。

ワクチンの2回目は9月の初めに堺市役所の21階で打つ予定で、ここからは堺の古墳群が見えるようなので、気が向いたらまた報告します。

と、ここまで書いて読み返してみると文章は長いし、内容もだから何なんだという感じでもあり、メールするのを辞めようと思いましたが、折角書いたのでやっぱりメールします。

ぐでぐでとくだらない話をメールしてしまい申し訳ありません。

関東も雨で鬱陶しい天気が続くようですが、あまり滅入らないようにお過ごしください。

では、またそのうち。

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御礼

鬼瓦殿

こんばんは、堺のコバヤシです。

唐突では有りますが、貴君に御礼申し上げます。

O先輩とモリ先生の話を書いた貴君のブログで、「恩師に自分の近況をたまにお伝えできるのは、ありがたいことである」という一節を読み、そう言えばここ数年、恩師であるフランス語教師だったY先生に全く連絡していなかったと思い出し、堺に引っ越したこと等の近況をメールしてみました。

暫くして返信が有り、我々学生と過ごせた時期は本当に楽しかったこと、コロナが収束したらまた我々に会いたいと返信を頂くことが出来ました。

しかも、何回かメールのやり取りをしたところ、恩師は体調を崩して入院中だと分かりました。

貴君のブログを読まなければ、そんな恩師の状況も知らずに過ごしてしまい、更に言えばどうやら恩師も私のメールに励まされた感じも有ったので、貴君には本当に感謝の念に堪えません。

ということで、とりあえず御礼まで。

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記憶のパズル

「しかし、人間の記憶はいい加減なものですね。

バベルセカンドに行ったのが山下洋輔のバンドにすり替わっていたとは。

ちなみにスンガリーレストランは、私が大学一年の時に入っていた先輩のバンドで、このバンドもバベルセカンドでライブをやったので、貴殿に来て貰ったように思います。

バンド編成はアルト、テナーがフロントで、電気バイオリン、エレキギター、エレキペース、ドラムというもので、エスニック調歌謡ジャズロックみたいなバンドでした。

このバンドのことはすっかり忘れてました。

そう言えば、このスンガリーレストランは一年生の時の11月の大学祭で、大学の講堂前のメインステージでも演奏したのですが、その時に演奏を聴いてくれたB君が「コバヤシの雄叫びのようなソロが凄かったよ!」と言ってくれたのを、久しぶりに思い出しました。

もうすぐB君の命日でしょうか。

B君のことはたまに思い出して、何故学生時代にあまり会話をしなかったのか、今でも悔やまれます。

貴君のブログで、B君のお墓が有った鎌倉の紫陽花で有名なお寺に独りで行ったとあったのも間違いで、私と二人で行ったのでしたね。

やっぱり人間の記憶はいい加減ですね!

まあそんないい加減な記憶でも、何かをキッカケにあーだったっけ、こーだったっけと思いを巡らせることも良いのではないでしょうか。

歳をとったせいか最近はそういう風に考えるようになりました。

では、またそのうち。」

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O先輩の思い出

6月8日(火)

久しぶりに、高校時代の友人のコバヤシからメールが来た。この4月から大阪の堺に引っ越した。

「鬼瓦殿

コバヤシです。こんばんは。

少しご無沙汰です。

堺に引っ越して早二か月が過ぎましたが、新しい職場にはまだ慣れたとは言いませんが、やはり地方都市というのは物価も安く新鮮な食材も手に入り易く、自炊派の私にはなかなか快適か生活環境では有ります。

改めて東京というのは良くも悪くも特異な場所で、やはり住む場所ではないなあとつくづく実感しています。

前置きが長くなりましたが、今日、貴君のブログにO先輩のことが書かれており久しぶりにメールしようと思った次第です。

貴君のブログには高校在学中には全く面識がなかったと有りましたが、そういう意味では私も一緒なのですが、接点は有りました。

あれは確か一年生の時だと思うのですが、我々が音楽室でサックスのパート練習をしている時に、Salt先輩がドラムを叩いて、女性のピアノの方とジャズのセッションをしていました。高校生なのにジャズが弾けるんだとびっくりしながら聴き入ったことを今でも鮮明に覚えています。そう、その時のピアノがO先輩だったのです。確かウィスパー ノットというジャズの名曲を演奏していたのも覚えています。後は何を演奏していたのか全く覚えていませんが。

ちなみに何故、そのピアノの女性がO先輩と分かったかと言えば、当時、吹奏楽部のパーカッションにいた同期のオオタが民俗音楽研究会=民音(30年以上振りにこの言葉を使いました)と兼部していて、O先輩のバンドのドラムをやっており、うちの高校にはSalt先輩の他にも凄い人がいると言っていたからです。

学園祭の夜のステージで演奏しているのも観たように思います。ちなみにこの時のドラムは当時、オオタです!

ということで、貴君もほぼ私と一緒に行動していたと思うので、O先輩の演奏は聴いていたはずです。

その後、私は大学のジャズ研に入り、2年か3年生だったかの時に、ゲイリー トーマスというニューヨークの若手ミュージシャンのバンドが来日した時に、当時はまだ無名の日本人キーボード奏者を連れて来たのですが、それがO先輩だと知り驚いたものです。

当時、ジャズ研の同級生でバークリーから帰って来て間もないヤマジョーが、O先輩とバークリーで一緒で、高校の先輩なんだけど知ってる?と聞くと、「あ〜、OJ(O先輩は当時、バークリーの日本人仲間からそう呼ばれていたらしい)ね。OJは凄いけど無茶苦茶性格がキツイんだよね。」と言っていたのを覚えています。

ちなみに当時、高校のOB会でO先輩の演奏を聴くという企画があったのですが、我々は抽選に外れて聞けなかったということもの有りました。その時の対バンは、ハンク ジョーンズという超巨匠ピアニストだったので、私はむしろそちらが聴けなかったことが残念でした。

ついでにもう一つかなりこじつけ的なO先輩との関わりを書かせて貰うと、私が大学四年の時にサックス、ペース、ドラムというトリオのバンドを半年ぐらい組んでいたのですが(貴君が覚えているかどうか分かりませんか、ジャズ研の定期演奏会を地元のバベルセカンドでやった時に貴君にもそのバンドの演奏を聴いて貰ってます)、その バンドのドラマーだったヒロセ君という人が、後に日本を代表するジャズドラマーになり、O先輩のヨーロッパツアーに参加しています。ちなみに、このヒロセ君という人は、吹奏楽部の同期でフルートのフクザワの中学時代の吹奏楽の同級生でも有ります。

ということで、かなり長くなり失礼しましたが、かなりなこじつけも含め貴君もO先輩と間接的には多少の関わりがあったというわけです。

なかなか人の繋がりというものは面白いものですね。

ということで、またそのうち!」

ここに書かれている内容を、僕はほとんど覚えていない。

1年生の時の音楽室でのパート練のときに、Salt先輩とO先輩がセッションをしていたというのは、まったく覚えていない。

同期のオオタが、O先輩のバンドでドラムを叩いていたというのも知らなかった。いや、学園祭の夜にオオタのバンドが演奏していたことはよく覚えている。オオタがドラムを叩いていたことも。

そのときに僕が覚えていることといえば、僕はオオタから、学園祭の夜のライブで使いたいから、僕のアルトサックスを借りたいと言われて、しぶしぶ貸したのだが、そのときに僕のアルトサックスがかなり乱暴な扱いで演奏されて、壊されて戻ってきたことを覚えている。

僕は、演奏を聴きながら、自分のアルトサックスの安否ばかりが気になって、O先輩の演奏を聴いていなかったのだろう。

大学4年の時に、地元のバベルセカンドという店でジャズのライブを聴いたことは覚えている。ただしそこで聴いたライブは山下洋輔だったという記憶にすり替わっていた。実際はコバヤシのバンドだったんだな。

そしてコバヤシのバンド名は「スンガリーレストラン」だったと思う。しかし僕の記憶では、サックス、ドラム、ベースのトリオではなく、そのほかにも、電気バイオリンとか、もう少し編成が多かったように思う。

僕は高校生活のほとんどをコバヤシと一緒に過ごしたから、たぶん、コバヤシの記憶が正しいのだろう。

僕の細かな記憶というのは、まことに頼りないもので、たまに入れ替わることもある、というのが、実に興味深い。

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えずか〜!

鬼瓦殿

こんばんは。高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。少しご無沙汰です。

色々大変そうですが、良いことも色々あったようですね。こちらは何の変わりも無く普通にやってます。

先程、貴君のブログを読んでいたら「えずい」という言葉が出てきましたが、ご推察の通り福岡でもこの言葉は使われています。使われていた、という方が適切かもしれませんが。

福岡勤務時代に、社内報告資料を作成中に7つか8つ上の福岡出身の上司が突然、「えずか〜!」と言ったので、「どういう意味ですか?」と聞いたところ、近くに居た1つ上の佐賀県の鳥栖出身の先輩が、「俺も久しぶりに聞いたよ!辛いとかそんな感じの意味かなぁ。でも、我々の世代はこんな古い言葉はもう使わないけどね。」と言っていました。

貴君のブログには、京都の言葉が同心円上に広がったというのが有りましたが、確かに他にも心当たりがあり、やはり福岡時代にに同僚の女性が「パソコンをなおさなきゃ」と言うので、「パソコン壊れちゃったの?」と聞き返したら、「壊れてませんよ。帰るからパソコンなおすのよ!」と言うので「?」となったのですが、よくよく聞くと「片付ける」という意味だったので驚いた記憶があります。この「なおす」という言葉も、関西以西では一般的に使われている言葉のようですね。うちの会社でも関西以西に居たことがある人達は皆、当然のように「なおす=片付ける」という意味を知っていました。

他に福岡で現地の友人がよく使っていて「?」となった言葉には「せからしか!」「しゃあしい!」(どちらも鬱陶しい、腹立たしい、みたいに使ってたと思う)とか、やはり同じような意味で「しろしい」なんて言葉が有り、なんだかよく分からなかった記憶が有りますが、この辺も関西から伝播したのでしょうか?

余談ですが、うちの会社では「たちまちは」という言葉を使う人がやたらに多いのですが、この言葉は若い頃に岡山の工場のオッチャン達が「たちまちは、これで何とかしてくれ!」みたいに使うので、どうやら我々関東人が考える「すぐに」という意味では無いらしいと思い、何度か聞いているうちに漸く「取り敢えずは」という意味と分かり驚いたものです。

数年前に福岡から東京の本社に戻って来たら、何故かこの「たちまちは=取り敢えずは」を使う人がやたらに多く、もしかして「たちまちは=取り敢えずは」というのは標準語だったのか?としばし混乱をきたしていたのですが、最近、ネットかなんかでたまたま、「たちまちは=取り敢えずは」は広島の方言でもあると知り、成る程、うちの会社は新入社員の時に広島と岡山の工場に配属される人達が多いので、みんなその時に使い慣れてしまい、今でも普通に使ってしまうのかと独り合点したものです。

「えずい」は京の都の人達が地方に伝えたのでしょうが、うちの会社では「たちまちは=取り敢えずは」が地方から東京に伝播されるという現象が起こっていたわけです。

言葉というのは面白いものですね。

ということで、今回も長くなってしまいましたが、この辺で。

大分寒くなって来たので、くれぐれも身体には気をつけてください。

では、またそのうち。良いお年を!

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森繁の鯖

「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」が、このところメールをよくくれている。

僕は、それをほとんど編集せずにこのブログに転載しているのだが、それを意識しているのか、あるときからコバヤシのメールは、ブログ用の文章に整えて送ってくれるようになった。

僕の経験したことのない、サラリーマンの悲喜こもごもが僕にとっては新鮮なのだが、なんとなく山口瞳の小説『江分利満氏の優雅な生活』をも連想させる。もっとも僕は小説よりも岡本喜八の映画の方をよく覚えているのだが。

そういえば高校時代、コバヤシと二人で、山口瞳の家を探しに行ったことがある。コバヤシ、覚えているかなあ。

通っている高校と同じ市内に、山口瞳の家があるとコバヤシが聞きつけ、「じゃあ探しに行ってみよう」と、二人で、自転車を走らせて探しに行ったのだった。その当時僕は、山口瞳の名前は知っていたが、小説は読んだことがなかったので、たぶんコバヤシの提案でそういうことになったのだと思う。家を見つけて、「なるほど、ここか…」といって帰っただけだったのだが。

まあそんなことはともかく。

前回の「ゴルフの憂鬱」を読み返してみて、次の記述に引っかかった。最初読んだときには気づかなかったのだが。

アニサキスって何?一体何食ったの?森繁みたいに生の鯖食って当たっちゃたの?ここは福岡じゃないんだよ!と独りボケとツッコミを繰り返すばかりです」

この「森繁みたいに生の鯖食って当たっちゃったの?」って、当然わかるだろ?みたいなトーンで書いているけど、どういうこっちゃ??

「森繁」は言わずと知れた森繁久彌のことである。それくらいはわかる。

じゃあ、森繁久彌って、生の鯖を食べてあたってしまったことがあるのか?というか、たとえに出すほど有名な出来事なのか?

…と思って、「森繁 鯖」で検索してみたら、あるホームページに次のように書いてあった。

「日本人の食習慣からアニサキス症は古くからあったが、このアニサキス症を有名にしたのは俳優の森繁久弥さんであった。昭和62年11月、名古屋の御園座で舞台公演中、森繁さんがさばの押しずし(ばってら)を食べ、腹部の激痛を訴えて腸閉塞の診断で緊急手術を受けた。あまりの激痛から開腹手術となったが、激痛は腸アニサキス症によるものであった。この森繁久弥事件を、NHKが特別報道番組として取り上げたことから、アニサキスが有名になった」

なんと!「アニサキス症」が知られるようになったのは、森繁久彌が鯖の押し寿司を食べてあたったことがきっかけだったのか。しかもNHKが特別報道番組で取り上げるほどの大事件だったとはね。

だとしたら、この事件は誰もが知っている常識なのか???「アニサキス」といえば「森繁」なのか???

しかし僕には、この事件についての記憶がまったくない。昭和62年11月というと、僕が高校を3月に卒業して、受験浪人をしていたときである。コバヤシも同じく浪人中だった。彼はこの事件のことを覚えていたということだろうか?

と、つらつら考えていくと、そういえばコバヤシが一浪した理由が、「食あたり」だったということを思い出した!!

高校3年の時、コバヤシは第一志望の大学を受験する直前に、鯖だか蠣だかを食べたか何かで、ひどい食あたりになり、試験を休まざるを得なくなり、それで1年を棒に振ったのだった。

当時そのことを電話で僕に知らせてきたので、よく覚えている。

ここからは僕の推理。

食あたりで1年を棒に振ったコバヤシは、人並み以上に食あたりに対して敏感になっていたに違いない。そんなときに森繁の鯖事件が起こり、食あたりに対して人一倍気にしていたコバヤシは、そのニュースが鮮烈な印象となって残ったのではないだろうか。そしてこの年齢に至るまで、森繁の鯖事件は、コバヤシの深層心理に影を落としていたのである。

一方僕は、当時食あたりのことなんぞ気にもとめていなかったので、森繁の鯖事件はさほど印象には残らなかったのである。

この仮説がはたして正しいのか?それとも間違っているのか?

それは、「森繁みたいに生の鯖食って当たっちゃったの?」のくだりを読んで、「そうそう、そんなことあったね~」と多くの読者が共感するかどうかにかかっている。

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ゴルフの憂鬱

鬼瓦殿

コバヤシです。こんばんは。

体調はいかがですか?

ところで、先日、メールしてしまったので、この際ネタをもう一つ。つまらなかったらゴメンなさい。

貴君のブログでもゴルフをする奴の気が知れない的なことを書いていたと思いますが、私も同じくゴルフなんて...という人間の一人です。ただ残念ながらサラリーマン人生、逃げ切れるわけでも無く、数年前から葬り去ったはずのゴルフを再開せざるを得ない立場となってしまいました。

それでも年数回の苦行を耐えればという程度だったのですが、先日のメールにも書いたようにこの四月からグループが異動となり、年数回では済まない状況に陥ってしまいました。

と書きながらもこのコロナ騒ぎの中、接待ゴルフは自粛となり、半年ほどは無事やり過ごすことが出来、しめしめという思っていたのですが、そんな期間がいつまでも続く訳では無く、先週末ついに遠く茨城の大洗までゴルフで行かされる羽目となってしまいました。

トーナメント会場にもなるような所謂名門コースというやつに行ったのですが、私には迷悶コースでしか有りません。上ったり下ったりとどう打てば分からないグリーンの上で迷い、何度打っても遠くてグリーンに届かないコースに悶えるばかりです。一緒に廻った皆さんとはおよそかけ離れたスコアでヘトヘトになって漸く上がり、失意のうちに帰宅した次第です。

昨日の祝日を経て漸く立ち直り、また来週も取手までゴルフに行かねばならないので、せめて今週末は好きなことをして楽しく過ごそうと会社で夢想していたところ、定期健診の胃腸の内視鏡検査で会社を休んでいた部長からメールが入り、「検査で引っかかってしまい、今週末のゴルフが無理そうです。コバヤシ、スケジュール空いてる?代打頼める?」とあるではないですか!週末のゴルフって、ウチの役員と大手取引先の副社長と役員と廻るやつだろ!それはちょっと勘弁してよ〜、アンタ先週末に一緒にゴルフ行ったから俺のスコア知ってるでしょ!役員怒るよ!アンタも一緒に怒られるよ、思わず叫んでしまいました。

更に追い討ちをかけるように部長からまたメールが入り、「週末のゴルフはドクターストップがかかりました。ポリープを取ったのと、胃にアニサキスが居てこれも取って貰ったので。」

ちょっと待て、ポリープは分かったけど、アニサキスって何?一体何食ったの?森繁みたいに生の鯖食って当たっちゃたの?ここは福岡じゃないんだよ!と独りボケとツッコミを繰り返すばかりです。

しかもメールをよく読むと「週末に一緒に行った居酒屋で食べたお刺身で当たったようです。コバヤシも気をつけてください。」とあるでは無いですか。おいおい確かに一緒に刺身食ったけど、今更何をどう気をつけろって〜の?俺もアニサキスに当たったらゴルフ行けないじゃん!意味分かんないし〜、とひたすら独りボケとツッコミを繰り返すばかり。

何とか気を取り直し、「スケジュールは空いてますが、私のスコアでは代打は務まらないのでは。。。」と返信しましたが、「明日、役員に相談しましょう。」とそっけない返信。

あ〜、ゴルフの憂鬱!

イマイチでしたかね。まあ、この狼狽ぶりを少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

では、またそのうち!

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Re: パンデイロのカピバラ

「どうも、返信ありがとう。

これだけ付き合いが長いと今更?絶縁などすることもないですし、自分が重病になったら大騒ぎすると思うので、まあ貴君の書いてる通り、便りの無いのが元気なしるしと思って貰って結構です。ただ、面倒だと当分いいかと思ったりすることはありますかね。

仕事の方も偉くなると忙しくなってくるのは、働く人間の常として仕方がないですかね。

サラリーマンなども重役はガミガミと鬱陶しいですが、それだけ責任が重くなっているということで、やはり偉くなるとあれもこれも判断しなければいけないし、夜も休みも自由な時間がなくなってしまい本当に割に合わないと思います。

私も四月に部内で異動があり仕事内容が変わり少し暇になりましたが、前職は中間管理職として、あーだこーだ言ってくる他部署に半ばキレながら対応しつつ、何を言っているか分からない部下の資料を読み解きながらああ直せこう直せと指示し、あれこれしょうもないことを言ってくる上司を跳ね除けと、本当にウンザリでした。

最近、思うのですがサラリーマンも学者も音楽家も、お金を稼ぐ為には面倒で嫌なことをしなければならないのは一緒なのではないかと思います。私なども、どこでサラリーマンを引退するかというのが最近の課題です。遅くとも60歳では辞めたいものです。

書き出したら終わらず、あれこれ長々とすいませんでした。

難しいとは思いますが、あまり気に病まないようにしてください。

気が向いたら何時でも声をかけてください。

それでは、また。」

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パンデイロのカピバラ

このブログのヘビー読者にはおなじみだと思うが、「高校時代の友人・元福岡のコバヤシ」から、じつに久しぶりにメールが来た。

実はこの1年以上ばかり、音信不通になっていて、何か俺の発言のせいで絶縁されてしまったのではないか、とか、ことによると重篤な病に罹ってしまったのではないか、と心配して、こちらから連絡をするのもはばかっていた。だが、下記のメール内容を読めばわかるように、ちっともそうではなかったことがわかり、ひとまず安心した。

そしてその内容は、このブログにふさわしい内容だったので、以下に紹介する。

「鬼瓦殿

こんばんは。ご無沙汰してます。

コバヤシです。お元気ですか?

などと書きつつ、こちらは貴君のプログをごまめに読んでいるので、貴君の心持ちも含めそちらの状況は手に取るようにわかるのですが。

本当は貴君にメールをしたところで、どうせ返信もないしバカバカしいので向こう数年は貴君にメールをするのは止めるつもりだったのですが、今日、会社の取引先との会食で、どうしてもネタとして話さないわけにはいかない出来事があったので不本意ながら止む無くメールをする次第です。

ということで、今日の出来事ですが、

実は、私はこの四月に部内で異動があり、輸出出荷の仕事をするようになったのですが、この十月ぐらいからコロナも小康状態で取引先との会食が入るようになりました。

そんな中、今日、取引先の会社の方と懇親会をしたところ、たまたま私が楽器をやってます、という話になったところ、その取引先の方が、実は私も少し楽器をやってましてマイナーなんですがパンデイロという楽器をやってます、と語り出しました。

その人曰く、パンデイロというのは所謂タンバリンのことで、ブラジルではタンバリンをパンデイロと呼ぶのですが、私は父親が商社マンだったので子供の頃をブラジルで過ごしたのです、そこで何かの縁でパンデイロの巨匠と言われる当時九十近い方に師事したのです、それで社会人になっても暫くはパンデイロ奏者として演奏していたのです、と話してくれるのです。

その話を聞いてアサカワのことを思い出し、

実は私の高校の後輩で日本唯一のブラジル音楽専門のサックス奏者のアサカワという変な奴がいるのですが、ご存知ですか?と聞いたところ、その方が、もしかしてヒロキーニョさんのことですか?もう十数年ご無沙汰してますが良く知ってます、私はパンデイロのカピバラと呼ばれていたので、アサカワさんにそう言って貰えたら覚えてくれているかも、というではないですか。

懇親会の後、早速、アサカワに、パンデイロのカピバラさんて知ってる?と久しぶりにメールしたところ、良く知ってます、でも十数年前に突然いなくなっちゃったんでどうしてるんだろうと思ってたんです、でもカピバラさんはお元気だったんですね、宜しくお伝えください、とすぐに返信がありました。

なぜ仕事上の付き合いの中で、あのアサカワの知り合いがいるんだろうと驚き、貴君にメールしてしまった次第です。

貴君も書いていましたが、人の縁というのは本当に不思議なもので、何故こんなところでという思わぬ出会いがあったりします。

前段で書きましたが、本当は貴君には向こう数年は連絡しないつもりだったのに、何故かたまさかのご縁で、貴君にメールしてしまうということになってしまったわけです。

ということで、またそのうち。

貴君の気が向いたら、茶でも飲みながらゆっくり話しましょう。

では、あまり無理はしないで、ご自愛ください。」

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東京のお祭り続編

鬼瓦殿

高校時代の友人・元福岡のコバヤシです。こんばんは。

大分お疲れのようですが大丈夫ですか?

あまり無理はするな、と言っても難しいのでしょうが。

ところで、大分前に鳥越神社のお祭りについて少しメールしましたが、昨晩、その氏子のお鮨屋さんに行った際に、大将からお祭りの行事についてまた少し話を聞いたので、貴君には興味深いのではと思い、メールする次第です。

あまり興味がなかったら失礼。

何時だったのか、言ったか言わなかったのかも忘れましたが、私は地方のお祭りは曜日に関係無く日にちは決まっているが、東京は休みに合わせて開催される、と貴君に言ったように思いますが、どうでしょうか?

言ったか言わないかは、もうどうでも良いのですが、どうやらそうではないらしい、ということで、今回の報告です。

東京の鳥越神社のお祭りでも、最初の行事は6月9日と決まっていて、一番最初の儀式(名前は失念)と御霊(みたま)入れの儀式を行うそうです。お宮入り等の一般的に我々が「お祭り」として見る行事は、9日に一番近い土日にするとのこと。

ちなみに御霊入れは、メインのお神輿に神様が降臨する儀式だそうで、これ以降、各町内で持っているものも含め、お神輿を担いで良いそうです。

浅学な私は大分前に、浅草寺のお祭りでお神輿の上に上がる不逞な輩がいるというニュースを見て、まあそうだなぁ、とぐらいにしか考えていませんでしたが、成る程と得心した次第です。前にメールした進水式もそうでしたが、日本の神様というのは、やたらに呼び出されるようですね。

それから日曜の朝(だったと思う)6時半から初輿(よ)式、お昼に昼輿式、最後に終輿式(だったと思う)と続くそうです。

昼輿式では、メインのお神輿はお宮の中に一旦戻って、結界を張った中に入れられて休ませる?そうです。その間は、誰かが結界の中に入らないように、毎年当番になった町の人が4人、結界の四隅に立ってずっと見張っているそうです。

それから、前に書いた7月1日に行う人形流しですが、正式には「夏越し(なごし)のお祓い」と言うそうです。

ということで、東京の鳥越神社のお祭りも、6月9日に始まり、7月1日に終わるというのは、実は昔から変わらずに決まっていたのでした。ただ、お神輿を担いだりするお祭りらしい行事は、時代に合わせて休日に変わっている、ということのようです。

ちょっと面白かったのでメールしてみましたが、いかがでしょうか?

つまらなかったらごめんなさい。

それでは、またそのうち。

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